「Dom」と一致するもの

Hype Williams - ele-king

 〈ノット・ノット・ファン〉に続いて〈メキシカン・サマー〉もダンス・レーベルをスタートさせるらしい。そのA&Rを務めるのがゲームス(OPN)で、彼らのヒット作をリリースした〈ヒッポス・イン・タンクス〉がハイプ・ウイリアムズの3作目を獲得です。なるほどです。ペース、早いです。
 ひと言でいえば、なかなかヴァージョン・アップされている。ダブというフォーマットを使ってドローンをディスコ化するという無理なトライアルのなかでは意外な成功を収めている人たちといえ、ドローンとディスコのいいところを融合させようという目的だけで共感できるし、それがなぜかダブステップとシンセ-ポップのクロスオーヴァーと表面的には似たものになってしまうところも面白い。逆に言えばドローンやディスコ・カルチャーといったジャンルにこだわりたい人たちにはスカムもいいところで、実際、サンプリング・ソースのくだらなさはその印象を倍加して伝えるところがある。A6"ドラゴン・スタウト"やB3"ミツビシ"などアンビエント・タイプの曲ではOPNに通じるニュー・エイジ風味も耳を引き、フリー・インプロヴァイゼイションに無理矢理ドラム・ビートを叩き込んだようなB4"ジャー"も独創的(A7"ホームグロウン"の元ネタはもしかしてマッド・マイク?)。
 ライヴなどではマスクで顔を隠し、インタヴューもほとんど受けないらしく、一応、正体不明などといわれてきたけれど、『ピッチフォーク』などではロイ・ブラント(ロイ・ンナウチ)とインガ・コープランドがその正体だと暴いている(でも、それは誰?)。クラウトロックとダブの出会いといった紹介のされ方も半分ぐらいは納得で、OPNやジェイムズ・フェラーロに対するイギリスからの回答という表現はいささかクリシェに過ぎるだろうか。もうしばらくの間、何をやっているのかよくわからない人たちであり続けて欲しいというのが正直なところではあるけれど。前作に関しては→https://www.dommune.com/ele-king/review/album/001561/

 セルジュ・ゲンズブールをアシッド・フォーク風に演奏してきたフランスのエル-Gが新たにジョー・タンツと組んだオペラ-モルトの正式デビュー・アルバムもエレクトロニクスを前面に出したせいか、ハイプ・ウイリアムズと同じくレフトフィールド・ポップへの意志を感じさせるアルバムとなった。とはいえ、全体の基調はあくまでも初期のスロッビン・グリッスルを思わせるレイジーなエレクトロニック・ポップ=プリ・インダストリアル・ミュージックで、英米の動きとはいつも多少の距離を感じさせるフランスらしい作風といえる。だらだらとして快楽の質には独特の淀みが含まれ、けっしてシャープな展開には持ち込まない。80年代前半のフランスに溢れた傾向と何ひとつ変わらず、近年、『ダーティ・スペース・ディスコ』やアレクシス・ル-タン&ジェスによる『スペース・オディティーズ』が掘り起こしつつあるライブラリー・グルーヴとも一脈で通じるものも。フランス実験の重鎮、ゲダリア・タザルテと組んでミュージック・コンクレートにも手を出すような連中なので、そんな風に聴かれたいかどうかはわからないけれど。
 チルウェイヴをダフト・パンクの影響下にある音楽だと解する僕としては、このようなオルタナティヴなヴァリエイションは次世代に向けた必要なポテンシャルとして過大に評価したい。あるいは単純に"アフリカ・ロボティカ"が好きだなー。この曲はきっとアンディ・ウェザオールを虜にするだろう。

Ike Yard - ele-king

 UKではコード9が「アイク・ヤードこそ最初のダブステップ・バンドだ」と言ったことが話題になったようだけれど、彼らはたしかに有名なJ.G.バラード共鳴者だ。そして、実際にこれほど明確にディストピアな状況に自分が暮らしていると、なんだかますますディストピア・ミュージックを聴きたくなってくる(家人は迷惑しているが......)。

 この世には多くのディストピア・ミュージックがある。トム・ヨーク自身もそれがディストピア・ミュージックであることを認めている『キッドA』、あるいはデヴィッド・ボウイの『ダイアモンド・ドッグス』(とくに"ウィ・アー・デッド"ですよ)......、そしてもちろん僕の場合はブリアル、砂原良徳の新作もディストピア・ミュージックだと思っている。
 ディストピアというのは、ユートピアへのカウンターのことだけれど、少々強引にたとえるなら、「いや、大丈夫です」と記者会見で東電の社員が楽観的な展開を言っても(←ユートピア)、「いや、大丈夫じゃないでしょう」という反発心(←反ユートピア)によるものである。いや、ちょっと違うかもしれないが、とにかく世界の大きな舞台で言われる「いや、大丈夫です」に対する強烈な違和感、拒絶感、嫌悪感のようなものが「いや、大丈夫じゃないでしょう」というディストピアを創造する。「no」という否定によって作られるユートピアであり、おしなべてパンク・ロックがディストピア・ミュージックなのもそういうことであります。

 アイク・ヤードといえばデス・コメット・クルーだ。自慢じゃないが我が家には、ラメルジーにサインしてもらったデス・コメット・クルーのCDがある。2004年に再発見された1986年の"スーサイドとヒップホップとの出会い"のようなサウンドは、もともとはアイク・ヤードというポスト・パンク・バンドを土台に生まれている。1979年から活動をはじめたというアイク・ヤードは、ニューヨークでスーサイドの前座を務めたり、リディア・ランチとも共演していた、まあ、いわばノー・ウェイヴのいち部である。
 1982年に〈ファクトリー〉からアルバムを発表すると、メンバーはベルリンに移住して、マラリアやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンらとの交流を深め、そしてニューヨークに戻ってきたときにはラメルジーをゲストに迎えてデス・コメット・クルー名義のヒップホップ作品「アット・ザ・マーブル・バー」をロンドンの〈ベガーズ・バンケット〉から発表している。デス・コメット・クルーの再発見に続いて、オリジナル・アイク・ヤードの作品は〈アキュート〉(←トロ・イ・モアやビーチ・ハウスを出している〈カーパーク〉傘下の再発レーベル)から2006年に編集盤『1980-82 コレクティッド』として再発されている。
 こうした再評価の波に乗って、スチュアート・アーガブライトとマイケル・ダイクマン、そしてケニー・コンプトンの3人はふたたびアイク・ヤードの名前で新作を録音した、それがこの『ノルド』というわけだ。そしてそのプレスシートには、コード9の「アイク・ヤードこそ最初のダブステップ・バンドだ」という発言が記されていたわけである。
 ここにはダブの低音はないけれど、暗い現実の記述はたんまりある。それは、なかなか魅力的な記述である。そして、僕はこういう音楽をいまこの瞬間に聴きながら、おのれの頽廃を再認識するわけです。その場しのぎのユートピアなぞ要らない。冗談じゃない。そして、こういうときだからこそ死を身近に感じながらいまを精一杯生きようと思うんです。DOMMUNEにおけるキラー・ボングのDJがそうであったように。

interview with Yoshinori Sunahara - ele-king


砂原良徳 / liminal
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 取材したのが3月10日、つまり東北地方太平洋沖地震が起きる1日前というタイミングだった。ゆえに以下に紹介する取材のやりとりは震災前の世界でおこなわれていたもの。そしてこの原稿を書いている現在(3月24日)もなお、放射性物質の漏洩は止まることを知らないようで、もっとも危険だと評判の三号機は煙をあげている......。やだなー、恐いなーと思っても、逃げ場がない。
 原発事故によっても命が奪われ、多くの人が避難を迫られ、環境汚染がはじまり、そして節電を強いられている。僕はアンプに電流を通して毎日音楽を聴いている。『リミナル』は、震災前に聴いたときも強いものを感じたが、いまも変わらずよく聴こえている。むしろより共感している。
 以下のインタヴューを読んでいただければわかるように、『リミナル』は彼にとってのおそらく最初の抽象音楽である。が、砂原良徳のディテールへの執着......いや、執念のようなものがこのアルバムに収録された8曲すべてにある。それは聴覚体験においてスリリングで、そして、決して上昇することのないこの音楽――10年ぶりにリリースされる『リミナル』のリアリティは、いまの僕にはより圧倒的な存在感をもって響いている。
 「サブリミナル」のときにも書いたが、『リミナル』は僕のなかでは、コード9やブリアルの音楽の延長線上で聴こえている。僕は薄暗い都内の駅のホームで、iPodでこの作品を繰り返し聴いた。ひっそりとした電車のなかで、あるいは灯りの消えた青山通りで聴いた。奇しくもアルバムは、2011年のサウンドトラックとなった。

『ラヴビート』の頃はあらかじめテーマがあって、イメージがあって、それに沿ってやっていったんだけど、『リミナル』に関しては社会を生きながら感じたものをダイレクトに出してみようっていう。あんま考えずに出してみようっていうね、そこがいつもと違っている部分で、そうなると自分がどういう風にどうやってやったという説明がうまくできない。

素晴らしいアルバムができたましたね。

砂原:いや、そんなことないんですけどね。まあ、いちおうできたっていうね。

いまはどんな気持ち? ほっとしている感じですか?

