「K Á R Y Y N」と一致するもの

Shuta Hasunuma - ele-king

 2023年のアルバム『unpeople』以降、立体音響パフォーマンスをつづけてきた蓮沼執太。それにつらなる新作EP「+1P EP」が2月14日にリリースされる。現在、同作より “one window (instrumental)” が公開中だ。

 なお蓮沼は今年公開されるアニメ映画『花緑青が明ける日』(日本画家、四宮義俊による長編アニメ監督デビュー作)の音楽を担当してもいる。合わせてチェックしておきたい。

Shuta Hasunuma
“+1P EP”

2025.02.14(fri) releases

1: Heaven
2: Pragma
3: one window (instrumental)
4: Pluralist

蓮沼執太の4曲収録のオリジナルEP『+1P EP』がリリース。国内外から高い評価を得た前作アルバム『unpeople』(2023)以降に行ってきた立体音響によるサウンド・パフォーマンス『unpeople + 1 people』の「+ 1 people」からネーミングをとったタイトルになっている。

1曲目には、2024年開催の草月プラザ・イサムノグチ石庭『天国』での公演『unpeople -初演-』で披露された Jatinder Singh Durhailay(ジャティンダー・シン・ドゥハレ)、Johanna Tagada Hoffbeck(ジョアンナ・タガダ・ホフベック)とその愛鳥 Lemon(レモン)による大崎清夏による詩のポエトリー・リーディング作品の『Heaven』。 クラブセットでパフォーマンスをしているリズムトラックの2曲目『Pragma』。2023年リリースされた「one window」のインストゥルメンタルバージョンの3曲目『one window (instrumental)』。そしてEPの最後を飾る4曲目は7分間の壮大な『Pluralist』。マスタリングはメトロポリス・スタジオのMatt Colton(マット・コルトン)が手がける。

アルバム『unpeople』同様に田中せりがアート・ディレクションを担当し、池谷陸による写真がアートワークに起用されている。音楽的方向性、そしてビジュアルワークからも前作『unpeople』の残り香が漂うような、蓮沼執太による音響世界が作られている意欲的な小曲集となっている。

蓮沼執太|Shuta Hasunuma
音楽家、アーティスト
1983年、東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織し国内外での音楽公演をはじめ、映画、テレビ、演劇、ダンス、ファッション、広告など様々なメディアでの音楽制作を行う。また「作曲」という手法を応用し物質的な表現を用いて、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンス、プロジェクトを制作する。
x : @shuta_hasunuma
Instagram : @shuta_hasunuma
YouTube : https://www.youtube.com/@ShutaHasunuma/
web: https://linktr.ee/shutahasunuma

Double Virgo - ele-king

 去年、24年の5月にバー・イタリアのライヴを見たあの日のことをいまだに思い出す。まるで時代がかった音楽ドキュメンタリー映画が目の前で展開されているかのような音と視覚の共演。ステージの上の照明はずっと明かりがついたまま。それは黄色と白が混じったスクリーンの光のようで、赤や青などカラフルな照明に切り変わることなどなかった。黒い横長のサングラスの男が右に、黒髪のカーリーヘアで眼鏡をかけた男が左に、そうしてドレスの女が真ん中で踊り続ける。フロントの3人のその姿はいつか見た映画の場面そのもので、やたらと奥行きがあるスクリーンのリアルな世界に自分が存在しているような気分になった。スクリーンのなかの、観客として僕らも映画のなかにいる。もしかしたら当時、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやテレヴィジョンのライヴの現場にいた人もこんな気持ちだったのかもしれない。そうしてそこで理解した、バー・イタリアはスタイルなのだと。スタイル、あるいは哲学と言ってもいいような、貫かれる美意識、だから何をしても様になる。もう少し言えば様になるようにアクションを起こしている。その選択にしびれ続けているのだ。

 そしてそれはそのままダブル・ヴァーゴの美意識でもある。バー・イタリアから中央の女性、ニーナ・クリスタンテを抜いた、サム・フェントンとジェズミ・タリック・フェフミのダブル・ヴァーゴ。不遜にそして彼ららしく『Greatest Hits』と名付けられたこれまでの曲を集めたコンピレーション・アルバム、というかほぼデモみたいなラフな感触のアルバムがまた素晴らしいのだ。90年代US風のスラッカーなギター・ロック、ちょっとメランコリックで、思いのほかポップな唄メロを持っていて、なんてことのないような曲なのにさりげないフックが繰り出され頭のなかで尾を引くように綺麗な線を残していく。フェントンひとりの弾き語りのようなアイデアの “Splashy” にもう一本のギターが所在なさ気に入ってきてフェフミの違う歌声とからむ。そうしてまたいつの間にかフェントンひとりに戻っていき、気まぐれに声が合わさりエンディングに向かって音が抜かれていく。シンプルな、たったこれだけのことなのに、頭のなかでこの曲が日常に消えていく名曲だって判断される。それは90年代USオルタナ風の曲 “hardcore hex” や “Bingentinking” にしても同様で、ここに至りこの魔法のフックは曲の良さもさることながらフェントンとフェフミの唄い継ぎによるものなのではないかという考えが頭に浮かんでくる。これ見よがしなところはいっさいない憂いを帯びた低体温のヴォーカル、気怠くぼそぼそと小さなメロディを唄う声が聞こえてくるかと思いきやふっと消え、いつの間にか同じような、しかし別のメランコリーな唄に変わっている。それはソファーに寝そべり、壁に寄りかかったふたりの間で気怠く交わされる映画のなかの会話のようで、なんとなくジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』の「わるい仲間」ヴァージョンみたいな光景が頭のなかに浮かんでくる。でもあそこまで長くはない。長くても3分半、大半は2分かそこらの短い時間の「長回し」で、だからこそ飽きることなくこれをアンニュイな時間としてそのまま受け取ることができるのだろう。こうした選択こそがまさにダブル・ヴァーゴのセンスだ。ギラついたものではない鈍い光がダウナーに進む時間のなかで放たれる。美しい倦怠、無為に消えていく時間、ダブル・ヴァーゴはポップ・ミュージックのフィールドのなかで自身の美学を素晴らしく示している。
 アンコールにシングル・ヒットした曲を演奏しなければならないことを思い出したみたいな “No smoking in the hallway” のような異彩を放つ曲もあるが(そのタイミングで演奏される曲がたいていそうであるのと同じようにこの曲もまた疾走感に溢れた素晴らしい曲だ)アルバムの全体の雰囲気はアンニュイで心地よい空気を味わわさせてくれるものだ。

 それにしてもフェントンとフェフミは多作だ。バー・イタリアとして23年に『Tracey Denim』『The Twits』という素晴らしいアルバムを2枚出したかと思えば、同じ年にダブル・ヴァーゴとして『hardrive heat seeking』と名付けた36の未発表曲を世に放つ。そしてここに『Greatest Hits』がある。夜中にひとり、小さな音でこのアルバムを聞いていると、なんだか将来、再発見されるであろうバンドの曲を先取りして聞いているみたいな気分になる。シーンや時代の流れというものから離れ、SNS上の存在をほとんど示さないミステリアスなバンドの、掘り出された音源。ヴィーガンのレーベル〈PLZ Make It Ruins〉からリリースされたEP「Eros In The Bunker」のようなパッケージングされたオリジナル・アルバムを出して欲しいという思いもあるのだが、いやしかしダブル・ヴァーゴはこれでいいという思いもある。時代の波にさらされた後のような、わずらわしさから離れたローファイでタイムレスな小品たちが放つ気怠さのなかにいつまでも浸っていたい。そうやってこの『Greatest Hits』は誰かのベッドルームのなかで特別になっていくのだ。

ERA - ele-king

 等身大の目線で都市の生活を歌うラッパー、ERA。その6枚目のアルバム『under the sun』が本日1月22日配信されている。客演には仙人掌、CENJU、anndy toy storeといったベテランから若手までが登場。現在、収録曲 “SWAY IN THE WIND feat. CENJU” のMVがERA自身の運営するHOW LOWのYouTubeチャンネルで公開中だ。リリースを記念してパーカーもWISDOM STOREおよびTRASMUNDOにて発売とのことなので、あわせてチェックしておきましょう。

アーティスト:ERA
タイトル:under the sun
フォーマット:CD / DIGITAL
配信リンク:https://ultravybe.lnk.to/under-the-sun
発売日:2025年1月22日

ERAの2年ぶりとなる6枚目となるアルバム。PAIN、希望、日常をテーマとした全11曲入りのアルバム。エモーショナルなリリックにERA独特のFLOWが乗る。今回はBAYAREA寄りの楽曲が多数収録されている。ERA特有のキャッチーさに華をそえているビートとERA独特のFLOWとの関係性となっていて楽しめる内容となっている。フューチャリングには仙人掌、CENJU、anndy toy storeとベテランや盟友、フレッシュな若手を起用している。アルバムの後半では苦しんでいる人達にたいしてのメッセージがある曲を収録するなど今ままでより幅が広がったERA節を展開している。是非色んな人に聞いて頂きたい。

収録曲 :
01. Favorite Food Prod. by 4thathr33
02. Summertime In The Hood feat. 仙人掌 Prod. by Cedar Law$ & kosy
03. Rooftop Prod. by Major Threat
04. In The Dream feat. anddy toy store Prod. by DJ HIGHSCHOOL
05. Name ERA Prod. by Vis The Kid
06. Swaying In The Wind feat. CENJU Prod. by K.E.M
07. Get Serious Prod. by DJ SCRATCH NICE
08. ケセラセラ Prod. by SIRCORE
09. My Life Prod. by TEMPO TUNES COLLECTION
10. 明日 Prod. by boi yanel
11. Turn The Page Prod. by MASS-HOLE

Mixed by I-DeA at FLS 6th Lab
Masters by HIroshi Shiota at SALT FIELD MASTERING
Artwork by ATER ( FUT / LPS )
Photo by Teppei Hori

