「AY」と一致するもの

気鋭の書評家が厳選!
とりあえずこれだけは読んでほしい新旧の40人

現在につながる古典作家の中から、今読んでも面白い作家を20人。そしてここ10年以内に登場した今後をになう新鋭作家を20人。古典と最新の両面から「読むべきミステリ」に迫る! 「古典」と「現在」の間を解説するコラムも掲載し、これ一冊で今のミステリ状況がわかる入門ガイド。

インタヴュー
クリス・ウィタカー
(『われら闇より天を見る』で2022年の国内ミステリランキング三冠、本屋大賞翻訳小説部門第一位)
月村了衛
(冒険小説・警察小説、骨太な大衆小説をいまに引き継ぐ。〈機龍警察〉シリーズ、『香港警察東京分室』など)

監修
杉江松恋
1968年生まれ。慶應義塾大学卒。書評家。著書に『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない! 海外ミステリーベスト100』、『浪曲は蘇る』他。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』など。

執筆
荒岸来穂、小野家由佳、香月祥宏、川出正樹、酒井貞道、坂嶋竜、霜月蒼、千街晶之、野村ななみ、橋本輝幸、松井ゆかり、森本在臣、若林踏

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お詫びと訂正

このたびは弊社商品をご購入いただきまして誠にありがとうございます。
『十四人の識者が選ぶ 本当に面白いミステリ・ガイド』に誤りがありました。
謹んで訂正いたしますとともに、お客様および関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

P.3
誤 この10年以内に翻訳紹介が始まった作家のみだ彼らがこれからのミステリ界を背負っていってくれるだろう。
正 この10年以内に翻訳紹介が始まった作家のみだ。彼らがこれからのミステリ界を背負っていってくれるだろう。

P.6
誤 メフィスト・ショウ・マスト・ゴー・オン 千街晶之
正 メフィスト・ショウ・マスト・ゴー・オン 坂嶋竜

P.9
誤 巧みな語りと校正に籠められた深い想い
正 巧みな語りと構成に籠められた深い想い

P.80
誤 〈質問・文〉杉江松恋 〈取材〉若林踏
正 〈文〉杉江松恋 〈取材・構成〉若林踏

P.191
誤 千街晶之(せんがい・まさゆき)
正 千街晶之(せんがい・あきゆき)

Spekki Webu - ele-king

 札幌を拠点に活動を続けてきたテクノDJの OCCA が、次世代のサイケデリック電子音楽シーンを語る上で欠かすことができない2人の重要人物を招聘し、革新的でユニークな電子音楽イベントを創ろうとしている。今回ゲストに招聘されたのは、〈MIRROR ZONE〉を主宰する SPEKKI WEBU と PYRAMID OF KNOWLEDGE 名義でカルト音楽愛好家に知られる K.O.P. 32 の2名だ。未知なる最先端の音楽を制作し、演奏する彼らが、東京と大阪のダンス・ミュージック・シーンを根底から揺るがすことは間違いないだろう。
 両者は今回、7月27日(木)に東京のストリーミング・スタジオ SUPER DOMMUNE(こちらは SPEKKI WEBU と OCCA の出演)、28日(金)に VENT を会場に OCCA の盟友である YSK と共に主催する《SECT》に出演。その後29日(土)には、CIRCUS OSAKA を会場にした OCCA による新シリーズ《PARHELION》に登壇し東西を廻る予定だ。
 そしてこの度、初めてのジャパン・ツアーを敢行する SPEKKI WEBU に来日前インタヴューのチャンスが頂けた。先日、台湾にて開催された《Organik Festival》でも OCCA と顔を合わせていた2人が、どのように意気投合し、今回のイベントがどのようなコンセプトを持っているのか持っているのか、少しでも伝われば嬉しいと思う。


「海を超えた地でダンス・ミュージックのBPMが加速し、テクノあるいはトランス・ミュージックと形容される音楽への熱量が高まっている」と書けば、往年のファンはこのような文章を読むのは何度目のことだろうと思うかもしれない。確かに、海外で開かれている信じられないような大きさのダンスフロアで、BPMが150を超えるような音楽に人びとが熱狂的になっている動画がSNSで回ってくることは、もはや日常茶飯事となっているが、一部のアンダーグラウンド・シーンにいる人間は、これを単なる繰り返された流行、舵を失ったトレンドだとは認識していないだろう。米作家マーク・トウェインが語った「歴史は繰り返さないが、韻を踏む(History does not repeat itself, but it rhymes)」という言葉がしばしば歴史学で引用されるように、それと同様のことがこの複雑化した音楽シーンにおける変遷を形容することもできると思う。そこには確かに、大きな流れ=トレンドの影響がある一方で、同時にこの時代でしか生まれない特有の “うねり” が存在している。つまりこの「BPMの加速化」は、文化的な需要を満たしつつも、過去にはないほど画期的で、いまだかつて体験したことのないようなサウンドと共に起きている現象であると言い換えることができるだろう。

 オランダ出身の SPEKKI WEBU は、まさにその “うねり” を、最前衛で創り続けているクリエーターの1人として、多くの信頼あるDJから認識されている。彼は、この加速化するテクノ/トランスといったムーヴメントを牽引する中で、〈Amniote〉や〈Positive Source〉といった新興ダンス・ミュージック・レーベルから作品を発表し、自身が主宰するレーベル〈MIRROR ZONE〉からは、トランス・ミュージックの系譜にありがらも、全く新しいDJプレイを可能にするツール的プロダクションを世に送り出してきた。また、ここ日本でも著名な Jane Fitz や Mama Snake、Konduku らと共にB2Bで共演してきた指折りの技巧派DJでもあるのだが、それは彼の音楽的ルーツにガバやジャングルといった幅広い音楽があり、ダンス・ミュージックの新しい可能性を拡張し続ける研究家であることが理由にあるのかもしれない。このインタヴューを通して、彼の音楽的ルーツと彼が捉えるダンス・ミュージックの新しい像が伝われば幸いだ。

■こんにちは、クリス! 元気ですか? まずは、あなたが育った街であるオランダのデルフト、そして大都市ロッテルダムについて教えてほしいです。デルフトはどのような街で、あなたはどのように過ごしましたか? また、どのようにしてアンダーグラウンドな音楽と出会いましたか?