砂原:けっこうね、次を作りたいというのが強いですね。

なるほど。

砂原:ラヴビート』を作ったときは、次のことを考えられなかったけど、いまは次に何をやるのかってことばかり考えていますね。

そうかぁ。発売日が3月30日(注:その後、震災の影響で4月6日に延期)じゃない? それで、最初に池ちゃん(ソニーの担当者さん)から4曲入りのダイジェスト版のサンプルが送られてきたのが2月の初旬だったかな。そして、最終的な音源が送られてきたのが3月に入ってからだったでしょ。3月30日発売のCDでこのスケジュールは通常はあり得ないと思ったんだよね。舞台裏が相当にバタバタだったんじゃないかと推測したんだけど。

砂原:ハハハハ。

ギリギリまで粘っていたの?

砂原:まったくその通り。27日にあがってますから。異常だよね。

異常だよね(笑)。最初にダイジェストが来てから、わりとすぐに完成盤が来ると思っていたんだけど、けっこう時間がかかった。その間に何があったんでしょう?

砂原:『ラヴビート』のときは自分のスタジオで録音していたので、直そうと思えばすぐに直せたんだけど、今回は外のスタジオを使っていたんで、最終的に曲の足並みを揃えるのに時間がかかってしまったんだよね。

とにかく時間ギリギリまで。

砂原:それはいつもだけど。

それにしても本当にギリギリだったね。

砂原:そうだね(笑)。

このドタバタ感が、この作品の内容にも関係している?

砂原:しているね。あとね、前回の「サブリミナル」の延長線上でやっていこうと思っていたんだけど、途中から別の要素が入ってきて、別のことをはじめてしまったんだよね。それが(このスケジュールにとっては)大きかったね。

当初考えていたものとは違う方向にいった?

砂原:そうそう。

去年の夏に取材したときは、「半年以内に絶対に出る!」って断言していたからね(笑)。

砂原:だから野田さんが言った通りになったんだよ。『ラヴビート』って2001年の3月だったから、ほんとに10年後に次が出た。スゲー、予言者だよ。

あれは適当に言っただけだから。

砂原:ハハハハ。

それで『リミナル』なんだけど、俺はすごく激しいものを感じたんだよね。

砂原:そうですか。

いままでのアルバムにはまったくなかったモノを感じたんですよ。激しい何かを音楽から感じて、それにまずは驚いた。

砂原:そうですか。世のなかの切迫した感じが出たのかもしれないけど、こうしてやろうと思ったわけじゃない。ハードにしようと思った作ったわけじゃないんだけどね。自然にこうなったっていうか。

前回の取材で話したときに、物事をなるべくロジカルに捉えているように思えたんだけど、音楽を聴くとずいぶんとエモーショナルな作品だと思ったし......。

砂原:そうですか。

理詰めで作ったというよりも、エモーショナルに作ったっていう感覚が......。

砂原:『ラヴビート』の頃はあらかじめテーマがあって、イメージがあって、それに沿ってやっていったんだけど、『リミナル』に関しては社会を生きながら感じたものをダイレクトに出してみようっていう。あんま考えずに出してみようっていうね、そこがいつもと違っている部分で、そうなると自分がどういう風にどうやってやったという説明がうまくできない。だから自分でやっていることが口で説明できなくなってきてますね。だけど、説明できなきゃいけないのかというと、そうじゃないなと。自分がやっていることを何から何まで説明してしまうのは逆につまらないなって。

聴いているほうにしてみても、作者に何から何まで説明されてしまうとつまらないっていうのもあるんだよね。想像力が使えなくなるから。

砂原:そこが音楽の面白い部分でもあるからね。

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いまの世界が問題山積みなのはわかるけど、それを解決するのに何がいちばん良い方法なのかっていうのが自分のなかではまだはっきりしないところがあるから......もちろん、争いや暴力がなくなるのが良いに決まっているんだけどね。


砂原良徳 / liminal
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それで、聴いて思ったのは、「まりん、何を怒ってるの?」っていう。

砂原:怒ってるかな?

"ビート・イット"とか怒ってるよ。

砂原:問題意識はあるけど怒っては......いや、わからないね。自分でもそこがわかならいのかも。実は怒っているのかもしれないし。

自覚はなかったんだ?

砂原:まったくなかったね。

"フィジカル・ミュージック"についても?

砂原:社会全体の問題がどんどん山積している感じはずっとしているけどね。日本もそうだし、世界もそうだし、人類の問題がどんどん増えていってるという感じはするしね。

パブリック・エネミーやURみたいに意識していたわけじゃないんだね。

砂原:ただ、リアリズムに基づいて音を出すという意味では、デトロイトのそうした連中のことはすごい理解できるし、自分もそれはそうだと思う。

『ラヴビート』の前後は、「ファンク」ってことをよく言ってたよね。「次はファンクやりたい」とか。ファンクって表現は、怒りとも関係あるじゃない。だからね、「まりんのファンクとはこういうことだったのか」と思ったけど。

砂原:昔はファンクって、リズムが気持ちよく流れていく感じだと思っていたけど、ファンクっていびつさだと思うようになって。いびつさこそファンクじゃないかと。

いや、今回のアルバムはそれがもっとストレートに出ているよ。それが怒りというものに思えてならないんだけどね。

砂原:そうかもしれない。自分でもよくわかならないんだよね。『ラヴビート』だって最近だからね、ちゃんと聴けるようになってきたのって。でもね、『ラヴビート』のときのほうが怒ってたかもしれない。

『ラヴビート』はまだ、メロディがある。アプローチしやすいじゃん。

砂原:構造もわかりやすい。

今回はメロディやメロウネスといったものを排除しているでしょ。

砂原:してるね。

それで、ささくれ立った感覚が際だっているんだよね。

砂原:それは意識的にやったかもね。

そういう意味では『ラヴビート』の対岸に飛んだというか。

砂原:そうかもね。でも軸足は『ラヴビート』のときから変わっていないんだけどね。でも、世のなかも変わるし、自分も変わるし、そうなると表現も変わってくるよね。

それで90年代のまりんの音楽を聴き直すと......。

砂原:ぜんぜん違うでしょ。

ぜんぜん違うし......。そもそもパンクに親しんでいた過去があるわけではないでしょ?

砂原:うん。

テイク・オフ・アンド・ランディング』の頃はぜんぜん違うもんね。娯楽に徹していたし、作り方もサンプリング主体だし、ドリーミーだし。

砂原:パンクは通っていないけど、初めてアート・オブ・ノイズを聴いたときはパンク以上にパンクだと思ったけどね。ピアノをぶっ壊した感じとか、歪んだドラムとか......。

あれはアートフォームにおけるパンクでしょ。

砂原:戦略的なこともあったからね。ただ、パンクのスピリットというのは、昔から自分のなかにあったことはあったんだけどね。

だけど、パンクに対して斜に構えて見ていたほうでしょ。

砂原:まあ当時はね。

だいたいまりんはP-モデルだからね。

砂原:そうね。

でも、P-モデルはパンクだよね。

砂原:P-モデルはパンクだよ!

そうだよ(笑)。

砂原:だいたいパンクって言った瞬間に終わる。アートもそうなんだけど、言った瞬間に終わるっていうのがあると思ってて、俺が見たときにはパンクってできあがっていたから。それで直接的にパンクのほうにはいかなかったんだと思うけど。でも、スピリットは強いと思うね。だいたい電気グルーヴのなかにいたってこともあるし......あのバンドはパンキッシュだったでしょ。

石野卓球にはあるよね。

砂原:いや、瀧にもあると思うし、そういう影響はあると思うね。

でも、もともとは世のなかに対して腹を立てている音楽はかっこ悪いと思っていたほうでしょ?

