「レイヴ・カルチャー」と一致するもの

Tomoki A Heart - ele-king

 半世紀も昔を舞台にした映画を見ていると、家族という単位以上にその地域の共同体が優位であったことがわかる。アメリカ映画ではとくに顕著だ。たとえばバーに入る。客はみんな顔なじみ。注文して、カウンターに腰掛けると、「ところで、おまえんところの小僧は......」とか、「そういえば、おまえんところの女房は......」とか、へたしたら「おまえんところの犬は......」とか、他人は遠慮なくプライヴァシーに入ってくる、家のなかに共同体は容赦なく介入する。そうした土足で上がってくる共同体を家からキレイに排除したあげくに生まれた家族、孤絶化した核家族の集合体のメタファーとしてのファミリーレストランというもの(トポス)を指摘したのは越智道雄だった。
 ファミレスには多くの幸福な家族がいる。しかもそれら家族同士はものの見事に隔絶されている。となりのじいさんやばあさんの皮肉のひとつも届きそうにない、それぞれのプライヴァシーを保持する幸福そうな家族の集合体......わずか数センチのところにいながら彼らは顔を合わせることもない。この奇妙にして不自然な光景......コミュニティの崩壊はなにも自由経済だけの責任ではない。人は明らかにそれを望み、そして叶えたのだ。
 ところが近年、ニュースが伝えるには、里山や団地に住みたがる若者が増えているという。セーフティ・ネットを意識しているのかどうかは知らないが、彼らが核家族を超えたコミュニティ、昔ながらの近所の会話を求めていることは事実だろう。ますます階層化され、整備されていく社会にある種の危機感を感じているのかもしれない。越智道雄は核家族内部において共同体性を求める存在を"内なるアウトサイダー"という言葉で表現したが、クラブ・カルチャー/レイヴ・カルチャーにおける理想のひとつこそまさに"内なるアウトサイダー"の出会いにあると言える。

 塚本朋樹による『Innervoice』は個人のベッドルームというよりも、長野市のシーンから生まれたCDである。スタイルの基本にあるのはミニマル・テクノだが、ずいぶんとドリーミーで、そしてフレンドリーだ。個人的空想よりも人が集まることを歓迎している音楽のように思える。そして『Innervoice』は、人びとが集まっている場所から生まれたことを強味にしている。
 実際、塚本朋樹は2000年から地元長野で〈色〉というパーティをはじめている。しばらくしてそこは長野に住んでいる音楽好きの交流の場(トポス)になった。やがてスケーターやスノーボーダーなど音楽以外の"内なるアウトサイダー"も集まってきた。「みんなひとつになって協力し合ってシーンを作り上げていた感じでした」と、彼は長野のシーンのこの10年をこのように簡潔に話す。「それは90年代の東京を彷彿とさせるものでした」
 塚本朋樹は90年代後半の東京のクラブ・カルチャーに現れた彗星だった。アイルランドやドイツをツアーでまわりながら、彼は東京の地下のもっとも深いところを掘ろうとしていた。彼が関わっていた〈MetroJuice〉や〈Sound Channel〉は、その当時の東京のもっとも先鋭的でアンダーグラウンドなレーベルとして記憶されている。徹底的にストイックだったし、媚びることを嫌い、とがっていた。ゆえに『Innervoice』から聴こえる大らかさが僕にはものすごい驚きである。
 そしてこの変化について、彼は次のように話してくれた。「昔のストイックな曲は、東京に住み、ヨーロッパを行き来して、どこにいっても音楽仲間に囲まれて、音楽一直線というように、つねに音にだけ向き合っていればいい環境だからこそ出てきた音だったと思います。当時は、ヤバい曲を作ってとっとと死ねばいいやと思っていました。長野に帰って来てからは、家族や地元の友だちとか、音楽以外にも向き合わなければならないことがたくさんありました。そんななかで、音だけでなく、人生そのものをもっと楽しみながら音楽をやっていこうと変わっていったのだと思います。まず、エンジョイ・ライフが先だということです」

 『Innervoice』にはヴォーカリストとしてKaori(トーマス・シューマッハ、スティーブ・バグとのコラボレーションで知られる)、そしてOkika(ex.bossarica)のふたりが参加している。アルバムにはアップリフティングなダンス・トラックもあればアンビエント・テイストの美しいトラック、心地よい響きのダウンテンポなど、いろいろある。パッケージを広げると青空が広がっているが、それは作者の気持ちを表しているようだ。『Innervoice』は、とにかく清々しい。
 塚本朋樹によれば、長野は美しい自然に囲まれたスペシャルな場所だという。ここ数年、彼は地元で、野外の音楽コンサートなど企画しながら精力的に活動している。また、『Innervoice』のリリースを機に、〈Naganois〉レーベルでは今後もいろんな作品を発表する予定だとか。興味がある方、CDを買いたい方はこちらからどうぞ(https://www.zeroniroku.net/records/cd_tape/innervoice.php)。よく見るとジャンル名が「TECHNO / NAGANO」と記されている。祝福されているのだろう。もっとも『Innervoice』には日本で作られたテクノの新作の1枚であること以上の兆しがある。これは本当に未来に向けた第一歩かもよ。

interview with Hiroshi Higo - ele-king


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 1981年に高校生だった人間にとってライヴハウスは受験の帰りにひとりで立ち寄るようなくらい身近で、そして刺激的な場所だった。チャンス・オペレーションもそういうなかで見ている。
 セックス・ピストルズの解散とPILの登場は本当にいろいろなものを変えた。ポスト・パンクとは、パンクというロマンに対するアンチ・ロマンでもあったから、ロックの定説はことごとく裏切られ、反復を基調とした冷淡なグルーヴは瞬く間に広まった。UK、US、ドイツ、そしてここ日本にも。チャンス・オペレーションもそういうバンドのひとつだった。

 このサイトを読んでいる多くの人にとってのヒゴヒロシとは、DJとしてのヒゴさんだろう。実際の話ヒゴヒロシとは、この20年ものあいだアンダーグラウンドな活動を続けているDJのひとり、幅広い尊敬を集めているDJのひとりである。が、彼が東京のパンク前夜からそこで演奏していた人物であるという歴史が忘れられているわけでもない。ディスコやハウスのDJだって、彼がパンクの人だったことを知っている。チャンス・オペレーションは、ポスト・パンクの時代においてミラーズ解散後のヒゴヒロシが結成したバンドだ。その再発を祝しておこなわれたこのインタヴューは、主にその時代に焦点を当てている。取材には、ヒゴさんに興味津々のDJのメタル君も駆けつけてくれました。

ベースのフレーズを反復して、そしてそれをもとに曲を作ったんですね。だからたしかにベースの反復がもとになっている。それから、必要のない音はどんどん削ぎ落としていくってことも意識してましたね。

僕にとって今日は、1992年以来の2回目の取材なんですよね。

ヒゴ:ああ、じゃあホントに、いわゆるレイヴ直後?

そうです。新宿の喫茶店で話したのを覚えてませんか?

ヒゴ:どこだっけ?

新宿の駅のビルじゃなかったでしたっけ。ちょうどヒゴさんがDJやられた頃で、僕のなかでヒゴさんといえば、ミラーズやチャンス・オペレーション、あるいはスターリンのヒゴさんだったんで、そうとう緊張して取材を申し込んだんですよね。

ヒゴ:えー、そうだったの(笑)。

いまでこそヒゴさんはDJとして名が通ってますけど、当時はまだ衝撃でしたよね。そこは距離があると勝手に思ってましたし。

ヒゴ:はははは。

あのときはヒゴさんが〈代々木チョコレートシティ〉で「Water」というパーティをはじめた頃でした。

ヒゴ:そうですね。土曜の夜にね。オールナイトでね。

日本では最初のジャングルのパーティでしたね。

ヒゴ:結局行ったのが......。

1991年。

ヒゴ:そう、レイヴの真っ只なかに行ってしまったんでね。最初に現場で聴いたのが当時はハードコア・ハウスと呼ばれたもので。

そう、ハードコア・ハウスと呼んでましたね。

ヒゴ:だからデトロイト・テクノなんかもその取材のときに野田くんから聴いて「あ、そうなんだ」って思ったぐらいで、当時は僕もまだかじりだてというか、当時はハードコア・ハウス一色だった時代だったから。そのあとになっていろいろ聴きはじめて、デトロイト・テクノなんかも知ったんだよね。

しかもヒゴさんにレイヴ・カルチャーを教えたのが水玉消防団のカムラさんだったという話をそのとき聞いて。

ヒゴ:そうそう(笑)。

けっこう上がりましたよ(笑)。で、ヒゴさんのやっていた「Water」に行くと、入口では何かカプセルを配っていたんですよね(笑)。

ヒゴ:あれはちょっとした冗談だったね。ビタミン剤かなんかで。

「雰囲気だけでも」って入口のひとに言われたんですよ(笑)。

ヒゴ:はははは。

あれは可笑しかったですよ(笑)。で、まあ今回は、チャンス・オペレーションの再発ということでその音楽と作品が生まれた時代の空気、あるいは2011年におけるチャンス・オペレーションの再評価などについて訊きたいと思います。最初は手の写真の12インチ「チャンス・オペレーション」ですよね。

ヒゴ:そうです。

僕もあのアートワークがレコード店の棚に入って、雑誌に載ったときのことをよく覚えていますね。まずは今回、チャンス・オペレーションが再発にいたった経緯を教えてください。

ヒゴ:去年の春前かな......ディスクユニオンで〈テレグラフ〉の再発をやりたいという話があって、〈テレグラフ〉だけではなく〈ゴジラ〉もやりたいと。〈ゴジラ〉はじつはこれまでも何回も再発されているんで、まあ、再発のフォーマットみたいなものもできていて、わりとスムーズに〈ゴジラ〉は出せたんです。〈テレグラフ〉のほうは作品数も多いし、毎月のように再発されていって、「それではチャンス・オペレーションも出しましょう」ってなったんですね。チャンス・オペレーションも以前、徳間ジャパンで再発されているんですけど、そのときは最初の12インチと「スペア・ビューティー」という7インチ2枚組の編集盤として出したんですね。

それって何年ですか?

