Home > Reviews > Album Reviews > Rafael Toral- Spectral Evolution
「アンビエント/ドローンの歴史の中で、重要なアルバムを上げてみよ」と問われたら、私は1994年のラファエル・トラルの『Sound Mind Sound Body』と2004年のシュテファン・マチューの『The Sad Mac』の二作は必ず入れると思う。ノスタルジックなムードのドローン音という意味で、現在まで続くアンビエント/ドローン・ミュージックの源流のように聴こえてくるから。
そして1994年から30年後に発表された『Spectral Evolution』は、ラファエル・トラルがアンビエント/ドローン的な「音楽」に久しぶりに回帰した作品であり、彼の音響実験の成果が見事に結晶したアルバムであった。いや、もしかするとアルバム『Spectral Evolution』は、ラファエル・トラルの30年に及ぶ活動・経歴のなかでも、「最高傑作」と呼べる作品ではないか。むろんそんなことを軽々しくいうものではないことは十分に承知しているけど、しかし本作は彼が1995年の『Wave Field』以来、さまざまな音響の実験を経て、ついに新たな「音楽」へと辿り着いたといってもいいほどのアルバムに思えたのだ。
ラファエル・トラルは、ポルトガルの実験音楽家でありギタリストである。1995年に実験音楽とシューゲイザーがミックスされたような『Wave Field』をリリースした。この二作はいまだ名作として語り継がれている。
トラルは以降も、旺盛な活動を展開し、多くのアルバムを送り出してきた。2004年には日本の〈Headz〉からリリースされた『Harmonic Series 2』を覚えている音楽マニアの方も多いのではないか。近年ではギターから距離をとり、自作の電子音楽器で自在に即興的な電子音を生成する音響作品を制作している。この『Spectral Evolution』は、そんなトラルがギター/音響/アンビエントに、ついに「回帰」したアルバムとひとまずは言えるかもしれない。
そして『Spectral Evolution』は、ジム・オルークが〈Drag City〉傘下で運営する〈Moikai〉からリリースされたアルバムなのだ。〈Moikai〉は、ポルトガルの電子音楽家ヌーノ・カナヴァロ『Plux Quba』を再発したことで知られるレーベルである。ちなみに〈Moikai〉からはトラルのファースト・アルバム『Sound Mind Sound Body』もリイシューされていた。
ヌーノ・カナヴァロ『Plux Quba』と『Spectral Evolution』を並べてみると、どこか共通点を感じる方も多いのではないか。ポップで、人懐こく「親しみのある実験音楽」という風情が共通しているとでもいうべきか(ジム・オルークとラファエル・トラルの共演は、トラルの運営する〈Noise Precision Library〉から2010年に『Electronic Music』というアルバムとしてデジタル・リリースされている)。
むろん、この『Spectral Evolution』に限らずラファエル・トラルはずっと音楽の実験と音響の生成を続けてきたし、どのアルバムも大変に興味深い出来栄えだった。なかでもここ数年、〈Room40〉からリリースされた『Moon Field』(2017)、『Constellation in Still Time』(2019)などは、静謐なサウンドの実験音楽・電子音楽作品として、どれも素晴らしいものだった。
また、2018年の『Space Quartet』などは即興的な電子音響の生成によって、どこか20世紀、スペースエイジ・レトロフューチャー的な50年代の電子音楽をジャズ化したような独創的なアルバムであった。これは〈Staubgold〉からリリースされていた「Space Elements」シリーズが源泉かもしれないが。
私が思うに、本作『Spectral Evolution』は、この『Space Quartet』(および「Space Elements」シリーズ)で展開された電子音楽・即興・音楽という要素を、さらに拡張した作品に仕上がっていた。むろん『Spectral Evolution』にはジャズ的な要素・演奏はない。どちらかといえばフェネスの『Endless Summer』(2001)ともいえる電子音響/ドローンを展開している。しかし鳥の声のような電子音の即興/生成によるピッコロのような音が作品内に展開し、それがサウンドの生成変化の「起爆剤」になっているさまに共通項を感じるのだ。ジャズに展開するか、電子音響/ドローンに展開するかの違いとでもいうべきだろうか。まるでふたつの音楽・音響世界が、出発点を同じとする並行世界であるかのように聴こえてしまったのだ。
じっさい『Spectral Evolution』は、この地球の自然現象や野生生物の発する音をスキャンしながらも、まるでこの地球ではない別の「地球」を生成していくような音響空間を構成しているように感じれた。最初は印象的なギターのフレーズからはじまり、そこに電子音が絡まり、レイヤーされ、次第にスケールの大きな(もしくは顕微鏡を覗き込むようなミニマムな)音響へと変化を遂げていくさまは、まさに2024年の『Endless Summer』。永遠の夏への希求がいまふたたび電子音楽・実験音楽として立ち現れてきたというでもいうべきか。まさに『Sound Mind Sound Body』『Wave Field』的なアンビエント/ドローン・サウンドの系譜にある作品なのだ。
00年代以降、ギターから離れ、独自の電子楽器で自在に電子音を生成=演奏してきたトラルが、ギターをふたたび手にとったこと。その傾向は、先に書いたように、『Moon Field』から聴くことができたが、本作『Spectral Evolution』ではついに全面的に回帰した。しかも90年代以上の音響空間を生成しての回帰である。それは反動としての回帰ではなく、進化=深化としての回帰でもある。なぜなら、そこには20年以上におよぶ音響実験が経由されているのだから。
アルバムは、CD/LPは全12曲にトラック分けされている。デジタル版は1トラックにまとめられている。これはどちらがオリジナルというわけではなく、それぞれのメディアの特性に見合った選択をしたというべきだろう(私としてはトラック分けされている方が好みではあるが)。
じっさい『Spectral Evolution』は、47分で1曲とでもいうように、シームレスに音響が変化していく。音と音がつながり、変化し、そしてまた別の音響へと連鎖されていくさまは圧巻だった。その音響の変化の只中に聴覚を置くとき、リスナーは深い没入感を得ることになるはず。
トラルのこれまでのアルバムをいっさい聴いたことがなくとも、アンビエント/ドローンに興味のあるリスナーならぜひ聴いてほしい。かつて「アルヴィン・ルシエ・ミーツ・マイブラ」と呼ばれたトラルの魅惑的な音響世界がここにある。
デンシノオト