PROFILE :
D.U.O TOKYOをリプレゼントするFRESHでORIGINALなTOKYO出身のMC。2011年にファーストアルバム「3 WORDS MY WORLD」をリリース。変わらずに変化していく街のHIP HOPでTOKYOからオリジナルカラーに世界を染めていく。アルバム「JEWELS」をリリース後、自らのレーベルHOW LOWを設立。「LIFE IS MOVIE」(2015)、「Culture Influences」(2018)の2枚のアルバムと EP 「Ground Music」(2020)シングル「Daily Tales」(2021)及び「Reachung」(2022) をリリース。リリースしたどのタイトルもクラッシックとして、生活の中で作用し合いながら輝き続けている。SEMINISHUKEIの作品はもちろん、BCDMG、BIM、Campanella、tofubeats、PUNPEE、仙人掌らとも楽曲をリリースしており、ERAの描く地平線は素晴らしく湾曲していてまっすぐにのびていく。エモーショナルなリリックは何かを掴むきっかけをいつだって感じさせてくれる。

The TIMERS『35周年祝賀記念品』に寄せて - ele-king

 清志郎さんは煙草を吸うときに必ず匂いを嗅いでから火をつけた。僕の周りでそんなことをする人は見たことがない。パッケージから煙草を取り出すと清志郎さんは横向きにして鼻の下にあてがい、ささッと短く左右に動かす。煙草の匂いが本当に好きなんだなと思って、ある時、清志郎さんがいつものように煙草を鼻の下に押し当てた瞬間、「必ず匂いを嗅ぐんですね」と言ったら「そんなこと言われたら、もうできなくなるじゃないか」と怒られてしまった。楽しみを奪われたという表情だった。煙草の匂いを嗅ぐのは無意識だったのかと僕はさらに驚いた。
 この正月に風邪をひき、外に出るのが億劫だったのでタイマーズの『35周年祝賀記念品』を宅配で取り寄せ、パラパラと歌詞カードを眺めていたら、「火をつけて この胸に お前の匂いを かぎたいぜ」という歌詞が目に入った(“タイマーズのテーマ” )。そうだった。レコーディング前は語尾が「ぜ」ではなく、「かぎたいよ」と歌っていたことも思い出す。「必ず匂いを嗅ぐんですね」と僕が清志郎さんに言ったのは『忌野清志郎画報 生卵』を編集していた90年代半ばで、“タイマーズのテーマ” がつくられたのはそれより7年も前。なんだよ、自分で「匂いをかぎたい」と歌ってるじゃないか。あの時、僕はなんで怒られたんだ?
 そう、それは本来、煙草でやる仕草ではないことを煙草にもしていると僕に指摘されて、煙草で済ませていたことに自分で自分に腹を立てたのだろう。同じことはビールでも繰り返された。自宅でビールを飲み、「なんだ、これでもよかったんだ」と清志郎さんは自嘲していた。2人の子どもが生まれ、明らかにライフ・スタイルを変化させ始めた清志郎さんがそこにはいた。いまから思えばセルフ・イメージを書き換えていた時期なのである。朝の4時に窓を開けて「ヤッホー!」と大声を出して、石井さんに「何やってんの!」と頭をはたかれたりしていたのは同じだったけれど。
 清志郎さんにはそれまで強迫観念があり、いつも芸術家のようにあらねばならないと考えていた。日常生活も例外ではなかった。凡人がやるようなことをやってしまうと「ダメかなあ?」と妙に照れていた。その頃はそんな清志郎さんを何度見たことか。それこそ7年前にタイマーズを始めた人と同一人物なのかと思うほど、その頃はほのぼのとしていた。そう、タイマーズの時はやはり、清志郎は人が違っていた。

「事務所の人間が現場に行くわけにはいかないから代わりに行ってくれないか」と坂田社長に僕は言われた。タイマーズがステージに立つ1週間ほど前で、「現場に行くわけにいかない」というのは事務所がタイマーズのやることに責任を負えないという意味だった。イベントの主催者に対して説明のしようがなく、実質的に「逃げる」という判断である。それは清志郎と事務所の関係がいったん白紙になったということを意味し、タイマーズというバンドが業界に足がかりさえ持てないのかと僕は心配になってしまった。僕はまだ音楽業界という場所に足を踏み入れたばかりで、ことの重大さを完全に理解できていなかった。
 硬い表情のまま坂田社長は続けた。「危ないと思ったら、メンバーをタクシーに乗せて逃がしてくれ」と。このひと言にはさすがに緊張した。タイマーズのライヴ・デビューは1988年8月2日の富士急ハイランドで行われた音楽フェスで、トッピこと三宅伸治率いるモージョー・クラブが出演するはずだった時間帯をタイマーズに譲ったものだった。モージョー・クラブが『社会復帰』でメジャー・デビューしたのはその翌年のことで、その時の観客はモージョー・クラブだろうがタイマーズだろうが、どっちにしてもよく知らないバンドだし、実際、それまで降っていた雨が止んで、まばらな拍手を受けてタイマーズの演奏が始まっても半数は無反応だった。
 残りの半数は、しかし、半狂乱ともいえる騒ぎになった。RCサクセション『カバーズ』の発売中止を知らせる広告が新聞に掲載されてからから41日後のことであり、覆面をしたゼリーの声が清志郎だとわかっただけでなく、ライヴの後半では観客の耳に “Love Me Tender” と “Summertime Blues” が立て続けに飛び込んできたのだから。“Love Me Tender” が人前で演奏されたのは2回目、“Summertime Blues” は初めてだった。清志郎がなんとかタイマーズをかたちにしようと企画書をばら撒き(そこには憂歌団がバックを務めると書かれていた)、闇雲にデモ・テープを録音し始めてもマネージャーすら決まらないという事態が続いていたなか、富士急ハイランドには原盤会社だけが駆けつけた。
 富士急ハイランドが公開リハーサルみたいなものだったとすれば4日後のヒロシマ平和コンサートが本番だった。この日も無告知で、タイマーズはサプライズの登場だったにもかかわらず、彼らがステージに姿を現すや客席から「キヨシロー!」という嬌声が飛ぶ。楽屋でも大部屋の片隅でコソコソと作業し、清志郎だということは意外とバレてなかったと思うのに、彼らは一体どうやって清志郎が出ることを知ったのだろう。そうした声援には一切応えず、タイマーズは長々ともったいぶったバンド紹介を続け、ようやく “タイマーズのテーマ” が始まったと思ったら30分にも満たないステージは濃密な余韻を残してすぐに終わった。ヒロシマ平和コンサートの趣旨を踏みにじるように「偽善者はうたうよ 世界の 平和を求め」と歌ったのもさることながら、 “Summertime Blues” の間奏で清志郎が「オレは放射能を浴びてな、死にたくねえーな。麻薬中毒で死にたいぜ!」と言い捨てたことがとにかく印象的だった。
 この日のライヴはNHKが衛星中継をしていて、後で聞いたところによるとステージが終わってからNHKとは少し揉めたらしい。とはいえ、メンバーをタクシーで逃がすというほどの混乱は起きなかった。ステージを観て驚いたのか、オフィシャル・ブックを編集していた後藤繁雄さんがタイマーズのコメントを取らせて欲しいと熱心に頼んできた。僕に権限があることではないので、そこは勘弁してもらったけれど、後藤さんと話をしている間に、なんとタイマーズはイギリスのBBCから取材を受けていたらしい。それがタイマーズの初インタビューになるとは!(2番目に公開されたインタビューは僕が「パチパチ・ロックンロール」に書いたもので、それは本人の了解を得た上で僕が創作したもの。間違って引用なんかしないでね)。また、後藤さんが編集した写真集『ヒロシマ1988★ドキュメント写真集 VISUAL-AID BOOK』(クロスロード刊)は後半がほとんどタイマーズのステージ写真で占められていた。

 タイマーズはライヴ、とにかくライヴだった。毎回、何をやるかわからないし、「ロックとブルースと演歌とジャリタレ・ポップスをユーゴーした新しい日本の音楽」と企画書でぶち上げていた通り、スキッフルあり、演歌あり、フォーク・ロックありで、1回のステージのなかでも展開がまったく読めなかった。RCとの連続性でいうと“去年の今頃” や“あの子の悪い噂” が豊富なヴァリエーションに化けて周囲を取り囲み、上からも下からも襲ってきたという感じだろうか。横浜国立大学の学園祭では階段教室のようなつくりが災いして後方から前方に押し寄せてきた客の波に写真家のおおくぼひさこさんが押しつぶされて救急車で運ばれてしまい、コンサートの中止を訴える主催者の声を遮ってライヴを再開してしまうほどバンドの勢いが何よりも優先されていた。横浜国大ではその日の新聞の見出しを見て出番直前に “創価学会(住職誘拐)” をつくってしまうほど勢いがあり、客席もかなりの混乱に見舞われたけれど、続く泉谷しげる&ルーザーが堂々とステージを終えたのに対し、翌年行われた学園祭ツアーでは成城学園で同じようにタイマーズがパニックを引き起こし、トリのティアドロップスは中止になってしまった。
 とはいえ、清志郎のなかには言いたいことはライヴで訴えるしかないという背水の陣にも似た感情も僕はあったと思う。『カバーズ』のような作品を発売中止にしてしまうレコード産業に対して構造的な失望を覚え(清志郎の言い方では「音楽業界を見放した」となり、ライヴの録音自由化宣言へとながっていく)、自分が最後に立つ所はステージであり、最後はそこしかないという思いが強くなったと僕には感じられた(RCサクセションが80年代初頭にブレイクした際、清志郎は「レコードなんてチラシみたいなものだぜ」と発言していた)。具体的にそうした考えを本人から聞いたわけではないけれど、当時は「夜をぶっとばせ!」というラジオ番組で構成を担当させてもらっていたため、メディアが必ずしも自分の味方ではないと清志郎が考えざるを得ない感覚があることは充分に理解していたつもりである。
 それこそ同ラジオでスタジオ・ライヴの許可が下り、“アイ・シャル・ビー・リリースト” や “ヘルプ” といった曲をやれるとなった時、清志郎さんは過剰に喜んでいた。自分の番組なんだから「やれて当然」と思うのではなく、リアルタイムで自分の気持ちを表現できることが常に保証されていないと思っていなければ出てこない反応がその時は示されていた。地方と中央の関係やスポンサーの住所にも規定があるなど話はかなり込み入ってしまうので省くけれど、清志郎にとってはいわばFM大阪がFM東京の盾になってくれ、この時ばかりは自分の味方になってくれたという感じだったのだろう(その前の週にFM大阪からは “Love Me Tender” と “Summertime Blues” が放送禁止、FM東京からは『カバーズ』全曲が放送禁止という通達が来ていた。自分の番組で自分の新作が1曲もオン・エアできないのである。FM東京がネットし始めなければ少なくともFM大阪ではあれこれとオン・エアできたわけで、FM東京に対する反感はあの時から始まったと思う)。
 タイマーズのライヴが過熱していくのは、だから、当然のことで、それこそ「ソウル・バンドになってしまった」と一部で揶揄されていたRCサクセションとは対極のロックンロール・バンドであり、歌詞もあからさまに権力を題材にすることが増えていった。あるいは皮肉を前面に出すことで、 “ファンからの贈り物” や “キミかわいいね” といった初期の作風に戻ったともいえ、そのために曲に勢いがつけやすかったともいえる。ヒロシマ平和コンサートで演奏された “Summertime Blues” はとくにアコースティックとは思えない迫力で、88年の時点ではまだアコースティック・セットだったタイマーズがベース以外はエレクトリックに編成を変えた89年よりもインパクトではまさっていたと感じられた(NHKに録音が残っているはずだから「ヒロシマ平和コンサート」のライヴも『Rhapsody』のようなターニング・ポイントのライヴ盤として残すべきでは?)。

