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アヴァンギャルド・ミュージックでも実験音楽でもなんでもいいけれど、いわゆるマイナーな音楽には快楽的とは言いがたい音楽が少なくない。快楽の定義も千差万別だろうし、ポップ・ミュージック=快楽的とも限らないので、そこが対立軸ではないはずだとはいえ、それにしても意図がよくわからない音楽が多い。多すぎる。そもそも何を実験しているのか。何と戦っているのか。もしかして聴いた自分が悪いのか。売った店員の責任か。盤を割って中身を調べてもやっぱり理由はわからない。教えて、クルト・ゲロン。なぜなの、ジェームズ・ホエール......(どっちも死んでるか)
しかし、ときにはあっというほど明快に諧謔的だったり、ユーモラスであることが狙いだとわかるアンダーグラウンド・ミュージックも世にはけっこう存在している。ピエール・アンリやジャド・フェアーは結果的にそう聴こえるだけなのかもしれないけれど、ノイ!やレジデンツ、ホルガー・ヒラーやジャックオフィサーズは笑いを意識していないとはとても思えないし、トム・ハミルトンやナーキー・ブリランなど、どっちでもいいからとりあえず笑いが欲しくて再生してしまう音楽もそれなりの量はある。メルテイブル・スナップス・イット、コズモナウテントラウム、スーパーライフ、GCTTCATT、ビューボニーク......笑いの数が一種類ではない以上、各種取り揃えたくなるのも仕方がない。
ゼロ年代以降のUSアンダーグラウンドにもこの系譜はしっかりと混在していた。ゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!からドゥームなりノイズ・ドローンには流れなかった系統がそれで、それはどこかでクラウトロック・リヴァイヴァルと重なる傾向だったといえるところもある。ヴァス・ディフェレンス・オーガニゼイションからブラン(...)ポス、そして、何よりもブラック・ダイスの軌跡にそれははっきりと顕れている。かつてのハードコアは、デビューから5年も経つ頃には見る陰もなくなり、前作『リーポー』でそのメソッドは確固たるものとなった。さらに『ミスター・インポッシブル』ではいささか様式美といえるほど諧謔性はフォーマット化され、VDOがノイ!で、ブラン(...)ポスがホルガー・ヒラーなら、ブラック・ダイスは明らかにマウス・オン・マースとフザケ方が似てきた。ミニマルというよりも嫌がらせのような反復、ノイズが減って全体にビート指向となり、急にテンションを上げたり下げたりする構成も一歩間違えばクリシェになりかねない。彼らの資質からしてリズムでこれ以上、面白くするには限界があるだろうから、この次が難しいとは思うけれど、いまのところはまだ笑かしてくれる(レジデンツでいえば『インターミッション』(82)の辺りだろうか。新鮮味は薄れたけれど、笑うには充分......みたいな)。
全曲試聴→https://soundcloud.com/ribbonmusic/sets/black-dice-mr-impossible
解散したイエロー・スワンズのピート・スワンソンやウルフ・アイズのネイト・ヤングなど、ゼロ年代中期にはノイズ・ドローンの中核にいた人たちがこのところ相次いでエレクトロニック・ミュージックに手を出したり、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレもかくやと思えるバク・バク・ビガップスからkplrのような諧謔系ミニマルが目立ってきたことも、ブラック・ダイスの影響によるものなのだろう。マウサスやカルロス・ジッフォーニがノイズを鳴らしはじめたときとはもう季節感が変わったのである。ここへ来てエアリアル・ピンクがVDOを復活させたことが、その証といえる。
同じようにしてアヴァンギャルド・ミュージックのバック・カタログをユーモアの文脈で再生させようとする試みもある。スクウィーの中心的存在であるランディ・バラクーダとメシャクがコンパイルしたペッカ・アイラクシネンの発掘音源がそれで、78年から85年までに録音された8曲はどこか現在のスクウィーに通じるものばかりが選ばれている。60年代からスペルマとしてフィンランドのフリー・ジャズを牽引してきたアイラクシネンは、03年に『マダム・アイム・マダム』がコンパイルされてから再評価の気運にのり、昨年はドローンをメインとしたファースト・ソロ『ワン・ポイント・ミュージック』(72)が39年ぶりに復刻された。このまま待望のセカンド・アルバム『ブッダズ・オブ・ゴールデン・ライト』(84)も再発されちゃうのでは......とワクワクしていたら、ファーストからセカンドまでの時期に録音されたマテリアルが陽の目を見るのだから、世のなか、何が起きるのかわからない(アイラクシネンといえば、国内なら京都のメディテイションズか栃木のアート・イントゥー・ライフが扱ってきたものなのに、両者とも完全にスルーで、まさかダンス・カルチャーからこのようなアプローチがあるとは誰も予想していなかったことが如実に窺える。アイラクシネン本人だって、きっとまだ文脈を呑み込めているとは思えない。DJカルチャー=聴く力の勝利だと考えたい)。フリー・インプロヴァイゼイションが往時の基調だたっとはいえ、いわゆる緊張感のある演奏という当時の様式美には習わなかったところがアイラクシネンの存在をこれほど長く闇に葬り去った理由であり、ここへ来て蘇る理由でもあるのだろう。そのユーモアによって。ダンス・カルチャーの文脈から→https://soundcloud.com/perzza/simhaghosha-1983
