「Nothing」と一致するもの

KING - ele-king

 3人組黒人女性コーラス・グループのキングを最初に耳にしたのは2011年のこと。「ザ・ストーリー」という3曲入りの自主EPで、その中の“ヘイ”という曲はジャイルス・ピーターソンのコンピ『ブラウンズウッド・バブラーズ』にも収録されたので、その頃からチェックしていた人も多いだろう。音楽マガジンやブログなどでも評判を呼び、ケンドリック・ラマーはミックス・テープ『セクション80』で“ヘイ”のサンプリングを正式に依頼したそうだ。そうして彼女たちの魅力の虜になったひとりにプリンスがおり、自身のライヴの前座に迎えている。ツアーではエリカ・バドゥ、ミシェル・ンデゲオチェロ、ローラ・マヴーラ、リアン・ラ・ハヴァスなどもサポートしている。そして忘れてならないのが、ロバート・グラスパー・エクスペリメントの『ブラック・レディオ』での“ムーヴ・ラヴ”への抜擢だ。このアルバムはグラミーにも輝いたので、それに伴って彼女たちも一気に脚光を集めたことだろう。

 自身の作品はまだ「ザ・ストーリー」のみにもかかわらず、彼女たちの元にはさまざまなコラボ・オファーが届き、アヴィーチー、ザ・フォーリン・エクスチェンジ、ジル・スコットの作品へ参加し、ビラル、エリック・ロバーソンとは共同で作曲を行うといった具合だ。ほかにもフェラ・クティ・トリビュートの『レッド・ホット+フェラ』へ“ゴー・スロウ”という曲を提供し、これから公開予定のマイルス・デイヴィスの伝記映画のサントラやリミックス企画への参加も伝えられる。アルバム・デビュー前に既にこれだけ話題となっているアーティストもあまり記憶にないが、「ザ・ストーリー」から5年も待たされてようやく完成したのが『ウィー・アー・キング』である(なお、「ザ・ストーリー」の3曲もエクステンディッド・ヴァージョンで収められている)。

 キングはミネアポリス生まれの双子の姉妹パリス・ストローザーとアンバー・ストローザーが、ロサンゼルス生まれのアニタ・バイアスとボストンで出会って結成された。現在はロサンゼルスをベースに活動し、パリスを中心に自らサウンド・プロダクションも行う。3人ともけっして声量があるわけではなく、正直なところ線の細い歌声だが、そのかわりジャネット・ジャクソンやアリーヤのような可憐な声質なので、繊細な表現はもってこいだろう。3人がバラバラにソロをとることはほぼなく、息のあったハーモニーを常に聴かせる。コーラス・ワークはアトモスフェリックな質感を大切にしたスウィートなもので、サウンドもスローやミディアムが中心。エレクトリックなサウンド・プロダクションを持ち込んではいるが、あくまで歌声の持つナチュラルさやアコースティックなテイストを損なわないように配慮している。伝統的なソウル・コーラス/R&Bグループ・スタイルに基づきながらも、アレンジは現代的。そんなレトロ・フューチャーなところがキングの魅力ではないだろうか。“スーパーナチュラル”がそうした1曲で、ロバート・グラスパー・エクスペリメントに彼女たちが迎えられた理由がわかるだろう。“ヘイ”にしても、1960年代的なスウィートなソウル・コーラスにソフト・サイケに通じるコズミックなサウンド・プロデュースを施し、まるでザ・シュープリームスがフリー・デザインといっしょにやったかのようなドリーミーな世界がおもしろい。

 “ザ・ライト・ワン”や“ザ・グレーテスト”はライやジ・インターネットあたりと、“ザ・ストーリー”はハウ・トゥ・ドレス・ウェルあたりと同列で聴くことができるオルタナ系R&B。ただし、アレンジをいくら現代的にしていても、核となるソウル・ミュージックからは外れておらず、彼女たちがベーシックな作曲技法を持っていることがわかる。“ラヴ・ソング”や“キャリー・オン”などを聴くと、クインシー・ジョーンズ、スティーヴィー・ワンダー、パトリース・ラッシェンなど往年のアーティストたちのエッセンスをきちんと受け継いでいることがわかるだろう。同時にスティーリー・ダンにも影響を受けたと述べているように、少しひねくれたポップ・センスやAORテイストもあり、そんなところがありきたりのR&Bではないキングの魅力のひとつとなっているのではないか。いまの時流だけで音楽をやっているアーティストではなく、継承すべき伝統はしっかりと身につけているのがキングだ。

ロブスター - ele-king

 独身生活が45日以上続くと(自分がなりたい)動物に変えられる世界。妻に捨てられた主人公デヴィッドは、以前彼の兄だった犬とともにパートナー探しをするために滞在するホテルに連行される。ここで45日間以内に相手を見つけなければならないのだ。

 この簡素なホテルで行われる奇妙な(おそらく行政上の)手続きは、『未来世紀ブラジル』にあったような威圧感も、あるいは『マッド・マックス』ワールドを支配していたハードな暴力性もない。新入社員研修のような単調な日程に則って進められる“独身者動物化計画”は官僚的というよりも、柔らかく礼儀正しくホスピタリティを備えたコンサルティング・ビジネスのようだ。手取り足取り、さまざまな方法で「パートナーのいる生活の楽しさ」をアピールする。説得する。パートナーがいればこんなに楽しく、いなければ死刑、と連日吹き込まれ続けても人間、その気にならないものはならない。ありがちな失敗や要領の悪さ、突飛だけれど一応実用的で、だけどその場しのぎな生活上、あるいはコミュニケーション上の工夫などが、そことこことがとても近い場所であることを感じさせる。
 そういえば、ランティモス監督の前作『籠の中の乙女』は、両親が子どもたちのために作り出す揺りかご世界がまさに柔らかく温かいディストピアだった。そこの価値観に従ってさえいれば、残酷なルールの存在を意識することもない。でもそこにとどまるにしても出て行くにしても希望が見えない絶望的な世界だ。ランティモス監督が作るこの世界はファンタジーだけれど、おもいのほか馴染み深い空気が流れているのは、前作にしても今作にしても、大きなシステムではなく身近な人との関係性がその世界の構造の肝になっているからだ。現実と地続きのそこで起きる奇妙な出来事だからこそ、現実離れした会話や行動にも思わず笑ってしまったりもするのだろう。しかも、より抽象的な現実社会の出来事や遠いどこかの町にも重ねられるような普遍性と、たくさんのイメージや言葉を刺激する。
 たとえばこのきわめて寓話的な作品のモチーフのひとつである先進福祉国家の人口問題というものは、全地球的にはたいした問題ではなかったりする。地球の人口「問題」は「爆発」こそが問題なのだから。先進国で現実に誕生している子どもたちが生き延びる手だてを整える方が、人類としてはずっと効率がいいし、人道的でもある。『ロブスター』の独身者問題は、人口「問題」のほかに社会的適応「問題」が「問題」なのだろう。というか、日本社会をはじめとする人口「問題」を抱える先進国社会でも、このふたつは意識的にか無意識にか、混同されて来ている。

 このような世界の見(え)方というものは人口問題に限らず、21世紀の常道になっている。グローバリズム経済が国内の格差を広げる、雇用を減らすと「問題」視されるとき、グローバリズム経済は違う場所の雇用を増やし、ふたつの場所の貧困層同士の格差を「解消」するのだ(上位1パーセント層でも同じ、中間層でもだいたい同じ)。目の前の解雇や減給が、地球の反対側の雇用と昇給につながっているのだという、(グローバル経済の利点を訴えるひとつ覚えの)理屈に、善良で穏やかなリベラル~左派は言葉を失う。今の世界はそんな感じ。つまるところ、そんな世界では、20世紀的なヒューマニズムが救える心がとても少なくなっている。このところ、ランティモス作品だけでなく、ラース・フォン・トリアーやミヒャエル・ハネケのように観る者に刺を残す、まるでアンチ・ヒューマニズムみたいな作品を見かける機会が増えているような気がしている。

