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UKではコード9が「アイク・ヤードこそ最初のダブステップ・バンドだ」と言ったことが話題になったようだけれど、彼らはたしかに有名なJ.G.バラード共鳴者だ。そして、実際にこれほど明確にディストピアな状況に自分が暮らしていると、なんだかますますディストピア・ミュージックを聴きたくなってくる(家人は迷惑しているが......)。
この世には多くのディストピア・ミュージックがある。トム・ヨーク自身もそれがディストピア・ミュージックであることを認めている『キッドA』、あるいはデヴィッド・ボウイの『ダイアモンド・ドッグス』(とくに"ウィ・アー・デッド"ですよ)......、そしてもちろん僕の場合はブリアル、砂原良徳の新作もディストピア・ミュージックだと思っている。
ディストピアというのは、ユートピアへのカウンターのことだけれど、少々強引にたとえるなら、「いや、大丈夫です」と記者会見で東電の社員が楽観的な展開を言っても(←ユートピア)、「いや、大丈夫じゃないでしょう」という反発心(←反ユートピア)によるものである。いや、ちょっと違うかもしれないが、とにかく世界の大きな舞台で言われる「いや、大丈夫です」に対する強烈な違和感、拒絶感、嫌悪感のようなものが「いや、大丈夫じゃないでしょう」というディストピアを創造する。「no」という否定によって作られるユートピアであり、おしなべてパンク・ロックがディストピア・ミュージックなのもそういうことであります。
アイク・ヤードといえばデス・コメット・クルーだ。自慢じゃないが我が家には、ラメルジーにサインしてもらったデス・コメット・クルーのCDがある。2004年に再発見された1986年の"スーサイドとヒップホップとの出会い"のようなサウンドは、もともとはアイク・ヤードというポスト・パンク・バンドを土台に生まれている。1979年から活動をはじめたというアイク・ヤードは、ニューヨークでスーサイドの前座を務めたり、リディア・ランチとも共演していた、まあ、いわばノー・ウェイヴのいち部である。
1982年に〈ファクトリー〉からアルバムを発表すると、メンバーはベルリンに移住して、マラリアやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンらとの交流を深め、そしてニューヨークに戻ってきたときにはラメルジーをゲストに迎えてデス・コメット・クルー名義のヒップホップ作品「アット・ザ・マーブル・バー」をロンドンの〈ベガーズ・バンケット〉から発表している。デス・コメット・クルーの再発見に続いて、オリジナル・アイク・ヤードの作品は〈アキュート〉(←トロ・イ・モアやビーチ・ハウスを出している〈カーパーク〉傘下の再発レーベル)から2006年に編集盤『1980-82 コレクティッド』として再発されている。
こうした再評価の波に乗って、スチュアート・アーガブライトとマイケル・ダイクマン、そしてケニー・コンプトンの3人はふたたびアイク・ヤードの名前で新作を録音した、それがこの『ノルド』というわけだ。そしてそのプレスシートには、コード9の「アイク・ヤードこそ最初のダブステップ・バンドだ」という発言が記されていたわけである。
ここにはダブの低音はないけれど、暗い現実の記述はたんまりある。それは、なかなか魅力的な記述である。そして、僕はこういう音楽をいまこの瞬間に聴きながら、おのれの頽廃を再認識するわけです。その場しのぎのユートピアなぞ要らない。冗談じゃない。そして、こういうときだからこそ死を身近に感じながらいまを精一杯生きようと思うんです。DOMMUNEにおけるキラー・ボングのDJがそうであったように。
野田 努