ヒゴ:うーん、90年代の初頭だったかな? (注:タイトルは『デュアル・ページ』として1990年にリリース)で、まあそのとき徳間から出したCDは、とくにボーナス・トラックもあるわけじゃないし、『プレース・キック』のほうもいちどCD化されているんですけど、そのときもただCD化されただけなんです。だからチャンス・オペレーションに関してちゃんと再発したのは今回が初めてとも言えるんですよね。

ユニオンはここ数年、ずっと熱心に日本のポスト・パンクの再発をやってますもんね。EP-4であったり、最近ではタコであったり。

ヒゴ:そうですね。僕のほうもずいぶん時間が経っていることですし、未発表の音源なんかも聴きあさってみて、それでたとえば初期の音源なんかも加えるのもいいかなと思ったり。それでマスタリングまではうまく話が進んでいたんですが、デザインの件でユニオンと話が合わなくなったり、スケジュールが迫ったりで、「どうしようかな」と。自分としてはデザインもふくめて余裕をもって出したかったというのがあって、それで結局、Pヴァインから出すってことに落ち着いたんですよね。

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反体制が当たり前の時代でしたからね。僕は高校生のときにすでにバンドに夢中になって、集会も身近にあったんですけど積極的に行くようなタイプではなかったですね。ただ、そういう時代のエネルギーはもちろん感じていましたよ。


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そういえばフリクションが再発されたのって......、もう7年前ですか。ゼロ年代以降のこうした日本のポスト・パンクの再発に関してはどういう風に受け止めてますか?

ヒゴ:チャンス・オペレーションって92年までやってたんですよね。

やってたんですね。

ヒゴ:じつはやってたんです(笑)。91年にレイヴに衝撃受けて、日本に帰ってDJやってレイヴをオーガナイズしはじめた頃にはまだチャンス・オペレーションをやっているんですけど、しかし、半年後ぐらいには、もう自分のなかではDJやパーティのほうにどんどん興味がいってしまっているんですね(笑)。それでまあ自然消滅ってわけじゃないけど、チャンス・オペレーションはなくなっていくんです。バンド活動そのものは止めてはいないんですけど、とにかく90年代は、チャンス・オペレーションみたいな自分の過去の表現に対しては、それほど特別な感情もなかったのが正直なところなんです。止めてまだ時間も経ってないですからね。だけど、2000年過ぎてから聴いたときには、けっこう自分でも気づくことがあったんですね。

再発見があったということですね。それは?

ヒゴ:僕はミラーズの2年間だけドラムを叩いていたんだけど、もともとはベースなんですね。3/3のときもそうだったんですけど、チャンス・オペレーションになってまたベースに戻ったんですよね。ベーシストとしての自分が過去を振り返ったときに、いまの自分の原点がチャンス・オペレーションにはあるのかなと思ったんです。当時はそんなことまったく思ってなかったですけど、今回聴き込んで、自分で気がついたっていうかね。なんていうか発見があったんですね。

古くなってないと。

ヒゴ:古くなってないというよりも、音楽に向かう姿勢、バンドのスタンスみたいなものがこのときにできている......というか、できつつあった。チャンス・オペレーションはメンバーの入れ替わりの激しいバンドだったんですけど、自分のやりたいことがある程度わかっていたっていうか。

さっきも言ったように僕はチャンス・オペレーションが出てきた頃をよく覚えていて、『Doll』を読んでいるような高校生だったんで、ヒゴさんのインタヴューを読んでジョン・ケイジのチャンス・オペレーションを知ったくらいなんですよね(笑)。

ヒゴ:はははは。

今回のアルバムのジャケットに使われた写真もよく覚えているんです。当時のヒゴさんのコンセプトは何だったんですか?

ヒゴ:ミラーズ解散後はやっぱドラムでヴォーカルをやりたかったんですね。それでいろんな人たちとスタジオに入るんですが、どうにもしっくりこなかったんですね。

チャンス・オペレーションは、まず音楽的に3/3やミラーズとは違いますよね。ワンコードで、反復性が高く、感情を抑制して、ストイックな演奏しているじゃないですか。音の変化が確実にありました。

ヒゴ:基本的にはリズム楽器が好きなんですね。ドラムというのは野球でいうキャッチャーみたいなもので、後ろからみんなを見渡せるんですけど、動きに制約がある。ミラーズは自分でギターで曲を作って自分でドラム叩いて自分で歌っていたので、ドラムをステージの前面に出したこともありましたけど、演奏中に動くことはできないわけです。

それでベースに戻ったんですね?

ヒゴ:いまでもドラムは好きですけどね。でもそのときベースに戻った。ベースラインで曲を作って、そのままステージに立つことができるんですよ。

チャンス・オペレーションの結成は1980年で、最初のシングルが1981年ですが、ギャング・オブ・フォーやデルタ5といったUKのポスト・パンクからの影響はありましたか?

ヒゴ:直接的にはなかったですね。

カンやノイは?

ヒゴ:音は聴いていたけど、そこも直接的な影響はなかったですね。

とはいえ、共通性があると思うんですよ。コード展開がなく、ミニマルで、いわゆるアンチ・ドラマ、アンチ・ロマンで......アメリカにグリール・マーカスという有名な評論家がいますが、彼は当時ギャング・オブ・フォーやデルタ5を「圧倒的なまでの冷静さ、ロマンティシズムに酔いしれない醒めた姿勢」って評しているのですね。それた似たものをチャンス・オペレーションにも感じるんです。INUの『メシ食うな』にも、フリクションにもスターリンにも、そうしたアンチ・ロマンはあったと思うんですね。

ヒゴ:たしかにそうですね。

ああしたポスト・パンクのアンチ・ロマンな姿勢は、自分が中高生のとき、に夢中になっていた音、70年代末から80年代初頭にあった音だったという印象があるんですよね。

ヒゴ:そうですね。

あの反復性はまったく古くなっていないのはたしかで、むしろいま、そういうミニマリズムのほうがよりカジュアルになってきているじゃないですか。だからチャンス・オペレーションや『スキン・ディープ』は、いま聴いても説得力があるっていうか。ドラマチックな音楽って、たとえばJ-ROCKなんかがそうですけど、2つぐらいのヴァースがあって、サビがあってって、そうした曲作りとは対極の発想というか。

ヒゴ:やっているほうとしてはそこまで明確に意識的だったわけじゃないですけどね。

僕は当時すごくびっくりしたんですけどね。やっぱ時代の空気がああいう音を生んだってことですか?

ヒゴ:僕はそっちのほうが大きいと思いますよ。たとえば僕はミラーズの頃はレゲエばっか聴いているんですね。もちろん聴く音楽と演奏する音楽は違うんですが......僕はチャンス・オペレーションのときは、ベースのフレーズを反復して、そしてそれをもとに曲を作ったんですね。だからたしかにベースの反復がもとになっている。それから、必要のない音はどんどん削ぎ落としていくってことも意識してましたね。

ヒゴさんにとってのモチヴェーションってどこにあるんですか?

ヒゴ:ひとつのスタイルをずっと続けいくことは性に合わないんですよ。だから何か新しいことにトライすることっていうのかな。

音の追求心みたいなことですか?

ヒゴ:新鮮さばかりを追っているのもどうかと思うんですけど、どうしても新鮮なものに惹かれるんですね(笑)。自分のなかでなにかしらの新鮮さを見つけていかないとつまらないんです。でないと次にいけないし、同じ曲を繰り返し演奏することがなかなかできない。チャンス・オペレーションのときはそれが自覚的でしたね。同じ曲でも演奏のたびにどこか変えてみたりとかしてましたから。

ロックに対するアンチ・テーゼはありましたか?

ヒゴ:とくに初期の頃はジャズっぽいと言われましたけど、ジャズをやっていたわけではないし、自分としてはずっとロックをやっていたつもりだったんですけどね。だからロックに対するアンチでもないんです。ロックが基本で、でもジャズの好きなところは取り入れたいみたいなことはありましたね。

チャンス・オペレーションにもフリクションにも、スターリンやINUにも、大きな言葉でいうと、ニヒリズムがあったと思うんですね。無意味さ、虚無を生きるといいますか。どうなんでしょう? "LIMITER SHUFFLE"の歌詞には、「通り過ぎてそのまま 放り投げてグッバイ 揺れて飛びちる 底ナシの季節」という言葉が出てきますが、これなんかも当時の虚無感をよく表しているんじゃないでしょうか?

ヒゴ:はい(笑)。

歌詞はヒゴさんが書かれているんでしょ?

ヒゴ:そうですね。

ヒゴさんがどれほどのニヒリストだったか教えてください!

ヒゴ:いやいや、ニヒリストというかね(笑)、僕、もともと電車好きなんですね。電車から音楽にいったんです。鉄道オタクじゃないんですけど、小学校は下北のそばに住んでいて、身近な電車が井の頭線だったんですね。当時の古い車両はいろんな車種があるんです。そうしう車種が好きで、中学校になって中野に超して、そうすると通学で念願の電車通学ができて、小田急にも乗れるようになるんです。小田急もまた車種が多いんです。僕は鉄道車両の設計技師になりたかったほどなんです。そういう機械と科学がすごく好きでね、じつは曲の題材はそういうところから持ってくることが多いんです。

へー(笑)。電車好きですか! そんな少年がやがて日本のプレ・パンクの3/3でベースを弾くというのも面白い話ですね。ちなみに3/3はおいくつのときでしたか?

ヒゴ:22ですね。

○△□のことは知っていたんですか?

ヒゴ:高円寺にロック喫茶ができてね、何回か行ったことはあるんだけど、直接はまだ知り合えていなかった。3/3は僕の前に何回かベースが交代していて、僕がバンドで最後のベーシストになったわけですけど。

3/3は、たとえるならストゥージズへのリアクションみたいなサウンドで、早すぎた日本のパンクだったと思うんですけど、ヒゴさんのなかにもそうしたパンク的な感性はあったわけでしょう?

