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KOHH

Hip Hop

KOHH

梔子

GUNSMITH PRODUCTION

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泉智   Jan 20,2015 UP

 梔子。くちなし。東アジアに分布する常緑低木。英名は「ケープ・ジャスミン(Cape Jasmine)」、花言葉は「幸せを運ぶ」、「私はとても幸せ」、「胸に秘めた愛」、「洗練」。花びらは白く、朱色の実をすりつぶして得られる染料は少しだけ赤味を帯びた柔らかな黄色で、抽出される香りは、ほのかに甘い。その実は熟しても決して割れ落ちることがなく、よって和名は「口無し」「朽ち無し」に由来する、とされる。──喉仏にマルセル・デュシャンのモナリザ、左手の甲にニコラ・テスラのタトゥーをでかでかと彫り込み、前歯に金や銀のグリルズを光らせる日本人ラッパーのアルバム・タイトルとしては、とても謎めいていて、同時に様々なイメージを喚起する、秀逸なネーミングだと思う。

 2015年1月1日、新年の喧噪のさなかに東京都北区王子のKOHHの「ファースト・アルバム」である『梔子』は届けられた。去年の夏、新人としては異例のセールスを上げた『MONOCHROME』のリリース時点ですでに明らかにされていたことだが、制作順で言えば、実はこの『梔子』こそが正真正銘のKOHHの「ファースト・アルバム」であり、その完成後、まずはよりKOHHの内面を掘り下げた楽曲をリリースすべきだとの判断のもと、急遽レコーディングされた「セカンド・アルバム」が、前作『MONOCHROME』だったことになる。
 そのタイトル通り、都市生活者の心象風景を精緻にスケッチしたモノクロのポートレートを思わせた『MONOCHROME』の濃いブルーの佇まいに比べて、制作時期もバラバラな楽曲で構成された本作は、より多彩で、初々しい雰囲気に満ちている。トラックのほとんどは、GUNSMITH PRODUCTION所属の俊英ビートメイカー、理貴によるもの。彼がこれまでも得意としてきた疾走感のある叙情的なビートに加え、サックスやストリングスを取り入れたメロウで奥行きのあるミドル・テンポ・チューンなど、KOHHとの新たなコンビネーションを披露している。

 聴き終えて残る印象は三つ。一つめは、旅立ちと別れのフィーリング。現時点で最も新しくレコーディングされたというリード・シングル“飛行機”も、「どこにいこう?」というフックが印象的に繰り返され、「いってきます、未来に」と締めくくられる“WHERE YOU AT?”も、どちらも放送禁止用語やきわどい表現は皆無のさわやかさで、新たなフィールドに足を踏み入れる瞬間の、特別な高揚感を漂わせている。最も古い曲は3年前に録られたものだというから、当然KOHHのライミングもフロウも荒削りだが、直感的でときに幼児的なボキャブラリーは、東京の片隅で育った一人の青年の幼い野心のうごめきと青春の終わりを、みずみずしいタッチで写し取っている。
 二つめは、愛。普遍的な愛ではなく、性愛。つまりラヴ・ソング。まずは、R. ケリーばりの艶っぽさで愛情のない剥き出しの性的欲望のやりとりを描き、そのままフェミニズムの教科書にセクシズムとミソジニーの典型的なサンプルとして載せられそうな“NO LOVE”、そして、成熟と呼ぶにはあまりにも初々しい手つきで「ボーイ・ミーツ・ガール」の定型的な物語をなぞってみせる“REAL LOVE”。
 それぞれ直球なタイトルがつけられた対照的な2曲を聴いて連想したのは、レオス・カラックスのSFノワール『汚れた血』の劇中のセリフ、「いま、きみとすれ違ったら、俺はこの世界すべてとすれ違ってしまうことになる。そんな人生って、あるか?」── 愛のないセックスによって感染する奇病が蔓延する近未来のパリで、運命的なヒロインに出会った主人公の男が吐く言葉。いくらありきたりでも、当事者にとってはひどく切実なボーイ・ミーツ・ガールのこんな決まり文句は、だが、必ず裏切られる。終盤にかけてセンチメンタルなトーンで描かれるのは、その拙い恋物語の終わりであるとともに、KOHHにとっての「青の時代」の内省の始まりでもある。
 三つめは、ミックステープ『YELLOW T△PE』シリーズからの再録曲に顕著な、徹底した空虚さ。現代の消費主義のアイコンである最新の携帯電話をモティーフに、SNSを通じたチープで発情的なコミュニケーションを露悪的に表現する”iPhone 5”、そして何より、A$AP ROCKYの”PUSSY, MONEY, WEED”を彷彿とさせる虚無的なパンチライン、「ただ生きてるだけ/女と洋服と金」が飛び出す"JUNJI TAKADA"。特に、有名コメディアンの名前と衝動的なフレーズを繰り返すだけの後者のリリックは、30分で書き上げ、推敲もあえて一切しなかったそうだ。このジャンクフードのような言葉とノリを、まるで甘さのない、圧倒的な強度のビートにのせてバウンスさせること。ひどく空っぽで、かつ強烈なこの自己肯定は、同時代の凡百のパンク・バンドに、ピストルズの「プリティ・ヴェイカント」の現代的なヴァージョンがどのようなものか、まざまざと教えてくれるだろう。

