「AY」と一致するもの

PREP - ele-king

 ロンドンの4人組のバンド、プレップ。降り注ぐ太陽と透明なプールサイドを思わせる彼らの音楽は、80年代という時代特有の煌きを2018年に再生する。モダンなシティ・ポップ? むろん懐古主義ではないし、そもそも過去は再生できない。そうではなくプレップの奏でる音楽は、ポップ・ミュージック特有の「エンドレス・サマー」を提示しているのだ。終らない夏。永遠の夏。
 それは幸福の記憶である。それゆえ刹那のものでもある。すぐに消えてしまうものである。存在しないものだ。夢だ。だからこそ切ない。胸を打つ。求める。プレップは、そんな感情を弾むようなメロディと、美しいハーモニーと、踊らせてくれるリズムによって結晶する。

 結論へと先に急ぐ前に、彼らの経歴を簡単に記しておきたい。プレップのメンバーは、ルウェリン・アプ・マルディン(Llywelyn ap Myrddin)、ギヨーム・ジャンベル(Guillaume Jambel)、ダン・ラドクリフ(Dan Radclyffe)、トム・ハヴロック(Tom Havelock)ら4人。活動拠点は、ロンドンであり、近年はアジア諸国での評価も高く同地でツアーを敢行し、好評を博しているという。日本にもこの2018年5月にツアーで訪れ、演奏を披露した。
 メンバーについて簡単に説明をしておこう。まず、ルウェリン・アプ・マルディンはクラシック/オペラ・コンポーザーで、キーボード奏者である。彼の豊かな音楽素養によって生まれるハーモニーは、プレップの要だ。そのルウェリンに声をかけた人物が、「Giom」名義でハウス・ミュージックDJとして活動するドラマーのギヨーム・ジャンベル。彼がバンドのビートを支えている張本人である。
 ふたりがデモ曲を制作し、「ドレイクやアルーナジョージなどのレコーディングに参加し、グラミーにノミネートされたヒップホップ・プロデューサー」のダン・ラドクリフにデモを送り、結果、メンバーが3人になった。サンプリングを駆使したモダンなトラックメイクはダン・ラドクリフの手によるものだ。
 さらに、ダンの友人でもあるヴォーカリストにしてシンガー・ソングライター(Riton、Sinead Hartnett、Ray BLK等と共作歴あり)のトム・ハヴロックも加わり、超名曲“Cheapest Flight”が生まれたというわけだ。一聴すれば分かるが、この曲にはポップの魔法が宿っている。微かな切なさが堪らなく胸に染み入る。

 こういった1970年代から1980年代にかけて流行した音楽のテイスト、いわばAORやディスコ、フュージョン、ブルー・アンド・ソウル系の音楽は「ヨット・ロック」と称されている。サンセットビーチやリゾート感の心地よさや切なさを表しているのが理由らしい。言いえて妙だ。夏の陽光、黄昏、哀愁、美しさ。優れた作曲と卓抜な編曲と演奏によって支えられた音楽ともいえる。たとえばネッド・ドヒニーなどを思い出してみても良いかもしれない。
 また、近年、世界的に再発見されているらしい山下達郎、大貫妙子などの日本の70年代後半から80年代前半のシティ・ポップや、近年のニューエイジ・ムーヴメントともリンク可能である。つまり「いまの時代ならではの再発見音楽の現在形」ともいえる。われわれの耳は「同時代的な感覚として80年代的なリゾート感覚」を強く求めているのだ。
 2016年にプレップは、“Cheapest Flight”を含む4曲入りのEP「Futures」をリリースしたわけだが、どうやら“Cheapest Flight”以降、日本のシティ・ポップをたくさん聴き、自分たちの音楽との近似性を確認したようである。「Futures」のオビがいかにも日本の80年代風なのはその表れだろう。今年の来日時、SNSで佐藤博の『awakening』(1982)のレコードを嬉々としてアップしていたことも記憶に新しい。

 彼らは「バンド」といっても、運命共同体的な重さはない。聴き手にとっても、そして作り手にとっても「心地よい音楽」を生み出すことを目的としている。「一種の音楽工場」と彼らは語るが、そこから生まれる音楽は、なんと混じりけのないピュアなポップ・ミュージックだろう。
 ふり注ぐ光のように清冽で、透明なプールサイドのように美しい。そしてそれらがとても儚いものだと感じさせるという意味で、どこか切ない。だが、そんな儚い美しさの瞬間があるからこそ辛い人生は尊くもなる。そんな感情を“Cheapest Flight”は放っている。当初、匿名的であった彼らだが、この曲のヒットによって音楽ファンに広く知られることになった。“Cheapest Flight”は、Spotify再生回数300万回誇るという。

 本作『Cold Fire』は、2年ぶりの新作EPである。オリジナルは計4曲収録で、日本盤CDにはさらに2曲のボーナス・トラックが加えられている。
 1曲めは人気の韓国人R&Bシンガー、ディーンがバッキング・ヴォーカルで、アンダーソン・パークの楽曲のプロデュースも手がけた〈HW&W Recordings〉のポモがリード・シンセサイザーで参加しているタイトル・トラック“Cold Fire”。 シンセのリフもキャッチーで耳に残るポップ・チューンだ。大胆に転調するソングライティングも見事。
 2曲めはポートランドのウーミ(Umii)のメンバーであるリーヴァ・デヴィート(Reva DeVito)が起用された“Snake Oil ”。アンビエント/R&Bなムードのミディアム・テンポのなか小技が聴いたトラック/編曲に唸ってしまう。
 3曲めはウルトラ・ポップ・トラック“Don't Bring Me Down”。夏の光を思わせるどこまでも爽やかな曲だ。テーム・インパラのMVの振付けを手掛けたTuixén Benetによってロサンゼルスのコリアタウンで撮影されたMVが印象的だ。
 4曲めはメロウ&ポップな名曲“Rachel”。どこか“Cheapest Flight”の系譜にある曲調で、夏の切なさ、ここに極まるといった趣である。まさに黄昏型の名曲。

 そして5曲め(日本盤ボーナス・トラック1曲め)は、マイケル・ジャクソンの“Human Nature”のカヴァー。マイケルのカヴァーというより、作曲・演奏をしたTOTOへのオマージュといった側面が強いようである。自分たちとTOTOを良質なポップ・ミュージック・ファクトリー的な存在として重ねているのだろうか。曲の本質を軽やかに表現する名カヴァーといえる。
 ラスト6曲め(日本盤ボーナス・トラック2曲め)は名曲“Cheapest Flight”のライヴ・ヴァージョンである。録音版と比べても遜色のない出来栄えで、彼らの演奏力の高さを証明しているようなトラックだ。録音版より全体にシンプルなアレンジになっている点も、「Futures」と「Cold Fire」の違いを表しているようで興味深い。以上、全6曲。程よい分量のためか、何度も繰り返し聴いてしまいたくなる。なにより曲、編曲、演奏、ヴォーカルが、実にスムース、ポップ、メロウで、完璧に近い出来栄えなのだ。

 世界はいま大きく動いている。普通も普遍も現実もまったく固定化されず、常に変化を遂げている。変動の時代は人の心に不安を呼ぶ。そのような時代において、あえて「普遍的なものは何か」と問われれば、「一時の刹那の、儚い夢のような幸福感」かもしれない。しかも「幸福感」は人の心に残る。それをいつも希求してもいる。だからこそポップ・ミュージックは、どんな時代であっても幸福の結晶のような「永遠の夏」を歌う必要があるのではないか。
 プレップはそんな普遍的なポップ・ミュージックを私たちに届けてくれる貴重な存在なのだ。サーフ・ミュージックのザ・ビーチ・ボーイズ=ブライアン・ウィルソンが実はサーフィンと無縁だったように、ヨットとまったく無縁でもプレップの音楽に心を奪われるはず。そう、ポップ・ミュージックだけが持っている永遠の/刹那の煌めきがあるのだから。

DYGL - ele-king

 デイグローが7インチEP「Bad Kicks / Hard to Love」をリリースするんだけど、初期のエコー・アンド・ザ・バニーメンを彷彿させるギターのカッティングとダンサブルな展開、これ、そうとう格好いいです。

 収録曲は、イギリスのとある港町の教会を改築したスタジオにおいて、なんとオープンリールを使用してのアナログ・レコーディングによって制作されている。そうなると、くだんのシングルはアナログ盤で聴きたくなるのが人の性というもの。この宝物は7月25日にたった1000枚の限定でリリースされる。どうか逃さないで。

(予約こちら)
https://dayglotheband.com/preorder

DYGL
Bad Kicks / Hard to Love

SIDE A “Bad Kicks“
SIDE B “Hard to Love”
2018/7/25(水)発売
1500円 (税抜)/1620円 (税込)
HardEnough


■LIVE INFO

08/11(土) RISING SUN ROCK FESTIVAL 2018 in EZO

08/18(土) SUMMER SONIC 2018@TOKYO

Klein - ele-king

 凄まじかった。今年の3月、渋谷WWWβの奥深くに降り立ったクラインは満面の笑みを浮かべ、ひっきりなしに大きく身体を揺らし続けていた。けれど、アゲアゲとかイケイケといった言葉をあてがいたくなるその佇まいとは裏腹に、会場に響きわたる音塊たちはどこまでも実験的かつ尖鋭的で、なんとも形容しがたい抽象性に満ちていた。どう見積もってもパリピが歓喜する類のサウンドではないのに、本人はパリピのようにノリノリという、じつにアンバランスな光景。
 こういう二項対立はあまりよろしくないとは思うのだけど、あえて単純化して言うならクラインは、いわゆる「知性」ではなく「感性」ですべてを押し切ってしまうタイプのアーティストだ。『Only』も「Tommy」も、けっして緻密な論理やコンセプトに基づいて生み出されたものではない。「しっかりと考えて作ったわけじゃない」と彼女は公演前の取材で告白している。本人としては自分の頭のなかにあるものを、ただ素朴にアウトプットしているだけなんだとか。クラインの音楽が持つあのわけのわからなさはつまり、彼女のいわば「無意識」によって生み落とされていたということになる。
 ちなみに、これまでに発表されている音源はどれもあらかじめリリースを前提としていたわけではなくて、周囲が出したいと望むから「オーケイ」と了承していたにすぎないのだという。ホモ・ルーデンス。とはいえ最近は「ちゃんと音楽を作っている」という意識も芽生えはじめているそうで、3月の時点で彼女は「いま作っているアルバムで、ほんとうの意味で“音楽”を作っている」と語っている。すなわち、5月末に上梓されたこの最新EP「cc」は、初めてリリースを前提として意識的に作り上げられた作品なのである。

 いわゆる「感性」や「無意識」の赴くまま自由奔放に制作に打ち込んできたアーティストが、急に「ちゃんと意識して」音楽を作りはじめたりなんかしたら、一気に強度が下がってしまうんじゃないか……なんて一抹の不安が頭をよぎったこともあるけれど、クラインはこの新作でそんな猜疑を軽々しく吹き飛ばしてくれている。
 これが「意識的」ということなのだろうか、うめき声の断片が次々と折り重なる2曲目“Slipping”を聴くと、彼女が自分の声の聞かせ方に長けてきているのがわかる。ミュジーク・コンクレート的な音響実験が繰り広げられる4曲目“Born”をはじめ、全体的に洗練度が上がっている感じがするのもその「意識的」の成果なのかもしれない。
 とはいえこれまでの彼女を特徴づけていたわけのわからなさも健在で、細やかな音声の反復にゲーム音楽の破片がまぶされる3曲目“Stop”も、変調され最小限まで切り刻まれた音声がきらきらと流星のように降り注ぐ5曲目“Explay”も、なぜか途中で唐突に謎めいたドラムの乱入を許しているし、6曲目“Apologise”や最終曲“Last Chance”が鳴らす不気味なのにどこかキュートさを携えたサウンドは、相変わらず文字に置き換えるのが難しい。「アンビエントとしてはアンビエント不足だし、ダンス・ミュージックとしてはダンスの要素が足りない。コーラスもあるけど、それもいわゆるコーラスではない」とクラインは自らの音楽について説明しているが、そのどこにも属せない音の組み合わせ方、彼女の「感性」や「無意識」によって紡ぎ出されたそれは、本作でもじゅうぶんに堪能することができる。

 実験音楽という場所にもブラック・ミュージックという場所にも固定されないこと――ドローン、エレクトロニカ、R&B、その他もろもろの狭間を絶妙な平衡感覚で回遊するこの「cc」を繰り返し聴いていると、彼女の「無意識」はその固定されなさを研ぎ澄ませることに全力を注いでいるんじゃないか、と、そんな気がしてくる。
 ナイジェリア生まれの母を持ちながらもそのルーツを際立たせることはせず、むしろバッハなどのクラシック音楽を聴いて育ったことを強調するクライン、その分裂についてチーノ・アモービは「無場所性(Nowhereness)」という言葉を用いて説明しているけれど(紙エレ最新号参照)、「no-where」は「now-here」でもあるわけで、まさにそういう場所ならざる場所こそが「現在」のエレクトロニック・ミュージックの尖端なのだ。そして、であるがゆえにそのノーウェアネス=ナウヒアネスはこれからの10年を方向づけることにもなるだろう。クラインこそはその嚆矢である。

Lobster Theremin - ele-king

 昨年RDCで来日したパームス・トラックス、あるいはヴェニスのスティーヴ・マーフィやブダペストのルート・8(ジョージリー・シルヴェスター・ホルヴァート)などのリリースで知られる〈ロブスター・テルミン〉、最近〈ブレインフィーダー〉からのリリースで話題を集めているロス・フロム・フレンズの12インチもここから出ていましたけれども、ロンドンのこの奇特なレーベルが設立5周年を迎え、現在ヨーロッパや北米でショウケース・ツアーを展開しております。そしてこのたび、そのアジア版がソウルおよび東京・大阪でも開催されることが決定しました。レーベル主宰者のジミー・アスキスと、看板アーティストのルート・8が来日します。アンダーグラウンド・ダンス・ミュージックの熱い息吹に触れられるこの絶好の機会を逃すまじ。

LOBSTER THEREMIN 5 YEARS IN JAPAN

ロンドン発、レーベル兼ディストリビューターとして近年めきめきと勢いをみせる〈Lobster Theremin(ロブスター・テルミン)〉。
そのレーベル・ボスである Jimmy Asquith は、2013年にレーベル〈Lobster Theremin〉を設立。その傘下に〈Mörk〉、〈Distant Hawaii〉、〈Tidy Bedroom〉も始動し、昨年レコードショップ実店舗もオープンさせた。ロンドンの Corsica Studios での彼らのパーティー《FIND ME IN THE DARK》は毎回ソールドアウトになるほどの人気ぶりで、Asquith は常に新しい才能をサポートし、〈Discwoman〉、〈Workshop〉、〈Antinote〉などとのコラボレーションも行なっている。
レーベル設立5周年を祝うレーベル・ショーケースとして、レーベル看板アーティストであるハンガリー、ブダペストのDJ/プロデューサーRoute 8と共に初来日が決定!

7/20 (FRI) FAUST, Seoul
7/21 (SAT) CIRCUS Tokyo, Tokyo
7/22 (SUN) COMPUFUNK RECORDS, Osaka

7.21 (SAT) @Circus Tokyo
- LOBSTER THEREMIN 5YEARS IN TOKYO -

LINE UP:
-B1 FLOOR-
Asquith (Lobster Theremin)
Route 8 (Lobster Theremin / Nous)
Romy Mats (解体新書 / N.O.S.)

