「PAN」と一致するもの

路傍に添える - ele-king

反骨と愛。
NORIKIYOのリリックが紙に書きつけても光るのは、骨身を削って刻んだ生身(リアル)な言葉だからだ。 ──後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

メディアの人たちはヒップホップを単純に掻い摘んで見せるのがおもしろいのかもしれないけど、本当に、そこは思ってるよりもっと深い。 (本文より)

「さあBLAZIN立ち上がる時だ/仲間は日本人ラテンにコリアン」(“Do My Thing”)。神奈川・相模のヒップホップ・ポッセ、Sag Down Posse(SDP)のラップ・グループ、SDジャンクスタに所属するノリキヨは、ソロ・デビュー・アルバムでそう高らかに宣言する。これまでの日本語ラップにおいて、“敵”か“他者”として描かれることが圧倒的に多かった外国人に連帯を呼びかける姿に、新世代のBボーイのオープンマインドな感覚を感じた。それは、ライター、ブレイカー、ラッパー、DJという4つのエレメンツを持つSDPというヒップホップ・ポッセの、もっと言えば、地方都市でグローバリゼーションの最前線を生きるBボーイのリアリティなのだろう。ノリキヨはプリミティヴなビートの隙間に、英語、日本語、ローカル・スラング、スパニッシュを交えたリリックを打ち込んでいく。とはいえ、複数の人種から成るコミュニティ意識をロマンチックに語れるほど現実は甘くない。たとえば、在日米軍キャンプが隣接する川沿いの街、相模の殺伐とした風景は次のように描写される。「死んだ商店街 駅前通り/WALKIN粋がるARMY 百姓SHADYツレか?/ケツ振る阿婆擦れポン人 シケたピンサロ呼び込み冴えなぇサンピン/うだつあがらん389のパシリか?/まだまし売人 鶴間のラン人」(“In Da Hood”)。これは紛れもなく現代日本の風景であり、いま、タフなヒップホップが生まれる現場のひとつだ。 ──二木信(『EXIT』レヴューより)

私鉄沿線上の名もない街の風景を描き、その名もなき人生を語り、さまざまな感情、ときには臆することなくポリティクスも述べる。予見的な内容だった2007年の『EXIT』から10年、ヒップホップとの出会いやハスリング、通常歩行が困難となる大怪我、ラッパーとしての活動開始、SD JUNKSTA、 SEEDAやPUNPEEとの出会い……
この10年のあいだ発表してきたNORIKIYOの詩の数々とその回想録。
ここに並んだ言葉の数だけ現実がある!


NORIKIYO
1979年、神奈川県相模原市生まれのラッパー。
1999年、相模原市にて地元の仲間たちとSD JUNKSTAを結成。
2005年、SEEDA & DJ ISSOのMIXCD『CONCRETE GREEN』に参加して注目される。
2006年にSEEDAの『花と雨』に参加(「ガキの戯れ言」)、
翌2007年1stアルバム『EXIT』を発表し、ヒップホップ系メディアで高評価。
以降、『OUTLET BLUES』(2008)、『メランコリック現代 ~秘密~』(2011)、
『花水木』(2013)、『雲と泥と手』(2014)、『如雨露』(2015)、『Bouquet』(2017)
と、現在までに7枚のソロ・アルバムをリリースしている。

interview with Shingo Nishinari - ele-king


SHINGO★西成
ここから・・・いまから

昭和レコード

Hip-Hop

Amazon

 般若率いる昭和レコードの3本の矢(般若、ZORN)の1矢、SHINGO★西成が『おかげさまです。』以来3年半振りとなる5thアルバム『ここから…いまから』がリリースされた。名の通り大阪・西成、釜ヶ崎は三角公園界隈がフッドの、日本のヒップホップ・シーンでも突出した存在感を放つ屈指のラップスターである。
 もう10年以上前の話だが、SHINGO★西成の取材で初めて西成を訪ねた際に目にした、茶色く錆びた新今宮の鉄路やそのとき食べた100円のモツ煮込みの屋台の光景は、強烈だった。
「なんや、なんかの取材か」
「お兄ちゃん、なにやってるん?」
 カメラマンと共にSHINGO★西成にフッドを案内される道中、屋台の前でコテコテの“釜”のおっちゃんたち(もちろんワンカップ片手)が口々にそんなことを言う中、SHINGO★西成を知っていると思しきおっちゃんの一人が、「あれやろ。黒人の河内音頭やな」とヒップホップを説明したのは、奇妙なヤラレタ感として今も自分に残っている。
 このおっちゃんの一言のように、SHINGO★西成をインタヴューするのは楽しい時間だし、同時に真理を喝破される怖さを感じさせられる時間でもある。それこそが筆者の感じるゲットーの味というものなのだが……。3年半振りのインタヴューだが、もちろんそこには変わらぬSHINGOさんがいた。
 アルバムについて、変わりゆくフッド西成について、ゆっくりと話を聞いた。

毎日怒ってるんちゃう? 毎日怒ってるし、毎日落ち込んでるし……やなぁ。毎日爪噛んでるよ。だから、その取り方も全然間違いじゃない。前より怒ってるかもしれない、前より愛してるかもしれない。

3年以上ぶりのリリースということですが、この間は、どういった3年半でしたか?

SHINGO★西成:現場にはずっとおったし、もちろんアンテナも張ってた。自分が見たり感じたり信頼ある仲間からの情報で、この3年くらい生活してるかな。兄弟分である同じレーベルメイトの般若でありZORNであり、いつも俺のことを気にしてくれるNORIKIYOであり。近くにこういうイケてるやつがおるから、そういう刺激をもらいながら、兄弟や直の仲間がしないことで逆に俺がやりたいと思ったらやったり。“絶句☆ニッポン”……New Jack SwingはZORN作らないでしょ。

そうですね(笑)。“絶句☆ニッポン”は新鮮でした。

SHINGO★西成:誰もやれへん……やろ? ああいうの。

はい。このノリは……と言って良いですかね。僕も今度のアルバムで1、2番目に好きな曲でした。10年前だったらそう思ったかはわからないですが、まさに今こういう気分だぜという感じがしましたね。この前の曲の“鬼ボス”からの流れが、もうイケイケで。

SHINGO★西成:ほんまその通り。俺も、New Jack Swingの時代のラップが逆に今気分的にもバッチリやなと思って、で、客演にTAK-Z&KIRA。近くにおって、いつも刺激くれてるあいつらにやろうや言うて、もうほんまに即答でやってくれた。“鬼ボス”の客演のJ-REXXXもそうやし、あんなにイケてる伸び代が半端ないアーティストがやってくれて、ありがたいよな。

ただ、ここで重要なのはイケイケでノリノリの曲だから、単純に=気分はノリノリでイケイケということではないと思うんですよね。上手く説明するのが難しいのですが、例えば“絶句☆ニッポン”に関して言えばNew Jack Swingのビートの奥にある感情から起ち上がった言葉というんですかね。ただノリをサンプリングしてノリノリになっているわけではないというか、表面をなぞるだけでは本当のパワーは生めないと言えばいいのか。

SHINGO★西成:まぁ知らないままにスッとできた曲なんかはないなぁ。例えばNew Jack Swingのあの格好良さを表現したいなとか、そういう作りたいテーマはあってんけど、1ヴァースできても次のヴァースができないということはあった。逆にこういうのが作りたいというテーマがはっきり決まってるほど、上澄みだけをとったらあかんから。聴きちぎったからな、もうほんまに。その分、言葉のチョイスや構成もしっかりしたって感じかな。

これは最近、割とどのインタビューでも聞いてることなのですが、フリースタイル・バトルのブーム然り、現行のHIP HOPのメインストリームがTRAPを経由したものだったり、表現の即興性が増している気がするのですが。そういったことは、SHINGOさんは……どういう言い方をすればいいんですかね。その、どんな感じですか?

SHINGO★西成:どんな感じ? ……いやなんとなく気を遣ってアバウトにしてくれたのはわかるで(笑)。それはエキサイティングって答えたらあかんの? 俺はエキサイティングなもの、自分の予想を超えている人が好きやから。結局、自分のできないことをできてる人は相変わらず好きになってしまうな。それはより素直に、いいもんはいいって言えるようになった。自分とスタイル違うちゃうからノーじゃない。それはなんかわかるでしょ?

はい、もちろんわかります。

SHINGO★西成:そのなかでちゃっちぃけどキャッチぃ、耳触りのいい、思わず言ってしまうフレーズは、そういうTRAPというかのテイストも入れつつ、こう、古き良きもちゃんと入れたくて、“絶句☆ニッポン”や“あんた”を作った感じかな。

“あんた”は、まさに“古き良き”テイストの曲ですね。このテイストを日本でHIP HOPのアルバムで表現できるのはSHINGOさん以外いないと思います。

SHINGO★西成:こんだけ歌謡曲っていうか演歌っていうか溢れてる街のなかで育って、なんか、まぁまぁ、“にしなりあほじん”……やしきたかじんさんじゃなくて……みたいなんを作りたいというか、ストリーテリングみたいな曲を作りたいと思って作った。夢を追っかけてる男を好きになってしまった、幸の薄い女を演じて自分が書くというか。たかじんさんが死んで、あの人の歌がパッと聞こえてきた時に、すごい……女の人の気持ちを歌ってんねんな。でも、歌っているのはやっぱり男やし、男にとって都合のええこと多いなと思ったり。けど、男ってそういうこと考えがちやなって思って、それを突き詰めたら曲になった。

ここまで少し伺っただけでも色々なヴァリエーションの曲があるのがわかりますが、どうやってできていった曲たちなんですか?