 レコード産業に対する失望だけでなく、タイマーズにはRCサクセションに対する失望も色濃く滲み出ていた。清志郎さんによると『カバーズ』が発売中止と聞かされても怒っていたのは自分だけで、タイマーズとして抗議の意を示したことは「本当はRCでやりたかった」ことだも話していた。発売中止を受けて行われたライヴの記録『コブラの悩み』のリハーサルでは、通しリハの前に清志郎さんが新たにつくってきたダスティ・スプリングフィールドの替え歌 “素晴らしすぎて” をみんなに聞かせるという一幕があった。曲が終わっても誰1人声を発さず、数秒の沈黙を受けて清志郎は投げ出すように「じゃ、やめよう」とあっさり曲を取り下げてしまった。ヒロシマ平和コンサートの3日ぐらい後のことで、タイマーズとして得た充実感とはあまりに対照的な空気がそこには流れていた。通しリハが進み、 “イマジン”を一度演奏しかけてストップし、「この曲は元気にやろう!」と清志郎がメンバーに注意を喚起したことが印象に残っている。
 RCサクセションとの距離感は、しかし、『カバーズ』の発売中止よりもずっと以前から広がっていた。東芝EMIの御殿場工場で『カバーズ』のアナログ盤がプレスされる直前にラッカー盤で試聴するという行程があり、その日が清志郎さんの誕生日と重なっていると知った僕は「アサヒグラフ」に「清志郎が富士山で誕生日を祝う」という企画を出して写真家の川上尚見さんと共にプレス工場に乗り込んだ。試聴室に入ってみると、そこには清志郎さんと、なぜか石井さんがいた。空いている椅子に僕たちは腰をかけ、手持ち無沙汰にラッカー盤の到着を待っていると、清志郎さんが沈黙を破って「あいつら、最終的にどんな音で鳴るのか、興味がないんだよ」とポツリと言った。僕はとくに疑問には思っていなかったのだけれど、他のメンバーが誰も来ない理由を説明しようとしたのだろう。その時、僕は清志郎さんと知り合ってまだ1年ちょっとしか経っていなかった頃で、RCサクセションの内部がどのようなパワー・バランスで成り立っているのかぜんぜんわかっていなかった。「ああ」とかなんとか生返事をして、頭のなかでは清志郎さん以外のメンバーは音質には興味がないということなのかなと考えたり。しかし、それから3年後にはRCサクセションが活動を停止していたことを思うと、あれは思ったよりも重いひと言だったのだなといま頃になって考え直している。
『コブラの悩み』が収録された夏の日比谷野音は異様な物々しさに包まれ、ライヴの空気もそれに引き摺られて緊張感が増していた。『カバーズ』からの6曲に加えて“言論の自由”や“セルフポートレート”といったプロテスト・ソング、放射能のことを最初に取り上げた“SHELTER OF LOVE”なども演奏されたけれど、全体に抗議調で押し通したわけではなく、『MARVY』から “コール・ミー” や『BLUE』から“よそ者” 、さらに “トランジスタ・ラジオ”、“ラプソディ” と、意外なほどヒット・パレード的な内容でもあった。“アイ・シャル・ビー・リリースト” は、スタジオ・ライヴで歌われた「西から東まで」ではなく「東の芝にも」に歌詞が変わり、“あきれて物も言えない” はいくらなんでもテンポが速過ぎた。ちなみに『コブラの悩み』というのはライヴ盤につけられたタイトルで、ライヴ当日は「SPECIAL FOR SUMMER NIGHT」というタイトルが付けられていた。

 野音が終わるとタイマーズのデモ・テープづくりが本格化し、あっという間に38曲を録音して19曲をトラック・ダウン(これをダビングしたテープがどこでどうやって高杉弾の手に渡ったのか、それをまたコピーしたものがセンター街の彼の店で飛ぶように売れたという)。 “原発賛成音頭” など何曲かは「夜をぶっとばせ!」でデモ・テープのままオン・エアもされ、年末には江戸屋レコードからのリリースが検討されていたものの、年が明けるとしばらくして『コブラの悩み』と同じく東芝EMIからリリースされることになった。最終的にロンドンでレコーディングするとか伊豆でレコーディングするとか、方針が何度も変わるなか、箱根合宿などを行ってアルバムの構想は徐々にまとまっていく。タイマーズの曲はカバーも多く(大喪の礼を揶揄した“カプリオーレ” はブラームスの曲に歌詞をつけたもの)、テーマ的にも『カバーズ』の流れをダイレクトに汲んだりもするなか、『カバーズ』で他人の曲をあれこれといじくったことで手癖から解放されたことも大きな成果だったと本人は語っていた。 “シークレット・エージェント・マン”から“不死身のタイマーズ”、や“争いの河”、 “悪い星の下に” から“Mama Please Come Back”、といった感じだろうか。ロックンロールやロカビリーが多いのは三宅伸治の影響だろう。『カバーズ』のアウトテイクに加山雄三の “君といつまでも”があり、 “ロックン仁義”のセリフ・パートなどはそこからの流れという感じもあった( “ロックン仁義”が演歌なのは「イカ天」やバンド・ブームを嫌っていた清志郎の皮肉が振り切れたということだと思う)。 “総理大臣、でスライを意識したあたりもRCサクセションにはなかった一面で、このような音楽性の広げ方はピーター、ポール&マリーやピンク・フロイドを柔軟に消化した『楽しい夕に』のヴァージョン・アップにも思えてくる。
 エレクトリックに編成を変え、メジャーからのレコード発売が前提となった89年のヒロシマ平和コンサートはゲリラ出演ではなく、初めから予定に組み込まれたことで早くも様式性を楽しむ態度が強くなっていたものの、周囲の期待はかつてなく増大していた。それこそイレギュラーが身上のタイマーズといえどもバンドが軌道に乗ると頭をもたげてくる予定調和との戦いが始まったのである。しかし、それをぶち破るようにファースト・シングル “デイ・ドリーム・ビリーバー” が発売された2日後、タイマーズはフジテレビ「ヒットスタジオR&N」で事件を起こす。清志郎がTVのゴールデン・タイムでクレージー・キャッツのような音楽コントの番組をやりたいと坂田社長に提案したことから始まったラジオ番組「夜をぶっとばせ!」は清志郎の思いとはだいぶかけ離れた内容になってしまったけれど、FM大阪だけで放送されていた時期はそれなりに自由にやっていた。視聴率がいいのでこれがFM東京にネットされることが決まり、実際に放送シフトが変わる1週間前に『カバーズ』の発売中止という巡り合わせになってしまい、スタッフから何からいろんなことがいっぺんに変わってしまった。FM大阪が “Love Me Tender” と “Summertime Blues” を放送禁止にすると言ってきたことだってどうかとは思うけれど、FM東京が『カバーズ』全曲放送禁止と通達してきたのはあまりにも過剰反応であり、『カバーズ』が世に出ないことに自分の番組まで加担するというのは清志郎にとってどれほどの屈辱だったことか。現場でも対応の仕方がよくわからなかったので初回の放送は2ヴァージョン制作されたり、スタジオを変えたり、バタバタしっぱなしで、その波をなんとか乗り越え、清志郎が次の放送でスタジオ・ライヴをやりたいと申し出てくれたことで一気に方向性が明確になった。その結果、清志郎と三宅伸治が行なったライヴがそのままタイマーズの雛形になっていく。三宅伸治は自分のバンドがデビューするタイミングだったのに、よくぞあれだけ頑張ったと思う。残りのメンバーを集めたのも、確か彼だったと思う。
 その後もFM東京は納品したテープにあれこれと文句をつけてくることが多く、FM東京からのクレームは清志郎に伝えたこともあったし、伝えなかったこともあったけれど、辟易としながらも僕らが態度を改めたことはなかった。むしろ新作を一切プロモーションできないのに番組を続けていく意味はあるのかという疑問を悪ふざけに転化しなければやっていられなかったところあった。FM東京の担当者は最終回の収録まで一回も現場に来なかった。「ヒットスタジオR&N」で “FM東京” が演奏された次の日には清志郎の家に召集がかかり、前日の録画をみんなで爆笑しながら鑑賞することになった。現場にマネージャーとして赴いていた片岡たまきは、彼女の夫であるロケットマツがアコーディオンでタイマーズの演奏に加わっていたのに “FM東京” をやるとは知らされていず、さすがにあとで夫婦喧嘩になったらしい。また、当時の荒井社長とたまきはFM東京の重役室に謝りに来いと命じられ、頭を下げに行ったものの、謝りながら耐えきれずに吹き出してしまったという(ここまでがFM東京事件という感じですwww)。ちなみに清志郎は最初、ジュリーをもじってジュレーと名乗っていて「それだったらゼリーの方がいい」と提言したのが片岡たまき。
「ヒットスタジオR&N」のライヴは短いので何度もリピートして観ているうちに石井さんが “FM東京” を歌い出す時、「クリちゃん、泡吹いてるよ」と言い出した(石井さんは清志郎のことを本名で“クリちゃん” と呼ぶ)。確かにゼリーの口元からは泡が噴き出してた。そう言われて清志郎も笑っていたけれど、そうなんだよ、けして清志郎はロックの化身だとか強靭な精神力の持ち主とかではなく、勇気を振り絞ってあれをやったのである。「イキがったりビビったりして」と “ドカドカうるさいR&Rバンド” で歌っていたように清志郎だって自分が持てる以上の力を出そうと必死だったのである。次の年に清志郎は “空がまた暗くなる”で 「おとなだろ 勇気をだせよ」と歌っていた。あれは当時のディレクターに向けた言葉なのかなと僕は思っていたけれど、案外、自分自身に言い聞かせていたことなのかも。