 決定的に重要なのは、これらの夢や欲望や愛をめぐる独白がどれも、USラップからのいくつかの引用と、まるでひと昔前に流行したケータイ小説のような、とてもシンプルな日本語だけで成立していることだ。巨大な壁のようにそびえ立つ団地、汚れたハイエース、渋谷の喧噪のなかで仰ぎ見る青空、切り裂かれた宇多田ヒカルの歌声、やりたいだけのブーティ・コール、汗ばんだ女の首もとで踊るダイヤモンド、iPhoneで撮る半裸のセルフィー、灼けた肌のタトゥーをなぞる唇、遊びの相手とお揃いのピンキーリング、宝石店に強盗に押し入る目出し帽の男たち、ルブタンのハイヒール、幼馴染たちの実名、死んだ友人の面影、JFKに向けて離陸する飛行機、女の頬を伝う涙…。
 そこでは、かつてソウル・ミュージックが慎みとともに「メイク・ラヴ」と呼んだ愛の営みは「ファック」と粗暴に呼び変えられ、その相手は「ビッチ」、ときには「プッシー」と、もはや「女性器そのもの」の俗称で呼ばれる。徹底的にモノ化した男女の身体のイメージと、電波のように飛び交う無防備な感情が、ひどくたどたどしく、それゆえ生々しい言葉ですくい取られることで、ぎりぎりのところで新鮮なポップ・ミュージックに昇華されている。これは、いままで一度も文化と呼ばれることのなかった文化であり、一度もアートと呼ばれることのなかったアートだ。図書館の棚に整然と陳列される「文化研究」のテキストや、アーティストの卵が「アート」の制作にはげむ美大のアトリエには決して存在しない、濃密な文化と芸術の先端が、ここに無造作につかみ取られている。

 強く直感するのは、これが犬の言葉だということ。目の前の快楽をただむさぼり、自分が選んだ絆だけを真っすぐに強く信じる、純粋で乱暴な、犬の言葉。かつてスヌープ・ドギー・ドッグがカートゥーン風の自画像で自らを「犬」と呼んだ自己演出さえも、いまや必要とされない。そんなメタファーなどなくても、KOHHが頻繁に発する「UGHH」という唸り声や、フロウの端々で裏返るファルセット、いきなり噴出する怒声を聴けば、誰にでもすぐに、これが犬の言語だとわかる。
 実はこれはKOHHに限ったことではなく、直近で言えばOG MACOやRAE SREMMURDなど、近年のUSの若手ラッパーたちも、もはや「鳴き声」としか形容しようのない、奇妙で動物的な発声を多用する。詩情のまるで感じられないスカスカでジャンクな言葉、そしてそこからもこぼれ落ちる、叫びとも呻きともつかない、衝動的な喉の震え。ラップ/ヒップホップ文化のなかで繰り返し表現されてきた「犬(Dawgs)のような俺たち」という比喩が、いつの間にかラッパーたちの生身の身体に浸透し、独自の言語を操る新種のミュータントを誕生させたかのようだ。
 だから、手のつけられない凶暴さと、こちらが気恥ずかしくなるほどのナイーヴさが同居しているのも、少しも不思議ではない。つぶらな黒い瞳と尖った牙。無邪気な仕草と獰猛なうなり声。涎を垂らしてひび割れたコンクリートを低くうろつき回り、突如驚異的な跳躍力でジャンプする。濡れた鼻先を鳴らして仲間たちとじゃれ合い、敵対者には鋭く牙を剥く。重苦しい現実のプレッシャーからも、ポリティカル・コレクトネスのくびきからも、彼らは自由だ。自分たちに名前をつけ、首輪をはめて飼い馴らそうとする新しもの好きの手をすり抜けて、犬たちの群れは次々と未開の場所を目指す。この『梔子』を聴いた後、続いて制作された『MONOCHROME』を聴き直せば、あのアンビヴァレントな叙情が爆発する“貧乏なんて気にしない”が、「Started from the bottom Now my whole team fuckin' here」(Drake)の高らかな宣言だったことが、はっきりとわかるだろう。

