「Dom」と一致するもの

vol.19:キャスリン・ディ・マライス - ele-king

11/2(wed) Caithlin De Marrais @ Union Hall
W/yellow birds, Lindsay Sullivan

 ハロウィン・ウイークに積雪があったニューヨークでは、スカーフ、手袋が手放せなくなってきた。11月に入っても毎日のようにショーに出かけている。11月1日は〈ミュージック・ホール〉にSBTRKTを見に行ったらソールドアウトで入ることができず、隣の〈パブリック・アセンブリー〉でやっていた映画の上映会に行くとサイキック・イルズ、エンドレス・ブギーのショーをやっていた。
 サイキック・イルズ......何年やっていても、相変わらずドローンでサイケデリックで、ベースのリズはかわいくて......と印象は変わらない。エンドレス・ブギーはちょっと時代を間違えたかなと思けれど、かなり上手い。ロングヘアのおじさんたちがいまだにサイケデリック、ロックンロールを現役でやっている。さらにその晩のショーに一緒に行った友だち(アメリカ人男子、Cとしておこう)は〈ウエブスター・ホール〉にバトルスとにせんねんもんだいを見に行ったのだが、「日本の女の子のバンド、かなり良かった!」と興奮して話してくれた。今日もまた別の場所であるのでショーが終わったら行こうかと、話した。

 今日のショーは元キラメキ青春エモ・ポップ・バンド、レイナー・マリアの紅一点、キャスリン・ディ・マライス。場所は〈ユニオンホール〉。
 私がレイナー・マリアを見たのは1998~99年あたりだろうか、たぶんミネアポリスの学校かどこかの講堂だったと思う。誰かについて行ったらそこでバンドがプレイしていた。ウィスコンシン州のマディソン出身。マディソンと言えば、¥私のなかでは、〈ポリヴァイナル〉――レイナー・マリアをリリースしていたレコード・レーベル。現在はオブ・モントリオール、アソビ・セクス、オーウェンなどを出している――なのだが、マディソンといえばその頃、エモ・ロックがブームになっていて、ジョン・オブ・アークやペレ、サンディズ・ベストなどが出てきた都市だと記憶されている。
 その講堂でみたレイナー・マリアはとってもあどけない、学生バンドという印象だったが、キャスリン(ヴォーカル、ベース)の容姿淡麗、清潔感漂う雰囲気とカイル(ギター・ヴォーカル)のおちゃらけキャラ、どこまでもプレイヤーなステージ・パフォーマンスが見ていてとても楽しく、そのふたりを後ろであたたかく構えるビル(ドラム)という編成のこのバンドにとても高感度が湧いた。ショーのあと、ほとんど誰もいなかったので世間話をして、それがきっかけで仲良くなり、私がやっていた〈コンタクト・レコーズ〉のコンピレーションの参加してもらったこともあった。その後、彼らも私もブルックリンに引っ越した。ブルックリンといっても彼らが住んでいるのは、パークスロープ周辺(東京でいう吉祥寺、三鷹?)、私はウィリアムスバーグ(東京でいう下北沢?)なので偶然会うこともなかった。

 レイナー・マリアは2006年に終結し、メンバーはそれぞれ新しいバンドをはじめ、ドラムのビルは、2006あたりにプロサイクスというバンドをやっていて(マタドールからレコードがリリースされている)、私がよくいくマイティ・ロボット/シークレット・プロジェクト・ロボット(今月11月より正式にブシュウィックに引っ越した)周辺でよくプレイしていた。ビルとはそこで会うと、「以前、レイナー・マリアをやっていたよね」など話しをよくしていたが、キャスリンとカイルには会わなかった。聞くと、そのあいだに彼らは自分たちのレコード・レーベル、〈エンド・アップ・レコーズ〉を立ち上げ、自分たちや友だちのバンドを音源をリリースしている。さらに、キャスリンはママになり、ヨガの先生になっていた。

 レイナー・マリア解散以来、自分のなかでは過去のバンドになっていたし、他のバンドの気を取られて忘れていたので、今回またキャスリンを見るのは特別な気分だった。

 というのも、会場の〈ユニオン・ホール〉に来たのは、ニューヨークに10年住んでいるが実は初めてのことだ。パークスロープはウィリアムスバーグにいると、なかなか行かないエリアなのだ。だいたいツアー・バンドはパーク・スロープでショーをするとウィリアムスバーグ、もしくはブシュウィックでもう一本ショーをするし、シングルが多いウィリアムスバーグにくらべてカップルや家族が住む高級エリアなのだ。

 一歩会場にはいると、雰囲気がとてもファミリー的で、安全、優しい感じがする。ウィリアムバーグのように汚かったり、荒んでいたり、パンク色だったり、危険な要素がまったくない。入ると右側にバーがあり、そのうしろにはゆったりしたソファーとテーブルがカフェっぽく置いてある。なんならその後ろには、図書館のように本の棚がずらっと並んで、静かにコーヒーを飲みながら読書している人もいる。ベレー帽率高し......だ。えっと、ここライヴ会場ですよね? さらにバーにある飲み物はシックス・ポイントなどのファンシー系ビール($6~)やリカー系。ウィリアムスバーグやイーストヴィレッジなどのチープなバーに置いているような、カンのPBR($2~)はない。でもここのビールおいしい。Cはビールのあてにコーンドッグを注文していたけれど、納得できる。奥には、左にボッセ(Bocce)と言うゲームのレーンがふたつあって、みんな一生懸命プレイしている。ビリヤード、ボウリング、サッカーの中間ぐらいのゲーム(https://en.wikipedia.org/wiki/Bocce)。ここはこれで有名らしい。
 右にはバックヤードに続くドアがあり、寒くてみていないが、煙草も吸えるらしい。やっと地下の会場にたどり着いた。知らなかったら普通にバーとして使っていそうな場所だ。上が居心地良いので、油断していると見たいバンドを見逃してしまいそうだ(現にCは前のバンドを見逃していた。知り合いだったというのに......)。
 下は適度な水曜日の夜の空気が流れていた。混んではないが、適度な入りだ。キャスリンも友だちと談笑したり、うろうろしている。ドアにいたのが、かわいらしい知的な女の子だったのだが、Cが彼女が集めたお金(チケット代)を堂々と開けっ放しにしているのを見て、「ダメだよ、レジを開けっぱなしにしちゃ!」とあわてて注意していたのが面白かった。Cはよくフリーマーケットで物を売っているので、その辺にはとても敏感なのだ。女の子はきょとんとしていた。だってそこは安全なところなんだからね。
 今日のバンドは、ギターのジョシュ、ドラム(名前がわからない)とキャスリンの3人体制。リリース・パーティなので、ニュー・アルバムからの曲がほとんど(セットリスト参照)。11月8日に「マジックシティ」に続くソロ第二弾、「レッド・コーツ」が発売される。彼女いわく、全て自分で手作業で作ったらしい。 https://endup.org/artists/caithlindemarrais/