ヒゴ:それはもちろん。自分で考えて自分でやれってことですよね。3/3の頃から甘っちょろい感じにはなじめませんでしたね。

その「甘っちょろさ」って何ですか?

ヒゴ:なんかね、自分の人生がこうなったらいいなみたいな気持ちを歌することはできませんでしたね。

希望や夢は歌にできないってことですか(笑)?

ヒゴ:そうですね(笑)。

ヒゴさんは世代的には、学生運動が下火になった世代ですよね。

ヒゴ:僕よりも2つくらい前は大きかったですよね。当時、2年違うだけでもぜんぜん違ったんですけど。

みんなでデモや集会に行くような感じにはなじめなかったってことですか?

ヒゴ:というか反体制が当たり前の時代でしたからね。社会と自分がどう関わるのか、それを問われてすぐに答えることができるようでないとやっていけないような時代でした。僕は高校生のときにすでにバンドに夢中になって、集会も身近にあったんですけど自分はそこに積極的に行くようなタイプではなかったですね。そういう反体制の動きみたいなのが下火になりつつあったとはいえ、ただ、そういう時代のエネルギーはもちろん感じていましたよ。だから音楽は手段だと思ってました。どう生きていくかが重要で、あくまでも音楽はその手段であると。

ニュー・ミュージックに表象される夢や希望が嫌いだという話ですが、ではヒゴさんにとっての夢や希望とは何でしたか?

ヒゴ:混沌......、宇宙もそうじゃないですか。もとは混沌であって、僕はそのことを納得できるんです。最近ニュースで、宇宙の5%ぐらいがわかったという話を見たんですけど、「いや、それはそうでしょ」っていう(笑)。「宇宙なんか解明できるわけない」って。言ってみれば、混沌を生きるってことですね。

初期のレイヴはまさに混沌そのものでしたよね。ヒゴさんは、都合よく整理されたものが好きじゃないんですね?

ヒゴ:必要以上に整理されたものは好きじゃないですね。

デビュー曲が"カスパー・ハウザー・ナウ"ですが、"カスパー・ハウザー"を取り上げたのは?

ヒゴ:それはヘルツォークの『カスパー・ハウザーの謎』を観て。

素晴らしい映画ですよね。

ヒゴ:本当に素晴らしい映画ですね。あれです。あの、人間の親に普通に育てられなくても、それが幸せ不幸せじゃなくても、それでも人は生きていけるっていうのがね。

"TOUCH & GO"も音と同時に言葉も入ってくる曲ですが、この曲の主題は? 「くやしいことの始まり......何かを試せる......夜更けていくとき......きわどいことなど......するどいことなど」ということなど、暗示的な言葉だと思うのですが。

ヒゴ:すれすれの状態のことですね。

それは自分のこと? それとも社会のことですか?

ヒゴ:両方でしょうね。

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ハードコア・ハウスはブレイクビーツ、つまりサンプリング音楽なんだけど、構成の仕方がそれまでの音楽感覚とはまったく違うんです。あの無節操さ、「なんで前半でこうなのに、後半はこうなっちゃうの」みたいな、とうてい理解できない(笑)。


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ファースト・フル・アルバム『プレース・キック』が1985年ですが、結成からずいぶん時間が経って、そして音楽的にはよりダンサブルになっていると言いますか、疾走感、躍動感のようなものがありますよね。こうした音楽面での変化についてお話いただけますか?

ヒゴ:変化というか、とにかくメンバー・チェンジが激しかったんですよね。だからメンバーによって演奏も違ってくるわけだし、とくに初期や中期では、手探り状態をそのまま続けていくって感じだったから。

ヒゴさんは、80年代の当時いろんなバンドに出入りしてましたが、やっぱシーンにはある種の共同体的なところがあったんですか?

ヒゴ:東京ロッカーズのときははっきりとそれがありましたね。ミラーズのときですね。「いまここではじめなければ」という意識が高い時期だったし、それを複数のバンドが共有してたからね。でも、ニューウェイヴの時期になるとその集まり方も変わってくるんです。音楽性も多様になりましたが、バンドとバンドとのつながり方も変わっていったんですよね。

もっとドライなった?

ヒゴ:というか、ひとつのバンド単位で物事を考えていくようになった。

共同体意識が薄れていくんですね?

ヒゴ:そうですね。

しかも『プレース・キック』が出る1985年にはインディ・ブームがはじまってますからね。

ヒゴ:そうですね。

チャンス・オペレーションやフリクションがアンチ・ロマンだとしたら、ブルー・ハーツに代表されるようなわかりやすいロマン主義がいっきにライヴハウスを席捲するでしょ。ああいうものに自分たちがどんどん隅っこに追いやられていくって感覚はなかったですか?

ヒゴ:追いやられていくって......。

あんま気にしなかったですか?

ヒゴ:ぜんぜん気にしなかったわけじゃなかったけど、それまで自分たちがやってきたことを守ればいいって気持ちもなかった。僕は3/3のときにそのライヴハウスの黎明期から知っているんだけど、あのときはものすごい数でライヴハウスとバンドの数が増えていったよね。

オーディエンスが自分たちから離れていくってことは感じてましたか? ある意味では、多くのリスナーからはチャンス・オペレーションよりもビート・パンクのほうが求められていたじゃないですか。

ヒゴ:媚びたくないっていうのがすごくあって。

たしかに媚びてませんでしたよね。チャンス・オペレーションのライヴも当時、観ているんですが、本当に無愛想で(笑)。

ヒゴ:たしかにそうですね(笑)。

メタル:踊ってました?

いや、まだそんなダンスって感じじゃなかったですよね。

ヒゴ:そうですね。

『プレース・キック』はそれでもダンサブルですよね。"FEEL ROCKER "なんかは代表曲のひとつじゃないですか?

ヒゴ:え、そうかな(笑)。

僕が勝手に思ってるだけというか、チャンス・オペレーションのなかではキャッチーな曲じゃないですか。

ヒゴ:まあ、そうですね。『プレース・キック』はドラムがイヌイジュン(元スターリン)で、そのことがけっこう大きかったですね。彼は最初にコンセプトを持ってくるタイプで、コンセプトがはっきりしていないとやらないんです。1曲1曲、最初にコンセプトを絵コンテみたいに書いて確認しあってやってましたから。

8ビートの曲も多いですもんね。

ヒゴ:たとえば"RAZOR BLAZE"なんかは彼のアイデアでね、ちょっと変拍子も入っていたりね。曲の作りも構造的になっているんですよね。

イヌイさんはいまでも音楽をやられているんですか?

ヒゴ:いや、彼は一級建築士で、大阪で建築の事務所をやっていると思います。僕もずいぶんと会っていないんです。

どうして『プレース・キック』というタイトルにしたんですか? サッカーからきているんですか?

ヒゴ:「キック」という言葉が好きなのと、あとサッカーというよりも蹴球ですね。もっとプリミティヴな感じ。

プリミティヴですか。ヒゴさんはこれだけ長年音楽活動しているくらいだから、すごく強い気持ちを持っていると思うんですけど、あんま音楽には出ないですよね。あるいはじつは出しているんだけど、あまり気づかれないだけだとか?

ヒゴ:いや、これはもう性格なんでしょうね。たぶん、みんなが思っているほどストイックではないと思いますよ。

だいたいハードコア・ハウスですからね(笑)。メタルから見て、ヒゴさんってストイックに思える?

メタル:人間的にはゆるいっすよね。

快楽主義者だもんね。

ヒゴ:はははは。結局、60年代や70年代にあった強いものが、80年代になって、そうじゃなくてもいいんだみたいな空気がどんどん増えていって、それはホントに違和感を感じてましたけどね。

時代の変化は、具体的にはどんなところに感じましたか?

ヒゴ:若い世代と話していくなかで、そうしたものは感じましたね。

長いものには巻かれろ的な?

ヒゴ:もうちょっとやわらかな対応で生きていったほうがいいじゃんみたいな(笑)。

メタル:チャンス・オペレーションはヒゴさんにとってベースの実験ってありましたか?

ヒゴ:そこはあんまないですよ。

なぜチャンス・オペレーションって名前にしたんですか?

ヒゴ:大それた名前にしちゃったんだけど、要するに音楽の解釈をもっと広げたかったんですよね。

そこはやっぱアンチ・ロックというか、ロックの文法に飽きたからですよね?

ヒゴ:はははは、まあ......。僕がパンクに走ったときに、昔から知っているヒッピー連中とは決裂してしまうんですね。それがレイヴでまた再会するんですけど、ただ、チャンス・オペレーションの頃はロックの古い考えに関しては異を唱えてましたね。そういったことはたしかにありましたね。

いまでこそパンクを否定する人ってあんまいないけど、77年当時はパンクにはどちらかといえば批判的な意見が多かったですよね。まともに演奏できないクセにみたいな。

ヒゴ:はははは。そういうのってあったよね(笑)。

メタルはヒゴさんとけっこういっしょにDJやってるの?

メタル:あ、いちどだけですけど、ヒゴさんはやっぱ面白いですよね。

そういえばヒゴさんは、ダモ鈴木さんともやられてますよね。

ヒゴ:ダモさんとは、国立の地球屋でやるときにはいつもいっしょにやっていて、もう7~8回やってますよね。

メタル:チャンス・オペレーションのときはダンス・ミュージックということを意識していたんですか?

ヒゴ:そんなに意識してなかったですね。

でもファンクのビートは取り入れてますよね。そのあたりはいまの耳でも聴けるんですよね。

メタル:そうなんですよ。ディスコ・パンクという言い方は違うかもしれないけど。

でもその青写真だよね。

ヒゴ:そうかもね。

メタル:当時、ディスコに行ってたんですか?

