「K Á R Y Y N」と一致するもの

KNZZ - ele-king

 「東京はグレーな街」誰が最初に言い出したのかわからないが、東京の色を表すのに「グレー」はしっくりくる。しかし、ここ数年東京の街に似合う色は「ネイヴィー」だと感じることが多い。夕方に目覚めた時に見える空の色。静かな夜明けが訪れるほんの少し前のあの色。それがこの街のいまの色ではないだろうか。

 そう思わせてくれたアーティストが2人いる。febbとKNZZ、2人のラッパー(彼らはいま、DJ J-SCHEMEとともにDOGGIESというグループを結成している)。febbはファースト・アルバム『the season(ザ・シーズン)』のその名も“NAVY BARS”という曲でその世界を見せてくれる。『the season』の話はまた別の機会にしたい。今回はKNZZの話。「もっともラッパーらしいラッパー」それがKNZZを表すのにいちばん適している。

 KNZZが満を持してリリースしたファースト・アルバムは「Z」と名付けられている。アルファベットの最後の文字からは「最後まで立っている男」の姿が頭に浮かぶ。ここで彼が徹底しているのは、「ラッパーであること」「ヒップホップであること」の2点に尽きる。自身の経験を交えて語られるのは、非常な世界で生きてきた中から生まれる現実的なストーリーであり教訓である。ところが、その一方で比喩や韻といった技術的な表現、ラッパーとしてラップをすることという人格的な表現、という2点に重点を置くことによって、現実と仮想現実が交錯する。この2つの世界は最終的には現実世界に着地するというSFさながらの超大作がこのアルバムである。

 いくつかのインタヴューでKNZZ自身が話している「ラップはまじかるバナナのようなもの」という発言。それはラップの韻にこだわることで連想していく世界の転換を上手くいいあらわしている。韻で連想して世界を広げるだけでなく、しっかりと始まりと落ちがある点も含めて、KNZZのラップはその最たるものであるのは楽曲で実証済みだろう。登場する表現にはユーモアもホラーもある。作品の度にそれを更新し、完成された世界は、膨張し、広がっていっている。シンプルでいてミニマルに紡がれていく韻は、TOO MUCHな悲劇が起こる日常と過度に表れる喜怒哀楽さまざまな感情に対し、そのスピードを変えずに動いていく現実の温度を見事なまでに描き上げていく。説明を不要とするまでの表現技法が「Z」という世界を作り上げている。ラッパーとしてその世界を作り上げている。

 KNZZにはさまざまな側面がある。それはすべて、そのラップで聴くことができる。その側面をキャラクターとするならば、KNZZの中には何人ものキャラクターが存在し、曲を作りあげていると言えるだろう。そのアルバムを紡ぐ人物は1人でありながらも、短編が集まった一つの物語が「Z」では描かれる。グレーからネイビーへと色を変えていく東京の街の話。大通りもあの短い路地も交差している東京の街の話。登場するキャラクターのすべてがKNZZにより一人一人描き込まれ、人格が与えられており、そこに迷いはない。問題作とも言われる“THIS IS DIS”で登場するKNZZはいっさいの迷いなくラップを通してDISを展開する。もはや清々しすぎて、この曲はDIS SONGなんかじゃないみたいに感じる瞬間すらある。ラップ/ラッパーという形で攻めるKNZZがそこにはいるのだ。一方、“GUN TRAP”ではKNZZの進む世界を淡々と絶望、葛藤、勝利への誓いがからみあうを現実世界をどこか別のところからKNZZを通して語りかけるようなキャラクターが登場する。ヒップホップという音楽/ライフスタイルに落とし込まれた世界が「Z」とともに広がっている。

 ミニマルでいてシンプルなラップという技術。作り描き込まれたキャラクター。それが紡ぎ上げる世界は、一歩間違えれば暴走し、破綻するような危うさを含んでいる。本体ともいえるKNZZ自身が技術/キャラクターが暴走するのを制御していることでこの壮大な「Z」という世界は成立している。歴史とストリートが作り出した脚本の監督であり、主演であるKNZZの作り出したこの一大ノワールを聴いてみない手は無いだろう。リリースから半年を待たずしてこの作品は時間も場所も超越した音楽としていま手が届くところに超然と存在している。

HOLY(32016,NO MORE DREAM) - ele-king

ロックンロール大使館”開始記念10選

interview with Frankie Cosmos - ele-king

 「(自分の音楽について)インディ・ポップってよく呼ばれている気がするな。それがどんな意味なのか、よくわからないんだけどね」──あけっぴろげに彼女は言う。フランキー・コスモスが愛されるのは、装わなくても美しいものがあるということを示してくれるからだ。それが不健康な価値転倒などでないことは、彼女の歌のみずみずしい呼吸の中に、そしてここに掲載するささやかな会話の端々にも、十分に感じとることができるだろう。

 フランキー・コスモスの名で活動をつづけている年若いシンガー・ソングライター、グレタ・クライン。彼女の音楽は、たとえば〈K〉レコーズのローファイな音……飾ることのない、とぼけたような味わいのインディ・ロックを思い出させる。それだけでも彼女が何に価値を置く人間かということがしのばれるけれど、ジェフリー・ルイスやモルディ・ピーチズに心酔し、10代にもかかわらず「なぜこんなに齢をとったのか」と儚んでみたり、ネットは時間の無駄とばかりに空いた時間に曲を書きまくったというようなエピソードからは、バンド小僧的でこそあれ、服やカバンや美容やゴシップ、きらびやかな女の子たちの遊びとは無縁な青春がしのばれる。昨年のEP『フィット・ミー・イン』のジャケットには自分と彼氏(ポーチズのアーロン・メイン)と思しきイラストが用いられているが、その恋愛にすらけっしてはしゃいだテンションは感じられない。まようことなく地べたを行くグレタは、しかし、閉じこもるのでも否定的になるのでもなく、物事に対してとてもひらかれた姿勢で向かいあっているようだ。

 新しい季節を呼吸する彼女の若い心が、シンプルなローファイ・ポップとなって放たれるとき、多くの人の胸にも何か「つぎのこと」を知らせる風が吹いてくる。2014年にリリースされたファースト・アルバム『ゼントロピー』はわたしたちの耳を爽やかに驚かせたが、先日発表されたばかりの2枚め『ネクスト・シング』にもまたあたらしく目を開かせられる。

 さて、フランキー・コスモスを聴くことの気持ちよさは、音源そのものから感じていただくことにしよう。ここでは言葉──インタヴューにおいても飾らず、歌と地続きでさえある彼女の素の言葉をお届けしたい。

■Frankie Cosmos/フランキー・コスモス
アメリカのオスカー俳優ケヴィン・クラインとフィービー・ケイツの愛娘としても知られるグレタ・クラインによるソロ・プロジェクト。2011年に本名義で音楽制作を始め、2014年にリリースした初のスタジオ・アルバム『ゼントロピー(Zentropy)』にて注目を浴びる。2015年にEP『フィット・ミー・イン』を、2016年に2枚めとなるアルバム『ネクスト・シング』を発表した。

まだロックが何なのかわからないうちから、よくライヴに行っているキッズだったわ。好きな音楽はライヴへ行ってチェックしなきゃって思っていたな。


Frankie Cosmos
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今年はヨーロッパとかも行くんだもんね。アメリカからまだ出たことないんだっけ?

グレタ・クライン(Greta Kline以下、GK):何年か前にドイツへ小さなツアーをしに行ったことはあるんだけど、あれはバンドってわけじゃなかったからなぁ。

グレタは生まれも育ちもニューヨークでしょう? ニューヨークは好き?

GK:うん、地元だし大好きよ。

たとえばどんなところ?

GK:ニューヨークの外の人たちは刺激的でクレイジーな街って思っているかもしれないけど、わたしはそういうふうには見たくない(笑)。だって自分の家族が住んでいるし、自分しか知らないことや、仲間内だけで流行っているバカっぽいトレンドがあるんだもん(笑)。

まぁたしかにバカっぽいかもね(笑)。

GK:もちろんヴェニューや地元のバンドも大好きよ。

10代の頃に家族でニッティング・ファクトリーへ行ったのが、初めてのライヴだったって記事を読んだんだけど、グレタは活動をはじめる前に、どういう音楽と接点があったの?

GK:まだロックが何なのかわからないうちから、よくライヴに行っているキッズだったわ。エクスペリメンタルなものやパンクとか、若い世代がやっているジャンルにハマってて、好きな音楽はライヴへ行ってチェックしなきゃって思っていたな。

じゃあ小さい時から音楽が大好きだったんだね。

GK:うん! 音楽が嫌いな時なんてなかった気がする。身の回りに音楽があって当たり前だったしね。

音楽が嫌いな時なんてなかった気がする。

ちなみに初めて観たショーでは誰が演奏していたの?

GK:ふたつのバンドが出ていたのを覚えている。ランタイム・エラってクレイジーなバンドが出てて、ステージ上でいっつもスイッチを切り替えてた。ホントに変でクールな音楽だったから脳裏に焼き付いてるな(笑)。あとノー・ワン・イン・ザ・サムバディが出ていたんだけど、これはいまでもお気に入りのバンド! すっごくフリーキーな音楽で……なんかこうやって振り返ってみると、私が好きな音楽ってクレイジーなのばっかね(笑)。そのバンドはフリーキーでエクスペリメンタル・ジャズ、パンクの要素があって、ライヴがとにかく最高なの。

ちょっと話が逸れますが、小さいときってどんな子どもでした?

GK:シャイな子だったわ。それから13歳まで制服にある学校に通ってた。それ以降はクレイジーな格好で学校に通って……(笑)、オーバー・リアクションをするような子に変貌して……(笑)。まぁ要するに外交的な見た目だったけど、ちょっと変な女の子に成長したって感じかな。

その頃って音楽以外に、どんなことに興味があった?

GK:趣味は読書だったな。当時はマンガにものすんごくハマってた。

えー、そうなの? どんなマンガ?

GK:音楽並みにいろいろ読んでたの! スーパー・ヒーロー系から、有名人のバイオグラフィーもの、グラフィック・ノヴェルとか、マンガだったら文字通り読み倒してたな。

それは誰の影響?