-1st FLOOR-
Sayuri
DJ Emerald
DJ Razz
T4CKY

Open 23:00
ADV 2,500 yen
Door 3,000 yen

TICKET:
https://lobstertokyo.peatix.com/

Info: CIRCUS TOKYO https://circus-tokyo.jp
東京都渋谷区渋谷3-26-16 第五叶ビル1F / B1F
TEL 03-6419-7520

7.22 (SUN) @Compufunk Records Osaka
- LOBSTER THEREMIN 5 YEARS IN OSAKA -

DJ: ASQUITH, ROUTE 8, DNT (POWWOW), KAITO (MOLDIVE), TOREI
Sound: Ryosuke Kosaka
VJ: catchpulse

Central Kitchen: YPO edenico

Open 17:00 - 24:00
ADV 2,000 yen +1 Drink
Door 2,500 yen +1 Drink

Info: Compufunk Records https://www.compufunk.com
大阪市中央区北浜東1-29 GROW北浜ビル 2F
TEL 06-6314-6541



■Asquith (Lobster Theremin / from London)

ロンドン発、新興レーベル兼ディストリビューターとして近年めきめきと勢いをみせる〈Lobster Theremin(ロブスター・テルミン)〉。そのレーベル・ボスである Jimmy Asquith は、2013年にレーベル〈Lobster Theremin〉を設立。〈Lobster Theremin〉傘下に3つのレーベル、〈Mörk〉、〈Distant Hawaii〉、〈Tidy Bedroom〉も始動し、また、エレクトロニック・ミュージック・シーンではグローバルに知られるディストリビューターである。2017年1月にはハックニーにレコードショップ実店舗もオープンさせた。
ロンドンの Corsica Studios でのパーティー《FIND ME IN THE DARK》は毎回ソールドアウトになるほどの人気ぶりで、Asquith は常に新しい才能をサポートし、〈Discwoman〉、〈Workshop〉、〈Antinote〉などとのコラボレーションも行なっている。
海外ツアーをこなしながらも、Rinse FM でレギュラーを担当し、Tom Hang や Chicago Flotation Device といったアーティスト名義でリリースを重ねている。2017年12月に Tom Hang 名義でのデビュー・アルバム『To Be Held In A Non Position』をリリース。
今年でレーベル設立5周年を迎え、〈Lobster Theremin〉のレーベル・ショーケースとしてのツアーを展開している。

Jimmy Asquith founded the well-renowned label Lobster Theremin in 2013. Since then the label boss has established three imprints including; Mörk, Distant Hawaii and Tidy Bedroom, as well as a respected distribution service used widely within the electronic music scene, and a physical record shop based in Hackney, East London.

Alongside the label, Asquith continues to sell out his Corsica Studios based night Find Me In The Dark, which champions emerging talents and sees collaborations with the likes of Discwoman, Workshop and Antinote. DJing internationally, Asquith simultaneously is producing and performing under multiples aliases all whilst holding down a regular Rinse slot.

On top of that, Asquith’s personal and ambiguous ambient alias, Tom Hang, will be releasing his debut album this December following a heart-wrenching Cafe Oto performance. Part ambient, drone, noise and a tapestry of clouded, intermingling emotions, ‘To Be Held In A Non Position’ is a three-and-a-half year release from stasis; an exhale from a long-held breathe; a shallow sleeper now awake.

On a DJ tip, increased gigs have led to a stylistic shift, a move back to UK-oriented sounds blended with old-school US influences and plenty of new names and talent littered throughout the set lists, alongside occasional older selected digs from the garage-house trove.

The start of 2018 will see a solo Asquith jaunt of North America as well as a Lobster Theremin debut showcase at Motion on January 20th, kicking off the 5 Years of Lobster Theremin European tour.

https://lobstertheremin.com



■Route 8 (Lobster Theremin / Nous)

ハンガリー、ブダペストのDJ/プロデューサー、Route 8。〈Lobster Theremin〉や〈Nous〉からのリリースによって、その名を知られるようになったが、ハードウェアを使っての音楽制作とその探求は10年以上前から始めている。USのロウなハウスやテクノからインスパイアされた、メランコリックなメロディーと巻き込むようなドラムパターンで、エレクトロやアンビエントまで拡大解釈できるオリジナルなサウンドを追求している。DJ Ciderman や Q3A という名義でも知られる。

Route 8 has only recently gained prominence through the Lobster Theremin and Nous labels, but his hardware production experiments date back almost 10 years. Inspired by the raw-edged US house and techno sound, he has also expanded his work into off-kilter electro and ambient, still inflicted with his melancholia-tinged melodies and ratcheting drum patterns.

https://soundcloud.com/route8

仙人掌 - ele-king

 2016年末にリリースされた初のソロ・アルバム『VOICE』が大きな反響を呼んだ仙人掌ですが、去る6月27日、ついに待望のセカンド・アルバム『BOY MEETS WORLD』が発売されました。今月半ばにはNY在住のビートメイカー、DJ SCRATCH NICEのプロデュースによる“Show Off”のMVも公開されていますが、このたび9月14日に代官山UNITにて開催されるリリース・イベントの情報も解禁されております。要チェック!

MONJU/DOWN NORTH CAMPのラッパー、仙人掌のセカンド・アルバム『BOY MEETS WORLD』、6月27日発売! また同作のリリース・ライヴが代官山UNITにて9/14(金)に開催決定!

2016年リリースの初となるオフィシャル・ソロ・アルバム『VOICE』でシーン内外に大きなインパクトを残した仙人掌の待望のセカンド・アルバム『BOY MEETS WORLD』がついに6月27日リリース! そしてその『BOY MEETS WORLD』のリリースを祝したイベント《BOY MEETS WORLD LIVE 2018》が9/14(金/DAYTIME)に代官山UNITにて開催決定! 同作に参加しているjjjやMILES WORDも参加するスペシャルなパーティになる予定で今週末よりチケットが発売となります!

仙人掌「BOY MEETS WORLD LIVE 2018」
9月14日 (金) at 代官山UNIT

OPEN : 19:00
ENTRANCE : ¥3000 (WITHIN 1 DRINK)
LIVE : 仙人掌
GUEST : jjj, MILES WORD
OPENING ACT : COCKROACHEEE’Z
DJ : 原島“ど真ん中”宙芳 / 16FLIP / HURAMINGOS (CHANG YUU & YODEL)

TICKET取り扱い : 代官山UNIT
Pコード:122-575
Lコード:72539
6/30 (土曜日発売)

トラスムンド / UNIT / RAH / JAZZY SPORT / DISK UNION ***
各RECORD SHOPでは7/14より発売予定

supported by NIXON

* イベント当日は会場にて限定のタイトル / マーチャンダイズを販売します。(こちらは追って発表する「BOY MEETS WORLD 4 CITY TOUR 2018」の4会場でも販売します。)
* イベント終演後、代官山SALOONにてAFTER PARTYを開催。チケットの半券提示でDRINK代のみで入場できます。

仙人掌 - Show Off (BLACK FILE exclusive MV "NEIGHBORHOOD")
https://youtu.be/xI7ztc-aWaA

仙人掌『BOY MEETS WORLD』 Teaser
https://youtu.be/bEaU2f1_RJc

【アルバム情報】
アーティスト:仙人掌
タイトル:BOY MEETS WORLD
レーベル:WDsounds / Dogear Records / P-VINE
品番:PCD-26070
発売日:2018年6月27日(水)

【トラックリスト】
01. 99'Til Infinity
Prod by DJ SCRATCH NICE
02. Boy Meets World
Prod by CHUCK LA WAYNE & DJ SCRATCH NICE
03. Penetrate
Prod by GRADIS NICE & DJ SCRATCH NICE
04. Darlin' feat. jjj
Prod by DJ SCRATCH NICE
05. Water Flow
Prod by GRADIS NICE & DJ SCRATCH NICE
06. Bottles Up
Prod by DJ SCRATCH NICE
07. Rap Savor feat. MILES WORD
Prod by CHUCK LA WAYNE & DJ SCRATCH NICE
08. Show Off
Prod by DJ SCRATCH NICE
09. So Far
Prod by GRADIS NICE & DJ SCRATCH NICE
10. World Full Of Sadness
Prod by DJ SCRATCH NICE
Additional Vocal by SOGUMM

女の暴力映画

 いま、女性と暴力の問題を書くのはことさら慎重さが必要になるので、とても怖い。久々に女性にまつわるテーマで新連載を始める機会をいただいたが、うかつなことを書いてしまったらどうしようとビビリ腰になっている。とりあえず第一回目なので最後まで読んでいただけると嬉しい。

 映画で描かれた「女の暴力」。とはいっても今回は、女が振るわれる暴力についてではない。もうそんなものは映画史に溢れかえっているし、改めて解説されるのも読者は疲れるだけだろう。現在でも現実に、女が様々な形のハラスメントや抑圧、そしてまさに肉体的な暴行を受ける事案が日常的に起こっている。文明が進んだらマシになるのかと思いきや、全然性差別は解決していないうえ、それを声に出した女性がSNSなどで受ける二次的なハラスメントを、リアルタイムで見つめてさえいる時代だ。
 そんな暗雲の下で暮らしながらも女が抵抗し、戦い、もちろん良いことだけではなく利己的な欲望で他人を傷つける振る舞いは行われてきた。現実と同様に、映画も女が肉体的にも精神的にも他人にヴァイオレンスの矛先を向ける瞬間を描いている。それは華麗なアクションであったり、現実の我々にも訪れそうなリアリティに満ちたものだったり様々だ。
 映画業界は男性主導の世界である。だからこそ2017年にはハリウッドで驚くような、完全に犯罪の域である悪質なセクハラが明るみになり、それがまかり通ってきたことが改めて認識された。でもそういった報道に対して、逆に被害者をバッシングする反応が多いのも目についた出来事だ。そんな齟齬がある中で、男性の作り手が撮った女性主演のアクション映画は、本当に女性的なアクションといえるのかは判断に悩んでしまう。そもそも男性の監督や脚本家によっても、女性心理にうとい人/感受できる人は様々な度合いがある。それに女性監督が作った女性アクションだったら、正統だとか真実だともいえないだろう。女性なら女性心理が完全に汲めるのか? という疑問もある。それにわたしたち女性だって、長年男性が作った男性主体のアクション映画を観てきているので、映画ではそのことに慣れてしまっているのだ。これは男性であっても同様で、現実と表現は違うため、もし格闘技の経験のない人が「アクション映画を撮れ」と言い渡されたら、自身の経験から引き出すのではなく、これまで観てきた映画のヴァイオレンスを参考に表現を組み立てていくことになるだろう。日常の経験でも、見栄えのするアクションに街中ではそうそう遭遇しないものだし。

暴力の多面性

 そして暴力は肉体的なものに限らない。ひとは裏切りや嘘でも心にダメージを受ける。マスコミによる著名人の不倫報道はいっとき病的なほど過熱していた。それは視聴者や読者の関心をひいて激しいバッシングを引き起こしたが、不貞がかまびすしく非難を浴びるのは、自分の身に受けることを想像しやすい精神的な暴力のひとつだからだ。わかっていて人を裏切るのはひどい行いである。とはいえ当事者にも事情は色々あるだろうし、不倫は申し開きをするほど「反省していない」といった反発をくらうため、甘んじて批判を受けるしかない。そこに付け込んだ報道のあり方や過剰なバッシングも、当事者に与えるダメージを見越した一種の暴力である。これらのような精神を傷つけ心を壊す行為も、やはりヴァイオレンスの形として見過ごせない。
映画において、女が暴力を振るう場面は娯楽だろうか。確かにシャーリーズ・セロンが戦う姿は、問答無用にかっこよくて魅了される。それでも女が振るってはダメな暴力という表現もあるのだろうか。それらの線引きは何を根拠になされるのか――考えると頭がグルグルしてしまうことばかりだ。だから映画の中で女優が繰り出すキックを観つつ、改めて女性と暴力についてゆっくり考えてみよう。

変遷するタランティーノの女性と暴力

 タランティーノはなんといっても『レザボア・ドッグス』(91年)を封切りで観て以来の付き合いという感がある。ハーヴェイ・ワインスタインの事件で名をあげたり下げたり色々あったうえ、新作がマンソンファミリーによるシャロン・テート殺害事件の映画化というのも物議を醸しそうだ。それでも完成すれば必ず観にいくだろうし、これまでもすべての作品は劇場で観ている監督である。
 登場人物が男だけの映画『レザボア・ドッグス』でメジャー監督デビューしたクエンティン・タランティーノは、現在では女性アクションの監督というイメージも強い。ユマ・サーマン主演の『キル・ビル』2部作(03年、04年)は、とても虚構性の強いアクション作品だ。ヒロインの“ザ・ブライド”は、元々暗殺者集団に所属する凄腕の殺し屋だった。しかし足を洗い、普通の女性として人生を送ろうとした矢先に、かつてのボスであり愛人であったビル(デヴィッド・キャラダイン)の命令によって、仲間の殺し屋たちに夫とお腹の子どもを殺され、彼女も死の縁をさまようことになる。映画は長い昏睡から目覚めたザ・ブライドが、彼女の人生を台無しにしたビルと殺し屋たちへ、復讐を果たしていく物語だ。

荒唐無稽な大殺戮に潜ませた愛憎劇

 1作目の見せ場は、伝説の名刀を求めて日本を訪れたザ・ブライドが、青葉屋という料亭で繰り広げる殺戮劇だ。この一連のシーンで、ザ・ブライドはブルース・リーを彷彿とさせるトラックスーツを着ているし、復讐の的であるオーレン・イシイ(ルーシー・リュー)の用心棒が鉄球使いの女子高生であったり、イシイの配下“クレイジー88”が日本刀を持った学生服集団であったりと、元々リアリティは意識していない設定である。

 男性監督や脚本家にとって主人公が女性であることは、地続きで想像できてしまう男性主人公と比べて、虚構として想像を膨らませやすいのだろう。今では女性アクション映画といえば『キル・ビル』は必ずタイトルがあがる。ザ・ブライドの殺した人数のインパクトが記憶に残るのもわかりやすいし、そんな過剰な復讐劇の動機が、最終的には母性に集約されていくのも、強い女性を想像する際のふんわりした理由やイメージの例だ。
 男性の主人公が娘の復讐のために立ち上がる映画だと、地に足のついた作品が次々と頭に浮かぶ。男が考える男の復讐劇は、リアリズムから逸脱しない。しかし女性の復讐劇である『キル・ビル』は、大量殺戮の面白さを見せることが一番の目的であって、動機に母性を持ってくるのはもっともらしく見せるためだけに思える。むしろビルとザ・ブライドの間にある、愛と憎しみの交じり合ったメロドラマ性の方が、言い知れぬ動機として魅力的であり物語を豊潤にしている。「愛しているけれどもくびきから逃れたい」「愛するあまり許せないから殺したい」「愛が招いた因果応報を素直に受け入れる」という感情の交錯が、本作を荒唐無稽なだけでは終わらないドラマとして成立させていた。

より生身の暴力へ

 その後の女性をヒロインに迎えたタランティーノ作品は、反動のように「女にも可能なヴァイオレンス」を追求していく。『デス・プルーフ in グラインドハウス』(07年)は、『キル・ビル』でユマ・サーマンのスタントをしていたゾーイ・ベルが、彼女自身として主演を務める。改造車を使った殺人鬼スタントマン・マイク(カート・ラッセル)に狙われた、ゾーイをはじめとする女性だけの車。なんとか逃げ延びたあと、命の危険にさらされた彼女たちは怒りに燃えて復讐に出る。本作でみせるゾーイ・ベルの身体能力が素晴らしい。ボンネットに掴まったままのカーチェイスや、彼女が走り出す車へ手にパイプを持ったままスルッと滑り込むように箱乗りする場面など、本当にゾーイ自身が演じているリアリズムによって、有無を言わせぬ効果をあげる。


©2007 The Weinstein Company, LLC. All rights reserved.

