![]() Bing Ji Ling Sunshine For Your Mind Rush Productions / AWDR/LR2 |
ビン・ジ・リンの『サンシャイン・フォー・ユア・マインド』の売れ行きが好調のようだ。アコギの透明な音と彼の美しい歌声は、敵を作らないというか、多くの人に親しみやすいもの。トミー・ゲレロのバックを務めながら、地味~に自身の手によって自身の作品を発表してきた彼だが、いまではすっかりソロ・アーティストとしての人気をほこっている。
そこで彼が歌っているのは、ドナ・サマーやリル・ルイスといった人たちのダンス・ミュージックの古典、そしてプリンスやシャーデーなどの80年代ポップスのカヴァーだが、カヴァーであることさえ気がつかないほど、『サンシャイン・フォー・ユア・マインド』はビン・ジ・リンの綺麗な歌声を聴かせるように作られている。
もっとも、ギターの弾き語りが魅力のこの男がクラブでDJもすることはあまり広くは知られていない。スキルもしっかりある。日本のクラブでも過去プレイしているが、そのときもオーディエンスを驚かせている。彼がドナ・サマーやリル・ルイスの曲を弾き語りでカヴァーするのも、彼の音楽人生を振り返れば意外なことではなかったと言えるのだろう。
現在NY在住だが、若い頃に西海岸のレイヴ・カルチャーの洗礼を浴びた彼に、ダンス・ミュージックの思い出を語ってもらった。なかなか興味深い話になったので、ダンス・カルチャー全般に関心がある人にも読んでいただきたい。『サンシャイン・フォー・ユア・マインド』がMORのバレアリック版かどうか……判断は読者に委ねよう。
初めてレイヴに行った1993年は僕にとって大きな年だった。会場はサンフランシスコからハイウェイ1に乗って、1時間くらい離れた、まわりに何もない場所にあるビーチだった。つまり、すべてから自由な場所だった。
■『サンシャイン・フォー・ユア・マインド』で、あなたはクラブ・ミュージックの有名な曲をカヴァーしていますが、どんなふうにあなたがダンス・カルチャーと出会い、そしてどのように関わっていったのかを今日は教えて下さい。
ビン・ジ・リン(以下、BJL):とっても面白い話だよ。そして、本当の話でもある。僕が若かった頃、たぶん高校生だったと思うけど、ラジオでソウルllソウルなど80年代のものを聴いていたけど、ダンス・ミュージックの歴史なんて知らなかった。ダンスとの出会いはそれよりもっと前の1980年で、僕は1972年生まれだから、当時8歳くらいだったと思う。その年にYMCAのディスコ・ダンス教室に連れていかれたんだけど、それが僕のディスコを理解するようになったキッカケだね!
■8歳ってすごいですね(笑)。
BJL:高校生のときはアンダーグラウンドのダンス・ミュージックはあまり知らなかった。最初に衝撃を受けた80年代のグループはソウルllソウルで、初めて聴いたときに「なんだこれ!?」ってなったよ。あのサウンドが大好きだった。そうやって学んでいったんだ。
それで1993年のサンフランシスコで、ウィキット・クルーのレイヴ・パーティに行った。クルーのメンバーはトマス・ブルック、DJガレス、イエノそしてマーキー。彼らはイングランドのケンブリッジ出身で、 80年代後半イギリスのアンダーグランドのレイヴ畑からやってきた。彼らはDJハーヴィーのイベントによく行っていた。DJハーヴィーはイングランドでは早くから活動していて、彼らがそのイベントに出入りしてたのは80年代後半だったと思う。そして1991年に彼らはイングランドからサンフランシスコにやってきて、イングランドと同じスタイルの、つまり良い感じのレイヴ・パーティをはじめたんだよね。
■当時のヨーロッパにおけるレイヴ・カルチャーはよく語られていましたけど、アメリカのレイヴについてはあまり聞いたことがなかったので、興味深い話ですね。
BJL:だろうね。ウィキット・クルーのパーティはすごくアンダーグラウンドだったんだ。彼らはいま、その頃のシーンについてのドキュメンタリーを作ってるよ。そのレイヴ・パーティーはサンフランシスコでとても影響力があった。なにしろ、DJハーヴィーを崇拝してたような輩がはじめたんだからね。
■今回の新作でリル・ルイスやドナ・サマーのような、ディスコやハウスのクラシックのカヴァーを歌ってますけれども、あなたのようなシンガーがダンス・ミュージックからどんなインスピレーションを得たのかと。
BJL:初めてレイヴに行った1993年は僕にとって大きな年だった。会場はサンフランシスコからハイウェイ1に乗って、1時間くらい離れた、まわりに何もない場所にあるビーチだった。つまり、すべてから自由な場所だった。そこで別の惑星からやってきたみたいなサウンドシステムがアシッド・ハウスを流していて、みんなエクスタシーをやってた。「おいおい、なんだよこれは!?」って感じだったよ(笑)。
■はははは、そのときのフィーリングをいまでも保ち続けていると思いますか?
