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SEIO (Featuring Cutty Ranks) - Waaaa - Seiosolo 01 |
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VINKA/Unity - Humungus Records 01 |
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Teknambul - Untitled - AN OKUPE PRODUCTION 1999 |
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Gearshifter & The Wirebug - From Fix To Fix - LaBrat Audiochemicals 16 |
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Desert Storm,DJ Pseudonym - Try Tribal Again - LXRecords 03 |
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GOTEK/Ko computers - Tek No Logique 19 |
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Toxikboy(Alternative sys) - Anarchy! - PROTEST 01 by LXRecords |
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WEASEL BUSTERS TRIBE - Tide is high - Humungus Records 10 |
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Pimouss - Bip-Bap - L'Arse`ne Records 001 |
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BILLX - Hypertoupie - Para-Noize 01 |
"モグラ"のベースラインは、パレ・シャンブルグのミニマリズムを彷彿させる。ポスト・パンクにおける早すぎたベルリン・ミニマリズムのアイデアがファンキーに、そして諧謔的に展開されている。"オールモスト・ヒューマン"は初期のカール・クレイグを彷彿させるアトモスフェリックなイントロが印象的な美しい曲だ。ジャジーなベースラインを響かせながらスムーズにチルアウトな空間に連れていかれるが、彼らが歌うのは毒を含んだアイロニー。「鳥は自由だと人は言う/世界はただの鳥かご」......とふたりは流暢なハーモニーを聴かせる。"ミス"や"サウンドトラック・トゥ・マーダー"といった曲ではキャッチーなシンセ・ポップ(ヤマハのRX-5のドラム、コルグのモノポリーやポリシックス)を試みている。ロマンティックで陶酔的なエレクトロニックな響きのなかには深いメランコリー、そしてこれらにも突飛なイロニーが隠されている。
向井秀徳とレオ今井によるキモノスのデビュー・アルバム『キモノス』は、諧謔とエレクトロニックの素晴らしい賜物だ。僕はこの作品を本当に心から楽しんで聴いている。アルバムのひとつの特徴は、細野晴臣の"スポーツマン"のカヴァーが象徴している。「毎日心配/摂食障害/運動しよう/やる気がでない」......こうした日本のニューウェイヴが得意としたシニカルなユーモアはこの音楽のいたるところに散らばっている。ザゼン・ボーイズは「諸行無常」と「性的衝動」のふたつの言葉で日本の本質を捉えたものだが(この国の他の国には見られない巨大なピンク産業がそれをよく表している)、キモノスはもっとリラックスしている。基本的には親しみやすいし、ふたりが楽しみながらこのアルバムを作ったことがよくわかる。ディープ・ハウス調の"Yureru"における歌謡曲風のメロディにも、彼らが真面目に遊んでいる感んじがよく出ていると思う。
アルバムの最後"トーキョー・ライツ"はいわばヴェルヴェッツ・スタイルの曲だ。収録曲のなかで唯一ギターが前面に出ているこの曲は、モーリン・タッカー流のドラミングと一戦交えるように、レオ今井はエネルギッッシュに歌う。「東京電燈が僕をだます/綺麗な街だと思い込ませる」、ロンドンからやって来たこの青年は歌う。アルバムの1曲目の"ノー・モダーン・アニマル"は、ある意味ではアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの『半分人間』と電気グルーヴの"半分人間だもの"との溝を埋める作品だと言える。「俺は超アダルト/大の大人/なんだけどとっても子供っぽいのさ」......この言葉は自分たちにも向けられたモノなのか、これは肯定的なのか否定的なのか、明日のdommuneで訊いてみようと思います。夜の7時からです。遅れないように!
