「Nothing」と一致するもの

Haruna Suzuki - ele-king

Best 10 songs from Sublime Frequencies (including related ones)
崇高なる周波数(とその周辺)から10曲

R.I.P. 冨田勲 - ele-king

 冨田勲先生(と見ず知らずの方なのに「先生」とすることをお許し頂きたい。しかし、「先生」としか呼びようがないのだ)の音楽は、ある世代以降の日本人における「無意識の記憶」のようになっている部分があるように思える。

 たとえば、あの有名な『月の光』『展覧会の絵』『火の鳥』『惑星』を初めとする歴史的なシンセサイザー・アルバムは、「電子音楽」の大衆化における日本人の無意識だったといえるし、『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『どろろ』などの60年代の虫プロダクション制作の手塚治虫原作のTVアニメや『キャプテンウルトラ』や『マイティジャック』などの特撮ドラマは、ある世代の「幼年期」の記憶だし、『新・平家物語』(1971)などのNHK制作の大河ドラマ、『新日本紀行』、『きょうの料理』のテーマ曲などは、ある時代の「お茶の間」の記憶であった。もしくは冨田先生から松武秀樹氏、そしてYMO(以降)へという影響力。つまり、1960年代以降を生きてきた「戦後」日本人は、なんらかのカタチで冨田先生の音楽(とその影響力)を耳にしていたはずなのだ。

 その意味で、冨田勲先生はシンセサイザーによるイノベイティヴな作品を生み出した革新的な音楽家であると同時に、夢と希望を分け隔てなく与えた「戦後日本」を象徴する偉大な大衆音楽家でもあった。その楽曲の多くはTVのむこうの側の映像とともにあった。そして、その音楽・楽曲は、われわれ日本人の「平和な時間」の記憶と、幸福に重なりあってもいる。

 今年はデヴィッド・ボウイが、ピエール・ブーレーズが、グレン・フライが、モーリス・ホワイトが、ジョージ・マーティンが、キース・エマーソンが、ニコラウス・アーノンクールが、プリンスが相次いで現世を去った。この偉大な音楽家たちがいない「世界」など、本当に私たちが生きてきた「あの世界」なのだろうか。この「世界」は、いつのまにか別の並行世界へと移行してしまったのだろうか、そんな想いにとらわれていた矢先、驚くべきことに、そこに冨田勲先生の名まで加わってしまった。呆然とするなというほうが無理というものだ。2016年はなんという年なのだろう。

 正直にいえば「デヴィッド・ボウイの死」と同じくらいに、いや、それ以上に、「冨田勲の死」という事実は、私の乏しい言語回路にはストックされておらず、その訃報を目にしたときも、いやいまも、思考は止まっている。どうすればいいのかわからない。何をいうべきかわからない。あえていえば「冨田勲の死」というものほど現実感のない死もない。いや、もしかしたら、ご本人がもっとも現実感がないかもしれない。冨田勲先生は、すくなくとも120歳くらいまでは、元気に最先端のテクノロジーと音楽の可能性を信じて創作活動をされているものと思い込んでいた。とはいえ死はいつも、いつでも唐突だ。そして、死は、私たちの現実認識よりも、ほんの少し先に訪れる。となれば現世を生きるものの慎みとして、その死を静かに受け入れるしかない。それはわかる。辛く、悲しいことではあるが。

 私個人の経験でいえば冨田勲先生の楽曲こそ、上記の偉大なる音楽家たちの中でもっとも最初に聴いた音楽だった。世界中のテクノ・ゴッドから愛される、あれらシンセサイザー・アルバムではない。自分は1971年生まれだから冨田先生の作品に直撃された世代の先輩方より、やや下の年齢になるので、それら名盤をギリギリ、リアルタイムでは聴いていない。

 では何か? といえば、忘れもしない小学校一年生のとき、夕方に再放送されていた『リボンの騎士』のテーマ曲であった。当時、巨大ロボットアニメに夢中な少年が、なぜ『リボンの騎士』を観たのか? といえば不思議といえば不思議だが、その理由としては冨田先生の筆によるテーマ曲の存在が大きかった。私はあの曲が好きだった。あのオープニングの鐘の音からはじまるあのビッグバンド・ジャズの構造をポップなライト・クラシックに置き換えたような瀟洒な楽曲は、夕方のほの暗いムードから、一気に西欧世界へと連れていってくれるような、なんともいえぬ夢のような感覚を与えてくれた。それは幼少期の幸福で、官能的な記憶でもある。

 いま、同曲を聴いてみると、そのシンコペーションするメロディは、とてもわかりやすく、かつ、まったく下品ではないという、いわゆる「幼年もの」としては、ほとんど完璧に等しい楽曲である。さらにその楽曲の運動は、手塚アニメの上品な砂糖菓子のような絵柄と完璧にシンクロしており、アニメーション音楽としても完璧だ。『ジャングル大帝』もそうだが、虫プロ制作の手塚アニメ特有の「品の良さ」は、冨田勲先生の音楽の功績がとても大きいように思える。さらにいえば、このシンコペーションするメロディは、「あ」「い」「う」と一音のリズム感に乏しい日本語と言語に、弾むようなリズムを乗せていく手法として、たとえば細野晴臣から小沢健二、さらには小室哲哉から中田ヤスタカにまで至る日本の大衆音楽の基本形のようにも思えてならない。むろん、当時の私は、ただメロディにウキウキしていただけであるが。しかし、この「ウキウキ」感覚こそ、音楽の「希望」の正体ではないか。冨田勲は「希望」の音楽家なのだ。

 近年では初音ミクを起用した壮大な「イーハトーヴ交響曲」を作曲し、本年11月に公演予定であった「ドクター・コッペリウス」もまたミクを歌姫とする交響曲であったという。新しいテクノロジーへの好奇心と信頼と飽くなき挑戦。常識にとらわれない自由な創作。そして何より冨田先生はつねに(そしてたぶん、現世での使命をいったんは止めたいまも)、未来への希望と可能性に対して、一点の曇りもなかったと思う。その視線の先に見えていたものを「希望」というのは簡単だが、そこにこそ氏の人生観の本質があったのだと思うと、その意味はとても重い。だからこそ、そんな先生の突然の訃報を前にすると残されたわれわれはどうすればいいのかと途方に暮れてしまうのだが、しかし、遺されていった楽曲は膨大であり、しかも、私たちは、それらが可能性の宝庫であることも知っている。あらゆる偉大な芸術家がそうであるように、私たちは、この偉大な作曲家のすべてを知っているわけではない。ゆえに氏の作品はいまだ生きているし、それは永遠でもある。そう、それは夜明けのように永遠なのだ。

 日本には、「冨田勲」という音楽とテクノロジーの可能性と、その未来を信じた「希望」の音楽家がいた。こんなに嬉しいことはない。この事実こそが、私たちの「希望」である。いまはそう信じたい。冨田先生、私たちに「希望」をありがとうございました。

Anohni - ele-king

 これまでアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ名義などで発表されたアントニー・ヘガティの楽曲は、ギター、ベース、ドラムスを中心とする伝統的なバンド編成であっても不思議な音響性があった。いわばヴェルヴェット・アンダーグラウンド的な空間的な楽器配置を継承するものだと思うのだが、そこにあってアントニーのヴォーカルは浮遊していた。浮遊する非=中心的な存在? それが、アントニー・ヘガティのヴォーカルの魅力のように思える。どこにも属していない感覚とでもいうべきか。

 その声は、まるで黄泉の国への旅立ちのように衣装を纏ってもいるようにも聴こえた。この衣装こそが、ジョンソンズのサウンドであったのはいうまでもないが、私はその点においてこそアントニーの音楽が「ロック」の末裔にあると確信している。「ロック」とは「死」へと至る「生」を着飾る衣装=モードの音楽だ。資本主義という死の市場を生きる芸術? しかし「死」への過程はひとつではない。生が複数の層によって成り立っているように、「死」の過程もまた複数的といえる。ゆえに複数の衣装(モード)を身に纏う必然性があるのだ。

 「電子音楽」(もしくはパフォーマティヴに未知の音色を探求するという意味で60年代以降の「実験」音楽も加えてもいいだろう)は、ロック史における、衣装(モード)のひとつである。電子音楽(もしくは実験音楽)と「ロック」のマリアージュは多種多様だ。ざっと思い出すだけでも、ピエール・アンリとスプーキー・トゥーズ、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、ロジャー・ウォーターズとロン・ギーシン、トニー・コンラッドとファウスト、ブライアン・イーノとデヴィッド・ボウイ、坂本龍一とデヴィッド・シルヴィアンのコラボレーションなど枚挙に暇がない。テクノからエイフェックス・ツインとフィリップ・グラスのコラボレーションを加えてもよい。さらにはラ・モンテ・ヤングとジョン・ケイルの関係、ザッパにおけるエドガー・ヴァレーズからの影響、シュトックハウゼンに師事したホルガー・シューカイのサウンド、ソニック・ユースの現代音楽への好奇心、レディオヘッドの『キッドA』化などを思い出してみてもよいだろう。