砂原:そんなことはない。やっぱ、ニューウェイヴってパンクの変形みたいなところがあるじゃないですか。P-モデルなんかはまったくそうだと思う。中学生のときはYMOにハマっていたんだけど、高校生ぐらいのときからじわじわとP-モデルにハマっていったんだよね。

坂本龍一の『B-2ユニット』なんかは?

砂原:あれもそうだね。ああいう感覚をYMOが取り入れたんだろうね。それを言ったら俺は『テクノデリック』や『BGM』にもパンクを感じるけどね。あと、ヤン(富田)さんにすごくパンクを感じるんだよね。そう、俺はああいうスタンスにパンクを感じることが多いかな。ギター持って、ベース持って、ドラム叩いて、Tシャツ着てジーンズ穿いてって、俺はスーツ着て、ネクタイ締めて、小型無線機を持って電車に乗り込むサラリーマンといっしょだと思ってるから(笑)。それといっしょじゃん。それよりも、俺、池田亮司にもパンクを感じるから。

『ラヴビート』以降は、とにかくこうした公の取材で社会問題について話すわけだけど、社会と音楽との関わりみたいなところでは、何か声明を出していきたいとは思わない?

砂原:いまの世界が問題山積みなのはわかるけど、それを解決するのに何がいちばん良い方法なのかっていうのが自分のなかではまだはっきりしないところがあるから......もちろん、争いや暴力がなくなるのが良いに決まっているんだけどね。

何かこう、メッセージを言うって感じではない?

砂原:そういう感じではない。それを言うことで、どこかにしわ寄せが来るのが嫌だし。

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あれはメッセージはメッセージなんだけど、あのなかに出ているCO2がどうたらこうたらとか、ああいうの、俺、CO2を無くしたいからああいうこと言ってるわけじゃないのね。CO2が環境にどれだけ悪いのかという証明を誰かが出したのか、これは我々は騙されているんじゃないのかという、そういう投げかけなんだよね。


砂原良徳 / liminal
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"サブリミナル"のPVを見たけど、あれすごいじゃない。レディオヘッドみたいだと思ったよ。

砂原:あれはメッセージはメッセージなんだけど、あのなかに出ているCO2がどうたらこうたらとか、ああいうの、俺、CO2を無くしたいからああいうこと言ってるわけじゃないのね。CO2が環境にどれだけ悪いのかという証明を誰かが出したのか、これは我々は騙されているんじゃないのかという、そういう投げかけなんだよね。

CO2に限らず、グローバリゼーションの問題とか、資本主義経済の問題とか、いろいろな数字を地図にダブらせて、暗示させているよね。

砂原:そう、いろいろ出している。あれはけっこう踏み込んでやっているから。

あれは何?

砂原:あれはプロテストというわけでじゃない。「こういう情報とどうやってつき合っているんだ?」っていう問いかけだよ。まあ、時間が経ったから言うけど、「CO2を無くしていきましょう」とか、そういうことを言いたかったわけじゃなくて、「震度5でこの建物は崩壊します」と言う、しかし「その情報は本当にあっているのか?」、「怪しいヤツが来て、税金集めて、何に使われているのかわからないんじゃないのか?」、そういうことを考えて欲しいというのが意図としてあったんだよね。

惑わされるなと。

砂原:たとえば発展途上国の開発だって本当に現地の人たちのためにやっているのか利潤のためにやっているのかわからないと思うんだよね。「Win-Winの関係」って経済用語としてよく言われるじゃないですか。これをこうすることによって、お互いに利益がいくって。たとえば俺がいまここで水を飲める技術を提供してやれば、「おまえらも水が飲めるし、俺は金が儲かる」っていう。でも、「それって本当なのかな?」と思うんだよね。

なるほど。そういういま社会で公然とおこなわれていることに対する疑問符みたいなものだね。

砂原:そうだね。俺、ぜんぶ経済に取り込まれている気がするんですよね。昔だったら、家に赤ん坊がいればそれを見てくれるお婆ちゃんがいた。でも、いまはいないからそういうサービスに電話する。それで金が取られるじゃないですか。資本主義が......進化なのか退化なにかわからないけど、いろんな価値観がどんどん経済に飲み込まれてるってことです。そういうシステムに飲み込まれずに自分を成立させるのがひじょうに難しいと思うんだよね。「俺は金なんかいいよ」と言っても、そうやって生きられない。自分の価値観を持って生きていくことがより困難になってきていると思うんですよ。

それは『ラヴビート』以降、ずっと考えていることでしょ?

砂原:『ラヴビート』のときはもっと衝動的だったし、甘かったんですよ。『ラヴビート』のときのほうがはっきりモノを言えたと思うんだけど、当時の考えでいま有効ではなくなっているものも少なくないと思うんだよね。だから、『リミナル』のほうがよりはっきり言えなくなっている。

その「はっきり言えない」感じは音にもすごく出ているね。

砂原:そう、はっきりは言ってないんだけど、(実は何かを)言ってるっていうね。

去年会ったときには、「プログレみたいなアルバムになるかもしれない」って言ってたじゃない(笑)?

砂原:ちょっとはあるでしょ。ない?

正直言って、まったくないと思う。

砂原:ああ、そう(笑)!

良い意味でね。

砂原:ああ、そう。

プログレになったらどうしようかと思っていたから。

砂原:俺としてはちょっとあるんだけどね。

まあとにかく「サブリミナル」を発表した時点にあった構想からずいぶん変変更があったと。

砂原:あったね。初めて踏み込む領域があって、そこに入っていったら気がついたと思うんだよね。"サブリミナル"をリアレンジして入れようと思っていたんだけど、実際にできたらアルバムに馴染まなくてはじいちゃったんだよね。そういうことがあったりとか......、あと、アルバムのなかばの曲とか抽象的だと思うんですけど......。

はいはい、"ナチュラル"とかすごいもんね。

砂原:うん、そういうところにも出ている。自分が具体的に表現しにくくなっているんです。

そういう意味では『リミナル』はわかりづらいアルバムだよね。

砂原:そうかもね。

曲名もわかりづいらい。

砂原:そう。

わかりやすくしようとは思わなかったの?

砂原:わかりやすくできるんだったらしたほうがいいと思うけど、ただ、わかりやすくすることで......たとえば『ラヴビート』というタイトルがあったとしたら、そのキャッチフレーズに合わせて世のなかを理想的に見ようとしたときに、どこかに副作用があったらこれはもうダメだと思うようになってしまった。それで言葉をちょっとぼかすようになってしまったんだよね。

正義というものがますます相対的になっているっていう感じ?

砂原:誰かが理想を掲げても、その理想の裏には悲しむ人がいるんじゃないかって。そういう副作用ができるようなマニフェストだったらはっきりしていないほうがいいと思うようになったんだよね。文明が物事を解決しようとして進んでいって、しかしそこには副作用が起きて、結局、堂々巡りのようになっているんじゃないかと思ったんだよ。何を解決しようと思ってもしわが寄る。それを強く感じていますね。

まりんのディスコグラフィーだけを追っていくと、『ラヴビート』で急に社会に目覚めたように見えてしまうんだけど、いまあらためて訊くと、『ラヴビート』にいたるまでに何があったんだろうか?

砂原:『サウンド・オブ・70'S』をやっているときに「変わる」ってことを強く感じたんだよね。世のなかの秩序が変わるだろうと。

あの当時、環境問題について強く話してくれたのはよく覚えているんだよね。

砂原:まあ、そういうこともあったかもしれないね。とにかく、『ラヴビート』をやっているなかで気づいたんじゃなくて、『サウンド・オブ・70'S』をやっているときに感じたことだったんだよね。「こりゃ終わりだな」と。98年ぐらいかな。

『サウンド・オブ・70'S』までは、まりんのなかで自分の音楽がエンターテイメントであることにプライドを持ってやっていたと思うんだよね。

砂原:まだ若かったし(笑)。それに90年代なかばの音楽業界はお祭り騒ぎみたいだったから。

ちょっとした黄金時代だったかもね。

砂原:そのなかにいて、気がつかなかったことがあったんだよね。だけど、いろいろやってくなかで無視できなくなってきた。あと、他の音楽からの影響もあったよね。『ラヴビート』をやる前にACOのプロデュースをしたんだけど、彼女が書いてきた曲が時代にすごくマッチしていたりとか......。ア・トライブ・コールド・クエストの『ラヴ・ムーヴメント』のような、自分にとって決定的なアルバムが出たりとか......あのアルバムを聴いたとき、自分が「変わるな」と感じていたことがそこにあるように思ったんだよね。ああ、ひょっとしたら音楽に最初に教えられたのかもしれないな。それでもっと現実を見ようと思ったのかもね。

まりんほど大きく変化を遂げたミュージシャンも珍しいと思うんだよね。

砂原:そう? 中学校のときの友だちに会うと、「おまえ、インタヴュー読んだけど、まったく変わらねぇーなー」って言われるよ(笑)。

やっぱ、でも......、昔の話になっちゃうけど、電気グルーヴ時代は、電気グルーヴのなかのまりんという役柄を引き受けていたところもあったんでしょ?