 20世紀に、人間中心主義としてのヒューマニズムと人道主義、いわゆる世俗的ヒューマニズムが大きく重なって受け止められていたのは、先進国の無神論+リベラル(+左派)な「良き市民」的な価値観ゆえだった。ハリウッド映画はそのエンターテイメント版である「ユーモアとペーソス溢れるハートウォーミング」な表現を洗練させて来た。
 もちろん、それに対抗する表現も作品もずっと世界各地で作られ続けて来たわけだが、敢えて挑戦的に、(大ざっぱな括りでの)ヒューマニズムに刺を刺し、観る者を感動でなく、動揺させる作品が存在感を増しているように感じているのだ。
 「アンチ・ヒューマニズム」のようなそれは、アンチそのものかもしれないし、陳腐になった表現を更新するものかもしれない。ただ、インターネットも含めたグローバリズム経済世界が必要とするであろうヒューマニズムの表現が試みられているんじゃないかとも思える。見える範囲が変われば、その定義も変わるかもしれない。例えば去年見た中でもっとも面白かった映画のひとつ『コングレス未来学会議』なんかは、人間を取り巻く状況は変化しても人間自体はあまり変わらないという話だった。だからこそ、登場人物の心の動きに共感したり泣けてしまうのだ。一方、この『ロブスター』は奇想天外な設定ながらも、より変化して見えるのは状況よりも人間の捉え方で、そういうところがアンチ・(20世紀的)ヒューマニズムみたいに思えたのだった。

 いや、まずは解釈なしにこの奇妙な世界にただ身を置いてみるだけでこの映画は楽しめるだろう。不可解な謎が、後からゆっくりと形や言葉を連れてくるような作品だ。


Bristol House - ele-king

 ブリストルと聞いて思いつくのはどんな音楽だろうか?
 先日、BBCでジャイルス・ピーターソンをホストにしてブリストルの音楽史を総括するラジオ番組が放送されたときには、サウンドシステム、ポストパンク、トリップホップ、ドラム&ベース、ダブステップという言葉と共にキーパーソンたちのインタヴューがフィーチャーされた。そうした音楽がブリストルの一面を映し出しているのはたしかだが、一方で同市には数年前からハウス・ミュージックの潮流が渦巻いている。
 面白いのはブリストルのハウスがいわゆるブリストル・サウンドと呼ばれる音楽に必ずしも直接的な影響を受けているわけではないところだ。例えばシーンの中心人物であるシャンティ・セレステは、アメリカ(とくにニューヨーク)やドイツのハウスにインスパイアされていると公言しているし、パーティにブッキングされるのはジェイ・ダニエル、アンドレス、スヴェン・ワイズマンなど市外のアーティストであることが多い。
 シーンとしてまだまだ大きな規模とは言えないが、献身的なハウス好事家たちによって運営されるレーベルやパーティは貴重なコミュニティの場として機能し始めており、今後のさらなる発展が期待される。ここに挙げた新旧5作品はその歴史の一部だ。

Typesun - Last Home DJ Nature Remix - Boogiefuture 2013

 デトロイトやシカゴ周辺のビートダウンを彷彿とさせるラストホームを、マイロの別名義であるDJネイチャーがリミックス。マイロというとマッシブアタックの前身ワイルドバンチのメンバーとして語られることが多いが、約20年ぶりに再始動したDJネイチャーの原体験になっているのは、1989年にニューヨークへ引っ越したときに味わった黎明期のハウスミュージックだ。タイプサンはブリストルの主要ハウスパーティーであるフォーリング・アップのメンバー。

Jay L - Looking Up Pt1 - brstl 2012

 同じくフォーリング・アップのメンバーであるジェイ・L のデビュー作。自身のDJセットで多用するガラージ、そして、普段から聞き親しんでいるソウルやファンクの要素をミックスしたUK産ディープハウスの傑作ルッキング・アップ・パート1を収録。〈brstl〉は、ブリストルのレコード店アイドルハンズのクリス・ファレルとシャンティ・セレステ、そして、〈イマース・レコーズ〉のキッドカットがブリストル産ハウスを紹介するために始動したレーベルだ(現在はファレルとセレステのふたりで運営されている)。

Typesun - Make It Right - Don't Be Afraid 2016

 再びタイプサン。数年前にロンドンからブリストルに拠点を移したセムテックが手掛けるレーベル〈ドント・ビー・アフレイド〉の2016年第一弾リリースでは、バンドマンでもあるタイプサンらしいセッション感溢れるアレンジが映える。別作品だが、彼がドラムを担当した珠玉のナンバー、ザ・ピーエルも必聴。

Shanti Celeste - Days Like This - Idlehands 2014

 シンプルなビートに自身の歌声を乗せた陶酔感と浮遊感が漂うトラック。ミックスしやすいように考慮されたスネアの挿入タイミングや展開には、DJとしてパーティをこよなく愛する彼女らしさが表れている。レコード店でもある〈アイドルハンズ〉はこうしたハウスだけでなく、ひとつのスタイルに限定しないディープで面白い音楽を提案し続けている。

Borai - Anybody From London - HOTLINE009 2015

 ブリストルでもっともDIYなレーベル〈ホットライン〉は決してハウスレーベルではないが、オクトーバーとのコラボレーションで知られるボライのこのトラックにはジャッキンなシカゴ・ハウスに通ずる音楽観があり、フィルインとして挿入されるブレイクビーツはかつてのフリー・レイヴを彷彿とさせる。

戸川階段 - ele-king

 YMOがピークを過ぎた頃、戸川純は、細野晴臣と高橋ユキヒロが始めた〈YEN〉レーベルから出てきたように見えたことだろう。それは間違いではないし、それによって彼女の存在を知った人も少なからずはいたことだろう。

 YMOを横目で見ていた僕にとって、それは少々違った。それよりも3~4年前、日本でもパンク・ロックをやっている人がいると聞き、僕はアナーキーやフリクションのレコードを探したり、ライヴにも行ってみた。幸運なことにアーント・サリーのライヴも観ることができた。なかではスターリンがやはりいちばんそれらしく見えた。

 正確に思い出すことはできないけれど、パンクにはやはり夢中だったと思うし、イギリスで起きたことが日本でも起きるかどうか、それについて考えないわけにはいかなかった。僕にとっては、その先に戸川純がいた。個人的にはそうとしか思えなかった。

「音楽誌にはいつでも出られる。まずは新聞に出ないと」という遠藤ミチロウの言葉が当時は強く印象に残っていて(僕だけか?)、それとは対照的にパンク・シーンはどんどんマイナーになり、汚いだけの格好はモダンですらなくなっていった。パンク・ロックをどう定義しているのかということにもよるだろうけれど、僕にとってはセックス・ピストルズが引き起こしたような社会との軋轢やパッション、そして、モダンなデザイン感覚はどうにも譲 れるものではなかった。それらをすべて兼ね備えていると思えたのが、当時は、僕にとっては戸川純だった。ソロ・デビュー・アルバム『玉姫様』を聴いたときからそう思っていたかどうかはもはや記憶にはないけれど、『裏玉姫』として録音も残っているデビュー・ライヴで目のあたりにした“パンク蛹化の女”と、シングルでリリースされた“レーダーマン”。それだけで充分だった。それから数年後に自分がヤプーズの会報誌を編集することになるとは予想もせず、ただ、その時は「日本にもパンクが!」と思うだけだった。