SHINGO★西成:うーん、もうほんま生活から出た言葉、やで。

はい。それはもちろんそうだと思うのですが、すいません、僕の聞き方が悪いですね。3年半の中でコンセプトやテーマがあってそこに向かっていったのか、あるいは自然とできていった曲をアルバムとしてパッケージしたのかというか。

SHINGO★西成:いままでずっとライヴしたり、出会った人から刺激を受けて、こういう曲になったり、言葉のチョイスになったり、行動になったり。とにかく自分の足らないことを出したっていうことやけどな。だから、自然なことなんじゃないの? 

いま仰っていた自分の足りないところを出すということについてもう少し具体的に伺いたいです。

SHINGO★西成:ライヴで失敗したら、こういう失敗したな。だから、こういう曲が欲しいなとか。普段でも、こういう経験して、なんか、こういう時はこうしたいなとか。ライヴ前に聞きたいなとか……“GGGG”とかはそうやな。ちゃんとそのピースが揃ったからアルバムにしたって感じかな。そのピースが足らなかったら出してないかもしらんし。レコーディングすべてを自由にさせてもらってるから。そういうフリーな、その時のヴァイブスを大胆にそのまま使うっていうことは相変わらずしてるけど。刺身で出せる魚は刺身で出すし、片面は焼いときますね、ほぐしてお茶漬けにできるようにしときますねとか。一匹のSHINGO★西成がいろんな味になってる。それが和洋折衷いっぱいあるって感じ? “Fuck you, Thank you ほなさいなら”は黒七味みたいな。そういう風に思ってもらえたら。

  まずはイメージする自分はどうなりたいか?
  すべきことは何か? 未来どうありたいか?
  痛いダルい嫌い言うな気合や気合や
  やるかやられるか要は自分次第や
“GGGG”

  身内だけの馬鹿騒ぎ 他人の粗探しはもうやめた
  楽しく飲んでたのに もう輩とカスが来て酔い冷めた
  なにイキってんねん、なに気取ってんねん、
  なにスカしてんねん おい
  見透かしてんねん バレてんねん 
  おまえ年末までには消えてんねん ポイ
“Fuck you, Thank you ほなさいなら”

SHINGO★西成:だから前のアルバムを出してから作りたいと思っていた、前回のアルバムを出す前から作りたいと思っていたもの、次のアルバムはこういうなんを作りたいっていうものまで含んで、それをこの3年の間に全部考えた曲という感じかな。例えば「KILL西成BLUES」は、もともと「「ILL西成BLUES」(『SPROUT』収録。2007年リリース作品)を作っている時には、もう考えていた曲だから。

それは、リミックスみたいな楽曲を作るということをですか?

SHINGO★西成:いや、ちゃうちゃう。感情として。結局、変わらんやん。いつも文句だけ言うて逃げるやつ。いまだったらTwitterとかの書き込みでも、一方通行でひどいこと言って、嫌な思いしてる人、世のなかいっぱいおるやんか。芸能人は思わず、それをテレビで言ってしまうとか。普通につぶやいて炎上してまうとか。炎上するのがわかってて、なんでそんなとこに行くのとか思ったり、でも感情が止められへんかってんなとか。俺やったら作品にしたらええんやなっていうか。

怒っていますか? アルバム全体で「逆襲」を感じたんですよね。正確ではない表現かもしれませんが。

SHINGO★西成:毎日怒ってるんちゃう? 毎日怒ってるし、毎日落ち込んでるし……やなぁ。毎日爪噛んでるよ。だから、その取り方も全然間違いじゃない。前より怒ってるかもしれない、前より愛してるかもしれない。

愛してるから怒るんですもんね。

SHINGO★西成:それは前提かな。それを踏まえた上で聴いて欲しいって感じ。そうやなかったら言えへんよ。言う価値無いものに対してはもう言えへんよ、うん。だから怒りが多いと言われても、たしかに怒り多いかもなと思ったりするし、すげえ愛に溢れてるなぁって曲は、もっと愛に溢れた、愛100%の曲にもできたし。なんか、ほんまに寄せ集めたっていうんじゃなくて、喜怒哀楽をテーマにしてたら、喜怒哀楽は全部揃ってたらいいなぁとか。それが喜怒哀だったら楽を作らなあかんなとか。“ここから…今から”、“一等賞”があるから、“Fuck you, Thank you ほなさいなら”“KILL西成BLUES”があるという感じかな。

  めぐり合い励まし合い 
  ぶつかり合い見つめ合い笑い合いそれが愛 
  守りたいなあの娘のスマイル 
  繋いでいきたいな色んなスタイル
“ここから…今から”


まぁまぁまぁ、固定せんと相変わらず、一生懸命アホしますから。ドがつくアホで。大がつくバカで、大バカでいきますんで。俺の失敗してるとこも成功してるとこも見てくれたら。で、「ほんまアホやなぁシンゴ!」言うてくれたら最高の褒め言葉やね。

前作のインタヴューをさせてもらったときに聞いたお話で、浮き足立っていたらちょっと待てと一旦足を止めさせて考えさせるもの、また前に行きたいのに行けない時に背中を押すようなもの、その時、SHINGO★西成さんは自分が表現したい音楽についてそういうことを仰っていて、それがとても印象に残っています。今回は、聞いていてそれは変わらず、さらに感情の深掘りをされているのを感じました。

SHINGO★西成:おおきに、やで。その上でよりシンプルに伝えた方がいいなというので、言葉のチョイスをわかりやすくしたり、日々そういう心がけはしてるけど。でも、ここは言うといた方がいいっていう時には、いきなり“ナイフ”みたいな言葉を出すけど。でもその前後を聞いてもらったら、そういう言葉も出るのやろなっていう。

あった方がいい言葉はあった方がいいですよね。現実に“ナイフ”はあるわけで。

SHINGO★西成:あるやんか、やっぱり。信頼ももらった代わりに裏切りももらったし、経験もしたし。なんか色々あったからこそ……じゃあ“おおきに”って言ったり“いらっしゃいませ”って言うにしても、なんかこの人“いらっしゃいませ”というのもちゃんと言ってはるなとか、感情入ってるなとか、そんなんと一緒で。「ありがとう」一言、「おおきに」一言、「すんまへん」一言……言葉一言でもその人が乗り移るじゃないけど。その人の人生観が見えるときがあってもいいなと。そう思うからこそ、表現者としてそういう時はちゃんと出せるようにやろうと。そのまま「おーきに」「やっといてー」とか、そのシチュエーションに応じたやり方というんかな。ほんま感謝してる人には感謝してる思いで、ちゃんと言葉を言おうかなと今回は更に思った。前のアルバムよりそこは増したかな。例えば路上でライヴをしている人が10秒間、20秒間、目の前を通る人になんかをメッセージを残したいからやってるわけやんか。止まってる人前提に歌ってるわけじゃないやん? 俺もそのスタンスは変わってないから。パッと聴いたやつとか、有線でたまたまかかった曲、たまたまお店でかかってた俺の曲のパンチラインとかで、なんやこれ? って。そう言ってもらえるように、色々作ったつもりやけどね。だからアルバム単位で聞いてくれたら嬉しいなと思ってる。

ぜひ、音楽好きな人、悩んでいる人も、楽しいことが好きな人にも、いろんな人に聴いて欲しいです。それでは最後に、これからのSHINGO★西成さんについて伺いたいです。

SHINGO★西成:うーん、どうなるか決めてないからこそのワクワクドキドキ感はあるけど。なんかこうしたいとか、逆に変に固まるの嫌やから。やることやったらなるようになると思ってるし。今はやることやったからなるようになれっていうか。ただ、このアルバムを聴いてくれて、ええなと思ってくれる人が多い土地には行きたいな。まぁまぁまぁ、固定せんと相変わらず、一生懸命アホしますから。ドがつくアホで。大がつくバカで、大バカでいきますんで。俺の失敗してるとこも成功してるとこも見てくれたら。で、「ほんまアホやなぁシンゴ!」言うてくれたら最高の褒め言葉やね。

ありがとうございます。アルバムのインタヴューは以上ですが、最近西成の坂の上の方(天王寺駅周辺)はアベノハルカスもできて風景が激変しました。SHINGOさんの音楽は名前と同様、西成と不可分な表現なので伺いたいのですが、最近の西成の日々は、何か変わりましたか?

