「R」と一致するもの

interview with Laurel Halo - ele-king


Laurel Halo
Dust

Hyperdub / ビート

PopExperimentalJazzDubCollage

Amazon Tower HMV iTunes

 一度やったことはもうやらない。そういうアーティストだと思い込んでいた。だから、初めてローレル・ヘイローの新作『Dust』を聴いたときは驚いた。まさか、ふたたびヴォーカル・アルバムを送り出してくるなんて、と。
 彼女は昨年、このアルバムを制作する傍らスティル・ビー・ヒアというプロジェクトに参加している。それは初音ミクにインスパイアされたアート・プロジェクトで、松任谷万璃が始動させたものだ。そのサウンド部門を担っているのがローレル・ヘイローなのだけれど、彼女がふたたびヴォーカル・アルバムを作ろうと思った背景のひとつに、その初音ミクの存在があったんじゃないだろうか。ボーカロイドの歌/声と人間の歌/声、その両者のあいだに横たわっている差異に触発されたからこそ、彼女は再度自身の作品に声を導入することを検討したのではないか。
 とはいえ本作は、同じように歌/声の可能性を探究したファースト・アルバム『Quarantine』とはまったく異なる作品に仕上がっている。前作『In Situ』でジャズやダブの要素を導入した彼女だが、それらの要素が本作ではより大胆に展開されている。ジャズの因子はほぼ全編にわたって散りばめられており、ダブのほうは“Arschkriecher”や“Syzygy”、“Do U Ever Happen”といったトラックに忍び込まされている。
 そんな今回のアルバムのなかで一際異彩を放っているのが“Moontalk”だ。この曲はアフリカの音楽からインスパイアされているように聴こえるのだけれど、その土着的な雰囲気とは裏腹にヴォーカル・パートは日本語で歌われており、ここにもボーカロイドの影をみとめることができる(が、個人的にはまったく日本語に聴こえなかったため、以下のインタヴューで「これは何語ですか?」と素朴な疑問を投げかけてしまった僕は「バカ」呼ばわりされている)。
 また、本作の多くの曲でパーカッションが有機的に機能している点も見逃せない。打楽器を担当しているのはNYの作曲家/パーカッショニストのイーライ・ケスラーだが、このアルバムにおける彼の貢献は相当なものだ。そんなふうに外部からゲストが招かれていることも本作の大きな特徴で、その数は総勢9名に及ぶ。なかでもとりわけ重要なのが、ブラック・エクスペリメンタリズムの急先鋒=クラインと、ワールド・ハイブリッド・サウンドの最尖端=ラファウンダの参加である。急いで付言しておくと、彼女たちはあくまでヴォーカリストとして招聘されているにすぎない。が、このアルバムの実験性と雑食性が彼女たちふたりのサウンドから大いに刺戟を受けたものであることはほぼ間違いないだろう。ローレル・ヘイローは本作で、ブラック・エクスペリメンタリズムとワールド・ハイブリッド・サウンドと、その双方を独自に消化・吸収している。
 ヴォーカルにパーカッション。ジャズにダブ。クラインにラファウンダ。さまざまなゲストならぬダスト(dust)=粒子たちがこのアルバムの周囲を飛び回っている。それらをつぶさに観測する研究者がローレル・ヘイローなのだとすれば、その入念な研究の成果がこの『Dust』だろう。ポップ・ミュージックとは実験音楽のことであり、実験音楽とはポップ・ミュージックのことである――まるでそう宣言しているかのような清々しい作品だ。ローレル・ヘイローはいま、前人未踏の領域へと足を踏み入れている。
 一度やったことはもうやらない。そういうアーティストだと思い込んでいたけれど、どうやらその思い込みは正しかったようだ。

私は濃密なコードやメロディが大好きなんだけど、最近の音楽はあまりにも色味がなくてベーシックなものが多い気がする。アーティストたちの多くは平均的なリスナーを当然のものだと考えてるけど、彼らは思ってるよりももっと奇抜な音楽や、風変わりなもの、濃いものだってわかるものよ。

前作『In Situ』は〈Honest Jon's〉からのリリースでしたが、今回は『Quarantine』『Chance Of Rain』と同じ〈Hyperdub〉からのリリースです。ふたたび〈Hyperdub〉から作品を発表することになった経緯を教えてください。

ローレル・ヘイロー(Laurel Halo、以下LH):レーベルが体現してるものや、そこのスタッフが好きってこと以外にたいした理由はないね。

前作『In Situ』は実験的でありながらダンサブルで、特に最後の“Focus I”はコードの部分で極上のジャズのムードを醸し出しつつも、リズムの表現もじつに豊かで、またダブ・テクノ的な音響も盛り込まれていました。今回の新作『Dust』に収められている“Nicht Ohne Risiko”や“Who Won?”はジャズ/フリー・ジャズと、IDM/エレクトロニカとの融合とも言えますが、ご自身では本作におけるジャズの要素についてどうお考えですか?

LH:ここしばらくはジャズ・サウンドを音楽に取り入れてる。たくさんのジャズ・ミュージシャンやジャズの精神、フリーダムな心や自由な表現などからインスピレイションをもらってるのね。数え上げれば長くなるけど、私のジャズの知識なんて、ある人と比べれば深くても、別のある人と比べれば浅い。つきつめれば、私が発表したどの作品にも本物のジャズはない。それは加工途中のものだったり、変化の過程にあるものだったりして、スルーコンポーズド(通作)じゃないし、完全にモーダルの様式の中で作ったわけでもないし、フリー・インプロヴィゼイションでもない。アルバムの曲を書いてたとき、即興演奏やフリープレイはたくさんやったけど、こういう言い方が意味を成すなら、それが形になったってことだね。私は濃密なコードやメロディが大好きなんだけど、最近の音楽はあまりにも色味がなくてベーシックなものが多い気がする。アーティストたちの多くは平均的なリスナーを当然のものだと考えてるけど、彼らは思ってるよりももっと奇抜な音楽や、風変わりなもの、濃いものだってわかるものよ。世の中の人たちはシンプルな音楽を深遠なものとして与えられてるでしょ。私のアルバムも聴きにくくはないから、かなりシンプルだとは思うけど、アコースティックな楽器を使ってサイケデリックなサウンドを組み込みたいと思ってた。それにミュージシャンとしての私の仕事にインスピレイションを与えてくれた偉大なミュージシャンたちを賞賛したかった。東京にはジャズとかソウルとか、クラシックとか、メタルとか特定のジャンルの音楽に浸って、サウンドに深く入り込めるバーやカフェがあるのがすばらしいね。

本作『Dust』ではほとんどの曲にヴォーカルが入っています。ご自身の声/歌を使う試みは『Quarantine』(2012年)でもおこなわれていましたが、本作におけるヴォーカルの役割は『Quarantine』とは異なっているように聴こえます。近作ではヴォーカルから離れていたと思うのですが、本作で再び大きく歌を導入したのはなぜですか?

LH:シンプルに言うと、言葉とか歌詞を使いたかったから。だから歌うのは当たりまえのことだった。

リリックはおもにどういった内容になっているのでしょう? アルバム全体をとおしてひとつのテーマのようなものがあるのでしょうか?

LH:歌詞にはいろいろなものが混ざりあっている。歴史的なものや、個人的なこと、非個人的なこと、フィクション、ニュースに基づくこと、私の人生に関わっている人たちのことや、無意味なことから作り出した意味のあることとか。ポジティヴな気持ちを伝えたり、凝り固まったパターンとか流行の外側を見られるように間違った文法や造語を使ってる。

冒頭の“Sun To Solar”と“Jelly”の2曲からは、シンセ・ポップやインディR&Bのムードが感じられますが、それは意図されたものでしょうか?

LH:シンセ・ポップはあるね。それにファンクも、ソウル・ミュージックも、細野晴臣や佐藤博も。「インディR&B」は絶対ないって!!

その、“Sun To Solar”と“Jelly”にはクラインが参加しています。彼女を起用しようと思った理由を教えてください。

LH:彼女の音楽が好きだし、音楽とは何かとか、音楽は何になりうるか、ということについてお互い似たようなヴィジョンを持ってるから。

いまクラインやチーノ・アモービらの音楽が「ブラック・エクスペリメンタリズム」と呼ばれて話題になっていますが、その盛り上がりについてはどうお考えですか?

LH:クラインやチーノの音楽が認められつつあるのは嬉しいね。権力構造を打倒したり解体したりすることを目指す音楽に感動してる。

“Jelly”と“Syzygy”にはラファウンダが参加しています。彼女はベース・ミュージックとワールド・ミュージックを横断するような興味深い音楽を作っていますが、今回彼女を起用しようと思った理由を教えてください。

LH:彼女の声と創造へのアプローチのしかたが好きなの。

“Moontalk”はアフリカン・ポップと呼ぶべきトラックですが、途中でハウスのハットが挿入されたり、最後は壮大なストリングスで終わったり、ポップでありながらも謎めいた展開を見せます。今回のアルバムのなかでもとりわけ異色な曲だと思うのですが、これはローレル・ヘイローの新機軸なのでしょうか? 以前からアフリカ音楽には興味があったのですか?

LH:そういうふうに聴こえたなんておもしろいね。だって私は1980年代の日本のシンセ・ポップやブギーからより影響を受けたように感じてるから。アフリカ音楽が好きかっていう質問はちょっと曖昧で漠然としてると思う。でも、アフリカの音楽もアフリカ系のアーティストが作った音楽もどっちも好きだよ。具体的には、ハウスとかテクノ、エレクトロ、ベース、UKファンキー、ゴム、フットワーク、ディスコ、レゲエ、ダブ、ダンスホール、ファンク、ソウル、ジャズ、ブルース、クラシカル、ミニマル、ラップ、ヒップホップ、ポップ・ミュージックとかね。

ちなみに、この曲のヴォーカル部分は何語なのでしょうか?

LH:バカ ジャ ナイ ノ…😉

アーティストが「進歩的な政見」をオンライン上のアイデンティティやブランドの一部として使うのはすごく皮肉なことだと思う。

“Arschkriecher”にはベーシック・チャンネル的なダブを思わせる部分があります。また、“Syzygy”や“Do U Ever Happen”はジャズの雰囲気をまといつつも、リズム&サウンドのようなエレクトロニックなレゲエ/ダブの要素が含まれています。あなたは『In Situ』でもダブ・テクノの要素を取り入れていましたが、かれらの音楽から受けた影響は大きいのでしょうか? かれらはテクノのミニマリズムとダブのミニマリズムを融合したイノヴェイターですが、あなたはその融合をいったん否定して解体しながらより高次のレヴェルでそれらを接続し直しているように思えます。あなたの試みはある種のアウフヘーベンなのでしょうか?

LH:アウフヘーベンってドイツ語にはいろいろ意味があるから、あなたがどういう意味で言ってるのかわかんないけど、リズム&サウンドやマーク・エルネスタス、レゲエ/ダブは私にインスピレイションを与え続けてきた。プロダクション・ヴァリューの点でも、サウンドにたっぷりとある土臭さという点でも、うわべがなめらかじゃないという点でも。ベースはメロディや土台だね。音楽やサウンドに呼吸をさせて、ゆがみや欠陥の余地を残して流していくんだ。

アルバムを最初に聴いたときは、細やかな音響やエフェクトの部分に耳が行ってしまったのですが、ベースもしっかりと鳴っていますよね。あなたの音楽にとってベースとはどのような意味を持つものでしょう?

LH:上の回答を読んで!

冒頭の2曲と5曲目の“Moontalk”はダンサブルなトラックですが、それ以外はすべてアブストラクトでエクスペリメンタルなトラックです。アルバムをこのような構成にした理由をお聞かせください。

LH:アルバムをこういうサウンドにするつもりはホントになかったの。このアルバムはいろんなスタイルやフロウを示唆してると思う。シンセ・ポップなアルバムを作る気はなかったな。まあ、そういうスタイルの曲がいくつか含まれてるけどね。

あなたの背景にはおそらくフリー・ジャズやデトロイト・テクノ、シンセ・ポップなどいろいろな音楽が横たわっているのだと思いますが、アルバムやEPを出すごとにその吸収のしかたや取り入れ方が変わっていっているように思います。それで私たちリスナーは戸惑い、あなたがいったい何者なのかということについて考えざるをえないのですが、ご自身としてはこれまでの歩みには一貫したものがあるとお考えでしょうか?

LH:それを決めるのはあなた次第ね!

昨年はUKで国民投票がありUSでは大統領選挙がありました。あなたは国民投票のときTwitterで残留に投票するよう呼びかけ、大統領選挙のときは「So American masculinity is that toxic」とツイートしていましたが、「善意」あるミュージシャンたち、良心的なアーティストたちが残留を訴えたりトランプを非難したり、そういう主張をすればするほど逆に、下層の人びと、貧しい人びとは反感を増していった、という話を聞いたことがあります。そのような時代に音楽にできることは何だと思いますか?

