「ハーモニー・コリン」と一致するもの

interview with Takuma Watanabe - ele-king

 その端緒をひらいた2014年のソロ作『Ansiktet』の時点では、2010年代後半が映画と音楽の関係の再考に費やされるとは、本人に確証があったかどうかはいささかあやしいが、渡邊琢磨はその1年後の冨永昌敬監督の『ローリング』、2年後には吉田大八監督の『美しい星』などの劇場公開作品の音楽を手がけ、盟友染谷将太監督とは実験的な作風にとりくみ、今年ついにみずからメガフォンをとり、染谷将太と川瀬陽太、佐津川愛美が出演する『ECTO』を完成させるにいたった。同作は今年5月に委嘱元である水戸芸術館で、晩夏には山口県のYCAMの爆音映画祭でも、規模はことなるが弦楽器の伴奏つきの上演を行っている。もうしおくれたが、渡邊琢磨の『ECTO』は映画の上映と生演奏がひとつとなってはじめて作品となる舞台芸術的映画作品で、革新的な方法論もさることながら映画なる形式へのエモーショナルな自己言及によって画期的な作品にしあがった、その完成から間を置かずして、というより余勢を駆ったか、渡邊琢磨はさらに映画に広く深くかかわろうとしている。
 そのことは処女作となる映画作品と同名のレーベル〈ECTO Ltd.〉の始動にもうかがえる。またしてももうしおくれましたが、“ECTO”とは超常現象愛好家にはおなじみのあのエクトプラズムのエクトであり、ギリシャ語の「外」を意味するこのことばをレーベル名に冠した渡邊琢磨の胸中には、映画の内にありながら映像に外として付随する音楽の浮動する特異な位置を多角的にとらえんとする野心がうかがえる。とともに、音楽のみならず音をめぐるテクノロジーと価値観すなわち環境の変化が映画にいかに循環するのか、あるいはその逆は? との問いかけをふくみ、そのことはベルが鳴り客電が落ちた劇場の暗がりでおぼえる胸の高鳴りによく似たものを呼びおこす。
 サウンドトラック盤『ゴーストマスター』はECTOレーベルの第一弾である。青春群像恋愛SFホラー活劇とでも呼ぶべきヤング・ポール監督の同名作は幾多の形式と手法と記号と技法をDIY風に融合した秀作だが、それゆえに音楽にもとめられる要求にも幅があったという。音楽を担当した渡邊琢磨の苦闘ぶりは本文をご参照いただきたいが、取材の後日仙台から郵送されてきたサントラ盤に耳を傾けながら本編で聴いたのとも印象をことにする音楽のあり方にうたれたとき、私は渡邊琢磨の新たな試みの意義をあらためて認識した。すなわち、映画とは、音楽とは、映画音楽とはなにか、との問いである。

映画がなければ存在しえなかった音楽の傾向はあるかもしれませんね。フィルムスコアリングのあり方が音に反映されている作品は多々あると思うので、映画のなかでしか聴けない音楽は、たとえばそれがオーケストレーションありきの音楽でなくとも電子音楽でもあると思います。

映画音楽を中心にするレーベル〈ECTO Ltd.〉を発足させたんですよね。

渡邊:染谷(将太)くんが監督した『ブランク』(2017年)という映画があって、そのサントラをリリースするさい、ミックスダウンと部分的に録音もやり直して、アンビエントにつくり変えたんですけど、それが映画音楽の副産物として面白いなと。レコードのセールス的に映画音楽は少々厳しいかもしれませんが、メディアとして再利用するのはおもしろいのではないかと。それがレーベル〈ECTO Ltd.〉をはじめる発端でもあり、今回のサントラのリリースのきっかけでもあります。

野田:『ゴーストマスター』のジャケットをちょっとみせてもらいましたよ。鈴木(聖)くんがデザインしているじゃない。

渡邊:そうですね。じつは〈ECTO Ltd.〉のレーベル・ロゴも聖くんがつくってくれました。

その〈ECTO Ltd.〉レーベル第一弾が2019年12月に公開した映画『ゴーストマスター』のサントラだと。すでに2作目以降も決まっているんですよね。

渡邊:染谷くんが監督し、菊地凛子さんが脚本を書いた短編作品の音楽を担当したのですが、本編20分弱の間、音楽がずっと鳴り続けていて、モジュラーシンセを使ったりドローンになったり、音楽的にも発見がいろいろあったので、権利的な問題がクリアになれば、同作のサントラを出したいと思っています。

冨永昌敬監督の『ローリング』(2015年)、吉田大八監督の『美しい星』(2017年)、染谷監督の『ブランク』、今年上演(映)した作品としての『ECTO』もそうですが、琢磨さんはこの数年映画と音楽についてかなり意識的にかかわってきました。サウンドトラックというメディアの現状についてはどう考えていますか。

野田:最近じゃOPNなんかもサントラ(『Good Times』『Uncut Gems』)を手がけているよね。

渡邊:ダニエル・ロパティンのようなアーティストがサントラやるような状況って昔はそんなになかったと思うんですね。歌唱入りのテーマ曲をバンドやミュージシャンが担当するなどはありましたが、劇判をジョニー・グリーンウッドとかトレントレズナーとか、トム・ヨークもそうですし──

ムームのヒドゥル・グドナドッティルとかね。

渡邊:そうですね。彼女が手がけた『チェルノブイリ』(HBO制作のドラマ)の音楽は素晴らしかったです。最近、音楽好きな映画監督がミュージシャンに直談判するような状況も顕著になってきましたし、映画音楽すなわち職業作家だけの仕事という時代でもない。バジェットいかんにかかわらず、監督や制作部とのコミュニケーションから音楽を着想することも多々ありますし、ミュージシャンが可能性を追求できる現場でもあると思います。

野田:染谷さんと菊地凛子さんは芸術的な野心をすごくもっているじゃない。あれだけメインストリームにいながら彼女もアンダーグラウンドにたいする嗅覚もある。

渡邊:そうですね。凛子さんはこのところ、染谷監督作品の脚本も書いていますが、ご自身の直感と趣向をそれとなく仕事にとりこんでしまう、その才覚がすごいです。海外では女優のマーゴット・ロビーや、ブラッド・ピットなどが独自のプロダクションをたちあげて大作を製作していますが、表方も裏方も手がける人が増えてきました。凛子さんはハリウッドでも仕事をしているし、そういった考え方があってもぜんぜん不思議ではない。

彼らが制作に関与できる状況があるということですね。

渡邊:ブラッド・ピットが運営する製作会社〈PLAN B〉もそうですが、〈A24〉や〈Oscilloscope〉のような独立系製作会社が2000年以降増えました。最近はポスプロ(ポストプロダクション)なども、映画監督自身が編集ソフトを使って作業することもありますが、以前は分業というか、編集は編集マンにお願いするのが慣例だったと思います。それがいまやラップトップ一台で完結できてしまう。映画は一人で作るものではないので、相対的に考えると良し悪しありますが、テクノロジーの発展とともに映画制作の状況も変わってきましたね。

職域がゆらいでいる現状がある。

渡邊:私的にシンギュラリティに関心はありませんが、AIの問題なども含まれるかもですね。AIが実装されているツールが出回ることで職域問題のバイアスが多少なりともかわるかもしれない。音楽制作においてもマスタリングやミックスをAIが行うツールがありますし、自己完結できる部分はどんどん増えている。

映画音楽に特化した、あるいは関連したといってもいいかもしれませんが、そのようなレーベルの構想はいつから?

渡邊:じつはここ最近──なのです(笑)。基本サウンドトラックのリリースは映画の制作会社や委員会の意向に沿って決めるのですが、インディペンデント映画やショートフィルムの場合、サントラがリリースされることがまれだったりするので、監督や制作サイドにサントラの音盤化のご提案をして、話しがまとまればリリースするという感じです。

いまの予定ではサウンドトラックとその二次利用作品ということなんですか。

渡邊:あるいは映像作家自身がつくる音楽、音響作品ですとか。効果音のスタッフの仕事にフォーカスしたものとか。ECMでも、ゴダールの映画の音だけがパッケージされたアルバムがありましたよね。そういう傾向の作品も含め(映像や映画の)音全般をあつかっていくということです。

しかしよく考えると、サウンドトラック盤が存在する映画の基準って、音楽のよさ以外になにかあるんですか。いまはサントラはあまり出ませんが、中古市場ではサントラもひとつのジャンルを形成するほどの分量があって、掘っていくとけっこうマイナーな作品のサントラもありますよね。

渡邊:映画音楽の仕事に携わってわかったことですが、音楽コンテンツのとりあつかいが漠然としているケースもありまして、映画の最終行程であるダビング作業の後に、劇伴の出版管理ほか、本編における音楽の使用箇所を記載する「Qシート」を提出するなどの話しになるのですが、映画の公開からだいぶ時間が経って詳細な連絡をいただくことも多々ありまして。映画は制作行程が複雑ですし、音楽以外にも事後クリアしなければならない作業や問題も少なくありません。ただ、映画が公開されてから時間が空いてしまうと、作業内容もあやふやになってくるので、それなら劇伴が出揃った段、もしくはダビング作業直後にプロデューサーもしくは製作会社の担当者に出版の意向などをおうかがいし、所定の管理団体がない場合は、こちらでお預かりすることもできますとご提案しておくのもよいかなと。それから、サウンドトラックをリリースすると、今回の記事のようにパブリシティ効果も期待できるかもしれない。勝手がよいレーベルがあればマーチャンダイズとしてサウンドトラックをつくることも容易ですし。映画作品のPR、掲載メディアも横断的になるというか、音楽の観点から映画をとりあげるのも面白いのではないかと。あわせて、監督からサウンドトラック盤をつくりたいという要望が出る場合もあります。監督は個々の行程に思い入れがありますし、若い世代の監督にはクラブミュージックからサントラまで雑多に音楽好きな方もいます。

映画音楽をメディアとして再利用するのはおもしろいのではないかと。それがレーベル〈ECTO〉をはじめる発端でもあり、今回のサントラのリリースのきっかけでもあります。

『ゴーストマスター』のヤング・ポール監督は若い世代に入りますよね。これが処女作ですね。拝見しましたが、いい感じで──

渡邊:とっちらかってますよね(笑)。

(笑)やりたいこといろいろやった感がありますね。

渡邊:初長編作らしい大変、野心的な映画です。

『ゴーストマスター』の音楽はどのような取り組み方だったんですか。

渡邊:本作は恋愛映画の撮影現場が次第にホラーに転じていくという映画内映画の要素があります。キラキラ恋愛映画を撮っているのだけど、とにかく撮影現場が滞る。キャストもダダをこねるし、監督も投げやりで、プロデューサーもうまくとりもってくれない。三浦貴大くん演じる主人公のダメダメ助監督は、本心ではホラー映画を監督したい野心があります。その思いと現場のストレスがピークに達したとき、恋愛映画の台本がホラー映画にトランスフォームするということなのか、とにかく惨劇の現場と化していくわけです。脚本を担当された、楠野一郎さんは大御所ですが、何とも不可思議でブラックな喜劇性をもあわせもつ恋愛ホラーをお書きになられた。本を読んだ直後は一筋縄ではいかないと思い、じゃっかん身構えました(笑)ホラーとはいえ根底に恋愛映画が通底していて、そこにも監督の演出意図があるので、表層とメタ構造になっている下部の映画の選択肢、要するにホラーなのか恋愛なのかを場面毎に問われる作品でした。

判断するにあたっての基準や、要素から導き出せる正答みたいなものはあったんですか。

渡邊:それがないんですよ(笑)。正解がみえてこない。ホラーのシーンで恋愛映画のテーマを当てても、そういう演出に思えてきますし。

形式にたいする批評として成立しますからね。

渡邊:そうなんですよ。しかも映画制作それ自体を扱うという点では、監督のルサンチマンとはいいませんけど(笑)、ポール監督ご自身のいろんな現場の実感にも由来していると思いますので、そういう裏返った自我の面白さも反映したいなと思いまして。

いつごろからはじまったんですか。

渡邊:去年(2018年)には作業していたはずなので、ポスプロも含め1年はかかったかなと。

ヤング・ポール監督は琢磨さんの音楽をすでにご存じだったんですね。

渡邊:本作のプロデューサーの1人である、木滝(和幸)さんは、冨永昌敬監督の『ローリング』も手がけていまして、ポール監督も『ローリング』をご覧になっていたらしく、渡邊さんならということで、お話自体はだいぶ前にいただきました。企画の概要的に、最初はホラー映画とうかがっていたので、恋愛映画が作中どういうふうに機能するかわかっていなかったのですが、初稿をいただいた段で映画の構造的に重要なパートだとわかってきました。私的には、ホラーの音楽をやってみたいという思いがかねてよりあったので、音楽作業の開始当初はもっとホラー然とした劇伴をつくっていたのですが、何曲投げても監督が首を縦にふらないので、再度ミーティングしたところ、ホラーと恋愛のどちらかに寄るのではなく、双方の要素を折衷したいということで、ようやくニュアンスがつかめてきました。

でも音楽の面からいうと微妙ですよね。さきほどもうしましたように、どのようなものでもそのように聞こうとすればそう聞こえる。やりすぎると記号になるし、中庸でいいことでもないような気もする。あるいはジャンル映画風ということなのか。

渡邊:そうですね。だから正解が見えにくいというか、結局、画と音を合わせたときのフィーリングというか、理詰めではないですね。『ゴーストマスター』には、セルフパロディー化しているような登場人物も多々出てきて喜劇的な立ち振る舞いをするのですが、キャラクター自身はマジなので、滑稽でも泣けてくるという(笑)、そういうポール監督の演出の妙と、それを体現してしまうキャストの方々の絶妙さには脱帽しました。そういう異化効果的なバランスにはとてもシンパシーを感じたので、監督と意見が対立するということではなく、もうひと捻りできるかどうかを監督と熟慮しました。

けっこう音楽ついていますよね。

渡邊:それなりに量はありますね。

しかも映像でもスローやCGなどの特殊効果場面の音楽もありますよね。これは一概にはいえないかもしれませんが、その場合はホラーと恋愛の二項のほかにも撮影方法や、オマージュしている作品も加味しなければならないのではなかと思いました。

渡邊:トビー・フーパーですとか監督の名前や作品に言及する場面もありますからね。あわせて、旧来の映画音楽的な要素も欲しいという要望が監督からありましたし。それは職能でカヴァーすればよいのですが、音楽が著しく演出に影響してしまうので慎重につくりました。『ゴーストマスター』が面白いのは、意味不明なシーンや謎の伏線が回収されることなく、そのまま放置されるところです(笑)。屋上をみんなで歩いていくシーンとか。突如、ふりつけをしたかのような動きで人々が屋上を歩き出す、一体なんなのと(笑)、監督に演出意図をうかがっても、よくわからないとかおっしゃるし(笑)、そういうナゾのシーンが多々あるのが面白い。

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キップ・ハンラハンと仕事をしたときのレコーディングで弦楽四重奏を起用しましたが、なにもかも試してみたくなるんですね(笑)。バルトーク風だったりリゲティ風だったり印象派っぽいのとか、そういうみようみまねのトライアンドエラーの実践を現場でくりかえすうちに、旧来的な分業システムではつくられない、作家性の濃い付随音楽もできたりするわけで、それはそれで面白いなと。

話は変わりますが、冒頭でも話に出たミュージシャンで映画音楽を手がけるひとたちについて琢磨さんは同じ立場としてどう思われますか。ジョニー・グリーンウッドはもちろん、ダニエル・ロパティンも。彼らはグリーンウッドならPTA(ポール・トーマス・アンダーソン)、ロパティンならサフディ兄弟というふうに監督とのコンビネーションもあります。その点もふくめて、琢磨さんは映画音楽の現状をどうみておられますか。