 本作はマイクの凶行を見せるための二部構成になっていて、まずは酒に溺れエロティックな危険を冒す女性グループが登場する。前半では彼女たちと、「グラインドハウス」のカップリング作品『プラネット・テラー in グラインドハウス』の主演ローズ・マッゴーワンが、被害者として恐怖に慄きむごい目に遭う。
 タランティーノの映画は被害者が男性であっても、監禁の恐怖や、観ていて痛みや凄惨さを強く覚える時がある。映画に耽溺してきた彼の「映画は虚構」という骨身にしみる感覚ゆえか、表現が細やかなあまり暴力シーンには過剰なサディズムが漂っているようだ。確かに映画は所詮作り物にすぎない。だから暴力表現において、創造の面白さに興味が傾くのも当然だ。だが同時に、スクリーンで何が起ころうと真に受けない感性が試されるような、逃げ場のなさや妙に皮膚感覚に迫る暴力性には、観ていて時々居心地の悪い気持ちがする。
 『デス・プルーフ』はそんな陰惨さと、白昼の勧善懲悪という晴れやかさが共存する作品だ。現実にスタントをこなせる女性が等身大のアクションを演じるのは、荒唐無稽な『キル・ビル』と正反対のアプローチである。『デス・プルーフ』で女が発揮する暴力は、「女性でも出来ること」の域を押し広げるリアルな強靭さがあり、これはゾーイ・ベルの存在なくしてありえない生身のアクションだった。

フィルムを操る手

 『イングロリアス・バスターズ』(09年)ではまたアプローチを変え、女性にも可能な、策略による大掛かりな殺戮劇が描かれる。第二次世界大戦中のナチス統治下のフランス。かつてユダヤ人狩りによって家族を皆殺しにされたショシャナ・ドレフュス(メラニー・ロラン)は、一人だけ逃げ延び、今ではパリの映画館で働いている。ドイツ軍の狙撃兵フレデリック・ツォラー(ダニエル・ブリュール)が街でショシャナを見染めたのをきっかけに、ナチスのプロパガンダ映画が彼女の映画館でプレミア上映されることになった。その日はヒトラーをはじめとする、ナチスの最高幹部たちも集まるという。機を見たショシャナによるレジスタンスの幕開けだ。


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 彼女と同時進行して、アルド・レイン中尉(ブラッド・ピット)を中心とする連合軍特殊部隊のナチス狩りもいる。彼らは男の子らしく得意技がバットのフルスウィングだったり、ナチであった身分を戦後に詐称できないよう、額へハーケンクロイツを刻み込んだりする。相対して、ショシャナが用いるのは手間暇をかけたフィルムでのメッセージと炎だ。この映画で一気呵成なヴァイオレンスシーンを繰り広げるのはショシャナだが、それは肉体を酷使するアクションではない。彼女が操るのはフィルムやスプライサーや映写機だけだ。そしてプレミア上映はショシャナ以外にも複数の思惑が交錯したことによって、甚大な被害をナチス陣営に与えることになる。
ここでも特殊部隊やレジスタンスの活動以外に、フレデリック・ツォラーの恋心がショシャナの復讐劇に別のドラマを生むことになる。フレデリックの熱烈さは復讐に燃えるショシャナに絶好の機会をもたらすと同時に、彼女の家族を殺したハンス・ランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)との再会というショッキングな出来事も引き起こす。クライマックスでも彼はショシャナの企みの妨げとなる。フレデリックは執拗にショシャナを追い回し、プレミアの夜も最悪のタイミングで映写室に入り込もうとする。だがその後に起こる男女のアクシデントでは、ショシャナが思わず行動に出てしまった「復讐の邪魔だてを消す」行為だけにはとどまらず、敵とはいえ自分に恋している男を心配する心を起こしてしまう。ここで男女の姿を切り取る俯瞰のカメラワークは、とても悲劇的でロマンティックなものだ。タランティーノは『キル・ビル』や『ジャンゴ 繋がれざる者』(12年)においても、ドラマを持つ人物の死体の写し方が滅法うまい。いま活躍している監督の中で、死体の転がり方に毎回ハッとさせられ、落涙してしまう演出力ではタランティーノが最高峰だろう。その悲哀が本作においても、後を引く余韻のあるものとなる。

より生々しい暴力へ

 群像劇『ヘイトフル・エイト』(15年)の主要人物の中で、女性はジェニファー・ジェイソン・リー演じるデイジー・ドメルグだけだ。彼女は首に賞金をかけられた極悪人で、屈強でしたたかな賞金稼ぎの男たちを向こうに回して引けを取らない。
彼女が映画の中で振るうのは、汚い言葉や罵詈雑言による暴力である。デイジーは登場した時点ですでに目の周りにあざができており、賞金稼ぎのジョン・ルース(カート・ラッセル)に手ひどいやり方で捕らえられたのがわかる。それでも彼女は落ち着いており、新たに出会った賞金稼ぎのマーキス・ウォーレン(サミュエル・L・ジャクソン)に、ニタニタと笑いながら「ニガー」と侮蔑的な呼びかけをする。住んでいる世界が元々暴力に満ちているから、殴られる恐怖の限界値が最初から無いに等しく、歯が折れるほど殴打されてもふてくされる程度の反応しか示さない。


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 この映画の中で一番不穏な空気を放ち、殺人すら気にも留めない匂いがするのはデイジーだ。クセモノな俳優たちが揃い、それぞれの役柄が並々ならぬアウトローとしての背景を背負っている中で、拳をあげたり銃を撃ったりしないのに、一番暴力的な存在感を放つ女。平然と人を侮蔑し、窮地に立った人間にひとかけらも憐れみを抱かない、根っからの悪党という新たな暴力の体現である。これまでタランティーノが描いてきた女たちは、暴力を振るうにあたって、徐々にみずからの肉体を使う機会を減らしてきた。そして『ヘイトフル・エイト』は芸達者なジェニファー・ジェイソン・リーを迎えることで、ナイフのような言葉と、邪悪な人間はそこにいるだけで暴力性を醸しだす状態を描いた。
 女の首、という点でも本作は興味深い。殺人にまつわる「首」と「距離」は意味を持つ。手で首を絞めるという行為は当然至近距離で行われ、エロティックなプレイでも試す人々がいるほどだ。そもそも密接な姿勢には性的な気配が漂うのに、なおかつ殺すには凄まじい力が必要なため、殺人者は被害者と強いつながりを持つのは避けられない。それは恐ろしいほど、感触や感情に強い記憶を残すだろう。しかし絞首刑となると、ロープの介在は処刑人を死ぬ者から物理的に遠ざける。それは人の死を感覚に響かせないための冷酷な距離だ。映画においてはロープだけでなく、表現そのものもカメラがかなりの引きになったり、編集でショットが切り変わったりして、死ぬ過程を露骨に見せることは避けられる。
 だが『ヘイトフル・エイト』は処刑について、かなり踏み込んだ表現がされる。男が二人がかりでテコの原理を応用し、女の首にかけた縄をズルズルと引き上げていき吊るす。むごたらしいようだが、吊るされるデイジーはか弱く憐れな者という域を超えた邪悪さに満ちているので、観ていてもそういった心苦しさが少ない。カメラも近くて、彼女を引き上げるための労力が生々しい人の体重であるのを伝える。それと同時に、処刑のように落下での首吊りではないぶん、じりじりと引き上げられる姿は、彼女の邪悪さがまだ地から離れることを拒否するような悪魔的な重みに見える。デイジーの暴力性を見せるためには手段もカメラも編集も、ここまでしないと釣り合いがとれないほどなのだ。
 アクションは荒唐無稽なほど、スタントマンやCGの処理を漂わせて、誰が演じようと構わないものとなる。だからタランティーノの変化は面白い。スター俳優から、現実にそのアクションをできる女優、または女でも振るえる暴力という現実味への変遷。これは女性を描く際にフィクションへと追いやらず、男性と同じような存在としてキャラクターを見つめている証であると思う。

「デス・プルーフ」発売中。
Blu-ray 1,886円(税別)/ DVD 1,429円(税別)。
発売元:ブロードメディア・スタジオ
販売元:NBCユニバーサル
(C)2007 The Weinstein Company, LLC. All rights reserved.

『イングロリアス・バスターズ』
Blu-ray:1,886 円+税/DVD:1,429 円+税
発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
Film (C)2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.
**2018年6月の情報です。

『ヘイトフル・エイト』
価格:¥1,143(税抜)
発売・販売元:ギャガ
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interview with Grimm Grimm - ele-king


Grimm Grimm - Cliffhanger
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 マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの頭脳、ケヴィン・シールズが彼の元恋人シャルロット・マリオンヌ(ル・ヴォリューム・クールブ)とともに設立したレーベル〈Pickpocket〉からデビューを果たし、いまはなきインディー・ロックの祭典《All Tomorrow's Parties》には2度も出演、その〈ATP〉レーベルからも音源をリリースしたことのある日本人がいるのをご存じだろうか。ある種の人にとっては、嫉妬すら覚えるような輝かしい経歴を持つ彼は、東京出身・ロンドン在住のマルチ・インストゥルメンタリスト、Grimm Grimmことコウイチ・ヤマノハ。彼の通算2枚目のアルバム『Cliffhanger』がリリースされた。

 前作『Hazy Eyes Maybe』よりおよそ2年半ぶりとなる本作は、ウィリアム・S・バロウズのカットアップ技法を彷彿とさせる散文詩や、いまにも消え入りそうなウィスパー・ヴォイス、童謡やバロックなどにも通じるどこか懐かしいメロディ、アコギやピアノによるシンプルなトラックによって構成された、フォーキーでサイケデリックなサウンド。前作に引き続き、盟友BO NINGENのKohei Matsudaが参加しシンセを奏でている他、様々なライヴやイベントで共演を重ねているシャルロットや、エクスペリメンタル・バンド、ブルー・オン・ブルーのディー・サダもヴォーカリストとしてフィーチャーするなど、前作よりもさらに深みのある内容に仕上がっている。

 ロンドンに移住してすぐ、スクリーミング・ティー・パーティーなるバンドを結成し、その後ソロでの活動を始めたヤマノハ。彼の生み出す、どこの国のどの時代の音ともいえないサウンドは、一体どこから来ているのだろうか。

ときどき、「人と人は、深いところでは繋がっているな」と思うことがあるんです。「無意識の領域」というか、そこにはポジティヴでもなくネガティヴでもない、ニュートラルな感情がある。

まずは、ヤマノハさんがイギリスへ移住した理由を教えてもらえますか?

コウイチ・ヤマノハ(以下ヤマノハ):特に理由はありませんでした。イギリスの音楽が好きだったというワケでもなくて、ただちょっと日本が窮屈だなと思うことはあったんですけど、でもそれも理由でもないから「何となく」っていう感じですかね。ただ、こっちでは音楽はやろうと思っていました。

かれこれ10年以上、暮らしているんですよね。こんなに長く住むと思っていました?

ヤマノハ:いや、思ってなかったですね。2年くらいしたら住む場所を変えるつもりだったのに、気づけばこんなに経ってしまいました(笑)。ロンドンって、やっぱりちょっとイギリスじゃない感じがあって。コスモポリタンというか、多国籍空間で、変人も多いですし(笑)。何年いても不思議で。ここ10年くらいでテレーサ・メイみたいな右翼政府に変わってきているっていうのもあって、いまだに自分はエイリアンだなと感じます。そういうところは東京と似ているのかもしれないけど、ロンドンの方が僕にとっては居心地が良かったんですよね。

ロンドンで最初に結成したバンド、スクリーミング・ティー・パーティーは、どうやって始まったのですか?

ヤマノハ:ロンドンに着いて、割とすぐにドラマーとベーシストを探していたんです。街のあちこちの壁や電柱にメンバー募集の紙を貼ったりして。で、たまたま通りかかったスタジオの前に女の子がいて、ドラムケースの上に座ってたんですよ。「彼女、ひょっとしてドラマーかな?」と思いつつ一度は通り過ぎたんですけど、戻って声をかけたらやっぱりドラマーで(笑)。たったいま、ドラマーをクビになって、ドラムセットを家に持ち帰るところだって言うんですね。それで、その場で仲良くなったのが最初のドラマー、イタリア人のテレーサ・コラモナコだったんです。もうひとり、日本にいるときからの友人ニイヤンがロンドンに来て。彼はギタリストだったので、僕がベースをやることにして3人でスタジオに入ったのが、スクリーミング・ティー・パーティーの始まりですね。

バンドは2006年から2010年まで活動し、その間メンバーチェンジもありつつ3枚のシングル(「Between Air and Air」「Holy Disaster」「I'd Rather Be Stuck On The Stair Rail」)と2枚のミニ・アルバム(『Death Egg』『Golden Blue』)をリリースしています。バンド解散後は、ヤマノハさんはすぐソロ活動を始めたのですか?

ヤマノハ:いや、そこから3年くらい空きました。その間はずっと作曲やフィールド・レコーディングにハマっていて、ヨーロッパの古い建物や廃墟へよく行ってましたね。で、あるときベルリン西部にある廃墟でふとGrimm Grimmのコンセプトを思いついたんです。その頃はすでに曲を書きためていて、それをどういう形にするかを思いついた。言葉で言うのは難しいんですけど……うーん、懐かしい感じ? 死ぬときや、生まれる時の感じというか。ときどき、「人と人は、深いところでは繋がっているな」と思うことがあるんです。「無意識の領域」というか、そこにはポジティヴでもなくネガティヴでもない、ニュートラルな感情がある。基本的に僕は、ハッピーな音楽を作りたいと思う人間なのですが(笑)、そういう「無意識の領域」を想起させるような音楽が作りたいんですよね。

確かに、Grimm Grimmの音楽を聴いていると「懐かしさ」みたいな感情をかき立てられるのですが、それって日本人だからこそ感じるものなのでしょうか。イギリスの人には、ヤマノハさんの音楽はどう受け止められていますか?

ヤマノハ:「懐かしさ」といっても、いわゆる「ノスタルジー」とは少し違うと思っていて。さっきの「生と死」じゃないですけど、過去と未来が繋がっているような感じというか。そこを目指しているんですが、海外でも伝わる人には伝わっているなと感じますね。

いまっぽい音でも、昔懐かしい音でもなく、どこの時代の音楽かも分からないような、そういうサウンドを目指しているのでしょうかね。

ヤマノハ:そうですね。いまある音楽を否定したり、無視したりするつもりは全然ないのですが、時代感のない、タイムレスなメロディやサウンドに個人的には惹かれます。今回ミックスをしてくれたベルリン在住のミュージシャン、エンジニアのゴー君(Nakada Goh;ケヴィン・マーティンのThe Bugのサウンド・エンジニア)は古い友人で、ミックスをする時は1曲ごとに、例えば「視聴覚室で吹奏楽部が練習しているのが遠くから聞こえる学校感」とか「海辺の病院」とか、アンビエントの雰囲気や想像の場所を伝えてサウンドを決めていきました。

歩いていたら、ケヴィン(・シールズ)がいつもお金をあげてるホームレスたちが目的地のケバブ屋までついてきちゃった、ということがありました(笑)。一度に20ポンド(2800円)くらい平気であげちゃうから、みんな顔を覚えてるんですよ。

そもそも、曲作りをする上でヤマノハさんが影響を受けた人というと、誰になるのですか?

ヤマノハ:ここ5年くらいは、未来派の絵画などに刺激をもらっていると思うんですけど、音楽でいうと誰なんだろう。うーん、わかんないですね。ムーンドッグとかはいまでもよく聴いてます。あとはヴァシティ・バニアンとかの曲にあるメロディの永遠性に惹かれます。サイケフォークとか、そういうステレオタイプの定義ではなくて、なんというかどんなジャンルの音楽やコメディや建物や椅子でさえも、生死感が根底にうっすらあるものに影響を受けます。

童謡や、バロック音楽の影響もあるような気がします。

ヤマノハ:グレン・グールドが弾く、オルガンのバッハとかは昔から好きですね。あの「建築感」というか。それこそ過去と現在と未来が繋がっているような気がしますね。

2014年の夏には〈Pickpocket Records〉(マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズと、ル・ヴォリューム・クールブのシャルロット・マリオンヌが共同設立したレーベル)からシングルをリリースしていますよね。彼らとの出会いは?

ヤマノハ:元々僕は、シャルロットがやっているル・ヴォリューム・クールブが好きだったんですね。ロンドンに着いて、初めて友人に借りたCDが彼女のファーストで。「ベスト・フレンドを殺した」というタイトルの作品でした。それから7年ほど経ったとき、偶然入った近所の中古レコード屋で彼女が店員をしていて。それで話しかけたのがきっかけとなって仲良くなったんです。ケヴィンは、シャルロットに紹介されて知り合いました。みんな、イメージと違ってとても気さくな人たちです。

もうすぐMBVの活動が再開されますが、最近ケヴィンには会いました?

ヤマノハ:ひと月くらい前に、ダイナソーJr.がロンドンでライヴをやって、もともとJとケヴィンは兄弟みたいに仲が良くて、そのときに誘ってくれました。終演後、シャルロットも含めみんなでご飯を食べに行くことになって。カムデン・タウンを歩いていたら、ケヴィンがいつもお金をあげてるホームレスたちが目的地のケバブ屋までついてきちゃった、ということがありました(笑)。一度に20ポンド(2800円)くらい平気であげちゃうから、みんな顔を覚えてるんですよ。あ、ミュージシャンやってるケヴィンだ! って。

ケヴィンらしいエピソードですね(笑)。Grimm Grimmは、2015年と2016年の《All Tomorrow's Parties Iceland》にも出演していますよね。

ヤマノハ:はい。バリー・ホーガン(ATP主催者)は、たまたま飲みに行ったバーのカウンターで隣どうしになって。話してみたら、友人の友人だったりして、結構見えないところにある横のつながりに気づいたりしますね。ATPは問題児の集まりみたいな(笑)。子供がそのまま大人になったみたいな人たちばかりで、そういうところが好きでしたね。もちろん、ビジネスなんだけど、それを超えたところでやっているというか。そういう人たちは、会った瞬間に分かりますね。「この人とは仲良くなれそうだな」っていうのは、シャルロットにもケヴィンにもバリーにも、〈Stolen Recordings〉(スクリーミング・ティー・パーティーが所属していたレーベル)の人たちにも感じました。

Grimm Grimmとル・ヴォリューム・クールブは、よく一緒にイベントをやっているみたいですね。

ヤマノハ:ええ。ここ数年でシャルロットとは親友になって、ル・ヴォリューム・クールブ VS Grimm Grimmというユニットでお互いの曲を演奏しあうプロジェクトもしています。彼女は交友関係が広くて、特に90年代のいろんなミュージシャンと繋がることができました。10代のときに聴いていたマジー・スターのホープ・サンドヴァルや、ジーザス・アンド・メリーチェインの人たちとか。アラン・マッギー。刺激を受けることもたくさんあります。

彼女はいま、ノエル・ギャラガーと一緒にツアー回っているんですよね?