ヒゴ:行ってないですね。好きか嫌いかと言えば、違うものって感じでした。

僕も10代の頃はディスコが嫌いでした。当時はライヴハウスとディスコとのあいだにはまだ距離がありましたよね。

ヒゴ:完全に分かれてましたね。

メタル:チャンス・オペレーションでは、ドラムがいないときにはリズムボックスを使ってたということですが、そういうのって、パレ・シャンブルグ的というか。

あー、なるほど。リズムボックスの使い方とか、やっぱワンコードで引っ張っていくような感じでね。

ヒゴ:当時、僕が聴いてホントに格好いいなと思ったのは、ディス・ヒートでしたね。あれはもう、すごく格好いいと思った。

メタル:それがどうしてハウスやテクノに向かっていくんですか?

ヒゴ:ロックを聴かなくなったのは、80年代なかばぐらいだったんですよね。ハウスも名前は知ってたけど、そんな聴いていたわけじゃなかった。それで、1991年にレイヴの現場のすごいところに放り込まれちゃって(笑)。もうDJがブースのなかで何をやってるのかもわからない。そこでかかっている音楽がいったいどうやって生まれたのかわからない。ただもう、パーティ・ピープルのエネルギーに圧倒されてね......。イギリスのブレイクビーツってホントにすごいんですよ。ブレイクビーツってものに対するイギリス人の感覚っていうか、作り方っていうか、あれはもうね、ホントにすごい。すごい発明だと思うんですね。デトロイト・テクノはマシンでいかにグルーヴを出すのかってことを考えているけど、イギリスのブレイクビーツはそれとは違う発想なんです。ハードコア・ハウスはブレイクビーツ、つまりサンプリング音楽なんだけど、構成の仕方がそれまでの音楽感覚とはまったく違うんです。あの無節操さ、「なんで前半でこうなのに、後半はこうなっちゃうの」みたいな、とうてい理解できない(笑)。

はははは、いまのベース・ミュージックにもその伝統は生きてますね。でもたしかにあのブレイクビートの無節操さは、リズム楽器の観点から見ても驚きなんでしょうね。

ヒゴ:すごいんですよ。絶対に生のドラムでは再現できないニュアンスなんです。それを確立させて、それをベースに曲を作ってしまっているから、もう太刀打ちできない。独自の世界なんです。

じゃあ、最後にヒゴさんの近況を教えてください。

ヒゴ:今年がレイヴ体験まるまる20年でね、それでちょっとアンビエント、チルアウトっていうんじゃないけど、いままでとは違った視点でパーティをオーガナイズしようかなと思ったんですよね。それで「1968」っていうパーティをはじめました。これはまあ、サイケデリックをテーマにしてやっています。ジャンルとか時代も関係なく、サイケデリックを感じさせるもの。

それは楽しみですね。じゃあ、今日はどうもありがとうございました。

ヒゴ:まだ話していいですか(笑)?

どうぞどうぞ(笑)。

ヒゴ:あとね、1997年から「DIP AURA」というダンスのパーティやっていて、もう90回近くやっています。来年の1月21日に中野のヘビーシックでやるんですけど、ゲストで、ダブ・スクワッドのライヴが入ります。

じゃ、まさに「Water」の。

ヒゴ:そう、ダブ・スクワッドは「Water」に遊びに来ていた連中なんですよね。ダブ・スクワッドは彼らがそれをやる前から知っているんです。

わかりました。じゃあ、そんな感じで、今日はありがとうございました。

ヒゴ:いや、まだ告知があるんですけど、12月17日の土曜日なんですけど、新宿の〈BE-WAVE〉というところで、「HARDCORE MESSENGER」といって、じつはこれはハードコア・ハウスをメインにかけるパーティなんです。ああいう音って、あの頃にしか作られていないんですね。「Water」ってパーティをいっしょにやっていたDJ フォースも出るんです。

へー、それは楽しみですね。1991年ぐらいのレコードっていまでも中古で高いじゃないですか。ゾンビーって人が数年前に1991年当時の機材のみを使ってハードコア・ハウスの作品を出しましたけどね。

ヒゴ:へー、そうなんですか。

いま、あの時代の音がまた脚光を浴びているんです。そういう意味では「HARDCORE MESSENGER」は良いタイミングですね。

 今回リリースされる『Resolve』は2枚組で、「カスパー・ハウザー・ナウ」「チャンス・オペレーション」「スペア・ビューティー」の収録曲に、ライヴ音源が14曲、スタジオ未発表が1曲入っている。『Place Kick+1984』には、オリジナル・アルバムにライヴ音源1曲とカセット作品から1曲を加えている。PILが再結成するようないま聴くと、なるほど、この音は2011年に響く音だと納得する。

James Blake - ele-king

 ブリアルの『アントゥルー』において、デジタル処理され歪められたR&Bヴォーカルは「幽霊のような声」だと評されたが、あれは本当に幽霊の声だったのだと思う。歌と言うよりは、悲鳴や泣き声のようにさえ聞こえたおどろおどろしく物悲しいその声たち。"ニア・ダーク"、"ゴースト・ハードウェア"、"ドッグ・シェルター"、それに"ホームレス"といったタイトル......。生霊なのか死者の霊なのか、シャマランや黒沢清が描いたような都市の内側のすぐそばで漂う幽霊たちの悲鳴を、あのアルバムは拾っていたのだろう。いまでこそダブステップはあらゆる方向に広がりを見せているが、ヴァリアス・プロダクションやブリアルの名によってそのジャンルが広まったとき、こんな風に呼ばれていたのをいまでも思い出す――「レクイエム・フォー・レイヴ・カルチャー」と。
 ジェイムス・ブレイクの"CMYK"で漂っていた声は、完全にそこから地続きで響いたものだった。けれどもそのトラックはケリスとアリーヤを「ネタ」にしていたことが後で話題になり、それらはメインストリームのR&Bが冒険的だった時代の記憶をも「亡きもの」に仕立てたという意味でより複雑な様相を示していた。そしてデビュー・アルバムでブレイクはよりシンガーソングライター的なアプローチで彼自身の歌とエモーションを披露したが、それでもそこにあった「声」は......『アントゥルー』の世界の住人のひとりになりすますかのように加工され、その個体性をぼやかしていたのだった。

 東京はソールドアウトになったというジェイムス・ブレイクの来日公演。大阪では豪華なアーティスト陣が顔を揃えたイヴェント、SATURNのいちアクトとして登場することになった。
 ふたりのメンバーを連れてステージに登場したジェイムス・ブレイクは、写真で見る以上に線の細い、いまだ大学生風情の青年だった。だがシンセの前に座ってその口を開けば、そこからアントニー・ハガティのような深く穏やかなソウル・ヴォーカルが漏れ出してくる。すぐにそこに加わる、生ドラムの打撃を機械に通して増幅されるビート......"アンラック"だ。低域の音圧が想像以上に強く、曲のビートは音源よりも強烈に叩きつけられる。ミニマルでありつつ、ランダムにも聞こえる複雑なパーカッションが、腹にずしずしと直接的にぶつかってくる。だが、恐らくそこにいた誰もが息を呑まずにいられなかったのは、彼自身の声だ。中性的でいてアンニュイで、独特のヴィブラートがかかることでどこか不安定に震えるその声。続く"アイ・ネヴァー・ラント・トゥ・シェア"では冒頭その場でサンプリングされた歌がループされ、彼自身によってコーラスが奏でられたが、それは湧き上がった歓声を押し黙らせるような迫力と緊張感を孕んでいた。だがその声は例によって極端なまでに加工されて歪められ、重々しい低音が少ない音数で地鳴りのように響くなかを浮遊する。ダブステップ譲りのへヴィなビートと、機械と人間の間を行き来しつつ発声される物悲しげなヴォーカル。それは本当に初めて体験する音楽だった。
 その音楽の幅を見せつけたのが中盤だ。"リンディスファーネ"は、孤独に震えるような歌声がそれでもギターの優しげな調べと寄り添い、ライヴ中もっとも穏やかな時間をもたらした。そして単音のシークエンスが繰り返されるとひときわ大きな歓声が上がる。"CMYK"だ! ビートは音源よりもはるかに強調され、驚くほどダンサブルでパワフルなものとして再現される。ケリスのヴォーカル・サンプルだけでなくブレイク自身の歌もそこに加わり、終盤は紛れもなくダンス・ミュージックとしての高揚を生み出していた。"リミット・トゥ・ユア・ラヴ"ではメランコリックなメロディを存分に歌い上げた後、そこにいる誰の腕も上がらないような暗く重たいダブに突入する。"クラヴィアヴェルク"はそのおどろおどろしさや禍々しさでこそ、オーディエンスを引き込む――低音が地を這う。
 ライヴはあっという間に終わりを迎える。素朴に感謝の言葉を述べたあと、最後に披露された曲は"ザ・ウィルヘルム・スクリーム"だった。メロウなメロディが繰り返され、曲が進むにしたがってパーカッションのリヴァーブは深くなり、シンセの和音が重なっていく――水中に深く潜っていくように。「僕は、僕の愛なんて知らない」――ビートがやんだ時に感じられた眩しさは、たしかにゴスペルのそれだった。

 初めて直に聴くその歌声は、まるで救いを求めるように悲しい響きをしていた。そしてそれは機械を通して加工されることで、目の前でジェイムス・ブレイクその人の元すら離れて、孤独な、忘れられた魂がすすり泣く声になっていく。もしこれを、ダブステップの後に来るべき現代のゴスペル、ソウル・ミュージックだと呼ぶのなら――それは、鎮魂歌だ。
 ブリアル以降の最良の成果がジェイムス・ブレイクであり、彼のあまりに特別な才能を目の当たりにする体験であったことは間違いない。けれどもそれは同時に、彼を通してたくさんの幽霊たちの魂と交信するような、そんな畏れを覚える夜でもあった。

(※写真は10月12日の恵比寿リキッドルームでのライヴ模様です)