砂原:前半はとくにね。『ビタミン』以降は自然になっていったと思うけど、それまではやっぱ、勝手にそういうイメージができていて、それをなぞっていかないといけないのかなというのはあった(笑)。それまで俺、インディーズでやってきてて、それが突然、大きなステージに立って、たくさん取材を受けて、たくさん写真を撮られて、初期はすごく混乱していたからね。しかも、瀧が俺の足を持ってがーっとかふりまわしたら、それで何かが成立しちゃうから。

ハハハハ。

砂原:もう何もやらなくていいわけ(笑)。

ハハハハ。電気グルーヴはアイドルだったからね。

砂原:『ビタミン』以降は変わったけどね(笑)。やっぱあの頃はふたりの影響が大きいよ。

インパクトが強すぎるからね(笑)。話を戻すと、そういう意味では『ラヴビート』というターニングポイントがあって、それで今回の『リミナル』ではさらにまた違うところに行こうとしているってことだよね。そこに迷いはなかった? 

砂原:なかったね。むしろの次のステップに行きかけていると感じていたから。そう、だから、本当は、そう感じるよりも前に、1枚のアルバムをまとめてしまったほうがわかりやすかったのかもしれないね。けど、もう(次のステップに)行きかけているから。で、全体的にグラデーションがかかってしまってるのかな。まあ、できたばかりかだから、まだ自分でも(『リミナル』の全体像が)わからないところもあるんだよ。

なかなか客観的になれない。

砂原:何回か通して聴いたんだけど、「まだわかんねーや」っていう。

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聴いている人が楽しめないものにしたいわけじゃないないから、もうちょっと楽しめる要素で、自分がそれを妥協しないで受け入れることができるものがあるなら、それは取り入れたいなと思うんですよ。いつもそう思ってやってます、これでもね。


砂原良徳 / liminal
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手法的な話だけど、90年代はサンプリングという手法にこだわっていたじゃない。それを『ラヴビート』でやめてしまった。それでも『ラヴビート』にはそれまでの砂原良徳の音楽の魅力のひとつであるメロウネスがあったと思うんだよね。『リミナル』の驚きというのは、自分の音楽の魅力であるメロウな感覚をも削いだってことなんだけどね。それがすごいなと思ったんだよね。

砂原:音楽って、曲って、人から人に対するコミュニケーションじゃないですか。でもね、人が言ってることとか、個人が出すものとか、もう白々しいし、限界があるなと思ったんですよ(笑)。それを考えたときに「音楽のはじまりってどうだったのかな?」、「人から人に向けたものが音楽のはじまりだったのかな?」と、「いや、そうじゃないだろう」と思ったんだよね。風の音を聞いてなんかいいなと思ったり、波の音を聞いてなんかいいなと思ったり、あるいは動物の鳴き声であったりとか、そういうものが音楽のはじまりなんじゃないかと思ったんだよね。で、風の音や波の音のような意識的なものではない要素を自分の音楽に取り入れたいと思ったんだよね。でも、意識的に取り入れないと音楽にならない。で、意識と無意識のグラデーションとか考えているうちに、メロディとかそういう人が作ったものではない領域に踏み込みたいと思ったんだよね。それがメロディが少なくなった理由です。

ふーん、すごい話だなぁ(笑)。まあ、とにかく削ぎ落とそうと思ったわけではないんだね。

砂原:違う。削ぎ落とそうというのは、基本的に毎回やっていることだし。そうではなくて、もっと無意識の音というか。

ただ、まりんの音楽はエレクトロニック・ミュージックであり、そういった風や波の音とは違う次元の音じゃない。

砂原:いや、でも、突き詰めていくと、意外と近かったりするかもしれないんだよね。たとえばコンピュータで乱数的なプログラムを作って音を鳴らすと、風鈴の音と近かったりとか、つまり次にどういう風に鳴るのかっていうことが予測できない。そういうことはコンピュータでも作り出せるから。

もともとまりんの音楽は、良い意味でサーヴィス精神に溢れていたと思うのね。腕の良いコックが......

砂原:気の効いた料理を(笑)。

そう、気の効いた料理を、見た目も華やかにデコレーションしてテーブルまで持ってくる感じがあったんだけど、そういう観点で言っても、もう『リミナル』はその対極とも言える作品だよね。俺は、まりんの本来の資質は、アヴァンギャルドというよりもポップのほうにあると思っているんだけど、『リミナル』を作っているときに、自分のなかにあるポップの価値観みたいなものとのせめぎ合いみたいなものもあったわけでしょ?

砂原:それはあるね。

"ブルーライト"や"ボイリング・ポイント"みたいな曲はポップとは言えないと思うんだよね。

砂原:ぜんぜん言えない(笑)。

それでもこうした曲を収録しなければならなかったわけだよね。

砂原:メロディやコード、キャッチーと言われるものって、ある文化圏において前提のものとに鳴らされている音だと思うんですよ。たとえばいま日本でヒットしている音楽をアフリカ大陸で生活している人のところにもっていってもわからないかもしれない、でも、ビートは違うだろうと。ビートにはそれはないだろう。そう考えたんだよね。だから、それ以外のもの(メロディやコード)がなくなっても、それはある前提のものであって、そうではないところまで音楽を戻すって言うのかな、そういうことをしなきゃならなかったんですね。

ビートね。

砂原:そう、ビートは違うんじゃないかって。

ビートがコンセプトだっていうのはよくわかる。

砂原:コンセプトというよりも、共通言語として成立するんじゃないかと思った。

なるほど。で、ノイズが断片的に聴こえる"ナチュラル"はひとことで言えば暗い曲じゃない。

砂原:明るくはないよね。

個人的には大好きな曲だけどね。それで、"ブルーライト"~"ボイリング・ポイント"と続いて、"ビート・イット"に来ると、これはもう怒っているとしか思えないんだよね(笑)。

砂原:ハハハハ。いや、ていうか、聴いている人が楽しめないものにしたいわけじゃないないから、もうちょっと楽しめる要素で、自分がそれを妥協しないで受け入れることができるものがあるなら、それは取り入れたいなと思うんですよ。いつもそう思ってやってます、これでもね。

そういう意味で言えば、『リミナル』は曖昧ではないと思うんだけど。よりクリアになっている。

砂原:意識はクリアになった。ただ、クリアになった分、はっきりしたことが言えなくなった。

ナチュラル"から"ビート・イット"までの展開って、アルバムの大きなポイントだと思うんだけど、今日、話を聞いていて思ったのは、やっぱ感情の赴くままに作っていたんだね。

砂原:そうなの。今回はそこがいままでとは違うんだよね。とくの、いま曲名を挙げたアルバムの中盤にある曲に関しては、日頃、生活しているなかで感じている世のなかの雰囲気や気分をそのまま出してやろうと思ったんだよね。で、それは必ずしも説明しなければいけないことではないと思ったんだよね。

なるほどね。俺はね、繰り返すけど、『リミナル』からは怒りを感じたのね。で、このところ、音楽から怒りを感じることがあまりなかったので、それが新鮮だったの。とくに、いまのような斜に構えたネット社会では、怒るってことはすごくエネルギーを使うし、大変だと思うわけですよ。怒りっていう感情が出しづらい世のなかになっているんじゃないかと思ってるんですよ。

砂原:そうだね。俺も、自分では意識してなかったけど、怒りっていうのはあるのかもね。

悲しみに同調するって感じでもないじゃない。

砂原:はははは、そうだね。

『ラヴビート』と聴き比べるとすごくよくわかるんだけど。

砂原:完成してからまだ『ラヴビート』聴いてないな。

ライヴではやっているじゃない。

砂原:やってるね(笑)。ただ、間違いなく問題意識は強くなっていると思うよ。

『リミナル』のデザインを手掛けているムーグ山本さんなんかも、そういうタイプの人だよね。

砂原:そう。ムーグさんとはそういう話、すごくいっぱいする。

似てるかもね。

砂原:興味の矛先がすごく近いと思う。

エモーショナルところとかも似てるよ。

砂原:ムーグさんはエモーショナルだよね。一時期、ヘルメット被ってビラ配ったりしていたもんね。

ハハハハ。言っておくけど俺もエモーショナルだよ。俺は右で左でもないもん。ノンポリだから。

砂原:俺は右翼が来たら左翼と言って、左翼が来たら右翼と言っちゃうタイプだな。

ハハハハ。それはただの喧嘩好きってヤツじゃないの。

砂原:いや、違う。中立であるってことをヤツに伝えたいというか、気づかせるというかね。

なるほどね(笑)。まあ、とにかく『リミナル』からはそういう激しいもの、何か強い気持ちを感じたのはたしかだよ。ところで、最初に「次を早く作りたくなった」って言っていたけど、要するに、もうそれは見えているんだ。

砂原:しっぽを掴んだというかね、そんな感じだけど。その先に何かあるかもしれないという。そのしっぽを引っ張れば何か出てくるかもしれないっていう。

そのしっぽは何なの?

