「Dom」と一致するもの

K-LONE - ele-king

 K-ローンの新譜をリピートしている。もっと言うと、夜、ひとりの帰り道なんかでじっくりと、繰り返し聴いている。前作『Swells』を河村祐介さんが「鼻歌まじりで歌いたくもなるメロディアスで涼やかなアルバム」と評したように、デヴュー作『Cape Cira』を含む諸作は何より明るく、カラフルな音が持ち味だった。しかし、本作の公式インフォによれば「これまでで最もパーソナルな作品/父の死後に制作されたこのアルバムは、逃避と内省の場となった」とあるように、きわめて内面的かつ静ひつな領域へと足を踏み入れている。

 ファクタと共同設立した〈Wisdom Teeth〉は、ペヴァラリストの〈Livity Sound〉やバトゥの〈Timedance〉などと並び、いずれも2010年代以降、ベース・ミュージックを通過したUKサウンドの更新に貢献してきた。K-ローンは間違いなくその現行のクラブ/ダンス・カルチャーを担う人物のひとりであるわけだが、今作においてシンコペートするUKガラージのリズムやダブステップのウォブリーなサブ・ベースは主役ではない。……もっとも、前者は自主レーベル〈Sweet 'N' Tasty〉、後者は名門〈Tempa〉からの12インチなどでその趣味を発散させてはいるのだが。
 しかし本作の自己内省に必要なのは、空間を包みこむダブ処理、アンビエント的なパッド、リッチなシンセ・ワーク、あるいは繊細なイーヴン・キックだったりする。こう書くと、根城である〈Wisdom Teeth〉ではなく、DJパイソンフエアコ・Sの作品を揃える、アンソニー・ネイプルズ主宰の〈Incienso〉からの投下であることは、サウンドを掴むための重要な手がかりに思える。

 まず先行シングルの “slk” がいきなり素晴らしい。ダビーな音響空間と催眠的な4/4キックが不規則にうねり合うダブ・ハウスといった具合で、端的に言えばこの空気がアルバムに充満している。“slide by side” のメランコリックにゆれるディープ・ハウス、またヴォイス・チョップの面白い仕掛けで作品に躍動感を加える “sslip” も欠かせない。だが何より、一番の見せ場は冒頭の “someone else” に尽きる。ほの暗く沈みこむヴォーカル・サンプル、もこもこと浮遊するコード、ときおり挟まれる光沢あるシンセ・フレーズは今作最長の6分半に及ぶ。背後で鳴るこれらの音は掴みようのない霧のよう。だが同時に、そぎ落とされた最小限のビートが音の核に位置する。一発でこの音世界への没入を誘う、随一の曲に仕上がっている。

 と、こうして聴き進めるとK-ローンの個人的な気分がそのままアルバムの空気に反映されていることは間違いない。一方で〈Wisdom Teeth〉が提示する、UK(ロフト期のアヤ、パリス)からアジア(名古屋のアベンティス、韓国のサラマンダ)まで、才人への審美眼が冴え渡る良質なレーベル・コンピとのつながりにも言及すべきだろう。
 引き合いに出すのはダウンテンポ志向の『To Illustrate』や高速BPMの『Club Moss』ではなく、2025年の『Pattern Gardening』。K-ローンの愛する00年代ミニマルへの愛を示したこのコンピでは〈Perlon〉の古いカタログを参照したそうで、今作に通底するクリック感ある繊細なリズムと明らかに符合する部分があり、レーベルのいまの方向との同期を感じさせる。また、ベース・ミュージックの感覚を通じて四つ打ちを展開してきた〈AUS Music〉からは、「Catching Wild」シリーズなる12インチを出している。ここにある初期ハーバートめいたハウスの文脈の延長線と捉えることもできそうだ。これらミニマル/マイクロ・ハウスなビートを基礎としつつ、K-ローンことジョー・グラッドウェルのパーソナルな感情を織り込んだサウンドを空気として漂わせることで、今作はひとつのかたちになったのだろう。

 父との別れと、その喪失の感情。この主題をアンビエントやダブをもってして抽象化した今作のサウンドはどこか暗い影を落としている。一聴したときは、歌もあるポップな前作と較べると思い切りのよい作風の転回だと早合点した。「鼻歌まじり」というより、シリアスに対峙すべき作品だと。しかし何度も聴くうち、深い霧の奥にシグネチャーたる明るくきらめく瞬間が随所にあることにも気付く。それは幕引きの “the haze” を聴くといい。つまりは思い切った「転回」ではなく、むしろK-ローン(とレーベル)のいま現在を踏まえた「洗練」や「深化」と呼ぶべき到達点ではないか。そうして研ぎ澄まされたサウンドとビートは、今夜もまたひとりの帰り道に優しく寄り添ってくれるはずだ。

AVYSS Circle 2026 - ele-king

 2018年にCVNことNobuyuki Sakumaによって発足された「時代をアップデートする個性のある音楽やカルチャーを日々記録する」プラットフォーム・AVYSSが、サーキット企画〈AVYSS Circle 2026〉をデイ/ナイトの2部制で2026年1月23日(金)に開催する。

 〈AVYSS Circle〉はこれまで2022年、2024年に下北沢のクラブ・ライヴハウスを舞台に開催されてきた回遊式のイヴェント。先日〈Warp〉より新作『Lick The Lens – Pt. 1』をリリースしたオリ・エクセル(https://www.ele-king.net/review/album/007379/)や韓国在住・アジア圏におけるデジコア・シーンの旗手・エフィー(Effie)、オーストラリアの新星ニーナ・ジラーチとのコラボレーションやチャーリーXCX、100ゲックスのサポートアクトなどで注目を集めるデイン(daine)などを招聘しつつ、日本のアンダーグラウンド・シーンで活躍するローカル・アクトたちを多数ラインナップ。

 舞台となるのは渋谷クアトロ、WWW、WWWβ、R Lounge、SUPER DOMMUNE、PBOX(旧・ComMunE)の5会場・7フロア。過去最大規模となる本企画では「2020年代以降のジャンルやカテゴリーを超越する感覚をAVYSSの視点で包括した」とのことで、ハイパーポップをはじめとするネオ・インディな新世代の感性が集う一日となるか。追加ラインナップも後日発表予定。以下詳細。

 「今回のAVYSS Circleは、ローカルで育まれてきた小さな円環が、ゆっくりと着実に外側へ同心円状に広がっていくのを想像しています。地理や距離を横断する“横軸”と、音楽から周辺のカルチャーへ潜る“縦軸”が交差し、ローカルとワールド、リアルとオンラインが同じような地平で融解します。そこに集まる表現は、わかりやすい線引きではなく、流れついた「個」の感覚の連なりです。雨の日も雪の日も、毎日積み重ねてきたキュレーションの螺旋ループがレイヤーの外側に接続し、静かに拡張していくことを目指します。」
──Nobuyuki Sakuma (CVN)

AVYSS Circle 2026

◆公演日:2026年1月23日(金)
◆開場/開演:【DAY】18:00 【NIGHT】24:00
◆会場:SHIBUYA CLUB QUATTRO 4F・5F / WWW・WWWβ / R Lounge / SUPER DOMMUNE / PBOX (5会場・7フロア)
◆TICKET:https://eplus.jp/avysscircle-2026/
◆価格:
【通し券】前売:10,000円 / 早割:9,000円
【DAY】前売:7,900円 / 早割:6,900円 / U-18:5,900円
【NIGHT】前売:4,800円 / 早割:3,800円
(税込/スタンディング/整理番号付/ドリンク代別)

◆出演者 (A-Z)

■ DAY

【CLUB QUATTRO 5F】
daine (AUS)・ほしのおと・トップシークレットマン・雪国・and more…

【CLUB QUATTRO 4F】
Emma Aibara・ikea・Le Makeup・Lilniina・safmusic・死夏・XAMIYA・諭吉佳作/men・yuzuha

【WWW】
AssToro・dodo・Effie (KR)・iiso (KR)・It’s US!!!!・kegøn・lilbesh ramko・SxC Loser・sysmo・Yoyou

【WWWβ】
Amuxax・荒井優作・iga・LAUSBUB・鯖・Saren・serah trax・宇宙チンチラ・uku kasai

【R Lounge】
AOTO・discordsquad2k・goku sasaki・lazydoll・Mishaguzi・Number Collector・otuyyuto・PAX0・Siero・Yog*

【SUPER DOMMUNE】
cyber milkちゃん・DJ HOSHIMIYA TOTO・ひがしやしき・Magnolia Cacophony・おそロシア革命・and more…
〈TALK〉 千代田修平 + JACKSON kaki + ~離 MC : NordOst ※トークテーマ後日発表

【PBOX】
DjuBumba・eijin・fui w/ innerscape by ITOAOI・百年の孤独・いむ電波.wav・小松成彰 うーたん・うしろ(Ritual Workshop Set)・MON/KU
〈TALK〉 AfterParty 公開収録 ゲスト:つやちゃん ※トークテーマ後日発表
〈AVYSS COLLABORATION〉 BALMUNG・chloma・GB MOUTH ※コラボ内容後日発表


■ NIGHT

【CLUB QUATTRO 5F】
iVy・SleepInside・Texas 3000・and more…
〈VJ〉 Higurashi・JACKSON kaki

【CLUB QUATTRO 4F】
CVN・E.O.U・imai・in the blue shirt・nano odorine・nerdcamp.com・食品まつり a.k.a foodman・and more…

【WWW】
Dos Monos・JUN INAGAWA・music fm・Oli XL (SWE)・釈迦坊主・wagahai is neko
〈VJ〉 naka renya・O.G.I

【WWWβ】
FELINE・okadada・らりる連合・TORIENA
〈AVYSS Cup〉(テーマ:元気)loli主語・前澤・seaketa・ ~離 MC : 徳利

Organize:AVYSS / CLUB QUATTRO
Cooperation:WWW / R Lounge / SUPER DOMMUNE / PBOX
Supported by melting bot
Partner:GALLERIA
Key Visual : QINGYI
Design & Layout : naka renya
Staging : yoh
Food : Geek Eggs Food Team XD

◆注意事項:
※身分証明書は右記いずれかの写真付きのもの(学生証、運転免許証、パスポート、マイナンバーカード等)
※U-18の対象者は公演当日2026.1.23時点で18歳以下の方。ID/身分証の確認ができない場合、当日差額分をいただきます。
※NIGHTは深夜公演です。20歳未満は入場不可。要写真付きID。ID/身分証の確認ができない場合、入場をお断りする場合がございます。
※身分証明書は右記いずれかの写真付きのもの(学生証、運転免許証、パスポート、マイナンバーカード等)
※各種チケットは枚数に制限がございます。上限に達し次第受付を終了します。予めご了承ください。
※DAYとNIGHTは入れ替え制。(通しチケットお持ちのお客様も一度ご退場いただきます。)

◆お問い合わせ:
渋谷クラブクアトロ 03-3477-8750

◆AVYSS:https://avyss-magazine.com

Street Kingdom - ele-king

 日本のパンクのはじまり、「東京ロッカーズ」を中心に、その時代のすさまじく熱狂的なアンダーグラウンド・ロック・シーンを写真と文章で綴った地引雄一の名著『ストリート・キングダム』をもとにした映画、『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』が2026年3月27日(金)から公開される。監督は田口トモロヲ、脚本は宮藤官九郎、音楽は大友良英。リザード、フリクション、S-KEN、ゼルダ、じゃがたら、スターリン……あの時代の興奮がいま蘇る!
 

 
【物語】
 これは事実を基にした物語。1978年、偶然ラジオから流れたセックス・ピストルズに衝き動かされ、田舎から上京した青年カメラマンのユーイチは、小さなロックミニコミ雑誌『ロッキンドール』に出会い、とあるライブハウスへと足を運ぶ。そこで出会ったヴォーカルのモモ率いるバンド「TOKAGE」のライヴに衝撃を受け、無我夢中でシャッターを押した。そこは音楽もバンドも観客たちも何にも縛られない生のエネルギーに溢れた異空間だった。正式にカメラマンとしてライヴの撮影を依頼されたユーイチはモモたちと交流を重ねる。やがて彼らの音楽は瞬く間に若者たちを熱狂させ、そのムーヴメントは“東京ロッカーズ”と呼ばれ、日本のロックを塗り替えていく。世界を変えたのは、才能だけじゃない。音に賭けた、名もなき若者たちの衝動だった。

 監督・田口トモロヲ 脚本・宮藤官九郎 音楽・大友良英
 ロック映画の金字塔『アイデン&ティティ』奇跡の再タッグ!
 渇望していた俳優たちが集結!

 主演には『アイデン&ティティ』が初めての演技ながらも初主演に大抜擢され、田口監督と運命的な出会いをきっかけに、今やミュージシャンとしてだけでなく唯一無二の個性を持つ俳優にもなった峯田和伸(銀杏BOYZ)と、同作をこよなく愛し、目標としてきたという今注目の俳優・若葉竜也の二人がダブル主演。峯田はセックス・ピストルズでパンクに目覚め上京し、のちに「東京ロッカーズ」のカメラマン兼マネージャーとなるユーイチを演じる。そして若葉は「東京ロッカーズ」の中心的バンド「TOKAGE」のリーダー兼ボーカルのモモを演じる。峯田からは「あがく。もがく。叫ぶ。走る。観た人皆が「この映画の主人公はわたしだ」と思える映画に。」と、若葉からは「やっとここまで来た。と言う一言です。『アイデン&ティティ』という映画に出会って、「こんな映画に出てみたい」という想いで走ってきました。これでもくらえ!!!って感じです。」と自身の俳優としての一つの願いが叶ったという熱いコメントが届いた!

