「Low」と一致するもの

Film Patrol - ele-king

 アカデミー賞のノミネートが発表されると「あーもうバレンタインの季節だー」と妙な焦燥感に駆られるのですが、映画好きにとっても忙しい季節の到来ではないでしょうか。「海外の映画が入ってこないー」というのは定番のボヤキですが、最近は意外にけっこう入ってきているかな、という気もします。まさかズビャギンツェフの過去作が観られると思ってなかったし、ゴダールの3Dもあるし、ヌリ・ビルゲ・ジェイランもようやく入ってくるはずだし、むしろそのスピード感について行くのに必死です……が、今年もたくさん、映画館で映画を観ましょう。

 というわけで、現在公開中、あるいは間もなく公開の注目作をいくつかご紹介。


ジミー、野を駆ける伝説
監督 / ケン・ローチ
出演 / バリー・ウォード、シモーヌ・カービー、ジム・ノートン 他
配給 / ロングライド
2014年 / イギリス=アイルランド=フランス
新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町 ほかにて公開中。
©Sixteen Jimmy Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Element Pictures, France 2 Cinema,Channel Four Television Corporation, the British Film Institute and Bord Scannan na hEireann/the Irish Film Board 2014llllllll

 ブレイディみかこさんの『ザ・レフト UK左翼セレブ列伝』のケン・ローチの項を読んだ方には、あるいはケン・ローチのフィルモグラフィを追っている方には、この映画について説明することはあまりない。80を目前としたイギリスの至宝が、相も変わらず、持たざる者たち、貧しき者たち、労働者たち、庶民たち……の尊厳について見つめるばかりである。舞台は内戦後の1930年代のアイルランドで(つまり『麦の穂を揺らす風』(2006)の後)、故郷の片田舎に庶民たちが集うホールを作った実在の活動家ジミー・グラルトンの半生を取り上げている。とはいえ、原題を『JIMMY’S HALL』(ジミーの集会所)としていることからもわかるが、この映画の中心はグラルトン以上に「ホール」である。そこでは金のない村人たちが芸術やスポーツを学び、詩を朗読し、政治について議論し、そして週末にはダンスをしに集まる。もっとも重要なのは、これはそのホールを「再建する」話だということだ。明らかにローチ監督は、現代のイギリスに……世界に向けてこの史実ものを撮っている。貧しき者たちへの教育がますます失われてゆく時代にあって、その場所をいまいちど「手作りで」生み出そうというのである。たとえ焼き払われようとも。
 ケン・ローチの映画では、何よりも「彼ら」の顔がどのように見えるかということに最大の注意が払われている。たとえば『エリックを探して』(2009)でのエリック・カントナを含めるおっさんたち、『明日へのチケット』(2005)でのセルティック・サポーターの少年たち、そして『ケス』(1969)でむっつり黙っていた少年が自分の鷹について語りはじめるときの、胸の奥から何か熱いものが生まれてくるときの表情。本作での美しいシーンはなんといっても老若男女がホールでダンスに興じるところで、彼らの生きた顔たちを見ていると、いつまでもこの時間が続けばいい……と思わずにはいられない。『ルート・アイリッシュ』(2010)の厳しさにはいくぶん慄き、『天使の分け前』(2012)での切実な優しさにはため息をついたが、本作にはそのどちらもがあり、そして、別れのシーンはローチ監督からのメッセージが含まれているようでなんとも切ない。エルマンノ・オルミやアキ・カウリスマキ、そしてローチといったヨーロッパの大御所監督たちの近作を観ていると、そこにあるのは失われていくふるき良き理想主義のように見えてしまうことがある。けれども彼ら自身は僕の勝手な寂寥感をよそに、そんなこと知ってるぞ、だからどうした、という頑固じじいの佇まいでその信念を曲げることはない。

予告編

ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して
監督 / アルノー・デプレシャン
出演 / ベニチオ・デル・トロ、マチュー・アマルリック、ジーナ・マッキー 他
配給 / コピアポア・フィルム
2013年 フランス
シアターイメージフォーラム ほかにて公開中。

 精神分析の映像化でありつつ、同時に対話と友愛の物語。ハンガリー生まれのユダヤ人にして「民族精神医学の確立者」であるジョルジュ・ドゥブルーの著作を基にしているが、彼が実際に行った、第二次大戦後すぐのモンタナ州で精神を病んだアメリカン・インディアン(ネイティヴ・アメリカンという呼称のない時代だ)の対話療法について描く。デプレシャン作品における、これまでのようなずけずけとした言葉の応酬は抑えられ、かわりに、じつに丁寧にじっくりと「他者」へと分け入っていく過程が描かれている。そしてまた、アメリカという20世紀の大国のなかで、ふたりの異邦人/マイノリティが出会い、別れるというある「縁」についての映画でもある。
 この、アメリカを舞台としたフランス映画のふたりの辛抱強い対話を思い返しながら、いまフランスで起きていることを思う。そこには何か、「他者」あるいは「異邦人」を理解しようとする態度が決定的に足りていないように感じられる……。自らの内面の混乱に苦しむインディアンに扮するベニチオ・デル・トロはいまなお、アメリカのなかで自らをマイノリティだと感じるという。だから本作でわたしたち観客が見つめるのは彼の苦難そのものであり、そして、この映画では本質的な意味での癒しを探求しようとする。

予告編

ビッグ・アイズ
監督 / ティム・バートン
出演 / エイミー・アダムス、クリストフ・ヴァルツ 他
配給 / ギャガ
2014年 アメリカ
TOHOシネマズ渋谷 ほかにて、1月23日(金)より公開。
©Big Eyes SPV, LLC. All Rights Reserved.