 戸川純は、しかし、それだけではなかった。自分が求めていた以上に彼女は引き出しが異常に多く、懐メロからワールド・ミュージック、歌詞に使われていた難しい単語に、インタヴューで語っていたナゾの世界観など、どこか雲をつかむような存在でもあった。何も消化し切れないうちに次のアルバムが出てしまうし、TVやステージのMCではパンクどころか、むしろへりくだって喋っているし、パンクというキーワードもどうでもよくなってしまった。それでも接点を探すとするならば、それはやはりエモーションに寄るところが大きいとしか言えない。後になって彼女と合意したことは、パンクというよりもセックス・ピストルズに対する共感である。極端なことを言えば“パンク蛹化の女”で戸川純が「あ~~~」と叫んでいるだけで僕はいい。あの叫びはいまもライヴ・ハウスで続いている。腰を痛めて立って歌うことができなくなった戸川純がたいていはアンコールで、あの曲だけは立っ て歌う(終わってから楽屋に行くと、そのままいつも倒れている。本当に気力を振り絞って歌っているのである)。

 戸川純をパンクに分類する人はあまりいない。本人も「徹子の部屋」で「ニューウェイヴです」と説明していたぐらいだし、べつに僕も異議はない。どこかに分類しろと言われれば、僕も戸川純はニューウェイヴに入れる。もっといえば、戸川純のバックで鳴っている音がパンクかニューウェイヴか、あるいはクラシックだろうが歌謡曲だろうが、絶対に気になるというほどではない。彼女自身もみんなのうた“ラジャ・マハラジャ”(後の“ニャホニャホ タマクロー”)とか“刑事ヨロシク”でいきなりビートたけしと“蘇州夜曲”を歌い出したりと、初めから音楽の形式にこだわっているようなところはなく、それこそ聴いたことがないのは、たぶん、弾き語りとノイズで……そう、今回、初めて戸川純はノイズをバックに歌っている。非常階段の演奏を得て“肉屋のように”や“ヒステリヤ”を録音し直しているのである。

 数年前、四谷のアウトブレイクで“好き好き大好き”を聴いたのが、この組み合わせでは最初だった。曲は解散したBISからのリクエストだったらしく、非常階段のライヴをロクに観たことがない僕は彼らの演奏があまりに上手いのに、まずは驚いてしまった。その時はあっという間に終わってしまった。その後も何回かステージをいっしょにした彼らがそのままアルバムをつくろうということになるのは自然な流れというもので、そのような話がある と聞いてから、あっという間にリリースまでたどりついてしまった。

“ヴィールス”や“ヒステリヤ”など、このところライヴでも何度か聴いている曲がノイズだらけで再現されている。正直、ノイズまみれになったところで、基本的には戸川純のヴォーカルは変わらない。最初から、あのインパクトは同じである。ノイズといってもリズム・セクションが解体されている わけではないので、曲のなかで展開される要素が少し増えたというぐらい。例によって「美味しいわ身震いする程」とか「あふれた涙で 育てた赤い花」など、歌詞が本当によく耳に残る。ここ数年ではもっとも多くライヴに通っている人なので、最近のステージをなんでライヴ盤にして残さないんだろうと思っていた僕としては、少しは思いが適ったかなと。

『蔵六の奇病』を聴いたときにも思ったことだけれど、非常階段のノイズはとても情緒的である。それも日本的抒情に限定したくなるほどグローバルな感性からはほど遠い(だから、いま、海外で受けるのだろう)。ニューウェイヴというのはクールであることが身上だったかもしれないけれど、戸川純の場合、クールなのはサウンドだけで、歌は徹底的にエモーショナルだったことが他とは違っていた(セックス・ピストルズを引き合いに出す理由ともいえる)。それが戸川階段では演奏も歌もどっちもエモーショナルで完全に混ざり合っている。80年代とはそこが決定的に異なっている(エモーショナルであることから遠ざかろうという強迫観念が80年代を覆っていて、ノイズというアプローチにはちょっとした目くらましのような効果が期待されていたともいえる)。こういうことが可能になるには、やはり、それだけ時間が必要だったのである(どうすれば80年代にエモーションが可能かということを両者は無意識に試行錯誤していたというか)。

 中原昌也が以前、「スロッビン・グリッスルみたいな音が出ちゃうと、恥ずかしくなっちゃって」というようなことを言っていた。西欧人みたいな苦悩もしていないのに、あのようなノイズ・サウンドを出しても平気だという神経は持ち合わせていないということを彼は言いたかったのだろう(西欧人からすれば中原のノイズ・サウンドは何にも縛られていないと感じるらしい)。ボアダムスやコーネリアスが出てからなのか、もっと後なのか、正確には どの時点かよくわからないけれど、どこかで日本が変わったとすれば、しかし、カツノリ・サワはそういう音を出す日本人であり(京都)、もはや中原昌也の神経に起きたような自意識のフィードバックは彼にはありえないということになる。ノイジーな表現で、しかも、秀逸なものがあるという以外に戸川階段と比較する要素はないに等しいながら、どうしても気にはなるので、名前だけでも繰り返しておきたい。昨年末にドイツの〈ゾウリムシ〉からリリ-スされた彼のデビュー・アルバムは、以前、サウンドパトロールでピックアップしたときと基本的な違いはなく、ダブステップとハード・ミニマルを掛け合わせたインダストリアル・テクノのフロントラインである。極端にソリッドでドライ、隅々まで神経が行き届いてるとは言い難いものの、勢いがそれに勝り、少なくとも日本人のデザイン感覚に変化が生じていることだけはよくわかる。

Masaki Toda - ele-king

 本作は、1980年生まれの画家、戸田真樹によるアンビエント・ミュージックである。戸田は降神や志人などのアートワークを手がけた人物としても知られているが、音楽家としての才能も素晴らしいものだ。

 彼は、自分の部屋で流す理想のアンビエント・ループを求め、調整に調整を重ねて、本作の楽曲を作り上げた(だからこそ『室内アンビエント』なのだろう)。完成当初は、ごく一部に配布されたのみであったが、一度、その楽曲に触れたものは、その正式なリリースを望んだという。それほどに素晴らしい音楽であったのだ。その意味で、このCD化は、まさに僥倖といえよう。彼の絵画作品を収録した小さなブックレットも、紙質・印刷ともに素晴らしいものだ。
 
 私は、このCDを入手してから気がつけばえんえんと流している。そう、誇張抜きで「ずっと聴けてしまう」作品なのだ。なぜだろうか。そのループのテンポ、レイヤー、音色が人本来のリズム感覚と絶妙にシンクロしているからだろうか。どのような状況でも、ごく自然に、体に入ってくるのだ。まるで絵画の色彩のような音。私は本作を聴きながら、戸田の絵画作品のように空間に溶け込んでいく色彩感覚を感じたものだ。

 もちろん、本作は単純なループものではない。水の音、淡いピアノ、透明なギター、声、微かなノイズなど、さまざまな音が繰り返され、重ねられていく。その音の連鎖は心を鎮静化する。暮らしの中の空気を変える。しかし大袈裟に主張するわけでもなく、時間の中に溶け込んでいくのだ。
 
 アルバムは傷だらけの、しかし親しみ深い古いレコードを再現するかのような淡いピアノの音色を反復する“始まり”から幕を開ける。つづく2曲め“なだらかな丘”では、ぐっと音像が広がり、厳しさと心地よさを兼ね備えた水の音にピアノの音色が折り重なり、桃源郷のようなアンビエンスが展開されていく。3曲め“ライト”では木琴のようなカラカラと乾いた音に、ときに深い響きを与えて反復させていく。