 そしてユーイチやモモと共に時代を切り開いていくミュージシャンたちを演じるのは、吉岡里帆、仲野太賀、間宮祥太朗、大森南朋、中村獅童、中島セナといった豪華俳優陣。吉岡からは「大人になってルールの中で生きる自分にとっては眩しくて羨ましくてエネルギーに満ち足りたもののイメージでしたし、何より皆んなが自分のプラットフォームを持てる今の時代に訴えかけるものがあると感じました。」と1978年の時代と今がつながる実感のこもったメッセージ、仲野からは「オファーを頂いた時、『アイデン&ティティ』で私の青春を奪った大好きな先輩方に混ぜてもらえるなんて、10代の頃の自分が聞いたら卒倒するような企画だと思いました。」、間宮からは「大好きな『アイデン&ティティ』のチームが新しく作品を撮ると聞き、なんとしても参加したいと思いました。」と『アイデン&ティティ』への憧れが語られる。大森からは「こんな映画に出たかったランキングで言うと、ベスト1といっても過言ではない。」と、数多き作品に出た俳優だからこその実感のあるコメントが。中村からは「『アイデン&ティティ』以来の、久しぶりの田口組、青春時代を思い出すような時間を過ごすことができました。この作品のオファーがなかったら、ものすごく嫉妬していただろうな。宮藤&田口組、最高だぁ!」と2度目となる宮藤・田口組に出演できたことの喜び、中島からは「打ち合わせや現場に入ったとき、細部に至るまでその時代、音楽への熱を感じました。そんな情熱を身を持って体感し、自分もそこに参加できたことをとても嬉しく思います」と、全員から本作へ出演できた喜びと気合の入ったコメントが寄せられた。

 脚本を手掛けるのは「不適切にもほどがある!」など、テレビ・映画・舞台などで話題作を次々と発表する宮藤官九郎、また音楽は「あまちゃん」や『花束みたいな恋をした』などを手掛けた大友良英。田口、宮藤、大友の『アイデン&ティティ』チームが再び集結し、今を生きる観客にも深く刺さる作品を創り上げた。監督の田口からは「今日本はロック・フェス隆盛時代。しかしそれらの礎を築いたロッカーと仲間達の存在は知られていません。この真実の物語を伝えなくては死んでも死にきれない!」と、宮藤からは「田口監督との20年ぶりの仕事に、まずワクワクしました。「東京ロッカーズの映画を撮りたいんだけど」僕ですら世代的に間に合わなかった。当時生まれてもいなかった若い世代が興味持ってくれるのか、不安でした。ところが若葉くん、吉岡さん、太賀くん、間宮くんなど素晴らしく若い才能が快諾してくれた。そしてみな口を揃え「『アイデン&ティティ』が大好きで!」と熱く語ってくれた。そして現在進行形のパンク継承者である峯田くんが地引さんを演じる。『アイデン&ティティ』から生まれた『ストリート・キングダム』は言わば孫みたいな存在です。今では当たり前に使われる〝インディーズ〟という言葉が生まれた瞬間、その現場に立ち会った若者の興奮とヒリヒリを感じてもらえるよう頑張りました。」と念願の作品が生まれた心の叫びが届いた。

【作品情報】
『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』
公開日:TOHOシネマズ日比谷ほか2026年3月27日(金)

峯田和伸 若葉竜也 
吉岡里帆 仲野太賀 間宮祥太朗 中島セナ
大森南朋 中村獅童 

監督:田口トモロヲ
原作:地引雄一「ストリート・キングダム」
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
企画製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2026映画『ストリート・キングダム』製作委員会

公式サイト:https://happinet-phantom.com/streetkingdom
公式XInstagramアカウント:@streetkingdomjp

downt & Texas 3000 - ele-king

 downtとTexas 3000、日本のふたつの新世代スリーピース・バンドによる共同企画東北ツアー「downt & Texas 3000 TOHOKU World TOUR 〜北に行きます〜」が、12月5日(金)より開催。宮城・福島・東京の3箇所を巡る。

 つい先週、downtとTexas 3000は中国・杭州のライヴハウス〈LiveShop Uni〉の1周年記念公演にて共演。本ツアーは熱い夜を過ごした勢いのまま実現されたとのこと。「北に行きます」というストレートなツアータイトルも、全員の案を採用した結果の命名のようだ。ともにスリーピース編成であり、日本のインディ・ロックを更新する存在として活躍するふたつのバンド。以下の写真からも伝わるように、笑顔の耐えないツアーになることでしょう。

downt & Texas 3000 TOHOKU World TOUR 〜北に行きます〜

<Ticket Info>
チケット代:12/5&7¥3,500 / 12/6 ¥2,000
予約開始:11/7(金)20:00〜
予約フォーム:https://forms.gle/X8rqHAUtbKgusqpw5

<宮城公演>
公演日時:12/5(金)
開場/開演:19:00/19:30
会場:宮城・仙台BIRDLAND
出演:Texas 3000 / downt / FULL URCHIN

<福島公演>
(Jesus Wound Pre “SAVE YR WOUND”)
公演日時:12/6(土)
開場/開演:19:30/20:00
会場:福島・郡山studio tissue★box
出演:downt / Texas 3000 / Jesus Wound / 石川大翔

<東京公演>

公演日時:12/7(日)
開場/開演:18:00
会場:東京・新大久保EARTHDOM
出演:Texas 3000 / downt / DJ:yagi hiromi(Cruyff)

 2025年11月4日、200万人を超える有権者が、民主社会主義者ゾーハラン・マムダニをニューヨーク市の新市長に選出した。
 街の空気は歓喜に満ちていた。深夜を過ぎても人びとの歓声が響き、ブルックリンの自室からさえ聞こえたほどだ。おそらく、それはマムダニが多くの人にとって「消極的選択」ではなく、理想的な候補だったからだろう。
 じっさい彼の主な対立候補は、腐敗し、女癖が悪く、性的加害者でもあるアンドリュー・クオモだった。彼はCOVID政策によって1万5千人もの高齢者を死に追いやった人物である。クオモは「SAY NO TO ZO(ゾーにノーを)」という露骨なスローガンを掲げ、無所属として出馬した。言うまでもなく、この失墜した元州知事は9%の大差で敗れ、共和党の牙城であるスタテン島でのみ辛うじて過半数を得ただけだった。
 だが、そもそもなぜ共和党員たち──ドナルド・トランプ本人を含めて──は、じっさいの共和党候補(第三の奇策候補、カーティス・スリワ)を批判し、三代にわたってニューヨーク州民主党政治に深く関わってきた「無所属」候補クオモに投票するよう呼びかけたのだろうか?1
 ニューヨーク市において、民主党と共和党のあいだの従来の党派の境界線が正式に崩壊しつつあるいま、真の政治的分断が明らかになっている——それは、富裕層の利益を守る金権政治に深く根ざした候補者たち(クオモやトランプのような)と、労働者階級を守るためにアメリカの政治的体制そのものを真剣に脅かす候補者たち(マムダーニ、そして言うまでもなく2016年の大統領選におけるバーニー・サンダースのような)との対立である。

 多くのアメリカ人は、民主主義と資本主義を混同している。制限なく富を追求できることこそが民主社会における自由の証だと信じているのだ──たとえ自分たちの生活がつつましいものであっても。
 私はかつて父にこの混同を問いただしたことを覚えている。私はこう説明した。資本主義は必然的に独占に行き着く。独占は「選択」という民主主義の根本理念を狭めてしまうのだと。父は笑い、心を開いたようで、ただ一言こう返した。「A+だな」
 アメリカの政治もまた同じように独占されている。「よりマシな悪を選ぶ」というお決まりの構図だけでなく、共和党と民主党がじつは同じ企業支配のコインの表裏に過ぎない、というあまりに明白な現実によってもそれは表れている。両党は献金者やロビイストの利益を守り、その結果、アメリカ国民の大多数が犠牲になっている。
 たとえば、アンドリュー・クオモの選挙資金の多くは億万長者のスーパーPACから供給されていた。一方、マムダニの選挙運動は、彼のために戸別訪問を行った10万人以上の草の根ボランティア集団によって支えられていた。
 さらに、マムダニの掲げた「私たちが住める都市(A City We Can Afford)」というメッセージは、ニューヨークが直面するもっとも差し迫った問題──すなわち、800万人の住民のうち200万人が貧困ライン以下で暮らし、ワンルームアパートの平均家賃が月4,000ドル(約61万6千円)に達しているという「手の届かない都市」の危機──をまさに突いていた。これはまさしく「アフォーダビリティ・クライシス(生活費危機)」である。
 金持ちへの課税、保育の無償化、無料のバス運行──こうしたマムダニの主要な公約は、本来であれば「急進的」と見なされるべきではない(なぜなら、これらの施策は他の多くの国々ではすでに実現しているものだからだ)。
 だが、資本主義と民主主義をいまだに同一視し、「トリクルダウン経済」の約束にすがる多くのアメリカ人にとっては、マムダニの構想は「成功者への罰」のように映るかもしれない。じっさい、「悪しき政府が勤勉な民間市民の財産を奪う」という観念こそ、アメリカに長らく根づいてきた社会主義への恐怖の中核をなしている。
 選挙後、保守系メディアはすでに「富裕層のニューヨーカーたちはマムダニの課税案を避けるために街を脱出し、結果的に西洋世界の金融首都は壊滅的な経済的打撃を受けるだろう」と騒ぎ立てている。
 しかしマムダニ自身が人気番組『ザ・デイリー・ショー』の司会者でありコメディアンでもあるジョン・スチュワートに説明したところによれば、彼の意図はきわめて穏当だ。年収100万ドル以上の人たちに対してわずか2%の増税をおこない、法人税率を11.6%に引き上げるだけだという。そして彼は冗談めかしてこう指摘した──その税率は「社会主義共和国ニュージャージー(お隣の州)」とまったく同じだ、と。
 母の言葉を借りれば──「分かち合えない成功に、いったい何の意味があるの?」
 それに、あの億万長者たちは自分たちの労働者のおかげで金持ちになったんじゃないの?

 はぁ……悲しいことに、「富裕層の1%よりも労働者階級を優先する政治家」という発想は、現実にはいまもなお“急進的”な逸脱と見なされている──おそらくだからこそ、マムダニの構想は、(もちろんそのマスメディアは例によってあのうるさい億万長者たちの所有物なのだが)「せいぜい実現不可能な夢」「最悪の場合は危険思想」としてこき下ろされているのだ……。
 いや、そこに「古典的な人種差別」も加えておこう。
 率直に言って、イスラム教徒の移民が、政教分離の理念をほとんど忘れ去ったこの国で(マムダニがどの神を信仰していようと、そんなことどうでもいいはずだ)市長の座を勝ち取ったことを、私たちは祝うべきだ。
 しかもここは、自由の女神像を擁する都市なのだ。

 さて、ここで私は白状しよう。私は政治との関係に複雑な思いを抱いている。
 というのも、私がこれまで出会ったなかでもっとも不寛容な人びとの一部は、進歩主義者たちだった──これは誇張ではない。ほんの数か月前のことだ。私は敬愛する進歩派の友人に、97歳になる私の大叔母の話を嬉々として語った。彼女は生涯を通じて共和党支持者だったのだが、「トランプはアメリカに起こった最悪の出来事だ」と宣言したのだ。私は興奮していたし、これは良い兆候だと考えた。アメリカ(および資本主義社会全体)を蝕む問題が、もはや単純に「共和党」対「民主党」という二分法では整理できなくなっている証だと思ったのだ。だが、友人の反応はこうだった。「ふうん。でも彼女がそのほかの人生で共和党に投票し続けたなら、別に希望は感じないけどね」
 また別の「超」進歩派の(元)友人にはこう言われたこともある。
 「白人であるあなたは、奴隷制に対してカルマ的責任を負っているのよ。」
 ……それって、「進歩的」というよりも「懲罰的」じゃない?
 私はまた、進歩派の政策がしばしば、学歴的にも経済的にも恵まれた人びとの閉じた共鳴空間のなかで構想され、理論上は「正しいこと」を目指していても、現実的な実行への配慮が欠けているのではないか、とも恐れている。たとえば「警察予算を削減せよ(Defund the Police)」運動は、アメリカの都市部に住む有色人種のあいだで驚くほど物議を醸した。なぜなら、十分な社会改革が伴わないまま警察の役割を縮小すれば、犯罪が増加するのではという不安があったからだ。
 そして2023年の『ニューヨーク・タイムズ』によれば、まさにその懸念は現実となった(注目すべきは、マムダニ自身も選挙が近づくにつれて警察批判をやや穏健なトーンへと修正した点だ)。
 さらに言えば、マムダニは移民ではあるが、彼自身こう語っている──映画監督と大学教授の両親に支えられ、裕福で一流の教育を受けて育った、と。
 だから、正直に言おう。貧困ライン以下で育った私としては、「一生セーフティ・ネットのなかにいた裕福な子どもが労働者階級を代表する」と自任することに、どこか懐疑的で、あるいは反感すら覚える部分もある。
  だが、いっぽうで──少なくとも誰かが、ニューヨーク(そしてアメリカ)における富と権力の不均衡に真正面から取り組もうとしている。そのこと自体は、称賛すべきことではないだろうか。私自身の境遇はさておき、もっと大きな部分で、私はこの政治家を誇りに思っている。その名はゾーハラン・マムダニだ。
 ……いや、カーティス・スリワも、少しだけ。
 二人の候補はすべての点で意見が一致していたわけではないが、どちらの選挙運動も生活費の高騰を中心課題とし、どちらもドナルド・トランプから攻撃を受け、そしてどちらも「ホームレス問題など、地域社会の課題を警察が過剰に負担している」という認識で一致していた。
 ただし、スリワは「警察官を増やすことが解決策だ」と考えているのに対し、マムダニは彼の最良の政策だと私が思う構想を掲げている──すなわち、「行動的健康緊急支援課(Behavioral Health Emergency Assistance Response Division)」を新設し、精神衛生の危機に対処する専門チームを配置することで、十分な訓練を受けていない警察の負担を軽減するという計画だ。政策上の違いはあれど、この“昔ながらの共和党員”と“民主社会主義者”は、ニューヨークが直面する主要な問題について──とくに「いわゆる穏健派」アンドリュー・クオモへの共通の嫌悪──で一致している。