 ポップ・アート時代のアメリカで絵画〈ビッグ・アイズ〉シリーズを世に放ち人気を博したウォルター・キーンの作品は、じつはすべて妻マーガレットが描いたものだった……という、ティム・バートン監督久しぶりの実話もの。で、搾取される妻=DVものとも言えるし、著作権マーク©への大いなる皮肉もこめられているだろうけれど、バートン作品として見るとこれは『ビッグ・フィッシュ』(2003)と似た構造なのではないかと思う。つまり、あるホラ話がアメリカの歴史を作った、というのである。バートンはいつでも、そうした作り話が現実を動かしうる力について描こうとしてきた。しかしながら、ホラ話が現実と折り合いをつける『ビッグ・フィッシュ』と比べると、現実がホラ話を打ち負かしてしまう本作の顛末を、バートン作品としてどういう変化と見なせばいいのだろう。60年代のアメリカを突き動かした「嘘」を、告発したいのか懐かしみたいのかの判断が非常に難しく、バートンのあの時代への複雑な感情を見る思いがする。
 話はやや逸れるけれど、今年のアカデミー賞で最多ノミネートとなったアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(https://www.foxmovies-jp.com/birdman/)がティム・バートンの『バットマン』(1989)のメタ映画となっているのも、何とも興味深い話である……『バードマン』はヒーローものを演じたかつてのスター(虚構のヒーロー)が、ブロードウェイのアート作品での成功(実際的な俳優としての評価)を得ようとする話、らしい。どちらが偉いのではなく、どちらも混乱しながら共存するのがアメリカということなのだろうか。

予告編

6才のボクが、大人になるまで。
監督 / リチャード・リンクレーター
出演 / エラー・コルトレーン、パトリシア・アークエット、イーサン・ホーク 他
配給 / 東宝東和
2014年 アメリカ
TOHOシネマズシャンテ ほかにて、公開中。
©2014 boyhood inc./ifc productions i, L.L.c. aLL rights reserved.

 こちらもアカデミー賞ノミネート。『ビフォア~』三部作は言うに及ばず、リチャード・リンクレーターは時間がつねに不可逆であることを逆手にとって、その「瞬間」をロウな感触のあるものとして立ち上げることに長けている。『ビフォア~』3部作ではそれぞれ「ある一日」を描くことでそれ以前と以降がシームレスに、しかしはっきりと異なる世界になり得るということを示していたが、この映画では、ある家族の物語を12年にわたって同じキャストで撮りつづけている。それは大変な労力と時間を要するということ以上に、もっと単純な映画の問題として、絶対に「撮り直せない」。そのことは少年時代(原題は『Boyhood』)が二度と戻らないことをあっさりと、しかし強く宣言する。ここで映されているのは、ほとんどが誰の身にも起こるような些細な出来事の積み重ねに過ぎないが、しかしそれこそが映画的な呼吸になっていく。

 主役に抜擢されたエラー・コルトレーン少年がどこか不格好な思春期を経て、しかし本当に精悍な青年へと成長しているのには無条件に胸を打たれるものがある。この映画は21世紀のアメリカにおいて、落ちぶれていく中年ではなく真っ直ぐに育っていく少年を描くということには大変な手間がかかるということの証明でもあるが、だからこそ一際瑞々しい輝きを湛えているのだろう。

予告編

KOHH - ele-king

 梔子。くちなし。東アジアに分布する常緑低木。英名は「ケープ・ジャスミン(Cape Jasmine)」、花言葉は「幸せを運ぶ」、「私はとても幸せ」、「胸に秘めた愛」、「洗練」。花びらは白く、朱色の実をすりつぶして得られる染料は少しだけ赤味を帯びた柔らかな黄色で、抽出される香りは、ほのかに甘い。その実は熟しても決して割れ落ちることがなく、よって和名は「口無し」「朽ち無し」に由来する、とされる。──喉仏にマルセル・デュシャンのモナリザ、左手の甲にニコラ・テスラのタトゥーをでかでかと彫り込み、前歯に金や銀のグリルズを光らせる日本人ラッパーのアルバム・タイトルとしては、とても謎めいていて、同時に様々なイメージを喚起する、秀逸なネーミングだと思う。

 2015年1月1日、新年の喧噪のさなかに東京都北区王子のKOHHの「ファースト・アルバム」である『梔子』は届けられた。去年の夏、新人としては異例のセールスを上げた『MONOCHROME』のリリース時点ですでに明らかにされていたことだが、制作順で言えば、実はこの『梔子』こそが正真正銘のKOHHの「ファースト・アルバム」であり、その完成後、まずはよりKOHHの内面を掘り下げた楽曲をリリースすべきだとの判断のもと、急遽レコーディングされた「セカンド・アルバム」が、前作『MONOCHROME』だったことになる。
 そのタイトル通り、都市生活者の心象風景を精緻にスケッチしたモノクロのポートレートを思わせた『MONOCHROME』の濃いブルーの佇まいに比べて、制作時期もバラバラな楽曲で構成された本作は、より多彩で、初々しい雰囲気に満ちている。トラックのほとんどは、GUNSMITH PRODUCTION所属の俊英ビートメイカー、理貴によるもの。彼がこれまでも得意としてきた疾走感のある叙情的なビートに加え、サックスやストリングスを取り入れたメロウで奥行きのあるミドル・テンポ・チューンなど、KOHHとの新たなコンビネーションを披露している。