LH:私たちミュージシャンが意見を表に出すのは、もちろん大切なことだと思ってる。いろいろな統治機関のリーダーたちがとる方針には深い関心があるし、ネオリベラルな資本主義が多くの人たちを失望させたのは明らかでしょ。私のオーディエンスは少ないけど、自分ができる場所で自分の意見を言うつもり。あまりにも多くの面で音楽が商品化されてるから難しいけどね。それにアーティストが「進歩的な政見」をオンライン上のアイデンティティやブランドの一部として使うのはすごく皮肉なことだと思う。私は政治に関心があるし、下院議員に積極的にコンタクトをとるし、アメリカ自由人権協会(ACLU)やいろんなファンドに寄付をするし、私が関心のある問題を気にしていない友人や家族には意識を高めるように促している。でも、自分の人生をTwitterでつぶやくことには費やしてないし、自分の音楽には価値があると人に納得させるために自分の政見を利用するつもりもない。それに、こうしたミュージシャンたちのファンはすでに同じような政治的考えを持ってるでしょ。こんなふうにして音楽は腐敗の道具にもなりうるし、同時にただの目的にもなる。リスナーやファンがそれを見通して、正当な理由のために戦い続けるなら、それは私たち次第ってことね。私のオーディエンスは限られてるけど、つねに目を光らせて意識的でいることや意見を言うことは大切だ。アメリカの刑務所制度や性差別、環境問題といったことについてね。いまの時代、絶望せずに希望を失わないことは大切だと思う。

London Grammar - ele-king

 前回のレヴューで取り上げたムーンチャイルドは、女性シンガー1名、男性ミュージシャン2名という組み合わせだった。昔からこの編成のトリオは多く、UKでもワーキング・ウィーク、ヤング・ディサイプルズ、ポーティスヘッドなど、その時代時代でエポック・メイキングな活躍をしたアーティストにはこのパターンが多い。ハンナ・リード(ヴォーカル)、ダン・ロスマン(ギター)、ドット・メジャー(ドラムス)によるロンドン・グラマーも同じ3人組だ。グループ名どおりハンナとダンはロンドン生まれで、グラマー・スクールへ通っていたが、その後ノッティンガム大学に進学して、そこでドットと出会ってグループを結成したのが2010年。卒業後は2011年にロンドンへ出てきて、2012年末にYouTubeへアップした“ヘイ・ナウ”で一躍注目を集める。そして、“ウェスティング・マイ・ヤング・イヤーズ”、“ストロング”といったシングル曲が軒並みヒットする中、ディスクロージャーの楽曲“セトゥル”への参加を経て、2013年にファースト・アルバム『イフ・ユー・ウェイト』を発表。〈ミニストリー・オブ・サウンド〉傘下に自身の版権レーベルとして〈メタル&ダスト〉を立ち上げ、そこからリリースされた『イフ・ユー・ウェイト』は、『ガーディアン』、『NME』、『ピッチフォーク』など音楽誌やメディアでも高い評価を集め、UKアルバム・チャートでも初登場で第2位を獲得した。最終的に2014年度のトップ5のセールスを記録したこのアルバムは、UKのイヴォール・ノヴェロ・アワードなどの音楽賞を受賞している。

 女性シンガーを含む男女3人組の場合、その女性シンガーの歌声がグループの看板となることが多いのだが、ロンドン・グラマーの場合も同様にハンナの歌が売りで、彼女はアデルなどに続く逸材と目されている。英国のメディアが彼女のことを、フローレンス・ウェルチ(フローレンス・アンド・ザ・マシーン)、アニー・レノックス(ユーリズミックス)、ジュリー・クルーズなどと比較しているが、その憂いを帯びた美しくも力強い歌声は、R&Bシンガーやロック、またはポップ・シンガー的というより、どちらかと言えば英国のトラッドやフォークの系譜を受け継ぐ雰囲気を持っており、そうした意味でとても英国らしいシンガーである。そのハンナの歌を、ダンの哀愁に満ちたギター・サウンドがサポートするというのがロンドン・グラマーの音楽の核で、ドットのドラムはミドル~ダウンテンポ系のどっしりとしたビートを刻む。さらに重厚なピアノやストリングス、ブラス・サウンドが彩っており、アコースティックでフォーキーな質感の中にエレクトロニックな要素も忍ばせ、宇宙的とでも言うような広がりを感じさせるその音は、ゼロ7あたりを彷彿とさせるかもしれない。曲によってはダブステップやオルタナティヴR&B的なものもあるが、本質的には歴代の英国ロックの伝統に連なるダークでメランコリックな世界観を持つグループと言えるだろう。

 『イフ・ユー・ウェイト』から4年ぶりとなる新作『トゥルース・イズ・ア・ビューティフル・シング』も、基本は前作の路線を引き継ぐ作品集となっている。プロデューサーには、共にアデルを手掛けたポール・エプワースとグレッグ・カースティンのほか、ジョン・ホプキンスらが迎えられている。先行シングル“ルーティング・フォー・ユー”、続くシングル第2弾“ビッグ・ピクチャー”と、アルバム冒頭は美しいバラード系ナンバーにスポットが当てられている。第3弾シングルの表題曲も含め、これら静的で繊細なイメージの楽曲でのハンナの澄んだ歌声は本当に素晴らしい。一方、“ディファレント・ブリーズ”や“ノン・ビリーヴァー”といった比較的ビート感の強いナンバーにおいても、まずは彼女の歌の魅力をいかに引き出すかが、前作同様にアルバムの重点である。“ワイルド・アイド”や“ヘル・トゥ・ザ・ライアーズ”は、ややダブステップ的な味わいを持つ作品となっており、サブモーション・オーケストラあたりに通じるだろうか。ロンドン・グラマーの持ち味には、アコースティックな要素とエレクトリックな要素の調和もあり、それが発揮された好例だろう。また、サブモーション・オーケストラとの共通点では、教会音楽からの影響も挙げられる。まさに「チャーチ・ミックス」と題された“メイ・ザ・ベスト”、BBCのメイダ・ヴァレ・スタジオでのライヴ録音となる“ビター・スウィート・シンフォニー”に、それが見て取れる。そして、第4弾シングルの“オー・ウーマン・オー・マン”は、ゴスペル・ロック的な世界観とフォーキーなテイストが見事に結実した、アルバムのハイライト的なナンバー。反戦ソングの“リーヴ・ザ・ウォー・ウィズ・ミー”と共に、ロンドン・グラマーの強さが表われた曲だろう。強さと美しさが入り混じった“ホワット・ア・デイ”に見られるように、ロンドン・グラマーの魅力がさらにスケール・アップされたアルバムだ。

LONDON ELEKTRICITY & MAKOTO - ele-king

 あなたがジャジーでソウルフルなドラム&ベースをうんと浴びたいと思っているなら、このイベントがおあつらえ向きでしょう。
 今年で創立21周年を迎えるUKのドラム&ベース・レーベル〈ホスピタル・レコード〉。そのボスであるトニー・コールマンのソロ・プロジェクトとして知られるロンドン・エレクトロシティが、7月21日に代官山ユニットで開催される「HOSPITAL NIGHT」に出演する。
 昨年20周年を迎えた「Drum & Bass Sessions(DBS)」が開催する今回のパーティでは、ロンドン・エレクトロシティがレーベル21周年を祝す「21 years of Hospital set」を披露するそう。
 さらに日本勢からは今年〈ホスピタル・レコード〉と契約し、9月にアルバムをリリース予定のマコトが出演する。競演はダニー・ウィーラーや、テツジ・タナカ、MC CARDZ、などなど。

UNIT 13th ANNIVERSARY
DBS presents "HOSPITAL NIGHT"

日時:2017.07.21 (FRI) open/start 23:30
会場:代官山UNIT
出演:
LONDON ELEKTRICITY (Hospital Records, UK)
MAKOTO (Hospital Records, Human Elements, JAPAN)
DANNY WHEELER (W10 Records, UK)
TETSUJI TANAKA (Localize!!, JAPAN)
host: MC CARDZ (Localize!!, JAPAN)

Vj/Laser: SO IN THE HOUSE
Painting: The Spilt Ink.

料金:adv.3,000yen door 3,500yen

UNIT >>> 03-5459-8630
www.unit-tokyo.com
Ticket 発売中
PIA (0570-02-9999/P-code: 333-696)
LAWSON (L-code: 74079)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia: https://www.clubberia.com/ja/events/268846-HOSPITAL-NIGHT/
RA: https://jp.residentadvisor.net/event.aspx?974718


(出演者情報)


★LONDON ELEKTRICITY (Hospital Records, UK)
"Fast Soul Music"を標榜するドラム&ベースのトップ・レーベル、Hospitalを率いるLONDON ELEKTRICITYことTONY COLMAN。音楽一家に生まれ、7才からピアノ、作曲を開始した。大学でスタジオのテクニックを学んだ後、'86年にアシッド・ジャズの先鋭グループIZITで活動、3枚のアルバムを残す。'96年に盟友CHRIS GOSSと共にHospitalを発足し、LONDON ELEKTRICITYは生楽器を導入したD&Bを先駆ける。'98年の1st.アルバム『PULL THE PLUG』はジャズ/ファンクのエッセンスが際立つ豊かな音楽性を示し、'03年には2nd.アルバム『BILLION DOLLAR GRAVY』を発表、同アルバムの楽曲をフルバンドで再現する初のライヴを成功させる。’05年の3rd.アルバム『POWER BALLADS』はライヴ感を最大限に発揮し多方面から絶賛を浴びる。’08年には4th.アルバム『SYNCOPATED CITY』で斬新な都市交響楽を奏でる。そしてロングセラーを記録した’11年の名盤『YIKES !』を経て’15年に通算6作目のスタジオ・アルバム『Are We There Yet?』をリリース、多彩なヴォーカル陣をフィーチャーし、ピアノ、ストリングスといった生音を最大限に活かしたソウルフルな楽曲の数々で最高級のクオリティを見せつける。'16年にはTHE LONDON ELEKTRICITY BIG BANDを編成し、ビッグ・ブラスバンド・スタイルでのライヴを敢行する。
https://www.hospitalrecords.com/
https://www.londonelektricity.com/
https://www.facebook.com/londonelektricity
https://twitter.com/londonelek


★MAKOTO (Hospital Records, Human Elements, HE:Digital, JAPAN)
DRUM & BASSのミュージカル・サイドを代表するレーベル、LTJ BUKEMのGood Looking Recordsの専属アーティストとして98年にデビュー以来、ソウル、ジャズ感覚溢れる感動的な楽曲を次々に生み出し、アルバム『HUMAN ELEMENTS』(03年)、『BELIEVE IN MY SOUL』(07年)、そしてDJ MARKYのInnerground, FABIOのCreative Source, DJ ZINCのBingo等から数々の楽曲を発表。DJとしては『PROGRESSION SESSIONS 9 – LIVE IN JAPAN 2003』, 『DJ MARKY & FRIENDS PRESENTS MAKOTO』の各MIX CDを発表し、世界30カ国、100都市以上を周り、数千、数万のクラウドを歓喜させ、その実⼒を余すところなく証明し続けてきた、日本を代表するインターナショナルなトップDJ/プロデューサーである。その後、自らのレーベル、Human Elementsに活動の基盤を移し、11年にアルバム『SOULED OUT』を発表、フルバンドでのライヴを収録した『LIVE @ MOTION BLUE YOKOHAMA』を経て13年に"Souled Out"3部作の完結となる『SOULED OUT REMIXED』をリリース。15年にはUKの熟練プロデューサー、A SIDESとのコラボレーション・アルバム『AQUARIAN DREAMS』をEastern Elementsよりリリース。17年、DRUM & BASSのNo.1レーベル、Hospitalと契約を交わし、コンピレーション"We Are 21"に"Speed Of Life"を提供、同レーベルのパーティー"Hospitality"を初め、UK/ヨーロッパ・ツアーで大成功を収める。そして今年9月、待望のニューアルバム『SALVATION』が遂にリリースされる!
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Mark McGuire - ele-king