GK:お兄ちゃんから。抜群のタイミングで私にマンガを教えてくれた(笑)。

当時、憧れていた対象ってありますか?

GK:ジェームズ・カチョルカ(James Kochalka)っていうアーティストが当時の憧れだった。日常についての4コママンガを描いている作家で、自分の生活から描く対象を見つける姿勢からはソングライターとしても影響を受けたな。それから、彼は音楽も作っててね。そのほとんどが滑稽でフリーキーな子ども向け音楽だったけど(笑)。

神さまはちょっとだけ信じてたと思う。あと、お兄ちゃんが言ってたことは何でも信じてたのは間違いない(笑)。

いろんなものに不安を感じていたな。なんでこんなに年を取っちゃったんだろうとか考えてた。若すぎだよね(笑)。

抽象的な質問ですが、子どものときに信じていたものってありますか?

GK:神さまはちょっとだけ信じてたと思う。知り合いや亡くなった人々に対して、ちゃんとお祈りもしてたしね。いまはもう信じてはいないんだけど、当時は真剣だったな。家族は大して敬虔だったわけでもないんだけど。あと、お兄ちゃんが言ってたことは何でも信じてたのは間違いない(笑)。

お兄ちゃんは大きな存在だったんだ。

GK:うん。兄は私のふたつ上で、自分がかっこいいと思うものは何でも教えてくれた。

お父さんやお兄ちゃんから教えてもらったものじゃなくて、自分の意思で選んだ音楽って何かあります?

GK:うーん……。たぶん(ザ・)ストロークスだと思う。友だちが弾いてくれたのがきっかけで、バンドでもカヴァーした。それがはっきりと思い出せる、自分から進んで聴いた音楽かな。

当時のヒーローって誰だったの?

GK:ジェフリー・ルイスとモルディ・ピーチズ、この2つかな。何年も取り憑かれたように聴いていた。

僕が初めてフランキー・コスモスを聴いたときに、孤独みたいなものも感じたんだけど、それってグレタがこれまで生きてきた環境や立場をプレッシャーに思っていたことの表れだったりするのかな?(注:クレタは俳優の娘として生まれた)

GK:どんな人間にも暗い部分は必ずあるもの。私はいろんなものに不安を感じていたな。なんでこんなに年を取っちゃったんだろうとか考えてた。若すぎだよね(笑)。哲学的な子どもだったのかな。存在していることにも不安を感じていた。私はナードだったから、学校も退屈だったしな。それから、心がくじけそうになった経験からは、本当にたくさんの曲が生まれたと思う。生まれてはじめて絶望したとき、何百曲も書いた(笑)。だから、自分の暗い部分から曲が生まれるのは間違いないかな(笑)。

宿題の息抜きをするときは、インターネットで生産性のかけらもないことに身を投じるんじゃなくて、曲を書くことにしてた。

じゃあギターを手にしたのはいつですか?

GK:11歳か12歳のときだったと思う。最初はベースだったの。いとこのボーイ・フレンドから弾き方を教えてもらったの。

初めて曲を作ったときのことを覚えてますか?

GK:そのときだったと思う。兄の親友とバンドをやっていて4曲作った。

最初に作った曲の歌詞って覚えてますか?

GK:ジェフリー・ルイスの曲に“ホエン・アイ・ワズ・フォー”って曲があるんだけど、その曲で彼は自分のいままでの人生を歌いあげるのね。私はその曲がすごく好きだった。だから、その曲の自分バージョンを作ったわけ(笑)。そこで私はいままで自分がしてきた悪いことのリストを歌っていて、コーラスはこんな感じだったわ。「きっと私は地獄へ行くだろう」(笑)。

すごくベーシックな質問ですが、「フランキー・コスモス」という名前の意味を教えてください。

GK:もともとはアーロン(・メイン)が考えたニック・ネームなんだけど、好きな作家のフランク・オハラにも由来している。なんで「コスモス」にしたのかは覚えてないんだけどね。

通訳:「コスモス」って宇宙のことですよね?

GK:その通り!

ある時からグレタはバンドキャンプに曲をアップするようになったけど、それがいまではすごい数になってるよね。どうして曲作りに入れ込むようになったんですか?

GK:学校とは全然関係ないことをしたいって気持ちが強かったの。宿題の息抜きをするときは、インターネットで生産性のかけらもないことに身を投じるんじゃなくて、曲を書くことにしてた。気づいたら曲が増えてたって感じかな。

人によっては曲を作るのって難しいことだと思うんだけど、グレタにとっては簡単だった?

GK:ただの遊びだと思っていたから、「いい曲を書かなきゃ!」ってプレッシャーはぜんぜん感じなかった。いま当時の曲を聴き返すと「うわぁ、すごくバカなことやってたんだなぁ」って思うこともあるけど、あの頃はそれで問題なかったな。

ライヴはすごく特別なものだと思う。自分が発する音がオーディエンスの体を通過して、みんながそれを感じることができるんだから。

でもみんなが曲をバンドキャンプにアップできるわけじゃない。やっぱりそれがグレタに合っていたんだね。音楽に没頭することによって、グレタの人生がどのように変わったのか教えてください。

GK:たくさんの曲を聴いたあと、50曲作ってそれをバンドキャンプにアップしたんだけど、その時にこれが曲を集めることや、アルバムを作ることのゴールなんだって気づいたのは大きかったかも。それ以降、曲の完成度を上げて、他人に聴かれても恥ずかしくないものにしようって思うようになったわ。お母さんがプロデューサー的な立場から曲を見てくれたこともあったな(笑)。もっと音量を上げて、聴きやすくしてくれた。

フランキー・コスモスの歌の対象って漠然とした大きいものではなくて、かなり限定されていると思う。たとえば、グレタの書く詩って、友だちや生活がテーマになることが多いけど、その理由について教えてくれるかな?

GK:小さいことについて歌うことは、私にとってはすごく意味があることだからかな。コンセプトとしての愛について直接歌うんじゃなくて、私は身近なものを通して愛に歌っているというか……。同じテーマでいまでも曲は書いてるけど、そこで使う例はいつもちがうの。友だちと散歩することだってラヴ・ソングになりえるしね。

歌という表現で何を伝えられると思いますか?

GK:曲に表現されているフィーリングを、リスナーが好きに解釈してくれればいいと思う。うーん、でもこの考えって別にユニークなものでも何でもないよね(笑)。私が人とはちがったものの見方をしているとは思わないかなー。

音楽で人とつながりたいと思う?

GK:うん。メタファーを使って説明してもいい? 音楽を演奏することって、同じ海で他人とサーフィンようなものだと思う。この場合音楽が海で、あなたがする行為は他人に影響を与える。同じようにライヴハウスの中では、演者もオーディエンスも相互に影響を与えるし、音楽はその場にいるすべての人々の体に作用する。その点において、ライヴはすごく特別なものだと思う。自分が発する音がオーディエンスの体を通過して、みんながそれを感じることができるんだから。現場で得られるフィーリングは、何物にも代えがたい気がして最高ね。

曲を作ることによって自分が何者なのか知ることができた。曲を作って自分の感情に触れることによってこそ、自分はハッピーになれる人間なんだよね。


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昔はシャイだったグレタが人前に出て音楽をすることによって、いろんなものとつながっていったと思う。抽象的な質問だけど、音楽をはじめたことによって何を得たと思う?

GK:得たものが多いのは間違いない。音楽を通して確実に成長できたし、曲を作ることによって自分が何者なのか知ることができた。曲を作って自分の感情に触れることによってこそ、自分はハッピーになれる人間なんだよね。自分が音楽をやっていなかったら、たぶんいまごろ人生で迷子になっていたんじゃないかな(笑)。

去年いっしょにシューティングしたときに、グレタが前よりもポジティヴに生きられるようになったって言っていたのがすごく印象に残ってるよ。そこには何かきっかけがあったのかな? たとえば、自分の活動が調子にのってきたとか。

GK:私そんなこと言ったっけ(笑)? ポジティヴになったことは間違いないわよ。いま言ったようにそれは曲を作ることによって、自分の感情に触れるようになったからだと思う。それと、社会全体を見るようになって、自分がすごくラッキーな立場にいるって気づけたことも理由かも。だってアートで生活していて、しかもその活動を通して誰かをポジティヴにすることだってできるんだもん。日本でレコードを出せるのもすごく嬉しいことだしね。

『ネクスト・シング』という今作のタイトルや曲の感じから、すごくポジティヴな印象を受けました。グレタ自身にとって、『ネクスト・シング』はどのような作品ですか?

GK:見方によっては、過去についての作品だとも言えるし、未来がテーマだとも言える。何年も前から書いてきた曲と、つい最近できた曲が半分ずつ混在しているの。だから、未熟な自分も感情的な自分もここにはあるっていうか……。だから極端に言えば、過去と未来の両方がコンセプトにある。そうすることによって、いまはポジティヴだけどかつてはネガティヴだった感情も見せられるでしょう?

アルバムを作る上で意識したこととか、新しく挑戦したことってありますか?

GK:このアルバムは4ピース・バンドで作った初めてのアルバムだから、その点でいままでとぜんぜんちがうよね。そんな人数で制作を進めたことなんてなかったから、意見をまとめるのにすごく手こずったな(笑)。だから曲のアレンジも大変だったな。自分でひと通り考えてからバンドに演奏してもらうんだけど、自分で考えたキーボード・パートにメンバー全員が反対するってこともあったりした(笑)。話し合いとかを重ねて最終的にうまくいくんだけど、いまではその過程にも慣れてバンドの作業も好きになったな。

いつも曲はひとりで作っているの?

GK:バンドに曲を持て行く段階では、メロディと歌詞は完成しているかな。バンドでも意見を出し合って、それぞれのパートをみんなで作っていくけど、パートの基本的な部分を作るのは私の役割ね。

(自分の音楽について)本当はロックンロールって言いたいとこだけどね。インディ・ポップってよく呼ばれている気がするな。それがどんな意味なのか、よくわからないんだけどね。

“フィット・ミー・イン”はシンセがベースになった作品だったと思うけど、作る前にどんな方向性を決めたの?