SW:こんにちは、僕はとても元気だよ! 僕はデルフトという比較的に小さな街で育った。デルフトは地理的にロッテルダムとハーグというふたつの大都市に囲まれた大きな都市圏にあるところで、昔は父親と一緒に地元のレコード店によく音楽を掘りに行ったね。
 ここで初めてジャングルのCDを買って、それからエレクトロニック・ミュージックの旅がはじまった。周りはみんなハードコアなレイヴに行くか、ヒップホップを聴いていた。このときから僕はガバに興味を持ちはじめ、それらの音楽を集めるようになったんだ。
 僕が若い頃、デルフトにはいくつもの素晴らしいヴェニューがあって、そこではエレクトロニック・ミュージックの幅広い分野を紹介するような興味深いイベントがたくさん催されていた。僕が初めてダンスフロアに足を踏み入れたのも、そういった会場だったね。僕の友だちの多くは、街中や郊外のハードコア・ガバ・レイヴに行っていた。でも、ある程度の年齢になると、僕の興味は自分の住んでいる地域周辺の大都市(ロッテルダムとハーグ)に移っていった。
 ロッテルダムは、ガバ・ムーヴメントの勃興と形成に貢献した非常に重要な都市だ。面白いレイヴをやっているクラブやコミュニティ、サウンドシステムがたくさんある街でもある。だから僕はよくロッテルダムに訪れてライヴを見たり、面白いアーティストのプレイを見たりしていた。毎週末かなり長い期間、友だちたちとパーティーに行っていたんだ。この数年間は、エレクトロニック・ミュージックの世界を自分の中に形成し、自分を教育するのにとても重要な時期だったよ。

■あるインタヴューでは、あなたははじめにガバ・ミュージックに傾倒していたと書かれていました。それはいつ頃で、どのようにして遊んでいたのでしょうか? また、その後どのように現在のスタイルにたどりついたのでしょう?

SW:エレクトロニック・ミュージックに触れたのはかなり若い頃だったね。初めてジャングルのCDを買った後、すぐにガバ・ミュージックに触れた。90年代のオランダではすでに重要なカルチャーになっていたから、僕の周りの人はみんなこのスタイルのエレクトロニック・ミュージックを聴いていたよ。下に住んでいた少し年上の隣人はテープを集めていて、かの有名な音楽イベント《Thunderdome》のコンピレーションを聴いたのもこのときだった。これで新しい世界が開いたんだ。面白かったのは、ここに収録されていたトラックの多くに、ジャングルやブレイクビーツのリズムも混ざっていたこと。これはもちろん、ジャングル・ヘッズの僕にとっては天国のような組み合わせだった。
 それから音楽を集めはじめ、パーティーにもよく行くようになった。この時期からガバ・ムーヴメントに深く入り込むようになって、このジャンルの中にもっと実験的で面白いコーナーがたくさんあることを知ったんだ。インダストリアルでエッジの効いた、より深くてダークなサウンド。カルチャー、サウンド、ダンスフロア、インスピレーションの面で、いろんなことがとても面白くなりはじめた瞬間だった。この時期の音楽体験は、僕が後にDJとしてプレイするようになったとき、アーティストとして非常に重要な基礎となるものになったね。
 ロッテルダムとその周辺には、インダストリアル・ハードコア、ドラム&ベース、ノイズ、ブレイクコアなどの境界を越えた、小規模で親密かつ実験的なクラブ・ナイトを主催する会場がいくつかあったんだ。この時期は、多くのDJやライヴ・アーティストたちが、その境界線を破り、サウンドの面でよりストレートに、何か別のものへと進化させていた。興味深い新しいアーティストたちが押し寄せてきて、彼らが僕の関心の的だったんだ。僕は少人数の友人たちとヨーロッパ中を旅して、これらのアーティストの演奏をたくさん見に行った。アーティストとしての僕自身の教育やブループリントは、この頃に形成されたかもしれないね。

■あなたのDJスタイルはBPMの制限から逃れ、「リスナーの意識と鼓動に訴えかけるようなスタイル」を象徴しているように思います。多くの人が形容するように、あなたのセットに意識を集中していると、まるで地球から宇宙に発射するスペースシャトルのような感覚を得ることがありますが、現場ではどのようなことを考えながらセットを構築しているのでしょうか?

SW:どのスロットをどれくらいの時間プレイするかにもよるが、僕は時間をかけながら「リフトオフ」の瞬間に向けて緊張感を高めていくのがとても好きなんだ。特に長いセットを演奏するときは、呼吸を整え、ゆっくりと「特定のエネルギーのポイント」まで向かっていく。このポイントに到着したら、この原動力を保ち続ける。これが僕のセットにおいて最も重要なことだ。全体的には、まずマインドをリセットするストーリーを創る、それから未知への新たな旅に出るというストーリーだ。でも、さっきも言ったように、すべては自分の出番次第でもある。
 ロング・セットをやるときには、セットの途中で長いブレイクダウンをかけて、ダンスフロアと脳をリセットするのが好きだ。BPMが145くらいで進行しているところで、突然3分のアンビエント・トラックを流してダンスフロアをブレイクさせる。旅は必ずしもまっすぐ継続的に進む必要はない。既成概念にとらわれないようにすることは、DJとしてだけでなく、プロデューサー、ライヴ・アーティストとして、そして新しいオーディオ・ヴィジュアル・ショウにおいても、とても重要なことなんだ。

■いま述べていただいたように、あなたは特定の現場で、ドローンやサイケデリックなエクスペリメンタル、ダウンテンポまでを流すことが多いと思います。BPM、あるいはビートという概念について、どのような考えを持っていますか?

SW:BPMは、僕にはあまり関係ない。もちろん、いまのところ僕がプレイするのは夜のクロージング・タイムや遅い時間帯だから、僕のDJセットは速いペースになることが多い。ただ、僕にとって最も大事な要素はグルーヴ、深み、催眠術なんだ。BPMが80だろうが125だろうが160だろうが関係ない。プログレッシヴなグルーヴ感、根底にある隠れたリズム、ポリリズムの要素がすべてだ。僕が演奏するトラックの中には、とても不思議な音楽的な変化が起こっているので、セットを聴いた人は僕が実際にプレイしたBPMの速さに驚くということがよくある。その音楽的な変化によって、人びとは実際にそこまで速いBPMだとは認識しないんだ。これが「マインド・トリック」と「催眠術」の力だと思う。

■主宰されているレーベル〈MIRROR ZONE〉からは、多くの現代的なトラック、DJツールとしても使えるトラックがリリースされています。レーベルの設立背景や哲学的な信念を教えていただけますか?

SW:このレーベルは2018年にスタートし、僕の人間としての歩みを進化させてきた。〈MIRROR ZONE〉は、あなたと僕、僕たちの社会における立ち位置、そして僕たちが人間としてどのように形成されていくのかの全てだ。
 誰もが自分自身との個人的な旅路を持っている。転んで学び、ありのままの自分を受け入れる。鏡を見る勇気を持ち、毎日より良い自分になろうとする。〈MIRROR ZONE〉は、あなたと僕が経験する人生だ。僕のインナーサークルの中で、友だちたちが人間として美しく興味深い瞬間をたくさん経験しているのを見てきた。すべてのリリースには、コンセプトやストーリーがあり、それはアートワークや詩にも反映され、リリース全体が完全な旅となっている。

■あなたはクロアチアの《Mo:Dem Festival》など大規模なトランス・フェスティヴァルでもプレイをしたDJでもあります。広義の意味でのトランス・ミュージックについて、どのような考えを持っているのでしょうか?