 聴き終えて残る印象は三つ。一つめは、旅立ちと別れのフィーリング。現時点で最も新しくレコーディングされたというリード・シングル“飛行機”も、「どこにいこう?」というフックが印象的に繰り返され、「いってきます、未来に」と締めくくられる“WHERE YOU AT?”も、どちらも放送禁止用語やきわどい表現は皆無のさわやかさで、新たなフィールドに足を踏み入れる瞬間の、特別な高揚感を漂わせている。最も古い曲は3年前に録られたものだというから、当然KOHHのライミングもフロウも荒削りだが、直感的でときに幼児的なボキャブラリーは、東京の片隅で育った一人の青年の幼い野心のうごめきと青春の終わりを、みずみずしいタッチで写し取っている。
 二つめは、愛。普遍的な愛ではなく、性愛。つまりラヴ・ソング。まずは、R. ケリーばりの艶っぽさで愛情のない剥き出しの性的欲望のやりとりを描き、そのままフェミニズムの教科書にセクシズムとミソジニーの典型的なサンプルとして載せられそうな“NO LOVE”、そして、成熟と呼ぶにはあまりにも初々しい手つきで「ボーイ・ミーツ・ガール」の定型的な物語をなぞってみせる“REAL LOVE”。
 それぞれ直球なタイトルがつけられた対照的な2曲を聴いて連想したのは、レオス・カラックスのSFノワール『汚れた血』の劇中のセリフ、「いま、きみとすれ違ったら、俺はこの世界すべてとすれ違ってしまうことになる。そんな人生って、あるか?」── 愛のないセックスによって感染する奇病が蔓延する近未来のパリで、運命的なヒロインに出会った主人公の男が吐く言葉。いくらありきたりでも、当事者にとってはひどく切実なボーイ・ミーツ・ガールのこんな決まり文句は、だが、必ず裏切られる。終盤にかけてセンチメンタルなトーンで描かれるのは、その拙い恋物語の終わりであるとともに、KOHHにとっての「青の時代」の内省の始まりでもある。
 三つめは、ミックステープ『YELLOW T△PE』シリーズからの再録曲に顕著な、徹底した空虚さ。現代の消費主義のアイコンである最新の携帯電話をモティーフに、SNSを通じたチープで発情的なコミュニケーションを露悪的に表現する”iPhone 5”、そして何より、A$AP ROCKYの”PUSSY, MONEY, WEED”を彷彿とさせる虚無的なパンチライン、「ただ生きてるだけ/女と洋服と金」が飛び出す"JUNJI TAKADA"。特に、有名コメディアンの名前と衝動的なフレーズを繰り返すだけの後者のリリックは、30分で書き上げ、推敲もあえて一切しなかったそうだ。このジャンクフードのような言葉とノリを、まるで甘さのない、圧倒的な強度のビートにのせてバウンスさせること。ひどく空っぽで、かつ強烈なこの自己肯定は、同時代の凡百のパンク・バンドに、ピストルズの「プリティ・ヴェイカント」の現代的なヴァージョンがどのようなものか、まざまざと教えてくれるだろう。

 決定的に重要なのは、これらの夢や欲望や愛をめぐる独白がどれも、USラップからのいくつかの引用と、まるでひと昔前に流行したケータイ小説のような、とてもシンプルな日本語だけで成立していることだ。巨大な壁のようにそびえ立つ団地、汚れたハイエース、渋谷の喧噪のなかで仰ぎ見る青空、切り裂かれた宇多田ヒカルの歌声、やりたいだけのブーティ・コール、汗ばんだ女の首もとで踊るダイヤモンド、iPhoneで撮る半裸のセルフィー、灼けた肌のタトゥーをなぞる唇、遊びの相手とお揃いのピンキーリング、宝石店に強盗に押し入る目出し帽の男たち、ルブタンのハイヒール、幼馴染たちの実名、死んだ友人の面影、JFKに向けて離陸する飛行機、女の頬を伝う涙…。
 そこでは、かつてソウル・ミュージックが慎みとともに「メイク・ラヴ」と呼んだ愛の営みは「ファック」と粗暴に呼び変えられ、その相手は「ビッチ」、ときには「プッシー」と、もはや「女性器そのもの」の俗称で呼ばれる。徹底的にモノ化した男女の身体のイメージと、電波のように飛び交う無防備な感情が、ひどくたどたどしく、それゆえ生々しい言葉ですくい取られることで、ぎりぎりのところで新鮮なポップ・ミュージックに昇華されている。これは、いままで一度も文化と呼ばれることのなかった文化であり、一度もアートと呼ばれることのなかったアートだ。図書館の棚に整然と陳列される「文化研究」のテキストや、アーティストの卵が「アート」の制作にはげむ美大のアトリエには決して存在しない、濃密な文化と芸術の先端が、ここに無造作につかみ取られている。

 強く直感するのは、これが犬の言葉だということ。目の前の快楽をただむさぼり、自分が選んだ絆だけを真っすぐに強く信じる、純粋で乱暴な、犬の言葉。かつてスヌープ・ドギー・ドッグがカートゥーン風の自画像で自らを「犬」と呼んだ自己演出さえも、いまや必要とされない。そんなメタファーなどなくても、KOHHが頻繁に発する「UGHH」という唸り声や、フロウの端々で裏返るファルセット、いきなり噴出する怒声を聴けば、誰にでもすぐに、これが犬の言語だとわかる。
 実はこれはKOHHに限ったことではなく、直近で言えばOG MACOやRAE SREMMURDなど、近年のUSの若手ラッパーたちも、もはや「鳴き声」としか形容しようのない、奇妙で動物的な発声を多用する。詩情のまるで感じられないスカスカでジャンクな言葉、そしてそこからもこぼれ落ちる、叫びとも呻きともつかない、衝動的な喉の震え。ラップ/ヒップホップ文化のなかで繰り返し表現されてきた「犬(Dawgs)のような俺たち」という比喩が、いつの間にかラッパーたちの生身の身体に浸透し、独自の言語を操る新種のミュータントを誕生させたかのようだ。
 だから、手のつけられない凶暴さと、こちらが気恥ずかしくなるほどのナイーヴさが同居しているのも、少しも不思議ではない。つぶらな黒い瞳と尖った牙。無邪気な仕草と獰猛なうなり声。涎を垂らしてひび割れたコンクリートを低くうろつき回り、突如驚異的な跳躍力でジャンプする。濡れた鼻先を鳴らして仲間たちとじゃれ合い、敵対者には鋭く牙を剥く。重苦しい現実のプレッシャーからも、ポリティカル・コレクトネスのくびきからも、彼らは自由だ。自分たちに名前をつけ、首輪をはめて飼い馴らそうとする新しもの好きの手をすり抜けて、犬たちの群れは次々と未開の場所を目指す。この『梔子』を聴いた後、続いて制作された『MONOCHROME』を聴き直せば、あのアンビヴァレントな叙情が爆発する“貧乏なんて気にしない”が、「Started from the bottom Now my whole team fuckin' here」(Drake)の高らかな宣言だったことが、はっきりとわかるだろう。