ディー・ヴイ・ディー(d.v.d)もおもしろかった。なるほどそれは「みる音楽」であって、動画サイトで静止した画像を観ながら音楽を聴くというあの奇妙な「きく絵」体験と不思議な対照をなすように思われた。
この日はトクマルシューゴのDVD作品『トノフォン・フェスティヴァル&ソロ2011』の発売を記念したライヴだった。ステージには2台のドラム・セットが左右に配置されていて、真ん中には大きなモニター(ドラムス・ヴィジュアルズ・ドラムス=d.v.d)。2台で構築するコンピュテーショナルなドラミングに連動して、プログラムされた映像が動いていく。映像は音と独立したものではなく、音に反応して展開するもので、一打されるたびにマルやサンカクが増えたり変形したりをくりかえしている。
音の信号性を強調するようなそうした設計は、メカニカルなドラミングと協調しながらオーディエンスを別次元のライヴ空間へと導くかに思われた。モニターの向こうにあるマルやサンカクの世界へだ。あれだけ卓抜でビート感のあるドラミングであるにもかかわらずほとんど誰も踊っていないのは、われわれがほぼ全員でそのサイバーなフロアへと移動させられてしまったから、だろう。われわれはおそらく身体を置きざりにして、マルやサンカクの世界で踊っていたのである。そのフロアには終わりがなかった。
そもそも抽象的にデザインされているから、出口・入口もなく、直線は伸びつづけ、波形はうねりつづけ、マルは増えつづけ、空間はひろがりつづける。それがすこしこわいようにも思われた。なんともいえない微量の不安がドライに砕かれ、顆粒状にふりまかれていると言えばいいだろうか。音もインフレーションしつづけるが、その先に当然迎えるはずの破滅をまるで感じないこと、そして当然破滅がやってこないこと、こうしたことがなにかおそろしいのである。エレクトロニックな上もの自体はとてもかわいらしい音だ。だがあの平板なピコピコ音には小児的で傲岸な無邪気さとともに、つめたい批評性が圧縮されているようでもある。「ほんとうは怖いにこにこぷん」、というか。家で聴くというわけにいかない。生演奏という価値のためではなく、インスタレーションであるからして会場に足を運ばざるをえない、不思議な種類の音楽である。DVDで観るのもいいだろうが、おそらくそこにはいま体験している即興性とは別のレヴェルの即興、別種の仕掛けがなされているはずだ。と思った。
次号『ele-king』掲載の金田淳子氏を迎えた座談会の収録が終わったところだが、音楽には明るくないという氏にも教えてさしあげればよかった。ディー・ヴイ・ディーは音楽性の高さに比して非常にリスナーへの敷居が低いというか、アート的な文脈を持っているぶん音楽ファンにかぎらない広い層に受け入れられるプロジェクトではないかと思う。かつ、おそらくメンバー諸氏はイケメンと呼ばれる種類の人びとであり、ドラムとラップトップというストイックなフォルムをまとった電子男子として、多大な想像力の供給源となるのではないだろうか。MCも軽妙。噺家がせんすで話の間をとるように、しゃんとハットを鳴らしていたのがおもしろかった(ジマニカ氏)。
トクマルシューゴはとても親密な空気のなかではじまった。ドラムス、その他パーカッション、アコーディオン、ベース、ギターと歌。"リンネ"のミュージック・ヴィデオ(https://www.youtube.com/watch?v=PfgB3bX0sLg)のつづきのように、楽器を持ってみんなでここまで歩ってきたといったふうのたたずまい、ステージという場所の異質さを中和するくだけた雰囲気がつくられている。それはオーディエンスにも確実に共有されていて、多くの人がとてもリラックスしながら、ほどよい緊張のなかで音を待っている。人の音楽を聴こうというときに、考えられるかぎりもっとも好意的なムードだ。なるほどこれがトクマルシューゴかと開始早々に敬服してしまった。みなビールさえ持っていない。
しかし演奏じたいもややカジュアルであったというか、録音物としてのトクマルシューゴの緻密さはほとんど目指されていないように感じられた。全体にアコースティックなセットだったが、トクマル自身の演奏はやや埋もれがちで、セッションのダイナミズムを優先したということかもしれないが、もう少しくっきりと聴きたかったという思いがある。そもそもセッション(合奏、というほうが的確か)それじたいというより、それぞれの音の非常に繊細なつながり、行き届いたプロダクションがトクマルシューゴの魅力だ。それをライヴで再現するかどうかは考え方によるが、初めて観るものとして個人的には期待していた点ではあった。
