「ジャジューカ」と一致するもの

我がためにある音楽は聴いた瞬間にわかるというもの
ブライオン・ガイシン

The 4000 year old Rock and Roll Band
ティモシー・リアリー/ウィリアム・バロウズ

 ブライオン・ガイシン、ウィリアム・バロウズ、ポール・ボウルズ、ブライアン・ジョーンズ、ティモシー・リアリー、オーネット・コールマン......世界のつわものを魅了してきたこの古代の響きを受け止められるだけの精神力が自分にあるのだろうか......? でも、たとえ精神的に戻れなくなってもいい、私にはその覚悟はできているんだ! 
 2012年6月、期待と不安に飲み込まれながら、私も先達と同じく、ジャジューカの魅力にとりつかれ村に吸い寄せられるように行ったひとりとなった。私の音楽観や人生観を一瞬にして変えてしまった3日間。村を後にしてからジャジューカを思い出さなかった日は1日もなかった。あれから丸一年、今年6月、私はまたジャジューカに戻ってきた。今回は友人たちとともに──。

 北アフリカ、モロッコ王国の北部、リフ山脈南に位置するアル・スリフ山にある小さな村ジャジューカ。この村で、アル・スリフ族のスーフィー音楽家たち‘The Master Musicians of Joujouka(ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ)’(アラビア名:マレミーン・ジャジューカ)によって、息子たち、甥たち、村の子供たちへと千年以上も時代を超えて守られ受け継がれてきた音楽がある。
 それは、村から1キロくらい離れた、背の低い緑が茂る緩やかな山の斜面に鎮座する大きな岩の横腹にポッカリと口をあけた洞窟、このブゥジュルード洞窟の伝説が起源になっている。


緑の山の斜面にいきなり大きな岩がある。

  昔々──、ヤギを放牧していた村人のアターが、みんな恐れて近づかなかったこの洞窟でうたた寝をしていると、どこからともなく美しい音色が聞こえてくる。ふと目が覚めると半人半獣(人間とヤギ)のブゥジュルードが自分の目の前に立っていた。そして、ブゥジュルードが村の女性のひとりを花嫁にする代わりに、他の村人に教えてはならないと約束させ、アターに笛を渡し音楽を教える。しかし、アターは約束を破り音楽を村人に伝授してしまう。村から音楽が聞こえ、怒り狂ったブゥジュルードは村に行く。慌てた村人たちは、頭がクレイジーな村の女性アイーシャを花嫁として差出し、激しい音楽で彼らを踊らせた。踊り疲れたブゥジュルードは満足して洞窟に帰り、それから毎年一度村に来て踊るようになった。それ以来、やせていた村の土地は肥え、村には健康な子供がたくさん生まれた。


ブゥジュルード洞窟の岩。『Joujouka Black Eyes』のカヴァーで使われている。

  しかし、ある日突然ブゥジュルードが洞窟から姿を消した。そして、アイーシャも村からいなくなった。心配したアターはヤギの群れを連れてブゥジュルード探しの長い旅に出る。自分のヤギを順番に食べながら旅するが見つからない。ついに最後の4匹になった時、アターはそのヤギを殺しその皮をまとい変装して村に戻る。村人は彼をブゥジュルードが帰ってきたと思い込み、少年たちにアイーシャの恰好をさせ一緒に踊らせる。それ以来、アターはこの洞窟で生涯ブゥジュルードとして生きる。彼に死が近づいてきた時、村のある若い男に自分の変装の秘密を打ち明ける。そして、彼はその少年にジャジューカが繁栄するようにブゥジュルードとして踊ることを約束させた。


洞窟の中からリフの山々を望む。

  この音楽は1週間続くイスラームの祝祭エイド・エル・カビールで子孫繁栄と豊穣のため伝統的に毎年演奏されてきた。
 ギリシャ神話の牧羊神パーンに似通っているといわれるブゥジュルードのその音楽を私が初めて耳にしたのは今から2年数か月前、2011年春のことだった。1970年代後半から電子音に魅了され、それからずっと電子音楽だけを追い続け、94年に渡英し、気がつけば私はクラブ・カルチャーの真ん中にいた。自分の音楽史にロックを通過した跡がほとんどない私は、当然ローリング・ストーンズの元リーダー/ギタリストであるブライアン・ジョーンズのアルバム『Brian Jones Presents The Pipes of Pan at Joujouka』の存在など知るはずもなかった。
 ジャジューカに魅了されたブライアンが、68年に村で現地録音したテープをロンドンに持ち帰り、フェージングやクロス・フェード・エディティングによって完成させたこの作品は、69年、彼が不慮の事故死を遂げたことによって、残念ながらリリースがペンディングになっていた。しかし、彼の死から2年後の71年、ローリング・ストーンズ自身のレーベル第一弾として発売される。このアルバムの登場はジャジューカを世界的に知らしめ、その後世界中から人びとを村に引き寄せることになる。


ブライアン・ジョーンズのアルバム。カヴァーの絵はハムリ。レコードジャケットを広げると、並んだジャジューカのミュージシャンたちの真ん中に金髪のブライアンが描かれている。

  2009年末にモロッコへ旅し現地で音楽に触れたことがきっかけで、30年以上聴き続けた電子音楽を捨てるようにアラブ諸国の音楽にどっぷりと浸かっていった私に、友人はこのアルバムを教えてくれた。チャルメラに似た高い音を出すダブル・リードの木管楽器‘ライタ(ガイタ/Ghaitaともいう)のヒリヒリとした直線的な音と両面にヤギ革を張った木製のタイコ‘ティベル’がつくる原始的なリズムはとてもパワフルで、いきなり私の心を、いや、脳を直撃した。
 何度も何度もループさせて聴きかえす。出会いから約2ヶ月間、毎晩このアルバムをかけ続けた。窓から差し込む朝日の中でふと気がつくと、いつも私は居間のスピーカー前で倒れていた。私を2ヶ月間もベッドで寝かせてくれなかったジャジューカ! 周囲の心配をよそに、私はこの不思議な力を持った音に心をつかまれ、ジャジューカの世界にのめり込んでいったのだ。

 この小さな村の局所的な音楽が世界に知られる最初のキッカケは、ジャジューカ出身の母を持つモロッコ人画家モハメッド・ハムリが、カナダ人アーティストのブライオン・ガイシンを村に連れて行った1950年代初頭まで遡る。
 ガイシンが村へ行く前に、実は彼はボウルズと一緒にこの地域のとある町の祭りで、偶然この音楽に出会っている。その時彼はこの音楽を一生聴き続けたいと思ったという。しかし、それがハムリの村の音楽だったとは、実際に村で耳にするまでは知らなかった。
  ジャジューカにすっかり魅了されていたガイシンは54年ハムリと一緒に「1001 Nights Restaurant」をタンジェ(タンジール)に開き、村のミュージシャンたちを15人交代で呼び寄せ店で2週間ずつ演奏させ、次々と西洋のオーディエンスに紹介していった。そうすることによって、同時にハムリは、戦後とても貧しかった村のミュージシャンたちの生活をサポートした。
 タンジェに住みハムリやガイシンと交流があったアメリカ人作家のウィリアム・バロウズが村を訪れることは自然な流れだった。カットアップの手法で書かれた彼の小説『The Soft Machine』(61年)の中でジャジューカの音楽を思わせる‘Pan God of Panic piping’という言葉を使い、ガイシンの作品『The Dreamachine』が登場するバロウズのショートフィルム『Towers Open Fire』(64年)ではサウンドトラックにジャジューカを起用している。
 こうして、ガイシンやバロウズを通して、ジャジューカはビート・ジェネレーションと共振し、深く関わっていった。
 そして、ガイシンとハムリが先述のブライアン・ジョーンズを村に連れて行く。60年代を通じて、ティモシー・リアリー、ミック・ジャガー他、73年には、フリージャズの巨匠のひとり、オーネット・コールマンが村に滞在し、マスターズ(ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ)とセッション。この曲「Midnight Sunrise」は76年に発売されたアルバム『Dancing in Your Head』に収録されている。
 また、80年代には、ついにザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカは3ヶ月間の長いヨーロッパ・ツアーに出た。
 このようなユニークなバックグラウンドを持つ彼らは、国内よりむしろ海外でより知られた存在になっていく。

[[SplitPage]]