 なぜ、これほどに「ロック」は電子音楽や実験音楽を希求するのだろうか。電気楽器による音響の拡張を嗜好する「ロック」と、音響の拡張を志向/思考する「電子音楽」の相性の良さが原因ともいえるだろうし、電子音楽特有の音の抽象性が、「ロック」がもたらす知覚とイメージの拡張に大きな力を発揮しやすいということもあるだろう。いずれにせよ、未知の音色の導入は、それは20世紀後半の「ロック」という商業音楽における、新たな崇高性(のイメージ)を獲得するためのモードであったと思う。そう、「ロック」は常に新しいモード=衣装を刹那に求めるのだ。窃盗の魅惑? それこそまさに「ロック」の魅力ではないか。

 そして、アントニー・ヘガティあらためアノーニによる本アルバムもまた電子音楽の現代的なモードを纏っている傑作である。歌詞は、これまで以上にポリティカルだが、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとハドソン・モホークという現代の二大エレクトロニック・ミュージックのプロデューサーを迎えることで、絶望の中の祈りのようなサウンドを実現しているのだ。いまさら、この二人の経歴について書き連ねる必要はないだろうが、これは先に書いたような「ロック」と電子音楽のマリアージュの歴史に、新たな痕跡を残す作品であることは断言できる。

 もっともアントニーとワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの録音は本作が最初ではない。2010年にワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが〈エディションズ・メゴ〉よりリリースした『リターナル』からシングルカットされた「リターナル」において、二人は共作している。同曲にアントニーがヴォーカルをつけて歌唱しているのである。むろん、6年の月日が流れた本作は、“リターナル”とは比べ物にならないほどの独創的な構造とテクスチャーを獲得している。“リターナル”のヴォーカル・ヴァージョンは、ピアノを主体とするトラックであったが、本作は、より複雑なエレクトロニック・サウンドに仕上がっていたのだ。また、ポップな享楽性(いわば死への快楽的な希求か?)の獲得には、ハドソン・モホークの存在と楽曲が重要であるのはいうまでもない。

 壮大なパイプオルガンのような電子音からはじまる1曲め“ドローン・ボム・ミー”は、アントニーとモホークの共作曲で、崇高なエレクトロニック・サウンドが展開する。まるで死と恐怖に満ちた現代世界への享楽的な哀歌のように響いてくる楽曲だ。2曲め“4ディグリーズ”は、アノーニ、OPN、モホークらの共作。強靭な打撃音とアノーニの絶望を称えた声が重なり、まさに「エレクトロニック・オペラ」とでも称したいほどの唯一無二の楽曲である。

 さらには胸締め付けるようなオルガン・コードが堪らない5曲め“アイ・ドント・ラブ・エニモア”から、6曲め“オバマ”、7曲め“ヴァイオレント・メン”と続くアノーニとOPNとの共作は圧巻だ。アノーニのヴォーカルとOPN的なシンセ・アンビエント・サウンド(とビート・プログラミング)が現代の受難曲のように響く。6曲め“オバマ“のアウトロで聴かれる悲痛なピアノ。7曲めのチリチリと乾いた音から溢れ出るような哀しみ……。続く8曲め“ホワイ・ディド・ユー・セパレート・ミー・フロム・ジ・アース?”はモホークとの共作で、まるで天に昇るような解放感のあるトラックに仕上がっている。全曲までとの対比が見事な構成だ。

 個人的にはOPNとの共作にして、アルバム・タイトル曲である10曲め“ヘルプレスネス”にもっとも惹かれた。シンセ・アンビエント/ストリングスに、これまで以上に強い息吹を感じるようなアノーニの歌声がレイヤーされ、この世のものとは思えない天国的な音楽的サウンド・スケープが展開されているのだ。

 それにしても、本作におけるアノーニの声は、かつてのように浮遊していない。猛烈なサウンドの情報という現実の中で格闘しているようである。その格闘を、過酷な現実への「祈り」から、新しい「崇高性」を獲得するための「闘争」と言いかえてもいいだろう。このような視点(聴点)でアルバムを聴いていくと、本作は、電子音楽とロックの邂逅における「現代の崇高なバロック・ミュージック」といいたい気分にすらなってくる。だが、バロックは地域と歴史を越境する雑多な音楽の交錯点でもあることを忘れてはならない。

 晩年のピエール・シェフェールは、自らが生み出したミュージック・コンクレートを「ドレミの外では何もできない」と完全に否定し、「新しい音楽を作る希望を捨てよ」とまで言い放った。そして、それでも残っている音楽が「バロック音楽」と断言する。さらにシェフェールは「西欧音楽で最も崇高とみなされてきたバロック音楽」とまで語り、そして「バロックとはイタリアや中世の音楽のよせ集めから作られた」とも述べていた。よせ集めから生まれる崇高さと新しさ? まさに「ロック」だ。そして、本作には、そのような崇高と猥雑と新しさに満ちた21世紀のバロッキニズムが横溢しているのである(バ/ロック・ミュージック?)。

 その意味で、OPNとハドソン・モホークが、アントニー=アノーニとコラボレーションを行ったことは、ロック史において重要な意味を持つと思う。たとえば『ロウ』にブライアン・イーノの参加したことに匹敵するような。いうまでもないが『ロウ』(とくにB面)にもまたバロック的な電子音楽(ロック)である。バロックへの希求。ロックの死、死と生。死の旅路を飾る衣装としての音楽=ロック……ゆえにボウイの死後に本作がリリースされたことは、偶然にせよ偶然を超えた偶然に思えてならない。

 黒い星から絶望へ? まさに「世界」が死と恐怖の激動の波に晒されている2016年に世に出るべくして出たアルバムといえよう。そして何よりエレクトロニックのモードを纏いつつも、本作はポップ・ミュージックとしての聴きやすさもあるのだ。電子音と声と和声とノイズによる21世紀のポップ・ミュージック。美しいピアノで終わるモホークとの最終曲“マロウ”を聴き終えたとき、あなたは、現代世界への本当の怒り、そして絶望の果てにある透明な世界を垣間見るだろう。途轍もない傑作が生まれてしまった。

interview with ANOHNI - ele-king


ANOHNI
Hopelessness

Secretly Canadian / ホステス

ElectronicExperimentalPops

Tower HMV Amazon

 「わたしは魔女です」──彼女はそう繰り返してきた。男たちの暴力的な歴史に築かれた世界の異端者として。ラディカルな主張を隠すことはなかったし、どんなときもアウトサイダーの代表だという姿勢を崩すことはなかったから、この時代の曲がり角にポリティカル・レコードをリリースするということは筋が通った話である。だが、それでも……このあまりに華麗な変身に衝撃を受け、魅惑されずにはいられない。固く閉ざされていた扉がこじ開けられ、胸ぐらを掴まれ、彼女が戦闘する場所へと投げこまれる……そんな感じだ。耽美な管弦楽器の調べではなくエレクトロニックな重低音が烈しく鳴り響き、ノイズが飛び交い、そして彼女自身の声が怒りと憎悪に満ちている。華麗なハイ・アートはもうここにはない。ミューズとなるのは大野一雄ではなくナオミ・キャンベルであり、聖よりも俗を、慈悲よりも憤怒を手にしながら、巫女の装束を光沢のある夜の衣装に着替えてみせる。そしてはじめて、彼女の本当の名前を名乗る……アノーニだ。

 ハドソン・モホークとOPNことダニエル・ロパッティンという、現在のエレクトロニック・ミュージックの先鋭的なポジションに立つプロデューサーが起用されていることからも、彼女の並々ならぬ決意が窺えるだろう。まさにバトル・フィールドの先頭に立つような“4ディグリー”はハドモの“ウォーリアーズ”ないしはTNGHTを連想させるし、低音ヴォーカルが重々しく引き伸ばされ続ける“オバマ”や“ヴァイオレント・マン”はOPNの『ガーデン・オブ・デリート』と見事にシンクロしていると言えるだろう。ヒップホップとエレクトロニカとノイズと現代音楽とシンセ・ポップを調合しながら、それを遠慮なく撒き散らすような威勢のよさに満ちている。

