Home > Interviews > interview with Wu-Lu - 世界が変わることを諦めない音楽
強烈な新人の登場だ。
まずは “South” を聴いてみてほしい。グランジのようにも民俗音楽のようにも聞こえるギターとさりげないダブ処理に導かれ、コーラスではメタルのグラウルが炸裂、客演のレックス・アモーによる流水のごときラップがしんがりをつとめている。サウンドだけでじゅうぶんすぎるインパクトを与えるこの曲は、「ボトルの散らばったボロボロの団地の生まれさ」「高額過ぎて変わらざるを得なかった/家賃が高いんだ」と、明確にジェントリフィケイション(街の高級化)とそれがもたらすコミュニティの破壊をテーマにしている。MVも印象的だ。団地を練り歩く彼と仲間たち、そこへつぎつぎと差し挟まれるブラック・ライヴズ・マターの抗議者たちの写真。資本主義と人種差別、それらが別物ではないことを彼は見抜き、怒っている。プロテスト・ミュージック──と言うと古臭く感じられるかもしれないが、それはいまもこうして更新され受け継がれているのだ。
男の名はマイルス・ロマンス・ホップクラフト。またの名をウー・ルー。彼はどこから来たのか?
生まれはロンドン南部のブリクストン。アフロ・カリブ系の多く暮らす街だ。父は白人トランペット奏者で、母は黒人ダンサーだった。DJシャドウやゴリラズ、ヒップホップDJのドキュメンタリー映画『Scratch』、母が職場から持ち帰ってきたトランスやジャングルのレコードなどから影響を受けつつ、初期〈DMZ〉のパーティに参加しマーラ&コーキを体験してもいる彼は、他方でスケボーゲームのサントラを介しラップ・メタルやポップ・パンクに入れこんでもいる。
おもしろいのは、この雑食的プロデューサーがまずロンドンのジャズ・シーンとの関わりのなかから頭角を現してきたところだろう。2010年代後半、彼はLAビート以降の感覚を表現するトラックメイカーとしていくつかのEPを制作するかたわら、オスカー・ジェロームやジョー・アーモン・ジョーンズ、ヌバイア・ガルシアやザラ・マクファーレンといった音楽家たちとコラボを重ねている。
一方でウー・ルーは10代のころに出会ったドラマーのモーガン・シンプソン(今回も “Times” に参加)を通じ、早くからブラック・ミディともつながりを持ってきた。ジャズ・シーンとインディ・シーン双方を股にかけることのできるアーティストはそう多くないだろう。ストレートに抗議の音楽を発信するウー・ルーとあえて政治性を匂わせないブラック・ミディが接点を有していたことも、文化的観点から見て興味深い。
満を持して送り出されたファースト・アルバム『Loggerhead』は、それら複雑なウー・ルーの背景すべてが凝縮された作品になっている。ヒップホップ、ダブ、ジャズ、パンク、メタル、グランジが混然一体となったその音楽性は、一見ネット時代にありがちな「なんでもあり」の典型のように映るかもしれない。しかし彼のサウンドには不思議な一貫性が感じられる。アルバム全体を覆うラフでざらついた触感と、けっして軽いとは言えない諸テーマのおかげだろう。リリックが重要な作品でもあるのでぜひ対訳つきの日本盤で聴いてもらいたいが、たとえば “Calo Paste” は貧困問題を、“Blame” は人種差別問題を、“Times” はメンタルの問題(=社会の問題)を、“Broken Homes” は崩壊した家庭の問題を、みごとなアートとして表現している。
昨日ボリス・ジョンソンの辞意表明が話題になったばかりだけれど、コミュニティに生きる人間として強者ではない立場から世を眺め、激しくも冷静さを忘れない音楽をプレゼントするウー・ルーの『Loggerhead』は、脈々とつづいてきたプロテスト・ミュージックの最新型として、世界が変わることを望んでいる。
じつはちょうどこの記事の公開準備を進めている最中に安倍元首相被弾のニュースが、そしてたったいま訃報が飛びこんできた。銃撃の場面を模したアートワークはあまりにタイムリーなものとなってしまったが、むろんこれは意図としては逆で、警察などが弱者を襲うシーンだろう。いずれにせよ、混迷をきわめるこの世界のなかで変革を諦めようとしない本作は、いちるの希望として鳴り響くにちがいない。
Scrambled Tricks
頭がおかしくなりそうだった。「なんなんだ、これは!」って。それで彼(DJシャドウ)がドラムも叩いてスクラッチもやってキーボードも弾くマルチ奏者だとわかって、「これだ、自分もこれをやる」、これをやらなければならないんだと思ったわけさ。
■サウンドクラウドのもっとも古いポストは2014年の “See You Again” ですが、音楽をはじめたのはいつからで、そのときはどのような活動をしていたのでしょう?