ちなみに、シングル・カットされた"オールモスト・ヒューマン"のハドソン・モホークによるリミックス・ヴァージョンがまた......酔っぱらったクラフトワークである。
イギリスのVJで、アニメイション作家のルーベン・サザーランドがカメラのズームを使いながら「見る」ためのピクチャー・レコードをリリース(それがどのような映像効果をもたらすかはまだ試していない)。そのサウンドトラックとしてヴァイナルに刻まれている11曲が、しかし、そのような補助要素として終わらせてしまうにはあまりにもよくできていて、これをフライング・リザーズやエイフェックス・ツインの系譜に位置付けてみたいかなと。実験音楽といえば実験音楽だし、ポップスとはさすがにいえないものの、ファニーで思わず笑ってしまうセンスはポップ・ミュージックへと至る道程のどこかに位置し、さらなる発展を夢見ている途中だと思ってみたくなる。あるいは、そのように聴く誘惑から逃れられないとも。
ライブラリー・ミュージックのイミテイションをつくるというローウェル・ブラームス『ミュージック・フォー・インソムニア』に一脈で通じるものがありつつ、そこで展開されている多様性とはまったく異なる意味で雑食性が強く、簡単にいえば音楽のジャンルというものが「ジャンルにとらわれない」という以上に整合性を持っていない。そこが実験音楽のように聴こえる理由ともいえるんだろうけれど、実験のための実験音楽ではないことが、そのための着地点からこれらの音楽を逸らしてしまうために、これらの音楽が音楽的な袋小路に陥る可能性を回避し、おそらくはアニメイションのための音楽という設定がこれらの音楽にポップ・ミュージックのような響きを帯びさせる要因をもたらしたのだろう。なんだか佐々木敦みたいな文章になってしまったけれど、実験的なロックや実験的なテクノが実験的な実験音楽とは共有するものがあっても、様式化された実験音楽とは重なるところがまったくないということを理解してもらうには最良のアルバムであり、新しい音楽をつくりたいという動機が音楽以外のところにあった方が新しい音楽は生まれやすいという(こともある)サンプルではないかと。
そして、その結果が、この場合はある種のスラップスティック的な感覚を強く持った音楽になったということであり、それ自体は作家の個人史から自然と滲み出たものなんだろうと推測するだけである(それを目的としている音楽だとは、また、思えないからである)。
昨年、『アンビエント・ミュージック 1969-2009』が思ったよりも売れた後で、その次に好き勝手なテーマでレコード・カタログがつくれるとしたら、ギャグやスラップスティックを基調としたそれがつくりたいなと考えていた時期がある。ディーヴォやパレ・シャンブール、ジャックオフィサーズやクイントロンといった辺りに無理やり道筋をつけて、またしても好きなようにアーカイヴを横断してみようと。ゼロ年代はとりわけそういうものが多く、ボーデンシュタンディッヒ2000やディック・エル・ディマシアドーのようにわかりやすいポイントにいた人はいいけれど、GCTTCATTであれ、ブレイン・サッキング・ピーニュナンナーズであれ、ジャンル分けという考え方のなかでは溺れてしまうものも多く、これは絶対に商品価値があるぞ......と思ったものの、もちろん5分で却下。『アンビエント・ミュージック』が売れたんだから、次は『裏アンビエント・ミュージック』をつくれという流れになってしまった。おかげでその反動はさらに膨れ上がり......いや。
今年の夏に彼らがライヴ活動を再開したことは知っていたけど、まさかこんなに早くツアーをするとは思ってなかったのでレフトフィールドはまったくノーチェックだった。「スクリーマデリカ・ライヴ」が目的の渡英だったけど、もし見ることができるならレフトフィールドも絶対見たかった、来日公演なんて実現しないだろうし。それにしてもなぜ日本では彼らの復活ツアーがほとんどニュースにもならないんだろう。
ダンスビートが希望と目眩に溢れた混沌のなかから大きなうねりを作りオーディエンスの心に革命をおこしていた90年代前半、レフトフィールドはまさにその名の通りのシーンのエッジにいた。彼らはまだヒップホップもレゲエそしてテクノまでもミックスして新しいビートとしてハイブリットできた、ほんのわずかな時代のタイミングに奇跡的なトラックを連発してダンスビートを大きく進化させた数少ないアーティストのなかのひとつだった。
今回のツアーにオリジナル・メンバーであるポール・デイリーは参加していない、脱退したわけでなくこの先のプロジェクトでは合流するということらしい。
自分の日程に合うのがグラスゴーでのライヴだけだったので、出発1週間前にライヴとフライトのチケットを押さえ、グラスゴーへ飛んだ。会場はグラスゴーの中心から2~3キロはなれた幹線道路沿いにポツンと立つ〈O2 アカデミー〉、ちょうどゼップの天井を高くしたような感じ。開場から30分ぐらいでなかにはいるとまだ人はほとんどいない、しばらくして前座のブレイケージがスタート、それにしても人は入ってこないし音は小さいし、ちょっと不安になりながら広い場内に響くシリアスなダブステップを聴いていていると、早く会場に来た人たちはガンガンにビールをあおっている、イギリス人はほんとにビールが好きだ。
スタートから40分ぐらいで場内はいい感じに埋まってきた、50ぐらいのヒッピーのようなおじさんからまだ10代の若者まで幅広い層のお客さんがきているけど、中心はやはり30代から40代のレイヴ/パーティー世代。ブレイケージの終盤にハッピー・マンデーズの"ハレルヤ"のサンプリングが飛び出すと場内から歓声が......。やっぱり年齢層高いかも!