渡邊:ポール・トーマス・アンダーソンとジョニー・グリーンウッドのコラボレーションについては、なりゆきがわからないので言及できませんが、その点は措いたうえで、グリーンウッドが手がける映画音楽には弦楽が採用されていたり、室内楽的な要素もあったりしますよね。その点を考慮すると、PTAがグリーンウッドを起用したのは別段レディオヘッドのメンバーだからとか、ギターのサウンドが使いたいとか、そういう表面的な事由ではないわけで、逆にいえばグリーンウッドの音楽性、資質をよく理解していたからこそ、弦楽や管楽の劇伴を発注できた、あるいはグリーンウッドのアイディアを採用したということではないかと思います。OPNは、サフディ兄弟との2作目は、ダニエル・ロパティン名義でしたが、初コラボの際は、イギーポップとのコラボを除けば、OPNがそれまで積み上げてきた作風から、さほど逸脱しない音楽を監督も求めている感じでしたね。だから、ジョニー・グリーンウッドの場合は、そもそも弦楽器をフルで使う音楽をつくりたくて、その欲求とポール・トーマス・アンダーソンの映画が邂逅した感じではないかと。音楽家にとっていい実験の場ができたというか。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)が彼らのはじめてのタッグだったと思いますが、現代音楽のありとあらゆる書法を使っていますよね。僕もキップ・ハンラハンと最初に仕事をしたときのレコーディングで弦楽四重奏を起用しましたが、なにもかも試してみたくなるんですよね(笑)。バルトーク風だったりリゲティ風だったり印象派っぽいのとか、そういった欲張りな感じがどっと出る。でも、そういうある種のアマチュア精神というか、みようみまねのトライアンドエラーの実践を現場でくりかえすうちに、旧来的な作曲は作曲家、編曲は編曲家というような分業システムではつくられない、作家性の濃い付随音楽もできたりするわけで、それはそれで面白いなと。その点、ジョニー・グリーンウッドは音のイメージがちゃんとありますよね。同時に音楽史上の参照点も分かりやすい。

気軽に生の弦は使えないものね。

渡邊:とくに弦は束になると非日常的な音像になるじゃないですか。それをそれなりの予算で使えるとなったときの欲望ってすごいわけですよ。私的にはそうそうあるわけじゃないですけど。PTAも音楽が好きなひとだからグリーンウッドに弦を書いてもらいというディレクションと、作曲者の状況や意思がうまい具合に化学反応を起こしたんだろうなと思います。それ以来ふたりのコラボレーションはつづいていますよね。最近はジョニー・グリーンウッドがやっている音楽をポール・トーマス・アンダーソンがドキュメントしてたりもするし。

それだけいい組み合わせだと本人たちも思っているということかもしれないですね。

渡邊:個人的には、PTAはヘイムとかフィオナ・アップルとか女性アーティストのMVなどを手がけているときの方がしっくりきますけどね。好みの女性アーティストばかり撮っているというか(笑)。

ジョニー・グリーンウッドやダニエル・ロパティンが映画音楽に進出してきているのは象徴的というか、琢磨さんが映画と音楽に関心をもつのもわかります。

渡邊:去年は私的に(映画を)監督し、編集もみようみまねで手がける過程で、映像と音の相対的な発見が多々ありました。過去に仕事をした映画監督、たとえば、冨永監督などは棒つなぎ(仮編集)などは、もしかしたら編集マンがやるのかもしれませんが、その後、冨永くん自身で再度編集や微調をすると、途端に冨永ワールドが立ち現れる。その点では音楽とも似ていますよね。そういう編集のリズム感、グルーヴ感をもっている監督は多々おられます。そういったことも念頭に、私的に映像編集をおこなった際は、完全に音楽的な感覚で切ったり繋いだりしていました。今後、ポストプロダクションを自身で手がける映画監督や映像作家も増えていくでしょうし、逆に、映画監督が音楽にかかわるあり方も変化していくのではないかと思います。サフディ兄弟の映画音楽にしても、タンジェリン・ドリームのようなシンセを駆使した映画音楽を参照しているのは間違いないですし、『神様なんかくそくらえ』(2014年)では冨田勲さんや、それこそタンジェリン・ドリームを使っています。アナログ・シンセサイザーが効果的に使われた70年代後期から80年代全般の映画のムードや質感が好きなんだろうなと思いますし、OPNもその辺の映画に通底する質感は熟知しているでしょう。そうやって1本組んで、前時代的なオマージュだとかリファレンスありきのシネフィル的な趣向を超えて、両者の協働のあり方が新作『Uncut Gems』に結実したのかもしれない。『Good Times』もそうでしたが、ロパティンの映画音楽はかつてのタンジェリン・ドリームやヴァンゲリスのようなエレクトリックワールドな演出とはちがうわけですよ。映像と音の親和性がカメラワークに由来していたり、編集のスピード(これは速い場合もハイスピードのように極端に遅い場合もです)が、現行の電子音楽と相性が良いような気がします。そういう撮影などの技術革新などもあって、映画と音の新たな関係性の土壌ができたのだと思います。ハーモニー・コリンもそうでしたし、『魂のゆくえ』(ポール・シュレイダー監督、2017年公開)でもラストモードが音楽をやっていたりだとか、かつてないような映像と音のインタラクションが増えてきていると思います。過去の仕事の概念からいったらほとんど効果音のような音も劇伴という括りで捉えていますし。ポール・シュレイダーのような巨匠がドローンのような音楽を非常に効果的に使っているというだけでも興奮しますよ。

現代の映画音楽の文脈的に、90年代以降の映画音楽らしさは「低音」なんだと思います。じっさいIMAXやドルビーアトモスなんかの売りもそこですし、それはジョージ・ルーカスがTHXを始動したときからつづいてきたことでもある。そんなことをふまえると、そろそろ反動で高音が流行るんじゃないかと(笑)!

レーベルの設立文で、〈ECTO Ltd.〉での活動の視野にはサウンドデザイン的な表現も入ってくると述べられていましたが、それはそのような認識からくるものですか。

渡邊:あの文章は自分の仕事に対する戒め的な側面もあるのですが(笑)、じっさいにそうだとは思います。オーディエンスの観点からしても、映画をみているときの体感として、いまやIMAXやドルビーのような典型があるわけじゃないですか。90年代初頭から現在のハリウッドライクなというか、ルーカスのTHXが主導する音響技術が定着していったと思うのですが、つくり手からすると、あの重低音やアタック音は少々食傷気味です。ある特色をもつ技術革新が進むと、最初のうちは物珍しさも手伝って、多くの人が追従する音楽をつくるのですが、二番煎じが昂じると、自分はそれをやらないぞというムーヴメントが反動的に起こります。個人的な見解だと、劇伴における重低音を個性的に推し進めたのが、ヨハン・ヨハンセンが手がけた、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ボーダーライン』(2015年)のサントラで、あのグリスアップを多用した弦と打楽器の音像は、一頃のアクション映画の代名詞になっていると思います。とにかくコンバスやチェロをひとまとめにしてグリスアップすれば「いま」っぽい(笑)。映画音楽には、そういう流行り廃りの面白さがあるんですよ、映画音楽のなかの音色傾向といいますか。

ムームのヒドゥル・グドナドッティルはヨハン・ヨハンセンの弟子筋ですよね。

渡邊:そうですね。くりかえしますが、彼女の『チェルノブイリ』の劇伴は、前述の低音演出の総括的な作品としても秀逸です。現代の映画音楽の文脈的に、90年代以降の映画音楽らしさは「低音」なんだと思います。じっさいIMAXやドルビーアトモスなんかの売りもそこですし、それはジョージ・ルーカスがTHXを始動したときからつづいてきたことでもある。そんなことをふまえると、そろそろ反動で高音が流行るんじゃないかと(笑)!

そんな単純な話なのか(笑)。

渡邊:ハハ、でも音の生理なんて単純なものだと思うんですよ。映画音楽史を意識しながらみていくと、何年かに一度そういった時期、傾向がありますよ。

高音というのを美学的に言い直すとどうなります。

渡邊:低音というのはアトモスフィアをつくりやすいわけです。体感もあります。低音というのはサウンドトラックだけにかかわらず、地鳴りのような効果音などにも多用されますよね。きわめて映画的なレンジだと思いますが、たとえば、武満(徹)さんのお仕事などは、そこまで低音重視ではないですよね。

そうですね。

渡邊:世界的にみても映画音楽史の上でも、かなり特異で鮮度のある映画音楽です。もちろん、作曲家=武満の作風というだけではなく、その時代の映画がもちえたトーンに呼応してるようにも思えますが。そういう響きが流行るかはさておき、一方の余白になっているとは思います。

低音でもグリスアップでもない基準ですね。

渡邊:そうですね。とはいえ、武満さんの映画音楽もある時代の参照点でもあるわけで。映画監督がみてきた映画の音がそのひとのなかに蓄積されているわけですし、それなりに邦画をみていけば、必ずあの独特の武満トーンが記憶に残っているはず。だから音楽に疎いとおっしゃる監督でも、映画における音のマナーやリテラシーはあって、実際、音を当ててみるとなにがしかの映画の記憶が思い起こされたり、具体的な作品名を出して、あの映画の音楽がよかったなどの話しになりますし。

発見ですよね。それはさきおっしゃっていた映画と音楽、テクノロジーや方法論との親和性と同じで、不可逆的なものでもあると思うんです。

渡邊:ええ、映画がなければ存在しえなかった音楽の傾向はあるかもしれませんね。フィルムスコアリングのあり方が音に反映されている作品は多々あると思うので、映画のなかでしか聴けない音楽は、たとえばそれがオーケストレーションありきの音楽でなくとも電子音楽でもあると思います。

〈ECTO〉レーベルはそのような映画音楽作品をリリースするレーベルであり、『ゴーストマスター』はその第一弾であると。そう考えると、琢磨さんほど映画音楽に真摯にとりくんでいるミュージシャンはいないかもね。

渡邊:いえいえ! 自重ではありませんが、私はまだまだ試行錯誤の段階ですし、映画音楽の世界もよい意味で魑魅魍魎うごめいていますからね(笑)。最近はノイズやヒップホップ界からもドラマや映画音楽に参入してくるアーティストがいますし。個人的に映画は好きですが、それだけが動機でもないと思いますし。ただ、映画音楽をつくるのも、レーベルをスタートするのも、映画や音楽からの呪いみたいなものであると同時に、つまるところ実験であり、結果的には音楽にフィードバックしてくるなにかだと思います。

■映画情報

映画『ゴーストマスター』
監督:ヤング ポール
脚本:楠野一郎/ヤング ポール
音楽:渡邊琢磨
主題歌:マテリアルクラブ「Fear」
出演:三浦貴大/成海璃子
配給:S・D・P(2019年 日本)
○新宿シネマカリテほか絶賛公開中!全国順次ロードショー
ghostmaster.jp/

Lorde - ele-king

 女性誌のコーナーに行くと、10代の女子に向けた雑誌の表紙に「インスタジェニック」なる言葉が躍っている。ページをいくつかめくってみると、インスタグラム映えする投稿をすることは──そのためのライフスタイルを送ることは彼女たちにとって抜き差しならない問題のようで、そして、過度の写真加工は「イケてない」のだそうだ。雑誌のアドバイスいわく、「それは本当のあなたじゃない」と。いいね!がたくさんつくような「インスタジェニック」な投稿をすることと、自然体の自分を世に示すことのせめぎ合いがそこにはある。10代の人間関係のキツさを忘れた大人の目線から「そんなのくだらないよ」と言うのは簡単だが、彼女たちなりの自己表現や真剣なコミュニケーションがそこにはこめられているのだろう。
 テイラー・スウィフトとのセルフィーがインスタグラムで話題になるポップ・スターたるロードは、しかし、加工など必要としない特別な少女、10代として世に現れた。ニュージーランドでブリアルとジェイムス・ブレイクを聴き、レイモンド・カーヴァーとカート・ヴォネガットを読み、そしてハスキーなアルトで退屈な日常や物質主義への懐疑を歌う16歳……。シンガーソングライター化していった時期のジェイムス・ブレイクを強く意識したであろう簡素なエレクトロニック・ミュージックのプロダクションも含め、デビュー作『ピュア・ヒロイン』の時点で彼女、エラ・イェリッチ・オコナーは選ばれたヒロインだったわけだ。『ピュア・ヒロイン』には生意気な10代特有の魅力があったし、それに説得力を持たせる意志の強そうな眼差しがあった。

 そこで言うと、『メロドラマ』では、湿り気のあるピアノ・バラッド“ライアビリティ”で別れた男に向けて「わかってるよ、わたしは負担だって」としんみり歌っているロードは特別なヒロインであることを手放しているように見える。ありていに言えば普通の失恋ソングを歌う普通の女になっている。現在ヒット・メイカーとして名を馳せるジャック・アントノフを共同ソング・ライターとして迎えていることからもわかるが、チャート・ミュージックのスターであることを真っ向から受け入れていて、なかでもアンセミックなダンス・ポップ“グリーン・ライト”はその結実だろう。セルアウトだと言ってしまえば、そうだ。メロディはよりキャッチーに、プロダクションもはるかに派手になっていて、ウェル・プロデュースされたポップ・ソングというのはロードのオルタナティヴなイメージを幾分損なうものかもしれない。
 だがそれでも、海外の評に目を通してみると前作よりも『メロドラマ』が概して高く評価されているのは、ポップスとしてのフォルムの完成度が高まっているということ以上に彼女自身の言葉がいいのだという。『ガーディアン』は「アルバムでもっとも弱い楽曲である“ホームメイド・ダイナマイト”でさえ」と牽制しながら、リリシストとしてのロードを讃え、そして(ザ・スミスの)“ゼア・イズ・ア・ライト・ザット・ネヴァー・ゴーズ・アウト”を引き合いに出しつつ描写の巧みさを指摘している。そこではパーティに繰り出す女子が登場し、彼女の夜への期待が車の事故に喩えられているのだが、パーティ・ガールの刹那的な快楽主義に詩情がもちこまれているのだと。『メロドラマ』ではアルバムを通じて、夜遊びをする若い女が歌の主人公として繰り返し登場する。彼女たちは酒を飲んで騒ぎ、踊り、たぶんドラッグもやって、一夜限りの恋やセックスをするのだろう。きっとセルフィーを撮ってインスタグラムにアップもするだろう。ロードはそして、大人たちからは無視されるとくに立派でもない若い女たちの側に立ち、彼女たちの悲しみや一瞬その目に入る美しい光景を描こうとする……それは、加工しようがしまいがインスタグラムには投稿できない若い女たちの実存と感情だ。「目覚めると、違うベッドルームにいることがある/私が何か囁けば、街のざわめきが歌で返してくる」(“グリーン・ライト”)。ケイト・ブッシュによく比較される声でロードはここで、特別ではない女たちの声にならない声をポップにエモーショナルに開放しようとしている。ハーモニー・コリンの映画『スプリング・ブレイカーズ』のパーティに明け暮れる少女たちの姿がフラッシュバックする。
 「毎晩、わたしは生きて死ぬ」という歌い出しの開放的なシンセ・ポップ“パーフェクト・プレイス”でもやはり夜な夜な遊びに繰り出す若い女の軽薄さが少しの切なさを伴って描かれ(「わたしたちの憧れたひとたちはみんな、姿を消していく/いまはもう、わたしはひとりで立っていられない」)、しかしそれは当人にとって切実なものなのだと訴える(「ベロベロに酔って過ごした夜/理想の場所を探しながら」)。だが、彼女は続けてこう呟くのである──「それにしても、理想の場所っていったい何?」。そうして、アルバムは終わる。
 ラナ・デル・レイほど退廃的になれるわけでもない。それでもたしかに痛みや悲しみを抱えた若い女たちの「メロドラマ」がここにはあり、それは自分自身の生き方やそれを表現する術を探し求める10代の姿でもある。「チャート・ミュージックにリリシズムと知性を持ちこんだ」というのは批評家の言うことだ。ロードを聴いている女の子たちはきっと、自分たちと近い場所にこの物憂げだが強い声と歌があることを頼もしく思っている。


Ryugo Ishida - ele-king

 『サタデー・ナイト・フィーバー』は普遍的な青春の物語……だった。かつては。変わりばえしない毎日への鬱憤を毎週末のディスコでのばか騒ぎで発散するジョン・トラボルタ。ナイン・トゥ・ファイヴの退屈な仕事をこなすだけの決まりきった人生のレール。それにあきたらない若者の胸のうずきと、やがて訪れる青春の終わり。そういやアラン・シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』ってのもあった。なんにせよそれは、戦後の経済発展を成し遂げた国々に共通の成熟のストーリーだった。
 けれど、世界的な規模でミドル・クラスが没落し、ワーキング・クラスがのきなみアンダークラスへと地盤沈下していく現代においては、ナイン・トゥ・ファイヴの安定なんてものはごくごくひと握りの人間にしか享受できない特権になりつつある。落ち着くべき人生のレールはもはや存在しない。朝も夜もなく、曜日の感覚もない。未来っていったってただの言葉にすぎなくて、5年先のことさえまるで現実感がない。……そんな感覚はこの平成日本でも着実に浸透中だ。ポストモダン? 後期近代? そんなめんどうな言葉は必要ない。これはいまこの社会のあちこちで経験されているリアリティだ。