マイルス・ロマンス・ホップクラフト(Miles Romans Hopcraft、以下MRH):いつだったかなぁ……11とか12くらい? トランペットを吹いてたよ。父親がトランペット奏者だったから、この楽器がいいかなと思って。それでうまくなって双子の兄弟と父が参加していたスカのバンドで演奏したり。それで自分でビートつくったりしはじめたのが14、15歳くらい。父にどうやって音楽を録音しているのか訊いて、それで Reason で音楽をつくりはじめたのが2000年初期、2003年、04年くらい。友だちのレミってやつとダニエルってやつと Matted Sounds っていうグループを組んで、トリップホップっぽいダブステップっぽい感じのことをやっていた。それからDJに興味が出て、ターンテーブル、ジャングル、ヒップホップにどっぷりハマって。スクラッチとかね。それからサンプリングってものを知って、DJシャドウがたんなるDJではなくてじつはプロデューサーだということを知ったんだ。MPCを使っているとか。そのころの俺は「MPCってなに」状態で、すぐにプロデューサーにはならず、兄弟でバンドをやったりしてたんだよ。だから頭の片隅にDJのことがありつつ、父と兄弟でライヴをやっていて、それがフュージョンして、ある時点でひとつのものになった感じかな。
■初めて世に発表したまとまった長さを持つ作品は、2015年のミックステープ「GINGA」で合っていますか?
MRH:そう。それまでつくってきたいろんなものを融合させながら、音楽的に自分がどの辺に存在したいのかを確かめようとしていたというか。たんにヒップホップのビートをつくってラッパーに提供したり、ダブステップのビートをDJ用につくるだけじゃないなっていうのは思っていて。当時は DJ Mileage って名前でダブステップをやっていて、MCにトラックをつくったりしてたんだけどさ。というか(「GINGA」以前も)ヘクターって連れと Monster Playground 名義でリミックスを出したりしていて。だから「GINGA」は俺が名前をウー・ルーに変える前にやっていたことを融合させた、初のオフィシャルなウー・ルー作品。自分にとっての契機になったと思う。ゴリラズのファースト・アルバムがブラーのシンガーにとってターニング・ポイントになったのと似たような意味で。自分がやらなきゃいけないのはこれだと思ったんだ。
■反響はどうでしたか?
MRH:よかったよ。けっこうすぐ完売した。あのテープを心から信じてくれた友だちもいて、発表の仕方を一緒に考えてくれた友だちもいた。自分としてはただテープをつくって棚に並べて、さあどうなるかやってみようって感じだったけどね。そしたら、すごくいいと言ってくれるひとたちがいたんだ。これはなにかがちがう、トリップホップでもないしジャズとも言えないしっていう、あえて言うならば当時のシーンのフィーリングがあらわされているもの、という位置づけだった。とにかくかなり好評だったね。あれがきっかけで道が開かれたわけだから、もしかして自分がやったことのなかであれがいちばんいいことだったのかもしれない。自分としても、ジャンル分けできないっていうのはいいことだと思った。聴いたひとそれぞれが好きなように俺の音楽を解釈するようになったんだ。
モーガン(・シンプソン)を通じてブラック・ミディの他のメンバーとも会って、ある意味弟と兄みたいな感じでアドヴァイスしたり、キャリア初期に彼と出会えて美しい関係が築けたことを本当に嬉しく思っているんだ。
■2018年にはオスカー・ジェロームのEP「Where Are Your Branches?」をプロデュースしています。同年のご自身のEP「N.A.I.S.」にはジョー・アーモン・ジョーンズが、翌2019年の「S.U.F.O.S.」にはヌバイア・ガルシアが参加していました。2020年にはザラ・マクファーレンのアルバム『Songs Of An Unknown Tongue』をプロデュースしています。モーゼス・ボイドとも友人なのですよね? サウス・ロンドンのジャズ・シーンと関係が深いように映りますが、そのシーンにはどのようなシンパシーを抱いていますか?