 だが、こうしたストーリーもすでに昔話に過ぎない。事実、KOHHはもうサード・アルバムに向けて動き出している。昨年末に1ヶ月ほどNYのハーレムに滞在していたKOHHは、次作はアメリカに渡ってレコーディングするそうだ。その直近の軌跡を知るうえで重要な客演曲がふたつ。ひとつは、KOHHがハーレム滞在時にともに行動していたラッパーJ $TASHが来日の際、ANDY MILONAKISを加えて地元王子でPVもろともたった1日でレコーディングされたという「HIROI SEKAI(WORLDWIDE)」。もうひとつは、韓国のアンダーグラウンド・レーベル〈HI-LITE RECORDSのKIETH APE〉の新曲に、 彼が所属するTHE COHORTのOKASIAN、JAY ALL DAY、日本からは SQUASH SQUAD の LOOTA とともに招かれた"It G Ma"。どちらも海を超えた共同制作であるという点で目新しいとともに、そこで聴けるKOHHのフロウは、彼が著しい進化の途上にあることを雄弁に物語っている。
 むろん海外勢とのジョイントはこの2曲に限ったことではない。サウス・ヒップホップの音楽的爆心地のひとつ、ヒューストンのSLIM Kが『YELLOW T△PE』シリーズの楽曲をドラッギーにリミックスしたチョップド&スクリュー盤『PURP TPE』の例に象徴されるように、KOHH、そして彼が所属するGUNSMITH PRODUCTIONは、近年インターネットを中心に急速に発達してきたミックステープ・シーンが生み出したグローバルなラップ/ヒップホップ文化のコミュニティ、ないしはネットワークを共有している。昨年、DJ ISSOとSEEDAがサウス・シカゴの新鋭CHIEF KEEF周辺の重要人物、DJ KENNとのコラボレーションのもとリリースした『CCG THE CHICAGO ALLIANCE』や、ANARCHYがメジャー・デビュー直前に同じく多くの海外アーティストを招いてフリーダウンロードで発表した『DGKA』といったミックステープが、こうした流れの一端であることは論をまたない。

 いま起ころうとしているのは、それぞれの社会の文脈によって多様にローカライズされつつも、国境を越えて確かに共振する、グローバルなアウトサイダー・カルチャーの混淆だ。まるで基礎教養のように様々なドラッグの隠語をそらんじ、幼い頃から熟知した犯罪の符牒を暗号じみた手つきとアイコンタクトでやり取りする、越境者たちのコミュニティ。服では隠せない場所に入れたタトゥーでお互いのアイデンティティを確認し、通常の人間には聴こえない周波数の音に耳を尖らせ、独自のスラングと遠吠えで交信する、異形の犬たちのネットワーク。グローバルなラップ/ヒップホップ文化は、これまで強く根ざしてきた場所と人種に基づく垂直的な軸に、インターネットをベースとした流動的なネットワークによる水平的な軸が加わることで、ゆるやかに再構成されつつあるようだ。
 東京北部郊外、隅田川沿いにそびえる巨大な団地のたもとで鳴らされるこのラップ・ミュージックは、官製の文化政策をバックに、国民的アイドルや現実から遊離したアニメーションによって推進される「クール・ジャパン」とはまったく別種の、日本から世界への応答となるだろう。本作『梔子』は、世界中にバラまかれたラップ/ヒップホップという危険な文化の種子が、極東の地で独自の交配を繰り返して誕生した突然変異種であり、マリファナの灰とコデインの原液を養分に育った、いびつで、美しい花だ。しかも、毒を秘めた。

 ここにあるのは、最新の、古いポートレート。紙飛行機のかたちをした置き手紙。タイムラグとともに届けられた初対面の挨拶は、そのまま別れの言葉だ。ハロー。グッバイ。アイ・ラヴ・ユー。リラックスして真っ白なカンバスに向き合えば、ピカソ風の自画像が歌い出し、隣で写楽が伴奏する。あっという間に月と太陽が入れ変わり、手もとのiPhoneが出かける時刻を告げる。赤い口紅の付いたTシャツを着替えて、真新しいキックスに足を突っ込む。甘い香水の匂いも、首筋のキスマークも、すぐに消える。はじめまして。さようなら。いってきます。だけど、いまはまだここにいる。喧噪の余韻を濡れた鼻先に感じながら、次に見る景色を思い浮かべている。さあ、どこにいこう?

映像をBaconが、音楽はRezzettが再編集! - ele-king

 スケートシング、トビー・フェルトウェルらによる東京発のアパレル・ブランド〈C.E〉より2015 Spring/Summerのルックムービーが公開された。

 これは、昨年末〈Tokyo Fashion Week VERSUS TOKYO〉にて披露されたプレゼンテーションの模様を俯瞰カメラでシュートし、このルックムービー用にBacon(足下から視界までコントロールする方々)が映像をエディット。

 そして、当日もライヴをこなしたRezzett(英国より現れた謎に満ちたニューカマー、しかし一聴してソレとわかる電子音を司る2人組)によって新たにマスタリングを施された内容は一見の価値あり。もちろん当日のライヴ音源を使用している。

 ムービー公開に合わせて、今回もニューヨークのSplay/がC.Eのウェブサイト・リニューアルを担当(www.cavempt.com)。
 New York / London / Tokyoと張り巡らされるC.Eネットワークが、オンライン上にて結実した世界は2015年も増殖膨張をつづける。