SW:いまのところは、僕にとって「トランス」とは単なる言葉でしかない。もちろん古典的なトランス・ミュージックというサウンドはあるけれど、その定義ははるかに広い。それは、ある瞬間にムード、フィーリングを提示し、共有する特定の方法だ。それだけでなくて、DJセットの中でトラック同士がどのように連動しているかということも重要だと思う。例えば、トラック3がトラック6、10、15と強く繋がってたりね。継続的な繋がりが、雰囲気やマインドセットを創り上げる。僕にとっては、感情と催眠術がすべてなんだ。ヒプノティック(催眠術)という言葉がいまのDJとしての僕を表すのにぴったりだと思うし、これが「トランス」の基本だと思う。

■今回の日本ツアーで共演する K.O.P. 32 が運営するレーベル〈Beyond The Bridge〉からあなたの「Euclidean Doorway EP」が先日リリースされました。K.O.P. 32 と共演するにあたって、何か特別な思いがありますか?

SW:K.O.P.32 とは以前から知り合いだったが実際に会う機会はなかった。だから今回 OCCA と一緒に日本で彼に会えるのが夢のようなんだ。僕たちは、ダンスフロアで一緒に溶け合うことができる「似た者同士」だと確信している。僕たちは同じバックグラウンドを強く共有しているからね。
 彼と一緒にパフォーマンスすることは、間違いなく特別な感覚だ。そうでなければ、彼のレーベルから自分の音楽をリリースすることもなかったと思う。彼に直接会ったことはないけれど、僕たちが一緒に感じ、話すのは銀河の言葉なんだ。それに、彼はとても才能のある素晴らしいアーティストで、僕にとっても刺激的な存在だ! だから、彼と一緒にツアーを回れることをとても光栄に思っている。

■最後に、あなたの初来日公演を楽しみにしているダンス・ミュージック・ファンに向けて一言お願いします!

SW:日本を訪れるのは初めてで、とても興奮している。新しい人たちと出会って、一緒のダンスフロアを共有し、みんなを未知への旅に連れていけることをとても楽しみにしているよ。日本に訪れて、遊んで、探検することは長年の夢だったが、それがついに実現するね!

(Introduction & Interview: Yutaro Yamamuro)

Haruna Yusa - ele-king

 昨年、ソロとしては2作目となる Have a Nice Day! のカヴァー・アルバム『Another Story Of Dystopia Romance』を発表し注目を集めた遊佐春菜。本日、1年ぶりとなる新曲がリリースされている。今回の楽曲は、今後の飛躍が期待される若手バンド Strip Joint の “Liquid” で、もともと英詞だったものを日本語詞にして再構成。夏の一瞬を切りとるようなヴォーカルに注目したい。


「夏の雫」リンク
https://big-up.style/WT6SWhgvvC

Pantayo - ele-king

 パンタヨとはタガログ語で「わたしたちのために」という意味だそうだ。わたしたち、とは誰か。カナダはトロントのフィリピン系のクィア5人組。パンタヨはマイノリティである自分たちのアイデンティティを探るためにフィリピン南部の伝統楽器クリンタンを叩きつつ、思いきりポップなインディ・ポップをやっている。それはもう、一度聴いただけで覚えてしまえそうなキャッチーさで……はじめてパンタヨを聴くというひとは、本作のオープニング・ナンバー “One More Latch (Give It to ’Ya)” を。R&B風の色気のあるメロディを持った一曲だが、そこで妙に人懐こく響く金属音が連打されれば、不思議なトリップ感覚が発生する。なじみ深いようで、同時に聴いたことのない音楽だ、と思う。

 クリンタンの音色と旋律を現行のポップ・ミュージックとミックスするパンタヨのスタイルは、デビュー・アルバム『Pantayo』ではまだアイデア一発勝負という感じだったが(それはそれですごくチャーミングだったのだが)本作ではよりポップ・ソングとしての完成度を高めた曲が目立つ。思いがけずメロウなソウル・テイストがある “Must've Been A Fool"、爽やかなギターがたっぷり鳴るものだからまるでただの北米インディ・ロックのような “Mali”。フィリピン系である彼女たちも(当たり前だが)現代のカナダでは西洋文明や西洋文化の支配下で暮らしているわけで、パンタヨはそのありのままの姿を隠すことはないが、自分たちのルーツを探ることで音楽をオリジナルなものにしてきた。テクノ風のシンセ・リフが聞こえてくる “Dreams” や “Masanguanan”、インディ・ロック風のイントロで始まりつつすぐにクリンタンがメロディを先導する “Sapa(n)ahon” といったインスト曲では西洋のスケールを外れていることがわかりやすく、フィリンピン由来のアイデンティティを言葉よりも音楽のなかから追求している。OKI DUB AINU BAND にとってアイヌに伝わる伝統楽器トンコリがもっとも重要であるように、パンタヨにはクリンタンを鳴らすことが自己表現の発露なのである。
 僕がひとつ気になるのは、イスラム文化と関わりの深い楽器であるクリンタンをクィア・バンドだと公言しているパンタヨが鳴らしていることの意味だ。イスラム圏でも近年は変わってきているとの話も聞くとはいえ(それに、非イスラム圏における多地域でのクィアへのバックラッシュを見ていると、文化や宗教以上に政治的陣営の問題だと感じられることも多い。が、)イスラム文化がクィアに対して厳しい態度を歴史的に示してきたことは否定できない。民族的マイノリティとして、あるいは性的マイノリティとしての経験を歌っているというパンタヨがミックスしているものは、単純にスタイルとしての伝統とモダンよりも大きなものなのかもしれない。
 とはいえ、パンタヨの音楽はアイデンティティ政治が最優先されたものではないと思う。初期パンクのように徹底してDIY精神が貫かれているため聴いていると晴れ晴れとした気持ちになれるし、その上でいろんな音楽にアクセスする身軽さが気持ちいい。パンタヨの愉快な音楽は、個性と呼ばれるものがどこからやって来るのかを僕に考えさせる。少数派としてのルーツとつながることもできるし、必ずしもルーツに縛られなくてもいい。その間を行き来しながら、何よりもアイデアを生かして自分たちにだけ作れるものを目指せばいいのだ。

Ramsay Alternative H.S. - ele-king

Ray Barretto - ele-king

world’s end girlfriend - ele-king

 この春お伝えした world’s end girlfriend の新作情報ですが、ついにリリースが実現することになりました。9月9日発売、LPは4枚組、CDは3枚組の大作です。全リミッター解除で挑んだアルバムとのことなので、そうとうすごいことになっていると思われます。抵抗と祝福──。買って、聴いて、その全貌をつかみましょう。

https://linkco.re/Xuq6T5Cx

world’s end girlfriendが全てのライブ活動を停止し、
全てのリミッターを外して制作された
7年ぶりの新作アルバム「Resistance & The Blessing」
2023年9月9日リリース決定。
全35曲145分収録、LPレコード4枚組(99ドル)、CD3枚組(54ドル)で限定発売。
Bandcampにて先行予約受付開始(7月14日0時より)。
https://virginbabylonrecords.bandcamp.com/album/resistance-the-blessing

