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ちょうど『ミスター・ロンリー』のころだからもう10年ちかく前になるが、来日したハーモニー・コリンの取材もあらかた終わり、90年代はいまよりいくらかましだったよな、と次の取材までに空いた時間をたがいに世の中への不平をあげつらいながらつぶしていると、そういえばきみはゴーストのメンバーだったっけ、と彼は不意にいう。ゴースト? あの日本のサイケデリック・バンドの? 私は聴きかえした。うなずくハーモニー。つぶらな瞳だ。ミスター・コリン、たしかに私はご覧のような長髪だし、ゴーストのリーダーの馬頭に取材したこともあるし、彼らは好きなバンドだがざんねんながらそうではない。私はそう返答しながらしかし内心ギクッとした。どれくらいギクッとしたかというと「ねじ式」でメメクラゲに刺された主人公に「あなたは私のおっかさんではないですか?」とつめよられる老婆ほどギクッとした。なぜハーモニーはそんなことを訊いたのか、その理由はトレンディドラマに出てきそうな配給会社の宣伝ウーマンが私たちのあいだに割って入ったのでこんにちにいたるまで訊かずじまいだが、ひとは他者のことばで事実以上の真実の回路をひらくことがある。
ゴーストをはじめて聴いたのはPSFから92年に出たオムニバス『Tokyo Flashback』の第二弾で、ハイライズやマヘル・シャラル・ハシュ・バズ、四人時代のゆらゆら帝国、石原洋さんが率い、ピース・ミュージックの中村さんがメンバーのころのホワイト・ヘヴンにもちろん灰野さんの不失者といった錚々たる面々のなかでもゴーストのアコースティック・サイケデリック・サウンドはひときわ異彩を放っており、当時ちょうど二十歳で、サード・イヤー・バンドはおろか、アシッドのなんたるかも知らなかった私は彼らの静謐なミニマリズムの奥に青い熾火に似たものをくすぶらせるエソテリックなアンサンブルにただただ耳を傾けるしかなかった。彼らの単独作品を手に入れたのはそれから時間が経ってからで、PSFのファーストは翌年、94年のサード『Temple Stone』は次作『Lama Rabi Rabi』のレコードといっしょに買ったので、90年代後半、ゴーストはすでに〈ドラッグ・シティ〉との契約を契機に海外に主戦場を求めていた。といういい方のおそらく半分はただしくない。ボアダムスしかりゼニゲバしかり、90年代を境に日本のアンダーグラウンドが海外に積極的に打って出たのは、地理的音楽的越境性を顕揚する風潮に乗った部分はあるにせよ、資本による逆輸入を念頭にした戦略ではなく、それは音楽を聴くこと、いかに聴くかということと不可分ではなかったが、それをつぶさに検証するのは本稿の主旨ではない。もっとゴーストもその例外ではなかった。いやむしろもっとも成功した例のひとつといってもいい。冒頭のハーモニーの発言をご想起されたい。彼らのサイケデリックは無国籍のエキゾチシズムと、それを側面から異化する情緒的──これを和的と換言するのはいささかためらわれるが──な旋律をもち、その総和として彼らの世界はたちあらわれる。そこには要素の混淆があり、海外のリスナーが日本のバンドにいだくエキゾチシズムはおそらく、徹底したこの折衷と、そこにひそませた批評性にある。ゴーストはそれを生きた。90〜2000年代、彼らは作品を重ね、それらは初期の秘境的な空間性を、その空間に政治的な視点さえもちこみ高めるものだったが、2007年のライヴ盤『Overture: Live In Nippon Yusen Soko 2006』を最後に活動は間遠に。ここにおさめたライヴには私も足を運び、圧倒されるともに一抹の不安を憶えもした、といえば遡及的な短絡かもしれないが、音盤にも、ゴーストの存在証明、グループ名になぞらえれば、不在となることではじめて存在する幽霊めいた存在の証明をたしかにおぼえるものがあった。