SHINGO★西成:暖かくなってきたからようわからんおっちゃんおばちゃんが仰山表に出てきてるわ。虫みたいなおっちゃんおばちゃんもおるし、お花畑みたいなおっちゃんおばちゃんもおるから食物連鎖でいいんちゃう? なんか生きてる。共生してる街やからね。なんていうかな。なんかこう、都会はお互いをわかってるからこそ、あんな人がいる交差点でもぶつからないやん。西成も独特の、なんかあんねんな、会話が。なんかこう、人の心を掴むっていうか、きっかけをちゃんと持つとか。変わってないよ。変われへんと思うよ。根本は。最近はしゃあないと思うようになったのか変化を受け入れざるを得ない感じやね。俺らが西成WAN(西成ウォールアートニッポン。SHINGO★西成を総合プロデューサーとして、アーティストと地域が協力して街へアートを描くことで、西成のイメージアップと、来訪者の増加を目的としたアートプロジェクト)をやったときも、年齢をとればとるほど新しいことって嫌だったりするやん。いまのこの形でいいやんみたいな。相変わらず変わって欲しくないと望んでいる人も多いけど、その町が変わっていかざるを得ない現実をちょっと納得してきてくれるというか。少しずつ受け入れてきてくれているのは感じてるかな。やっとやで。黒人のことクロンボ言うてるからね。クロンボ歩いたって。アカンよソレは言うたら絶対。この間は白人のこと、トム・クルーズ3人歩いてたって言っとったからね。なんや、その会話って。トム・クルーズは1人やって。俺にはミッション・インポッシブルっす。

最高ですね(笑)。ありがとうございました。

Mount Kimbie - ele-king

 ポスト・ダブステップの臨界点を突破した『Crooks & Lovers』から7年、〈Warp〉へと移籍してポスト・ポスト・ダブステップを探究した『Cold Spring Fault Less Youth』から4年……ようやくである。ドミニク・メイカーとカイ・カンポスからなるデュオ、マウント・キンビーが3枚めのアルバムをリリースする。その新作には、かつてマウント・キンビーのライヴ・メンバーであったジェイムス・ブレイクも参加している。00年代末期、マウント・キンビーもジェイムス・ブレイクもそれぞれに固有の方法で、それまでのダブステップを過去のものにしてしまったわけだが、ときの流れは恐ろしいもので、それからもう8年の月日が過ぎ去っている。それはつまり、かつて彼らの音楽に衝撃を受けたティーンネイジャーたちが、新しい音楽の作り手へと成長を遂げているということだ。そんな“いま”マウント・キンビーは、いったいどんなサウンドを届けてくれるのか。リリースは9月8日。

label: BEAT RECORDS / WARP RECORDS
artist: Mount Kimbie
title: Love What Survives

release date: 2017/09/08 ON SALE
BRC-553 ¥2,200(+税)
国内盤特典:ボーナス・トラック追加収録/解説・歌詞対訳付き

label: BEAT RECORDS
artist: yahyel
title: Iron

release date: 2017.06.23 FRI ON SALE

Lee Gamble - ele-king

 これはちょっとした事件かもしれない。これまで〈Pan〉から『Dutch Tvashar Plumes』『Koch』といった尖った作品を発表し、また自身の主宰する〈UIQ〉から独創的なアーティストの数々を送り出してきたリー・ギャンブルが、なんと〈Hyperdub〉に移籍する。9月15日には新作『Mnestic Pressure』のリリースも決定しており、先行して新曲“Istian”が公開されている。やはり〈Hyperdub〉は目の付け所がいいというか、これはちょっとした事件かもしれない。


聴くという行為は音が言葉で置き換えられなくても起こり得るということである。 (本書より)

 先日多摩川に行ったら、鬱蒼と茂る土手の草むらのあちこちから、7月の上旬だというのに、早くも虫たちの声が大きく聞こえた。まさに立体音響。臨場感たっぷりのバイノーラル。バイオ・ミュージック。というか、これが自然音。聴かなければ聴こえてこない。ジョン・ケージ風に言えば、聴くことは創造的行為。
 90年代に小山田圭吾はこう言った。作り手の想像力と聴き手の想像力が重なる領域で鳴る音楽を目指す。その領域をアンビエントと呼べるなら、『Mellow Waves』にも、ハウス・ミュージックにも、アンビエントがある。
 この話は、90年代に某イギリス人ライターに言われたことともリンクしている。読者もいっしょに考えてもらえる文章を目指していると彼はぼくに言った。我こそはそのジャンルのプロパーなりという態度はしない。作品の作者は自分なのだから自分が言っていることが正しいなどと作品を作者の奴隷にしない。自然の音は聴く人が聴けば作品になる。芸術家を崇めることを止める代わりに、凡庸な日々こそが芸術になりえる。そもそも実験とは、“問い直し”を意味する。ゆえに実験主義とアンビエントは隣接し、ゆえに実験とは、保守的な社会への抗議にも結びつく。

 デイヴィッド・トゥープの『音の海』には、こうした感覚が巧妙に描かれている。翻訳が出る数年前だったので、ぼくは自分の拙い英語力で苦労しながら原書で読んだものである。翻訳が出てからは、3人の友人に同書日本語版を買わせた。自慢ではないが、ぼくはトゥープをライターとして有名にした『The Face』誌の1984年の黄色い表紙のエレクトロ特集も所有していた。1993年の『The Face』誌の「Ambient Summer」の記事もリアルタイムで読んでいる(『Ambient Works Vol.2』リリース時におけるリチャード・D・ジェイムスのインタヴュー記事も)。影響を受けたと言えるほどトゥープの全著作物を読んでいるわけではないが、尊敬しているライターのひとりであることに間違いはない。
 とはいえ、よくわからないところもあった。たとえば、元々はデレク・ベイリー以降に登場したインプロバイザーのひとりであり、イーノの〈オブスキュア〉からも作品を出しているトゥープは、何故いちはやくジャーナリストとしてヒップホップについて著した『Rap Attack』を上梓したのだろうか──。
 本書には彼の音楽遍歴がこと細かく記されている。トゥープは前衛/実験音楽の徒である前に、ブルースやソウルといったブラック・ミュージックを幼少期から好んでいる。アカデミズムとも繫がる前衛/実験音楽界、とくにその書き手たちは、涙もろい人情的なソウル・ミュージックなどは本気で相手にしない傾向にある。生活のために書いたとトゥープは告白しているが、『Rap Attack』が気持ち良いのは、まだシーンがアンダーグラウンドだった時代(重要人物と会うのに、面倒な手続きを要しなかった時代)に立ち会えたという幸福が重要項目であるにせよ、テキストの根幹に、トゥープの無垢とも言えるブラック・ミュージックへの愛情があるからだろう。もちろん世のなかには、愛が言い訳にしかならない駄文は多々ある。が、音楽に関する経験と思考を重ねた成果を願わくば他者と共有したいと思うとき、結局のところはそこに行き着くものなのだ。
 『フラッター・エコー』はデイヴィッド・トゥープの自伝である。まさかこんなものが読めるとは思わなかったので、嬉しくて、ページをめくるのがもったいない気持ちで本書を読んだ。長年読み続けていたライターの、労苦の絶えなかった人生を知ることができたという喜びも覚えた。とりわけ女性との別れ、そして貧困については赤裸々に書かれているわけだが、彼の人生を見ていると実験音楽やアンビエントといったマニアックな音楽が、知識偏重的でも、高年収専門の音楽でもない、ということがよくわかる。むしろそれは生き方の自由とリンクして、とくに、人生最大の苦境において、自分に残されたオプティミズムのすべてを注いで『音の海』が執筆されたという話は、ぼくを揺さぶるには充分過ぎた。
 『音の海』を読んでいると、世界のいろんな“音”の場面が、人知れず接続して、ゆっくりとスムーズに拡がっているような感覚を覚える。それは音楽書の読書体験としては最高レベルのもので、と同時にそれは、聴くという行為が創造的行為であり、そしていまだ実験的かつ神秘的な体験であることを再認識させる。
 

ライターである私にとって事態をさらに複雑にしているのは、どのようにして言葉で置き換えられることなく音を聴き、その一方で言葉が不在の聴覚体験を言葉で説明するかという問題である。これは不可能に近い。私の一生の仕事であると言える。(本書より)

 

Father John Misty - ele-king

 喜劇
 それは狂人が心に描くようなもの!  “ピュア・コメディ”

 アメリカの長寿コメディ・アニメ、『ザ・シンプソンズ』が2000年にトランプ大統領の登場を予言していたとして昨年話題になった。該当のエピソードは、占い師が予言した未来では主人公家族のリサ・シンプソンが大統領に就任するのだが、その前任がドナルド・トランプだった――というものだ。同エピソードではトランプ大統領就任中に経済も治安も最悪の状態になったと描かれており、脚本家は振り返って「アメリカへの警告だった」と語っているそうだが……しかし、それはたしかに「ジョーク」でもあっただろう。笑いが社会を射抜くときそれは風刺となり、ときに警告となる。保守系メディアとして何かと物議を醸しているFOXチャンネルで『ザ・シンプソンズ』のような風刺に富んだコメディが放映されていることは、それ自体アメリカという国の矛盾を象徴しているように見える。

 ファーザー・ジョン・ミスティがサード・アルバムのリリースに先んじて公開した“ピュア・コメディ”のオフィシャル・ヴィデオに登場するアニメ・キャラクターになったドナルド・トランプは、『ザ・シンプソンズ』においてアメリカを破壊したトランプ大統領の姿を連想させる。『The New Yorker』誌のイラストレーターであるエド・スティードによるシュールなアートワークと、アメリカで現在起きている災害・娯楽・産業・政治・社会・宗教……がそのヴィデオでは映されるが、それは「Video by everyone in America」と説明されている。アメリカにいるみんな……を映すものを、「純粋な喜劇」と呼ぶこと。歌詞ではこの世のグロテスクな状況がブラック・ユーモアたっぷりに描かれる。“ボアド・イン・ザ・USA”に代表されるように前作でその片鱗はじゅうぶん見えていたが、ジョシュ・ティルマンはこのサード・アルバムで、風刺作家でありコメディアンとしてのペルソナを進んでかぶっている。ゴージャスなオーケストラと朗々とした歌唱で飾りつけられたピアノ・バラッドである“ピュア・コメディ”は、楽曲自体がショウビズを大真面目に踏襲しているようにも皮肉っているようにも聞こえる。いや、その両方なのだろう。『ピュア・コメディ』は、USインディにおける稀代のトリックスターとしてのティルマンが、その分裂を飲みこまんとする野心に満ちた大作だ。特定の政治的状況を指し示しているわけではないが、アルバムはまるでスラップスティック・コメディのようなこの時代を、それから人間の欲望や社会の混乱を俯瞰的に描写し、それはきわめてアメリカ文化に根差したものとして実現されている。