GK:これは絶対にいいポップ・ソングになるって確信があったんだけど、アーロンがエンジニアのジョシュ(・ボナティ)に「よりポップな仕上がりにしてくれ」って頼んだんだよね。そういう感じで2年くらいかけて制作して、最終的に4曲収録されたってわけ。かなりルーズなコンセプトだったけど、いままでの自分の作り方とはかなりちがったものだったわ。

テイラー・スウィフトが好きって言っていたけど、それはつまりポップ・ソングが好きってことなのかな?

GK:ポップですごく変なものだと思うんだよね(笑)。カッチリしたやり方で作られていて、オーディエンスがどういう反応をするのかも完璧に計算されているっていうか。そういう意味では、まるでポップ・ソングを作っているのは科学者みたいだよね(笑)。リスナーから特定の感情を引き出すために、必ずしも音楽的じゃない方法をとることもあるでしょう? 
 テイラー・スウィフトは好き。あの人ってすごく変わり者だから、彼女と友だちになったらどんな思いをするんだろうって考えたりする(笑)。それに彼女ってものすごく働き者のビジネス・ウーマンだから、きっと寂しいんだろうなって思うときもあるわ。テイラーを見ていると、私もそうなるんじゃないかなって思うときがあって、悲しまないように友だちになってあげたくなるの(笑)。

僕もそう思うな。友だちになってあげなよ(笑)。

GK:ぜひとも(笑)。

グレタの音楽のジャンルって何に分類されると思う? 自分がジャーナリストだと思って答えてください。

GK:インディ・ポップかなぁ……(笑)。本当はロックンロールって言いたいとこだけどね。それにインディ・ポップってよく呼ばれている気がするな。それがどんな意味なのか、よくわからないんだけどね。

じゃあ最後の質問を。フランキー・コスモスってグレタにとってどんな存在?

GK:どんな人でも自分の弱い部分を出せて、どんな感情をさらけ出しても許されるし、いっしょに気持ちを共感できる「世界」っていうか……(笑)。少なくとも、ステージの上の自分はそうなっているし、人々に「フランキー・コスモス」を届けたいと思うのね。レコードでもそれができたらいいな。


十六小節 - ele-king

日本語ラップを変革したラッパー、
ジャパニーズ・ヒップホップ界のレジェンド、
TwiGyがはじめて明かす自身の歴史。

1980年代末、日本語ラップの黎明期に颯爽と登場した、当時まだ10代のラッパー、TwiGy(ツイギー)。
じつに多くの著名ラッパーたちにインスピレーションを与えてきたこの天才児は、どのように育ち、どのようにラップを考え、どのような人生を送ってきたのか。
初期のシーンの貴重な写真も多数掲載。
この本を読まずして日本語ラップは語れない。

■目次

第1章
おばあちゃん/テレビっ子/ヒーローは嫌い レコード/環境/神輿の猿/転校生

第2章
BREAKIN’ /1971/HAZU/スクール /進路/BEATKICKS /最初のリリック /認められた瞬間/増えていった現場 初の関西営業

第3章
新たな出会い/クラブGAS /チェック・ユア・マイク/前座/就職 /サーティー・ファイブ/DJコンテスト決勝 /HAZU、ニューヨークへ行く /トゥルー・ボイス/初めての音源 /スティービー・ワンダー / ウォーク・ディス・ウェイ/Audio Sports /LAST ORGY /TWIGY、ニューヨークへ行く /ジャマルスキー/シャオリン・マサ 初ジャメイカ/ニューヨークスタイル

第4章
大輔と/PAGER前夜/居場所 /MICROPHONE PAGER /現場/改正開始 /MASAO/PAGER、ニューヨークに行く /コンちゃんとの出会い /ニューヨーク・ミュージック・セミナー /トミー・ボーイ/アポロシアターで見たビギー ミューズのウータン

第5章
ZEEBRA/PAGERの終焉 /TWIGYの声/言葉をフォント化する /ブラックマンデー/雷の予感 /V.I.P CREW /ジャマルスキーと東京で /SNOOPの横顔/冬の時代/証言 煙にまけ~DJ AMEKENとの出会い/悪名

終章
エピローグ/スペルバウンド/レクチャー /二度目のJAMAICA/ロビーG /その国のマナー/帰国後の違和感 / 鬼哭啾啾/韻/えん突つ/Al-Khadir /DJ AMEKEN /七日間 /サウスHIPHOP/斬れる言葉 AFRIKA BAMBAATAA /SEVEN DIMENSIONS

Oneohtrix Point Never - ele-king

 2015年11月13日。その日は『Garden Of Delete』の発売日だった。フランスの〈Warp〉のレーベル・マネージャーはツイッターで、OPN宛てに「ハッピー・リリース・デイ!」とリプライを送った。その夜、事件は起こった。ポップ・ミュージックのグロテスクな側面を暴くというある種のメタフィクション的な試みは、図らずも凄惨な現実のサウンドトラックとなってしまったのである。
 事件発生後、LAにいたコールドプレイは公演の予定を変更し、「イマジン」を演奏した。また、現場であるバタクランには名もなきピアニストが訪れ、「イマジン」を弾いて帰っていった。1か月後にレピュブリック広場を訪れたマドンナもまた「イマジン」を歌い、当地の人々に寄り添おうとした。猫も杓子も「イマジン」だった。それはあまりにも惨めな光景だった。テロのような出来事を前にして無難に適切に機能してくれる曲が「イマジン」をおいて他にないということ、すなわちいまだ「イマジン」に取って代わる曲が生み出されていないということ、それゆえ皆が同じように「イマジン」を持ち出さざるをえないということ。そこには、人は音楽を通して何かを共有することができるのだ、人は音楽を通してユナイトすることができるのだという、あまりにも不気味なイマジネイションが見え隠れしていた。
 昨年のパリでの出来事のもっとも重要な点のひとつは、ライヴ会場=音楽の「現場」がテロの標的となったということである。たしかに、これまでにもポップ・ミュージックが攻撃されることはあった。けれど、クリミナル・ジャスティス・アクトにしろ風営法にしろ、それらはいつも決まって「体制」側からの「弾圧」だった。カウンター・カルチャーとしての音楽は、そのような「弾圧」に抗い「体制」と闘う人びとと手を取り合うものであった。だが今回は違う。音楽それ自体が「体制」側のものであると見做されたのである。テロリストたちが攻撃したのは、まさに上述したような偽善的なイマジネイションの横溢だったのではないか。そしてそれは、まさにOPNが切り取ってみせようとしたポップ・ミュージックの醜悪な側面のひとつだったのではないか。

 『R Plus Seven』以降のOPNの歩みを、叙情性からの撤退およびポップへの旋回として捉えるならば、『Garden Of Delete』はそれをさらに過激に推し進めたものだと言うことができる。『Garden Of Delete』ではメタルという意匠や音声合成ソフトのチップスピーチが採用され、かつてないダイナミックなエレクトロニック・ミュージックが呈示されていたけれど、それは一言で言ってしまえば「過剰な」音楽だった。そこには、ともにツアーを回ったナイン・インチ・ネイルズからの影響よりもむしろ、アノーニのアルバムで共同作業をおこなったハドソン・モホークからの影響が色濃く反映されていた。
 それともうひとつ『Garden Of Delete』で重要だったのは、メタ的な視点の導入である。ポップ・ミュージックの煌びやかな装いを過激に演出し直してみせることでOPNは、通常は意識されることのないポップ・ミュージックの醜い側面、そしてそれによって引き起こされる不気味なイマジネイションを露わにするのである(おそらくそれは「思春期」的なものでもあるのだろう)。OPNはアラン・ソーカルであり、彼は自作のでたらめさが見破られるかどうかを試しているのだ、とアグラフは言い当てていたけれど、これはいまのOPNのある部分を的確に捉えた指摘だろう。
 過剰さの獲得およびメタ的視点の導入という点において、いまのOPNは、かつてのいわゆる露悪的とされた時期のエイフェックスと極めて似た立ち位置にいるのだと言うこともできる。では彼は、ポップ・ミュージックの醜さや自作のでたらめさを呈示してみせて、一体何をしようとしているのか? OPNの音楽とは一体何なのか?

 今回リイシューされた3作は、彼がそのような過剰さやメタ的視点を取り入れる前の作品である。とくに『Drawn And Quartered』と『The Fall Into Time』は彼のキャリアのなかでもかなり初期の音源によって構成されたものであるが、それらの作品からも、後の『Garden Of Delete』にまで通底するOPNの音楽的な問いかけを聴き取ることができる。

 通算5作目となる『Replica』では、彼にとって出世作となった前作『Returnal』で呈示された叙情性が引き継がれつつも、そこに正体不明のノイズや謎めいた音声など、様々な音の素材が縦横無尽にサンプリングされていく。実際には体験したことがないはずなのに、どこかで聞いたことがあるようなマテリアルの埋め込みは、今日インターネットを介して断片的に集積される膨大な量の情報と対応し、聴き手ひとりひとりの生とは別の集合的な生の記憶を呼び覚ます。OPNは、美しいドローンやメランコリーで聴き手がいま生きている「ここ」のリアリティを浮かび上がらせながら、そこに夾雑物を差し挟むことで「ここ」ではないどこか別の場所を喚起させようとする。それによって生み出されるのは、どこか遠くの出来事のようで、いま目の前の出来事のようでもあるという絶妙な距離感だ。それゆえ聴き手は決して彼の音楽に逃避することができない。そのようにOPNは、聴き手がいま立っている場所に揺さぶりをかけるのである(それと『Replica』のもうひとつの特徴は、彼の声への志向性が露わになったことだ。それは後に『R Plus Seven』において大々的に展開され、『Garden Of Delete』にも継承されることになる。先日のジャネット・ジャクソンのカヴァーなどはその志向のひとつの到達点なのではないだろうか)。
 このような「ここ」と「どこか」との境界の撹乱は、ひとつ前の作品である『Returnal』でも聴き取ることができたものだ。『Returnal』においてOPNは、その冒頭で圧倒的な強度のノイズをぶちかましておきながら、それ以降はひたすら叙情的なアンビエントで聴き手の薄汚れた「ここ」を呈示する。要するに、『Returnal』冒頭のノイズが果たしていた役割を、『Replica』では様々な音のサンプリングが果たしているのである。