ジャケットアートワークを担当したwilquitous による、
この世に咲く花の最終形態のような美しい混沌に満ちた
「IN THE NAME OF LOVE」MUSIC VIDEOも同日公開(7月14日0時公開)。
https://youtu.be/81WkubIWSMs

アルバム「Resistance & The Blessing」は2つの魂が
男女、同性、親子、友人、敵、様々な姿で様々な時代と土地で
出会い、別れ、誕生と死を繰り返し続ける物語であり、
自らの音楽アルバムという表現を極限まで追求した作品でもある。

ゲストに
詩に戸田真琴、
朗読にsamayuzame,
歌にSmany、Itaru baba、
音にarai tasuku, CRZKNY,
ギターに青木裕、
アートワークにwilquitous
等が参加。

world’s end girlfriend “Resistance & The Blessing”

トラックリスト
01. unPrologue Birthday Resistance
02. Reincarnation No.9 - Fire,walk with me.
03. Slaughterhouse (feat. samayuzame)
04. MEGURI
05. IN THE NAME OF LOVE
06. Odd Joy
07. Orphan Angel
08. GODLESS ALTAR Part.1
09. GODLESS ALTAR Part.2
10. Petals full of holes (feat. samayuzame)
11. Eve (feat. Smany)
12. Reincarnation No.9 - More tears are shed over answered prayers than unanswered ones.
13. RENDERING THE TWO SOULS
14. Cosmic Fragments - A.D.A.M.
15. Questions
16. FEARLESS VIRUS
17. Dancing with me
18. Blue / 0 / +9 (feat. arai tasuku, Itaru Baba, Aoki Yutaka)
19. Black Box Fatal Fate Part.1 - MONOLITH (feat. CRZKNY)
20. Black Box Fatal Fate Part.2 - SEVEN SIRENS (feat. CRZKNY)
21. Trash Angels
22. The Gaze of Orpheus (feat. samayuzame)
23. Sacrifice
24. Torture in heaven (feat. samayuzame)
25. Fire on the Lethe
26. Möbius (feat. samayuzame)
27. Before and After Life
28. himitsu (feat. Smany)
29. Cosmic Fragments - Moon River
30. Glare (feat. samayuzame)
31. Tu fui, ego eris.
32. Ave Maria
33. Two Alone (feat. samayuzame)
34. SEE YOU AGAIN
35. unEpilogue JUBILEE

Baxter Dury - ele-king

 バクスター・デューリーの音楽を最初に聞いたきっかけは2018年かそのあたりの時期にインスタグラムでサウス・ロンドンのインディ・バンド、ソーリーやスローダンス周辺の人たちがあげているのを見たからだった。そのとき一緒にイアン・デューリーの息子であると知ったけれど、当時はそうなんだというだけで特に気にとめるようなことはなかった。それよりも気になったのは10代、もしくは20代になったばかりの音楽を志している若者とその若者たちをプッシュして既存の音楽シーンから距離を置いた新たなコミュニティを作り上げようとしている新進気鋭のメディア(『ソー・ヤング・マガジン』)が同時に40代後半のソロ・アーティストをOKだと判断しているということだった。その二者が共通して好意を示しているファウンティンズD.Cシェイムと比べるとバクスター・デューリーはずいぶん違うように思えたし、こういったシーンが巻き起こりそうになっている渦中にあるバンドは上の世代の人間を否定するものなのではないかという思い込みもあった。
 そんな風に気になって2014年の4thアルバム『It's a Pleasure』を聞いたのだが、それで即座に合点がいった。そこでバクスター・デューリーが奏でている音楽はサウス・ロンドンのインディ・シーンのバンドたち(中でもシェイムやゴート・ガール)が手本とし憧れたというファット・ホワイト・ファミリーをもっと穏やかにしたものだったり、あるいはそのメンバーのサウル・アダムチェウスキーとチャイルドフッドのベン・ロマンス・ホップクラフト(彼はWu-Luの双子の兄弟でもある)のインセキュア・メンの現実世界のヴァージョンの音楽みたいに聞こえた。つまりはこのインディ・シーンにしっかりとフィットしたもので、こうした動きからそこに関わる人たちにとって年齢や出自は重要ではなくただコミュニティとしての感覚が合うか合わないかで判断されているのだと感じられたのだ。果たしてバクスター・デューリーは2019年のファット・ホワイト・ファミリーの傑作3rdアルバム『Serfs Up!』の中の1曲 “Tastes Good With The Money” に参加しその感覚が正しかったのだと証明してみせてくれた。もともとサウル・アダムチェウスキーが在籍していたザ・メトロスのプロデュースをしていたという縁があったのかもしれないが、しかし時を経てのここでの邂逅はロンドンのインディ・シーンのなかでのバクスター・デューリーの存在を確かに感じせるものだった。

『It's a Pleasure』以降、2017年の『Prince of Tears』でバクスター・デューリーは囁くような低音のスポークン・ワードを用いるようになり20年の『The Night Chancers』では楽曲も一気にムーディーなものになった。その音楽は現代のロンドンの街をうろつくセルジュ・ゲンズブールの姿を頭に浮かばせるようなものであり、スーツに闇がまとわりつきタバコの臭いが香り、心地の良い気だるさがアルバムの最後までずっと続いていた。バクスター・デューリーの7枚目のアルバム本作『I Tjought I was Better Than You』もその路線を引き継いだものであり、映画のような物語仕立ての音楽の中でバクスター・デューリーはムードたっぷりにこちらに語りかけてくる。
「Hey mummy, hey daddy Who am I?」という問いかけからはじまるこのアルバムは明らかに父・イアン・デューリーを意識したものであり、21年に出版された回顧録『Chaise Longue』のサウンドトラックとしての側面を持ったアルバムなのだろう。しかし音楽単体としてもバクスター・デューリーの魅力は十分に伝わってくる。彼はウエスト・ロンドンに育ち、都会的で、多文化だった子ども時代に抱いていた感情をヒップホップのやり方と流儀をインスピレーションにし自身の音楽を混ぜ合わせこのムードたっぷりの短編映画のような音楽を作りあげたのだ。“Aylesbury Boy” ではケンジントンの高級学校で過ごした時代の退廃的な思い出が、ウージーなプロダクションにピッチを上げたヴォーカルを加えフランク・オーシャン風に仕立てあげた “Celebrate Me” では父の成功といまの自分の姿を照らし合わせ自らの自尊心とそして痛みを確かめるような姿が描かれる。メロウで柔らかなトゲがあり、情けなく逡巡するこのアルバムのバクスター・デューリーのキャラクターは楽曲と相まってどっぷりと緩やかに沈むビートの世界に浸らせてくれる。