Tuusanuuskat - ele-king

 フィンランド・アンダーグラウンドからサミ・サンパッキラとヤン・アンデルセンによる初のジョイント・アルバム......と、書いてもわかる人は少ないだろう。サンパッキラは(ハンガリー語の糸を意味する)〈フォナル・レコーズ〉を運営しながらエーアス(ES)という名義で5枚のソロ・アルバムをリリースし(裏アンビエントP221)、一方のヤン・アンデルセンはトムトント(Tomutonttu)の名義で(スペルは違うけれど発音は同じ)2枚のソロ・アルバム『トムトント(Tomutonto)』(06)と『トムトント(Tomutonttu)』(07)によって一気にその才能が知れ渡った奇才(今年の初めにはツアーで仲良くなったというOPNとスプリット・シングルをアルターからもリリース)。二人ともフォナルの看板プロジェクトともいえる9人編成のケミアリセト・イスタヴァット(=化学友だち、『ゼロ年代の音楽』P170))としても10枚近くのサイケデリック・インプロヴァイゼイションを展開するメンバー同士だったものが、ふたりだけのコラボレイションはこれが初めて。両者の個性が見事に交じり合った充実の1枚に仕上がり、アシッド・ハウス以降のヘンリー・カウ=ユーロ・インプロヴァイゼイションがどこまで来たかを教えてくれる。ユニット名はトウサノウスカト(=全部めちゃくちゃになる)、タイトルは『ナークサー・ナー・モン・クーナレート』......と読むらしい)。

 前半はテリー・ライリーを思わせるユーフォリック・ドローンにアシッドで引っかき傷をつけていくようなSEがこれでもかと被せられ、単純に明るいドローンを聴かせるようになっただけのアメリカとは同じ方向を見ているようで、少し差のある展開を聴かせる。そのつもりはなかったのかもしれないけれど、長い時間をかけてアンビエント・ミュージックとしての体裁が整ってきたエーアスに対して、アシッド・ミュージックの新たな地平を切り開こうとするトムトントにはかなりの癖があり、あっさりとは取り付けなかった部分があったところを、前者が全体にスケール感を与えることで、ダイナミズムと細部が同時に生きる構造を獲得したということになるのだろうか。これを聴いてしまうとエーアスもトムトントも物足りなく感じられるようになってしまったこともたしかで、今後はそれぞれが自分に足りなかったものをそれぞれのソロ・ワークに持ち帰ってくれることを願うばかり。後半はケミアリセト・イスタヴァットでも積極的に取り入れてきたフォークロアも素材として取り込みつつ、かなり混沌とした印象を与えるミニマル・サウンドやジ・オーブがシューゲイザー化したような荘厳なサイケデリック・ドローンを配置。トリップ・ミュージックとして、まったくの文句の出ないエンディングへとなだれ込む。優雅と野蛮の同居。これに対抗できるのはやはりラスティ・サントス率いるザ・プリゼントだけだろう。

 レイヴ・カルチャーの果てに進んだ実験音楽と快楽主義の混交ははまだまだ大きな地平を用意しているのかもしれない。エメラルズやグローイングのようにメジャーへのベクトルを持つことだけが能ではない。快楽主義にはむしろ潜むべき場所というものがあるはずだろう。

 なお、アナログ盤は未確認ですが、CDパッケージにはストライプ模様のアセテート・フィルムが帯としてつけられていて、これをスライドさせていくとジャケット・デザインがどんどん変化して見えるという仕掛けが施されています。これは一見の価値アリ。つーか、帯にこんな使い方があるとは...

METAMORPHOSE 2011 - ele-king

 9月3日はメタモルフォーゼですね! 今年でもう12回目なんですね......すごいなー。
 メタモルフォーゼ......いまさら説明するまでもないけど、日本最大規模のオールナイトの野外フェスです。レイヴ・カルチャーの申し子として、DJの赤間マユリさんが2000年からはじまっているメタモルフォーゼ(メタモの愛称で語られている)は、出演者のメンツが幅広く、とにかく気の利いている。親分率いるギャラクシー2ギャラクシー、ムーディーマン、デリック・メイというデトロイトのビッグ3をはじめ、オービタルと808ステイトというUKテクノの大御所、ゴールド・パンダや2562のような新世代、それからカール・バルトス(元クラフトワーク)、UKエイジアンのタルヴィン・シン、あるいはサイケデリック・ロック・バンドのザ・フレミング・リップス......日本勢もオリジナル・レイヴ世代のダブ・スクワッドやQHEY、ヤマタカ・アイ、DJバク、七尾旅人、にせんねんもんだいなどなど本当に幅広く良いメンツが揃っているんです。
 実は僕は昨年も遊びに行っているんですが......出発直前までさんざんビールを飲み、車が山道で迷っているときに車酔いして、最初のデリック・メイのDJやマニュエル・ゲッチングのライヴは良かったのですが、X-102のハードコアなライヴでノックアウトされ、ぶっ倒れているところを友人に見つかり......、それからフラフラになりながらマイク・バンクスに会いに行って、そしてまたアルバム・リーフのライヴでぶっ倒れていたという哀れな思いをしているのです。ホントに素晴らしいフェスだっただけに、そんな自分が情けなくて......今年はまずはとにかく会場に着くまではアルコールを飲まずに体力を温存しようと決めているのであります。
 会場となる伊豆・修善寺にある「自転車の国 サイクルスポーツセンター」が安心して楽しめる場所であることも魅力ですね。入ったことないけど温泉もあるし......あれってどうなんでしょう。今年こそ挑戦してみようかな。

METAMORPHOSE 2011

METAMORPHOSE 2011

公演日:9月3日(土)
会場:自転車の国 サイクルスポーツセンター (静岡県伊豆市)
https://www.csc.or.jp/

OPEN/START:16:30/18:00 (4日午前9時 終了予定)

前売り一般入場券 (7月1日一斉発売) ¥12500
駐車券¥2500 バイク¥1000 
テント券 (規定枚数に達した為終了)


出演者:
THE FLAMING LIPS、ORBITAL, GALAXY 2 GALAXY, CUT CHEMIST, GALACTIC, 808 STATE, EBO TAYLOR AMND AFROBEAT ACADEMY, TIM DELUXE, STIEVIE SALAS and BERNARD FOWLER present the I.M.F's feat. Juan Alderetti and Jara Slapbak, MINILOGUE, GOLD PANDA, 2562, DERRICK MAY, MOODYMANN, TALVIN SINGH, KARL BARTOS, REGA, EYE, DUB SQUAD, DEEP COVER, 七尾旅人、にせんねんもんだい、DJ BAKU, QHEY, MAYURI

イベント問い合わせ
メタモルフォーゼ事務局  03-3429-7240 (平日13:00-18:00)

チケット問い合わせ
ディスクガレージ 03-5436-9600(平日12:00-19:00)

www.metamo.info

interview with Friendly Fires - ele-king


Friendly Fires
Pala

XL Recordings/ホステス

Amazon iTunes Review

 オルダス・ハックスリーといえば、自ら幻覚剤の実験台となって著述活動を続けたイギリスの作家で、ザ・ドアーズがバンド名に引用した『知覚の扉』が有名であるように、サイケデリックな60年代のサブカルにおいて広く読まれたひとりだ。
 UKのインディ・ロック・バンド、フレンドリー・ファイアーズのセカンド・アルバム『パラ』は、ハクスリーのユートピア小説『』の舞台となる島の名前から引用されている。そればかりか、このアルバムのオープニング・トラック"リヴ・ゾーズ・デイズ・トゥナイト"にいたっては、どう考えてもセカンド・サマー・オブ・ラヴへの記述がある。
 かつて、フランキー・ナックルズとジェイミー・プリンシプルのシカゴ・ハウスのクラシック"ユア・ラヴ"をカヴァーしたこの若いバンドは、これだけまわりの同世代の誰もがディストピアを描いている現代において、ほんとんど浮いているんじゃないかと思えるほど理想主義を強調する。いったいこの20代は何を想っているのだろう......僕は訊かなければならなかった。
 ヴォーカルとベースのエド・マクファーレン、ギターのエド・ギブソン、ドラムのジャック・サヴィッジ(彼はDJ活動もしている)が3人はワインを飲みながら話してくれた。

最近のインディ・ミュージックは、まるで『ピッチフォーク』に好かれるためにやってんじゃないかってくらい、知的で、ウィットに富んで、いろいろ複雑にしようとしているでしょ。そういう状況に対する僕なりのリアクションでもあるんだよね。

ダブステップ全盛の2006年に、よくシカゴ・ハウスのクラシック"ユア・ラヴ"をカヴァーしたなと思ったんですよね。ダブステップに支配されたUKでハウス......っていうのが驚きだったんですよ。

エド・マクファーレン:ハハハハ。

まわりから「何コレ?」って感じだったでしょ?

エド・マクファーレン:いや、わからないけど......あ、でも、直接ジェイミー・プリンシプルからメールもらったんだよ。

良い電話だった?

エド・マクファーレン:うん、とても。もう、それで気持ちが解き放たれたね。

あの曲を選んだ理由は?

エド・マクファーレン:歌詞が素晴らしいと思ったんだ。歌も良いし......、誠実で、直接的で、「僕には君の愛が必要」だなんて、そんなストレートなメッセージを歌う歌詞なんていまどきないだろ? しかも音的にも美しいし、切ないし、あれをダンス・ミュージックだと意識して聴いたわけじゃなかったんだ。だけど、あれをクラブで聴いたらきっとすごいんだろーなと思ってインスパイアされてカヴァーしたんだ。

へー、歌詞なんだね。

エド・マクファーレン:そうだね。あと、最近のインディ・ミュージックは、まるで『ピッチフォーク』に好かれるためにやってんじゃないかってくらい、知的で、ウィットに富んで、いろいろ複雑にしようとしているでしょ。そういう状況に対する僕なりのリアクションでもあるんだよね。僕はもっと......なんていうか、クラシカルなサウンドでも良いと思っているし、昔のメッセージはまだ生きていると思っているんだよね。

ダンス・ミュージックにどうして興味を持ったんですか? たとえば、アンディ・ウェザオールにリミックスを頼んだんでしょ? 

エド・マクファーレン:いや、アンドリュー・ウェザオールにお願いしたのはリミックスだけじゃないよ。実はいま共同で制作しているぐらいなんだよ。

ジャック・サヴィッジ:まだ完成してないけど、いっしょにスタジオに入ったんだよ。

アンディ・ウェザオールなんて僕らの世代のヒーローだけど、あなたがた若い世代なんかにしたら、もう忘れられた存在じゃないかとも思ってたんで。

エド・マクファーレン:アンドリュー・ウェザオールは僕らの世代(現在27歳)にとってもヒーローだよ! 実は何回もリミックスをお願いしているんだ。それで、ようやくそれが実現した!