 「私の上にドローン爆弾を落として」(“ドローン・ボム・ミー”)、「私は見たい この世界が煮える様を」(“4ディグリー”)、「死刑執行 それはアメリカン・ドリーム」(“エクセキューション”)、「オバマ あなたの顔から希望は消えてしまった」(“オバマ”)、「もし私があなたの弟を グアンタナモで拷問していたらごめんなさい」(“クライシス”)、「どこにも希望はない」(“ホープレスネス”)――魔女は呪詛を吐き続ける。戦争と環境破壊、虐殺、資本主義の暴力、そして「希望がないこと(ホープレスネス)」。ここでの音の高揚は地獄の業火に他ならず、彼女はその身を焼かれることを少しも恐れていない。彼女ははっきりとこの世界の異端者である……だが、「トランスジェンダーであることは自動的に魔女であることなのです」と発言していたことを反芻すれば、その禍々しい言葉はかくも暴力的な世界の鏡に他ならないことを思い知る。だからアノーニは、そんな世界こそがまったく新しい姿に生まれ変わることを迫るのである……彼女自身が、鮮やかな変身を体現しながら。

 ほとんど爆撃音のようなビートの応酬をかいくぐると、アルバムはもっともジェントルなピアノが聴ける“マロウ”へと辿りつく。だがそこでも彼女は、自分が暴力に加担する一部であることを忘れてはいない。深い歌声でなにかをなだめながら、自分自身も、そしてこれを聴く者も「ホープレスネス」の一部であるのだと告げている……それこそが、この狂おしいまでにパワフルな作品のエナジーになっているからである。

■ANOHNI / アノーニ
旧名アントニー・ヘガティ。2003年にルー・リードのバック・ヴォーカルに抜擢され、アルバムの録音にも参加、一躍注目を浴びる。アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ名義で2005年にリリースしたセカンド・アルバム『アイ・アム・ア・バード・ナウ』でマーキュリー・プライズを受賞、 MOJO誌の「アルバム・オブ・ザ・イヤー」にも選出された。09年にリリースしたサード・アルバム『クライング・ライト』では彼女が敬愛する日本の舞踏家、大野一雄の写真をアートワークに使用し話題となった。2011年には4thアルバム『スワンライツ』をリリース。ビョークをはじめ、ルーファス・ウェインライト、ブライアン・フェリーなどさまざまなアーティストとのコラボレーションも行っている。2015年に新曲“4 DEGREES”を公開、前作から約5年半ぶりとなる新作『ホープレスネス』を2016年5月にリリースする。

エレクトロニック・ミュージックは、素晴らしいエネルギー、喜びさえも人びとに与える。それを使って、真実を表現したかったんです。

少しさかのぼって訊かせてください。ライヴ盤『カット・ザ・ワールド』には非常にラディカルな内容のスピーチである“フューチャー・フェミニズム”(「神の女性化」を想像し、男性原理に支配された世界を糾弾する内容)が収録されていましたよね。あのライヴ盤自体、あのスピーチを世に出すという目的が大きかったのではないですか?

アノーニ:あのレコードでは、いままでに自分が聴いたことがないようなものを作りたかった。ポップ・ミュージシャンが10分(註:実際には7分半だが、じゅうぶんに長尺)のスピーチを含んだ作品をリリースするなんて、なかなかないでしょう? スピーチを挟むのは、自分のショウですでに探求していたことだったんだけど、それをCDに取り入れてみて、一体どうなるかを見てみたかった。気候や環境の緊張感とフェミニストの見解を繋ぎ合わせるという“フューチャー・フェミニズム”のアイデアは、2、3年前からずっと持っていたものだったから、それをライヴ・ショウやCDに取り入れてみたかったんです。

そして『ホープレスネス』は、ある部分で“フューチャー・フェミニズム”を引き継いでいると言えますか?

アノーニ:『ホープレスネス』はエレクトロニック・レコードで、私が持っていたアイデアは自分でも聴くのが楽しいポップ・レコードのような作品を作りたいということでした。これまでの私のシンフォニックな音楽作品とは違うものを、言ってしまえばダンス・ミュージックみたいなものを作りたかった。でも、音はダンス・ミュージックであっても、曲のなか、つまり歌詞はかなり政治的なものになっていて、まるでトロイの木馬のようになかに兵士が隠れているんです(笑)。それが新作のアイデア。コンテンポラリー・ライフとモダン・ワールドに関する内容で、とくにアメリカのポリシーにフォーカスが置かれている。アメリカのポリシーとはいえ、いまではそれが世界的な問題になっているけどね。

非常に政治的なテーマを持ったアルバムとなりましたし、その根本にあるものは「怒り」であると事前にアナウンスされていました。エレクトロニック・サウンドを選択したのは、そのようなテーマに適すると考えたからなのでしょうか?

アノーニ:もちろん。そうすることで、より真実を伝えたかったから。真実を伝えるという効果を、より強いものにしたかったんです。そこにエネルギーを使いたかった。ダンス・ミュージックにはエナジーがあるから、エレクトロニック・ミュージックを使ってそのエナジーを作り出したかったんです。エレクトロニック・ミュージックは、素晴らしいエネルギー、喜びさえも人びとに与える。それを使って、真実を表現したかった。その真実が苦いものであったとしても、喜びを通してそれを叫び、皆に伝えることもできると思ったんです。

ハドソン(・モホーク)と作業を初めてから、ポリティカル・エレクトロニック・レコードという方向に急進していったんです。

ハドソン・モホークとダニエル・ロパッティンを起用したのはどうしてでしょうか? 彼らのそれぞれどういったところを評価していますか?

アノーニ:ハドソンの音楽には、本当に惹き込まれます。彼の音楽はすごく喜びに満ちているんですよね。多くのミュージシャンが何かひとつの方向性に違ったものを混ぜ、そこからあちらこちらの方向に進んでいます。でもハドソンの場合は、さまざまなものが混ざりながらも、すべてはひとつの方向に進んでいるんです。彼の目的はひとつで、込められた感情は決して複雑ではなく、高揚感に統一されている。だからこそリスナーは、我を忘れるような喜びに心が躍るんです。それが複雑な歌詞をひとに届けるのに最適な方法だと思いました。ダークで重い緊張感がある歌詞を、魅力的で簡単に楽しめる音楽に乗せるのがベストだと思ったのです。歌詞の内容は高揚感のある音楽の真逆で、アメリカ政府やテロリズム、環境破壊、石油問題といったヘヴィーなもの。音楽と歌詞にはコントラストがあるんです。
 ダニエルは、さまざまなサウンドからエッセンスを抽出して、そのアイデアを組み立て、自分独特のサウンドを作り出してくれます。基となる要素とはまったく違うものを作り出すから、まるでマジシャンみたいなんです。私は、そこに知的さを感じますね。彼は音楽に対してすごくモダンな考え方を持っていて、サウンドの意味を考えます。その意味がどう変化しうるかを考え、それを自分で操作していく。もともとはダニエルと作業を始めたんだけど、さっき話したようなエレクトロニック・ミュージックのスタイルになっていったのは、ハドソンと作業をはじめ出してからでした。彼が書いた音楽に、私がメロディと歌詞を乗せて、そこからレコードの目的に合うよういろいろと手を加えていきました。ハドソンと作業を初めてから、ポリティカル・エレクトロニック・レコードという方向に急進していったんです。

トラックの制作について、ハドソン・モホークやダニエル・ロパッティンにどのようなリクエストをなさいましたか?

アノーニ:曲のほとんどが、ハドソンがまず曲を書いて送ってきてくれたんです。それに私がヴォーカルをのせて返して、それから、ダニエルといっしょに曲を整えていきました。バラバラに作業してメールし合うこともあれば、同じ部屋で作業することもありましたね。私自身も、レコードをミックスして聴き込むのにかなりの時間を費やしました。3年くらいかかりましたからね。待たなければいけないことも多かったし、考えなければいけない時間も多かった。曲の歌詞はかなり強烈だし、それが本当に自分の書きたいことか確信を得るのに時間がかかったんですよ。リリースする勇気がなかなか出なくて。それを長い時間考えなければならなかったんです。

なかなか勇気が出ないなか、リリースする覚悟ができたきっかけはあったのでしょうか?

アノーニ:人生はすごく短いでしょう? 本当に短いから、できるだけ強く関わりたいと思うようになったんです。どこまで自分が関与できるのか、それに関与することで、自分が何を感じるかを知りたかった。受け身ではいたいくないと思ったんです。世界は驚くべきスピードで変化しているし、私は生物多様性の未来を本当に心配しているし、それに自分が地球と深く繋がっていると心から感じる。だからこそ、地球を護りたいと思うようになったんです。

これまで私は自分のことについて歌ってきました。自分のなかの自分の世界、自分の人生についてね。でも今回は、かなり大きな、ショッキングとも言える一歩を踏み出したんです。

リリースしたことで何か実際に感じましたか?