 『EverydayIsFlyday』。エヴリデイ・イズ・フライデイ。それが自主流通のみ、いまのところ限定で1000枚しかプレスされていないRYUGO ISHIDAの初フィジカルCDのタイトルだ。手もとにあるCDのジャケットは大友克洋『AKIRA』のパロディで、廃墟の玉座に座るRYUGO ISHIDAがぺろりと舌を出している。現在23歳の彼は茨城県土浦を拠点とするアーティストだ。2014年からDUDE名義で『1993』と題したミックス・テープEP三部作をリリースし、このアルバムでのデビューを機に改名した。このタイトルはもともと、アトランタのトラップ・シーンの現場を追ったVICEのドキュメンタリー『noisey ATLANTA』に登場する「ここじゃ毎日が金曜日だぜ(Everyday is Friday)」というフレーズをサンプリングし、米スラング「FLY」のスペルを組みこんだものだ。全世界に伝播するアメリカ南部産のトラップの熱波が、東京の北方に広がる関東平野のなかほど、霞ヶ浦のほとりに飛び火した結果、この傑作が誕生したことになる。

 そう、このアルバムが素晴らしいのだ。まるっきり中学生のようなストレートなリリックと、知性をまったく拒否したジャンクなアティテュード、というラップのスタイル自体は、震災後のトラップの本格流入以降にUSのフロウを意欲的に取り入れたラッパーたちに共通する。しかし目を引くのは、絶妙なバランスで最先端のトラップに落とし込まれた北関東独特の土着の空気感だ。くわえてとくに秀逸なのが、アイラヴマコーネン以降とでも呼ぶべきか、LSDの影響で出現したとされるアトランタのメロディアスな潮流、最近ではリル・ヨッティの『リル・ボート』などに顕著な、サイケデリックな歌声フロウの大胆な導入。サウンドもトラップをベースとしつつも、ダンサブルな4つ打ちやラフなブレイク・ビートが随所に登場し、トベればなんでもありのジャンクな多幸感を盛り上げている。

 サタデー・ナイト・フィーバーというよりはエヴリデイ・イズ・フライデイ。それが現在のユースのリアリティ……なのかはわからない。けれどその感覚は、EDM以降の、派手な電子音と中毒性のあるビートで理屈ぬきにハイになりたい、という刹那的な欲望ともどこかで同期しているはずだ。あるいは、危険な脱法ハーブや異常にアルコール度数の高い安価な酒の急速な普及以降の感覚とも。ともかくこれは、ミドル・クラスやワーキング・クラスの墓場で楽しげに踊るゾンビたちのダンス・ミュージックだ。琥珀色のクエルボ・ゴールド、紫のリーン・ドリンク、深紅のピル、チョコレート色のマリファナが混じり合って描く、極彩色のアラビアン・ナイト。まるで悪夢のような世界……だがここには絶望も怒りもない。ぶっ壊れていく社会を嘆き悲しむ連中をよそに、彼らは瓦礫をドラムのように打ち鳴らして笑っている。

 始まりはフィルターをかけられながらフェードインしてくる“KIDS”。iPhoneのデフォルト着信音っぽいシンセがぐるぐると回り、サンプルされたソウル・シンガーのうめき声がエコーし、マシンのスネアの連打が鳴り響くと、間髪入れずに極太のベースがドロップされる。初っぱなからすでにベロベロのRYUGO ISHIDAはマリファナのブラントに着火しながらひとこと。「幻覚見えるまで吸うぜ、キッズ」。続く“夜が明けるまで”は盟友のLUNV LOYALを客演に迎え、卓越した歌声とスキルフルなラップのコンビネーションを披露する。陶酔を誘うベースライン、快感的なハイハット、ゲームからサンプルしたようなチャチな銃声。序盤はRYUGOのスキャット的な高音フロウとLUNV LOYALのスムースで安定した低音フロウのコントラストを聴かせ、しかし両者のラップはやがて自由自在に交錯しながら見事に溶けあっていく。

 リル・ヨッティ的なサイケデリック・フロウ解釈として秀逸なのは、なんといっても3曲目の“FLYDAY”。エヴリデイ・イズ・フライデイ、でも本当の金曜日の夜だけはやはり特別だ、という週末のなんでもない高揚感が、美しいファルセット・ヴォイスで珠玉のポップ・ソングに仕上げられる。トラップ以降のフロウの多様化の流れの中では、ラッパーの歌唱力とメロディ・センスがひとつの試金石となるけれど、その点でRYUGOのポテンシャルは抜きん出ている。その後も、テキーラ・ショットの連発によるオーヴァードーズを描く“ONE SHOT”、墓場でパーティするゾンビのトラップ・ホラー・コア“ZONBIE WALK”、弱冠19歳のフィメール・ラッパーELLE TERESAを迎えた“PARTYGANG2”など、手を替え品を替えのパーティ・チューンの連続だ。赤やピンク、ブルーに染めた髪の毛、顔や首まで刻んだタトゥー、ミラーボールが照らすシャンパンに濡れた肌。自称はPARTY PEOPLEじゃなくPARTY GANG。発音は短くパリギャン。記憶はゲロと一緒にトイレに流して、英語まじりの奇声をあげながら毎夜のパーティに明け暮れる。

 パーティ感一色だったアルバムのギアが切り替わるのは、ミーゴスの“YRN(Young Rich Nixxas)”のパロディ的なタイトルの“YRB(Young Rich Boy)”。ヘロヘロのシンセの音色にスカスカなトラップ・ビート。単調なフロウで繰り返されるフレーズは「いま貧乏でもヤング・リッチ・ボーイ/この曲で歌うこと実現する/あと何年後かにはヤング・リッチ・ボーイ」。思わず正気を疑うほどのジャンクさだ。しかしアルバムをここまで聴けば、このぶっ壊れたアティテュードが確信犯的にデザインされたものであることは明白だ。フォトショップで適当にカット・アンド・ペーストしたような素材が飛び交うミュージック・ヴィデオも、iPhoneのエミュレータでリヴァイヴァルされたファミコン感というか、サウス・パーク的なチープさ。グッチのベルトをはずすビッチ、それにバルマンの新作デニムとルブタンの靴。夢はドクター・ドレーと曲を作り、ダウンタウンみたいになること。ラスト近くに鳴らされる最高にラフなブレイク・ビートが疾走感のある4つ打ちに変化すると、チープな夢が壮大なスケールまでドライヴしていく。

 この確信犯のスタイルの由来を知るうえで興味深いのが、北関東特有のヤンキー・カルチャーの残滓が炸裂する“FIFTEEN”。これはかなり奇妙な曲だ。言ってしまえばバック・イン・ザ・デイものというか、過去の記憶を辿るストーリー・テリングものなのだけれど、ここにはそうしたナラティヴに必要なはずの「あの頃は……」というようなイントロダクションが存在しない。ほぼ10年前の記憶を語っているはずのリリックが突然「俺はRYUGO/生意気中坊/齢は15/聞かない忠告」と始まるせいで、普通に聴けばまるで15歳の中学生が歌っているように錯覚する。ラップもいわゆるトラップ以降の変声フロウではなく、堅実なライミングによるオーセンティックなスタイルだし、サウンドもトラップ的なハイハットの連打にくわえて、90sのウエスト・コーストを彷彿とさせるラフな感触のドラムが印象的だ。さらには改造学ランの中学生が登場するレトロなヴィデオが、わざとVHSの粗い解像度を再現しているにいたっては……。つまり、リリック、ラップ、サウンド、映像のすべてが渾然一体となって、「過ぎ去ろうとしない過去」というコンセプトを鮮やかに表現しているわけだ。15の夜に始まったRYUGOの悪夢はいまだ終わっていない。小学二年で手紙で知った実父の死の記憶、ママには内緒でのめり込むエリミンにコデイン。いくら泣いても闇夜は明けず、届かない夢を見ている放課後、狂った時計の針が回り出す……。

 クライマックスはラストの2曲。吐瀉物まみれのワン・ナイト・スタンドを不思議な爽やかさで歌いあげる“キスはゲロの味”、そしてミックス・テープから再録された“お金持ちになりてえ”。この身も蓋もない2曲のタイトルこそ、USの影響下で形成された日本のトラップのメンタリティを雄弁に物語る。吐瀉物というロマンティシズムとはほど遠いモティーフによって刹那的なラヴ・ストーリーを描くこと。金銭へのストレートな欲望を宗教的なストイシズムさえ漂わせながら口にすること。この点で現在の日本のトラップは、既存のラップのクリシェを破壊する、新たなリアリティ・ラップとして噴出している。くわえて『CONCREET GREEN』に収録された曲の別ヴァージョンである“やりたいことやる REMIX”の、いわゆる自己啓発的なスピリチュアリティ。日本のトラップの画期となったKOHHが、「引き寄せの法則」で有名なロンダ・バーンの『ザ・シークレット』という自己啓発本に強い影響をうけているのはよく知られたことだ。チャンス・ザ・ラッパーとケンドリック・ラマーがそのバックボーンにクリスチャニティを共有しているように、大手古本屋のワゴンセールで数百円でたたき売られているベストセラー由来の自己暗示は、家族の崩壊とコミュニティの空洞化にさらされた日本のユースにとっての、切実なサヴァイヴァルのツールなのかもしれない。まあ、その結果として描かれる希望が、大理石の豪邸で仲間と一緒にマリファナとコカインでハウス・パーティってところには、ああなんてことだ、って思うけれど、絶望感にひざまずいて生きるよりは、きっとずっとマシなんだ。

 東京の北方の地方都市での南部産トラップの力強い隆盛をうけて、ひとつ指摘しておきたいことがある。それは、ひと昔前まで日本語に翻訳されたアメリカ文学や映画に出てくる南部の黒人は東北地方の方言を喋っていた、ということだ。福島生まれのアメリカ文学者、青山南によれば、それは実在の東北弁ではなく、「THEY DID THESE THINGS」を「DEY DONE DEM THINGS」と喋る呪文的な南部英語のなまりを翻訳するための苦肉の策としての、デタラメな東北弁だったそうだ。しかし、そこには「先進的な東京」と「遅れた地方」というあからさまな文化的ヒエラルキーの構図が凝縮されているのはもちろんのこと、その抑圧的な図式はそのまま、当時のアメリカ南部における白人と黒人という人種的ヒエラルキーへと露骨にスライドされているわけだ。それは程度の差はあれ外国語のなまりの翻訳につきまとう本質的な難題ではあるものの、事実、最近の海外文学の翻訳ではこの架空の東北弁の乱用は改められる傾向にあるらしい。

 実は青山は言語学的にいえばアメリカの南部英語のなまりはむしろ九州地方のものに近似しているとの説まで紹介しているのだけれど、たとえ南部作家のウィリアム・フォークナーの小説に登場する黒人が博多弁や鹿児島弁を喋りだしたって、ともすればノーマルな基準から逸脱した存在を表象する記号として地方の方言が使われることに変わりはない。さかのぼれば南北戦争での敗北以降、「遅れた土地」との烙印を押されたダーティ・サウスの叛乱、その最新形が現在のトラップだとすれば、日本の地方都市の不良がサウスの音を鳴らすことには、明確な必然性がある。東京においても、トラップの起爆剤となったのは北区のKOHHや川崎南部のBADHOPなど、都市の周縁である郊外エリアの新勢力だった。それは抑圧された土着の肉体と感性の叛乱だ。

 創成期に渋谷や六本木の先鋭的な文化実験によって育まれた日本のヒップホップの主流が当初、暴走族などのヤンキー・カルチャーと意識的に距離をとることでそのアイデンティティを構築してきたことを踏まえるなら、現在急激に隆盛している日本のトラップの一翼は、周縁化されたヤンキー・カルチャーがラップ・ミュージックを飲み込んだ結果の産物だ。それはニューヨークという最先端の文化の坩堝で誕生したヒップホップが、南部アトランタやヒューストンで土着化して生まれたトラップの出自からいって、まったくもって頷けることだ。
 もちろんUSトラップの画期にはレックス・ルガーによるワカ・フロッカ・フレイム“ハード・イン・ダ・ペイント”が刻まれているし、爆発的流行後のヒューストンの熱はハーレムに逆流してエイサップ・ロッキーというヒップなアイコンさえ生み出した。崩壊したアメリカのサバービアを撮り続けてきたハーモニー・コリンの『スプリング・ブレイカーズ』において、顔面にアイスクリームのタトゥーを刻んだアトランタのトラップ・キング、グッチ・メインが不気味な存在感を放っていたのも記憶に新しい。サウスの潜勢力はとうの昔に、地理的な南部だけに独占されるものじゃなくなっている。東京でも郊外エリアのトラップ・アーティストの荒々しさに比べ、渋谷を拠点とするkiLLaクルーに漂う不穏でフェミニンなパンキッシュさには目を見張るものがある。思えば、かつてはレコードの不買運動さえ引き起こしたヒップホップは、いまや音楽産業の中で確固たる地位を築いたのだ。サンプリング主体のサウンドに対して「オーセンティック」という本来なら保守的な賛辞が違和感なく投げかけられるようになった現在、荒廃したサウス・ブロンクスで胎動していた型破りなエネルギーは、南部発の新たな潮流のかたちをとって貪欲にフロンティアを探し続けているのかもしれない。

 そういえばフォークナーはかつての来日時、「わたしには日本人のことが理解できる。なぜならわたしたちはともにヤンキーに負けたからだ」と発言したそうだ。ここでいう「ヤンキー」とはもちろん南北戦争に勝利した北部諸州のアメリカ人を指していて、その言葉は知っての通り高度成長後の日本で不良の少年少女たちを指す言葉に転用され、それが今ではほぼ地方にしか見られない土着のカルチャーとなっているわけだから、そこにはかなり摩訶不思議な文化的なズレがある。けれどきっと、そんなズレは世界中どこにでもあるのだ。ちょうどちまたで『トレインスポッティング』の続編の映画化が話題になっていたせいか、“キスはゲロの味”のヴィデオの金髪坊主のRYUGO ISHIDAは、あの映画のユアン・マクレガーにだぶって見えた。イギー・ポップとルー・リードをBGMにドラッグに耽るスコットランドの田舎の若者たちの群像。あれはイギリス映画である以上に、スコットランドの映画なんだ。同じように、このアルバムは日本のトラップである以上に、北関東の、土浦のトラップだ。首都の真上に永遠の郊外のように広がる関東平野、その横腹にぱっくりと口を開けた巨大な湖のほとり。どうやらそこでは、こんなにも幻惑的な音が夜ごと鳴り響いているらしい。

 ミックス・テープではUSのフロウをオリジナルにアレンジするべく試行錯誤していたRYUGO ISHIDAは、このデビュー盤一発で、その音楽的実験の成果を目覚ましいまでに見せつけた。実際、当初はフィジカル限定だったこのアルバムは反響を呼び、今後はiTunesでの配信も予定されている。ひとくせあるトラックを粒ぞろいに用意し、緻密なコンセプトで全曲のプロデュースをてがけたAUTOMATICの手腕も大きいだろう。同じく彼のプロデュースでSoundCloudにアップされた新曲は、チャンス・ザ・ラッパーの新作の“ノー・プロブレム”のビート・ジャックだったことからしても、サウンドのリソースはこのアルバムに現れている以上に豊富のようだ。けれど、やはりこのアルバムの魅力はトラップならではのものだと思う。TR-808のマシン・ビートを基調とするトラップは、かつてトリシア・ローズが「共同体の対抗的記憶装置」と呼んだ過去の音楽的遺産へのアクセス、つまりはサンプリングを、すくなくともビートとしては拒絶している。そのビートのうえで、保守的なマッチョ・カルチャーにはとてもそぐわないヤング・サグの服装倒錯(トランスヴェスティズム)や、リル・ヨッティの突然変異的なサイケデリア、それにキース・エイプやKOHHといったエイジアン・ラッパーの身体と声が力強く躍動しているのには、なにか理由がある気もするのだ。

 メジャー/アンダーグラウンド、グローバル/ガラパゴス、東京/地方、肉体/マシン、歌/ラップ、シスヘテロ/クィア……あらゆる二項対立を拒否し、克服するだけじゃ足りない。二項対立を嘲笑し、利用し、勢力図を塗り替えるんだ。口で言うほど簡単なことじゃないけれど、この『EverydayIsFlyday』はその文化的なアクロバットの見事な実践だ。あらゆる周縁に生まれ落ちた人間、既存の文化秩序に牙をむこうとする人間、人知れず野心をたぎらせるすべての人間たちへ。トラップ・イズ・ユアーズ。すこし勇み足ぎみにそう言っておこう。

正月休みのための4本+1! - ele-king

 スターウォーズはもう観ましたか(僕はまだです)? フォースをすでに覚醒させたひとにも、まだのひとにも、あるいは何それというひとにも、ジェダイと関係ない冬休み映画をいくつかご紹介。映画館へ行きましょう!
 We wish you a merry christmas! よいお年を。

神様なんかくそくらえ

監督 / ジョシュア&ベニー・サフディ
出演 / アリエル・ホームズ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ 他
配給 / トランスフォーマー
2014年 アメリカ/フランス
12月26日(土)より、新宿シネマカリテ他 にて全国公開。
©2014, Hardstyle, LLC. All Rights Reserved.