ジャック・サヴィッジ:彼のDJセットも大好きだしね!

エド・マクファーレン:僕はもともとエイフェックス・ツインやスクエアプッシャーみたいなエレクトロニック・ミュージックを聴いていたんだよね。ポスト・ロックとかさ、ああいう複雑な音楽とか、あと、クリス・クラークがベッドルームで音楽を作ってそれで生計を立てているとか、そういったことにすごくインスピレーションを得ていたんだ。10代の頃はそうした、いわゆる〈ワープ〉サウンドを聴いていたんだけど、やがてそうしたものにも飽きてきて、そのときにハウス・ミュージックに興味を持つようになったんだ。

そうだったんですね。

エド・マクファーレン:僕ら、みんな最初はインディ・ミュージックばっか聴いていたんだ。それでクラブに行くようになって、音楽に関して新しい体験をした。自分もそこに参加して聴くっていうか、ステージやミュージシャンを眺めるんじゃなくて、音楽だけを聴くっていう。それで音楽をインディ・ロックとは別の観点から見るようになった。ちょうどそういったきっかけのひとつが、アンドリュー・ウェザオールのロンドンのパーティだったんだよね。彼のイヴェントにはホントによく通ったな。

なるほどね。今回の『パラ』は、タイトル自体はハクスリーのユートピア小説からの引用ですが、アルバムのコンセプトには20年前のUKにあったレイヴ・カルチャー、セカンド・サマー・オブ・ラヴといったものに対するあたがた若い世代の複雑な感情が込められたものとして捉えていいですよね?

エド・マクファーレン:そうだね、僕はその時代のことを知らない。僕が重要だと思っているのは「いまを生きる」ってことなんだよ。僕がいま生きていて、そして僕のまわりで、人びとが微笑んで踊ってくれて、それでしかも一体感を感じてくれたら、それがひょっとして20年前のレイヴ・カルチャーだったんじゃないのかなと思う。

2011年から見て、あの時代の音楽文化のなかにはいまも有効だと思える事柄があると考えるんですね?

エド・マクファーレン:スピリット、とくにダンスさせるっていうところには共感があるし、そもそも僕らの音楽ってなんかの祝祭っていうか、お祭みたいな音楽なんだよ。

エド・ギブソン:あの時代のピアノ・コードなんかもすごく良いよね。ああいうのは自分たちと似ているなーと思う。

エド・マクファーレン:でも、僕らは、いろんな時代の音楽に影響されているんだ。どれか特定の時代の音楽に影響されているってわけじゃないんだよ。たとえば"ユア・ラヴ"は、いまダンスフロアでDJがかけたとしても絶対に良い曲だ。時代は関係ないと思っているんだ。

そうは言っても、"リヴ・ゾーズ・デイズ・トゥナイト(あの日々をいま生きろ)"の"ゾーズ・デイズ(あの日々)"は20年前のことでしょ?

エド・マクファーレン:過去への敬意をもっていまを生きようって意味でそういう言葉にした。あの曲の歌詞は、すごく複雑な意味をはらんでいるんだ。僕たちはもう、どんなことがあっても、ダンスの黄金時代に戻ることはできないっていう認識と、そして、いまはそれなりに喜ぶべきことだってある。あの時代に戻ることはできないけど、あの時代のアティチュードはいまも取り入れることができる。だから、「昔には戻れっこない」という一般論を実はディスってもいるんだ。いまを生きようっていうメッセージそれ自体が、あの時代のアティチュードとも重なるんじゃないのかな。そういうことを言いたいんだよ。

ジャック・サヴィッジ:たまに勘違いされるんだけど、あの曲はノスタルジーじゃないんだ。

エド・マクファーレン:そう......ホント、あの曲の歌詞はすごく考え抜いたんだ。さっき「昔には戻れっこない」という一般論をディスったと言ったけど、ホントは誰にも攻撃していないんだ。そういう、誰かを批判するような歌詞にはしたくなかった。過去への大きな思いもあるけど、でも、最終的には現在というものについての思いを伝えたかったんだよ。だから、ものすごく慎重に言葉を選んだつもりなんだけどね。

へー、そうだったんですね。言葉の選び方まではわからなかったけど、あなたがたの深いエモーションはしっかり伝わる曲だと思いますよ。

エド・マクファーレン:それは良かったよ。

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僕はマイ・ブラッディ・ヴァレンタインとムーディーマンを同じように好きで、同じように聴いている。インディ・ミュージックがダンスを受け入れたときの音楽も大好きだし、そういうときのギター・サウンドにも影響を受けている。


Friendly Fires
Pala

XL Recordings/ホステス

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実際、現在のUKはダンス・ミュージックの勢いがすごいですよね。ただ、あなたがたのようにピースなフィーリングを打ち出すようなものはそうないでしょ。

エド・マクファーレン:ピースって?

ダブステップ以降ってこともあるんでしょうけど、音的にはダークでディストピックなものが多いでしょう。20年前はバカみたいにスマイリーな感じが多過ぎたとも言えるけど(笑)。

エド・マクファーレン:そうだね。ホントにその通りだと思う。僕も20年前のあの感覚が大好きなんだ。人びとがいっしょに踊って、そして心から楽しんでっていう。すべてを忘れてダンスしているようなあの感覚がね。ダブステップも大好きだよ。いまはロック・バンドにしても、UKではダークな感覚がトレンドなんだ。スペイシーで、ソンバー(憂鬱)で、そういうのがいまはある種の流行なんだと思う。

ジャック・サヴィッジ:ポスト・ダブステップでも良いのがたくさんあるけど、じゃあ、実際にクラブに行ったときに、あれがダンスしやすいと思うかな。それが良い悪いってことじゃなく、総じて言えば、あんまダンスしやすいものだとは思えないし、それがいまのポスト・ダブステップでは顕著なような気がする。

なるほど。フレンドリー・ファイアーズはハウス・ミュージックのほうが踊りやすいと。そういえば、この取材の前まで、アラン・マッギーの取材をしていたんですよ。UKには〈クリエイション〉だとか〈ファクトリー〉だとか、インディ・ロックからはじまって、やがてアシッド・ハウスに影響を受けるインディ・ミュージックのレーベルがありましたよね。

一同:(何故か)ハハハハ。

エド・マクファーレン:ロック・バンドがエレクトロニクスを取り入れるってことが、ちょっと前にもあったよね。バンドによっては無理矢理やっている連中もいた。僕はマイ・ブラッディ・ヴァレンタインとムーディーマンを同じように好きで、同じように聴いている。インディ・ミュージックがダンスを受け入れたときの音楽も大好きだし、そういうときのギター・サウンドにも影響を受けている。

ジャック・サヴィッジ:アラン・マッギーやトニー・ウィルソンの時代は、インターネットもないし、選択肢が限られていた。ハウスが来たら、もうそれを強烈に真正面から受けるしかなかったんじゃないのかな。無視することなんかできない。絶対にそれを取り入れざるえなかったんだよ。ハウス・ミュージックの存在が大きすぎたんだ。いまは良くも悪くもインターネットの影響で、何かひとつだけに大きな影響を受けることはないでしょ。

まあね。過去のロック・バンドで共感できるバンドって何がありますか?

エド・マクファーレン:うーん、わからない......(笑)。要素要素で共感してて、ひとつだけ挙げることはできないし、たとえばポスト・パンクのバンドでもサウンド的には自分らと違っても好きなところがあるし、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのギター・サウンドからも影響を受けているけど、ぜんぜんうちらとは音が違うし......だからそれを言うのは難しいなー。

バンドで最初にコピーしたのって何?

エド・マクファーレン:いや、それはもう、くだらないポップ・バンド、グリーン・デイとかデフトーンズ(笑)。ホント、子供の頃、13歳だったから許してね(笑)。17歳のときには自分らでクラブに通うようになって、で、いまの原型が生まれた。ダンス・ミュージックをやろうとしてたよね。

フレンドリー・ファイアーズってすごく良い名前ですけど、どうして付けたんですか?

エド・マクファーレン:あんま面白い話じゃないんだけど、昔、〈ファクトリー〉にセクション25ってバンドがいたんだけど。

あー、知ってる。もろ〈ファクトリー〉系の暗いバンドだったような。

エド・マクファーレン:彼らのアルバムに入っていた曲名から取ったんだよ。

そうだったんだ(1981年の『オールウェイズ・ナウ』の1曲目)。

エド・マクファーレン:で、そのアルバムの2曲目に"ダーティ・ディスコ"って曲があって、同じ頃、その名前のバンドがデビューして、「ヤバイ!」って思ったんだけど、たぶん、いまはもういないと思う(笑)。

ハハハハ。それは笑えるね。そういえば、アラン・マッギーの時代はすごくドラッグにハマっていた時代でもあったんですが、彼はさっき「2011年で最高にロックンロールであるためには、なんもやらないでストレートな状態でいることだ」って言ってましたね。

エド・マクファーレン:えー、ホント! リバティーンズやベイビーシャンブルズを手掛けていたような人が(苦笑)......。

いやー、半分ジョークだとは思うんですけどね。

ジャック・サヴィッジ:リバティーンズやベイビーシャンブルズみたいなドラッグが肩書きになっているようなバンドもそうだけど、ドラッグ・カルチャーの影響を受けたバンドって、〈クリエイション〉だけじゃなくて〈ファクトリー〉にも多いよね。エイミー・ワインハウスにもそういうところがあった。そういう人たちって、輝いているときはすごいけど、その期間がすごく短いんだ。

エド・マクファーレン:でも、僕ら、アラン・マッギーから「君たちはア・サーティン・レイシオみたいだ」って言われたんだよね。自分としてはまったく似てないと思うんだけど(笑)。

たしかに、まったく似てないですね(笑)。どうも今日はありがとうございました!