ブレイケージによる1時間のDJが終わる頃には場内は超満員に、DJ終了と同時にいい感じで拍手、そしてステージ全面のLEDスクリーンが点灯すると"ソング・オブ・ライフ"のイントロが鳴り響く。ドラムセットにドラマーが座り、ニール・バーンズがシンセの前にくると爆音ベースが響く......。まず驚いたのはブレイケージとの音量差、ここまで前座とヴォリュームに差があるとは!
かつてライヴで爆音を出し過ぎて〈ブリクストン・アカデミー〉の天井に亀裂を入れただけのことはある。この時点で場内はもう沸騰寸前だ、そして"ソング・オブ・ライフ"のビートがブレイクスから4つ打ちになった瞬間に場内は完全にスパーク、つづいて"アフロ・レフト"で完全にパーティ状態へ突入!
"オリジナル"では女性ヴォーカルが登場、ニールがベースギターを持って、重たいビートが強調される。それから"ブラック・フルート"へ。そしてついに"リリース・ザ・プレッシャー"のイントロからラガMCが登場、ここで場内は最高の盛り上がりを見せて、いわばパーティの午前3時状態、まさにレイヴ。隣で踊ってるヤツの踊りがあまりにも懐かしい動きだったので、フラッシュバックしてしまう。こんな光景を見るのほんとに久しぶりだ。続いて"インフェクション・チェック・ワン"、この頃には僕も完全に飛ばされてしまった。シンプルなビートが、突き刺さるように響いてくる。

レフトフィールドの曲はDJのとき、どうも使いずらいことが多かった、その使いずらさはビートや曲の構成の問題ではなく、音のタッチの問題としてそう感じていた。もちろん『リズム・アンド・ステルス』は当然そういう作りなのだけれど、『レフティズム』のシンプルな4つ打ちの曲でもそうだった。
このライヴを見てその理由が理解できた、というよりも思い知らされた。レフトフィールドは楽曲をDJツールとして作ってはいないのだろう。 DJに使ってもらうことを前提としてトラックを作ることも、ビートをフォーマットとして捉えていることもしていない。単純なビートですら自分たちの刻印を刻みつけるようにして作っている。それがマッシヴ・アタックと同様に、オリジネイターとしての凄みであり、メッセージだ。ブレイケージを前座に起用したところにもレフトフィールドの意思を感じる。ダブステップが現在彼らの意思を正しく受け継いでいるというメッセージでもある。
アンコールでは"メルト"、美しいシンセの眩暈だが、夢よりも現実が迫っていること感じさせる音色だ、しかしオーディエンスはそこに信じるべき明日を予感する、これこそ夢を見ながら現実を飛び越える瞬間の表現。ラスト・ナンバーは音圧で割れるようなベースの"ファット・プラネット"、最高のドラマの締めくくりに相応しい名曲だ。"オープン・アップ"をやらなかったのは残念だったけど、彼らが現役であることを証明する、気迫充分のライヴだった。このハードコアなビートのフィロソフィーに最大の歓声を持って応えているオーディエンスも最高! イギリス人はなんて音楽好きなんだろう。
現在のUKを中心とした、ダブステップから派生した最新鋭のビート・ミュージック――より多様に拡大するポスト・ダブステップをはじめとした、UKファンキー、ウォンキー、スクウィーなどなど――は、いま最大の隆盛を迎えつつあるわけで、最新の12インチを追いかけている熱心なビート・ジャンキーな方々(僕も含む)にとっては、懐を心配しながら過ごす毎日かと思う。そんな未曾有の活況を見せる欧米のシーンに対して、「日本からのリアクションはどうなのよ?」という素朴な疑問をお持ちの方にこそ、G.Rinaの2年振りとなる新作『マッシュト・ピーシーズ#2』を是非とも手に取ってもらいたいわけです。