 70年代前半のUSシンガーソングライター風フォーク・ソング集という基本路線は前作と同様だが、オーケストラのアレンジをより前面に置いた頭3曲にはアメリカのエンターテインメント産業にかつてあった粋を喚び出さんとする気概が感じられる。とりわけブリブリと弾むサックスがカウンターメロディを歌いまくる“トータル・エンターテインメント・フォーエヴァー”のアレンジが放つ大人の色気はどうだろう。「信じられるかい/僕らがこんなところまで来てしまったなんて/この新時代で 自分の欲しいものを手にする自由」とペーソスたっぷりに歌われる痛烈さ、そのねじれた知性。と、同時に満ち満ちた情感。ティルマンはここで現代におけるランディ・ニューマンのポジションへと一歩足を進めたわけだが、いっぽうで批評の死を歌う“バラッド・オブ・ザ・ダイイング・マン”(ボブ・ディラン“バラッド・オブ・ア・シン・マン”の引用だろう)や控えめな室内楽“ア・ビガー・ペーパー・バッグ”、レイドバックしたフォーク・ロック“スムーチー”のようにシンプルなアレンジの楽曲では単純にソングライティングの力で聞かせるし、あるいは“バーディー”のイントロにおけるフォークトロニカ的音響からは、彼が必ずしもレトロの伝道者ではなく、モダンなミュージシャンであることも証明している。ただ逆に言えばテーマとしてもサウンドとしても大きな風呂敷を広げているということでもあり、中心がどこにあるかが判断しにくくはある。
 そのヒントは、アルバムにおけるもっとも長尺の“リーヴィング・LA”に託されているだろう。陶酔的なチェンバー・フォークに乗せてパーソナルな内省がどこか叙事的に綴られるその13分は、歌い手の素の横顔が見え隠れする時間である。ファーザー・ジョン・ミスティの最大のチャームは、おそらくマクロからミクロへとスッと視点が転じる瞬間だ。皮肉と笑いにはぐらかされていた想いがふいに零れ落ちてくる瞬間がFJMのアルバムには存在するが、それこそが彼の歌の生々しさであり、思いやりだ。アコースティック・ギターとピアノの素朴な演奏と誠実なストリングス、そしてよく伸びる歌声ばかりがあるクロージング・ナンバー“イン・トゥエンティー・イヤーズ・オア・ソー”でティルマンは「どこかで読んだことによれば、20年後には多かれ少なかれ、人類の試みは暴力的な限界に達するそうだ/それでも2杯めの酒が届くころ、僕はこうして君を見つめるよ/そう、生きていることが奇跡なんだ」と歌うが、それははっきりと愛の宣言である。そしてアルバムは、「恐れることなど何もない」と繰り返して終わっていく。

 ケンドリック・ラマーの『DAMN.』はすでに「ポスト・トランプ時代を象徴する一枚」として評価されているが、直接的に政治的でなくとも、ある意味でFJMの『ピュア・コメディ』も現在進行形のアメリカ、その混沌――まさに「風刺画」であるエド・スティードによるジャケットをじっと見つめてみよう――を黙示録的に描いていると言える。だが、と同時にティルマンは自身もそのカオスの一部であることを忘れることはなく、そうして生きていくことの悲喜こもごもを真摯に歌い上げている。倒錯した時代に捧げられた狂人によるコメディは、じつはもっともピュアなバラッド集でもある。


上野俊哉 - ele-king

 ルフェーヴルにとって「日常生活(everyday life)」とは批判の対象であると同時に、批判と抵抗の拠点でもあった。それは、あくまでも資本主義的な生活様式の反復であるかぎりで、単なる「日々の生活(daily life)」とは区別されている。しかし凡庸、惰性、退屈、反復としての日常生活のなかには、特定の強度と緊張や、活性化につながる瞬間=契機がありうることもまた事実である。批判と変革のカギは日常生活の外部からやってくるのではない。言い換えれば、批判と抵抗の場としての外部を日常生活それ自体の内部に瞬間的/一時的に含みこむことができる。 (本書より)

 『トレインスポッティング』の新しいヤツまだ観ていないんだけど、あの最初の話、まだ映画化される前のこと、90年代半ばの話ですね──、当時ele-king編集部に在籍していた英語力に優れた渡辺健吾は、原書を取り寄せ、その読破にトライしたのであった。アーヴィン・ウェルシュはすでに英ポップ・メディアで騒がれていたし、誌面では、スコティッシュ訛りの見出し(ex: toe ya/Ah'll beなどなど)が踊りはじめた時代だった。『トレインスポッティング』に関しては、当時のスコットランドの悲惨な現実を切り取ったなど定番の論評がいくつもあるが、ひとつ重要なことを忘れてもらっては困る。この本が証明したもうひとつの真実とは、サラ・チャンピオンも書いているように、クラブに夢中になっているようなバカは本など読まないだろうという、それまでの定説/偏見を覆したことだった。あの本はクラブ世代が読みまわし、ベストセラーにした。ゆえにアンダーワールドは(クラブ・カルチャーとは一見なんも関係のないように思える)映画の主題歌を担当しなければならなかった。

 ダンス・カルチャーは、昔はよくこう言われてきた。no lyrics, no messages, no faces, no poltics.....ゆえにロックよりも劣ると。そして『トレインスポッティング』以降、こうも言われるようになった。パンクでさえ取り締まりの対象にならなかったがレイヴ・カルチャーは法的に禁じられるほどのものとなった──と。
 そして“歌詞のない”、“フェイスレスで(スター不在の匿名的で)”“明確な政治的スタンスも持たない”ダンス・カルチャーに関する研究書は、ジャズやロックに劣らぬほど(いや、単体アーティストのファン・ブックを除けば、ヘタしたらそれ以上の研究の書が)刊行されている。まったく頭を使わないと思われた文化が、より知性を刺激する出版物を数多く出しているということは、じつに興味深い。
 レイヴ・カルチャーの歴史に関してはマシュー・コリンによる『Altered State』(1997)が名著として有名だが、サイモン・レイノルズの『Energy Flash』(1998)もよく知られるところで、まあ、後者には小難しい理屈を並べやがってという罵りもあるにはある。しなしながら、レイノルズよりもさらに小難しい理屈の徒=思想系であるKode 9が切り拓いたシーンのことを思えば、意地悪い雑言も小さく見えるだろう。日本ではいっときの流行のごとく誰も言わなくなったカルチュラル・スタディーズだが、ことUKに関して言えば、ポール・ギルロイ影響下のコドゥ・エシュンが『more brilliant than the sun』(1998)を出し、そして2000年代で言えば、カルチュラル・スタディーズ/フランス現代思想の流れを汲む故マーク・フィッシャーがダブステップ世代の哲学を繰り広げている(ベリアルを思想的に解釈したのはこの人である)。ちなみにゼロ年代のUKの大学生にかなりの影響を与えたフィッシャーは、『WIRE』誌の看板ライターとしても活躍し、その後音楽評論でも参照されることになる『Capitalist Realism』を2009年に発表している。上野俊哉の『アーバン・トライバル・スタディーズ』は、レイヴ・カルチャーをこうした思想系/文化研究/社会学のコンテクストにおいて読み解いた、日本では唯一の書物である(とくに日本のトランス・シーンに関しては詳述されている)。

 2005年に出版された同書が、今年の春に増補版として刊行されたのは、著者=上野センセ~がどこまで意識していたのかは不明であるが、タイミングとしては悪くない。2008年のゾンビー『Where Were U In '92?』が象徴的であったように(あるいはele-kingに上がったばかりのダブ・スクワッドのインタヴュー記事を読んでいただければわかるように)、あの時代のあの形態、ダンス・カルチャーから生まれたレイヴと呼ばれる文化運動形態(本書では“パーティ”と記されている)がいま見直されているのは事実だ。90年代を知らない若い世代のなかで、実際に新しいレイヴ・カルチャーが起きているのが現在なのである。(現代思想系を巻き込んでうねりをあげているこのあたりのUKでの展開は、7月14日刊行予定の紙エレキングの20号に掲載される高橋勇人の原稿を参照されたし)
 レイヴ・カルチャーというのは、90年代初頭にたとえばそれがストーンヘンジ・フェスティヴァルのような、60年代型対抗文化の流れと結びついたときに、紋切り型のポップの社会学をもって語られもしたが(ワタクシもそれをやってしまったことがあった)……、しかしこのいかがわしい文化は、そんなナイーヴな面構えをしていない。内面には無垢さばかりでなく、猥雑さも複雑に反射している。匿名的で、草の根的な大衆運動性をもってすれば、さらにまたどこかで爆発しかねないほどのポテンシャルはある。レイヴ経験者にはわかるだろう、何よりもそこにあるのは、圧倒的ないま/現在なのである。「批判と抵抗の場としての外部を」「日常生活それ自体の内部に」「含みこむことができる」、瞬間だ。そこにほのめかされる可能性──