 『Drawn And Quartered』と『The Fall Into Time』の2枚は、かなりリリースの経緯がややこしい。
 OPNは2007年に1作目となる『Betrayed In The Octagon』を、2009年には2作目『Zones Without People』と3作目『Russian Mind』をそれぞれLPでリリースしているが、他にも2008年から2009年にかけてカセットやCD-Rで様々な音源を発表している。それら最初の3枚のアルバムと、散発的に発表されていた音源とをまとめたのが、〈No Fun Productions〉からCD2枚組の形でリリースされた『Rifts』(2009年)である。
 その後4作目『Returnal』(2010年)と5作目『Replica』(2011年)を経て、知名度が高まった頃合いを見計らったのか、2012年にOPNは『Rifts』を自身のレーベルである〈Software〉からリリースし直している。その際、〈No Fun〉盤ではCD2枚組だったものがLP5枚組に編集し直され、LPのそれぞれ1枚がオリジナル・アルバムとして機能するように組み直された(ジャケットも新調されている)。その5枚組LPの1枚目から3枚目には最初の3枚のアルバムが丸ごと収められ、4枚目と5枚目にはカセットなどで発表されていた音源がまとめられている。その際、4枚目と5枚目に新たに与えられたのが『Drawn And Quartered』と『The Fall Into Time』というタイトル(とアートワーク)である。因みに後者は〈No Fun〉盤の『Rifts』には収録されていなかった音源で構成されているが、それらはすべてすでに2009年に発表されていた音源である。
 そして翌2013年には、LP5枚組だった『Rifts』から4枚目『Drawn And Quartered』と5枚目『The Fall Into Time』がそれぞれ単独の作品として改めてLPでリリースし直された。今回CD化されたのはその2枚である。なお、LP5枚組だった〈Software〉盤『Rifts』はCD3枚組としてもリリースされているので(『Drawn And Quartered』と『The Fall Into Time』のトラックは、各ディスクに分散されて収録されている)、音源自体は今回が初CD化というわけではない。
 とにかく、『Drawn And Quartered』も『The Fall Into Time』も、時系列で言えば、すべて『Returnal』(2010年)より前に発表されていた音源で構成されているということである。

 このようにややこしい経緯を経て届けられた『Drawn And Quartered』と『The Fall Into Time』だが、単に入手困難だった音源が広く世に出たということ以外にも注目すべき点がある。それは、それまでばらばらに散らばっていた音源に、曲順という新たなオーダーが与えられたことだ。
 テクノ寄りの『Drawn And Quartered』は、メロディアスな "Lovergirls Precinct" で幕を開け、シンセサイザーが波のように歌う "Ships Without Meaning" や、怪しげな音階の反復する "Terminator Lake" を経て、おそらくはデリック・メイのレーベルを指しているのだと思われるタイトルの "Transmat Memories" で前半を終える。後半は、蝉や鳥の鳴き声を模した電子音が物悲しい主旋律を際立てるノスタルジックな "A Pact Between Strangers" に始まり、16分にも及ぶ長大な "When I Get Back From New York" を経由して、唐突にロウファイなギター・ソングの "I Know It’s Taking Pictures From Another Plane (Inside Your Sun)" で終わる。
 アンビエント寄りの『The Fall Into Time』は、海中を散策するかのような "Blue Drive"で幕を開け、RPGのBGMのような "The Trouble With Being Born" を経て、透明感の美しい "Sand Partina" で前半を終える。後半は、反復するメロディが印象的な "Melancholy Descriptions Of Simple 3D Environments" に始まり、叙情的な "Memory Vague" を経て、一転してきな臭い "KGB Nights" で幕を下ろす。
 この2作に共通しているのは、1曲目から続く流れが最後の曲で裏切られるという構成だ。冒頭から音の中へと没入してきた聴き手は、最後に唐突に違和を突きつけられ、「ここ」ではない「どこか」へと意識を飛ばされる。ここでもOPNは、聴き手の居場所を揺さぶるという罠を仕掛けているのである。

 貧困が深刻化し、差別が蔓延し、テロが頻発し、虐殺が横行する現代。自身の送る過酷な生と自身とは直接的には関係のない世界各地の戦場とが、インターネットを介して直にリンクし合い、同一の強度で迫ってくる時代。そのような時代のアクチュアリティをOPNは、聴き手の立ち位置をかき乱すことで呈示してみせる。近年のOPNはスタイルの上ではアンビエントから離れつつあるけれど、「ここ」と「どこか」との境界を攪乱するという意味で、いまでも彼はアンビエントの生産者であり続けている。あなたがいる場所はどこですか、とそのキャリアの初期から彼は、自身の作品を通して問いかけ続けているのだ。聴き手が、音楽産業が用意したのとは別の仕方で、世界を「イマジン」できるように。

1:個人的な体験 - ele-king

たとえ馴染みがなくても、それに付き合うだけの労力と善意をもち、その眼差しや表情をじっくりと眺め、奇矯な点をも大目に見なければならない。──そうすれば、やがてはわれわれが音楽に慣れてしまう瞬間がやってくる。音楽を期待し、音楽がなくてはいられなくなるだろうと予感する瞬間が。そうなると音楽はさらにとどまることなく威力と魅力を発揮し続け、ついにわれわれはその献身的で心酔した愛人となり、もはやこの世にそれ以上のものを求めず、ひたすら音楽だけを願うようになるのだ。──しかしこれは何も音楽に限った話ではない。いまわれわれが愛しているものすべてについても、ちょうど同じようにして、われわれは愛することを学んだのだ。 ──フリードリヒ・ニーチェ『喜ばしき知恵』

 最初にあの体験をしたのは、いつだっけ、たぶん中学2年の夏休み、昼下がり、歌詞カードを片手に大瀧詠一の『ALONG VACATION』を聴いたときだ。あのときの体験はそれまでとは何かが違っていた。それが明確に言葉になるなら音楽なんて必要なくなってしまうような、絶対的に個人的だけど、たぶん普遍的なあの感覚。あれから音楽に魅せられてしまった。
 中学生くらいまでは、僕の音楽体験は父と共にあった。家のスピーカーや休みの日に通った父の美容室では、ユーミン、大瀧詠一、山下達郎、小野リサ、スタイル・カウンシル、ダイアナ・ロス、なんかが流れていて、いま思えばすごくいい環境だったと思う。小さいころから日々の中に当たり前に音楽があった。
 高校に入ってからは、なんとなく軽音楽部に入ってベースを弾いた。スラップ奏法が好きなこと、ダンス部でブレイクダンスをやっていたことがあいまって、いわゆるブラック・ミュージックに惹かれていった。特にくらったのは、エリス・レジーナだったかもしれない。部活から帰ってぼうっと聴いていると、そのときの家庭環境のやるせなさとかも含めて宇宙のすべてを受け入れることができた。
 それとは別の文脈だったけど、日本語ラップにどっぷりハマっていったのもそのころだ。はじめは特に「さんぴん世代」を絶対視して聞いていた。とにかく好きだった。ライムスターでブレイクダンスを踊って、キングギドラで社会問題を分かった気になっていた。

 少し話はそれるけど、いま思えば、僕が現実の政治問題に関心を持つようになったのは日本語ラップの影響が大きい。周りで日本語ラップを聴いていたやつは一人しかいなかったけど、そいつとの思い出は最高で、第3会議室でのコッチャンと宇多丸みたいに、そいつと俺は右翼と左翼のそれぞれをレプリゼントして、いつも議論をしていた。左翼的だった俺に対して、そいつの家は祝日に日章旗を掲げていた。高校を卒業してから会ったとき、韓国に対するヘイト記事を紹介してきたりして俺は愛想を尽かしたけど、俺が国会前でコールをするようになったころ、ふとそいつのツイッターを覗くと、「国会前にきたけど牛田いないな」ってツイートしていて、とても嬉しくなったのを覚えている。
 高校の卒業と同時期に3.11を経験し、漠然とだけど、深く染み入るように、この社会と政治に不安と怒りを感じるようになった。このころには新譜に手が伸びるようになり、鬼やANARCHYなどをよく聴いた。部落や貧困な地域からリアルなヒップホップが出現していることを知った。想像する限り、想像を絶するような苦難の中でも決して腐敗しない、生きることそのものの初期衝動がそこにあった。

 そのあと、僕が徹底的にのめり込んでしまったのは、PUNPEEとS.L.A.C.K.だった。大学の先輩である、パブリック娘。に誘われて、初めて行ったクラブイベントは「SUISEI IS HIGH」というtofubeatsのアンセム「水星」のリリースパーティで、右も左もわからず、失礼なことにPUNPEEだけを目当てにしていた僕は、「クラブに来るの、初めてなんですけど、これってずっと前の方にいてもいいんですか」とかDJブースの近くいた人に聴いたりして笑われていたら、その周りにtofubeatsさんがいた。顔を認識してなかった僕は、誰か変わらないまま話していて、それを察したtofubeatsさんは「僕はtofubeatsといいます。クラブに来るの初めてなんだ、なんかおごるよ、なにがいい?」と言ってくださって、酒が飲めない僕はカルピスをおごってもらった記憶がある。その後PUNPEEにも「初めてクラブに来たやつ」として紹介されて、その日の夜に「今日初めてクラブに来たという、大学で友達あんまりいなそうなダサいやつを見て感慨深かった」とツイートされたのが懐かしい。

 S.L.A.C.K.は今後の連載で詳細に書きたいと思うけど、今までで一番ハマったアーティストだと思う。それまでの日本語ラップで一番しっくりきたのがS.L.A.C.K.だった。その理由はまた書きたいけど、ひとつは僕が生きているリアルと似ている「現実」を肯定的に謳っていたからだ。「普通の生活して楽しくできればいいと思うんだよ」って、俺も本当にただそう思ってた。くそみたいなこともあるけど、それほど悪くない生活。でも、その普通の生活が少しずつ崩れようとしている。よく考えると、普通が剥がれ出して、この現実がよく見えるようになっただけなのかもしれない。S.L.A.C.K.が5lackになる頃、「適当にいけよ」って、どうでもいいってことじゃなくて、本当の意味で「適当」にやらなきゃいけないってことに気づいた。初めてデモでコールをしたとき、僕は5lackの「気がづけばステージの上」を聞きながらデモのスタート地点に向かったのを覚えてる。「いまもステージの上/始まってるぜ本番/お前のLIFE」。僕は僕の人生というステージに立っている。いつだって、死ぬまでは。なら本気でやんなきゃなと思って行動してきた。