MRH:すごくおもしろいのは、いまあがった音楽の多くは、リリースされた時期は言ったとおりなんだけど、たとえばヌバイアが参加した曲はじつは2017年に録ったものだったりと、つくられた時期は前後してて。というのもみんな近所に住んでいたからね。ブリクストンとかあの周辺。だからある意味自然とそういうことが起こったんだ。モーゼスとは Steve Reid Foundation がきっかけで会って、しかも当時俺が関わっていたスタジオの超近所に彼が住んでいたり。オスカーとジョーは SumoChief ってバンドをやっていて、俺が SoulJam ナイトでDJしてるときに来ていたり。本当にごく自然に、ジョーがたまたまそこにいて、この曲気に入ったならちょっとキーボード弾いてくれないか? とか。ヌバイアのときもその日にひょっこり来て、曲をかけたらすごく好きだって言ってくれて、ワンテイクだけサックスを吹いてくれて。いま言ったひとたちはみんなおなじ勝ち方を目指していたんだよ。つまり互いに助けあって、みんななにかしらポジティヴなことをやろうとしているだけなんだ。
■先ほどDJシャドウの名前があがりましたが、あなたがもっとも影響を受けたアルバムは彼の『Endtroducing...』ですか? 同作のどのような点があなたを突き動かしたのでしょう?
MRH:ちょうどここに来るまでの移動中も聴いていたよ。べつにこの作品を最初から最後まで通しで聴いて影響を受けたってことじゃないんだ。当時はCDなんて贅沢なもんは持ってなかったから。友だちからもらったMDとかMP3とかを断片的に聴いてただけだった。まず『SCRATCH』って映画を観たんだよ、98年とかそのくらいだったかな。俺はもう夢中で観て、そこに彼も出ていた。ほかにもDJキューバートとかマッドリブとかミックス・マスター・マイクとかビースティ・ボーイズ、カット・ケミストなんかも出てて。それで彼が画面に映ってレコードをディグる話とかをしている後ろで曲がかかってて。その曲がかかった途端、畏敬の念を抱いて「これすげえ」となりながら、彼が制作過程とか精神面の話とかをするのを聞いていて。それで彼がつくった “Dark Days” って曲の話になって、「ん? つくった? このひとただのDJじゃないのか」と思って。それで後日友だちが “Midnight In A Perfect World” を聴かせてくれて、「そう、この曲だ、ヴィデオを観たときにかかってたやつ」ってなって。そしたら友だちが「じゃあ “Building Steam With A Grain Of Salt” は聴いたことあるか?」と言いつつべつの曲をかけてくれて、もう俺は頭がおかしくなりそうだった。「なんなんだ、これは!」って。それで彼がドラムも叩いてスクラッチもやってキーボードも弾くマルチ奏者だとわかって、「これだ、自分もこれをやる」、これをやらなければならないんだと思ったわけさ。
■他方でニルヴァーナやコーン、ザ・オフスプリング、リンプ・ビズキットやスリップノット、ブリンク182といったグランジ、メタル、ポップ・パンクもよく聴いたそうですね。それらメジャーなロック・ミュージックの、どういったところに惹かれたのですか?