 センセーショナルにエピソードを飾り立てることをせずに、2分台、3分台のポップ・ソングとして自身の思い出をテーマにした世界を作り上げるこの美学とも言えるセンスがバクスター・デューリーの最大の魅力なのではないだろうか? 「彼らはあなたを現代のゲンズブールと呼ぶ」「フランク・オーシャンのようになりたいと思っても/でも彼のようには聞こえない/ただイアンのように聞こえるだけ」“Shadow” の歌詞にはそうあるけれど(これを自分の声で歌わないというのがミソだ)僕にはこのアルバムの音楽こそがバクスター・デューリーのスタイルに思える。いくつかの要素を加えかき混ぜて余白を作るかのように七分で止めるスタイルがその世界に浸らせてくれそれが非常に心地よく感じるのだ。
 たとえば “Pale White Nissan” には個人的にも思い出深いフィッシュマンズの “LONG SEASON” がサンプリングされていて、それを中心に組み立てられているのだが、曲の中でそこに存在しないオリジナルの「バックミラーから落っこちていくのは~」という声が浮かびあがり見事に白い日産の車で走る若きバクスター・デューリーの姿と重なる。恵まれた都会での生活といつまでも抜け出せずまとわりつく喪失感、時の流れ、どこまで意識しているのかはわからないが、しかしバクスター・デューリーのこの詰め込まず想起させるスタイルの音楽が想像の余地を生み、組み合わせの中に意味を漂わせる。足りないからこそ継ぎ足せる、好奇心を持って物事に向かい合い、そうして強く主張をせずにムードとして滲み出すことを選択する、僕はそんなバクスター・デューリーの姿に魅力を感じているのかもしれない。彼の近作はどれも素晴らしいのだけど、よりコンセプチュアルとなったこのアルバムはその中でも特にお気に入りのアルバムになるのではないかとそんな予感がしている。

 私はノエル・ギャラガーには我慢がならない。

 私はかれこれもう30年近く彼のことを嫌ってきたが、自分でもそのことが少し引っかかっている。長い間、尋常ではないほどの成功を収め、愛されるソングライターとして活躍し続けているということは、彼は実際、仕事ができるのだろう。かなり個人的なことになってしまうが、これほど長期にわたって、自分がひとりのミュージシャンを嫌ってきた理由を自分でも知りたいのだ。

 1990年代半ばのティーンエイジャーだった私にとって、その理由は極めて単純だった。ブラーとオアシスのどちらかを選ばなければならないような状況で、私はブラー派だった。それでも、『NME』のジャーナリストたち──当時、いまの自分より若かったであろうライターたち──の安っぽい挑発で形成された見解に、大人、しかも中年になってまで引きずられるべきではないだろう。私も少しは成長しているはずだし、大人になるべきだよね?

 当時、私が最初に言ったであろうことは、彼の歌詞がひどいということだ。振り返ると、ノエルの歌詞は、デイヴィッド・バーマンやモーマスが書くような種類のよい詞ではなかったし、そもそもそれを意図していたわけでもなかった。彼らはパンク・ロックな、私のようなミドル・クラスのスノッブや評論家はファック・ユーという立ち位置で、「彼女は医者とヤッた/ヘリコプターの上で」のような狂乱状態とナンセンスな言葉が飛び交う、韻を踏む歌詞で注目を集め、面白がられた。その核心は、おそらく曲の魂が歌詞ではなく音楽に込められていたということで、それが理解できないのは心で聴いていないということなのかもしれない。

 そんなわけで、私が不快感を覚えたのが「心」の部分だったのではないかと思うようになったのである。つまり、ノエルの曲の感情的な部分が安っぽく安易に感じられ、バンドに投影され自信に満ちた威張った態度が、十代を複雑な迷いや疑念のなかで過ごした人間には響かなかったのではないだろうか。

 これは、現在のノエルの音楽に対しては不公平な批評だ。そもそもあの威勢の良さは、リアムと彼の嘲るようなロック・スターのヴォーカルに起因するものだった。ノエルは、ロック・スターとしての存在感がはるかに薄く、声も細くて脆弱な楽器だ。興味深いのは、ノエルとかつてのライヴァル、デーモン・アルバーンの音楽的な野心が大きく乖離するなかでも、彼らのポップ・ソング作りには、むしろ類似性が見られたことだった。二人の、シンガーソングライターたちの小さめで疲れ気味の声が、中年期の哀愁の色彩を帯びるのは容易なことだったから。ノエルの「Dead to the World」を聴くと、デーモンの声で“And if you say so / I’ll bend over backwards / But if love ain’t enough / To make it alright / Leave me dead to the world” (もし君が言うなら / 精一杯努力するよ / でも愛が足りないなら / 上手くやってくれ / 僕にはかまわないで) が歌われるのが、容易く想像できる。

 さらに、ノエル・ギャラガーはハイ・フライング・バーズの新作『Council Skies (カウンシル・スカイズ)』 では以前に比べて謙虚で、少なくとも思慮深い人物であるように感じられる。レコードを通してある種の喪失感に貫かれており、“Trying to Find a World that’s Been and Gone” では、「続ける意志」を持つことについてのお馴染みのリフレインが、たとえそれが無益な戦いであっても意味があるというメランコリックな文脈で描かれている。タイトル・トラックでは、1990年代の野心的な威勢の良さが、ぼんやりとした脆い希望へと変化している。それはおそらく、大富豪となったノエルがハンプシャーの私有地にいても、未だに思い出すだろう公営住宅地の空の下での、存続する誓いにほかならない。

 しかし、必ずしもその内省的な感覚が、歌詞としてより優れているとはかぎらない。初期のオアシスのパンクな勢いなしには、陳腐なものが残るだけだ。アルバムのタイトル・トラックは、“Catch a falling star” (流れ星をみつけて) という名言で始まり、すぐに“drink to better days” (より良い日々に乾杯) できるかもしれないという深淵なる展望が続く。だが、曲はそれでは終わらず、次々と天才的な珠玉の詞が火のように放たれる。“Waiting on a train that never comes”(来ないはずの電車で待つ)、“Taking the long way home”(遠回りをして帰る)、“You can win or lose it all” (勝つこともあれば、すべてを失うこともある)。ノエルの詞に対する想像力のあまりの陳腐さに、私が積み上げてきた彼のソングライティングに対する慈愛にも似た気持ちが、すべて消え去り、苛立ちだけが募り始める。“Tonight! Tonight!” (今夜! 今夜こそ!)、“Gonna let that dream take flight” (あの夢を羽ばたかせるんだ)というライムで、退屈なタイトルがつけられたクロージング・アンセムの“We’re Gonna Get There in the End”にたどり着く頃には、もう自害したくなっている。ノエルの愚かさ(インタヴューでのノエルは、私の反対意見をもってしても、鋭く、観察力があるようにみえる)ではなく、彼がリスナーを愚かだと見くびっているところに侮辱を感じるのだ。