アノーニ:いままで音楽的にやったことのないことだったから、やはり勇気が出たし、自信がつきました。いままでの私の音楽を聴いてきたひとたちはわかると思うけれど、これまで私は自分のことについて歌ってきました。自分のなかの自分の世界、自分の人生についてね。政治やランドスケープに触れたことは一度もなかった。でも今回は、かなり大きな、ショッキングとも言える一歩を踏み出したんです。歌詞の内容に驚く人も多いと思う。でも、このレコードで人びとの考えを変えたいとまでは私は思っていないんです。自分と似た考えと世界観を持つ人びとをサポートしたいだけで。何かに対して戦う勇気を彼らに与えるサウンドトラックを作りたかったんです。

また、アノーニ名義としてのはじめてのアルバムとなります。この新しい名前――本来の名前と言ったほうがいいと思いますが、ANOHNIとしてリリースすること自体があなたの世に対する意思表示だと言えるでしょうか?

アノーニ:そう。アノーニは私の本来の名前。プライベートで何年か使ってきた名前で、公の場で使うことはこれまでなかった。でもいま、もう少し「正直」である時期が来たんじゃないかと思って。自分のなかの真実を人びととシェアする時が来たんじゃないかと思ったんです。アノーニは私のスピリチュアル・ネームなんだけど、私はトランスジェンダーだから、自分のスピリチュアル・ネームを使うことによって、ひとがより自分の存在を理解することができるんじゃないかと思いました。人びとが私をもっとクリアに見ることができると思ったんですよ。もし私が男性の名前を使えば、それは欺きになってしまう。私はただ、正直でありたかったんです。

アノーニは私のスピリチュアル・ネームなんだけど、私はトランスジェンダーだから、自分のスピリチュアル・ネームを使うことによって、ひとがより自分の存在を理解することができるんじゃないかと思いました。

アノーニという名前を使うことで、何か変化はありましたか?

アノーニ:この名前を使うことで、よりいろいろなものをシェアできるようになります。たとえば私は普段怒りをあまりシェアしないし、音楽でそれを表現しようとすることはなかったんです。でも、このレコードでは確実に怒りが表現されている。それは私にとっては新しいことだし、同時にそれはすさまじいエネルギーを発するものでもあるんです。

ビートがアグレッシヴな箇所も多く、たしかに「怒り」を強く感じる瞬間も多いですが、しかし、わたしは聴いていると同時に非常に優雅さや優しさも感じます。この意見に対して、もしその理由を問われればどのように説明できますか? 

アノーニ:優雅さに通じるかはわからないけど、曲のなかではそれが反心理学によって表現されているものが多いから、それもあるのかも。曲のなかで「この恐ろしいことが起こってほしいと願っている」と歌っていても、もちろん本当に意味しているのはまったく違うこと。そう歌いながら、その出来事を批判しているんです。私が「アメリカの死刑実行制度について快く思っている」と歌っていればそれは、いまになっても死刑を実行しているこの国に住んでいることを残念に思う、というのが本音。このアルバムではそういった反心理学的な歌詞が多いから、その効果かもしれないですね。

この質問を作成した時点ではまだ歌詞を拝見できていないのですが、トランスジェンダーであることはこのアルバムのテーマのひとつと言えますか?

アノーニ:トランスジェンダーであることやトランスジェンダーの声だけに歌詞が置かれているわけではないですね。でも私自身がトランスジェンダーだから、歌詞はアメリカではアウトサイダーとされているトランスジェンダーとしての私の視点で常に書かれています。つまりトランスジェンダーに重点を置いているのではないけれど、トランスジェンダーから見た世界が表現されているのは事実。でも、それがトランスジェンダーすべての意見というわけではないんです。それはあくまでも私の世界観。私のゴールは、自分と同じような考えを持つ人をサポートすること。彼らに強い勇気を与え、背中を押したい。私にとって、女性の視点から何かを書くのは意識することではなくて自然なことなんです。

私のゴールは、自分と同じような考えを持つ人をサポートすること。彼らに強い勇気を与え、背中を押したい。私にとって、女性の視点から何かを書くのは意識することではなくて自然なことなんです。

この世の中で、トランスジェンダーの声や意見はまだまだ隠れていると思いますか?

アノーニ:トランスジェンダーに限らず、女性の意見、声というのはこの世界でまだまだ隠れていると思います。その女性の声のひとつが、トランスジェンダーの女性たちの声だと思うんです。それがもっと表に出て、人びとに受け入れられるようになるまで、この世界に希望はないと私は思います。女性の声というのが、世界を救うと私は思っているんです。私たち(女性たち)は、自分たちの力を取り戻さなければいけない。それを取り戻すために立ち上がるのは怖いかもしれないけど、それをやらなければこの世界に未来はないと思う。この世界には、女性からのガイダンスが必要なんです。女性の視点が必要。それがあってこそはじめて自然を守ることができるし、人間の尊厳を取り戻すことができる。
 男性政治家たちを見ればわかるけど、彼らは失敗ばかりしているでしょう? 彼らが操作してきたいまの世界を見てみると、この世を破滅させるのにじゅうぶんな武器が存在し、森、山、海がどんどん破壊されていますよね。伝統的に、家族やコミュニティを守ろうとするのが男性の役割で、彼らはそのために戦うための軍隊とチームを作る。いっぽう、女性の役割というのはすべてのチームの繋がりを考えること。女性は家庭のなかで子供のために平和を作ろうとします。すべての環境の繋がりを把握し、それを基に平和を作り出すのが女性なんです。男性は仕事をして自分の家族だけを守ろうとするけど、女性は家族を「作ろう」とする。いまの私たちに必要なのは、世界で家族を作ろうとする女性のスキル。そうしなければ、自分たちと自然の繋がりを見出すことができないんです。それどころか、私たちは自然を殺してしまいかねない。だからこそ女性のリーダーが必要だし、とくに年配の女性たちの知恵や見解が必要なんですよ。彼女たちの助けが必要だし、いっぽうで若い女性は強くあり、前に向かって進み、いまのシステムに対抗することに挑んでいく必要がある。男性が世界を破壊しようとしているわけではないのだけれど、単純に、彼らにできることと女性にできることが異なるんです。いまの世界に必要なのは、女性の力です。

女性で、実際いまそこまで考えているひとはどれくらいいるのでしょうね。

アノーニ:そうなんですよね。立ち向かうというのはすごく難しいと思う。でも、興味や関心をもっていなくても、気候や世界はどんどん変化し続けます。海も死にかけています。それなのに私たちは海からさらに多くのものを奪おうとしています。海が死んでしまっては、海のなかの生命体や魚はすべて消滅してしまう。そうなったら、いったい世界はどうなってしまうんでしょう。私はそういう未来が心配です。でも日本はすごく美しい国だと思うんですよ。自然とひととの繋がりが、他の国よりもきちんと考えられている国だと思います。日本には古い文化がまだ存在していて、さまざまな自然との美しい共存の仕方が受け継がれていると思います。

世界に希望がない(ホープレスネス)というのは事実ではないけれど、私たちが持っているフィーリング。でもそのフィーリングがあるということは、その対処法を見つけなければならないということなんです。

日本では昨年よりLGBTQの話題がちょっとブームのようになったこともあり、少しずつ一般的にも認知されるようになりました。ただ、わたしの見解としては、日本ではそこにカルチャーやアートがあまり追いついていないようにも思うんですね。あなたのマトモスとのコラボレーションなどを見ると、政治的な共闘がありつつも、やはり何よりも「アート」だと思うんです。LGBTQイシューに限った話ではないですが、「アート」が社会にできることがあるとすれば、どのようなことだとあなたは考えていますか?

アノーニ:私はすごく日本のアートに影響を受けているんだけど、とくに土方巽や大野一雄の舞踏にはすごくインスパイアされています。第二次世界対戦のあとにとくに浸透したアートで、すごく強烈なイメージを持っている。生きるための困難や美しさ、そして、何が美しいのかという考え方の変化が表現されているんですよね。原爆投下後の最悪な光景に目を向けなければならなかったから、あの強烈なイメージが生まれたんです。地獄のような光景。舞踏では、そういった苦しみが表現されました。そういうものを表現しようとする創造性には、ものすごいパワーが存在していると思う。それを理解し、ダンスや音楽で真実を伝えるというのは、すごく重要なコミュニケーション方法だと思います。

タイトル・トラックである“ホープレスネス”では自然と切り離されたことの悲しみが歌われていますよね。“ホープレスネス”とは非常に強い言葉ですが、これがアルバム・タイトルともなったのは、これこそがあなたの実感だということなのでしょうか?