 彼女の声はとても深く、どこか悲しげで、訴えかける力、雰囲気がある。楽曲のせいかと思ったが、彼女が歌うとどの曲もそうなってしまうのかもしれない。レイナー・マリア時代から彼女の声は印象的だったが、子供を産んでか、声により深みがましたように思える。先生に向いているなとか(実際ヨガの先生らしいです)、悲しい経験がたくさんあったのかななど、雰囲気がどこから来ているのか......、考えを巡らせたが、結局これが彼女のキャラクターなのだろう。
 この日は彼女のお母さん出身でもあるニュージャージーから古い友だちが来ていたらしいが、"City Girl"を歌う前に、"シティ・ガール"と"ジャージー・ガール"を少し皮肉っていた所が面白かった。シティ(=ニューヨーク)とジャージー(=ニュージャージー)には、東京と大阪みたいな変な対立感覚があるのだ。

 2曲目の"Bird"にはヴィデオもあって、むかし何度みても映画みたいに思ったが、今日のショーも全体的に、スローモーションで映画を見ているようだった。3人がときどき顔を合わせて、にこっと笑って合図したり、グルーヴ感、言葉にできないつながりがあった。さらには共演のイエローバード(Cが見逃したバンドね)のサムとアニーがゲスト登場して、1曲を披露。決してきらびやかなショーではないし、テクニックを披露するわけでもない。自分の歌を忠実に表現するのみで、そしてそれだけでお客さんを惹き付けるのはすばらしいことだと思う。来ているお客さんは友だちばかりだったかもしれないけれど、彼女が好きでサポートしたいという気持ちが見えた。女性客が多かった。終わったあとには良い映画を見終わったような心地よい充実感があった。
 話しかると彼女もびっくり、「久しぶり!」と。相変わらず容姿端麗、美しい。誠実そうで一本気、そんな彼女の人間性にみんなが微笑んでいるのだろう。

 21世紀に入って音楽文化は停滞しているんじゃないかと人に言われるたびに、たとえばこう言う。20世紀では、たとえば山下洋輔や富樫雅彦といった名前を欧米の(ジャズの専門誌ではなく)ポップ・メディアで見かけることはまずなかったと思う。が、今世紀、日本のインプロヴァイザーの名は、たとえばティム・ヘッカーやビヨンセまでを評価するようなポップ・メディアのなかで見つかる。そう、つまり、80年代以降に生まれた人たちの耳にそれらは馴染んでいる。多くの優れた日本の音楽とともに。
 もっとも海外が気がつく前からそれらは素晴らしい音楽だったが、いま20代の君にわかりやすく説明すれば坂田明はそうしたひとりだ。今年リリースされた『And That's the Story of Jazz...』はそうしたある種の(そしてある意味では真の意味での)"ワールド・ミュージック"として高い評価を得ている。今週の水曜日、渋谷のWWWに行かないで手はない!

contrarede presents
坂田明&ちかもらち
~ちかもらち空を飛ぶ!東京ーモスクワーヨーロッパー東京~

ちかもらち 空を飛ぶ!最終着陸地点は渋谷WWW!!
山下洋輔、ジム・オルーク、八木美知依と豪華盟友陣をゲストに迎えてまさにスペシャルな一夜!これで何か起きないはずは無い!?

11/9 (WED)
SHIBUYA,WWW(03-5458-7685)
open 18:30 / start 19:30,
adv 3,700yen / door 4,200yen (+1drink)
live : 坂田明&ちかもらち(坂田明、ダーリン・グレイ、クリス・コルサーノ)
Guest : 山下洋輔、ジム・オルーク、八木美知依

https://contrarede.com/special/sakataakira.html

山本精一 - ele-king

 『プレイグラウンド』は「うた」にピントをあわせたアルバムだったので音は歌のあとに隊列を組んでつづくように思われた。それは歌を聴かせる音楽であるフォークが多くのひとの気を惹いていたゼロ年代最後の年に出した、山本精一らしい作品であるとも『プレイグラウンド』は思わせたが、淡々と歌いながら、その背後に無数の音楽を背負ってもいた。歌詞には虚無の裂け目があったが、歌の前に音楽の仕掛けは霞んでしまった。おかしないい方だが、歌を聴くのに懸命で音楽が置き去りになっていた。羅針盤が封印されたいま、山本精一の歌は過去になったものとばかり思っていた。なぜだかわからないが。それが不意に現れたものだから歌と同時に音楽全体を聴いていたにもかかわらず、呆然と聴き惚れてしまった。山本精一は巨大な歌を歌うひとだが、その巨大さを支える音楽の細部には巨大さと同じものが横たわっている。聴くほうはワンセンテンスでそれをいいあてられないから、結局は「うた」と「ポップス」が合体した「うたもの」ということで話はまとまりかけるのだが、かつてその代表格だった羅針盤からの時間の隔たりを感じさせる変化が『プレイグラウンド』にはたしかにあった。円熟を感じさせるいっぽうで、2010年代の新しい歌としてのさまざまな可能性が歌の底にうごめいている。

 無数の方向性からひとつを選び1枚の作品に仕立てのが『ラプソディア』だろう。このアルバムは『プレイグラウンド』から1年経っている。今回も山本精一(ヴォーカル/ギター/ベース)と千住宗臣(ドラムス/パーカッション)のデュオ体制のシンプルな「うたもの」なのだけど、その顔つきは前作とはまるでちがう。前のアルバムはどちらかといえばフォークだったが、今回はロックである。しかも豪快に歪んだ山本精一のギターを久しぶりに堪能できる。『プレイグラウンド』にもそういった曲はあるにはあったが、ギターはややスパイス的に立場だった。ここではそれがより大ぶりな存在感をみせることで、全体がバンド的な音作りにシフトしている。千住宗臣との掛け合いは一体感を増し、セッション的なグルーヴを終始保持しているが、ギターとドラムを接着するベースの役割は前作以上に重要なものになっている。山本精一は前作のベース演奏をピーター・ペレットのイングランズ・グローリーを引き合いに出して説明したが、『ラプソディア』のベースはパンク的な硬質なものではなく、ファットかつ(やや)ファンキーである。だけでなく、手探りで音をたぐりよせる不安定さが合奏に絶妙なテンションを付加している。"ラプソディア"のハネ具合やヌキ具合はロビー・シェイクスピアもコリン・ムールディングにもマネできない。そう書いて思ったが、米国式フォーク・ロックあるいはサイケデリック・ロックの遺伝子ともに、ブリティッシュ・トラッド、UKロックの影がさすことでこのアルバムの立体感はより強くなっている。この回収不能感は伝統が属性と即断される現在においてはやはり異能のことといわねばならない。もっとも山本精一はただ孤高として別の山のように屹立するのではなく、彼の音楽には次の音楽を示唆するものが潜まされてもいる。これと較べるべきは、山本と同じくヴォーカルとギターとベースとを担当した坂本慎太郎のソロ『幻とのつきあい方』であり、両者の描き出す索漠とした風景は音楽を、音楽を奏でる主体に拮抗させることで歌をつくってきたここ数年から、主体はどうあがいても音に匹敵できないという諦念含みの分裂を前提に置きながら、その間のミゾから目を逸らさないことで、ポップ・ミュージックの折り返し地点を示すものかもしれない。というのは大袈裟だろうか。

Chart by TRASMUNDO 2011.11.04 - ele-king

Shop Chart


1

S.L.A.C.K.