 そして4曲め“理想夢”。この曲こそ、アルバムを象徴するトラックに思えた。微かな声、水の音、アコースティック・ギターの旋律の差異と反復。まさに白昼夢的な音響空間が耳と身体と空間に浸透していく。以降、“スペース”“前世1 Part2”と、深い音の領域へと潜るように音楽が紡がれ、最後の曲“ミッド・ピアノ”では、再び夢の中で聴いたようなピアノが鳴りはじめるだろう。そこに不意に介入するような声と電子音が、現実と夢の関係を反転する……。
 こうして全曲を通して聴いてみると、音色やループの絶妙さもさることながら、アルバムとしての構成が非常に練られていることがわかってくる。1曲めからラストまで、ひとつの(複数の)時の流れが見事に織り上げられているからだ。それは「物語性」というよりは、記憶の表層をやさしく刺激し、より深い意識の領域の光を当てる……そんな「時間」の生成だ。

 断言しよう。このアルバムはアンビエント・ミュージックの傑作である。だが急いで付け加えておくと、このアルバムに傑作という大袈裟な言葉は似つかわしくない。慎ましく、繊細で、しかし、大胆な試みが、そしらぬ顔で遂行されているアルバムなのだ。そう、永遠に聴けるアンビエントを目指すこと/実現すること。

 私はここに10年代初頭からひさしく失われていた「ひとりのための音楽」という大切なアティチュードを感じた。ひとりからひとりへ届く音。ある部屋から生まれたアンビエントが、また誰かの部屋のアンビエンスを満たすこと。永遠に聴ける孤高のアンビエント。そんな「ひとりのための音楽」を求める音楽(アンビエント)愛好者にぜひとも届いてほしい。そう心から願うアルバムである。

『RAP PHENOMENON』とは? - ele-king

 Moe and Ghostsと空間現代。スタイルは異なれど、両者とも音楽からはじまり、アートに、文学に、私たちの思考の中に、その試みと波紋を広げている存在だ。そしてその両者による刺激的なコラボレーション・アルバムが、昨年開催された〈HEADZ〉の20周年イヴェントを起点として進められてきた模様で、この4月に登場する。Moe and Ghostsのラップ、空間現代の実験に加え、明らかにされている使用テキストにジャケット写真、録音からミックスまで隙なく、ただイヴェント的な性格のコラボ・アルバムとは大きく異なっていることが察せられる。何重にも意味がかかるように見える新たな話題作『RAP PHENOMENON』は、どのような怪現象を見せてくれるだろうか。

 2012年に発売され異形のフィメールラップ・アルバムとして話題となった1st『幽霊たち』から4年振りの作品リリースとなる"Moe and ghosts"と、昨年はオヴァルやマーク・フェル、ZSなどが参加したリミックスアルバム『空間現代REMIXES』をリリースし、日本最大級の国際舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョー」に出演するなど各方面で注目を集める"空間現代"のコラボ・アルバムが完成。

 2015年に開催されたHEADZの20周年イベントにて披露されたこのコラボレーションは、昨年より制作/レコーディングが進められ遂に完成となった。巷の安易なコラボではなく、互いが互いの音楽を研究しつくし、互いの音楽が寄り添いつつ並列する、前代未聞のコラボレーション、前代未聞のラップ・アルバムに仕上がった。(以下、続報を待て!)

Moe and ghosts × 空間現代
『RAP PHENOMENON』

カタログ番号:
UNKNOWNMIX 42 / HEADZ 212

発売日:
2016年4月6日

定価:
2300円+税

Moe and ghosts
ラッパーの萌とトラックメイカーのユージーン・カイムによるゴーストコースト(彼岸)ヒップホップグループ。2011年に本格的にラップ・トラック制作をはじめる。2012年8月、初リリースにしてフルアルバム『幽霊たち』発売。

空間現代
2006年、現行メンバー3人によって結成。編集・複製・反復・エラー的な発想で制作された楽曲を、スリーピースパンドの形態で演奏。これによるねじれ、 負荷が齎すユーモラスかつストイックなライブパフォーマンスを特徴とする。近年では演奏における一つの試みとして、並走する複数のグルーヴ/曲を行き来しながらも、ライブに流れる時間全体が一つのリズムとして立ち現れてくる様なライブ形態の
構築と実践に取り組んでいる。東京でのライブを活動の中心としながらもECD/飴屋法水/大橋可也&ダンサーズなど先鋭的なアーティスト達とのジャンルを超えたコラボレーションも積極的に行っている。現在は京都において 断続的に公演される演劇作品、劇団「地点」によるブレヒト戯曲作品『ファッツァー』の音楽を担当。

まっすぐ - ele-king

「人とは、何と複雑でもろく、そして強いのだろう」

7年ぶりの新作『恋人たち』へつながる軌跡。
書き下ろしを含む最新エッセイ

7年の沈黙をやぶり、待望の長編新作『恋人たち』を発表した橋口亮輔監督による、2013年3月からweb連載している内容を再編集した最新エッセイ集。『恋人たち』が生まれる
きっかけとなったワークショップのこと、リリー・フランキーや倍賞美津子、加瀬亮など俳優たちとのこと、連載のきっかけとなった木下惠介監督、『二十才の微熱』を見た
淀川長治、巨匠大島渚との邂逅…… 一つひとつの日常を積み重ねて、真摯に現実と向きあってきた橋口亮輔監督の姿が浮かび上がる。『恋人たち』を読み解くサブテキスト
として、現在の橋口亮輔監督を知るうえでの必携の一冊。

当時の僕は、かなり疲弊した後だったので、
映像のお仕事も、書くお仕事にも自信を失っていた。
だから、この連載もリハビリのつもりで始めさせていただいた。
そして、自分の人生の美しく楽しい側面を書いていこうと決めた。
毎月、毎月、自分の人生にはこんな良い時間があった、
こんなに大好きな人がいるんだと確認しながら、自分自身を肯定していく。
そんな連載になった。
―あとがきより―

目次

二〇一三年
三月  父
四月  ワークショップ
五月  原 恵一監督
六月  小松崎茂
七月  木下惠介 その一
八月  木下惠介 その二
九月  リリー・フランキー
十月  ゼンタイ
十一月 淀川長治
十二月 大島渚監督  

二〇一四年
一月  山田洋次監督
二月  大切な友人 その一
三月  大切な友人 その二
四月  倍賞美津子さん
五月  おすぎさん 野上照代さん
六月  モチベーション
七月  加瀬 亮
八月  夏の日
九月  喋楽苦
十月  仕事
十一月 木村多江
十二月 ローマの休日

二〇一五年
二月  会長
三月  木野花さん
四月  スーパーの女
五月  尊敬する人
六月  特撮
七月  明星/Akeboshi君
八月  害虫駆除
九月  AD 時代
十月  映画『恋人たち』
十一月 映画『恋人たち』の俳優たち
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―黄色いチューリップ― あとがきに替えて


【7年ぶりの長編新作『恋人たち』が多数の映画賞を受賞! ! 】
第89回キネマ旬報ベスト・テン
(日本映画ベスト・テン第1位・監督賞・脚本賞・新人男優賞)

第70回毎日映画コンクール
(日本映画大賞・録音賞)

第58回ブルーリボン賞
(監督賞)

第39回日本アカデミー賞
(新人俳優賞)

第30回高崎映画祭
(最優秀監督賞・最優秀助演男優賞・最優秀新進俳優賞)

第37回ヨコハマ映画祭
(監督賞・助演男優賞・日本映画ベストテン第2位)