 ガイシン、バロウズ、ブライアンたちと同じようにジャジューカの生演奏を現地で体験できるというフェスティヴァルが、ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカと20年来彼らのマネージャー/プロデューサーを務めるフランス在住のアイルランド人、フランク・リンによってはじめられた。
 ジャジューカの音楽に“Brahim Jones Joujouka Very Stoned”という曲もあるほど彼らに敬愛されているブライアン・ジョーンズの村訪問40周年を記念して、村で行われた「The Master Musicians of Joujouka Brian Jones 40th Anniversary Festival 2008」は、ブライアンの元ガールフレンド、アニータ・パレンバーグも参加し大成功を収めた。それ以来、世界限定50人の3日間フェスティヴァル「The Master Musicians of Joujouka Festival」として、毎年6月に村で開催されている。
 このフェスティヴァルによって、年1回、村のミュージシャンたちは確実な収入をひと週末で保障され、これはハーベスト(収穫)のようになった。そのお金は、食糧や村の学校に教科書を購入したり、村を何ヶ月か維持するために使われる。このフェスティヴァルには毎年、大学教授、作家、音楽ライター、ミュージシャン、アーティスト、フォトグラファー、学生などなど、ジャジューカ音楽へ様々な入り口から辿りついたファンたちが世界各国から集まっている。
 実は、現在はもうひとつ、バシール・アッタール率いるThe Master Musicians of Jajouka(ジャジューカのスペルがJaで始まり、その後にLed by Bachir Attarなどと彼の名が続く)が対立して存在するのだが、このフェスティヴァルは実際にずっと村に住んでいるThe Master Musicians of Joujouka(ジャジューカのスペルがJoではじまる)のもので、彼らはスーフィー音楽家たちとして村にしっかりと根づき、人びとに尊敬され、今日も子供たちにジャジューカの音楽を教え続けている。このマスターズを率いるのは、村のコミュニティの中で選ばれたリーダー、アハメッド・エル・アターで、彼はミュージシャンたちのリーダーであり、部族のリーダーでもあるのだ。
 私が2012年から足を運んでいるこのフェスティヴァルの参加者たちは、タンジェから電車で約1時間半行ったところにあるクサール・エル・ケビールという駅に集合する。そこで用意されたタクシーに分乗し約20分、伝説のジャジューカ村へ着く。実はジャジューカはいくつかの村が集まるこの地域の名前でもあり、伝説の音楽が残るこの村そのものの名前でもある。そのジャジューカ村はそんなに山奥に位置するのでもなく、主要道路から斜めに入る山道を車で3分ほど上っていったところにある。村に行こうと試みて辿りつけなかったファンが日本に少なからずいるのは、単に村を示す標識のないこの山道を見つけられなかったからかもしれない。
 しかし、比較的大きな町のそばに位置しながら、電気と携帯のアンテナが同時に設置されてまだ10年くらい。舗装されて2年も経っていない山道は村の途中で突然途切れ、あとはウチワサボテンが茂る足場の悪いオレンジがかった砂利道がずっと続く。村にはモスク、小学校があり、そして、村に点在する井戸が村人の水源になっている。それを運ぶのはロバの仕事で、ポリタンクに入った水を背負ったロバがのんびりと歩いていく。


ジャジューカ村。向かって左にある角柱の塔はモスク。

  こののどかな村は、15世紀末に村に辿り着き生涯をここで過ごしたスーフィー(イスラーム神秘主義)の聖者・シィディ・アハメッド・シェイクのサンクチュアリーがあり、人びとの巡礼の地でもある。この聖者はここの音楽には治癒の力があると感じ、平穏、心の病気の治療、平和と調和を促進する精神的な目的として彼らに曲を書き、音楽を治癒のツールとして使った。村のミュージシャンたちは彼からバラカ(恩寵)、精神的なパワーをもらい、スーフィーである彼らが演奏することによってバラカはライタ自身の中に入り、したがってライタはバラカを持っているとされ、楽器で患者に軽く触れることで治癒することもできるという。この治癒の音楽はフェスティバルでは演奏されないのだが、約500年前から今日も続く聖者が起源の音楽が存在し、ジャジューカ全体にはバラカがかかっているとされるのだ。
 巡礼の地ではあるが、ここはいわゆるガイドブックに載る様な外国人向けの観光地ではない。小さなキオスクが2軒と地元の人たちが集う(彼らはカフェと呼んでいる)場所があるだけで、当然ホテルのような宿泊施設などない。フェスティヴァルの間、参加者たちはそれぞれマスターズの家にホームステイする。つまり、マスターズのコミュニティに入り彼らと一緒に音楽漬けの濃厚な3日間を過ごすのだ。
 今年の参加者は約40名。その2割は私を含めリピーターだ。日本人は全部で5名、その他、ガイシンの「ドリームマシーン」をジャジューカの生演奏で体験しようと、大きな「ドリームマシーン」のレプリカを担いで来たカナダの若者もいた。結局壊れていて使い物にならず、「The most Dreamachine experienceだったのにー!」という彼の悲痛な叫びとともに実験は失敗に終わった。
 村にはマスターたちがいつも集まる場所が村の広場から少し先に行ったところにある。ここがフェスの会場で、半分テントで覆われ片側が開いた半野外のその場所には赤い絨毯が敷いてあり、前方にはリフ山脈の美しい緑の山並みが目線と同じ位置に見える。普段も彼らはここに集いおしゃべりをしたり演奏したりして過ごす。マスターたちに憧れる子供たちはこのような環境の中で、マスターたちから音楽を教わる。


昼間のセッション。音楽に合わせて踊る村の少年たち。


バイオリンが入る昼間のセッション。

 フェスティヴァルではもちろんアンプもスピーカーも通っていないマスターズの生の音を昼夜聴き続ける。タイムテーブルもなく、マスターズの周りで参加者たちはゆったりとしたジャジューカ時間を過ごす。昼間に演奏される音楽はジベルという山の生活や民族的なテーマを歌った伝統的な民謡が主で、宗教的なものや恋心を歌ったラヴソングもあり、バイオリン、ダラブッカ(ゴブレット形太鼓)、ティベル、ベンディール(枠太鼓)、リラ(笛)などで演奏される。その他、ブゥジュルードの音楽のリラ・バージョンや「Brahim Jones Joujouka Very Stoned」のようにゲストが来た時に作られた比較的新しい曲も存在する。
 マスターズの数人が楽器を手にして音を出しはじめると、他のマスターたちも楽器を持って集まってくる。私は2回目だからもちろんわかるが、村のおじさんたちも私服のマスターズに交じっているので、楽器を持つまで誰がマスターかはっきりわからない。他の村人と全く変わらないこの男たちがひとたび楽器を持つとたちまちあの伝説のマスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカに変身する。今でも音楽だけで生活する彼らにとって音楽は生活の一部であり、演奏することがとても自然なのだ。


リラが中心の昼間のセッションで踊るマスター。

 そんな感じでゆるくはじまる1曲30分近くの音楽は、10分を過ぎたころからじょじょに盛り上がりグルーヴが出てくる。これでもか! とあおるようにじょじょにリズムも早くなり、ダラブッカを打つ手が腫れるのではないかと聴いている方が心配になるほどリズムも激しく音も大きくなって、「アイワ! アイワ!」(そうだ、そうだ! いいぞ!)の掛け声が飛ぶ。そんな掛け合いのコミュニケーションの中でグルーヴが生まれるのだと感じる。マスターズや村のおじさんたちに手を引かれ一緒に踊ったりしている中、ある者は散歩に行ったり、ある者はおしゃべりしたり――。こうして、地元の甘いミントティーでまったりしながらとても自由で贅沢な1日がゆっくりと過ぎていくのだ。


会場のテントからリフ山脈を眺める。

 マスターズの妻たちが会場の裏手にある家で作る新鮮な地元野菜をふんだんに使った家庭的なモロッコ料理、タジン、クスクス、サラダ、スープなどどれも優しい味でとても美味しい。モロッコは6回目だが、やはり私にとってジャジューカでの食事が一番美味しい。朝食は各自宿泊先の家庭でいただき、昼食と夕食は会場でみんな一緒に食べる。しかし、妻たちは一切表に出てこない。女の子供たちまでも入ってこないのだ。そんなジャジューカの女性たちにも実は彼女たちの音楽があるのだが、フェスティヴァルでは聞くチャンスはない。


北アフリカの伝統料理のひとつ、クスクス。


地元野菜のサラダ。

[[SplitPage]]

 この時期の昼間は日差しが強く暑いジャジューカも夜になると涼しくなる。辺りもすっかり暗くなりテントに裸電球がいくつか灯る中、遅い夕食をとる。食事が終わり少ししてから夜0時頃、ブゥジュルード音楽の演奏のため準備がはじめられる。この音楽は、既述した木管楽器ライタとタイコのティベルのみというシンプルな楽器編成で演奏され歌はない。
 昼間は私服でいるマスターズは全員、この演奏のために一変して黄色のターバンを頭に巻き、カラフルなボンボンが付いた茶色の分厚い生地の正装ジュラバに着替え、向かって右側にティベル奏者が4人、その横から左側に7人のライタ奏者が、横一列に並んだオレンジ色のパイプ椅子に座る。
 演奏がはじまる前は期待でいつも緊張する。自分の目の前にあのザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカが勢ぞろいしているのだ! と、夢のような現実をもう一度自分に言い聞かせる。これからブゥジュルード伝説の音楽が目の前ではじまるのだ!   
 横一列に揃ったマスターズは数分間みなそれぞれライタで少し音を出した後、みんなの準備が整ったタイミングを見計らって、リードのライタ奏者がちょっとしたメロディでスタートの合図を出す。そのとたん、他の6本のライタと大小4台のティベルが続き、いきなり演奏がはじまる。そして、待ったなしの音のローラーコースターに乗った私たちはディープな世界へと連れていかれるのだ。
 ジャジューカをCDやレコードで聴くと、残念ながら何本ものライタ音は一本の大きな束になって平たくなってしまう。当たり前のことだが、ボリュームを上げればその束は大きくなりうるさくなる。しかし、生の演奏を目を閉じて聴くと、各ライタの直線的な音は一本一本きちんと分かれていて、それらがそれぞれ一直線状に額から飛び込んでそのまま脳をまっすぐ突き抜ける。今どこのライタの直線が脳を突き抜けたかがわかり、それはとても立体的で、耳で聴いているというより、他の感覚を使って音を捉えているとしか思えない。ライタ音は信じられないくらいにパワフルな音を出す。ところが、もの凄い大きさの音にもかかわらず、とても澄んでいて美しくまったくうるさくないのだ。
 循環呼吸で演奏するライタ奏者たちは向かって左にドローン、真ん中にメロディ、右にリードと三つのセクションに分かれ、ヒリヒリとした直線的なライタの高音が上をすべるように走る。その下を二台の小さいティベルが高速で回転するようなリズムを刻み、二台の大きいティベルが地に響く低音の力強いリズムでしっかりとテンポをキープしていく。そして、今度はティベルの真正面で目を閉じてみると、それぞれのタイコが生み出す複雑かつ立体的で跳ねるようなリズムがライタ音の前にググッと出る。ライタの前に立つかティベルの前に立つかで、また聞こえ方が変わる。


