目下、海外では「YouTubeからインディ・ミュージックがいなくなる?」という議論が起きている。
YouTubeがサブスクリプション(定額制)サービスをはじめるという話は、ご存じの方も多いだろう。サービス開始にあたって、YouTubeは、メジャーよりも悪い条件での契約( The Worldwide Independent Network (WIN)によれば『フェアは言えない条件』)をインディ・レーベルに強いているというのだ。そして、新しい契約に合意しないインディ・レーベルは、コンテンツを取り下げられてしまう状況にあるという。
このところ、ほとんどの海外(音楽)メディア──『ガーディアン』から『ピッチフォーク』がそのことを話題にしている。有料化自体を反対する『GIZMODO』のようなメディアもある。
こうした動きに対して、XLをはじめとするインディ・レーベルは反対の動きを見せ、アメリカのインディ・レーベル連合A2IMは米連邦取引委員会に抗議、契約の不当性を問うているという。また、レディオヘッドのエド・オブライエンは、今回の衝突のもっとも危惧すべきこととして、『ビルボード』に以下のようなコメントを寄せている。「インディ・アーティストとレーベルは、音楽の未来の最先端にいる。彼らを規制することは、インターネットをスーパースターとビッグ・ビジネスのために構築するという危険を孕んでいる」
たとえば、日本では洋楽が売れなくなった……などとこの10年よく言われる。たしかに旧来の産業構造においては売れなくなったのだろうが、これはインターネットの普及によって消費のされ方が大ヒット依存型から脱却したに過ぎないのではないか、ということを本サイトをやっていると感じる。たとえば、アジカンを好きなマサやんがアルカを聴く──前者はともかく後者のような実験的な音楽は、ネット普及前の世界では、それなりにマニアックな店に行かなければ聴けなかったが、いまでは簡単にアクセスすることができる。ひと昔前なら「売れないから」という理由で店から閉め出された多様性は、この10年、より身近なところに来ている……はずだった。
何にせよ、インディ・ミュージックのファンにとって、今後の動向が気になるところだろう。(野田)
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いまさらって感じもあるんで、飛ばしていきます。
前回は……ビザも帰りの航空券もなかったものの、EU加盟国でないスイスに無事入国。かの地のゲストへの歓待ぶりに感心し、まだもう少しつづくはずの旅について夢想しつつ結んだのだった。ローブドア(Robedoor)のブリット・ブラウン(〈NNF〉代表)、アレックス・ブラウン(ローブドア)、マーティン(サンド・サークルズ/Sand Circles)僕の4人はチューリッヒからバーゼルへ入った。
■OCT 18th
最初にツアー日程を確認した際に、なるほど、18日はバーゼルでデイオフなのね。観光できるのね。と浮かれてみたものの、まさかのハコの名前が〈OFF〉っつーオチでした。この日はよくも悪くもいわゆるパンク・スクワットな場所で音質はもちろん劣悪。集客もマチマチといったところで不完全燃焼であった感は否めない。翌朝にロザーン入りする前にギーガー美術館へ行こうということになり、イヴェント終了後に身内で勝手に『エイリアン』をスクリーンに上映しながら飲みはじめる。僕ら4人が『エイリアン』にエキサイトしている階下にお客さんのひとりが申し訳なさそうに降りてきて『マーチを売ってほしいんだけど……』と言われるまで完全にライヴをおこなったことを忘れていた。ちなみにこのハコっつーか、ビルに宿泊してたわけだが、シャワー風呂がなぜか台所に置いてあるフランシス・ベーコン・スタイルで家人にモロ出しだった。しかも窓際でカーテン無しなので向かいの家にもモロ出し。逆にお返しのつもりなのか、向かいのお姉ちゃんがベランダからオッパイ見せてくれました。これ、バーゼルのハイライト。
■OCT 19th

ギーガー美術館にたたずむアレックス
ロザーン入りする前にグリュイエールのギーガー美術館へ(R.I.P.)行く。山腹にそびえ立つグリュイエール城への道のりに建立されるこの美術館はパーソナル・コレクションや併設展も含めて予想以上に見応えのあるものであった。ギーガーのイラストレーションとグリュイエールの幻想的なランドスケープが相乗する不思議な感覚には体験する価値があるとここに記しておこう。ロザーンでの衝撃はele-kingのウェブ版にも紙面にも書いてしまったのでこれ以上はクドいため割愛させていただこう。〈ル・ボーグ〉、ルフ・フェスティヴァル、エンプティセット、エンドン最高!
■OCT 20th
ジュネーヴでこれまで同行してきたサンド・サークル(Sand Circle)のマーティンとの共演も最後となる。そして翌日から代わって同行するカンクン(Cankun)のヴィンセントとホーリー・ストレイズ(Holy Strays)のセバスチャンが合流する。ヴィンセントはモンペリエ、セバスチャンはパリを拠点にするフレンチ・ドュードだ。早速レーヌのハイ・ウルフ(High Wolf)をネタにして盛り上がる。ハイ・ウルフことマックス・プリモールトは素晴らしい。彼と時間を過ごしたことのある人間は彼をネタにせずにはいられないのだ。すべてのツアー・ミュージシャンはそうあるべきではないだろうか?

“サイケデリック・ループペダル・ガイ”、カンクンのステージ
サンプリング・ループとギター演奏によるリアルタイム・ループで構成される初期サン・アロー以降、〈NNF〉周辺で定番化した「サイケデリック・ループペダル・ガイ」という点では、カンクンもハイ・ウルフに近いスタイルだ。しかしハイ・ウルフがクラウト・ロックをベースとしたワンマン・ジャムであるのに対し、カンクンの展開はもっとDJミックスに近い。ダンス・ミュージックとしてのグルーヴが強いのだ。〈メキシカン・サマー〉からの次回作を期待させられる演奏を披露してくれた。
セバスチャンのホーリー・ストレイズはなんだろう……僕が聴いた初期の〈NNF〉リリースのサウンドとはだいぶ異なっていて、ラウンジっぽかったり、トリップホップっぽかったり、ジュークっぽかったり、ウィッチハウス的な雰囲気も……まぁ如何せんものすっごい若いのでいろいろやりたいのでしょう。インターネット世代のミュージシャンと少し垣根を感じる今日このごろなのです。
アナーキスト・バー的なハコ、〈L'Ecurie〉もナイスなメシ、ナイスガイズ、ナイスPAと最高のアテンドを見せてくれた。このハコや〈ル・ボーグ〉のようにアトリエ、ギャラリー、居住スペース、パフォーマンス・スペース、バーを一か所に集約している場ってやっぱり発信力とかアテンドが圧倒的に強いと思う。

〈ル・ボーグ〉にて
■OCT 21st

BUKAのステージ
マーティンとの別れを惜しみつつも5人編成となりミラノ入り。この日のハコの〈BUKA〉はかなりイケてた。もともと70年代に建てられた大手レコード会社(Compagnia Generale del Disco)のビル、つまりオフィス、ウェアハウス、レコーディングスタジオ、プレス工場や印刷工場が併設される巨大な建造物の廃墟なのだ。このレコード会社は80年代のイタロ・ディスコ・ブームで一世を風靡するものの倒産、88年に建物をワーナーが購入するも90年代半ばに断念、長らく放棄させられていた場所で、その一部を改築し、2012年からアート/イヴェント・スペースとして再生したのが〈BUKA〉である。一部というのは本当に一部の地上階からアクセス可能なオフィス、講堂(70年代風のレトロ・フューチャリスティックなコロッセオ型の講堂! ライヴはここでおこなった)のみで、敷地の大半は完全に打ち捨てられた状態である。もちろん電気も通っておらず、サウンドチェックを終えた僕とブリットらは懐中電灯を頼りに探索、男子たるものはいつになってもこーゆーのに心くすぐられるのである。この日のライヴはURサウンドが収録してくれたようだ。
■OCT 22nd
この日からフランス入り、初日はモンペリエ。これまでサウンドチェックに入る際に必ずスタッフに訊ねていたことがふたつある。ひとつはDIはいくつあるのか? もうひとつは誰がネタを持っているのか? だ。フランスに入ったこの日からふたつめの問いかけに対するリアクションがあまりよろしくなかった。この日はライヴ終了後にマイクでオーディエンスに問いかけるものの単なる笑いものになってしまった。イヴェント終了後、みんなはディスコ・パーティへ向かうものの僕ひとり不貞腐れて宿に着いて寝た。ちなみにここまであんまり書いてないけどツアー中は男同士ふたりでワン・ベッドでも普通に寝れる。ツアーって恐ろしいよねーって朝起きて横で半裸で寝ているブリットを見て思った。
■OCT 23rd
フランスのお次はトゥールーズ。前日に引きつづきライヴ・バー的な場所。この日もハコの連中は僕の要求に応じてくれず、このあたりからフランス自体にムカツキはじめるもこの日は対バンのサード(SAÅAD)が爽やかな笑顔でわけてくれた。サードはローブドアやカンクンのリリース元であるハンズ・イン・ザ・ダーク〈(Hands in the Dark)〉がプッシュするドゥーム・ゲイズっつーかダーク・アンビエントなバンドである。先日同レーベルからデビュー・アルバムであるディープ/フロート(Deep/Float)が発売されたようだ。シネマティックなダーク・アンビエント好きは要チェックだ。

ブリットとスティーヴ
この日の僕のハイライトはシルヴェスター・アンファング(Silvester Anfang)のスティーブがたまたまライヴに遊びに来てくれていたことだ。スティーヴはフランダース発、暗黒フリーフォーク集団フューネラル・フォーク(Funeral Folk)及び現在のシルヴェスター・アンファングII(Sylvester Anfang II)の母体となったシルヴェスター・アンファングの創始者である(ややこしいんですけど改名前はサイケ・フリーフォークを主体とし、改名後はサイケ・クラウトロックを主体とする別バンドなんだ! と力説していた。そのあたりもアモン・デュールに対して超リスペクトってことなんですね)。ベルギーのエクスペリメンタル・レーベル代表格、〈クラーク(Kraak)〉のメンバーでもある彼がなぜここに? というのも嫁がトゥールーズの大学へ通っているとのことで数ヶ月前に越してきたらしい。数年前からアートワーク等を通して交流はあったものの、このようなかたちで偶然会えるとは本当にうれしかった。
■OCT 24th

ソーヌ川に浮かぶハコ〈ソニック〉
リヨンへ到着。この日の〈ソニック〉はソーヌ川に浮かぶハコ……というか船なのだ。その昔サンフランシスコでバスの座席を全部取り外して移動式のハコにしていた連中を思い出す。リヨンの町並みは息を呑むほど美しい。ユラユラするハコも素晴らしい。ワインもおいしい。音は90db以下だったけれどもまぁまぁよかった。この日も誰もネタをわけてくれなかった。フランス人の田舎モンどもなんかファ……などとヴィンセントに悪態をつきながら床に着いた。
■OCT 25th

パリス・キッズ。
パリへ到着。僕は今回のローブドアのヨーロッパ・ツアー最終地点であるバーミンガムの〈ブリング・ダ・ライト・フェスティヴァル〉には参加しないのでこの晩が彼らとの最後の共演となる。パリでのショウを仕切ってくれたフランチ・アレックス(アレックスはいっぱいいるので)はフランスのインディ・ミュージックのウェブジン、『ハートジン(hartzine)』のリポーターで、DIYテープ・レーベル、〈セブン・サンズ〉の主宰者でもある。フリー・スペース〈ガレージ・ミュー(Garage MU)〉でのイヴェントの集客と盛り上がりはすさまじい熱気であった。パリのキッズはイケている。今回のツアーでもっともヒップスタティックな客層であったかもしれない。カンクンもホーリー・ストレイズも最終日ということで気合いの入ったラウドのセットを披露してくれたし、ローブドアもこれまででもっとも長いセットを披露した。ネタも大量良質で感無量である。例のごとくチーズとワインとジョイントで夜が白むまで最終日を祝った。僕はパリにもう一日滞在してグスタフ・モーロウ美術館をチェックすることに決めた。パリ最高!