第12回 おおさかシネマフェスティバル
(作品賞 ベストテン1位・脚 本 賞)

第45回ロッテルダム国際映画祭正式出品

著者
橋口亮輔(はしぐち・りょうすけ)
映画監督。1962年長崎県生まれ。1993年『二十才の微熱』が劇場記録を塗り替える大ヒットを記録。1995年の『渚のシンドバッド』ではロッテルダム国際映画祭でグランプリなど数々の賞に輝く。2002年の『ハッシュ!』では、第54回カンヌ国際映画祭監督週間に正式招待され、世界70カ国以上の国で公開。2008年の『ぐるりのこと。』では、初主演の木村多江、リリー・フランキーに多くの演技賞をもたらした。2015年秋、待望の7年ぶりの長編新作『恋人たち』が公開。第89回キネマ旬報ベスト・テンで第1位を獲得したほか、数々の映画賞を受賞した。

interview with DMA's - ele-king


DMA's
DMA's

Infectious / ホステス

Rock

Tower HMV Amazon

 DMA'sを本当にオアシスの後継だと考えるひとはいるだろうか? もちろんひとつの売り文句にすぎないが、そうした喧伝が彼らに翼をつけるとも思われない。われわれはべつに次のオアシスを求めているわけではなく、ただそこで90年代のUKインディを思わせる音が素朴に素直に鳴っていることを喜び、また、オーストラリアのバンドであるという出自が、洒落っ気と愛嬌を伴った「いなたさ」としてうまく読み替えられていることに大いに反応しているのだ。

 素朴さの価値はいまそれほどまでに高い。そして、コートニー・バーネットの存在によってにわかに熱いまなざしを向けられているオーストラリアは、その金脈であるかのように幻想されている。彼女は先日グラミー賞「最優秀新人賞」にノミネートされたが、むしろその事実よりも、ロンドンでのゲリラ・ライヴの様子のほうが、この現象をうまく伝えているといえるだろう。みな、ロックを継ぎ得るヒーローではなくて、ふと聴こえてきた素朴さ、その清新な力に足を止めているのだ。

 それに加えて、昨年作『カレンツ』の絶賛ムードで存在感を増したテーム・インパラもオーストラリア熱を支える。系譜としては彼らに近いサイケ・バンド、ガンズにジェザベルズ、あるいはシドニーのインディ・ポッパー、アレックス・ザ・アストロノート、もう少しヴィンテージ感のあるオーシャン・アレイなどなど、ロックはどこに残っているのかと「発掘」が止まらない。

 しかしてDMA'sは? 彼らもまた、素直で少し懐かしい音を聴かせてくれる。ただし、アークティック・モンキーズ以降のロックであることがわかる。かつ、90年代のUKインディだけではなく、同時期のUSインディの感覚もうっすらと漂う。「オルタナ」という名のまま古びていった音を、彼らはいまの感性のまま無邪気に楽しんでいる。

 また、キウイ・ポップの牙城にして、USインディとかの地のロックとの紐帯である〈フライング・ナン〉とも関わりが深いようだ。一貫してガレージ―で素朴なスタイルによって強固なレーベル・カラーを築き愛されてきた彼らの縁戚に、このようにフレッシュなバンドが生まれていることは、現在のバブル状況に関係なく、そもそものシーンの層の厚さを証明しているといえるだろう。

 よって、DMA'sについてはもう、聴くだけだ。彼らが楽しむようにわれわれも楽しめばいい。ただ、ロックというジャンルの可能性について割合にクールな視点を持っているところは現代ふうというべきである。けっしてレイドバック志向なわけではない。コートニー・バーネットがそうであるように、彼らはとても自然にその音を呼吸していて、それがなにより気持ちよいと感じる。もし「大型」新人と呼ぶのなら、そのような点をこそ大型と表現したい。

■DMA's / ディー・エム・エーズ
オーストラリアはシドニー出身の3ピース。トミー・オーデル(Vo)、ジョニー・トゥック(Gt)、マット・メイソン(SW, Gt,Vo)によって2012年に結成。地元の小レーベル〈I Oh You〉からのシングル・リリースなどを経て〈Infectious〉と契約。2015年11月、日本独自EPをリリースし、その直後初来日している。2016年2月、デビュー・アルバム『ヒルズ・エンド(Hills End)』を発表。

シドニーではオーストラリアのヒップホップがとても人気だよ。あとはEDMみたいなエレクトロニック・ミュージックとかね。(ジョニー・トゥック)

みなさんは何歳なんですか?

マット・メイソン:平均26ってとこかな。俺は25歳、ジョニーが26歳で、ここにはいないトミー(・オーデル)が27歳だから。

楽器やバンドをはじめるきっかけになったアルバムやアーティストを教えてください。

マット:俺は13歳のときにソニック・ユースを聴いたのがきっかけでギターを弾きはじめた。友だちのバンドに巻き込まれて、みんなと同じ音楽を聴くようになった。

ジョニー・トゥック:若いころはそこまで音楽が好きじゃなかったんだけど、学校で楽器ひとつをクラリネットとベースの二択からを強制的に選ばせられて、自分はベースを弾くようになった。クラリネットでもよかったかもね(笑)。それでベースをやるようになったら、お父さんがジョニー・ミッチェルの曲を教えてくれて、それを聴いてすごくインスパイアされた。

シドニーではどんな音楽に人気がありますか? またUKとアメリカを比べるとしたらどちらの影響が強いですか?

マット:オーストラリアはイングランドの子どもみたいなものだけど、アメリカの影響のほうが最近は強いと思う。

ジョニー:シドニーではオーストラリアのヒップホップがとても人気だよ。あとはEDMみたいなエレクトロニック・ミュージックとかね。でもヒップホップのMCがオーストラリアなまりでラップしてると、ちょっと笑っちゃうよね(笑)。アメリカでもイギリスなまりでもなくて、オーストラリアなまりで歌うひとも一部にはいるよ。俺たちが好きなポール・ケリーもそうだし、最近出てきたコートニー・バネットなんかも彼にすごく影響を受けているねと思う。あと、ハードコア・メタルが人気で、他の街のメルボルンにはメルボルンのシーンがあったりする。

オーストラリアのインディ系レーベルで1年以上続いているってすごいことだよ。(マット・メイソン)

〈アイ・オー・ユー(I Oh You)〉というレーベルについて教えてください。とくにロック専門レーベルというわけではないですよね。シドニーでどのような役割を担っているのでしょうか?

マット:最初はレーベルもマネージャーもいない状態でやっていたんだけど、あるときビデオをとってネットにアップしたら、マネージャーやブッキング・エージェントみたいなひとたちから、連絡が舞い込んでくるようになった。その流れでいまのマネージャーが決まって、彼が〈アイ・オー・ユー〉を教えてくれたんだよね。大きなレーベルじゃないし、所属アーティストもそんなにいないんだけど、オーストラリアのインディ系レーベルで1年以上続いているってすごいことだよ。すごくヘヴィーなバンドや、俺たちに似ているバンド、女の子のポップ・シンガーとも最近契約したよ。音楽的には幅広いし、運営の仕方もすごくうまいからオーストラリアですごく大きな存在になると言われているし、俺たちも彼ならそうなれると思っているよ。

ニュージーランドについても教えてください。〈フライング・ナン(Flyng Nun)〉やサーフ・シティといったバンドがいて、彼らにはオリジナリティがありますが、同時に90年代の音楽を参照することもあります。ニュージーランドのシーンは馴染み深いものですか?

ジョニー:よく行き来はするよ。実際にいまのライヴ・バンドのギタリストはポップ・ストレンジっていう〈フライング・ナン〉と契約しているバンドのメンバーなんだよね。だから好きなバンドも多いけど、いろんな音楽を聴いているから、とくにニュージーランドのシーンから影響を受けているわけではないかな。

新しい音楽はどのようにして知りますか? 