砂原:それはまだわからない。引っ張ってみないとね。何もないかもしれないし。

なるほど。最後に、これから先の音楽人生っていうものをどういう風に考えていますか?

砂原:まったくわからないね。音楽業界もこういう状況だし、いつまで続けられるかわからないなと思ってやっているよ。10年後のことなんかぜんぜん考えてない。ただ、いまを詰み重ねていくしかないんだよね。

SOUL AID: music for japan - ele-king

 音楽が大好きな日本の皆さんを、何とか元気に出来る方法はないかと考えた、私なりの精一杯の支援方法です。音楽を楽しんでもらい、少しでも気持ちが明るくなったり、軽くなってくれたら......。これからもっと楽曲が増えていきますので、楽しみにしていて下さい!(浅沼優子)

日本支援プロジェクト
SOUL AID: music for japan

東北大震災とそれに伴う様々な被害や問題を受け、音楽の力で日本を支援するウェブサイトを立ち上げました。

URL: https://soulaid.org

アーティストたちに楽曲を「寄付」してもらい、それをメッセージと共に公開し、無料でシェアするというシンプルなプラットフォームです。

このサイトの最大の目的は日本の音楽ファンの方々に、日本でも人気の高いアーティストたちの心のこもった音楽と真摯な想いを届けることで、心理的・精神的にサポートし、元気を出してもらうことです。

二次的な目的は、この音楽の交流を通して国際的な音楽コミュニティに募金を呼びかけ、深刻な被害に苦しんでいる方々のための支援活動に少しでも金銭的な貢献をすることです。

募金はJustGiving を介して、全額を現在気仙沼市を中心に活動を展開している災害支援NGO、Civic Force に寄付します。

現在サイトにはThomas Fehlmann、Alexkid、International Feel、Nico Purman、Barker & Baumecker、Charles Webster、DJ Cosmo、Miss Kittin によって提供された8曲がアップされていますが、今後さらに増えていきます。

詳しい情報は、サイトの説明ページをご覧下さい。

ご意見、ご質問はこちらまで:
浅沼優子/ SOUL AID
soulaid.org@gmail.com

Chart by UNION 2011.03.28 - ele-king

Shop Chart


1

THEO PARRISH

THEO PARRISH Feel Free To Be Who You Need To Be SOUND SIGNATURE / US »COMMENT GET MUSIC
遂にリリースされたデトロイト・ハウスの至宝THEO PARRISHのニューアルバムからのシングルカット! コラボレーション・アルバムも発表しているギタリスト・DUMINIE DEPORRESをフィーチャー!THEO自身の言葉をそのまま借りるならば「このアルバムにおいて最も重要な2曲」である。尽きることの無い実験性を土着的なリズムへと流し込んだ2トラック!

2

BUBBLE CLUB

BUBBLE CLUB Goddess + Quiet Village Remix INTERNATIONAL FEEL / URG »COMMENT GET MUSIC
HARVEY、ROCHA、HUNGRY GHOSTなど通を唸らせるラインナップでシーンを席巻するINTERNATIONAL FEELの12番は、DAN KEELINGによるプロジェクト・BUBBLE CLUB! ポジティブなヴァイブに溢れたバレアリック・フィーリンなオリジナルと、QUIET VILLAGEによるマッド極まりないダブ・リミックスという好対照な2トラックを収録!

3

MOODYMANN / ムーディーマン

MOODYMANN / ムーディーマン Private Collection WHITE / US »COMMENT GET MUSIC
MOODYMANN関連の中で最も入手困難な作品として知られるKEMのリミックス音源を収録した1枚がホワイト盤で再発決定。不穏なシンセの揺らめき、どこまでも切ないKemの歌声......ホワイト盤のリリースだけにしておくには余りにも、もったいない至高の音源!ホワイト盤ですがこれは絶対にオススメします!

4

RICK WILHITE

RICK WILHITE Limited Japan Promo #1 STILL MUSIC / US »COMMENT GET MUSIC
Theo Parrish、Moodymannと並ぶデトロイト・ハウス最強のユニット3 Chairs「第3の男」Rick Wilhiteがキャリア15年を経て放つ待望の1stアルバム「ANALOG AQUARIUM」からの限定プロモ盤。こちらにはRick Wilhiteの才能を強烈に感じさせる土着的なベースラインとミステリアスなシンセが鳴り響く「Cosmic Jungle」を収録!

5

RICK WILHITE

RICK WILHITE Limited Japan Promo #2 STILL MUSIC / US »COMMENT GET MUSIC
Theo Parrish、Moodymannと並ぶデトロイト・ハウス最強のユニット3 Chairs「第3の男」Rick Wilhiteがキャリア15年を経て放つ待望の1stアルバム「ANALOG AQUARIUM」からの限定プロモ盤!こちらには現在Theo Parrishが各地でプレイしているフィリーテイストが魅力のトラック「In The Rain」を収録!

6

SIRIUSMO

SIRIUSMO Mosaik MONKEYTOWN / JPN »COMMENT GET MUSIC
ギミック満載のエレクトリック・サウンドが各方面で話題となりDAFT PUNKやSOULWAXからも大絶賛される等、今最もアツいフレンチ以降の"ポスト・エレクトロ"最右翼SIRIUSMOが、遂に1stフル・アルバムをドロップ!!!なんと17曲入り(!)

7

MORITZ VON OSWALD TRIO

MORITZ VON OSWALD TRIO Horizontal Structures HONEST JONS / UK »COMMENT GET MUSIC
MORITZ VON OSWALD(BASIC CHANNEL)、MAX LODERBAUER (NSI/SUN ELECTRIC) AND SASU RIPATTI (VLADISLAV DELAY/LUOMO)によるスーパーグループ、MORITZ VON OSWALD TRIOのセカンド・アルバムが遂にリリース!! ブルージーなギターや緊張感溢れるメタルパーカッション、繊細なエレクトロニクスが自由度の高い演奏を繰り広げるダイナミズムに満ちた傑作の誕生です!

8

FRIVOLOUS

FRIVOLOUS Meteorology CADENZA / JPN »COMMENT GET MUSIC
LUCIANO、REBOOT、MICHEL CLEISらを擁し、ミニマル・シーンの最先端を突き進むCADENZAから、2011年のキックオフを飾るに相応しいアーティストとして送り出すのがこのDANIEL GARDNERことFRIVOLOUS!これまでにANDY VAZのBACKGROUNDやSUB STATICのサブレーベル・KARLOFF、そしてPOLE率いるSCAPEから作品を発表し、そのいずれもが高評価を得てきた才人FRIVOLOUSのNEWアルバムが登場!

9

AREA

AREA Tenderness EP KIMOCHI / US »COMMENT GET MUSIC
ANTON ZAP率いるロシアの要注目ディープハウス・レーベルETHEREAL SOUNDや、BEAT PHARMACY主宰STEADFASTなどに印象的な作品を残し、今後CV 313とのコラボレーションやWAVE MUSICからのアルバム・リリースを控える俊英・AREAが、セルフレーベル・KIMOCHIよりNEW EPをドロップ! ノイズに包まれた幻想的なシンセが空間を漂う至高のアンビエント・ダブテクノ"Bed Vertigo"、地中深くどこまでも潜り込む様なディープ・ダブ"So Many Fireflies"、フィールド・レコーディングスを薄くまぶしたノンビートのチル・アンビエント"Cheap Warmth"と全3トラック驚異的なクオリティー!!