アノーニ:日本ではどうなのかわからないけれど、アメリカやヨーロッパでは、地球の未来は明るくないと考えられているんです。世界に希望がない(ホープレスネス)というのは事実ではないけれど、私たちが持っているフィーリング。でもそのフィーリングがあるということは、その対処法を見つけなければならないということなんです。

COP21(国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)第21回締約国会議)に合わせた“4 ディグリーズ”のパフォーマンスがとても話題になりました。何かあなたにとって嬉しく思えたリアクションはありましたら、教えてください。

アノーニ:みんなが音楽の中に自分自身の精神をそれぞれに感じることができていると思えたのが嬉しかったわね。

ANOHNI - 4 DEGREES

マーガレット・サッチャーも、女性ひとりが男性のルールのなかでリーダーになっただけ。でも、政治自体が女性から指揮されるようになれば世界は変わると思います。

オノ・ヨーコさんとのコラボレーションは、このアルバムに間接的に影響を与えていますか? というのは、彼女が敢えて自分を「魔女」と呼ぶタフな態度に、あなたは共感するところがあると思ったからなんですが。

アノーニ:彼女からの影響はあると思う。彼女は勇敢だし、自分の政治活動にすごく自信を持っているから。そして、アーティストとしてそれを自分の作品に反映させている部分にも共感します。それに、私も自分を魔女と呼んでいます。それは、女性のパワー、そして女性と地球の繋がりを意味します。そして女性と地球のコネクションというのは、ほとんどの男性が恐れていることでもあります。その力の偉大さを知っているから、それが起こらないようにコントロールしたがるんです。そして、そのパワーを盗もうとさえします。男性は、もっと女性に対して謙虚さを学ぶべき。それが、いま私たちが求めているものなんです。

“アイ・ドント・ラヴ・ユー・エニィモア”から“オバマ”へと流れが続くのでドキッとするのですが、この曲順は意図的なものですか?

アノーニ:そう(笑)。アメリカではいま、オバマに対する期待は薄れています。男性に解決できることではないと、みんなが気づきはじめているんです。変化を起こしたければ、男女ともに取り組みに関わらなければいけないんです。

ということは、あなたはヒラリーを支持しているのでしょうか?

アノーニ:もうわからないんですよね。もちろんサポートするべきなんだけど、同時に信用もできない。彼女をサポートすることは必要なんだと思うけど、リーダーひとりが女性であるという事実だけではじゅうぶんではないと思う。政治の世界で、女性の割合そのものが増えなければ意味がないんです。マーガレット・サッチャーも、女性ひとりが男性のルールのなかでリーダーになっただけ。でも、政治自体が女性から指揮されるようになれば世界は変わると思います。30%を越さなければ、リーダーが女性であってもすべては男性主体のままだと思いますね。

怒りはその中に存在する一部で、とくに強くなるために、そして真実を主張するためには怒りは必要なんです。自分たちの感情は、表に出さないことが多いでしょう? とくに世界という大きい規模の物事に対しては、それを受け入れるだけで、何もしないことが多いと思う。

あなたはこのアルバムを通じて、現在の世界における「理想」を探究しているように思えます。あなたにとって、理想的な社会とはどういったものだと言えるでしょうか?

アノーニ:今回のアルバムの内容は、現在の世界の危機について。だから、あまり理想社会については触れていないんです。夢の世界にはあまりフォーカスを置いていない。私にとってのパラダイスとは自然界です。何億年もかけて作り上げられた自然が自分にとっては理想の社会ですね。彼女(自然)が私たちとわかちあっている素晴らしい世界。動物、緑、海……彼女(自然)の人生そのものがパラダイスなんですよ。私はその一部だし、その一部であることが夢のよう。同時に、それは愛の世界でもあります。

わたしはこのアルバムに限らず、あなたの表現の底には怒りと、そのことを隠さない強さがあると考えています。あなたにとって怒りや悲しみは原動力だと言えますか?

アノーニ:どうでしょうね。それはわからないけれど、すべての感情がお互いを支え合っていると思います。今回のレコードは、自分の真実、そして世界に対する私の考え方を表現した結果。怒りはその中に存在する一部で、とくに強くなるために、そして真実を主張するためには怒りは必要なんです。自分たちの感情は、表に出さないことが多いでしょう? とくに世界という大きい規模の物事に対しては、それを受け入れるだけで、何もしないことが多いと思う。コントロールの力が大きいから、自分たちが小さいと感じてしまうんですよね。でも、真実を語るというのは大切なこと。みんなの行動が未来に影響するのだから。その行動がパワフルかどうかは関係なくて、すべての行動が影響するんです。だからこそ私たちは立ち向かい、努力しなければならない。私たちを取り巻く世界は、私たちの世界なのですから。

今日はありがとうございました。

アノーニ:こちらこそ。より多くの日本の女性たちが、このインタヴューを読んでくれますように。

interview with LUH - ele-king


Spiritual Songs for Lovers to Sing - LUH
Mute / トラフィック

Indie RockPunk

Tower HMV Amazon

 怒りなどというとあまりに陳腐だ。エラリー・ロバーツの怒っているようなヴォーカルには感情のありったけがある。能面がたったひとつの表情、あのなめらかな稜線の中に喜怒哀楽の無限のスケールを持つのだとすれば、エラリーのそれは千も万もの異なる表情をひとつひとつすべて具現化して結合させたような、異常な激しさと質量をともなった塊。タイタス・アンドロニカスやモデスト・マウスといったバンドを引き合いに出せばいくらかイメージしてもらえるだろうか? 声量の問題ではなしに、それは大きくて膨張的で、そして感動的だ。いや、なぜ感動するのかわからないほどに大きいというべきだろうか……。

 ラーというユニットのファースト・アルバムに注目が寄せられている。理由は音を聴いて納得してもらうよりほかないけれども、なんといってもウー・ライフのフロント・マンによる別プロジェクトであるということへの期待がある。2008年に結成され、わずか4年で解散したUKのロック・バンド、ウー・ライフは、なかなかかつてのような勢いや新しさを生むことの難しいロック・シーンにおいて、勢いや新しさではなく一個のバンドとしての替えがたい存在感によってまさに彗星のようなインパクトを残していった。

怒りや反抗という感情を減耗させることなく表現にかえ、人の心を揺さぶる。彼らについては覆面というテロリスト的な装いも特徴的だったが、「World Unite Lucifer Youth Foundation」というバンド名は連帯のテーマを掲げるものでもあった。フロントのエラリー・ロバ―ツはフガジからザ・KLFにジジェクまでを敬愛しているようだが、そこには彼個人がDCハードコアの政治性やKLFのポップ・フィールドを舞台にした対社会規模のパフォーマンスへの憧れ、共感、そして現行の世界に別の秩序を期待する気持ちを見てとることができるだろう。成熟した思考や表現であったとは言いにくいが、彼らの音には理屈を従わせてしまうほど心に訴える強さがあった。

 バンドを離れたエラリーがそうしたモチベーションを失うことはなかったようだ。以前の彼らを突き動かしたのは10代の若さだったかもしれないが、いまそのエネルギーはひとりになることでより鋭利なものになっている。解散後、彼女であるエボニー・ホールンとともにはじめたこのユニット、ラーのデビュー・アルバム『スピリチュアル・ソングス・フォー・ラヴァーズ・トゥ・シング』にはそのことがよく表れている。プロデューサーに2010年代のインダストリアルやダーク・アンビエントの盛り上がりをビョークの『ヴァルニキュラ』にまでつなげたハクサン・クロークを迎えているところは、ラーの印象をウー・ライフから断ち切り、また、彼らがただのポップ・ユニットではないということを示すに十分だ。クラムス・カジノがサンプリングされ、ヤング・サグやスワンズにインスパイアされたという本作は、そもそものロックやハードコア的なスタイルを逃れることなく、ヒップホップからインダストリアル、果てはEDM的な表現にまで及んでいるけれども、いろんなスタイルをミックスしたというよりは、エラリーが彼にとっての理想や目的に向かって驀進する勢いにさまざまなものが巻き込まれてしまっているという呈をみせている。

 ひとまず今回彼らがテーマとしているものは「神話」──個々の宗教をこえたところで、人の歴史や真理をあらわすもの、というようなニュアンスのようだ──だが、思い浮かべるのは混沌としての神話の世界だ。しかしどんなに激しくさまざまなものが渦巻いていても、エラリーというひととその声や叫びがわれわれの心にもたらすものにブレはない。タイトルでことさら表現しなくとも彼の怒りはいつも愛であったということにわたしたちはあらためて気づかされるだろう。

■LUH / ラー
ユニット名は「Lost Under Heaven」の頭文字に由来。エラリー・ロバーツ(Ellery Roberts)とエボニー・ホールン(Ebony Hoorn)による二人組。エラリー・ロバーツは、元ウー・ライフのフロント・マン。ウー・ライフ末期の2012年に出会い、アムステルダムでともに生活をはじめる。2014年より音楽、アート、写真、フィルムなどの作品を次々と発表、ヴィジュアル面は、主としてエボニー・ホールンが担当している。2016年5月、プロデューサーにザ・ハクサン・クロークを起用したデビュー・アルバム『スピリチュアル・ソングス・フォー・ラヴァーズ・トゥ・シング』をリリース。

ボビー(ハクサン・クローク)との最終的な制作段階で最初に決めたことは、音像的意味での攻撃性にはいっさいの制限をしないこと、要するにそれは、音による懲らしめのようなものだった。