■OCT 26th
ローブドアのブリット、アレックス、カンクンのヴィンセントと別れを惜しみつつも単身パリに残る。この場を借りてブリットとアレックス、マーティンにヴィンセント、セバスチャンとそして何よりプロモーターのオニトと各地でアテンドしてくれたローカル・メイトたちに心底感謝を表する。あんたら全員最高。
パリなんかクソだ。グスタフ・モーロー美術館は改装中で閉館していた。門の前で呆然と立ちすくむ僕とブルガリアからの旅行者のじじい。ダメ元でピンポンを連打し、出てきたおばちゃんに作品あるならチョコっとでも見せて~と懇願するも鼻で笑われ門前払い。仕方なくポンピドー・センターへ向かい、クリス・マルケルの回顧上映会を見るが煮え切らず。カフェでレバノン出身のカワイ子ちゃんと談笑して癒されるもメイク・アウトできず。物価も高い。駅のジプシーウザい。パリなんかクソだ。
■OCT 27th

トゥールーズにて、夜景。
ツアー終了とともに足が無くなったので激安長距離バス、ユーロ・ラインで友人の家へ転がりこむためパリからバルセロナへ向かう。激安なので赤ん坊が泣き叫ぶ車内で隣の席の人の体臭がゴイスーな小便クサいゴミまみれのクソバスを想像していたがンなことはなく、むしろ快適に(ワイファイ有り)移動する。途中で停車したパーキング・エリアで、トイレ休憩がいったい何分なのか、フランス語がまったくわからないので他の旅行者風の乗客に訊ねる。ようやく英語が介せるジャーマン女子がいて助かった。なになに、バルサには瞑想プログラムを受講しに行くだって? ニューエイジだね。スピってるね。次の休憩所でドリフター風のフレンチ男子に話しかける。なになに、とくに目的もなく旅行中? いい感じじゃない。え? ネタ持ってきてんの!? じゃあとりあえず巻こうよ。バスがしっとりとした闇夜の荒野を疾走していく中、僕はこの旅が終わらないことを夢想しながら眠りについた。
無駄にドリフトはつづく……次回はバルセロナから極寒のNYへ。
■Profile
ロンドン出身のSundaはここ数年、東京を拠点に2都市間を行き来しながら活動している。UKテクノとハウスを好んだミックススタイルは、アナログ機材と無駄のないハードなパーカッションが特徴的。2014年現在、すでにOneman、Kode9、Ikonika、Moodymanc、Tom Demacをはじめとする多くの海外アーティストとイヴェントで共演している。1月の主催イヴェント『Million Last Moments』ではハウス・ミュージックの大物Tom Tragoも飛び入り参加し、記憶に残るセットを披露した。
DJ活動の他にはフリーライターとして、「The Japan Times」や「Resident Advisor」などに東京のクラブ・シーンについて原稿を寄せている。
Website: https://www.millionlastmoments.com
Twitter:https://twitter.com/mikesunda
■DJ Schedule
06.21 @ Helsinki、六本木
07.05 Kuromaku @ Trump Room、渋谷
07.12 Urban Nature @ Icon Lounge、渋谷
07.20 444-1 Tokyo @ Louver、新宿
6月TOP10チャート
![]() 1 |
Dark Sky - IYP - Mr. Saturday Night |
|---|---|
![]() 2 |
Palms Trax - Raw Jam - Lobster Theremin |
![]() 3 |
Call Super - Acephale II - Houndstooth |
![]() 4 |
Asusu - Too Much Time Has Passed (Dresvn Remix) - Livity Sound |
![]() 5 |
Sisterhood - Doublespeak - Tief Music |
![]() 6 |
Throwing Shade - Chancer (Kowton Remix) - Happy Skull |
![]() 7 |
NGLY - Speechless Tape - L.I.E.S. |
![]() 8 |
Chicago Flotation Device - Untitled 5 - Chicago Flotation Device |
![]() 9 |
Minor Science - Hapless - The Trilogy Tapes |
![]() 10 |
Mokona - Untitled - Templar Sound |
■ Dum Dum Girls @ Prospect Park 6/21/2014
6月も毎週のように、たくさんのイヴェントが開催されている。2週目はノースサイド・フェスティバル、3週目は、恒例のマーメイド・パレードがコ二ーアイランドで、メイク・ミュージックNYがNY中でおこなわれ、プロスペクト・パークでは、ダム・ダム・ガールズ、ホスピタリティ、ティーンというインディロック・ファン感激のラインナップのフリーショーが開かれた。セレブレイト・ブルックリンという以前レポートした、チボ・マットと同じイヴェントである(ロケーションは違う)。
公園内では、家族やグループによるBBQがそこかしこである。その良いにおいの間をすり抜けていくと、バンドシェル=ステージが見える。たくさんの人が芝生に寝転がったり、ピクニックをしている。
現在夏のフェスティバルを慣行中のダム・ダム・ガールズ、コチェラやサンフランシスコでは、アート作品のようなコスチュームで登場したが、ファミリーフレンドリーの今回のショーでは、よりコンサバな衣装だった。彼女たちのショーでは、いつも黒ずくめの彼女たちが白で登場したりなど、コスチュームの話題が絶えないのだ。
ダム・ダム・ガールズのライヴは何度見ても、そして、見るたびに「なんて痛いんだろう」と思う。金髪から黒髪になったディ・ディ・ペニーが歌っているときは、彼女に何かが憑依しているようにも見えるし、歌に何かを封入して、祀り上げているようにも見える。
今回は、新アルバム『Too True』からの曲がほとんどで、ライヴには、サードギター(男性)が入り、全体的にタイトで凝縮された演奏だった。ライヴの後半では、新作から、アルチュール・ランボーのもっとも有名な詩──「酩酊船」を歌にした“Rimbaud Eyes”を演奏すると、「End of Daze EP」に収録されたザ・スミスのもっとも有名な曲のカヴァー、“There Is a Light That Never Goes Out’”を披露した。
そのとき、ディ・ディはギターを弾かず、ハンドマイクで歌に集中した。絶望の淵を生きる若者の心情を綴ったモリッシーの悲しい歌を、彼女は、限界の限界まで搾り出すような声で歌う。ザ・スミスの音楽がいまでもアメリカで生きていることを証明するかのように、観客の歓声は半端なかった。
ラストソングの”Coming Down”を歌い上げたとき、オーディエンスは拍手喝采。野次もあったが、それらは一切無視で、MCもなし。それが彼女たちのスタイルだ。
ホスピタリティ、ティーンが残念ながら見逃してしまったが、見た人に聞くと、「ティーンは見るのに面白いライヴだった」、と。
たしかティーンは、ヒア・ウィゴー・マジックの元メンバーがやっているバンドだ。ヒア・ウィゴー・マジックといえば、最近ジョン・ウォーターズがリリースした新しい本(ヒッチハイク本?)でジョン・ウォーターズがたまたまヒッチハイクしたのがツアー中のヒア・ウィゴー・マジックで、彼らが「たったいまジョン・ウォーターズをピックアップした」ツイートしたことで、ジョン・ウォーターズがヒッチハイクしているのがばれてしまった、などなど(著者はブック・サイン会に行った)面白いネタがある。
セットリスト: ダム・ダム・ガールズ @ プロスペクトパーク
6/21/2014
Cult of Love
I Got Nothing
In the Wake of You
I Will Be
He Gets Me High
Too True to Be Good
Are You Okay?
Rest of Our Lives
Bedroom Eyes
It Only Takes One Night
Under These Hands
Rimbaud Eyes
Lord Knows
There Is a Light That Never Goes Out
(The Smiths cover)
Lost Boys & Girls Club
Coming Down
■CD(ALBUM+SINGLE)![]() BORIS - NOISE Tearbridge |
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■アナログ盤 BORIS - NOISE Daymare |
海外のアーティストとの交流の中で、お互いの国のアーティストやシーンに関する意見交換は必至であり、筆者の経験においてはその中でボリスの名が挙がらないことはまずない。名義の表記にはそのときどきの音楽性の差によって使い分けがあり、ロックの中心へと向かう大文字のBORIS、ロックの外側へ向かう小文字のboris、たとえばそうした二項の往復の中に、90年代から誰よりもワールドワイドに活動をおこなってきた彼らだからこそのジャパニーズ・ヘヴィ・ロックがある。2011年発表の『New Album』からはメジャー・リリースとなり、彼らは日本のロック史における新たなる地平線を提示した。
そして、このたび最新作『Noise』が発表される。ボリスにおけるインターナショナルとは、ボリスにおけるフィジカル・リリースとは、ボリスにおけるノイズとは、ロックとは? アルバム・タイトルとは裏腹に、近年でもっとも音楽的な作品となったともいえる『Noise』の深淵にダイヴする! ……ということでインタヴューに向かいましたが、なにぶん過去の思い入れも深いバンドなのでおそろしいほど緊張してしまい筆者はほとんどホワイトアウト状態でありました。(倉本)
■BORIS / ボリス
1992年に結成され、現在はAtsuo、Takeshi、Wataの3人体制で世界的な活動を続けるロック・バンド。これまでにおびただしいリリースがあるが、2000年代には『Amplifier Worship』『あくまのうた』『PINK』などの成功によって海外からも絶大な支持を集めるようになる。2011年に初のメジャー・リリースを行い、活動をさらに多元化させた。最新作は本年リリースの『NOISE』。
A:Atsuo
T:Takeshi
W:Wata
N:野田
当初はすごくブルータルでノイジーなアルバムになりそうな予感だった。それで、そのタイトルが降りてきて、終わってみたら逆にいちばん音楽的なアルバムになっていたんです。(Atsuo)
■はじめに、今作『NOISE』は、ロックの中心へ向かうもの=大文字BORISとしての作品、という認識で間違いないでしょうか?
A:う~ん……。なんか、完成したら今までの中で一番音楽的なアルバムができたなと思って。だから今回は大文字BORISでいいかなーと。
■毎回、最初に小文字borisか大文字BORISかというコンセプトを決めているわけではないのですか?
A:そうじゃないですね。
■完成していく段階で振り分けるんでしょうか?
A:まぁ、だいたいそうかな……。作っている段階では何も考えてないことが多いので、できあがったら「こっちだね」みたいに。
■アルバム・タイトルが『NOISE』とのことですが、ボリスは過去作も含めて象徴的なアルバム・タイトルが多いように見受けられます。先ほどおっしゃった、いままででいちばん音楽的であるアルバム『NOISE』に込められた意味は何でしょうか。
A:プリプロが全体的にでき上がった頃ですかね、タイトルとしてフッと「Noise」って言葉が降りてきて……。去年の春ぐらいですかね、「あぁ、もうこの感じでいこう」と。当初はすごくブルータルでノイジーなアルバムになりそうな予感だった。それで、そのタイトルが降りてきて、終わってみたら逆にいちばん音楽的なアルバムになっていたんです。
■前作『Heavy Rocks』ですが、なぜ再びかつてと同じタイトルを冠したのでしょうか? BORISにとっての「Heavy Rock」に対する再定義ともとらえられるのですが。
A:あの時は、『Attention Please』と『Heavy Rocks』を同時にリリースしたんですが、その兼ね合いの中で、Wataのヴォーカル曲だけの『Attention Please』に対して、その当時の「Heavy」感を詰め込むという感じで、アルバム相互のキャラが別れていった。それで『Heavy Rocks』と同じタイトルでもいいかな? ってなりました。
■ジャケットのデザインも同一で色ちがいということだったので、ボリスとしてのへヴィ・ロックの再定義があったのかなと思いまして。
A:そうですね。ただ、非常に感覚的なものですよ。言葉でこう定義するって感じでもなく、いまはこんな感じかなと。僕らのフィーリングとしての「Heavy Rock」が、あのときはあんな感じだった。
■ロックのヘヴィ性に対する感覚の変化であると。
A:そうですね。やっぱり僕らの意識の中だけではなく、周りの状況、認識も変わっているじゃないですか。それってすごく大きいことですよね。
買ってくださるお客さんが手に持って、開封して、聴くという、フォーマットそれぞれのシチュエーション、流れまで含めてデザインしています。リスナーが作品に触れている、見ている時間も音楽の重要な要素です。(Atsuo)
■なるほど。逆に僕にとってボリスの変わらない部分ということで、ひとつお訊ねさせてください。
ゼロ年代半ばからヴァイナルの需要がグンと伸びた理由のひとつに、プロダクトとしてのフェティッシュなマーケットの拡大があげられると考えています。時期的に捉えてもボリスのフィジカル・リリースの方法論はそれらのパイオニアとも言えると思います。また音質の点でもCDとヴァイナルのマスタリングを明確に差別化してきたと思います。ボリスのフィジカルへの異常ともいえるそのこだわりとは何なのでしょうか。
A:CDとLPでもフォーマットが結構違うじゃないですか。サイズであったり、収録面が分かれていたり。買ってくださるお客さんが手に持って、開封して、聴くという、フォーマットそれぞれのシチュエーション、流れまで含めてデザインしています。リスナーが作品に触れている、見ている時間も音楽の重要な要素です。
■出会いってことでしょうか?
A:はい。経験していく過程というか。それもイメージして。やっぱり音だけの世界観じゃなくて、聴いていただける人がいて、手に取ってもらうっていう経験があって、参加してもらうところまで含めて作品ですね。
■まだ僕の手元に届いていない、来る『NOISE』2xCDと2xLPのフィジカルへのこだわりがあれば教えて下さい。
A:国内盤は友だちのReginaっていうデザイン・チームのリョウ君にやってもらいました。ジャケットはもう公開されていますけど、彼なりの「Noise」をこちらに提示してくれています。
■印刷とか毎回異常にこだわっているじゃないですか。今回はどうなんですか?
A:国内盤に関してはそういったところ、ギミックではなくてもっとこう……見えない空気感とか、そういうところをつくり込んでいる感じかな。海外盤の方は僕がデザインを担当していて、そっちはまあ特色とか光沢感とかのギミック有り。Web上では絶対再現できないような。僕はそういうデザインしかできないんで(笑)。
■でもそこはやっぱりすごく大事じゃないですか。僕は音源を買う要素としてそこがなければはじまらないみたいな部分もあったりするので。
僕らは、いろんな曲の連なりがあって、アルバムの中でのそういう作品世界っていうものを追っていくようなアルバム・バンドなんですよ。(Atsuo)
![]() BORIS - NOISE Tearbridge |
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■アナログ盤 BORIS - NOISE Daymare |
■逆にダウンロード販売とかって抵抗はありますか?
A:あぁ~……
■どのあたりが苦手ですか?
A:あぁ~……。ちょっといまのは小さい文字にしといてもらえますか? フォントサイズ落としてもらっていいですか?
(一同笑)
■わかりました(笑)。ただ、ボリスはアンチ・ダウンロードなイメージありますよ。
N:しかし、ボリスは頻繁に海外に行かれているわけで、アメリカなんかは本当にダウンロードが普及しているじゃないですか?
A:ただそのぶんアナログも伸びていますからね。
■一般的にもそこは二極化していると思いますよ。たとえばボリスのリリースはプロダクト的にも価値があるので、音を単純に聴く行為を越えてみんな買うと思うんですよ。だからダウンロードのマーケットには単純に影響されない気がしますけど。
A:海外のレーベルからも、ボリスは他のバンドに比べてデジタル販売のパーセンテージがすごく低いって。フィジカルは売れるんだけど、もう少しデジタル伸ばしてくれないかって言われています。でもずっとこんな感じでやってきたので、とにかくわからないんですよ、ダウンロードって。実際自分が買ったことないし。さっきの話に戻りますけど、CDとかLPって自分が経験してきたように、手に取るところまでをイメージして作品づくりにフィードバックしていけるんですけど、ダウンロードは実際買ったことがないのでイメージしづらい。i-tunes、i-podももちろん使っていますけど、取り込む場合WAV、AIFFそのまま。とりあえずみんなmp3とかに圧縮するのは卒業した方がいいと思うなあ。ハードディスクも安くなっているし。
■でもいまはそれだけで成立しているレーベルとかアーティストもいますよね。フィジカルのリリースがいっさいないレーベルとかもあるじゃないですか。
T:逆に「なぜそれで成立させられるの? どうやったらデジタルの売上げを伸ばせるの?」 ってこっちからレーベルに質問したい(笑)。
A:僕らは、いろんな曲の連なりがあって、アルバムの中でのそういう作品世界っていうものを追っていくようなアルバム・バンドなんですよ。
■アルバム・バンド!?