 それって、すごいことだ。

 マムダニの当選によって、「左」と「右」を分ける線は、これまでになく刺激的な形でぼやけはじめている。新しいニューヨークの夜明けにあたって、私はマムダニが、自らの歴史的勝利を正当に導いた理想を現実のものにしてくれることを願っている。また、進歩派が、これから拡大していく「二項対立を超えた政治的基盤」と真摯に結びつく機会を大切にしてほしい。
 そして──民主社会主義者として史上初めてニューヨーク市長に選ばれ、かつ前例のない草の根運動で勝利したこの人物が、「富豪支配は避けられない運命ではない」という事実を、他の民主主義国家にも示してくれることを願っている。

¹ トランプの公式な支持声明によれば:「私は、成功の実績を持つ民主党員が勝つ方がはるかに望ましい。あなたが個人的にアンドリュー・クオモを好きであろうとなかろうと、他に選択肢はない。彼に投票し、素晴らしい仕事をしてくれることを願うべきだ。彼にはそれができる。マムダニにはできない」


Bridging the Political Divide: On Zohran Mamdani Winning New York’s Mayoral Election


by Jillian Marshall, PhD

On November 4th, 2025, over two million voters elected Zohran Mamdani — a Democratic Socialist — as the new mayor of the New York.
The mood in the city was ebullient: I heard people cheering well past midnight, even from inside my Brooklyn apartment. Perhaps this is because Mamdani was many people’s ideal choice, rather than the mere “lesser of two evils.” Indeed, his primary opposition — the corrupt, philandering sexual predator Andrew Cuomo, who sent fifteen thousand seniors to their deaths with his covid policies — ran as an Independent, and with the explicit campaign slogan of “SAY NO TO ZO.” Needless to say, the disgraced former governor lost by a hefty 9% margin, and only gained a majority of votes in Staten Island: New York’s Republican stronghold.
But why did Republicans, including Donald Trump himself, denounce an actual Republican (the wild card third candidate of Curtis Sliwa), and urge people to vote for an “Independent” candidate who’s actually steeped in three generations of Democratic New York State politics?1
With the traditional party lines between Democrats and Republicans in New York City officially crumbling, the real political divide is revealed: candidates entrenched in the plutocracy who protect the interests of the rich (like Cuomo and Trump), and those who seriously threaten the American political establishment to protect the working class (like Mamdani— and Bernie Sanders before him in the 2016 presidential election, for that matter).
Many Americans confuse democracy with capitalism, believing that the ability to pursue wealth without restriction represents the freedom afforded by a democratic society— even if they themselves live modest lifestyles. I remember challenging my father on this conflation. I explained that capitalism inevitably leads to monopoly, which limits the principles of “choice” on which democratic ideals hinge. He laughed and, with his mind successfully opened, said just one thing in response: “A+.”
American politics are similarly monopolized, as expressed not only with the “lesser of two evils” conundrum, but also with the increasingly obvious truth that the Republican and Democratic parties are two sides of the same corporate coin that protect donor and lobbyist interests, at the (literal) expense of the American majority. For instance, Andrew Cuomo’s campaign received much of its funding from billionaire super PACS, while Mamdani’s campaign was defined by its grassroots troupe over 100,000 volunteers who canvassed on his behalf. What’s more, Mamdani’s message of making this “A City We Can Afford” addresses arguably the most pressing issue facing New York: two of its eight million residents live in poverty, and the average rent for a one bedroom apartment is $4000 (about 616,000 JPY) a month. This is nothing short of an
1 As per Trump’s official endorsement: “I would much rather see a Democrat, who has had a Record of Success, WIN. Whether you personally like Andrew Cuomo or not, you really have no choice. You must vote for him, and hope he does a fantastic job. He is capable of it, Mamdani is not.”

affordability crisis.
Taxing the rich, offering universal childcare, and providing free bus services — among Mamdani’s biggest promises — shouldn’t be considered radical proposals (especially when such amenities exist in many other countries). Yet for the many Americans who still equate capitalism with democracy (and cling to the promises of “trickle down economics”), Mamdani’s ideas may seem like punishing the successful. In fact, the notion that an evil government will steal hard- working private citizens’ riches defines the US’s long-standing fear of socialism. Post-election, conservative media outlets are already claiming that wealthy New Yorkers will flee the city to avoid Mamdani’s proposed tax hikes, which they predict will economically devastate the financial capital of the Western World. But as Mamdani explained to Jon Stewart — a comedian news anchor who hosts a popular program called The Daily Show — he only wants to raise taxes 2% for people making over a million dollars a year, and raise the corporate tax rate to 11.6%— which, he jokingly points out, is identical to those in “the socialist republic of New Jersey,” New York’s neighboring state.
To quote my mother: what’s success if you can’t share it? And didn’t those billionaires get rich off their workers?
Sigh... the sad truth is that it IS a radical departure for a politician to prioritize the working class above the 1%— and maybe that’s why media outlets (owned by those pesky billionaires, naturally) are smearing Mamdani’s vision as unattainable at best, and dangerous at worst ... well, alongside the media’s ol’ fashioned racism. Full stop: we should celebrate that a Muslim immigrant won the mayoral seat in a country that’s all but forgotten about the separation of church and state (who cares what God Mamdani worships?), and in a city home to the Statue of Liberty.
Now, I’ll admit that I have a complicated relationship with politics. I’ve found progressives to be some of the most intolerant people I’ve ever met— and that’s not an exaggeration. Just a few months ago, I shared with a dear progressive friend of mine how proud I was that my 97 year- old, lifelong Republican great aunt declared Trump the worst thing to ever happen to America. I was excited, and considered this a positive sign that the issues plaguing the US (and capitalistic societies more generally) are no longer neatly divided into “Republican” and “Democrat”. But my friend simply remarked, “Well, since she voted Republican for the rest of her life, I’m not exactly encouraged.” Another time, an ultra-progressive (former) friend told me that, as a white person, I’m “karmically responsible for slavery.”
This is more punitive than progressive, no?
I also fear that progressive policies, so often conceived in an echo chamber of the academically and socioeconomically privileged, strive to do the right thing in theory, but have limited regard with practice. The Defund the Police movement, for example, was surprisingly controversial amongst people of color in American cities because of the fear that crime would spike without adequate social reform to take policing’s place— and according to the New York Times in 2023, that’s exactly what happened (worth noting is Mamdani adopted a more moderate critique of police closer to the election). And while Mamdani is an immigrant, he openly admits that, with

supportive filmmaker/professor parents, he was raised with money and access to first-class education. So, I won’t lie: as someone who grew up below the poverty line, a part of me is skeptical or even resentful of a rich kid with a life-long safety net taking it upon himself to represent the working class.
But on the other hand... at least someone’s committed to taking on the imbalance of wealth and power in New York (and the US) in a meaningful, direct, way. My personal background aside, an even bigger part of me proudly recognizes that politician as Zohran Mamdani.
Well, him and Curtis Sliwa, in a weird way. While the two candidates didn’t see eye-to-eye on everything, both centered their campaigns around the cost of living, both were attacked by Donald Trump, and both agree that police are overburdened with tackling homelessness and other community issues. But whereas Sliwa believes that more police are the solution, Mamdani plans to implement what I think is his best policy: creating a Behavioral Health Emergency Assistance Response Division to address mental health crises and take the burden off woefully unequipped police officers. Their policy differences aside, the old school Republican and the Democratic Socialist agree on key issues facing New York — starting with their mutual disdain for the so-called “moderate” Andrew Cuomo.
And that is amazing.
With Mamdani’s election, the lines between Left and Right are beginning to blur in an exciting new way. In the dawn of a new New York City, I hope Mamdani can bring to life the visions that rightfully earned him his historic win. I also hope that progressives embrace opportunities to connect with a growing, post-binary political base— regardless of what, hopefully, are increasingly irrelevant party lines. And I hope that the incumbent Democratic Socialist mayor of New York City, who won with his unprecedented grassroots campaign, inspires other democracies that plutocracy need not be inevitable.

R.I.P Dave Ball - ele-king

野田努

 デイヴ・ボールは、ポール・ボールになったかもしれなかった。 彼が生まれた1959年5月3日、じつの母親はポールと名付けている。しかし未婚のシングルマザーは、1年間の貧しい生活の果てに我が子を養子に出すことにした。ポールを養子に迎え入れたボール夫妻は、ポール・ボールのような韻を踏んだ名前ではこれから学校に行ったときに問題になるかもしれないと、デイヴィッドに改名したのである。かくしてデイヴ・ボールは、イングランド北西の街、ブラックプール──サッカーファンからは、弱いけど人気があってサポーターが熱い(駿河湾のくぼみのどこかのチームのようだ)地元クラブのことで知られ、英国音楽ファンからはノーザン・ソウルの大いなる拠点のひとつとして記憶されている──で思春期を送ることになる。
 ボールが初めてディスコに行ったのは10歳のときで、のちに彼がマーク・アーモンドとともに結成するソフト・セルがカヴァーし、最初の、そして最大のヒットになった“Tainted Love”を初めて聴いたのは16歳のときだった。グロリア・ジョーンズがこの曲を吹き込んだのは1965年、しかもこれは不発シングルのB面曲、そもそもあまりよく知られていない曲だった。ノーザン・ソウルとは、このように、大勢がまだ知らない埋もれたアメリカのソウル——デトロイト、シカゴ、フィラデルフィア、LAなどのなるべくヒットしなかった曲——をディグするというレアグルーヴ的なアプローチによる選曲と、そしてDJは会場にやって来たダンサーのためにひと晩中踊る曲をかけ続けるというレイヴ的なアプローチを兼ね備えた、1970年代の、DJ/ダンス・カルチャーの初期段階だった。南部やロンドンの洗練された文化と違って、北部のいなたい労働者階級の若者が週末のダンスのために生きる刹那的なライフスタイルに根ざした巨大なアンダーグラウンド・ダンス・シーンである。

 デイヴ・ボールがポップ史において果たしたひとつの成果は、ソウルとパンクとクラフトワークを合体させたことだった。ソウルとスーサイドを合体させたことだった、とも換言できる。ひとりのヴォーカリストとひとりのエレクトロニック担当者のふたりでステージに立つことの先駆者にはスーサイドがいたし、第二期DAFもそうだったけれど、言うなれば彼らはアンダーグラウンドの脅威だった。1979年(ウィキペディアほかネット情報では1978年結成とあるが、本人の述懐によれば、サッチャー当選の1979年に結成。おそらく、アーモンドのパフォーマンスのバックに初めて音を付けたのが1978年なのだろう)に誕生したボールとマーク・アーモンドのソフト・セルは、チャートを賑わせ、トップ・オブ・ザ・ポップスに出演するようなポップ・ミュージックのユニットである。
 とはいえ、ソフト・セルがポップスとして聴かれるには少し時間が必要だった。だいたいポスト・パンク期からゴシック期へと(つまり70年代末から80年代へと)移行する時代における若きエレクトロニック・ミュージックは、いきなりMoogを買えるほど裕福ではなく、機材が日進月歩していたこともあって作品ごとサウンドが異なっている。初期のシンセサイザーと言えばモノフォニック(単音しか出せない)で、シーケンサーの代わりはテープデッキ、ドラムはBOSSのDr Rhythmとか、もしくはプリセットを使うことも珍しくなかったし、最初期のキャバレー・ヴォルテールのようにホワイト・ノイズをリズムの代わりに使っていたバンドもいる。しかしながらそうした制限が、創造的な音楽を促していたと言いたくなるのは、いま聴くと、今日のPC内でつくられた音楽にはない、それぞれ固有のテクスチャーや創意工夫に基づいた深みのある魅力を放っているからだ。