“$ORO”に圧倒されました。エレリーさんの中でR&B、ヒップホップ、ハードコア、インダストリアル、ボディ・ミュージックみたいなものまでが現代風にまとめられていますね。異形のEDMとも呼べそうです。この曲の着想について、それから、もしハクサン・クロークからのアイディアやアドヴァイスなどがあったら教えてください。

エラリー:“$0R0”は、もともとは2013年夏のバンコクで、ピアノで作った曲なんだ。その旅の間にスラヴォイ・ジジェクの『終焉の時代に生きる(原題:Living in the End Times)』を読んでいて、『イーザス』(カニエ・ウェスト)も出たばかりだったから、ある意味、“$0R0”はその二つを融合させたもの。書きたかったのは略奪的な資本主義者——彼らの狂気じみたロジック上では大目に見られ、品格があるとされるようなキャラクターだった。アムステルダムに戻る間に僕がトラックを作ったんだけど、フィリップ・グラス的なオーケストレーションを組み込んで、時代を象徴するような、漆黒に浮かぶクラブ美学のような曲を目指したんだ。
 ボビー(ハクサン・クローク)との最終的な制作段階で最初に決めたことは、音像的意味での攻撃性にはいっさいの制限をしないこと、要するにそれは、音による懲らしめのようなものだった。思うに彼がやってくれたのは、音をいろいろ洗練させてくれたのと、それまではブラシで大きくペイントされたような作品に繊細さをもたらしてくれたことだった。

“ラメント”ではクラムス・カジノがサンプリングされていますね。クラムス・カジノへの共感があるのですか? 彼の音楽や存在をどう思いますか?

エラリー:僕らは彼の音楽のファンで、ここ数年何回かコラボレーションできないかトライしてるんだけどまだ実現できてないんだ。彼にはおもしろいアプローチ、それに美学があると思ってる。

デス・グリップスは、ハードコアとヒップホップに政治的なスタンスを重ねる点では、エレリーさんの影響や理想とされるものに近いのかもしれませんが、彼らの活動スタイルは近づきがたいまでに挑戦的ですよね。彼らを「ポップ」だと思いますか?

エラリー:デス・グリップスはものすごくパワフル、それに文化的な逸材揃いで興味深く、メインストリームにも明らかな影響を及ぼしていくようなとても実験的なものに向かっている。ザック・ヒルは詩のような人生を過ごしていて、10代の頃からずっと大ファン。MC Rideとはちょっとだけど意味のある話をして、彼らの作品から見える力や進路に最大限のリスペクトを感じたよ。

ヤング・サグ、それにスワンズの『エンジェルズ・オブ・ライト』。その二つの間の「揺らぎ」、僕らはそのどこかに存在している。

クラムス・カジノ、デス・グリップス、ハクサン・クローク……あなたがインスパイアされるアーティストは、一見あなたの音楽性と距離があるようにも見えます。まず、あなたはあなたの音楽と彼らをどのように比較していますか? そして、彼らも三者三様だと言えますが、彼らの音楽に共通するものは何だと思いますか?

エラリー:カルチャーが寄せ集めのようになって相当な消費をされている中で、影響というものは無数に存在する。この想像を超えるような状況でLUHが出てきたんだ。同様にインスパイアされたのはヤング・サグ、それにスワンズの『エンジェルズ・オブ・ライト』。その二つの間の「揺らぎ」、僕らはそのどこかに存在している。僕が考える(彼らと僕らの)共通点は、時代背景との関係性で、2016年現在のカルチャーを反映しているということ。レトロフェチではなく、つねに前進的。

コペンハーゲンのシーンにシンパシーはありませんか(アイス・エイジ、ラスト・フォー・ユースなど)? また、ロック・バンドというフォームはロック先進国であった英国においてはまだまだ強い発信力を持っており、やるべきこともあると思いますか?

エラリー:そうだね、とくにマーチング・チャーチには持ってかれたね。シーンに直接つながってはいないけど彼らのコミュニティのセンスには憧れているし、彼らが取り上げている旧約聖書、聖ニコラウスも僕が何年もやろうとはしたけどちゃんとできてないものなんだ。

エラリーさんはフガジからの影響とともにKLFからの影響についても語っておられますね。これはとても興味深いです。このふたつをつなぐものは何だと思いますか?
また、KLFの精神を現代流に受け継ぐとしたら、どんなことをするべきだと思いますか?

エラリー:The KLFの政治性と詩性は、僕たちの生きている極度に見世物じみたこの世の中ではありえないものではなく、はっきりとしたもの。その規模たるや、彼らが活動できていた頃は、いまでは考えられないくらい音楽業界も裕福で、百万枚も作るような楽しさで成功することができた。ぼくがいま知っているアーティストは誰もがやり手で、彼らの政治性がどんなに懐疑的、破壊的であろうと関係なく、資本家の報酬のためにせっせと働いている。すべてはみな沈みゆく船の中だよ。

ジョーゼフ・キャンベルからの影響について教えてもらえますか? 

エラリー:僕らはバックミンスター・フラーとともにジョーゼフ・キャンベルのことも、若者を導きつづけるような豊富な知恵を述べる年長者の感覚で、語ってきた。彼らの考えは適切で、少なくとも彼らの世界と同じく僕らの世界でもそうなんだ。ジョーゼフ・キャンベルの荒地と旅の対話:至上の幸福に従うこと、それは私の人生の考え方に対する根源的な思いだ。

語ることのできるものすべてが神話。その理解を怠り、集中するための時間を欠けさせてしまっているから、僕らのポピュラー・カルチャーは浅くて文化的に不毛な方向へと向いてしまっているんだ。

現在のポップ・ミュージックには神話としての機能が残っていると思いますか?

エラリー:語ることのできるものすべてが神話であって、それは誇張されミステリアスなかたちで文書化されている。その理解を怠り、集中するための時間を欠けさせてしまっているから、僕らのポピュラー・カルチャーは浅くて文化的に不毛な方向へと向いてしまっているんだ。

今作のタイトル『スピリチュアル・ソングス・フォー・ラヴァーズ・トゥ・シング』の中の「スピリチュアル」とは、どういう意味合い、ニュアンスを持っているのでしょうか?

エラリー:僕の理解では、「spiritual」という言葉は、人間の潜在能力、それに物質世界との関係性というアイデアと一致している。経験した中では、科学的合理主義をはるかに超えた生命、その深淵さに気づいたことかな。

今作の“主人公”は誰ですか? 「I」や「We」とはあなたたち以外にどんな人のことでしょうか?

エラリー:思うに僕らのこの小さい星全体には、普遍的と感じられるものが一定数あって、もしかしたらこの星のどの街にも僕のストーリーや願望、感情をわかってくれようとする子が一人はいるかもしれない。それから、典型的な恋人たちの奔放さや、僕たちが出会った瞬間、僕とエボニーが作った独自の世界も……。LUHは僕たちが描いてきたものの一つの印なんだ。

思うに僕らのこの小さい星全体には、普遍的と感じられるものが一定数あって、もしかしたらこの星のどの街にも僕のストーリーや願望、感情をわかってくれようとする子が一人はいるかもしれない。

今回のアルバムでは録音のされ方自体にも何かコンセプトや意味があるように見えます。オセア島という場所について、またそこで集団生活を営んだ意図について教えてください。

エラリー:ボビーが、オセアは完璧に外界とは遮断したかたちで作業ができると提案してくれたんだ。僕とエボニーはそれまでにこのアルバムをいろんなデモから18ヶ月以上かけて練り上げてきていたから、それを仕上げるためにはさらに相当なエネルギーを費やして、すべての楽器やヴォーカルを2週間の強烈なセッションでレコーディングし直した。統一したアイデンティティを生み出しながら、幅広いレンジを持った野心溢れる作品になった。

ラヴ・ソングと呼ばれるものの中であなたが素晴らしいと思っているものを教えてください。

Stay With Me Till Dawn - Judy Tzuke

Never Let Go - Tom Waits

願わくば僕は年老いるまでには、友川カズキやカマロン・デ・ラ・イスラのように誇らしく放浪の身となって生きていきたい。

歌(歌唱/ヴォーカル・スタイル)という点で尊敬する存在、またはおもしろいと感じるひとは誰ですか?

エラリー:願わくば僕は年老いるまでには、友川カズキやカマロン・デ・ラ・イスラのように誇らしく放浪の身となって生きていきたい。生々しく素直な声が素晴らしいと思う。

あなたがたは自分たちの作品がパーソナルなレベルではなく、社会にとって何か作用を及ぼすものであってほしいと思うのでしょうか?
 そうだとすれば、このあと歌っていくべきテーマはどんなものであると考えますか?