『35周年祝賀記念品』はオリジナル・アルバムのリマスターに、2006年版に追加収録されていたシングルのカップリング曲と2016年のスペシャル・エディションからDisc2の10曲を合わせたCD2、そして、未発表の9曲を収録したCD3の3枚組。 “FM東京” はともかくとしてライヴで繰り返された “明星即席ラーメン” や “Summertime Blues(天皇ヴァージョン)”などがもう一度聞きたかったけれど、 ライヴとはまた異なる世界観で作品を構築したのは清志郎の考えでもあるので、そこは致し方ないところでしょう。オリジナル・アルバムについてはここまで書いてきたことと重複してしまうので省略するとして、CD3について多少の補足。オリジナル・アルバムは東京でトラック・ダウンした19曲に加えてロンドンでレコーディングした23曲の計42曲から17曲を選んだもので、ロンドンに行ってからつくった“ブツ”は間に合わず、そのまま日の目を見なかった。タイマーズでもなかなかに物騒なイメージが広がる“ブツ”は三宅伸治がリード・ヴォーカルを取る曲で、スタジオ・テイクがようやくここに収録されることに(ライヴ・ヴァージョンは『不死身のタイマーズ』に収録)。僕はその頃、たまたまロンドンに1週間ほど遊びに行っていて、タイマーズが来ていると聞いてスタジオに顔を出してみたら、その日は“覚醒剤音頭”のオーヴァーダビングをやっていた。ブックレットにはクレジットがないけれど、その時、スタジオにいた女性たち全員でコーラスをつけたら面白いということになり、原盤会社の相沢社長、マネージャーのたまき、そしてライターの水越真紀が「ツイホー!」と叫び、普段はクールにしている相沢社長が「ツイホー!」と叫ぶ姿に一堂、笑いをこらえきれず、レコーディングが終わるとスタジオ内が爆笑だったことを思い出す(これもライヴ・ヴァージョンが『復活!! The Timers』と『不死身のタイマーズ』に収録)。ちなみに僕は東京で “デイ・ドリーム・ビリーバー” に手拍子で参加しています。後拍で二連打です。CD3には“デイ・ドリーム・ビリーバー” の「2024 MIX」も収録されています。“Mama Please Come Back”はタイマーズだけでなくRCのライヴでもやっていた曲で、スタジオ・テイクは初収録。ライヴよりも雰囲気がぐっと濃厚になり、音の回り方がユニークな仕上がり。この曲は独特のベース・ラインがカンの “Vitamin-C” とまったく同じで、ちょっとビビります。 “BAKANCE” はベースのボビーこと川上剛が在籍していたヒルビリー・バップスに清志郎が提供した曲で、GS風の青春ポップスをレザー・シャープスのライヴ・アルバム『HAPPY HEADS』に続いてタイマーズとしてもセルフ・カバー。あまりにも爽やかでたじろぐアレンジだけれど、これと較べてみると宮城宗典がちゃんと自分の曲にして歌っていたこともよくわかる。 “LONG TIME AGO” は89年のヒロシマ平和コンサートで演奏したライヴ・ヴァージョンを収録。急にここだけ生々しくなり、収録された意図が不明確になる(全体に誰がどういう基準で選曲したのか趣旨を説明してほしかった)。
 さらに最後は“君はLove Me Tender を聴いたか?”。『コブラの悩み』に最初の30秒だけ収録され、すぐに途切れていた曲で、『コブラの悩み』と同じ年のクリスマス武道館で行われたRCサクセションのライヴでも披露された曲。タイマーズ名義のアルバムに収録されるのはどうなんだろうと思うけれど、正式なリリースとなったことは素直に喜びたい(実際にはリズム・マシーンを使って清志郎が1人で録音した曲であり、最初に世に出たのは武道館の10日ほど前に放送された「夜をぶっとばせ!」。清志郎はリスナーにカセットを用意してと呼びかけた))。『カバーズ』に先駆けて発売中止となったシングル“Love Me Tender”は “Summertime Blues”と違って反原発の歌ではなく、反核の歌であり、発売中止となったことでかえって広く知れ渡った状況を批評的に扱った側面と、石井さんが購読していた赤旗に書かれていた「原子力発電所で、実は核兵器をつくっているのではないか」と疑う記事の内容を合体させて表裏一体とし、そうとでも考えなければ発売中止にするほどの意味が理解できないという、いわば自らの上に降りかかった状況をきちんと整理して筋道をつけた曲である。題材と向き合う時に必ずしも客観性を重視しないニュージャーナリズムのような視点が活きていて、事件の渦中にあって混乱しがちな立場にもかかわらず、冷静に問題意識を明確にしているのはさすが。清志郎本人が自慢するポイントとしては“Love Me Tender”と同じコード進行で異なるメロディをつけたことだそうです。 『35周年祝賀記念品』を聴いていて、『カバーズ』の発売中止とタイマーズの活動を通じて清志郎が本当に感じていたことは、 「こんな でたらめな街を さよならしたいよ」(“タイマーズのテーマ”)と、「レコード会社も新聞も雑誌もFMも バ~カ~み~た~い~」(“君はLove Me Tender を聴いたか?”)という部分だったんじゃないかと僕は改めて思った。『生卵』の編集をしていた頃、「竜平くんには自分がいる狭い世界ではなく、もっと広い世界で活躍してほしい」と言っていたことを思い出す。

 RCサクセションのライヴが大阪であった際、メンバーとは別に清志郎さんだけを先に大阪に行かせ、「夜をぶっとばせ!」の収録を現地でやることになった。大阪に連れていくのは僕の役目になり、朝早く清志郎さんを起こしに行った。睡眠時間を確保する習慣がない清志郎さんはガン寝していてまったく起きる気配もなく、ただ僕はじりじりと玄関で待っていた。起きない……。起きない……。起きない……。起きない……。まだ鳩の森神社の近くにある狭い家に住んでいた頃で、ようやく目を覚ました清志郎が朝ごはんを食べている様子もなんとなく伝わってくる。この家に清志郎さんと2人でいた時、インターフォンが鳴って「ピザの配達です」とファンが押し入ろうとしたことがあった。そういうことはしょっちゅうあるらしい。玄関の前まで来たファンを清志郎さんは顔は出さずに「もうするんじゃないよ」とインターフォン越しに優しく諭していた。いまから思えばあまりにもアクセスしやすい家だった。朝ごはんを食べなければ絶対に外に出ない清志郎さんがようやく食べ終わり、タクシーに詰め込んで、なんとかオン・タイムで新幹線に乗せることができた。ガランとしたグリーン車にたった2人だけだった。「寝て行きますよね?」と清志郎さんに言うと「決めつけるなよ」とまた怒られてしまった。5分もしないうちに清志郎は寝ていた。
 2009年5月9日、清志郎さんが目を覚まさないと聞いた4万3000人のファンが青山墓地に清志郎さんを起こしに来た。大勢の人が清志郎さんの名前を呼んでいる。悲痛な声。か細い声。無骨な声。そうした声援に清志郎さんはまたしても応えない。今度こ清志郎は本当に目を覚まさなかった。会場の外にボビーこと川上剛がいた。「なかに入りたくなくて」と彼は言った。しばらくそこで昔話をした。どういうわけかガロン・ドランクの話で一番盛り上がってしまった。てっきり音楽を続けていると思っていた僕は川上剛がもう音楽はやめたと聞いて本当にショックだった。「無理ですよ」と言った彼の声はとても乾いていた。タイマーズなのに。タイマーズをやっていた人が音楽活動を続けられないのか。そんな国なのか。
 タイマーズ35周年、おめでとうございます。当分、あなた方の伝説を乗り越える才能は出て来ないことでしょう。


(川上剛の回想)


(パーこと杉山章二丸のお店案内)

ele-king presents HIP HOP 2024-25 - ele-king

ヒップホップ/ラップ・ミュージックの年刊専門誌が創刊!

たったいま、アメリカで起きていること、
これを読めば、USヒップホップの “現在” がわかる!!

現在のUSヒップホップのメインストリーム概観、乱立するサブジャンル解説、ヒップホップと大統領選、『ヒップホップ・ジェネレーション』の著者=ジェフ・チャンのインタヴュー、海外アーティストの来日ライヴ・レポート、そして、2024年ベスト・アルバム50を発表!!

Kendrick Lamar, MIKE, BossMan Dlow, Latto, Xaviersobased, Rapsody, Tyler, The Creator, Doechii, Common & Pete Rock, GloRilla, ScHoolboy Q and more...

菊判218×152/160ページ

目次

Intro (For the First Issue) 二木信

[巻頭対談]
歴史的ビーフからサウスの女性ラッパーの躍進、カントリーとの蜜月、ベテランの健闘まで
――2024年のアメリカのヒップホップでは何が起こっていたのか?(池城美菜子×渡辺志保)

[インタヴュー]
ミーガン・ザ・スタリオン、グロリラの元気と、タナハシ・コーツの勇気に出会えた年──押野素子
私の役割はコミュニティの歴史を伝えること──ジェフ・チャン(通訳:SRCFLP)
海外アーティスト来日ライヴ・レポート!──PoLoGod.×$hirutaro
ShotGunDandyが解説する2024年ベスト・パンチライン!