 ロックンロールが大嫌いだった父親のもとで、10歳から音楽オタクとなったデイヴ・ボールは、すべてのお小遣い/アルバイト代をレコードにつぎ込み、リーズ工科大学に進学する頃にはそれなりのレコード・コレクションを有していたという。ソウル・ミュージックからグラム・ロック、ディスコ、プログレからクラウトロックまで、横断的に蒐集していた彼が最初に天の啓示を感じたのは、高校時代にアイスクリーム屋でバイトしていたときにラジオから流れたクラフトワークの “アウトバーン” だった。それから、ブライアン・イーノの『アナザー・グリーン・ワールド』、そしてドナ・サマーの “アイ・フィール・ラヴ” ……。
 大学に進学するとリーズにやって来たパンク・バンド/ポスト・パンク・バンドのライヴ──オリジナル・ヒューマン・リーグ、キャバレー・ヴォルテール、ジョイ・ディヴィジョン、ACR、スピッツ・エナジー、スロッビング・グリッスル等々──を目撃している。在学中、学位取得のためしばらくマンチェスターへ移り住んだときは、2トーン・レコードのツアーやディーヴォ、YMOのライヴにも足を運んだ。そのころには、ボールの関心はエレクトロニック・ミュージックに絞られていた。在学中、ギターを売って得た金と300ポンドで、ふたつのオシレーターを搭載したKorgのデュオフォニック・アナログ・シンセサイザー、800 DVを買った(数年後にはソフト・セル・サウンドのトレードマークにもなる、もう一台のKorg、ベース・シンサイザーSB-100を手に入れる)。
 大学の同級生にはマーティン・ハネットの実弟がいて、最上級生にはフランク・トーヴェイがいたが、大学に入って最初に声をかけた相手が、ヒョウ柄のシャツを着てアイラインを入れたマーク・アーモンドだったのは運命的である。ジョン・ウォーターズの「ディヴァイン」シリーズやラス・メイヤー、ケネス・アンガー、ウォーホル等々、トラッシーなカルト映画好きという共通の趣味もあって意気投合したふたりだが、最初のボールの役目はアーモンドのパフォーマンスのためのBGMをつくることだった。そうこうしているうちに、ふたりの関心は音楽制作に向かったのである。歌と作詞はアーモンド、曲の担当がボール。そしてふたりがつくりあげたのは、ノーザン・インダストリアル・キャバレー・エレクトロとでも言いたくなるような独特の雰囲気をもった音楽だった。
 
 ソフト・セルは、ポスト・パンク時代のエレクトロニック・バンドの第一波(キャブス、ヒューマン・リーグ、TG、シリコン・ティーンズ、ファド・ガジェット等々)に続いた第二波(ほかにデペッシュ・モードやブランマンジュなど)に相当する。ボールはリアルタイムで、トーマス・リアの「Private Plane」、キャバレー・ヴォルテールの「Extended Play」、スロッビング・グリッスルの「United / Zyklon B Zombie」、ザ・ヒューマン・リーグの「Being Boiled」といった1978年の重要な7インチ・シングルに共感を寄せていた、つまり、その次のステージを狙っていたのである。
 最初期のソフト・セルにおいて——そしてエレクトロニック・ミュージック史においても——もっとも重要な曲、 “Memorabilia”(1981) は、ボールの憧れのひとり、ダニエル・ミラーのサポートを得て制作された。この曲の、反復的な四つ打ちのグルーヴ、フィルターをかけたシンセ、ダブ処理されたヴォーカルといった構成は、明らかに、ディスコのその先へと突き進んだサウンドで、のちに「ハウス・ミュージックの先駆け」と評価されることになる。また、世界初の「Eレコード」などと呼ばれてもいるが、それは誤認だ。ソフト・セルは当時まだエクスタシーの存在など知るよしもなかった。もちろん、それから1年後、この時代としては画期的なリミックス・アルバム盤 『Non Stop Ecstatic Dancing』(1982)に収録された同曲の別ヴァージョンをNYで録音する頃には、ふたりとも経験済みではあった。ちなみに言うと、当時はまだ、それは違法ではなかったのである。
 初期のソフト・セルでもう1曲重要なのは、もちろん──当然、オリジナルと違って──大ヒットした “Tainted Love”になるが、こちらのプロデュースはマイク・ソーン、それ以前はワイアーを手がけた才人である。1975年に〈スパーク・ノーザン・ソウル・レコード〉からもカヴァーEPが出ているほどノーザン・ソウル・クラシックたるこの曲のカヴァーの提案をアーモンドが受け入れた理由は、オリジナルでは彼のヒーローのひとり、マーク・ボランの妻=グロリア・ジョーンズが歌っていたからだった。シングルではこの曲からスプリームスのカヴァー曲 “Where Did Our Love Go” にミックスされる。Roland CR-78のリズム、 SB-100によるシンセベース、それから電子ドラムパッド、 電子クラップ──それらメタリックな響き(それは電子パンクと言える)のなかで歌われるソウル・ミュージック。こうしたある種の倒錯が、ジョン・ウォーターズの醜いものほど美しいと同様にソフト・セルの個性となった。

 モノフォニック・シンセが奏でる絶妙な音色のうつくしいメロディをもったソウル・バラード“Say Hello, Wave Goodbye”はソフト・セルの代名詞と言える人気曲だが、ファースト・アルバム『Non-Stop Erotic Cabaret』のなかでは、週末のクラブに勤しむ若者の孤独を歌った “Bedsitter” のようなダークな曲(MVのなかでアーモンドが読んでいる本はジョン・ブレインの『年上の女』である)も好きだし、彼らのカルト映画趣味がここぞとばかりに噴出した(そしてすぐに放映禁止になった) “Sex Dwarf” のMVにおけるTG的な恐れを知らぬ侵犯的タブーへの挑戦も興味深く思ったものだったけれど、リアルタイムでいちばんよく聴いたのはセカンド・アルバムの『The Art of Falling Apart』(1983)だった。
 ぼくはここで読者諸氏に言いたい。その曲を聴いてから、20年後も30年後も40年後もずっと好きでいられる曲があるということは幸せなことである。若い読者が、今年自分が好きになった曲をこの先もずっと聴き続けると思っているのなら、それでいい。音楽はファストフードになりつつあるかもしれないけれど、老兵としては、そうではない音楽もまだあると思いたいのだ。ぼくは『The Art of Falling Apart』(明らかに機材的にアップグレードされた、しかし全体としてはファーストよりも暗く重い作品)に収録された“Where the Heart Is” がいまでも、曲そのものもその歌詞も、大・大・大好きだ。モリッシーよりも数年早く、家族からつまはじきされた少年のよすがをなくした孤独な心を歌い上げるその曲に天使の羽を与えたのは、間違いなく、デイヴ・ボールのシンセサイザーである。
 しかしながら、このころすでにソフト・セルは友好的に分裂していた。アーモンドは、ニック・ケイヴ、リディア・ランチ、ジム・フォータスらアンダーグラウンドな人たちと交流しつつ、マーク&ザ・マンバス名義でソロ・アルバムをつくっている(それもまた、とてつもなくすばらしいアルバムだ。なにしろ、あのアノーニに決定的な影響を与えたのだから)。ボールもまた、ジェネシス・P・オリッジやヴァージン・プルーンズのギャヴィン・フライデイ、コイルのジョン・バランスらアンダーグラウンドな人たちと交流し、最初のソロ・アルバム『In Strict Tempo』(1983)を制作する。そしてボールは憧れだったキャバレー・ヴォルテールのアルバム『The Crackdown』(1983)に参加もしている( “Just Fascination” と “Crackdown ” の2曲である)。ソフト・セルの最後のアルバムはいまひとつの内容だったが、彼らにはこんなエピソードがある。あるとき、ソフト・セル宛の郵便物がレーベルに届いた。分厚い写真集が入っていて、そこには、「あなたたちの音楽が大好きです。ポール&リンダ・マッカートニーより」とつづられていた。

 とはいえ、ソフト・セル解散後の80年代なかば以降のボールは、物事がうまくいっていたとは言いがたい。好転したのは、ジェネシス・P・オリッジがアシッド・ハウスに心酔し、彼が自分でもアシッド・ハウスをつくろうとJack the Tab名義で『Acid Tablets Volume One』(1988)を企画し、そこに参加してからだった。P・オリッジから紹介された『NME』のライター、リチャード・ノリスといっしょにM.E.S.H.名義で “Meet Every Situation Head on ” をつくると、それに反応し、サポートしたDJのひとりにアンドリュー・ウェザオールもいた。
 ノリスとのコンビが、ザ・グリッドへと発展することはよく知られている。この時期、UKのダンス・ミュージックを聴いていた人なら、ザ・グリッドによるリミックス──ハッピー・マンデーズの「Loose Fit」やペット・ショップ・ボーイズの「DJ Culture」、イレイジャーの「Am I Right?」、ブライアン・イーノの「Ali Click」,デイヴィッド・シルヴィアン「Darshan」等々──を少なくとも5曲以上は聴いているだろう。
 ボールが初めて日本の地を踏んだのも、1995年のザ・グリッドとしての来日公演だった。 “Crystal Clear” や “Swamp Thing” といったソフト・セル以来のポップ・ヒットが続いていたころで、場所はたしかリキッドルームだったと思う。ライヴに駆けつけたオーディエンスのなかにはソフト・セルのファンも少なくなかったけれど、ぼくがそのとき取材したのは複数のメディからインタヴューされたボールでもノリスでもなかった。同じく初来日で、そのときはぼく以外の誰も取材しなかったアーティスト、前座を務めたオウテカのほうだった。

 リアーナが “SOS”(2006) でソフト・セル版“Tainted Love”をサンプル・ネタとして使ったころ、かつてはチープなソウル・エレクトロで一世を風靡したふたりは、再度タッグを組んで精力的な活動をしていた。2002年には1984年以来の4枚目のアルバムをリリースし、2003年にはハイドパークで開催された6万人規模のゲイ・プライドのヘッドライナーを務めたソフト・セルだったが、ボールにはこんなエピソードもある。彼が恋人とNYのゲイ・バーに入ったとき、まったくの偶然だが、カウンターの隣にはフレディ・マーキュリーが座っていた。マーキュリーはボールの顔を見ると、「デイヴィッド、教えてくれ。君とマークは恋人同士なのか?」と訊いた。ボールは自分がストレートでガールフレンドがいると説明すると、マーキュリーは黙ってその場を去ったという。このことが、ボールが髭を剃るきっかけとなった。

 それはさておき、長年にわたるあらゆる依存症がボールを蝕んでいた。1990年代後半には、飲酒と喫煙、ドラッグの乱用で精神的にも身体的にも、そして日常生活に支障がでるほど窮地に追い込まれていたボールは、なんとかしようと一時期はアルコール依存症匿名会と薬物依存症匿名会に通ったほどだった。ドラッグと煙草を断ったデイヴ・ボールは新生ソフト・セルを始動させると、先述の通りアルバムを発表し、大きなライヴもいくつかこなし、2020年には自伝『Electronic Boy』も上梓している。2022年の『Happiness Not Included』が比較的高評価だったので、翌年にはその姉妹作『Happiness Now Completed』もリリースした。2025年10月22日自宅で亡くなったというボールだが、ソフト・セルとしての新作『Danceteria』の制作を終えたばかりだった。そういえば、つい先日ラスト・アルバムを出したセイント・エティエンヌの『International』にはザ・グリッド・リミックスがあったけれど、ボールはまだぜんぜんやる気だったのだろう。

 ほんの数年前、石野卓球とのメールで、あのころ自分が好きだったのはクラフトワークの “Numbers” よりもソフト・セルの同名曲のほうだった、というやりとりをしたことがある。そうしたら、あの曲をエイフェックス・ツインがサンプリングしているの知ってた? と卓球から教えられた。自分としては、あの時代の人たちがここにまたひとりといなくなるのはとても寂しい。先週末は多くのファンが “Say Hello, Wave Goodbye” を聴いたのだろうけれど、あらためてあのころのボールの音楽を聴いていると、良い曲ばかりで、やはりすごいことをやった人だったんだなと思った。

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三田格

 9年前、デイヴ・ボールは(ジャーナリストではなくピアニストの)ジョン・サヴェージと『Photosynthesis(光合成)』と題されたアンビエント・アルバムをリリースしている。どちらがイニシアティヴを取ったのかはわからないけれど、『Photosynthesis』はダーク・ドローンに分類され、ひと言でいえば不気味な作品に仕上がっていた。その当時はまだL.A.から解き放たれたベルリン・スクール・リヴァイヴァルの余波がニュー・エイジのポテンシャルを増幅させていた時期で、簡単にいえばアッパラパーな雰囲気のなかで、どんよりとした『Photosynthesis』には出る幕がないと感じられた。そして、無意識のうちに僕にはデイヴ・ボールに期待する、ある種のムードがあることを自覚した。それはやはりソフト・セルやザ・グリッドといったキャリアの初期に展開されていたポップでカラフルな響きであり、重苦しい曲調のなかにもどこか抜けのある軽妙洒脱なセンスだった。『Photosynthesis』にはあまりにもそれがなかった。しかし、デイヴ・ボールの訃報を聞いて僕が最初に聴いたのは、なぜか『Photosynthesis』だった。暗く、のったりと蠢くシンセサイザーに哀悼の気持ちは少しずつ吸い込まれていった。

『Photosynthesis』から5年後にソフト・セルは再-再結成を果たす。そして、3枚のアルバムを完成させている。彼らにとってファイナルとなった7thアルバム(発売は来年)を完パケた直後にデイヴ・ボールは亡くなり、ヴォーカルのマーク・アーモンドは「2026年はデイヴ・ボールにとって高揚感に満ちた年となるはずだった」と饒舌な追悼文で嘆いている。「僕たちの50年を一緒に祝えたらよかったのに」と。その追悼文によると、ソフト・セルはロンドンというよりもN.Y.のディスコ・カルチャーに属すると彼ら自身は考えていたようで、ラスト・アルバムに『Danceteria』と名付けたことは、ガビ・デルガドーが最後に残した曲のタイトルが“Tanzen(ダンス)”だったことと共鳴している。そう、1981年は彼らがイギリスでダンス・カルチャーを爆発させた年だった。ニュー・ロマンティクスやブリティッシュ・ファンクも呑み込んで「メソッド・オブ・ダンス」を合言葉に。