とはいえ、このがちゃがちゃとした合奏にはひとつの理想やテーマ性が織り込まれているのかもしれないとも思う。ひとりユニットや夫婦デュオなどが繚乱と生まれてくる一方で、3人以上のファミリーを形成することの意味は想外に大きい。もちろん単純に音数が必要だということもあるだろうが、それこそどのようにでもプログラミングは可能であって、人間が数人寄り集まって合奏をするというスタイル、とくに"リンネ"的なパーティのイメージは、ただ生音志向だという以上のなにかを持っているように思われる。ここに集まっているオーディエンスにも、アコースティックな合奏へのオーガニック幻想や一種のファミリー幻想が上質なフィクションとして機能しているのではないか。これを率いるのがギター弾きだというのがまたクリティカルである。「父」ではなく、しなやかにやせた青年の風貌が、ここで奇妙な説得力を持ってせまってくる。
8分の6拍子で祝祭性を生み出すシーンも多かった。アニマル・コレクティヴのような、混沌として多幸的、どこの土地のものとも知れない架空的なフォークロアが奔出し、高揚感をあおる。ベイルートなどがやろうとしていることを日本で実践していると言いかえてもいいかもしれない。驚いたのは、幕間やアンコールを求めての拍手まで8分の6拍子になっていたことである。これは偶然ではなく、オーディエンスの側に明確にその手拍子を合わせ打つ意志があった。あれだけの会場でかなりの人数でそれを合わせることのむずかしさは、高校時代に応援団に従い、気ののらない3、3、7拍子を打った記憶のある人にならだれにでもわかるだろう。気持ちが重なり、いちリスナーを超えるファミリーのムードがあるからこそそれは可能であったと言える。
またここに参加している人びとには、音楽の好みにも強い共通性があるようだ。イントロ・クイズのようなトクマルのギターの誘いに応じ、会場にはサケロックの合唱が起こったりしていた。ギターで人をその気にさせるのもうまい。筆者にはシンプルな弾き語りがとてもよかった。6月9日には町田の簗田寺にてソロでの出演を控えている(https://blog.shugotokumaru.com/)ようだが、ロケーションといい規模といい音響といい、かなりすばらしい演奏が聴けるのではないかと思う。
長いあいだの圧迫から、古いレコードのジャケには、なかに入ったレコード盤の型が出てしまうことが多々ある。これをレコードファンはリングと呼ぶが、ジョージア・アン・マルドロウの『シーズ』には、あらかじめリングがデザインされている。また、長い歳月を経るなかで生じうるジャケの汚れや剥がれ、中古のランクで言えば、very good-、もしくはgoodのコンディションの状態が、あらかじめデザインされている。デジタル環境で育ったミネリニアルズである彼女はオーティス・ジャクソン・ジュニアすなわちマッドリブの名前で知られるプロデューサーの手を借りて、60年代のニーナ・シモンや70年代のカーティス・メイフィールドのレコードに針をおろしているかのような、ノイズを注いでいる。2006年、〈ストーンズ・スロー〉から彼女が最初のアルバムをリリースしたときのことだった。まだ渋谷のレコード店で働いていたヨーグルトに「これを聴かないと後悔する」といわんばかりに、なかば脅迫的に買わされたことをよく憶えている。そして2012年、下北沢のジェットセットの店長から同じように買わされた。
70年代初頭のスティーヴィー・ワンダーのような民族衣装を身にまとうジョージアは、ジャズ・ギタリスト父に持ち、そしてアガペ・スピリチュアル・センター(誰も入れる教会のようなもの)で音楽を担当する母のあいだにロサンジェルスで生まれ、育っている。ファラオ・サンダースとアリス・コルトレーンが両親の仲間だった。ジョージアのソロ・デビュー・アルバム『オレシ: フラグメンツ・オブ・アン・アース』を特徴づけるのは、1970年代のソウルやファンクのサイケデリックな再構築感だ。そのサイケデリックな感性は、フリー・ジャズの引用によって強調されているが、彼女のバイオがそのまま彼女の音楽を表しているかのようである。〈ストーンズ・スロー〉一派のディクレイムとの共作を経て、彼女はデトロイトのPPP、そして昨年はロンドンのディーゴのアルバムでも歌っている。
ジョージア・アン・マルドロウと比較されるアーティストがいるとしたらエリカ・バドゥだが、音楽的に言えば、ジョージアはエリカ以上の急進派だ。『シーズ』は1970年代のスピリチュアル・ジャズの再構築のような趣のストリングス、そして歪んだビートを有した、この暗黒時代におけるソウル・ミュージックである。メッセージ的には、カーティス・メイフィールドの『ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ』(1975)なのかもしれない。嘆き、悲しみ、愛、言葉の端々から察するに、とくにこのハードなご時世を生きる子供たちへの慈愛が歌われているのだろう。メロディは豊富で、歌は力強い。彼女の歌声は、実に奇妙なムードを表している。トラックは――マッドリブのファンにはお馴染みなのかもしれないが――ヴィンテージ・サウンドを使いながら、温かみのあるループを展開する。美しい精神に導かれた、美しいアルバムである。