 だが、こうしたストーリーもすでに昔話に過ぎない。事実、KOHHはもうサード・アルバムに向けて動き出している。昨年末に1ヶ月ほどNYのハーレムに滞在していたKOHHは、次作はアメリカに渡ってレコーディングするそうだ。その直近の軌跡を知るうえで重要な客演曲がふたつ。ひとつは、KOHHがハーレム滞在時にともに行動していたラッパーJ $TASHが来日の際、ANDY MILONAKISを加えて地元王子でPVもろともたった1日でレコーディングされたという「HIROI SEKAI(WORLDWIDE)」。もうひとつは、韓国のアンダーグラウンド・レーベル〈HI-LITE RECORDSのKIETH APE〉の新曲に、 彼が所属するTHE COHORTのOKASIAN、JAY ALL DAY、日本からは SQUASH SQUAD の LOOTA とともに招かれた"It G Ma"。どちらも海を超えた共同制作であるという点で目新しいとともに、そこで聴けるKOHHのフロウは、彼が著しい進化の途上にあることを雄弁に物語っている。
 むろん海外勢とのジョイントはこの2曲に限ったことではない。サウス・ヒップホップの音楽的爆心地のひとつ、ヒューストンのSLIM Kが『YELLOW T△PE』シリーズの楽曲をドラッギーにリミックスしたチョップド&スクリュー盤『PURP TPE』の例に象徴されるように、KOHH、そして彼が所属するGUNSMITH PRODUCTIONは、近年インターネットを中心に急速に発達してきたミックステープ・シーンが生み出したグローバルなラップ/ヒップホップ文化のコミュニティ、ないしはネットワークを共有している。昨年、DJ ISSOとSEEDAがサウス・シカゴの新鋭CHIEF KEEF周辺の重要人物、DJ KENNとのコラボレーションのもとリリースした『CCG THE CHICAGO ALLIANCE』や、ANARCHYがメジャー・デビュー直前に同じく多くの海外アーティストを招いてフリーダウンロードで発表した『DGKA』といったミックステープが、こうした流れの一端であることは論をまたない。

 いま起ころうとしているのは、それぞれの社会の文脈によって多様にローカライズされつつも、国境を越えて確かに共振する、グローバルなアウトサイダー・カルチャーの混淆だ。まるで基礎教養のように様々なドラッグの隠語をそらんじ、幼い頃から熟知した犯罪の符牒を暗号じみた手つきとアイコンタクトでやり取りする、越境者たちのコミュニティ。服では隠せない場所に入れたタトゥーでお互いのアイデンティティを確認し、通常の人間には聴こえない周波数の音に耳を尖らせ、独自のスラングと遠吠えで交信する、異形の犬たちのネットワーク。グローバルなラップ/ヒップホップ文化は、これまで強く根ざしてきた場所と人種に基づく垂直的な軸に、インターネットをベースとした流動的なネットワークによる水平的な軸が加わることで、ゆるやかに再構成されつつあるようだ。
 東京北部郊外、隅田川沿いにそびえる巨大な団地のたもとで鳴らされるこのラップ・ミュージックは、官製の文化政策をバックに、国民的アイドルや現実から遊離したアニメーションによって推進される「クール・ジャパン」とはまったく別種の、日本から世界への応答となるだろう。本作『梔子』は、世界中にバラまかれたラップ/ヒップホップという危険な文化の種子が、極東の地で独自の交配を繰り返して誕生した突然変異種であり、マリファナの灰とコデインの原液を養分に育った、いびつで、美しい花だ。しかも、毒を秘めた。

 ここにあるのは、最新の、古いポートレート。紙飛行機のかたちをした置き手紙。タイムラグとともに届けられた初対面の挨拶は、そのまま別れの言葉だ。ハロー。グッバイ。アイ・ラヴ・ユー。リラックスして真っ白なカンバスに向き合えば、ピカソ風の自画像が歌い出し、隣で写楽が伴奏する。あっという間に月と太陽が入れ変わり、手もとのiPhoneが出かける時刻を告げる。赤い口紅の付いたTシャツを着替えて、真新しいキックスに足を突っ込む。甘い香水の匂いも、首筋のキスマークも、すぐに消える。はじめまして。さようなら。いってきます。だけど、いまはまだここにいる。喧噪の余韻を濡れた鼻先に感じながら、次に見る景色を思い浮かべている。さあ、どこにいこう?

泉智

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