Home > Reviews > Album Reviews > Lorde- Melodrama
女性誌のコーナーに行くと、10代の女子に向けた雑誌の表紙に「インスタジェニック」なる言葉が躍っている。ページをいくつかめくってみると、インスタグラム映えする投稿をすることは──そのためのライフスタイルを送ることは彼女たちにとって抜き差しならない問題のようで、そして、過度の写真加工は「イケてない」のだそうだ。雑誌のアドバイスいわく、「それは本当のあなたじゃない」と。いいね!がたくさんつくような「インスタジェニック」な投稿をすることと、自然体の自分を世に示すことのせめぎ合いがそこにはある。10代の人間関係のキツさを忘れた大人の目線から「そんなのくだらないよ」と言うのは簡単だが、彼女たちなりの自己表現や真剣なコミュニケーションがそこにはこめられているのだろう。
テイラー・スウィフトとのセルフィーがインスタグラムで話題になるポップ・スターたるロードは、しかし、加工など必要としない特別な少女、10代として世に現れた。ニュージーランドでブリアルとジェイムス・ブレイクを聴き、レイモンド・カーヴァーとカート・ヴォネガットを読み、そしてハスキーなアルトで退屈な日常や物質主義への懐疑を歌う16歳……。シンガーソングライター化していった時期のジェイムス・ブレイクを強く意識したであろう簡素なエレクトロニック・ミュージックのプロダクションも含め、デビュー作『ピュア・ヒロイン』の時点で彼女、エラ・イェリッチ・オコナーは選ばれたヒロインだったわけだ。『ピュア・ヒロイン』には生意気な10代特有の魅力があったし、それに説得力を持たせる意志の強そうな眼差しがあった。
そこで言うと、『メロドラマ』では、湿り気のあるピアノ・バラッド“ライアビリティ”で別れた男に向けて「わかってるよ、わたしは負担だって」としんみり歌っているロードは特別なヒロインであることを手放しているように見える。ありていに言えば普通の失恋ソングを歌う普通の女になっている。現在ヒット・メイカーとして名を馳せるジャック・アントノフを共同ソング・ライターとして迎えていることからもわかるが、チャート・ミュージックのスターであることを真っ向から受け入れていて、なかでもアンセミックなダンス・ポップ“グリーン・ライト”はその結実だろう。セルアウトだと言ってしまえば、そうだ。メロディはよりキャッチーに、プロダクションもはるかに派手になっていて、ウェル・プロデュースされたポップ・ソングというのはロードのオルタナティヴなイメージを幾分損なうものかもしれない。
だがそれでも、海外の評に目を通してみると前作よりも『メロドラマ』が概して高く評価されているのは、ポップスとしてのフォルムの完成度が高まっているということ以上に彼女自身の言葉がいいのだという。『ガーディアン』は「アルバムでもっとも弱い楽曲である“ホームメイド・ダイナマイト”でさえ」と牽制しながら、リリシストとしてのロードを讃え、そして(ザ・スミスの)“ゼア・イズ・ア・ライト・ザット・ネヴァー・ゴーズ・アウト”を引き合いに出しつつ描写の巧みさを指摘している。そこではパーティに繰り出す女子が登場し、彼女の夜への期待が車の事故に喩えられているのだが、パーティ・ガールの刹那的な快楽主義に詩情がもちこまれているのだと。『メロドラマ』ではアルバムを通じて、夜遊びをする若い女が歌の主人公として繰り返し登場する。彼女たちは酒を飲んで騒ぎ、踊り、たぶんドラッグもやって、一夜限りの恋やセックスをするのだろう。きっとセルフィーを撮ってインスタグラムにアップもするだろう。ロードはそして、大人たちからは無視されるとくに立派でもない若い女たちの側に立ち、彼女たちの悲しみや一瞬その目に入る美しい光景を描こうとする……それは、加工しようがしまいがインスタグラムには投稿できない若い女たちの実存と感情だ。「目覚めると、違うベッドルームにいることがある/私が何か囁けば、街のざわめきが歌で返してくる」(“グリーン・ライト”)。ケイト・ブッシュによく比較される声でロードはここで、特別ではない女たちの声にならない声をポップにエモーショナルに開放しようとしている。ハーモニー・コリンの映画『スプリング・ブレイカーズ』のパーティに明け暮れる少女たちの姿がフラッシュバックする。
「毎晩、わたしは生きて死ぬ」という歌い出しの開放的なシンセ・ポップ“パーフェクト・プレイス”でもやはり夜な夜な遊びに繰り出す若い女の軽薄さが少しの切なさを伴って描かれ(「わたしたちの憧れたひとたちはみんな、姿を消していく/いまはもう、わたしはひとりで立っていられない」)、しかしそれは当人にとって切実なものなのだと訴える(「ベロベロに酔って過ごした夜/理想の場所を探しながら」)。だが、彼女は続けてこう呟くのである──「それにしても、理想の場所っていったい何?」。そうして、アルバムは終わる。
ラナ・デル・レイほど退廃的になれるわけでもない。それでもたしかに痛みや悲しみを抱えた若い女たちの「メロドラマ」がここにはあり、それは自分自身の生き方やそれを表現する術を探し求める10代の姿でもある。「チャート・ミュージックにリリシズムと知性を持ちこんだ」というのは批評家の言うことだ。ロードを聴いている女の子たちはきっと、自分たちと近い場所にこの物憂げだが強い声と歌があることを頼もしく思っている。
木津毅