2010年の彼女はエクシィ率いる〈スライ・レコーズ〉のパーティ、Dommuneでの「ダブステップ会議」後でプレイしているように、UKのクラブ・カルチャーと明らかなシンクロをみせている。いまもっとも旬のクラブ・トラックを華麗にミックスする彼女のプレイを聴いて、僕はすっかり打ちのめされてしまったわけだが、そんな彼女の冒険心から生まれたのが『マッシュト・ピーシーズ#2』である。これは昨年末にブートとして限定リリースされた『#1』の続編で、『#1』では欧米のダブステップのトラックをリディムとして捉え、そこに彼女が歌を加えてマッシュアップするといった手法をとっている。『#2』では、『#1』で録音した彼女のアカペラを使って、国内のトラックメイカーが新たにリディムを加えるという斬新な試みが展開されている。
そして本作は、国内の新進トラックメイカーのショウケースでもある。前述したエクシィをはじめ、スカイ・フィッシュ(彼はベース・ミュージックのトラックメイカーとして本当に素晴らしくて、昨年のアルバム『ロウ・プライス・ミュージック』は、自分にとって昨年のベスト・アルバムの1枚)、ラヴロウ&BTB、ラバダブ・マーケットのE-MURAら、現行のビート・ミュージック・シーンと共振する個性派たちが揃っている。
そしてトーフビーツ、今年最大の話題の1枚、インターネット・レーベル〈マルチネ〉の『MP3キルド・ザ・CDスター?』への参加も記憶に新しい平成生まれのトラックメイカーも名を連ねている。いまから2年前、彼がまだ17歳の頃にリリースしていた自主制作盤『ハイスクール・オブ・リミックス』を聴いてから、彼のトラックに夢中になっていた僕にとっては、彼が参加しているという事実だけで、このアルバムを購入するには十分な理由だったわけで......。
E-MURAのリディムによウォブリーなベースラインが強烈な変化球なファンキー"スロウ・アウェイ"でアルバムは幕を開ける。プレイヤのカトクンリーとG.Rina本人によって結成されたユニット「(dub)y」による"ファースト・テイスト"、続くエクシィによる"L.Y.D."は、どちらもコズミックなシンセサイザーが特徴的だが、現場で揉まれたグルーヴを持っている。スカイフィッシュによる"シーズンズ"は、スティールパンの響きが心地良いトロピカルなダンスホールで、ラストを飾るTNDによる"キープ・オン"は、クワイトのリズム・パターンを取り入れながらジョイ・オービソンとも似たエレガントさをも匂わせている。
『マッシュト・ピーシーズ#2』は、素晴らしい同時代性を持っている。国内のシーンの生気に満ちたカッティング・エッジな音を確実に伝えている。アイコニカ以降さらに顕著になったロウビット、サブトラクトやファルティDLらが盛り上げるフューチャー・ガラージ、これら新しい波とも共振する。マグネッティック・メンのヒットによってポップ志向のヴォーカル・トラックもだいぶ注目されているが、その点でもこのアルバムは応えている。彼女の歌声はトリッキーなビートに乗ることで、地下室の艶やかさを孕みながらいっそうとメロディアスに輝いている。アルバムの終盤では、ラヴロウ&BTBによる"国道1号線"、ベータ・パナマによる"ワーキング・ハード・シンス......"のような、艶かしいエレクトロ・ファンクが収録されている。
僕にとってのこのアルバムのベスト・トラックは、トーフビーツによる"ディドゥ・イット・アゲイン"。今年のベスト・トラックのひとつに挙げたいほどのこの曲は、ロウビット経由のカラフルなダブステップでありながら、バグの発生したTVゲームの画面のごとく、狂ったほどにスクリューのかかった、スクウィーじみたエフェクトがクレイジーだ。間違いなく彼は日本のトラックメイカーたちのなかでも強烈な個性を放っているひとりだが、まだ20歳になったばかりだ。先日、代官山UNITで開催された〈マルチネ〉によるパーティ「THE☆荒川智則」も大盛況だったというが、この『マッシュト・ピーシーズ#2』もしかり、新しい感覚をもったこの国のビート・ミュージックは、大人たちが知らないあいだに、すでに未来へと向かっている。時代とシンクロしながら独自の発展を遂げている国内のシーンの、2010年のドキュメンタリーのひとつとして、このアルバムを聴いてみるのもいいんじゃないでしょうか?