A:シングルをポンポン切っていくようなバンドじゃなくて、曲の連なりである種の世界観、世界を探検して、その報告をするみたいな作品づくり。だからアルバムごとにカラーが変わってきたりもするんですけど。シングル1曲でも買えるようなダウンロードのシステムってまだぜんぜん馴染みがない。
T:それは正直な気持ちですね。
僕、本当にメルヴィンズのコレクターだったんですよ。プロモ盤からリミテッドのシングルまで、とにかくどんな手を使ってでも……みたいに。それは自分にとってすごくいい経験だったし、豊かな時間だった。それをもしボリスに対して感じてくれている人がいるとしたら、とてもうれしいことです。(Atsuo)
N:でも、ここ10年で日本のロックというか日本の音楽、それこそいろいろな、灰野敬二からボリスまですごくマーケットとして大きくなったんですよね。とくにアメリカなんかは、アメリカでメディアをやっている人間と話しても、10年前に比べて明らかに日本の音楽に対する好奇心であるとか興味みたいなものが増えているなという実感があるんですよ。やっぱりそういう日本の音楽、たとえば灰野敬二でもボアダムスでもボリスでも、そういうものを買っている人たちというのは、モノとして自分の部屋に置きたいという欲望がすごく強いリスナーだと思うんですけれど、そういう感覚って海外に行って感じられたことはあります? 日本のバンドということで逆に注目を浴びているというような。ボリスにとってそれが本意なのか不本意なのかはわからないですけど。
A:いろいろな誤解込みでボリスがこういった状況になっているとは思っています。単純に日本語がわからないわけじゃないですか、彼らは。僕ら日本語で歌っているし。だから逆にいろいろな情報を取りこぼさないようにフィジカル・フォーマットを買ってくれていたりとか、やっぱり情報を求めてくれているんじゃないかと思いますね。
N:たとえば僕らがかつて向こうのバンドに対してすごくミステリアスな気持ちを抱いていたように、いまアメリカに住んでいるような人なんかが、日本のバンドやボリスに対してミステリアスな気持ちを抱いているというような印象は感じますか? そのあたりはボリス的にはどうなんですか?
A:そうですね、それは実際に自分も経験してきたことで。僕、本当にメルヴィンズのコレクターだったんですよ。プロモ盤からリミテッドのシングルまで、とにかくどんな手を使ってでも……みたいに。ブートのビデオまで取り寄せたりしてね。とにかくどんな些細なことでも知りたかった。それは自分にとってすごくいい経験だったし、豊かな時間だった。それをもしボリスに対して感じてくれている人がいるとしたら、とてもうれしいことです。
■僕もそのあたりはお訊きしたかったのですが、たとえば日本のサイケデリックとかって、欧米ではある種のブランドのようなものになっていたりします。ボリスはかなり初期の段階からワールドワイドな活動をされていたわけで、失礼な意見になってしまうかもしれませんが、そういった海外からの日本のロックへの先入観といったもので捉えられてしまうことへの抵抗感はありましたか?
A:……んー、いや? (笑)
■すいませんでした……。
A:僕らは「サイケ・バンドです!」 みたいなノリでもないし。「メタル・バンドです!」とも言えないし。非常に宙ぶらりんな感じなんですけど、海外ではどちらのシーンにも受け入れてもらっている感覚がある。たとえば去年〈オースティン・サイケ・フェス〉に出させていただいたんですけど、あそこに出ると、「わ! 俺らすごくメタルっぽいな!」と思ったり、以前出演した〈朝霧JAM〉でも「やっぱり俺らメタルっぽいなー」とか。
T:黒い服着ているの俺らしかいない。
(一同笑)
僕らは「サイケ・バンドです!」 みたいなノリでもないし。「メタル・バンドです!」とも言えないし。非常に宙ぶらりんな感じなんですけど、海外ではどちらのシーンにも受け入れてもらっている感覚がある。(Atsuo)
A:逆に、このあいだロンドンでやった〈デザート・フェスト〉っていう、3日間ストーナー、ドゥームとかそういうヘヴィなのばっかり出るイヴェントだと、「あれ? 俺らサイケ・バンド?」みたいに、周りの状況によって自分たちに見えるボリスの姿がなんか微妙にズレたりする。話を戻すと、海外ではメタルの市場ってやっぱりすごいデカいじゃないですか。
■めちゃくちゃデカいですよね。
A:すごいですよね。同時にサイケデリックの市場ってのも、プレミアがついていてもちゃんとお金を出して現物を買うっていう、もはや骨董品収集レベルのガチな方々がたくさんいる、すごく手堅い市場なんですよね。だからそういったふたつのシーンからサポートしてもらっているのは本当にありがたいですね。
やっぱりある種、向こうのロックの歴史の流れにはまっちゃっている部分がある。でもツアーに出れば出るほど自分たちが「うわっ、超日本人だなー」みたいに思うこともやっぱりある。それを僕らなりに消化したというのが『New Album』だったんですけど。(Atsuo)
■メジャーからの初リリースとなった『New Album』からJ-POPやJ-ROCK、ビジュアル系やアニソン等の“J”を全面的にフィーチャーしたものとなりましたが、それはやはり前述の欧米におけるボリスの捉えられ方を破壊したいという欲求だったのでしょうか?
A:そうですね。やっぱりある種、向こうのロックの歴史の流れにはまっちゃっている部分がある。でもツアーに出れば出るほど自分たちが「うわっ、超日本人だなー」みたいに思うこともやっぱりある。行き来しているからこそ見えてくる日本のカルチャーの面白さもある。それを僕らなりに消化したというのが『New Album』だったんですけど。根底には、いかにバンドっていう概念を捨てていくかっていうようなアーティストとしてのヘヴィさがあった上で、エクストリームに「ポップです」というところに向かっていった。ノイジーなまでにね。たとえばこの〈エイベックス〉が築き上げてきたような、アーティスト主導ではなくて企画先行で生まれる音楽であったり、デザインとしての音楽、そういうところにピントを合わせた作品でしたね。
N:ちなみに海外へ行って向こうのジャーナリストによく訊かれる質問とかってありますか? 日本ではあまり訊かれないような。
A:次は誰とコラボレーションしたいですか? って絶対訊かれますね。それは何か変なんですかね?ボリスのスタンスは(これまでのコラボレーション相手にサンO)))、メルツバウ、灰野敬二、ザ・カルトのイアン・アストベリー等)。
■いや、僕はそこはいろんな意味で気になりますよ。僕の認識ではボリスは大きなバンドなんですけど、それでもたとえば細かいスプリットのリリースが絶えないじゃないですか。ボリスの規模のバンドになるとそういった形でのリリースはやらないバンドも多いですし、また、失礼かもしれませんがコラボレーションの相手もけっして有名なアーティストでない場合が多かったりとか。そのあたりにこだわりを僕は感じています。このあいだのJマスシスのレーベルからのヒープとのスプリット7インチしかり。
A:バンドの規模が大きくなっていくとコントロールしづらくなることもやっぱり多くて……もう、本当にめんどうくさいですよね、昨今のリリースに関する実務量は。
(一同笑)
A:CD作って、ヴァイナル、僕らの尺だと絶対2枚組になる。そしてデジタル。海外リリースでは、デジタル・ダウンロード用のジャケットをつくるのも当たり前なので、ジャケットだけでも3種類作らなきゃならないし、マスターも3種類。とにかくどんどんめんどうくさくなっている。
(一同笑)
N:それぞれのニーズがありますからね。
A:そういった中で、すべて自分たちでハンドリングできたり、フッと出せる、作ってすぐ出せるというようなものが、やっぱりどうしても欲しいんですよね。そのスピード感というか。曲作って、レコーディングして、出して、もうお客さんの手元にある、みたいな。もちろんダウンロードとかネットで共有するのではなく、形あるものでね。実際ヒープとの7インチも僕らまだ持ってないですから。
(一同笑)
■あの7インチはボリスからアプローチしたものなんですか?
A:あれはJからのオファーです。アメリカ・ツアーの際に僕らのサウンド・エンジニアとしてついてくれているノエルっていうお爺ちゃんがいて──ジミヘンを3回も観たことある人。
■すごいですね。
A:当時クリームも13thフロアエレベーターズも、バブルパピーも観たことあるって、ロックのバイブルみたいなお爺ちゃんなんですけど、彼はダイナソーJr.のPAもやっていて、先に「ヒープってバンドがノエルのことを歌った曲を作ったから、ボリスもなんかノエルのことで曲書いてみてよ」って言われて、それで。
■ジョー・ヴォルクはどこで?
A:ジョー・ヴォルクはポーティスヘッドの〈ATP〉に出ていた。彼のライヴがすごく良くて。
T:僕らと同じステージの出演だったんですけど、サウンド・チェックでの彼の音と歌がとにかくすごくて、なにこの人みたいな。僕らそのときは彼のことを知らなくて。
A:彼のアルバム、じつはジェフ・バーローがプロデュースやっていたりするんですけど。そのライヴのときに声をかけて話したりして、それからですね。本当のところ、顔が見える関係性の中でリリースとか作品づくりとかをやっていけたら楽しいですね。
昔から聴いてきてくれているようなお客さんは、相当耳が肥えている方々なので、表層がどんなものであろうと「ボリスはやっぱりボリスだよね」って言ってくれる。(Atsuo)
N:でもあれですよね。成田さんというプロデューサーをつけて〈エイベックス〉から出したということは、それまでのボリスのイメージを更新するといった意味合いがあったとおっしゃっていましたが、以前お話したときに、ボリスはどうしても海外のほうが比重が大きくなって、たとえば10年前に比べて海外で知名度が高い日本のバンドが増えてきたと思いますし、ele-kingで以前、アシッド・マザーズ・テンプルのインタヴューを掲載したらすごくアクセスがあってビックリして。平均して月に3000以上、アメリカからのアクセスがあるんですよね。日本の情報に飢えているアメリカ人がおそらく読んでいると思うんですけれども、そういった意味ではボリスはいまの状況の先陣を切っていったひとつだと思うんです。
以前お話したときには、海外の音楽シーンの中ではガッツリ機能しきれているのに、日本だと自分たちがいまひとつ機能しきれていないんじゃないかというようなこともおっしゃっていましたね。それもあって前回から〈エイベックス〉からリリースされていたりするわけですが、実際出してみて、前作の反応はどうだったんですか? たとえば倉本くんのようなドゥーム・メタル・ファンには複雑なものがあったと思うんですよ、正直な話。いろいろなリアクションがあったと思うんですが、そのあたりはいかがでしょう?
A:なんて言えばいいのかな。前回の『New Album』に関しては、「わかりやすすぎてわかりにくい」。担当も言っていましたけど、「わかりやすすぎて売りにくい」と。
(一同笑)
■だから、ある意味で『New Album』はボリス史上もっとも尖ったアルバムだったと思いますよ。
A:そうですね、シニカルな感じじゃないですか。べつに、すげぇ売れよう! と思ってあれを作ったわけでもないし。
(一同笑)
A:どうしても作品が批評的になってしまう。〈エイベックス〉から出すことでバカ売れするような期待も最初からなかったですし。まぁ、あれはあれで、メジャーからリリースするという部分もコンセプトの中に入れた、僕らなりの切り込み方だったんで。
N:それまでのファンからのリアクションはどうだったんですか?
■海外のファンのリアクションとかも気になりますね。
A:とりあえず、昔から聴いてきてくれているようなお客さんは、相当耳が肥えている方々なので、表層がどんなものであろうと「ボリスはやっぱりボリスだよね」って言ってくれる。『New Album』からついてくれたお客さんもいたりとかして、よけい混沌とした状況にはなっていますよ。
(一同笑)
■それはボリスが混沌とした状況を求めているというふうに捉えてよいのでしょうか?
A:はい。基本的に「いいものはいいじゃん」というスタンスでいたいので。それぞれの主観でね。
N:スタイルとかではないということですね。
■おっしゃっていただいたように、長年誰よりもワールドワイドに活動してきたボリスにしか見えない世界があるわけですが。日本と外の往来の中でボリスが再構築されつづけてゆく感覚と、その共有の繰り返しによって、つねに世界も更新されていくということでしょうか。
A:そうですね。もちろんアルバムだけの評価ではなくて、ツアーであったり、ライヴであったりがバンドとしての説得力であると基本的には思っています。
『New Album』まではバンドっていう概念をとにかくブッ壊すみたいなことをやってきた。徹底的にやったので、今回はちょっと肩の力を抜いて普通のバンドっぽく3人で……そういえば3人でインタヴュー受けるのは何年ぶりだろう。(Atsuo)
■成田忍氏との制作がエクストリームな形で表れた『New Album』から継続するような形で、前作『praparat』での共同作業、そして今作『NOISE』へと至ったわけですが、『New Album』と比較すると、今作『NOISE』は成田氏のエッセンスがボリス本来のサウンドに自然に落とし込まれている気がします。はじめに成田氏に仕事を依頼するに至ってから今作まで、共同制作を積み重ねていく中でお互いのヴィジョンの変化はありますか?
A:そうですね、『New Album』の時点では成田さんはそこまで僕らのことを理解していたわけでもないし、でもだからこそ良かったというか。
■その状況だからできたことって意味でしょうか?