 マーク・マグワイヤのシンセサイズ・トラック・メイキングの感覚は、マニュエル・ゲッチングでもタンジェリン・ドリームでもなく、クラウス・シュルツェだったのではないか。2015年にリリースされた前作『ビヨンド・ビリーフ』から薄々と感じていたことが、この1年半ぶりの新作『ヴィジョン・アポン・パーパス』で、より明確になったように思われる。
 マーク・マグワイヤをクラウス・シュルツェ的なシンセスト(ギタリストではなく)とすると、エメラルズ解散以降の彼のソロ・アーティストとしての輪郭線がより明瞭に見えてくるのではないか。
 そもそも、ジョン・エリオットやスティーブとスティーブ・ハウシルトがタンジェリン・ドリーム的感覚のシンセストであり、その彼らがマーク・マグワイヤのギターを中心としてバンドを組んだとき、そのモデルケースとしてマニュエル・ゲッチング的な楽曲構造を導入したのが、エメラルズだったといえるわけであり、われわれリスナーは、そのせいか彼にギタリストとしてマニュエル・ゲッチングからの影響関係を見ようとしすぎていたのかもしれない。

 じっさい、マーク・マグワイヤのサウンドの感覚は、クラウス・シュルツェ的なドラマチックな要素が強い。その意味で彼はミニマリストではないのだ。じじつ本作『ヴィジョン・アポン・パーパス』のアルバム冒頭に置かれた“ヴィジョン・アポン・パーパス”の壮大なシンセサイズを聴けば、今、語ったことが証明されるし、エメラルズ解散以降、〈エディションズ・メゴ〉以降のソロ・アルバムを思い出してみると、マニュエル・ゲッチング的なミニマリズム、アンビエント感覚というよりは、よりドラマチックで、インナースペースにトリップするようなサイケデリックなシンセ・ミュージック感覚が横溢していたではないか。
 その彼の音楽的本質が(ようやく?)露わになったのが前作『ビヨンド・ビリーフ』であり、その「成果」がより音楽的に洗練されてきたのが本作『ヴィジョン・アポン・パーパス』だといえるだろう。じっさい本作の彼の音楽はとても自信と力に満ちており迷いがない。

 本作は、「世界中のネイティブ・アメリカンの部族、ヒーラー、メディスン・ワーカーたちと一緒に仕事をする機会」があり、「その経験が本作のヴィジョンのひらめきとなり、各トラックのエーテルの中にも含まれている」とアナウンスされているが、確かに、自身のルーツとトラディショナルな感覚をドイツ的なシンセ・ミュージックと一体化させていく試みは間違いなく成功している。
 同時にギタリストとしても、よりトラディショナルな音楽性を展開している点も聴き逃せない。特に日本盤のボーナス・トラックとして収録された「ウォーリアーズ・オブ・ザ・レインボウEP」収録の“ザ・ファイアー・キーパー(フォー・トマス・ジョンソン・アンド・ジョー・プラム)”ではまるでブルース・ギタリストのような生々しくもオーガニックなギタープレイを披露しており、彼のギタリストとしての真の魅力を満喫することができる。
 本年2017年に〈ヴァン・デュ・セレクト・クウォリティテ〉からリリースされた『アイデアズ・オブ・ビギニング』の系譜にも繋がるギター楽曲といえよう。ちなみにこのアルバムは彼のアンビエント感覚の源泉ともいえる楽曲を収録しているように思える。確かにシンセ・サウンドよりも、こういったギター音楽の方に、彼の本質が表出されやすい。

 いずれにせよ、本作『ヴィジョン・アポン・パーパス』は、ここ最近のマーク・マグワイヤが自身のルーツと個性を再発見したかのような生き生きとした音楽性を披露している秀作であることに間違いはない。マーク・マグワイヤは、エメラルズ以降、第二の黄金期に差し掛かりつつあるのかもしれない……。

Chino Amobi - ele-king

 昨年『Airport Music For Black Folk』をリリースし話題となったチーノ・アモービが待望の初来日を果たす。OPNやアルカに続く逸材として注目を集め、「ブラック・エクスペリメンタル・ミュージックの真髄」とも呼ばれる彼女の音楽は、ディアスポラやジェンダーといったさまざまなテーマとも絡んでいる。クラブ・ミュージックの最新の動向を特集した紙版『ele-king vol.20』(まもなく刊行)でも取り上げているが、まずはこの特異な「ブラック・エレクトロニカ」の正体をあなた自身の耳で確認してほしい。チーノ・アモービ、重要。

Local 🌐 World II Chino Amobi
7/1 sat at WWW Lounge
OPEN / START 24:00
ADV ¥1,500 @RA | DOOR ¥2,000 | U25* ¥1,000

世界各地で沸き起こる新興アフロ・ディアスポラによる現代黙示録。OPN、ARCA、ポスト・インターネット以降の前衛電子アート&ファッションとしてダンス・ミュージックを解体するアフリカからのブラック・ホール〈NON Worldwide〉日本初上陸! ナイジェリアの血を引く主謀Chino Amobiを迎え、コンテンポラリーな先鋭電子/ダンス・アクトを探究する〔Local World〕第2弾が新スピーカーを常設したWWWラウンジにて開催。

LIVE/DJ:
Chino Amobi [NON Worldwide / from Richmond]
脳BRAIN
荒井優作

DJ:
S-LEE
min (The Chopstick Killahz) [南蛮渡来]

#Electronic #ClubArt
#Afro #Bass #Tribal

*25歳以下の方は当日料金の1,000円オフ。受付にて年齢の確認出来る写真付きのIDをご提示ください。
*1,000 yen off the door price for Under 25.
Please show your photo ID at door to prove your age.
※Over 20's only. Photo ID required.

https://www-shibuya.jp/schedule/007862.php


■〈NON Worldwide〉とは?

“アフリカのアーティストやアフリカン・ルーツを持つアーティストのコレクティヴ。サウンドを第一のメディアとしながら、社会の中でバイナリ(2つから成るもの)を作り出す、見えるものと見えないフレームワークを表現し、そのパワーを世界へと運ぶ。“NON”(「非」「不」「無」の意を表す接頭辞)の探求はレーベルの焦点に知性を与え、現代的な規準へ反するサウンドを創造する。”

USはアトランタ発祥のトラップと交わりながら、もはや定義不問な現代の“ベース・ミュージック”をブラック・ホールのように飲み込み解体しながら、OPN、ARCA、そして〈PAN〉といった時の前衛アーティストやレーベルや、USヒップホップを筆頭としたブラック・ミュージックとも共鳴する現行アフロの潮流から頭角を現し、ヨーロッパの主観で形成された既存の“アフロ”へと反する、アフリカンとアフロ・ディアスポラによる“NON=非”アフロ・エクスペリメンタル・コレクティブ〈NON Worldwide〉。その主謀でもあり、ナイジェリアの血を引くリッチモンドのChino Amobi(チーノ・アモービ)をゲストに迎え、第1回キングストンのEQUIKNOXXから半年ぶりに〔Local World〕が新スピーカーを常設した渋谷WWWのラウンジにて開催。

国内からは、DJライヴとして最もワイルドな東京随一のエクスペリメンタル・コラージュニスト脳BRAIN、アンビエントからヒップホップまでを横断する新世代の若手プロデューサー、某ラッパーとの共作発表も控える荒井優作(ex あらべえ)、DJにはアシッドを軸に多湿&多幸なフロアで東京地下を賑わせる若手最注目株S-Lee、Mars89とのデュオChopstick Killazや隔月パーティー〔南蛮渡来〕など、ベース・ミュージックを軸にグローバルなトライバル・ミュージックの探求する女子、Minが登場。

ポスト・インターネットを経由した音楽の多様性と同時代性が生み出す、前衛の電子音楽におけるアフロ及びブラック・ミュージックの最深化形態とも言えるChino Amobiの奇怪なサウンドスケープを起点に、DJをアートフォームとしたコラージュやダンス・ミュージックがローカルを通じ、コンテンポラリーなトライバリズムやエキゾチシズムが入り乱れる、前人未到のエクスペリメンタル・ナイト。

*ディアスポラ=人の離散や散住を意味する。現在は越境移動して世界各地に住む、他の人口集団についても使われている。撒種を意味するギリシャ語に由来するこの概念は、離散してはいても宗教、テクスト、文化によって結びつけられている。

アフリカン・ディアスポラの研究はアフリカ大陸の外で生きているアフリカ系の子孫のグローバルな歴史を強力に概念化している。それは、アフリカ系の子孫の数世紀にわたるさまざまなコミュニティを、ナショナルな境界線を横断して統一的に議論することを可能にする用語でもあると同時に、補囚、奴隷化、そして大西洋奴隷貿易につづく強制労働の歴史を取り戻す議論のための方法でもある。1500年から1900年までの間に、およそ400万人のアフリカ人奴隷がインド洋の島々のプランティーションに、800万人が地中海に、そして1100万人がアメリカスという「新世界」へと移送された。

Amehare's quotesより
https://amehare-quotes.blogspot.jp/2007/07/blog-post_09.html

■Chino Amobi (チーノ・アモービ) [NON Worldwide / from Richmond]

1984年生まれ、米アラバマ州タスカルーサ出身のプロデューサー。ヴァージニア州リッチモンド在住。当初はDiamond Black Hearted Boy名義で活動。ARCAも巣立ったNYのレーベル〈UNO〉からEP『Anya's Garden』で頭角を表し、新興のアフロ・オルタナティヴなコレクティブ〈NON Worldwide〉を南アフリカのAngel HoやベルギーのNkisiと2016年より始動、“NON=非”ヨーロッパ主義の*アフロ・ディアスポラを掲げ、コンテンポラリーな電子音楽やダンス・ミュージックとしてワールドワイドに相応しい世界的な評価を受ける。またLee Bannon(Ninja Tune)率いるDedekind CutやテキサスのRabit(Tri Angle / Halcyon Veil)の作品に参加するなど、アフリカン・ルーツを持つアーティストと活発的に共作を続け、Brian Enoの『Ambient 1 (Music For Airports)』も想起させるコンセプト・アルバム『Airport Music For Black Folk』(NON 2016 / P-Vine 2017)が大きな反響を呼び、最新作となる実質のデビュー・アルバムとなる『Paradiso』ではトランスジェンダーのアーティストとしても名高い電子音楽家Elysia Cramptonもゲストに迎え、サンプリングを主体にアメリカひいては現代社会の黙示録とも言える不気味なサウンドスケープを披露。

《国内リリース情報》※メーカー資料より

アルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーに続く恐るべき才能! 西アフリカに位置するナイジェリアの血を引くエレクトロニック・ミュージック・シーンの新興勢力〈NON〉から、主宰者チーノ・アモービによる最狂にブっ飛んだエクスペリメンタル・アルバムが登場!

アルカもリリースする名レーベル〈UNO〉からのアルバム・リリースも決定したエレクトロニック・ミュージック界の要注意人物!! UKの名門レーベル〈Ninja Tune〉を拠点に活動を続けるリー・バノン率いるユニット、デーデキント・カットのリリースや、躍進を続けるプロデューサー、エンジェル・ホーなども在籍するアフリカン・アーティストによる要注意な共同体レーベル〈NON〉。そのレーベルの主宰者の一人として早耳の間では既に大きな話題を呼んでいるアーティスト、チーノ・アモービが昨年デジタルのみでリリースしていた噂のアルバムが、ボーナス・トラックを加えて念願の世界初CD化! アンビエント・ミュージックの先駆者、ブライアン・イーノの名作『Ambient 1: Music For Airports』の世界観を継承しつつも、アルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーにも匹敵するアヴァンギャルドさを加えた唯一無二のサウンドが生成された本作。ブラック・エクスペリメンタル・ミュージックの真髄を見せつけてくれる圧巻の内容です。

https://soundcloud.com/chinoamobi/sets/airport-music-for-black-folk

主催:WWW
協力:P-Vine

https://twitter.com/WWW_shibuya
https://www.facebook.com/WWWshibuya


■リリース情報

アーティスト:Chino Amobi / チーノ・アモービ
タイトル:Airport Music For Black Folk / エアポート・ミュージック・フォー・ブラック・フォーク
発売日:2017/04/05
品番:PCD-24604
定価:¥2,400+税
解説:高橋勇人
※ボーナス・トラック収録 ※世界初CD化

https://p-vine.jp/music/pcd-24604

interview with Dub Squad - ele-king

僕らはメンバーの3人で完結しているわけじゃなくて、ライヴの場に来ている人たちとの関連性みたいなものがすごく大きいし、そこを含めて活動してきているんですよ。だから、あらかじめ自分たちで「こういうことをやっていこう」というのはあえて決めないというか。「場」から受けるフィードバックってすごく大きいからね。(益子)


DUB SQUAD
MIRAGE

U/M/A/A Inc.