Rae Sremmurd - ele-king

 2014年を12インチ・シングルで振り返ろうと思ったらニッキー・ミナージュ「アナコンダ」は配信しかなかった。前作『ローマン・リローデッド』(2012年)はつまんねーアルバムだったけど、「ビーズ・イン・ザ・トラップ」はチョー好みだったので、これだけでも12インチがあればなーと思っていたのに、ジェイ・Z『ブループリント』へのアンサーだったという『ピンクプリント』からの先行ヒットまで12インチがないとは……。USヒップホップとの距離が遠ざかるわけだよなー。二木もぜんぜん原稿、書かないしなー(最近、顔見ないけど、また留置場にいるのかなー)。

 こうなったら意地でも12インチで切ってほしい2015年のUSヒップホップを先に探し出すしかありません。そしてこうして……出会ったのがイアー・ドラマーズを逆から読んだレイ・シュリマー(Rae Sremmurd)による「アンロック・ザ・スワッグ」。これは絶対に切られないでしょう。

 ミシシッピ出身、現在はトラップを生み出したアトランタからいささかクリシェに聞こえる「ノー・フレックス・ゾーン」のヒットで注目を集めたスウェイ・リーとスリム・ジミーのデビュー・アルバムは“マイX”や“アップ・ライク・トランプ”など、野々村竜太郎の号泣釈明会見を思わせるヘンな溜めのあるラップがちょっと癖になる。トラップとしてはそんなにヒネりはないのかもしれないけれど、アクセントを最初に置くか、どこにもアクセントを置かずに全体をフラットにしようとするフローとはちがって、ドレミファソファミレのような音階をつけてラップするときがだんぜんおもしろい。それだけなんですけどね(半分以上は普通)。この兄弟に関して「声変わりしないでほしい」というコメントをいくつか見かけましたけど、19歳と20歳なので、もう声変わりはしないと思うんだけど……(“スロウ・サム・モー”にはニッキー・ミナージュも参加)。

 フローがおもしろいといえば、1年前に……新人にもかかわらず、すでに3000万人もこれを見ているとは……

 やっぱり、これはなにかの勘違いなんだろうか。2014年は再発の帝王と化したルイス(Lewis Baloue)のラップ・ヴァージョンといいたいところだけど、時代がちがうとはいえ、本人が真面目なのは同じだろうし。しかも、自分でコメント欄に「僕、まだ生きてる?」と書いて500もリプがある。これを読む勇気はないなー。日本のおたくもかつてのように、もっと気持ち悪くならないといけないのではとさえ思う。

 勘違いといえばナズの変名だと思われて一気に知名度を上げてしまったのがユア・オールド・ドルーグ。コニーアイランド出身で、本人に取材を敢行した人たちが相次いで「ナズではなかった!」とリポートするほど声が似ている。曲が似ていると犯罪になってしまうこともあるけれど、声は……う~ん。

 ポスト・モータウンでは最高の瞬間といえるシルヴィア&モーメンツ(誰かアナログ再発してくださいよ)をサンプリングした“U47”など70年代のサンプリングが多いのかな(?)、サウスに漲る緊張感がまったくない生硬な14曲を聴かせる。それにしても、まったりしてしまう……。正月気分に引き戻される……。戻りたい……あの頃(20日ぐらい前)に……。

 最後に、もう1曲。この展開は誰も予想できないっしょ。

あらべぇ - ele-king

去年よく聴いてた10作品

去年よく聴いてた10作品です。順不同です。
ちなみに、去年のベストレーベル(?)は「psalmus diuersae」です。(僕も密かにゴニョゴニョ……)
https://soundcloud.com/wlowlodub

“告知です”
2/8に恵比寿のKATAにてD/P/I(Alex Gray)の来日公演があります。僕はDJさせていただきます。ぜひ!
https://www.kata-gallery.net/events/BONDAID4/

Kaitlyn Aurelia Smith - ele-king

 2014年はディズニーの年だった。世界歴代5位の興行収入となった『アナと雪~』はもちろん、メアリー・ポピンズの作者を主役としたジョン・リー・ハンコック監督『ウォルトディズニーとの約束』もディズニー自身の夢を描くという骨子はけして悪いものではなく、アドラーの流行を尻目にフロイトの底力を思い知らされる面もあった。さらにはブラック・ユーモアを全開にしたランディ・ムーア監督『エスケープ・フロム・トゥモロー』である。ディスニーランドのダークサイド(とされるもの)をここまでがっつり見せてくれた作品も珍しく、上映中止にもDVDの回収処分にもならなかったことがかえってディズニーの度量を感じさせる作品ともいえる。ファンタジーの王道と、それを作り出す人、そして、それを裏側から叩きのめす3本が出揃っただけでなく、どこから見てもファンタジーには価値があるということを認めさせた年だったのではないかと。まあ、そういうことにしてケイトリン・アウレリア・スミスのデビュー・アルバムを再生してみよう。そうしよう。

 オーカス島というリゾート地で育ったからということが説明になるとは思えないけれど、なるほどテリー・ライリーのミニマル・ミュージックに影響を受けたというケイトリン・アウレリア・スミスはこれをニュー・エイジ風の幻想的なアレンジのなかに解き放ってしまう。あるいはタイトル通り、前半の6曲はユークリッド幾何学を用いて作曲されたと解説され、どこがどうしてそうなのかはわからないけれど、その響きは柔らかい布を積み重ねていったようなしなやかさと可愛らしい質感に満ちている。ふわふわとこちょこちょ、キラキラとさらさらという感じだろうか。シンセサイザーと出会う前はムビラ(親指ピアノ)に凝っていたそうで、高音が多用されるアフリカ音楽のテクスチャーを思わせる面も多い。ローリー・シュピーゲルやスザンヌ・チアーニ(『アンビエント・ディフィニティヴ』P.96)といった70年代の先駆的な女性作曲家たちに、ヒッチコック映画の音響効果を担当していたオスカー・サラ(『アンビエント・ディフィニティヴ』P.36』)にも多大な影響を受けたそうで、あらゆるところからファンタジーを集めてきたようなニュアンスはそれで説明されてしまうような気も。マスタリングはマシューデイヴィッド。