馬頭將器がザ・サイレンスを結成したのは2013年、ソロ・ツアーで訪れたスペインのサラゴサで旧知の岡野太との再会が契機となった。元サバート・ブレイズ、ライヴ・アンダー・ザ・スカイ(好きだったんです)で現在は非常階段の一員でもある岡野の来西は河端一のアシッド・マザーズに参加するためで、ふたりが会うのはゴーストの96年のアメリカツアー以来、じつに17年ぶりだった。馬頭はそのころ、長らく活動休止状態だったゴーストの解散を考えていたが、次の活動にふみきる手だてがなく、悶々としていた。ツアー中のあわただしい時間のなか、小一時間ふたりはホテルで話しこみ、ともに音楽活動をはじめることを約束し別れた翌年春、馬頭はゴーストの解散を宣言し、直後に岡野との新しいバンドの構想を得て、ゴーストの盟友荻野和夫に編曲とプロデュースを依頼、荻野はベースのヤン・アンド・ナオミのヤン・スティグター、バリトンサックスとフルートにブラック・シープの吉田隆一をハントし、荻野がオルガンとエレキ・ピアノを担当する布陣におちついた。バンド名はヨガの沈黙の行により、馬頭は「静寂はいかなる音圧よりも重く、耳を聾する程の静寂は意識と無意識の境界線上でのみ我らが表現し得る」という。
今年3月にリリースしたセルフ・タイトルのファースト、間を置かず発表する本作『Hark The Silence』について、ゴーストとの異同をいえば、アコースティックを効果的にもちいた多楽器主義のそれを彷彿するところもあるが、かつて形式の影にみえかくれしていたものがザ・サイレンスではのびのびと羽をのばしている。ギターのファズ・サウンドとレズリースピーカーをもちいたオルガンのハードなサウンドメイク、馬頭の日本語の訛りの英詞による歌唱に寄り添う吉田のバリサクがときにワールド的にときに(昭和)歌謡的な妖しささえかもす『The Silence』を馬頭の無二のソングライターの資質と各人の間口の広さを聴かせるものだとすると、冒頭の三部構成の“Ancient Wind”でじわじわとたちあがり畳みかける『Hark The Silence』ではより直截に合奏の一体感に主眼を置いている。同時期の録音というこの2作は彼らの内実の充実を如実に伝えるが、そればかりか、たとえば『The Silence』の“Black Is The Colour of My True Love's Hair”、『Hark The Silence』の“Little Red Record Company”、“Galasdama”といったカヴァー曲では系譜を垣間見せると同時にある種の遊び心も感じさせる。無数のヴァージョンがあるアパラチアン・フォークのトラッド“Black Is The Colour”はニーナ・シモンというよりパティ・ウォーターズだし(吉田がジュゼッピ・ローガン役)、デーモン&ナオミの“Little Red〜”は人脈的な結びつきをほのめかすとともにうたもの(サイケ)でのアレンジの妙味を聴かせる。“Galasdama(ガラス玉)”は裸のラリーズのカヴァーとのことだが、「造花の原野」の文言を表題に引いたこの曲は“造花”の歌詞と曲を基調に“夜より深く”を接ぎ木したもので、間奏の八分の六拍子パートの躍動とその後のギターおよびヴォーカル・アレンジふくめ、ラリーズというよりサイケデリックなるものの解釈において一日も二日もの長をおぼえさせるだけでなく、“Ancient Wind”は造花の原野をも吹き抜けたのではないかと私の妄想をもトリップさせる、その一助となるのは近藤祥昭の手になる録音で、アナログの音質にこだわった音録りは“DEX #1”のマッスな音群も、“Fireball”の演奏の空間を、馬頭にならうなら耳を聾する沈黙の支配するそこを的確にとられている。このような心技体のそろったアルバムの国内リリースがないのは国民の耳が節穴だからか、〈Pヴァイン〉の〈ドラッグ・シティ〉担当者が社内でよほど虐げられているからにちがいないが、私たちはさいわいなことに海外のファンにはない地の利がある。フランク・ザッパの命日にあたる12月4日、秋葉原の〈グッドマン〉でザ・サイレンスはワンマン公演をおこなうという(来春には北米ツアーをひかえているとのことなので、ハーモニー・コリンもひと安心である)。ゲストは想い出波止場〜アシッド・マザーズの津山篤と東京NPO法人。NPOは「なかなかポジティブな男達」の略なのだそうだ。よくわからないが、忘れられない夜になるだろう。
松村正人