BreakbeatDubTechno

Amazon Tower HMV iTunes

 16年――そのあいだに僕たちは、オリンピックと大統領選挙を4度迎えることができる。無垢な赤子は生意気な高校生へと転生し、生意気な高校生はくたびれた労働者へと変貌する。前作『Versus』のリリースから16年。90年代にパーティの現場から登場してきたバンド=DUB SQUADが、そのあまりにも長い沈黙を破り、2017年の「いま」新たなアルバムを発表したことは非常に感慨深い。
 最近ジャングルが盛り上がっていることは『ele-king』でもたびたびお伝えしているが、その流れで思い浮かべるのがゾンビーである。彼が2008年にアクトレスのレーベルから放ったファースト・アルバムのタイトルは『Where Were U In '92?』、つまり「92年にお前はどこにいた?」だった。まさにその92年に渡英し、かの地でレイヴの現場を目撃したのが中西宏司と益子樹である。その光景に衝撃を受けたふたりは、帰国後、山本太郎を誘ってDUB SQUADを結成する。しかし、ではいったいレイヴの何がかれらを駆り立てたのか? 92年の何がそれほど衝撃的だったのか? そしてそのとき日本はどのような状況だったのか? DUB SQUADの3人は以下のインタヴューにおいてさまざまな体験を語ってくれているが、これは、リアルタイムでレイヴを目の当たりにすることのできなかった世代にとってはかなり貴重な証言だろう。
 件のゾンビーも92年には間に合わなかった世代である。彼は『Where Were U In '92?』を「その時代に対するラヴレター」だと発言しているが、当時のハードコア/プロト・ジャングルを直接体験することのできなかった若者が、そのエナジーを空想しそれをダブステップ以降の文脈へ落とし込むことによって、2010年代の音楽シーンにオルタナティヴな選択肢をもたらしたことは、いわゆる「創造的な誤読」の好例と言っていいだろう。その時代を体験していないからこそ生み出すことのできるサウンドというものもある。だから、そういった誤読の流れともリンクするような形で「いま」オリジナル・レイヴ世代のDUB SQUADが活動を再開したことは、きっと音楽シーン全体にとっても良き影響を及ぼすに違いない。
 ダブ/アンビエントなムードが途中でブレイクビーツ/デジタル・ロックへと切り替わる“Exopon”や、ギャラクシー・2・ギャラクシーのフュージョン・サウンドを想起させる“Star Position”のように、今回リリースされた『MIRAGE』は、けっしてリラックスしすぎることもなく、かといってハイ・テンションになりすぎることもない。この絶妙な匙加減こそが『MIRAGE』というアルバムの間口を大きく広げている。『MIRAGE』は、もともと彼らのことを知っている世代にだけでなく、もっと若い人たちにも積極的にアピールする何かを持っている。たぶん、こういう懐の深さのことを「歓待」と呼ぶのだろう。それは、これまで「場」との交流を音楽制作の大きな動機としてきたかれらだからこそ鳴らすことのできるサウンドなのだ。このアルバムを聴いた若者たちがいったいどんな反応を示すのか、そしてそれがどのような形でDUB SQUADへとフィードバックされるのか。いまからもう楽しみでしかたがない。


1996年、フリーズハウス/アムステルダム、オランダ

バンドだと、演奏者とお客さんというすごくはっきりした境界線がありますが、レイヴはそうじゃなくて、「場」というか、オーガナイズする側もお客さんたちも両方楽しむというか、ある意味ではすごくシンプルなことをみんなが力を合わせてやっている (益子)

DUB SQUADを結成されるまでは、それぞれどんな活動をされていたのですか?

中西宏司(以下、中西):僕はいわゆるインストのレゲエ/ダブ・バンドをやっていました。キーボード担当。でもライヴハウスで何回かやったという程度で、まあアマチュアですね。まだダブ処理とかを自分たちでできる状況ではなかったので、インストでレゲエをやっているみたいな状態でした。メロでピアニカ吹いたりしていましたよ。1990年前後かな。

益子樹(以下、益子):僕はすごく雑食なんで、いろんなバンドをやっていました。ロック・バンドもあればファンク・バンドもあって、ノイズのバンドもあったし、けっこうな数をやっていたと思う。音楽って、ちょっと日常とは違う何かがありますよね。そういうフッとテンションの上がるものだったらなんでもやりたいと思っていました。基本的にはギターで、あとはシンセも持っていたからそっちもやったり。でもまだそのときは、いまでいうクラブ・ミュージックにハマっていたわけではなくて、ふつうのバンド・キッズですよ。

山本太郎(以下、山本):僕はロック・バンドでベースを弾いていましたね。ただ、新しい音楽が好きでいろいろ聴いてはいたので、91年にジ・オーブのファースト・アルバムが出たときに「これはおもしろい」と思って。それで打ち込みに興味を持って、シーケンサーとかを買ったんです。バンドをやりながらそういうものにも興味が出てきた、というのがDUB SQUAD結成前ですね。

その後93年にDUB SQUADを結成されるのですよね。そこにいたるには、中西さんと益子さんがUKに行かれた経験が大きかったとお聞きしています。

益子:当時代々木に「チョコレート・シティ」というライヴハウスがあって、そこで、いまROVOを一緒にやっている勝井(祐二)さんや、ベーシストのヒゴヒロシさん(ミラーズ、チャンス・オペレーションなどに在籍)、それからDJ FORCEといった面々が「ウォーター」というハードコア/ブレイクビーツ・テクノのパーティをやっていたんです。ロンドンにヒゴさんの古い知り合いのカムラ・アツコさんという女性がいて、この方は当時フランク・チキンズというバンドにいて、その昔は水玉消防団というバンドにもいた人なんですけどね。そのカムラさんから「いまロンドンでおもしろいことが起きているから、一緒に行こうよ」と誘われて、ヒゴさんたちがレイヴ・パーティに行った。それで彼らはカルチャーショックを受けたんだと思いますが、日本へ戻ってきてから「ウォーター」を始めるんですね。そこに僕や中西君も遊びに行っていて、これはおもしろいなあと。それで、たしか92年の夏にカムラさんが日本に帰ってきていて、「ロンドンに遊びにいらっしゃいよ」と言われて。それで僕もイギリスに行って、いくつかレイヴ・パーティを体験して、本当にカルチャーショックを受けたというか。バンドだと、演奏者とお客さんというすごくはっきりした境界線がありますが、レイヴはそうじゃなくて、「場」というか、オーガナイズする側もお客さんたちも両方楽しむというか、ある意味ではすごくシンプルなことをみんなが力を合わせてやっているということ、あともちろんその場所で聴いた音の気持ち良さがものすごく大きな衝撃だったんですね。それで、僕が帰ってきてから半年後くらいに中西君もカムラさんのところに行って。

中西:そのときはまだ面識はなかったけどね。

益子:同じライヴハウスに出ていたり、リハで使っているスタジオが一緒だったりしたんですよ。もっと言うと3人とも一緒だった。世代も近いし、なんとなく友だちになって「じゃあなんか一緒にやろうか」というところから、いまのDUB SQUADが始まる感じです。

中西:何かのパーティに行ったときに益子君と話して、「僕もロンドンに行ってきたんだよ」という話になって。それで「何かやろうか」みたいな話になったんです。「ウォーター」だったかな。

おふたりがUKで体験されたレイヴはハードコアやブレイクビーツのパーティだったということですが、ジャングルもかかっていたんですか?

益子:そのときはまだジャングルはなくて、後にそこから派生した感じです。まだドラムンベースという言葉もなかった頃ですね。

中西:僕はその2年くらい後にまたUKに行ってるんですよ。そのときはもうジャングルになっている時期で、だいぶん雰囲気も変わっていて、それはそれで興味深かった。僕は、レイヴ的なハードコアが研ぎ澄まされて、いろいろなものを抜いていってダブになったものがジャングルとドラムンベースだというふうに思っているので、「こういうふうに変わっていっているんだ」と思った記憶がありますね。

「3人で何かを始めてみよう」となったときに、バンドという形態になったのはなぜなのでしょう? 先ほどお話に出たジ・オーブのように、向こうだとDJ/プロデューサーのユニットの形態が多いですよね。

益子:「バンドをやろう」とか「バンドじゃないものをやろう」とかそういうはっきりした意識があったわけじゃなくて、自分たちの出せる音を鳴らしていたら必然的にこういう形になったというか。一緒にやることになったときに、中西君はキーボードを弾きつつもベースが好きだったから、彼がベースを弾いて、僕はリズムマシンでちょっとしたドラム・パターンを流して、それをリアルタイムでダブ処理して遊んでいるような状態からスタートしたんです。

中西:ドラムとベースしかない(笑)。それでシーケンサーがないから、シーケンサーを持ってるやつを呼ぼう、ということになって。

益子:上モノがないわけ。それでも楽しくやっているんだけど、もうちょっと音楽的に充実させたいなと考えたときにフッと「そういえばタロちゃんがシーケンサー持ってたな」と思い出して(笑)。

山本:持っていたという(笑)。でも当時、僕はハードコアもダブもそんなによく知らなくて。「とりあえず遊びに来い」みたいな感じで誘われたので、行ってみたらふたりがそういうことをやっていて。これはどうすればいいんだろう、みたいな感じで(笑)。

中西:キョトンとしてたよね(笑)。

益子:でも「ジ・オーブとか好きなんだよねえ」とか言って(笑)。

山本:そうそう(笑)。当時はサンプラーも高価でなかなか個人では買えない値段だったんですけど、たまたまスタジオに古いサンプラーがあって。「じゃあサンプリングしてみよう」と(笑)。でもサンプラーなんていじったことなかったから、MIDIでノートの割り当てするとかもわからなくて、ひたすらプレイ・ボタンを押すだけとかで(笑)。そういうところから始まっているんですよね。

ちなみに益子さんと中西さんがUKに行かれたときは、のちのDUB SQUADのようなバンド・スタイルの人たちはいたのですか?

益子:それはなかったですね。僕が行ったときにはライヴはいっさいなかったと思う。DJと、あと謎のパフォーマンスをしている人はいたけど(笑)。楽器を持って演奏している人たちには遭遇したことはなかった。

中西:匿名性のある場だったから、なんだかわからないけどフライヤーを頼りにして、このDJの名前が載っているからまた行ってみよう、みたいな状態でしたね。

いまみたいにライトが当たっていたりするわけではなかった、ということですよね。

益子:そこがまさにおもしろかったところで。かれらはスポーツ・センターとかを借りてレイヴ・パーティをやっているんですが、たしかにスピーカーの向いている方向とかはある。けれどお客さんたちが誰も一方向を向いていないんですよ。もう好き勝手にいろんな方向を向いていて、それぞれに楽しく踊っているのね。DJがどこにいるのかもわからないし、何かに向かうというような感じではなかった。

中西:少なくともDJを見ようとする人はいなかったですよね。

益子:いないね。それはすごく新鮮な出来事で、バンドという形だと、観られる対象と観る人たちがいるわけで、自分もそれまでバンドをやっていたんだけど、観られる対象であることについてはあまり考えたことがなかったから、レイヴを体験してこういうやり方があるんだとわかって、少し楽になったところはあります。

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1996年、マッツォ/アムステルダム、オランダ

バンドという形だと、観られる対象と観る人たちがいるわけで、自分もそれまでバンドをやっていたんだけど、観られる対象であることについてはあまり考えたことがなかったから、レイヴを体験してこういうやり方があるんだとわかって、少し楽になったところはあります。 (益子)

そういうハードコアのパーティに刺戟されてDUB SQUADが始動したわけですが、最初に出たアルバムは『Dub In Ambient』(1996年)ですよね。そのときダブとアンビエントをやろうと思ったのはなぜだったのでしょう?

益子:体験したレイヴ・カルチャーをそのまんまやろう、という発想が僕らにはなくて。僕と中西君にはそういう共通体験があったわけだけど、あくまでその「感覚」で、何か一緒にできないか、というシンプルな気持ちでした。互いにしっくりくることができたらいいなと。で、音を出してみたら結果的にそういうものだったという。

他方、当時はリスニング・テクノやベッドルーム・テクノみたいなものも出てきていたと思うのですが、そっち方面から影響されることはありましたか?