MRH:その辺は、基本的にスケートボードとセットみたいな感じだったね。昔よく「お前は何者だ?」って聞かれて最初はなんて答えればいいかわからなかったけど、そのうち「俺はグランジャーだ」となったんだよ。好きだったのは、情熱の部分というか、エモーショナルな曲が大好きで、特にザ・オフスプリングは速いから好きで、なにかムカつくことがあったら大音量でかけて部屋で発散したりさ。あとスケートボードってところで『トニー・ホークス プロスケーター2』(2001年に発売されたヴィデオ・ゲーム)の音楽もあったし(サウンドトラックはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやバッド・レリジョンなどを収録)。友だちのレミはパンク系がそうでもなかったけどスケートボードは好きだったから、彼からはヒップホップ面で影響を受けたよ。長いドレッドでストライプのTシャツ着てたり、当時彼はルーツ・マヌーヴァとかレゲエが好きだったんだけどさ。ゴリラズも彼に教えてもらったんだよ。というか正確に言うと、あのアルバムの “Clint Eastwood” 以外の曲を教えてもらったんだ、俺はひたすら “Clint Eastwood” を聴いてたから。それで俺の頭にスケートボードとそういった音楽の組み合わせもインプットされたというね。
Blame / Ten
もう我慢の限界だっていうことを言っているんだ。ブリクストンは本来カリブ人の地域で、そのアフリカ系カリブ人コミュニティが地域を支え、発展させてきたことは否定できない。それなのにデヴェロッパーが来て地域を占領して、こじゃれた店ができてもともといたひとたちは住めなくなって。
■『Loggerhead』にはヒップホップやダブなどさまざまな要素がミックスされていますが、やはりロックの比重がかなり大きいように感じました。あなた自身の表現を展開するうえで、仮にロック・ミュージックの手法がもっとも適しているのだとしたら、それはなぜでしょう?
MRH:いちばんまとまっていると感じた曲を選んだらそうなったという感じかな。もっとリラックスしていたり静かな曲もあったんだけどね。ここ3、4、5年くらいのサウンドにたいするアプローチがそうなってたかもしれない。自分のなかでどんどん強くなってきたというか、ほとんど一周まわった感じもする。メタルっぽい、グランジっぽいサウンドへ戻りつつ、ドリルとかジャングルな感じもあって。でもたぶん日記を書くようなものだよ。つくったときの自分がどういうところにいたかっていうことを示している。でもすでにいまの自分はそこから先に進んでいるけどね。つねに発展しつづけていて、その自分自身に追いつこうとしているんだよ。
■“Times” にはブラック・ミディのモーガン・シンプソンが参加しています。彼とは「S.U.F.O.S.」でもコラボしていましたが、彼とはどのように知りあったのですか?
MRH:〈MIC〉っていうインディペンデントのドープなレーベルをやってるニコールを通して知りあったんだ。あるとき彼女から連絡があって、「今度ユース・プロジェクトをやることになって何人かでジャム・セッションをやるから参加してほしい」って誘われて、それで行ってみたら、「近所に住むモーガンって子もあなたたちに会ったら喜ぶんじゃないかと思って誘った」と言うわけ。それで彼がドラムに飛び乗って叩いたら、おお……スゲーのが来たなと。たぶんまだ17歳とか、19歳とか、覚えてないけど、とにかく若かったんだよ。それで「彼はブラック・ミディっていうバンドをやってるからチェックしてみて」とニコールが教えてくれて。その時点で俺はまったく知識がなくて、でも名前からして全員黒人でキーボードでファンクとか弾いてるんだろうと思った。それから少し経って弟がブラック・ミディのことを話しはじめて、だから「俺そのバンドのドラマーと会ったよ」ってなって。それで俺のバンドって入れ替わりが激しくて、基本的には俺が音楽をつくっていろんなひとがセッション・プレイヤー的な感じで出たり入ったりするという感じなんだよ。だからモーガンにもギグでドラム叩かないかと声をかけて実際何度かギグをやって。彼はとんでもなく、笑っちゃうくらい最高だった。そのあとも「スタジオで一緒にビートつくろう」って誘って、彼がドラムで俺がギターで延々とジャムったりね。それで短期間で親しくなって、モーガンを通じてブラック・ミディの他のメンバーとも会って、ある意味弟と兄みたいな感じでアドヴァイスしたり、キャリア初期に彼と出会えて美しい関係が築けたことを本当に嬉しく思っているんだ。
■ブラック・ミディ、あるいはほかのサウス・ロンドンのインディ・バンドたちに共感する部分はありますか?