10

LUCY

LUCY Wordplay for Working Bees STROBOSCOPIC ARTEFACTS / JPN »COMMENT GET MUSIC
セルフレーベル・STROBOSCOPIC ARTEFACTS、LUKE SLATER主宰・MOTE-EVOLVER、そしてDOMMUNEにも出演したCIO'DORやDONATO DOZZY作品で今やミニマル最深部を担う存在となったPROLOGUEなど重要レーベルから軒並み12"作品を発表、またCHRIS LIEBINGのCLR PODCASTやコアな情報で支持を得ているブログMNML SSGSでのMIXにより、耳の早いDJ/リスナーを中心に人気の高まるLUCYが、いよいよアルバム・リリース!

#10:Last night DJ saved my life - ele-king

 デリック・メイは怒っていた。3月17日、テレビでBBCを点けっぱなしにしながら原稿を書いていたら、連日トップ・ニュースとして報じている「JAPAN DISASTER」においてアナウンサーが「それにしてもなぜ福島の人たちは怒らないのでしょう」と口走った。こんな発言を聴くと「こうした事態になっても日本人は暴れることなく落ち着いて......」という褒め言葉も皮肉に思えてくる。いや、実際には怒っているのにもかかわらずその声がマスメディアでは報じられていないだけだろう。感情も制御されているようだし、いずれにしても3.11以降、夜は余震に起こされ、福島原発からは相変わらず放射性物質が漏れているようだ。コンビニに行っても食物はないし、雨には濡れるし、水道水を使わないわけにはいかないし、奇妙な自粛ムードが日本を支配している。静岡で毎年夏におこなわれる安倍川の花火大会の中止までもがこの時期に発表された。
 デリック・メイが怒っていたのは、海外のニュース番組の報道についてだった。「あれを聞いたら誰も日本に来なくなる」と、地震から1週間後の成田に降りた彼は言った。「もう人が住む場所じゃないという感じで、とにかく大袈裟なんだ。そこで生活している人たちがいるというのに失礼だろ、このマザーファッカーめ!」と僕に向かって怒鳴った。
 実際の話、海外のロックのライヴ公演はことごとく中止になっている。来日が予定されていたDJのキャンセルも相次いでいる。ほとんどの場合、4月も見通しが立っていないところが多く、ゴールデンウィークのスケジュールも揺らいでいる。「こんなときに日本に行くなんて、さすがに熱い男ですね」とベルリンにいる浅沼優子さんは感心していたけれど、海外メディアの報道を見たうえでこの時期に来日するのはそれなりに強い気持ちがいることだと思う。
 アメリカからの成田行きの便は搭乗者が少なくことごとくキャンセルになっているので、デリック・メイはキャンセルを恐れ、スケジュールを前倒しにして入国した。彼はそれから宇川直宏に電話してDOMMUNEの出演を直訴した。あの番組を観ていた人には不自然に感じたことだろうけれど、WADAさんのDJが終わって僕と門井隆盛くんがマイクを持ってDJブースにいたのも、簡単にデリック・メイの心境を話してもらってからDJプレイに移りましょうと本人を交えて打ち合わせたうえでのことだった......が、しかし、あのように見事に裏切られた、というわけである。「さっさと出ていけ!」はないでしょう、いくらなんでも(笑)。
 そして......およそ2週間ぶりにお客さんが入ったDOMMUNEには、クラブ・カルチャーの最良の雰囲気があった。その晩はバーテンをやっていた豪邸住まいのメタルに「クラブって良いな!」と肩を叩くと、前の週末の彼のパーティにもたくさんの人が集まったと自慢された。依然として楽観できる状況にはまったくいないけれど、こういうときは音楽好きで良かったとつくづく思う。とにかくわれわれには集まる場所があるのだ。

 最初に僕に突破口を見せてくれたのはキラー・ボング(aka.ブラック・レイン)だった。僕は心底驚いた。3月20日のDOMMUNEのDJブースに立ったあの天才は、破壊されたこの世界においてさらなる破壊を試みた。慈愛の言葉があらゆる場面で飛び交い、そして自粛ムードという緊張感に覆われたこの世界において、あのプレイは誰にでもできることではない。もちろん3月13日のラリー・ハードをはじめとするすべての出演者、ムードマン、七尾旅人、ノブ、クラナカ、ロブ・スミスのプレイはまったくもって心がこもったものだったし、20日のシミラボとRAU DEF、PUNPEEとPSG、S.L.A.C.K.といった若い力もみんな美しかった。僕はその場にいなくても、ほとんどすべてを聴いていたし、それぞれの場面でずいぶんと感動したものだった。ただ......、そう、ただ、キラー・ボングだけは何か違うところを見ていた。
 それは人間の不条理への呪いのようにはじまった。エフェクトがかけられた抽象的な音の不穏な渦巻きからビートが聴こえる。しばらくするとファラオ・サンダースがけたたましく吠えている。悲しみがすさまじい勢いで押し寄せる。ターンテーブルの上には不気味極まりない骸骨、歯模型、あるいは悪魔の人形が置かれている。骸骨がぐるぐるとまわるなかで、彼のなかの激しい感情が音になって暴れている。口当たりの良い音ではないし、「これはいま聴きたくない音だな」というツイートもあったが、実は僕は、そのときもっとも聴きたかった音だった。待っていたのはこれだ! という感じだった。彼のラディカルなダブミキシングによって無秩序にうごめいている音を聴いていると、不思議なことに"自由"が見えてくる。自由......それは命と同じように尊いものだ。
 キラー・ボングの集中力が途切れることはなかった。彼は目を閉じて、始終音のみに集中していた(飲み物を差し出しても気がつかないほどに)。やがてシンク・タンクがミックスされ、それからウータン・クランとヘア・スタリスティックスの溝を埋めるような彼のミックス・ショーは、コンガのビートがファンクのうねりに絡みつくディアンジェロの"スパニッシュ・ジョイント"を最後のクライマックスとして、そしてフェイドアウトしていった......。それはアヴァンギャルドがこの瞬間(滅びた街々、汚染された環境、買い占めパニック、錯綜する情報などなど......)に向き合ったときの、素晴らしい声明に思えた。容赦のない怒りが噴出し、そして絶え間なく溢れる願いが氾濫した。音楽はときに隠された真実を引きずり出すのだ。

 僕はあの濃密な1時間半の、キラー・ボングの破壊的なミックス・ショーが道を作ってくれた気がしている。あれがなければ多様であるべき感情表現すらも、あるいは自由であるべき表現さえもいまよりも不自由なままだったかもしれない。Last night DJ saved my lifeが起きたのだ(もちろん誰もがDOMMUNEを見ているわけではないが、こうしたささやかな亀裂やさざ波がいずれ大きく広がり物事を動かすことはある)。
 ああ、そういういえば、あの日の僕は風邪で喉がガラガラで、実に聞き苦しい声で、視聴者の方にはたいへんな失礼をした。「何を悲痛な声で......」とキラー・ボングには笑われたけれど、このタイミングで風邪を引くというのも我ながら情けない。いまも身体がだるいなーと思いながらこの原稿も書いている。テレビではBBCが東電本社の前のデモをレポートしている。「こんな事態になっても人びとは無関心なようです」とイギリス人のレポーターは伝える。それから場面は浜岡原発へ......。震災のコメントでマユリちゃんや湯山玲子さんも言ってるけど、この災害を原発というものを考え直す良い機会にしなければならない。チャリティーも大切だが、これもまた未来に向けての重要な事柄。ヨーロッパでは、これは大袈裟な報道の恩恵とも言うのか、脱原発の世論が高まっている。すぐに停止というわけにはいかないだろうけれど、スイスは国民の健康を第一に考え、原発計画を凍結させ、UKも原発は必要としながらも老朽化した原発は閉鎖、イタリアでも原発再開を1年間凍結、ドイツでは25万人のデモ......。なにはともあれ、とにかく早いところ放射能の漏洩だけでも止めて欲しいわ、ホントに。

Detroit Loves Japan - ele-king

 まず、3月11日に発生した東北関東大震災により被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。3月18日、日本から1万km以上離れたデトロイトにおいて日本救済チャリティイベント"Detroit Loves Japan"が開催されました。Diviniti、Pirahnahead、Rick Wilhiteらが中心となり、Mike Clark、Delano Smith、Norm Tallyらビートダウン・ブラザーズ、Los HermanosのGerald Mitchell、Urban TribeのKemetrixらが参加し、$1000以上の義援金を募ることに成功しました。