マット:友だちから教えてもらうことは多いよ。〈アイ・オー・ユー〉のヨハン(Johann Ponniah)がいろいろおすすめしてくれるんだ。あとスポティファイはいいよね。それからいまはライヴ・サーキットにもよく出ているんだけど、知らないバンドのライヴが見られるから、新しい音楽を知るきっかけになっている。

自分たちが楽しめる曲を書いていたらそうなっただけ。だから、昔の音楽に似ているものをやろうとは思ったことはないね。(マット・メイソン)

いまの音楽と比べると、90年代や80年代の方に好きなバンドは多いですか?

マット:たしかに普段聴く音楽は昔のバンドが多いけど、その理由は自分でもよくわからない。でもだからといって、いまの音楽がよくないとは言いたくないし、いいバンドもたくさん出てきているけど、全体的なテイストは時代とともに変わってしまって、自分たちは昔の方が好きなんだと思う。

よく80年代や90年代のバンドと比較されることが多いと思いますが、あなたたちはそういった音楽を参照している意識がありますか? また〈ファクトリー〉や〈クリエイション〉といったレーベルに興味がありますか?

マット:90年代の音楽はよく聴くんだけど、ものすごく影響を受けたわけでもなくて、自分たちが楽しめる曲を書いていたらそうなっただけ。だから、昔の音楽に似ているものをやろうとは思ったことはないね。それからトミーはイギリスの音楽を聴くんだけど、曲を作る俺たちはそこまで聴くわけでもない。

エレクトロニック・ミュージック、たとえばダンス・ミュージックといった他のスタイルにも興味がありますか? 

マット:バンドをはじめたときは生ドラムじゃなかったから、ドラムマシーンを使っていたんだけど、いまはリアムっていうものすごくいいドラマーがいるから必要ない。でも将来的にはまた使う可能性もあると思う。自分たちが新しいシンセを買えば、セカンドではそれを使うし、個人的にヒップホップのビートを作ったりもしているから、エレクトロニック・ミュージックの要素を取り入れる可能性はいまでも十分にあるよ。トミーはダンス・ミュージックのファンでいろいろ聴いているしね。

アルバムの構成はどのように考えたのでしょうか?

マット:本当にシンプルに全体のバランスを考えただけだよ。ビリヤードの玉を三角に並べるときって隣に同じ玉がこないように揃えるけど、そんな感じでラウドな曲と静かな曲が続かないように意識した。

ジョニー:あと全体のダイナミズムは考えたよね。

マット:ストーリー・ラインがあるわけでもないし、曲の流れを決めていたくらいで、そこまで考えて構成したわけでもない。でもEPで作った流れをこのアルバムでも続けたいとは思った。

世の中を変えるような可能性があった頃からやっているひとたちにとっては、そんなこと意味がないように見えるかもしれないけど、いまやっていることにだってちゃんと意味があるんじゃないかな。(マット・メイソン)

「DMA」とはどのような意味を持つ名前なのでしょうか?

マット:初期のバンド名の省略で、とくに意味はないよ(笑)。自分たちの音楽を表すシンボルみたいなものなんだけど、みんなどんな意味があるのか勘ぐるんだよね。オランダのラジオ局へ行ったときは20個くらい意味の候補があって、ここでは言えないような名前の省略形を考えついたひともいた(笑)。そういうのもおもしろいけど、実際には何の意味もないんだよね。

ロックという音楽はいまでも多くのバンドを生んでいますが、音楽的なポテンシャルやその可能性は出尽くしたと思うことはありませんか?

マット:新しく出てきて一気に世の中を変えてしまうような音楽が生まれるという点に関しては、ロックはポテンシャルを失っていると感じることはあるけれども、もう既にあるジャンルで自分が好きなことをやることはできるし、それを楽しむことも可能だと思うよ。世の中を変えるような可能性があった頃からやっているひとたちにとっては、そんなこと意味がないように見えるかもしれないけど、いまやっていることにだってちゃんと意味があるんじゃないかな。

みなさんにとってロックバンドがどのような価値を持ったものなのか教えてください。

マット:ロックバンドをやるってことは、やっていることを楽しむってことだよ。自分たちにとってはね。

女の子は本当にピンクが好きなのか - ele-king

女の子は本当に〈ピンク〉が好きなのか?

国を越えてこれほど多くの女児がピンク色を好むのは、いったいどういうわけなのでしょう。 二女の母としての素朴な疑問からはじまる、〈ピンク〉の歴史と現代女児カルチャーの考察。 玩具からアニメまで、ドメスティックな現象から海外シーンまで。
女の子が、そして男の子が、のびのびと自分を認められる社会のために──。

“ギーク母さん"こと『萌える日本文学』(幻冬舎)や『ギークマム―21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア』(共訳、オライリージャパン)などの著者、堀越英美がウォッチする現代女児カルチャー事情。

欧米ではこうしたピンク攻勢に警鐘を鳴らす声も大きく活発な議論がかわされています。 本書では「ピンク・グローバリゼーション」現象を取り巻く議論をふまえ、近年社会現象となったアニメ作品や、欧米を中心に模索されているさまざまな玩具に顕著な女児たちの価値観の変遷を分析、そしてピンク色まみれの女児たちが自立した大人となる道を模索します。

もっともピンク色に溢れているように見える女児向けコンテンツの世界から、いまその窮屈さをはねのけるいきいきとしたアイディアが芽吹きはじめているようです。

目次

イントロダクション

第一章 ピンクと女子の歴史
ピンク=女子はフランス発/きらびやかな男性たち/子供服における男女の区別/
黒を追放してピンクを手にせよ/五〇年代アメリカとピンク/
厭戦カラーとしてのピンク/ウーマンリブの登場/日本におけるピンク

第ニ章 ピンクへの反抗
女子向けSTEM玩具の登場/ピンクに反逆する女児たち/ピンク・スティンクス/
政治問題としてのピンク・グローバリゼーション/ジェンダーと玩具/
ファッションドールが女の子に教えること

第三章 リケジョ化するファッションドール
バービー売上不振の理由/〈プロジェクトMC2 〉とギークシック/
イギリス生まれのSTEMドール〈ロッティー〉/セクシーすぎない女子アクションフィギュア/
多様化するドール界/男の子だってバービーで遊びたい! /技術があれば女の子も戦える

第四章 ピンクカラーの罠 日本女性の社会進出が遅れる理由
〝女らしい職業〟と現実とのギャップ/ピンクカラーの罠/
なぜ女の子はピンクカラーに向かうのか/改善されない日本/ピンクは母性と献身の色/
「プリンセス」は「キャリア」ではない/「かぐや姫」を守るためにできること

第五章 イケピンクとダサピンク、あるいは「ウチ」と「私」
ピンクへの拒否感/ダサピンク現象/主体としての一人称「ウチ」/
性的客体化が女子に与える害/主体としてのイケピンク

第六章 ピンク・フォー・ボーイズ
ピンクの好きな男子たち/「カワイイ」と男子/男の子への抑圧/
中年男性も「カワイイ」世界へ/『妖怪ウォッチ』と『アナ雪』が切り開く時代/
新しいディズニープリンセス

あとがき

IO - ele-king

イメージがリアルを追いつめる “CHECK MY LEDGE”