MRH:もちろん。100%ある。ジョーやヌバイアやモーゼスとも同じだよ。ノアの方舟というか、もし俺が勝つとしたら全員勝つんだって思ってるから。それも今作でいろんなひとをフィーチャーしている理由なんだ。自分ひとりでつくることも可能だったけど、でも俺がどういうひとたちと一緒に音楽をつくっているのか世界に知ってほしかったんだよね。
■「Wu-Lu」という名前は、エチオピアで話されているアムハラ語で「水」を意味する「ウー・ハー(wu-ha)」をもじったものだそうですね。なぜそのことばを選んだのでしょう?
MRH:だいぶ若いころだけど、ラスタファリにハマってたんだ。それでアムハラ語を勉強しようと考えて、まず自分の感覚をあらわすことばを覚えようと思った。それで水ってなんて言うんだろうとなって。水はひとに潤いを与えてくれて、流動的で、エモーショナルで、どんな形にもなって、割れ目から浸透していくという。自分がやることすべてにおいてこうなりたいと思ったんだ。そしてこの「wu-ha」ということばを見つけた。それで、「wu-ha」もいいけどなんかバスタ・ライムスの「Woo hah woo hah」言ってるやつ(“Woo Hah!! Got You All In Check”)みたいだなと思って、絶対イジってくるやつがいるだろうから嫌だなと。それで「Lu」に変えたんだ、そっちのほうが流れる感じがあるから。さらにあとから聞いた話によると、どうも「wulu」って中国の詩のことでもあるみたい。まあそれは由来ではなくて、正直自分では新たにことばをつくったと思ってたけどね。
■アルバム・タイトルはアカウミガメ(Loggerhead turtle)が由来で、ひとりきりで海に浮かんでいるイメージを思い浮かべたそうですね。“Night Pill” も「俺は分離されている」という一節からはじまります。この孤独感は、社会や制度の問題に起因するものですか?
MRH:そのことばにはふたつの意味があるんだ。タイトルを考えていたときに、あるひとと意見の対立について話していて。そのひといわく、対立(「at loggerheads」というイディオム)はなくならないと。それでこのアルバムを考えたときに、けっこう自分が「俺の考えはこうだ。だれにも文句は言わせねえ」みたいに遠慮なく言っていると思って。でもそういう考え方って孤立しやすかったりもする。もしだれも賛同してくれなかったらじっさいひとりきりだよね。だからもともとは「at loggerheads」というイディオムが由来だけど、このことばをググってみたらカメのことがわかった。それで、これはすごくコンセプチュアルでいいかもしれないと。つまり一匹の大きなウミガメが紺碧の海を泳いでいるという。海や水が出てくる歌詞もあるしね。そういう部分にも引っかけてるんだ。
■大きな注目を集めた “South” の歌詞はジェントリフィケイションを扱っていますが、MVはブラック・ライヴズ・マターのプロテストとリンクしています。この曲は、階級格差と人種差別が結びついていることをほのめかしているのでしょうか?
MRH:それはつねにあるというか、あの歌詞はBLMの時期に書いたものではないけど、明らかにクロスオーヴァーする。文化を通じて多くのものを与えてくれた地域や人びと、状況が、もう我慢の限界だっていうことを言っているんだ。ブリクストンは本来カリブ人の地域で、そのアフリカ系カリブ人コミュニティが地域を支え、発展させてきたことは否定できない。それなのにデヴェロッパーが来て地域を占領して、こじゃれた店ができてもともといたひとたちは住めなくなって。地域の変化はもう歴然としていた。それは本当にふざけるなだし、だから “South” はみんながもう我慢できないという時期だったんだ。イギリスには依然として不平等があるし、BLMにも通じるものがあるんだよ。
■ウー・ルーの音楽にはロウファイさがあり、ひずみもあります。それはクリアでハイファイであること、いわば音のジェントリフィケイションにたいする反抗ですよね?
MRH:自分にとってはアナログなものってエモーショナルなんだよね。居心地がよくて、レコードを聴いている感覚を思い出させてくれるというか、音楽にハグされている気分になるというか。俺はスマホで育った世代じゃないし、部屋でレコード盤やCDをデカいコンポで聴いたり。ひずみでちょっとザラつくと感情が高まるんだ。
Broken Homes
質問・序文:小林拓音(2022年7月08日)