益子:いや、俺はあんまり聴いてなかったなあ。

山本:俺はちょいちょい聴いていたかな。ブラック・ドッグとかは好きでしたよ。

益子:俺はジ・オーブくらいかなあ。なんか聴いたっけなあ。

中西:エイフェックス・ツインのアンビエント(『Selected Ambient Works Volume II』)は好きだったけど。

益子:俺はエイフェックス・ツインってあんまり聴いたことないんだよな(笑)。いまだによくわかんない(笑)。

山本:俺もアンビエントのやつしかそんなに好きじゃない。

益子:あとはロッカーズ・ハイファイだね。

山本:あれね(笑)。ロッカーズ・ハイファイはもしかしたら影響を受けたって言えるかも。

益子:『Ambient Dub』というコンピレーションがあって。あれは中西君が買ったんだっけ? それは俺らとやっていることがすごく近いなと思った。全曲じゃないんだけど、一部ね。そのなかにすごく共感できる人たちがいて、それがオリジナル・ロッカーズで、その後ロッカーズ・ハイファイに名前が変わるんだけど。それはよく聴いていたかなあ。

山本:たしかバーミンガムの人たちだよね。

中西:それは3人ともおもしろいと思って聴いていて。たしかにそういうアンビエント・ダブ/テクノ/ハウスというか、そういうコンピレーションを聴いてはいたよね。何枚かいいのがあって。共感ではないけど、似たようなことやっているのかなと思ったり。でもべつにそういうものがあるからそういうことをやろうと思っていたわけではなく。

DUB SQUADを始めた頃は、クラブでライヴをやっていたのでしょうか?

山本:当時はなかなかクラブもなくて。

益子:いちばん最初って「チョコレート・シティ」かな?

山本:最初はそうじゃないかな。

益子:ライヴがやれるとしたらライヴハウスだったからそこでやってみたんですけど、さっき言ったような「観る/観られる」の関係がやっぱり違うなと感じて。その後はたしか「キー・エナジー」だよね? 当時大きいパーティだとセカンド・フロアみたいなチルアウト・ルームを持っていたので、そういうライヴ・アクトが出られるパーティにアプローチをして、やらしてもらっていましたね。

山本:93年頃はエレクトロニック・ミュージックの音がかかっているクラブもまだそんなになくて。「マニアック・ラヴ」のオープンが93年頃だったと思うんですけど、それより前からあったクラブにテープを持っていってもあんまり聴いてもらえなかった。じゃあパーティをやっているオーガナイザーに渡そうみたいな感じで。当時「キー・エナジー」というわりと大きなパーティがあって、そこのメイン・フロアはトランスっぽい音がかかっていたと思うんですが、そのチルアウト・ルームの方に出たりしたのがクラブ・シーンに入っていく最初のところかなと思います。『Dub In Ambient』の頃はメイン・フロアじゃなくてチルアウト・ルームでやっていたんです。その曲調で踊りたい人は踊るし、寝転がって聴いている人もいるし、みんな自由にやっていて、こっちとしてもすごくやりやすい環境がありました。

益子:いわゆるド・アンビエントじゃないもんね。

僕は『Versus』からDUB SQUADに入ったので、最初の2枚は遡って聴いたのですが、セカンドの『Enemy? Or Friend!?』(1998年)になると、僕の知っているDUB SQUADだなという感じがするんですよね。

山本:『Versus ‎』と繋がっている感じですよね。

益子:それは、96年にもうひとつ、僕らにとっての大きな転機があったんです。「アンビエント・ウェブ」というイベントを東京や茅ヶ崎でやっていたヤックというDJがいて、彼はアムステルダムのクリエイターとコネクションがあったので、96年の夏、ちょうど僕らがファーストを出す頃に「アムステルダムにライヴしに行かないか」と誘ってくれたんですね。「ブッキングとか大丈夫なの?」って訊いたら「ひとつは確実にとれる」と(笑)。で、1回ライヴをやればきっと地元のオーガナイザーが観てくれているから、次のライヴも決められるだろうと言われて。

山本:行ったらなんとかなるよって。

益子:そうそう。そのひとつだけブッキングがとれているというパーティが、地元の若い連中がスクウォットして運営しているところだったんです。

山本:もともとアメリカの食品倉庫だったところを不法占拠してやっているところで。

益子:そこをクラブとスケート・パークとギャラリーにしていて……

中西:あとレストラン(笑)。

益子:そこでライヴをやることになったんですが、その会場はワンフロアしかなかったんですよ。つまりメインのフロアしかない。だから、踊りたい人たちばかりが来ているわけで、そこで僕らがライヴを始めると、ファーストの音を聴いたらわかるように当時の僕らの音楽はBPMもすごくゆっくりしているし、激しく踊るような音楽じゃなかったから、お客さんがライヴ中に話しかけてくるんですよ(笑)。「もっと速い曲ないの?」って(笑)。

中西:「ブレイクが長すぎる!」とかね(笑)。

益子:それは雰囲気を見ていてもわかるから、僕らも「参ったな」と思っていて。「僕らが用意しているのはこういう曲しかないけれど、僕らの後のDJが速いのかけるからちょっと待っててよ」とか言ったりしながら(笑)。

中西:女の子に呼ばれてワクワクして行ったら、「なんであんなにブレイクが長いの!?」って怒られるという(笑)。

益子:僕らは来た人たちを楽しませたいという気持ちが強いから、踊りたい人は踊らせないといけないなと。その方がお互いに楽しいし。だからその1回めのライヴが終わった後にすぐ次のライヴに備えるための曲作りに入って。

中西:次のブッキングが決まったから、急遽その倉庫の部屋を借りて、持ち込んでいた機材を使って曲を作ったんだよね。

益子:そうそう。1回めのライヴは港の倉庫だったんだけど、次のライヴは街なかの「マッツォ」というクラブで、これはちゃんと踊らせないと白けるぞと(笑)。

山本:当時のアムステルダムではいちばんメジャーなクラブだと説明されて、それはヤバいなと(笑)。

中西:オシャレというか、ちゃんとしたクラブでね。

益子:それで、メイン・フロアで自分たちとお客さんとお互いに楽しむための音というのはなんだろう、というのを考えはじめたところでちょっと意識が変わったというか。東京に戻ってきてからもその延長線上でどんどん曲を作っていって、それが『Enemy? Or Friend!?』に結びついていくんですね。

山本:ちょうど『Enemy? Or Friend!?』が出る90年代後半くらいから、クラブのパーティでライヴをやるということがそんなに特殊じゃなくなっていったと思うんですよ。僕らもDJの間に挟まって踊れる曲をプレイするというのが、その頃からだんだんふつうのことになっていった。

中西:その場に応じて試してみたことでオーディエンスが踊ってくれたから、今度はそれをフィードバックして新たに曲を作る、というふうに「場」と曲作りが呼応していったというか。

山本:それで思い出したんですけど、「リターン・トゥ・ザ・ソース」というサイケデリック・トランスがメインのパーティがあって。TSUYOSHIさんがやっていたのかな。そのオープニングでライヴをやってくれという話があって。会場は山の中だったから、のんびりした感じでパーティを温めるように始めるのがいいよねって心づもりで行ったんです。そしたらこれがけっこうな大雨だったんですよ。で、大雨なのに、もう踊る気満々のやつしかいなくて(笑)。このクソ雨のなかよく集まるなってくらいフロアに人がいて。それで僕らがふわ~っとした感じで1曲めを始めたら、ピリッとした空気になって(笑)。

(一同笑)

益子:やってるのに「早くやれ」って言われそうな(笑)。いや、もう始まってるんだけど、と(笑)。あのときの1曲目はド・アンビエントだったよね。失敗したなと思いつつも、それはそれでおもしろいかなという気持ちもあったり。

山本:あれはいい体験になった。

中西:「アチャー」感があったね。

山本:そういう「場」とのフィードバックのなかで、「じゃあ今度はこういうのをやったらいいんじゃない?」みたいなことが積み重なっていったんです。

僕らは来た人たちを楽しませたいという気持ちが強いから、踊りたい人は踊らせないといけないなと。その方がお互いに楽しいし。 (益子)

その次に出るのが『Versus』(2001年)ですが、あのアルバムもそういう「場」とのやりとりのなかから生み出されていったものだったのでしょうか?

益子:90年代の半ばから97~8年あたりまでは、クラブとか野外レイヴ・パーティとか、いわゆるクラブ・ミュージックの延長にある場でやることが多かったけど、だんだんそれ以外にもロック系のフェスとか、そういう場に呼ばれたりすることが増えていって。そうすると、それぞれの場に対応していくことになるから、そういう過程で曲も少しずつ変わっていったとは思うんですよね。

中西:音も詰まっているしね。すごく圧が強いというか、とにかく高エネルギーな感じだよね。

山本:90年代後半~2000年代初頭の頃には、クラブ・ミュージックが細分化していって、ある程度決まったパターンみたいなものができ上がっていたと思うんですよ。たとえばドラムンベースならこういう感じ、ビッグ・ビートならこういう感じ、というふうに。でも僕らはテクノのパーティにもトランスのパーティにも出るし、フェスにも出るしで、そういう特定のパターンにハマらないようにやっていたから、その結果がああいう感じになったというのはあるかもしれないですね。

益子:たぶん、ライヴの場で僕らに求められることが変化していったというのが大きいと思うんですよ。「テンションが上がる」とか「盛り上がる」といったことを求められるような場が増えたから、中西君が言った「高エネルギー」っていうのはそれが反映された結果なのかもしれない。僕らのことを認識している人たちが増えると、それまでのDUB SQUADで盛り上がった記憶を持っているお客さんも増えるから、その「盛り上がるんだよね?」っていう期待に応えなくちゃというような強迫観念があって。

山本:ははは(笑)。

益子:そういうのに必死になっていたのかもしれない。

中西:いま思えばね。べつにそれが辛いと思ってやっていたわけではないし、むしろ楽しいんだけど、たしかにそういう側面はあったかもしれないね。

益子:だから、どれだけ曲にエネルギーを込められるかとか、どれだけ僕らの音からそういう過剰なものを感じてもらえるかということを意識してはいたと思う。

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僕たちはたとえばサイケデリック・トランスを好んで聴いていたわけではないけど、そのパーティに来るゴリゴリのサイケっぽい人たちがフッとチルアウト・ルームに立ち寄って僕たちの音楽を聴いたときにどんな反応をするのか、というのをおもしろいと思っていて。 (中西)

なるほど。そのように『Versus』の頃にはすでにDUB SQUADのことを知ってライヴに来る人が増えたり、あるいは僕が地方で『Versus』を手に取ったように、どんどん知名度が上がっていったと思うのですが、まさにそこからDUB SQUADは沈黙に入るという……

(一同笑)

益子:そうなんですよ。いま振り返ると、たぶん一度リセットしたくなっちゃったんだと思うんですよね。もう詰め込むだけ詰め込んでしまったから……

中西:次は何に手をつけたらいいのかということを考えた時期でしたね。

益子:手を打つとしたら次は何か、というのが見えない状態に入ってしまったんだと思います。

中西:そうですね。3人に共通している意識として、それまでわかりやすく「これ!」というのからはちょっと外したようなものをやってきていたつもりがあって。でもその外しようがなくなったというか。

益子:下手したら外しているんじゃなくて、メインのものになりすぎちゃうっていうか。そういう恐れみたいなものがあったのかもしれないですね。当時それを意識していたわけじゃないけど、いまこうやって振り返ってみると僕らはたぶんカウンターでありたかったんだと。でもカウンターというのは、そもそもメインのものがあって初めて成り立つわけだから、そのカウンターになるためのメインがないという。

山本:メインがなんなのか、わからなくなるという。

中西:話が戻っちゃうんですが、僕たちはたとえばサイケデリック・トランスを好んで聴いていたわけではないけど、そのパーティに来るゴリゴリのサイケっぽい人たちがフッとチルアウト・ルームに立ち寄って僕たちの音楽を聴いたときにどんな反応をするのか、というのをおもしろいと思っていて。あっちはあっちで「こんなのあるの!?」って思うし、こっちはこっちで「こんなお客さんもいるんだ」みたいな(笑)。

(一同笑)

山本:なんて格好してるんだ、お前ら、みたいな(笑)。

中西:そういう相互作用みたいなものを僕らは場に求めちゃうというか。

そういうことが薄れていったということでしょうか。

益子:クラブ・シーンみたいなものがある程度でき上がってしまって、パーティもそうだけど、2000年代初頭から半ばにかけては新鮮さがちょっとなくなっちゃった頃だと思うんですよ。

山本:バンドで踊るということも当たり前になってきた頃だと思うんですよね。そういう踊らせることができるいいバンドが他にもたくさん出てきて。それで、「あのバンドは踊れるよね」と期待して来るお客さんがいることが当たり前になってきた、というのはあったかもしれないですね。

1999年、〈RAINBOW 2000〉/白山、石川

その後、益子さんはエンジニアリングなどの仕事でよくお名前を拝見していたのですが、中西さんと山本さんはDUB SQUADが休止されているあいだ、どんな活動をされていたのですか?