 2015年の東京のアンダーグラウンドを騒がせたビッグ・ハイプのひとつは、間違いなくKANDYTOWNだった。世田谷区南西部のベッドタウンを拠点とするこのクルーは、ランダムにドロップするヴィデオやミックステープ、さらにはストリート限定のフィジカルCDを通じて、東京の山の手エリア特有の、アーバンで洗練された空気を緻密に演出してみせた。トラックメイク、ラップとともに、映像制作やモデルまでこなす総勢15人。北区王子や川崎南部など、東京の郊外エリアからハードコアなバックグラウンドのトラップ・ミュージックが隆盛する中、「KANDYTOWN」という架空の街のコンセプトと、メロウなサンプリング・アートによって構築される90’Sサウンドは異彩を放っていた。じゅうにぶんに盛り上がったハイプと、おそらくは水面下でくすぶるジェラス混じりの反感。デビューの舞台としては申しぶんない好奇心が渦巻く中、KANDYTOWNの中心人物であるIOのファースト・ソロ・アルバム『SOUL LONG』はリリースされた。

 結論から言おう。IOは見事にハイプの内実を埋めた。彼はこの30年来の日本のヒップホップの伝統の正統な後継者だ。そして同時に『SOUL LONG』は、ジャンルの壁を超え、CEROやSUCHMOSなど、ヒップホップ以降のソウルやファンク、ジャズの咀嚼を通じてシティ・ポップスを現代的に更新/拡張しようとする、新世代のインディ・バンドたちの隣に置かれるべきレコードでもある。つまり、日本の若い世代による、アメリカ音楽のコンテンポラリーでフレッシュな再解釈。そこには、これまでの日本のヒップホップのエッセンスの継承だけでなく、それ以前から東京の文化エリートが綿々とつむぎ続けてきた、外国音楽の真摯な翻訳の伝統が息づいている。豪華プロデューサーたちの集結をうけて、巷では「日本版Illmatic」との言葉も飛び交っているみたいだけれど、『SOUL LONG』は20年前の黄金期ニューヨーク・ラップの焼き直しなんかじゃない。これは、噴出するリアルに対抗しようとする、想像力を武器にしたスタイルの美学だ。

                   *

 ルー・コートニーの“SINCE I LAID EYES ON YOU”の流麗なコーラスをバックに亡き親友の肉声をサンプルする”CHECK MY LEDGE”から期待を裏切らない。腰を落ち着けたIOのラップはどこまでもスムース。いわゆるトラップ以降の、フロウの独創性とフレーズの面白さで勝負する最近の流行とはまるで真逆だ。フロウを壊さぬようになめらかなライミングをキープし、ヴァースの終わりには狙いすましたパンチラインをキックしてみせる。それ以降も、なかばクリシェ的なセルフ・ボースティングやワン・ナイト・スタンド的な色恋沙汰、警察の職務質問をかわすきわどいシーンまで、あくまで一線を越えないクールさだ。

 世代を超えた精鋭プロデューサーたちによるトラックもそれぞれの個性を際立たせながら統一感を失わない。新世代の筆頭、ビート・アルバム『OMBS』で世界水準のビート・メイカーであることを証明したSIMI LABのOMSBによる“HERE I AM”、そしてDOWN NORTH CAMPの若きキーマン、KID FRESINOがビート・メイクとリミックスでの客演をこなす“TAP FOUR”が、とにかく素晴らしい。NEETZが笠井紀美子の楽曲をサンプルして90年代生まれのIOが歌う“PLAY LIKE 80’S”も、いまの東京のバブリーで、どこか殺伐とした空気をうまく切り取っている。KANDYTOWNの面々をゲストに迎えた“119MEASURES”ではスリリングに、BCDMGのJASHWONによる“CITY NEVER SLEEP”では叙情的に、それぞれ対照的にストリングスを使いわけるバランスも新鮮だ。
 クライマックスの終盤、ライムスターのMummy-Dによる完全に90’Sマナーの“PLUSH SAFE HE THINK”ではジャン・ミシェル・バスキアをさらりと引用し、生歌の日本語フックに挑戦した疾走感溢れる追悼タイトル・トラック、“SOUL LONG”はKING OF DIGGIN’、御大MUROプロデュース。いまや太平洋を越えた現象である、90年代の黄金期ニューヨーク・ヒップホップ再評価の流れに呼応して、どれもトラップ的なアプローチとは一線を画す、メロウな90’Sサウンドだ。とくにMummy-DとMUROのベテランならではのプロデュース・ワークは、フレッシュでありながらオーセンティック、というアルバム全体の印象を決定づけている。リリックには故DEV LARGEの名もさらりと飛び出すけれど、彼が存命中ならきっとこの豪華布陣に名を連ねていたに違いない、なんてことも思わずにはいられない。

 日米の90’Sリヴァイバラーの中でのIOの個性は、間違いなくそのメロウネスにある。それはけしてサンプリングを基調としたサウンドのムードだけのことではない。スムースなラップというのはたいてい歌に接近するものだけれど、IOはあくまでクラシカルなラップによって、ソウルフルなフィーリングを表現する。たとえば、ビースト・コーストの震源であるニューヨークのPRO ERAとその中心人物JOEY BADA$$には、サウンドにもリリックにもハードコアなヒップホップ・マナーが顕著にみてとれるし、そもそも長らく90’Sヒップホップの文法に呪縛されてきた日本のシーンで、真の意味での90’Sリバイバルを決定づけたFla$hBackSの洗練されたサウンドにさえ、そのフロウやビート・マナーには言語化以前の鋭い反抗のアティチュードが感じられる。それに対してIOは、あくまで優雅でドライなスタンスを崩さない。葛藤や苛立ちの棘、強い叙情を完璧なまでにコントロールして、ひたすらソフィスティケートされたドラマを演出してみせる。

 ラップというのはえてしてリアルを追求するものだけれど、ここにあるのは逆に、イメージを駆使してリアルを塗り替えようとする想像力だ。KANDYTOWNのミックスやヴィデオにはアメリカのソウルだけでなく、山下達郎の“甘く危険な香り”など、日本産のシティ・ポップスが印象的に登場する。そのことを踏まえれば、口にしてはいけないことを口にしない、この禁欲的な美学は、かなり確信犯的に選びとられている。東京郊外でリアリティ・ラップが盛り上がり、地上波ではフリースタイル・バトルの泥くさい熱気が溢れる中、サウンドの感触と言葉選びによって演出されるこのクールネスは、そのスムースな見た目とは裏腹に、とても野心的なものだ。郊外のトラップ・ミュージックがVICE JAPANのショート・ドキュメンタリーをきっかけに注目を浴びたのとあえて対比させるなら、IOとKANDYTOWNのバックボーンには明確に、映画的な感性がある。

 シティ・ポップス的な想像力を媒介とした、ヒップホップ以降のソウルやジャズ、ファンクのメロウネスの再構築。その音楽的な方向性は、足取りはまったく真逆だけれど、現在の日本のインディ・ロックともリンクする。それは、たとえばCEROがディアンジェロやロバート・グラスパーを経由して最新作『OBSCURE RIDE』で完成させたサウンドや、KANDYTOWNの一員である呂布も客演するSUCHMOSのデビュー盤『THE BAY』とも、切れ目なくつながっている。事実、CEROの“SUMMER SOUL”の12インチのリミックスを担当したのはOMSBだし、STILLICHIMIYAの田我流とカイザーソゼ、5lackの生バンドとのセッションなど、最近のアンダーグラウンド・シーンはバンドサウンドとの実験的融合に舵を切りつつある。
 ただ、こうした交錯現象は、いわゆるクロスオーヴァーとは少しおもむきが違う。本作には昨年急逝したKANDYTOWNの創設者、YUSHIが残したラップやビートがいくつか使われているけれど、彼はかつて、現在のOKAMOTO’Sの前身バンドのフロントマンをつとめていた。つまり、異なった音楽的バックグラウンドを持つ者たちが異種交流し、ハイブリッド的になにか生み出しているというよりは、もともと共通の音楽的素養を持つ者たちが、アウトプットとしてそれぞれ異なる表現方法を選ぶことで、自然にジャンルの壁を超えた交錯が生まれているとみるべきだ。これはディアンジェロやグラスパーの登場を背景とする、90年代以降のヒップホップを軸にしたソウルやジャズの更新なしにはありえなかったことだ。