ヤマノハ:そう! あれは本当にビックリしましたね(笑)。ノエルのプロデューサー、デヴィッド・ホルムズがシャルロットの友人でもあり、それが縁で参加することになったみたいです。彼女は特に楽器が上手いわけでもなくて、主にコーラスとして参加することになったんですね。でも、「何かしら弾けた方がいいよね」っていう話になって、僕のところに相談に来たんです。「どうしよう?」って。それで、「ハサミの音で参加するのはどう?」って提案したんですよ。

(笑)。

ヤマノハ:僕は、ハサミの音が前からすごく好きだったので、パーカッション代わりに使ったらどうだろう? と思って。最初シャルロットは「ええ? ハサミ?」っていうリアクションだったけど、結局ライヴでやることになって。そしたら映像としてもハサミと女の人で、黒いオカルトっぽくてインパクトあるじゃないですか(笑)。一気に話題になって。ジュールズ・ホランドに出演したのが大きかったのかな(https://www.youtube.com/watch?v=iwV1lKNA0wU)。あれで炎上しちゃったんですよね。

リアム・ギャラガーも苛ついてましたよね(笑)。

ヤマノハ:いろいろと大変だったみたいですよ。オアシスのフーリガンみたいなファンから脅迫メールが来たりして。「ちゃんと楽器を弾きやがれ!」とか。ちょっと変わった子っぽく映っちゃったからか、風貌を中傷するような書き込みとかもあって。彼女自身は全く気にしてなくて、いまの状況を楽しんでますけどね。

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自分を含め周りにいる人たちの人生は、崖にぶら下がっているみたいだなって思ったところからですね(笑)。あと、崖からぶら下がっているような、クライマックスのいちばんいいところで「来週に続く」みたいに終わることを「cliffhanger」というらしくて。


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それを聞いて安心しました。さて、Grimm Grimmの最新作『Cliffhanger』ですが、こちらはどのようにして生み出されたのですか?

ヤマノハ:アルバムは、この2、3年いろんなことがあったのとリンクしている部分はある気がします。親しかった友人が亡くなったり、生死をいままで以上に身近に感じました。それについて書いた曲がタイトル曲なのですが、そこからアルバムの構想が膨らんでいきました。それと今回は「いままでで以上に正直に作ろう」と思いました。前作よりも、 自分のいちばん弱い部分が剥き出しになって、結果的に張り詰めた雰囲気が出たというか。音数もだいぶ少なくなっているんですけど、「引き算」で音楽を作っていくのが楽しかったですね。

アルバム・タイトルはどこから来ていますか?

ヤマノハ:さっきの話じゃないですが、自分を含め周りにいる人たちの人生は、崖にぶら下がっているみたいだなって思ったところからですね(笑)。まあ、半分ジョークですが。あと、海外では映画のシリーズものとかで、崖からぶら下がっているような、クライマックスのいちばんいいところで「来週に続く」みたいに終わることを「cliffhanger」というらしくて。60年代に生まれた言葉で、それとかかっているのも面白いなと思いました。

ヤマノハさんは崖からぶら下がっているような人生ですか?(笑)

ヤマノハ:(笑)。きっと多かれ少なかれ、みんなそう感じるときはあるんじゃないかなと思います。もがいたり足掻いたりしながら誰もが生きていると思うし。「苦難があってこその人生」という風に、ポジティヴに受け止めて生きた方がいいんじゃないですかね。例えば、人生において不安はつきものだと思うんですけど、僕は「不安」はいいことだと思っていて。それを乗り越える力があれば、それこそ幸せだなと思うんです。

心強い言葉です。ちなみにタイトル曲は、ディー・サダという女性ヴォーカルをフィーチャーしています。

ヤマノハ:その曲は、いろいろとアレンジを試しながら何度かレコーディングしてみたんですが、なんか上手くいかなくて。ディーにヴォーカルをお願いして、歌とアコギだけのアレンジにしたらいい感じになったんです。彼女はブルー・オン・ブルーという、ロンドンのエクスペリメンタル・バンドに所属するネパール系女性ミュージシャンです。友人でもあるのですが、彼女の声が僕はすごく好きなんですよね。

ほんと、ジュディ・シルの未発表曲みたいな美しさがありますよね。

ヤマノハ:嬉しいです。このメロディが、頭のなかでずっと繰り返し流れていて、それを携帯のボイスメモに録っておいて後から歌詞を付けました。難しかったのは、普通にアレンジしたらポップになり過ぎてしまう曲だったこと。自分のなかにも、そういう邪念というか(笑)、「サビでもっと盛り上げて……」みたいなポップスの定石を、ついつい踏襲したくなる。悪魔のささやきですね。でも、何度か試しているうちに「あ、これ全部要らないや」と気づき、それでナイロン・ギターと歌だけにしたんです。

来日したとき、ライヴでも披露していた“Final World War”は、スクリーミング・ティー・パーティー時代にリリースした曲なんですよね?

ヤマノハ:この曲は、演奏しているうちに自分のなかで意味が変わってきたというか。最初に作ったときは「世界が滅亡して、それでもまだ流れている音楽」というイメージだったんですね。あるいは「事故で大破した車のカーステから流れている音楽」というか。ほんと、タイトル通り「世界最終戦争」という感じだったんですけど、いまは演奏していると、「最後の戦争が終わって、平和な世界が訪れるように生きる」というポジティヴな光景が目に浮かんでくるようになった。なので今回は、その解釈でレコーディングしたいなと思ったんです。

廃墟というとネガティヴな印象を持つ人もいると思うんですけど、僕のなかではポジティヴなイメージ。朽ちたままそこに存在している姿に、恋してしまったようなドキドキする感情を掻き立てられるんですよね。

そういう、ヤマノハさんの気持ちの変化はなぜ訪れたんでしょう。

ヤマノハ:特に何か、大きなキッカケがあったわけじゃないんですけどね。生きていく上で、ポジティヴに考えなければどうしようもないときってあるじゃないですか。新聞でやりきれない悲しいニュースとか読んだりしていて、そう感じることが多くなってきたのかもしれないですね。ただ、いまだにあの曲をやり続けている意味は、自分でもよく分からないんですよね(笑)。まあ、気に入ってる曲なんだと思います。演奏していて、気持ちがニュートラルになるというか。

もう1曲、スクリーミング・ティー・パーティー時代の“Shayou”も収録されています。これって、太宰治の『斜陽』と関係あります?

ヤマノハ:よく言われるんですけど、恥ずかしながらその本のこと知らなかったんですよ(笑)。最近まで読んだことがなかったんですけど、日本人の友人が帰国するときに本をたくさんくれて、そのなかに『斜陽』もあって読みました。ただこの曲は、ブダペストの工業地帯にある廃墟へ行ったとき、朽ちた建物の隙間から太陽光線がバーっと降っていて、その光景を見たときに思いついたものです。

お話を聞いていると、ヤマノハさんにとって「廃墟」はインスピレーションの源ようですよね?

ヤマノハ:そうかもしれない。廃墟というとネガティヴな印象を持つ人もいると思うんですけど、僕のなかではポジティヴなイメージ。朽ちたままそこに存在している姿に、恋してしまったようなドキドキする感情を掻き立てられるんですよね。ロンドン東部にカナリー・ワーフという、ウォーターフロント再開発地域があるんですけど、妙な未来感があってそこを歩いていていてもなぜか同じ気分になります。巨大建築物ってなんか切なくて。

ひとつとして同じ形のものはないですしね。人工的な建築物が、朽ちて自然と同化していく感じも好きです。

ヤマノハ:そう。他の惑星の生物のことを思ったりしますね。もっとわかりやすく言えば、廃墟は『天空の城ラピュタ』みたいな感じかな。

“Shayou”のシンセは、Bo NingenのKohhei Matsudaさんが弾いているんですよね。

ヤマノハ:はい。隣の部屋に住む彼に来てもらって(笑)、同じシンセを2台並べて一緒に弾きました。試し録りをそのまま使っています。イメージとしては、「小学校の屋上」みたいな感じ……(笑)? なんか小学校の屋上って、なんとも言えない無機質で巨大な非日常感があったと思うんです。あまり頻繁には行かないし。晴れた空が広がる、永遠に終わらない真っ青な空間というか。言葉にならない異世界感というか。

“Hybrid Moments”は、アメリカのホラー・パンク・バンド、ミスフィッツのアコースティック・カヴァーです。Grimm Grimmでは、カヴァーって他にもやりますか?

ヤマノハ:たまに。森田童子の歌や“ムーン・リヴァー”をやってます。そういえば森田さん、亡くなっちゃいましたね。日本に住んでいるときによく聴いている時期があって、童子好きが集まるイベントに出たことがあるんです。「森田童子の曲を演奏する」という内容だったのだけど、そのときに、ものすごく彼女に似ている声の人がいたんです。異様に張り詰めた雰囲気がある人で「あれは一体誰だったんだろう」って言い合っていたんですけど、どうやら本人だったらしく。

ええ?

ヤマノハ:そうなんです。名前も変えて。で、みんなが気がついたときには、すでにいなくなってた。後日手紙が送られてきて、「いま、童子は横にいます」と書いてあった。超現実的で、白昼夢のような体験でした。

不思議な体験ですね……。でも確かに、Grimm Grimmと森田童子のメロディには、どことなく通じるものがある気がします。前作『Hazy Eyes Maybe』に収録されていた“Kazega Fuitara Sayonara”とか。

ヤマノハ:あ、本当ですか。童子の歌って、飲み屋とかバーで流れたら、それまで賑やかだった場がしんと静まりかえってしまうような、空気を一変させる力がありますよね。そこが僕はとても好きです。歌詞の世界も、根本的というか。恋愛だけじゃない精神世界的な何かがあって。

ところでヤマノハさんは、歌詞でどんなことを書きたいですか?

ヤマノハ:10代の頃って英詞の内容がわからないまま音楽聴いていて。いま思うと、英詩とかを日本語にするっていう翻訳の作業は、本当のところ繊細すぎてほとんど不可能みたいなことだと思うんです。その若干間違った歌詞翻訳を読んだりして、辻褄の合わない雰囲気、距離感に影響を受けました。僕は、歌詞の内容より音の響きや音質の方にプライオリティがあって。歌詞は散文詩じゃないですけど、1行ずつ考えていくので繋げたときに意味がなくなることも多いんですね。それでも、メロディと一緒に聴いたときに何かイメージが想起されればそれでいい。そういう歌詞の方が、聴き手のイメージが限定されず、いろいろと湧いてきたりすると思うんですよね。

ウィリアム・S・バロウズのカットアップという技法に似ている部分があります。“Orange Coloured Everywhere”の、ナレーションみたいな声は?

ヤマノハ:タイトル曲でゲスト参加してくれたディーや、友人たちに喋ってもらいました。もともとこれは、デイジー・ディッキンソンという映像作家の『Blue But Pale Blue』という短編映画の作品のために作った曲なんです。

シャルロットが参加している“Si”は、日本語の「死」という意味?

ヤマノハ:いえ、フランス語で「if」という意味です。シャルロットと会って、一緒に作った曲なんですが、僕がメロディを考え、彼女が歌詞を付けてくれました。

今後はどんな活動展開を考えていますか?

ヤマノハ:7月にジュネーヴにあるCERN(セルン)という欧州合同原子核研究機関でライヴをする予定があります。スティーヴン・W・ホーキング博士が「ビッグバン・セオリー」を研究していた巨大なドームで、普段滅多に演奏できるところではないのですごく楽しみです。メンバーと一緒にドラムマシンやシンセを使って取り組んでいて。そこからインスピレーションを受けながらアルバムの準備をしています、いまはドラムマシンで曲を作っていますね。

へえ、じゃあまた違った雰囲気の作品になるかもしれないですね。

ヤマノハ:最終的には、今作よりももっと削ぎ落としたものになるかもしれないですけど。逆にチェロやホーンを入れたり、いろんなことができたらいいなと思案中です。いずれにせよベーシックな作曲の部分は変わらないと思いますね。

interview with Laetitia Sadier (Stereolab) - ele-king


Laetitia Sadier Source Ensemble
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 Initially emerging as a curiously conceptial bubblegum pop tangent from the shoegaze scene, Stereolab throughout their career embodied a series of tensions – between accessible and experimental, complex and grindingly simple, personal and political. Their music was never purely bubblegum: it had to be John Cage Bubblegum, it was never purely avant-garde: it had to be Avant-Garde AOR.
Stereolab’s roots lie in guitarist/main songwriter Tim Gane and lead vocalist/lyricist Laetitia Sadier’s time with jangly indiepop band McCarthy, with whom Stereolab shared similary explicit leftwing politics.
However, where McCarthy’s lyrics were typically sarcastic dissections of the absurdities of contemporary political life, Stereolab’s politics tended to be more reflective and even romantic, revelling in their own uncertainty, feeling out the relationship between self and society with less confidence and more innocent curiosity.
Their early records were infused with a gushing enthusiasm for the motorik rhythms of Neu!, which they then filled out with organ drones, and it’s probably fair to say that, along with Julian Cope, Stereolab were in large part responsible for the UK music scene’s rediscovery of Krautrock in the 1990s. However, from around 1994’s Mars Audiac Quintet, and more explicitly on 1996’s Emperor Tomato Ketchup, the band’s sonic palette broadened considerably, incorporating influences from ‘60s film soundtracks, French pop, jazz and a more sophisticated use of electronic elements.
Through all these mutations, the group’s unique and instantly recognisable sonic identity was Laetitia Sadier’s vocals, which simultaneously embodied a cool detachment and an unaffected romanticism. Sadier’s vocal foil for much of the ’90s was keyboard player Mary Hansen, and the interplay between the two singers helped to define the group up until Hanson's death in a road accident in 2002. Their combination of deadpan delivery and breezy “ba-ba-ba”s reflected a broader dynamic within the band’s music between pop’s desire to give you everything all at once and an avant-garde wariness of making things too easy.
From the start, Stereolab infuriated the UK music press with cryptic song titles and obscure puns alongside what seemed like a contrarian insistence that what they were doing was pop. And it was pop in the sense that, at its heart, Stereolab’s music was generally simple and melodic, drawing on familiar chords and rhythms – the song Transona Five was built around the instantly recognisable beat of Canned Heat’s On The Road Again, for example.
It also reflected a punkish rejection of the grownup world and a love of childish thrills. It’s there explicitly in song titles like We’re Not Adult Orientated, but also in the dadaist delight in nonsense that led to them describing the tracks on Transient Random-Noise Bursts With Announcements with gnomic nuggets of hi-fi wisdom like “subjective white noise” and sci-fi surrealism like “underwater aztec”.
In some ways, Stereolab were like a precociously smart teenager experiencing first love: so keen for you to like them, but always holding something back; complicating every simple expression of their feelings, but also underscoring every attempt to be cool and aloof with something disarmingly honest.
In the end though, perhaps the band themselves were always their own best reviewers, so it may be best to leave the last words to them:
“Constantly evolving, curious / Sombre, obscure, dark and luminous / Vitriolic, stringent, prophetic.”

Yeah, and I think that’s the beauty of pop: that it is this simple, conservative structure that lends itself perfectly to being disturbed and disrupted.

IAN:
Since this issue of the magazine is focused on avant-pop, I’m interested in how you feel about that term. With me, I find that I use it a lot without ever really thinking about what it means. It’s certainly a term that has often been used to describe Stereolab, but was it a term you ever felt comfortable with?

LAETITIA:
Well, as you know, artists don’t like to be pigeonholed in any way, so no term would suit. But if I were to choose one, this would actually be quite legitimate, because there were strong pop references in our music, and it was our structure for a lot of what we were doing. And there was an immense liberty between a verse and a chorus, where Tim might want to try out some ideas, so there would be these “avant” ideas perhaps between parts four and seven of track three on the album. That’s how I understand the “avant” in “avant-pop” – it’s taking liberties and being free to explore inbetween a rather simple structure, without our music being “avant-garde” strictly speaking.