S.L.A.C.K. この島の上で »COMMENT GET MUSIC

2

H.FUTAMI

H.FUTAMI MIX CD »COMMENT

3

UG KAWANAMI

UG KAWANAMI BOOTLEG »COMMENT

4

STARRBURST

STARRBURST 7inch EP »COMMENT GET MUSIC

5

ILL FANTASTICO

ILL FANTASTICO STEAL MY SUNSHINE vol.3 »COMMENT GET MUSIC

6

TWIN PEAKS

TWIN PEAKS Live at OPPA-LA »COMMENT GET MUSIC

7

SUN BEAM SUN

SUN BEAM SUN ALMOST THERE »COMMENT GET MUSIC

8

GRADIS NICE&SCRATCH NICE

GRADIS NICE&SCRATCH NICE TWICE IS NICE »COMMENT GET MUSIC

9

CE$

CE$ BCTRBDSS EST 2011 BEATDOWN COLLEGE »COMMENT GET MUSIC

10

KURI

KURI BLACK FOREST LIVE IN GRASSROOTS »COMMENT GET MUSIC

Ras G & The Alkebulan Space Program - ele-king

 現代のサン・ラーを気取るグレゴリー・ショーター・ジュニアの2作目(? 3作目? デビュー・アルバム以前に発売が告知されていた『ダウン・2・アース』が今年になって、ようやく〈ランプ・レコーズ〉からリリースされたので、3作目と数えてもいいし、それがあまりにデモ・テープ的な内容だとしてカウントしなくてもいいし、いっそのこと〈ブレインフィーダー〉からファイルのみでリリースされた『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』や〈リーヴィング〉からのカセット、あるいは初期のCDRも加えて最大で6作目と数えることも可能。面白いのは、そのようにしてリリースの形態がまったく統一されていないことで、『スペースベース・イズ・ザ・プレイス』は初めて2×10インチというフォーマットとなっている)。

 LAのビート・メイカーをシリーズで紹介してきた〈オール・シティ〉が新たにはじめたサン・ラーのリコンストラクション・シリーズ「ビュー・オブ・サターン」でもトップを切って話題を集めたこともあり、まずはサン・ラーの代表作『スペース・イズ・ザ・プレイス』をもじったタイトルが期待を煽る。サン・ラー同様、プロジェクトの名義も前作がザ・アフリカン・スペース・プログラムだったものが、ここではザ・アルケビュラン・スペース・プログラムに変更され、サン・ラー気取りにも磨きがかかっている......とはいえ、ラス・Gはまったくのソロ・プロジェクト。発想はあくまでDJカルチャーのそれで、サン・ラーのバックからブラザー・アーことロバート・ノーゼムが突出したり......といったような局面は起こりえない。

 パーツを散りばめたようなオープニングから一筋縄では行かず、重いベースや唐突に鳴り始める高音のパーカッションが瞬時にして重力感覚を狂わせる。全体的にロー・ファイかつモンドな曲調が連打され、混沌としながらもどこかで丁寧にリズムを感じさせてくれる......と思ったら、いつの間にかメインのリズムが変化していて、リズムに耳が馴れてくる頃には、奇天烈な音をインサートさせるなど、わざとビートから意識を逸らせようとしているようで、サイケデリックという言葉が正しいのかどうか、ヒップホップをベースとしながらも、なるほどサン・ラーのフィーリングは再現されているといえる。断片に意識を持っていかれ、すぐに全体像を見失うという仕掛けはとにかく巧妙としかいいようがなく、"シリー・アースリングス"や"ディスコ4000"など思いがけず重層的で、トリップ・ミュージックとしての完成度は前作を遥かに上回る(前作でいえば"ビヨンド・ザ・スカイ""スロオオオオオオオオウ・ダアアアアアアアウン"といったトリップ・モードがアルバム全体に拡張されたというところか)。

 同じLAでも大幅にジャズを導入したフライング・ロータスよりも、あえてヒップホップの文脈に乗りながらサン・ラーを思わせるのは、やはりモンド=スペース・エイジのセンスによるところが大きいのだろう(少し前にベイ・エリアからデビュー・アルバムをリリースしたペイパー・アッパー・カッツにも似たようなことがいえる。パーカッションを駆使した"GLP"はとてもいい)。とはいえ、展開の妙に意識を傾けすぎたか、どの曲もかなり尺が短く、1曲をもう少し長く聴いていたいというのが正直なところ。それとも、ブラック・ミュージックには往々にしてそういうところがあるし、そのほうがサウンドの迷宮性というものは保てるのだろうか。

vol.16 : メルト・バナナ in NY! - ele-king

 アメリカで活躍する日本のバンドというと、メルト・バナナ、ボアダムス、少年ナイフ、アシッド・マザー・テンプル、灰野敬二、最近では、ボリス......今日は、1993年に結成され、10月29日の土曜日、 今年で、18年目を迎えるメルト・バナナのライブを見にいった。今回は、10月1日から11月29日まで、休みはほとんどなしの、2ヶ月間の怒濤なるツアーだという。オレゴン州から入り、ミッドウエスト、カナダ、東海岸、南部を通り、そして西海岸に入るという経路である。ニューヨークは、ツアーのちょうど中間あたりで、〈サントス・パーティ・ハウス〉というマンハッタンのダウンダウンにある、Andrew WKが経営する会場でおこなわれた。ちなみに共演は、Tera Melos、Unstoppable Death Machines。早めに着いたつもりが、「次がメルト・バナナだよ」と言われる。まだ9時だというのに。

 客層は男の子中心で、革ジャン、パンク系が目立ち、ガタイはでかい。ハロウィン・コスチュームな人もいた。CMJのハイライト・ショーに行ったような人は見られない......。
その日のニューヨークでは大雪が降った。10月にしては珍しい、というか私が記憶している限りでは初。サンクス・ギビング・デー辺りを目安に大雪が降るのはよく覚えているが、ハロウィン辺りというのはここ10年記憶にない。異常気象。
それでも、いい感じにお客さんは入っていた。ほとんどどが昔からのコアなファンなのだろう。曲がはじまるごとに、「オーーーー」といううなり声。ちょっと怖かったが、このバンドに対する期待感の大きさだ。 電撃的なキンキン、バリバリ、ヒリヒリしたパンク・ノイズ・サウンド......という表現が適切なのか、とにかく、絶妙なテンポで、曲をどんどん展開していく。ベースは女の子、ドラムは男の子。そしてギターのAgataさん、ヴォーカルのやこさんの4人編成。やこさんは、トレードマークのショートヘア、白の長袖トップにジーンズ、底の高いラバースニーカー。中間にはショート・ソング(たぶん1曲5秒、10秒とか)を8曲連続で披露。野郎の声援にまた力が入る。
セットにヴァラエティがあって楽しいし、それに対応できるヴォーカル力はさすがだ。キャリアの長さを感じさせる貫禄ある演奏で、とくに今回のメンバーのバンド・サウンドはスキがなく、怒涛のように演奏し、曲が終わるたびに、思わず拍手した。
やこさんの拙い英語がある種のヴァーチャル感をだすのか、あのアニメ声で「マーチ(物販)があるよ」などと言われるともう大変。ショーが終わったあとは、階段にながーい行列ができていた(なぜか今日はマーチ・テーブルが階段のいちばん上にあった)。しかもその列はまったく動く様子なし。たぶんひとりひとりと話しているので長くなるのだろう。こんな行列は,少年ナイフのジャパン・ソサエティのショー以来かもしれない。
先述した海外で活躍する日本のバンドは、いちど地位を得たらファンは根強く、ずっと付いて来てくれる。もっともこの傾向は10年選手バンドばかりで(私が知る限り)、残念ながら最近のバンドには見られない。イコール、若い子にそこまで音楽やバンドに対して情熱がないのか、そこまで夢中にサポートしたいバンドに出会ってないのか、単に見逃しているのか、最近のバンドがよくないのか......時代が違うといえばそれまでだけど、ライヴの醍醐味はいつもレコードで聴いているアーティストが目の前でプレイしていて、直接話しが出来る。そのリアリティにある。そうしたライヴの熱さも、今日のマーチに並ぶファンの図を見るとまだまだ捨てたものではないと少し感動した。この感覚を次世代につなぐことができたらもっといいのにね。