ライタを演奏するマスターズ。

 中央に座っているリードのライタ奏者が他のライタ奏者を目で伺いながら、次の曲に入る合図らしきメロディを出す。曲を移行させるのはティベルではなくリードのライタなのだ。リードのライタ奏者の合図に従い、他のライタ奏者たちが続く。それと同時にティベル奏者たちがリズムを変え、一瞬にして曲が変わる。曲は次の曲へとシームレスに変わり、一回のセッションに5〜6曲演奏される音のジャーニーはすべるようにノンストップで続いていく。
「現地で実際に体験しないとこの音楽の本当の凄さはわからないよなぁ......ガイシンやブライアンがハマったのがわかる......」なんて遠い思考の中でぼんやりと思うのだが、次々と押し寄せるライタの線の嵐にすぐにかき消されてしまう。そのうち、ライタのパワフルな音とティベルの原始的なリズムはさらにパワーを増し、私の思考を完全に破壊していく。私は目を閉じたまま意識の向こう側へ、意識を超えた感覚だけの世界へ深く入っていく。弾むようなティベルのリズムと待ったなしに次から次へとすべるように走り抜けるライタが織りなすグルーヴの中で、私の脳と身体は自由自在に音の世界を泳いでいく。


ライタを演奏するドローン・セクションのマスターズ。

 音のローラーコースターがどんどん奥に進んでいき、観客がうねるようなグルーヴにのみ込まれ興奮も最高潮に達しはじめたころ、急に電気が消え、テント前の芝の真ん中で火が燃え上がる。火は見る見るうちに真っ暗な空に向かって大きくなっていく。子供たちや村人たちも集まっている中、建物の横で隠れるようにみている村の女性たちの姿が炎で照らし出される。みんなが大きく燃え盛る焚火に釘づけになっていると、突然、黒いヤギの毛皮をまとい麦わら帽子をかぶった伝説のブゥジュルードがオリーブの枝を両手に持ち現れる。暗闇に立ちのぼる原始的な火をバックに、ブゥジュルードは狂乱したように踊る。オレンジ色の荒々しい炎に激しく揺れるブゥジュルードの黒いシルエットが重なる。


焚き火の前で踊るブゥジュルード。

 アイーシャに変装した3人の少年たちも現れ、腰を振りながら乱舞する。私たちも押し寄せるグルーヴの中に身をゆだね、踊る、踊る、踊る。音に操られるように全身が激しく動いていく。自分がどこの誰かなんて関係ない、今がいつなのかもどうでもいい。この音を全身に浴びて裸になった自由な精神があることだけで十分なのだ。


マスターズとブゥジュルード。

  最後の一音がバンッと大きく鳴り、音旅の終わりを告げる。パワフルな音の刺激とうねるグルーヴの大きな波にのみ込まれて、私は完全に圧倒されていた。大きな拍手が沸き起こる中で、私は「アズィーム ジッダン!」(とても素晴らしい!)と叫び、村人も何か叫びながらマスターズを称える。やがて拍手が止むと、辺りはいつもののどかな村の夜の顔に戻る。ぼわ~んとなった私の耳に人びとの話し声と虫の音がぼんやり聞こえてくる。夜露で湿った絨毯や自分の服の重たい感触に気づく。そして、腕時計をのぞいてみる。
 夜0時くらいにはじまった演奏が終わったのは夜中2時半過ぎだった。私たちは約2時間半の間、ノンストップでぶっ飛ばされ続けたのだった。息つく暇もないくらいに「もの凄かった!」としか言えないくらいもの凄かった......! としか言えない......。そして、マスターズの信じがたいタフさにもただただ感服するのだ。その凄すぎた世界からしばし出られずまだ余韻を引き摺って座っていると、あっという間に私服に着替えた私たちの宿泊先のマスター、ティベル奏者のムスタファが、テント前の芝から私たちを目で呼ぶ。そして、ついさっきまで2時間半休みなくティベルを叩き続けていた彼と一緒に真っ暗なオフロードを、彼の家までトボトボと15分くらい歩いて帰る。そして、寝るのは毎晩夜中の3時過ぎ。この生活が3日続く。

 繁栄や豊穣のための祭りや儀式で演奏されてきたこの音楽は、ブゥジュルードを踊らせる、つまり生粋のダンス・ミュージックであり、ダンス・ミュージックの源泉、そして、本物のトランス・ミュージックなのだと感じる。この音楽は耳で「聴く」のではなく、全身で「体験」する音楽なのだ。
 ふだん私は淋しいような切ないようなメロディを持つ曲を聴くとネガティヴな思い出とくっ付いて悲しい気持ちになることがある。私はメロディに自分の感情をコントロールされるのがあまり好きではない。記憶という時間軸に縛られているようで鬱陶しく、感情にわざとらしく訴えかけてくるようなおせっかいなメロディの音楽に心地良さをあまり感じない。
 しかし、ブゥジュルードの音楽は、感情に訴えかけてくるようなメロディを持っていない。この音楽は、「感情」の向こう側の時間軸を外れた「今」だけが連続する精神にダイレクトに届くような気がするのだ。だからこそ、この音楽は私の精神を自由にさせ、精神が自由になるからとても気持ちいいのかもしれない。そして、時間軸に縛られていないからこそ、この音楽は千年以上経った今でも常に新しく、どこの時代で切り取っても、ジャジューカの音楽は永遠に「今」の音楽なのだ。

 現在この村で音楽を守り続けているのは、ブライアンが村に来た時まだ11歳だったリーダーのアハメッド・エル・アター率いる最大で19人、普段は10〜12人のミュージシャンたちである。その他にもミュージシャンになるだろうと思われる10代半ばの少年が何人かいて、また、20代の少年たちも地域にいるが、マスターズの基準に達するにはまだまだ時間がかかるようだ。
 大きなセレモニーでは大きなグループで演奏し、比較的小さなセレモニーでは4~5人が2~3のグループに分かれ交代で演奏することも可能で、地元の生活のすべての宗教的な機会、大きな地域では、割礼、結婚式などのセレモニー、地元の公式なセレモニー、そして、ロイヤル・セレモニーで演奏する。
 昔ジャジューカのマスターたちはある王朝のスルターン(君主)に音楽を気に入られ、長い間に渡り援助を受けながら専属の音楽家として、セレモニーや軍の一部として戦場へ行き演奏していたこともあった。しかし1912年、モロッコがヨーロッパ列強の保護領になりスルターンからの援助が打ち切られた。
 過去には65人いたこともあったというザ・マスター・ミュージシャン・オブ・ジャジューカは、村がスペイン領だったときに兵士としてスペインへ内戦及び第二次世界大戦に連れて行かれた者たち、モロッコの近代化に伴い村を出て行った者たちなど......その他、時代のいろいろな困難を乗り越えて生き残ってきた。
 世界が目まぐるしく変化していく中で、伝統を継続させることはとても難しい。ここモロッコのジャジューカも例外ではない。
 マスターになるのは職人のようなシステムで、マスターたちについて訓練して訓練して、その後ティベル奏者なら半ドラマーになって、ライタ奏者なら半ライタ奏者になって、パンを取りに行ったり店に飲み物を買いに行ったりと、日々のマスターズのタスクをこなしながら一人前になっていく。そして、まず何よりも第一に音楽のために全てを犠牲にできるほどジャジューカの音楽を十分に愛していなければならない。しかし、全員が最終的にマスターになれるわけではない。マスターズの一員になるには、彼らに受け入れられ永遠に行動をともにし、仲間として仲良くやらなければならない。この音楽は集合体として連結しながら演奏されることからもわかるように、彼らは仲間同士の信頼と強い絆が必要なのだ。
 マスターになるのは決して強制ではない。だからこそ、子供たちや若者たちがジャジューカの音楽に魅力を感じ、この音楽の素晴らしさを理解し、そして、「マスターになりたい」と自発的に思うことが大切だ。そのために、マスターズは子供たちや若者たちが尊敬し憧れる存在であること、また音楽家として音楽で生活ができることを示し、伝統を継続させる大切さを自らみせることが必要なのだ。そうでなければ、若者たちは村を出てタンジェの工場に働きに行ってしまうだろう。しかし、フェスティヴァルでリズムに乗って激しく楽しそうに踊る子供たちをみると、この子たちの身体の中には確実にジャジューカの音楽の血が流れていることがわかる。どうかこの子供たちが大きくなったらマスターズになってジャジューカの伝統を担って欲しい、そして、どうかこの素晴らしい音楽が絶えることなくいつまでも続いて欲しいと切実に願う。

 2011年には、ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカはイギリスの野外音楽フェスティヴァル「グラストンベリー・フェスティヴァル」に出演。メインステージであるピラミッド・ステージにてオープニングを飾った。演奏していることが日常で自然な彼らはステージ以外の場所でも何度も演奏していた。それを聴きつけたクスリでぶっ飛んだ連中がマスターズの周りに集まってくる。そして、エレクトロニックのダンス・ミュージックで踊るように、この古代からのダンス・ミュージックで踊るのだった。