 ソフト・セルがN.Y.のディスコ・カルチャーに属すると考えるのはとても納得のいくことである。実際にN.Y.のディスコでMDMAを経験したことが彼らの音楽性に影響を及ぼしたこともそうなら、マーク・アーモンドの変態的な歌詞はルー・リードの強い影響下にあり、性的マイノリティが集まるN.Y.のディスコ文化とは親和性が高かった。ルー・リードと世代的な差を感じるのはユーモアの質で、「自動車の後部座席でセックスをしているとシートに張り付いていたガムが背中でくちゃくちゃと音を立てている(大意)」といった発想はやはりルー・リードのそれとは距離を感じさせる。大学生の頃、単純な手作業のアルバイトをしている時に退屈なのでニューウェイヴの曲を集めたテープを作業場で鳴らしていたら一緒に作業をしていたカナダ人のモナちゃんが、ジョイ・ディヴィジョンがかかると「辛すぎる……」といって作業の手を止めてしまい、ソフト・セルがかかると笑いが止まらなくなって、やっぱり仕事にならなかったことがある。なるほど、ソフト・セルというのはそういう風に聞こえるのかと思ったものである。

 シンセポップというのはどれも極めてチープで、ソフト・セルも例外ではなかった。先行したパンク・ロックの影響もあるのだろうけれど、「極めてチープなサウンド」で表現される世界観は普通の生活様式からは逸脱した人間性や、人間の隠された一面を戯画化して取り出す傾向があった。ヒューマン・リーグやザ・ポリスがストーカーを題材にして人間のファナティックな行動を通して時代を照射するのとは異なり、ソフト・セルは背景としての社会に目を向けることはなく、彼ら自身がどのように生きているかを切々と歌い、その核心は多様なラヴ・ソングに結実していった。人間の性を支配や消費という観点からドライに歌ったことで大きな論争を呼んだ“Sex Dwarf”は極端な例だけれど、彼らの曲の多くは強く変態性を帯び、ノーマルな人々にとっては気持ち悪いものにしか映らなかったことだろう。愛を歌い、その姿がどれだけ無様でも取り繕う様子もないどころか堂々としていたところは、日本だと戸川純が立っていた場所を想起させる。エロ・グロ・ナンセンス全開で好きなことをユーモアたっぷりに歌っていた戸川純がそれでも新曲を出せばTVに呼ばれていたという「社会的な評価」は、おそらくイギリスでソフト・セルが置かれていた位置に通じるものがある。がんばろうとか人にやさしくといった表面的な言葉ではなく、人が人を強く求める思いが彼らの表現の中心にはあり、時に人間の弱さを受け入れてくれることがない社会派の音楽よりも彼らの方が愛されていたとしたら、それはやはり制度よりも彼らの心が人の方に向けられていたからだろう。

「正しいことをするのに、僕の力はもういらないんだね」(“Tainted Love”)
「僕たちは初めて会った見知らぬ他人さ、そうだろ?」(“Say Hello, Wave Goodbye”)
「バカすぎて君にはヒドいこともできない」(“Torch”)

 ソフト・セルにとって最大のカヴァー・ヒットとなり、ロング・ランを続けたあげく、『サイトシアーズ 殺人者のための英国観光ガイド』という映画のテーマにもなった“Tainted Love”は、タイトにリズムを刻むグロリア・ジョーンズの原曲よりもルーズな曲進行で、語尾を伸ばすように歌うことで歌詞の内容を強調し、シャカタクのヴォーカル、ジル・サワードがラス・スワン名義でカヴァーしたヴァージョンを参考にして彼らのヴァージョンを練り上げたという。ギネス・ブックに載るほどのメガ・ヒット曲となった“Tainted Love”はそして、12インチ・ヴァージョンでは途中からシュープリームス“Where Did Our Love Go”に変わり、再び“Tainted Love”に回帰してくるという不思議な構成となっていて、カップリングには完全に遊びでつくられた“Tainted Dub”を収録するなど12インチ・シングルという新たなメディアのポテンシャルをこの時点でここまで引き出したグループはほかにいなかった。ソフト・セルの12インチ・ヴァージョンはその後も原曲の2~3倍の長さになるのは当たり前で、10分を超える“Numbers”や12分近い“Soul Inside”など、デイヴ・ボールがいかにミックスで遊ぶのが好きだったかということを印象づける(このことだけでもデイヴ・ボールがDJカルチャーに移行することは初めから決まっていた気がしてしまう)。

 デイヴ・ボールのサウンド・プロダクションが唯一無二のものになるのはセカンド・アルバム『The Art of Falling Apart』からで、場末のキャバレーを音で表したようなファーストから一転、それはヴェルサイユ宮殿かトプカプのような荘厳さを感じさせた。シンセポップにこんなことができるのかと当時の僕はかなりショックを受け、シンセポップ=「チープ」という形容詞はもう使えないと思った。基本的には“Sex Dwarf”のゴージャスなアレンジを全体に敷衍させ、オーヴァー・プロデュースを恐れなかった結果が『The Art of Falling Apart』になったのだと思う。どの曲も本当に素晴らしく、すべてにああだこうだと言いたいところだけど、当時は台所がテーマなんて珍しいと思い、“Kitchen Sink Drama”の歌詞を訳してみると母親が現実逃避ばかりしているという内容で、マーク・アーモンドが離婚した自分の母親をディスりまくっているのかと思っていたのだけれど、今回、調べ直してみたら“Kitchen Sink Drama”とは社会的リアリズムに基づくイギリスの文化運動を指す名称で、「怒れる若者」の源流だということを初めて知った。マーク・アーモンドにしてみれば自分の書く歌詞はアラン・シリトーに連なるものであり、マイク・リーやケン・ローチといった映画監督の表現と地続きなんだという表明だったのかもしれない。デイヴ・ボールのサウンドはピアノを導入に使い、歌詞に合わせて幻想的なフレーズを多用し、流れるように白昼夢を描いていく。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの“Sunday Morning”が念頭にあったのだろう。

『The Art of Falling Apart』と同じ年にデイヴ・ボールは初のソロ・アルバム『In Strict Tempo』も完成させている。ソフト・セルはシンセポップの代表格ではあるけれど、デペッシュ・モードやユーリズミックスと同じ文化圏にいたわけではなく、それは彼らのマネージメントが〈Some Bizzare〉だということと深く関係している。〈Some Bizzare〉とサインしたことがあるミュージシャンにはサイキックTV、ノイバウテン、スワンズ、コイル、ザ・ザ、ジム・フィータス……とオルタナティヴのフロントラインが揃い踏みで、それこそ「普通の生活様式からは逸脱」した音楽家しかいなかった。『In Strict Tempo』はニュー・オーダーが“Blue Monday”で新たなモードに歩を進めたようにデイヴ・ボールがダンス・カルチャーに模索の手を延ばした痕跡が残る一方、ヴォーカルにヴァージン・プルーンズからギャビン・フライデイを迎え入れるなど〈Some Bizzare〉という環境から得られるアンダーグラウンドな価値観がひしめき合ってもいる。実は、最初に取り上げたジョン・サヴェージとのジョイント・アルバム『Photosynthesis』は、こうした〈Some Bizzare〉の文脈でデイヴ・ボールを捉えればもっと鷹揚に楽しめたのかもしれない。デイヴ・ボールにとってそうした環境がどれぐらい吉と出たのかはわからないけれど、それこそ後には『Live in Heaven』にも参加するなどサイキックTVのメンバーにもなったことで、ジェネシス・P・オーリッジやジャーナリストのリチャード・ノリスとともにアシッド・ハウスにのめり込んでいく機会を得たことは間違いない。サイキックTVの変名アルバムとして認識されているアシッド・ハウスのコンピレーション『Jack the Tab/Tekno Acid Beat』はジェネシス・P・オーリッジに加えてデイヴ・ボールとリチャード・ノリスが全曲で関わっていて、すでにザ・グリッドの前段階と言えるものになっていた。同じ年にデイヴ・ボールはキャバレー・ヴォルテールの2人とラヴ・ストリートを結成し(両者は『The Crackdown』ですでに結びついていた)、バリアリック・ビートの“Galaxy”でもファンキー・ビートを聞かせている。『Jack the Tab/Tekno Acid Beat』と“Galaxy”を続けて聴くと、ある種の迷いのなさは伝わってくる。この時期のブリティッシュ・アシッド・ハウスはオリジナリティを否定し、他人と同じものをつくるのがいいとされていたので、デイヴ・ボールのそれもとくに彼の個性が反映されたものではない。ジャケット・デザインがデザイナーズ・リパブリックだというのがデイヴ・ボールの美意識からかけ離れ、いまとなっては同時代性だけを強く主張している。

 84年に第1期ソフト・セルのラスト・アルバム『This Last Night in Sodom』をリリースした後、デイヴ・ボールの足跡はあまりに細切れになる。最初は当時の妻、ジニ・ボールとアザー・ピープル名義でサンプリングを散りばめたディスコ・ナンバー、“Have a Nice Day!”をリリースし、続いて3人組のイングリッシュ・ボーイ・オン・ザ・ラヴランチ名義では“Blue Monday”のバッタもんにしか聞こえない“The Man in Your Life”やハイエナジー調の“Sex Vigilante”を連打と、ソフト・セルからマーク・アーモンドによるメロディ・センスを取り除いたディスコ・ビートへの執着をとにかく強く感じさせる。ストローベリー・スウィッチブレイドのローズ・マクドウェルやシュガーキューブスのアイナール・オルン・ベネディクソンらと組んだオーナメンタルでも多幸感あふれる“No Pain”にどこまでもさわやかな“Crystal Nights”とシンセポップの延命をこれでもかと追求するも、これらがどれも長続きしなかったことがアシッド・ハウスへと舵を切るきっかけになったのだろう。デイヴ・ボールの作業でいえばソフト・セルの12インチでやっていたことをメインとすればいいだけのことだからロック・カルチャーからダンス・カルチャーに乗り換えられないと苦悩するほどのこともなく様変わりはできたはずである。サイキックTVやラヴ・ストリートとの習作を経て正式にリチャード・ノリスとスタートさせたザ・グリッド(マネージメントはアラン・マッギー)はデビュー・アルバム『Electric Head』ではまだイングリッシュ・ボーイ・オン・ザ・ラヴランチやオーナメンタルに近い音楽性を多分に残していて、これが最初にシングル・カットした“Floatation”のリミックスにアンディ・ウェザオールを起用したことで完全にダンス・カルチャーの領域へと歩を進められただけでなく、プレスの注目を最初から集めることにも成功する。ザ・グリッドによるソフト・セルのリミックス集『Memorabilia - The Singles』と並行して続くセカンド・アルバム『456』から“Crystal Clear”をヒットさせたのはもはや時間の問題だった。1993年にグラストンベリー・フェスに行った際、昼間のプログラムが終わるや否や、暗くなった途端に会場内で小規模なレイヴ・パーティがあちこちで始まり、ほどなくして“Crystal Clear”が僕たちの頭上にも鳴り渡った。クラウドはあっという間に恍惚としたムードに包まれ、多幸感の波を全身に浴びていた。ザ・グリッドは、さらにサード・アルバム『Evolver』からバンジョーをフィーチャーした“Swamp Thing”をヒットさせ、その頃には「国民的人気」と書き立てられるまでになっている(その勢いでカイリー・ミノーグ“Breathe”までプロデュースする)。

 リチャード・ノリスの指向だったのではないかと思うのだけれど、ザ・グリッドは『456』から“Heartbeat”をシングル・カットする際、ブライアン・イーノにアンビエント・リミックスをオファーしている。ダンス・アクトとしてのザ・グリッドは4作目の『Music for Dancing』で一旦休止し、10年以上空けて復活するも、ラスト・アルバムとなった『Leviathan』ではロバート・フリップをゲストに迎えてアンビエント・アルバムも製作している。荒涼として寒々しいアンビエント・アルバムである。これがデイヴ・ボールの過去の作品とどう繋がっているのか、僕にはさっぱりわからなかった。アンビエント・ミュージックには個人の資質を出しづらいということもあるのかもしれないけれど、『Leviathan』や唯一のソロ作となった『In Strict Tempo』を聴いていると、もしかするとデイヴ・ボールには生涯を通じて本当にやりたかったことはなかったのかもしれないとも思えてくる。それこそ本当に意志の強い人と共に作業をすることで作品の完成度や相乗効果を高めることが彼にとっては才能を活かす道であり、デイヴ・ボールでなければソフト・セルやザ・グリッドは仮りに生まれていたとしてもまったくの別物になっていただろう。ソフト・セルやザ・グリッドが現在、残されているかたちになったこと、そして、“Torch”を聴いてトランペットという楽器が好きになった僕は、それだけでも彼が存在したことに感謝したい。……Say Hello, Wave Goodbye。

R.I.P. D’Angelo - ele-king

緊那羅:Desi La(訳:編集部)