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Theophilus London |
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Dragons of Zynth |
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Katrina ford (of celebration) |
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Tunde Adebimpe (of Tv on the radio) |
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Holly Miranda |
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Karen O (of yeah yeah yeahs) |
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Little Dragon |
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Ambrosia parsley |
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David byrne |
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Kyp Malone (of Tv on the radio) |
これは河ではない、滝だ。これは楽曲ではない、スケッチだ。音はいたるところで割れている、構成は緻密さを欠く、見切り発車でさまざまな主題が現れ、消えていく。アリエル・ピンクをスローに引き延ばせばもしかしたら近い感触を得るかもしれない。アンビエントでローファイなテクスチャーの音像に、ソウルフルなファルセットのレイヤード・ヴォーカル。『ラヴ・リメインズ』は、たとえばグルーパーのような研ぎすまされた集中力を持った歌ものドローンに比べると、スキゾフレニックで散漫な印象を受けるかもしれない。それはほんとうに「スケッチの束」といった具合だ。しかしその束が全体として投げかけてくるイメージは、とても濃密で鮮烈だ。ほかの誰でもない、ハウ・トゥ・ドレス・ウェルでしかありえない異様な個性がたたみこまれている。
ケルンで学生生活を送りながら音楽活動を続けるトム・クレルによるひとりユニット、ハウ・トゥ・ドレス・ウェル。クレルのブログからフリー・ダウンロード形式のファーストEP「ジ・エターナル・ラヴ」が発表されたのが今年4月。数枚の自主シングルに続いて7月に〈レフス〉から『レディ・フォー・ザ・ワールド』、8月に〈トランスペアレント〉から限定シングル『エクスタシー・ウィズ・ジョジョ/テイク・イット・オン』、そして本デビュー・フルと注目度の高さに呼応するかのようにハイ・ペースなリリースである。グローファイ/チルウェイヴ的な文脈を踏まえたローファイ感覚と、荒涼として低温なビートメイキングは2010年らしい風景を描き出すようにも思われるが、チルウェイヴに指摘されるエスケイピズムは感じられない。むしろ攻撃性の高い音で、ブリアルなどダブステップを真っ先に思い浮かべる。暗く深いリヴァーブ(まるで聴いたことのない非常に特徴的なものだ)は、ろうそくの灯で壁に映し出された人影かゴーストのようだ。大きく揺れて、増幅する。
それはドリーミー・シューゲイズといった形容からは大きく外れる、醒めた響きをしている。クレルのファルセットは幾重にも重なり、ループし、空気を震わせる。ノン・ビートのトラックなどは教会に鳴り渡るコラールさながらだ。前述のように音は割れまくって、ループしたかと思った主題はいつのまにか消え、形を変えていくのだが、構うかそんなもの、いま浮かび上がった思念をいまこのときを逃さずに空気に刻みつけよう......そうした自身の存在の跡のようなものがくっきりと現れ出ていて素晴らしい。
『ラヴ・リメインズ』(愛はとどまる)は、「愛はつねにはとどまらない」という認識から生まれたアルバムだと、クレルは逆説的に述懐している(2010年9月10日『ダミー』)。どういう愛のことかは詳らかではないが、つきあっている女性との関係から得た省察であるようだ。それが永遠でないかぎり、われわれもまた愛のなかにただ止まっているべきではない。彼の音を聴いているとじつにぴったりとこの言葉が当てはまる。"スーサイド・ドリーム"をはじめとして"ユー・ウォント・ニード・ミー・ホエア・アイム・ゴーイン"、"レディ・フォー・ザ・ワールド"、"エスケイプ・ビフォア・ザ・レイン"など声を主体としたアンビエント・サイドの数曲は、歪みがひどく、猛吹雪を思わせる。それは言葉と思弁の吹雪だ。「僕にある想念が生まれてきたらじっとしてなどいられない。そうなったら僕はただ歌うだけだ。僕はただ目を閉じ、口を開く。そしたら歌が出てくる」(2010年5月12日『ピッチフォーク』)
本名義を名乗る前にはよりドローン色の強い作品を作っていたようだが、クレルはそれに物足りなさを感じてヴォーカルを録りはじめたという。言葉がこだまするさまは戸の外の吹雪のようだが、戸のなかは厳かなハーモニーに満たされている。吹き過ぎていくものと、とどまるものとの対比がある。そして両者のあいだに生じる時間差が、この幽霊のような残響に他ならない。「愛はつねにとどまってはいない」の裏側には、「とどまっていたらどんなにいいか」という反実仮想的な祈りが貼り付いていて、それがこの人影のような音の重なりなっている。
彼のゴーストリーな音は夢のかわりに不穏に響く。ドリーム・ポップをゴーストにする。それは廃墟となりつつある逃避先を暗示するもののようにも思われるし、夢から醒めた後を生きるための手がかりを提供するようにも思われる。