2024年ベスト・アルバム50
二木信、アボかど、池城美菜子、市川タツキ、イワタルウヤ、奧田翔 、小澤俊亮、小林雅明、島岡奈央、高久大輝、つやちゃん、野田努、長谷川町蔵、吉田雅史、渡辺志保

[コラム]
サブジャンルが乱立する2024年。シーンでは何が起きている?(アボかど)
あらゆる戦争が交差するストリートから生まれる音楽──bigsosとムスタファについて(磯部涼)
ラッパーほど信頼できる存在はいないだろ?──ヒップホップと大統領選(辰巳JUNK)
「USヒップホップ」の境界線をかく乱する──2024年のサウンドの冒険(つやちゃん)
2024年の怪物キメラへ──ビーフの裏側で誰が本当に殺されていたのか(緊那羅:Desi La/青木絵美訳)
アンビエント・ラップというオルタナティヴの発生現場(野田努)
私はアンチ・カーディ・Bじゃない──フィメール・ラップのいくつもの物語(島岡奈央)
50周年を迎えたヒップホップと「年齢」の壁(ネコ型)
ヒップホップ・メディアは「ほとんどがゴミ」なのか?──岐路に立たされるジャーナリズム(竹田ダニエル)
2024年のヒップホップ・カルチャーと社会──そして「政治」とは何か?(塚田桂子)
ラップの虚構性とキャンセル・カルチャー(小林雅明)
燃えつきることなく燃えつづける「反ポップ」のともしび──アンチポップ・コンソーティアムのふたりがそろって新作を出した年(小林拓音)

レコード店が選ぶ2024年のベスト10
ディスクユニオン/EBBTIDE RECORDS/HMV record shop 渋谷/Jazzy Sport Shimokitazawa/JET SET KYOTO/Manhattan Records/VINYL DEALER

BONUS TRACK まだまだあった! 2024年の見過ごせない注目作

[編集・監修者プロフィール]
二木信(ふたつぎ・しん)
1981年生。ライター。『素人の乱』(松本哉との共編著)、単著に『しくじるなよ、ルーディ』、企画・構成に漢 a.k.a. GAMI著『ヒップホップ・ドリーム』、編集協力に『ele-king vol.27 特集:日本ラップの現状レポート』、『文藝別冊 ケンドリック・ラマー』など。

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大垣書店
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お詫びと訂正

このたびは弊社商品をご購入いただきまして誠にありがとうございます。
『ele-king presents HIP HOP 2024-25』に誤りがありました。
謹んで訂正いたしますとともに、お客様および関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

●36、39、52、55、94、97、114、117、130、133、136、149ページ ショルダー

誤 COLUNM
正 COLUMN

●101ページ 下段最終行

誤 ジャフ・チャン
正 ジェフ・チャン

●153ページ 右段チャート7番目

誤 BIGMUTHA
正 BbyMutha

●159ページ プロフィール記載漏れ

奧田翔(おくだ・しょう)
1989年3月2日生まれ。宮城県仙台市出身。2008年、大学入学を機に上京。入会したキックボクシング・ジムでかかっていたBGMをきっかけにヒップホップ/R&Bを聴き始める。主な仕事にケンドリック・ラマーらの国内盤ライナーノーツ、YouTubeチャンネル『HIPHOPで学ぶ英語』など。最近毎朝コールドシャワーを浴びている。

●159ページ 左段

誤 池城美奈子
正 池城美菜子

COMPUMA - ele-king

 まだキリリとした寒さと、春の暖かなまどろみが混ざりあう、新たなる息吹も感じる浅春の候、2025年3月6日(木)、渋谷はWWWにてCOMPUMAのワンマン・ライヴを開催のお知らせです。昨秋リリースの、『A View』以来、2年ぶりとなった新作アルバム『horizons』のリリース・パーティ。
 『horizons』は、コンピューマ、自身のルーツとなる熊本は江津湖のほとりでの散策を、エレクトロニックな質感とともにイマジナリーなサウンドスケープとして描き出した作品で、淡くまじり合う豊かな色彩でその情景を宿したエレクトロ~ダウンテンポ~アンビエント etc、を展開。年末には待望のデジタル配信もスタート、さらには今後、アナログLP化も予定されている模様。

 今回のコンピューマ・ライヴも音響に内田直之、映像に住吉清隆と、鉄壁の三すくみ。同地で幾度か行われたライヴでも訪れた知覚の新たな体験は、今回もまた別の扉も開けてくれることでしょう。
 さらに今回はオープニング・アクトとして、ANJI(あんじ)というアーティストが登場する。彼女は2012年生まれ滋賀県在住で、盲学校中学部1年生。視神経形成異常症により生まれつき全盲のアーティストだが、幼い頃から楽器と戯れ、現在ではビートメイクやライヴ・パフォーマンスを行っている。脱線3のM.C.BOOがそんな彼女の演奏動画をコンピューマに紹介したことが発端となり、その音に感銘を受けたコンピューマのリクエストによって今回のオープニング・アクトとしての出演が決定した。
 当日どのようなパフォーマンスを見せてくれるのか。自然も、人間も新たな一歩を踏み出す春という季節に、そして新たなる音楽体験へと一歩踏み出す、そんなワンマン・ライヴになることは、まず間違いないだろう。(河村祐介)

 こちらの公演詳細は下記、前売チケットはただいまより販売開始となる。

■COMPUMA『horizons』Release ONE-MAN

■出演 :
COMPUMA(音響:内田直之、映像:住吉清隆)
Opening Act : ANJI

2025年3月6日(木曜日)開場/開演 18:30/19:30
WWW
前売券(2025年1月15日(水曜日)19:00発売):
 一般 : 3,500円/U25 : 2,500円(税込・1ドリンク代別/全自由 ※一部座席あり)
前売券取扱箇所:イープラス
問い合わせ先:WWW 03-5458-7685

※U25チケットは25歳以下のお客様がご購入可能なチケットです。
ご入場時に年齢確認のため顔写真付き身分証明書の提示が必要となります。

ARTWORK : 鈴木聖

▽COMPUMA 2nd Album『horizons』INFO
アーティスト : COMPUMA
タイトル : horizons
リリース日 : 2024年9月20日(金)
レーベル : SOMETHING ABOUT
品番 : SOMETHING ABOUT 008
フォーマット : CD(デジパック+ブックレット)
CD価格 : ¥2,500(税込)
URLs : https://linkco.re/ETZvyenP


◇トラックリスト
1. horizons 1 / 2. horizons 2 / 3. horizons 3 / 4. horizons 4 5. horizons Interlude / 6. view 2 electro / 7. horizons 5

マスタリング:中村宗一郎
アートワーク:鈴木聖

Whatever The Weather - ele-king

 昨年は二度目の来日公演が実現、mouse on the keysのライヴへの出演も話題を呼んだロレイン・ジェイムズ。そのアンビエント・プロジェクト、ワットエヴァー・ザ・ウェザーのセカンド・アルバムがリリースされることになった。3月14日、おなじみの〈Ghostly International〉から発売(CDは日本盤のみ)。現在、新曲 “12°C” のMVが公開されているが、このヴィデオもジェイムズ本人が手がけたものだという。アルバム、楽しみにしておきましょう。
 なお、ファースト・アルバムのレヴューはこちらから。

Loraine Jamesのアンビエント志向のエイリアス、Whatever The Weatherの待望のセカンド・アルバムが3/14にGhostly Internationalからリリース決定!先行ファースト・シングル「12°C」がMVと共に公開!

Festival de FRUE、STAR FESTIVALを含む2度の来日ツアーも果たし、ここ日本でもジャンルの垣根を超え支持を得ているサウス・ロンドンのプロデューサー、Loraine Jamesのアンビエント志向のエイリアス、Whatever The Weatherの待望のセカンド・アルバムが3/14にGhostly Internationalからリリース決定!

そして先行ファースト・シングル「12°C」が公開されました。この曲はアルバムのクロージング・トラックで、賑やかな人間空間から具体的なグルーヴへと漂い、メロディとテクスチャーを織り交ぜながら、魂を揺さぶるような充実感を生み出している感動的な楽曲です。Loraine本人が手がけたミュージック・ビデオも同時に公開されております。

Whatever The Weather new single “12°C” out now

Whatever The Weather – 12°C (Official Video)
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=p4BgcSlKd0g

The video was self-made by Loraine James.

Whatever The Weather new album “Whatever The Weather II” 3/14 release

Artist: Whatever The Weather
Title: Whatever The Weather II
Label: PLANCHA / Ghostly International
Cat#: ARTPL-230
Format: CD
Release Date: 2025.03.14
Price (CD): 2,200 yen + tax

※日本独自CD化
※ボーナス・トラック1曲収録
※解説付き予定

WTW第二章!Festival de FRUE、STAR FESTIVALを含む2度の来日ツアーも果たし、ここ日本でもジャンルの垣根を超え支持を得ているLoraine JamesのWHATEVER THE WEATHER名義での待望のセカンド・アルバムが完成!

ロンドン拠点のLoraine Jamesは、エレクトロニック・ミュージックの第一人者として名を馳せる一方、洗練された作曲、骨太な実験、予測不可能で複雑なプログラミングを融合させることで、そのサウンド・アイデンティティを確立してきた。名門レーベルHyperdubからリリースされる彼女の本名名義での作品は、IDMの影響を受け、ヴォーカルを多用したコラボレーションが多いのに対し、別名義であるWhatever The Weatherでは印象主義的で内面的な視線のアプローチをみせている。セカンド・アルバムとなる『Whatever The Weather II』では、催眠術のようなアンビエンスから、斑模様のリズム、日記的なフィールド・レコーディングの切り刻まれたコラージュまで、重層的なテクスチャーの豊かな世界がシームレスに流れていく。その結果、デジタルとアナログのさまざまな方法で加工された有機的な要素と人間的な要素の説得力のある結合から生まれた、独特の分断された美しさが生まれた。

レコーディング時の「感情の温度」に基づいて『Whatever The Weather』というタイトルをつけたが、彼女はレコーディングされた作品を改めて聴くと温度計の温度とは全く別の場所に感じられることがよくある、と述べている。それは環境の気まぐれであり、前作とその南極のイメージに比べれば、本作『Whatever The Weather II』は暖かい作品である。それは、再びCollin Hughesが撮影したジャケット写真の砂漠の気候や、Justin Hunt Sloaneがデザインしたパッケージが物語っている。また、両アルバムに共通しているのは、友人でありコラボレーターでもあるJoshua Eustis (aka Telefon Tel Aviv)のマスタリング作業で、彼は複雑な音に鋭い耳を傾け、驚くほど立体的なサウンド体験を作り上げている。

アルバムの冒頭を飾る「1°C」では、Loraineが「ちょっと肌寒いね…夏になるのが待ち遠しいよ」と話し、粒状の音と散在するヴォーカル・サンプルの層が浮かび上がる。この言い表せないムードは「3°C」にも引き継がれ、高周波の振動がステレオ・フィールドを飛び交い、力強くミニマルなキックが壊れたスピーカー・コーンを揺らし、広々としたシンセのハーモニーがはじけ、霧の中に消えていく。アルバム中最も長尺の「20°C」は、会話とマイナー・キーのコードの喧噪の中で白昼夢を見た後、グリッチでスタッカートなパーカッション・パターンの連続が花開く。「8°C」は、最小限の対位法で彩られた、1つのさまようようなキーボード・ラインに乗っている。これらの瞬間、Loraineは拡散するアイデアから難なく秩序を導き出し、遊び心のある自発性が共通の糸を生み出している。