 実際、最近まわりで人気のあるバンドは、まるっきり新しいことをやっているわけでなく(私が知っているまわりのバンド限定ですいません)、最近見たダム・ダム・ガールズしかり、ターミナル5(!)でのショーが決まったガールズしかり、彼らは古い歌がどれだけ良くて、自分たちが影響を受けて、この曲が存在していることを意識している。いいと思うものを自分が思った通りに表現できるのは素晴らしいことで、それが実際受け入れられている。いまは情報が氾濫していて、どれが本当でどれを信じるべきでさらに自分が何が好きかを惑わせるツールがたくさんある。便利なようで、それがことをややこしくしている。

 とまれ。今日、ライヴを見て思ったことは、長く続けられるインディ・バンドには根強いファンがいて、実際、彼らをがっかりさせないライヴを毎回やっている。前回、私が見たとき(たぶん自分が企画した2002年のライトニング・ボルトのジャパン・ツアーでの共演時)と勢い、見た目もまったく変わっていない。さらに18年やっているのだけど色はまったく褪せていない。でもそれがファンの期待を裏切らない......ということなんだろう。素晴らしいことだと思う。今日の時点で、後(ツアーは)40本残ってると、MCで言った。18年間、こんな感じでずっとやっている。繰り返すけど、まわりの大きな男の子たちが「オーーーー」と唸っているのをみると、元気付けられる。夢中になれるものがあるということは、ホントにいいことだと思った。

 外は大雪だったが〈サントス・パーティ・ハウス〉は熱気に包まれていた。ショーは終わったけど、ひと息つきたくてドリンクを頼もうとしたら、バーテンダーが先ほどの穏やかな可愛い女の子からゲイのふたりに変わっていた。しかも水着とレオタード! そして、気が付いたら「外に出ろ」と警備員のおじさんに追いやられていた。外に出ると、ずらーっと、また行列(......雪降ってます)。しかも牛や鹿の着ぐるみ、ティンカーベル、魔女、ゾンビ......変なコスチューム。なるほど、ハロウィン・パーティがこのあと開催されるのかー。土曜日の夜、ハロウィン・ウイークエンド、当然当然。パーティー・ハウスですから。

interview with Photodisco - ele-king


Photodisco
言葉の泡

P-Vine

Review Amazon

(フォトディスコとは誰なのかというと、普通の青年である。それはウォッシュト・アウトが普通の青年であるということと変わらない......)。
ついにフォトディスコの公式版デビュー・アルバムがリリースされる。タイトルは『言葉の泡』。年初にいち部の専門店で委託販売され、まったくの無名ながら短期間に異例の枚数を売り切った自主盤『フォトディスコ』から5曲を再ミックスして残し、新録5曲を加えた内容だが、結果的に自主盤からは大きく表情を変えることとなった。筆者は以前「チルウェイヴ」としてフォトディスコを紹介し、レヴューや今作ライナーノーツでも彼らが携える時代的な意味や成果についてマクロな考察を加えている。だが今作後半の数曲は、より狭義のチルウェイヴ――要はウォッシュト・アウトやトロ・イ・モワやネオン・インディアンらが体現する音だ――を意識していることがはっきりとうかがわれるだろう。"ミッドナイト"、"アイ"、"サケ"、"イエス"などローファイでリヴァービーなシンセ・ウェイヴの一連は、トレンドとしてのチルウェイヴと向き合ったトラック群だ。そしてフォトディスコ一流の叙情性が、このムーヴメントの勢いに埋没しない、とてもオリジナルなテクスチャーを生み出している。広義にチルウェイヴであった彼が狭義のチルウェイヴを目指したのはなぜか。インタヴュー中、フォトディスコは「気持ちいい」ということに繰り返し言及している。それはディスコ的な「快楽」ではなく「快適」のニュアンスに近い。「快適さ」を目標に設定する彼が、その最適解としてチルウェイヴを選んだことはおもしろい。時代のなせる業とも言えるだろう。インターネットによってベッドルームが世界に直結するこの時代、多くのベッドルーム・ポッパーたちが自らの部屋と世界との臨界点に、その摩擦を軽減し、快適さを保つため、緩衝材のようにめぐらせた音がまさにチルウェイヴであるから......。

ではフォトディスコの応答に耳をかたむけてみよう。言葉では多くを語らない人柄であるが、以下には飾らず涼やかな、そしてどこか頑固なアーティスト像がたちあがっている。今作について付言すれば、表題曲や"盆踊り"といったエレクトロ・アコースティックな曲が、一般に単調になりがちなチルウェイヴ作品に物語と陰影を与えていることに気づく。地域性の揚棄がチルウェイヴの特徴ではあるが、フォトディスコの音楽に非常に日本的な展開が示されていることも重要だ。ぜひともこの風土に眠る才能たち、そして日本の多くのベッドルームを揺さぶる存在になってもらいたい。

僕、チルウェイヴって何のことか知らなくて。『フォトディスコ』(自主盤)をつくったときにネットとかで「チルウェイヴ」って言われて、それから聴きはじめたんです。

自主盤の方が完全に廃盤になったということで、どうですか。

フォトディスコ:本当にうれしい限りです。廃盤になるって、まったく思いませんでしたから。400枚作ったので、それを買ってくれた400名の方々と、僕の音楽をプッシュして下さった販売店の方々に感謝しております。

公式1STとともに自主盤を生かしておく選択肢もあったと思うんですが?

フォトディスコ:いえ、まったく考えなかったですね。

ははは。どうしてですか?

フォトディスコ:ええと......出していただけるレーベルが決まったときにはもうどんどん新しい曲ができあがってたんです。それで、CD-R(自主盤)の方を買ってくれた人に、その新しい曲を聴いてほしいなって思って。せっかく全国流通になるから、CD-Rのなかからさらにいいものを選んで、新しいものも加えたいなと思いました。

では、自主盤の方にとくにアルバムとしての崩したくないコンセプトがあったというわけではないんですね。

フォトディスコ:そうですね。CDRの容量700MB、限界まで曲を詰め込んだアルバムです。曲順は、全体通しで聴いて気持ちのよい曲順に心掛けました。

自主盤から外したものに基準はありますか?

フォトディスコ:僕、チルウェイヴって何のことか知らなくて。『フォトディスコ』(自主盤)をつくったときにネットとかで「チルウェイヴ」って言われて、それから聴きはじめたんです。

そうなんですよねー。

フォトディスコ:それで、なんとなくわかったので、じゃあ僕のこの自主盤の中でいちばんチルウェイヴなものはなんだろうって考えて5曲選びました。

私の個人的な感覚だと、よりアコースティックで、よりJポップ的な情緒のあるものが選ばれてるのかなと思ったんですが。でも、わりとはっきりチルウェイヴということを意識したと。

フォトディスコ:意識しましたね。

やっぱりいま意識せざるを得ないところではありますよね。何から聴きました?