先日、千駄木の養源寺で開かれたコンサート、「LIVE AT YOUGENJI」において最安値のテレコとカセットテープが大活躍したように、もっとも手頃で安価なこの再生装置とメディアは、デジタル全盛の今日に再発見され続けている。福岡のカセットテープ・レーベルの〈ダエン〉はこの度、「カセットテープをMP3に変換するプレーヤー」というUSB付カセットプレーヤーを発売した。その名も、「USB CASSETTE PLAYER "CHILL OUT"」。税込みの3980円で、限定100台。ステッカー、付属音源として「duenn feat NYANTORA」も付きます。カセットをUSBに取り込めるので、デジタル音源としても楽しめるわけです! これは嬉しいですね!

■商品概要
・サイズ 幅110×奥行き77×高さ30(mm) 重量 214g
・対応OS Windows XP / Vista / 7 電源 USB給電 電池駆動(単三乾電池×2) インターフェース USB2.0
・付属品 本体、日本語マニュアル、アプリケーションCD、USBケーブル USBケーブル長 80cm
・オーディオ変換フォーマット wav,mp3,wma (128kbps) *ご注意 単三乾電池は付属しません。別途ご用意ください。
■2012.6.9 "Carte Blanche to Redbox" with JD TWITCH (Optimo) , HAJIME INOUE etc... @ 渋谷WWW
■2012.6.15 ENESPNO.1 ROOM FULL OF RECORDS KICK OFF PARTY @ eleven
LIVE:MANDOG / KAORU INOUE
DJ:LOVEFINGERS / THE BACKWOODS aka DJ KENT / 5IVE / CHIDA
■2012.6.19 MANDOG LIVE & DJ GONNO @ DOMMUNE
■2012.6.21 "Shop 12th Anniversary" with DJ DYE (Tha Blue Herb), JUN-GOLD @ MORROW ZONE (Sapporo)
■2012.6.22 "HYBRID" @ UNDERSTAND (Kitami)
■2012.6.28 "FAAM" @ WOMB (Shibuya)
■2012.6.30 @ 蜂 (Aoyama)
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Actress - R.I.P - Honest Jon's |
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House Mannequin - B2 of 5 - House Mannequin |
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J Greenspan - Guu - Jiaolong |
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Mandog - Guitar Pop (Gonno Remix) - Room Full Of Records |
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Yoshio Otani - Strange Fruits (Gonno Remix) - Black Smoker Records |
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Italojohnson - ITJ005 A - Italojohnson |
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Iori - Spread - Phonica |
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Fushiming - All Set To Go (Fresh Remix) - Hole And Holland |
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Szare - Red Desert - Krill Music |
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Tc Studio - Waste - All Inn Black |
82年よりキャリアをスタート。