このプロジェクトについて語る上で、最初の『Whatever The Weather』LP(Ghostly, 2022年)は『Reflection』(Hyperdub, 2021年)と同時期に制作されたこと、そして彼女の2つの音楽的心構えの間にはある程度のスタイルの相互作用があったことを指摘している当時、彼女はPitchforkのPhilip Sherburneにジャンルに対する思いを語り、「そう、私はIDMを作るほとんどの人とは違って見えるかもしれないし、違う時代から来たけれど、その言葉が否定的か肯定的かはあまり気にしていない。私の音楽はIDMだと思うし、他のものからインスピレーションを得て、それを融合させながら自分なりのアレンジをしている」。今回は、数か月間、この別名義とその特徴の開発に集中してエネルギーを注いだ。コラボレーターはおらず、ビートは少なく、主に本能と即興に基づいたプロセスだった。

このアルバムの特異なサウンドは、彼女がソフトウェアよりもハードウェアを好んだことに起因している。シンセサイザーのバッテリーは、ほとんどオーバーダビングされることなく、数々のペダルによって変調、変形、再構築され、各アレンジメントが作成された瞬間に効果的に固定されている。ポスト・プロダクションでは、アーティストが最も重要視しているシーケンスに最大の努力が払われた。全体として、この組曲は、季節の移り変わりと自然主義的な優美さの感覚にふさわしい満ち引きを見せる。

この曲では、東京の遊び場にいる子供たちの心に響くエコーが、断続的に鳴り響く静寂を突き抜け、オフキルターな泡のような音色に包まれる。ここでLoraineは、彼女の多くの強みのひとつである、大胆不敵な音のコラージュへのアプローチを、野心的な実験と驚きに満ちたテンポによって高めている。同じ音空間に長く留まることに満足しない「15°C」は、ソフトなパッドと輝くカウンター・メロディが続き、突然、回転する機械の中の緩んだ部品を模倣した、耳障りで周期的なリズムが加わる。 Loraineの作品の多くがそうであるように、彼女の手によってのみ意味をなす内部論理を帯びている。
クロージング・トラックの「12°C」は、賑やかな人間空間から具体的なグルーヴへと漂い、メロディとテクスチャーを織り交ぜながら、実に珍しい、魂を揺さぶるような充実感を生み出している。その最後の瞬間、私たちは初めて、彼女のピッチシフトした声の上で、物憂げなアコースティック・ギターと優しく指でタップするビートを耳にする。これは、皮肉な曖昧さでアルバムを締めくくるコールバックであり、地平線の向こうにさらに何かが見つかるというヒントである。『Whatever The Weather II』には、まるでネガフィルムのような形式的な構成と、ウィット、インテリジェンス、そしてスキルで常識を覆すような、そんな魅力的な箇所がに満ちている。

マスタリングは引き続きTelefon Tel AvivことJoshua Eustisが担当。CDリリースは日本のみで、ボーナス・トラックが追加収録。

Track list:
01. 1°C
02. 3°C
03. 18°C
04. 20°C
05. 23°C (Intermittent Sunshine)
06. 5°C
07. 8°C
08. 26°C
09. 11°C (Intermittent Rain)
10. 9°C
11. 15°C
12. 12°C
13. null (Bouns Track for Japan)

Loraine James // Whatever The Weather

ロレイン・ジェイムス(Loraine James)はノース・ロンドン出身のエレクトロニッック・ミュージック・プロデューサー。エンフィールドの高層住宅アルマ・エステートで生まれ育ち、母親がヘヴィ・メタルからカリプソまで、あらゆる音楽に夢中になっていたおかげで、エレクトロニカ、UKドリル、ジャズなど幼少期から様々な音楽に触れることとなる。10代でピアノを習い、エモ、ポップ、マス・ロックのライヴに頻繁に通い(彼女は日本のマスロックの大ファンである)、その後MIDIキーボードとラップトップで電子音楽制作を独学で学び始める。自宅のささやかなスタジオで、ロレインは幅広い興味をパーソナルなサウンドに注ぎ込み、やがてそのスタイルは独自なものへと進化していった。
スクエアプッシャーやテレフォン・テル・アヴィヴといった様々なアーティストやバンドに影響を受けながら、エレクトロニカ、マスロック、ジャズをスムースにブレンドし、アンビエントな歪んだビートからヴォーカル・サンプル主導のテクノまで、独自のサウンドを作り上げた。
彼女は2017年にデビュー・アルバム『Detail』をリリースし、DJ/プロデューサーであるobject blueの耳に留まった。彼女はロレインの才能を高く評価し、自身のRinse FMの番組にゲストとして招き、Hyperdubのオーナーであるスティーヴ・グッドマン(別名:Kode 9)にリプライ・ツイートをして、Hyperdubと契約するように促した。それが功を奏し、Hyperdubは2019年に彼女独特のIDMにアヴァンギャルドな美学と感性に自由なアプローチを加えたアルバム『For You and I』をリリースし、各所で絶賛されブレイク作となった。その後『Nothing EP』、リミックス、コラボレーションをコンスタントにリリースし、2021年に同様に誠実で多彩なフルレングス『Reflection』を発表。さらなる評価とリスナーを獲得した。2022年には1990年に惜しくも他界したものの近年再評価が著しい才人、Julius Eastmanの楽曲を独自の感性で再解釈・再創造した『Building Something Beautiful For Me』をPhantom Limbからリリースし、初来日ツアーも行った。そして2023年には自身にとっての新しい章を開く作品『Gentle Confrontation』をHyperdubから発表。これまで以上に多くのゲストを起用しエレクトロニック・ミュージックの新たな地平を開く、彼女にとって現時点での最高傑作として様々なメディアの年間ベスト・アルバムにも名を連ねた。

そしてロレインは本名名義での活動と並行して、別名義プロジェクトWhatever The Weatherを2022年に始動した。パンデミック以降の激動のこの2年間をアートを通じて駆け抜けてきた彼女はNTSラジオでマンスリーのショーを始め、Bandcampでいくつかのプロジェクトを共有し、前述のHyperdubから『Nothing EP』と『Reflection』の2作のリリースした。そして同時に自身が10代の頃に持っていた未知の創造的な領域へと回帰し、この別名義プロジェクトの発足へと至る。Whatever The Weather名義ではクラブ・ミュージックとは対照的に、キーボードの即興演奏とヴォーカルの実験が行われ、パーカッシヴな構造を捨ててアトモスフィアと音色の形成が優先されている。
そしてデビュー作となるセイム・タイトル・アルバム『Whatever The Weather』が自身が長年ファンだったというGhoslty Internationalから2022年4月にリリースされた。ロレインは本アルバムのマスタリングを依頼したテレフォン・テル・アヴィヴをはじめ、HTRK(メンバーのJonnine StandishはロレインのEPに参加)、Lusine(ロレインがリミックスを手がけた)など、アンビエントと親和性の高いGhostly Internationalのアーティスト達のファンである。
「天気がどうであれ」というタイトルにもちなんで、曲名は全て温度数で示されている。周期的、季節的、そして予測不可能に展開されるアンビエント~IDMを横断するサウンドで、20年代エレクトロニカの傑作(ele-king booksの『AMBIENT definitive 増補改訂版』にも掲載)として幅広いリスナーから支持を得た。

私、VINYLVERSEの開発チームに所属しています。このアプリ、まだベータ版ですので、少々わかりづらい部分も多いかと思います。皆様にうまく使っていただけるよう、ここで簡単に紹介させていただきます。

VINYLVERSEは、レコード好きのために作られた音楽アプリです。このアプリには大きく分けて2 つの主要な機能があって、初めて使うとちょっと複雑に感じるかもしれません。
でも慣れてくるとすごく楽しくなります(自分で使っていてそう思います)。
今回はその楽しい部分の中心である「ギャラリー機能」をピックアップしてご紹介します。
(※もう1つの大きな機能であるPHYGITAL VINYL(NFTとレコードを融合した技術)の管理はまた別の機会に紹介いたします!)

ギャラリー機能について

ギャラリー機能はとてもシンプルです。自身の所有するレコードをアプリ上でコレクションとして整理・閲覧することができます。

レコードの追加方法

1.アプリ下段の中央にあるブルーのボタンを押すとカメラが起動します。

2.レコードジャケットを撮影すると、外部データベースから該当レコードのデータが自動的に取得され、アプリに表⽰されます。

3.表示されたレコード情報にある「マイギャラリーに追加」をタップすれば、自分のギャラリーに保存されます。

■ここで注意点!!

・現在、画像検索機能の改良を進めております。そのため、⼀部の画像検索がうまく機能しない場合があります。今すぐ活用できるのはテキスト検索です。

・検索窓にレコードのタイトルや品番を入力すると該当レコードが表示されるので、タップしてギャラリーに追加してください。
※なかなか出てこない場合は、正式な名称や品番をネットで検索してコピペしてください。


マスターとバージョンについて

ギャラリーに追加できるのはバージョンのみです。レコードには複数のバージョンが存在し、それらを束ねているのがマスターです。所有するレコードの該当バージョンを選んでギャラリーに追加してください。

ギャラリーを作り上げよう

1枚ずつレコードをギャラリーに追加していき、自分だけのコレクションを完成させましょう。 50枚ほど揃うと、なかなか見応えのあるギャラリーが作れますよ。

他のユーザーのギャラリーを見る

VINYLVERSEでは、他のユーザーをフォローし、そのギャラリーを閲覧することができます。現時点では他者の投稿が見れるタイムライン機能は未実装ですが、現在開発中です。

では、どうやって他のユーザーを見つけるのでしょうか?