 こんな感じで、僕のこれまでの短い人生は音楽と共にあって、時に音楽に型どられ、音楽から生きるための道標を得てきた。それに長く触れることで、僕は音楽を愛することを学び、同時に、この世界と自己を愛することをも学んだ気がする。今回の連載では、そんな「生き延びるための技藝(アート)」としての日本語ラップについて書いていきたいと思う。よろしくお願いします。

Rouge Mecanique - ele-king

 セーラムなどに舞台を移したハリー・ポッターのアメリカ編やレイディオヘッドの新曲“バーン・ザ・ウィッチ”、そして、ロバート・エッガーズ監督『ザ・ウィッチ』が注目を集めるなど、2016年はなにやら魔女だらけの年となってまいりました。オノ・ヨーコの新作も『イエス、アイム・ア・ウィッチ・トゥー(Yes, I'm A Witch Too)』と、これはコラボ・シリーズの続編で、デ・ラ・イグレシアスが『スガラムルディの魔女たち』で示唆したように魔女表現にはそこはかとなくミソジニーへのカウンター的要素が盛り込まれているのだろう。そういえばフェミニズムの新たな顔となりつつあるエマ・ワトスンがパナマ文書に名前を発見され、イギリスの右翼メディアによる魔女狩りの対象になる可能性も拡大中(ハーマイオニ、火あぶりか?)。ブレイディみかこ著『ザ・レフト』から演繹してみるに、J・K・ローリングがはかせた赤いおむつがエマ・ワトスンをアリス・ウォーカーやグロリア・スタイネムに向かわせ(「フェミニスト・ブック・クラブ」)、右派もこれ以上は黙っていられないレヴェルに達したということなのか(ちなみに『ハリーポッター』の新作映画でハーマイオニ役は45歳の黒人女優が演じるとか。#OscarSoWhiteも#WomenInHollywoodもぶっちぎられましたね)。
 
 いい加減なまくらはともかく、2013年に〈リキッズ(REKIDS)〉傘下の〈ピラミッズ・オブ・マーズ〉から「ウィッチズ」でデビューしたイタリア系のルージュ・メカニークことロマン・アザロによるデビュー・アルバム。サンプリングしたブルース・ギターをテクノやハウスにペーストした例は過去にもあったけれど、自分でテレキャスターを弾きながらコズミックに仕上げてしまう逸材は稀でしょう。過去にパンク・バンドやサイケ・ロック・バンド、あるいは2000年代に入ってからはコールドウェイヴとして区別されるようになった南欧のシンセ・ポップ・ユニットなどで実際にプレイしてきたことがそのまま反映されているようで、なるほど、そういったキャリアの集大成になっていることはたしか。プリンスが亡くなった年に、こんなハイブリッドを耳にしてしまうとはある種の符合のようだけれど、シンセサイザーと溶け合うようなブルース・ギターがとにかく気持ちいい。どこかでシネマティックと評されていたのはちょっと違和感があり、それを言うならいまはヘルシンキのザイネがダントツだろうと。ルージュ・メカニークはもっとダイレクトにフィジカルで、基本的にファンキーだし、どの曲にもサイケデリックへと向かうヴェクトルが内包されている。

J9tZiBwtoxE

 コズモ・ヴィテッリのレーベルから新作の予定もあるとのことなので、これは20年めに現れたフレンチ・タッチの遠い子孫とも言えるのだろう(ダフト・パンクの新作もブルースのエディットだったし)。ビートルズ“ミッシェル”のジャズ・アレンジや『ブレイキング・バッド』を思わせるラテン・ドローンなどはジャム・シティの影響かと思ったり、無理してどこかに繋げなくてもいいんだろうけれど、トーン・ホークやマーク・マッガイヤーをきっちりとクラブ・ミュージックの範疇に押し込んだフォームとしては(ホーク関連の「フロム・ザ・リーガル・パッド・オブ(From The Legal Pad Of...)」を除けば)最上の出来ではないだろうか。ギターがいいと感じたのは、それにしてもかなり久しぶり。

 『ドント・タッチ・マイ・シスター』はルイ・ヴィグナによるエレガントなアート・ワークも話題で、モチーフとなっている「水没した女性」はタイトルから察するに姉か妹なのだろう(クレジットはローラ・アザロ)。撮影はエコール・デ・ボザールのジャンヌ・ブリアンで、血の気を感じさせない指先はすぐに溺死を連想させる。血管は収縮し、冷え切ったような質感が増幅されているにもかかわらず、逆説的にエロティシズムが導き出されている。女性の指先が好きな男性は女性に対する支配欲が強いと言われるけれど、これは触れることを躊躇わせるような指であり、赤いマニキュアがそれでも接点を主張しているかのよう。デビュー当初からファッション・デザイナーとのコラボレーションも多く、どこを取ってもフランスらしいプロダクションである。

PINCH&MUMDANCE - ele-king

 UKのアンダーグラウンド・ダンスシーンを追っている者にとって、もはや説明不要の存在、ピンチ。ダブステップのパイオニアのひとりとして知られる彼だが、2013年に始動したレーベル〈コールド・レコーディングス〉で聴くことができる、文字通り背筋が凍りつくようなテクノ・サウンドのイメージを彼に抱いている方もいるかもしれない。
 だがそれと同時に、彼のトレードマークとも言える〈テクトニック〉での重低音の実験も止むことはなく、近年も数々の傑作をリリースしている。そのなかでも一際輝きを放っているのが、マムダンス関連の作品だろう。2015年に盟友ロゴスと共に発表した『プロト』は、UKダンスミュージックの歴史をタイム・トラベルするかのような名盤であり、2014年のピンチとの連名曲“ターボ・ミッツィ”はグライムの粗暴さとコールドなテクノが融合したアンセムとなっている。同じ年に出た彼らのB2BによるDJミックスも、時代性とふたりの音楽性がブレンドされた刺激的な内容だった。
 現在もピンチはテクノとベースを行き来する重要プレイヤーであり、マムダンスもグライムMC、ノヴェリストとのコラボのスマッシュヒットが示すように、要注目のプロデューサーのひとりとして認知されている。今回の来日公演で、どんな化学反応を見せてくれるのだろうか?

DBS presents
PINCH B2B MUMDANCE

日程:5月20日金曜日
会場:代官山UNIT
時間:open/start 23:30
料金:adv.3,000yen / door 3,500yen

出演:
PINCH (Tectonic, Cold Recordings, UK) 、
MUMDANCE (Different Circles, Tectonic, XL Recordings, UK)
ENA
JUN
HARA
HELKTRAM
extra sound: BROAD AXE SOUND SYSTEM
vj/laser: SO IN THE HOUSE

info. 03.5459.8630 UNIT

Ticket outlets:
PIA (0570-02-9999/P-code: 292-943)、 LAWSON (L-code: 74580)
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia/https://www.clubberia.com/store/
渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)、TECHNIQUE(5458-4143)、GANBAN(3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)
原宿/GLOCAL RECORDS(090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、JET SET TOKYO (5452-2262)、disk union CLUB MUSIC SHOP(5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)、Dub Store Record Mart (3364-5251)
吉祥寺/disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)
Jar-Beat Record (https://www.jar-beat.com/)

Caution :
You Must Be 20 and Over With Photo ID to Enter.
20歳未満の方のご入場はお断りさせていただきます。
写真付き身分証明書をご持参下さい。

UNIT
Za HOUSE BLD. 1-34-17 EBISU-NISHI, SHIBUYA-KU, TOKYO
tel.03-5459-8630
https://www.unit-tokyo.com

ツアー日程:
Pinch & Mumdance Japan Tour 2016
05. 19 (THU) Tokyo at Dommune 21:00~0:00 https://www.dommune.com/
05. 20 (FRI) Tokyo at UNIT  https://www.unit-tokyo.com/
05.21 (SAT) Kyoto at Star Fes https://www.thestarfestival.com/

PINCH (Tectonic, Cold Recordings, UK)

ダブ、トリップホップ、そしてBasic Channel等のディープなミニマル・テクノに触発され、オーガニックなサウンドを指向し、03年頃からミニマル・テクノにグライム、ガラージ、エレクトロ等のミックスを始める。04年から地元ブリストルでダブステップ・ナイトを開催、05年に自己のレーベル、Tectonicを設立、自作"War Dub"を皮切りにDigital Mystikz、Loefah、Skream、Distance等のリリースを重ね、06年にコンピレーション『TECTONIC PLATES』を発表、ダブステップの世界的注目の一翼をになう。Planet Muから"Qawwali"、"Puniser"のリリースを経て、'07年にTectonicから1st.アルバム『UNDERWATER DANCEHALL』を発表、新型ブリストル・サウンドを示し絶賛を浴びる。08~09年にはTectonic、Soul Jazz、Planet Mu等から活発なリリースを展開、近年はミニマル/テクノ、アンビエント・シーン等、幅広い注目を集め、"Croydon House" 、"Retribution" (Swamp 81)、"Swish" (Deep Medi)等の革新的なソロ作と平行してShackleton、Distance、Loefah、Roska等と精力的にコラボ活動を展開。Shackletonとの共作は11年、アルバム『PINCH & SHACKLETON』(Honest Jon's)の発表で世界を驚愕させる。12年にはPhotekとの共作"Acid Reign"、13年にはOn-U Soundの総帥Adrian Sherwoodとの共作"Music Killer"、"Bring Me Weed"で大反響を呼ぶ。またUKハードコア・カルチャーに根差した新潮流にフォーカスしたレーベル、Cold Recordingsを新設。15年、Sherwood & Pinch名義のアルバム『LATE NIGHT ENDLESS』を発表、インダストリアル・ダブ・サウンドの新時代を拓く。Tectonicは設立10周年を迎え、Mumdance & Logos、Ipman、Acre等のリリースでベース・ミュージックの最前線に立ち続ける。16年、MC Rico Danをフィーチャーしたグライム・テクノな最新シングル"Screamer"でフロアーを席巻、2年ぶりの来日プレイは絶対に聞き逃せない!
https://www.tectonicrecordings.com/
https://coldrecordings.com/
https://twitter.com/tectonicpinch
https://www.facebook.com/PinchTectonic