 人は大衆音楽における「才能」について、歌声や見た目の特別さを指して語りがちだ。どんなふうに歌い、叫び、あるいは甘く歌い上げるのか、とか。だが、音を「どのように聴いているのか」、そしてさまざまなジャンルの音楽をレゴブロックのように組み合わせ、過去の黄金の瞬間を細かく分解し、それを吸収し、「なんてこった!」と神々しいまでに独自なひらめきにうなずきながら、人びとを椅子から立ち上がらせ、心を動かすようなかたちに再構築する、その才能についてはあまり語られないかもしれない。D’Angeloは、2025年10月14日、わずか51歳という若さでこの世を去った。彼をめぐっては、メディア、共演者、ファン、そして彼のイメージや遺産で商売をしようとするSNS上の人びとから、さまざまな思い出が語られるだろうけれど、彼に正しく敬意を捧げるためには、彼を「ミュージシャン」と呼ぶだけでは足りないと私は思っている。彼はむしろ「技師(エンジニア)」であり、「建築家」だった。プリンスやマイルス・デイヴィス、パーラメントのように音楽を構築した偉大な建築家たちの系譜に属する存在だ。

 インスタグラムを何気なくスクロールしていたとき、私は残念ながら、あの“Untitled (How Does It Feel)”のヴィデオでの一瞬の性的イメージばかりを強調するインフルエンサーたちの投稿を目にしてしまった。彼を性的対象としてしか見ないそうした悪魔的な心性こそが、いくつかある理由のうちのひとつ——彼がキャリアの大部分を通して長く姿を消していた理由のひとつ——ではないのか。あの映像で焼きついた彼の官能的なイメージは、当時の大衆の記憶から決して消えることはないだろう。が、それは彼の真の才能を示すものではなかった。彼を讃えるということは、彼が望んだかたちで見られること、そして彼の激しい努力の結実を讃えることでもある。

 D’Angelo——本名マイケル・ユージーン・アーチャー——はヴァージニア州の生まれで、ファレルと同郷である(ヴァージニアの水にはたしかに何かがあるのだろう)。彼は教会の少年として育ち、ゴスペルを愛し、そしてソウル、ロック、ファンクの黄金時代の巨人たち——アル・グリーン、ジミ・ヘンドリックス、フェラ・クティ、プリンスなど——に憧れた。彼のヒーローもまた、みんな同じく「建築家」だった。音に対する鋭敏な耳を持ち、アレンジ、バンドの選択、そして全体的なプレゼンテーションにおいて非凡なセンスを備えた音楽家たちだ。彼は成長するにつれて、それらの創造者たちの手がけた構造を解きほぐし、彼らがどう音楽を創出しているのかを考究した。とりわけ、プリンスだ。彼がひとりでスタジオとサウンド全体を完全に支配していたその姿に魅了され、「あれが自分だ」と感じたはずだ。

 音楽業界が何かとレッテルを貼りたがるなかで、D’Angeloが『Brown Sugar』でシーンに登場し、最初のすばらしい成功を収めてから、彼には「ネオ・ソウル」という称号が与えられた。1995年のデビュー当時から、そして続いて登場したエリカ・バドゥの『Baduizm』(1997年)などと並び、その呼称は一定の妥当性を持っていたと言える。というのも、ヒップホップはもともとソウル/ファンクに影響を受けており、ネオ・ソウルの進化は、文化的にも経済的にも支配的となったヒップホップからの影響の「フィードバック・ループ」を示していたからだ。セクシーでチルなヴァイブス、しかもストリートの匂いもある。
 じっさいD’Angelo はネオ・ソウルの特徴をすべて体現していた——ヒップホップの影響を受けたタイトなビート、滑らかなヴォーカル、無駄のないプロダクション、社会的意識をもった歌詞、グルーヴに乗った重心の低いフロー、そして技巧に走らないセクシーな歌声……。
 多くのミュージシャンとは異なり、D’Angeloが遺した公式アルバムはわずか3枚のみだ。しかしそのどれもが前作を凌ぐ傑作であり、『Black Messiah』(2014)はまさにその頂点に立つ作品だった。彼が病に倒れる前に取り組んでいた未発表の音楽も、いずれ何らかの形で日の目を見ることになるだろうが、現時点では、『Black Messiah』こそが彼の到達点であり頂点である。もちろんそれは、『Voodoo』(2000)や『Brown Sugar』を軽んじてよいという意味ではない。むしろいまとなっては、これら2作を、音楽だけにすべてを賭けたひとりの男が歩んできた、その進化の道筋としても味わえる。

 もし私が「ブラックネス(黒人性)」という概念を音楽的革命として講義する授業を開くとしたら、『Black Messiah』収録の“The Door”という曲をかけるだろう。70年代的なハーモニーとファンクのリフが全編を覆い、厚みのあるファンク・ベースが鳴り響き、1940年代のブルーズ的スライド・ギターのクレッシェンドでは、スライドが弦に擦れる音までミックスに残されている。90年代的なデジタル録音のようなアンプ・ディストーションはなく、リラックスしたホンキートンク調のビートに乗せたファルセットの歌声。ファンク特有の切れ味あるストップ&スタートのイントネーションがありながら、歌唱技巧を排している。そしてたしかなダウンビートが、教室で机を叩いてビートを刻み、まわりの仲間が手拍子を合わせていた高校時代のあの瞬間を黒人たちに思い起こさせる。そうしたすべてが、この1曲のなかに凝縮されている。
 D’Angelo はまた、「ブラック/アフリカ的な音楽学習法」の価値を体現していた。ブルーズ、ゴスペル、ジャズ、あるいはアフリカの伝統音楽——いずれにおいても、黒人音楽とは共同体的な営みであり、集中して意図的に聴くことによって成り立っている。複数のパートが重層的に動きながらも、汗をかくことなく完璧に同期している。ビートとビートのあいだにはたっぷりとした呼吸がある。「重要なのは何を演奏するかではなく、何を演奏しないかだ」とマイルス・デイヴィスが言ったように。
 デビュー作で成功を収めたにもかかわらず、D’Angelo は資本主義的商業システム——すなわち大手レーベルという獣——の餌食になることを拒んだ。アーティストの首筋に息を吹きかけ、スタジオに押しかけては「早くリリースを」「長いツアーを」「最大の利益を」と迫る連中に対して、彼は「くそくらえ」と言い放ち、ルーツのクエストラヴとともに5年間もの冬眠に入ったのだ。……5年だ! 大学の学位を取るより長い。その「大学」が『Voodoo』であり、さらにそれを3倍にしたものが『Black Messiah』だった。
 反資本主義的な精神を貫きながら、D’Angelo は「ブラック・ヒストリーの音」を追い求め、それに人生を捧げた。彼は、過去の偉大な音楽家たちの独自性の蒐集家であり、各アルバムの制作にあたっては、その音楽を研究し、向き合い、ジャムし、さらにまた向き合い、あらたな協働者を招き入れてはまた向き合い、ヴォーカルだけで2年を費やしてもなお、音楽とともに座り続けた。その結果、『Voodoo』と『Black Messiah』は聴く者の前で雲を切り裂き、天を開く。細部にまでこだわり抜いたサウンド・デザインが機能する要素を徹底的に磨き上げ、極限まで高めている。
 建築家とは機械や建物の「内部構造」を見る者である。それを組み合わせることで以前よりも高い創意を生み出す。構造の逆解析を行い、どの瞬間においても楽曲を「最高なもの」として立ち上がらせる。そのような能力を持つ者。D’Angeloには「駄作」と呼べるアルバムがひとつもない。それは、彼が——良い意味で——あまりにも「良いアルバムを作ること」に執心していたからだ。そして、彼は待ち、さらに待ち続け、それが熟するのを見届けた。

 D’Angelo の壮大さ、彼のパフォーマンス、優しさ、録音作品は、視界の果てまで広がるほどの賛辞の波を呼び起こした。しかし残念なことに、彼を苦しめたある種の悪魔が誘発した逮捕、依存、鬱などが彼の早すぎる死に影響した可能性がある。皮肉なことに、彼を押し上げたその「社会的イメージ」こそが彼の首にかかった重すぎる錨となり、彼はそこから抜け出そうともがいた。注目すべきは、『Black Messiah』がD’Angeloのアルバムのなかで唯一、彼自身の姿がジャケットの表にもその裏面にも登場していない作品であるという点だ。焦点は完全に「作品そのもの」に置かれている。
 彼の焦点は、つねに芸術そのものに向けられていたのだ。そして2025年のいま、私たちはようやくその全体像を享受できるのである。その美しさ——彼の微笑み、その語り口、彼が遺した物語とそこに刻まれた教訓、そして何よりも音楽への絶対的な献身——そのすべてを、ありのままに味わえるのだ。


People often talk of talent as if it`s only a person’s singular singing voice or their particular look. How they sing, shout or croon. But not enough of how they hear and put the Lego blocks of multiple genres of music together, pick apart the golden moments of excellence of the past, take them in and head nod to the “goddamn!” pure heavenly idiosyncrasies and reassemble them in a way that move people from their seats and into their hearts. D`Angelo has left us at the early age of 51 years old this past October 14th 2025. There will be many memories of him from media, collaborators, fans and social media types looking to capitalize on his image and legacy. But to properly give tribute to him, I feel it`s appropriate to knight him not a mere musician but an engineer. An architect. In the vein of other architects like Prince or Miles Davis or Parliament. Doomscrolling on Instagram, I unfortunately ran across posts by influencers only emphasizing his sexuality from that one moment in time with the video "Untitled (How Does It Feel)", but that objectifying demon mind is actually the reason among several others for his long absence for the majority of his career. That image will never disappear from the public conscious of that time but that wasn`t his talent. To honor him is to honor how he wanted to be seen and the result of his intense efforts.

D`Angelo, born Michael Eugene Archer in Virginia, just like Pharrell (I think there is something in the water in VA for sure), was a church boy who grew up with love for the Gospel and love for the titans of the soul, rock, and funk era, i.e. Al Green, Jimi Hendrix, Fela Kuti, and Prince just to name a few. All his heroes were also fellow architects. Musicians with keen ears for sound, arrangement, band selection, and overall presentation. And as he grew up dissecting those creators and how they moved - he particularly was mesmerized by Prince`s one man command over the studio and his sound - D`Angelo said that`s me.

With the music industries need to label, D`Angelo`s entry into the scene and initial success with “Brown Sugar” was given the mantle of Neo-Soul. And to some extent with his debut in the 1995 and other titanic releases in the same period like Erykah Badu`s Baduizm in 1997, this is warranted as hip hop was initially influenced by soul/funk and Neo-Soul`s evolution signaled a feedback loop of influence by the dominance of hip hop culturally and financially. Sexy chill vibes but street.

D`Angelo exhibited the hallmarks of what was to be Neo- Soul; clear, hard hip-hop influenced beats, smooth vocals, uncluttered productions, socially relevant lyrics, in the pocket groove heavy flows, and sexy vocals that avoided theatrical gymnastics.

Until many musicians, D`Angelo leaves behind only 3 official albums. But each one is a classic greater than the one before with “Black Messiah” being the crowning achievement. I`m sure that music he was working on before his previously unannounced cancer disabled him will see the light of day in some way, but for now “Black Messiah” is the apex of his known work. That doesn`t mean sleep on “Voodoo” or “Brown Sugar.” Instead, just enjoy the evolution from a man solely focused on it.

If I could teach a class on blackness as a concept of musical revolution, I might play a song like “The Door” from “Black Messiah.” An unassuming song drenched in 70`s harmonic funk recitations, thick funk bass, 1940`s blues slide crescendos with the noise of the slide gracing the strings left in the mix, no amp distortion a la 1990`s digital recording, falsetto singing to a relaxed honky tonk sing song beat, the crispness of funk stop start intonation leaving out vocal gymnastics, and a solid down beat that gives black people memories of that guy in the class room who banged on the desk in high school to make a fire beat while his friends clapped in unison around. All of this in one song.

D`Angelo also represents the value of the Black / African method of studying music. Black music, whether blues or gospel or jazz or traditional African, is a communal situation filled with intensive intentional listening, focused and deliberate, layered instrumentation with multiple parts moving but in sync without breaking a sweat. Lots of breathing between the beats. “It`s not what you play but what you don`t” as Miles Davis used to say. D`Angelo despite his debut album success, refused to be the meat for the capitalist commercial beasts that major labels often are, breathing down the necks of artists, visiting them in the studio in effort to push them for a quick release, a long tour, and maximum profits. D`Angelo said fuck them and went into a five year hibernation with Questlove of The Roots ..... 5 YEARS!!!! just to produce “Voodoo.” 5 years is longer than

getting your degree in university. In this case though, the university was “Voodoo” and then times that by 3 with “Black Messiah.” Anti-capitalist in his endeavours, D`Angelo rested on his devotion to the “sound” of Black history in his eyes. A collector of the idiosyncrasies among his favorite musicians of the past, in making each album, he studied and sat with the music, jammed and sat with the music, invited new collaborators and then sat with the music, spent almost 2 years just doing vocals and still sat with the music. And it shows cause in particular “Voodoo” and “Black Messiah” separate the clouds from the heavens for listeners, letting loose a sound design meticulous with it`s attention to the things that work and amping them up.

An architect sees the inside of the machine or the building, the innerworks that when put together create greater ingenuity that before, reversed analysis of construction that allows each song to be see at a moment`s notice as great. D`Angelo doesn`t have any bad albums because he was too intent (in a good way) to make a good album. And he waited and waited til it gestated.

Though the grandeur of D`Angelo, his performances, his kindness, his recordings created waves of accolades that rolled exponentially as far as the eye could see, unfortunately certain demons haunted him leading to arrests, addiction, depression and so forth, all of which may have contributed to his untimely departure. His social image, the very thing that propelled him forward became an albatross, too heavy to bear but he did his best to break free. Take deep note that “Black Messiah” is the only D`Angelo album where he doesn`t appear on the cover or back sleeve. The focus was fully on his art. The beauty now of 2025 is we can enjoy the beauty of his smile, his diction, his stories, lessons learned and absolute devotion to music.