 ニューヨークのストリート・キッズの「リアル」を描いていると言っても、ラリー・クラーク監督、ハーモニー・コリン脚本の『KIDS』(95)とは違う。時代がちがえば、痛みもちがう。いきなり凄惨なリストカットを見せられたかと思えば、映画はずっとどうしようもなくズタボロの……ヘロインまみれの愚かな子どもたちの、汚れた日々を映すばかりだ。ここでカメラが映す21世紀の道端に、ストリートの美学なんてない。クズの輝きなんてない。彼女たちがヘロインを打つ場所はスターバックスやマクドナルドのトイレであり、正真正銘の都会のゴミとしてキッズは街をさまよっている。本作に主演しているアリエル・ホームズの自伝的な手記をもとにしていることが話題となっているが、だからといってわたしたちはこの映画を観なくても知っていたではないか……彼女たちがこの世界にたしかにいることを。主演ふたりの生々しい存在感にも胸を掴まれるが、と同時に、どうしても映りこんでしまう本物のストリート・キッズたちとそれを見て見ないフリをして通り過ぎる人びとから目を逸らせない。カメラは残酷にクローズアップを多用して、わたしたちに「ゴミ」と向き合うことを強要する……僕にそのことを下品だと言う勇気はない。冨田勲の音が耳から離れない。
 そうして映画は、アリエル・ピンクのドリーミーな歌をエンド・クレジットに流しつつ終わっていく。ドリーミーな……いったい何が? それは都会の公衆便所で見るひとときの夢なのだろうか。そこに立とうとするアリエル・ピンクというひとの無謀さに僕は、本当に震えるしかなかった。ふたりのアリエルがそこにいた記録を目撃してほしいと思う。

Ariel Pink - "I Need a Minute" (Official Music Video)

予告編



SAINT LAURENT/サンローラン

監督 / ベルトラン・ボネロ
出演 / ギャスパー・ウリエル、ジェレミー・レニエ、ルイ・ガレル 他
配給 / ギャガ
2014年 フランス
TOHOシネマズシャンテ 他にて全国公開中。
© 2014 MANDARIN CINEMA - EUROPACORP – ORANGE STUDIO – ARTE FRANCE CINEMA – SCOPE PICTURES / CAROLE BETHUEL

 これはある天才についての伝記映画ではなく、一種の芸術論である。『メゾン ある娼館の記憶』(11)でもずば抜けたセンスを発揮していたベルトラン・ボネロ監督は、序盤、分割画面で68年と69年の革命とコレクションを並列してみせいきなり観客を圧倒するが、そんなものは大して重要ではないとでも言わんばかりに、どんどん時間を進めていく。やがて時間軸はバラバラになり、時空はねじ曲げられて、すべては彼の76年の最高傑作へと向かっていくだろう。彼の才能も、性愛とドラッグにまみれた退廃の日々も、お決まりの「天才の苦悩」も愛も、さらには晩年の孤独も、ここでは最高の作品に奉仕したに過ぎない……時間は等価ではないのだ。次々に大音量で流される音楽もクールにちがいないが、ひとつひとつが美術作品のように差し出される画面と、それに魔術的な編集にクラクラする。美しい作品について語る映画であればエレガントに振る舞うのが当然、それこそがこの映画の美学であるとボネロは涼しげに言ってのける。ギャスパー・ウリエル、ルイ・ガレルといった美しい男たち(晩年のサンローランを演じるのはヴィスコンティ映画の常連ヘルムート・バーガー!)ばかりが現れるのも当然だし、やや周到に思えるモンドリアンの引用も“アヴェ・マリア”も……1976年の、その瞬間の前にひれ伏すのである……。年間ベスト映画に入れ逃した1本。

予告編


あの頃エッフェル塔の下で

監督 / アルノー・デプレシャン
出演 / カンタン・ドルメール、ルー・ロワ=ルコリネ、マチュー・アマルリック 他
配給 / セテラ・インターナショナル
2015年 フランス
Bunkamuraル・シネマにて 公開中。全国順次公開。
©JEAN-CLAUDE LOTHER - WHY NOT PRODUCTIONS

 いかにもアルノー・デプレシャンの映画である。つまり、ひとつの幼い恋が映画の中心にあったとして、その周りにありとあらゆる小さな事柄が散らばっていて、さらにその周りにはさらなる小さな事柄が控えている。自殺した母との複雑な関係や父との微妙な確執、勉学への若き情熱、パーティで踊ったデ・ラ・ソウル、仲間たちと観たジョン・フォードの映画、読みふけったレヴィ=ストロースやスタンダール……。それらはどこまでも伸びていき、終わりのない広がりを見せていく。日本でもヒットした『そして僕が恋をする』(96)のふたり――ポールとエステルのさらに若き日の痛ましい恋を描いた映画でありつつ、その青春の日々に散らばっていた瑣末なひとつひとつをランダムに思い出していく過程でもある。そしてそれらすべてのことがまた、どうしようもなく「たった一度の恋」に収束していく。ラスト30分頃のひたすら手紙の朗読を重ねるショットの切ない美しさは、間違いなく本作のハイライトである。何がどうなったという話でもないのに、人生の豊穣さを流麗に見せていくデプレシャンには毎度唸らされるばかりだ。94年生まれのカンタン・ドルメールと96年生まれ(!)のルー・ロワ=ルコリネの「一瞬」を収めたフィルムでもある。『そして僕は恋をする』におけるフランスの香り漂う恋愛模様に酔いしれたひとはもちろん、忘れられない恋を胸に抱えるひとは劇場へ。

予告編


消えた声が、その名を呼ぶ

監督 / ファティ・アキン
出演 / タハール・ラヒム、シモン・アブカリアン、モーリッツ・ブライプトロイ 他
配給 / ビターズ・エンド
2014年 ドイツ/フランス/イタリア/ロシア/カナダ/ポーランド/トルコ
12月26日(土)より、角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA 他にて全国順次公開。
© Gordon Mühle/ bombero international

 トルコ系ドイツ人ファティ・アキンによるもっとも規模を大きくしつつ、トルコで最大のタブーとも言われるオスマン・トルコによる1915年のアルメニア人虐殺をテーマとした一作。喉をかき切られ声を失いながらも娘を探して世界中を旅する父親という難役を、いまもっとも重要な俳優のひとりであるタハール・ラヒム(ジャック・オディアール『預言者』、ロウ・イエ『パリ、ただよう花』など。黒沢清の新作にも出るそうです。)が熱演。熱、といま書いたが、じつにアキン監督らしいエモーショナルな温度を帯びた作品となっている。それは情の篤さだと言い換えてもいい。ここでは史実的なジェノサイドも描かれているのだが、その勇ましい暴力の下で隠された人間の弱さや親切さもまた掬い取られている。男は圧倒的な量の死を前にして絶望し信仰を含めて多くのものを喪っていくが、彼を多くの人びとの素朴な善意が救っていくのもまた事実なのである。そして僕が映画を反芻して思い浮かべるのはどうしても後者のほうなのだ。あるいは、チャップリンの映画を前にして(それは多くの人びとにとって初めて観る「映画」として描かれる)、子どものような目で涙を流すラヒムの姿だ。それはアキン監督映画の一貫した甘さでもあり弱点でもある、が、彼を応援し続けたい理由でもある。1973年生まれ、まだまだ先が楽しみな作家のひとりだ。

予告編


 それでもどうしても映画館に行けないという方に、家族で観るDVD編。

くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ

監督 / バンジャマン・レネール、ステファン・オビエ、ヴァンサン・パタール
配給 / ギャガ・プラス
2012年 フランス
DVD発売中。 https://www.amazon.co.jp/dp/B014QI4Z0M 
© 2010 Les Armateurs - Maybe Movies - La Parti - Mélusine Productions - STUDIOCANAL - France 3 Cinéma – RTBF

 くまのアーネストおじさんはおなかをすかせ、ゴミばこをあさっているうちにねずみのセレスティーヌと出あいます。くまとねずみの世界は地上と地下とでわけられていたため、ふたりのであいと友じょうはやがて大きなそうどうとなっていくのですが……。という、ガブリエル・バンサンの原作絵本をベースとした物語は、いまのフランスの精神の善き部分を象徴しているように僕には思える(テロ以前の、とは言いたくない)。別々の世界で生きる孤独なふたりが出会い、やがてソウルメイトとなっていくのだが、それが裁判という公の場へと持ちこまれるのがいまの欧米のリベラルのモードだと言えるだろうか。ああ、いいなと自然に思えるのはふたりともアーティストだということだ(ミュージシャンと絵描き)。異なる世界の融和をここで素朴に体現するのは、心優しき芸術家たちなのだ。
 初期ジブリに影響を受けたと思われる柔らかいタッチの線と色使い、アクション、音楽、警察をはじとする権力や商業主義への風刺、原作への敬意、どれもいちいち効いているし、制作者の真心を感じずにはいられないアニメーション作品だ。アーネストもセレスティーヌもとにかくかわいい……とくにアーネストが……『アナ雪』と同じぐらい観られてもいいと僕は思います。

予告編

GOKU GREEN - ele-king

 イーグルスが1976年にリリースしたロック・スタンダード“ホテル・カリフォルニア”はいわくつきの1曲だ。その幻惑的なサウンドもさることながら、問題はストーリーテリング風の歌詞にある。主人公はロスの砂漠のハイウェイでコリタスの匂いに誘われて美しいホテルにチェックインするが、そこでしばらく過ごすうち、ドラッグとセックスに溺れて退廃的な暮らしを送る滞在客たちに嫌気がさし、ついにホテルを立ち去ろうとする。が、いつのまにか出られなくなっている……。「好きなときにチェックアウトできても、けして抜け出すことはできない」。そんな謎の殺し文句で曲は終わる。
 それをオルタモントの悲劇以降のヒッピーイズムの敗北を歌っているのだという人間もいるし、アメリカはもとより西洋の物質文明全体の没落を表現しているのだという人間もいる。最近ではあのフランク・オーシャンのデビュー・ミクステ『NOSTALGIA, ULTRA』の“AMERICAN WEDDING”がそのカヴァーというかリメイクだった。なんにせよ、ベトナム戦争以降、斜陽を迎えた帝国アメリカの頽落をイメージさせる曲なのは間違いない。北米大陸西海岸とは、アメリカのフロンティア・スピリットにとっての永遠の約束の地であると同時に、その退廃と狂気を象徴する場所なのだ。

 GOKU GREENの新たなアルバムのタイトルは『HOTEL MALIFORNIA』。「MALIFORNIA」はウィードとカリフォルニアをかけ合わせた造語で、カタカナ表記すれば「マリフォーニャ」。おそらく架空の地名か国名だ。「ニュー・ヒッピー」を自称する彼が、“ホテル・カリフォルニア”について囁かれる都市伝説を知ったうえでこのタイトルをつけたのかはわからない。ただ、タイトルとしては完璧にハマっている。
 ジュヴナイル的な少年の面影はすっかり消えた。いまは太平洋の両岸を行き来する20歳の天才は、成熟を軽く飛び越えて、もはや退廃の域にまで達してしまっている。成長のストーリーというよりは、快楽に溺れる日々の断片的なスナップショット。サウンドはときにハードかつアグレッシヴだ。傑作EP『ACID & REEFER』を特徴づけていたPRO ERA以降の90’Sリバイバルのビートとともに、トラップやチルウェイヴ的なアプローチが目立つ。ウィードに加えてアシッドのテイスト。ナチュラルなだけじゃなく、どこかケミカルなトリップ感だ。アルバムまるごとが、まるで永遠に続く一晩の夢のように鳴っている。

 プレイボタンを押してLiL’ OGIプロデュースの“あいつは知らないけど”のイントロが勢いよく鳴り出した瞬間、アルバムの空気はストレートに伝わってくる。前のめりにリードするベースと跳ねるジャジーなピアノのリフレイン。ゆったりと鼻歌を歌うような甘い歌声が、危険な遊びの続行を宣言する。DOGMAを迎えた“THE SAME MOFOS”も、テーマは女とウィードと洋服、そして金。導入から完全にビートに同期していたエレピが、「高いクルマ美味いクサにデカいhouse/高い服を脱いで女の子とbounce」というロクでもないラインとともにキラキラと砕ける一瞬に、真夜中の解放感が宿る。“ヤング・ストーナー”や“マイレベル”ではYOUNG THUG以降の奇声コーラス、“REAL NINJAS”ではオリエンタル・フレイヴァなど、最近のUSシーンのトレンドも鮮やかな手つきで次々とトライされる。
 退廃的なムードがぐっと深まるのは中盤。“STRANGERS IN PARADISE”は、たぶんミュージカルの古典『キスメット』の劇中歌からそのタイトルを引用しているけれど、愛する者がいなければたとえ楽園にいてもよそ者なのだ、という原曲の純愛的なテーマは確信犯で裏切られ、ドラッグとカジュアルなセックスに溺れるドロリとした快楽が、むしろポジティヴに迫ってくる。直後の“今夜は来ない”も、夜の底に落ちていくような墜落感のベースが鳴りっぱなしの、スペーシーなトリップ・ソング。“NEVER SOBER GANGIN”なんて曲もある通り、とにかく酩酊感が半端じゃない。ペン型のヴェポライザーはひっきりなしにクッシュの煙を噴き続け、ボングで弾ける泡音は鳴り止まない。ドレスアップした女たちが影絵のように行き交い、赤いパッケージのピルが知らぬ間にポケットに滑りこむ。

 知り合ったばかりの相手とジョイント巻いてファックしてたらもう朝の6時、みたいなユースのリアリティは、ゲットー・ハリウッドが製作した“FACE IT”のミュージック・ヴィデオによく表れている。これは1995年のラリー・クラーク監督作『KIDS』をMxAxDリミックスしたものだ。コデイン色に染められてチョップドされた20年前のニューヨークのティーネイジャーたちの群像劇は、セックスとドラッグに明け暮れる無軌道な青春が、時代も都市も超えた普遍的な物語であることを伝えてくる。
 『KIDS』にはブランド立ち上げ直後のSUPREMEのクルーやクロエ・セヴェニーが出演していて、当時19歳のハーモニー・コリンが脚本を書いていた。20年後のいま、SUPREMEは文字通りのワールド・フェイマスとなり、クロエも女優として大成、ハーモニーはカルト的な人気を誇る映画監督になった。けれど、主演の一人だったジャスティン・ピアースは謎の自殺を遂げ、同じくカリスマ的なスケーターだったハロルド・ハンターもオーヴァードーズで死んだ。あの映画に濃い死の影がつきまとっていたように、青春の衝動にはそれなりの代償がともなう、ということだ。
 永遠に続くかのようなパーティや青春にも、必ず終わりは来る。GOKU GREENはそのことに自覚的だ。アルバム後半、“HIBISCUS”で描かれるどっぷりとした孤独感や、”歩き出せ”のブルーな倦怠を吹っ切るような前向きな決意を聴けばわかる。I-DeAプロデュースのラスト・ナンバー“CHILDISH ~ I’LL FEEL SORRY FOR MY G THANG”までのレイドバックした終盤は、忍びよる現実の影を感じつつ、まだ夢から覚めないでいる自分の姿をなかば自嘲的に歌っている。そして、アートワークの最後を飾る「OVERSEEN BY $HO SATO」の文字。その短い追悼クレジットは、あえて夢の終わりを子供っぽく拒否するエンディングに降りそそぐ、いつかの雨の理由を教えてくれる。

 パーティの終わりの虚しさやセックスの後の寂しさ。それを知ることを成熟と呼び、知ってなお快楽に溺れることを、退廃と呼ぶ。だから退廃とは、快楽の追求それ自体ではなく、精神のあり方だ。過剰なセックスやドラッグの乱用は、フィジカルな中毒症状とは別なレベルで、人間のメンタリティを決定的に変えてしまう。快楽を拒否することはできても、一度知った退廃から逃れるのは難しい。『KIDS』の監督のラリー・クラークは元々フォトグラファーで、オクラホマ州タルサ郊外の田舎町で覚せい剤中毒の仲間たちの写真を撮ってデビューした人物だ。1971年にたった三千部だけ自費出版された彼の最初の写真集『TULSA』の扉には、こんな言葉が置いてある。「一度針が刺さったら、それはけして抜けない(ONCE THE NEEDLE GOES IN, IT NEVER COMES OUT)」。ちょっとだけ、“ホテル・カリフォルニア”の殺し文句に似ている。