MUMDANCE (Different Circles, Tectonic, XL Recordings, UK)

ブライトン出身のMumdanceはハードコア、ジャングルの影響下、15才頃からS.O.U.Rレーベルが運営するレコード店で働き始め、二階のスタジオでプロダクションの知識を得る。やがてD&Bのパーティー運営、Vice誌のイベント担当を経てグライムMCのJammerと知り合い、制作を開始。ブートレグがDiploの耳に止まり、彼のレーベル、Mad Decentと契約、数曲のリミックスを手掛け、10年に"The Mum Decent EP"を発表。また実質的1st.アルバムとなる『DIFFERENT CIRCLES THE MIXTAPE』で'Kerplunk!'と称される特異な音楽性を明示する。その後Rinse FMで聞いたトラックを契機にLogosと知り合い、コラボレーションを始め、13年にKeysoundから"Genesis EP"、Tectonicから"Legion/Proto"をリリース、そして2nd.アルバム『TWISTS & TURNS』を自主発表、新機軸を打ち出す。14年にはTectonicからPinchとの共作"Turbo Mitzi/Whiplash"、MIX CD『PINCH B2B MUMDANCE』、グライムMC、Novelistをフィーチャーした"Taka Time" (Rinse)でダブステップ/グライム~ベース・シーンに台頭、またRBMAに選出され、同年東京でのアカデミーに参加した他、Logosとのレーベル、Different Circlesを立ち上げる。15年も勢いは止まらず名門XLからNovelistとの共作"1 Sec EP"、自身の3rd.アルバムとなるMumdance & Logos名義の『PROTO』、Pinchとの共作"Big Slug/Lucid Dreaming"のリリースを始め、MIX CD『FABRICLIVE 80』を手掛け、Rinse FMのレギュラーを務める。90'sハードコア・スピリッツを根底にグライム、ドローン、エクスペリメンタル等を自在に遊泳するMumdanceは現在最も注目すべきアーティストの一人である。
https://mumdance.com/
https://soundcloud.com/mumdance
https://twitter.com/mumdance
https://www.facebook.com/mumdance

interview with Shonen Yoshida - ele-king


吉田省念
黄金の館

Pヴァイン

RockPops

Tower HMV Amazon

 彼の知遇をえたのは2013年夏から初秋。不幸な事件で逝去された山口冨士夫さんの本をつくるにあたり、調べていくうちに、村八分と親交のあった京都の美術家ヨシダミノルさんのご子息が音楽をやられていると知った。吉田省念は当時、前年の10作目『坩堝の電圧』を最後、というか最初で最後にくるりを脱退した直後で、ソロ・アルバムの制作にとりかかったばかりのころだったと以下のインタヴューをもとに時系列を整理するとそうなる。私の原稿の依頼を省念さんは快諾され、あがってきた原稿はヨシダミノルさんと村八分(ことにチャー坊)との交流を、子どものころの曇りのない視線から綴った滋味あるもので、私は編集者として感心した、というのもおこがましいが、味わいぶかかったのである。

 3年後、吉田省念がソロ名義では初のアルバムを完成させたと連絡を受けた。『黄金の館』と名づけたアルバムは冒頭のインストゥルメンタルによる起伏に富んだタイトル曲にはじまり、「伸びたり縮んだり 人によって違うかもしれない」(「一千一夜」)時間のなかの暮らしの匂いと無数の音楽との出会いを映し出すやはり旨味のあるものだった。情景はゆるやかに流れ、季節はめぐり、見あげると音楽のなかで空は高い。これはなにに似ているとか、なにが好きでしょ、というのは仕事柄やむをえないにしても、それが音楽好きが集まって話に花を咲かせるように思えるほど、『黄金の館』の細部には血がかよっている。尾之内和之との音づくりは残響まで親しい。末永く愛聴いだきたい13曲の「ミュージック・フロム・黄金の館」。そういえばあのときお寄せいただいた原稿の表題は12曲めと同じ「残響のシンフォニー」でしたね。

■吉田省念/よしだ・しょうねん
京都出身。13歳でエレキ・ギターに出会ってから現在に至るまで、宅録を基本スタイルにさまざまな形態で活動を続ける。2008年『soungs』をリリース。吉田省念と三日月スープを結成、2009年『Relax』をリリース。2011年から2013年までくるりに在籍し、ギターとチェロを担当、『坩堝の電圧』をリリース。2014年から地元京都の〈拾得〉にてマンスリー・ライヴ「黄金の館」を主催し、さまざまなゲスト・ミュージシャンと共演。四家卯大(cello)、植田良太(contrabass)とのセッションを収録したライヴ盤『キヌキセヌ』リリース、〈RISING SUN ROCK FESTIVAL 2014 in EZO〉に出演。2015年、ソロ・アルバムのレコーディングとともに、舞台『死刑執行中脱獄進行中』(主演:森山未來、原作:荒木飛呂彦、演出:長谷川寧)の音楽を担当する。2016年、ソロ・アルバム『黄金の館』をリリース。

(中学時代は)90年代です。でも自分の生きている時代の音楽は意識して聴いたことがなかったんです。とりあえずまわりの連中が聴いていないものを聴いていたい──。

吉田:2013年に記事を書かせていただいたのをきっかけに、「残響のシンフォニー」という言葉が最初にあって、曲にしようと思ってつくったんです。そういった心構えはつねにありますし、冨士夫さんのギターはほんとうに子どものときから聴いていました。生演奏で聴いたというよりライヴ盤ですよね。2枚組の『村八分ライヴ』をよく聴いていて、完コピしようと切磋琢磨していた時期がありました。

原稿には十代のころ、ビートルズやビーチ・ボーイズをコピーしていて、チャー坊からギターをもらったくだりがありましたよね。

吉田:父親がチャー坊と仲がよくてつながりがあったので、自分が音楽に興味をもちはじめたのを聞いてギターをもってきたんだと思うんですね。最初に触るギターがいいほうが巧くなるからこれ使えって。

それは真理ですね。一方で村八分と関わりがありながら、ビートルズやビーチ・ボーイズにも興味をもっていた。省念少年が最初に感化された音楽といえばなんでしょうか。

吉田:まずはビートルズが大きくて、はじめてLPを買ったのは中学のころのビーチ・ボーイズです。『サーフィンU.S.A.』でした。

中学時代というと――

吉田:90年代です。でも自分の生きている時代の音楽は意識して聴いたことがなかったんです。とりあえずまわりの連中が聴いていないものを聴いていたい、でもコレクターになるほどのお金は当然ない。『サーフィンU.S.A.』はとくにあの時代のグループがツールにしていたというか、カヴァー曲が多いじゃないですか。カヴァー曲もありつつ、エレキ・ギターのテイストとコーラスがよくてそれを聴くのが好きでした。

もうギターは弾いていたんですね。

吉田:はい。

ビートルズやビーチ・ボーイズをコピーして、しだいにオリジナルをつくるようになった?

吉田:順序としてはそうなります。

最初につくったオリジナル曲も中学時代だったんですね。

吉田:憶えていませんが(笑)、たぶんギターのリフとかでつくったのだと思います。でもそれをバンドで演奏しようとはそのころ思っていませんでした。バンドはやっていたんですが、オリジナルをやるよりはカヴァー曲でした。そのうち、チャー坊のギターを預かっていたので彼の追悼コンサートに出るようになって、それが毎年やってくるなかで、村八分の曲を披露することになるわけです。それで、ああ日本語で歌うのって難しいんだなと思ったんですね。自分で曲を書くようになって、英語がそう得意なわけでもないですから日本語でやりたいと思うようになりました。
 それこそ、僕の学生時代はゆらゆら帝国が出てきたころで、坂本慎太郎さんの日本語の使い方がほんとうに衝撃的でした。ゆらゆら帝国の『3×3×3』にははっぴいえんどの『風街ろまん』と並ぶ衝撃を受けたんです。くるりはじつはほとんど知らなくて。当時京都では(京大の)吉田寮が話題でしたが、チェルシーを掘り返して聴いていたりとかは、あまりなかったんですね。

坂本慎太郎さんの日本語の使い方がほんとうに衝撃的でした。ゆらゆら帝国の『3×3×3』にははっぴいえんどの『風街ろまん』と並ぶ衝撃を受けたんです。

ゆらゆら帝国の音楽も日本語のロックという文脈で聴いていたんですね。

吉田:言葉のチョイスとリズムを崩さないのがすごいと思いました。はっぴいえんどが「ですます」調にいたるのもリズムを考えてのことだと思うんです。音楽としての歌詞のあり方があったと思うんですが、(はっぴいえんどは)時代がちがったし、リアルタイムでそれを感じていたわけでもないので、それこそ細野さんの音楽を聴いているといっても後追いですから。日本語の音楽、しかも新譜として衝撃的だったということを考えるとゆらゆら帝国は大きいですね。

『3×3×3』は98年くらいでしたね。

吉田:サイケ耳で音楽を聴くのがそこで一気に流行ったというか、再認識があったと思うんです。「スタジオ・ボイス」でもやっていましたね。

そういわれると、なまなかな気持ちで仕事しちゃいけない気になります。

吉田:(笑)ゆらゆら帝国のポップさは独特だったと思うんです。それこそニプリッツのヒロシさんもかわいいじゃないですか、ロック・スターとしてのアイドル的なものがあると思うんです。