IAN:
It also seems to me that the term “avant-pop” embodies a contradiction. There’s something fundamentally conservative about pop, in that it’s music that wants you to feel comfortable in how you already are, whereas the avant-garde is about taking you out of your comfort zone.

LAETITIA:
Yeah, and I think that’s the beauty of pop: that it is this simple, conservative structure that lends itself perfectly to being disturbed and disrupted. I think The Beach Boys were masters of hiding an incredible amount of complexity and even darkness beneath something that on the surface is so shiny and friendly – when inside it’s just plain weird! So in that regard pop can be very subversive and can be a danger to society! (Laughs)

IAN:
You mention about the the importance of simplicity, and I remember reading something that Tim said about how a lot of the simplicity and minimalism of early Stereolab was dictated to a large degree by your own limitations as musicians.

LAETITIA:
Yeah. Indeed, you have what you have, and you have to work with that. In a sense it’s more liberating to accept the physical limitations. It’s much more hindering to have too many possibilities and have to narrow it down rather than have a much more narrow terrain to work with and think, “How do we exploit this bit of land here and how do we extract the gems?” There was a fair amount of limitations because we were not schooled musicians. But the aim wasn’t to be virtuosos, and I guess that’s also part of the pop thing. You don’t have to be a virtuoso: you just explore your capabilities within the context of being a normal human being, not some supreme creature touched by the hand of God! It was more punk: do the best with what you’ve got.

IAN:
Within punk, there seemed to be a lot of affection – sometimes a little ironic and sometimes more sincere – for the bubblegum extremes of pop music. The Sex Pistols covering The Monkees etc., despite them not seeming ideologically compatible on the face of it.

LAETITIA:
But they were! I don’t know if I can make the class system step in, but I will! It was about the working classes taking power, exercising their self-determination, so that’s very important and very dangerous. You know, The Who and The Kinks were probably seen with an air of suspicion by the authorities because they had an incredible amount of sway with the youth. They were a bit threatening, and of course so were the punks. And the punks made a point of saying, “I didn’t go to school for this, and I’m going to make it as simple and direct as I can to show that anybody can do this!”

That’s what I find so appealing in that sort of pop, is that it was very political. Not political with a big “P” but it was about people taking matters into their own hands through their art. That’s how I educated myself politically: it was through music, not through reading Karl Marx.

IAN:
Yeah. When Stereolab started, one of their most audible influences was Krautrock, which was a music with its own kind of simplicity. But Krautrock also embodied this thing that wasn’t only a class thing but also this attempt to get away from the Anglo-American hegemony over rock music.

LAETITIA:
Yeah, and again there was a big element of self-determination and saying “Fuck you!” to the man. That’s what I find so appealing in that sort of pop, is that it was very political. Not political with a big “P” but it was about people taking matters into their own hands through their art. That’s how I educated myself politically: it was through music, not through reading Karl Marx – because it’s hard to read Karl Marx! And far less immediate than listening to a pop album.

IAN:
Of course, as your career progressed, you all became better musicians and so some of those limitations fell away. How did you keep in touch with that simplicity?

LAETITIA:
The watershed point would be “Emperor Tomato Ketchup”. That’s where it shifted to something more overtly complex. I didn’t write the music, so it’s difficult for me to answer this clearly, but as far as I know, each album stemmed from an idea, and it would imply some kind of restriction. One album was written entirely where none of the notes from the melodies appeared in the chord that was sustaining the melody – which I think is great. It brings about more tension. It wasn’t dissonant, but I think “tension” is the word that springs to mind, and that for me makes it an interesting song. Another example was “Margarine Eclipse”, which was essentially three albums, because we had one on the left speaker, one album on the right speaker, and then you had the sum of the two, which created the third album, so that was another sort of conceptual idea. There were often little tricks like that, which sustained entire albums.

IAN:
You’ve mentioned the idea of “tension”, and your work often has a kind of tension between music that on the face of it seems cheerful, happy, pleasant, and lyrical content that’s quite dark or angry. I’m thinking particularly of “Ping Pong” off “Mars Audiac Quintet”, where the lyrics about the cycles of economic downturn and war seem ever more relevant with the way the world seems to be heading now.

LAETITIA:
Yeah, absolutely. It’s difficult for me to say why I write certain things, but I know what you mean, especially with Stereolab, there was more darkness than originally suspected from a first glance. We were very serious about what we did. It was our way of making sense of our lives and of being autonomous. And of course I’ve always been very very sensitive to the way the world is going, and in fact since I was born it’s just getting worse. I always felt that we could organise ourselves a bit better, and I don’t mean a utopian society where everybody’s cool and the sun shines every morning – I just mean, “Hold on a minute: we can do this a little bit better so that it works out for more of us who are living on this planet.” And yet it seems that, “Oh, my God, we can’t!” The pathology has only gotten worse and deeper, at least on the surface. Because there’s a lot of good things as well that are happening, and people are getting organised in more silent ways – silent in the sense that you might not hear about it. People are going, “You can’t expect anything from governments: we’re going to have to do it ourselves!” and that I view as a good development: people taking matters into their own hands on a local level.

IAN:
Do you think there’s a parallel between what you’re describing there and the music scene? Something about the idea of organising independently of power structures?

LAETITIA:
I don’t know, because in my own experience, in my band, there were a lot of power structures actually. It wasn’t a democracy, in the sense that Tim monopolised the entire musical field and operated as a kind of “soft tyrant”. I mean, I had all the freedom lyrically speaking, but only because he couldn’t do it! (Laughs) So I don’t have an idealised view of being in the band. I’ve never been in a band where everyone wrote together. Even in my own band, I write almost everything. Sometimes on certain songs I give my bassist Xavi (Munoz) the chords and he writes a bass line, and then I have to write a melody on top of that, and it’s like, “Shit! He took all the melodic feel!” but it’s great because you have to dig deeper. So this thing about relinquishing control is probably difficult if you have a very strong artistic expectation, which I think Tim had. But also as a result I think our music was very reined in. It might seem crazy, but I’ve been listening to Stereolab’s old records recently, and they’re very repressed. But it’s really hard to let go and to let things flow, and I think that’s the reserve of some really, really great musicians where the’re totally on top of their instrument and go beyond.

IAN:
Do you think that having your creativity channeled narrowly into your lyrics and vocals influenced the way you make your own music?

LAETITIA:
Yeah, yeah, of course! And also what it forced me to do was start my own band, which was Monade, and I think Tim was very relieved! (Laughs) And, yeah, so that was a creative way around this issue, because I wanted to write my own songs, I had my own ideas, which are actually very similar to Stereolab, so I think I could have co-written much more with Tim. I’ve done seven albums now, and to my dismay I’m like, “This is still very influenced by Stereolab!” It’s really strange how each time I try to let go of that, I’m always face-to-face with that root, which I created. And I listen to what Tim is doing, and it’s still also... there’s no escaping it! It’s absolutely crazy! I don’t know, I could maybe write some reggae stuff to break it, but then it wouldn’t be me!

IAN:
But also one of the most powerful things music can do is that it creates a world. People fall in love with bands because they create worlds that they’re able to immerse themselves in and feel comfortable with. I wonder if the difficulty you describe in escaping Stereolab is a measure of how immersive the world you created was.

LAETITIA:
I don’t know. I find myself quite good at getting out of my comfort zone, at least when I compare myself to people I know. So I don’t know if what I’m looking for is something comfortable that I recognise, that I identify as safe. And particularly in the artistic field, where I feel that’s where you should be most free, and most adventurous. There’s no danger of hurting anyone because, as you say, it’s a world we create.

Yeah, and also coming from psychoanalysts themselves. It was always around “the problem came from your parents,” never from society.

IAN:
That comes back in a way to the “avant” side of avant-pop, right? The need to step out of your comfort zone, and also to take the listener out of their comfort zone.

LAETITIA:
Yeah, this is the duty! But maybe that’s where one can act and maybe not have that pretension of taking anyone out of their comfort zone, and simply do what comes best, and not be too complicated. I worked with Colin Newman recently, and his wife Malka Spigel who was in (Belgian postpunk band) Minimal Compact. I didn’t know that they worked with a looper where things had to be four and four and four and four, and so I was sending something which I found quite interesting and fun and not too complicated, and they totally rejected it! What they did was they took parts of the song and then they looped it. And it worked fine, but I realised that, compared to what they were sending me, it just gave me a glimpse of how complex I make things and how I could simplify it a lot. I’m not saying it’s good or bad; it’s just an insight.

IAN:
A friend of mine once remarked to me that he thinks Stereolab must be the band whose lyrics contain the word “society” more than any other. And I was thinking how this idea of looking at the structure of the world in many ways goes against the rather individualistic world of pop or rock music.

LAETITIA:
Yeah, there’s a dichotomy between a world of egos and society. And I wanted Stereolab’s lyrical work to bridge the very intimate and personal and society; where does political start and where does it end? Because the way I saw it was let’s be as complete as we can, and for me being complete is talking about things that matter to me. Some people view pop music as a means to escape reality, so if you talk about mindless things, or if you “settle the accounts” with somebody, or express the world of feelings around a relationship. I do explore emotional stuff as well – that wasn’t excluded. It just seemed to me that let’s talk about important stuff, because there’s enough of it going on out there that we can discuss or at least question, because a lot of what I talked about in my lyrics were just questions for myself. Even the capitalist, the individualist, all this is stuff I could feel within myself. It was like, “No, I can be that monster too, and I’d like to interrogate that.”

IAN:
It seems that we’re often being encouraged by society to think very internally and to not really interrogate the relationship between ourselves and the outside world. In the song “The Well-Fed Point of View” by yours and Tim’s old band McCarthy, the lyrics tackle this quite directly.

LAETITIA:
Yeah, and also coming from psychoanalysts themselves. It was always around “the problem came from your parents,” never from society. And in fact, I got very interested in a guy called Cornelius Castoriadis. He wasn’t just a psychoanalyst, he was many things, but he was married to a very famous psychoanalyst (Piera Aulagnier) in the ‘60s, ‘70s, ‘80s in Paris, and they both were some of the first in the field to interrogate the impact of society on the human psyche. But it’s amazing to see that they were rare ones. Like, as if society did not impact your psyche, your unconscious, which I find extremely dubious! Of course it’s going to have an impact: everything has an impact on us: the architecture, the way the streets are laid out. It’s like if doctors are saying whatever you eat doesn’t impact your health: how can you say that?

IAN:
You mention architecture, but that’s true of music as well, right? The aesthetics, or the “internal architecture” of music also has an impact that goes beyond the lyrics.

LAETITIA:
Yeah, I think so. And the production of the song will say a lot. It’s a language.

IAN:
There seems to be an ease pop culture in Japan has in disconnecting the aesthetics from the content. But at the same time, maybe that’s impossible because the aesthetics have an impact of their own that is connected to the content.

LAETITIA:
Yeah, and I think there was enough happening aesthetically in our work that people would suspect that it had a revolutionary intent: that this wasn’t your regular pop group. And I think in Japan people were very savvy as well when it came to music. People knew their stuff! Not to mention that we called one of our albums “Emperor Tomato Ketchup”, which was named after a super-revolutionary Japanese movie.

IAN:
By Shuji Terayama, yeah.

LAETITIA:
I haven’t seen it! I haven’t read Marx and I haven’t seen “Emperor Tomato Ketchup”! (Laughs) Don’t tell them!

IAN:
It’s too late. It’s on tape! With the many collaborations you’ve been involved in, do you think that enriches your music?

LAETITIA:
Definitely. Like I said, it gets you out of your comfort zone, and it forces you to a sort of activity to be productive, because anything could make you go out of productivity: feeling a bit depressed or this or that or the other. It’s good to be kept in action. And stuff comes out that wouldn’t normally come out, so it’s very instrumental in keeping the creativity bubbling and active.

IAN:
Are there any particular projects that you’ve worked on with other people that stand out as being especially rewarding experiences for you?

LAETITIA:
When I worked with Jan and Andi (Mouse on Mars). It was so brilliant. We had a tour of Greece and Italy booked up and we had to come up with an hour’s worth of music, and it was the first time I was working like this outside of Stereolab. It was really difficult for me because I wasn’t confident that I could do this. I then learned that if I’m asked to do it, that means that I can do it! So that became my sort of motto. And yeah, somehow we did it and we had such a fun tour – it was such an adventure! But working with people, each time it’s a different adventure. I’m currently working with a Brazilian band called Mombojó, and we created a group together called Modern Cosmology – we made a video called “C’est le Vent”, “It’s the Wind”, which gives an idea of our collaboration. I can only see the positives of working with other people and “crossbreeding” (laughs) your creativity.

IAN:
So you made three albums with Monade, then three just under your own name, and then more recently one as Laetitia Sadier Source Ensemble. It seems like there’s a period there where your identity is subsumed within this idea of a band, then three albums where you push your own individual identity to the foreground, and then finally this third stage where you’re trying to reconcile the collective and the individual. Would you say there’s something like that going on in the process?

LAETITIA:
Yeah, thank you for summing it up so beautifully! Yeah, it’s true that there’s time where you’re in the playground and you’re working out who the hell you are like, “This is me.” And then there are some times where you open it up and it’s like, “This is me in the world, this is me and my friends, and this is collective me.” And even when I was in my “this is me” period, Laetitia Sadier, I was still well aware that nothing that I do is just the product of solely me: it’s the product of many people’s involvement. And it seemed to me that it was an important point to make when I “Source Ensembled” Laetitia Sadier, because we’re told that “This is just you, and you and you and you alone!” and that’s wrong: that’s a lie. We are all connected here.

IAN:
Jumping back to Stereolab, I think it’s interesting that the band is in many ways a product of the 1990s and the age of CDs. For example, most Stereolab albums are far too long to fit onto a single piece of vinyl. But at the same time, they’re also albums that seem designed to be appreciated on vinyl.

LAETITIA:
Yeah, like any music that respects itself! (Laughs) It’s true. I have a turntable in my kitchen and a CD player, and I’m not attached to the object at all, and I would prefer to listen to CDs because you don’t need to worry about turning it over. But now I realise there’s something different about vinyl. I don’t know what it is, but it’s just more music-friendly.

IAN:
I think the way it forces you to constantly attend to it by turning it over every fifteen minutes encourages a different, more attentive sort of listening.

LAETITIA:
Yeah, it’s funny how this kind of alienation in fact gives you more connection with the record.

IAN:
Perhaps it goes back to the idea of tension again. In this case, rather than tension within the music, it’s tension between the listener and the medium itself that engages the listener. The other extreme would be Spotify or something, where you just put on a playlist while you’re cooking.

LAETITIA:
Yeah, you just consume it. I don’t have Spotify, but my son’s got it and it’s amazing though. Just say a band and there you have it. I think I’m going to have to get it, especially because I’m going to be on Spotify as of this month (April 2018). The Drag City catalogue is on all the streaming platforms, which it wasn’t before – Drag City have given in! It’s tricky but times are changing and people just have new ways of listening to music. There’s a lot of people out there – have you seen all this youth out there! (Laughs)

IAN:
OK, I guess before we finish, I should just ask if there’s anything more you’ve got coming up that you’d like to tell us about.

LAETITIA:
Well, really the main thing at the moment is my project with those Brazilian boys, Modern Cosmology. Apart from that, I’ll make it to Japan again maybe not this year but next year, one way or another.