エラリー:個人的なことは政治的というけど、僕は社会から生まれてきたから、その(社会の)病の数々も僕自身のもの。僕が書こうと目指してるのは自己変革への欲求を持った、それはすなわち社会変化への力につながるような曲。しかし、その(自己変革までの)旅は各々の個人がするものであって、リーダーとか崇拝対象となるような人物などは過去の危険な障害物でしかない。

いまあなた方から見て興味深い活動をしている存在について、ジャンルにこだわらず教えてください。

エラリー:
Anohni!
Dilly Dally!
Show Me The Body!
Jerusalem in My Heart…!
Ynobe Nrooh!

栗原康 - ele-king

 つい先日リリースされたばかりのビヨンセの新作を聴いていたら、「ベッキー」という単語が耳に飛び込んできて、年明けにこの国を騒がせたスキャンダルのことを思い出してしまった。件の騒動を性差別の観点から捉え、社会的な問題として報じたのは英『ガーディアン』紙だったけれど、恋愛の話題と社会の話題とがきれいに分断されてしまうこの国において、最近の彼女の振る舞いはどう受け止められるのだろうか。
 新作『レモネード』においてビヨンセは、男性社会への憤りと白人社会への怒りとを同時に露わにし、海の向こうで大旋風を巻き起こしている。彼女の新作が面白いのは、「素敵な髪のベッキーに電話したらいいじゃない」と夫であるジェイ・Zの不倫について言及した "Sorry" のような楽曲と、白人警官による黒人への暴力行為に対する異議およびブラック・ライヴズ・マターへの共感を示した "Formation" のような楽曲とが、同じ一つの流れの中に同居しているところだ。このことが示しているのは、恋愛や夫婦の問題も、政治や社会の問題も、それぞれが別個に切り離された全く無関係の独立物なのではなく、どちらも同じ地平の上に横たわっている ものなのだということである。
 それらに共通しているのは、端的に言って、わかりあうということの難しさだ。それは恋愛においては無論のこと、社会的な問題においても要因の一つとなっているように思われる。例えば、いわゆる体制側を擁護するつもりは毛頭ないけれど、白人警官が無抵抗の黒人を容赦なく射殺してしまう心理の一つに、「何をしでかすかわからない」という恐怖があるのではないだろうか。

 ここに紹介する栗原康は、新進気鋭のアナキズム研究者である。もうご存じの方も多いかもしれないが、2013年末に『大杉栄伝――永遠のアナキズム』(夜光社)を出版してからの彼の活躍は目覚ましい。とりわけ昨年は彼にとって飛躍の一年で、2月には『学生に賃金を』(新評論)を、4月には『はたらかないで、たらふく食べたい』(タバブックス)を、8月には『現代暴力論』(角川新書)を立て続けに刊行している。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。それらに続いて刊行されたのが、彼にとって6冊目の著作となる本書、『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』(岩波書店)である。
 副題からもわかるように、本書は伊藤野枝という大正時代を駆け抜けた女性アナキストの伝記である。本書では、あるときは貞操を巡って、あるときは堕胎を巡って、またあるときは廃娼を巡って、その度に世間一般の道徳に囚われることなく各々のテーマが孕んでいる根本的な問題をあぶり出し、結婚という「奴隷根性」によって支えられた制度そのものを否定して、最終的には憲兵によって虐殺されてしまう一人の女性の生涯が、様々なエピソードを通して描き出されている(当時内務大臣だった後藤新平や、来日していた哲学者バートランド・ラッセルとの興味深い逸話もある)。
 こう書くと重くて堅苦しい本のように思われるかもしれないが、本書は決してとっつきにくい類の本ではない。例えば、一つ一つのエピソードに「チキショウ」だとか「かわいそうに」だとか「かましたれ」といった著者自身の心緒を表す言葉が挿入されており、その様はまるでスポーツ観戦をしているファンさながらだ。そのような著者の素直な感情表現が、読む者を深く伊藤野枝という一人の女性の人生へと引き込んでいく。
本書では様々な問題が提起されているけれども、その最大の見所は、野枝の恋愛論を「わからない」という観点から捉え返すくだりである。

 愛するふたりは、けっしてひとつになれやしない。どんなに好きでもとめあい、抱きあってセックスをしても、ふたりはぜったいにひとつになれやしない。なぜかというと、ふたりはまったくの別人であるからだ。そんなことをいったら、身もふたもないかもしれないが、いいかえれば、それは異なる個性をもったかけがえのない存在だということでもある。はじめから、相手がどこによろこびをおぼえるのかなんてわからない。自分の感性とはちがうのだ。でも、だからこそ、ひとは心身ともにめいっぱいふれあって、相手にたいしてやさしくしようとおもう。愛するひとに、もっと気持ちよくなってもらいたい。わからない、わからない、でも、でも、と。 〔本書124頁〕

 相手のことがわからないというのは恐怖である。相手のことがわからないがゆえに人は、恋人という契約の締結や、結婚という制度による保障や、家庭という集団の形成に逃げ込んでしまう。そして知らず知らずのうちに、自ら進んで集団の構成員としての役割を果たすようになってしまう。妻だからこうしなければならない、夫だからこうしなければならない、という風に(「警官だからこうしなければならない」というのもそのヴァリエイションの一つだろう)。著者はそれを「奴隷根性」と呼ぶ。それはまさしく資本家と労働者の関係であり、人が人ではなくモノとして扱われるような関係である、と。
 確かに、人と人とは決してわかりあえないのだろう。でも、だからと言って誰かと誰かが「主人と奴隷」のような関係に陥ってしまうのでは、そのどちらも、そしてそれを見ている方も息苦しくなるだけである。ではどうしたらいいのか。見返りや対価を前提とした人間関係とは異なる、有償性に基づかないような人と人との繋がりを作っていくしかない。本書には、そのためのヒントがたくさん散りばめられている。

 もちろん、伊藤野枝とビヨンセとは違う。野枝は今風に言えばビッチだし、ビヨンセはどちらかと言えば優等生だ。けれど彼女たちはどちらも、わかりあうということの困難を抱えながら、恋愛の問題にも社会の問題にも、全力で向き合っている。そういう意味で本書は、ビヨンセの新作に強く胸を打たれた人にこそ、ぜひ手に取ってもらいたい一冊である。


OPNはどこからきたのか? - ele-king

 電子実験音楽家、ひとまずはそう呼ぶとして、もはやその存在をどう位置づけていいかわからないほど鋭く時代と交差するこのプロデューサーについて、興味深いリイシューが3作届けられた。

 ジャネット・ジャクソンにルトスワフスキにナイン・インチ・ネイルズ、ソフィア・コッポラにANOHNIにFKAツイッグス……一つ一つの作品には緻密に詰められたコンセプトがあるものの、コラボもカヴァーも交友も、多彩にして解釈のつけにくい軌跡を描くOPNは、その旧作のカタログにおいてもかなりの整理しづらさを見せている。しかしそれもふくめて『Garden Of Delete』(2015年)――削除のあとに楽園があるのだと言われれば、なんとも居心地悪く笑うしかないが、この感覚はOPNを聴く感覚でもあるだろう。ともあれその複雑さを整理する上で、今回のリイシューは無視できない3枚である。

それでは簡単にそれぞれの内容説明を。

ライナーがどれもすばらしくおもしろいので、お買い上げになるのがよろしいかと思います。

 〈ワープ〉からリリースされ、ワールドワイドな出世作となった2013年の『R Plus Seven』、その同年に制作された『The Fall Into Time』は、初期のエッセンスが抽出されたものとして注目だ。

これは、2009年当時のシングルやライヴ音源などを含めたアンソロジー的内容の5枚組LPボックス作品『Rifts』を構成する1枚であり、コンパクトなアンソロという意味でも、また、純粋にノスタルジックなアンビエント作品を楽しむという意味合いでも、手にしておきたい再発である。

 じつは、その初期集成『Rifts』を構成する5枚のうち、3枚はそれぞれ独立した作品としてすでにリリースされている(『Betrayed In The Octagon』『Zones Without People』『Russian Mind』)。今回は先ほどの『The Fall Into Time』に加え、残りの『Drawn and Quartered』もリリース、これで5枚すべてがバラで買えるかたちとなった。これには“Transmat Memories”といった曲なども収録され、彼のやって来た道がほの見えるとともに、OPNによる「テクノの源流へと遡る旅」(ライナーより)とさえ言えるかもしれない。

 そして、今回の再発の中ではもっとも馴染みの方が多いであろう『Replica』。歯医者で聴こえるの摩擦音にTVゲームにイージーリスニングなど、雑多で儚いマテリアルを幽霊のように拾うプレ・ヴェイパーウェイヴ――いまやOPNの特徴のひとつとしてよく知られるようになった音が生まれた作品だ。

 リイシュー作品一挙3タイトル同時リリースを記念し、特典CDや〈Software〉のエコ・バッグがもらえるスペシャル・キャンペーンも開催される。特典CDの内容は下記をチェック!