 後半は12パートに分かれた組曲形式の“ラビリンス”。それこそテリー・ライリーのフェミニンな変奏である。もともと、シュトックハウゼンと袂を分かつことがテリー・ライリーの出発点だったことを思うと、アカデミックな要素がまるでなく、むしろニュー・エイジへと接近させることはライリーの本意にかなうことなのかもしれない。寄せては返す主題の変奏と穏やかな質感の持続はスティーヴ・ライヒを取り入れたティム・ヘッカーやアレックス・グレイ(DPI)でさえマッチョに感じさせなくはないものがあり、ドローンだけでなく、ミニマル・ミュージックにも女性によって書き換えられる面があったとことに気づかされる。12パートは、そして、あっという間に終わる。

 ディズニーが本気だなと思わせたのは、『アナと雪~』の4ヶ月後に公開されたロバート・ストロンバーグ監督『マレフィセント』も「男性を必要としないフェミニズム」を同じように打ち出していたから……かもしれない。『眠れる森の美女』を魔女の視点から捉え直した同作は、エルザがさらに心の醜い存在へと成り果てた状態といえ、子どもにもわかりやすいゴシック・ファンタジーとして仕上げられた。『アナと雪~』とは正反対に突き進んでもなお、「男を必要としない」女性像が子どもたちの心に刷り込まれたのである。結果が楽しみだなーと思いつつ、ガゼル・ツインことエリザベス・バーンホルツのセカンド・アルバムを再生してみよう。そうしよう。

 ブライトンというリゾート地で育ったからということがまったく説明にはならないように、フードで顔を隠し、ヴォーカルは時に男の声に変調させ、絶望的なダーク・ウェイヴを聞かせる『アンフレッシュ』は、早くも『キッドA』(レイディオヘッド)を書き換えたという評が飛び出るほどガキどもの心には染み通っているらしい。明らかに気持ち悪さを強調したようなシンセサイザーはインダストリアル・ヴァージョンのポーティスヘッド、ないしはホラー・ヴァージョンのFKAツイッグスといった感触を最後まで貫き、暴力性を自己へと向けざるを得ない女性の姿を浮かび上がらせる。体の線を覆い尽くしていることやアルバム・タイトルもそうだし、シングル・カットされた「アンチ・ボディ」など肉体嫌悪がその根底をなしていることは想像にかたくなく、フランケンシュタインが子どもを生みたくなかった女性のファンタジーであり、ゲイの監督が映画化したものだという構図がここにはまだ生きていることを思わせる。


Arca - ele-king

 昨年リリースした『ゼン(Zen)』が好調のアルカの、ファッション・ショーのために書き下ろした新曲11曲が無料でダウンロードできる!
 ゼンは急げ、ダウンロード・イット!


■『Sheep (Hood By Air FW15)』

Tracklist:
1. Mothered
2. Pity
3. Drowning
4. En
5. Faggot
6. Submissive
7. Umbilical
8. Hymn
9. Don't / Else
10. At Last I Am Free (interlude)
11. Immortal

■ビョークの3月に発売されるニュー・アルバムに共同プロデューサーとして参加! カニエ・ウェスト、FKAツイッグス作品のプロデュースを行ってきたアルカが、3月に発売されるビョークのニュー・アルバム『Vulnicura』に、2曲の共作曲、7曲の共同プロデューサーで参加している。

■1stシングル 'Thievery' MV 視聴リンク (Created by Jesse Kanda )

​■2ndシングル 'Now You Know' MV 視聴リンク (Created by Jesse Kanda )

■3rdシングル 'Xen' MV 視聴リンク (Created by Jesse Kanda )

一夜限りの貴重ライヴ - ele-king

 結成31年。ザ・ウォーターボーイズが新作を携えて来日、初となる単独来日公演を行う。アイリッシュ・トラッドへの傾倒をひたむきに作品化してきたマイク・スコットの仕事は、ニューウェイヴ世代ばかりでなく、あまねく音楽ファンに愛されるべき。ele-kingでもインタヴューを公開予定です。ぜひ彼の音と言葉に触れ、来日までの時間を豊かにふくらませてみてください──。

PEALOUTの近藤智洋も参加した、ウォーターボーイズの約4年ぶりとなる新作がリリース!
4月には東京にて初の単独公演が決定!
期間限定で全曲試聴も!

 今年で結成31年を迎える大御所バンド、ウォーターボーイズ。ケルティック・フォーク、アイルランド伝統音楽、プログレ、カントリー、ゴスペルなどからの影響を受けたその独自の音楽性、そしてスコットランドの吟遊詩人とも評される歌詞は国内外で高い評価を受けている。

 今年のフジロックではバンドとして念願の初来日も果たした彼らの4年ぶりとなる新作『モダン・ブルース』が、1月14日(水)に発売を迎える。国内盤は1週間先行リリースのうえ、2曲のボーナストラックを収録。
 また今作には、PEALOUT時代に「フィッシャーマンズ・ブルース」のカヴァーを演ったことでマイク自身とも親交のある近藤智洋の演奏が使用されている。

 そんな中、アルバム発売に先駆けてさらに嬉しい情報が入ってきた! なんとウォーターボーイズにとって初となる単独来日公演が東京にて4月に開催されることが決定したのだ。1夜限りの貴重なライヴとなっているので、この機会をお見逃しなく!

 また、現在期間限定でニュー・アルバム『モダン・ブルース』の全曲試聴を実施しているので要チェック!