 私は自分のなかに募るイライラを抑制し、少しばかり視点を変えてみる必要がある。

 ノエル・ギャラガーについてよく言われるのは、彼が料理でいうと「肉とポテト」のようなありふれた音楽を作るということだ。これは話者によっては、批評とも賞賛ともとれるが、いずれにしても本質を突いているように感じられる。メロディが次にどうなるのか、5秒前には予測できてしまうのが魅力で、一度歌詞が音楽の中に据えられると、摩擦なく滑っていき、漠然とした感情がそこにあることにも気付かずに通り過ぎてしまいそうだ。これは、細心の注意を払って訓練され、何世代にもわたり変わることのなかった基本的な材料を使って作られた、音による慰めの料理なのだ。 “Love is a Rich Man” を力強く支える同音反復するギター・フックは、ザ・ジーザス&メリー・チェイン(2017)の “The Two of Us ” と同一ではないのか? あるいはザ・ライトニング・シーズ(1994)の “Change” か? ザ・モダン・ラヴァーズ(1972)の “Roadrunner” なのか? それは、それらすべての未回収の記憶であり、蓄積されたロックの歴史のほかの100万ピースが半分だけ記憶された歓喜の生暖かい瞬間にチャネリングされるようなものだ。

 別の言い方をすれば、そこに驚きはない。これは、いつまでも自分らしく、変わる必要はないと教えてくれる音楽なのだ。この音楽は、自分の想像を超えてくるものを聴きたくない人のためのものだ。そして、ここで告白すると、私のある部分は、ノエル・ギャラガーのことが好きなのだ。オアシスとノエル・ギャラガーズ・フライング・バーズ両方のライヴもフェスで観ているし、私の意志とは裏腹に、飲み込まれて夢中になってしまった。九州で友だちとのドライブ中に、彼のカーステレオから “Be Here Now ” が流れてきた時も、20年ぶりに聴いて、それまでそのアルバムのことを考えたことすらなかったのに、すべての曲と歌詞を諳んじていたのを思い出した。結局のところ、決まり文句のように陳腐な表現は、その輪郭が脳裏に刻みこまれるほどに使い古されたフレーズに過ぎない。自分の一部になってしまっているのだ。

 そういう意味で、ノエル・ギャラガーに対する私自身の抵抗は、音楽的な癒しや保守性に惹かれる自分の一部分への抵抗ということになる。何故に? この私のなかの相反する、マゾヒスティックな側面はいったい何なのだろう。なぜ、ただハッピーではいられず、聴く音楽に緊張感を求めずにはいられないのだろう?

 基本的に、芸術作品のなかのささやかな緊張感は刺激的だ。ザ・ビートルズの “ストロベリー・フィールズ・フォーエバー” の冒頭がよい例で、ヴォーカルのメロディは本能が期待する通りのG音できれいに解決する一方、基調となるコード構成の、突然のFマイナーの不協和音に足元をすくわれる。リスナーの期待と、実際に展開されるアレンジの間の緊張感が、聴き手を楽曲の不確かな現実の中へと迷いこませ、馴染みのないものとの遭遇がスリルをもたらすのだ。

 オアシスが大ブレイクを果たしていた頃、ロック界隈で起こっていたもっとも刺激的なことは、ほぼ間違いなくローファイ・ミュージックという不協和音のような領域でのことだった。オアシスのデビュー・アルバム『Definitely Maybe(『オアシス』)』が初のチャート入りを果たした1994年の同じ夏、アメリカの偉大なロック・バンド、ガイディッド・バイ・ヴォイシズがブレイクのきかっけとなったアルバム『Be Thousand』をリリースしていた。彼らもまた、オアシスと同様にブリティッシュ・インヴェイジョンにより確立された、ロック・フォーメーション(編成)の予測可能性をおおいに楽しんでいたが、GBVのリーダー、ロバート・ポラードは、自身が“クリーミー”(柔らかく、滑らかな)と“ファックド・アップ”(混乱した、めちゃくちゃな)と呼んでいるものの間にある緊張感について主張した。彼が“クリーミー”すぎると見做したメロディは、リリースに耐えうるように、なんらかの方法でばらばらにして、曲を短くしたり、やみくもにマッシュアップしたりして、不協和音的なサウンドエフェクト、あるいは音のアーティファクト(工芸品)を、DIYなレコーディング・プロセスから生みだし、馴染みのある流れを遮るように投入するのだった。

 アメリカ人音楽評論家で、プロの気難し屋の老人、ロバート・クリストガウは、『Bee Thousand』を「変質者のためのポップス──上品ぶった、あるいは疎外された、自分がまだ生きていることを思い出すのに、痛みなしには快楽を得ることができないポストモダンな知識人気取りの者たち」と評した。そのシニカルな論調はともかく、クリストガウのGBVの魅力についてのアプローチは功を奏している──そう、快楽は確かに少し倒錯的で、これは音による「ツンデレ」なフェティッシュともいえる。そしてその親しみやすいものと倒錯したものとの間の緊張感が、リスナーの音楽への求愛のダンスに不確かさというスリルを注入してくれるのだ。

 ノエル・ギャラガーがかつて、退屈で保守的だと切り捨てたフィル・コリンズのようなアーティストの仕事にさえ、緊張感はある。ノエルに “In The Air Tonight ” のような曲は書けやしない。ヴォーカルは緩く自由に流れ、音楽の輪郭は耳に心地よく響くが、常にリフレインへと戻ってくる。曲に命を吹き込むドラムブレイクは、繰り返しいじられるが、長いこと抑制されてもいる。ソフト・ロックへの偏見を捨て去れば、フィル・コリンズのサウンドに合わせて、ネオンきらめく映画のなかのセックス・シーンを想像して、深い官能で相互にクライマックスに達することができるだろう。ノエル・ギャラガーの音楽で同じシーンを想像してみても……いや、やはりやめておこうか。私はたったいま、 “Champagne Supernova” を聴いて同じことを想像してみたが、非常に不快な7分半を過ごしてしまった。上手くはいかないのだ。

