Home > Interviews > interview with inc. - 肌にも心にも布はかけない
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肌を出すことが、兄弟が親密にくっついていることが、モノクロームの表象が、こんなにキマるなんておかしい。インクのアート・ディレクションは水際立っている。上質というよりは完璧。ある強い美意識が、音とヴィジュアルとを貫いているのがわかるだろう。肌と肉とはときに機械のような精密さと硬質さをもって映りこみ、ときに機械をさびつかせるブルーを醸し出す。「肌と肉」を音に置き換えても同様だ。そして実際に見て聴いて納得してもらうより他ないが、それらはいずれも、方法ではなくて精神性によって磨かれたかのように鈍い光を放っている。細い煙とシーツがゆれるばかりのPVが成立するのは、そこに研磨された意識や心のありかを検知できるからである。金のかかった一流品という雰囲気ではないが、きわめてハイセンス、そしてとても気高いものがある。
ハウ・トゥ・ドレス・ウェルのセカンド・フル、トロ・イ・モワのサード・フル、そして本作。少なからずインディ・ミュージック・ファンには意識されていることだろうが、ポスト・チルウェイヴやその傍流にあった音たちの着地点のひとつとして、ストレートなR&B志向を挙げることができる。何度も述べるように「チル・アンド・ビー」などという呼称はまさしくそうした傾向を象徴するものだ。出自は違えど、たとえばいまライが評価され歓迎されていることも、同じようなムードが広く共有されていることを証している。レコ屋の店頭でライと本作の両方を買われた(迷われた)方も多いのではないだろうか。アンダーグラウンド・シーンから誕生したシンガーたちによるポップス回帰の流れは、一抹のノスタルジーを巻き込みながらも、確実に新しくリアルな息づかいを感じさせている。インクはこの流れを率先する大きな才能であり、表現の精度という点でも抜きん出て高く、ジャンルを超える訴求力を秘めた存在でもある。「いまらしいね」ということと「いい音楽だね」ということがともに備わっている。2枚のEPのリリースの後、フル・アルバムの完成がまさに待望されていた。
どんなオシャレなふたりかと思っていたが、会ってみると筆者の「オシャレ」の観念など所詮は富士山に対するマッチ棒みたいなものだったことを痛感した。盛ることや飾ることとはほど遠い、やはり肌を多く露出するファッションだったが、それは肌の表面にもその内側にもじっと視線を凝らしている人間に可能な格好なのだということを想像させる。肌を出す人がみなそうだと言うのではない。だがインクにとって肌とは心であり――ヴィジュアルであり音であり――布をかけるべきものではない。そのことは以下の回答からもよくわかるだろう。隠す部分の少ない肌=音。これが彼らの美しさであり完璧さであり、表現そのものの本質でもある。
時が経てば、僕たちの音楽そのものが語りだすと思うよ。僕らはいちど音楽を作ってしまった。これ以上できることはないんだ。
■いきなりですけど、「ピッチフォーク」がかつてあなたがたの音楽を指して「誰でもプリンスのマイナー曲から盗みを働ける」と評していましたが、これはある意味では的を外した議論です。オアシスを指してビートルズのパクリだと怒る人はいないわけで。ただ、実際に比較をされることについてはどうでしょう。プリンスというのはおふたりにとってどのような存在ですか?
アンドリュー:音楽的な影響ということでは、特筆すべき名前はないかもしれない。ただ、時が経てば、僕たちの音楽そのものが語りだすと思うよ。僕らはいちど音楽を作ってしまった。これ以上できることはないんだ。だけど別の次元で、このできあがってしまった音楽たちが自然にいろんなことを示してくれると思う。
ダニエル:「ピッチフォーク」は読まないんだ(笑)。
アンドリュー:そもそも「ピッチフォーク」は時代に遅れつつある。僕たちはもう別のレベルで動きはじめているんだ。もっと新しい、新しすぎて記事に載らないようなことをやろうとしているんだよ。それに、メディアを通さずに直接リスナーに届くものが作れたらいいなと思ってる。だから、日本であなたのように『3』からちゃんと聴いてくれている人がいるというのはうれしいよ。
■ははは、なるほど。『3』と比較すると、今回はさらにスムーズになった印象があります。『3』はもっと大胆に音の空白を使っていたというか、ローファイでノイズ感も強め、とってもエッジイな仕上がりだと思いました。今回は、よりポップスとしての洗練を目指したということなのでしょうか?
