Home > Interviews > interview with Eiko Ishibashi - 暗い道の濃い霧のなかから……
子供の頃から、感情に振り回されたくなかったんですよね。親に今日はどうだった?」と言われてもなんと答えていいのかわからないというか、いちどに複雑な感情や表情を表にできない子供だったし、ずっとそのまま来ているというか、昔からの癖みたいなもので。感情を表に出すのが苦手だというのもあると思うんですよね。
■それではリスナーとして感動的な体験をした作品をいくつか教えていただければ。
石橋:最近では、ギャビン・ブライヤーズの『タイタニック号の沈没』、あれのライヴ盤ですね。
■あれ良かったんですか?
石橋:良かったです。あとはセシル・テイラー。彼のドキュメンタリーを観て、それから彼のレコードを買い漁っているんですけど、どれも素晴らしいです。フリー・ジャズですけど、すべての音に鮮やかな色があって、一音一音がすべて深いんです。すごく速くて、すごく複雑な和音を使っているんですけど、音がすごくクリアなんです。あとは5年前に初めて聴いたんですけど、アルベール・マルクールというフランス人の作品も良かったですね。
■どんなジャンルの方なんですか?
石橋:フランスのキャプテン・ビーフハートみたいに言われている人で、私はもっとユーモアを感じるんですけど。まあ、キャプテン・ビーフハートもユーモアがありますけどね。ただもっとフランス人ぽいというか、ちょっとオシャレなんですね。とにかく、聴いてとても驚きました。
■10代の頃は?
石橋:キャプテン・ビーフハート。
■先日亡くなりましたね。
石橋:キャプテン・ビーフハートとカンと......。
■ハハハハ。
石橋:10ccとか。
■フランク・ザッパの系譜ですね。
石橋:あと、ジョニ・ミチェル、ロバート・ワイアット......。
■追体験というか、過去の作品なんですね。
石橋:そうです。そのときにリアルタイムで聴いていたものは、音楽が好きになってから逆に興味がなくなった。
■そういうマニアックな音楽をどうして知ったんですか?
石橋:ほとんどラジオですね。ラジオでかかっているのを録音して、でも、ラジオでかかっている曲って、アーティスト名とかよくわからいから録音したテープを持って近所のレンタル・レコード屋さんに行そこのおじちゃんに教えてもらったり。
■へー、貸しレコード屋の世代なんですね。
石橋:そうなんです。
■すいません、もっとお若いのかと思っていました(笑)。
石橋:けっこうババアなんです(笑)。
■いやいや(笑)、そんなことはないですけど、でも、旅人くんぐらいなのかなと思ってました。
石橋:旅人くんとは5つ違うんですよ。
■なるほど。しかし、カンやビーフハートみたいなマニアックな音楽はアクセスしやすいものではありませんが、ラジオだけが情報源だったんですか?
石橋:あとは雑誌ですね。ホントに田舎だったので。
■どちらなんですか?
石橋:千葉の茂原市というところです。
■ぜんぜん関東じゃないですか。
石橋:いまでも電車が1時間に数本しかないし、外房のほうは取り残されているんですよ。埼玉や神奈川みたいな東京に近い感じとは違うんですよ。レコード店もないし。だから、『レコード・コレクターズ』で情報を得て、東京に行ったときに探したりとか、そんな感じでしたね。
■石橋さんにとって音楽体験とはどこを刺激されるモノだったんですか?
石橋:どこ?
■感情なのか、想像力なのか、あるいは音楽的な知識欲とか、知的好奇心とか......。
石橋:私、自転車で放浪するのが大好きだったんですね。徘徊するのが好きだったんです。高校生のときにいろんなことをするのが嫌になって、諦めというか......何にもなりたくなくなっちゃって、ただただ自転車で徘徊していることが多くて、それがいつも音楽を聴きながらだったんですよ。だから、そういう音楽が私に必要だったんですね。
■なるほど。キャプテン・ビーフハートを聴きながら千葉の田舎を自転車で走る女子高生というのもシュールですね(笑)。
石橋:そうなんですよ(笑)。
■はははは。
石橋:部屋で聴いていると親に怒られるし。
■まあとにかく、ジャズはワイアットやビーフーハートといったロックを入り口にして入ったわけですね。
石橋:そうです。ただ、10代のときに聴いていたわけじゃないし、いまでもジャズに詳しいわけではないんですけどね。
■しかし、なんでピアノではなく、ドラマーとしてプロデビューしたんですか?
石橋:プロ・デビューしてないですけどね。メジャー・デビューしてませんから(笑)。大学生のときもね......まあ、ぜんぜんダメな大学生でして、音楽やるつもりもなくて、8ミリの映画を撮っていたんですね。それで上映会のとき、アフレコするのが嫌だということで、生演奏をつけようという話になったんですね。とはいえ、音楽経験がない人ばっかりで、そういう人たちとバンドを組むことになったんですね。私は当時すでに宅録とかも好きだったから、4トラックのMTRで録音した曲をみんなで演奏することになった。で、ドラマーがいないから私がドラマーになった。
■ヤッキ・リーヴェツァイトやクリス・カトラーの役を引き受けたと(笑)。
石橋:いやいや(笑)。そんないいものじゃなかったですけど、子供の頃の音楽教室にたまたまドラムセットも置いてあって、ピアノのレッスンが終わるとドラムを叩かせてもらってて、そういう経験があったから。それでドラムをはじめて、学生とのときにそのバンドで〈20000V〉とかに出ていたんです。それであるときパニック・スマイルと対バンになって、で、九州に呼んでもらったりもして。しばらしくてそのバンドも解散して、24歳くらいまで、3年くらい何もしていない時期があって、で、25歳のときにたまたま灰野敬二を観に行ったら〈20000V〉でパニック・スマイルの人が働いていて、「何でいるんですか?」って言ったら「上京してきたので、一緒にバンドをやらないか」って言われて、「じゃあ、やります」と(笑)。
■なるほど(笑)。石橋さんが年間100本くらいのライヴに参加するようになったのは、何かきっかけがあったんですか? いつの間にかそうなっていたって感じなんですか。
石橋:けっこうふたつ返事なんですよね。
■断れない性格なんですね(笑)。
石橋:はははは。だからいつの間にかそうなっていた。自分でも企画をやっていたんです。セッションの企画とか。人から誘われて、自分でも企画して、サポートもして、パニック・スマイルもやって......っていう感じでいたらいつの間にかそうなっていた(笑)。
■自分でやっていた企画とはどういうものだったんですか?