A:そうですね、あの作品はね。成田さんはリリース後もほとんどのライヴを観に来ていただいていて。ボリスのツイン・ギターというかベースレスになる編成に着目してくれていたり。成田さんなりのボリス観みたいなものを更新していただいて。その間にジョー・ヴォルクの12インチとアソビ・セクスとのスプリット、デッド・エンドのトリビュート等も一緒に制作させていただいて、次々に新しい関係の仕方が見えてきました。で、『New Album』のときは〈Peace Music〉のエンジニアの中村さんがぜんぜん噛んでいなかった。その当時からバンドと成田さんと中村さんの三角形でやれたらいいんじゃないかなーと思っていたんですよね。『New Album』まではバンドっていう概念をとにかくブッ壊すみたいなことをやってきた。徹底的にやったので、今回はちょっと肩の力を抜いて普通のバンドっぽく3人で……そういえば3人でインタヴュー受けるのは何年ぶりだろう。
(一同笑)
A:まだ一言もしゃべってない人がいるけど(笑)。
W:こういった現場に馴れていないので……。
バンドの中での三角形と、バンドとプロデュース、エンジニアの三角形がバランスよく進行しましたね。(Atsuo)
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■アナログ盤 BORIS - NOISE Daymare |
A:それで今回『NOISE』ではバンドに立ち返って演奏に集中して。表層的なテクスチャーとか肌触りみたいなポスト・プロダクション部分を成田さんに。サウンド・エンジニアの中村さんが音楽としての骨格の強さを構築してくれました。バンドの中での三角形と、バンドとプロデュース、エンジニアの三角形がバランスよく進行しましたね。
■ボリスは過去作品をかえりみても、外に仕事を振らずにすべて自分たちで完結していた時期もあると思うのですが、現在そこを外に振ってゆくということは、そこに新たな可能性を見い出しているということでしょうか?
A:そうですね。いや、できるんですけどもうボロボロになるんですよ。
■どういうことですか?
A:全作業を受け持つと……。曲とバンドの関係性が猛獣ショウみたいな、猛獣使いみたいな……。
(一同笑)
A:……猛獣っていうよりはキメラだよね?
T:なんか見たことがない想像上の生き物みたいな。
A:お互いがこう鞭でバシッ! ガブッ! って噛まれたり、いつも戦っている感じがあった。その暴れているイメージをどうにか焼き付けるのにかなりの労力、集中力を使う。それは自分たちで暴れさせているんですけどね(笑)。曲とつくり手がお互い暴走し合ってボロボロになってゆく。けっこう疲れるんですよね。
■なるほど(全然わかっていません)。ただ、先ほどのお話にあったみたいに、作っている段階では大文字BORISなのか小文字borisなのか、はたまたBorisなのかということは考えていないとおっしゃっていましたが、それでも小文字borisは大文字BORISやBorisに比べるとジャム色は強いように感じていました。しかし、要はすべて同じようにジャムから生まれて、それに対しての外の方々の作業の中で聴こえ方が変わってゆくということなんですかね。
A:ここ何年かはTakeshiがデモをつくって、それをバンド・アレンジしていくっていう手法も取り入れていますけど、基本はジャムですね。今回のリード曲、“Quicksilver”も、ジャムって「あ、できた」みたいな感じでした。ジャムだから、基本的に繰り返しとかサビみたいな構造的な作曲をしていない──日本の音楽の方法論的な部分でいうサビってところがなかったり、リフレインがホント少ないんですよ。どんどんどんどん展開していっちゃう。
■個人的な好奇心でお訊きして申し訳ないのですが、生活の中のどれぐらいの時間を制作に割いていますか? ボリスは3人での活動歴がとても長いと思うのですが、普段どのくらい3人で制作に臨んでいるのか、いち音楽家の僕としては単純に気になります。
A:平日は仕事しよう! というふうに決めていますよ。
■平日はガッツリですか?
A:うん。昼から。やることがなかったら「ちょっと録ろうか?」みたいな感じ。
T:リハーサルスタジオに入って、レコーダー回して。
A:一応、皆さまのおかげでこうして生活させていただけているので、ちゃんと仕事として捉えています。
■スッゴイっすねー……(溜息)。
A:このやり方がいいのか悪いのかはわからないですけどね。ツアー中に刺激を受けることが多いので、帰ってきたら直ぐ「スタジオ入ろうか?」ってなりますね。
自然の現象と音楽が生まれる現象って同じことじゃないですか。音楽って空気が振動している現象であるし、水が降っていることとか、火が燃えていることとか。そういう自然の現象に匹敵する情報量がないと、人の目とか耳って楽しめないんじゃないかな? (Atsuo)
■話が飛んでしまいますが、名作『flood』以降、現在まで僕にとってボリスは水のイメージがまとわりついています。それはリリックであったり、タイトルであったりさまざまな形ではあるのですが。しかし同時にボリスはデザート・ロックにはじまるようなカラッカラのドライヴ・チューンが根底にあるとも捉えられますし、そういった意味では相反するふたつの要素が混在しているようにも思います。そのあたりは意識的なのかなと。
A:いや……、僕が「雨男」ってくらいですよ。
(一同笑)
A:そういった自然の現象と音楽が生まれる現象って同じことじゃないですか。音楽って空気が振動している現象であるし、水が降っていることとか、火が燃えていることとか。そういう自然の現象に匹敵する情報量がないと、人の目とか耳って楽しめないんじゃないかな? なんかグリッドに沿ってやる音楽とか、均一なループとか、規則的なことは僕らにはできないし(笑)。
グダグダなズレとか、オーガニックな感じでしか演奏ができない。そういった意味では今回『NOISE』はかなりそっちの方に寄っていったかな……。
T:構築するってことより、自分の内面から自然にグワァーって流れ出てきてしまうような、そういう意味でのオーガニック感。
A:単純に一点でアタックを「ダン!」って合わせるアレンジにしても「ダワァン」とハミ出ちゃうみたいに合わない。合わないときの情報量っていうか、そういう表情が出ちゃうことが僕ららしさなのかなって、ここは「良さ」として再認識しています。
■僕はそのあたりをすごく深読みしていて、ボリスはメルヴィンズの同名曲に由来するように、アメリカの乾いた音楽の影響で生まれていながらも、たとえば日本の文化や民族性において、湿度──という表現を僕はしばしば用いますが──そういった部分を意識的に落とし込んでいるというふうに捉えるのは考え過ぎでしょうか?
A:影響受けてやっても同じにはならないですよね。体の大きさも違うし、楽器の鳴りも違うし。
■電圧とかも違うッスよね。
T:湿った空気を震わせているのか、乾いた空気を震わせているのか、とかもね。
A:あんな大きな体の人たちと、こんな細い華奢な女の人(Wata)が同じ条件でギターを弾いてもやっぱりぜんぜん違う音になる。そういったことを思う機会もたくさんあったけど、逆に日本人らしいグラデーションというか、階調の多さみたいなものも売りになると思っています。
日本ってマジックミラーで囲われていて、内側からは外が見えるけど外側からは内が見えない。(Atsuo)
ジャムの曲が形になって行く過程で、言葉を加えたりギターのフレーズを入れたりしていくとき、常にそれらの「日常性」は考えます。(Takeshi)
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■ボリスの楽曲や詩からは昭和歌謡を強く感じることがあります。実際に花太陽雨のカヴァーをやっていたりもしますし。僕が海外でボリスが好きな子に出会ったりすると、PYGのことを訊かれたりして。海外のファンはボリスの和製音楽のバッググラウンドにすごい興味を持っていると思うんですよ。
A:欧米のロック史に匹敵するくらい日本のロック史には濃いものがありますよね。でもぜんぜん外側には伝わってない。向こうの人もどうやって掘り下げていいかわからない。ジュリアン・コープが書いた『ジャップ・ロック・サンプラー』にしても主観的でまだホントに入り口みたいなものですよね。パッと見でも日本には本当に変なカルチャーがいっぱいある。音楽の歴史だけでも、たどっていったら「すごいものがあるんじゃないか?」って、みんな興味持っているんじゃないかな?
N:レコード・コレクターからすると(日本は)最後の秘境と言われていますからね。いまはインターネット社会でこれだけ情報がアーカイヴ化されているでしょ? でも日本の音楽の歴史だけは世界に知られていない。
A:日本ってマジックミラーで囲われていて、内側からは外が見えるけど外側からは内が見えない。ずっとそういう状況で日本人が中で好き勝手に空騒ぎしている。でもそういったカルチャーがネットの時代になって断片的にどんどん漏れ出している。外側からしたら興味が沸くでしょう。クオリティ高いですからね、日本文化は。僕らはそういう意味では(外から)正当に評価されていないと思う。彼らだって日本の音楽からの影響も強く受けているわけですから。
N:外は感覚的な部分でそれを感じているから好きなんだと思いますよ。
■僕も彼らはイメージだけですけどそれを感じているのだと思いますね。
N:それにサウンドの上でも癖みたいなものが向こうの人は聴くとわかるみたいですよ。ひとつ言われているのが、アメリカの植民地主義じゃないですが、日本は戦後にアメリカの文化をおもいっきり与えられた。コカコーラを飲んでアメリカ的な文化をどんどん取り入れようというふうになった。そしてギターから何から実際に取り入れている。けれども日本は植民地化されることへの反発心があって、それが音楽の中に表出している。向こうの人はそういう分析の仕方をしているんです。
A:力道山的な。
N:そうそうそう。
(一同笑)
N:それが大雑把になると三島由紀夫からきゃりーぱみゅぱみゅまでいっしょになってしまうのですけど。それぐらいおもしろがってはいるんですよ。
A:過去の歴史の構造によって、日本人の表現活動が全部シニカルに見えちゃうことってありますよね。
N:でもむしろシニカルに見えているというよりはやっぱりミステリーに見えているんじゃないですか。僕らがアモンデュールを見るような感じで向こうは見ている気がしますけどね。
A:僕らの場合は表層的なロック・フォーマットがアメリカン・オルタナティヴみたいなものだったんで、アメリカのシーンにはハマりやすかったのかなとは思いますね。
N:あとは時代的なものもあったんでしょうね。そういうものが求められているというか。
A:そういう雰囲気はありましたよ。ボアダムスがあって、ギターウルフがあって、メルトバナナがあって、次の日本人は誰? 他に誰か日本人のアーティストはいないの? みたいな空気を当時は感じましたね。
N:僕はそれっておもしろい状況だと思うんですよ。ジュリアン・コープがたとえでたらめだとしても、あれだけ書いたってことは大したもんなんですよ。本当に資料がないので。
ロックってもっと危険で馬鹿馬鹿しく、下劣なものなんです。だからこそ人々の日常に寄り添える部分があると思うんですよね。(Atsuo)
■話は変わるのですが、僕がボリスにのめり込むきっかけとなったのはゼロ年代後半のパワー・アンビエントとかヘヴィ・ドローンがキテた時期だったんですけど、当時たとえばサン O)))とボリスのコラボレーション『Altar』が暗示するように、スティーヴン・オマリーや、他にはアイシスのアーロン・ターナー等、インターナショナルなネットワークで世界観を共有していたと思うんです。また、当時、さまざまな背景でヴィジョンを交錯させていた仲間は現在ではそれぞれいい具合に異なるフィールドで活動しているように見えます。彼らのような長年のミュージシャンシップからの現在のボリスへのリアクションというのは気になりますか?
A:「それぞれの役割」があるな、とは思います。君がそっち行くなら僕こっち、みたいな。お話に出たアーロンやスティーヴンは昔からの友人で、3人ともアースの『2』を当時から、まわりの誰も評価していないのに絶賛していました。他にはジム・ジャームッシュの『デッド・マン』のサントラも僕らは注目していたりした。それぞれ別の場所にいても同じフィールを共有していた記憶はあります。それぞれのバンドが活動していく中でそれぞれの立ち位置みたいなものが生まれていって。サン O)))はああいった現代音楽というかコンテンポラリー・アート寄りな方向にいって。僕らは……ロックというか──
■ボリスはアート志向な表現に抵抗感を感じていると何かのインタヴューで読んだことがあるのですが。
A:抵抗感というのは彼らに対しての抵抗感ではなくて、自分たちが「アーティスト」と呼ばれることに対する抵抗感、高尚なものとして捉えられることへの抵抗感ですね。
■ただ、ボリスは過去作品を聴く上でも、現代音楽の方向性にいって何ら不思議ではないというか、むしろすごいものができ上がるだろうって確信もあったりします。そこでボリスがロックにこだわるのはなぜだろうとも思います。
A:やっぱりロックってもっと危険で馬鹿馬鹿しく、下劣なものなんです。だからこそ人々の日常に寄り添える部分があると思うんですよね。そういうロックの日常性みたいなものに魅力を感じますね。人々の生活とか社会システム、すなわち日常の中で人々の手元まで届くというところに可能性を感じます。日常が変わらないと何も変わっていかないと思う。人々の日常に寄り添える音楽でありたいとは思いますね。
T:ジャムの曲が形になって行く過程で、言葉を加えたりギターのフレーズを入れたりしていくとき、常にそれらの「日常性」は考えます。言葉にしても高尚な言い回しではなくて、普段使うような響きの言葉をできるだけ選ぶようにしている。ギター・フレーズも僕やWataが弾いたりするわけですからどうしても手癖になってしまう部分があるんですけど、意識的にキャッチーにしてみたり、明るい気持ちで弾いたり……。誰でも弾けるとか、誰でも口ずさめるとか、そういった日常性、距離感がグッと近くなるようには意識していますね。
■ボリスの打ち込みが聴いてみたいんですけど今後期待できますでしょうか?
A:音源としてはあり得る……いや、どうだろう?
■日本盤『Smile』(海外盤とはミックスが異なっていた)の冒頭は若干ダンス・ミュージックっぽかったですよね。
A:石原さん(石原洋『Smile』のサウンドプロデューサー)のリミックスでああなっていますね。あの頃はリズムマシンもよく使っていた。テンポが揺れるようなものを使っていたんですよ。もうオモチャ。微妙に早くなったり遅くなったり。やっぱりそういうもの、エラーが起こるようなものに魅力を感じる。打ち込みは打ち込みでそういう音楽の良さももちろんわかっているんですけど、このメンバーでライヴでやるとなると、僕らがべつにやらなくてもいいことかな、と思ってしまいますね。録音作品としては全然アリだと思うんですけどね。
■少し機材の話が出たところでお訊きしたいのですが、ボリスのテープエコーはスペースエコーなんですか?