 今年6月初旬には、イギリスのDJ・エロル・アルカンも出演したイタリア・ローマのVilla Mediciで開催された「Villa Aperta 2013 IV edition」に招かれ、ダンス・ミュージックのオーディエンスからも喝采を浴びた。

 そして、今年2月6日DOMMUNEで配信された「21世紀中東音楽TV2 ジャジューカNOW!!」でサラーム海上氏と一緒に、今まで日本では詳しく明かされていなかったジャジューカについて語り、トークの最後に2012年のフェスティヴァルで録音してきたブゥジュルードの音源をスタジオの電気を消し暗闇から放送。視聴者は延べ2万5千人を超えた。

 現在のザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカはジャジューカの伝統的な音楽スタイルを忠実に守りながらも、ダンス・ミュージックという入り口から新しいオーディエンスを魅了し始めているようだ。ビート・ジェネレーションやブライアンとの出会いがそうだったように、ジャジューカにとってまた新しい何かがはじまろうとしているのかもしれない。

 精神の音楽を演奏し続ける素朴なマスターズに心打たれ、その純粋な音に自分の魂をすっかり裸にされた。私の音楽観や人生観までも変えてしまったジャジューカに、私は来年もまた行く。

赤塚りえ子

ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ公式サイト
https://www.joujouka.org/

ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ・フェスティバル 2014
日程:2014年6月20日~22日
フェスティヴァルの申し込みはこちらから
https://www.joujouka.org/the-festival/more-about-the-festival-and-booking/

ディスコグラフィー
『Joujouka Black Eyes』(1995年/Sub Rosa)

Amazon iTunes

『Boujeloud』(2006年/Sub Rosa)

Amazon iTunes

Gnawa Diffusion - ele-king

 日出ずる国から、"日の没するところ(マグレブ)"に想いを馳せてみる。最果ての地に抱く異国趣味じゃなくて、ただ、地球がそれほどデカくない球体だってことを確認するために。このフランスのバンドがアラビア語で歌う〈アラブの春〉賛歌を東京で流し、それが、スギ花粉やら何やらよからぬものが舞うこの大気にフィットする快感の中に、それを確認するのだ。目を閉じれば、瞼の裏で火器の咆哮が轟き、抵抗の怒号が聞こえる。巻き上がるつちけむりの中に、催涙ガスと発煙筒とキフ(ハシシ)の匂いがする。
 実際に起きていることは違っても、球体の表面は繋がっている。グローバリゼイション。強きを助け、弱きをくじく同じ悪事もまた、この球体を覆い尽くしている──福島を、霞が関/永田町を、高江/辺野古を、ワシントン、ウォール街を、パリを、アルジェ、チュニス、中東を......。
 冴えない日常を忘れるために聴く音楽があるように、目の前の問題から目をそらさないために聴く音楽もある。それが地球の裏側から届き、そこから学び、それで踊ったり、繋がったりする。

 奴らは言う:働け、黙って身の程をわきまえろ
 身の程を知って、水を飲め
 しかし、何も望むな、文句を言うな
 やつらは僕たちを盲目にしたいのだ
 僕たちを怖がらせて、骨抜きにして
 ぼけて何も分からない麻痺状態にしてしまいたいのだ
(錆びた鋼鉄)

 ブラック・アフリカの土着ビートが、売られた黒人奴隷たちを媒介に、北アフリカにおいてイスラム神秘主義との関わりの中で独自のトランス・ミュージックに発展したグナワ。UKインディアンのタルヴィン・シンが、そのオリエンタルな血の共鳴からモロッコのスーフィー(イスラム神秘主義)音楽であるジャジューカを"エレクトロナイズ"したアプローチが既に古典化しているように、低音のフレットレス3弦楽器ゲンブリ(シンティール)と鉄アレイ型の金属製カスタネット:カルカバのコンビネイションによるミニマルな反復ビートを基底とするグナワもまた、トライバル/グローカル・ビートを取り入れた新種のトランス・ミュージックに目がない人には知られたジャンルになった。
 しかしグナワ・ディフュージョンは、その"グナワ"という言葉と演奏形態を、"イスラム神秘主義的音楽療法"としてではなく、明らかに自由と抵抗のシンボルとして掲げている。フロントマン:アマジーグ・カテブの父=アルジェリアの著名な作家カテブ・ヤシーヌは、絶対自由主義や絶対平等主義を(イスラム教国にあって特に男女同権を)公然と主張して国外追放となった。息子アマジーグは16歳で父の亡命先フランスのグルノーブルに渡り、その地でグナワ・ディフュージョンを結成するが、すなわちサハラ以南からマグレブへ拉致された黒人奴隷の抵抗、そしてアルジェリアからフランスへ逃れたエグザイルの抵抗という二重の抵抗を"グナワ"にシンボライズさせ、世界中の抵抗の民に向けて拡散(ディフュージョン)するのである。

 ビートを強調するグナワと並んでもうひとつ、特に"歌もの"曲において彼らの表現様式の核となるのがアルジェリア・スタイルのシャービ。フランスのコロニアリズムの抑圧からアルジェリア人の精神を解放するために生まれた、言うなれば世俗歌謡だ。同国独立後のシャービでは、国外追放された/亡命した異郷生活者の悲哀が歌われることも多く、その意味でシャービもまた、虐げられ、追われる者の文化だ。

 グナワ・ディフュージョンのサウンドで、それらとほぼ同等に主張されるのがレゲエ(もまた、ジャマイカに拉致された黒人奴隷の歴史に立脚している)。そして、そもそも"グナワ"という言葉が語源学的に(有史来最大の人権犯罪の被害者であるところの)"アフリカ黒人"を意味していて、黒人グループではないこのバンドのロゴの"GNAWA"の中央には、国家という枠組みや民族主義的な考え方を否定するアナキズムのシンボル"サークルA"が置かれている。これが彼らのボーダーレスな視点を何よりもシンボライズしているわけだ──これは地球規模の暴力的なトップダウン体制に対峙する、人種国籍を問わないボトムアップの抗議のグルーヴなんだと。日本でもその存在が知られるようになって久しいグナワ・ディフュージョンだが、北アフリカ・オリジンの民族音楽の系統として認識されるばかりで、そのコスモポリタニズム性から捉えられることはこれまで少なかったように思う。

 再結成を経て放たれた10年ぶりのスタジオ録音は、その聴き方を発見するのに適した、あらゆる音楽ファンの耳に開かれた間口の広い傑作だ。個人的にこれまで若干の軽佻さと違和感を感じてきたダンスホール・レゲエ(ラガ)の手法もこなれ、効果的に馴染んでいる。さらにはロックにファンクに、ジャジーな和音もスクラッチングもダブも一体化する洗練されたミクスチャー・サウンドは、雑多なファクターの寄せ集めをイメージさせるその名称よりも、徹底的に世界主義的なプロテスト・スピリットの具象としての"コスモ・ロック"とでも呼んだ方がしっくりくる。ひとつの完成された表現形態として、いよいよ強靭なのだ。

 アルバムの全貌が明らかになった時点でフランスで最も話題を呼んだのが、1950年代から移民、女性、貧困層や若者といった社会的弱者の代弁者であったアナキスト、反逆のSSWで、フランスの国民的歌手として今も愛され続けるジョルジュ・ブラッサンスの代表曲のひとつ、「オーヴェルニュ人に捧げる歌」のシャービ・カヴァーだった。フランスの典型的田舎の善良な人たちをテーマにした曲が、こぶし回りまくりのアルジェリアン・アクセントで歌われる。このカヴァー行為自体で、政治的な境界(ボーダー)の意味を考えさせてしまう。まさに天国のブラッサンスは、わが意を得たり、と膝を打っているに違いない。

 "時代の棘(Shock El Hal)"とは、すなわち世界を蝕む弱肉強食グローバリゼイション・システムの棘。サボテンは、棘を持ってそれに抵抗する市民。そしてそのそれぞれの"葉"は、世界の各大陸のようにも見える。
 さらに言えば、"shock"はアラビア語の"棘"の発音をアルファベットに転写したものだが、それは〈アラブの春〉〈オキュパイ・ウォール・ストリート〉以降の革命の与える衝撃(ショック)も示唆する。このジャケットだけでこれだけ雄弁なのだが、その中身もまったく期待を裏切らなかった。この豊潤な最新型プロテスト・アルバムを味わい尽くすには、解説と歌詞対訳が充実した日本盤が絶対いい。



Kaoru Inoue - ele-king

 いまから130年前、ドビュッシーがパリの万博で聴いたガムランに触発されたという話は有名だが、そのとき音は、聴覚が享受する外部からの情報として機能している。宮沢賢治が風の音を聴くように、音には音のみが伝えうる情報がある。ゆえにURは北米のネイティヴの独特な音節をテクノに注ぎ、フライング・ロータスはサンパウロに思慕を寄せる。サン・アロウはまだ見ぬアフリカへの憧憬をダブ・ミキシングに込める。ブライアン・ジョーンズのジャジューカのエディット、シャックルトンの熱帯雨林の幻影、T++のアフリカの記憶......、20世紀の半ばまでの世界旅行者のほとんどが軍人か大商人だったことを思えば、我々の想像力には先人たちよりもずっと外在する音に関するニュアンスを知るようになった。もし耳を澄ましているのなら、より柔軟で寛容になっているはずである。