フォトディスコ:トロ・イ・モワです。

ああそうなんですか。ウォッシュト・アウトからじゃないんですね。トロ・イ・モワの何ですか?

フォトディスコ:ファーストですね。緑のやつです。

聴いてどうでした?

フォトディスコ:聴いたことのない音楽だなって思いました。

はは! シンプルな感想ですね。チルウェイヴって、認識としては「シンセ・ポップのリヴァイヴァルの一形態だ」というのが一般的かなと思いますが......新しかったですか。

フォトディスコ:新しかったです。

はは! 私もそう思います。

フォトディスコ:でも、コンプレッサーをいじればできるな、と思いました。

自分にもできるな、ってですか(笑)。

フォトディスコ:はい。

テクニカルな話だと、要はどういうことになるんですか、チルウェイヴって。私いろんなこと書いてますけど、技術的にどうだっていうことは作る側の人間ではないので詳しくわからないんです。こうしたらチルウェイヴになるぜっていう調理法があるわけですか?

フォトディスコ:あります。

企業秘密ですか?

フォトディスコ:いや、秘密じゃなくてみんな知ってると思います。ちょっと宅録とかやる人でしたら。

ははあ。

フォトディスコ:僕は感覚でコンプレッサーかけてるんで、あまり専門的なことは言えないのですが、要は、音を押しつぶせばいいんですよ。過剰に。そしたら、音圧出ますが、不自然な感じになります。

タームが出てくるとなんとなくしか理解できないんですが、素朴に音のことだけを考えると、わりと誰にでも作れるものだってことですね。

フォトディスコ:はい。そう思います。

もちろん、いま現在はチルウェイヴといってもすごく裾野が広がっていて、スタイルも方法も様々ではあるんですが、ローファイで、もこもこして、リヴァービーで......っていうあたりは基本要素かなとは思います。

フォトディスコ:そうですね。僕は一夜漬けで勉強しました。

あはは、末恐ろしい。機材的にはどうなんですか?このトピックで引っぱって恐縮なんですが、やっぱりチルウェイヴってことで、そんなにスゴイものは使ってないってシナリオにしたいんですが(笑)。

フォトディスコ:それはもうほんとに、大したことないですね。『サンレコ』(『サウンド&レコーディング・マガジン』)とかだと、ミュージシャンの人がほんとにいい機材ばっか使ってるじゃないですか。ヴィンテージの。こんな機材......いいなあ! って思うんですけど、やっぱり自分にはお金もないですし。いまの環境で作るしかないですね。もしいま『サンレコ』の取材を受けて部屋見せたら、絶句されると思います......。PCもポンコツで、作ってる最中に何回も落ちるし。でも、いまの機材で満足してますね。

やっぱりそうなんですか。お金があったら増強したい設備って何系のものです?

フォトディスコ:ヴィンテージのコンプレッサーとか......

野田:ははは! やっぱりそこ行くかっていう。でも、最先端の音楽を開拓してる子たちの多くは持たざる者だからね。グライムなんてサンプリング・ソースがユーチューブだったり、プレステだからね!

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自分にはお金もないですし。いまの環境で作るしかないですね。もしいま『サンレコ』の取材を受けて部屋見せたら、絶句されると思います......。PCもポンコツで、作ってる最中に何回も落ちるし。でも、いまの機材で満足してますね。

ユーチューブって持たざる極みですね。では、フォトディスコはガレバンの魔術師、ということで! フォトディスコとしての活動についてお訊きしますが、ほんとにいち度もライヴをすることもなく......

フォトディスコ:はい。

露出というか、楽曲を発表する場はマイスペのみということになりますか?

フォトディスコ:はい。

とくに日本だとライヴの有無がそのアーティストの知名度に決定的に関わるように見えるんですが、日本のシーンはわりとどうでもよくて、はじめから世界が視野に入っていたとか......?

フォトディスコ:まったくそれはないですね。

野田:ははは!

(笑)愚問でしたか。いや、世界のほうが日本より上、という意味ではなくて、日本の主たる音楽シーン――それはメジャー/インディを問わずですけど――に対して疎外感があるのかなと。

フォトディスコ:うーん......

野田:ははは!

すみません。ちょっと私すべってますね。ええと、あんまりそんなことには頓着していないんですね。

フォトディスコ:僕は......とにかく休みのたびにどんどん音ができるんで、それをどんどんマイスペにアップしていたというだけです。

とくに多くの人に聴いてもらいたいというようなつもりもなく?

フォトディスコ:そうですね。とりあえず(作った音源が)たまってたまって。

じゃあマイスペがなかったら、ただ作ってるだけの人ですね。

フォトディスコ:(笑)そうですね。ただ作ってるだけの人ですね。

でも、その休みのたびに曲を作ってたっていうモチベーションはなんなんでしょう。いつか何かになるという確信みたいなものがあったとかですか?

フォトディスコ:うーん......作るのが大好きで。

何曲ぐらいになってるんですか?

フォトディスコ:ハードディスクを調べたら......100曲とかはふつうに超えてると思います。

音楽はいつぐらいから作りはじめたんでしょう?

フォトディスコ:それはもう高校時代ですね。友だちとバンドみたいなことをやってて......思い出作りにMTRを買って。ヤマハのMT400っていう、いちばん安いやつなんですけど。

どんなバンドですか? そのころはどんなアーティストが好きだったんですか?

フォトディスコ:スーパーカーとか。90年代というのが僕にとってすごく素晴らしい音楽の時代だったので......かっこいいバンドは全部コピーしました。

そのかっこよさというのは何ですか?

フォトディスコ:飾り気のなさというか、媚ない感じですかね。あと、アルバムごとに違う表情をみせるふところの広さですかね。

スーパーカーが好きなのは何でですか?

フォトディスコ:僕はデビュー作から聴いてるんですけど、高校の頃、実家がスペース・シャワーTV入ってたんで、それで......"クリーム・ソーダ"が流れた瞬間、「うわ、すげえ、なんだこれ」って。こんなバンドが日本にいて、メジャーでデビューできるんだって思いました。

デビュー曲ですね。

フォトディスコ:はい、デビュー曲で。あとは"プラネット"とかオアシスみたいだなって。日本とか関係ない感じでかっこよかった。高校くらいから20代前半は僕がいちばん音楽を聴いてたときです。ペイヴメントとかいわゆるUSインディからエモとかもすごく好きだったし、洋楽とか邦楽とかなくて、僕だけじゃなくみんな全部並列で聴けてたときだと思います。

ああ、本当に音楽が輝かしい時代だったんだというイメージがあります。

フォトディスコ:HMVのホームページははやくから「これを買った人はこれも買っています」というやつがあって、しらみつぶしに見てました。

では、ウォッシュト・アウトとかとやっぱり似ていますね。彼もヨ・ラ・テンゴとかが好きで、とくにテクノやエレクトロニック・ミュージックとか、ダンス音楽で育った人ではない。インプットがUSインディとかハード・ロックとかふつうのチャート音楽で、それがベッドルームを通って、アウトプットがシンセ・ポップとかエレクトロニックになるんです。

フォトディスコ:まあ、僕も就職失敗してるんで。

ははは。たしかにそこもウォッシュト・アウトと同じかもしれないですけど、なんでシンセとかになっちゃうんですかね?