Our Favorite LGBTQ+ Songs - ele-king

 セイント・ヴィンセントの新しいミュージック・ヴィデオが最高である。昨年のアルバム収録曲“Slow Disco”のディスコ・ヴァージョン、その名も“Fast Slow Disco”に合わせて用意されたもので、ベア/レザー系のゲイ・クラブが舞台になっているのだが、裸の胸と尻をさらけ出したゲイたちの群れのなか、汗まみれのアニー・クラークが歌うというものだ(彼女はバイセクシュアルをカミングアウトしている)。派手なバッキング・ヴォーカルを入れたベタベタなゲイ・ディスコ・サウンドもかえって効果的だ。そこでわたしたちはHIV/エイズ以降の現在にあってなお、70年代のフリー・セックスの祝祭を再訪する。ディスコ・シーンが生み出した性の解放を、そこではダンス・ミュージックが大音量で鳴らされていたことを……。

 こうしたヴィデオが発表されるのは、世界的に6月は「プライド月間」であるからだ。49年前の1969年、6月28日に起きた〈ストーンウォールの反乱〉から半世紀が経とうとしているが、今年の6月も世界各地でLGBTQ+の権利やジェンダーの平等を掲げるプライド・パレードが開催された。はためくたくさんのレインボー・フラッグ。今年のNYプライドの写真をいくつか見ていると、かつての女子テニス界の女王であり現在のLGBTQ+運動のシンボルのひとりであるビリー・ジーン・キングが、現在の銃規制運動のアイコンでありバイセクシュアルをカミングアウトしている坊主頭の高校生エマ・ゴンザレスと並んで笑顔を見せているものに引きこまれた。歴史の積み重ねにより、世代を超えた共闘が清々しく実現されているからだ。
 そして音楽を愛するわたしたちは、その歴史のなかでたくさんの歌たちがあったことを知っている。70年代のディスコ、80年代のハウスやシンセ・ポップ、90年代のライオット・ガール、そして21世紀のじつに多種多様な音楽が、セクシュアル・マイノリティの自由を鳴らし、切り拓いてきた。音楽だからこそ感じられるジェンダーとセクシュアリティの多様性がそこにはある。もしあなたが「プライド」の意味を知りたければ、トム・ロビンソン・バンドの“Glad to Be Gay”を聴くといいだろう。アイデンティティ・ポリティクスにおけるもっとも重要な命題が、そこでは端的に提示されているからだ。
 あるいはまた、音楽は音楽であるがゆえに、「プライド」だけでは掬い取れないセクシュアル・マイノリティの感情や実存にも入りこんでいく。「イエスはホモ野郎が嫌いなんだよ」と父親に切々と説かれる様を描いたジョン・グラントの“Jesus Hate Faggots”、マフィアに性奴隷のような扱いを受けて非業の死を遂げたゲイ・ポルノ俳優の内面に入りこむディアハンターの“Helicopter”の凄み。アノーニの声はそれ自体の響きでもってジェンダー規範をゆうに超越してしまうし、自らを「ミュータント」と呼んだアルカは歌詞に頼らず電子音でクィアの官能を鳴らしてみせた。

 この企画を思いついたのは、まずは単純にプライド・マンスに便乗しようと思ったからなのだけれど、もうひとつ、ピッチフォークが先日発表した「過去50年のLGBTQ+プライドを定義する50曲」のリストがなかなかに興味深かったというのもある。こうしたリストを作るとき、たとえば自分ならついつい当事者性にこだわってしまうのだが、ピッチフォークのリストはミュージシャンの当事者/非当事者の線引きに関係なく……いや、SOGI(Sexual Orientation and Gender Identity の略。性的指向と性自認を示す)の区分に関係なくアイコニックな50曲を選出している。作り手がヘテロであってもゲイであっても、トランスであってもシスであっても、ゲイ/トランス/クィア・ソングは歌えるし、それに合わせて踊れると、こういうわけである。
 いまや大人気バンドであるザ・エックスエックスはシンガーふたりがゲイで、同性愛に限らないジェンダーレスなラヴ・ソングを歌っているが、こうした態度は非常に現代的だと感じる。最近ではジェンダーが流動的であるという「ジェンダー・フルイド(gender fluid)」や対象のジェンダーに関係なく性的願望を抱く「パンセクシュアル(全性愛)」なども認知され始めており、当事者/非当事者の線引きがますます難しくなっている。それはおそらく良い兆候で、更新されていく価値観に合わせて、音楽やそれにまつわる言説も柔軟に変化しているということなのだろう。

 そんなわけで、今回はSOGIの区分にこだわらず、ライター陣に自由な発想で私的に偏愛するゲイ/トランス/クィア・ソングを選んでもらった。正史にこだわったものではないが、そのぶん、じつに多彩なサウンド、多様な性のあり方が集ったと思う。楽しんでいただけたら幸いだ。
 「わたしの・俺の魂の一曲がないじゃないか」という方は、ぜひわたしたちにもあなたのお気に入りを教えてください。Happy Pride! (木津毅)

※性的少数者の総称として、この記事ではLGBTQ+というタームを使っています。僕はフラットな意味で「セクシュアル・マイノリティ」と書くことが多いのですが、とくに欧米だと「マイノリティ」というと人種のことを先に連想しやすいということもあるそうで、現在ではLGBTQ+が適切な表現として採用されることが多いようです。


My Favorite (21st century ver.) 
選:木津 毅

Kylie Minogue - Come into My World (2001)
Pet Shop Boys - The Night I Fell in Love (2002)
The Soft Pink Truth - Gender Studies (2003)
Rufus Wainwright - Gay Messiah (2004)
Antony and the Johnsons - For Today I Am a Boy (2005)
Matmos - Semen Song for James Bidgood (2006)
John Maus - Rights for Gays (2007)
Hercules and Love Affair - Blind (2008)
The XX - VCR (2009)
Deerhunter – Helicopter  (2010)
St. Vincent - Cruel (2011)
Frank Ocean - Forrest Gump (2012)
John Grant - Glacier feat. Sinéad O'Connor (2013)
Perfume Genius - Queen (2014)
Arca - Faggot (2015)
坂本慎太郎 - ディスコって (2016)
Syd - Bad Dream/No Looking Back (2017)
Serpentwithfeet - Bless Ur Heart (2018)

野田努

Tom Robinson Band - Glad To Be Gay (1978) 

「この歌を世界保健機構に捧げる。国際疾病分類における302.0の病気に関する、これは医学の歌だ」、そうトム・ロビンソンは話してからこの曲をはじめる。この当時、ホモセクシャルは性的/精神的な病気に分類されていたのだ。この曲の歌い出しはこうだ。「イギリスの警察は世界で最高だね。信じられない話だけど、奴らはずけずけとオレらのパブに入って、いっぽうてきに客を壁に一列に並ばせるんだ……君がゲイに生まれて嬉しいなら、一緒に歌ってくれ/君がゲイに生まれて嬉しいなら、一緒に歌ってくれ」

ジャジーなパブロック調の魅力的な曲だ。この曲を聴いたのは高校生になったばかり頃だった。そして、曲の真の意味を知るのはもっとずっと後になってからのことだったが、パンクに触発されたこの勇気あるメッセージを真に受けた連中がいたからこそ、それもひとつの力となって、いまこうして世界は変わったんだと思う。

小川充

Lou Reed - Coney Island Baby  (1975)

“Walk On The Wild Side”はじめ、同性愛、トランスジェンダー、セックス、ドラッグ、生と死といった題材が多いルー・リードとヴェルヴェット・アンダーグラウンドの作品。それらの多くは荒々しくギラギラした演奏だったり、またはクールでソリッドなロック・ナンバーだったりするのだが、そうしたなかにあって1975年という彼の転換期にあったアルバム『コニー・アイランド・ベイビー』のタイトル曲は、内省的でアコースティックなイメージのバラード調の作品。少年時代に自身がゲイであることに気づき、そのために父親から虐待されていたというルー・リード。そんな彼の救いはフットボールで、高校時代に教えてもらったコーチを慕い、「彼のためにフットボールがしたかった」と歌う。「都会はサーカスや下水道みたいで、いろいろな嗜好をもった人が集まる」とも。それまでのルーにあったワイルドでキャンプなイメージとは違い、肩の力が抜けて枯れたムードに始まり、エンディングへ向けて次第に熱くなっていく展開で、極めてナチュラルに自身の心情やニューヨークで生きることについて歌っている。私が音楽を通じてLGBTQについて知るようになったのは、デヴィッド・ボウイやルー・リードの作品を聴いてからだが、そうしたなかでルーのこの曲はもっとも好きな曲のひとつ。性別やLGBTQであるか否かを超えて、ルーの裸の歌は切々と響いてくる。

行松陽介

忌野清志郎+坂本龍一 - い・け・な・いルージュマジック (1982)

まだジェンダーという言葉も知らない子供の頃にこの曲のPVを見て、少なからず衝撃を受けました。ACT UPの活動や様々なジェンダーに関する問題などについて知ることになるのは、それから随分と後になってからでした。

沢井陽子

St. Vincent - New York (2017)

この曲は、聴けば聴くほどいろんなシナリオが浮かんでくる。「“New York isn't New York without you love,” ニューヨークは、あなたなしではニューヨークでない」の歌詞は、カーラ・デルヴィーニュやクリステン・スチュワートなどの、彼女の恋人との別れを歌っていると言われたが、ヒーローをなくし友だちをなくし、たくさんの人が去ったけど、自分はまたここで全部をひとりでやり直す、という彼女のハートブレイク感と、ニューヨークへの強い愛が描かれている。自分の知らない誰かのために涙を流し、数ブロックの中で起こるドラマは、ニューヨーク的で、LGBTQだけでなく、ニューヨーカー、誰に置き換えても当てはまる普遍性を持っている。そんな弱さを見せる彼女も素敵。

鈴木孝弥 (ライター・翻訳家)

Freddie McGregor feat. Marcia Griffiths - United We Stand (2005)

レゲエ愛好家だからアンチ同性愛者だと思われるのははなはだ迷惑だし、あなたがそう結びつけるとしたら、そのあまりに短絡的な見方を猛省してほしい。たしかに過去何名かの急進派レゲエ・アーティストが過激な反同性愛ソングを発表し世界規模のスキャンダルとなった。とりわけ欧米では人権活動家がそんな曲を看過しないから、当該歌手の来訪コンサートは中止に追い込まれ、当局が興行ヴィザを発給しないという判断にまで至った。そうした“アンチ・ゲイ・チューン”の根拠に“男色法”や“聖書の記述”(本当に全知全能の神があんなことをたびたびのたまったのだとしたら、だが)があるとしても、それらは人が自由に生きる権利に先立つものではない、という判断を断固支持する。この曲をデュエット・カヴァーしている2人の思いもきっとそうだろう。イソップ起源とされる団結のためのモットーの古典〈United we stand, divided we fall(団結すればひるまず、分裂すれば倒れる)〉をモティーフとし、どんな困難があろうと、愛し合う私たちが一緒なら大丈夫と歌う、英ブラザーフッド・オブ・マン70年の大ヒット曲だ。これまでとくに性的マイノリティの人権運動において熱烈に愛唱されてきたこの曲を、レゲエ界を代表するこのヴェテラン歌手2人が組んで2度も録音していることはもっと知られるべきだ。

Lisa Stansfield - So Be It (2014)

このミュージック・ヴィデオは、自然をあるがまま見せる。何故、こんな風にわざわざ映像で自然を確認する価値があるかというと、それが美しいからであり、そして我々が往々にしてその美しさを見失いがちだからだ。

Lisa Stansfield - Never Ever (2018)

彼女がLGBTQ界隈からも大きな支持を得てきたことは、この最新曲を聴いても合点が行く。普遍の愛を描くシンプルな言葉。琴線に触れ、活力となり、背中を押してくれる。世の雑音にあたふたする自分を後ろに捨て去れる気がする。

柴崎祐二

Bola de Nieve - Adios felicidad(1963)

革命期におけるキューバ音楽の変遷は、ジャズなどをはじめとした米国ポピュラー音楽の流入・融合の流れと、それを排除しようとする共産勢力との拮抗の歴史だった。数年前日本でにわかに再発見された「フィーリン」も、当初革命政府から「帝国主義的音楽」と目されていたのをご存知だろうか。発端となった曲が「アディオス・フェリシダ(幸せよ、さようなら)」で、同曲が当局から批判されたことで、カストロをも巻き込んだ論争に発展していったのだった。ナット・キング・コールなどの米ジャズ・ボーカル音楽に影響を受けた甘く気怠い洗練が、退廃的かつ反動的な音楽だと指弾されたという。

この曲、日本ではブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブでもおなじみのオマーラ・ポルトゥオンド版が知られているかもしれないが、当時上記のような論争を引き起こすきかっけとなったのは男性シンガー、ボラ・デ・ニエベによる版だったという。ピアノ弾き語りのスタイルで数々の名唱を残した彼こそは、革命体制下のキューバ音楽史上では極めて珍しいゲイ・アーティストであった(そのころアカデミック〜文化界において同性愛は厳しい弾圧の対象にされたが、彼はそれを奇しくも免れた)。

削ぎ落とされた歌詞と、過ぎ去りし日々に哀切を捧げるような歌い口、歌詞、全てが美しい。深読みが過ぎるかもしれないが、上記のような経緯を知った上で聴くと、どうしても表現や性の自由を暗喩的にかつ静かに称揚する音楽であると思えてならない。

ちなみに同曲の作者のエラ・オファリルは、一連の論争ののちに今度は「同性愛者の嫌疑」で勾留され、拷問まがいの取り調べを受けることになり、ついには国外へと逃れているのだった。

岩沢蘭

Tin Man - Constant Confusion (Tama Sumo mix version) (2009)

2009年に〈KOMPAKT〉から出たタマ・スモ『Panorama Bar 02』のミックスの一曲目。パラノマ・バーに飾られているというヴォルフガング・ティルマンスの写真をいつか見に行きたい。

Bronwen Lewis - Bread and Roses (2014)

映画『Pride』(邦題『パレードへようこそ』)の挿入歌。ジェームズ・オッペンハイムの詩をもとに作られた100年以上前のこの歌は、ユニオンソングとして有名な曲だ。クィア・ソングとしての趣旨は外れてしまうかもしれない。ただ映画のなかで歌われていたこの曲がよかったことと、次回日本のパレードでこの歌を聴きたいと思い選曲しました。
以下映画の字幕から引用です。

ささやかな技と愛と美を
不屈の精神は知っている
私たちはパンのために闘う
そしてバラのためにも

小林拓音

がつんと正面から「LGBTQ+」というテーマに向き合っているものというよりも、まずはサウンドありきで、ふだん好きでよく聴いていたり動向を追っかけたりしているミュージシャンの作品のなかから、どうにも気になってしかたのないものやその文脈とリンクしていそうなものをいくつか。

Oneohtrix Point Never - Returnal (Antony's Vocal Version)  (2010)
https://soundcloud.com/oneohtrix-point-never/returnal-antonys-vocal-version

当初歌詞の内容はまったく気にせず聴いていたけれど、紙エレ最新号で坂本麻里子さんが訳しているのを読んだらなぜか頭から離れなくなった。「君が去ったことはなかった/君はずっとここにいたんだ」。

Kingdom - Stalker Ha (2011)
https://www.youtube.com/watch?v=XpXjaCIFFg4

最近ではシドとのコラボが話題の〈フェイド・トゥ・マインド〉のボスによる、比較的初期の曲。MAWをサンプリング。

Mykki Blanco - Join My Militia (2012)
https://www.youtube.com/watch?v=WC-QH74zha8

「あんたの場所がどこにあるのか忘れるな」。ラップもトラックもとにかく強烈。プロデューサーはアルカ。

Grizzly Bear / Gun-Shy (Lindstrøm Remix)  (2013)
https://soundcloud.com/grizzlybearband/grizzly-bear-gun-shy-lindstrom

アゲアゲである。原曲の情緒はいったいどこへやら。毎年クリスマス・イヴにイルミネイションを眺めながら聴いている。

Owen Pallett - Infernal Fantasy (2014)
https://www.youtube.com/watch?v=4VMpu-03zuM

「べつの時代を待つ」「べつの人生を待つ」というイーノの声が耳に残り続ける。「地獄のファンタジー」とはいったい。

Le1f – Koi (2015)
https://www.youtube.com/watch?v=aUBzGKpHGAY

恋かと思ったら鯉だった。興味深いことにプロデューサーのソフィーは同年、安室奈美恵と初音ミクのデュエットも手がけている。

Yves Tumor - Serpent I (2016)
https://yves-tumor.bandcamp.com/track/serpent-i

ひとつのアイデンティティに固定されたくないからだろうか、さまざまなエイリアスを用いていろんなスタイルを試みる彼のなかでも、とりわけわけのわからないトラック。

Fatima Al Qadiri – Shaneera (2017)
https://fatimaalqadiri.bandcamp.com/track/shaneera-feat-bobo-secret-and-lama3an

「シャニーラ」とは「邪悪な、ひどい」といった意味のアラビア語の、誤った英語読みだそう。彼女の出身地であるクウェイトではクィアのスラングとして用いられているのだとか。リリックは出会い系アプリ Grindr のチャットから。

三田格

Gizzle - Oh Na Na (2017)

去年、ヒップホップで一番好きだった曲。何度か聴いているうちにクィア・ラップだということに気がついた。LGTBQだから好きというわけではなく、好きになった曲がLGTBQだったというだけ。そんな曲はたくさんあります。

大久保潤

Limp Wrist - I Love Hardcore Boys, I Love Boys Hardcore (2001)