 著者=上野センセ~は、『Altered State』を書いたマシュー・コリン同様に、このシーンへのあきれかえるほどの愛情があり、また、いまだに当事者であり続けている。年齢を考えると恐れ入る話だが、この増補版の長い序文には、匿名的なパーティ・ピープルのひとりであり、ダイナミックなダンサーであり、そして哲学好きの研究者である著者の経験/感覚/思考/感情が、ときにベンヤミンやアドルノ、粉川哲夫に立ち返りながら、ときにユーモアを込めて記述されている。ここ10年ほどの日本の政治運動についての著者の考察についても、ここぞとばかりに言葉を費やしている。もうひとつ。80年代のB級ニューエイジが高値で再発されている今日のニューエイジ・ブームには基本的に否定の立場であるぼくだが、上野センセ~のレイヴにおけるニューエイジ的なるものの再・再解釈には、シーンの細部も見渡せる立場の当事者ならではの大らかさ/注意深さがあり、かのクレオール主義者、今福龍太と共通する感性を見いだすこともできるかもしれない。が、しかしそうそう体よくまとめることができないのは、著者がいまもこのラディカルなレイヴ運動体の確実ないち部であるからだ。サッカーの試合中、選手は走りながら思考を働かせている。
 なんにせよ、本書においてもっとも重要なのは、たったいまもそれが起き続けているという感覚だ。物事をなにかと類型することで自己の論を振りかざすのが人の陥りがちなところだが、むしろ類型化しようにもできないもののなかにこそ契機を見いだすこと、それがこの20年著者が実践していること/ダンスし、思考に思考を重ねていることだと言えよう。本書はその成果であり、日本ではたった1冊の、過去の物語ではなく文字通りの意味で“アクチュアル”な、レイヴ(パーティ)文化研究の書なのである。

special talk : Shota Shimizu × YOUNG JUJU - ele-king


清水翔太
FLY

MASTERSIX FOUNDATION

J-PopR&BSoul

初回生産限定盤 Amazon Tower HMV

通常盤 Amazon Tower HMV iTunes


YOUNG JUJU
juzzy 92'

Pヴァイン

Hip Hop

Amazon Tower HMV iTunes

 R&Bシンガー、清水翔太の最新アルバム『FLY』の“Drippin’”という曲でKANDYTOWNのラッパー、YOUNG JUJUとIOがヴァースをキックしている。2人のスムースなフロウが甘美なR&Bのラヴ・ソングのなかを駆け抜ける。JUJUはオートチューンを効果的に用い歌ってもいる。客演のきっかけがあった。JUJUがラッパーのB.D.をフィーチャリングした“LIVE NOW”という曲で、清水の“Overflow”をサンプリングしたビートでラップした。ビートを作ったのはJJJ、サンプリング・クリアランスを取得した上でJUJUのファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』に収録された。

 前作『PROUD』、そして本作『FLY』を聴けば、清水がいま変化のときを迎えていることがわかるだろう。2月にele-kingにアップされたインタヴューでも、その変化についておおいに語ってくれた。その変化は清水個人のチャレンジであると同時に、現在のUSのR&Bやラップ・ミュージックをいかに“翻訳”して日本の大衆音楽として表現するのか、という(この国の大衆音楽における永遠のテーマとも言える)問いを考えるときに興味深くもある。そういう点でも僕は清水のいまの動向に注目している。

 “Drippin’”、あるいはJUJU がtofubeatsと共作した“LONELY NIGHTS”などを聴くと、JUJUもまた同じような問題意識をもって創作のあり方を模索していっているように思えた。そこで2人の対談の企画が浮上した。ラップもこなすR&Bシンガーの清水翔太と歌うことをより意識し始めているラッパーのYOUNG JUJUに語り合ってもらった。


清水翔太“Tokyo”

YOUNG JUJU“LIVE NOW” feat. B.D.

日本語と英語の混ぜ方という点で、KANDYTOWNの人たちの表現に影響を受けた部分もすごくあるんですよ。 (清水)

最近はラップしながら歌うみたいなのが調子良くて、そのスタイルがいま自分がやりたいことですね。 (JUJU)

YOUNG JUJUさんの『juzzy 92'』には、JJJがトラックを作り、B.D.をフィーチャリングした“LIVE NOW”という曲が収録されています。あの曲が清水翔太の曲をサンプリングしていることを知ったときどう思いました?

JUJU:「(リリースするのは)無理じゃん」って思いましたね。J君が送ってくれた曲が何曲かあったんですけど、僕はそのなかでもあのビートがいいなと思って。Illicit Tsuboiさんのところでよく録るんですけど、Tsuboiさんにも聴いてもらって、「こっちのビートがいいんじゃない?」って選んでもらったのが“LIVE NOW”だったんですよね。そうしたらあとからJ君に「サンプリングの問題でこれはできないかもしれない」と言われて。「じゃあなんで送ったんですか」って思ったんですけど(笑)。そのあとに(サンプル・ネタが)清水翔太さんの“Overflow”だって聞いて。初めて聴いたときは清水翔太さんの曲だと思わなかったので、びっくりしたというのが率直な感想ですね。

ご自身の曲がサンプリングされた“LIVE NOW”を初めて聴いたとき、まず率直にどういう感想を持ちましたか?

清水:うれしいなと思いましたね。僕はポップスに寄りながら、自分のエゴや欲をアルバムの収録曲で出したりしてきたんです。それがまさに強く出ていたのが“Overflow”だったと思うんですよ。そういう曲を自分が好きな人たちがカッコいいと思ってサンプリングしてくれたのがうれしかったですね。しかも原曲とは違うカッコよさで表現してくれていた。

JUJU:ありがとうございます。

清水:こちらこそ本当にありがとうございます。

お会いするのも初めてなんですよね?

清水:そうなんですよね。

JUJU:めちゃくちゃ緊張してます……。実は僕が清水翔太さんを初めて知ったのは、中学生のときにテレビで観た朝のニュースだったんですよ。ニューヨークでライヴしてましたよね?

清水:ああ、やってましたね。

JUJU:それを観た母親が「こんな子いるんだね。スゴいね」と言っていて、それで知ったんですよね。だから今回、清水さんと共演していちばん喜んでいるのは母親ですね。

清水:ありがとうございます。うれしいですね。

“LIVE NOW”の経緯もあったと思うのですが、今回YOUNG JUJUとIOを“Drippin'”という曲に客演として招いたことにどんな思いがあったのでしょうか?

清水:元々僕は頑なに日本語を大事にして、なるべく英語を使わないスタイルでやってきたんです。ただ最近は英語を混ぜて歌ったりラップするようにもなってきている。そういう、日本語と英語の混ぜ方という点で、KANDYTOWNの人たちの表現に影響を受けた部分もすごくあるんですよ。そういうのもあって2人にお願いしました。

JUJU:すごくうれしかったですね。曲に関しては、ラッパーが勢い良くラップするようなビートがくるのかなとも思っていたんです。そうしたら、ああいうテンションの曲が送られてきたんで。

R&B寄りの楽曲で、テーマも恋愛ですよね。

JUJU:そういうテーマも送ってもらって。ただ、僕たちは女の子のことを直接的に書くみたいなことをあんまりやってこなかったんで、IOくんと「さあ、どうしようか?」って話はしましたね。最終的には、曲のムードや感情を壊さないけど、ナヨナヨした感じは嫌なのでああいう形で落ち着きましたね。

ははは。

JUJU:僕がメロディをつけてラップするのはKANDYTOWNの曲のフックとかでしかやってこなかったんですけど、最近はラップしながら歌うみたいなのが調子良くて、そのスタイルがいま自分がやりたいことですね。

清水さんがKANDYTOWNの日本語と英語の混ぜ方に触発された部分があるという話をされていましたが、JUJUさんは「Amebreak」のインタヴューで、「言葉からラップを作っていくのって本当に難しいし、特に日本語だとそうなんですよね。フロウに合う/合わない言葉が日本語だと分かれる。『日本語だと合わないな』ってときに英語をハメていくタイプかな」と語っていますよね。

JUJU:昔からフリースタイルが得意じゃなくて、みんながフリースタイルをやっているときにはやってなかったんですよね。意味わかんない言葉でフロウするってことをやっていたんですよ。「俺らのフロウだけ聴いとけ!」みたいな感じで意味わかんない言葉でフリースタイルしていたのが原点ですね。だから、特にIO君と曲を作るときは「俺ならこうハメる」みたいに意味わかんない言葉でフロウして、「そのメロディ、ハンパない!」ってなったときに日本語か英語でハマる言葉を探して作ることが多いですね。

清水:僕もいわばいっしょで、最初にトラックを作ってとりあえず適当な英語でバーッと歌うんですよ。それでメロディが決まってきてあとから歌詞をつける。英語で適当に歌っているときのフロウがいちばんカッコいいんですよ。何が何でも日本語をハメていかなきゃ、という思考でやればやるほどどんどん良くなくなっていくんです。だからまずは「日本語でやりたい」というこだわりよりも、自分からナチュラルに生まれてきたメロディやフロウが活きるように言葉をハメていくのがいちばんいいと思うんです。

とりあえず歌が上手くて詞も書きます、というR&Bシンガーじゃつまらないじゃないですか。だからいまは自分の歌の力を無駄遣いしてでも、クリエイティヴなことをやっていきたいんですよね。 (清水)

人に届くような歌詞を書こうというマインドに変わりつつあるんです。前よりもそういう風に考えて歌詞を書くようになってますね。 (JUJU)