山本:僕たちはふつうに仕事をしたりしていました。僕はDJもやっていたので、自分でパーティをやったりはし続けていましたけど。

益子:中西君は、DUB SQUADと並行して僕がやっているROVOというバンドに、一時期だけど参加してくれていたことがあって。『Versus』が出た後、2001~04年くらいだっけ。

中西:DUB SQUADのメンバーとも完全に会わなくなったわけではなくて。たまに会ってセッションしていた時期もあるし、今回のアルバムも、何年か前にやっていたセッションからでき上がったものも多いんで。そのあいだにライヴもやってきているし、まるまる16年何もしていなかったというわけではないです。

ライヴは2011年から再開されているという話を聞きました。ちょうど『Versus』から10年くらいですよね。そのときはどういう経緯で再開されたのですか?

山本:「METAMORPHOSE」に「ちょっとまたやろうと思ってる」という話をしたら、「それなら、出ない?」と誘われて。よし、じゃあそこで再開しようと思って準備を始めたんだけど、台風で「METAMORPHOSE」がなくなっちゃったんですよ。ただ、それに向けてもう活動を始めてはいたので、その後何本かはライヴをやっています。それで曲もある程度できたからレコーディングしようという話になったんですが、そこからけっこうかかっちゃいましたね(笑)。3年くらいかな。


2000年、“3D 10周年時〈WATER〉フライヤー” 王子、東京

今回のアルバムがどういうふうに受け取られて、どんな反応が返ってくるのかというのが僕は楽しみで。たとえばそれこそEDMフェスみたいなものは昔はなかったから、ああいう場で楽しんでいる若い子たちの耳に入ったらどういうふうに聴こえるのかなとか、興味がありますね。 (山本)

今回新作をレコーディングすることになった際、先ほど仰っていた「メインに対するカウンター」というか、新たな外し方みたいなものはあったのでしょうか?

益子:いや、当時はそういう感覚でいたと思うし、さっき言ったみたいに止まっちゃったというのもそういうことだったと思うけど、そこからだいぶ時間も経っているし、だからべつに何かに対峙するということじゃなくて、自分たちがいま素直に気持ちいいと思えることをまとめたのが今回のアルバムですね。そういう意味では、ファースト・アルバムの『Dub In Ambient』とすごく近いかもしれない。

中西:もうある程度リセットできたという気持ちはあります。だから初期の頃のような気持ちでまた曲作りに取り組めたかな。こんなふうに言うと、以前はすごく追い立てられていたみたいな感じだけど、それほど売れているバンドでもないから(笑)。でも話にするとそうなっちゃうよね(笑)。まあ流れとしてはそんな感じで、『Versus』で飽和して、一度リセットしてという。

益子:まあ、長いブレイクだったよね。

中西:得意のね(笑)。で、やっぱり今回はアンビエントっぽい要素が増えているし、そういうのもリセットしたかった気持ちの表れなのかな。

今回、16年ぶりの新作『MIRAGE』を聴かせていただいて、この言葉が適切かどうかはわからないですが、『Versus』などに比べると少しポップになった印象を抱きました。間口が広くなったと言いますか、たとえばクラブ・ミュージックを聴きはじめたばかりの人でもすんなり入っていけるような。その辺りは意識されたのでしょうか?

益子:まったく意識してないね。

山本:でも『Versus』よりは音がシンプルになりましたよね。

益子:クラブ・ミュージックって何か規定があるわけじゃないし、結局いまどういうスタイルが多く機能しているか、という話だから。そこに対しての意識というのは特にないなあ。でも、細かい部分では逆の意識はあったかな。いま使われているようなリズムとか、ドラムマシンの加工された音を使うのはあえてやめようということは思っていたけど。

山本:いまトレンドの音楽ってすごく作り込まれているし、若いクリエイターたちは凝った作り方をしていると思うんですが、DUB SQUADは基本的に使っている機材も昔と変わっていないんです。いまも『Versus』を作っていた頃とほとんど同じ。バンド名に「ダブ」という言葉が入っているように、出ている音にエフェクトをかけて変えるとか、そういう手法が原点なので。

益子:そうだね。「なぜバンドという形になったか」という質問のときに答えるべきだったけど、僕らは昔もいまも曲作りという制作作業のなかでパソコンを使うことがないんですよ。もちろん人によって作り方はいろいろだろうけど、おそらく多くの人たちがDAWとか、90年代だったらLogicとかソフトウェア・シーケンサーというものを使って作っていたと思う。僕らはそういう作り方をずーっとしていなくて。その理由は、ひとつのものを3人でああだこうだ言いながらいじくるのは大変じゃないですか。

なるほど(笑)。

益子:あれはひとりで制作するのに向いている作り方だと思う。複数の人間、なおかつバンドをやっていた人間にとっては、1回ずつ音を止めなきゃいけなかったりとか、何かするたびに待ち時間があったりするというのはすごくまどろっこしいんですよ。だから基本的には押したらすぐ音が出る楽器であったり、ハードウェアのサンプラーだったり、そういうものを使って作るほうが自分たちにとってすごく合っていた。それで、昔からぜんぜん機材が変わっていなくて。もちろんマイナーチェンジはあるんだけど、メインの機材はほぼ同じですね。

中西:僕の場合はさらに劣化して、シーケンサーを使わずやっていて。

(一同笑)

山本:劣化というか退化だね(笑)。

益子:手で弾いているよね。

中西:手で弾いてる。最初にセッションで始めた頃のことを、ただそのままやっているという。だから「ポップ」という感想は意外でした。意識はしていないので。

益子:もちろん奇をてらって変なものを作ろうなんて思っていないけど、何か選択をするときに「受け入れられやすいように」という気持ちで選択することもあまりないというか。たんにそれがおもしろいかおもしろくないか、というところでしか選んできていないから。

中西:そうだね。でも「間口が広い」と思ってもらえたのはいいことだよね。

益子:いいことだよね。よかったね。

中西:僕らのなかでの「これはいいでしょ!」という展開とか、「これはさすがに無理でしょ」みたいなものというのは、たぶん誰にも共感してもらえないなと。そういう暗黙のルールみたいなものがあって(笑)。

今回のアルバムは16年ぶりのリリースでしたが、これからもDUB SQUADとしてまだまだ出していきたいと考えていらっしゃるのでしょうか?

益子:うーん、特に何も考えてないな。でもこれで終わりにしようとかそういうつもりはまったくなくて、何か次に残したいと思えるようなものが貯まってきて、いいタイミングが来たらまたアルバムを出したいと思います。僕らは「契約があって、何年のうちに何枚かを出さなきゃいけない」というのではぜんぜんないから。

山本:あと、今回のアルバムがどういうふうに受け取られて、どんな反応が返ってくるのかというのが僕は楽しみで。長らく音楽シーンから離れていたということもあるし、僕たちが休止した頃といまとではシーンの状況もぜんぜん違うと思うので。たとえばそれこそEDMフェスみたいなものは昔はなかったから、ああいう場で楽しんでいる若い子たちの耳に入ったらどういうふうに聴こえるのかなとか、興味がありますね。聴いてくれるかわかんないですけど(笑)。

そういうポテンシャルのあるアルバムだと思います。

中西:またそういう反応で僕らの方向性がどういうふうになるのかというのも変わってくるんじゃないかな。もうド・アンビエントの作品しか出さなくなる可能性もあるし(笑)。

(一同笑)

山本:それがおもしろいと思えばそうなるかもしれない。

益子:本当に「場」というか、いまはライヴの本数は少ないけれど、僕らはメンバーの3人で完結しているわけじゃなくて、ライヴの場に来ている人たちとの関連性みたいなものがすごく大きいし、そこを含めて活動してきているんですよ。だから、あらかじめ自分たちで「こういうことをやっていこう」というのはあえて決めないというか。「場」から受けるフィードバックってすごく大きいからね。

DUB SQUADライヴ情報

R N S Tアルバム リリース パーティ「REMINISCENT」
日時:2017.07.08(土)OPEN 18:00 CLOSE22:00
料金:¥3000 (+¥600 drink charge) W/F ¥2500 (+¥600 drink charge)
会場:Contact

FUJI ROCK FESTIVAL ’17 “INAI INAI BAR” produced by ALL NIGHT FUJI
ステージ:Café de Paris
日程:2017.07.28(金)
会場:新潟県湯沢町苗場スキー場

詳細:https://dub-squad.net/

Kuniyuki - ele-king

 去るGW中にRDCのために来日したフローティング・ポインツことサム・シェパード、来日中の彼が別の日に、敬意を表しながら札幌プレシャス・ホールでKuniyukiとともにDJしたことは、現在進行形のディープ・ハウス・シーンのなんともじつに“いい話”である。
 シェパードも関わる〈Eglo〉レーベルは、今年に入ってもHenry Wuの12インチを出しているが、そのHenry Wu周辺のロンドンはペックハムのジャズ/アフロ/ハウス/ブロークンビーツのシーン、あるいはフローティング・ポインツの影響を受けているメルボルンやシドニーのハウス・シーン──このあたりはいまもっとも面白い動きを見せている。そして、このアンダーグラウンド・ミュージックのシーンの広がりを証明するかのように、今年、札幌のベテラン・ハウス・プロデューサーのKuniyukiは、DJ Nature、Vakula、Jimpsterらとのコラボレーション音源を集めたCDアルバム、『Mixed Out』を〈Soundofspeed〉からリリースしている。
 で、サム・シェパードはもちろん、Kuniyukiが2002年に発表した「Precious Hall」によって、札幌の伝説的クラブを知っている。(このあたりの流れについては、7月14日発売の紙エレvol.20をご覧いただきたい)
 この度、CDアルバム『Mixed Out』にも収録されていたDJ Sprinkles RemixおよびK15とのコラボレーション音源が12インチ・カットされる。A面はJIMPSTERとの共作をDJ SPRINKLES(鬼才TERRE THAEMLITZ)がリミックス。B面は、いまでは各方面から注目の、Henry Wu周辺のK15(先日カイル・ホールのレーベルからもEPを出したばかり)とのコラボレーション作品。フローティング・ポインツ以降の素晴らしいモダン・フュージョン・ハウスが2ヴァージョン聴ける。CDともどもぜひチェックして欲しい。


Kuniyuki & Friends
A Mix Out Session
Soundofspeed


Kuniyuki & Friends a Mix Out Session
Mixed Out
Soundofspeed

interview with Irmin Schmidt - ele-king

 プログレッシヴ・ロックというジャンルに限らず、ロックの歴史において最も偉大なるバンドの一つに数えられてきたカン。彼らがケルンで誕生したのは、ちょうど半世紀前のことだった。70年代末に消滅するまでの間に彼らが発表した作品群は、70年代のパンク、80年代のニュー・ウェイヴやノイズ、更に90年代以降のポスト・ロックなど後続の若いミュージシャンたちに延々と影響を与え続け、現在に至っている。70年代英国のメディアによる「カンは50年先を行っている」という賛辞が真実だったことを、今、誰もが認めているはずだ。


Can
The Singles

Mute/トラフィック

KrautrockExperimental

Amazon

 というわけで、結成50周年を祝しておこなった、カンのリーダー格イルミン・シュミットへの電話インタヴュー。
 カンがシングル盤としてリリースした楽曲だけを23曲集めた編集盤『The Singles』が先日、英ミュートからリリースされたばかりだが、その前の4月には、ロンドンのバービカン・ホールで〈The CAN Project〉のコンサートもおこなわれた。これは、カンの楽曲をモティーフにイルミン・シュミットが作曲したオケ作品をロンドン交響楽団が演奏する(指揮はイルミン自身)第1部と、マルコム・ムーニーをシンガーに立てたスペシャル・バンドによるライヴという第2部から成るもので、イルミン自身が立案/プロデュースしたものだ。
 今回のインタヴューはそれらを踏まえて、6月半ばにおこなったものだが、時間が足らず、終盤の最も肝心な質問がすべてこぼれてしまったことを予めお断りしておく。

20世紀に存在していたコンテンポラリーなアイディアのすべてが詰まっていて、そのおかげで、ユニークで特別な音楽になっているのだろうね。だから何度聴いても、必ず何か新しいものが聴こえてくる……それがカンの音楽であり、カンのミステリーにもなっている。

4月にロンドンのバービカン・ホールでおこなわれた「カン・プロジェクト」のコンサートは、メディアではどんな反応でしたか。

シュミット:すごくいい反応だったよ。とても気に入ってくれた。私がロンドン交響楽団の指揮をして、自分で書いたシンフォニーを2曲披露したんだ。そのうちの1曲は、カンの作品をモチーフとしたものだった。カンの曲をオーケストラ・アレンジにしたのではなく、オーケストラ・ピースにカンの曲を引用した感じだ。メディアはほとんどロック系の評論家たちで、こういうものを見たり聴いたりしたことがなかい人たちばかりだったから、すごく驚いていたな。企画自体も珍しかったしね。最初の1時間はシンフォニックな音楽で、その後はロックで。みんなまさに見たこともないものを見たようなリアクションだったよ。よりじっくり鑑賞するために、もう一度観たいと言ってくれる人たちも多かった。第1部の方が好きな人もいれば、第2部の方が好きだった人もいたし、いろんなリアクションをもらえた。なによりも、まあ、みんなにすごく良いと言ってもらえて嬉しかったよ。