Limp Wristはフィラデルフィアのクィア・ハードコア・バンドである。90年代に活躍したシカゴのラティーノ・ハードコア・バンド、Los Crudosのヴォーカリストであるマーティンを中心に結成された。
なんだかんだでヘテロの白人男性中心のUSハードコア界にあって、Crudosはシーンにおけるヒスパニック系を中心としたマイノリティの置かれた状況などについて、ほぼ全曲スペイン語で歌ってきた。
そんなマーティンの次なるプロジェクトとしてスタートしたLimp Wristは音楽的にはCrudosの延長上にある1分前後のファストでシンプルなパンク・ロックだが、歌詞は基本的にゲイ・コミュニティに言及したもの。
2015年、アメリカ最高裁で同性婚を認める判決を出たタイミングでLos Crudosが来日、場内が「マーティンおめでとう!」というムードがいっぱいだったのが忘れられないのでこの曲を選んでみました。

田亀源五郎  (ゲイ・エロティック・アーティスト)

Man 2 Man - Male Stripper (1986)

レザーパンツを履いた青年のヌードという、ゲイゲイしいジャケットに惹かれて12インチシングルを手にとったら、裏ジャケに載ってたアーティスト写真もハードゲイ(和製英語だけど)風だったので即購入。目に付いたゲイっぽいものは、とりあえず買っておくという年頃だった。当時の自分の好みからすると明るすぎ&軽すぎではあったのだが、音の好み云々よりも、映画『クルージング』に出てきたようなレザーマンが集まるゲイディスコ(行ったことがない憧れの地だった)では、こういう曲がかかっているのだろうかと想像してドキドキしていた。そして後に20年くらい経ってから、この曲のプロデューサーが、次のMan Parrishだったと知ってビックリ。

Man Parrish - Heatstroke (1983)

80年代に海賊版VHSで観た、自分が大好きだったゲイポルノ映画に、Joe Gage監督の『Heatstroke』(1982)という作品があった。主演のRichard Lockeが大好きだったというのもあるのだが、ホモエロスを濃厚に描き出すGage監督の映像表現にも大いに惹かれ、ぶっちゃけ自分のマンガにも影響を与えている。そしてこの『Heatstroke』には、ゲイポルノ映画としては珍しくオリジナルの主題歌まであり、しかもそれがなかなかカッコ良かった。その主題歌を手掛けていたのがMan Parrishで、後により凝ったアレンジになってオーバーグラウンドでリリースされた。私が音源をゲットできたのはCD時代になってからだが、ハードコア・ゲイポルノ映画の主題歌がCDで入手できるなんて、この曲くらいのものじゃないだろうか。インターネット時代になってから本人のブログを見つけ、キャリアの初期にアダルトフィルムの音楽を手掛けていたことや、Joe Gage監督と未だにコンタクトがあることなどが明記されていたのも、なんかとても嬉しかった。

Jamie Principle - Sexuality (1992)

ハウスに興味を持ち始めたころに、何かのレビュー(『ミュージック・マガジン』だったかな。当時買っていた音楽雑誌はそれくらいだったし)でアルバム『The Midnite Hour』を知って購入。その中で私が特にこの曲を推したいのは、曲として好きだというのもさることながら、多分これは自分がsexualityという言葉と出会った最初期のケースだったから。少し経ってから、この言葉は日本のメディアでも見られるようになったけれど、当時の日本語表記はもっぱら《セクシャリティ》だった。でも私はこの曲で、「いや《セクシュアリティ》だろう、はっきりそう歌っているし」と思っていたので、自分の文章ではずっとその表記にこだわっていた。昨今ではこの表記の方が優勢になってきた感があり何より。

大久保祐子

Rostam / Half-Light (2017)

イラン移民の親を持つアメリカ人で、ゲイをカミングアウトしている元ヴァンパイア・ウィークエンドのロスタム。
昨年発表したアルバムの表題曲にもなった“Half-Light”という言葉には夜明けと日暮れというふたつの意味があるらしいとの話を知ってから改めてこの曲を聴くと、「Baby, all the lights came up what are you gonna do ?」と繰り返されるフレーズが美しい曲をより輝かせているように感じる。アルバムには「他の男の子たちとは違う男の子」と同性愛について歌っている曲もあるのだけれど、ぼんやりしていて曖昧で影を持った言葉のほうに強く想像を掻き立てられる。
あかりが消えるように終わりかけた最後にウェットのケリー・ズトラウの歌声が現れ、視点が変わるところがまたいい。

interview with OLD DAYS TAILOR - ele-king


OLD DAYS TAILOR
Pヴァイン

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 2008年のデビュー以来、在りし日のシンガー・ソングライターによる良質な音楽を思わせる歌世界を丁寧に紡いできた笹倉慎介。日本語ならではの詩情と温かみのあるサウンドが融合した彼の音楽は、ただ過去を見つめる視点だけにとどまらず、慌ただしさのなかで看過されてしまいがちな、都市とその郊外で日々を重ねるなかでふと見えてくる様々な風景と心象を、膨よかな筆致で描いてきた。
 今回笹倉は、かつて2014に7 inchシングル「抱きしめたい」で共演した森は生きているの元メンバー岡田拓郎(ギター)、谷口雄(ピアノ)、増村和彦(ドラム)に加え、細野晴臣のバンド他数多くのアーティストのバッキングを担当する伊賀航(ベース)、自身もシンガー・ソングライターとして活動する優河と今回がレコーディング・デビューとなる濱口ちなのふたりをコーラスとして迎えた新バンドOLD DAYS TAILORを結成した。
 各メンバーの個性が一体となるなかで生まれる「バンド・サウンド」の魅力とは。今作の大きな参照となったというジェームス・テイラーへの溢れる愛情。そして「在りし日を紡ぎ、仕立てること」によって生まれる音楽をいま奏でるということ。極めてまろやかな聴き心地を持つこの音楽世界が、その実メンバーの高度な技巧と鋭敏な感性によって丁寧に形作られているということを知るとき、私たちは笹倉やバンドメンバーと共に、本当はまだ見ぬ知るはずのない風景をふと「過ぎたことのように」慈しんでいることに気づくかもしれない。どこかでみたかもしれない風景は、永遠に古びない。この音楽は、どこかでみたようでいて、いつまでもここにあり続ける。
 笹倉慎介、岡田拓郎、谷口雄の三人のメンバーによるインタヴューをお届けする。


僕の世界を隅々まで行き渡らせてきたというのが、これまで出してきたソロ名義の作品。今回はそれとは違ったものを作りたいなという気持ちがありました。 (笹倉)

そもそもの話なのですが、このプロジェクトが発足したきっかけはなんだったんでしょうか? 森は生きていると一緒に7 inchシングル「抱きしめたい」を作ったことから自然発生的に進んでいった感じですか?

笹倉慎介(以下、笹倉):昨年東洋化成から「レコード・ストア・デイに笹倉さんのシングルを出しませんか?」って話が来て。もちろんソロでやることもできたんですけど、「抱きしめたい」の後に、森は生きているのみんなと「いつかバンドやりたいね」って話していたのを思い出して。シングル単発企画だし、軽いノリで「バンドやっちゃうかな」って思い立ったんです。

谷口雄(以下、谷口):そんな感じの軽いノリで笹倉さんからメールが来ました(笑)。

じゃあ、はじめは今回のアルバムに先行してリリースされた「晴耕雨読」の7 inchリリースだけのつもりだったんですね。

笹倉:そう。運が良ければアルバムも出せればいいな、というのはあったんだけど。で、せっかく「晴耕雨読」がリリースされるなら、〈Pヴァイン〉へ「抱きしめたい」の再発もどうですか? って話を持っていったら、「じゃあアルバムも作ってウチからリリースしませんか?」ってトントンと話が進んで。

たしかに、OLD DAYS TAILOR結成の話を最初に耳にしてから、アルバムが出るまですごくスピーディーだなと思いました。

岡田拓郎(以下、岡田):すごく早いですよね。レコーディングも気づいたらどんどん進んでいった感じ。

谷口:僕らも途中から「これ何のために録っているんだろう?」って思っていたら「え! アルバムが出るんですか?」っていう(笑)。

笹倉さんとそのバック・バンドっていう形ではなくて、あくまでひとつのバンドとして始動したのはなぜ?

笹倉:単純に「バンド」という形にしたほうが面白い作品になるんじゃないかなと思ったんです。ソロだとバック・バンドがいようとも結局は100%僕の意見でまとまってしまう。僕の世界を隅々まで行き渡らせてきたというのが、これまで出してきたソロ名義の作品。今回はそれとは違ったものを作りたいなという気持ちがありました。

このメンバーになった理由は?

笹倉:それは単純に楽だったから(笑)。

コミュニケーションのしやすさという意味で?

笹倉:バンドであるからには、メンバーそれぞれの主張や個性が出ないといけないけど、みんな音楽的な面でも信頼できるメンバーだし、その点も大丈夫だろうと。どんなに人間関係ができていても、一緒に音を出したときに違和感があると制作は大変。今回のメンバーはそれがほとんどない。

何もしていないようだけど実はめちゃくちゃ効果的なことをしている。その感じって本当はとても難しくて。 (笹倉)

各メンバーについてコメントいただきたいのですが、まずベースの伊賀航さん。お付き合いは古いですよね?

笹倉:伊賀さんこそ、本当に一緒にやっていて楽です(笑)。

プレイがうまいっていう意味で?

笹倉:そうですね。いろいろな演奏に参加しているという場数のことももちろんあると思いますけど、僕の音楽へのフィット感がもう抜群なので。

コーラス担当の優河さんと濱口ちなさんの女性メンバーおふたりの魅力は?

笹倉:優河ちゃんは、彼女自身のソロ活動でももちろんそうですが、めちゃくちゃ魅力的で「本格的」な歌声を持っています。

笹倉さんとのハーモニーも抜群ですよね。もうおひとりの濱口さんは普段はどんな活動している方なんでしょう?

笹倉:まだプロとしては何もしていないです(笑)。僕がオーナーを務めている(埼玉県)入間にあるカフェ兼スタジオ「guzuri recording house」のスタッフなんです。学園祭でコーラス・グループやバンドをしたことがあるようで。そのとき合唱ではっぴいえんどの“風をあつめて”をやったと言っていたので「じゃあちょっと聞かせてよ」って言ったら、歌ってくれたんです。それが本当にまっすぐな声で、これは良いなと。優河ちゃんとの良いコンビネーションになりそうだなと思いました。

増村(和彦)くんのドラムの魅力は?

笹倉:やっぱり彼も歌詞を書く人なので、言葉を聞きながらアプローチするタイム感みたいなものが良いなと思います。メロディーへ言葉をどう乗せていくかということへの感覚が鋭い。会話をすればすぐ理解してくれる。メロディーに乗せるとき、言葉の音をどう譜割するかがいちばんややこしかったりするんです。リズムを食っている、ここは食ってない、ここは伸ばしているとか、そういうことにちゃんとプレイとしてついていけているのはすごい大事ですね。精密に叩けるというよりは、歌に合わせて波を作れる。

谷口:各曲のレコーディングは、基本的に増村くんと笹倉さんのふたりでそのあたりについて会話することから始まっていましたね。

笹倉:それが終われば僕は寝てる(笑)。

谷口:俺たちが録る頃にはホントに寝てましたよね(笑)。

笹倉:全部寝てるわけじゃじゃないけど(笑)。

(笑)。鍵盤担当の谷口くんは?

笹倉:今回の制作にあたってはやはりジェームス・テイラーの音楽が下敷きにあったので、そのニュアンスを汲んだプレイをお願いました。でも、ジェームス・テイラーのバック演奏って改めてじっくり聴くと目立つようなことは何もしていないっていう……(笑)。けれど、何もしていないようだけど実はめちゃくちゃ効果的なことをしている。その感じって本当はとても難しくて。だいたい鍵盤は音が目立ってしまいがちだから。けれど今回谷口くんは期待に応えてくれました。

たしかに、ジェイムス・テイラーのバックを務めていたザ・セクションの鍵盤奏者クレイグ・ダーギーも、彼ならではの「節」みたいなは感じないですよね。

谷口:そう。何も個性がないようだけど、音楽全体で聴くと効果があるって感じ。

笹倉:でき上がったものを聴くと「谷口くん、レコーディングにいたっけ?」っていうアレンジになっていたり(笑)。

谷口:「ミックスのとき、僕の音消してませんか?」って(笑)。

音が小さいという意味じゃなくて?

谷口:違いますね。笹倉さんのアコースティック・ギターが既にもうメロディーのような性質も兼ねたものなので、それを崩さないように後押しをするようなプレイをしたら……いないように聞こえてしまう(笑)。普通にコードをガーンって弾いたら笹倉さんのギターと音が当たりまくるので、相当研究しました。

岡田:倍音だけ添える鍵盤、みたいな感じだよね。

なるほど。一聴するとギターが豊かに響いているように聞こえる感じ。

谷口:そうそう。

岡田:でも、いざ鍵盤を抜いてみるとぜんぜん違った風に聞こえると思います。

笹倉:そうですね。まさしくそういうところが上手い。

谷口:どういう風なプレイをするかっていうのはかなり迷いました。でも最終的に岡田くんもいるから良いかって思って。そしたら岡田くんがいちばん大変だったという(笑)。

岡田:そう……(笑)。僕がいちばん最後に音を重ねるから。

じゃあ、その岡田くんのギターについて。

笹倉:岡田くんもバッキングのプレイについては谷口くんと同じような感覚。僕のギターが結構歌ってしまっているので、歌っているギターをもっと充実させるようなプレイをしてくれたと思います。

やっぱりギターについてもザ・セクションのプレイのイメージで、というのがあったんでしょうか?

笹倉:そう。(ザ・セクションの)ダニー・クーチ的なプレイ。

岡田:だから僕もクーチはすごく聴いて用意してきましたね。けど、彼のプレイが参考音源としてあるような曲ならいいんですけど、ないような曲はすごく大変でした。上モノが僕と谷口くんしかいないなかで、鍵盤がアコギの倍音を担う方にいってしまったので、合いの手職人的なプレイが必要になってきて。

結果的には岡田くんのプレイが彩りとして前面に聞こえてくる感じにもなっていますよね。ギター好きとしてはたまらない感じ。

岡田:地味ギター好きには、ですね(笑)。

「これはクーチで、おっ、これはデヴィッド・スピノザで、これはデヴィッド・T・ウォーカーで、これは鈴木茂」みたいな聴き方になってしまいました(笑)。
みなさんの話を聞いて思いましたが、Jロック的なものにありがちな全体の圧を稼ぐために多重的に音を積み上げるというものとはもちろんぜんぜん違って、OLD DAYS TAILORの場合は、まずキャンパスがあってそこにお互いスペースを見つけて色を塗り合っていくっていう感じがしました。ときにあえて空白も残したり。そういうバンド感っていうのは、オーソドックスでありながらもいまならむしろ新鮮に響くかも。

岡田:基本オーヴァーダブもなかったですよね?

笹倉:うん。ほぼないですね。必要最低限のアンサンブル。

進め方としては、笹倉さんが弾き語りのデモをメンバーに渡して、そのあとは「せーの」でguzuriで録った感じですか?

笹倉:最初のシングル「晴耕雨読」に関しては事前にみんなでリハをしました。ある程度固まってきたら、リズム・セクションと僕だけブースに入ってドラム、ベース、アコギを先に録っていった形です。アルバム制作に入ってからは、まず話し合ってからリズム録りをやっていった形ですね。その段階では岡田くんと谷口くんはいてもらわなくても良かったかもね……待ち時間がとにかく長いから(笑)。

谷口:俺たちも10回くらいguzuriに行ったけど、結果そのうち3回くらいしか録ってないですからね(笑)。

ダビングの段階で呼ぶだけで良かったんじゃないか、と(笑)。

谷口:まあいま思えば、自分のプレイのためにも作業の過程を見ておいてよかったと思いますけどね。

じゃあ、基本アレンジは録音をやりながら決めていく感じ?

笹倉:プリプロ兼本番録音みたいな形ですね。

相当各メンバーの当意即妙的センスにかかっている感じがしますね。それをオッケーにできるというのがさっきおっしゃっていた信頼関係ってことなんだろうなあ。やはり理解し合っていない人同士だと成り立たなそうです。

笹倉:まあプレイについては自己責任です(笑)。

笹倉さんが「そのプレイちょっと違う」みたいにディレクションすることも?

笹倉:そういうこともあります。逆にミックスのときにはメンバーの意見もちゃんと聞いてやっていきました。

今回の録音は全てguzuriでおこなわれたんでしょうか?