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高橋芳朗

 ディアンジェロが逝ってしまった。死因は膵臓癌。51歳だった。かつての公私におけるパートナー、アンジー・ストーンが3月1日に交通事故で他界したのがまだ記憶に新しい中での思いがけない訃報。プリンスと共に彼の最大のインスピレーション源だったスライ・ストーンも6月9日に亡くなったばかりだ。スライの死を受けて、ディアンジェロの諸作を改めて聴き直していた方も多かったと思う。

 ディアンジェロは、1990年代以降で最も強大な影響力を有したアーティストのひとりだ。ただし、彼が30年に及ぶキャリアで残したアルバムはたったの3作。1995年の『Brown Sugar』、2000年の『Voodoo』、そして2014年の『Black Messiah』。もともと完璧主義だったことに加え、2000年代は薬物/アルコール依存、相次ぐ逮捕騒動などで活動が停滞。寡作ぶりに拍車をかけることになった。

 ディアンジェロの3作のアルバムはすべて掛け値なしに破格の傑作といえるが、彼は現在に至る名声を実質最初の2作で確立している。人種差別撤廃を訴えるブラック・ライヴズ・マター運動を背景に作られ、ザ・ルーツのクエストラヴが「俺たちの世代にとっての『There's a Riot Goin' On』」と激賞した『Black Messiah』も強力だが、真のゲームチェンジャーはやはり『Brown Sugar』と『Voodoo』。特に『Voodoo』は決定的だった。

 ビヨンセはディアンジェロへの追悼コメントで彼を「The Pioneer of Neo-Soul」と讃えたが、ディアンジェロが『Brown Sugar』と『Voodoo』によって果たした功績を端的にまとめるならば、それはまさに「ネオソウルの音楽像を作り上げたこと」となる。ディアンジェロが編み出したネオソウル・サウンドの最大の特徴は、J・ディラの作風に着想を得た揺らぎ(ズレ)のあるビート、そこから生じる聴く者をじわじわと引きずり込んでいくような深みのあるグルーヴ。その原点といえる試みは『Brown Sugar』収録の “Me and Those Dreamin' Eyes of Mine” で確認できるが、完成を迎えるのは5年後の『Voodoo』まで待たなくてはならない。

 『Voodoo』のビートの革新性は、レコーディング時の数々の逸話が浮き彫りにしてくれる。たとえば、ギタリストとしてのゲスト参加が決まっていたレニー・クラヴィッツがサンプル・トラックのドラム・パターンに違和感を訴えて「これでは演奏ができない」と辞退したエピソードなどは、ディアンジェロが描いていたヴィジョンがいかにセオリーから逸脱していたかを示す好例だろう。だが、何よりも興味深いのは『Voodoo』の大半の曲でドラムを担当しているクエストラヴの証言だ。彼はレコーディングに際して、ディアンジェロから「徹底的に正確さを削ぎ落としてほしい。絶対にうまくいくから俺を信じろ。グルーヴをキープしつつ、とにかくだらしなく叩くんだ」と要求されたという。

 正確さこそが命であると考えていたクエストラヴはディアンジェロの注文通りに演奏するのに約1ヶ月もの時間を費やしたそうだが、その成果──クエストラヴが言うところの「泥酔しているかのような演奏」──が最も如実に表れているのが以降ネオソウルのひとつのプロトタイプとして継承されていくことになる “Playa Playa”や “Chicken Grease” だ。ここで打ち出されているフィーリングは現在ネオソウルとして紹介されているあらゆる作品から聴き取れるのはもちろん、もはや今日のモダン・ミュージックを語る上で欠かせないものになっている。

 ミュージック・ビデオと併せてディアンジェロのアイコンになっている “Untitled (How Does it Feel)” がたくさんのオマージュ・ソングを生み出し続けている事実も含め、彼と『Voodoo』の遺伝子はいまもなおそこかしこで見つけることができる。ディアンジェロのデビューから30年、『Voodoo』のリリースから25年。これだけの歳月を経ているにもかかわらず、そのレガシーがなんら古びることなくフレッシュなアイデアとして有効性を維持しているのは驚異的と言うほかない。1990年代にデビューしたレジェンドのなかでも、ディアンジェロの音楽は若い世代にとって比較的「近い」位置にあったのではないだろうか。

 でもだからこそ、この世界にディアンジェロがいない現実をなかなか受け止めきれずにいる。ジョージ・クリントンがケンドリック・ラマーやフライング・ロータスとコラボするような未来が、きっと彼にもあったと思うのだ。

Witching Hour Archives - ele-king

 いまやYouTubeにおける一大ジャンルとなった、DJやライヴの様子をアーカイヴする数々の配信プログラム。さまざまな観点から世界中で議論が繰り広げられているなか、「クラブ・カルチャーの神秘性を取り戻し、再魔術化を謀る」ことをコンセプトとしたあらたな動画メディア〈Witching Hour Archives〉が始動する。
 初回プログラムとして、首都圏を中心に開催されているハードコア・クィアパーティ〈FETCH〉による2025年6月回の模様が配信。

 動画を再生してみると、DJのキャラクター性にフォーカスする昨今の潮流とは一線を画した、クラブという環境全体を窃視するかのような謎めいた雰囲気が目を引く。〈Witching Hour Archives〉は、まるで監視カメラのようなアングルで撮影されたアーカイヴを継続的に配信することで「クラブ・カルチャーを再び誇れるもの」にしようと試みているのだろうか?

 以下にステートメントとファウンディング・メンバー(当プロジェクトは主導者を置かず合議制で運営されるようだ)にかんする情報を引用する。

―クラブカルチャーの神秘性を取り戻し、再魔術化を謀る―
新動画メディア「Witching Hour Archives」始動

クラブカルチャーの記録を目的とする新しい動画メディア「Witching Hour Archives」がローンチ。

現在、数多くのストリーミングメディアがDJに焦点を当てている一方で、Witching Hour Archivesは異なる信念に基づいて設立された。DJブースはクラブカルチャーのひとつの側面に過ぎないという信念だ。クラブカルチャーの核心にあるのは、DJとダンスフロアの間で循環するエネルギーであり、ブースだけに焦点を当てては捉えきれない。Witching Hour Archivesはクラブ文化をスペクタクルとしてではなく、生きた儀式として記録し、クラブの闇の中で生まれる神秘的なエネルギーの循環を記録することを目的として立ち上げられた。

改造されたカメラと、パフォーマンス的なナルシシズムや「主人公気取り」の行動を引き起こさないよう工夫された設置方法や撮影アングルを用い、フロアの暗さとDJやクラウドの匿名性を確保しながらも、可能な限りフロアのありのままの姿を記録することを実現。SNSでのバズを目的としたものとは一線を画した、文化の記録のためのチャンネルとなっている。

今後、コミュニティーによる自律した運営を継続できるよう、運営費をカバーするためのグッズの展開も予定している。
ロゴのデザインには、「暗闇を記録するためのカメラ」「魔術的な力/マジックサークル」「アンダーグラウンドコミュニティのネットワーク」という3つの意味が込められている。

初回の配信としてローンチと同時に、6月に渋谷のStudio Freedomでコロンビアからラテンコアの旗手CRRDRを迎えて行われた、ハードコア・クィアパーティー「FETCH」のプライドマンススペシャルの記録が公開されており、今後もコンスタントにパーティーを記録し、公開していく予定となっている。
是非InstagramとYouTubeチャンネルをフォローして、今後のアップデートを見逃さないようにしてもらいたい。

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Founding members (A to Z)

DJ POIPOI
glico
kotono in midnight
Mars89
MAYUDEPTH
SUNNOVA
TEI TEI
Yuri Kim
Yusuke Maeno

Art Director : Mars89
Movie Director : SUNNOVA
Sound Engineer : Yuri Kim

Cecil Taylor/Tony Oxley - ele-king

 予感。沈黙の縁にぶら下がりながら、同じ旅路を託したその相手がいつ応答するのかを思いめぐらす。セックスよりも自発的に。私はセシル・テイラー(1929年生 – 2018年没)をいちどしか見たことがないが、彼の最大のパートナーが沈黙と予感であることを知っている。セシルは、1956年以来、フリー・ジャズ、あるいはファイア・ミュージック、あるいはファー・アウト・ミュージック——呼び名が何であれ——の背後にある比類なき自然の力であり、ピアノを携えて、またバンド・リーダーとして、セシル・テイラー・ユニット名義や数多くのソロ演奏によってアブストラクト・ジャズの急進的な運動を先導した。セシルの人となりは豪快で知られている。彼のピアノ演奏もまたそうで、旋律と不協和のまったく独自の言語を作り上げた。その強度において彼に比肩しうるのは、サン・ラーの音楽だけである。

 このアーカイヴ音源でのトニー・オクスレイ(1938年生 – 2023年没)は、セシルと息を合わせる共演者、あるいは乗客である。なぜなら、1988年に録音されたこのデュオ作品『Flashing Spirits』においては、未知の領域を切り拓いていくべく舵を取っているのはセシルだからだ。『Flashing Spirits』は今年の7月にひっそりとリリースされたため、一見すると大きな出来事には見えないかもしれない。しかしジャズの連続体のなかで捉えれば、その意義は間違いなく重大であった。1988年は、トニー・オクスレイとセシルの長きにわたる友情と音楽的パートナーシップのはじまりを示す年なのだ。
 このふたりは、すでにそれぞれの国においては高く評価される革新者だった。セシルが1960年代初頭にアヴァンギャルドのピアニストへと変貌した一方で、イギリスではトニーがデレク・ベイリーや、多くの仲間たちとともに「Company」録音やその他の作品に参加し、〈インカス・レコード〉からリリースされた(たとえば1975年に発表された彼自身の名を冠した素晴らしいアルバムのような)数々の作品によって進化を遂げていた。テイラーと同じく、トニーも数多くの輝かしい録音を生み出している。したがって、両者がステージを共有することが、活動開始から20年以上も経ってからであったという事実は、きわめて注目すべきことなのだ。

 1988年の夏、セシルはベルリン市の要請を受けて、ドイツ・ベルリンで1か月にわたる連続コンサートに参加した。そしてトニーと組まされたことで、花火が打ち上げられた。7月17日、彼らは初めて演奏し、その最初の魔法は『Leaf Palm Hand』として解き放たれた。『Flashing Spirits』はそれからわずか2か月後のことである。その事実だけで、彼らの相乗作用がいかなるものであったかを示すに十分であろう。なぜなら「ときおり共演する」という音楽上のパターンは、しばしば物事を新鮮に保とうとする前衛的音楽家たちの選択肢だからだ。
 ゼロから出発し、ゆっくりと構築していく——形が現れはじめるとともに予感の障壁を取り払っていく。その「ことが動き出す」までには、およそ2分半を要する。しかしこの文脈において「動き出す」という言葉は理解しにくい。というのも、そこには激しい綱引きがあり、一定したダウンビートが存在しないからである。

 この録音は単なるドキュメントにすぎない。そしてこれは、はじまりがわかっていて終わりに酔いしれるクラシック音楽でもヘヴィメタル音楽でもない。これは運動体としての、本当に生きた音楽なのだ。そして聴き手は、セシル・テイラーの両手が鍵盤を駆け抜け、明確な旋律がいくつもの音域でピンポンのように反響するのを見ながら、椅子の端に腰掛けて右へ左へと視線を走らせる子どもにならねばならない。セシルは座っているが、完全に座っているわけではない。なぜなら、どんな新しいアイディアも彼を飛び上がらせるかもしれないからだ。彼はトニーに盗み見るような視線を送るが、トニーの方がむしろセシルに注意を払っているだろう。というのも、彼は「このマザーファッカーはクレイジーだ」とわかっていて、セシルがいつ気を変えるかわからないからである。

 あなたがこの音楽にピンこないのないのなら、私は無理に好きになれとは言わない。だが、もしこれがあなたにとって日常の糧であるならば、クール・ジャズのレコードとこれとの違いを、心の奥底ではすでにわかっているはずだ。ひとつは、煙草を吸い、特別な香りのワインを手に恋人とともにくつろぎ、あるいは笑い合いながら楽しむためのもの。だが『Flashing Spirits』のような録音は、まったく別の物語だ。それは、普通の人間が入り込むことのできない場所への入門である。まさにそのために、私は『Flashing Spirits』のようなジャズをひとつのコード(暗号)だと感じる。最初は判読不能だが、集中(そしておそらく多少の献身)をもってはじめて理解することができる。プログラミング言語や宗教的なイニシエーション(入門儀礼)と同じように。入門を果たした者たちは、この録音を持っていることの幸運を知るだろう。そしてなんてことだ、この音の素晴らしさ! ドラムとピアノは驚くほど明瞭で、まるで自分が彼らの目の前に座っているかのように感じられる。私はセシルのレコードを山ほど聴いてきたが、これは間違いなく自分のトップ10に入る作品だ。