※裏技(1)ユーザーを探す

1. 検索窓に「A」と入力して検索します。(アルファベット1文字であればOKです)

2. 検索結果の⼀番下に「ユーザー」が表示されるので、「すべて表示」をタップします。

3. 現時点で登録されているすべてのユーザーが表示されます。興味のあるユーザーを見つけてフォローしてみましょう。


VINYLVERSEの使い方を広げよう

基本的にこのアプリは無料で利用できるので、どのボタンを押しても基本的には問題ありません。なのでまずはいろいろな機能を試してください。そのうちの⼀つなのですが、ギャラリーに追加したレコードにはオーナーカードというものがついてきます。

このカードでは以下のような情報を記録できます。
•盤やジャケットの状態
•個人的なメモ(他のユーザーからは閲覧されません)

またデータベースの写真ではなく、自分のレコードの写真をアップしたい方は以下の方法があります。

※裏技(2)自分が所有するジャケット写真を登録可能

1. レコードをタップします。

2. 画面右上にある『・・・』ボタンをタップし「レコードを編集」を選択

3. 「写真をアップロード」を押して撮影、もしくはアルバムから登録された写真を選択→「~カバー写真に保存」を選択してから「保存」をタップ。

他にもさまざまな機能がありますので試してみてください。
今後もさらにアップデートを重ねていく予定です。
(常にアップデートしていますので随時ご確認いただけると幸いです)

先にも書きましたが「ギャラリー機能」はとてもシンプルです。アプリを通じて、自分の好きなレコードを並べているだけですが、これは、自身の趣味性や価値観、さらには音楽との関係性が自然と映し出されるように感じています。この行為自体が⼀種のアートであり、音楽活動であり、自己表現のひとつと言えるのではないでしょうか。自分だけのセレクトで作られた唯⼀無⼆のギャラリーには、並べた瞬間に得られる満足感や、新たな発見が詰まっています。それは、まるで自分自身を再発見する旅のように思います。ぜひ、自分なりの使い方を見つけて、楽しんでください。

VINYLVERSE アプリ

Terry Riley - ele-king

 誕生からちょうど60年。去る7月、清水寺で演奏された “In C” の音盤化は、2024年暮れの小さくはないトピックのひとつだった。「私は “In C” を引退します」とは、紙エレ最新号の巻頭インタヴューで高橋智子さんが山梨在住のテリー・ライリー本人から引き出したことばだけれど、この絶好のタイミングで1968年に初めて録音された “In C” が日本の〈ソニー〉からリイシューされている。しかも、ライリーのもうひとつの代表曲 “A Rainbow In Curved Air” とのカップリングで、手にとりやすい廉価盤だ。
 いうまでもないことかもしれないが、すでに “In C” はさまざまな奏者たちによりたくさんのヴァージョンが録音されている。個人的に気に入っているのはデイモン・アルバーンが立ちあげたアフリカ・エキスプレスのヴァージョン(2015)だ。ライリーが属する西洋クラシック音楽の文脈にアフリカなど非西洋圏で培われた文化がみごと合流を果たしたそのサウンドは聴くたびに新たな発見があるのだけれど、68年盤 “In C” の録音にも参加していたジョン・ハッセルが(ブライアン・イーノとともに)ミックスに立ちあったワン・ヨンジー+上海フィルム・オーケストラのヴァージョン(1989)もまた歴史的意義のある1枚といえるかもしれない。
 とまあそんなふうにクラシック音楽としては異例の波及のしかたをみせる “In C” だが、その楽曲上のあれこれだったり、まだ知られていない秘密だったりについてはぜひ紙エレ最新号をお読みいただくとして、ここでは同曲が音楽文化にもたらした意味について考えてみたい。
 53のフレーズを奏者それぞれが任意に繰り返す “In C” のポイントのひとつは、やはりまずその一回性ないし偶然性ということになるだろう。参加人数にも使用楽器にも制約がなく各フレーズを繰り返す回数も決められていないこの曲は、当然ながら演奏されるたびに新たなヴァージョンが生み出されるわけで、まだ人力とはいえ自動生成的な音楽のプロトタイプともいえる。
 もうひとつの大きなポイントは、参加メンバーがクラシック音楽のプロの演奏家でなくとも構わない点だ。ストラスヴァリウスを買ったり高い謝礼をセンセイに払ったりできる裕福な家庭に育ち、幼いころから毎日8時間も10時間も練習を繰り返さなければ獲得することのできないハイレヴェルな技術がなくとも、独創的な “In C” を生み出すことはできる──これは、少なくとも1964年の初演時点ではそうとう画期的だったはずだ(似たアイディアをもつコーネリアス・カーデューのスクラッチ・オーケストラが結成されるのは1969年、ギャヴィン・ブライアーズによるポーツマス・シンフォニアの結成は1970年)。
 こうした「民主的」ないし「大衆的」アプローチをライリーは政治活動としてではなく、あくまで音楽、作曲の方法として実践している。それは、彼が同曲を生み出した60年代という時代がまとっていた空気とも無縁ではない。もうひとつの代表作『A Rainbow In Curved Air』(1969)のアートワークでライリーは、戦争の終結、ペンタゴンの倒壊、核兵器の解体、労働の遺棄といったオリジナル・ヒッピーの理想主義を詩のようにつづっている。ハイ・カルチャーであり難解だと思われていたクラシック音楽をカウンター・カルチャーに接続したという点でもテリー・ライリーは重要なのだ。たとえばザ・フーはライリー賛歌とも呼ぶべき “Baba O’Riley” をつくっているし、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、カン、イーノなどなど、これほどまでにポップ・ミュージックに影響を与えた実験音楽は(ラ・モンテ・ヤングを除けば)ないだろう。
 嬉しいことに、その『A Rainbow In Curved Air』のA面曲もまた、この〈ソニー〉のリイシュー盤には併録されている。1968年に録音された “A Rainbow In Curved Air” は、電子オルガンから打楽器まですべての楽器をライリー本人が演奏し多重録音、テープループも用いたこれまた画期的な1曲だ。ここにはフリップ&イーノの青写真も『E2-E4』の萌芽も出揃っている。こんにちアンビエントやクラブ・ミュージック、エレクトロニカと呼ばれる音楽のアイディアの根幹、そのほとんどすべてがここには詰まっているのだ。
 自動生成もエレクトロニック・ミュージックも当たり前になったいまだからこそ、あらためてその原点のひとつを訪ねてみるのも一興ではないだろうか。

 今年の正月は、例年にないほど惨めなモノだった。年末から身体のだるさは感じていたけれど、まあ、なんとかなるでしょ! と楽観的な姿勢を崩さずやり過ごす算段だった……のだが……元旦の昼過ぎから体調は悪化し、夜に熱を計れば38度。これはやばいと、翌日、開業中の病院を探し行ってはみたものの、待合室に入りきれない30人ほどの患者たちが野戦病院さながら道ばたでうずくまっているではないですか。なすすべなく2時間ほど待って診てもらい、その夜は39度まで上がった。
 というわけで、じつを言うといまもまだ本調子にはほど遠いのです。咳は出るし身体はだるい。体調はいっこうに優れないのでありますが、編集部コバヤシからの情け容赦ないプレッシャーがこうして文字を綴らせている、というわけではありません。正月のあいだずっと寝ていたので、リハビリがてら書いてみようと思う。

 音楽ファンにとってのここ数十年の年末年始の風物といえば、各メディアの「年間ベスト・アルバム」だ。昔と違っていまはネットで多くのメディアのベスト50なりベスト100なりを見ることができるので、ぼくもご多分の漏れず、(『レジデント・アドヴァイザー』と『ミックスマグ』以外の)いろんなメディアのいろんな順位を楽しんでいる。順位を決めるは、それぞれのメディアの考え/姿勢/好みだろうし、それぞれのリストを見ながら聴いていなかった作品を聴いてみたり、順位の意味を読み解いたりするのがぼくには面白かったりする。
 こうした、いろんなメディアのいろんな年間ベストの時代は、ネットによって1950年代から1990年代まで続いた大衆音楽の生態系が破壊されたことによって現出している(*)。だから当初は、このような状態が良きことなのかどうなのか、正直なところ懐疑的だった。昔なら、日本在住者が『ガーディアン』をチェックすることなどなかった。そして昔なら、『NME』が2年連続で年間アルバムの1位をパブリック・エネミーにしたことは音楽ファンにとってその後何年も語りつがれる大事件だった。1989年にはストーン・ローゼズのデビュー・アルバムではなくデ・ラ・ソウルを1位に選んだことも洞察力に富んだ順位として記憶されている。
 昔は読むメディアも限られていた。順位に対するメディアと読者の緊張感/思い込みに関して言えば、年齢的なこともあったのだろうけれど、いまとは比較にならない。自分が好きなアルバムの順位が低かったりすると、本気で頭にきていたものだったよなぁ……と、そんなことを回想しながら、思いはさらに昔へと飛ぶ。
 ぼくが音楽を好きになったのは、小学4年生以降に夢中になったラジオに原因がある。あの頃──1970年代なかば以降の日本のラジオ放送では「チャート」番組のようなものがいくつかあって、ぼくはそんなものをよく聴き漁っていたのだ。とくに「全米ポップス・チャート」みたいな番組が好きで、お恥ずかしい話だが、中学生になるとノートにその週の順位を記録するようにもなった(*2)。自分にとってはすべてが新しい世界に思えたのだろう。

 そしていま、デジタルな世界におけるいろんなメディアのいろんな年間ベストを、「うーん」、「なるほどなぁ」、「そうかぁ?」、「やっぱりなぁ」、「これは聴いてなかったなぁ」、なんて独り言をつぶやきながら見ているのである。たとえば、 『ピッチフォーク』がシンディ・リーを1位にしたのは予想通りだった。まあ、これはこれでいい。これは同メディアの原点回帰だと解釈している。そんなことよりぼくにとっての問題は、チャーリーだ。多くのメディが賞賛する『brat』だが、そもそもぼくはチャーリーXCXがどうも苦手であることもここに白状しておこう。ポップ・ミュージックにおけるハイブリッド性とその展開、嫌いな話ではない。しかも彼女は、大枠で言えばクラブ系エレクトロニック・ミュージック。それでも『brat』を素直に楽しめないのは、古典的なポップのナルシズムを逆手に取った、PC Music以降のポスト・モダニズムな感性を理解できないからではないと思う。これはもう、単にぼくが年老いているからだ。ぼくのような老兵にはブリトニー・スピアーズのデビュー・アルバムで充分だし、もっと言えば、それをいまさら聴き直したいとも思わない。(しかしなんでもまた近年になってマライア、ブランディ、ブリトニーなのかという話はまたいつか)
 セイント・エティエンヌのメンバーで、音楽ライターであり音楽史研究家でもあるボブ・スタンレーの著書『Let's Do It- The Birth of Pop Music- A History』には、この世界にポップが誕生したときの、じつに象徴的な逸話が紹介されている。