BJL:もちろんだよ! いまはそのフィーリングを当時とは違ったふうに捉えているけどね。当時はみんなレイヴに感動していたし、エキサイトして幸福になりたいと思っていた。いまでもそのことを大切にしているよ。
■レイヴを体験して、DJをはじめたりとか、打ち込みでダンストラックを作ろうとは思わなかったんですか?
BJL:1993年から最初の5年くらいは、レイヴやクラブにただ踊りに行っていた。ただ音楽を聴きたかったし、パーティにも行きたい年頃だったんだ(笑)。単純に楽しんでいたかったし、実際、最高に楽しかったよ。
1998年から1999年のどこかで初めてターンテーブルを手に入れた。DJは趣味としてやっていたね。DJをやっている友だちはたくさんいた。そして、彼らはみんなプロとして活動していたよ。
いまは誰でもDJになれるよね? 当時はDJになるためには、レコードをたくさん持っていること、良いレコードを持っていること、そしてそれらを上手くプレイすることが必要条件だった。もちろん、僕もレコードを持っていたけど、彼らの前では恐れ多かったね。DJをやっている彼らに比べたら、僕のレコードの数は不十分だったから、自分にはDJはできないと思った。
最近流行っているEDMみたいなのをやっている人たちはデヴィッド・マンキューソやパラダイス・ガレージさえも知らないよ。彼らは自分自身についてしか興味がないし、そこにはルーツや歴史が欠如しているんだよ。
![]() Bing Ji Ling Sunshine For Your Mind Rush Productions / AWDR/LR2 |
■DJハーヴィとマンキューソのどこが好きなんでしょうか?
BJL:ふたりともどんなスタイルの音楽でもプレイするから好きだね。彼らを好きな理由は共通している。マンキューソは年上だし重要な人物だ。そして、ハーヴィはマンキューソから多くを学んでいる。彼らがプレイすると、すべての音楽を聴いている気分になる。例えばさ、ふたりのプレイって、(低い声で)ドゥー、って鳴っているとするといきなり、(高い声で)キュイーンってなったりするだろ? そういうダイナミックさも良いよね。ふたりともプレイの幅は広く、ダイナミックでセンスも最高。彼らのプレイを聴いているときは、ジェットコースターに乗っている気分になる。途中で帰りたくても帰れないんだ(笑)。
■子供たちを正しい道に導くためにあなたに是非話して欲しいことなんですけど(笑)、EDMとDJハーヴィやマンキューソとはどこが違うと思いますか?
BJL:残念だけど、違いはたくさんあるね(笑)。
(一同笑)
BJL:思うに一番大きい違いはこうだね。例えばさ、どんな時代でも偉大な芸術家になるためには、自分が使う媒体の歴史を理解しなきゃいけない。もし画家だったら、描くことについてたくさん知っていれば、よりよい画家になれる。歴史の全てを知っている必要はないけれど、それを認識してなきゃダメだよね。最近流行っているEDMみたいなのをやっている人たちはデヴィッド・マンキューソやパラダイス・ガレージさえも知らないよ。彼らは自分自身についてしか興味がないし、そこにはルーツや歴史が欠如しているんだよ。
EDM以降の新しいDJたちは本当にクリエイティヴなことをやっているし、彼らは自分たちが使う媒体の歴史を深く理解している。僕はそういうふうにプレイしなきゃだめだとは言わないけど、少なくとも認識はしておく必要はあると思うんだよね。マンキューソと同じようにやれっていうわけじゃない。ダブステップをやるんだったら、少なくとも彼がどういう人でどういうパーティをしていたか認識をしていたほうが良いっていうことだよ。
■僕もその意見に賛成します。
BJL:ありがとう。
■……ですが、他方で、歴史を知ることがそんなに重要なのかという考えもあります。なぜあなたは、歴史を知ることが重要だと思いますか?
BJL:たくさんのことが歴史から学べると思うんだ。自分の能力について、自分が何をしているのか、自分のアートフォームについてとかさ。過去を振り返れば、新しいもののどこが問題かにも気付くことができる。ただ、一番重要なのは、歴史との繋がりがなくなってしまうということだよ。これは音楽に限ったことじゃなくて、いまの世のなかのすべてに言えることだと思う。音楽において言えば、歴史の欠如が、ミュージシャンと音質やダイナミクスについての繋がりを断ち切っているんじゃないかな。歴史を知っていれば、そういうところに自ずと繋がっていくもんだよ。建築にしても、料理の作り方にしてもさ、いまは機械で大量生産しているよね? 歴史を学ばず、簡単に作れてしまう。そのせいで、最悪な料理を口にするようになったんだよ(笑)。
■そうすることでボロ儲けている人がいるからなんでしょう。話は変わりますが、美しい歌声を持っていながら、もっと早い段階で、90年代にシンガーとして作品を発表しなかったのは何故なんですか?