清水:僕の場合、作品自体の質はもちろん、自分がいまやりたい音楽の方向にリスナーを導いていくというのが課題としてもありますね。やっぱりこれまでの活動があってそういう音楽を求めてくるファンも多いですから。『PROUD』でいろんな挑戦をしましたし、さらに少しずつ広げていきたいですよね。いまは特にヒップホップにはクリエイティヴな人が多いですし、僕もそうでありたいんです。とりあえず歌が上手くて詞も書きます、というR&Bシンガーじゃつまらないじゃないですか。だからいまは自分の歌の力を無駄遣いしてでも、クリエイティヴなことをやっていきたいんですよね。

新作の『FLY』で僕が大好きな曲のひとつは“いつもBlue”なんですけど、この曲はメロディやフロウ、歌詞の部分でも、ラップ・ミュージック、R&Bのディープな要素とポップスの要素を絶妙なバランスで作っている曲だと感じました。

清水:本当にそうだと思います。あと全体の流れも含めて、行き切っている曲も、あえて引いている曲も全部納得いってもらえるように、バランスはすごく考えて作りましたね。ただ、もっとメチャクチャにやってやりたいという瞬間はいっぱいありましたし、途中でぶっちゃけ本当にアルバムの方向性わからなくなったりもしましたけど、とりあえずやりたいことをやって音を作って歌うっていうのをひたすらやり続けて結果としてバランスが良くなったという感じでもあるんです。ツアーも決まっていたのに本当に間に合わなさそうでかなり追い詰められつつ……、でもなんとか間に合ったかな。

『juzzy 92'』は聴かれましたか?

清水:はい。ただただいいなあっていう(笑)。僕は基本的にKANDYTOWNのみなさんのスムースなところが好きなんです。必要以上がないというか、計算されていないようにも見えるし、計算されているようにも見える。どちらにせよスムースだなと。あの感じは狙って出せないし、すごくいまのセンスなんだなと思いますし、やっぱり超カッコいい。

JUJU:ありがとうございます。

清水:ところで、どういうときに(リリックを)書こうと思います?

JUJU:いろいろありますよね。ニュースを見てなにか思いつくこともあるし、くだらないことをやっている人を見て思うこともあるし。

清水:書こうと思ったらすぐ書きます?

JUJU:俺は無理っすね。自然とヴァイヴスが向いていかないと書けないです。「お前座れ!」って言われたら「無理!」ってなっちゃうタイプなので。清水さんはどうやって曲を書くんですか?

清水:僕もなるべく書けるときに書きますね。

JUJU:でも期日とかあったりしたら大変ですよね。

清水:それで頑張らないといけないときもあるけど、でもそういうときはだいたい良い曲はできないですよね。

JUJU:今回の僕らのラップは大丈夫でしたか?

清水:超良かったですよ!

“Drippin’”のラップのヴァースに関して、清水さんからディレクションはしましたか?

清水:自分が「こうしてくれ」と言われるのが嫌ですし、好きにやってもらえればカッコいいだろうという安心感があったので、僕からはそんなに細かく言わなかったですね。

JUJU:テーマも伝えられて、清水さんのリリックもフックもできていたので、イメージはしやすかったですね。僕らが押し出しすぎて邪魔にならないようにしようとは思いました。だから「やりに来たよ!」みたいな感じも出さないで、「あいつらいたね」くらいの雰囲気で添えられたらいいなと思って。自分のなかではそういうイメージがあったという感じでしたね。

ラップのヴァースのリリックを掲載しないのはJUJUさんが決めたんですか?

JUJU:僕らがたしかにそういうことを言って、周りの人がJUJUやIOは歌詞を公開しないスタンスだと思ったんだと思います、歌詞が載っていないのはいま初めて知りました(笑)。でも、もう最近は歌詞を載せても大丈夫ですね。人に届くような歌詞を書こうというマインドに変わりつつあるんです。前よりもそういう風に考えて歌詞を書くようになってますね。

『juzzy 92'』の制作時からも創作に関して変化があるってことですね。

JUJU:ただ、あのアルバムは本当に廃盤にして欲しいぐらいなんです。あの作品に関しては一言も話したくないくらい嫌で、アルバムが出てから一回も聴いていないし、だからライヴとかできないぐらいリリックもわからない。

そうなんですか。どうしてそんなに嫌なんですか? すごく良いアルバムだと思いますよ。

JUJU:あのときは本当にイケイケドンドンみたいになっていたし、いまみたいに真剣に音楽をやるようになるとは思っていなくて、だからちゃんとしておけばよかった、って後悔しかないですね。申し訳ないですけど。

清水:やっぱり作品を出していくなかで、自分の未来との距離感のバランスがなんとなくわかってくると思うんですよ。出せば出すほど、これはたぶんあとから後悔するなって作品とかなんとなくわかってくるんですよね。だから僕も最初は「ここはこうしておけばよかった」とかすごく多かったんですけど、だいぶ減りましたね。でもそれくらいのほうが次はもっといいものを作ろうと思うからいいですけどね。

JUJU:はい。なんというか、ラップだけで気持ちいい音楽を作れる人もいるんですけど、日本語ラップは言っている内容も含めて気持よくないものも多いじゃないですか。自分が恥ずかしいと感じることと、人が恥ずかしいと感じることは違うと思うけど。恥ずかしくなるラップは無理ですね。清水さんの曲は、ラップにも歌にも気持ち良いメロディがあっていいですよね。

清水:ただ、僕もただメロディアスなラップは嫌なんですよね。 僕はラップやヒップホップがやりたいということではなく、言いたいことを伝える方法として歌うことがいちばん適しているなら歌うし、ラップの方が伝わるならばラップするんですよね。表現しようとすることが先にある。歌は基本的にすごく制限があるんですよね。例えばAメロ、Bメロ、サビができちゃったら、2番も文字数を合わせなければならない。そこが面白さでもありますけどね。いまはラップでたくさん言いたいことを言えるというのがちょっとうれしいというか、気持ち良くなっちゃっているところがあるのかもしれないですね。

清水さんが今回のアルバムでいちばん納得している曲を挙げるとしたらどれですか?

清水:個人的にいちばん納得しているのは“夢がさめないように”ですね。ただ、ある意味ではいちばん適当な曲なんですよね。音数も少なくて、シンセとベースとドラムとピアノとか、4つくらいしかない。歌もスタジオに入らずに、家で録ったものなんですよ。そんなことをやったのは初めてなんです。家のマイクでとりあえずやってみて、良いのが録れたからもうこれでいいって感じでしたね。

“夢がさめないように”の余韻を残しながら次の曲“Interlude -夢の続き-”へ流れていきますね。このソウルフルな2曲はたしかに印象的でした。

清水:いままでインタルード的なものを作ったことがなかったんですけど、この曲も家で録ったもののまんまで、トラック・ダウンもしていないんですよ。僕のミックスをそのまま使ってますね。そういう意味ではいちばんナチュラルに僕を感じられるのがその2曲の流れなんです。だからそこが好きだし、聴いてもらいたいですよね。

なるほど。今後、“Drippin’”をステージで共演して披露するなんて予定はあったりしますか?

清水:どうですか(笑)?

JUJU:ぜひやりたいですね。

清水:本当ですか? 2人が2番でバッと出てきてもらうのもカッコいいけど、わりとすぐ終わっちゃいますし、やるとしたらどういう構成でやるんだろうなあというのも考えたりしましたけど(笑)、ぜひやりたいですね。

JUJU:はい。僕はいま、音楽を聴いて「これヤベえ!」ってなっていた時期のフレッシュな感覚に戻りつつあって、歌詞を書いたりビートを聴いたりするのが楽しくて、特に決まったプランはないんですけど、制作にも集中したいって感じですね。

清水:ぜひ呼んでいただけることがあればいつでも呼んでください。

JUJU:ありがとうございます。ぜひお願いします。

●清水翔太info
全国ツアー「LIVE TOUR 2017〝FLY〟」を開催中。
8月12日13日日本武道館、8月20日ツアーファイナル大阪城ホール公演を開催予定。
上記アリーナ公演のチケット一般発売が7/10(土)10:00より各プレイガイドよりスタート。
詳細はホームページをチェック。