 ノエルの歌は、ある種の集団的なユーフォリア(強い高揚感)を呼び起こすことに成功しているが、それがほとんど彼の音楽のホームともいえるところだ。彼の歌詞とアレンジの摩擦の少なさは、社交的な集まりの歯車の潤滑油には最適で、リスナーにそのグループの陽気なヴァイブスに身をゆだねること以外は特に何も要求しない。おそらく、アシッド・ハウス全盛期のノエルの青春時代と共通項があるが、その違いはジャンルを超えたところにある。アシッド・ハウスには、「あなたと私が楽しむこと」を望んでいない体制側(スペイスメン3の言葉による)と、我々と彼らとの闘争という独自の形の緊張感が存在した──それはより広い意味でいうと、過去(トーリー党=英国保守党)と未来(大量のドラッグを使用して使われていない倉庫でエレクトロニック・ミュージックを聴くこと)との間の闘争だった。ノエルは明らかにそういった時代と精神に多少の共感を示しつつ、たまにエレクトロニック・アクトにもちょっかいを出しながら、彼自身の音楽は、常に未来よりも過去に、反乱者よりもエスタブリッシュメント(体制派)に興味を示してきたのだ。そして、時折公の場で繰り出す政治や他のミュージシャン、あるいは自分の弟に関するピリッと香ばしい発言には──哲学的、性的、抒情的、あるいは“ポストモダンな知識人ぶった”アート・マゾヒズムであれ、直感的なある種の緊張感は、ノエル・ギャラガーの音楽には存在しないのだ。

 もちろん、このことに問題はない。彼は音楽とは戦いたくない人のために曲を作っているのだし、それを上手にやってのけるのだから。

 この記事を書き始めた時、自分とはテイストの違いがあるにせよ、過去にノエルに対して公平性に欠ける態度をとっていたことを反省し、ソングライターとしての彼の疑いようのない資質を成熟した大人として受け入れ、融和的な雰囲気の結末に辿り着くのではないかと思っていた。しかし、それは彼と彼の音楽にとってもフェアなことではないと思う。平凡さはさておき、彼の真の資質のひとつは、感情をストレートに表現するところだからだ。

 だから、本当のことをいうと、私はいまでもノエル・ギャラガーの音楽が嫌いだ。私のなかの一部分が、彼の音楽を好いているから嫌いなのだ。彼は、私のなかにある快感センサーを刺激する方法を知っている。不協和音のスリルを忘れ、彼の音楽に没入する自分を許してしまい──本気で耳を傾けることを思い出した後に、6分間死んでいたことに気付かされるのだから。


The problem with Noel Gallagher (and why he’s good)written by Ian F. Martin

I can’t stand Noel Gallagher.

I’ve disliked him for nearly thirty years, and this bothers me a little. To have been an extraordinarily successful and well loved songwriter for so long, he must in fact be good at his job. More personally, for me to have hated a musician like that for so long, I want to know why.

As a teenager in the mid-90s, the reason was pretty simple: you had to choose between Blur and Oasis, and I chose Blur. Still, I probably shouldn’t carry into adulthood and middle age musical opinions that were moulded by the cheap provocations of NME journalists — writers who were probably younger at the time than I am now. I should be more mature than that, right?

At the time, the first thing I would probably have said was that his lyrics were bad. Looking back, they certainly weren’t good lyrics of the sort a David Berman or a Momus might write, but they were never meant to be: they were a punk rock fuck-you to middle-class snobs and critics like me, and the way lines like “She done it with a doctor / On a helicopter” jump deliriously and nonsensically from rhyme to rhyme is attention-grabbing and funny. The core of it, perhaps, is a sense that the soul of the song is carried by the music, not the lyrics, and if you can’t get that, you’re not listening with your heart.

So I start wondering if maybe that “heart” is what I found off-putting — that the emotions in Noel’s songs felt cheesy and facile, that the confident, swaggering attitude that the band projected didn’t speak to someone who spent their teens lost in complexity and doubt.

This is an unfair critique to bring to Noel’s current music. For a start, so much of that swagger was down to Liam and his sneering rock star vocals. Noel has far less of a rock star presence and his voice is a thinner, more vulnerable instrument. It’s interesting that even as Noel and former rival Damon Albarn’s musical ambitions have widely diverged, their pop songwriting has also revealed more points of similarity: two singer-songwriters with small, weary voices that easily carry the melancholy tint of middle age. Listen to Noel’s song “Dead to the World” and it’s easy to imagine Damon’s voice singing the lines “And if you say so / I’ll bend over backwards / But if love ain't enough / To make it alright / Leave me dead to the world”.

There’s a sense, too, that Noel Gallagher is a more humble, or at least thoughtful figure than he used to be on his new High Flying Birds album “Council Skies”. A sense of loss runs through the record, with the song “Trying to Find a World that’s Been and Gone” placing a familiar refrain about having “the will to carry on” in the melancholy context of a struggle that’s worth it even though it might be futile. In the title track, meanwhile, the aspirational swagger of the 1990s seems to have faded into a duller and more fragile hope that persists in the promise of the council estate skies that Noel can still presumably remember from his millionaire Hampshire estate.

That greater sense of reflection doesn’t necessarily mean the lyrics are any better, though. Without the punk swagger of early Oasis, all that’s left is cliché. The album’s title track opens with the words of wisdom “Catch a falling star”, swiftly followed by the profound observation that we might “drink to better days”. The song isn’t done though, firing nuggets of poetic genius one after the other: “Waiting on a train that never comes”; “Taking the long way home”; “You can win or lose it all”. The sheer banality of Noel’s lyrical imagination banishes every charitable thought I’ve been building up about his songwriting, and my irritation begins to rise. By the time he rhymes “Tonight! Tonight!” with “Gonna let that dream take flight” on the insipidly titled closing anthem “We’re Gonna Get There in the End”, I want to kill myself. I feel insulted not by how stupid Noel is (he comes across as sharp and observant in interviews, even when I disagree with him) but how stupid he thinks his listeners are.

I need to dial back my annoyance and get a bit of perspective.

An common remark about Noel Gallagher is that he makes “meat and potatoes” music. It’s a comment that’s either criticism or praise depending on the speaker, but it feels true either way. The appeal is that you always know what his melodies are going to do five seconds before they do it, and once placed inside that music, the lyrics glide by frictionlessly: vague sentiments that you barely recognise are even there. This is sonic comfort food made with practiced care from basic ingredients that have remained unchanged for generations — is the chiming guitar hook that anchors “Love is a Rich Man” the same as “The Two of Us” by The Jesus and Mary Chain (2017)? Is it “Change” by The Lightning Seeds (1994)? Is it “Roadrunner” by The Modern Lovers (1972)? It’s the accrued memories of them all, and of a million other pieces of rock history channeled into a warm moment of half-remembered exultation.

To put it another way, there are no surprises: this is music that tells you it’s OK to be yourself forever and never change. It’s music for people who don’t want to hear anything that challenges their expectations. And a confession: a little piece of me does like Noel Gallagher. I’ve seen both Oasis and Noel Gallagher’s Flying Birds live at festivals and both times got swept up in it despite myself. I remember driving with a friend through Kyushu as “Be Here Now” came on his car stereo, and I knew all the songs, all the words, more than 20 years after the last time I heard or even thought about the album. After all, what is a cliché but a phrase so well worn that it’s contours are carved into your brain? It’s part of you.