高橋透氏、曽根氏らが在籍した伝説のDISCO六本木「TSUBAKI BALL(玉椿)」時代に「ラリー・レヴァン&ガラージサウンド」に出会い感銘を受ける。当時レジデンツだった「TSUBAKI BALL」にて85年よりDJ SONEと共にハウスサウンドオンリーの1オフパーティ「HOUSENATION」を手がけその後のクラブのあり方を示す。「TSUBAKIBALL(玉椿)」閉店後は活躍の場を求め全国を渡り歩き90年に念願のニューヨークへ移住。高橋透氏、DJ NORI氏がNY時代在籍した事で知られる「FUJIYAMA MAMA」にて長年レジテントDJとして活躍。15年のNEW YORKでのDJプレーを経て2005年に帰国後は「Luv&Dub Paradise」@神宮前bonoboを始め、実に20年以上ぶりに「HOUSE NATION since 1985」を静岡CLUB fourにて再開。また故郷姫路では「彩音」にもスタッフとして参加し、地元のCLUBでもレギュラーパーティーをスタートさせる。その経験からくる文脈に囚われない選曲と確かな技術で各地方にファンを増幅させ続けている。
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Will Azada - Easy Does It - Mystical Disco |
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Shackleton - Touched - Woe To The Septic Heart ! |
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Manmade Science - Phase - Philpot |
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Fushiming/Mamazu - Ride Music EP - Hole and Holland Recordings |
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Pirupa - Party Non Stop(DJ QU Remix) - Desolat |
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IORI - Moon - Phonica White |
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Rhauder - Acid Jam - Polymorph |
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DEADBEAT - Lazy Jane - Blkrtz |
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Mind Fair Presents....No Stress Express - Reach The Stars - Rough Cat Sounds |
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Psychemagik - Valley Of Paradise(Toby Tobias Remix) - Psychemagik |
4ヒーローのマーク・マックによるファンク・プロジェクトが6年ぶりとなる2作目をリリース(オリジナル・フォーマットは最近、流行りの7インチ×5枚組)。前作同様、ドラムスと管楽器以外はすべてマーク・クレア自身による演奏で、あまりにファンキーで、いったい、どこからこんな明るい気持ちが湧いてくるのかと......(今日もDVDでマッテオ・ガローネ監督『ゴモラ』を観てしまった......。ダニー・ボイル監督『スラムドッグ・ミリオネア』やジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督『ジョニー・マッド・ドッグ』は仮りにも途上国が舞台だったけど、これは先進国で起きていることだからな~)。
......そして、最後まで同じテンションで押し切ってしまったのである。いつか空々しくなるだろうと思っていたのに、聴きば聴くほど引き込まれるw。攻め立てないで低音を溜めるようなベースがいいのか、ジェイムズ・ブレイクは時代の音ではないという確信でもあるのか、だいたい、ニュー・エラでもマキシマム・スタイルの名義でもセカンドはなかったのに、前作のリミックス盤も数えれば3枚もつくっている辺りが「やる気」を感じさせる。半分ぐらいの収録曲で適度にスウィング感があるところもたまらない。
なぜかカヴァーが多く、ナズやスウィッチ......というよりセカンド・サマー・オブ・ラヴ世代にとってはRSWがサンプリングしまくったインクリディブル・ボンゴ・バンド「アパッチ」(73)やジョニー・ペイト「シャフト・イン・アフリカ」(73)は初期のカーティス・メイフィールドを思わせるスリリングな展開。『フリーフライト』や『アルハンブラ』で知られるジャズ・ベテランのアハマド・ジャマル「スワヒリランド」(74)は一転してしっとりと聴かせ、アメリカのTVシリーズで有名なキース・マンスフィールド「ファンキー・ファンファーレ」(69)も最高にファンキーだし、変わったところではステレオラブ「カム・アンド・プレイ・イン・ザ・ミルキー・ナイト」(99)が予想外に甘ったるいシンセサイザーを響かせる。70年代初頭の雰囲気をいまに伝えようとしてこうなったのか。それともほとんどのミュージシャンと同じく何ひとつ考えていないのか(この時期のものでは、入手不可能とされていたオーウェン・マーシャル『キャプテン・パフ・イン・ザ・ネイキッド・トゥルース』が〈ジャズマン〉および〈Pヴァイン〉から再発されたばかりで、〈Pヴァイン〉といえば水谷社長に顔がそっくりなKRTSもデリック・メイがヒップホップをやっているとしか思えないミニ・アルバム『ホールド・オン』を昨秋、リリースしたですね)。