ウォーターボーイズアルバム全曲試聴はこちら:


■公演情報
2015/4/6 (月) 渋谷クラブクアトロ
open18:30/ start 19:30 ¥8,000(前売/1ドリンク別)
お問い合わせ:03-3444-6751(SMASH)
※未就学児童の入場は出来ません。

チケット情報
主催者先行予約:1/27(火)スタート予定
2/7(土)プレイガイド発売開始予定
※共に詳細は1/20(火)に発表


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■アルバム情報
アーティスト名:The Waterboys(ウォーターボーイズ)
タイトル:Modern Blues(モダン・ブルース)
レーベル:Kobalt
品番: HSE-60200
発売日:2015年1月14日(水)
※日本先行発売、ボーナストラック2曲、歌詞対訳、ライナーノーツ 付

<トラックリスト>
1.Destinies Entwined
2.November Tale
3.Still A Freak
4.I Can See Elvis
5.The Girl Who Slept For Scotland
6.Rosalind You Married The Wrong Girl
7.Beautiful Now
8.Nearest Thing To Hip
9.Long Strange Golden Road
10. Louie's Dead Body (Is Lying Right There)*
11. Colonel Parker's Ascent Into Heaven*
*日本盤ボーナストラック

※新曲「Destinies Entwined」iTunes配信中&アルバム予約受付中!(高音質Mastered For iTunes仕様)
https://itunes.apple.com/jp/album/modern-blues/id946840347?at=11lwRX

■ショートバイオグラフィー
1983年結成、英国エジンバラ出身のマイク・スコットを中心としたUKロック・バンド。ケルティック・フォーク、アイルランド伝統音楽、プログレ、カントリー、ゴスペルなどの影響を受けている。バンド名はルー・リードの曲の歌詞から名付けられる。初期はNYパンクの影響を受けたニューウェーブバンドとしてスタートし、U2フォロワー的な扱われ方もされていた。2014年にフジロックで初来日を果たし、2015年1月に約4年ぶりとなるニュー・アルバム『モダン・ブルース』をリリース。
同年4月には初の単独来日公演が決定。


2014 Retrospective - ele-king

 CDや配信、あるいはカセットと較べて12インチ・シングルはもはや圧倒的に贅沢品である。値段も驚くほど高くなった。消費者的にはたんに惰性で買っていただけなのに、商品の持つ意味が時代とともにこれだけ変わっていった例も珍しいとは思う。70年代には売り物でさえなく、デザインもそこそこにプロモーション盤として配られていただけ。80年代にはリミックス文化を発展させることにより音楽がアルバム単位で売られることを脅かすほど商品の最先端となり、90年代にはそのままアンダーグラウンドのメディアにも等しい存在になった。ゼロ年代には一転して早くもノスタルジーを漂わせたかと思えば、いまや、チープな高級品とでもいうのか、FKAツィッグスのネックレス付きデザインのように投機の対象にもなれば、以下で取り上げた〈センシュアル・レコーズ〉のように依然としてアンダーグラウンドのメディアとして配信では買えない情報を運んでくることもある。畳みかけるようなイタロ-ディスコの再発盤も含めて、その多義性は計り知れなくなってきて、アナログ盤だと法的なサンプリング規制は見逃されるという面(=使い方)もあるらしい。かつて、12インチ・シングルを買い漁りながら、その存在意義について思いを巡らせるようなことはなかった。高級品なのかゴミなのか、なんとも妙な気分で(結局は)買い集めてしまった12インチ・シングルから2014年のハイライトをご紹介。

January

Dario Reimann - White Cypher EP llllllll

 フランクフルトの新勢力で、ダリオ・ライマンが新たに設立した〈センシュアル・レコーズ〉からダブ・ミニマルの新機軸を聴かせる「マニーカウント・ダブ(Moneycount Dub)」。催眠的なループを引き立てるようにユルめのパーカッションがどんどん入れ替わり、お金を数えているような気持ち……にはならないな。金融都市ならではの感覚か? ルーマニア系からの影響が明らかな他の3曲よりもだんぜんユニークだと思うんだけど……。

Feburary

AxH - Destroy Tempa

 ボストンからアンドリュー・ハワードによるフィジカル1作め。アフリカン・パーカッションを縦横に組み合わせ、だらだらと呪術的なムードを煽るエスニック・ダブステップ。BPM少し早めがいいかも。ケテイカーことリーランド・カービーが〈アポロ〉から放った「ブレイクス・マイ・ハート・イーチ・タイム」も意外なほどファンタジー気分。

March

Grems - Buffy Musicast

 フランスからすでに5枚のアルバム・リリースがあるミカエル・エヴノの単独では初のシングル(ユニット名のグレムスはアイスランド語で欲求不満)。フランス語のせいか、10年前のTTCを思わせる間の抜けたヒップ・ホップがほんとに久しぶり(関係ないけどホワイ・シープ?『REAL TIMES』にTTCからキュジニエにラップで参加してもらってます)。この月はNYから韓国系のアーティストにモデルやDJが集まったダスト(Dust)によるイタロ・ディスコとアシッド・ハウスの混ざったような「フィール・イット」もおもしろかった。映像はホラー過ぎてR指定

April

Katsunori Sawa - Holy Ground EP Weevil Neighbourhood

 スティーヴン・ポーターの名義でDJノブともスプリット・シングルをリリースしていた京都の澤克典によるセカンド・ソロ。日本人にありがちな清潔感がまったくなく、しかも、インダストリアル・テイストを優美に聴かせる抜群のセンス。12月にはインダストリアル・ダブステップのアンソーンと組んだボーケ(BOKEH)名義もよかった。

May

Hidden Turn - Big Dirty 31 Records

 ドク・スコットのレーベルからジュークとドラムン・ベースを完全に融合させてしまったような(たぶん)新人のデビュー作。「もうちょっと話題になってもよさそう」というクリシェはこういうときに使う。

June

Reginald Omas Mamode IV - As We Move Five Easy Pieces

 シングルの作り方がもうひとつ上手くないモー・カラーズ(『ele-king Vol.15』、P.82)に代わって、お仲間がそれらしいシングルを出したという感じでしょうか。ゆったりとしたトライバル・リズムは、これもモー・カラーズと同じくインド洋に浮かぶモーリシャス共和国の「セガ」と呼ばれるリズムに由来するんだろうか。