A:はい。
■201ですか? (※Roland Space Echoの型番)
A:アンチ201です。
(一同笑)
A:リヴァーブはいらない。
■ボリスのギター・サウンドにテープエコーは最高の相性だと思います。
A:150がないとツアーに出ない、この人(Wata)。そこで重要なのが、リヴァーブ・ユニットが入っていない150なら、軽くて運びやすい。
■僕は機材が好きなのでそういった部分のこだわりも気になりますね。昔からボリスはオレンジのイメージが強かったりするのもありますし。テープエコーは壊れますよね。
W:壊れますよ。何回も。
A:いままで10台くらいは買っているよね。
W:何個か壊して、それぞれの部品を集めて修理したり。
N:音デカいですよね。
A:最近はわりと抑えめなんですよ。歌にピントを合わせたいので。でも今年の頭から昔の曲を演奏するセット、それこそ『Amplifer Worship』の曲を入れたり。当時以上にグッと音量を上げるパートもやっているんですが、会場の電源が落ちたりしちゃって。
(一同笑)
アンチ201です。リヴァーブはいらない。(一同笑) (Atsuo)
■ボリスは演奏環境へのこだわりは強いと思いますが、アメリカはどこもかなりローファイじゃないですか、そのあたりはどう対処しているんですか?
A:基本的にステージの上で音のバランスは作ってあるので、あとは外音がデカく出せるか出せないかだけなんです。会場のスペックがよければよりいいですけど。結局先も話したエンジニアのノエルはもう耳が遠くなっているので、自分に聴こえるようにグーッと上げてしまうんですね。だから大丈夫です。
(一同笑)
■これからNOISEワールド・ツアーがはじまるわけですが、どのようなアーティストとステージを共有するのでしょうか?
A:アトラス・モス、セレモニー、ナッシング、マリッジズ、サブローザ、マスタード・ガス & ロージズにマスター・ミュージシャンズ・オブ・ブッカケとかですね。サポートには昔からの友達もいるし、楽しみですね。今回はツアーに出るのが楽しみになるアルバムになった。今まではこんな感覚なかったですね。
■また今後の海外ツアーを経ることで今回の『NOISE』までのボリスの感覚がさらにアップデートされていくわけですね。
A:6月の国内のライヴはアルバムの全曲披露をやるんですが、そこから海外ツアー用にまたセットを変えて向かうつもりです。アメリカ・ツアー後、日本でも9月に東名阪で行ないます。日本に戻ってきた頃には『NOISE』の曲も成長したものが聴かせられるんじゃないかな。
■ボリスはパフォーマンスをおこなう上で日本と海外の環境の違いを実感していると思いますが、今後国内のライヴ環境の変化に対するヴィジョン等はあったりしますか?
A:だいぶ変わってきている気がします。去年から国内でもライヴをたくさんするようになって、やれば変わってくるものだな、と実感しています。お客さんもチケットの買い方とかを覚えたりしたんじゃないかな?
■え?
A:いや、日本のライヴでもどんどん外人のお客さんが増えているんですよ。
T:以前、浅草のホテルから新代田フィーバーに電話がかかってきて、「そちらに行くにはどうやって向かえばいいんですか?」って問い合わせが入ったことがあって、どうやら宿泊中の外人さんが観に来たいってことだったんですけど。
(一同笑)
■それもすごい話ですね。
A:浅草観光協会に話を通した方がいいのかもしれないね(笑)。
T:主要ライヴハウスへの経路とチケットの買い方だけでも。
![]() 松永孝義 QUARTER NOTE ~The Main Man Special Band Live 2004-2011~ Precious Precious Records ライナーノーツ:こだま和文 / エマーソン北村 |
80年代の日本で、ふたりの偉大なベーシストを見つけるとしたら、ひとりはじゃがたらのナベ、もうひとりはミュート・ビートの松永孝義である、と言いたくなるのは僕だけではないでしょう。ニューオーリンズのファンクからジャマイカのレゲエ、UKのポストパンクまで、異種交配を繰り返しながら、ビート・パンク全盛期の日本で、ふたりはグルーヴを意識したダンス・ミュージック作りのひとりとして演奏に励んでいた。1986年には、インクスティック芝浦ファクトリーの「東京ソイソース」がそのうねりの拠点となって、S-KENのホットボンボンズ、ミュート・ビート、じゃがたら、そして松竹谷清のトマトスの4バンドが集まった。
初期のじゃがたらは、いまからざっと30年ほど前の下北沢のとあるバーにたびたび集まっていた。当時その店で働いていたのがトマトスを結成する松竹谷清、通称、清さんだった。パンクの熱が容赦なく残っている時代において、音楽の探求者たちは同じ場所と同じ時間を共有した。トマトスには、ベースがナベ、ギターがEBBY──じゃがたらのメンバーして知られたふたりが加入している。
トマトスはミュート・ビートと同様に、80年代前半の東京の、レゲエのリズムを取り入れたバンドだった。インストのミュート・ビートに対して、しかし、トマトスには日本語の歌があった。やがて初期のフィッシュマンズや一時期のチエコ・ビューティー、あるいはロッキン・タイムなどへと展開する、日本語ロックステディのはじまりと言えるかもしれない。ちなみに、広くはミュート・ビートのベーシストとして記憶されている松永孝義だが、1989年からはトマトスでも演奏している(また、一瞬だが今井秀行もドラムを叩いている)。
松竹谷清とミュート・ビートとの共演は、1枚の素晴らしい名盤を残している。スカタライツのサックス奏者、ローランド・アルフォンソとの共演盤だ。1988年、松竹谷清はギタリストとして、ローランド・アルフォンソ+ミュート・ビートのライヴに参加していている。それが後に『ROLAND ALPHONSO meets MUTE BEAT』としてリリースされた。また、1992年にはニューヨークの伝説的なレゲエ/ダブ・レーベルのワッキーズにて、『ROLAND ALPHONSO meet GOOD BAITES with ピアニカ前田 at WACKIES NEW JERSEY』の録音にも参加している。後者は、たったの2曲の複数ヴァージョンの収録なのにも関わらず、まったく飽きさせない出来だ。
この6月、松永孝義の3回忌にあわせての未発表ライヴ音源がリリースされる。2004年に、松永孝義にとって生涯で最初で最後のスタジオ録音のソロ・アルバム『The Main Man』を契機に生まれたバンド、The Main Man Special Bandによるライヴ演奏だ(ライナーノートは、こだま和文とエマーソン北村)。ちなみに、カヴァー曲の多いくだんの『The Main Man』のなかで、オリジナル曲を書いているのが松竹谷清である。
写真撮影のときは、チエコ・ビューティーの『ビューティーズ・ロック・ステディ』(こだま和文がプロデュースした日本のロックステディの名作)のなかの1曲、“だいじょーぶ”を弾き方ってくれた松竹谷清は、近年は、日本語レゲエの先駆者として、地味ながらも再評価されている。今回は、清さんに、松永孝義のベースと80年代のミュート・ビート周辺について語ってもらった。
やっぱりミュートからですね。ミュート・ビートが好きで、という感じですかね。それで衝撃を受けましてね。松永は「すげえベースだな」っていうので、まずは音楽ですごく感動しまして。
■今回松永孝義さんの3回忌ということで、未発表のライヴ・アルバム『QUARTER NOTE』発売がされます。今回のそのためのインタヴューということで、松竹谷清さんにお時間をいただきました。清さんは松永さんとはもちろん古いつき合いであり、松永さんの唯一のソロ・アルバム『The Main Man』のなかでも作曲されてもいます。
松竹谷清:教えた曲も含めると半分ぐらいになるかもしれないけど(笑)。
■松永さんを若い世代にも知ってほしいということで今回の企画があるのですが、まず最初に松永さんがどういう方だったのかのかお話していただきたいなと思ういます。そもそもいつお知り合いになられたんでしょうか?
松竹谷:やっぱりミュートからですね。ミュート・ビートが好きで、という感じですかね。それでおお! という衝撃を受けましてね。
■清さんがトマトスをやるのはちょっとあとですよね。
松竹谷:実際はミュートよりもトマトスのほうがちょっと早いんですよ。全然マイナーなんですけど。トマトスは82年ぐらいからやってるんで、トロンボーンズとかルード・フラワーとかやってる頃で。だいたい85年ぐらいだと思うんですけど、こだまとかと知り合ったりとかして、それでミュートのライヴなんかも観ていって。
スタッフ:トマトスがはじまってるのってニューウェイヴより前なんですか?
松竹谷:もうニューウェイヴだね。だから東京ロッカーズのあとだね、ミュートも俺らも。だから80年代入ってからだね。それで松永は「すげえベースだな」っていうので、まずは音楽ですごく感動しまして。で、あとでよくよく考えると、かなり前にライヴハウスで違うバンドで対バンしたこともあったんですけど。やっぱり(意識したのは)ミュート・ビートですね。86年かなあ? 85~6年、そのぐらいですね。
スタッフ:当時は〈クロコダイル〉で?
松竹谷:うん、〈クロコダイル〉とかですね。あと六本木のインクスティックですね。
■ミュートもトマトスも、お互いそれぞれ作品を発表された頃ですね。
松竹谷:ミュートが出したのとだいたい同じ時期なんですよ。ミュートが出したのも、86年、87年……『TRA』のカセットが86年で、ファーストの『FLOWER』が87年じゃない。トマトスも87年なんで。一緒ぐらいなんです。まあうちはインディでしたけどね。
■その頃パンク/ニューウェイヴがあって、と同時にレゲエがありました。清さんは、じゃがたらやミュート・ビート、S-KENといった、のちの東京ソイソースに繋がるコミュニティのひとりだったわけですけれど、その当時のバンド間の関係っていうのはどんな感じだったんでしょう?
松竹谷:ちょっとこう……俺らはちょっと違うよっていう意識だけは持ってたかもしれないですね(笑)。ツッぱって。あの頃やっぱりイギリスに目が行ってたと思うので。イギリスのクラブ・シーンや音楽が変わっていくっていうのと、俺らも同じところにいるような気持ちでやってたと思いますね。要は、クラッシュにしてもレゲエに影響を受けて変わったり、いろいろあるでしょう。リップ、リグ&パニックとか、あとはファンクとかね。レゲエとかサルサとかアフリカの音楽とかがこう、ぐしゃぐしゃっとなってきた時期だったんで。僕らも同じ気持ちがありましたね。
■ちなみに清さんご本人のそれまでのバックボーンっていうのは?
松竹谷:アメリカの黒人音楽ですね。ブルース/ロックンロールですね。しかも、プレスリーのように、違う文化のフィルターがかかって、化学反応が起きているものが好きです。何て言うんだろう……ワープ感というか、そういうようなイメージなんで、僕のなかの音楽って。そのものをやるっていうじゃなく。自分が持ってるものじゃなくて、何かのところに行ってヘンな化学変化が起きたような感じで。根っこはロックンロールやブルースがあったところで、っていうね。この前イエローマンがたまたま日本でツアーしてまして、サポートでバッキングしたんですけど、同世代なので、持っているものは同じというか。アメリカからの影響がレゲエという形で出ていくという。どんなジャンルもそういうのがあっていいと思うので。
■トマトスの靴のジャケット(「ROCK-A-BLUE BEAT」)、よく覚えています。ミュート・ビートの『FLOWER』もそうですけど、ああいうのがひとつのメッセージというか。レゲエみたいなものがたんに輸入音楽ではなく、のちに日本に根付いていくきっかけになったんだと思います。
松竹谷:そうですよね、ええ。ありがとうございます。だってねえ、世界中でその国の言葉で歌ってるじゃないですか。いろんなものの影響を受けて。それがグルーヴにすごく影響があるんでね。それが面白いですよ。
■ちなみに清さんはレゲエみたいなものはどこから入ったんですか?
松竹谷:ボブ・マーリーとかジミー・クリフとか初期のも好きだったんですが、80年代前後に古いスカやロック・ステディのレコードが若干買えるようになりまして。トリオでトロージャン・ストーリー出たり。あれがまず大きくて。80年代頭の当時は「あのレコード屋に〈スタジオ・ワン〉のレコードが何枚入るぞ」ってスカフレのメンバーとかミュートのメンバーで取り合ってましたよ。早く行って買わないとない、っていう。「ウッドストックに10枚入る」だの……。
■はははは。そういうなかでミュート・ビートを通じて松永さんとお会いすると。清さんから見てミュート・ビートというのはどういうバンドでしょう?
松竹谷:いや、もうあのひとたちはワン・アンド・オンリーなんでね。早い話、演奏は素晴らしいですけど、ぶっちゃけて言っちゃうとオーガスタス・パブロの80年代前後のサウンドにかなり近いアレンジとかもしてる。でもこだまの演奏は、日本でないと成り立たないものになってるっていうのが、一番僕がグッときたところですね。日本でないと成り立たないレゲエだっていう。
■それはメロディであったり?
松竹谷:メロディであったりですね。でも同じようなトラックの作り方してても……同じような叩き方やベースの弾き方してても、にじみ出てくるものがあって、それがすごく大きかったです。
スタッフ:暗いアルバムってヨーロッパやイギリスでもあるけど、ああいうマイナーな曲が入ってるってないですよね。暗いっていうと違うかもしれないですけど。
松竹谷:いや、暗くていいんじゃない(笑)?
[[SplitPage]]何て言うんだろう……ワープ感というか、そういうようなイメージなんで、僕のなかの音楽って。そのものをやるっていうじゃなく。自分が持ってるものじゃなくて、何かのところに行ってヘンな化学変化が起きたような感じで。
■ニーナ・シモンと美空ひばりとどっちに近いかって言われたら、必ずしもニーナ・シモンとは言い切れないという?