 これを受けて日本でも当日の音源が聴けるサイト"Detroit Loves Japan Website" を立ち上げました。イベント当日に現地で録音されたDJ Mix、日本への想いを綴ったコメントなどをお楽しみいただけます。現在までにPirahnahead、Mike Clark、KemetrixのDJ Mixがアップされています。今後、Gerald Mitchell、DJ MinxらのMix音源を随時更新していきます。

 さらに当日のイベントには参加できなかったアーティストたちも、次々と賛同&協力を表明してくれています。3月27日にはJeff Millsが今回の震災のために制作した"Phoenix" (The Rising) for Japan Relief MissionのPV、Free MP3ダウンロード、そしてコメントを提供してくれました。またTerrence Parkerも日本のためのDJ Mix、そして「人生の厳しい局面に対峙したときに聴く音楽」としてゴスペルの曲を選んでくれました。今後、Claude Young Jr.などの参加が予定されています。

 みなさんもご存知のとおり、復興には時間がかかります。Detroit Loves Japan Websiteでは継続的に義援金を募っていきたいと考えています。本サイトにおける義援金の受付はDOMMUNEも採用しているCIVIC FORCEという団体を通じて被災者へと届けられます。寄付に関わる手数料などがかからないので、100%全額が被災者へ渡るシステムです。ぜひご協力をお願いします。(決して海外のイベントに送金して、まわりまわって日本へ、、というシステムではありません!)

 本サイトに収録されている、すべてのビート、すべてのサウンドには、日本への「愛」がこめられています。私は震災直後の東京で余震や原発に怯えながら、何をすればいいのかもわからない、ショック状態の中で、彼らの音楽を聴きました。そして、本当に強く励まされました。 前向きな気持ちを、元気を、希望を、少しずつ抱くことができるようになりました。 このような状況下で、音楽に関わる自分は無力感に襲われました。しかし、音楽には力があると信じることができました。デトロイトの音楽を紹介してきた自分にできることは限られています。それは微力かもしれません。でも、萎縮しあきらめてしまっては無力になってしまいます。そして、彼らの音楽を日本の皆さんにシェアしなければいけないと強く思い、このサイトを立ち上げることにしました。たったひとりでは「微力」でも、この想いに共鳴してくれる人々の「微力」が集まれば、「大きな力」にすることができます。皆さんのご支援、ご協力を宜しくお願いします。

Akron/Family - ele-king

 2009年に観たアクロン/ファミリーのライヴは、僕が観たなかでその年最高のものだったと断言できる。ガタイのいいヒゲ面の兄ちゃん3人が楽器をやかましく打ち鳴らし、オーディエンスをステージの上に上げて踊らせ、かと思えば分厚いコーラスを披露しうっとりさせた。東京ではステージ上で花火が舞ったと言うし、僕が観た大阪のライヴはドラムのダナが誕生日ということもあって終始ハッピーなヴァイブに満ち満ちていた。
 それは一言で言えば祭だった。身体を踊らせる打楽器を鳴らしまくり、心を躍らせるために美しいコーラスをオーディエンスと一緒に奏でる。たった一度しかないその夜をそこに集った全員で分かち合おうという姿勢に感動したし、何よりも陽気でパワフルで爆発的なエネルギーに圧倒された。そして、前作『セッテム・ワイルド、セッテム・フリー』は、そのライヴを観ることで完成するアルバムなのだとそのときに思った。彼らの「野性的になれ、自由になれ」というメッセージはその祭を体験すれば容易に理解できるが、逆に言えばそのエネルギーが音源にまで封じ込められているかと問われれば、そこには至っていないというのが正直なところだった。

 その点、アルバムとしては4作目となる『S/T?:ザ・コズミック・バース・アンド・ジャーニー・オブ・シンジュ・TNT』は、彼らのライヴの熱がかなり近いところまで感じられるパワフルな1枚だ。力強く太鼓が叩きつけられ、猛々しいエレクトリック・ギターが轟き、高揚感に満ちたコーラスが響く"シリー・ベアーズ"は完璧なオープニングで、彼らの良さが全て詰まっている。童話のような歌詞も面白い。1匹の間抜けな熊がもう1匹の熊に「そのハチミツをどこで手に入れたの? そのハチミツは甘いの?」と尋ねるところから物語ははじまる。「間抜けな熊」というのが自分たちの風貌に対する冗談なのかはわからないが、「ハチミツ」は間違いなく大いなる喜びのことだろう。「あのね、あそこで見つけたんだよ、太古の昔からある巨大な花のそばで」「どうやったらそこへ行けるの?」「谷を下り、山を越えて、深い川を渡り、また山を登って」......とにかく、熊たちはハチミツを求めてそのリズムと踊りだす。「僕と一緒に行かないか 一緒について来ておくれよ/笑って踊りながら その古い森を見つけよう/そこに笑いと踊りとハチミツさえあれば」――ここでブレイク。「I'll be there!!」――祭のはじまりだ。
 陽気で賑やかなことだけがアクロン/ファミリーの魅力ではない。前作で目立っていたアフロ・ファンク、ハードコア、ノイズの要素は後退し、初期のアシッド・フォークよりもリッチなコーラス・ワークで聞かせる"アイランド"や"キャスト・ア・ネット"、"キャノピー"などスピリチュアルで美しいフォーク・ソングもこのアルバムの目玉になっている。雑多な音楽性はより整頓され、全体として緩急のつけ方も見事だ。とにかくすべての曲に言えるのは、サイケデリックで、大らかで、前向きなエネルギーに満ちているということ。「そんなものさ」というタイトルの"ソー・イット・ゴーズ"はホームレスに小銭をあげることについての歌だ。ヒッピー・カルチャーの良き部分をいまなお信じ、そのコミューナルな感覚を忘れることはない。アルバムを通して自然や光のイメージが繰り返され、ラストの"クリエイター"で「僕らは創造主の通り道をだどっている」という境地に辿り着く。60年代の無邪気な模倣というひともいるかもしれないが、それをここまで伸び伸びとできるのはそこに価値があると信じているからだろう。彼らの大らかさと前向きさは、教条めいた押しつけがましさを必要とせずに、共感でこそ緩やかな連帯感を生み出すことの現実的なやり方であるように思える。

 『セッテム・ワイルド、セッテム・フリー』のアートワークは実に大雑把な、サイケデリックな星条旗を掲げたものだった。バンドは「そこに政治的な意図はない」と語っていたが、それは恐らく本当だ。その旗が象徴していたのは国家に対する批判や抵抗ではなく、彼らのその雑多な音楽性と大らかさからもわかるように、別のアメリカを提示することだったのだろう。閉塞的で排他的ではない、さまざまな文化や人種が混在しぶつかり合って、そして共存するアメリカを。そこでこそ、彼らは「太陽は輝くだろう、そして僕は隠れない」と歌っていた。
 この新作は、少なからず日本にインスパイアされたものだという。北海道の雌阿寒岳の麓の山小屋で曲作りをしたというエピソードを僕はジョークとばかり思っていたが、本人たちは本当だと言い張っている。その真偽はともかく、彼らが考える日本は山と言えば富士山だし、そもそもタイトルの「シンジュ爆弾」というのもよく意味がわからないし、実に大雑把でいい加減なものだ。"フジ"と題された曲では笛がスピリチュアルなムードを醸しているが、日本にそんなものを見出す日本人がいまどれほどいるだろうか。だが、それはきっとアクロン/ファミリーの誤解も含んだ解釈による「別の日本」なのだ。ボアダムスを思わせるトライバルなドラムが炸裂する"セイ・ホワット・ユー・ウォント・トゥ"の「言え、言え、言え、言え、言いたいことを何でも!」という力強いメッセージは、無闇なパワーが不足している日本に向けられているように聞こえる。

 とはいえ、いま、震災で受けた不安と悲しみに覆われた僕たちにとっては、アクロン/ファミリーの呑気さ、大らかさ、楽天性......は、とても遠くのもののように思える。それでも、連日の報道で落ち着かない気分のままでいる僕も"アナザー・スカイ"の躍動するリズムを聴けば少しばかり元気が出るし、美しい"フジ・ツー"には陶酔する。そんな音楽好きがほかにもいると思いたい。そしてアクロン/ファミリーが謳う楽天性に、日本に住む人びとが共感できる日がいつか訪れれば......と、僕はせいぜい願うことしかできない。
 彼らの音楽は、何も強要しない。無理にひとつにならなくたっていいし、それぞれがそれぞれのタイミングで勝手に踊り出せばいい、というようなその寛容な態度が何だかいま、僕にはとてもありがたく思える。能天気でいることの逞しさを、このアルバムは思い出させてくれる。時間はかかるだろうけれど、アクロン/ファミリーの前向きなエネルギーが日本にも湧き上がってくることを僕は願っている。そして、あの陽気で賑やかな祭が、この日本で再び開かれることを。