 少し大げさな話になってしまうけれど、文句なしに去年のベスト・アルバムだったケンドリック・ラマーの『TO PIMP A BUTTERFLY』は、ヒップホップの人脈と若手のジャズ・プレイヤーの人脈が実際の血縁関係も含むクランとしてつながり、その制作を支えていた。サウンド面でのリーダーだったテレス・マーティンにいたってはア・トライブ・コールド・クエストとの出会いがきっかけでジャズの魅力に没頭していったというから、ようはヒップホップ以降の世代にとって、マシンのビートと生楽器による演奏というのはとくに大仰に線が引かれるものじゃない。J・ディラ以降の身体的なズレを反映させたマシン・ビートはすでにクリス・デイヴなど、ディアンジェロやグラスパーのサウンドを支えるドラム・プレイヤーによって、再帰的なプレイ・スタイルに昇華されてさえいるのだ。もちろん『SOUL LONG』そのものは、オーソドックスなヒップホップの方法論で制作されているけれど、そのスタイルがメロウネスを結節点にシティ・ポップスとの共振の萌芽をみせていることは、今後のシーンの動向を占ううえでも非常に重要だ。

 このアルバムのリリースされた2月14日は、KANDYTOWNとっては肉親同然の幼馴染みだった、故YUSHIの一周忌にあたる。作品に昇華するにはいまだ生々しいだろうその傷も、YUSHIの遺した謎の言葉を「ソー・ロング(さよなら)」と読ませるタイトル、詩的なリリックやアートワークを通じて、あくまでも寡黙に、コンセプチュアルに表現される。KANDYTOWN名義のミックステープ『KOLD TAPE』では、サックスをフィーチャーしたバンドサウンド、大橋純子の“キャシーの噂”といった昭和歌謡、JAY-Zやディアンジェロなどの90’Sクラシックをひょうひょうとビートジャックする、自由奔放な実験が繰り広げられていた。『SOUL LONG』のストイックなサウンドとワード・チョイスはおそらく、確固たるスタイルの美学に従って構築されている。

 KANDYTOWNのベースにシティ・ポップス的な洗練の美学がある、というのは、けして表面的な直感だけにとどまらない。1980年代に誕生したシティ・ポップスという日本独自のジャンルを牽引した大瀧詠一や山下達郎といったミュージシャンは、アメリカから遠く離れた島国で、本来は借りものであるソウルやドゥーワップ、ロックンロールなどの海外音楽のエッセンスを抽出し、綿密な計算にもとづいて、なかばフィクショナルに都市的な洗練を演出しようとしていた。それは同時に、直前の学生運動の熱狂、そしてその運動に同期したフォーク・ミュージックの情念や直接的なポリティカル・メッセージから意識的/無意識的に距離をとり、自分たちの新たなリアリティを創造する試みでもあった。

 海外音楽をヒントにした新たなリアリティの創出、というその伝統の遺伝子は、90年代来の日本のヒップホップのルーツにも、もちろん強く刻印されている。そもそもヒップホップのサウンドは、ジャズやソウル、ファンクの偉大な遺産を切り刻み、自分勝手なフレッシュさで再構築するという不遜な哲学にもとづいているけれど、参照先の音楽的遺産がもとより輸入文化である日本では、その情熱はいよいよレコードというフェティッシュなモノへのネクロフィリック(屍体性愛的)なものにならざるをえない。掘りおこした黒いヴァイナルに封印された異国の音楽の屍骸をむさぼり、その音の魔力を血肉化して、自分たちの新たなリアリティの発明を試みる若者たち。そのとても豊かで、どこか屈折した光景は、日本のヒップホップにとっての、愛すべき原風景でもある。

 おそらく、リアリティ・ラップの台頭をうけて最近よく口にされる、裕福なフィクションの時代が終わり、より切実なリアルの時代が始まった、という一見わかりやすいストーリーそのものが、ひとつの罠なのだ。なぜならヒップホップの母胎となった1970年代のニューヨークのゲットーは、警察も立ち入れない、ギャングによる熾烈な内戦状態にあった。いくら経済格差が拡大しているとはいえ、数字上の治安状態としてそこまでの荒廃を経験してはいないはずの日本から、生々しいラップ・ミュージックが生まれる理由は、なし崩しに下降線をたどる自分たちの社会の現実に、ゲットーという虚構=フィクションの補助線を引くことによって、初めて理解される。いかなる切実なリアリティも、リアルにフィクションを足すことなしには存在できない。客観的に現実を切り取ろうとするドキュメンタリーさえ、作り手の主観なしにはけして成立しないように、ここには、リアルとフィクションをめぐる、根源的な秘密がある。

 そして、ヒップホップにおいてそのリアルとフィクションの配合の秘密は、誰もが知るひとつの言葉で表現される。つまり、スタイル、と。いみじくも「スタイル・ウォーズ」という言葉に端的に表れている通り、ヒップホップにとってスタイルとは、けして表層的な飾りではない。明確な意志で選びとられたスタイルこそが、リアルに拮抗するリアリティを創りだし、やがてリアルそのものを変えていく。東京の地下のクラブで、物静かなベッドタウンで醸成された異国由来の夢は、いまその狭い空間から溢れ出し、震災後の東京の真っ暗な路上を覆おうとしている。このロマンティックなドラマは、リアルから逃避するのではなく、リアルをなぞるのでもなく、リアルに牙をむいているのだ。

 KANDYTWONのホームである世田谷区喜多見は閑静な住宅街だ。そこから大規模な再開発によってバブリーな賑わいをみせる二子玉川を抜けて、さらに多摩川を下流にそって橋を渡ると、東京近郊のリアリティ・ラップの雄、BAD HOPを擁する川崎市がある。デ・ラ・ソウルやパブリック・エネミーら、ロングアイランド郊外のサバービア・ヒップホップに対し、インナーシティのプロジェクトから突きつけられたのが、Nasのハードコア・ラップだった。KANDYTOWNが提示するのは、むしろ東京の山の手エリアの音楽的な歴史の蓄積の豊さだ。そこには、ニューヨークと東京の地政学的なズレを背景とした転倒がある。音楽の力学は、都市の力学の反映でもあるのだ。音とイメージはからみあい、ほどけ、予想もしない仕方で連鎖する。

 そして2015年のもうひとつのビッグ・ハイプは、また別な架空の街をつくりあげたYENTOWNのクルーだった。トラップをドラッギーかつフレッシュなスタイルに昇華した彼らの本格的な活動も、今年は期待されている。それにシーンは違うけれど、SUCHMOSのフロントマンであるYONCEのインタヴューなんて、茅ヶ崎のフッドへの愛着やあけっぴろげな上昇志向、社会に中指を立ててみせる挑発的な態度などなど、完璧にヒップホップ的なストリート・マナーで笑ってしまうほどだ。2016年の東京は大きく動くだろう。自由な想像力が、Googleの無味乾燥なマップを上書きし、街を塗り替えていく。異なるスタイルと異なるリアリティがせめぎあう、その衝突のなかで、10年代のリアルは生まれようとしている。時代を語るヒマがあったら想像力を語れ、この音の強靭な美学はそう告げている。

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