 ちなみにイーグルスが“ホテル・カリフォルニア”を発表した1976年、日本では村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞して華々しくデビューし、日本版のヒッピーイズムの終わりを乾いた散文で描き切っている。学生運動とベトナム戦争の裏側で繰り広げられていた、日本のドロップアウターによるヘロインの乱用と米軍基地の黒人兵たちとのオージー・セックス。いまはエスタブリッシュメントっぽいイメージが板についた村上龍も、当初は「クリトリスにバターを」という原題だったその草稿を書きながら、これは発禁処分をくらうかもしれない、と考えていたそうだ。その退廃的な青春の終わりは、タイトル通り、夜明け前の一瞬、透き通るようなブルーに染まる空の色に喩えられていた。

 デビュー当時の村上龍しかり、ラリー・クラークしかり、若い芸術家の大きな役割のひとつは、秘密の暴露だ。新たなアートによるアンダーグラウンドな現実の告発が、古びたモラルをダイナミックに上書きし、社会の風景を変えていく。けれど、現代というのは秘密が成立しにくい時代でもある。ドラッグの使用や奔放なセックスはすでにありふれたものだし、高性能カメラを内蔵したスマートフォンを誰もが持ち歩き、SNSやブログではみんな露出狂みたいに自分語りを披露している。写真も映像も音楽も文章も、もはや表現はべつに芸術家の特権じゃない。人が人になにかを伝えたがっているのは昔と変わらなくても、いまはそれを手軽にアウトプットできる。秘密は秘密になる前にすべて暴かれて、情報の残骸だけがタイムラインの彼方に流れ去っていく。
 同時に、世界のフラット化は憧憬の場所を奪ってしまった。日本だってずっと昔は東京がロマンティックな憧れの対象だったわけだし、それがアメリカやヨーロッパだった時代もあった。最近ならアフリカ、南米、アジア。だけど、どこに旅に出ようが、どんな快楽を経験しようが、そのトリップが終われば退屈な日常が待っていることを、みんなもう知っている。未知の場所への旅も、薬物の使用や性的な冒険も、それらはただ現実の倦怠や痛みから逃れるために消費される、チープな余興に過ぎない。かつてヒッピーたちが夢見たオルタナティヴな世界はついに実現しなかった。革命の理想とユートピアの夢に裏切られて、それでも人は「ここではないどこか」への想いを捨てきれない。

 どこでもない架空のホテルの名を冠したこのアルバムの、すべて赤裸々に曝けだしてまったく悪びれない態度というのは、やはりすぐれて現代的な感覚なのだ。スキャンダラスというのでもない。まるでInstagramを平然と流れていく危険なパーティの写真のように、あくまでドライでクールにスナップショットされる、退廃と倦怠の記録。往年のヒッピーたちが革命の挫折として迎えた退廃は、現代のニュー・ヒッピーにとっての原風景だ。あらかじめ愛と平和を拒絶した世界に生まれついた彼らは、いくら現実に手ひどく痛めつけられようと、楽しげにタブーを犯して刹那を生きる。

 『HOTEL MALIFORNIA』は平成生まれのニュー・ヒッピーが案内する、アンモラルな夢のホテルへの観光ガイドだ。かつて故郷旭川でまだ見ぬカリフォルニアの美しい夢想を描いたGOKU GREENは、そのたぐいまれな想像力で、今度はこの世に実在しない退廃のプライベート・リゾートを築きあげた。地上の楽園は存在しない。青春の刹那は永遠には続かない。そんなありふれた、だがとても深い絶望が、この退廃の夢を紡いでいる。ストロベリー・ピンクの煙の雲に、透明なブルーのボンベイ・サファイアの海、女が脱ぎ捨てた赤いハイヒール、それにカナビスの葉とナイフ。スイートの滞在期間は無期限だけど、あんまりハマると抜け出せなくなる。

 いまじゃ国家がテロリストとの戦争を宣言する時代だ。海の向こうで戦争が始まる……どころか、この社会もその火元になりかねない、そんな現実感のない緊張が日常に溶けこんでいく。どこかで爆弾が炸裂する。いつか大地震が起こる。わけもわからず死んでしまう前に、最高にトリップしてセックスしよう。それはとてもリアルで、切実な本音に思える。社会がどうとか知らない。吹けば飛ぶようなチャチな快楽もいらない。どうせうるさくて憂鬱な現実しか待ってないのなら、ここでずっと夢を見てればいい。たとえそれが退廃と隣り合わせでも、昔と違って、誰もが望んでこの危険な場所に来る。夢が終わればひとりきりで、そばには誰もいない。それでもきっと、いまはこの夢から覚めたくない。


The Silence - ele-king

 ちょうど『ミスター・ロンリー』のころだからもう10年ちかく前になるが、来日したハーモニー・コリンの取材もあらかた終わり、90年代はいまよりいくらかましだったよな、と次の取材までに空いた時間をたがいに世の中への不平をあげつらいながらつぶしていると、そういえばきみはゴーストのメンバーだったっけ、と彼は不意にいう。ゴースト? あの日本のサイケデリック・バンドの? 私は聴きかえした。うなずくハーモニー。つぶらな瞳だ。ミスター・コリン、たしかに私はご覧のような長髪だし、ゴーストのリーダーの馬頭に取材したこともあるし、彼らは好きなバンドだがざんねんながらそうではない。私はそう返答しながらしかし内心ギクッとした。どれくらいギクッとしたかというと「ねじ式」でメメクラゲに刺された主人公に「あなたは私のおっかさんではないですか?」とつめよられる老婆ほどギクッとした。なぜハーモニーはそんなことを訊いたのか、その理由はトレンディドラマに出てきそうな配給会社の宣伝ウーマンが私たちのあいだに割って入ったのでこんにちにいたるまで訊かずじまいだが、ひとは他者のことばで事実以上の真実の回路をひらくことがある。

 ゴーストをはじめて聴いたのはPSFから92年に出たオムニバス『Tokyo Flashback』の第二弾で、ハイライズやマヘル・シャラル・ハシュ・バズ、四人時代のゆらゆら帝国、石原洋さんが率い、ピース・ミュージックの中村さんがメンバーのころのホワイト・ヘヴンにもちろん灰野さんの不失者といった錚々たる面々のなかでもゴーストのアコースティック・サイケデリック・サウンドはひときわ異彩を放っており、当時ちょうど二十歳で、サード・イヤー・バンドはおろか、アシッドのなんたるかも知らなかった私は彼らの静謐なミニマリズムの奥に青い熾火に似たものをくすぶらせるエソテリックなアンサンブルにただただ耳を傾けるしかなかった。彼らの単独作品を手に入れたのはそれから時間が経ってからで、PSFのファーストは翌年、94年のサード『Temple Stone』は次作『Lama Rabi Rabi』のレコードといっしょに買ったので、90年代後半、ゴーストはすでに〈ドラッグ・シティ〉との契約を契機に海外に主戦場を求めていた。といういい方のおそらく半分はただしくない。ボアダムスしかりゼニゲバしかり、90年代を境に日本のアンダーグラウンドが海外に積極的に打って出たのは、地理的音楽的越境性を顕揚する風潮に乗った部分はあるにせよ、資本による逆輸入を念頭にした戦略ではなく、それは音楽を聴くこと、いかに聴くかということと不可分ではなかったが、それをつぶさに検証するのは本稿の主旨ではない。もっとゴーストもその例外ではなかった。いやむしろもっとも成功した例のひとつといってもいい。冒頭のハーモニーの発言をご想起されたい。彼らのサイケデリックは無国籍のエキゾチシズムと、それを側面から異化する情緒的──これを和的と換言するのはいささかためらわれるが──な旋律をもち、その総和として彼らの世界はたちあらわれる。そこには要素の混淆があり、海外のリスナーが日本のバンドにいだくエキゾチシズムはおそらく、徹底したこの折衷と、そこにひそませた批評性にある。ゴーストはそれを生きた。90〜2000年代、彼らは作品を重ね、それらは初期の秘境的な空間性を、その空間に政治的な視点さえもちこみ高めるものだったが、2007年のライヴ盤『Overture: Live In Nippon Yusen Soko 2006』を最後に活動は間遠に。ここにおさめたライヴには私も足を運び、圧倒されるともに一抹の不安を憶えもした、といえば遡及的な短絡かもしれないが、音盤にも、ゴーストの存在証明、グループ名になぞらえれば、不在となることではじめて存在する幽霊めいた存在の証明をたしかにおぼえるものがあった。

 馬頭將器がザ・サイレンスを結成したのは2013年、ソロ・ツアーで訪れたスペインのサラゴサで旧知の岡野太との再会が契機となった。元サバート・ブレイズ、ライヴ・アンダー・ザ・スカイ(好きだったんです)で現在は非常階段の一員でもある岡野の来西は河端一のアシッド・マザーズに参加するためで、ふたりが会うのはゴーストの96年のアメリカツアー以来、じつに17年ぶりだった。馬頭はそのころ、長らく活動休止状態だったゴーストの解散を考えていたが、次の活動にふみきる手だてがなく、悶々としていた。ツアー中のあわただしい時間のなか、小一時間ふたりはホテルで話しこみ、ともに音楽活動をはじめることを約束し別れた翌年春、馬頭はゴーストの解散を宣言し、直後に岡野との新しいバンドの構想を得て、ゴーストの盟友荻野和夫に編曲とプロデュースを依頼、荻野はベースのヤン・アンド・ナオミのヤン・スティグター、バリトンサックスとフルートにブラック・シープの吉田隆一をハントし、荻野がオルガンとエレキ・ピアノを担当する布陣におちついた。バンド名はヨガの沈黙の行により、馬頭は「静寂はいかなる音圧よりも重く、耳を聾する程の静寂は意識と無意識の境界線上でのみ我らが表現し得る」という。

 今年3月にリリースしたセルフ・タイトルのファースト、間を置かず発表する本作『Hark The Silence』について、ゴーストとの異同をいえば、アコースティックを効果的にもちいた多楽器主義のそれを彷彿するところもあるが、かつて形式の影にみえかくれしていたものがザ・サイレンスではのびのびと羽をのばしている。ギターのファズ・サウンドとレズリースピーカーをもちいたオルガンのハードなサウンドメイク、馬頭の日本語の訛りの英詞による歌唱に寄り添う吉田のバリサクがときにワールド的にときに(昭和)歌謡的な妖しささえかもす『The Silence』を馬頭の無二のソングライターの資質と各人の間口の広さを聴かせるものだとすると、冒頭の三部構成の“Ancient Wind”でじわじわとたちあがり畳みかける『Hark The Silence』ではより直截に合奏の一体感に主眼を置いている。同時期の録音というこの2作は彼らの内実の充実を如実に伝えるが、そればかりか、たとえば『The Silence』の“Black Is The Colour of My True Love's Hair”、『Hark The Silence』の“Little Red Record Company”、“Galasdama”といったカヴァー曲では系譜を垣間見せると同時にある種の遊び心も感じさせる。無数のヴァージョンがあるアパラチアン・フォークのトラッド“Black Is The Colour”はニーナ・シモンというよりパティ・ウォーターズだし(吉田がジュゼッピ・ローガン役)、デーモン&ナオミの“Little Red〜”は人脈的な結びつきをほのめかすとともにうたもの(サイケ)でのアレンジの妙味を聴かせる。“Galasdama(ガラス玉)”は裸のラリーズのカヴァーとのことだが、「造花の原野」の文言を表題に引いたこの曲は“造花”の歌詞と曲を基調に“夜より深く”を接ぎ木したもので、間奏の八分の六拍子パートの躍動とその後のギターおよびヴォーカル・アレンジふくめ、ラリーズというよりサイケデリックなるものの解釈において一日も二日もの長をおぼえさせるだけでなく、“Ancient Wind”は造花の原野をも吹き抜けたのではないかと私の妄想をもトリップさせる、その一助となるのは近藤祥昭の手になる録音で、アナログの音質にこだわった音録りは“DEX #1”のマッスな音群も、“Fireball”の演奏の空間を、馬頭にならうなら耳を聾する沈黙の支配するそこを的確にとられている。このような心技体のそろったアルバムの国内リリースがないのは国民の耳が節穴だからか、〈Pヴァイン〉の〈ドラッグ・シティ〉担当者が社内でよほど虐げられているからにちがいないが、私たちはさいわいなことに海外のファンにはない地の利がある。フランク・ザッパの命日にあたる12月4日、秋葉原の〈グッドマン〉でザ・サイレンスはワンマン公演をおこなうという(来春には北米ツアーをひかえているとのことなので、ハーモニー・コリンもひと安心である)。ゲストは想い出波止場〜アシッド・マザーズの津山篤と東京NPO法人。NPOは「なかなかポジティブな男達」の略なのだそうだ。よくわからないが、忘れられない夜になるだろう。

interview with Real Estate (Martin Courtney) - ele-king

 リアル・エステイトはふたつの車輪で回っている。ソング・ライティングという舵をとるマーティン・コートニーと、その楽曲世界を特徴的なギター・ワークによって拡張するマシュー・モンデナイル。インディ・ファンには、もしかするとモンデナイルのほうが馴染み深いかもしれない。彼のプロジェクトであるダックテイルズは、〈ノット・ノット・ファン〉から〈ウッジスト〉、〈オールド・イングリッシュ・スペリング・ビー〉、〈アンダーウォーター・ピープルズ〉といった、USアンダーグラウンドの2010年代を準備したともいうべきレーベルを星座のようにつなぐ、重要な存在だ。

※みな、あのユーフォリックなギター・アンビエントや、穏やかながら底知れないインプロヴィゼーションに、いちどは耳を奪われたはずである。そこにはブランク・ドッグスやヴィヴィアン・ガールズのようなガレージ・バンドも、ラクーンのようなノイズ・バンドも、サン・アローのようなずっこけダブも、カート・ヴァイルのようなシンガーソングライターも、そして自身が主宰する〈ニュー・イメージズ〉のメデリン・マーキーのようなノイズ・アーティストや、エメラルズのマーク・マグワイヤなどまでを横に並べてしまう幅がある。

 しかしあのモンデナイルの音がリアル・エステイトかといえば、そうではない。リアル・エステイトにはコートニーの「ソング」があり、それでこその生活感や物語がある。「水平線はいらない/空の終わりは知りたくない/かすかな景色/ぼくが生まれた場所」(“Had To Hear”)──ひかえめな筆致で描かれるのは、ダックテイルズが幻視させる無辺のユートピアではなく、むしろその真裏にあるような「郊外」、そしてそこで営まれる若くない人間の現実、ぼんやりとした不安、苦く、ときめかず、生活にまみれた恋愛などである。実際のところ、とても地味で、地道な音楽だ。


Real Estate - Atlas
Domino/Hostess

Tower HMV iTunes

こうしたところが彼らのおもしろいところ。モンデナイルのエクスペリメンタリズムはもちろん逃げ水のごとく魅惑的に輝いているが、あくまでそうした実験性によってではなく、メンバー個々のたしかなプレイヤビリティに支えられて各楽曲を成立させているところが、いまのリアル・エステイトの存在感を一段押し上げている。それぞれの楽曲と演奏はライヴと地続きだ。そして、とても洗練されている。プレイヤビリティと洗練、これはとくに、サード・アルバムとなる今作『アトラス』においてまざまざと感じさせられる特徴だろう。録音はむろんのこと、正式にドラマーを迎え、よりかっちりとしたスタイルが整えられてもいる。タイトなドラミングによって心地よく分節される音、旋律。地に足の着いたセッションが生み出す上質なソフト・サイケ。彼らのたたずまいもアーティストというよりミュージシャンたちの連合という形容がふさわしく、そのつながりにおいてまさしくバンドといえる。ceroや森は生きているや、あるいはミツメなどが多くの人に愛される、いまこそ聴かれるべき音楽ではないかと思う。

 本作はリアル・エステイトのキャリアにおいてもとくに落ち着いた作品だが、もっとも長く聴きつづけるアルバムになるはずだ。「この辺りに戻ってくると/嫌でも歳を感じる/昔過ごした家々の前を通り過ぎれば/過去の人々が見える、/……」「ここは昔と変わってしまった/でもあの懐かしい音がする/黄色の町並みを照らす光でさえ/かつてぼくらの町だった時と同じだ」(“パスト・リヴズ”) 変わっていく町の変わらない営み、そうしたものへの視線が鋭く照らしだす、生活という時間の断層。ここには、一瞬を生きるための音楽ではなく、層状に時を重ねていくための音楽が鳴っている。

自分の音楽を理解することに時間を費やさないからな。ただその時に合ったものを書いて、それを生演奏するのみ、だよ。

これまでのなかでは、はじめのアルバム『リアル・エステイト』(2009年)がもっともトリップ感のあるアルバムだったように思います。よりダックテイルズ的でもあり、あるいはサン・アローのようなバンドとも共通する音楽として聴いていました。しかし、枚数を重ねるごとに、地に足のついたフォーク・ロックへと接近していますね。こうした傾向は、なにかあなたがたの生活などとも結びついたことなのでしょうか?