企画した自分自身では、コンサートの出来具合をどう評価していますか。

シュミット:うーん、難しい質問だね。世界でも指折りの素晴らしいオーケストラの指揮をとらせてもらっただけでもすごいことだった。私は若い頃に指揮者としての経験があったものの、カンを始めてからはオケを指揮することなんてまったくなかったから。だから、こうやってオーケストラと何かができることは私にとっては心底嬉しいことだ。いまだに指揮をやることが私にとって喜びであることに気づかされる、とても重要なできごとでもあった。心が動かされる、本当にいい経験だったな。コンサートの第2部は、サーストン・ムーアと彼のミュージシャンによるカンへのオマージュだったんだが、それも楽しくやらせてもらったよ。

クラシック出身のあなたが、今改めてオーケストラ作品にこだわる理由を教えてください。

シュミット:おっしゃるように、私にはクラシック音楽の背景があって、オーケストラの指揮をしていたこともある。交響楽団やオペラハウスで指揮者をしていたんだ。指揮をしてたのと同時に、クラシックの作曲もしていた。だからこれも自分の一面だ。ロックの自分がもうひとつの面であるように……まあ、他にもいろんな面を持ってるけどね。そういう背景がカンの音楽を豊かにしてくれたんだと思う。ロックだけではない、クラシックや、私が若い頃に勉強していた日本の雅楽とか、いろんな要素があわさってカンの音楽になってる。突然やり始めたことではないんだ。私は本当にオーケストラのサウンドが大好きだし。何十年にもわたってひとつの曲が受け継がれていって、どんどん研ぎ澄まされていく感じがとても美しいと思う。オーケストラの音楽は元々がすごく豊かだと思う。時折そういう音楽の世界に触れることが自分の喜びでもあるんだ。だからこれからも続けると思うよ。

カンの最重要コンセプトは「spontaneous(自発的、無意識的)」ということだったと思いますが、今回のオケ作品は「spontaneous」なものになったと思いますか。

シュミット:「spontaneous」ということなら、それはやはりカンだ。今回のオケの試みはそういうものではない。オーケストラ作品に携わっている時は、もしかしたら曲作りの過程で「spontaneous」な部分はあるかもしれないが、オケは渡された楽譜をその通りに演奏するから、ステージ上で「spontaneous」になることは難しい。もう既に存在するものをそのままプレイしなければいけないわけだ。オーケストラで音楽を演奏することは、私にとって、カンの場合とはまったく違うことなんだ。カンの音楽をオーケストラを通して再現しようとはしていないわけで。オーケストラの楽曲を作るときは、オーケストラの世界観を考えて作曲する。それはカンが演奏する時の「spontaneous」なアプローチとはまったくもって違うものだよ。

第2部のバンド・コンサートではサーストン・ムーアが核になっていたようですが、サーストンを中心に据えた理由は?

シュミット:私は長年ソニック・ユースの大ファンだった。80年代にソニック・ユースが出てきた時からずっと好きだった。以前、バルセロナのフェスティヴァルで彼らと共演したことがあって、私たちはライヴの後に会う機会を得た。その時に彼らと話し、お互いには共通点が多いことがわかった。音楽的に考えてることとかも含めてね。私たちにとってソニック・ユースの音楽は重要で、彼らにとってはカンの音楽が重要だった。それが、今回の理由のひとつだ。もうひとつのきっかけは……私は、来年出版される予定の本をここ数年書いてきたのだが、その本にサーストンのインタヴューを掲載するために彼に会ったんだ。その時いろいろ話しているなかで、サーストンから、パリでやるライヴに参加しないか? と提案があった。彼は、インプロヴィゼーションで共演したいと言ってくれた。それがきっかけで、私と彼はパリでデュオとして一緒に演奏したんだが、まったくもって即興的なライヴだったよ。実際、1時間しか準備の時間がなかった。そしてその時もまた共通点の多さを感じた。だから今度は私の方から、私が企画するコンサートの第2部のキュレーターになって欲しいというオファーをしたんだ。彼は快くそのオファーを受け、ミュージシャンも集めてくれた。立派なキュレーターだったよ。(註:カンの初代シンガーだったマルコム・ムーニーをフィーチャーし、サーストン・ムーア&スティーヴ・シェリーのソニック・ユース組を筆頭に、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン~プライマル・スクリームのデボラ・グージなどがバッキング)

あなたは何故、そのバンド・コンサートに参加しなかったのですか。

シュミット:なにしろ私は第1部のオケ・コンサートで指揮をしてたからね。前日にはオケと6時間もリハーサルをして、当日にも3時間のリハーサルがあり、その後に1時間の本番があった。つまり、あのコンサートでの私の役目は、第1部で二つのオーケストラ曲の指揮者をすることだったんだ。第1部で指揮をした後、第2部で演奏もするとなったら、体力的にもすごく厳しかったと思うよ。第2部のライヴはカンへのオマージュだったが、そこで私は演奏すべきではないと思ったし、そもそも私はカンの音楽を演奏することにはあまり興味がない。もう私は、カンの楽曲を再現したり、再構築したくはないんだ。今は違う音楽をやっているからね。だからそこはすべてサーストンに任せた。彼ならではのカンを創り出してくれたんじゃないかな。

第2部のバンド・コンサートに関し、あなたの方からサーストンたちに何かメッセージやアドヴァイス、注文などを出しましたか。

シュミット:私が口を出すことはまったくなかったよ。本当に何もなかった。サーストンがやってくれたことに関しては、いっさい関与していないし、口出しもしなかった。なにしろ、私も本番で初めて聴いたんだからね。お互いリハーサルの時間も被っていたから、リハーサルも見ていない。だからサーストンがやることを邪魔することはなかったし、私は私で自分のリハーサルに集中していた。本番でサーストンは第1部を初めて見たし、私は第2部を初めて見た。

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次の大きなプロジェクトは、過去のライヴ音源をリリースすることだ。うまくいけば来年にはリリースできるだろう。実際、カン時代にはたくさんライヴ音源を録り溜めていたものの、音質のクオリティーが低かった。でも今は、その音質を良くする技術がある。ようやくリリースできるようになったんだ。

カンは現在に至るまでずっと若い音楽家たちに影響を与え続けていますが、彼らはなぜカンに惹かれるのだと思いますか。

シュミット:それは、実に複雑な要素が混ざり合っていると思うが、まずはカンの音楽の豊かさ、ということだろう。20世紀に作られた新しい音楽の要素のすべてがカンにあるから。ジャズの文化、ロックの文化、ヨーロッパのクラシカルな文化、そして私が学生時代に勉強していた日本の雅楽……いろんな要素がカンにはあって、それらが実にスペシャルな方法で取り入れられている。20世紀に存在していたコンテンポラリーなアイディアのすべてが詰まっていて、そのおかげで、ユニークで特別な音楽になっているのだろうね。だから何度聴いても、必ず何か新しいものが聴こえてくる……それがカンの音楽であり、カンのミステリーにもなっている。メンバーがお互い意識的に抱いていたミュージシャンシップが一体になり、何か新しいものができたのだと思うよ。
 あと、カンがスタートした頃、メンバーの多くはすでに30代で、若いボーイズ・バンドではなかった。つまり、ある程度成熟したミュージシャンだった。ヤキは経験豊富なジャズ・ドラマーで、私とホルガーはクラシックの経験を積んでいた。ミヒャエル・カローリだけは若かったが、彼もすでに素晴らしいギター・プレイヤーだった。メンバーの音楽的スタイルや性格は多様だったが、それが豊かさとマジックとミステリーを創出したのさ。だから聴くたびに新しいものが見えてくる。そして、ドイツの70年代という歴史も感じることができる。そういうところが、未来へもつながる音楽になったのかもしれないね。

今回のイヴェントにはホルガー・シューカイは参加しませんでしたが。

シュミット:単純に健康の問題だ。彼は転んで腰を悪くしてしまい、病院から退院したばかりだった。だからロンドンに来ることができなかったんだ。

今回、シングル曲だけを集めた『The Singles』が出ますが、2012年には『The Lost Tapes』というものすごい未発表音源集も出ました。あなたは6月29日に80才を迎えますが、カンのキャリアに関してそろそろ総括しておきたいという気持ちがあるのでしょうか。

シュミット:いや、全然そういう気持ちではない。『The Lost Tapes』は、言葉通りの「lost tapes(失われた音源)」だった。長年ずっとアーカイヴに眠っていた音源が多数あったんだが、私のマネージャーでもある妻(ヒルデガルト)が、あのなかにはまだまだ面白い音源が眠っているからいつか何らかのカタチにした方がいいと常々言っていた。で、ようやくそれに着手し、デモを聴き直したんだ。50時間以上の音源があった。カンでは、レコーディングする時にはいつも、実際にアルバムに収録する曲よりも多くの曲を録音していた。でも、録ってみたものの、アルバムに収録されなかった曲がたくさんあった。しかも、その次の作品では新たな方向に進んでいるから、古い音源は使いたくなかった。だから毎回毎回アーカイヴに溜まっていったんだ。未発表のライヴ音源もたくさんあるんだよ。だから、時間をかけて、自らアーカイヴを全部聴き、今でも素晴らしいと思える音楽を再度蘇らせたんだ。妻やミュート・レコーズの力も借りて、あの『The Lost Tapes』はできた。つまり、カンを総括するなどという気持ちではまったくなく、まだ見せていなかったカンの一面を公表したまでだ。
 だが、見せてなかった一面を見せるのは『The Lost Tapes』で終わりだろう。アーカイヴすべてを聴いたなかで、他にリリースするに値するものはなかった。『The Lost Tapes』は最後のアーカイヴ音源ということになる。次の大きなプロジェクトは、過去のライヴ音源をリリースすることだ。うまくいけば来年にはリリースできるだろう。実際、カン時代にはたくさんライヴ音源を録り溜めていたものの、音質のクオリティーが低かった。でも今は、その音質を良くする技術がある。ようやくリリースできるようになったんだ。とにかく、それも含め、カンを総括しているわけではない。アルバムそれぞれが、その時のカンを総括するものにはなるかもしれないが、カンのキャリア全体を総括するものはないだろう。

カンというバンド名を公式に使いだしたのは68年秋だと思いますが、主要メンバー4人(あなた、ホルガー・シューカイ、ヤキ・リーベツアィト、ミヒャエル・カローリ)が揃ってバンドをやる意志が固まったのは、正確にはいつですか。

シュミット:カン結成の話がまとまったのは1967年12月だった。その後、メンバー各々がそれまでやっていた仕事を調整した。ホルガーは学校の教師だったが、その仕事を手放さなければいけなかった。ミヒャエルは法律の勉強をしていたが、彼はそれがすごく嫌いで、やめたいことを親に伝えなければいけなかった。指揮者の仕事をしていた私も、それを諦めなければならなかった。ヤキもケルンで最も有名なフリー・ジャズ・グループ(トランペット奏者マンフレート・ショーフのグループ)のメンバーだったし。それぞれが、当時やっていたことを手放したり調整したりして、バンドとして活動できるようになったのが1968年だ。そしてその頃にはもう、アルバムをリリースできるくらいの曲ができていた。

カン結成に際しては、まずあなたがホルがーとヤキに連絡して誘ったそうですが、ホルガーとヤキに目をつけた理由を教えてください。

シュミット:ホルガーとは同じ学校の仲間だった。自分がグループを結成することを決めたとき、すぐにホルガーのことが頭に浮かんだ。彼はクラシックを専門的に勉強していたし、それに加えてエレクトロニック・ミュージック好きで、ジャズ・ギターも演奏できたんだ。彼は特異で素晴らしいミュージシャンだった。だから、まずは彼を誘った。ヤキに関しては、実は最初、誰かいいドラマーを知らないかヤキに相談したんだ。マックス・ローチみたいなドラマーが欲しいと伝えたら、誰か探してみると彼は言った。まさか彼が自分のフリー・ジャズ・グループを辞めるなんて私は思ってもいなかったから。ところが、ある日私の家に全員で集まった時に、彼の方から「俺がやるよ」と言ってくれたのさ。

最初期メンバーのデイヴィッド・ジョンソン(実験音楽系の米人フルート奏者)は、マルコムの「素人ぽさ」が嫌で脱退したと聞いたことがありますが、本当の事情を教えてください。