笹倉:基本はそうです。1曲だけ岡田くんがオーヴァーダブを彼の自宅でやっているけど。

岡田くんと谷口くんは、guzuriで既に何回かレコーディングを経験していると思いますけど、通常のスタジオにはないあの場所ならではの魅力ってなんでしょう?

岡田:やっぱり建物全体に日が差してくるのはいいですよね。すぐ外に出られて、しかも公園の近く。

たしかに周囲の環境も素晴らしいですよね。

谷口:「息が詰まるなあ」っていう感覚がないスタジオだと思います。

都市部の密閉されたスタジオとかだと、すごく不健康な気持ちに陥るときもあるしね。夜遅くまで狭いところにいて……。

谷口:そういうのはないですね。朝は朝だし、夜は夜。人間のリズムに沿った録音ができる。

普通スタジオ作業中って、食事も出前弁当ばっかりになってしまったり。

岡田:guzuriだと、ご飯はお店の料理を食べたり、近くの店まで美味しいうどんを食べに行ったりできる。機材が足りないなというときはすぐハードオフにも行けるし(笑)。

海外の郊外スタジオとかはそういうのが割と普通みたいですよね。もっと増えればいいのになって思う。昔のリゾート・スタジオのようなものじゃなくて、もっと日常と繋がっている感じの。
今回はマスタリングまで含めてエンジニアリングは笹倉さんが全て担当しているんですね。岡田くん谷口くんからみてエンジニアとしての笹倉さんってどんな印象でしょうか?

谷口:やっぱり何と言ってもguzuriの特性を知り尽くしていますよね。スタジオとしては特殊な作りだと思うんですが、どこにマイクを立てたらどういう音になるかというのを心得ているなと思います。

岡田:録り音も、楽器の前に立って聴いているというより、楽器を弾いている位置でプレイヤー自身が聴いているような音になっているなと思います。

やはり笹倉さん自身がプレイヤーだからプレイヤー目線の音ってことなのでしょうか。

岡田:そうかもしれないですね。いわゆる専業のエンジニアさんってアンプの前で鳴っている音を録るというのが一般的だしもちろんそれも良い音ではあるんですけど、笹倉さんはぜんぜん違っていて、弾いている側がいちばん気持ち良いと思う音を捉える。ドラムについても、ドラムの前で聴くより叩いている側から聴くのが本当はいちばん気持ち良いと思うんだけど、今回の音も増村くんが座っている位置で聴いているような感じでした。

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ジェームス・テイラーやブルース・コバーンなどのフィンガー・ピッキングで歌う人たちの演奏を聴いたときに、「こんな風に弾き語りできたら最高だよなあ」って思ったんです。それでジェームス・テイラーを音楽的に結構研究して。 (笹倉)


OLD DAYS TAILOR
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Folk RockIndie Pop

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アルバムの楽曲の話に入っていければと思います。ここ近年、笹倉さんはライヴを見に行くためだけに渡米するほど、ジェームス・テイラーにハマっていると伺っています。先ほど話にあったとおり、このアルバムでも各人のプレイ含め楽曲自体にもそのテイストが色濃く反映されていると思います。彼は単に「好きなミュージシャン」という以上の存在なんでしょうか?

笹倉:そうですね。僕がこれまで飽きないで音楽をやってこられた原動力です。10代の頃からずっとニール・ヤングを聴いてきたんですが、ニール・ヤングのプレイ・スタイルに飽きてきたというか(笑)。もちろん彼の音楽は素晴らしいんですけど、やっぱりひとりでライヴを演るとき、ニール・ヤング的表現だと曲やノリの面でできることがかなり限られてくる。その点、ジェームス・テイラーやブルース・コバーンなどのフィンガー・ピッキングで歌う人たちの演奏を聴いたときに、「こんな風に弾き語りできたら最高だよなあ」って思ったんです。それでジェームス・テイラーを音楽的に結構研究して。いまはYouTubeでどう弾いているかも大体見られるけれど、あんまり僕がインターネット派じゃなかったので、耳コピをして……

ジェームス・テイラーのギターを耳コピするのは難しそうですね。

笹倉:ベースからコードを追いかけていって。そしたら意外と簡単なコードだった(笑)。

そこからいまや外国まで追いかけるくらいにハマっているってことだと思うんですが、気づいたらドンドン魅せられていったということなんでしょうか?

笹倉:とにかく聴いていると幸福感がすごいんですよね。

なるほど。ジェームス・テイラーの魅力って実はとても言葉にしづらいと思っていて……。僕も聴けば瞬時に「最高だなあ」と思うんですけど、それ以上に具体的な言葉を紡げないというか。コード・プログレッションも洗練されているし、ハーモニー感覚も繊細。朴訥としたクルーナー・ヴォイスの魅力……各論的にはいろいろあると思うのですが。

笹倉:彼はまず、歌のピッチがめちゃくちゃ良いんですよ。圧倒的に上手い。複雑な音楽性とかいろいろあると思うんですけど、単純に音楽として素晴らしく完成度が高いんですよね。

そうですね。たとえシンプルな弾き語りだとしても異常なほどにウェルメイド。

笹倉:「下手だけどいいよね」とかそういう次元ではなくて、ただ単純に「良い」っていう。

岡田くんと谷口くんのふたりにとっては、ジェームス・テイラーってどんな存在ですか?

岡田:しばらく聴いていなかったんですけど、今回久々に聴き直しました。個人的にAORにハマってたことあって、特に70年代半ば以降の作品とか素晴らしいなあって改めて思ったり。それと、ジェームス・テイラーって似た人がいないなと思って。あんなに売れているのにフォロワー的な人がいないんですよね。

たしかに。兄弟たち……たとえば弟のリヴィングストンも似ているようでやっぱり違うしね。

岡田:兄のアレックスはぜんぜん違うし。

谷口:妹のケイトも違うし。

岡田:誰も真似しないというか、おそらく真似できない。今回彼の音楽を下敷きに制作してみたら本当に難くて。曲の作りもそうだし、演奏も何も演っていないよう思わせつつああ聴かせるなんて簡単なことではない。あそこまで普通にいい曲なのにオンリーワンな存在って他に浮かばないなあ、って思います。

決してトリッキーということではないのに。

谷口:そうなんです。でもやってみると難しい。

岡田:極端な話、スティーリー・ダンの方が簡単じゃないかと思います(笑)。

谷口:譜面化できない難しさみたいなのもあると思うんですよね。スティーリー・ダンは譜面にすればMIDIでも演奏できると思うんですけど、ジェームス・テイラーの音楽はおそらくMIDIでは再現できない。しかし彼自身は何を聴いてきてああいう音楽を作るようになったのかがよくわからないですよね。

岡田:ニュー・ソウル以前なのにニュー・ソウルっぽい感覚があるよね。

笹倉:そういえば「ジェームス・テイラーが影響を受けたサウンド」っていうプレイリストがAppleMusicにあったな……(iPhoneを取り出す)

岡田:(プレイリストを見ながら)サイモンとガーファンクル、ビートルズ、バッファロー・スプリングフィールド、エリック・アンダーソン、レッドベリー、ロネッツ……

う~ん、たしかにそこら辺に影響を受けているっていうのも分かるんだけど……ジェームス・テイラーのあの独特の洗練に直接的につながらない気が……67年にダニー・クーチと一緒に演った音源でその後発掘されたフライング・マシーンの音源とか聴いても既に洗練されているんだよね。ラヴィン・スプーンフルなどのハーモニー、アンダースンポンシア系のプロの作家っぽさ、あとはフレッド・ニールとかのジャジーなフォーキーさ、そういうものが融合している感じが……。

岡田:時代的にもフォーク・ロックとかに影響を受けると普通はサイケになりそうだし、本人もめちゃくちゃジャンキーだったのに曲はまったくもってフレッシュっていうのがよく分からない。見た目もすごく繊細そうでシャープで……モンテ・ヘルマンの『断絶』に出ているジェームス・テイラーの目つき、あればヤバイ(笑)。

なんだかジェームス・テイラーの話ばっかりになっちゃいましたけど(笑)……笹倉さんは日本語の自作詞をそこに載せる。アルバムを聴くと簡単にやっているように聞こえるかもしれないけど、実際はすごく大変なんだろうな、と思いました。

笹倉:メロディーから作るわけですけど、音節的にぜんぜんうまく日本語詞が乗らない。言葉の意味の面でも、日本語ならではの伝わり方がうまくメロディーにハマらなかったりします。

たしかに直接的にロックっぽい……わかりやすく言うと仮に内田裕也的な歌詞を乗せたらすごい珍味なものになってしまいそうですよね(笑)。そう思うとやはりはっぴいえんどというのは先駆的という意味でも偉大だったと思うんですけど。

笹倉:そうですね。

今後はさらに音楽への向き合い方をいちばん純度の高い形に持っていきたいなって。そういうところにもう一回立ち返りたいなって気持ちがあるんです。だから自分の見え方をビジネス的にどうしていこうとか、いまはぜんぜん興味がない。 (笹倉)

今作でもいろいろなトライを経てこうなっていると思うんですけど、非常に上手く日本語が乗っていると思いました。我々がネイティヴだからというのもあると思いますが、日本語って言葉のチョイスによって意図していた以上に意味を発揮してしまい、それに他の要素までが支配されてしまうということがあると思うんですけど、この作品ではそれが周到に避けられているなと感じました。例えば、“過ぎたことのように”のなかでタイトルをリフレインするところとか、割とインパクトのある句が繰り返されているはずなのに、いい意味で音に埋まっている。大人の技巧を感じました。匠の技(笑)。
岡田くんと谷口くん作の曲についてもお話を聞かせてください。まず岡田くん作“午後の窓”。

笹倉:森は生きているの頃の曲なんだっけ?

岡田:元々は森は生きているの最後の方にライヴで演っていた曲ですね。

これを持ち込もうと思ったのはなぜ?

岡田:笹倉さんに「なんか曲ないの?」って言われて。僕のソロ・アルバム用にも録っていたんです。森は生きているのヴァージョンとソロ・アルバムのヴァージョンはお蔵入りしていているし、ちょうど増村くんが歌詞を書いていたし、このバンドで違うテイストのものをやってみたらどうかなって思って引っ張り出してました。

これはジェームス・テイラー的世界とは違って、若干『ロングバケーション』ぽさもあって。岡田くんの趣向が反映されつつ、しっかりバンド感もあって。ヴォーカルも岡田くんが担当して……

笹倉:いや、これ僕の声です(笑)。

え!? 岡田くんの声にそっくりじゃないですか?

谷口:似てますよね。僕も最初歌入り版が上がってきたとき「ヴォーカル、デモのまんまじゃん」って思いました(笑)。

笹倉:僕と優河ちゃんの声をユニゾンで重ねているんです。

なるほど! それでこの声の質感になっているのか……面白いなあ。
そして谷口くん作“アフター・ザ・ガール”。すごく谷口くんっぽいなあって思いました。わ、ジェイホークスみたいだ! って(笑)。

谷口:これも元々は、岡田くんから森は生きているの最後の方に「なんか曲ないの?」ってメールが来て、そのとき出した曲ですね。

岡田:そのときは結局ボツにしたんですよね(笑)。

谷口:歌詞もメロディーもなかったから、いま思えばそれで提出するっていうのもどうかと思うんですけど(笑)、どこかで使いたいなと思っていたので、今回メロディーも作って増村くんに歌詞を書いてもらって。

一瞬のホッとする感じが良いですねえ。バンドとして、ふたりの曲が入ることによって音楽性の幅が出ていて良いなと思いました。あと、大滝詠一のカヴァー、“恋の汽車ポッポ”。これは笹倉さんの選曲?

笹倉:そうです。これも実はジェームス・テイラー・スタイルなんです。ジェームス・テイラーがチャック・ベリーの“プロミスド・ランド”をカヴァーしているものがあって。そのアレンジを参考にしています。自分でこういうテイストの新曲を作るのもアリかなって思ったんですけど、バンドのあり方として、かつての音楽を紡ぎ直すというスタンスも大事にしたかったから、日本の名曲を違ったスタイルで継承するっていうのも良いなと思ったんです。ジェームス・テイラーもそうですけど、シンガー・ソングライターでも昔の曲を継承するっていうスタンスは割と欧米では一般的だし、自分もそういうのをやりたいなあと思った。

いまおっしゃった何かを継承していくという意識はOLD DAYS TAILORというバンド名にも通じますよね。ブックレットの最初のページに笹倉さんによるメッセージが入っていますよね。「在りし日を紡ぎ仕立てることで生まれた、音や言葉が……」という。ただ過去を向くのではなく、何かを継承していこうとすることの貴さ、そういう気概を感じます。一方で“過ぎたことのように”では「なにもない海を見ていると なぜだか ありもしない記憶に 胸がきしむのです」「波間に見えた舟の 知るはずのない痛みを 覚えている」という、体験してないことを体験していたことのように思う視点というのもある。過去といま、というものの繋がりへの繊細な視座を感じます。このアルバムの制作中、時間が過ぎていくことや、自分が移ろっていくことと、そういうものに対して感覚がとても鋭敏になっていたということなのでしょうか?

笹倉:そうですね。でも制作中だけというより、昔からずっと変わらない感覚かもしれないな。

谷口:たしかにguzuriの周りのあの環境で過ごしていれば、そうなるのかも。

やっぱり笹倉さんから見て「世の中もうちょっと落ち着けよ」って思いますか?

笹倉:いや、そんなことはぜんぜん思わないですね。

都会から離れた環境にあえて自分をおいて時間の流れから身を閉ざすという人もいる思うんですが、そういう感覚ではないと。

笹倉:そうです。

そうか、元々の生活がそこから始まっているわけですものね。だからこそ、アルバムに描かれている光景は、ゆったりしているところもあるんだけど、一方で現代に生きている人が皆感じている時間感覚があるのかもしれないですね。その不思議なバランス感は笹倉さんの音楽の大きな魅力のひとつだなあと感じます。

笹倉:都会も田舎も、どちらも僕は好きですね。

岡田くんと谷口くんのふたりはどうですか? 都会から逃げ出したい願望というか……。

岡田:僕も以前まで福生に住んでいていまは国立だから、そんなバタバタしている感じじゃないですね。

谷口:僕も都心在住ってわけじゃないので。

ああ、そう考えると、OLD DAYS TAILORのメンバーは武蔵野中心にみんなサバーバンな人たちでもあるんだね。そういうみんなの感覚がじんわり出ている気がします。
さて、いよいよリリースになりますが、今後の展望は?

笹倉:この先のことを考えるとなんだか疲れてきてしまって……(笑)

いろんな人にどうやって聴かれるかを想像すると、ってことですか?

笹倉:いまはあんまりそういうことを考えないで音楽に接したいんですよ。ミュージシャン主導でガシガシ宣伝のこととかも考えなきゃやっていけない時代だとは思うんですけど。音楽制作を続けていくなかでもサイクルがあって。いろいろ意識を高く持ってDIYでやっていかなくては、って思うときもあったりするんですけど、いまはもう高校生くらいの気分。

どういうことですか?(笑)

笹倉:これまでずっと自分なりに言葉と音楽の関わりをひたすら考えながらやってきて、今回のアルバムはそのひとつの結果ということになると思うんですけど、今後はさらに音楽への向き合い方をいちばん純度の高い形に持っていきたいなって。そういうところにもう一回立ち返りたいなって気持ちがあるんです。だから自分の見え方をビジネス的にどうしていこうとか、いまはぜんぜん興味がない。でも立ち返るためのいろんなことを考えるとまたそれはそれで面倒くさくて疲れてしまうんだけど……(笑)

このアルバムもそういう気持ちに立ち返りたいというのを念頭に作ったんでしょうか?

笹倉:そうですね。

だからなのか、純粋な音を奏でる歓びに溢れていると思いましたよ。

笹倉:ありがとうござます。だからこそ、こういうことは考えたくないんだけど……やっぱりもちろんたくさんの人に聴いてもらいたいし、売れてほしいな、っていうのはありますね。あれやこれや僕が考える必要がなくなるように(笑)。

7/11にはレコ発公演も予定されていますね。ライヴはどんな感じになりそうですか?

谷口:レコーディングでも、重ねなしのリアルなバンド・サウンドそのままにライヴで再現できるように作られた作品なので、ぜひアンサンブルの気持ち良さをを聴いてほしいですね。

笹倉:なかなかライヴを頻繁にできるバンドではないので、7/11、ぜひ来てほしいです。

楽しみにしています。今日はありがとうござました。

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