アンドリュー:感覚的に作ることが多いから、狙って違いを出そうと思ったわけではなかったんだけど、このアルバムに関しては冬に作ったから、あたたかくて、オープンで、癒しの要素があるかなとは思うよ。
僕の個人的な見解に過ぎないけど、90年代は音楽に主張があった最後の時代だと思う。音楽自体、ギターの音色ひとつにもステートメントがあった。それはもはやクラシックと呼んでもいいものじゃないかな。
■プロダクションについてのこだわりがあるのかどうか、というあたりをもう少しお訊きしたいです。USのインディ・ロックとかシンセ・ポップはしばらくローファイなものが優勢だったと思うんですね。今回はもう少しスタジオ録音的な、整った印象があったので、そのあたりはどのくらい意識されたのかな、と。
アンドリュー:プロダクションということで言うと、今回は『3』やこれまでのものよりもクリーンでピュアな音を目指したんだ。耳にどう聴こえるか、身体にどう作用するか、フィジカルな意味でもちょっと違うものになったかなとは思っているよ。とくに低音にはこだわっていてね。TR-808を使ったりして。ギターはグランジな感じにした。そういうところにはこだわりがあったといえばあったんだ。ただ制作の途中段階で、思いつきで新しい方法を試したりということはしなかったよ。限られた楽器のなかでやっていくということが自分たちの方法に合っていると思った。音数は減らしてるんだ。
■グランジという言葉が出てきましたけれども、いま若いアーティストの作品において90年代のR&Bが参照されることがすごく多いなと感じるんですね。インクにはもちろんR&Bのルーツも感じるわけですが、その他の90年代の音楽にもやはり原体験や思い入れがあるのでしょうか。
アンドリュー:僕の個人的な見解に過ぎないけど、90年代は音楽に主張があった最後の時代だと思う。音楽自体、ギターの音色ひとつにもステートメントがあった。それはもはやクラシックと呼んでもいいものじゃないかな。それ以降のものには、何を主張したいのかが伝わってこない。少なくとも僕にはね。2パックやカート・コバーンが何を言いたいのか、それは明瞭なことだし、何よりも歌詞のなかにそれがはっきりあった。メッセージの明確な音楽という意味では90年代が最後だよ。そういうものを聴いてきたのが90年代だった。初めて行ったライヴはスマッシング・パンプキンズなんだ。そしてミッシー・エリオットは革新的なヴィデオを作ろうとしていた。
■なるほど。そのあたりでひとつの切断線が引けるとは思います。一方でハウ・トゥ・ドレス・ウェルとか、R&Bに接近しながら独特の音作りをするアーティストも目立っています。共感を覚える同時代のアーティストを教えてもらえませんか?
アンドリュー:同世代の音楽というよりは、先輩になってしまうんだけど、ラファエル・サディークには曲作りの方法も含めていろいろと教えてもらったし、手本にしているところがあるよ。あとはこれから出てくるだろうなというアーティストたち。L.A.の〈フェイド・トゥ・マインド〉というレーベルにトータル・フリーダムというDJがいて、彼にもインスパイアされるところが大きい。どちらかというとバンドよりもDJに影響を受けるかもしれないね。ヘッド・フット・バイ・エア、ニッキー・ブロンコ、ケレラ、フィジカル・セラピー......まだ無名なんだけど、今年以降名前を聞くことも多くなるんじゃないかな。ジェイムス・フェラーロとかね。アリエル・ピンクのキーボーディストがルームメイトで、友だちの音楽から学ぶことも多い。つるんでるから、いっしょにプロジェクトをやらなくても何かしらを共有していたりはするんだ。友だちがいちばんいい影響をくれるよ。
取材:橋元優歩(2013年3月25日)
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