Oneohtrix Point Never
The Fall Into Time

Software / ビート

■amazon
https://goo.gl/LjxosM

収録内容
1.Blue Drive
2.The Trouble With Being Born
3.Sand Partina
4.Melancholy Descriptions Of Simple 3D Environments
5.Memory Vague
6.KGB Nights



Oneohtrix Point Never
Drawn and Quartered

Software / ビート

■amazon
https://goo.gl/KIiaMu

収録内容
1.Lovergirls Precinct
2.Ships Without Meaning
3.Terminator Lake
4.Transmat Memories
5.A Pact Between Strangers
6.When I Get Back From New York
7.I Know It's Taking Pictures From Another Plane (Inside Your Sun)




Oneohtrix Point Never
Replica

Software / ビート

■amazon
https://goo.gl/oKcY6F

収録内容
1.Andro
2.Power Of Persuasion
3.Sleep Dealer
4.Remember
5.Replica
6.Nassau
7.Submersible
8.Up
9.Child Soldier
10.Explain


特典CD内容

1.Replica [ft. Limpe Fuchs] (Matmos Edit) (Bonus Track For Japan)
2.Replica [ft. Roger Robinson] (OPN Edit) (Bonus Track For Japan)
3.Remember (Surgeon Remix) (Bonus Track For Japan)
4.Nassau (Richard Youngs Remix) (Bonus Track For Japan)
5.Replica [ft. Roger Robinson] (Falty DL Remix) (Bonus Track For Japan)

Leftfield Groove 3 - ele-king

 クラブに遊びにいき、大音量で延々と紡がれるグルーヴに身を任せていると、時間感覚が麻痺することがある。酩酊と陶酔が増してくる深い時間帯に特有の状態だ。ただ音楽に没頭していると、自分の意志で体を動かしているのかどうかさえ曖昧になり、意識と体が蛇行運転しているかのような気分になる。
 ずっと聴き続けていられるループとでも呼べそうな、展開の少ないミニマルなトラックをそうした酩酊状態で聴くと、暗がりのダンスフロアに轟く反復グルーヴの中に意識が深く浸透していき、数十秒を数分間のように感じることがあるのだ。
 そんなとき、トラックに起こるちょっとした展開が劇的な音楽体験をもたらすことがある。特に派手な展開は必要ない。モノトーンなビートに切れのいいハイハットやクラップが加えられるだけで、黙々と揺れ動く人々で埋め尽くされたフロアから絶叫が上がる、そんな光景を目にしてきた人は少なくないはずだ。そこで今回は前回までの流れをくんだうえで、深い時間に聴くと映えそうな陶酔性溢れる個性的なグルーヴの5曲をピックアップした。

MGUN – NVR (Don't Be Afraid)

うねる低音、大きく間を取ったキック、そして、少し歪んだスネアとハイハットからなる殺伐としたイントロ部を経て、不穏なパッドがじわじわと空間を侵食していくワルい1曲。カウベルの挿入と同時にキックのシーケンスが変化する2分30秒あたりの展開がたまらない。

Unknown Artist - Spirit 1 (Booma Collective)

スザー(Szare)のトラックを音数少なくアレンジしたようなミニマルな1曲。虫の音のように細やかに揺れ動く電子音が輪郭のハッキリとした金属音へ移行していく様子に意識が引きつけられる。シンコペートするビートが厚みを増していく後半部も深い時間に合う。

A Sagittariun - The Naming Of The Names (Elastic Dreams)

中盤に薄っすらとしたパッドを使ったブレイクがあるが、えぐるようなキックとベースで組まれたUKガラージ風ビートは使い勝手がいい。16分刻みのハイハットが音場を縦にも横にも動き回るので、大きな展開がなくても飽きがこない。

A Made Up Sound - I Repeat (Delsin)

これまでに“テイク・ザ・プランジ”など素晴らしい変化球の数々を編み出してきたア・メイド・アップ・サウンドがまたしてもやってくれました。1拍目のキックと最深部に激震する低域を軸にパーカッションフレーズが抜き差しされる中、パッドが全体を包み込んでいくドリーミーなトラック。

ASOK - Side Scrolling (Creme Organization)

ひび割れたシンセのゆるやかな起伏とざらついたドラムマシンによるファンクネスが絡み合うことで生まれる静かな熱狂と退廃的なムード。ハマりにハマりまくったパーティーの終盤ではこんなトラックも映えそうだ。

We are alive - ele-king

 2015年の6月、SNSのアイコンがレインボウに染まってから――全米で同性結婚が合法化されてから――、アメリカにおいて性の多様性を受容することはコモン・センスとしてすっかり定着したのだと思い込んでいた。プライド・パレードで踊る曲はエクソダスを夢想する“ゴー・ウェスト”ではなくて、「自分はこう生きる」と強く宣言するレディ・ガガの“ボーン・ディス・ウェイ”のほうが、まあ時代には合っているんだろうな、と。僕などはむしろLGBTイシューに関してポリティカル・コレクトネスが強くなりすぎているようにも感じられたし、「もっと不謹慎なことをやるひとがいてもいいのに、正しいものばかりじゃなくても……」とこぼしていたぐらいだ。が、それはあまりにも呑気だったと言わざるを得ない……バックラッシュは思ったよりも早くやってきた。

 今年3月には「同性カップルの結婚式などを宗教的な理由で拒むことを認める」とする法律がジョージア州で可決され、大きなニュースとなる。それは著名人や企業の反発もあって知事が拒否権を発動することとなったが、急進したものに対する強い反発のムードが漂ってきているのは事実だ。現在問題となっているノース・カロライナ州で可決された法律「HB2」は出生証明書と同じ性別の公衆トイレの使用を求めるもので、これは明らかにトランスジェンダーの人びとに精神的苦痛を与えるものだ。こういうときに持ち出されるのは必ず子どもで、要するにトランスジェンダーの振りをした人間が子どもに性的虐待をする可能性があると法の賛成派は主張するのだが、セクシュアル・マイノリティ・イシューと性犯罪を安易に結びつけることの差別がそこにあることが見落とされている(あるいは、意図的なのだろうか……)。
 だから、このことに猛反発し、あろうことかノース・カロラナイナ公演をドタキャンしたのがブルース・スプリングスティーンだということは、彼がたんなる大物ミュージシャンでないことを証明するものだった。彼が負っているのはアメリカのロック音楽が目指すべき民主主義であることが、そこでは強調されている。もちろんブライアン・アダムスやパール・ジャム、リンゴ・スターなども公演キャンセルを表明したし、シンディ・ローパーなどは公演を行った上で利益を「HB2」撤廃のために寄付するというやり方を取っている。だがこの件に関しては、明らかにアイコンになっているのはスプリングスティーンだ。彼は「ロック・ショウよりも大切なものがある」と言い、そしてステートメントを発表した
 ひとつ興味深いのは今回キャンセルされたのが、昨年35周年記念でリイシューされた『ザ・リバー』のツアー公演だったことである。アメリカの内部で苦しみとともに生きる人びとを描き、ロックンロールのメロドラマと叙情性を彼らの物語に仮託したその作品がいま、マイノリティたちが生きるための権利運動と結びつくことに何か因縁めいたものを感じるのである。ノース・カロライナ公演のチケットを買ったひとのなかにはたんに『ザ・リバー』を懐かしく思った中高年もたくさんいただろうし、スプリングスティーンの政治的立場に賛同する者ばかりでもなかっただろう。ましてやLGBTイシューに意識的なひとばかりではないはずである。だが、ボスは自分のリスナーをそのことに巻き込むのである。
 それは「怒り」を巡るスプリングスティーンからの問いかけだ。相次ぐコンサートのキャンセルにすでに反発の声も挙がっているそうだが、そうして感情を揺さぶりながら「いまこの国で苦しんでいるのは誰だろうか?」と訴えるのである。僕たちは「We」であることができるだろうか、怒るべきものなのは何か、と。

 日本でLGBTイシューが後れを取っているのは、アウトしている当事者が少ない(社会がカミングアウトを受け入れていない)ということとともに、アライ(支援者)である非当事者の顔も見えにくいからと言われている。だから、ある種のパフォーマンスとして自らの立場を明確にしたスプリングスティーンの姿にはどうしたって――海を超えて、勇気づけられるものがある。コンサートを急遽キャンセルしたときにどれだけの損害が出るか考えると、彼の周りにいるスタッフも含めて負ったリスクは計り知れないだろう。
 いま政治に燃えるアメリカのなかで、決して若くはないミュージシャンもまたその最前線にいること。大統領選がエンターテインメントとして過熱するなか、そのことを見落とさないようにしたいと思う。そして僕は『ザ・リバー』を……いや、『レッキング・ボール』を聴く。そこには「We」からはじまる曲が2曲収められていて、そのタイトルは、「We take care of our own」と「We are alive」である。

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