Bibio - ele-king

 スティーブン・ウィルキンソンによるビビオは、それまでも3枚のアルバムを発表していたが、2009年に〈ワープ〉が発見したことで、いまやエイフェックス・ツイン、そしてボーズ・オブ・カナダにつぐIDMの綺羅星の仲間入りを果たした。そのアルバム『アンヴィバレンス・アヴェニュー』を特徴づけているのは、ボーズ・オブ・カナダのファンタジーにフォークがブレンドされたいわば"フォーキー"なIDMサウンドだ。とくに人気の高かった"ハイケスク(ホエン・シー・ラフス)"と"ラヴァーズ・カーヴィングス"はその代表的な曲で、さらにもうひとつ彼の音楽を特徴づける牧歌性は"クライ!ベイビー!"に象徴される。そういう観点で言えば、ビビオはエイフェックス・ツインとアニマル・コレクティヴ(そしてまたトクマル・シューゴ)を近づける存在である。
 また、ジェイディラやフライング・ロータスといったビートの実験者たちからの影響は"ファイアー・アント"に表れている。あるいは、その音声処理はポスト・ダブステップとも連動している。こうして『アンヴィバレンス・アヴェニュー』は、ボーズ・オブ・カナダからマウント・キンビーの溝を埋める作品ともなった。2010年にブレイクしたノッティンガムのローンによる『エクスタシー&フレンズ』は、明らかにビビオ(そしてもちろんボーズ・オブ・カナダ)の影響下で展開したエレクトロニック・ミュージックである。......まあ、とにかく、彼の新作『マインド・ボケー』は、要するに彼の評価が決定的なものとなってからリリースされる最初のアルバムとなる。

 『マインド・ボケー』の評価は、リスナーがビビオに何を求めているのかにもよるだろう。1曲目の"プレテンティアス"は、ビビオの(おそらくはもっとも大きな)魅力であろう牧歌性とは異なる暗いシンセ・ポップをグリッチ・ホップを通してやったような曲である。そしてこの暗さは、もともと彼がクラウデッドのリリースなどで知られていたロサンジェルスの〈マッシュ〉からデビューしているというその出自を引っ張り出すと同時に、『アンヴィバレンス・アヴェニュー』に続いた編集盤『ジ・アップル・アンド・ザ・トゥース』でも見せたロックへのアプローチをも匂わせている。続く"アニシング・ニュー"も不吉なはじまりで、そのビートには彼のジェイディラやマッドリブへのシンパシーが顔をのぞかせている......が、しかし曲はIDMというよりは前作以上にポップへの情熱に導かれている。このように『マインド・ボケー』は、彼のトレードマークである"フォーキー"な牧歌性に背くようにはじまる。面白いのが、いくつかの収録曲のチルウェイヴとの近似性である。ビートを際だたせて、メロウな感覚が流れる"ライト・シープ"などはトロ・イ・モアのデビュー・アルバムを彷彿させる。だいたい、(おそらくある種のギャグとして)"アーティスツ・ヴェイリー"のようなディスコまでやっている!

 こうした自分に貼られたレッテルやファンの期待への裏切りは、アンビエントを求められたエイフェックス・ツインが『アイ・ケア・ビコーズ・ユー・ドゥ』をやったように、アーティストにとっては真価を問われる挑戦となる。ビビオは、かつてのエイフェックス・ツインのような無謀な冒険を選んではいないが(まあ、当たり前か)、確実に彼の音楽を拡張している。チョップド・ビートからはじまる3曲目の"ウェイク・アップ!"では、おそらく彼の音楽を好む多くのリスナーが求めているであろうピースな感覚がメロディアスに、心地よく、やわらかく展開している。タイトル曲の"マインド・ボケー"などは椅子から滑り落ちるほどポップだ。もっともこの楽天性は、震災からわずか1週間の東京の部屋ではまだどうにもしっくり来ないが、ユーモラスなIDMポップとしては出色の出来だ。こうした彼の新しい一歩は魅力的だが......"K・イズ・フォー・ケルソン"や"モア・イクスキューズ"が流れると、ああ、やっぱこの人は素直に『アンヴィバレンス・アヴェニュー』路線でもう1枚作るべきだったのではないかと思ってしまう。
 『マインド・ボケー』の最後の曲"セイント・クリストファー"ではマニュエル・ゲッチングめいた極楽のミニマリズムが展開される。この美しい曲をもっと素直に受け入れられる精神状態に早くなりたい。テレビを点けると最近はもう怒りがこみ上げてくる。日本も大変だが、ヨーロッパでは仏・米・英そのほか多国籍軍がリビアをミサイル攻撃か......。

Lykke Li - ele-king

 彼女は音楽家の父と写真家の母のあいだ、南スウェーデンで生まれた。一家はモロッコに住み、ポルトガルの山頂で暮らし、そして多くの時間をインドで費やした。現在24歳のリッキ・リーは、いわばヒッピー的な環境で幼少期を送っている。「自由がありあまっていたわ」と彼女は『オブザーヴァー』の取材に答えている。「それはまったくもって有害だったわ。飽き飽きしたし、だから私には故郷という感覚がないのよ。そう、私にはルーツがないの。世話をされたという感覚がないのよ。私は人を信用しない」
 「そして私は生存者なのよ」......こう続ける彼女の言葉がその記事の写真のキャプションとなった。リッキ・リーのバイオはどこかミシェル・ウエルベックの『素粒子』のようでもあるが、彼女は村上春樹を愛読しているらしい。ミケランジェロ・アントニオーニの『赤い砂漠』にも強く影響されたらしい。モニカ・ヴィッティは美しい。そして、彼女は初期のナズと2パックとビギーとMFドゥームに親しんでいる。

 2008年に発表されたリッキ・リーのデビュー・アルバム『ユース・ノヴェルズ』も、僕は『ビッチフォーク』で紹介するかどうか迷った挙げ句に最終的にリストから落としてしまった1枚である。アルバムが出た当時『リミックス』のレヴューでも書いたように、彼女はいわゆる"コケティッシュ"な女だと受け止めていた。そう、じれったい態度で男をたぶらかす女だろ、あれはと。すると彼女はこの新しいアルバムでこう挑発している。「私はあなたの売春婦よ」と。「それは男が、とくにジャーナリストが女性アーティストについて書いた記事に対する私のコメントよ」と彼女は『オブザーヴァー』に話している。そうした彼女の性の文化に挑む態度はたしかにデビュー当時のマドンナのようである。そして、その他方では、彼女はBBCでこうも話している。「誤解されているけど、それは村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にインスピアされた言葉なの。セックスについては何も言っていないわ。それなの過度に性的なこの社会ではあらゆる性的な言葉はセックスを意味してしまう」
 そう、彼女は確信犯としての"コケティッシュ"だったというわけだ。

 ビヨーン・イットリングがプロデュースした『ユース・ノヴェルズ』はいわゆるメランコリックなポップだった。ファッショナブルだが悲しいその調べは欧米で大きな成功を収めた。セカンド・アルバムにあたる『ワウンドディッド・ライムス(傷ついた韻)』は、同じくビヨーン・イットリンによるプロデュースだが、録音はストックホルムではなくロサンジェルス。そしてメランコリックだがロマンティックな彼女のポップは、ビヨーンのレトロ趣味(というかフィル・スペクター趣味)とともにより際だっている。大胆になっている。『ユース・ノヴェルズ』は大人しいアルバムだったが、『ワウンドディッド・ライムス』には動きがある。ダンスもある。キャッチーな"サッドネス・イズ・ア・ブレッシング(悲しみは天の恵み)"、バラードの"アイ・ノウ・プレイシズ"や切ない"アンリクワイティッド・ラヴ"、そして魅惑のメロドラマ"ラヴ・アウト・オブ・ラスト"やダンサブルな"リッチ・キッズ・ブルース"や"ユース・ノーズ・ノー・ペイン"......スタイルはすべてシックスティーズだが、「私は、愛がすべてを征服するという純粋な考えを信じているその時代が好きです」と彼女は話している。
 僕は彼女がまた新しいアルバムを作ったら買うだろう。もちろん金があればだが、しかし迷わずに。

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