※年内にはまた来日公演があるらしいです。楽しみです!

Toddla T - ele-king

 昔の話だが、ある女友だちから相談されたことがあった。彼女はいま言い寄られている男がいると、電話口で言った。その男のことは嫌いじゃないが、とくに好きでもないと彼女は打ち明けた。僕はそれで、彼女からいろいろとその男についての情報を仕入れた。そしてその男のレコード・コレクションについて突っ込んだところ、音楽の知識が豊富な彼女に対して男のほうのそれはあまりにも貧弱だということがわかった。「レゲエのレコードの1枚も持っていないような男とはつき合うなよ」というのがその晩の僕の結論だった。彼女はその言葉にものすごく納得した様子だった。そうね、ダブとロックステディの違いも満足にわからないような男じゃねと、彼女は言った。
 故トニー・ウィルソン(〈ファクトリー〉レーベルの創設者にして映画『24アワー・パーティ・ピープル』の主人公)に有名な言葉がある。「人は僕になぜマンチェスターからは良いバンドが生まれるんだ? と訊いてくる。答えは簡単だ。マンチェスターのキッズは、他のどの都市のキッズよりも良いレコード・コレクションを持っているからだ」
 僕にしてみたらこの発言は、UKの音楽シーン全体を言い当てているように思える。UKには他のどの国よりも良いレコード・コレクションを持っているキッズがいる(まあ、いまはデジタルの時代なのでレコード・コレクションではないのだが、しかしよく音楽を聴いているという点では昔と変わらない)。そうした"伝統"のなかで、とりわけUSのブラック・ミュージックとジャマイカ音楽のコレクションは、UKのポップ・ミュージックにおけるはっきりとした個性となっている。もう長いあいだそうなっている。これはもう、相変わらずの話だが、USのインディ・シーンが自国のブラック・ミュージックや距離的に近いジャマイカと繋がることはそうないが、より距離のあるUKにおいては、しかしより身近にインディ・シーンに影響を与えている。ジェームス・ブレイクにあってウォッシュト・アウトにないものは、USの主流のポップスであるR&Bからの影響である。ま、そういうわけで、トドラ・Tもまた、実にUKらしい魅力を持った作り手として僕はけっこう好きなのだ(JポップにもUSのブラック・ミュージックやジャマイカ音楽から影響されたというものがあるにあるが、おおよそ彼らの音楽には野太いベースもなければ唸るようなグルーヴもない、あるいはバカぎりぎりのファンキーさもない、見事に飼い慣らされているというか......)。

 トドラ・Tを特徴づけているのは何よりもまずはレゲエだ。とにかくダンスホールであり、そしてヒップホップとR&B......というとグライムのように思われるかもしれないが、トドラ・Tの音楽はつねにポップで、そして明るい。あの陰気な国にしては珍しくドライで、あの工業都市シェフィールド出身にしてはやけにアッパーで、ときに笑える。2009年にリリースされた彼のデビュー・アルバム『スカンキー・スカンキー』は、当時は「ダンスホールにおけるマイク・スキナー」と形容されたもので、昨年来日したときにそのことを本人に言ったところ「なぜそんな風に呼ばれたのかわからない」とこぼしていたが、それはもう、そのアルバムがスカンクを捲きながらゲラゲラ笑っているような、スカンキーな内容だからに決まっている。トドラ・Tの音楽の魅力とは、つまり、聴きながら1点を見つめてしまうようなものではないのだ。
 そういう意味では彼がルーツ・マヌーヴァから信頼され、また今回〈ニンジャ・・チューン〉に移籍したことも必然と言える。そして......彼のような根っからのパーティ野郎が、本当に20年ぶりのパーティの季節を迎えているUKにおいて新作を出したらどんなことになるか言うに及ばずだが......とにかくここにまた、時代が作らせたダンス・ポップのアルバムが誕生したわけだ。

 『ウォッチ・ミー・ダンス』が主張しているのは、どう考えてもレイヴ・カルチャーである。ルーツ・マヌーヴァが吠えているタイトル曲の"ウォッチ・ミー・ダンス"のファンキーなグルーヴ(リミックス盤ではアンディ・ウェザオールがセイバーズ時代を彷彿させるダンス・ヴァージョンを披露)、ショーラ・アマをフィーチャーした"テイク・イット・バック"の1992年スタイルのレイヴ・ポップ......あるいは"クルーズ・コントロール"のブレイクビーツ・ハウスや"バッドマン・フルー"におけるどや顔のダンスホール・スタイル......イギリスっていう国は景気が良いときにはブリット・ポップで、景気が悪くなればそれに比例するかのようにダンス・カルチャーが燃えたぎるようである。まあ、デヴィッド・キャメロン首も保守党とはいえ、なにげに大麻好きをほのめかしているし、妻は入れ墨を入れているし......、よくわからん。
 僕がもっとも好きなのはあざやかな赤色のカラー・ヴァイナルで先行リリースされた、ロイシン・マーフィーが歌っている"チェリー・ピッキング"。シンプルだがブリブリと唸るベースを前面に打ち出しながらレゲエのグルーヴを応用した、実にUKらしいキャッチーなシンセ・ポップである。ミズ・ダイナマイトが歌っている2曲----ラヴァーズ・ロック調のメロウな"ハウ・ビューティフル・イット・ウッド・ビー"とルーツ・レゲエ調の"フライ"も素晴らしい。『ウォッチ・ミー・ダンス』は確実にダンスのアルバムだが、良いレコード・コレクションに基づいた、サーヴィス満点の多彩な作品である。
 
 ところで、冒頭に書いたエピソードだが、僕の友人は、同じようなシチュエーションで「ジミヘンを知らないような男とはつき合うなよ」と言ったそうである。もちろんこいうのはある種のたとえ話で、まあ、人それぞれ言い方があるのだろうけれど、音楽とは応援するフットボール・チームの選択と違ってある程度の「a way of life」を示すものなのだ。
 

 なお、末筆ながら、最高に格好良かったフットボーラー、松田直樹選手のご冥福を祈りたい。

Cults - ele-king

 M.I.A.が彼女のレーベルからブルックリンの男女をデビューさせたように、リリー・アレンも自分のレーベルの第一弾として、サンディエゴ出身の男女のデビュー・アルバムをリリースした。こうしてレーベル運営にも女性が進出しているというか、逆に言えばインディ・レーベル・シーンがいかに男に偏っているのかがわかる。
 またこれは、M.I.A.やリリー・アレン世代がポスト・フェミニズムにおける前向きさをあらためて印象づける事態とも言えるかもしれない。M.I.A.のスライ・ベルズは、僕は苦手な音楽だったけれど、好みを抜きにして言えば、新しいことに貪欲なM.I.A.らしい過剰なエレクトロ・サウンドだった。が、リリー・アレンのレーベルからおでましのカルツは、いわばザ・シャングリラス、すなわちティーン・ポップ、またはガール・ポップ、要するに懐メロだ。フィル・スペクター・リヴァイヴァル印の付いた、リヴァーヴ・サウンドで、いずれにしても......ベスト・コーストザ・モーニング・ベンダーズザ・ドラムスとか、ここ数年流行の懐メロ・リヴァイヴァルのひとつとも言える。
 もっとも、ここまで来ると本当に「リヴァイヴァル」なのかとも思えてくる。過去40年、ポップ・ミュージックは前に進むために過去を参照してきた。ザ・ビートルズは50年代のロックンロールを演奏し、ブロンディーはオールディーズを、セックス・ピストルズはストゥージズやクラウトロックを、ストーン・ローゼズやプライマル・スクリームはザ・バーズを、デトロイト・テクノはクラフトワークを......といった具合に過去をつまんで前に進んできたと言える。が、ここ数年のポップ・ミュージックにおけるノスタルジーは、もう本当に決定的に過去に戻りたいという欲望の表れではないかと思えてくる。最近セカンド・アルバムを発表したキティー・デイジー&ルイスのように、ジャズではザ・グレッグ・フォート・グループが徹底したアナログ録音にこだわっているが、彼らは過去を参照するなんて生やさしいものではなく、過去を現在に戻したいかのように思える。そして、欧米のこうした若者文化による引き戻し運動を見ていると、本当に心の底から現在がイヤなんだなーと思えてくる。それだけ大人が築いた"現在"が味気なく、面白くないのだ。そもそも彼らは......自分から「懐メロ」と書いておいて我ながら矛盾しているが、60年代前半のガール・ポップを懐かしむような40代/50代/60代ではなく、その頃は生まれてもいない20代の若者なのだ。

 カルツは、昨今のティーン・ポップのなかではかなり優秀だと僕には思える。単純な話、曲が良い。徹底的にドリーミーなところがまず良いし、ポップだし、10年代のロマンスがいっぱい詰まっていそうだ。また、アルバムのなかでもベストだと思われる"ゴー・アウトサイド(外に出よう)"――なんだかソーシャル・ネットワーク依存型社会への批評みたいな曲名だが――、この曲の冒頭のヴォイス・サンプリングは、明らかにこれがモダンなポップ・ミュージックであることを明かしてもいる。
 "ユー・ホワット・アイ・ミーン"のようなバラードもよく出来ているし、彼らの音楽に嫌な感情を持つ人はあまりいないのではないだろうか......と思っていたら『タイニー・ミックステープス』がなかなか面白い酷評をしていたので紹介しておこう。いわく「たとえばヴィヴィアン・ガールズなど、最近のUSのローファイ・ガレージには60年代スタイルが散見される。が、彼らの60年代にチャールズ・マンソンは出てこない。60年代のガール・ポップにはいっしょに踊りたくなるような側面ばかりではなく、ザ・クリスタルズの悪名高き"ヒー・ヒット・ミー(イット・フェルト・ライク・ア・キッス)"(彼は私を殴った、キスみたく)、あるいはザ・シャングリラスの"リーダー・オブ・ザ・パック"やトウィンクルの"テリー"のような(2曲とも命知らずの彼氏の死を悼む)絶望的なトラウマ・ソングもある。カルツはそのどちらにも達していない」
 カルツの音楽は好きな人といっしょに踊りたくなるようなパワーはあると思うので、僕はこの意見には同意しないけれど、いま振り返ると華やかに見える60年代やガール・ポップには死の影があるという指摘は鋭い。いくら現在がつまらないとしても、過去を美化し過ぎるのも危険だ。この手のヴィンテージ志向の底の浅さを露呈することにもなる。ただし、レイヴ・カルチャーのように悪いこともあったけれど、良いことのほうが多かったというのもある。アルバム最後の曲"レイヴ・オン"も面白い。