フォトディスコ:うーん、なんでですかね。実際はギターの音を加工してる部分も多いんですけどね。

野田:90年代までラップトップ・ミュージックを率先してやってきた人たちっていうのは、クラブ・カルチャー寄りの人たちだったんですよね。それがこの10年で、インディ・ロックをやってた人たちにまで波及したんだなと実感しますね。

それは本当にそう思いますね。時代が時代ならずっとバンド組んでやってただろう人が、環境が整ってラップトップの方に流れ込んだ......。いまのフォトディスコのひな形になるような音はいつ生まれたんですか?

フォトディスコ:高校の後、映像系の学校に入ったので、そこで、何か映像と合う音が作れないかなと思ったときですかね。

映像というのは大きいコンセプトだったんですね。フォトディスコってそういうことですか?

フォトディスコ:いや、雰囲気です。単語を足していったら、響きがいいな~と思って。

映像の道には進まなかったんですね。

フォトディスコ:就職失敗して、田舎に帰って(笑)。

野田:田舎帰ったんだ(笑)。

フォトディスコ:はい。それからバイトしてお金貯めて、上京してきました。

(笑)お金貯めてわざわざ上京したってことは、それなりに野心があったってことですよね。音楽以外の目的ですか?

フォトディスコ:いや、ミュージシャンになるために。

ははは。そのわりにぜんぜんガツガツしてないじゃないですか! マイスペに音源アップするだけって(笑)。

野田:それが音にも出てるよねー。

フォトディスコ:なははは......(汗)。

誰に届いてほしいとか、誰が聴いているとか、リスナー像や顔が思い浮かびますか?

フォトディスコ:うーん......最初のリスナーは僕ですね。僕がよければ、その音はいいんです。

このへんの人たちに投げようとか、そういうのないですか?

フォトディスコ:やっぱり、作っているときは単純に楽しくて、あんまりそういうことは考えられないですね。

そうですか。私自身は書くことがけっこう苦痛なタイプで、どうやって誰に伝えたらいいんだろうということばかり考えているので......

フォトディスコ:それはだめですよ。楽しんで書かないと、人に伝わりませんよ。

ああ、そうですかね......そうですね......

野田:俺なんて、20歳になるまでは日記ばっかり書いてたけどね。

ええっ。

野田:ノートに。日記の場合はブログと違って人には読まれないことを前提で書くけどね。

ほんとそういう芯から作り手な人には、羨望がありますよ。では、今回の公式デビュー作となる『言葉の泡』についてですが、これはレーベルもついてミックス等も他の人間が関与するというところで前回とはまた異なった達成感があったのではないかと思うのですが。

フォトディスコ:いえ、まったく同じですね。

野田:はははは!

フォトディスコ:チルウェイヴっていうのはこういうものかっていう勉強があって、それを好きに使って楽しんだというのが今回のアルバムです。

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そうですね。ただ作ってるだけの人ですね。作るのが大好きで。ハードディスクを調べたら......100曲とかはふつうに超えてると思います。


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言葉の泡

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制作過程として、前回とはいろいろ異なる部分があったんじゃないですか?

フォトディスコ:はい。ミックスやマスタリングの方もいますし、全然音が変わりました。この前出したやつはもろ宅録なんで、音圧がほんとしょぼくて。基本的には自分の音楽はヘッドホンで聴く音楽だと思うんですが、スピーカーで出したときにやっぱりすごく差が出てしまうので気になってたんです。今回エンジニアの方とやらせてもらって、そのへんをいじってもらったことで、市販されているような、ほんと基準の音圧や音量を手にした感じなんで、けっこうテンション上がりましたね。

エンジニアの方とのやりとりのなかで、心に残ったことはありますか?よくミックスも解釈だっていいますが。

フォトディスコ:やっぱりミキシングとかは、多少他の人が絡むことで自分が思っていたのと違う音になっちゃって、はじめはそれがすごく嫌だったんです。でも予算内でけっこう時間をかけて直しながら聴いているうちに、ああ、こういうのもアリかなって思えるようになって、自分のなかにないものが許せるようになりました。だから、今回のももちろん自分の作品ですが、自分にないものも入ってます。自分ひとりではできないものにもなってると思います。

野田:僕も訊きたいことがあるんですが、"言葉の泡"ってどういうことですか? どこからきたの? "盆踊り"とかさ、"サケ"とか、どういうところからそんなタイトルが浮かんだのかなって。

フォトディスコ:言葉の泡ですか......うーん、何ですかね......(笑)。やっぱり、言葉っていうのは......普段、いろいろな言葉を話すじゃないですか。それが、消えていく感じがするんですよね......。

文字通り、消えていく感じがするってことですか?

野田:意味というより音声として?

フォトディスコ:そうですね、なんか.....1日に話す言葉っていっぱいあって......それが聴覚的に泡のようにきこえるっていう感じです。

"言葉の泡"がいちばんいい曲ですか?

フォトディスコ:作ったときはそうでもなかったんですけど、いろんな人がいいって言ってくれて......僕は"盆踊り"がいちばんいい曲だと思います。

野田:僕も同感です。

ああ。"盆踊り"はどういうふうにできたんですか?

フォトディスコ:あれは、バイトやめたときに、次の仕事見つけるまでちょっと休もうと思って田舎帰ったことがあったんです。ちょうどそれが夏の終わり頃で、写真が好きなんで実家で写真とか撮ったりしてたら曲が作りたくなったんです。アコギでやりたいなってその時は思いました。

アコースティックな曲に漢字のタイトルがついてるように見えますが?

フォトディスコ:そうですね。

え? あ、そうなんですか?......いや、なんか、英語のタイトルのものと日本語のタイトルのもので何か使い分けがあるのかなって思って。

フォトディスコ:ああ、それはありますね。たぶん僕が日本語のタイトルをつける曲は、気持ちがめちゃくちゃこもってますね。

ははは!

野田:じゃ"サケ"(表記は"SAKE")は?

ははっ。中間ですか?

フォトディスコ:中間ですね(笑)。マーティン・デニーの"サケロック"みたいな雰囲気の曲を作ろうと思って作りました。あとはジャッキー・チェンの酔拳のイメージもありましたね。ちなみに、ほんとに酒飲みながら作ってました。

ほんとに酒なんだ(笑)

野田:エレクトロニック・ミュージックって酒飲みながらでも作れるところがいいよね! ところで曲を作るときっていうのは、どういう感情に動かされるの? フォトディスコってなんか......むやみに力んでないっていうか。

フォトディスコ:そうですね......まず、作りたいという感情と、僕も第三者にとっても気持ちのいい音にしたいっていう目的で作っています。

何にこだわりますか? とくに大事にすることとか。

フォトディスコ:とりあえず中域を出すことです。

それは......気持ちがいいから?

フォトディスコ:......まろやかになります。

ははは! まろやかが目的ですか。

フォトディスコ:外歩いてて聴こえてくる音って、いまはすごくキンキンしてますから。聴いててずっと聴ける音楽って、まろやかなものだと思うんです。

ああ、ずっと聴ける音楽っていうのが大事なんですね。とくに新しく入った曲には、アコギではなしに、チルウェイヴ的な方法で「まろやかさ」が演出されているのかなと思います。新しい曲群ではどれが好きですか?