BJL:アリガトウ。高校時代にバンドで演奏し、大学でもバンドをやっていた。それらのバンドでレコーディングもしたんだけど、2003年になるまで作品を発表する機会がなかったんだ。90年代はいまと音楽業界も違っていたからね。当時はレコード会社と契約しなければ作品をリリースできなかったから、iTunesにどんどん曲をアップするわけにもいかなかった。だから歌ってはいたけど、リリースに至らなかったんだ。90年代には3つのバンドに在籍してデモテープも作っていたけど、発売することはなかったね。
■なるほど。あなたは自分で、自身のキャリアについてどう思っているんですか?
BJL:まあ、そうだよね(笑)。そりゃ、90年代のときから音楽を作りたかったし、挑戦はしていたよ! 自分のバンドもあったし、ギグもこなしていた。デモを作って、曲を書いてさ。だって、それがやりたいことだったからね。実はいくつかのレコード会社と契約する機会はあったんだ。でも、レコード会社が僕たちのことをコントロールしようとしていたから断った。会社はなんでもやろうとするし、取り分とかもおかしかったからさ、「結構です。全部自分でやりますよ。」って具合にね。
だから、僕は、結局、自分のレコードを自分で録音して、自分でリリースもしたし、自分でアートワークもやったよ。僕はすべてを自分の力でやった。ショーのプロモーションとかもね。そうやりはじめて7年になるけど、そうしたら自分のバンドが人気になって世界に出れるようになった。だから質問の答えは、僕のキャリアは長くて険しい道だった、ということだね(笑)。やっと自分の音楽をリリースできるようになって、ツアーもできるようになったから、とても楽しいよ。
■ビン・ジ・リンはアイスクリームという意味ですが。あなたの音楽はまさにアイスクリームのように甘い音楽だと思います。
BJL:ワオ。ありがとう!
■なんでアイスクリームという意味の名前をつけたんですか?
BJL:実は自分で名付けたわけじゃなくて、上海にいたときにみんながビン・ジ・リンって呼ぶようになったんだ。上海で最初にライヴをしたときに、「なんていう名前なの?」って聞かれたんだ。だから本名の「クィン」って答えたんだ。そしたらさ、「え? クリム? クリームっていう名前なの? アイスクリーム?」って彼女は言ったんだ(笑)。「違うよクィンだよ!」「えっ、クリーム? アイスクリーム? ビン・ジ・リン?」こうして、僕はビン・ジ・リンと呼ばれるようになったんだ。それから上海を歩いていると「ビン・ジ・リン元気~?」って言われるようになったよ。
(一同笑)
BJL:それでサンフランシスコに戻ってこのアルバムを作りはじめたんだけど、そのときにビン・ジ・リンっていう名前を使おうと思った。
■今回のアルバムでドナ・サマーの“ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー”をカヴァーが意外だったのですが、そのカヴァーについてのコメントをお願いします。
BJL:そうだよね(笑)。子供の頃からずっと聴いていて、素晴らしい曲で大好きだったんだ。それと、ループペダルで曲を作ることが好きで、あの曲のフレーズ(口ずさむ)を使おうと思ってたんだ。それをライヴでやろうと思ったのが、ドナ・サマーが亡くなった日だったんだけど、その日はダンス・ミュージックが好きなオーディエンスもたくさん来ていて、その日はエモーショナルになって、みんなで合唱したよ。それからその曲をよくプレイするようになった。クロアチアに行ったときも、イギリスに行ったときも、ダンス系のイベントだったらその曲をやると、みんなが楽しんでくれたね。
■なるほど! 聞いてよかったです。ありがとうございました!
BJL:ありがとう!









メインステージの前でくつろぐ参加者たち。芝生でリラックス © Elisa Lemus
楽器販売のブース © Miho Nagaya
雑貨とレモネードを販売するブース © Miho Nagaya
ブランコもあった © Miho Nagaya"
フードトラックが並び、充実した各国料理が食べられる © Miho Nagaya"
VANSが提供するスケート用ランページも © Miho Nagaya
ティファナ出身のフォークシンガー、Late Nite Howl © Miho Nagaya
雑誌VICEの音楽プログラム、NOISEYが提供するステージ © Miho Nagaya
メヒカリ出身の新鋭テクノアーティストTrillones © Elisa Lemus
会場はペットフレンドリー © Miho Nagaya
NRMALのスタッフたちは黒尽くめでクール © Miho Nagaya
マティアス・アグアヨとモストロのステージが始まる頃には満員に © Elisa Lemus
マティアス・アグアヨ © Miho Nagaya
コロンビアのLa mini TK del miedo © Elisa Lemus