『ニューヨーク・イブニング・ポスト』紙の45歳の批評家ヘンリー・T・フィンクはワーグナーの信奉者であった。彼は大衆音楽やサロン・ソング、あるいは街角での口笛さえも好まなかったが、1900年2月、彼は来るべき世紀について、辛辣ではあるが悲観的な見解を示した。「ある日の午後、裏庭の花に水を撒いていると、通りすがりの少年が、それまで聞いたことのない曲を口笛で吹いた」。フィンクは目を細めてその「不快な下品さ」に顔をしかめながらも、「夏のあいだ、1000回は耳にするだろう」と感じていた。そして、彼の予言は真実を言い当てた。1、2週間も経つと、街中の少年たちがその曲を口笛で吹き、他の男たちは鼻歌で口ずさみ、10人に1人の女性がピアノで弾いていた」。フィンクは「まるで伝染病のようだった」と吐き捨てた。彼が耳にした曲は数か月間は地元でも全国でも避けられないものとなるほど、「ヒット」したのだ。

 そう、かつては自分も外で口笛を吹く少年のひとりとしてロックやパンクを聴き、ハウスやテクノを聴いたのであった。間違っても、「不快な下品さ」に顔をしかめるフィンクではなかった。だがねコバヤシ君、生態系崩壊後において事態はそう単純なものではなくなったのだよ。今日では、笛を吹く少年たちも進化している。細分化もしているし、彼らがいる街角は、昔のようにひとつではない。フィンクのほうも、1900年とは違っていまではずいぶん物わかりが良くなっていることだろう。
 また、ポップであることを拒否した音楽(モダン・ジャズ、ポスト・パンクなど)に惹かれていたりすると、別の情熱も高まったりするものなのだ。自分はポップ・ミュージックから音楽に入った人間だが、ポップでない音楽がどんどん好きになっている。でも、自分がどこから来ているのかはわかっている。だから、こうしていまも21世紀の末裔たちの、いろんなメディアのいろんな順位を気にしているんだと思う。
 平均的に高順位だったアルバムのなかで自分が聴いていなかった1枚に、ジェシカ・プラットの新作がある。サウンド面で言えば聴きやすいメロディックなフォーク・ロックで、ノスタルジックに感じられる。これは否定ではない。シンディ・リーのアルバムにも、60年代のガールズ・グループ、たとえばザ・シュレルズやザ・ジェイネッツなんかを彷彿させるロマンティックな曲がいくつかある。ぼくが昨年好きだったピープル・ライク・アスは、前衛的手法で60年代のこの手の、いわゆるブリル・ビルディング系ポップスをサンプリングして夢の世界を描いていた。ていうことは……なんだぁ、みんな同じようなことを思っていたんだなぁ。ポップの世界では、大人が新しいものに警戒心を抱き、若者が過去を甘美に思うとき、こうしたトレンドがたびたび生まれているのである。
 でも待てよ、そう考えるとチャーリーはどうだろうか? 未来的なのだろうか? いや、彼女こそ、後ろを見ながら前を向いている典型でもある。この、後ろを見ながら前に進むというのは、ポップの世界では何度も繰り返されてきている。既述のストーン・ローゼズのデビュー・アルバムがまさにそれだ。 “アイアム・ザ・リザレクション” は60年代モータウンのリズムとメロディをハウスのテンポに落とし込み、独自の言葉が歌われている。彼らは同郷のハッピー・マンデーズと違ってダンス・シーンとほとんど関係がなかったが、 “フールズ・ゴールド” でボビー・バードの “ホット・パンツ” をループさせたりしているうちに、セカンド・サマー・オブ・ラヴを象徴するバンドになった。そして、それにもかかわらず、当時の『NME』(アシッド・ハウスを大いに扱っていたメディア)は、1989年のベスト・アルバムの1位を、ほとんどすべてにおいて新しかった『3フィート・ハイ&ライジング』に決めたのだった。

 ポップ・ミュージックにおける実験性は、ときに気まぐれだ。遊び心ゆえに形式的な境界線を飛び越える。また、1976年の作品でいみじくもカンが記したように、「偽物」であることは逆説的な「真実」でもある。往々にして「偽物」がおもしろいポップを創出したりもするし、そしてすぐに廃れもする(*3)。ぼくの机のうえのパソコンからは、いまも『brat』が流れている。つい先ほど、すぐにそれに反応した松島君がやって来て、彼の昨年のDJセットでは同アルバムからエディットしたものをかけていることを教えてくれた(なるほど、じゃあ松島君のDJのなかで聴いたら印象が変わるかもね)。ほかにもチャーリーに関して彼は一家言あるみたいだが、彼のマシンガントークの相手をする体力がいまのぼくにはない。ただ、松島君が言うように、同作は良くも悪くも洗練され過ぎてもいる。ぼく的に言えば、ちょっと過去を尊重し過ぎているかな……という話はもうどうでもいい。よしわかった、音楽には時代を知る手がかりがある。2025年は後ろを見ながら前に進めばいいのだな。
 では最後にもういちど確認しておこう。優れたポップ・ソングとは、順位や人気が決めることではない。その曲が、あなたの人生についてより多くを語っているとあなたが思っているかどうか、これがひとつの基準である。古くても新しくてもいい。2025年、そんな曲と出会えたらいいよね。

(2025年1月9日)


(*)
 若者文化が形成され、7インチEPが普及、ラジオがそれを流し、英国で『NME』が創刊されたのが50年代のこと。おおよそ我々がざっくり思うところのポップ・ミュージック業界はその頃にカタチが生まれ、60年代から70年代にかけて成長し、1990年代まで続いた。
 さて、そもそもポップ・ミュージックとは、主観的に使われる言葉ではあるが、ここではまず売るために作られた音楽を指している。つまりセックス・ピストルズもホアン・アトキンスもポップ音楽。だから、スタンレーが言うように地元の酒場で仲間内で歌っている歌はポップにはならない。ポップ・ミュージックとはもちろんポピュラー・ミュージックの略で、スタンレーの長年の研究によれば、この言葉が世に出たのは、1901年の英国の演劇業界紙『The Stage』に掲載された広告においてだった。「マネージャー募集。世界最大の優良図書館であるロンドン音楽貸出図書館にすぐ応募のこと。最新のポップ・ミュージックばかり。アルジャーノン・クラーク経営、ロンドン・ロード18番地、バーンズSW13」。ちなみに1900年当時の英国おける最大のポピュラー・ミュージックといえばミュージック・ホール。歌手と作家、興行主も労働者階級という、大戦前まで栄華をほこった大衆芸術。
 ともかく最初の「ポップ・ミュージック」は、限りある広告スペースに適当すべく短縮された言葉だった。そして、やや遅れてアメリカでは当時の新しい音楽形式、ラグタイムが誕生し、これをもって、より広い社会の枠組みにおけるポップ・ミュージック業界はスタートする。19世紀末に生まれたラグタイムとは、アメリカらしい、もっとも古いブラック・ポップ・ミュージックで、つまりビートがあり、シンコペーションがあった。たちまち踊り出したくなるようなミニマルな音楽で、とくにルールはなく、楽譜を必要としなかった。ラグタイムのピアノが弾けたら女性にもてたし、スコット・ジョプリンという売れっ子もいた。当初は安酒場や売春宿といったアンダーグラウンドでしか聴けなかったが、それがスタジオで録音され、最終的にはシェラック盤(78回転の10インチ)になる。ティン・パン・アレーはラグタイムを簡素化し、注文に応じて大量生産されるポピュラー音楽としてこのスタイルをさらに売った。そしてその人気の高まりにおいて、こりゃまあ、たんなる騒音、穀物倉庫の音楽だな、などという批判も噴出した。
 こんな話を書いていると、ブロンクスでヒップホップ、シカゴでハウスが生まれていったことと、最近ではジュークが生まれていったことと同じようなことが120年前には起きていたんだなぁとしみじみと思う。決定的な違いは、1900年当時の世界にはまだ「若者」という概念も存在もなかったことだ。「英国では15歳も50歳も同じように土曜の夜に給料をはたいて同じ演目を観に同じミュージック・ホールに通っていた」とスタンレーは書いている。世界史に「若者文化」が登場するのは、第二次大戦後のことである。

(*2)
 ぼくがラジオ少年としてチャート番組を聴いていた70年代なかば以降は、あとから考えてみると、悲しいかな、アメリカの売れ線ポップスのほとんどが低調だった時代と一致している。たとえば、ドゥービー・ブラザーズにジョン・デンバー、リンダ・ロンシュタット(オリジナルより遙かに気迫を欠いた “ヒートウェイヴ”) 、イーグルス(富裕ヒッピーの憂鬱)……70年代ポップスの発信地としての西海岸(通称ローレル・キャニオン)衰退期におけるカントリー・ポップ、じゃあ英国はどうだったかと言えば、ベイ・シティ・ローラーズにクイーン……、デイヴィッド・ボウイの『ロウ』を好きになるにはあと数年必要だったし、ドナ・サマーを楽しむには若すぎた。70年代なかばの、たとえばスタイリスティックスの “愛がすべて”やスリー・ディグリーズ の “天使のささやき” ような素晴らしいポップスとぼくが出会うのは、ずっと先の話になる。というわけで、AMラジオの深夜放送で聞いたRCサクセションのほうがよほどがつんときたし、ローレル・キャニオン系末期の感覚にうんざりしたぼくが、たとえばニール・ヤングの『トゥナイツ・ザ・ナイト』のようなアルバムと出会うには、オルタナ・カントリーの回路が必要だった。とはいえ、1978年以降、つまりパンク以降のニューウェイヴの時代にはたくさんの優れたポップ・チューンが生まれている。しかしその頃にはぼくはもうラジオ少年ではなかった。

(*3)
 歴史を振り返れば、たとえばブームタウン・ラッツやポリスのような、リアルタイムでは人気も評価もあったバンドが、いつしか時間のなかでほとんど愛されなくなっていくという事例や、ザ・KLFの一連のヒット曲のように瞬発力こそ凄かったが数年後には飽きられていった曲も少なくない。それとは対照的に、売れてはいたけれど評価はされていなかった曲が、いつしか時間のなかで評価を高めていった事例も、ほとんどのディスコ・ミュージックをはじめ数多くある。

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