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マルクス解体──プロメテウスの夢とその先

マルクス解体──プロメテウスの夢とその先

斎藤幸平(著)斎藤幸平+竹田真登+持田大志+高橋侑生(訳)

講談社

小林拓音 Feb 13,2024 UP

 音楽でもそうだけれど、古典はときに現代の作品以上に刺戟的だったりする。古典というくらいだからそれが生み落とされた年代は古く、一見わたしたちの暮らす日常からかけ離れた世界や価値観が描かれているように映るかもしれない。にもかかわらず古典というやつは「これってまさに今日の問題じゃん!」と思わせる要素を少なからず含んでいるもので……長い年月をサヴァイヴしてきたがゆえにもつことを許された魅力というか、まあ、だからこそ古典は古典たりえているのだろう。かのマルクスもその代表選手のひとりである。
 新しい解釈を誘発しない古典は古典とは呼べない。マルクスもまた一世紀以上にわたりさまざまに読み解かれてきた。たとえばフランスの哲学者ジャック・デリダ──宣伝しておくと、もうすぐその伝記をele-king booksから刊行します──はソ連崩壊後の1993年に『マルクスの亡霊たち』なる本を上梓している。『共産党宣言』が呼びかけるプロレタリア革命のメッセージそれ自体ではなく、その文章にあらわれる「亡霊」なる単語に着目し、幽霊のように過去から回帰してくるものをめぐる思考=「憑在論」の端緒をひらいた重要作だ。それがのちにサイモン・レイノルズやマーク・フィッシャーに少なからぬ影響を与えたことはすでにele-king読者にはなじみ深いかもしれないけれど、そのような読み方がマルクス当人の意図していなかった解釈であろうことは疑いない。テクストはテクストを誘発し、また新たなテクストが紡がれていく、と。
 若手のマルクス研究者、斎藤幸平による『マルクス解体──プロメテウスの夢とその先』もそうしたオルタナティヴなマルクスの読みを提供してくれる一冊だ。想像してみてほしい。動物の健康を憂うマルクスを。感染症のリスクを意識するマルクスを。西欧ではなくアジアやアフリカ、ラテンアメリカを研究するマルクスを。この本からは「階級闘争の鬼」みたいなイメージを覆すマルクス像がつぎつぎと浮かびあがってくる。ずばり、エコロジストとしてのマルクスだ。従来相性が悪いとみなされてきた「緑」と「赤」のあいだに橋を架けること──それが本書最大の狙いといえる。

 じつは氏にはかつてele-kingでも何度か原稿を依頼したことがある。その後彼が知識人としてこれほど大きな存在になろうとは予想だにしていなかったけれど、それはきっと今日、多くの人びとが資本主義の横暴や気候変動に戸惑っていることのあらわれなのだろう。大ヒットした『人新世の「資本論」』(集英社新書)と同時並行で進められていたのがこの本で、いわばそのデラックス版ないしディレクターズ・カット版みたいなものかもしれない。オリジナルの英語版が出版されたときはUKでも話題になったようで、『ガーディアン』がインタヴュー記事を掲載している(https://www.theguardian.com/environment/2023/feb/28/a-greener-marx-kohei-saito-on-connecting-communism-with-the-climate-crisis)。原題は『人新世のマルクス──脱成長コミュニズムの理念に向けて』。本書はその英語で書かれた学術書の翻訳という体をとっているものの、著者自身が日本語としての読みやすさを意識し大幅に手を入れてくれているおかげで、この手の本にしてはだいぶハードルが下がっている。
 最初のほうでマーク・フィッシャーが登場するところは興味を引くポイントかもしれない。音楽のみならず映画やドラマ、大衆文学などなど、ポピュラー・カルチャーの論じ手として頭角をあらわしてきた彼が最初の本で打ち出したのが「資本主義リアリズム」なるコンセプトだった。もはや資本主義以外の社会のあり方を想像することができなくなってしまったというその感慨が、まさに『資本論』を執筆したマルクスを研究する専門家によってどのように整理されているのか、それを目撃するのも本書の楽しみのひとつだろう。
 エンゲルスがつくりあげたマルクスのイメージを解体する第二章、西欧マルクス主義の代表者ルカーチにたいする誤解をほどく第三章、話題の「人新世」なるタームへの批判を検討する第四章なんかもおもしろいのだけれど、個人的にもっとも興味深く読んだのは左派加速主義が扱われる第五章だ。当該論者たちはテクノロジーの発展で環境危機を乗り越えられると、技術革新こそが未来を用意すると主張しているらしい。そのためにはガンガン生産力を上げ、経済をまわしていかにゃならん、と。それが片手落ちの議論であることを暴き出していくさまは読んでいて素朴に痛快だ。
 ちなみにここでも何度か「資本主義リアリズム」の語が登場するのだけれど、著者は慎重にフィッシャーの名をあげることを避けている。誤解されないよう配慮しているのだろう。日本語版ウィキペディアで「マーク・フィッシャー」のページをのぞくと、なぜかフィッシャーは左派加速主義者ということになっている。ネットが信用ならない最たる例というか、どれほどフィッシャーがそのような考え方から離れたところにいるか、読者であればすでにご存じにちがいない。

 時間がない方は最終章だけ読もう。そこではマルクスを「脱成長コミュニスト」として再解釈する、著者のオリジナリティが最大限に発揮されている。主著たる『資本論』よりもさらに後、晩年のマルクスの抜粋ノートを丹念に読みこむことによって、まったく新しい──経済成長を望まない、進歩主義や生産力重視ではない──マルクス像が、すなわちデリダが亡霊を見出した『共産党宣言』の若き楽観主義ではなく、人間と自然の関係を真摯にとらえなおす老マルクスの姿がそこからは浮上してくる。
 最後に将来の展望が記されている点も重要だろう。実現可能かどうか、あるいは賛同するかどうかはべつにして、著者は本書で明確に「資本主義リアリズム」の呪縛に抗っている。「失われた未来」を突破しようと試みている。ただ資本主義のあり方を批判し気候危機に警鐘を鳴らすだけではなくて、よりよい将来を想像してみることのたいせつさを教えてくれる一冊にもなっているのだ。想像するとはまさにカルチャーの分野、音楽や映画や文学が得意とするところにほかならない。オルタナティヴはいくらでもある──マルクスという古典の読みなおしがその血路となることを、あらためて本書は伝えてくれている。

小林拓音