interview with Laurel Halo - ele-king


Laurel Halo
Dust

Hyperdub / ビート

PopExperimentalJazzDubCollage

Amazon Tower HMV iTunes

 一度やったことはもうやらない。そういうアーティストだと思い込んでいた。だから、初めてローレル・ヘイローの新作『Dust』を聴いたときは驚いた。まさか、ふたたびヴォーカル・アルバムを送り出してくるなんて、と。
 彼女は昨年、このアルバムを制作する傍らスティル・ビー・ヒアというプロジェクトに参加している。それは初音ミクにインスパイアされたアート・プロジェクトで、松任谷万璃が始動させたものだ。そのサウンド部門を担っているのがローレル・ヘイローなのだけれど、彼女がふたたびヴォーカル・アルバムを作ろうと思った背景のひとつに、その初音ミクの存在があったんじゃないだろうか。ボーカロイドの歌/声と人間の歌/声、その両者のあいだに横たわっている差異に触発されたからこそ、彼女は再度自身の作品に声を導入することを検討したのではないか。
 とはいえ本作は、同じように歌/声の可能性を探究したファースト・アルバム『Quarantine』とはまったく異なる作品に仕上がっている。前作『In Situ』でジャズやダブの要素を導入した彼女だが、それらの要素が本作ではより大胆に展開されている。ジャズの因子はほぼ全編にわたって散りばめられており、ダブのほうは“Arschkriecher”や“Syzygy”、“Do U Ever Happen”といったトラックに忍び込まされている。
 そんな今回のアルバムのなかで一際異彩を放っているのが“Moontalk”だ。この曲はアフリカの音楽からインスパイアされているように聴こえるのだけれど、その土着的な雰囲気とは裏腹にヴォーカル・パートは日本語で歌われており、ここにもボーカロイドの影をみとめることができる(が、個人的にはまったく日本語に聴こえなかったため、以下のインタヴューで「これは何語ですか?」と素朴な疑問を投げかけてしまった僕は「バカ」呼ばわりされている)。
 また、本作の多くの曲でパーカッションが有機的に機能している点も見逃せない。打楽器を担当しているのはNYの作曲家/パーカッショニストのイーライ・ケスラーだが、このアルバムにおける彼の貢献は相当なものだ。そんなふうに外部からゲストが招かれていることも本作の大きな特徴で、その数は総勢9名に及ぶ。なかでもとりわけ重要なのが、ブラック・エクスペリメンタリズムの急先鋒=クラインと、ワールド・ハイブリッド・サウンドの最尖端=ラファウンダの参加である。急いで付言しておくと、彼女たちはあくまでヴォーカリストとして招聘されているにすぎない。が、このアルバムの実験性と雑食性が彼女たちふたりのサウンドから大いに刺戟を受けたものであることはほぼ間違いないだろう。ローレル・ヘイローは本作で、ブラック・エクスペリメンタリズムとワールド・ハイブリッド・サウンドと、その双方を独自に消化・吸収している。
 ヴォーカルにパーカッション。ジャズにダブ。クラインにラファウンダ。さまざまなゲストならぬダスト(dust)=粒子たちがこのアルバムの周囲を飛び回っている。それらをつぶさに観測する研究者がローレル・ヘイローなのだとすれば、その入念な研究の成果がこの『Dust』だろう。ポップ・ミュージックとは実験音楽のことであり、実験音楽とはポップ・ミュージックのことである――まるでそう宣言しているかのような清々しい作品だ。ローレル・ヘイローはいま、前人未踏の領域へと足を踏み入れている。
 一度やったことはもうやらない。そういうアーティストだと思い込んでいたけれど、どうやらその思い込みは正しかったようだ。

私は濃密なコードやメロディが大好きなんだけど、最近の音楽はあまりにも色味がなくてベーシックなものが多い気がする。アーティストたちの多くは平均的なリスナーを当然のものだと考えてるけど、彼らは思ってるよりももっと奇抜な音楽や、風変わりなもの、濃いものだってわかるものよ。

前作『In Situ』は〈Honest Jon's〉からのリリースでしたが、今回は『Quarantine』『Chance Of Rain』と同じ〈Hyperdub〉からのリリースです。ふたたび〈Hyperdub〉から作品を発表することになった経緯を教えてください。

ローレル・ヘイロー(Laurel Halo、以下LH):レーベルが体現してるものや、そこのスタッフが好きってこと以外にたいした理由はないね。

前作『In Situ』は実験的でありながらダンサブルで、特に最後の“Focus I”はコードの部分で極上のジャズのムードを醸し出しつつも、リズムの表現もじつに豊かで、またダブ・テクノ的な音響も盛り込まれていました。今回の新作『Dust』に収められている“Nicht Ohne Risiko”や“Who Won?”はジャズ/フリー・ジャズと、IDM/エレクトロニカとの融合とも言えますが、ご自身では本作におけるジャズの要素についてどうお考えですか?

LH:ここしばらくはジャズ・サウンドを音楽に取り入れてる。たくさんのジャズ・ミュージシャンやジャズの精神、フリーダムな心や自由な表現などからインスピレイションをもらってるのね。数え上げれば長くなるけど、私のジャズの知識なんて、ある人と比べれば深くても、別のある人と比べれば浅い。つきつめれば、私が発表したどの作品にも本物のジャズはない。それは加工途中のものだったり、変化の過程にあるものだったりして、スルーコンポーズド(通作)じゃないし、完全にモーダルの様式の中で作ったわけでもないし、フリー・インプロヴィゼイションでもない。アルバムの曲を書いてたとき、即興演奏やフリープレイはたくさんやったけど、こういう言い方が意味を成すなら、それが形になったってことだね。私は濃密なコードやメロディが大好きなんだけど、最近の音楽はあまりにも色味がなくてベーシックなものが多い気がする。アーティストたちの多くは平均的なリスナーを当然のものだと考えてるけど、彼らは思ってるよりももっと奇抜な音楽や、風変わりなもの、濃いものだってわかるものよ。世の中の人たちはシンプルな音楽を深遠なものとして与えられてるでしょ。私のアルバムも聴きにくくはないから、かなりシンプルだとは思うけど、アコースティックな楽器を使ってサイケデリックなサウンドを組み込みたいと思ってた。それにミュージシャンとしての私の仕事にインスピレイションを与えてくれた偉大なミュージシャンたちを賞賛したかった。東京にはジャズとかソウルとか、クラシックとか、メタルとか特定のジャンルの音楽に浸って、サウンドに深く入り込めるバーやカフェがあるのがすばらしいね。

本作『Dust』ではほとんどの曲にヴォーカルが入っています。ご自身の声/歌を使う試みは『Quarantine』(2012年)でもおこなわれていましたが、本作におけるヴォーカルの役割は『Quarantine』とは異なっているように聴こえます。近作ではヴォーカルから離れていたと思うのですが、本作で再び大きく歌を導入したのはなぜですか?

LH:シンプルに言うと、言葉とか歌詞を使いたかったから。だから歌うのは当たりまえのことだった。

リリックはおもにどういった内容になっているのでしょう? アルバム全体をとおしてひとつのテーマのようなものがあるのでしょうか?

LH:歌詞にはいろいろなものが混ざりあっている。歴史的なものや、個人的なこと、非個人的なこと、フィクション、ニュースに基づくこと、私の人生に関わっている人たちのことや、無意味なことから作り出した意味のあることとか。ポジティヴな気持ちを伝えたり、凝り固まったパターンとか流行の外側を見られるように間違った文法や造語を使ってる。

冒頭の“Sun To Solar”と“Jelly”の2曲からは、シンセ・ポップやインディR&Bのムードが感じられますが、それは意図されたものでしょうか?

LH:シンセ・ポップはあるね。それにファンクも、ソウル・ミュージックも、細野晴臣や佐藤博も。「インディR&B」は絶対ないって!!

その、“Sun To Solar”と“Jelly”にはクラインが参加しています。彼女を起用しようと思った理由を教えてください。

LH:彼女の音楽が好きだし、音楽とは何かとか、音楽は何になりうるか、ということについてお互い似たようなヴィジョンを持ってるから。

いまクラインやチーノ・アモービらの音楽が「ブラック・エクスペリメンタリズム」と呼ばれて話題になっていますが、その盛り上がりについてはどうお考えですか?

LH:クラインやチーノの音楽が認められつつあるのは嬉しいね。権力構造を打倒したり解体したりすることを目指す音楽に感動してる。

“Jelly”と“Syzygy”にはラファウンダが参加しています。彼女はベース・ミュージックとワールド・ミュージックを横断するような興味深い音楽を作っていますが、今回彼女を起用しようと思った理由を教えてください。

LH:彼女の声と創造へのアプローチのしかたが好きなの。

“Moontalk”はアフリカン・ポップと呼ぶべきトラックですが、途中でハウスのハットが挿入されたり、最後は壮大なストリングスで終わったり、ポップでありながらも謎めいた展開を見せます。今回のアルバムのなかでもとりわけ異色な曲だと思うのですが、これはローレル・ヘイローの新機軸なのでしょうか? 以前からアフリカ音楽には興味があったのですか?

LH:そういうふうに聴こえたなんておもしろいね。だって私は1980年代の日本のシンセ・ポップやブギーからより影響を受けたように感じてるから。アフリカ音楽が好きかっていう質問はちょっと曖昧で漠然としてると思う。でも、アフリカの音楽もアフリカ系のアーティストが作った音楽もどっちも好きだよ。具体的には、ハウスとかテクノ、エレクトロ、ベース、UKファンキー、ゴム、フットワーク、ディスコ、レゲエ、ダブ、ダンスホール、ファンク、ソウル、ジャズ、ブルース、クラシカル、ミニマル、ラップ、ヒップホップ、ポップ・ミュージックとかね。

ちなみに、この曲のヴォーカル部分は何語なのでしょうか?

LH:バカ ジャ ナイ ノ…😉

アーティストが「進歩的な政見」をオンライン上のアイデンティティやブランドの一部として使うのはすごく皮肉なことだと思う。

“Arschkriecher”にはベーシック・チャンネル的なダブを思わせる部分があります。また、“Syzygy”や“Do U Ever Happen”はジャズの雰囲気をまといつつも、リズム&サウンドのようなエレクトロニックなレゲエ/ダブの要素が含まれています。あなたは『In Situ』でもダブ・テクノの要素を取り入れていましたが、かれらの音楽から受けた影響は大きいのでしょうか? かれらはテクノのミニマリズムとダブのミニマリズムを融合したイノヴェイターですが、あなたはその融合をいったん否定して解体しながらより高次のレヴェルでそれらを接続し直しているように思えます。あなたの試みはある種のアウフヘーベンなのでしょうか?