石橋:それこそ七尾さんとか、チューバの高岡(大祐)さんとか、梅津(数時)さんのサックスとか、組み合わせを考えて即興のセッションを何セットかやるという。
■即興に対する興味はいつからなんですか?
石橋:即興はわりと最近で、3年前くらいですね。吉田達也さんのデュオに参加するようになってからですね。吉田達也さんはしょっちゅう即興やっているので、吉田さんや、吉田さんの周りのミュージシャンの方々と即興やるようになって、あとは山本達久くんと知り合って。
■今回、ドラムを叩いている。
石橋:そうです。山本達久くんも即興やりたいって人なので、ふたりで即興やったり、あとは......内橋(和久)さんとの出会いも大きいですね。
■即興はどういうところが面白いんですか?
石橋:チャレンジというか、思いがけない自分が引き出されるというか。無意識を引っ張り出すというか、一瞬の輝きでもそれを出すというところが好きですね。
■即興も一時は過去の遺物になったかのように思われましたが、アメリカの若いバンドでも多いし、ここ10年でまた復活してますよね。デジタル時代に入って、日常生活のなかのインプロヴィゼーションみたいなことがなかなかできなくなったということで、新たに価値を高めているんじゃないかと思うんですよね。
石橋:本当にそうかもしれないですね。
■いっかい限りの演奏の面白さというか。
石橋:これからますます価値が出てくるんじゃないかと思いますけどね。ただそれを観に来るお客さんはまだ少ないと思いますけどね(笑)。今後も多くなるのかと言えば多くならない気がするし......。ある程度一定の、絶対数みたいなのが昔からあって、そういう人たちが確保できれば成り立っていくものだと思うんですけど。あとはネーミングとかに凝って、お客さんをうまく騙すというか。
■絶対数はそんな変わらないけど、お客さんの世代交代が起きるかなと思うんですよね。
石橋:そうですね。
■ところで、前作の『ドリフティング・デヴィル』がソロとしてはデビュー作になるんですか?
石橋:あれは2作目です。
■あの前に1枚あったんですか?
石橋:ただ実質、あれがファーストと言ってもいいかもしれないですね。その前に出したアルバムは、映画のために作った曲やいろんな人のために作ったCDRなんかを集めたものだったんです。
■編集盤だったんですね。
石橋:はい。だから作品として最初に作ったのはセカンド(『ドリフティング・デヴィル』)です。
■あのアルバムを出した動機みたいなものは何だったんですか? やっぱりいろんな人と競演するなかで、自分のソロを作ってみたいという欲望がどんどん高まっていって......。
石橋:実は人から言われて。
■ハハハハ。そうだったんですね。
石橋:友だちがレーベルをやって、「そろそろ2作目を作ったほうがいいんじゃない」と言って、私は「そうか」って感じで、だけど私は右から左に聞き流していった、「あー」とか言って(笑)。ただ、その年、妙な夢を見ることが多くて、それで「作れるかも」と思ったんですね。ちょうど作ろうと思っていた時期に、七尾さんと出会って......。
■それで彼が歌うことになったと。
石橋:七尾さんと出会って、3ヶ月か4ヶ月後に彼に歌ってもらうことになったんです。
■いろんな人たちとやっていくなかで、自分の音楽のスタイルみたいなことは考えていましたか?
石橋:ないです。いまでも自分のスタイルというものがわからないです。なんだろう?
■奇数拍子とか(笑)。
石橋:それは自分のスタイルじゃないですよね。
■はい、スタイルじゃないですよね(笑)。
石橋:人から「あー、プログレや変拍子が好きだね」って言われることはありますけど、でも、作っているときはそういうものを作ろうと思って作ってないんですよ。
■奇数拍子や変拍子を偏愛しているわけじゃないですね。
石橋:はははは。なんかね、昔からそういうのが好きだったのかもしれないんですけど、やっているときは意識していないんですよ。自分では、大きく見て4とか8だと思ってやっている場合もあって、でも達久くんから「これ9じゃないの」って言われたり(笑)。そういう風に気がつくことが多いんですよね。
■ある種の癖みたいなものなんですね。
石橋:癖というか、体に入っているものですよね。
■さすがですね。
石橋:いや、そんなにいいものでもないので。
■すごく滑らかに聴こえるんですよね。いかにもプログレっぽい、「うわ、変拍子!」って感じではないじゃないですか。
石橋:私、そういうプログレはあまり好きじゃないんです。実はクリムゾンはあまり好きじゃなかったりする(笑)。
■ハハハハ。そういうのって、ホントにキング・クリムゾンですよね(笑)。
石橋:だから実はマグマもあまり好きじゃなかったりとか......。
■はははは。クリムゾンはどこがダメなんですか?
石橋:かちっとし過ぎているし、スクウェアな感じがするんですよね。
■そしてあの大げさな世界観というか(笑)。
石橋:ある意味、笑えるんですけど。裏面白くもあるんですけど(笑)。
取材:野田 努(2011年1月13日)