MC:ダックテイルズは、マットのもう一つのプロジェクトなんだ。だから彼の音楽にはつねに関連づけられるね。それに、サン・アローのキャメロンは僕たちの友だちだよ。僕たちのサウンドを形容する言葉を探すと、「忠実度」なんじゃないかな? いまはプロのスタジオを使ってレコーディングをしているから、そういったものを避けて通ろうとしてないしね。

とくに、今作『アトラス』においてはドラムの果たす役割が大きいと感じます。歌ものとしての輪郭が立っていて、新たなリズムやタイム感を獲得し、表現の幅を広げていると思いますが、どうでしょうか?

MC:そうだね。ドラマーのジャクソン・ポリスが僕たちとスタジオ入りしたのは今回が初めてだったしね。今回のドラムが間違いなくいままでのどの作品よりもいいね。

あなたがたの曲はいずれもオールタイムの名曲のようにも思われ、また、ピカピカの新しい音楽のようにも聴こえます。あなたがたが新しい音楽として人々に受け入れられるとすれば、それはどんなところだと思いますか?

MC:どうだろうね。自分の音楽を理解することに時間を費やさないからな。ただその時に合ったものを書いて、それを生演奏するのみ。そうすることによって新鮮さを保てるんだ。あとは批評家、ジャーナリストの解釈に任せるよ。

一方で、ヒゲの風貌や“トーキング・バックワーズ”のMVなどは、さながら70年代のシンガーソングライターのようにも見えます。あなたがもっともアイデンティファイする音楽はいつの時代のどんなものなのでしょう?

MC:このアルバムの制作に取り掛かる前、間違いなくありとあらゆる70年代のロック作品に耳を向けてたね。ヒゲは本当にジョークのネタだね……、僕たちの“レット・イット・ビー”を作ってたんだ。

あなたがたは録音物においても美しいエクスペリメンタリズムを発露させていると思うのですが、ご自身たちの意識としては、ライヴ・バンド、ジャム・バンドであるというふうに考えているのですか?

MC:もちろんだよ。

では、音楽にとって何がいちばん大切です?

MC:正直であること。あとはたくさんの可能性に目を向けることだね。

ヒゲは本当にジョークのネタだね……、僕たちの“レット・イット・ビー”を作ってたんだ。

曲づくりの上では、マシューさんのギターとあなたのソング・ライティングとのあいだの絶妙な緊張関係が肝であるように思えますが、おふたりはお互いの特徴や個性をどのように感じているのでしょう?

MC:バンドの一人ひとりが音楽にスペシャルなインパクトを与えているんだ。みんながベストを尽くしてそれを同時に演奏しているときに、最高のモノが出来上がるんだよ。

“クライム”の教則ビデオ風のMVもおもしろかったですね。洒落たジョークという以上に意図したことがあれば教えてください。

MC:タブの数字を逆再生で見ると、秘密の暗号が解けるかもよ。

あなたがたの作品にはこれまでにも何度も「サバービア」というモチーフがあらわれていますが、日本人であるわれわれにとっては、それはたとえばガス・ヴァン・サントだったりハーモニー・コリンだったり、映画やコミックなどから間接的にしか接することのない幻想でもあります。あなたがたにとっても、「サバービア」が一種の幻想であったりすることはないのですか?

MC:僕たちにとってサバービアはガス・ヴァン・サントよりもジョン・ヒューズだな。

非常に乱暴な質問ですが、あなたのなかでは、生活と音楽とはどちらのほうがより優先されるべきものですか?

MC:それは僕が内出血を起こしていて、病院に行くのとステージに立つのとどっちを選ぶかってこと? だとしたら、僕はどんなときでも病院に行く方を選ぶよ。

ニュー・ジャージーのいまの音楽シーンについて教えてください。

MC:育っていく環境のなかでたくさんのバンドと演奏してきて、まだその友だちが音楽を続けているっていうのはとてもラッキーなことだと思ってる。

わたし自身、〈アンダーウォーターピープルズ〉や〈ウッジスト〉などのインディ・レーベルを心から尊敬していますが、〈ドミノ〉はあなたたちのステージを確実に世界へと広げるレーベルでもあります。ワールドワイドに活躍するようになってから、自分たちを、とくに「アメリカのバンド」として意識することはありますか?

MC:挙げてくれているレーベルはみな、古き良きユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカから来てるからね。アメリカンであることからは逃れられないね!

トム・シックとの作業や録音について、どのような感想を持ちましたか? また、新しく学んだことがあれば教えてください。

MC:トムがいちばんだよ。いままでの中で最良のサウンドを持ったアルバムを生み出すのに、本当に手助けしてもらった。いっしょに働くのも楽しかったし、仕事しているあいだ、圧迫される感じもしなかったしね。最高のプロデューサーだし、またぜひいっしょに制作に取り組みたいって思ってるよ。

GEZAN USツアー日記 2/21〜3/13 - ele-king


下山(GEZAN)
凸-DECO-

ツクモガミ/BounDEE by SSNW

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 紙エレキングにて、下津光史(踊ってばかりの国)とマヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)との対談をやったのが2月18日、そのときにマヒトゥは、「明後日からUSツアーに行ってくるんすよねー」と言った。「本当に行けるかはまだわからないんですけどね」と付け加えた。え? それってどういうこと? と思っていたら、ものすごい強引な速度で物事を進めたらしく、バンドはまんまと海を渡ったのだった。以下、GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーのツアー日記である。彼の見てきたアメリカをある程度は共有できるほど、とても面白いエッセイなので、ぜひ読んでください。(野田)

※GEZAN YOUTUBE
https://www.youtube.com/user/GEZAN13threcords

■2/21(fri)空港

3週間にわたるアメリカツアーに向けて韓国で乗り継ぎ、NEW YORKをめざす。1週間前の北海道でのライヴの際、航空券を光の速さでおとしたので今回はパスポートごと破れるほどの握力で握りしめている。にん
機内で韓国のぼっちゃんがきゃんきゃんわめいてる。キムヨナがフィギュアで金メダルをとれなかったというコリアンショックが永久歯一本もない彼の神経系全般を鋭利に駆り立てているのだろう。
窓から太平洋にいびつな銀色の斑点をみた。くらげの大群だろうか、真っ黒な夜の海にできた水疱瘡の深夜3時。

13時間後、到着
税関でギターのイーグルが七味唐辛子の説明を身振り手振りつたない英語で説明していた。あやしいものでは無いと小指につけて舐めてみせる。まったく伝わっていない。「what's this?」とビッグダディはイーグルの瞳をのぞきこむ。戦え、デコ助。

ぼくは歯磨き粉をとられた。
そんなこんなでアメリカにきたのだ。

■2/22(sat) NY

GEZAN USツアー日記

レンタカー屋まで我々を運ぶインド人タクシーの運転手は100%ランチにカレー食べたのだろう。車内にプーーンと匂いが充満している。

当然のことだけど、たくさんの人種がNYにはいる。日本では日常のなかなか感じることは少ないけど、アメリカでは当然のように生活の中に"ちがい"が組み込まれていた。
差別も自由もこういった感覚からはじまるのだなー。みとめたり、はじいたり。

この日、空き日に飛び込みでライヴをさせてくれる箱に直接かけあいに夜のNYの市街にでた。
当初20本あったライヴが3本に減ってしまったからだ。
しかも泊まる場所も決めずにとりあえずNEW YORKにきてしまっただよ。なんも予定がないからっていってぐだぐだ鼻くそほじってるほど牧歌的になれないのでとりあえず週末のクラブへ。

踊りたくてはちきれそうなヤンキーの欲望が渦巻くNYのludlowストリートへ、ポリスの乗っている馬がたらす糞を後始末をせず道路の真ん中を闊歩していく。
街中がネタ臭いのに、何を取り締まっているのだろう?
馬にのって人より高い位置から星の数を数えているのだろうか。

■2/23(sun) NY @pianos

NYのpianosは流行に敏感なだけの若者が集まり、流行りの四つ打ちで腰をくねらすNYのライヴbarといった印象。
ここが下山のアメリカ初ライヴの地となる。
ピーランダーゼットというアメリカ在住の日本人バンドのフロントマンイエローさんがスケジュールに穴のあいた下山のために急遽ねじこんでくれたイベントだった。
対バンは、才能のないビョークが勘違いをこじらせたようなシューゲイザーと、全員下をむいたいじめられっこ更生目的バンドと、顔だけパティ・スミスのおっさん弾き語りなど、涙が出るほどダサかった。バンドってなんてカッコワルイのだろう。
昼間、楽器屋にもいったが、腕に炎の刺青で脇毛まで金髪のハードロック親父がピーナッツ食いながら接客してくれて、チーム下山は苦笑いしながら店内を物色した。NYはそれを強く感じさせるシャープな空気をまとっていた。

ロックがワルくて尖っていた時代なんて思い出だよと言われんばかりに、打ち込みに群がるヤンキーの尻をみながら、かつてCBGBでこすれあったRAMONESやTELEVISION、JOAN JETの涙が蒸発する音をきいた。

別に名前や形なんてどうでもいいから狂いたいやつだけこいとわたしはおもったのでした。そして、そのまま皮膚づたいに共振する夢をみた。
そこに国境はみえなかった。みえないものはないものとおなじだ。
体温だけ信じよう。ぷーぱ

■2/24(mon) 無題

GEZAN USツアー日記

何もすることがない日があると天上ばかりみて、その染みが顔にみえてくるあたりからパズルのピースが変形してくる。それはそのままこころのかたち。
この日泊まったホテルはインド人が夜な夜なパーティをしているヘンテコな場所で、壁づたいに聞こえる音楽はブラストビートに呪文が乗っかったような、とても常人のきくものとは思えない。廊下や階段を埋めつくすカレーの匂いでぼくら、太古の彼方までぶっ飛んだ。
逃げ出すようにテラスにでて空をみたらカモメがみゃーととんでいる。どこの空もたいしてかわらないが、NYの空は雲までラッセンの書く絵のようにはっきりとした輪郭と影で描かれている。食のようにここまで大味にされるとゲンナリしてくる。

ぼくのワビとサビをカエシテ。

GEZAN USツアー日記

■2/25(tue)Brooklyn NY@don pedro

2/25日は夕方にごそごそと起き出してブルックリンの街てくてく歩いた。若いやつが街ごとジャックして好き勝手遊んでるかんじ。壁にしきつめられたグラフティがしのぎあって、その絵ずらだけでも体温2、3度あがる。てかもう描くとこないんじゃない?なんて思うけど。
DIYのライヴスペースには看板もなにもなく、パーティの音は倉庫の奥からどこどこと、無許可に街中が震えてる。風営法と戦う暇があれば抜け道みつけて命がけで遊べよと日本で思っていたけど、それをまるごと体現したような街なみだった。にゃーご
無意味な遊びにたましいを売ってる人ってなんだかピタっとグルーヴがあったりする。グラフティやってる友達、じぶんにも何人かいるけど、アートなのか? 落書きなのか? なんて議論入り込む隙間なんかないのよね。
壁の保有者に捕まったら、警察か、言い値でどんだけもふっかけれられるギリギリのリスクのところにいながら、顔を露出させるわけでもなく、金にかえれるわけでもなく、淡々と火花を散らす街遊びにはオトコノコのロマンがある。
ロマンが理由なら倫理はあっても、法律なんか一切関係ないのよねー。

そのブルックリンのDON PEDROで飛び込みでライヴがきまった。2時間後にだって。にゃー。低体温に寝ぼけていた細胞が逆立ってくのがわかる。音楽よりまえに動物には瞬発力があった。ぼくが怖いのは速度だし、憧れるのも速度だ。
その中に真っ白い国をつくりたい。0.1秒の世界に国をつくりたい。各々が血と精液とセメントで各々の王冠をつくって、家来ひとりもいなくとも王様として、昨日というコトバと未来というコトバを忘れた国家をつくりたい。

ライヴかましたら次の日もブルックリンの別の店GRAND VICTORYでライヴきまった。このかんじ。意志や個人ではない。ただの石になって転がるだけのこのかんじー。
いちばんいらないジブンという勘違い。

■2/26(wed)Brooklyn@grand victory

この日は飛び込みでライヴが決まったgrand victoryへ、前日告知にも関わらず、important recordの声がけやPee lander ZのYELLOWさんの呼び込みでわりとフロアがうまっていた。中にはDEER HOOHのさとみさんや、RAMONESのジャケットをかいていたジョン・ホルムストルムも来ていた。

箱PAとやや揉めながらもライヴ終了。
さとみさんとイベンターのemiはこの後もクラブに踊りにいくそうだ。水曜の23時からのこのフットワークの軽さがこの街の、欲望に貪欲でクールな音楽シーンを支えている気がした。というか、スタートが9時、10時は当たり前。ライヴハウスで働いてるニンゲンのための遊び場なのなー。
一緒にいきたかったが、ground stのタコス屋でいかれたインド人とギターウルフの話で盛り上がってしまっていけなかった。それもまた出会い。
この日、別の箱でDEERHOOFのグレッグが、次の日、BLACKDICEのラストライヴがあるらしい。こちらもライヴでいけないが、高揚感がうずまいた街のその中で溺れるのがただただ気持ちよかった。

このブルックリンも金持ちに建物ごと買われたりと少しづつ遊び場を侵食さへているようだ。
別に場所を守るなんていう発想はなく、追われたら場所をかえながらパーティをつづけるだってー。
別に文化でも芸術でもなく、もっと野蛮でただぶっ飛んでいたいだけの欲望の金粉が、ブルックリンのナイトクルーザーの目からは溢れていた。キラキラしてた。
それはそれは眩しくてなんだかうれしくなった。

■2/27(thu)Brooklyn @don pedro

GEZAN USツアー日記

ステイ先のシェアハウスのレゲエ好き三姉妹と遊んでたら1がおわった。ライヴもしたらしいけど、記憶が ナイ。

GEZAN USツアー日記

■2/28(fri) New Blanswick

NYから車で2時間半、New Blanswick NJのCANDY BARRELへ。
田舎町の突き抜けた高い空が車窓からみえる。歩く若者も一気にファッションが無頓着に、ださくなった印象。充満したいなたさが民家の地下に流れ込み、ぞろぞろと人が集まってくる。
NYのおしゃれ風から一変した、ナードなオタク臭と音楽愛がとても心地よかった。
10人でシェアしているらしい家の地下にステージを組んだだけなので、音漏れもひどいが、道行く人は誰も気にしていない。
下山のステージもフロアモッシュの嵐で荒れた。時代や流行りなんか知ったことかと、反応するこの街のフラストレーションがロックのすべてだった。2時間ばかり離れただけなのに、ひとつの街にある、独立したひとつの表情があった。昔、ネットがはりめぐらされる前の日本がそうだったように、田舎独特の文化と匂い。この街はださい。最高にださい。
ぼくにはとても健康的に思えた。
BARをはしごした後、プロモーターのパットの家でパーティは朝までつづく。
BLACK FLAGやALLなど、好きなのレコードを聞かせあって、合唱!ぶち上がってるキッズやおっさんたち、アルコールは一瞬も途切れない。日本もアメリカもかわらない。最高な音楽の前ではノーボーダーでそこでは皆こどもだった。
寝不足のまま、街をでる。