 井上薫は、すでに年季の入ったDJでありプロデューサーだが、たまたま日本で暮らしている旅行者のようである。90年代末、彼がチャリ・チャリ名義でデビューしたとき、彼は自身の民族音楽趣味をハウス・ミュージックのなかに注いだ。東南アジア圏内の民族楽器は代用のきかない音色を持っている。耳を澄ます人にはその響きを感じることができる。その気がない人には気にもとまらない。風の音のように。
 DJがワールド・ミュージック的なアプローチするとき、たとえばカリブに気が向いたときなどは、リズムの特性や楽器編成を取り入れたくなるかもしれない。現地の演奏家を招いたり、やり方を学んだり。井上薫の場合、音の構造はハウス・ミュージックのそれにほぼ統一されている。とくにDJとして精力的に活動をしてからは、ハウスのスタイルにこだわりを見せている。彼が聴いてもらいたいのは異国情緒ではない。外部に存在する「音」なのだ。

 『ア・ミッシング・ミス』は風の音のようなドローンからはじまる。そして空間的な音響を広げつつ、2曲目のミニマルな展開へと繋がる。このあたりのアンビエントなテイストは井上薫のもっとも得意とするところで、シャックルトンのサイケデリックな熱帯夜(今回のアートワークがまさにそんな感じ)を柔らかく変換したようである。
 2年の歳月をかけたというこのアルバムは、すべての曲が繋がっている。ハウスのリズムはさりげなくミックスされ、そしてじょじょにテンポを上げていく。アップリフティングな、昔ながらのDJ物語だが、ある種の前向きを表現したかったのだろう。曲のところどころからは緻密な録音(音の配置)を通して、例によって彼の民族音楽趣味が聴こえる。"サヴェージ"のような曲では複雑なリズムに催眠的だが耳障りの良い旋律もミックスして、バレアリックなフィーリングを引き出す。"スターゲイザー"では彼らしくロマンティックな、そしてコズミックなファンクも見せる。ムーチーの異文化混合とも似た感覚を思うファンもいるかもしれない。
 いずれにしても、井上薫は幻覚的なグルーヴを悪用することなく、礼儀正しいダンス・アルバムを作った。ダンスがなくても良いアルバムになったかもしれない。いずれにしても、耳が痛くならないからご安心を。

Your Favorite Summer Song - ele-king

 「夏が来た、路上で踊るには良い季節」......こう歌ったのは1960年代のマーサ&ザ・ヴァンデラスでした。彼女たちがデトロイト市内のホールでこの曲を歌っているときに、町では暴動が起きていたという話は有名です。
 さて、梅雨が明けて、夏到来です。スタンダード・ナンバーの"サマータイム"にたくさんの名カヴァーがあるように(ジャニス・ジョップリン、ニーナ・シモン、ブッカー・T&ザ・MG'S、サム・クック......)、この世界には夏をテーマにした名曲がたくさんあります。ビーチ・ボーイズは夏だらけだし、マーサ&ザ・ヴァンデラスには他にも"ヒートウェイヴ"があります、エレクトロニカ/IDMには『エンドレス・サマー』があるし、ハウス・ミュージックにもベースメント・ジャックスの「サマー・デイズEP」があり、チルウェイヴにはウォッシュト・アウトの「ライフ・オブ・レイジャー」があります。あるいはドナ・サマーやメキシカン・サマー......芸名やレーベル名が"夏"であるケースもあります。
 
 夏の音楽は多くの場合ロマンティックですが、セックス・ピストルズの"ホリデー・イン・ザ・サン"を聴いたら怒りがこみ上がってきて、ザ・ドアーズの"サマーズ・オールモスト・ゴーン"を聴いたら夏が終わってしまった気持ちになるかもしれません。そしてジミ・ヘンドリクスの"ロング・ホット・サマー・ナイト"を聴けば、あたり一面は燃え上がるでしょう。
 MFSBの『サマータイム』のアートワークに使われている写真も素敵ですね。熱波で焼けた路上でひとりの女性が水浴びしている姿にグッと来ます。
 日本の音楽にも多くの夏の曲があります。曽我部恵一"Summer '71"、フィッシュマンズの"夏の思い出"や"Sunny Blue"......RCサクセションなどはホントに多くの夏の曲を作っています。
 
 以下のチャートを見て、自分の「Favorite Summer Song」が入ってないじゃないかという方は、コメント欄に書いてください!


1
Martha And The Vandellas - Dancing In The Street

2
Miles Davis - Summertime

3
Jimi Hendrix - Long Hot Summer Night

4
Fennesz - Endless Summer

5
Sex Pistols - Holiday in the Sun

6
The Associates- Fire To Ice

7
The Ramones - Rockaway Beach

8
RCサクセション - 海辺のワインディイングロード

9
Alice Cooper - School's Out

10
The Beatles - Mr. Moonlight

11
RCサクセション - 楽しい夕に

12
Eddie Cochrane - Summertime Blues

13
The Style Council - Long Hot Summer

14
Best Coast - Summer Mood

15
The Doors - Summer's Almost Gone

16
Sly And The Family Stone - Hot Fun In The Summertime

17
The Drums - Saddest Summer

18
Pub - Summer Pt 1

19
MFSB - Summertime

20
The Beach Boys - All Summer Long

21
RC サクセション - サマータイムブルース

22
Girls - Summertime

23
Yo La Tengo - Beach Party Tonight

24
Bruce Springsteen - Backstreets

25
Pink Floyd -Summer '68

沢井陽子

The Beach Boys - Endless Summer

サマーソングといえば、いまのタイミング的にも真っ先にビーチ・ボーイズ。イメージが先行しているのですが、こちらは、1966年前のヒットソングのコレクションで、初心者も十分楽しめる内容。ロスアンジェルスにいた頃、ジョニー・ロケットというレトロなハンバーガー・チェーン店に行って、ハンバーガーとフライズを食べながら、ジューク・ボックスに"サーフィンU.S.A."を入れて、パーフェクトな夏を満喫した思い出があるので、曲も素敵だが、そのときのイメージも多々影響。楽しい出来事ばかりでなく"イン・マイ・ルーム"で、もの悲しい夏の残骸を胸に抱え、自分の心の中にグッとしまっても、最後に"グッド・ヴァイブレーション"が流れると、ドラマチックな夏物語を「まあ、いいか」とまるく収めてくれる。全体が、夏のさまざまなシチュエーションに当てはまり、イメージが膨らむが、サマーソングって、結局それが楽しいのです。

DJ Yogurt(Upset Rec)

RCサクセション - サマータイム・ブルース

"サマー・マッドネス"、"サマー・イン・ザ・シティー"、"サマー・ミーンズ・ファン"、etc...
いろいろな曲が頭に浮かんだけど、2012年の日本の夏にハマっているのは、エディ・コクラン作の名曲に、いまは亡き清志郎が日本語の歌詞をのせた"サマータイム・ブルース"ではないかと。「電力は余ってる、いらねー、欲しくねーー」。

大久保潤 aka junne(メディア総合研究所/大甲子園/Filth)

SxOxB - "レッツ・ゴー・ビーチ"("ドント・ビー・スウィンドル")

ハードコア・パンクはナパーム・デスなどにより"速さ"という点において90年前後にネクスト・ステージに進み、90年代半ばにはファストコアとかパワー・バイオレンスとか呼ばれる激速なバンド群がシーンを席巻した(あの頃はそういうバンドの7インチが毎週のようにリリースされて本当に楽しかったなー)わけだが、そのルーツのひとつが初期S.O.Bである。大阪ハードコア・シーンから現れた彼らは「世界最速」と謳われ、日本にとどまらず世界のハードコアに多大な影響を与えた。
そんな彼らの初期の代表曲のひとつが"Let's Go Beach"で、歌詞はただ「Hot Summe soon comes again.
Let's Go Beach. Let's Go Surfin」だけ。ハードコア・パンクとサーフィンという組み合わせ(当時はまだ日本ではハードコアとスケートの関係もあまり一般的じゃなかったはず)、そしてファスト・パートから後半はキャッチーなシンガロング(♪レッツゴサマービ~~~チ!)に移行するポップなセンスもおそらく当時は斬新だったろうし影響力もデカかったんじゃないかな。ポップに始まって一転して激速! みたいなのって90年代には(たぶん今も)本当にたくさんありましたからね。
この曲と、ハノイ・ロックスの"Malibu Beach Nightmare"とラモーンズの"ロッカウェイ・ビーチ"を「新・三大ビーチソング」とさせていただきます!(全然新しくないけど)

DJ Hakka-K (Luv&Dub Paradise)

Baiser - Summer Breeze

夏といえばレゲエやその他大好きな曲はたくさんあるのですが、僕がいちばん最初に影響を受けたDJ Soneが夏になると必ずかけてたのが、83年に発表されたこの曲。いまでも夏になるとレコード・バッグに入れておく想い出がたくさん詰まったDISCOの隠れた名曲です。

[[SplitPage]]

山田蓉子

ピーナッツ - 恋のバカンス

言わずと知れた昭和歌謡の大名曲。中学生の頃からカラオケで必ず歌っているのだが、気持ちよくハモりながらひたすら「そっかーバカンスってのは、金色にかがやく熱い砂の上で裸で恋をするのねー。素敵」と思い続けてきた。全国民が一年中バカンスのことばっかり考えて暮らしているフランスで生活するようになったのも、そんな刷り込みのせいなのだろうか。でもまだ金色にかがやく熱い砂の上で裸で恋なんかしたことない。バカンスのために生き続ければいつかできるんだろうか...。
合掌。

why sheep?