松竹谷:いやいや、ほんとそういうことですよ。僕らはパンク/ニューウェイヴを通ったっていうのが大きかったと思いますね。70年代からロックを聴いていた世代にしたら、パンク/ニューウェイヴっていうのは子どもの音楽だったんですね。僕はそういう風には絶対に思わなかった。壊して新しくなっていくってところにすごく喜びを感じていまして。
■ブルースとかブラック・ミュージックをずっと聴いていた方でパンク/ニューウェイヴを受け入れるって――。
松竹谷:だからほんと周りにいなかったですよ。
■どちらかと言うとアンチな立場の方のほうがね。
松竹谷:多いですよね。当時だと実際問題「何やってんだ」みたいな感じもありましたからね。
■そういうなかで松永さんっていうのは……。
松竹谷:松永なんていうのは、ある種ファウンデーションというか、しっかりと基本的なところを押さえたプレイをする人間なんですけど。人間的には壊していくというか、オリジナリティを出していくことがすごく好きなひとなんでね。だから俺みたいなヘンなのも好きだったんじゃないですか(笑)。こだまとか(笑)。
■(笑)じゃあキャラで言うと、こだまさんとは正反対の方だったんですね。いつまでもビールを飲んでいるような感じじゃなくて。
松竹谷:いやーでも、当時は松永もヒドかったよ。朝起きたらビール飲んで、飲酒運転して来てリハして、リハしてるときビール飲んで。(スタッフを指して)こいつなんてミュートのライヴで「このヤロー、ステージにビールないだろ!」って松永に怒られてたからねー。
■松永さんは出自がクラシックだから、それが清さんやこだまさんとも違ってらっしゃるというか。
松竹谷:でもあいつ元々は、高校ぐらいまではエレキ・ベースでツェッペリンとかああいうロックをやっていて、ジャズやりたくてウッド・ベースやり出して、足がおかしくなったりで真面目に、ってことで音大でコントラバスやり出したんですよ。根っこはロックなんですよ。
■それでレゲエのベースを。
松竹谷:それでレゲエをやりたいっていうんで、ミュートのベースがいなくなるときにピアニカ前田が松永をこだまに紹介したという。それで松永がミュートに入ったんですね。
■清さんから見て松永さんのベーシストとしての魅力というのは?
松竹谷:もう言い切れないくらい好きなんですけど……音良しリズム良しセンス良しで、言うこと何にもないですね。で、今回のアルバムのタイトルは俺がつけたんですけど。
■『QUARTER NOTE』。
松竹谷:『QUARTER NOTE』って四分音符ってことなんで。そのことで言うと、松永さん四分音符が長いんですよ。それに応える形で俺と松永でグルーヴを作っていったってところがあるんで。「ドゥーン、ドゥーン、ブン、チャッ、チッ」とかね、そういう感じで。簡単な、けど一拍であのしっかりとした四分音符にはまあほんと、しびれましたね。
■独特のリズム感ということですか?
松竹谷:うーん、タイム感ですね。独特というか……テンポが遅いわけじゃないんですよ。
■僕が思うのは、清さんのトマトスなんかもそうですけど、じゃがたらやミュート・ビートがそれまでの日本のバンドと何が違ってたのかと言うと、それまで日本でロックを聴くって言ってもグルーヴっていうことを言うひとっていなくて。ダンス・ミュージックってことを意識するバンドってそんなにはいなくて。ロックっていうと個人でハマって聴く感じっていうのがどうしてもあったので。
松竹谷:ああー、それがね! それはだから、70年代にそうなっちゃったんじゃないかなあ、主に。
■そういう感じがあったところに、たぶんダンス・ミュージックってことをすごく意識されてて。グル―ヴってことをすごく意識したバンドじゃないですか。
松竹谷:それは意識してますね!
■レゲエっていうよりはね。そういうなかではベースってすごく重要なポジションですもんね。
松竹谷:重要ですよ。ほんっとに。
■そのグルーヴっていうのはトマトスも研究されてましたけど、松永さんもそこなんですね。
松竹谷:ほんとに松永がいなかったらないですね。
■たとえばジャマイカのダブの名ベーシストはいろいろいますけど、そういうのと比較して松永さんの持ち味といいますと。
松竹谷:うーん……日本人っぽいのかなあ、それが。カチっとしてますね。柔らかい音で弾いても響きは硬質というか。音色がまず違いますしねえ。まあありがちな言い方だけど、アンプが鳴ってるんじゃなくて、ストリングスが鳴ってますね、松永は。弦が鳴ってますね。極端な話、アンプを選ばないですね。もちろんそれはウッド・ベースにしてもそうなんで。なんせ音色がほんとに色っぽくて、いいですね。
■松永さんの唯一のスタジオ録音のソロ・アルバム『The Main Man』っていうのは、彼が初めて主役となって……「メイン」となって作ったアルバムでもありますけれども、そういうときに普通ならもうちょっとベーシストとしての自分が前に出てもおかしくはないじゃないですか。
松竹谷:ブーツィー・コリンズですか(笑)?
■ああいうベース・ソロがあっても別に誰も嫌味とは思わないわけじゃないですか。でも、『The Main Man』という作品は、あくまでもひとりのベーシストに徹しているっていう。
松竹谷:それが松永の音楽観だと思うんですよ。メロディあるならメロディを、グルーヴでどれだけ上げるかがベースの役目なんですね。それに徹しているんですよ、ほんとに。
■ソロを弾かなかったのは?
松竹谷:いやー、必要ないんじゃないですかね、あのひとにとっては。何て言うんだろう、一音のなかでそういうことを全部表せるっていうか。特別なソロっていうパートは必要ないんですよ。曲のなかでドーンとあることが……だから普通のバッキングで主張しまくってますよ(笑)。
■しかも、収録曲はカヴァーであり、あるいは清さんの曲であったり……、要するにご自身で作曲したりしないんですよね。
松竹谷:最初、全部俺の曲だけでやるかって話もあったんですよ。でもそれだと俺のソロ・アルバムみたくなりすぎるんで、で、わざわざ松永が札幌まで来て話して、10曲ぐらい曲作ってあげたんだけど。で、自分で考えて「この曲をこのひとに歌ってもらおう」とか「セッション的に生まれたこの曲を入れよう」とか、そういう風に悩みに悩んでああいう形になったと思うんですよ。松永は、曲のなかに自分の解釈を出したかったんじゃないですか。
[[SplitPage]]70年代からロックを聴いていた世代にしたら、パンク/ニューウェイヴっていうのは子どもの音楽だったんですね。僕はそういう風には絶対に思わなかった。壊して新しくなっていくってところにすごく喜びを感じていまして。
■松永さんはミュート・ビートでベースを弾いて、清さんはトマトスをやってて、そのふたつのバンドの最高の邂逅を音源として残しているものをひとつ挙げるとすれば、やっぱりローランド・アルフォンソとの共演だったと思うんですよね。ワッキーズで録音したヤツ(『ROLAND ALPHONSO meet GOOD BAITES with ピアニカ前田 at WACKIES NEW JERSEY』)です。90年代初頭の美しい隠れ名盤ですよね。
松竹谷:内容は最高ですよね。まずローランド・アルフォンソを呼びたいという石井さ(志津男)んの話があって。その後に、今度はローランドのソロ・アルバムを作らないかってことになりまして。で、トラックをミュートのドラムの今井に作ってもらって、僕らは前田とバッキングして音楽をアレンジして。それをこっちで録って、テープを持ってニューヨークでダビングっていう。1曲は昔やってた“テンダリー”って曲で、もう1曲はまあ俺の曲をやったんですけど……ローランドさんは目が悪くて譜面が読めなかったという(笑)。
だから前田にメロ吹かせたのを送るんだけど。こんなでっかいお玉(音符)を前田に書かせて(笑)、それを持って行って吹いてもらったりしたんですけど。完璧にはできなかったですけど、でもいいムードになりましたね。
■ローランドさんはそのときおいくつだったんですか?
松竹谷:その頃ねえ……だからあれをやったのが20数年前でしょう?
■ミュートでもやられてるし、あとはワッキーズでもやってますよね。
松竹谷:そうです。だから……ひょっとすると、いまの僕らぐらいかもしれないですね。僕57なんですけど、60ちょっと手前かぐらい。そんな歳いってなかったと思いますよ。
■その当時はほかにもジャッキー・ミットゥが来たりとか。
松竹谷:そうですね。
■ただ当時のジャマイカ国内は、スレンテン以降のああいうコンピュータライズした時代で。ジャマイカってやっぱりトレンドが早いんで。
松竹谷:そうですね。ちゃんとしたヒット・ミュージックなんでね。みんなニューヨークにいるって言ってましたね、当時。
■そういうなかで、日本で自分たちの曲をこんなにも演奏できる連中がいるっていうのは、やっぱりすごく嬉しかったんじゃないかなって想像するんですけど。
松竹谷:ものすごく喜んでいただきましたね。まずライヴのときにね。
スタッフ:ローランドが来たのは、ミュートとのライヴの当日ですからね。たしかリハぐらいに来て。
松竹谷:いやいや、リハじゃないよ。開演10分前に来たんですよ。で、開演時間30分押して。
■それを、ぶっつけ本番の一発でやって、しっかり息が合っちゃったんですからね。すごいですよねえ。
松竹谷:しびれましたけどね、ほんとに。一応、(ローランドは)なしで、こうやって(笑)、練習してました。これは松永の話だからネタとして。じつはリハは松永も京都で足止め食らって来てなかったですからね。で、松永も来ないしローランドも来ないし、どうすんだろって、俺たちしぶーく練習してたんですよ、最初。そのうち松永も戻って来れたんだけど。
■今回三回忌ということで、The Main Man Special Bandのライヴ盤が出たわけですけれども、このリリースに関して清さんはどのような感想を持ってらっしゃいますか?
松竹谷:まあ……いいんじゃないですか。スタジオ盤じゃなく、こういうライヴのグルーヴというかムードがちゃんと伝わるものをしっかりまた聴いていただけるっていうのは。
■レゲエ以外に、ハワイアン、島唄もありますけれども、そういったものは80年代レゲエをずっとやられてきたなかでの次のステップみたいな風に考えてらしたんですか?
松竹谷:もともと好きでね、松永さん。ああ見えていろんな音楽好きなんで。沖縄にしても小笠原にしてもハワイアンにしてもスウィング感、グルーヴがあるんでね。あと、まず松永は音色でグルーヴするっていうのを大事にしてた。要するにマイク一本で生音でやるハワイアンのCDなんかをあいつよく聴いてたりしたんですけど。昔のジャズとかラテンなんかも同じなんで。音色で、音量も合わせてグルーヴするっていうのがあるんでね、そういうところをすごく大事にしてたことが、よりいっそうそういうところに行ったんだと思いますよ。
極端に言うと、いまのレコーディングと全然違うんで。たとえばの話、1小節弾けりゃいいでしょ、っていう感じのがあるでしょう? あれってダメですからね。1曲でグルーヴしてないと。何でも直せちゃうとダメなんですよね、やっぱり。いい場合もあるけど。グルーヴが止まったらダメなんでね。影響があるんで、細切れには絶対できない。それって音色も含めてのことなので。
■その80年代末、活動のなかでターニング・ポイントだったことは何か覚えてらっしゃいますか?
松竹谷:うーん……自分自身は松永とやることでよりいっそうシンプルになっていったというか。レゲエだアフロだサルサだっていうんじゃなく、ポップスのなかでもロックしているっていう。自分の解釈だったり音色っていうところも含めてやって行きたいっていう風になっていった時期ですかねえ。
■松永さんがひとまず入られたのが89年?
松竹谷:そうですね。半年ぐらいミュートとダブってるのかな? ミュートのリズム・セクションに「やれ」って(笑)。引き抜いたっていうより並行してやってもらったんだけど(笑)。
■エマーソン北村さんってじゃがたらのキーボードがミュートだったりで。
松竹谷:まあ、ルースターズとかああいうやつらも俺ら仲いいんですけど、ロックンロールが好きなんでね。僕らの好みの音楽をやるにはセンスがやはり、ということで、ただドドドドドドドドってやるわけじゃないんでね。16ビートもラテン色というか。そういうセンスのひとがなかなかいなかったというか。そうするとやはり近場になってきてしまったというのが現状ですね。あんまりいなかったんで、やっぱり。ソイソースやってたメンバーになっちゃうんでね。
■ちなみにソイソース・チームのリズム隊が一番お手本にしたものって何かありますか?