フォトディスコ:それは"ミッドナイト"ですね。

ああ、そうですか! "ミッドナイト"いいですね!どうしてですか?

フォトディスコ:気持ちいいからです。

野田:ははは!

気持ちいいから、っていうのはもう哲学なんですね。

フォトディスコ:気持ちいいのはすごく大事ですね。いちばんです。

野田:『エレキング』のシンセ・ポップの特集でチャートを挙げてもらったときに、「いまのシンセ・ポップにロックを感じる」って書いてあったでしょう? フォトディスコにとってロックっていうのはどういうものなんですか?

フォトディスコ:それは......新しいものを作っていくってことですね。リヴァイヴァルだって言うけど、僕はトロ・イ・モワとか聴いたとき、ほんとに聴いたことないものだって思いました。あとは、ガチガチに決めないっていうことですかね。ヨレがある方が人間味が出るというか、新しいものに柔軟でいられる......

ではフォトディスコの次の音、ということでお訊きしますが、たとえばもっとしっかりとヴォーカルの入った歌ものとかは作ったりしないんですか?

フォトディスコ:歌ものは......僕、歌に自信がなくて。作ったことはあるんですけどね。

自分は歌では音以上に人を気持ちよくさせられない、とか感じてたりするんですか?がちっとした日本語詞の曲がないですが、音ではなく詞や言葉で表現したいことってあまりない......?

フォトディスコ:日本語だとほとんど音に乗らなくて。曲の雰囲気を崩さずにやるのは難しいですね。

やっぱり音ありきですよね。もし無理矢理先に詞だけ作れってことになったら、何か書けますか?その......詞や詩というものを言葉で生む人なのかどうかっていう疑問なんですけど。

フォトディスコ:いや、作れなさそうですね。やってみたこともなくて......。

もし、がっちり言葉で曲を作れってなったら、何をテーマにします?

フォトディスコ:うーん......年金問題とかですかね......

(笑)チルウェイヴで年金問題ですか。

フォトディスコ:でも、やるなら日本語ではやりたいと思います。

今回DJユニットのメタンによる"言葉の泡"リミックスが収録されてますね。すごくゴーストリーな音像で、あの曲をリミックスしたらこうなるか?っていう、とてもユニークなものに仕上がってますけど、あれは「言葉の泡」というより「言葉の霊」って感じで、歌ものとは別の形で言葉を強調したものになっていると思いました。

フォトディスコ:聴いていて、気持ちの良いリミックスです。今回、リミックスを初めてやってもらったんですが、自分の曲が違う曲になって面白かったです。

ウォッシュト・アウトもネオン・インディアンもトロ・イ・モワもメモリー・テープスも今年セカンド・アルバムを出しましたよね。4様の道を進んでいますけど、フォトディスコの音楽には今作ではまだ出きっていない隠れた芽がいくつもありそうですので、飛躍のセカンドも楽しみに待ちたいと思います。

Rustie - ele-king

 『ピッチフォーク』が本作をLFOのデビュー・アルバムに重ねて評していたが、どうだろう......新世代の到来という意味ではうなずけるが、その音楽を思えば正反対とも言える。『フリーケンシーズ』に夢中になったリスナーが『グラス・ソード』を聴いたら、その多くは拒否反応を示すだろう。
 ダブステップにしてもグライムにしてもグリッチにしても、あるいはチルウェイヴにしても、ここ数年の若い世代による打ち込みの音楽(エレクトロニック・ミュージック)と、LFO世代のそれとは音色において決定的な違いがある。初期のLFOを特徴づけるのはエレクトロ・ヒップホップからの影響とアナログ機材の音色だ。それはURを特徴づけるのがTR909のキックドラムであることと同様で、電子音とはいえアナログ機材の音色はギブソンのレスポールのように楽器そのものの音の説得力がある。ところがいまや若者にとってアナログ機材は高嶺の花で、逆に身近でコスト・パフォーマンスの優れたラップトップ・ミュージックにおいては、かつてアナログ機材で鳴らせたような音の表情はない。誰もが使えるようにと敢えてクセを避けたような、どちらかと言えばつるつるで、無味無臭の電子音だ。だから過剰にリヴァーブをかけたり、ベース音を異様にでっかくしたり、グリッチしたり、スクリューしたり、とにかくまあ、作り手はそれぞれのやり方で音を汚すことで味を出しているように見受けられる。
 が、80年代リヴァイヴァルのなかでYAMAHAのDX7の音色(80年代いたるところで使われまくって、そしてハウスやヒップホップの時代の到来とともに急速に廃れていったデジタル・シンセサイザー)までリヴァイヴァルしている現状において、はからずとも昨今のラップトップ・ミュージックの音色もあながち遠からずではないだろうか。ラスティのつやつやの、80年代フュージョンのような煌びやかな音色はむしろLFO世代が毛嫌いし、駆逐したものに近いテイストを持ちながら、それはいまベース・ミュージックの新世代(たとえば〈ナイト・スラッグス〉系とか)のなかで顕在化している。つまりラスティは新世代の到来を告げる大きな旗印のひとつには違いが、その勢いはLFO世代の美学を駆逐しかねないとも言えよう。

 『グラス・ソード』は大河ドラマのはじまりのような、なんとも大仰な、壮大なフュージョンで幕を開ける。ゾンビーはつやつやの玉虫色の音色をドラッギーに展開しているが、ラスティのそれはむしろその煌めきや滑らかさを強調する。ベースは相変わらずでかく、そして音の煌めき方ならびにその煌めきの重厚さがハンパない。ファンキーだが、ねっとりした感じはなくつるつるで、つるつるだが、いまを生きる子供たちのための騒がしい音楽だ。
 R&Bナンバーの"サーフ"では、そうした彼の音のセンスが魅力的に活かされている。うねるベースとピアノ・コードの掛け合いはデジタル・ワールドに移植されたヒップホップ・ゲットーのレイヴ・パーティのようだ。"シティ・スター"のような曲からも彼のルーツ=UKガレージをうかがい知ることができるが、ラスティの本領が発揮されているのはシングル・カットされた"ウルトラ・シズ"のような曲だろう。このすさまじい曲はなんというか......埃だらけのダブステップやグライムが、ピカピカのゲームセンターないしは大量の情報が氾濫するラップトップのヴァーチュアルな世界のなかでネオン管のような光沢を帯びながらうねりをあげているようだ。
 これはトレンドではない。エネルギーの詰まった新世代の音だ。"オール・ナイト"のようなキャッチーな曲を聴いていると、ラスティはLFOというよりもダフト・パンクになれるんじゃないだろうか......と思えてくる。