 少しのあいだ、私の脳は問いかけていた——なぜだ? なぜこれは良いのか? なぜ私は惹きつけられているのか? いったいなぜ? そして私は再び聴きはじめた。深いリスニングを。特製のノイズキャンセリング・ヘッドフォンをつけ、街を歩きながらフレーズを拾い上げると、セシルの後継者たちを気取る新しいピアニストと、セシル自身との違いを聴き分けることができた。セシルは旋律に囲まれて育ったのだ。ゴスペル、ブルース、クラシック、その他いろいろ。旋律の中心から、セシルはカコフォニー(不協和音の奔流)を抱きしめ、そしてそれを抱きしめたとき、彼は自身に刻み込まれた旋律を一緒に連れていった。これはノイズではない。彼は若き日のすべての旋律をリミックスして、新たなチョコレートケーキへと仕立て上げ、旋律を刻んでは歪めているのだ。だから、あの狂騒と混沌を通しても、私は旋律の断片を次々と、かたまりごとに聴き取ることができる。私の母には決して聴き取れないだろうが、それでまったく構わない。

 これは録音されたのは1988年、英国での〈Outside in Festival〉、そのときセシルは58歳か59歳だった。その事実をもういちどよく考えてほしい。私は、39歳で膝や背中の痛みを口にする人びとを知っている。トニーは少し若く、およそ50歳だった。だが私は、30歳で階段を上るのにも苦労する若者を知っている。このアルバムは、その鮮烈さや旋律的な気迫や激烈さ、あるいは「ジャズ的時代精神」の体現として——ファイア・ミュージックの誕生から20年を経た後で演奏されたにもかかわらず——十分に鼓舞的であるはずだ。仮にあなたを鼓舞しないとしても、より深いリスニングと、そして何より「身体を動かすこと」の大切さを思い出させてくれるだろう。


Anticipation. Hanging on the edge of silence wondering when the person you have entrusted to go on the same journey with you will respond. More spontaneous than sex. I have only seen Cecil Taylor (b. 1929 - d.2018) once but I know that his greatest partner is silence and anticipation. Cecil, the preeminent force of nature behind free jazz or fire music or far out music or whatever you may choose to call it since 1956, spearheaded the radical movement with the piano and as band leader in abstract jazz with numerous releases under his Cecil Taylor Unit and solo performances. Cecil`s personality is known to be brash and so is his dominance on the piano making a totally unique language of melody and dissonance that is only rivaled by Sun Ra`s in its intensity.
For this particular recording, Tony Oxley (b. 1938 - d. 2023) is his focused co-partner or passenger since it is Cecil who is navigating very extraterrestrial terrain here in this 1998 duo recording titled “Flashing Spirits” (Burning Ambulance Music) released this past July. “Flashing Spirits” with its quiet release, doesn’t seem monumental but in the jazz continuum, it was. 1988 marked the beginning of Tony Oxley and Cecil’s long friendship and partnership in music. This despite each of them being highly respected innovators in their respective countries. While Cecil transformed into THE avant gardist pianist in the early 1960`s, over in the UK, Tony was evolving with the likes of Derek Bailey and many others who participated in the Company recordings and other releases put out on Incus Records (like his brilliant self named record put out in 1975) in the late 60`s onward. Like Taylor, Tony created numerous brilliant recordings so it is quite remarkable that neither shared the stage til 20 plus years after they began.

It was the summer of 1988 that Cecil took part in a month long series of concerts in Berlin, Germany at the request of the city and in being matched with Tony, fireworks were set off. On July 17th, they first performed and that initial magic was released as “Leaf Palm Hand.” “Flashing Spirits” was only 2 months later. That alone should illustrate their synergy as the pattern in music of “occasionally collaborating” is often the chosen course for left field musicians aiming to keep things fresh.
Starting from zero and slowly constructing, taking away the barriers of anticipation as the forms begin to appear, it takes nearly 2 and a half minutes before things are “going.” But “going” is a difficult word to understand in this context because there is a vicious tug of war and no consistent downbeat.
This recording is just a document and this is not classical music or heavy metal music where you know the beginning and revel in the end. This is kinetic really live music and you have be the kid sitting on the edge of his seat looking back and forth at Cecil Taylor as his hands wiz past keys and clear melodies ring ping ponging on numerous registers. Cecil is sitting but not exactly, because any new idea might make him jump. He will sneak glances at Tony but Tony is more likely to be paying attention to Cecil cause he knows “this motherfucker is crazy” and may change his mind at any minute.
If you don`t like this music then I can`t convince you. But if this is your bread and butter, then you should already know at heart the difference between a cool jazz record and this. One is for smoking and getting chill or giggly with a significant other over wine with a special scent. Recordings like “Flashing Spirits,” are a totally different story. They are initiations into places the average person cannot enter. It is because of this that I feel jazz like “Flashing Spirits” is a code. Illegible at first, it takes concentration (and maybe a little dedication) to be able to comprehend. Similar to any coding language or religious initiation. Those initiated will know they are lucky to have this recording and damn, the sound for this is gorgeous. The drums and piano are pretty freaking clear and it feels like I am sitting right in front of them. I have listened to a bunch of Cecil records but this is definitely going in my top 10.
My brain for a minute was even was asking why? Why is this good? Why am I engaged? Freaking why? And then I started re- listening. Deep listening. Walking down the street with my special noice-cancelling headphones on picking up on the phrases and I could hear the difference between new pianists that try to sit on the mantle of Cecil and Cecil himself. See Cecil grew up surrounded by melody. Gospel, blues, classical and what not. From the center of melody Cecil embraced cacophony and when he did, he took his engrained melodies with him. This isn`t noise. He is remixing all the melodies of his youth into a new chocolate cake with melodies chopped and screwed. So through the frenzy and the chaos, I still hear chunks and chunks of melodies. I am sure my mother wouldn`t but that`s just fine.
When this was recorded in 1988 at the Outside In Festival in the UK, Cecil was 58 or 59. Please read that sentence again cause I know people who are 39, talking about pains in their knees and backs. Tony was a little younger at 50 approximately. Still I know kids who have difficultly walking up stairs at 30. If this record isn`t inspiring for its vibrancy or melodic swagger or intenseness or jazz zeitgeist nature despite being performed 20 years past the birth of fire music, then it should be an inspiration to practice more deep listening and most importantly, to exercise!

FINALBY(   ) - ele-king

 ∈Y∋(BOREDOMS)を中心とした異次元的なプロジェクト、FINALBY(     )の公演が新宿歌舞伎町のZEROTOKYOにて開催される。すでにFUJI ROCKや大阪・味園ユニバースにて、その圧倒的なライヴを披露したFINALBY(     )の待望の東京でのライヴだ。本公演では、COSMIC LABとFaith PropertyによりZEROTOKYOに常設されたXRヴィジュアル&ライティング・システムを基盤に、音響・映像・照明が完全に連動し、観客を未知なる感覚の領域へいざなう。必見です!

FINALBY(   )
∈Y∋ (BOREDOMS) ∞ COSMIC LAB ∵ KANTA HORIO ∅ TAIKI NIIMI

アンダーグラウンド・ミュージック・シーンで世界的な影響力を持つ『
BOREDOMS』のフロントマンである∈Y∋、空間表現によって認知の拡張を探求するオーディオ・ヴィジュアル表現の追求者COSMIC LAB(C.O.L.O主宰)、音とマシンの関係性を追求するアートエンジニアHORIO KANTA、回路設計から音響合成まで行うプログラマーのNIIMI TAIKI によるユニット。FUJI ROCK FESTIVAL’21での初演はフジロック史上で最も異質なステージと称され、今年3月には香港アートウィーク、そして7月には大阪・味園ユニバースの70年に渡る歴史にピリオドを打つ伝説的な公演を完遂。
※読み方(ファイナルビーエンプティ)


「FINALBY(     )が、未確認超越体験として、再び転生!!!!!!!」
宇川直宏(DOMMUNE)

2025年7月5日…..味園ユニバースは、大阪・千日前での70年の歴史に幕を閉じた。BOREDOMSの∈Y∋とCOSMIC LAB率いるFINALBY(     )は、自らを"おくりびと"と化し、この連綿と続く記憶と痕跡のサイケデリックな文化地層を大気圏の向こうへと見送った。70年の長きにわたる千日前の文化地層を崇め、祀り、XRの魔法を駆使して先鋭な祈りで葬り弔ったこの歴史的法要は、今後の大阪の文化史にとっても大きな意味を持つだろう。心沈める葬列ではなく、心躍る式典を経て、ユニバースは超越的なレクイエムを捧げられ、概念宇宙となった!!!!!!!

そして、2025年10月25日…この時空超越装置が東京・歌舞伎町に突如現出する!!!!! 概念宇宙と化したユニバースは、ネオンに溶けた欲望と情念の密林を突き破り、重力を説き伏せた未確認超越体験として、再び転生するのだ。そう、そこにもここにもあそこにも時空の歪みを切り裂いてFINALBY(     )は立ち現れる!!!!!!! この夜、ZEROTOKYOは、"千日前の記憶" を歌舞伎町という身体に再インストールする。アカシックレコードも、タイムカプセルも、量子コンピューティングも、霊界パノラマも、集合無意識をも飲み込んだ、このXRアセンションを召喚せよ!!!!!!!


「FINALBY(     )は、一つの時代の終わりと始まりを告げる何かとして現れる。」
藪前知子(キュレーター、東京都現代美術館学芸員)

コロナ禍がようやく終わる兆しを見せた夏、FUJI ROCK FESTIVAL ‘21のWHITE STAGEのコアタイムに、FINALBY(     )は唐突な異様さで現れた。そのパフォーマンスは、ヴァーチャルとフィジカルが渾然一体となった強烈な配信映像とともに、この停滞期の最も重要な文化的事件の一つであったといえる。
そして今年の7月、大阪のディープスポット味園ユニバースの最終営業日、私たちは、光と影に彩られた70年間の歴史的空間が、オープンエンドな未来へと引き渡される様を目撃した。
FINALBY(     )は、一つの時代の終わりと始まりを告げる何かとして現れる。その世界では、デバイスオブジェクト自体が意志を持った主体となってオーディエンスに働きかける。
それらは仲介者である∈Y∋と共に、地球の自転がもたらす力の作用を受け、音の渦を生み出しつつひたすら一方向へ回転しつづける。儀式のようにはじまったその空間に身を委ねるうちに、私たちの意識は、(∈Y∋がフジロックでぶん投げた(サ)コーンのように)、高速で遠くに弾き飛ばされる。次は新宿・歌舞伎町から、どこか知らない宇宙の始まりへと。


ZEROTOKYO
東急株式会社、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントによる合弁会社である株式会社TSTエンタテイメントが運営する、ZEROTOKYO / Zepp Shinjuku(TOKYO)。エリア最大級である1500人のキャパシティを持ち、さらに、COSMIC LABとFaith Propertyが構築した最新の映像・照明システムにより、この場所でしか味わえない臨場感あふれる音楽・映像体験を可能としている。多種多様な文化で今や世界にその名を轟かせる新宿・歌舞伎町らしく、様々なジャンルの音楽アーティストを招聘し、ここにしかない音楽ライブ・エンターテイメント・コンテンツを国内外に発信する、東京を体現する新しい施設。

COSMIC LAB
映像作家 C.O.L.Oが主宰するライブ・ヴィジュアル・ラボラトリー。可視と不可視が交わる体験を通じて認知の拡張を探求。∈Y∋(BOREDOMS)とのオーディオ・ヴィジュアルライブやJEFF MILLSと共同制作を務めた舞台芸術作品「THE TRIP」、総勢100名に及ぶ僧侶の声明とヴィジュアルアートが融合した「高野山1200年の光」などの代表作がある。ポストXR(エクスパンデッドリアリティ)に焦点化してフィジカルとヴァーチャルの境界が消失する視覚演出システムを構築し「ZEROTOKYO / Zepp Shinjuku (TOKYO)」へのインストールを手掛けた。


FINALBY(     )オフィシャルサイト:
https://www.finalby.net/

開 催 概 要

名 称:
FINALBY(     ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED
presented by COSMIC LAB & TST Entertainment

会場:
ZEROTOKYO

日程:
2025年10月25日(土)
OPEN 17:30 / START 18:30 / CLOSE 20:30

出演:
FINALBY(     )
∈Y∋ (BOREDOMS) ∞ COSMIC LAB ∵ KANTA HORIO ∅ TAIKI NIIMI

チケット :
EarlyBird 早割入場券 : ¥5,000
発売開始:2025年8月27日(水)〜
※ 規定枚数に達し次第、期間中であっても発売終了となります。

【 一次 一般前売り入場券 】¥6,500
【 U25 前売り入場券 】¥5,000
※EarlyBirdチケットの規定枚数が終了次第、発売開始いたします。
※ それぞれ規定枚数に達し次第、発売終了となります。
--チケットリンク(ZAIKO)-
https://cosmiclab.zaiko.io/e/finalby


主催:
株式会社TSTエンタテイメント
企画:
COSMIC LAB
助成:
公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京【芸術文化魅力創出助成】
プロジェクトパートナー(AtoZ):
AUGER / 有限会社ボアトロニクス / DOMMUNE株式会社 / FACETASM / 株式会社フェイス・プロパティー
後援:一般社団法人ナイトタイムエコノミー推進協議会
連携:DOMMUNE KABUKICHO / BENTEN 2025 Art Night Kabukicho


イベントオフィシャルサイト:
https://expanded.cosmiclab.jp/
FINALBY(     )オフィシャルサイト:
https://www.finalby.net/


Movie :
FINALBY(     )- FUJIROCK FESTIVAL’21 WHITE STAGE | Digest movie
https://youtu.be/WINPSZHqHG4?si=JxXIC47-lhaRG6a_&t=26

COSMIC LAB
https://www.youtube.com/@CosmicLab

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