松竹谷:僕らはいつも言ってるんですけど、みんなが好きだったのはイアン・デューリーとブロックヘッズかなあ。
■それはこだまさんもよく言いますね。
松竹谷:じゃがたらも好きだし、こだまも好きだし、俺も好きだし。松永も大好きだしね。イアン・デューリーとブロックヘッズはね、あれだけフュージョンっぽいアレンジしてもロックだっていうね。あれはほんとにカッコいいですね。ほんっとに大好きですね。ミュートなんてブロックヘッズの曲ちゃんとカヴァーしてるんでね。ブロックヘッズは、71年ぐらいにキルバーン&ザ・ハイローズって名前でデビューしてるんで。もうカリプソとかレゲエやってるからね、そのときに。大好きですね。カッコいいです。
ちなみに松永に聴かせたいぐらいに、去年出たノーマン・ワット・ロイ(元ブロックヘッズのベーシスト)のソロ・アルバムがいいんですよ。なんか似てるよ。多少ベース・ソロみたいなの入ってるんだけど、松永のセンスとなんか似てるね。曲で(グルーヴを)やるっていうのがあるんで。すごいいいわ。
まあ、そういう、もちろん(海外のミュージシャンを)お手本にして一生懸命やってたんですけど、日本人なりのノリが混ざって出てくるのも俺はいいんじゃねえかっていうのもあったからね(笑)。
■「ROCK-A-BLUE BEAT」も日本語の歌の響きにこだわってますもんね。
松竹谷:戦前からのジャズやシャンソンの替え歌を歌ったりとか、“わたしの青空”とかやってるわけで。60年代入ってから和製ポップス、弘田三枝子が“子供じゃないの”とかやってるのと全然変わらないですよ。感覚的には。向こうのメロディで自分の言いたいことを歌詞で作っていくっていうのは。さっきも言ったけど、多少ズレようがそれが日本人だからいいんじゃないかなっていう。そういう気持ちがありますね。
だから批判めいちゃうけど、いまみたいに譜割りが細かいのに日本語の歌詞乗せたりするわりと流行ってる音楽は、リズムの譜割り気にするわりに歌詞の量多くて何歌ってるかわからないですからね。それを気にしすぎな気がしちゃいますね。詰め詰めで。グルーヴしてないっていうか。
■英語で言うところの子音の部分を何とか埋めようとしちゃってるというか。
松竹谷:そうそう。あれはちょっと違うんじゃねえかなあと思うんですけどね。メロの麗しさみたいなものと一緒になってないという感じがしますね。だって外国語の語感と違うんだからしょうがないですよ。それでいいんですよ。日本人に伝わるのが好きなんで。
松永もそういうところがあるんで、まあチエコ(・ビューティー)なんかも喜んでやってたしね。英語だけにこだわってるよりは、自分たちが作っていったものをやるほうがすごく好きでしたね。
松永さん。ああ見えていろんな音楽好きなんで。沖縄にしても小笠原にしてもハワイアンにしてもスウィング感、グルーヴがあるんでね。あと、まず松永は音色でグルーヴするっていうのを大事にしてた。
■松永さんとの思い出でよく覚えているものがあれば。
松竹谷:松永との思い出はいろいろありすぎるんですけど(笑)。80年代は松永もヒドかったんでね。飲酒運転してたぐらいなんで。ライヴ終わったあとジェームズ・ブラウンかけたら松永もノってきて義足をひきずりながらこう踊ったりしてて(笑)。
■こういう言い方は誤解を招きかねないのですが、義足で、あの大きいダブル・ベースをやるっていうのがまたね。しかもダンス・ミュージックをやるわけじゃないですか。音のグル―ヴってものは、身体的なハンディキャップとは関係ないってあらためて思いますね。
松竹谷:いや、ほんと関係ないですよ。ピッキングに心こもってますからね。なんか日本調の言い方なんだけど(笑)。それで松永に車で送ってもらうんだけど、テキーラ飲みながら帰りましたからね。いまだったら恐ろしいよね。
■もう交通刑務所に入れられますよ(笑)。
松竹谷:まあくだらない話ですけどね。松永とは、お互いの楽器でグルーヴし合えたっていうのが大きかったんで。まあ(いまも)松永のことがどうしても浮かんできてしまうんでね。どうしても僕の頭のなかではノリがそうなっちゃいますかね。あまりにも綺麗ごとみたいなんだけど、なんとなくあるんでね。悪く言うと意識してるのかね、やっぱり(笑)。ひとりでやっててもいっしょにやってるような感じですね。
■今回のライヴ録音なんかもそうなんですけど、ベースが例によって出しゃばることなく、でもしっかり気持ちよく聞こえるんですよね。
松竹谷:やっぱいい音ですからね。
■ほんとライヴ盤っていうのを忘れるぐらいな感じですよね。年齢的にはみんな同じぐらいですか?
松竹谷:松永と俺は学年一緒ですね。こだまは2コ上ですね。前田さんは3つ上です。アケミが1コ上かな。オトも1コ上だね。
■飲みの席での音楽談義が白熱したりとかは。
松竹谷:俺が一番やってましたね。オトの譜面ビリビリに破いたりとか。こんなもん見てる場合じゃねーだろ、とかって(笑)。やんちゃでしたね。何言ってんだよ、みたいな(笑)。でもケンカするって言うより音楽の情報交換が楽しかったですね、一緒に飲んでて。それはいろんなジャンルにすごく行くんで。なんせ昔は情報が少なかったからね。
だからたとえばの話、こだまと話してたりすると、昔の日本の歌謡曲いいよねとかさ、それこそ60年代のイタリアやフランスのヒット曲もいいよねとかさ、マイルスいいよねとか。あっちこっちに飛んでて、そういうとこがお互いの感情わかってる感じがあるよね。
■僕なんかからすると、当時はみんなオシャレに見えましたね。古着で着飾っている感じが。
松竹谷:それはイギリス意識であったと思いますよ。ファッションと音楽は一緒のほうが楽しいですね。
■ハットかぶってる感じとかがね。
松竹谷:対抗してますから、こだまと俺。あいつには負けねえ、みたいな。
■(笑)清さんが札幌に戻られたのはいつなんですか?
松竹谷:94年ですね。ちょっと疲れたってほどでもないんですけど、一回地元に戻ってみるかなって感じですかね。実際問題、俺のファンってこっちのほうが多いんで。当時の空気感っていうのは東京にいたひとじゃないとわからないんでね。僕らの音楽の感じっていうのは、地方にはなかなか伝わってないですね。
■それこそフィッシュマンズが有名ですけど、リトル・テンポであるとか、まさにチルドレンたちへの影響があって。
松竹谷:そんな偉そうなことは言えないですけど、いいですよね。フィッシュマンズなんて日本の音楽だって感じがして。ああじゃないとダメですよね。
■清志郎さんの音楽は好きですか?
松竹谷:いや、もう大好きですよ。尊敬してますよ。素晴らしいですよ、やっぱり。ブロックヘッズともやられてますからね、いち早く。
■でも80年代のときは別々ですよね?
松竹谷:(笑)だって向こうは売れてるから。だから清志郎さんのセンスのやり方もあるけど、俺らは俺らのやり方で日本の音やりたいんで。
■こだまさんとか清さんみたいな先達が元気でいらっしゃるのは僕なんかからしても嬉しい限りで。またこういうアルバムがきっかけで、80年代の日本の音楽でこういうのがあったんだよってひとりでも多く知ってくれればいいかなって思います。
松竹谷:過去の遺物じゃないようにね。だから偉そうに言うと、ちゃんと俺らは俺らで音楽できてるっていうことが、過去にならないってことになるんで。ほんとに松永と一緒にやれたっていうのが誇りなんでね。正直な話、そのことですごく(いまも)やってられますよ。だから、ガンになったって松永から電話あったときは音楽やめようかなって思ったんですけどね。
今回のレコードのレーベル名が〈プレシャス・プレシャス(precious precious)〉っていうんだけど、これはオーティス・クレイに“プレシャス・プレシャス”って曲があるんですよ。松永がこの曲が好きで、酔っぱらうと「プレーシャス、プレーシャス」って(笑)。70年代のリズム&ブルースで、これが好きなんだわー。それから取ってるんですよ。
~ 松永孝義 三回忌ライブ ~
松永孝義 The Main Man Special Band
『QUARTER NOTE』CD発売記念ライブ
7月11日(金)
開場:19:00 / 開演:20:00
西麻布 「新世界」 https://shinsekai9.jp/
出演:松永孝義 The Main Man Special Band:
桜井芳樹(Gt) / 増井朗人(Trb) / 矢口博康(Sax,Cl) / 福島ピート幹夫(Sax) / エマーソン北村(Key, Cho) / 井ノ浦英雄(Drs, Per) / ANNSAN(Per)/ 松永希(宮武希)(Vo, Cho) / ayako_HaLo(Cho)
ゲスト: 松竹谷清(Vo, Gt) 、ピアニカ前田(Pianica)、Lagoon/山内雄喜(Slack-key. Gt)、田村玄一(Steel. Gt)
料金: 前売り予約:¥3,500(ドリンク別)
INFO・チケット予約・お問い合わせ先:
西麻布 「新世界」
https://shinsekai9.jp/2014/07/11/the-main-man-special-band/
TEL: 03-5772-6767 (15:00~19:00)
東京都港区西麻布1-8-4 三保谷硝子 B1F
スローイング・スノーことロス・トーンズ。90年代のブリストル・サウンドを今日的に蘇生させ、UKのクラブ・カルチャーの突端を走ろうとしているこの新たな才能は、2000年代半ばより自らもレーベル運営を行い、自作とともに他の才能のフックアップにおいてもキレを見せている。以下は、そんなトーンズの「プロデュース」における多面性が詳らかになるインタヴュー記録だ。
わたしはいつでもブリストルの音楽を愛しています。ブリストルには自由があって、イギリスの他のどの場所ともちがうことをしたいという強い願望があるのです。
![]() Throwing Snow- Mosaic Houndstooth / Pヴァイン |
■サウンドクラウドのプロフィールには「London/Bristol/Weardale」とありますが、現在の活動拠点はどちらの町なんでしょう? また、その場所を選んだ理由を教えてください。
ロス・トーンズ:いまはロンドンに住んでいますが、わたしの一部はいまでも昔住んでいたウェアデールとブリストルにいるつもりです。ロンドンはわたしが現在住みたいと思う音楽とカルチャーのメルティング・ポットです。絶え間なくインスピレーションの源になることもその理由ですね。ここならなんでもできるし、世界のどこへも行くことができるのです。
■あなたの音楽性を紹介するメディアの文章で、「フォークからダブステップまで」という表現を見かけました。あなたのなかの雑食性はどのようにして育まれたのでしょうか? もっとも影響を受けた音楽は何ですか?
トーンズ:本当にいろんな音楽にハマってきました。なんにでも興味を持っていた時期があって、そのころはどんな音楽でも(それがよいものであれば)好きになったんです。音楽の趣向はとても主観的なものだから、他人を満足させるのは難しいことだと思います。さまざまなスタイルの音楽を受け入れてきたこと以外に大きな影響があるとは言えません。とはいえ、子どもの頃にラジオでジョン・ピール(John Peel)を聴いたことが大きな衝撃でもありました。
■あなたにはレーベルの管理者という顔もありますね。音楽の創作だけではなく、レーベルをはじめるようになったきっかけを教えてください。既存のレーベルでは満足できなかったのですか?
トーンズ:myspaceが流行っていた頃に音楽をリリースしはじめました。音楽業界が変わってきて、やり方を変えるチャンスだと感じたからです。アーティストにお金を稼いでほしかったし、クリエイティヴ面で完全な自由を与えたかったのです。そしてデジタル技術の発達による民主化が素晴らしいと思いつつも、フィジカル面はキープしつづけたいと思っていました。ミュージシャンが権利を自分で保持できるシステムも構築したいと考えていました。
■〈ア・フューチャー・ウィズアウト(A Future Without)〉と、〈レフト・ブランク(Left Blank)〉では、レーベルの位置づけはどのように異なるのでしょうか? それぞれの特徴を教えてください。
トーンズ:〈ア・フューチャー・ウィズアウト〉は、いまではポストカード・レコードや折り紙のようなジャケットのレコードなどおもしろいと思うフィジカルでのリリースを目的としています。いままではたくさんのリリースをしてきましたが、もっと特別なプロジェクトに集中したいのでリリース量は減らしています。〈ア・フューチャー・ウィズアウト〉がいろんなジャンルを扱うのに対して、〈レフト・ブランク〉は一風変わったダンス・ミュージックをアナログでリリースしています。3人で運営していて、全員の意見が一致しないとリリースしません。量ではなくて質が問題なのです。
■〈ア・フューチャー・ウィズアウト〉からはカーン(Kahn)が最初のEPをリリースしていたり、〈レフト・ブランク〉からはヴェッセル(Vessel)が2枚のEPをリリースしていますが、ヤング・エコー(Young Echo)のような音楽はいま「ブリストル・ニュー・スクール」として注目されています。現地のシーンがどのように盛り上がっているのか、教えてください。
トーンズ:〈ア・フューチャー・ウィズアウト〉からはジョウ(Zhou)とエル・キッド(El Kid)もリリースしています。ラッキーなことにヤング・エコーの最初もここからでした。わたしはいつでもブリストルの音楽を愛しています。新しいアーティストも例外ではありません。ブリストルには自由があって、イギリスの他のどの場所ともちがうことをしたいという強い願望があるのです。つねに前に進もうとしているところも大好きなんです。
このアルバムはわたしが過去にリリースしてきた幅広いスタイルの音楽の集大成です。これでわたしはさらに先へと進むのです。
Throwing Snow feat. Adda Kaleh - The Tempest from Rick Robin on Vimeo.
■『モザイク』にはいろんな種類のビートが打ちこまれていますね。ダブステップやジューク、トリップホップ、ドラムンベースのようなビートまで。これをアルバムにまとめるのは大変ではなかったですか? 統合するためのコンセプトなどはありましたか?
トーンズ:アルバムをひとまとめに繋ぎあわせた唯一のものは、まるでモザイクのようにわたしに影響を与えてきたものたちです。トラックに込めた感情やサウンドはすべて同じです。しかし、使ってきた素材はいままでのものを再構築したものです。すべてプロデューサーとしてのわたしから出てきたものなので、うまくひとまとめになったと思います。リスナーにもそれを感じ取ってもらいたいと思っています。
■アダ・カレ(Adda Kaleh)、キッド・A(Kid A)、Py、ヤシー・グレ(Jassy Grez)、今回はたくさんの女性ヴォーカリストが参加していますが、人選はどのように行われたのでしょうか? また、ヴォーカルをフィーチャーした作品にしようとしたのはなぜですか? たとえば、ケレラ(Kelela)やFKAツウィグス(FKA twigs)などの存在は意識しましたか?
トーンズ:いつでもヴォーカリストと仕事をしたいと思っています。人間的な要素や、独立した物語を音楽に加えることができるからです。ケレラやFKAツウィグスのやっていることは好きですが、彼女たちがリリースする前から曲を作っていたのでこのアルバムへの影響はありませんでした。今回選んだヴォーカリストは自信を持ってよいクオリティだと思う人だけで、声も大好きな人たちばかりです。たぶんこれがわたしのプロデュースのやり方なんだと思います。わたしは曲が最終的にこのような形になるとは予期していませんでした。曲自体が自然に出来上がっていったのです。
■なかでも、2曲で参加しているアダ・カレは非常に印象的です。彼女はFIAC(Foire Internationale d'Art Contemporain)に参加するような現代美術のアーティストだと聞いています。彼女との出会いや、ヴォーカリストとしてどこに惹かれたのかを教えてください。
トーンズ:彼女とはニューヨークでのRBMA(レッド・ブル・ミュージック・アカデミー)で出会いました。彼女の音楽と声だけでなくて創造性と芸術に対する彼女の姿勢も大好きです。彼女は多才ですが、とても控えめな人です。 わたしは彼女のそのような部分もまた好きなのです。彼女が持つ他の芸術分野についての知識は、彼女の歌い方にドラマチックで力強い感性を与えているはずです。
■アルバムのタイトルを『Mosaic(モザイク)』にしたのはなぜですか? どんな意味を込めたのでしょう?