LH:アウフヘーベンってドイツ語にはいろいろ意味があるから、あなたがどういう意味で言ってるのかわかんないけど、リズム&サウンドやマーク・エルネスタス、レゲエ/ダブは私にインスピレイションを与え続けてきた。プロダクション・ヴァリューの点でも、サウンドにたっぷりとある土臭さという点でも、うわべがなめらかじゃないという点でも。ベースはメロディや土台だね。音楽やサウンドに呼吸をさせて、ゆがみや欠陥の余地を残して流していくんだ。

アルバムを最初に聴いたときは、細やかな音響やエフェクトの部分に耳が行ってしまったのですが、ベースもしっかりと鳴っていますよね。あなたの音楽にとってベースとはどのような意味を持つものでしょう?

LH:上の回答を読んで!

冒頭の2曲と5曲目の“Moontalk”はダンサブルなトラックですが、それ以外はすべてアブストラクトでエクスペリメンタルなトラックです。アルバムをこのような構成にした理由をお聞かせください。

LH:アルバムをこういうサウンドにするつもりはホントになかったの。このアルバムはいろんなスタイルやフロウを示唆してると思う。シンセ・ポップなアルバムを作る気はなかったな。まあ、そういうスタイルの曲がいくつか含まれてるけどね。

あなたの背景にはおそらくフリー・ジャズやデトロイト・テクノ、シンセ・ポップなどいろいろな音楽が横たわっているのだと思いますが、アルバムやEPを出すごとにその吸収のしかたや取り入れ方が変わっていっているように思います。それで私たちリスナーは戸惑い、あなたがいったい何者なのかということについて考えざるをえないのですが、ご自身としてはこれまでの歩みには一貫したものがあるとお考えでしょうか?

LH:それを決めるのはあなた次第ね!

昨年はUKで国民投票がありUSでは大統領選挙がありました。あなたは国民投票のときTwitterで残留に投票するよう呼びかけ、大統領選挙のときは「So American masculinity is that toxic」とツイートしていましたが、「善意」あるミュージシャンたち、良心的なアーティストたちが残留を訴えたりトランプを非難したり、そういう主張をすればするほど逆に、下層の人びと、貧しい人びとは反感を増していった、という話を聞いたことがあります。そのような時代に音楽にできることは何だと思いますか?

LH:私たちミュージシャンが意見を表に出すのは、もちろん大切なことだと思ってる。いろいろな統治機関のリーダーたちがとる方針には深い関心があるし、ネオリベラルな資本主義が多くの人たちを失望させたのは明らかでしょ。私のオーディエンスは少ないけど、自分ができる場所で自分の意見を言うつもり。あまりにも多くの面で音楽が商品化されてるから難しいけどね。それにアーティストが「進歩的な政見」をオンライン上のアイデンティティやブランドの一部として使うのはすごく皮肉なことだと思う。私は政治に関心があるし、下院議員に積極的にコンタクトをとるし、アメリカ自由人権協会(ACLU)やいろんなファンドに寄付をするし、私が関心のある問題を気にしていない友人や家族には意識を高めるように促している。でも、自分の人生をTwitterでつぶやくことには費やしてないし、自分の音楽には価値があると人に納得させるために自分の政見を利用するつもりもない。それに、こうしたミュージシャンたちのファンはすでに同じような政治的考えを持ってるでしょ。こんなふうにして音楽は腐敗の道具にもなりうるし、同時にただの目的にもなる。リスナーやファンがそれを見通して、正当な理由のために戦い続けるなら、それは私たち次第ってことね。私のオーディエンスは限られてるけど、つねに目を光らせて意識的でいることや意見を言うことは大切だ。アメリカの刑務所制度や性差別、環境問題といったことについてね。いまの時代、絶望せずに希望を失わないことは大切だと思う。

LONDON ELEKTRICITY & MAKOTO - ele-king

 あなたがジャジーでソウルフルなドラム&ベースをうんと浴びたいと思っているなら、このイベントがおあつらえ向きでしょう。
 今年で創立21周年を迎えるUKのドラム&ベース・レーベル〈ホスピタル・レコード〉。そのボスであるトニー・コールマンのソロ・プロジェクトとして知られるロンドン・エレクトロシティが、7月21日に代官山ユニットで開催される「HOSPITAL NIGHT」に出演する。
 昨年20周年を迎えた「Drum & Bass Sessions(DBS)」が開催する今回のパーティでは、ロンドン・エレクトロシティがレーベル21周年を祝す「21 years of Hospital set」を披露するそう。
 さらに日本勢からは今年〈ホスピタル・レコード〉と契約し、9月にアルバムをリリース予定のマコトが出演する。競演はダニー・ウィーラーや、テツジ・タナカ、MC CARDZ、などなど。

UNIT 13th ANNIVERSARY
DBS presents "HOSPITAL NIGHT"

日時:2017.07.21 (FRI) open/start 23:30
会場:代官山UNIT
出演:
LONDON ELEKTRICITY (Hospital Records, UK)
MAKOTO (Hospital Records, Human Elements, JAPAN)
DANNY WHEELER (W10 Records, UK)
TETSUJI TANAKA (Localize!!, JAPAN)
host: MC CARDZ (Localize!!, JAPAN)

Vj/Laser: SO IN THE HOUSE
Painting: The Spilt Ink.

料金:adv.3,000yen door 3,500yen

UNIT >>> 03-5459-8630
www.unit-tokyo.com
Ticket 発売中
PIA (0570-02-9999/P-code: 333-696)
LAWSON (L-code: 74079)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia: https://www.clubberia.com/ja/events/268846-HOSPITAL-NIGHT/
RA: https://jp.residentadvisor.net/event.aspx?974718


(出演者情報)


★LONDON ELEKTRICITY (Hospital Records, UK)
"Fast Soul Music"を標榜するドラム&ベースのトップ・レーベル、Hospitalを率いるLONDON ELEKTRICITYことTONY COLMAN。音楽一家に生まれ、7才からピアノ、作曲を開始した。大学でスタジオのテクニックを学んだ後、'86年にアシッド・ジャズの先鋭グループIZITで活動、3枚のアルバムを残す。'96年に盟友CHRIS GOSSと共にHospitalを発足し、LONDON ELEKTRICITYは生楽器を導入したD&Bを先駆ける。'98年の1st.アルバム『PULL THE PLUG』はジャズ/ファンクのエッセンスが際立つ豊かな音楽性を示し、'03年には2nd.アルバム『BILLION DOLLAR GRAVY』を発表、同アルバムの楽曲をフルバンドで再現する初のライヴを成功させる。’05年の3rd.アルバム『POWER BALLADS』はライヴ感を最大限に発揮し多方面から絶賛を浴びる。’08年には4th.アルバム『SYNCOPATED CITY』で斬新な都市交響楽を奏でる。そしてロングセラーを記録した’11年の名盤『YIKES !』を経て’15年に通算6作目のスタジオ・アルバム『Are We There Yet?』をリリース、多彩なヴォーカル陣をフィーチャーし、ピアノ、ストリングスといった生音を最大限に活かしたソウルフルな楽曲の数々で最高級のクオリティを見せつける。'16年にはTHE LONDON ELEKTRICITY BIG BANDを編成し、ビッグ・ブラスバンド・スタイルでのライヴを敢行する。
https://www.hospitalrecords.com/
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https://www.facebook.com/londonelektricity
https://twitter.com/londonelek


★MAKOTO (Hospital Records, Human Elements, HE:Digital, JAPAN)
DRUM & BASSのミュージカル・サイドを代表するレーベル、LTJ BUKEMのGood Looking Recordsの専属アーティストとして98年にデビュー以来、ソウル、ジャズ感覚溢れる感動的な楽曲を次々に生み出し、アルバム『HUMAN ELEMENTS』(03年)、『BELIEVE IN MY SOUL』(07年)、そしてDJ MARKYのInnerground, FABIOのCreative Source, DJ ZINCのBingo等から数々の楽曲を発表。DJとしては『PROGRESSION SESSIONS 9 – LIVE IN JAPAN 2003』, 『DJ MARKY & FRIENDS PRESENTS MAKOTO』の各MIX CDを発表し、世界30カ国、100都市以上を周り、数千、数万のクラウドを歓喜させ、その実⼒を余すところなく証明し続けてきた、日本を代表するインターナショナルなトップDJ/プロデューサーである。その後、自らのレーベル、Human Elementsに活動の基盤を移し、11年にアルバム『SOULED OUT』を発表、フルバンドでのライヴを収録した『LIVE @ MOTION BLUE YOKOHAMA』を経て13年に"Souled Out"3部作の完結となる『SOULED OUT REMIXED』をリリース。15年にはUKの熟練プロデューサー、A SIDESとのコラボレーション・アルバム『AQUARIAN DREAMS』をEastern Elementsよりリリース。17年、DRUM & BASSのNo.1レーベル、Hospitalと契約を交わし、コンピレーション"We Are 21"に"Speed Of Life"を提供、同レーベルのパーティー"Hospitality"を初め、UK/ヨーロッパ・ツアーで大成功を収める。そして今年9月、待望のニューアルバム『SALVATION』が遂にリリースされる!
https://www.twitter.com/Makoto_MusicJP
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https://www.facebook.com/makoto.humanelement
https://www.soundcloud.com/makoto-humanelements
https://www.humanelements.jp

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