July

Tessela - Rough 2 R&S Records

 「ハックニー・パロット」や「ナンシーズ・パンティ」が大人気のわりにもうひとつピンとこなかったエド・ラッセルによる6作めで、これはドカンときましたw。レニゲイド・サウンドウェイヴがベース・ミュージックを通過すればこうなるかなと。90年前後のブレイクビーツ・テクノが完全に更新されている。

August

Blond:ish - Wunderkammer Kompakt

 モントリオールから名義通りブロンド女性2人組によるフィジカル3作め。「ラヴァーズ・イン・リンボEP」(『ハウス・ディフィニティヴ』、P.262)で覗かせていたモンド係数を大幅にアップさせたアシッド・ミニマルの発展形。とくにカップリングの“バーズ・イート・バーズ”でその妙味が冴え渡る。

September

New York Endless - Strategies Golf Channel Recordings

 グレン・ブランカのリイッシューなどにもかかわっていたダン・セルツァーが、なんと現在はディスコ・ダブの受け皿となっている〈ゴルフ・チャンネル〉から。ユニット名や曲調から察するに、1月のダリオ・ライマンやハンヌ&ロアー「ブラ!」と同様、中期のクラフトワークにインスパイアされているのはたしか。ロアシからSH2000「ミスティカル・ブリス」もなかなか。

October

Lakker - Mountain Divide EP R&S Records

 エイフェックス・ツインがオウテカとミックスして使ったことで一躍有名になったアイルランドの2人組による8作めで、これも4月でピックアップしたカツノリ・サワとはちがった意味でインダストリアル・テイストの優美なダブステップを聴かせる。中盤から乱打されるハイハットのじつにアシッドなこと。前の年にはルーシーの〈ストロボスコピック・アルテファクツ〉でハード・ミニマルをやっていて、その変化と連続性はかなり興味深い。

November

Future Brown - Wanna Party Warp Records

〈フェイド・トゥ・マインド〉周辺からファティマ・アル・カディリやングズングズら4人組によるデビュー作。シカゴのMC、ティンクをフィーチャーしたグライムはイギリス産にはないニュー・エイジ色とMIAから現実感をなくしたような手触りが新鮮。

December

Ana Helder - Don't Hide Be Wild C meme

 マティアス・アグアーヨのレーベル(『ハウス・ディフィニティヴ』、P.194)から80年代初頭を思わせる、なんとも大味のエレクトロ・ハウス。彼女自身の声なのかサンプリングなのかわからないけれど、あまりに蓮っ葉な発音が気になる(アルゼンチンからスリーフォード・モッズへのアンサーというか……)。

Dean Blunt - ele-king

 年末年始は、妻子が実家へとさっさと帰るので、ひとりでいる時間が多く持てることが嬉しい。本当は、ひとりでいる時間を幸せに感じるなんてこと自体が幸せで贅沢なことなのだろう。そんなことを思ってはいけないのかもしれないが、年末年始、僕は刹那的なその幸せを満喫したいと思って、実際にそうした。
 たいしたことをするわけではない。ひたすら、自分が好きなレコードやCDを聴いているだけ。聴き忘れていた音楽を聴いたり、妻子がいたら聴かないような音楽を楽しんだり、しばらく聴いていなかった音楽を久しぶりに聴くと自分がどう感じるのかを試したり。もちろん片手にはビール。お腹がすいたら料理したり。たまにベランダに出たり。たまに読書をしたり。たまにネットを見たり。寝る時間も惜しんでひとりの時間を満喫した。
 そんな風に、ひたすら音楽を聴いているなかで、僕はディーン・ブランドの新作を気に入ってしまった。
 最初に聴いたときは、このところの彼のソロ作品の「歌モノ」路線だなぁぐらいにしか思わなかったのだけれど、家の再生装置のスピーカーでしっかり聴いていると、正直な話、この作品を年間ベストに入れなかったことを悔やむほど良いと思った。僕には、ハイプ・ウィリアムス時代の衝撃が邪魔したとしか言いようがない。

 たしかに、『ブラック・メタル』という(北欧のカルト的ジャンルとは無関係。むしろ人種的ジョークさえ含むかのような、深読みのできる)作品タイトルも、真っ黒なスリーヴケースも、そして、意味ありげで意味がない曲名も、ディーン・ブランドの調子外れの歌も、まあ面白いのだが、ハイプ・ウィリアムス時代から聴いているリスナーにとっては相変わらずといえば相変わらずで、「ああー、いつものディーン・ブランドだなー」で済んでしまう話だ。実際、僕もそう済ませていたきらいがある。

 ところが、年末年始のひとりの時間のなかで『ブラック・メタル』をじっくり聴いたときには、何か特別な作品に思えた。家にある、いろいろなジャンルの音楽を聴いているなかで再生したのが良かったのだろう。松山晋也さんが『ミュージック・マガジン』でこの作品を個人のベスト・ワンにしていた理由も、僕なりに納得できた。これは……言うなれば、セルジュ・ゲンズブールなのだ。もしくは、(他から盗用した)おおよそ全体にわたるギター・サウンドの暗い透明感からしてドゥルッティ・コラム的とも言える。


 
 これだけ世の中でEDMが流行れば、その対岸にある文化も顕在化するはずだ。ヒューマン・リーグがヒットした反対側ではネオアコが生まれ、ユーロビートが売れた時代にマンチェスター・ブームがあったように。
 ディーン・ブランドがこのアルバムの前半で、ギター・サウンドにこだわり、パステルズをサンプリングしていることも、そうした時代の風向きとあながち無関係ではないだろう。夕焼けを見ながら『ブラック・メタル』を聴いていると、えも言われぬ哀愁を感じる。ディーン・ブランドのくたびれた歌声と女声ヴォーカルとの掛け合いは、僕のブルーな気持ちをずいぶん和らげてくれる。ハイプ・ウィリアムスという先入観なしで聴くべきだった。
 とはいえ、ムーディーなまま終わるわけではない。『ブラック・メタル』は後半からじょじょに姿を変えていく。ダブがあり、ノイジーなビートがあり、最後のほうには最高のテクノ・ダンストラックも収録されている。


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