そのご意見はよくわかりますが、「いいね」がどれくらい押されるかといえばやや不安ですね(笑)。

吉田:(笑)でも細野さんにもかわいらしさがあるし、それは必要な要素かなと最近思うんですが、自分にはどうも――

いや、かわいいと思いますよ。

吉田:やめてくださいよ(笑)。

売り方が変わるかもしれませんが(笑)。そういった先達のやってきたことは、ご自分で音楽をやる段になると意識されますか。

吉田:あると思いますよ。

デモをつくりこみすぎると、だったらそれでいいじゃんとなってしまう。その時期にたまたまエンジニアの尾之内和之さんに再会したんです。

それでイミテーション的になったり反動的になることもあると思うんですが、吉田さんの音楽はとても素直だと思うんです。おそらく批評的な視座は強くもたれていると思うんですが、そこに拘泥しないおおらかさを感じます。細やかですが閉塞的ではない。

吉田:素直にやった結果だとは思いますよ。自分は自分が好きなミュージシャンや尊敬するミュージシャンにたいして、こういうものをつくったんだよという、ミュージシャンにはそういうところは絶対あるじゃないですか。でもそれだけになってもよくないと思うんです。たとえば、ライヴに来ているひとのなかで、音楽をやっていないひとのほうがよく聴いてくれたりする。ミュージシャンが音楽をちゃんと聴いていないと、いちがいにはいえないですが、ライヴに来てくれる方には音楽をすごく細かいところまで聴いていて、こういったひとたちに聴いてもらいたいというのはどういうことか、このアルバムが開けているのだとしたら、そういったことを考えていたからかもしれない。

『黄金の館』の制作をスタートしたのはいつですか。

吉田:昨年の2月です。2014年にくるりを脱退してからとりかかってはいたんです。ソロ・アルバムをつくるために辞めたわけではないんですが、つくらないとはじまらないし、自分のエンジンをかけていきたいという気持ちもありました。とりあえず録音やなと思って、本格的にレコーディングに入る前にも1~2曲、録音も自分でやったんですが、自分で録音ボタンを押して演奏するのだとなかなかうまくいかないところもあった。デモをつくってどこかのスタジオであらためて録ろうとも思ったんですが、今度はデモづくりに自分のエネルギーがドンといっちゃった。デモをつくりこみすぎると、だったらそれでいいじゃんとなってしまう。その時期にたまたまエンジニアの尾之内和之さんに再会したんです。彼はドイツのクラウス・ディンガーのところにいたんですが、ディンガーが亡くなって、ドイツにいる理由がなくなって、日本に帰ってきたら震災が起こった。京都に戻り、これからどう音楽にかかわろうかというところでの再会だったんです。

再会したということはそれ以前からお知り合いだったということですね。

吉田:三日月スープの前にすみれ患者というバンドをやっていたことあったんです。すみれ患者ではそれこそ即興で灰野敬二さんや高橋ヨーカイさんといっしょにライヴしていたこともあったんですが、そのバンドのルカちゃんという女の子の旦那さんになったんですね、尾之内さんが。彼はもともと日本画をやっていたころに椹木野衣さんと知り合ったようで、これからはドイツだよと助言を受けたそうなんですね。

ノイさんですからね。

吉田:そうですね(笑)。尾之内さんがどういう経緯でクラウス・ディンガーにつながったのかはわかりませんが、サブトレというユニットでドイツで活動していたこともあったようです。彼は音楽をつくるというより録音を通して活動していきたかった。その時期にたまたま再会して、いっしょにやることになったのが2013年の暮れです。

省念さんとしては、ご自分の音楽を外から見る視点がほしかった?

吉田:それはあります。『黄金の館』は宅録のアルバムなんですね。僕も、スタジオを構えたといっても、録音する空間と使う楽器はありますが、さらに録音機材まで用意すると破産しますからね(笑)。

くるりに参加して感じたのは、彼らはことレコーディングではほんとうにいろんなことを試すんですね。そこで感じたのは、あっ、試していいんだということの再認識だったんです。

そのわりにはというとなんですが、すごくよい音録りですね。曲ごとにその曲に合った録り方をしていると思いました。

吉田:そこにはかなりこだわりました。そういっていただけるととてもうれしいです。

スピーカーで聴いているときとヘッドフォンで聴くとき、イメージもだいぶちがいます。

吉田:音については、CDにする前、マスターの段階でかなり迷いもあったんです。ここを聴かせたいという部分を再現するには、聴いていただく方の再生機器の壁があるのも事実なので。そこではだいぶ悩みました。尾之内さんとミックスをしながら、いまやっていることは無意味なんじゃないかといったこともありました。絵でいえばずっと下地を塗っているような感覚ですよね。

『黄金の館』はおのおのの曲の情景がはじまりと終わりでちがうような感覚をおぼえました。いろんな要素がはいっていますね。

吉田:くるりに参加して感じたのは、彼らはことレコーディングではほんとうにいろんなことを試すんですね。そこで感じたのは、あっ、試していいんだということの再認識だったんです。ホーム・レコーディングでそれを試すのとちゃんとしたスタジオではもちろん次元がちがいますが。僕は昨今、スカスカな音楽が流行っていると思うんですね。音数が多い曲でいろんなことを試すのは、それは難しいわな、と思う反面、尾之内さんとの挑戦でもありましたし、今後もいっしょにやっていくための雛形にしたい気持ちもありました。

くるりでの活動が糧になったということですね。

吉田:くるりはメジャーで活躍しているバンドですし歴史もあって、くるりにいたときはそれをどうにか身体にいれようと思っていたところはありました。そこにいたのもたしかに自分なんですが、いざひとりではじめようとするとそこにいた自分が身体中にのこっていて、いま考えるとそれもいいことなんですが、一発めにそれが出てもいいのかということは考えました。それで時間がかかったのもあったのだと思います。

名刺代わりというと軽く聞こえるかもしれませんが、『黄金の館』は吉田省念というミュージシャンのいろんな側面を出したよいアルバムだと思いました。

吉田:ありがとうございます、欲ばりました。この前、ようやく岸田さんにこんなのつくったんですと電話して、お会いして音源を渡せたんです。スッとしました、ホントに。どう思ったかはさておいて、音を渡せたのはよかったです。

省念さんにとって、くるりに参加された経験は大きくて、無意識にせよ、それをふまえていたのかもしれないですね。

吉田:それもあって丁寧につくりたかったんだと思います。そうじゃないとちゃらんぽらんになるというか、いままでの自分を否定することになるから。

80年代にニューウェイヴをガッツリ追いかけていたオッチャンがいまは会社をやっていて、時間みてライヴに来てくれる、そういう方がなにか感じて、いいやんといってくれるのは素直にうれしいですよ。

アルバムをつくるにあたり先行した構想はありましたか。

吉田:全体の構想は曲を仕上げていくなかでできていきました。曲の順番は不思議なもので、曲を用意したときに、これは1曲め、2曲め……といった具合に13曲めまですんなり決まりました。9、10、11曲めはちょっと入れ替えましたが、最終的にほとんど変わっていません。

7曲めの“夏がくる”からB面といった構成ですね。

吉田:そうです。

前半と後半に厳密に分けられるとは思いませんが、A面のほうがブリティッシュ的な翳りの要素が強くて、B面はアメリカっぽい印象を受けました。

吉田:そうですね(笑)。オタク的なものが出たんでしょうか。

私のようなオッサンがニヤリとするのはどうなんでしょうか。

吉田:開けている、というのはそのような意味でもあるのかもしれませんね(笑)。

うまいこといいましたね(笑)。

吉田:でも思うんですけど、80年代にニューウェイヴをガッツリ追いかけていたオッチャンがいまは会社をやっていて、時間みてライヴに来てくれる、そういう方がなにか感じて、いいやんといってくれるのは素直にうれしいですよ。あの感じ、それに近いと思われるのは、僕はイヤなことではないです。そもそも引用を隠す技倆もない(笑)。ストレートにやるしかないんです(笑)。

ギター、ベース、チェロ、鍵盤、マリンバ――『黄金の館』で省念さんは数多くの楽器を演奏されていますね。

吉田:楽しんでやっているだけなんですけどね。ひととかかわって音楽をつくることは、他者に自分のイメージを言葉で説明するとことからはじまるじゃないですか。それってすごくたいへんで、そこで生まれる食いちがい、化学反応こみでバンドをやるのは楽しいですが、今回のレコーディングでは基本的に自分でいろいろやりたいなとは思っていました。

フォークウェイズから出ていたエリザベス・コットンやバート・ヤンシュを聴いて、アコースティックでもこんなグッと来る、攻めてくる音楽があるんだと思ったんですね。

細野晴臣さんや柳原陽一郎さんにはどのような意図で参加をお願いされたんですか。

吉田:細野さんには直接お会いしました。ライヴに行ったときに「僕は晴れ男なんだよ」とおっしゃっていたのを聞いて、「晴れ男」という曲でシュパッパというスキャットを入れてもらいました。できればもう1曲参加していただきたかったので「デカダンいつでっか」でもコーラスをお願いしました。僕はレス・ポールが大好きで、「晴れ男」はレス・ポール風のアレンジにしたかったんです。彼も宅録でしょ。細野さんにお会いしたときも、メリー・フォードのこととかも話して、細野さんに「ビーチ・ボーイズではじめて買ったのは『サーフィンU.S.A.』なんです」と話したら、僕もなんだよ、とおっしゃられて、それでもりあがったこともあります。

時代はちがいますが。

吉田:そうなんですけどね(笑)。それで、まず音を聴いていただき、コメントもいただけたので、スキャットを入れていただけませんか、と。

細野さんのアルバムで好きなのは『Hosono House』?