トーンズ:プロデューサーとしてのわたしに影響を与えてきたサウンド、音楽は、モザイクのようなものだからです。このアルバムはわたしが過去にリリースしてきた幅広いスタイルの音楽の集大成です。これでわたしはさらに先へと進むのです。
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ポスト・ダブステップのプロデューサーがハウス回帰していくなかで、ポストのその先はどうなるんだろうとぼんやりと思っていたが、その回答例のひとつがここにあるのではないだろうか。先に言ってしまうと、決定的に新しいものがあるとは思わない。が、非常に折衷的なスローイング・スノウのビート・ミュージックには、そのぶつかり合いから生まれ得る何かを模索する野心がふつふつと感じられる。にもかかわらず、不思議とガツガツとした印象は受けない。たとえば4曲めの“リングイス”では前半パンタ・デュ・プランスを思わせるような澄んだ高音の金属音を反復させたかと思えば、途中で強烈なベースがそこに割りこんでくる。しかしその入り方はとってつけたような感じではなく、あくまでも平然としているのだ……まるであらかじめ、それらが出会うことは決められていたかのように。あるいは、キッドAというシンガーを招聘しているらしい“ヒプノタイズ”は(声質が似ているため)ビョークがついにダブステップのプロデューサーと組みましたと言われればあっさりと信じてしまいそうな完成度の高さとメジャー感でこそ勝負している。ハイライトのひとつは先のEPでも話題になった“パスファインダー”だが、そこにはヒプノティックで烈しいビートと生音のギターの断片、地を這うベースとムーディなシンセの和音があり、それらはしかしこんがらがることなく同居している。
アルバムは“マエラ”と“オール・ザ・ライツ”のドラムンベースでエネルギーの上昇線を描き、“ドラウグル(亡霊)”のアンビエント・テクノで一気にダウナーな地点まで持って行く(かと思えば、途中入ってくる硬質なビートでまたドライヴする)。それにつづくラスト、“サルターレ(パーツ1&2)”がアルバムのなかでは比較的オーソドックスなテクノ・トラックとなっているのも興味深い。キックは4/4を打ち、その裏をハットがしっかりと刻みながら、光が溢れるようなメロディが視界に広がっていく。そのクオリティたるや、「そういえば、こういうのもできるけどね?」ぐらいのソツのなさだ。
「モザイク」というからには、それぞれのパーツが役割を果たして全体像が結ぶ何かがあるはずである。ほとんどのヴォーカル・トラックでメランコリックな女声が聴けることや、禍々しくも圧倒的な“ザ・テンペスト”のヴィデオなどにトーンズ独自の審美眼、その気配が発揮されているように思うが、それとてまだまだほんのいち部だろう。スケールの大きな才能の登場……そしてこのデビュー作離れした余裕は、ビート・ミュージックのこの先をわたしたちに夢想させるにはじゅうぶんだ。
Throwing Snow feat. Adda Kaleh - The Tempest from Rick Robin on Vimeo.
ピンチはデジタル・ミスティックズと並ぶダブステップのオリジネーターのひとりだ。彼の作品からリスナーたちはダブステップとは一体何なのかを学び、これからこのジャンルで何が起ろうとしているのかも考えられるようになった。
従来のダンス・ミュージックでは一拍ごとにキックが鳴らされていた。だが、キックの数を半分に減らしたハーフ・ステップという手法とウォブル・ベース(うねるエフェクトが施されたベース音)がダブステップでは主に用いられ、この魔法にかかると140BPMという決して遅くはないスピードが緩やかに進行する。2005年にピンチがスタートしたレーベル〈テクトニック〉の最初のリリースは、Pデューティー(ギンズ名義でも活動)との共作シングルであり、A面に収録された“ウォー・ダブ”は当時のアンダーグラウンドの空気を詰め込んだかのようなダブステップのナンバーだ。
この曲に対して、B面に収録された“エイリアン・タン”でも140BPMでハーフ・ステップが用いられているが、その上で速く鳴らされるパーカッションやベースのうなり方がそれまでのダブステップとは違ったノリを作り出している。ピンチと同じく、現在もブリストルに住むRSDことロブ・スミスは、ダブステップを140BPMという曲のスピードの中で自由に遊ぶ音楽と定義しているが、ピンチもいち早くその「遊び方」に目をつけた人物だった。
ピンチは、2013年に新たなレーベル〈コールド・レコーディングス〉をスタートする。2枚目のリリースが、当時19歳でイングランドのバースにある大学で音楽を専攻していた気鋭のプロデューサーのバツ(BATU)だったように、ピンチは新たな才能の発掘にも力を入れている(現地点での〈テクトニック〉からの最新リリースは、ブリストルの若手クルーであるヤング・エコーのひとり、アイシャン・サウンド)。 新人から経験のあるプロデューサーが〈コールド・レコーディングス〉には集まっている。この新しいレーベルでキー・ワードとなるのは、「120-130BPM」だ。
今週末、ピンチは日本にやって来る。昨年は、エイドリアン・シャーウッドとともにエレクトラグライドでライヴ・セットをプレイしたが、今回はDJピンチとしてDBSのステージに再び立つことになり、本国イギリスでもなかなか体験することができない2時間半のロング・セットを予定している。もちろん、たくさんのレコードとダブ・プレートを携えて、だ。
その日、同じステージに立つゴス・トラッドは現在、85BPMという未知なる領域を開拓しており、先日のアウトルック・フェスティヴァルにオーサーとして来日していた〈ディープ・メディ〉のレーベル・メイトのジャック・スパロウに、「これは未来だ」と言わしめた。同じくその夜プレイするエナも、ドラムンベースとダブステップを通過した定義することが大変難しい音楽を探究しながらも、国内外を問わず確実な支持を集めている(〈サムライ・ホロ〉から3月にリリースしたEPは既にソールド・アウト)。
「ポスト・ダブステップ」という言葉が(安易であるにせよ)使われるようになった現在、プロデューサーたちは、大きな変化を常に求められている。だが、この日DBSに集まるピンチを始めとする先駆者たちは、リスナーたちの期待を軽々と越え、これからいったい何が聴かれるべきなのかを決定してしまうような力を持っている。
6.21 (SAT) @ UNIT
DBS presents PINCH Birthday Bash!!!
Feat.
PINCH (Tectonic, Cold Recordings, Bristol UK)
GOTH-TRAD(Live)
ENA
JAH-LIGHT
SIVARIDER
Extra Sound System:
JAH-LIGHT SOUND SYSTEM
Open/Start 23:30
Adv.3,000yen Door 3,500yen
info. 03.5459.8630 UNIT
https://www.dbs-tokyo.com
Ticket outlets:NOW ON SALE!
PIA (0570-02-9999/P-code: 232-858)、 LAWSON (L-code: 79718)
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clubberia https://www.clubberia.com/store/
渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)、TECHNIQUE(5458-4143)、GANBAN(3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)、Bonjour Records (5458-6020)
原宿/GLOCAL RECORDS(090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、JET SET TOKYO (5452-2262)、disk union CLUB MUSIC SHOP(5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)、Dub Store Record Mart (3364-5251)
吉祥寺/Jar-Beat Record (0422-42-4877)、disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)
Caution :
You Must Be 20 and Over With Photo ID to Enter.
20歳未満の方のご入場はお断りさせていただきます。
写真付き身分証明書をご持参下さい。
PINCH (Tectonic, Cold Recordings, Bristol UK)
ダブ、トリップホップ、そしてBasic Channel等のディープなミニマル・テクノに触発され、オーガニックなサウンドを指向し、'03年頃からミニマル・テクノにグライム、ガラージ、エレクトロ等のミックスを始める。ロンドンのFWD>>に触発され、'04年からブリストルでダブステップ・ナイトを開催、'05年に自己のレーベル、Tectonicを設立、DJ Pinch & P Duttyの"War Dub"を皮切りにDigital Mystikz、Loefah、Skream、Distance等のリリースを重ね、'06年にコンピレーション『TECTONIC PLATES』を発表、ダブステップの世界的注目の一翼をになう。自作ではPlanet Muから"Qawwali"、"Puniser"のリリースを経て、'07年にTectonicから1st.アルバム『UNDERWATER DANCEHALL』を発表、ヴォーカル曲を含む新型ブリストル・サウンドを示し絶賛を浴びる。'08~09年にはTectonicの他にもSoul Jazz、Planet Mu等から活発なリリースを展開、近年はミニマル/テクノ、アンビエント・シーン等、幅広い注目を集め、"Croydon House" 、"Retribution" (Swamp 81)、"Swish" (Deep Medi)等の革新的なソロ作と平行してShackleton、Distance、Loefah、Quest等と精力的にコラボ活動を展開。Shackletonとの共作は11年、アルバム『PINCH & SHACKLETON』(Honest Jon's)の発表で世界を驚愕させる。12年にはPhotekとの共作"Acid Reign"、13年にはAdrian Sherwoodとの共作"Music Killer"、"Bring Me Weed"で大反響を呼ぶ。またアシッドハウス、ハードコア、ジャングル等、UKハードコア・カルチャーに根差した新潮流にフォーカスしたヴァイナル・オンリーのレーベル、Cold Recordingsを新設し、その勢いは止まらない!
https://www.tectonicrecordings.com/
https://coldrecordings.com/
https://twitter.com/tectonicpinch
https://www.facebook.com/PinchTectonic
GOTH-TRAD (Deep Medi Musik, BTC,JPN)
ミキシングを自在に操り、様々なアプローチで ダンス・ミュージックを生み出すサウンド・オ リジネイター。03年に1st.アルバム『GOTH-TRAD』を発表。国内、ヨーロッパを中心に海外ツアーを始める。05年には 2nd.アルバム『THE INVERTED PERSPECTIVE』をリリース。また同年"Mad Rave"と称した新たなダンス・ミュージックへのアプローチを打ち出し、3rd.アルバム『MAD RAVER'S DANCE FLOOR』を発表。06年には自身のパーティー「Back To Chill」を開始する。『MAD RAVER'S~』収録曲"Back To Chill"が本場ロンドンの DUBSTEP シーンで話題となり、07年にUKのレーベル、SKUD BEATから『Back To Chill EP』、MALAが主宰するDEEP MEDi MUSIKから"Cut End/Flags"をリリース。12年2月、DEEP MEDiから待望のニューアルバム『NEW EPOCH』を発表、斬新かつルーツに根差した音楽性に世界が驚愕し、精力的なツアーで各地を席巻している。
https://www.gothtrad.com/
https://www.facebook.com/gothtrad
ENA (7even/Samurai Horo/Cylon)
Drum&BassとDubstepを中心にリリースをするレーベル“IAI RECORDINGS”をMC CARDZと共に主宰。Producer、DJ、LIVEパフォーマー、作曲、編曲、 ギタリスト、劇伴作家、エンジニア等のさまざまな領域で名義を使い分け、J-popや演歌からノイズまでメジャー、 アンダーグラウンドをボーダーレスに活動。数々のUK Drum&Bass DJにサポートされ、現在世界的に拡大しているDeep系Drum&Bassのトラックも評価が高く、Drum&Bassの本場LondonにてKenny Kenn、Instra:mentalなどと競演。CARDZ&ENA名義による国内初のDrum&Bassオンリーのアルバム『DEADSTOCK』をリリース。 MurderChannelコンピレーションCD参加、DJ100Mado&PachekoのSplitアルバムにRemix提供、MAKOTO主宰レーベル“HE:Digital”、フランスのTop Label”7even Recordings”からの12inchリリース。その他にもドイツのHymen Recやロシア、スペイン、そしてアメリカなど世界中のレーベルから立て続けにリリースを重ねると同時に、楽曲のクオリティの高さからミキシングの評価も高く、様々な作品にエンジニアリングでも参加。 今後も様々なレーベルからのリリースが決定している日本を代表するクリエーターである。
奇数月第2水曜日、新宿OPEN "PSYCHO RHYTHMIC" 主催。夜の匂いの染み込んだレコード
を、ざっくりしかし心を込めてプレイ。レゲエ・ヒップホップ・ダンスミュージック、
さまざまなパーティーにて放蕩する人たちの琴線に触れ、お酒も良く出ると評判に。
https://mofobusiness.blogspot.jp/
https://soundcloud.com/lil-mofo-business
https://www.mixcloud.com/LILMOFOBUSINESS/
2014/6/13 NOMAD(AIR) DAIKANYAMA
2014/6/14 GRASSROOTS HIGASHIKOENJI
2014/6/15 VINCENT RADIO SHIMOKITAZAWA
2014/6/19 GARAM KABUKICHO
2014/6/20 KATA(LIQUIDROOM) EBISU
2014/6/21 GOODLIFE LOUNGE KITASANDO
2014/6/28 TIMEOUT CAFE(LIQUIDROOM) EBISU
2014/6/29 TORANOKO SHOKUDO SHIBUYA
本日の「iPODで聴いてます」 2014.6.4
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Meyhem Lauren & Buckwild - Silk Pyramids - Thrice Great Records |
|---|---|
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Andre Nickatina - Cupid Got Bullets 4 Me - Fillmoe Coleman Records |
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Delroy Edwards - Slowed Down Funk Vol. 1 - L.A. Club Resource |
![]() 4 |
Delroy Edwards - 55 min Boiler Room mix - BOILER ROOM |
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Ben UFO - Never Went to Blue Note - BOILER ROOM |
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Asusu - FABRICLIVE x Hessle Audio Mix - fabric |
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Omar S - Romancing The Stone! - FXHE |
![]() 8 |
KALBATA & MIXMONSTER - CONGO BEAT THE DRUM - FREESTYLE |
![]() 9 |
HOLLIE COOK - TWICE - Mr Bongo |
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King Krule - 6 FEET BENEATH THE MOON - True Panther |