Friendly Fires - ele-king

 「黄金時代を感じるには生まれときが遅すぎた」、このように歌いはじめる"リヴ・ゾーズ・デイズ・トゥナイト"は、セカンド・サマー・オブ・ラヴを知らない世代が初めて1989年の夏について歌った歌である。「トビ(rush)も逃したし、良い時代(better days)も知らない/僕は君の経験した時代を感じることができない/君の貴重な過去に触れることもできない」、とまあ、なんとも実直な憧憬が歌われている。そしてフレンドリー・ファイアーズのエド・マクファーレンはその曲のサビを次のように繰り返すのである。「それでも僕はあなたがたのその日々を今夜生きてみせるよ。僕には手が届かない歴史だと言うけれど、それでも僕はそれらの日々を今夜生きてみせる」
 これほど前向きに、レイヴ・カルチャーを知らない世代がそのファンタジーを歌ったことはない。"リヴ・ゾーズ・デイズ・トゥナイト"は過去を調べているが、あくまでも現在についての歌である。「僕をアンダーグラウンドにとどめる亡霊と向き合って/みんなが話している最良のものをいただこう/僕は待っているけど外は寒いから/夜には君をしっかりと抱くんだよ/君の愛を感じるために」
 興味深いことに、5月19日付けの『ガーディアン』では、フランキー・ナックルズの"ユア・ラヴ"(注)の記事が組まれている。「永遠にレイヴさせる歌」というわけで、この曲にはいまだ素晴らしい魅力があり、現在もジ・XXのような若いバンドにまで支持されている......などといった事情が記されているが、真実を言えばこの曲は明らかにある時期に飽きられ、忘れられていたのである。しかし......たしかにここ数年で蘇ったのだ。そして、この1987年のシカゴ・ハウスのクラシックのリヴァイヴァルをうながしたのがフレンドリー・ファイアーズなのだ。"ユア・ラヴ"は、このバンドの2006年のデビュー・シングルでカヴァーされている。渋谷のディスクユニオンの2Fのインディ・ロックのコーナーと4Fのクラブのコーナーを往復するリスナーが果たしてどれほどいるのか知らないが、つまりUKではいまそれが起きているのである。

 さて、2008年のファースト・アルバム『フレンドリー・ファイアーズ』で80年代のニューウェイヴとイビサの快楽をミックスしたこのバンドは、そしてセカンド・アルバムにあたる本作『パラ』においてより情熱的に、さらに思いを深めながら、ダンス・カルチャーとその"夏"をテーマにしている。音楽的にはUKのエレクトロ・ポップの伝統芸を引き継ぎながら、オーソドックスな構成のキャッチーな歌をダンサブルな演奏をバックに歌っている。「裏庭で一本のテープを見つけた/泥だらけの青いカセットだけど/そのホコリの奥ではリールがまわりはじめて/土のなかに保存されたもうひとつの記憶が再生される」"ブルー・カセット"
 『パラ』にひとつ問題があるとしたら、これほどクラブ・カルチャーを扱いながら、ダブステップないしはミニマル・テクノといった現在稼働中である音がまったく関わっていないという点にある。レトロ趣味に終始しているのだ。この音はアンダーワールドでもなければケミカル・ブラザースでもない、ワム!の"クラブ・トロピカーナ"でありアニマル・ナイト・ライフの"ラヴ・イズ・ジャスト・ア・グレート・プリテンダー"なのだ。明らかに彼らは享楽の季節としての80年代をうらやましがっている。
 「塵が降ってくる/彼らは行進していった/地下に眠るレコードたちとともに/階段を上がる/クラブから出てライトにキスする/君の愛が欲しい/街に出る/君の面影を心抱いて世界はふたたび回り出す/しかし君は決して僕のものにならない」"チャイム"
 こうした若い世代の複雑な感情の吐露に享楽の時代を経験した僕はまだうまく応えることができない。当たり前だが、戸惑いを感じるのである。そして、彼ら自身もそれが素直に喜べることではないことも理解している。「君の愛、それは幻/僕が生きるすべては君の嘘/僕は混乱している/トリップしている/僕は傷つき、参っている/寒いし、負けているというのに、この気持ちは強まるばかりだ」"プル・ミー・バック・トゥ・アース"
 な、なんていう告白なのだろう。君の世代にだって面白い音楽がたくさんあるじゃないか、思わずそう言いたくなってくる。ただ......ダンスはあっても、愛と笑顔の夏は手の届かないところに行ってしまったのかもしれない......とは僕も思う。個人的な快楽だけはあっても、集団として理想とするヴィジョンはない。パーティの最後にキング牧師の演説や"パワー・トゥ・ザ・ピープル"をかけるようなDJが、いまさらいるのだろうか。それとも少年たちの愛の歌を聴きながら、潮風に混じったハウスのビートを感じていたあの日々は蘇るのだろうか。「僕はその日々を生きるんだ」と、エド・マクファーレンは何度も何度も繰り返すのだ。「君が持っていた愛を感じる/我慢はしない/僕は今夜、あの日々を生きるんだ」
 なおアルバムのタイトルは、メスカリンやLSDの研究でも有名なオルダス・ハクスリーのユートピア小説『島』から取られている。


(注)正確に言えば、この曲のもうひとりの主人公はジェイミー・プリシプルである。多くの人が「フランキー・ナックルズの」を書いているが、これではプリシプルがあまりにも可哀想。蛇足として、使われたドラムマシンはデリック・メイのものだと言われている。

Dry & Heavy - ele-king

 90年代の日本では、ミュート・ビートのレゲエ叙情主義とはまた別の水脈において、ベース・ミュージックの実験が繰り広げられていた。東京では代々木にあった〈チョコレート・シティ〉というヴェニューがその最初の震源地のひとつとなったが(そこはヒップホップ/レゲエのクラブとして知られ、あるいは日本で最初のジャングルのイヴェントが開かれていた場所でもある)、その周辺にいたドライ&ヘビーはオーディオ・アクティヴらとともに渋谷系がフランス映画のサントラ・レコードを掘っていた時代に70年代のジャマイカのサウンドシステムの痕跡をひとつひとつ吟味していた。
 こと秋本武士と七尾茂大によるドライ&ヘビーは、ベース奏者とドラマーがそのバンドの中心となるレゲエのスタイルをそっくりそのまま踏襲し、アストン・バレット、グレン・ブラウン、ボリス・ガーディナー、ロビー・シェイクスピア、リロイ・シブルス等々(以上、ベーシスト)、カールトン・バレット、スライ・ダンバー、スタイル・スコット、あるいは映画『ロッカーズ』の主役となったホースマウス・ワレス等々(以上、ドラマー)の領域を目標とした。レゲエは、親しみやすいメロディ・パート(歌、あるいはホースセクション)とアフリカから来ているリズムのパートのふたつの構造からなっている。そして、レゲエほどリズムのパートが脚光を浴びた音楽はない。レゲエ・ファンはシンガーの名前と同等に、ときにはそれ以上の重要性をもってベーシストやドラマーの名前を覚えるのだ。
 ドライ&ヘビーが重要な働きを見せたのは1990年代後半からゼロ年代にかけてで、彼らは当時、ザ・ブルー・ハーブやシンゴ02といったラップの新しい勢力と共振しながら、それまでの日本のラスタカラーのレゲエとは別の、異種格闘を好む新しいベース・ミュージック・シーンのエースとして君臨した。ダブとヒップホップが交錯する都会のアンダーグラウンドをホームとしながら、あるいはリクル・マイという魅力的なシンガーがいたとはいえ、ドライ&ヘビーはそれが自分たちの誠実さの表れであるかのように、二拍/四拍のアクセントに特徴を持つワンドロップと呼ばれるリズムとひたすらシンコペーションするベースラインというジャマイカの基本文法に忠実なだけだった......が、しかしそれが当時、急速に増えていった葉族やらダンサーやらの心身にダイレクトに訴える音となったのだ。要するに、UKのレイヴ・カルチャーがアシッド・ハウスでやったことを彼らはレゲエでやったとも言える。

 さて、これは喉元をぎゅっと絞められた『ブラックボード・ジャングル・ダブ』が地底の奥深くから噴射しているような、そう、9年ぶりの、秋本武士と七尾茂のふたりによるドライ&ヘビーの新曲だ。片面10分以上、両面で20分ちょっと。それも〈ブラック・スモーカー〉からのリリースで、キラー・ボングは例によってミステリアスな彼の言葉の断片を食いちぎっては地面に吐き付けているようだ。一時期オーディオ・アクティヴでギターを弾いていたカサイも参加して、ダーティーなソウルのこの怪しげな饗宴にやんわりと色気を与えている。
 B面の"One Shot One Kill"はそのダブ・ヴァージョンとなっているが、それは装飾性を剥いだ、より骨組みだけを際だたせたミックスになっている。ローファイでこもり気味の低音はスピーカーのコーンを限界まで震わせ、デジタル時代に顕著となったチージーな高域はすべてカットされている。中域に重点をおいた音のバランスは、この10年カセットテープでリリースされるドローンのサウンド・オペレーションと重なるものがあるが、実際の話、ふたりのセッションは瞑想的で、スピリチュアルにも感じる。お決まりのディレイやリヴァーブもない。まあ、彼ららしいストイシズムの境地が展開されている。
 こういうレコードを買うのは、いまでも苦労する。すぐに売り切れしまうからだ。本当に音を必要としている人たちが、あっという間に群がってそれをひきちぎってはそれぞれの地下室へと消えていくのだ。

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