私見ですが、夏は24,25と2日で勝負のクリスマスと違って日本人にも長丁場ですので、一曲に絞るのはむずかしいのです。

というわけで、アルバム単位で失礼します。これは、僕のサマー・ソングのオールタイム・フェイバリットで、オールタイムというからには理由があって、日本がどの季節であっても、暑くてビーチのあるところになら、僕が必ず持っていくアルバムだからでもあります。実家のある茅ヶ崎に帰郷する際はどんな季節であっても必ずです。

ちなみにわたくし、渋谷区神宮前生まれ、現住所湘南というプレミアムな、昔なら免許証だけでナンパできると言わましたがそれは昔の話で、もし免許証に写真を載せなくて良かったら、人生は今とずいぶん違ったことでしょう。さて、

閑話休題、

神奈川県茅ケ崎市の出身であればだれもが知ってることですが、
茅ヶ崎市民=サザン・オールスターズ・ファン
というのが公理となります。
茅ヶ崎市民≒サザン・オールスターズ・ファン
は許されませんし、
茅ヶ崎市民なのに≠サザンオールスターズ・ファン
はばれたらその場で公開処刑されます。

しかし、どんなところにも反逆者はいるもので、江戸時代の隠れキリシタンのように
そんな中でサザンを崇拝しなかったのがこの私です。もちろんサザンの曲も大好きですが、神宮前の生まれの私にはあまりにも野暮ったすぎました。

長くなるとあれなので順不同ということで三枚選ばせていただきますと、

Boz scaggs - Down To Then Left

もちろんbozの名盤といえばsilk degreesですし、一枚後のmiddle manは東海岸AORあげての名盤ですが、その中庸にあるこのアルバムなぜか期待されていたほどに売れませんでした。だからこそぜひ聴いてみてください。超ゴールド・ディスクのsilk・degreesの直後になんでこんなアルバム作ったのかと俄ファンは首をかしげたかもしれまえんが、ルーツと言えばパンクと忌野氏の話しかしない三田格が即座にこのアルバムの名前を言えるということだけお伝えすれば、ele king読者は気持ちは動くことでしょう。三田さんが好きかどうかは知りませんが。

Bobby Caldwell - Carry On

アルバムのすべての曲が珠玉としか言いようががありません!
邦題は原題とまったく関係ない「センチメンタル・シーサイド」と付けられてましたが、その心は当たらずとも遠からず。。
1980年代、日本のサマーリゾートの代表である湘南は傍目はアメリカ西海岸、(実情はサザン=茅ヶ崎駅南口)だったのですが、桑田圭祐もその音楽的ホームグラウンドであるという茅ヶ崎の現存するレコード屋さん「CHIYAMA」(桑田さんが青学に通ってる頃厨房の私が通っていた)につつましげに張ってあったポスターが忘れられません。
「マイアミの蒼い風」
そこにはそう書いてありました。
当時の日本の理想とするカリフォルニアでもなく、はたまた湘南の実情ださいヤンキー文化でもない、架空のビーチがあった!そこはマイアミ(本当のマイアミは行ったことないので知りません。。)
あぁ...哀れなるかなbobby caldwell。3枚目にして自身のもてるすべてを注ぎ込んだ、そして当時のレコード会社も起死回生を図って宣伝したこのアルバム、期待ほど売れませんでした。当然です。日本人はカリフォルニアしか頭になかったのですから。

長々と前節書きましたが、この感傷性の至高とも言えるアルバム。アラサー独身男子の方ならきっと理解してもらえることでしょう。はまっちゃったら一生結婚できないこと請け合いです。

さて最後、

J.D.Souther - You're Only Lonely

あぁ、このメロディーにこの歌詞に極め付けのこの声。同胞のイーグルスのほうが100倍有名ですが、彼はイーグルスの第五(第六だったかな?)のメンバーと言われるほどイーグルスに貢献したソロ・シンガー・ソングライターです。(名曲"New Kid In Town"は彼の曲)
一聴したら単なるアメリカの野暮ったいカントリー&ウエスタンの歌手と間違える人もいるかもしれませんが、よく聴いてくださいこの声。
現代音楽の大家メシアンは音を色に例え、詩人ランボーは言葉を色に例えたそうですが、わたしに言わせればJ.Dの声は「いぶし銀の声」と呼んでいます。
それをもっとも感じるのはこの前のアルバムの『Black Rose』収録の"Silver Blue"ですが、夏の間聴くべきはこのアルバムです。
とくに一押しは彼の出世曲の"You're Only Lonely"ではなく!!!!"If You Don't Want My Love"、このモラトリアムから抜け切れないガキっぽい歌詞が胸をえぐります。しかしなんといっても必聴すべきは、彼の声もさることながらハモンド・オルガンB3の旋律というかその音色!!!
はっきり言って"Let It Be"のBilly Prestonを軽やかに凌駕しています。その名はJai Winding。ちょっと調べた限りでは往時の人気スタジオ・ミュージシャンということですが、実際のところよくわかりません。"My Funny Valentine"のときのJimmy.Smithぐらい良い!!!知ってる人いたら情報求む!!!

それでもどうしてもと野田努に一曲選べと言われたらこの曲、

佐野元春
Heartbeat』収録 "Interlude"~"Heartbeat"
↑ここには私の少年ゆえの切ない恋愛体験がすべて詰まっております。くれぐれも("Interlude"から聴いてください)

他にも山下達郎の"Big Wave"(口が裂けても『Beach Boys』の"Pet Sounds"とか言いたくない)とかあるんだけど、この企画が来年も続いたらその時にでも。

おやすみなさい。みなさん家のエアコン止めてビーチでセンチメンタル・シーサイドしようぜ!

summer, 2012
why sheep?

[[SplitPage]]

三田格(e-Busters...)

Wham! - Club Tropicana

なんてな

竹内正太郎

□□□ - 渚のシンデレラ

夏、夏か、、、。この、永遠に思わせぶりで無責任な季節は、これからもギリギリのところで前向きな予感たりえてくれるのだろうか? いや、しかしこうも明らかな異常気象が続き、つい先日も日本国内の最高気温都市の上位三位を独占したような場所に住んでいる身としては、サマー・ソングを悠長にセレクトするにも体力を使って仕方がない。しかし橋元優歩に催促され、限られた時間内に直感で選ぶとしたら、("真夏のラストチューン"も捨てがたいが)やはりこの曲になるだろう。クチロロがバンド編成時代に残したきらきらのクラシック。超多層構造のトラックをハイパーなまでに軽く聴かせるその手さばきは、今なお並々ならぬセンスを見せつけている。それはもう、嫌らしいほどに。ヴォーカル/大木美佐子の安定しない高音域もいい。夏は楽しく充実しているべきか? この疑問自体、広告業的な価値観に刷り込まれたちゃちな不安でしかないわけだが、優れたサマー・ポップは何度だってその空虚さを上塗りする。とても鮮やかに。パルコの広告にほだされ、私は今年も嫌々と海に出掛けるのだろう。一年に一度くらい、まったく見当違いの恋をしてみるのもいいものだ。それがどれほど軽薄なものであっても。「ここから物語は続く/忘れたものもあの角を曲がればきっと思い出すさ」!!

松村正人

XTC - Summer's Cauldron

私は夏が大好きなので、好きな曲はビーチの砂の数ほどありますが、そのなかでもこの曲は、陽がのぼるとすぐにうだるようで、退屈で、楽しくないので、どこかに逃げたいがまわりは海ばかりで、しょうがないと諦めつつ、それもそう悪くないかと思いはじめたころ、暑気がひけて、虫や鳥の声が際だちはじめた、島に住んでいたころの夏の日の宵の記憶をくすぐるようでとても甘美だ。

水越真紀

戸川純 - 隣りの印度人(玉姫様)

21世紀の日本の夏、80年代に比べて湿度は低くなった。絶対なったと思うのだ。数年前、そのことを示すグラフをネットで見つけたのだけど、二度と出会えないでいる。
ともあれ、目の前の暑さをどうにかして「涼しぃ?」と断言する、言いくるめる、歌い上げる姿勢に私は共感するのである。ポストモダンな感じがする。人間の知恵、つー感じだ。しかし、現実逃避の知恵ばかり身につけてしまうのもどうかとも思う。
私は冷房を使っていない。本当に暑いには空気がゆらゆら揺れているのが見える。汗が吹き出しては乾いて皮膚を冷やす。
去年の夏は2時間置きに猫を冷やす保冷剤を取り替えていた。濡れたタオルで拭いてやり、耳を氷で冷やしたりした。今年こそ冷房を入れてやらねばと思っていたが、それを待たずに彼女は逝った。今年、冷房を入れる理由はなにひとつなくなった。

橋元優歩(e-Busters...)