吉田:いちばん聴いたんじゃないですかね。三日月スープのころ、ドラムがない古いスイングにのめりこんでいたときちょうど細野さんが東京シャイネスをやられていて、うわーっと思ったこともあります。なので『Flying Saucer 1947』もよく聴きました。いまの細野さんの音楽を聴いて、はっぴいえんどを聴き直したとき思うことはまたちがうんですね。


コーラスに細野晴臣を迎えた“晴れ男”


当時なぜアコースティック・スウィングに惹かれたんですか。

吉田:フォークウェイズから出ていたエリザベス・コットンやバート・ヤンシュを聴いて、アコースティックでもこんなグッと来る、攻めてくる音楽があるんだと思ったんですね。ロバート・ジョンソンを聴いたときとの衝撃よりもそれは大きくて、自分もマーチンのギターが要るな、と。ギターを買ったのもあって、その方面にいったのはあります。

ギター・サウンドの側面だけとってもノイジーなロックからアコースティックなスウィングまで、省念さんのなかには積み重ねがあるんですね。

吉田:自分の好きなものとやることがつねに混じり合うというのはなかなか難しいと思うんですよ。好きなことって、音楽だけじゃなく多岐に渡るじゃないですか。それを交えるのは時間がかかるし、難しいことだと思うんです。

ムリにやっても接ぎ木になるだけですからね。

吉田:自分のタイミングでそれをうまくやりたいというのはテーマとしてあるので、『黄金の館』はそこにすこしは近づけたのかなとは思います。

曲をつくり、13曲溜まり、必然的にこのようなアルバムになっていった。それが昨年の2月ということは、丸1年かかったということですね。

吉田:ホーム・レコーディングとはいえ、尾之内さんにも僕にも生活もあるから、そのあいだを縫ってつくっていたところもあり、時間がかかったのは仕方ない面もありました。最初というのもあって、時間をかけてやり方を模索するほうがいいと考えたのも大きいです。

制作でもっとも留意された点を教えてください。

吉田:ギターの音を聴いて反応していただけるとうれしい、というのはそこにこだわりがあったんでしょうね。ピアノにこだわるといっても、僕の拙いピアノだと限界がありますがギターは慣れ親しんでいるのでその分重視したかもしれません。

山本精一さんも、声を楽器として意識されているといったようなことをおっしゃっていて、その考えには共感できます。それがないとメッセージと伝えることが先行してしまうので。

歌もいいですけどね。歌手でだれか、省念さんが模範にされた方はどなたですか。

吉田:うーん(といってしばし考える)。

歌い手としてご自分を意識されないですか。

吉田:三日月スープをやっていたころ、僕は自分のことをギタリストだと思っていたんですね。歌ってはいるけど、僕にとっての歌は歌じゃない、ギターが弾けたらうれしいと思ってやっていたんですね。ところがあるとき、お客さんに怒られたんです。歌がよかったといわれたときに、「そうですか」と返したら、なんでそんなこというんや、と。舞台に立って声も出していて、声はなんといっても強いんやから、もっとそこに意識もてやといわれて、ビッとなったんです。山本精一さんも、声を楽器として意識されているといったようなことをおっしゃっていて、その考えには共感できます。それがないとメッセージと伝えることが先行してしまうので。

曲は部分からつくりますか、全体を考えますか?

吉田:全体像がバッと出てきます。全体が出てきて、今回はそれを自宅でそのまま(記録媒体に)写した感じでした。曲はライヴで変化することもあるんですね。歌詞の細かいところなんかはとくにそうです。自分にはマイブームのようなものがあって、言葉にすごく意識があるときとメロディや曲に意識があるときがわかれていて、それによって歌詞が先行したり曲が溜ったりします。冨士夫さんの文章を書いたときは言葉の時期だったので原稿を書くのも自然だったんですよ。最近は曲が溜まって歌詞を乗せる作業が後追い気味なんですが。

言葉の意味性、なにを伝えるかということについてはどう考えます?

吉田:なにかをうまく伝えられるほどの言葉の技倆は僕にはないです。でも自分も好きな音楽って、もちろん言葉は聞くんですが、音楽って曲が流れている時間をいっしょにすごすわけで、そのとき自分のなかに入れられる情報には限界があると思うんです。限界値までの言葉の選び方があって、自分にはそれしかできない。それを超えられれば、より詩的なものを伝えることもできるかもしれませんけど。村八分なんてものすごくシンプルじゃないですか。

「あっ!」とかね。

吉田:あれは日本語のロックの究極のかたちだと思うんです。あれを十代でやるのはすごい。

狂気さえ感じます。

吉田:でもいいんですよ、かたちを残したんですから。ひとから見たら普通じゃなくても、じっさいはバランスがとれていたんだと思うんですよ。音楽以外の表現に意識を向けたこともあったでしょうしね。

音楽以外への興味ということを考えると、たとえば親父さんと省念さんは畑がちがうわけですよね。ヨシダミノルさんについて、いまにして思うことはありますか。

吉田:絵の描き方を教わったことはないですが、美意識のようなものをもって、それを生活をつづけながら守るということをずっとやっていたんだと思うんです。そういうところは教えてもらったところです。美術だと物質的なことも大きくて――

とくに「具体」の方でしたからね。

吉田:そうです。音楽はかたちのないものを元につくるものですからその点ではちがいますが、意識の面では教えてもらった気もします。

音楽は年齢とともにあるものだし、自分のつくる音楽で意識的に若がえるより、自分の(美)意識がかたちになったときのよろこびみたいものをつねに高めることを望んで生活するのは、テーマでもあります。

生活によって音楽は変わると思いますか。

吉田:そう思います。

それはよいことですか、できれば生活と音楽は独立したものであったほうがよいと思いますか。

吉田:自然なことなんじゃないですか。音楽は年齢とともにあるものだし、自分のつくる音楽で意識的に若がえるより、自分の(美)意識がかたちになったときのよろこびみたいものをつねに高めることを望んで生活するのは、テーマでもあります。生活形態というのは流動的に肉としてついてくるものかもしないです。

10年後には10年の生活を積んだ味のある音楽をやっていると思いますか。

吉田:ねえ!

逆に若がえったりしてね。

吉田:よく老成しているといわれますからね(笑)。

いまでは固定したバンドはあるんですか。

吉田:京都で演奏するときは今年は吉田省念バンド、まだ名前はないですが、バンド形態でも演奏できるようにはしています。次の作品はそのメンバーもいいかたちで巻き込めたらいいなとは思っています。


ライヴでもお馴染みの曲“水中のレコードショップ”

『黄金の館』というタイトルはもともとはイヴェント名ですよね。

吉田:そうです。

それをアルバムのタイトルにもってきたのはどのような意図だったのでしょう。

吉田:イヴェントは次が27回めですから、2年とすこし、やっていることになります。それとともに学んだこともあったのでタイトルにしました。

そもそもその名前にした理由はなんですか。

吉田:自分だったら銀色が好きなんです(笑)。

なにをいいたいかよくわかりませんが、つづけてください。

吉田:(笑)金色って狂った感じというか、『メトロポリス』という映画があるじゃないですか。

フリッツ・ラングの?

吉田:そうそう。あの映画の金色のロボット、マリアの感じが金の魅力とともに深いなにかを物語っていて、それを出せたらいいんじゃないかと(笑)。

なるほど、といいたいですが(笑)。

吉田:館というのは空間ですよね。画家におけるアトリエ、ミュージシャンにとってのスタジオといった、空間=館からはじまったもいいんじゃないかと思ったのもあります。建築と音楽にも近いところがあるじゃないですか。

19世紀には建築は凍った音楽といったらしいですからね。

吉田:そうでしょう。音響は場所にもよりますし、それもあって館という言葉にも音楽との共通性があると思い名づけました。

つまりはビッグ・ピンクですね。

吉田:(笑)

そこからまたすばらしい音楽がうまれることを期待しています。

吉田:がんがんつくりますよ!



〈吉田省念ツアー情報〉
■5/24(火) 下北沢・レテ「銀色の館 #3」*弾語りソロワンマン
■5/26(木) 三軒茶屋・Moon Factory Coffee *弾語りoono yuukiとツーマン
■6/5(日) 名古屋・KDハポーン「レコハツワンマン」*京都メンバーでのバンドセット guest:柳原陽一郎
■6/14(火) 京都・拾得 「黄金の館」
■6/30(日) 下北沢・440 「レコハツワンマン」 *バンドセット Dr.伊藤大地、Ba.千葉広樹、guest:柳原陽一郎
■7/14(木)京都・拾得 「黄金の館」
■7/18(月) 京都・磔磔 *詳細未定
■7/24(日) 大阪・ムジカジャポニカ
■8/7(日) 京都・西院ミュージックフェスティバル

Savage Young Taterbug - ele-king

 これまで別名義も含め、気の向くままにカセット音源を発表してきた──ウェット・ヘアーのショーン・リードによるアートワークとプリントが美しいレーベル、〈ナイト・ピープル〉から──サヴェージ・ヤング・テイターバグが満を持してヴァイナル作品を発表。この作品は現在のローファイ・アメリカーナの記念碑となるだろう。

 もう3年も前のものになるがテイターバグやトレーシー・トランスのツアー日記から彼らの生活を改めて垣間みてみよう。

 〈ゴーティー・テープス(Goaty Tapes)〉のザリー・アドラーは、彼らのように拠点または定住地を持たない表現者を“カジュアル・ジャンク”と呼び、少し前にその表現と生活を紹介したカセット・コンピレーションやジンを出版していた(https://goatytapes.com/#!/record/casual-junk/)。こちらは醜悪なLAアートブック・フェアにて偶然遭遇したザリーより購入した。20ドルは暴利だがトレーシー・トランスをはじめオルファン・フェアリーテイル(Orphan Fairytail)、ロシアン・ツァーラグ(Rusian Tsarlag)などの世界各地の流浪アーティストが共有/昇華させる創造力をまとめてあるので、このテイターバグの『シャドウ・オブ・マルボロマン(Shadow of Marlboro Man)』を聴いて仕事を放擲する考えが浮かんだ人は読んでみるといい。

 ホーボー、ビートニク、ヒッピー、ドリフターといったホームレスのサブカルチャーはアメリカ人の開拓精神を体現しているのである。時に車の荷台なり長距離キセルの貨物列車なりで揺られながら、大陸を横断していくヤング・ホームレスの儚く美しい開拓精神をテイターバグはもっとも体現していると言えるだろう。ゴミクズ・デッドヘッズ、発狂ベッドルーム・アシッド・フォーク、なんとでも呼ぶがいい。昨年エリジア・クランプトンが自身の性的マイノリティーや血統のテーマを“アメリカン・ドリフト”と題したように、少数派こそが持ち得る底抜けの自由がここにはある。

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