さよならまたくるよと別れる。その後、車の中に静寂がつづいたのはみんなさみしかったからだろう。

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■3/1(sat) Pensylvania

この日はNBからさらに車で2時間、ペンシルバニアにむかう。空腹に耐えきれずケンタッキーでフライドチキンをたらふく食べたあと、到着したhouse venueのガレージでのフードコートの家庭的なやさしい味に、チーム下山は満腹の限界ラインをはるかに更新し、爆発的な大和スマイルをママにぶちかました。家庭料理がいちばんおいしいです。
お水くれっていったら水道水をパッと渡してきた。飲んでみたらおいしくて、そうか日本て飲めないよなーなんて久しぶりに母国のおかれた不幸を思った。
NB同様、一軒家の地下にある、排水管などがむきだしになった場所にステージを組んだベースメントスタイルで、お客さんは家の玄関でお金を払ってぞろぞろと地下に集まってくる。これに集まってくるヒトたちがまたNBよりさらにいなたい空気をだしていて、地下の暗がりには掃き溜めハードコアの匂いでぷんぷん充満していた。やることなくて暇なんだろうな。
14、15才くらいのキッズが1バンド目から客席で喧嘩しだして、下山もギラギラピカーーん、緊張が絡み合うステージだった。物販も飛ぶように売れる。助かる。うれしー。
夜は、GHOSTSTARSというErese erataやAIDS WOLF直系のいかれたNEW WAVEバンドのDEVのヒッピー・コミューンのようなうちにお邪魔した。
「おい、このバンドは知ってるか?」「このバンドはどうなんだ?」と溢れんばかりに音楽を放り込んでくるKIDSの音楽愛にはやはり胸が熱くなる。ぞろぞろとルームメイトが集まり、卑猥な匂いのするパーティへなだれこむ。音楽を聞かせあってベッドの上で跳ねまわるのは、それは、まだおれがギターを触ったこともない頃からチーム下山でやってきたことなんだ。
聞かせたものの中では54-71やskillkillsへの反応がよかった。部屋にはられたアメリカ国旗が逆をむいている。こういうアンチキッズはバカっぽくておもしろい。
朝はまわりの教会にひとりで散歩にいって、霧をのんで、昼は大切なひとのお墓まいりをした。
GHOSTSTARSとのさよならがまたさみしい。別れの言葉は短い方がいい。二日酔いのゆるやかな眩暈がすでにこの毎日を懐かしくさせた。また、あおー。

■3/2(sun) NEWWARK mojomain

GEZAN USツアー日記

NEW WARKという街のMOJO MAINについて、BARの扉をあける。五秒後に「米は好きか?おれのつくる米を食え!」イタリアのシェフ、ガス(58)からGUMBOがたらふくだされる。スピード感がすごい。それがまたたまらなくおいしくて、今回のツアーの中で断トツにおいしい米料理だった。DR JHONのGUMBOのはなしなどをしながらガスの米への愛をきく。うんうん。伝わったよGOD FATHER。

ライヴはFUGAZIやNIRVANA直系のUS オルタナなメンツで正直古臭かった。でもみんなキモチのいい奴らだった。
Tシャツをライヴがはじまる前から対バンがぞろぞろと買いにきてくれて、きょうという日をいい日にしようという挨拶なのか、ツアーバンドへの応援なのかわからないが、清々しいキモチになった。
モノにお金を払うという敬意の表し方があることデータ社会になっても忘れてはいけないようにおもう。ひとにおもいをつたえるのはそんなに簡単なことじゃない。うまくあつらえたコトバなんかクソだぜ。痛みをともなったコミュニケーションしましょう。恋みたいだ。

夜はとても冷たい雪がまわりをつつみだし、寒波が流れ込んできたことをガスにきく。
本日二食目のGUMBOをご馳走になり、店をでる。ここから次なる目的地、アトランタまでは車をとばして13時間、雪道なら20時間はかかるという。
6日連続でライヴしてきて、宿無しの窮屈な箱詰め車内の20時間ドライヴにチーム下山は白目で泡をふいた。

■3/3(tue) 無題

ひたすらまっすぐの雪道。窮屈な車内で窓から葉のない木々が流れていくのを永遠にみた。
20時間のドライヴは過酷だ。
白目も水銀色。
デリで買った毒々しい色のグミがこれでもかと外れ、殺気だつ。

■3/4(tue) Louisuvile @modern cult record

ケンタッキー州のルイスビル、街にはいるなりシルバニアファミリーのような家々と雑貨屋や本屋がならぶかわいい街だった。学生が多いのかも。
「HATE ケンタッキー love ルイスビル」とかかれたTシャツを着た店員さんのいる店でガンボをたべる。ケンタッキーの中だが他の場所と一緒にするなという街の自己主張なのかなあ。大阪をおもう、京都にあるような。
その一角にあるmoderncult recordでのライヴ。店内には世界各国のサイケ、ノイズ系のLPがならぶセレクトショップで風通しがよかった。下山のも何枚か納品する。acid mothers templeやBORISのLPは中でも目立つ。
ライヴにはWILKOやジム・オルークバンドなどで叩くTIM BARNESさんがきてくれて、この街のはなしをした。田舎町ではあるが、もともとSLINTをはじめDRAG CITY RECORDまわりのバンドなどを多く輩出した街で、近年元気がなかったが、NYからTIMさんが住みだしてから活気が出てきたと現地の日本人から聞いた。
パニック・スマイルやナンバー・ガール、モーサム・トーベンダーを輩出した福岡のように、かくじつに強力な個性を打ち出していく独特の筋をもった印象があった。こういった地方がスターをちゃんと生み出せる地盤があるアメリカは懐が深くもなる。変化こそあれど大きくみると、未だ東京に進出しなきゃどうにもならない日本の盲目さにはげんなりする。

ライヴ終えて、みんなが寝たあと、ぼくはDAVID PAJOのみていた空をみながら街を夜道をてくてく散歩した。とおくまで歩きすぎたのか、通りを越えると急にゲットーな匂いと鋭い目つきをかんじる。後に出会った友人にきくと、どんなハートフルな街にも治安の悪い地域があって、そこにはディーラーの売買が盛んに行われてるそうで、銃声の聞こえない日はないそうだ。
人種や生活クラスが多用すぎて自由を認めなきゃ窮屈なんだろうな。この国は。

■3/5(wed) Atlant @GA

車で8時間、アトランタは出会った人びとから一番治安悪いから気をつけろといわれてきた街で、今回のパーティの主催はKIDSのラリークラークとのコンビでも知られるハーモニー・コリン監督の『spring breakers』で3日連続双子でセックスするという狂った役を演じたATL TWINS だった。
気温もあたたかく、街自体はロック好き、タトゥー好きといった感じでボインで活気があって良かったが、パーティピーポーの楽屋の荒れ方はなかなかジャンクだった。泡吹いてるやついたし。すぐに二人組でトイレに消えてくし。
ライヴはDARK SISTERというM.I.A直径を思わせる2人組がよかった。楽屋にはGROUPHOMEのタグなんかをかいてるライターがいてイーグルがぶちあがってた。
おれはこういうスカしたパーティ野郎が嫌いなので、陰気なイタリア女と木のしたでうどんのおいしさを説いて1日を終えた。

■3/6(thu) 無題

GEZAN USツアー日記

この日は2日前に「ギグするか?」と連絡がきたので時間にして13時間。熱意にこたえるべく一晩でぶっ飛ばすことになった。しんどいわ!
つくなり日本のことをわんわん聞いてくる、話をきくとアニヲタだった。下山の音に反応して連絡きたんちゃうんかい!というキモチが拭えず、ライヴブチかました後はマザコンの引きこもり黒人ラッパーと携帯の恥ずかしい画像を無言でみせあって一日をおえた。

■3/7(fri) NewBedford @no problemo

GEZAN USツアー日記

街につく、ラジオをやっているベイリーという男の企画でbarでのライヴだった、らしい。
頭が沸騰していてこの日はほとんど何も覚えておらず。
ブログあきてきた。

■3/8(sat) Roadiland providence@ the parlor

この街はLightning boltがいることで知っていた。
lightning boltは街の廃墟を占拠してはパーティを組んで、警察や金持ちの買収や圧力があっては場所をかえ、パーティをつづけてきたDIYの王様で、プロビデンスの皆が誇りにおもってる感じがぷんぷん伝わってきた。町おこしの立役者的側面も。
なっるほどー、そういうわけで日本でライヴする時もドラムやアンプだけでかくメインのスピーカーまで持ち込むのか。昔、梅田シャングリラであふりらんぽやマゾンナ、ボガルタと対バンをみたが、フロアで箱のシステムを全く使わず、他のバンドよりだいぶ小さな音でアホみたいに叩きたくってたあの謎を思い出す。謎とけた!どこでやっているときも彼らにとっては廃墟と同じDIYセットでやりたいのだなー。敬意がぐぃいーんとあがる。

街をあるく。らんらん歩く。
ラヴクラフトという作家のお墓があるときいていたので、お墓まで案内してもらう。インスマウスの影のはなしを思いだしながらお墓の前でお昼寝した。
他の下山のメンバーはTシャツが売り切れたのでフリマで1ドルで手に入れたマドンナのTシャツにGEZANとタギングしているみたい。
ぼんやりと薄い月をみながら、アメリカではじめての深呼吸をした。キレイな街だった。
ゆっくりと月が三次元を手にいれて、霧がはれたところで目が覚めて皆の元にもどる。

■3/9(sun) 無題

一度NEWYORKを経由してテキサスオースティンへむかう。ツアー最後のSXSWへ。
我慢しきれなくなって、ゴーゴーカレーNY支店でカレーを胃にぶちこみ、空の旅へ。
24時、テキサスについたが宿がない。とりあえず空港の自販機の裏でチーム下山、ミノムシのように固まって眠った。
でっかい掃除機の低音で目をさます。

最悪の目覚め。

■3/10(mon) Austin SXSW

GEZAN USツアー日記

オースティンはとにかく暖かい。27度もあるそうでみーんな半袖だった。
リストバンド交換所で長い行列を並びながら、YOSHIKI(CHIBA JAPAN)もここを並ぶのかと想像していた。いや、YOSHIKIならヘリで皆の頭の上を飛び越えていくんだろうなー。どこかにヘリおちてないかな。ほしいな。
とりあえず宿がないので、受け付けに誰か紹介しろとダメ元でいったら黒髪ロングを気に入ってくれたのか、マダムな友人を紹介してくれた。
いってみたら豪邸で、オースティンの山々の景色をハンモックにゆられながらバカンス気分爆発、胃袋破裂しそうなくらいピザを食べて、死んだように眠った。
それにしてもロックのうまれた国だからなのか、空港や街のいたるところにサイケ調のギターのモニュメントがあって、ロックを誇りに思っているんだなあとしみじみ感じた。そんな街ぐるみのイベントの公式フライヤーにFUCKin MUSICだなんてコトバがのるくらいだから、エネルギーにたいして敬意がある。
無菌国家・日本じゃとうていあり得ないだろうなあー。踊らせるものへの敬意なんて、このダサい国には。

■3/11(tue) Austin SXSW @liberty

GEZAN USツアー日記

街のいたるところでベースがなっている。水着一枚のおねーちゃん、ドレッド、ラスタマンなにーちゃん、ブリーフ一丁のおじいちゃん、歯のないボインのニューハーフ、様々な人種の様々なファッションが入り乱れた祭りが、BARで、屋上で、野外のテントで、360度サラウンドに鳴っている。共通しているのはとにかく楽しんでやろうというギラギラしたエネルギーだ。
道を歩いていたらBo Ningenの一団にあった。お互い初のアメリカでのライヴね。ここで会えたのはなんだかうれしい。
比較的バンドが多そう通りにあるthe LIBERTYという場所でライヴをする。街中が洗濯機のように流動する中で、足をとめ、フロアがいっぱいになっていく。アメリカのそのフィーリングと速度感はアドレナリンリン・心地いい。
本日二本目のQUANTUMにいくとGEZANの名前がないと言われた。「NO WAY!! ふざけんなよ」とかけあったら明日でした。12日のAM12時と表記されてるのを11日の24時にいってしまったのだ。てへ☆
ぼくたちバカだネって話ししてたら横でひったくり犯が取り押さえられボコすかやられてた。こっちのひとらは加害者に容赦ないのう。顔からケチャップがぴゅーぴゅーでてた。
気分をかえて、クラブが連立する一角で黒い音にまみれ気が遠くなるくらいヒップホップをのんだ。
家に帰って吐いたゲロが七色をしていた。これがオースティンの色だ。

GEZAN USツアー日記

■3/12(wed) Austin SXSW@liberty ,QUANTUM

前日よりさらに人がわちゃっと増え、カフェからどこんどこん鳴らされる低音に音漏れなんてコトバは似合わない。もはや街自体を鳴らしてる。テキサスのコンクリートの床もボロボロの壁も、いきた音を浴びてうれしそう。土の中でテキサス育ちのジャニスジョップリンも白骨顔でにっこり。
呼吸しない街は朽ちていくだけ。人もモノも同じ。磨いてるだけじゃ表面のメッキが光沢するだけだもの。

the LIBERTYの野外テラスでライヴ、テキサスロックシティの波にのまれて歪んだな夢をみた。
QUANTUMに移動してレゲエシステムのようなつくりの黒い箱でやりきった下山、アメリカツアー最後のライヴ。どこもわりとそうだったけど物販の売れ方が気持ちえかった。
思えば出発前、3本に減ってしまっていたライヴは飛び込み含め17本にまでふえた。ここでは書けないようなこともいっぱいおきた、し、おこした凸凹ツアー、まあなんだか生きてる感じでした。ナムナム

手刷りDIYTシャツも完売して荷物も軽くなったところで踊りにいく。
3週間分のつかれは、狂った夜のさらさらと流れる静脈にまぜて、ライターで火をつけて、低音の肌触りとともに喧騒にながした。
渦の中で溺れる、溺れながら呼吸の仕方をおもいだす。魚だったころみていた夢はきっとこんな泡だらけのプリズムした夢だったのだろう。


下山(GEZAN)
凸-DECO-

ツクモガミ/BounDEE by SSNW

Amazon iTunes

■3/13(thu) Austin SXSW

SXSW3日目の今日は音楽散策だけ。
the MAINでの LOU REED tributeのショーケースでblack lipsをみる。ジャンクでポンコツなビートルズみてるみたいで笑ってもうた。いつか対バンするな。きっと。
LOU REEDの“run run run”をカバーしてた。もはや当たり前のことだけど、改めてLOUの存在の大きさを現行のバンドのその影響をみていておもう。
踊ってばかりの国の下津が騒いでたのでChristopher Owensをチラッとみる。わー、下津好きそう。曲はいいけど、うたが痩せっぽっちで個人的な好みではなかった。前日に下山の前に出てたオーストラリアのMT WARNINGの方が人間力がズシンと残ってる。
FAT POSSUMから出してるfelice brothersをred7で。最高にグッドアメリカンで、身体いっぱいに喜びをあびる。好奇心と実験心をうたうボブディラン。SXSWベストアクト! というかFAT POSSUMはほんとうにアメリカの良心だな。愛してまーす。

あんまり期待してなかった分、逆に満足して、チキンを食らって飛行機にのった。SXSW、世界最大のショーケースでいくつかのステキに出会えたのは嬉しかった。お客さんより関係者のためのフェスという感は否めないけどね。
垣根をこえて、世界中の好奇心が渦になればいい。オワリ

R.I.P. Lou Reed - ele-king

彼の死によって失われたもの三田格

 今年はルー・リードのニュースが続いた。
 最初は妻のローリー・アンダースンがひそかにルー・リードが肝臓を取り替える手術(最初はそのように表現されていた)を行い、成功したことを伝えるものだった。その時はそうかと思っただけだった。続いて、ミュージシャンがミュージシャンの作品をレビューするthetalkhouse.comで、ルー・リードがカニエ・ウエストの『イーザス』を詳細に分析し、絶賛しているというものだった。その時もそうなのかと思っただけだった。

 最後のニュースは手術が必ずしも成功ではなかったことを伝えるものだった。今度もそうかと思うしかなかった。最初に思い出したのは寺山修司のことだった。寺山が47歳で亡くなったのは医師の誤診であり、寺山は「治すことよりも創作の道を選んだ」という武勇伝は、その医師によって流されたデマだったということが死後20年も経過してから明かされた。僕もずっと、このデマを信じていた。誤診でなければ、寺山は死ではなく、治すことを選択していただろうというメッセージが田中未知の回想録からは発せられている。当たり前のことだけれど、ルー・リードも潔く死ぬのではなく、生きて作品をつくりたかったから肝臓の移植手術を受けたのである。カニエ・ウエストの作品評を読んでいると、ルー・リードがカニエ・ウエストを評価しているのは「インターネットに通じているからだ」と読めなくはない箇所がいくつかある。単純に考えればルー・リードはインターネットに何かを感じていたことになる。一度はナップスターに潰されたともいえるメタリカとのジョイント・アルバムが最後の作品になったのは、多少とも皮肉ではあるけれど。
 ルー・リードは『ブルックリン最終出口』が映画化された際、「自分はここから来た」とコメントしていたことがあった。ゲイやジャンキーが吹き溜まり、どう足掻いても出口のない世界はもしかすると現在のインターネットにも通じるところがあるのだろう。その原風景は寺山修司とも交友関係があったネルスン・オルグレンの小説群、それこそ『荒野を歩め』や『黄金の腕を持つ男』に求められる。これらの作品が映画化され、エルマー・バーンスタインによってつけられた曲が“サンデー・モーニング”であり、“ウォーク・オン・ザ・ワイルド・サイド”だった。あるいはビリー・ホリデイやマゾッホからルー・リードは曲のタイトルを拝借している。それらはフリークスたちを肯定しているというよりは、どこか突き放した視点で切り取られたものであり、デヴィッド・リンチがヒッピーを揶揄したり、ハーモニー・コリンが社会の落伍者に居場所を与えるようなものともどこか違っていた。キャロラインやジム、レイやサリーを小説の登場人物のように扱い、どちらかというと寺山修司がトルコ嬢(当時)の言葉を哲学者の言葉と並べて、ある種の認識に辿り着こうとする手口とどこか似通っていた。ルー・リードはドラッグのヘヴィ・ユーザーではなく、それによってダメになっていく人間を冷静に観察していたフシがあるという証言を読んだこともある(そう、彼はフォークナーに対抗意識を燃やしていた)。