Animal Collective - Fireworks
Photodisco - 盆踊り

わたしも夏が大好きです。黄色といったときに山吹からレモンとかまでいろいろあるように、夏というのもいろいろあって、お盆とかかなり好きです。"Fireworks"は詞に夏が明示されているわけではないのですが、わたしには幻想的なお盆メンタル・ソングとしか考えられません。海外にお盆はないでしょうが。

木津毅

R.E.M. - Nightswimming

 昔から自分が惹かれてきたのは、夏の盛りよりも夏の終わりの歌でした。それは青春そのものよりも終わっていく若さ、すなわち中年に惹かれるのと似ている......かもしれません。真夏を謳歌するのと同じくらい、夏を無駄にした......という感覚をポップ・ソングは拾ってきたようにも思えます。
 R.E.M.のこのナンバーは彼らの代表曲のひとつで、もう去ってしまった誰かのことを思いながら、晩夏の夜にひとりで月に焦がれながらプールで泳いでいるという、「夏を無駄にした」度では抜きん出た名曲です。リリカルな風景描写はマイケル・スタイプの詩人としての才能を見せつけ、それ以上にこのポップ・ソングに美しいフォルムを与えています。「君のことを、僕は知っていると思っていた」......悲しすぎますが、それがとても穏やかに歌われることで、夏の終わりの感傷が許されるようでもあります。「9月がじきにやって来る」......。

國枝志郎

Chapterhouse - Summer Chill

俺と言えばシューゲイザー、シューゲイザーと言えば俺(反論上等)なんで。チャプターハウスが1stアルバム『Whirlpool』と2nd『Blood Music』の間に発表した神シングル「Mesmerise」(俺的にはスロウダイヴのシングル「5 ep」と並ぶ究極ロッキン・チルアウト)収録の1曲。2ndアルバムにはもうひとつサマーネタで「Summer's Gone」というナンバーもあるけどやっぱりこっちでしょう。タイトルも最高!!!!!!!!!! あーチルりたい。

Photodisco

H Jungle with t - GOING GOING HOME


夏といえば、やっぱりこの曲ですね。お盆に帰省した際、実家でビールを飲みながら聴きこうと思います。

オノマトペ大臣(Maltine Record/TJNY)

Phillis Dyllon - Nice Time

夏になるたびに学生時代を思い出します。

白い太陽、青い海、赤く日焼けしたあの子の細い腕
楽しいはずなのに何故だか寂しい、いつか終わってしまう刹那的な煌めく青春の夏。。。

どこかの誰かが過ごしているそんな極彩色の夏を尻目に、マジで永遠に続くんじゃないかと思うような怠惰な余暇を、クーラーガンガンの部屋でカーテンを閉め切り、ゴローンと横になって手に持った黒い文字の羅列を追うことでやり過ごしていたしょっぱい夏。
ベッド横に置かれたローテーブル上に、氷が沢山入った透明なグラスが置かれ、カナダドライのジンジャーエールがパチパチとはじけると、西宮の六畳間にも、にわかに夏の気配が漂います。
近所の外資系CDショップで買ってきた3枚組3000円ちょっとのTrojanのCalypso Box Setをミニコンポにセットすると、いよいよ目の前に常夏のトリニダードトバゴが広がるのでした。
内容の薄っぺらい新書を読み進め、40ページぐらい行ったところでPhillis Dyllonの歌声が響き渡ると、心は完全に夏の夢の中。
新書をベランダから捨て去って、背中の羽をパタパタとして舞い上がり、ヤシの木の上の方に座り心地よく揺られたものでした。

それから4年が過ぎた、2012年の夏。
永遠に続きそうだった怠惰な夏は、心のアルバムの中で色褪せるどころか、それなりに輝いて見えます。

今年の夏はどのように過ごそうか、とりあえずPhillis Dyllonを聞いて、西宮のトリニダードトバゴで考えようと思っております。

(最近サンクラに上がってたCoconuts Beat Clubによるmoombahton editもすごく好きです。https://soundcloud.com/coconuts-beat-club/nice-time-coconuts-beat-club )

赤塚りえ子

Brian Jones Presents the Pipes of Pan at Joujouka

44年前の7月29日、ブライアン・ジョーンズは真夏のジャジューカ(モロッコ)に行きMaster Musicians of Joujoukaの演奏を現地で録音した。
彼の死の二年後にリリースされたこのアルバムでは、ブライアン・ジョーンズというフィルターを通したジャジューカを体験できる。
今年6月、ついにそのMaster Musicians of Joujoukaの生演奏を現地で体験してきた。
全身にものすごいグルーヴ浴びて、何本もの生ガイタ音が立体的に脳を直撃、そのまままっすぐに脳ミソを突き抜けた。
ブライアン・ジョーンズがなぜジャジューカにハマったのか?一瞬にして体でわかった。
来年の夏もまたジャジューカで、4000年のダンスミュージックで踊りまくってくるゼィ!

Yuji Oda (The Beauty/Cuz Me Pain)

No Joy - Negaverse

カナダの男女3人組バンドNo Joyが送り出す12インチシングル。
全てが正しいと思わせるオルタナギターと儚いボーカルが夏の荒野を駆け抜け交差する疾走シューゲイズ。
2012年の夏はこれ。

YYOKKE (White Wear/Jesse Ruins/Cuz Me Pain)

Junei - You Must Go On

夏はこんな涼しげな曲を何も考えずにずっと聴いていたいです。

Nobuyuki Sakuma (Jesse Ruins/Cuz Me Pain)

Prurient - There Are Still Secrets

夏に熱いものを食べる的な感じで暑苦しい曲も聴きたくなります。

寺尾紗穂

サニーデイ・サービス -"海岸行き"
saigenji - El Sur

夏の終わりを歌う以下の二曲が好きですが、youtubeにはあがっていないようです。

サニーデイ・サービス「海岸行き」
サニーデイの曾我部さんのさらりとした感触の歌詞は自分にはなかなか書けないもので、よく羨ましく思います。いつかカヴァーしたい曲。

saigenji「El Sur」
「El Sur」はサイゲンジさんと歌ったことがありますがもう一度歌いたいです。
「南へ帰るなら僕のさみしさもその翼に乗せていっておくれ」とツバメに語りかける歌詞が切ないです。サイゲンジさんのライブというとアップテンポの曲でノセたりアゲたりしてくれるイメージがありますがスロウで穏やかな曲にも名曲が多いです。

洋楽で好きなJudee Sillの歌詞を読み直したら「Jesus Was A Cross Maker」がちょっと夏の気配でしたので挙げておこうかと思います。
クラシック的な手法を織り込むというのは色んな人がやっていることなのだろうと思うのですがこの人の場合、その織り込み方がとても大胆で生き生きとしていていつ聞いても新鮮な感じを受けます。


[Post Dubstep & Techno & House] #1 - ele-king

1. James Blake / CMYK | R&S Records


amazon iTunes Store

E王  わずか4枚のシングルによっていま急速に注目を集めているのがロンドンの21歳のプロデューサー、ジェイムス・ブレイクである。ジャイルス・ピーターソンは自分の番組に誘い、『ピッチフォーク』は12インチ・シングルなのに関わらずアルバムと同等の扱いをしながら「best new music」に選び、気の早いライターは「ヒップホップ革命における最終形態」とまで言い出す始末だ。
 ブレイクは、彼の音楽から察するところ、アメリカのR&Bとヒップホップのファンである。ある情報筋によれば彼のサンプル・ネタはブランディからR.ケリーまであるらしいが、しかしこの若者は弁護料の心配することなく、それらのビッグネームたちの素材を切り刻む。90年代末のティンバランドとネプチューンズの記憶は、そして彼のコンピュータに流し込まれるとサイエンス・フィクションの舞台へと移動する。"CMYK"に最初に針を落とすとR&Bヴォーカルが聴こえるが(情報筋によればそれはケリスとアリーヤらしい)、その声はさりげなく微妙に変調する――これはブリアルが"アーチェンジェル"で使った"技"だが、ブレイクはそれをさらに過剰に押し進めているようだ。レコードの回転数が不規則になったかのような不安を醸し出し、そして叩きつけるようなビートが鳴りはじめる。2曲目の"Foot Notes"を喩えるなら、ドラッグでいかれたアンドロイドのR&Bだ。声や音の変調と揺らぎによる不安定さはブレイクの"技"だが、ここではそれをずいぶんと引っ張って、そして無音状態を経て唐突にショーがはじまる。
 "I'll Stay"は潰されてペシャンコになったヴォーカルに解体されたファンクとジャズのコードを合成する。"Postpone"は採集したいくつかのR&Bサンプルを面白いようにゆがませながら、ソウル・ミュージックをレトロと未来の両側に引き裂いているようだ。
 ポスト・ダブステップとポストR&BのIDM展開と言ってしまえばそれまでだが、「CMYK」は新しい流れを作ってしまいそうな1枚である。そんなシングルが〈R&S Records〉から出ていることが、僕の世代ではなんとも感慨深い。

2. James Blake / The Bells Sketch | Hessle Audio


iTunes Store

 ジェイムス・ブレイクの最新盤で、ラマダンマンの〈ヘッスル・オーディオ〉から。「CMYK EP」ほど派手な使い方ではないが、やはりここでもヴォーカル・サンプルは彼の"技"として駆使されている。狂ったジャズ・ファンクと気が滅入るほどメランコリックな"The Bells Sketch"が素晴らしい。もったいぶった"Buzzard And Kestrel"で踊る人はあまりいないだろうが、"Give A Man A Rod"のダウンテンポにいたっては困惑した挙げ句、フロアから人は立ち去っていくであろう。それはブレイクの挑戦か、さもなければ自分の"技"に溺れてしまったかのどちからだ。