So my resistance to Noel Gallagher is really a resistance to that part of myself that’s drawn to musical comfort and conservatism. But why? What is this contrary, masochistic side of me that can’t just be happy and needs some tension with the music I listen to?

Fundamentally, a bit of tension in a piece of art is exciting. The opening of The Beatles’ “Strawberry Fields Forever” is a great example, with the vocal melody resolving cleanly on the G note where instinct tells you to expect it, while the underlying chord structure pulls the rug out from beneath you with a dissonant F minor. The tension between the listener’s expectation and what the arrangement actually does sends you tumbling into the song’s uncertain reality and there’s a thrill in this contact with the unfamiliar.

Around the time Oasis were breaking big, arguably the most exciting thing happening in rock music was in the dissonant sphere of lo-fi music. In the same summer of 1994 that Oasis’ debut “Definitely Maybe” first hit the charts, America’s greatest rock band Guided By Voices were releasing their breakthrough album “Bee Thousand”. While they, like Oasis, revelled in the predictability of the same established British Invasion rock formations, GBV leader Robert Pollard also insisted on a tension between what he called “creamy” and “fucked-up”. For him, a melody deemed too “creamy” would need to be mutilated in some way to make it acceptable for release: songs cut short or mashed together in haphazard ways, discordant sound effects or sonic artefacts emerging from the DIY recording process thrown in to interrupt the flow of the familiar.

American music critic and professional grumpy old git Robert Christgau described “Bee Thousand” as “pop for perverts — pomo smarty-pants too prudish and/or alienated to take their pleasure without a touch of pain to remind them that they're still alive”. The cynical tone aside, Christgau nails the appeal of GBV’s approach: yes, the pleasure is a little perverse — the sonic equivalent of the “tsundere” fetish — but that tension between the familiar and the oblique injects the thrill of uncertainty into the courtship dance the listener does with the music.

Even with an artist like Phil Collins, who Noel Gallagher has in the past dismissed as boring and conservative, there can be tension at work. Noel could never write a song like “In The Air Tonight”. The vocals flow loose and free, caressing the contours of the music but always locking back in for the refrain; the drum break that kicks the song into life is teased repeatedly but held back for so long. Get over your soft rock prejudices and you can imagine a deeply sensual, neon-bathed movie sex scene that reaches a mutually satisfying climax to the sound of Phil Collins. Imagine the same scene set to the music of Noel Gallagher… or maybe don’t. I just spent an uncomfortable seven and a half minutes listening to “Champagne Supernova” while trying to picture it, and it just doesn’t work.

What Noel’s song does succeed in evoking, though, is a sort of collective euphoria, and that’s where his music is most at home. The frictionlessness of his lyrics and arrangements work best lubricating the gears of social gatherings without demanding anything much from the listener other than that they submit themselves to the buoyant vibe of the group. It shares something, perhaps, with Noel’s youth during the height of acid house, but the differences go further than genre. Acid house had its own tension in the form if an us-and-them struggle with an establishment that didn’t (in the words of Spacemen 3) “want you and me to enjoy ourselves” — which is to say more broadly between the past (the Tory party) and the future (taking massive amounts of drugs in a disused warehouse while listening to electronic music). While Noel clearly has some sympathy with that era and ethos, and has flirted with electronic acts on occasion, his own music has always been more interested in the past than the future, more establishment than insurgent. And for all his occasionally spicy public remarks on politics, other musicians or his brother, a visceral sense of tension — whether philosophical, sexual, lyrical or “pomo smarty-pants” art-masochism — has no place in Noel Gallagher’s music.

This is fine, of course: he makes songs for people who don’t want to fight with their music, and he is very good at it.

I thought, when I started to write this, that I might end there, on a conciliatory note, with the realisation that I’d been unfair on Noel in the past and with a mature acceptance of his undoubted qualities as a songwriter, despite my differences in taste. But I don’t think that would be fair to him or his music either: for all his banalities, one of his genuine qualities is that he is a straight shooter emotionally.

So in truth, I still hate Noel Gallagher’s music. I hate it because a part of me likes it. Because he knows how to work that little part of me and stimulate those pleasure sensors. Because I let myself forget the thrill of the dissonant and sink into it — until I remember to really listen, and then I realise I’ve been dead for six minutes.

Ryuichi Sakamoto - ele-king

 2000年代以降の坂本龍一は、この時代だけでひとつの物語だ。『async』をはじめとする彼の大胆な挑戦は、これからさらに語られていくことだろう。そんな坂本の、音楽的冒険の契機のひとつとなったのは、アルヴァ・ノトやニューヨーク〈12K〉との出会いだろう。
 
 今週木曜日、7月13日から10月15日までの3ヶ月のあいだ、〈12K〉のレーベルメイトが中心となって完成した坂本龍一追悼盤がリリースされる。計41人のアーティストによる5枚組。まずはそのメンツを見て欲しい。そしてぜひ聴いて欲しい。
 

坂本龍一追悼盤 『Micro ambient Music』

小さなものにこだわり続けた坂本龍一の音に呼応した
41名の音楽家たちによる追悼

全未発表39曲。3ヵ月間の限定公開。

「アンビエントは僕の手を離れた」とブ゙ライアン・イーノが言うほど、アンビエント・ミュージック(環境音楽)の解釈は広がっている。その中で坂本龍一が求めた「環境、音楽、音」は何であったのか。坂本が所属していたニューヨーク「12K」のレーベルメイトが中心となって集められたこの追悼盤で、その一部が解き明かされる。

ここからもまた、坂本の「音」は広が゙り続ける。

公開期間:2023年7月13日(木)~2023年10月15日(日)

特設サイト:http://microambientmusic.info/
*Bandcamp 販売のみ 1タイトル 1,800円 5枚セット 5,500円
※収益金の一部は Trees For Sakamoto に寄付されます。

参加アーティスト
Alva Noto, AOKI takamasa, ASUNA, Bill Seaman, Chihei Hatakeyama, Christophe Charles,
Christopher Willits, David Toop, Federico Durand, hakobune, Hideki Umezawa,
Ian Hawgood, ILLUHA, Kane Ikin, Kazuya Matsumoto, Ken Ikeda, Lawrence English,
Marcus Fischer, Marihiko Hara, Miki Yui, Nobuto Suda, Otomo Yoshihide,
Rie Nakajima and David Cunningham, Sachiko M, Sawako, Shuta Hasunuma,
Stephen Vitiello, Stijn Hüwels, SUGAI KEN, Takashi KOKUBO, Taylor Deupree,
Tetuzi Akiyama, The Factors, Tomoko Sauvage, Tomotsugu Nakamura, Tomoyoshi Date,
Toshimaru Nakamura, Tujiko Noriko, Yui Onodera

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