 訃報を聞いて24時間以内にでっち上げるような追悼文はそろそろ終わりにしよう。安っぽい感情に飢えている読者にはお気の毒だけれど、彼の死によって失われたものは、そのような感情とはかけ離れたものだと思うからである。そして、『コニー・アイランド・ベイビー』でも聞きながら、こんな文章は書くんじゃなかったと後悔でもするのがちょうどいいような気がする。ルー・リードのどこか醒めた雰囲気に僕はきっと影響を受けたのだから。

 ……と、28日の夜から朝にかけてここまで書いた後、もうひとりの追悼文が揃った時点でサイトにはアップするということになったので、そのままデヴィッド・ボウイやジョン・ケイルの追悼文を眺めていた。そして、あろうことかローリー・アンダースンのそれに少しひっかかりを覚えてしまった。もはや手の施しようがないとわかると、それ以上の治療を諦めたルー・リードが自然のなかで息を引き取ることを選らんだというのである。事実はそれでもいいけれど、それを公表するかどうかはまた別のことである。パティ・スミスによればローリー・アンダースンの疲労も相当なものに見えたというから、強く言いたいわけではないけれど、都市文化の代名詞たるルー・リードが死に場所として選んだところはやはり都市であったと誤解をさせて欲しかった。ヒッピーたちが野に山に自由を求めた後、都市から逃れられなかった感性をルー・リードはロック文化に取り戻した人なのである。彼女がルー・リードは「この世の痛みと美しさを歌った」と思っているなら、それはなおさらである。そうした「痛みや美しさ」は自然のそれから生まれたものではない。いま、世界中の都市や文化が「ニュー・ヨークは錆びついた」と過剰に批判したがる。それだけ70年代のニュー・ヨークは羨望の的だったのである。ジョン・キャメロン・ミッチェル監督『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を観るまでもない。

 昨日(6日)、新宿から離れようとしない戸川純のライヴを観に行った。ルー・リードが亡くなったことをメンバーに知らされたという彼女は慈しむように「ファム・ファタール」を歌い、「合掌、ルー・リード」とだけ言った。

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UP AND WALK山崎春美

 なんなんだろう、これは。いや、なんて言えば。わかってもらえんねやろ。
 ある時はかなしい。だけど悲しみだけでは、万に一つも勝目はない。あばら骨1本残さずしゃぶり尽くされ、遂には草木も生えない。あるのは、残されたのは、怒りと憤りの連鎖からくる、やり場のない憤怒。かされるためだけの激怒。
 ルー・リードだって死ぬ。かつてウォーホル死亡のニュースを受けた誰か日本人が 「ウォーホルでも死ぬのか」という見出しで、その死を報じたことがある。ルー・リードは長く生きたし(71歳)、半世紀近く前なら考えられないほど多くのリスナーに、幸運も含めた彼の才能を堪能させたし、ある意味、大往生だろう。
 そんなことより、少しショックなのは、「若死にではないロックの死者」の出現だ。
 そら構へんで。なにもかにも社会のせいにしておきながら、幸運だけを己の手柄にして生きていくのかて、「あり」。ありもあり、大あり。
 と、すれば、こんどは誰も彼もがお悔やみや「鬱」に入ったとき、いったい誰が銃を忍ばせた棺桶を引きずってくれる? 或いはカタナをか。
 なにも空を見上げて、UFOを探してるわけじゃない。
 そういやUFOって、なんでいっつも真昼に見つかるんかな。夜には円盤、飛ばへんのか? 鳥目か? それと? え? ああそうか、飛んでるんちゃうんか。あれは「浮遊」しとるだけか。型式古いのやったら、さしづめ「徘徊」やな、きっと。
 “SAD SONG”の邦題“悲しみの歌”は絶対に、SWAN SONGではない、と云う信念持ってるんなら最後まで意地通したらなあかんで。けど、そもそもが成れるわけないんだ、家鴨は白鳥には成らない。
 正直に、ありのままを、って? あんた、酔ってんのか、飲んでるんか、この真っ昼間から。
 正気で言ってるんか、ほんまに?
 
 大阪公演は1日だけだった。1975年7月。
 1970年頭からの5年ほどで、いったい何人、何バンド、日本に来たことやら。もうええんちゃうか、大概にしときや、と言いたなるくらい、あらかた来たんとちゃうかな、有名どころは。さぁ。とってもよう勘定しきれん。
 例の、払い戻し騒動にまでなって、ミック・ジャガーだけはダメ、(日本には)入れさしたらへん、とかってなって。そのストーンズの来日公演中止から、さらに2年半が過ぎていた。さすがにあの狂騒ぶりは止んで久しいけど、それはそうと、さてチケットを買いに行かなければならない。ほんとうのところ、デビッド・ボウイもマーク・ボランも、人気度も客層もまあ、読める。而してルー・リードは? まるでわからない。まるっきり読めない。けど。いつ行こうか。一人ぼっちなくせに、独り言とも腹話術ともつかず、決着・決断さえできない子ども心にも、“ヘロイン”という歌を作詞する歌手を入國させるのだろうかとは、考えた。ストーンズの騒ぎを思うと、よっぽど前の晩から並ぶべきか? 悩んだ。悩んで悩み抜いた末に、結局プレイガイドに並んだのは早朝である。そのプレイガイドでは二人目だった。一番は女で、もちろんボクよりだいぶんと歳上そうだ。ボクは高二だった。それから、ふと振り返るとあっという間に行列が出来ていたのには驚かされた。
 暑かった。とにかく暑くてどうすることもできなかった。暑さが目に焼きついた。大阪の夏は今でもやっぱり暑いけど、印象では当時はもっともっと、輪を掛けてさらに容赦なく、お天道様の気まぐれ、わがままお陽さまだけやり放題で、ぎらぎらと照りつけては、まるでボクたちの、ボクらの、いいえ、いいや、ボクだけなのかも知れないけど、とにかくボクの前に立ちはだかっては、いつもボクの行手を阻む。
 なるほどね。実際問題、ボクは苦労している。それも相当に参っており、更には、「弱って」きている。こいつぁほとんどギリギリまで切羽詰まっているよな。いまさら口にしたところで無駄だけど。華厳の滝の白糸だけが命綱である。いいんだよね、これで? だってだって。
 だってコレって、ボクの「産みの苦しみ」と「生まれいずる苦悩」をこそまさしく地の果てまでも(血のパテまで……いや、知の糧までも、か)踏み越えて、ハナも嵐も踏んづけて、ひたすら苦しみ抜くことこそが、ボクに与えられた命題であり宿題であり、求められているすべてだろう。

 チケット購入時の行列を思えば、案に相違してか、どうかルー・リードのファンは、大阪にも結構いたんや! これは新鮮な驚きだった。ただし、たぶんに排他的な人びとだろう。などと勝手に忖度する。スマホどころか携帯電話もウオークマンも持たず、黙々と各々一人ずつで並んでいた。まぁ早朝のチケット確保は仲間内の一人だけ行けばいいんだけど。
 当時のロック雑誌では、取り上げないか、TOKYOジョー(3年前に首吊り自殺した)か立川直樹が書くか。或いは下記のように揶揄されるか、だった。
 「こんな時代になってもまだ、Oh No No Noしか言えない男に用はない。そんな輩に構ってられるほど、こちとら、暇ではないのだ」
 「架空インタヴュー/
 わたくし『そして60年代の亡霊が……』
 ルー・リード『ギャッ!』(と言って、バラバラになる)」
 
 それでもなぜか、『ミュージック・ライフ』だったかに、米雑誌のインタビューを起こしたのが載っていた。そこでは「『ベルリン』が、70年代の『サージェント・ペパー』と呼ばれることについて」訊かれているルー・リードがいた。
  NHKラジオ(!)の「若いこだま」だったかで、初来日したルー・リードの特集番組が組まれた。パーソナリティの渋谷陽一がその時の様子を話す。
 「ふつうの来日したミュージシャンは、ましてアメリカ人なら尚更のこと、どんなに奇抜なステージを繰り広げるアーティストでも、いざ取材となれば、やあ、やあ、やあ元気かい? みたいな明るく気さくな人がほとんどなんですが、このヒトに限ってはまったくそんなことはなく、まるで正反対で……」と。
 そこで、相当に気難しそうだ、ということなのか、仲間内のギタリストをインタヴュアーに立てた、通訳は女性だった。現代ならその通訳者の名も紹介されるのかな。ともあれ少なくとも当時、その通訳女性がルー・リードの発言に明らかに困惑してる様子がありありと伺えた。
 いやいや、それだけではない。
 このインタヴュ-アは「自分の方がギターが上手い」等と言い出して、部屋はさらに重苦しい沈黙に包まれてしまう。たしか“Love Makes You Feel”と歌われた後に、Like Thisと言って、ギターソロが入る。そのギターのことだ。
 ただ、重苦しいだけで、怒ってはいないのか、あるいはバカにしていて、相手にしていないだけだろう。
 「そうですか。貴方がそう仰るんなら、貴方のギターの方がいいんでしょう」などと答えている。
 ちなみにボクは、このルー・リードのソロ1枚目、原題『LOU REED』が、フェチ的に好きだった。つまり中身の音楽はさておいて、レコード商品として、愛していた。
 まず邦題が素敵だ。曰く『ロックの幻想』。その投げやりさ。そして津波の来た都会の片隅に小鳥と宝石箱。そしてこれがまた、ソロになって以降の全アルバム中、なぜか、ルー・リードの顔がない!

 実を言うと、ボクはここに大きなカタツムリがいた、と長らく思い込んでいて、実際にはカタツムリなどいなかった事実に、非常に、衝撃を受けている。まだ立ち直れていない。
  ついでにもう一つ、『ベルリン』A面5曲目“How Do You Think It Feels”、これはシングル・カットされた。邦題が“暗い感覚”。 素晴らしい! このキッチュさこそCAMP!
 なにを言おうとしているかといえば、ルー・リードの問題とか価値は、楽曲だけではなく、タレント的なその存在にあるのだ。たとえば退廃。「ヘロイン」なんかやってないのか、ヘロインくらいはやったことがあるのか。永遠にそれが判らない。
 たしかに翌年発刊される『ロックマガジン』では、自明のようにルー・リードが、ジョン・レノンよりも、もちろんボブ・ディランよりも、重要な存在となっている。
 それはそうなのだ。そこにあるのは、いわゆる退廃とポップさがない混ざった、ある種のポップ・アートであり、楽曲もさることながら、彼自身が作品化しているのだ。
 それは、なんだろう、以前、山本精一氏も言っていたこととも通低していく。
 大阪、関西地方の文化が関係する。しかし、このことはいずれまたの機会に譲りたい。

 さてインタヴューだが、さらに重苦しい空気の中で、質問は間を埋めるだけになる。
 「なにを、普段は召し上がるんですか?」
 通訳嬢はさいしょ、
 「海藻……海藻を食べていると……あ、ちょっと待ってください。」
 しばらくの間、ぼそぼそと英語でやり取りした後。すこしだけ笑いながら、(これはやや恐怖の笑いだ)
 「あのー、椅子、椅子を食べているそうです」

 フェスティバルだったかなとも思い、昔の『ロックマガジン』を引っ張り出してきて見てみると厚生年金会館だった。
 この、あろうことか大阪で編集された雑誌の創刊は翌年76年春なので、探したのは来日の告知や宣伝ではない。77年6月発行の同誌8号に、75年当時の呼び屋さんが、2年前の思い出話を書いていたのを思い出したからだ。
 それによれば、泊まったのは中之島ロイヤル。でも何気に印象の残るのは「新大阪に迎えに」行った、というくだりだ。新幹線なのね。
 そりゃあ、グリーン車だろうけど。
 と、云うのもピンク・フロイドを筆頭にそれまでの海外バンドは、機材その他その他その他のそのだその他で、大型のウイング車に、でもリーチフォークで総重量が半端じゃないだろうから。なんの根拠もなく勝手に、機材はトラックで陸送。本人は飛行機、と決めつけていたからだ。
 前座はなし。
 そしていよいよはじまる。
 たしかタンクトップを着ていた気もするけど、それはボクの方だったかも知れない。あるいはどっちも着ていたのかも。すでに『ロックンロール・アニマル』は発売されていて、「ディックとスティーブになにがあった?」というブートのタイトルじゃないけど、あのツイン・ギター目当てのヒトだって、いたかも知れない。いやかく言うボクは高2だったため、すでに7日(火)、9日、10日と東京で行われたコンサート!(滅多にライヴとも、ましてやギグなんて言うわけない)での情報を得る手段がない。だから編成を知らない。
 やがてその催しの終わり頃に、インタヴュー時と同じ動作をはじめた。ただし、こちらは器用に回転して、そして倒れない。
 インタヴューでルー・リードは
 「ダンスとは、どんなダンスですか?」にこう答えた。
 「UP AND WALK」

Mac Miller - ele-king

 インディで活動しながらもファースト・アルバム『ブルー・スライド・パーク』でいきなりビルボード200制覇を成し遂げた奇跡の21歳、マック・ミラー。その輝かしい経歴とは裏腹に、ここ日本ではいまいち知名度が低い。そんな彼が先ごろセカンド・アルバム『ウォッチング・ムーヴィーズ・ウィズ・ザ・サウンド・オフ』を発表した。しかしJ・コールの『ボーン・シナー』とカニエ・ウェストの『イーザス』と同週発売ということもあり、前作同様話題にならないような予感......。

 まずマック・ミラーとはどのようなアーティストか? それを知るには彼が18歳のとき、2010年に発表したミックステープ『K.I.D.S』を聴く必要がある。タイトルからもわかるとおり、この作品はラリー・クラーク監督、ハーモニー・コリン脚本による同名映画にインスパイアされて制作されている。ここからわかることは、彼が90年代のスケーター・カルチャーをバックグラウンドに持っているということ。そして同作からのヴィデオ・クリップ"シニア・スキップ・デイ""ノック・ノック""クール・エイド&フローズン・ピッツァ"などを観れば、彼(や取り巻く人々)の尋常ならざるセンスの良さを感じることができるだろう。

 さらにマック・ミラーの強みは、メロディ・センスの高さだ。彼は2012年にラリー・ラヴシュタイン&ザ・ヴェルヴェット・リヴァイヴァル名義でミックステープ『ユー』を発表しているが、この作品ではラップではなくジャズ・ヴォーカルを披露。『ユー』という作品がどこまで本気なのかはさておき、今作でもフライング・ロータスやファレル、クラムス・カジノらが手がける曲でメロディメイカーとしての力量を発揮している。またラリー・フィッシャーマン名義のセルフ・プロデュース曲"リメンバー"では、ジ・XX"スウェプト・アウェイ"をサンプリングしているあたりも非常に興味深いところだ。

 前述のような面々がサウンドをクリエイトしている場合、高い確率でコンシャスな作品に仕上がるものだが、客演のメンツを眺めているとなかなかどうして一筋縄ではいかないラッパーたちが名を連ねており、コンシャスというよりはどうしても『K.I.D.S』を想像してしまう。その『K.I.D.S』つながりでは、OFWGKTAからアール・スエットシャツとタイラー・ザ・クリエイター(ボーナストラックのみ)、さらに米『XXL』誌企画による「フレッシュマン・クラス2013」に選出されたスクールボーイ・Qやアクション・ブロンソン、Ab-ソウルといった注目株も参加している。黒人のプロップスも高いユダヤ教徒の白人ということで、ビースティ・ボーイズの面影を彼にみるのはわたしだけではないはず。

 ここまでつらつらと書いてきたが、つまるところ言いたいのはマック・ミラーの新作は前作同様、非常にイケているということだ。アメリカではJ・コールとカニエ、そしてこのアルバムが同日発売されたそうだが、その事実に「常に供給過多」という異常事態を維持しつづける本場のヒップホップ・ゲームの凄みを感じずにはいられない。しかもマック・ミラーは21歳、THE OTOGIBANASHI'Sの1コ上なのだ。


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・OMSB
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