そして、ノルウェーのオスロからは世界最大の短時間大量殺人犯となったアンネシュ・ブレイビクだけではなく、オウテカがシューゲイザーに走ったようなクリスチャン・トゥケイセンもアルバム・デビュー。これがまた、ヒップホップのグループに在籍していた経験がそのまま音に出たようで、寂しげなメロディ・ラインを裏切るかのようにリズムがこってりとファンキー・テイスト。それこそエレクトロニカだと言い張るのはとても無理でw、透き通るような質感で貫かれた「シルヴァー」はともかく、「波長」と題された曲のエンディングでシンセサイザーがどこまでも広がっていくような感じは神経症的なIDMファンの逆鱗に触れること間違いないでしょう(その前に聴かないか)。
表立ってはいないけれど、どうやらクラシック・ピアノの素養があるらしく......ということはオウル・ビーツと似た部分があるかと思えば、それよりはもっと下世話なところでまとめていて、全体的には(まだ)ファンクであることをざっくばらんに楽しんでいるといった様子。気に障る一歩手前で可愛らしく聴こえる電子音が耳から離れない「ア・フレンド」はいかにも北欧的で(フラ・リッポ・リッピとかレクショップとか)、同曲に限らず、リズムがどれだけファンキーになってもドリーミーなムードを絶対に揺るがさないところはけっこうスキルあり。デンマークのタラゲネ・ピジャラーマが「オーシャン」1曲でコンパクトに拾われた例もあるし、このままセカンドまでつなげれば、大化けするかもしれません(?)。
全曲試聴→https://soundcloud.com/nofearofpop-net/sets/torkelsen-torkelsen
ザ・コンゴスの『ハート・オブ・コンゴス』という1977年にリリースされたアルバムは、リー・ペリーの代表作のひとつに挙げられる。ブラック・アーク・スタジオで録音されたこのルーツ・ダブの作品は、ダブという瞑想的な効果をサイケデリックな領域にまで引き伸ばしている。美しいコーラス、ナイヤビンギのドラミング(そう、コンゴの響き)、そしてペリーの呪文のようなダブミキシング......もし誰かがリー・ペリーを知りたければ、最初に聴くべき5枚に入る大大大名盤である。そうした歴史的なコーラス・グループ、ザ・コンゴスをコラボレーションの相手に選ぶサン・アロウとゲド・ゲングラスの度胸、そしてそのセンスは見上げたものだと言えるのかもしれない。もっともこのレーベルは、昨年は、イクエ・モリ(元DNA)とジュリアナ・バーウィックとのコラボレーションを仕組んでいるので、サン・アロウとゲド・ゲングラスのセンスというよりも、真実はレーベル主導の企画であるという可能性も高い。いずれにせよ、今日のUSインディの革新派を代表するふたりと70年代のジャマイカの伝説が邂逅するのは、ひとつの事件と言える。
ところが、『ハート・オブ・コンゴス』を愛するリスナーが『アイコン・ギヴ・サンク』を同じように愛する可能性は低いと僕はみる。ダブというスタイルは、英語圏内では、昔は、X-レイ・ミュージックという異名があった。レントゲンを通して骨が見えるように、ダブ・ミキシングによって曲のドラム&ベースが浮き彫りになるからだ。そういう観点で言えば、サン・アロウとゲド・ゲングラスのミキシングはダブとしての体をなしていない。ロサンジェルス流とでも言うのか、出音のほぼすべてにエフェクトをかますミキシングでは、曲の骨格はさらに茫漠とする。シャキっとしたところがなく、だらしないのだ。ベースがないし、これほどのナイヤビンギを録音しながら、そのポリリズミックなビートを際だたせようと考えていない。享楽的だが、やかましいほど過剰なエフェクトとギターが反響している。船酔いしたような気分になるのだ。
当たり前だが、『アイコン・ギヴ・サンク』にもそれなりの良さがある。アマンダ・ブラウンがDJスクリューに影響を受けたという話は前にも書いたが、結局、あのドロッとした感覚、つまりテンポを遅くすることで得られる幻覚性がダブへと行き着くのは、まあ、あまりにも自然な成り行きだとも言える。2010年のポカホーンティッドの最後のアルバム『メイク・イット・リアル』にはサン・アロウが参加しているが、そこにもリー・ペリー的なダブのセンスが注がれている。
それにしても『アイコン・ギヴ・サンク』を聴いていると、「MEDICAL MARIHUANA PROGRAM」と記された身分証明書と同サイズのカードが思い浮かぶのは何故だろう。アメリカに普及しつつある医療目的(関節炎の痛み止め、不眠症など)のウィードの合法化、医療大麻購入の許可証だ。カリフォルニア州、ミシガン州、ニュージャージー州、アリゾナ州......、なんでも16の州で大麻は医療用に合法化されている。アメリカ人の友人は「これで私たちは吸うことができる」と自慢したものだが、少なからずこの動きは音楽に影響を与えているんじゃないだろうか。いまなぜスクリューなのか、ドローンなのか、ダンスなのか、クラウド・ラップなのか、まあ、誰もが大麻を好きなわけではないので、すべてをそこに集約することはできないけれど、軽視すべき話もでもないだろう。
