Home > Reviews > Album Reviews > KNZZ- Z
「東京はグレーな街」誰が最初に言い出したのかわからないが、東京の色を表すのに「グレー」はしっくりくる。しかし、ここ数年東京の街に似合う色は「ネイヴィー」だと感じることが多い。夕方に目覚めた時に見える空の色。静かな夜明けが訪れるほんの少し前のあの色。それがこの街のいまの色ではないだろうか。
そう思わせてくれたアーティストが2人いる。febbとKNZZ、2人のラッパー(彼らはいま、DJ J-SCHEMEとともにDOGGIESというグループを結成している)。febbはファースト・アルバム『the season(ザ・シーズン)』のその名も“NAVY BARS”という曲でその世界を見せてくれる。『the season』の話はまた別の機会にしたい。今回はKNZZの話。「もっともラッパーらしいラッパー」それがKNZZを表すのにいちばん適している。
KNZZが満を持してリリースしたファースト・アルバムは「Z」と名付けられている。アルファベットの最後の文字からは「最後まで立っている男」の姿が頭に浮かぶ。ここで彼が徹底しているのは、「ラッパーであること」「ヒップホップであること」の2点に尽きる。自身の経験を交えて語られるのは、非常な世界で生きてきた中から生まれる現実的なストーリーであり教訓である。ところが、その一方で比喩や韻といった技術的な表現、ラッパーとしてラップをすることという人格的な表現、という2点に重点を置くことによって、現実と仮想現実が交錯する。この2つの世界は最終的には現実世界に着地するというSFさながらの超大作がこのアルバムである。
いくつかのインタヴューでKNZZ自身が話している「ラップはまじかるバナナのようなもの」という発言。それはラップの韻にこだわることで連想していく世界の転換を上手くいいあらわしている。韻で連想して世界を広げるだけでなく、しっかりと始まりと落ちがある点も含めて、KNZZのラップはその最たるものであるのは楽曲で実証済みだろう。登場する表現にはユーモアもホラーもある。作品の度にそれを更新し、完成された世界は、膨張し、広がっていっている。シンプルでいてミニマルに紡がれていく韻は、TOO MUCHな悲劇が起こる日常と過度に表れる喜怒哀楽さまざまな感情に対し、そのスピードを変えずに動いていく現実の温度を見事なまでに描き上げていく。説明を不要とするまでの表現技法が「Z」という世界を作り上げている。ラッパーとしてその世界を作り上げている。
KNZZにはさまざまな側面がある。それはすべて、そのラップで聴くことができる。その側面をキャラクターとするならば、KNZZの中には何人ものキャラクターが存在し、曲を作りあげていると言えるだろう。そのアルバムを紡ぐ人物は1人でありながらも、短編が集まった一つの物語が「Z」では描かれる。グレーからネイビーへと色を変えていく東京の街の話。大通りもあの短い路地も交差している東京の街の話。登場するキャラクターのすべてがKNZZにより一人一人描き込まれ、人格が与えられており、そこに迷いはない。問題作とも言われる“THIS IS DIS”で登場するKNZZはいっさいの迷いなくラップを通してDISを展開する。もはや清々しすぎて、この曲はDIS SONGなんかじゃないみたいに感じる瞬間すらある。ラップ/ラッパーという形で攻めるKNZZがそこにはいるのだ。一方、“GUN TRAP”ではKNZZの進む世界を淡々と絶望、葛藤、勝利への誓いがからみあうを現実世界をどこか別のところからKNZZを通して語りかけるようなキャラクターが登場する。ヒップホップという音楽/ライフスタイルに落とし込まれた世界が「Z」とともに広がっている。
ミニマルでいてシンプルなラップという技術。作り描き込まれたキャラクター。それが紡ぎ上げる世界は、一歩間違えれば暴走し、破綻するような危うさを含んでいる。本体ともいえるKNZZ自身が技術/キャラクターが暴走するのを制御していることでこの壮大な「Z」という世界は成立している。歴史とストリートが作り出した脚本の監督であり、主演であるKNZZの作り出したこの一大ノワールを聴いてみない手は無いだろう。リリースから半年を待たずしてこの作品は時間も場所も超越した音楽としていま手が届くところに超然と存在している。
COTTON DOPE