シュミット:彼は現代音楽が好きで、カンがロックにアプローチしていることが気にいらなっかった。だからグループを去ったんだ。去ったのは完全に彼自身の意思であり、マルコム云々は関係ない。カンは、結成当初には音楽的なコンセプトはなかった。方向性もリーダーも決めずに、アナーキーに自分たちの音楽を追求する、そう思っていたからね。そして、誰か一人が作曲するのではなく、みんなで共作するという方針だけは決まっていた。だが、やっているうちにロック的な要素がどんどん強くなっていった。デイヴィットはそれが好きではなかったから辞めんだ。

ダモに関しては、まさしく本当の意味でのスポンテイニアスな始まりだった。彼は一度も私たちの音楽を聴かずに、ヤキと出会ったその夜、突然ライヴでステージに上がった。

カンのシンガー、マルコム・ムーニーとダモ鈴木の二人が、カンの表現に与えた影響、そして彼らの特異な魅力について、二人別々に論評してください。

シュミット:二人とも予期していないところから現れたんだ。マルコムと私は、パリに住む共通の友人を介して知り合った。彼は画家として活動していたんだが、その頃私もアート・シーンと関わりを持っており、ギャラリーでの企画をやったりもしていた。私はその共通の友人を通して、パリで活躍していたマルコムをケルンに呼んだ。マルコムがケルンのアート・シーンで活動できるようにしたかったんだ。当時既にカンはスタートしており、ある日マルコムを練習スタジオに連れていった。そこで何気に歌っていたマルコムの歌声がけっこう良かった。それで彼に、ケルンに残ってカンに入らないかと誘ったわけだ。私にとってのマルコムの魅力は、スポンタニティー(自発性・無意識)だった。クラシックの背景を持つ私には、その要素がなかったから、とても魅力的だったんだ。彼はリズムに関しても、すぐさまヤキと息が合った。あっという間にリズム・セクションとして成立したんだ。そして、彼らのその感覚は、カンのロック的要素を創り出した。ところが、あの頃の彼は、ヴェトナム戦争を恐れ、また言葉の通じない国にいることの不安も感じていた。精神的に落ち込み、歌えなくなってしまうこともあった。ちょうどそんな頃に、ヤキがストリートで歌っているダモを見つけ、彼に歌わせてみようということになったんだ。
 ダモに関しては、まさしく本当の意味でのスポンテイニアスな始まりだった。そこが私たちにとてもマッチした。彼は一度も私たちの音楽を聴かずに、ヤキと出会ったその夜、突然ライヴでステージに上がった。彼のヴォーカルはマルコムよりもメロディアスだったから、ギターのミヒャエルとすごくいいユニットになった。マルコムとヤキみたいにね。つまり、マルコムやダモとの出会いから一緒にやることになった経緯こそが、本当にスポンテイニアスだったとも言えるね。

さきほどの発言にも、あなたが若い頃に勉強した日本の雅楽のことが出てきましたが、西洋音楽にはない雅楽の面白さは、どういう点にありますか。

シュミット:大学の頃になぜだかわからないけど、私は雅楽にとても惹かれた。最も夢中になって勉強した科目だったと言っていい。でも、カンの音楽を作る時、実際に雅楽の楽器を使っていたわけではないし、どういう形でカンの作品にそれが現れているのか説明するのも難しい。ひとつ言えるのは、私がキーボードで表現していることにとても影響している。たとえば『Tago Mago』の一番短い曲“Mushroom”におけるオルガンとギターの音。あれなどは、私が自分で感じる雅楽のスピリットだが、といって、意識的に雅楽を再現しようとしたわけではない。雅楽の影響を咀嚼して、自分独自のものとして出していたと思っているよ。

カンは74年の『Soon Over Babaluma』までは2トラックのレコーダーで録音していたそうですが、多トラック・レコーダーと比べて、2トラック・レコーダーを使うことの利点やスリルはどういう点にあると思いますか。

シュミット:単純な話、それは金銭的な問題だった(笑)。2トラック・レコーダーしか買えなかったんだ。私たちはスポンテイニアスな曲作りをしていたから、1曲作るのに何週間もかかった。長ければ何ヶ月もかかった。当然、レンタル・スタジオを借りて、時間制限のあるなかでのレコーディングはできなかったので、自分たちのスタジオが必要だった。だが、自分たちのスタジオ(インナー・スペース・スタジオ)の機材に充てるお金がなかった。だから2トラック・レコーダーを買って、自分たちがやることすべてをレコーディングしたんだ。レコーディングしたものを合体させてエディットし、二つ目のテレコにダビングした。そのテクニックが、結果的に私たちの独自性へと発展した。曲の構成もそうだね。お互いの演奏をよく聴くこと、気をつけること。私たちがレコーディングしている環境ではそれが大事だった。それから、卓を通して録音しないことによって、逆に音にエネルギーが生まれた。私たちならではの音が録れたんだ。当時その手法は実に珍しかった。それがカン独自のユニークさになったんだと思う。

 参考までに、時間切れで答えてもらえなかった質問事項を最後に掲載しておく。

カンの音楽を聴くと、私は、いつも「混沌(Chaos)」と「鍛錬(Discipline)」という言葉が思い浮かべてしまいます。「混沌(Chaos)」と「鍛錬(Discipline)」は、カンの表現においてどういう関係にあると思いますか。

私は昔からカンのことを「大人のパンク・バンド」と評してきました。70年代当時、あなたたちには「大人」であるという自覚はありましたか。年齢的な問題ではなく。

70年代のドイツにはカンの他にも革新的バンドが複数いましたが、そういったドイツのシーンの特異さについては、当時から自覚していましたか。また、(ドイツ・ロック・シーンの)連帯感のようなものは感じていましたか。

70年代のドイツのロックを、英国やフランス、イタリアのそれと分け隔てている最も大きなポイトンは何だったと思いますか。

「E.F.S.」(「Ethnological Forgery Series」)シリーズの作品は、「Nr.108」までは確認できますが、結局何番まで作った(録音した)のでしょうか。

「E.F.S.」シリーズの曲の多くはまだ一般に公開されていませんが、今後まとめてリリースする考えはありますか。

結成50周年記念「カン・プロジェクト」の一環として、日本で何かコンサートをやる予定はありませんか。

亡くなったヤキ・リーベツァイトについて。ドラマーとしての彼の際立った才能、魅力について語ってください。

以前ダモ鈴木にインタヴューした時、「きっとイルミンは俺のことが嫌いなんだと思う」と語ってましたが、ダモに対する感情や評価は、正直なところ、どうなんでしょうか。答えたくなかったら、けっこうです。

以上

タワー渋谷で『Mellow Waves』発売記念 - ele-king

 いよいよ発売間近ですね。6月の夜の都会の夜に響くコーネリアス『Mellow Waves』──、そして7月1日、タワーレコード渋谷のB1にて、CD購入者を対象にした、発売記念プレミアム映像上映会&トークセッションが催されます。
 貴重なドキュメンタリー映像、プレゼント抽選会、またCDジャケットに使われている原画展やTシャツ販売もあり。ばるぼら(アイデア編集)×野田努(ele-king編集)のトークもあり、です! 渋谷か新宿のタワーどちらかで『Mellow Waves』購入の方に先着で「整理番号付き入場券」&「抽選会参加券」を配布します。(貴重音源も聴けるかも!?)

Moonchild - ele-king

 2010年代に入ってロサンゼルスのジャズ・シーンが注目を集める一方、同地が輩出するR&B~ソウル・アーティストの活躍も目覚ましいものがある。日本でもよく知られるところでは、ジ・インターネット、ライ、インク、キングなどの名前が思い浮かぶし、マックス・ブリック、アンドリス・マットソン、アンバー・ナヴランによる男女3名グループのムーンチャイルドもまたそのひとつだ。ムーンチャイルドの場合は新世代のネオ・ソウル・グループと評されることが多い。紅一点のアンバーのソフトで温かみのある歌声は、ジル・スコット、インディア・アリー、コリーヌ・ベイリー・レイなどネオ・ソウル系の名シンガーたちにも引けをとらず、かつてのミニー・リパートンのようにナチュラルな美しさを持っている。ただし、単純にネオ・ソウルの枠に収まらない音楽的な複合性、多様性もあるのがムーンチャイルドである。彼らの特徴のひとつにオーガニックなジャズ・マナーを持ち込んだ作風が多く、また室内楽風とも言える優美なホーン・アンサンブルをはじめとした器楽演奏がフィーチャーされている点も挙げられる。メンバー3人は南カリフォルニア大学のジャズ・サークル出身で、それぞれテナー&アルト・サックス、トランペット、フリューゲルホーン、クラリネット、フルートなどを演奏する。このようにグループの下地にはジャズがあるので、一般的なR&Bやネオ・ソウルのグループと言うより、ジャズとソウルの中間のようなサウンドとなっている。ローバト・グラスパーからスティーヴィー・ワンダーまで、いろいろなアーティストたちから高い評価を集めるゆえんだろう。

 本作『ヴォイジャー』は、自主制作で発表したデビュー・アルバム『ビー・フリー』(2012年)、〈トゥルー・ソウツ〉を通じてワールドワイドにリリースされた『プリーズ・リワインド』(2014年)に続く、通算3枚目のアルバムとなる。過去2作同様に本作もセルフ・プロデュースなのだが、今回はエミリー・キングの共同プロデューサーで、ディアンジェロ、アンソニー・ハミルトン、ゴードン・チェンバース、ハイエイタス・カイヨーテ、ジェシー・ボイキンス3世などの作品にも関わってきたプロデューサー/ソングライター/ギタリストのジェレミー・モストが、制作におけるインスピレーションとして重要な役割を果たしているそうだ。サウンドは『ビー・フリー』や『プリーズ・リワインド』からの基軸を継承しつつ、ところどころに新しい試みを入れ、より幅広い音楽性を織り交ぜていることが感じられ、そのあたりがモストの影響なのだろう。ラテン風の開放的なムードを持つ“ショウ・ザ・ウェイ”、シンセ・ベースが印象的な“レット・ユー・ゴー”など、今までのムーンチャイルドにはあまりなかったタイプの作品も見られる。ザラっとした質感のビートの“エヴリー・パート(フォー・リンダ)”も、ムーンチャイルドにしては珍しいタイプの作品。どちらかと言えばディアンジェロやエリカ・バドゥなど、ソウルクエリアンズ絡みのサウンドに近いもので、エレクトリック・サウンドの導入もいつもより多目だ。とは言え、ヒップホップ色がそこまで強く出ていないのは、アンバーのヴォーカルと洗練された器楽演奏やアレンジによるところが大きい。モストからの影響によるヒップホップ~ネオ・ソウル的なラインを、うまく自身のカラーの中で消化していることがわかる1曲だ。

 “キュア”はネオ・ソウル色の濃いナンバーで、アンドリスによるピアノ、ローズ、クラヴィネットにシンセを交えた重層的な鍵盤群、アンバーのヴォーカル&コーラスの多重録音が鍵となる。女性3人組のキングに近いタイプの曲で、ここでもアコースティックな要素とエレクトリックな要素の融合が今までよりも進んでいる印象を与える。アンバーのフルート・ソロがフィーチャーされた“6AM”でも、オーガニックなムードにエレクトロニクスが巧みにブレンドされていることがわかる。“ハイダウェイ”や“ザ・リスト”はロバート・グラスパー・エクスペリメントに通じる、ジャズとソウルの中間的なサウンド。前者ではマックスのアルト・サックス&クラリネットが随所に差しこまれてアクセントとなり、後者ではアンドリスのキーボードとトランペット、マックスのアルトのコンビネーション・センスが抜群である。幻想的な雰囲気を持つ“ナウ・アンド・ゼン”もそうだが、アンバーの歌はいたずらに存在感を主張することなく、むしろ器楽の一種として機能し、演奏をうまくフォローする役割も担う。ムーンチャイルドの魅力は、この3人の力がバランスよく結びついていることを再確認させる曲だ。デビュー時からムーンチャイルドはストリングスの導入にも積極的で、ヴァイオリン、チェロ、ハープなどのプレイヤーをホーン・アンサンブルと結び付けて効果的に用いている。本作では“シンク・バック”や“チェンジ・ユア・マインド”あたりが好例だろう。一方、Jディラ風のズレたビート用いた“ラン・アウェイ”は、彼らとしてはヒップホップ色の強い異色作なのだが、トリッキーなシンセがコズミックな質感を醸し出す一方、アンバーの歌の持つ端正さや可憐さが、ムーンチャイルド特有の優美で格調の高い世界を保っている。今までの彼らからは相反するような要素も、違和感なく自然な形で自分たちの世界に取り込み、よりスケールアップしたのが『ヴォイジャー』と言える。

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