僕はアメリカの友人に、とりあえずは「I'm jealous!」とは言ったものの、医療目的の大麻の普及には政治権力の影もちらついている。かつてはオバマ大統領も「私も吸ったことがある」と正直に言って好感を得たものだが、そのオバマを今年の秋に控えた選挙でどうしても大統領の座から降ろしたい共和党のひとり、ロン・ポールが医療大麻の合法化に積極的だ。大麻にネガティヴな態度を見せはじめているオバマはすでにいち部のアフリカ系から「traitor(裏切り者)」などと言われている。ことモスリムからは、オバマが「同性婚を認めたこと」と大麻の合法化に乗り気でないことが重なって(モスリムは戒律として酒は飲めない)、オバマ離れをおこしている。そして、オバマがもっとも警戒しているロムニー(右傾化する共和党においては当然、同性婚反対)が支持を集め出しているらしい。
つい先日もアメリカのあるニュース番組で大麻特集が組まれたそうだ。番組中にカリフォルニアの大麻ショップの店員は、思わず「オバマよりもブッシュのほうがマシだ」とさえ口走ってしまったという。景気回復のために富裕層への増税/中流以下への減税をはじめ、低所得者への医療的な配慮などに取り組んでいる現大統領よりも、あれだけの金、そして命を無駄にしながら意味のない戦争をした前大統領を称えている。これが、越智道雄の(入門書というにはあまりにもエモーショナルな)『大統領選からアメリカを知るための57章』が言うところの「貧すれば鈍す」であり、目的のためには手段を選ばない共和党に仕組まれた戦略なのだろうか。かつてオバマ支持層の主成分だったアフリカ系やミレニアルズは分裂をはじめている(次号、紙エレキングのローレル・ヘイローのインタヴュー参照)。
いや、逆に、オバマの同性婚支持も人気取りのひとつの戦略と受け止める向きもあるようだが、『大統領選からアメリカを知るための57章』を読んでいる限りは、世界恐慌をおこしてまでもオバマを降ろしたがっている共和党が巻き返すよりはオバマ再選のほうがまだいいんじゃないかといまの僕には思える。『ハート・オブ・コンゴス』には骨があり、言ってみれば植民地主義への反論があった。『アイコン・ギヴ・サンク』にはそのどれもが見あたらない。ただ、酩酊している。
サン・アロウはアメリカではすごい人気者なんだそうで、SXSWに行った菊地佑樹君は、リキッドルーム・クラスのヴェニューに開場3時間前に並んでも入れなかったと言っていた(興味深い話だが、サン・アロウの前作は東京ではわりと売れたのに、関西ではさっぱり売れなかったそうだ)。その点においては、はっきりと、「I'm jealous!」だね。
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Bruno Sacco - Deformed - Gravite |
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Alexey Volkov - Dust - Planete Rouge |
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Mike Dehnert - Avec - Fachwerk |
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Svreca - Obscur(Silent Servant Remix) - Semantica |
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Pillow Talk - The Real Thing - Wolf Aan Lamb |
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Katzuma - Life In The City - Kinjo Music |
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Dakini9 - Human Existence - Plan B |
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Alexey Volkov - Dust - Planete Rouge |
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Iori - Plateau - Bitta |
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Emilio Haro - Prrr Prrr - Radiaciones Armonicas |