Photodisco - ele-king

 チルウェイヴ、ポスト・ロック、ネオアコ、エレクトロ、シューゲイザーとJ-POP......そういったものがフォトディスコの音楽には混在している。今年の初めにリリースされ、渋谷の某レコード店でベストセラーになったというCDR作を経ての本作『言葉の泡』は、公式では最初のアルバムとなる。日本のポップ史学的な見地から言えば、これは思春期をスーパーカーとともに過ごした世代による最良のベッドルーム・ポップ集のひとつで、UMA UMAの胸がすくような叙情性、エレクトロの下世話さ、そして中村弘二の物静かな幻覚との奇妙な融合と喩えられるだろう。
 アルバムにおいてもっとも印象的な曲のひとつに"盆踊り"という曲がある。ビートはゆっくりと時間を刻み、音数少ないメロウなギターの反復には"間(沈黙)"がある。その"間"にはフィールド・レコーディングによる虫の声がミックスされる。ここで聴ける叙情性、"盆踊り"が表すところは、とりあえず生きていると毎年この時期に感じてしまうあの切ない感覚だ。こうした生活のなかの陶酔感がフォトディスコの音楽の根幹にはある。それがたまたまアメリカのチルウェイヴの初期衝動と近かったという話で、スクリュー(サンプリング)を用いているわけではないし、音楽の方法論としてはまた別物だ。が、フォトディスコは現代のベッドルーム・ポップ・ムーヴメントにおける日本からのアクションのひとつではある。タイトル曲の"言葉の泡"は切ないラヴ・ソングだが、言葉少なく、説明も情念もない。ネオアコのチルウェイヴ的展開とも言えるこの曲は、そして生活のなかの陶酔感を極限にまで引き延ばそうとする。これがフォトディスコの、いまのところの最高の魅力で、そしてその感性において彼の音楽のポップとしての高みがある。

 "フェイク・ショー"や"ゴースト"、あるいは"ミッドナイト"のようなメランコリーとディスコ・ビートを擁する曲、いわばチルウェイヴィな曲もある。ネオンライトのなかを4/4のキックドラムが脈打つ"トーキョー・ナイト"、ダフト・パンクがアンビエントをやったような"アイ"、メロウなギター・ポップをディスコに落とし込んだような"サケ"といった曲も面白い。ポリゴン・ウィンドウの『サーフィン・オン・サイン・ウェイヴ』からアシッド・ハウスを差し引いて、代わりにここ数年のシンセ・ポップ(トロ・イ・モワからウォッシュト・アウト、ジェームス・ブレイクなど)からの影響を注いだような感じというか......。
 もしこの『言葉の泡』を『サーフィン・オン・サイン・ウェイヴ』に喩えられるなら、"Quino-phec"の蜃気楼のようなアンビエントに相当するのは"言葉の泡"のメタン(DJメタルとタンゴによるユニット)によるヘリウム・ミックスだ。8分以上にもおよぼドローンはリスナーを恐ろしく虚無な眠りへと連れて行くだろう(そしてこのリミックスを聴けば、なぜメタルがもう原稿を書けないのか、読者はよく理解できるに違いない)。

Conrad Schnitzler & Borngraber & Struver - ele-king

 先日、恵比寿のリキッドルームでのANBBのライヴで、そのフロントアクトのために上京していたNHKyxことマツナガ・コウヘイは、ひょっとしたらコンラッド・シュニッツラーと最後に会った日本人なんじゃないだろうか。1年のほとんどをベルリンで暮らしているマツナガ・コウヘイは、市内にあるシュニッツラーの自宅を訪ね、そしてコラボレートしている。もちろんその楽曲はまだ発表されていないが、今年の8月4日、患っていた癌のために逝去したコンラッド・シュニッツラーに関しては、とりあえずこれから先も未発表作品が出てきそうだ。

 エイミー・ワインハウスがこの世を去ってからおよそ10日後に、涙や悲しみ、あるいは人生論や精神論、この社会が規定する真面目さといった人並みの重みからも、そしてどんなムーヴメントからも100万光年離れていたかのような、この一見風変わりなドイツ人の電子音楽家は70代なかばにして死んだ。彼の膨大なディスコグラフィーの半分も聴いているわけではないものの、それでも家には10枚ほどのアルバムがあり、しかし、いまだこの音楽をうまく表す言葉を持たない始末である。たまに赤(ロート)や青(ブラウ)や黒(シュヴァルツ)なんかを引っ張り出して聴くのだけれど、いまだ言葉が出てこない......。同じように膨大な自主制作盤を多く出しているサン・ラにはすでに多くの言葉やいくつかの書物があるというのに、1937年生まれのコンラッド・シュニッツラーは死んでもなお言葉で説明されるよりもさらにその先にいたかのようだ。
 コンラッド・シュニッツラーに関しては、彼のバイオグラフィーやエピソードのほうがいまだ彼の音楽をより良く表しているように思える。タンジェリン・ドリームのオリジナル・メンバーにして"K"時代のクラスターのメンバーでありながら、バンドの継続や発展というものには何の興味もないかのようにいずれも最初だけいてすぐに脱退している。音楽活動以前はヨゼフ・ボイスに師事していた過去もあり、本人によれば影響はないという話だが、それとてどこまで真意かわからない。わかるのはコンラッド・シュニッツラーの清々しいまでに反権威的(に見えるそれ)で、そしてちまたで言うところの音楽的であることや、あるいはその意味なるものをとことん拒絶するかのような軌跡だ。ノン・ミュージシャンというブライアン・イーノの提言をシュニッツラーほど最後まで実践した人もいないとも言える。セールスや評価どころか、自分の作品の曲名(無題か、たんなる数字)やアルバム・タイトル(無記)、あるいはアルバムのアートワーク(たんなる色)すらもどうでもいいと言わんばかりの彼の経歴に関しては、とても詳しい日本語のサイトを見つけたので、ぜひ読んでいただきたい(https://www.fancymoon.com/mrs/)。

 彼が死ぬ4日前に録音したという『00/830 EndTime』を僕はまだ聴いていない。まだ聴いていない作品ばかりがある。本作はコンラッド・シュニッツラーのもっともよく知られた『Ballet Statique』や"Zug"のリミックス盤(リミキサーにはPoleもいる)を昨年リリースしていたベルリンの〈M=Minimal〉レーベルのふたりの主宰者、ボーングレイバーとストゥルヴァー(元々はジャーマン・トランスの人である)が彼の曲を再構築した『コン・ストラクト』なるアルバムだ。本国では死ぬ直前にリリースされているようだが日本に入ってきたのは死後なので、レコード店で見つけて反射的に買ってしまった。不可解きわまりない70年代の作品に比べれば、ベルリンのミニマリズムに落とし込んである分だけ聴きやすいものとなっているが、それでも名状しがたいところはある。なんというか......ポポポポポポ、ゴォオオ、ポ、ポ、ポポ、プチ、コキコキコキコケケケ......そんな感じが1から8まである。アナログ盤をカッティングしているのはPoleで、作品のディストリビューションはケルンの〈コンパクト〉が担当している(マスタリングは例によってハードワックス地下のダブプレート&マスタリングだろう)。

 コンラッド・シュニッツラーの家を訪ねたマツナガ・コウヘイの回想によれば、彼の自宅の地下にあるスタジオには古いアタリのコンピュータが数台並び、その横にはアナログ機材から最近の電子機材も数台並んでいたという。つまり機材が更新があり、おそらくは死ぬ直前までやる気満々だったそうなのだ。スタジオの音はそのまま1階のリヴィングのスピーカーからも聴くことができ、庭にはリンゴの木が生えていたそうだが、そのリンゴの実にはいっさい手を出さなかったという。そしてコンラッド・シュニッツラーは自分の死後の計画までマツナガ・コウヘイに話したそうだ。それは死後、自分の身体のいち部を切断し、それを世界のいくつかの場所に埋めるというものだった。おそらくそれが彼の最後の"アート"なのだろう。言うまでもなく僕のようなしみったれた人間がもっとも憧れるのは、コンラッド・シュニッツラーのような人だ。ところでNHKyxとのコラボレーション作品はいつ出るのだろう。

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