3. Pariah / Detroit Falls | R&S Records


amazon iTunes Store

 〈R&S Records〉はこの路線が「いける!」と踏んで勝負を仕掛けているようだ。ロンドン在住のパリーア(アーサー・ケイザー)による「Detroit Falls」は、手法的にはジェイムス・ブレイクとほとんど同じで、つまりこれもまたブリアルの"アーチェンジェル"の発展型だ。あらためて『アントゥルー』(2007年)の影響力の大きさを思い知る。
 A面の表題曲は、"デトロイトは没落する"というそのタイトルが暗示するように、モータウンあたりのデトロイトのソウル・ミュージックをサンプリングしているのだろう。リック・ウィルハイトのレヴューでも書いたが、この不況によって容赦なく荒んでいくデトロイトへのいたたまれない気持ちが込められているのかもしれない。
 古いR&Bヴォーカルやホーンの音を変調させ、それをビートにリンクさせていく。「CMYK」と比較するとこちらのほうがダンサブルでヒップホップらしさがあり、ジェイディラへのリスペクトも感じる。
 B面に収録された"Orpheus"は典型的なポスト・ダブステップ・サウンドで、言ってしまえばラマダンマンの模倣だ。ダビーなビートが生み出す空間にメランコリックなソウル・ヴォーカルが流れるように挿入される。この曲を聴くと彼がザ・XXの"ベーシック・スペース"のリミックスを手掛けている理由がよくわかる。ザ・XXのファンなら間違いなく好きなタイプの曲。

4. Ramadanman / Ramadanman EP | Hessle Audio


iTunes Store

 先日、『スヌーザー』誌のためにカリブーに取材したら、ブリアルのおかげでダブステップを好きになれたと話していて、僕の場合もまったく同じだと思った。ブリアルの『アントゥルー』はファンを増やしたばかりか間違いなく多様化をうながし、そしてアントールドやラマダンマンに方向性を与えたのだ。
 ラマダンマンことデヴィッド・ケネディは写真で見るとずいぶん若いが、デビューは2006年だからそれなりのキャリアがある。自ら〈ヘッスル・オーディオ〉レーベルを運営しながら、〈ソウル・ジャズ〉からシングルを発表するなど2年ほど前から注目はされていたが、今年に入って発表したこの2枚組EPが僕にはずばぬけてよく聴こえている。DOMMUNEでも話したことだが、この音楽はプラスティックマンがダブステップをやっているように聴こえるのだ。A面に収録された"I Beg You"はまったくブリリアントなエレクトロニック・ファンクで、間違いなくテクノ耳を虜にする。裏面のふたつのトラックもファンク調だが、DJユースのパーツとして収録されているようだ。このあたりを上手にミックスしているテクノ系のDJが日本にいたら教えて欲しい。
 もう1枚のほうの3つのトラックはどれもがアシッド・ハウス的なテイストを持っている。ねじまげられた空間を「はぁはぁ」という男のあえぎ声がこだましているD面1曲目の"Bleeper"にはラマダンマンのユーモア精神を感じることができる。こうした自由と楽しさが、カリブーのように「それまではダブステップのいかめしさに距離をおいていた」人たちを惹きつけていることをあなたは知っているのだろうか?

5. Kyle Hall / Must See EP | Third Ear


iTunes Store

 昨年の秋に〈ハイパーダブ〉から発表されたダークスターのヒット・シングル「アンディのガールフレンドはコンピュータ」によってカイル・ホールの名前を知った。彼はこのシングルのリミキサーだった。そのときはオリジナルのほうが良いと思っていたけれど、先日〈ハイパーダブ〉からリリースされた彼のシングル「ケイチャンク/ユー・ノー・ホワット・アイ・フィール」が実に素晴らしかったので、追ってみることにした。
 ちなみにデトロイトのこのプロデューサーがどれぐらい若いかと言うと、1991年7月生まれだから、彼が生まれたとき、すでにデリック・メイは制作活動を休止していて、URのふたりは分裂しはじめている。恐ろしい話だ。デトロイトのジャズ・ミュージシャンの家系に生まれ育った早熟なホールは、16歳で〈ムーズ&グルーヴス〉からシングルを発表している。フライング・ロータスではないが、ある種のサラブレッドなのかもしれない。
 〈サード・イヤー〉からのリリースとなった4曲入りの「マスト・シー・EP」は、インパクトの点では「ケイチャンク/ユー・ノー・ホワット・アイ・フィール」に劣るかもしれないが、デトロイト系を追っているファンにとってはこっちのほうが親しみやすいと思われる。何よりもスローテンポ・ハウスの"Must See"やアンビエント・ハウスの"Ghosten"には、デリック・メイや若かりし頃のカール・クレイグを彷彿させる、息を呑むような美しさが受け継がれているのだ。メランコリックでジャジーなメロディラインが、シンプルで気の利いたドラムパターンと結びついている。リズミックな遊びを展開する" Osc_2"やディープ・ハウスを披露する"Body Of Water"も悪くはない。
 ポスト・ダブステップのような流行の音楽ではないが、これぐらい気持ちの入った12インチがコンスタントに出ているのなら、昔のように人はヴァイナルを探すようになるのだと思う。

6. T++ / Wireless | Honest Jon's Records


Amazon

 モノレイクといっしょに〈DIN〉を運営するトルステン・プレフロックによる12インチ2枚組で、すでにテクノDJのあいだでは人気盤となっている。彼は歴史のアーカイヴから、30年代末から40年代にかけて録音されたという東アフリカの楽器(ndingidi――読み方がわからない)の音、そしてその奏者であり歌手の声を見つけ、それらをサンプリング・ソースとして活用し、瞑想的な空間を作っている。面白いことにリズムは明白なまでにダブステップ(2ステップ、ジャングル)からの影響を取り入れている。ワールドカップをほぼ全試合観ているためにブブゼラの音にはすっかり慣れてしまい、よってこうしたエキゾティズムもとりたてて新鮮に思えなくなっているのだが、「ワイアーレス」はいわばブライアン・ジョーンズの『ジャジューカ』(これはモロッコだが)のミニマル・テクノ・ヴァージョンとして楽しめる。サイケデリックで、エクスペリメンタルで、とにかくぶっ飛んでいるのだ。
 2ステップのビートを取り入れた"Cropped"にしてもダブステップからヒントを得た"Anyi"と"Dig"にしても、10年以上にもおよんで懲りもせず、結局のところベーシック・チャンネルの物真似しかできなかった多くのフォロワーとは確実に一線を画している。交錯するコラージュとそれら裏打ちのビートとのコンビネーションがなかなか面白く、ふたつのスピーカーからはうねりのようなものが立ち上がってくる。ネタ勝負の安直なトラックではない。その料理の仕方のうまさがこのシングルでは際だっている。殺気立つパーカッションと地鳴りのような低音の"Voices No Bodies"も魅力的だ。モーリッツ・ファン・オズワルドへのリアクションとも受け取れるが、ドイツのミニマル音楽の最新型は、ドイツのサッカーより面白く思える。

Sylvester Anfang II - ele-king

 クラウトロックからの影響と言ったとき、この10年の成果をみる限り、それはヤッキ・リベツァイトの機械的なドラミングであり、ノイ!のモータリック・サウンドであり、ホルガー・シューカイの文化戦略であり、クラスターの電子ドローンであり、あるいは20年前であればクラフトワークのロボット・ファンクもしくは『E2-E4』といったところだろう。1960年代のベルリンのコミューンから生まれたフリークアウト・サウンドの巨星、アモン・デュールという名前は滅多に出てこない。

 アモン・デュール――初期のアシュラ・テンペルらと並んでコズミック・ミュージックと呼ばれた彼らの表現は、ジュアリン・コープが『Kroutrocksampler』で書いたように「ライフスタイルおいて拡張されるアウトサイダー・ミュージックであり、ときに音楽は二次的でさえある」。フランスとベルギーの国境沿いに広がるフランドル地方(フランダースの犬で知られる)において結成されたシルヴェスター・アンファングは、そのセンで言えばアモン・デュール的だ。ライフスタイルおいて拡張されるアウトサイダー・ミュージックであり、ときに音楽は二次的でさえある。バンドはしかも、アモン・デュールが"II"へと分裂したように、2008年からは"II"となって活動している。

 オリジナル・メンバーには現在スイスで活動する火山学者もいたというこのコレクティヴは、2004年から自らのレーベル〈フューネラル・フォーク〉を拠点に活動している。"葬儀のフォーク"というこのレーベル名は、同時に彼らの音楽性を物語っている。同時代のUSのフリー・フォークの楽天性を嘲るように、彼らの音楽は異教徒的で、ときにサタニックである(頭蓋骨を舐めて悦にいる女性の写真を想像してください)。人は彼らの音楽を"フューネラル・ドゥーム・フォーク・メタル"と呼び、自らは"ペイガン・ベルゴサイケ(異教徒的ベルギー・サイケ)"と形容する。ジャム・セッションによる即興とエレクトロニスとのカオスと言えばサンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンと共通するものの、イタリアのホラー映画がウッドストックに似合わないように、彼らのダーク&ドラッギーな音楽はいわば美しい田園地帯の悪夢的な異物である。アニマル・コレクティヴが『ローズマリーの赤ちゃん』のサウンドトラックをやったとしてもここまでのいかがわしさは持ち得ないだろう。

 シルヴェスター・アンファングの音楽は魅力的である。このポスト・サタニック・クラウトロックのサイケデリックな響きには、質素だがリズミカルなパーカッションとスペイシーなギターによる巧妙な香気が漂っている。魔女のセクシャルな誘惑のように、この音楽は危険な領域にリスナーを導く......だからといって怖がらなくても大丈夫です。これまでバンドが残してきた作品のアートワークのおどろおどろしさにはたしかにそそられるものがあるけれど、それを差し引いてもユニークな音楽なのだ。
 ブライアン・ジョーンズの『ザ・パイプス・オブ・パン・アット・ジャジューカ』を思い出して欲しい。あれをサイケデリック・ロックにおける異教徒主義の到達点のひとつとして受け入れることができるのなら、シルヴェスター・アンファングはひょっとしたら神秘的な美しさと感動を与えるかもしれない。アウトサイダーであることの証として......。

  1 2