「坂本龍一」と一致するもの

interview with Satoshi Tomiie - ele-king


Satoshi Tomiie
New Day

Abstract Architectur

House

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 ハウス・ミュージックの生みの親、フランキー・ナックルズにその才能を認められ、ハウス・シーン興隆の時代から現在まで世界の第一線で活躍しつづけるサトシ・トミイエ。90年代に世界中のハウス/R&Bファンから熱い支持を受けたデフ・ミックス・プロダクションズで不動のキャリアを確立した彼は、その豪華でソウルフルな表現から離れることをみずから選び、脱皮するようにスタイルを変化させてゆく。
 日本人でありながら、黒人文化から派生したハウス・シーンの中心で活躍した彼にとって、歌、とはなにか。なぜ徹底的に音を削ぎ落としてゆくのか。PCでのDJからレコードに回帰して見えてくるものや、いまだからこそアナログ機材に向き合うおもしろさ──。先日発表されたばかりのセカンド・アルバム『New Day』について、そして現在のハウス・シーンの状況も含めた幅広い内容について訊ねることができた。

東京出身のDJ、プロデューサー。1989年、故フランキー・ナックルズとの伝説のコラボレーション作「Tears」でデビュー。NYへ渡りDEF MIX PRODUCTIONS の一員としてハウス・ミュージックの礎を築き、ロバート・オーウェンズなどのアーティストとのコラボや、『Renaissance: The Masters』シリーズなどのミックス作品の発表、坂本龍一、デヴィッド・ボウイ、マイケル・ジャクソン、マドンナ、マライア・キャリー、U2ら有名アーティストへのリミックス・ワークなど、25年を超えるキャリアをつねに一線で活躍してきた。2015年、セカンド・アルバムとなる最新作『New Day』をリリースする。

いまは何でもできるから、逆に何でもできないほうに行ったのかもしれないです。

今回アルバムを聴かせていただいて、以前からの印象もあるのですが、ものすごく削ぎ落された曲作りを追求してらっしゃる印象があり、またシカゴ・ハウス的な雰囲気も感じました。収録曲のリミキサーにシェ・ダミエ(Chez Damier)やロン・トレント(Ron Trent)、DJスニーク(Sneak)といったシカゴ勢も起用していますし。でもデフ・ミックス・プロダクションズ(Def Mix Productions)に加入してバンバンやってらっしゃった頃のトミイエさんとは対極的な音ですよね。ただ、その当時もシカゴ・ハウス、というものも存在していたわけで……。この当時のトミイエさんにとっては、シカゴ・ハウスというのはどんなふうに聴こえていたのでしょう?

サトシ・トミイエ(以下S):たぶん、ちょうどこのときは、そういう流れが80年代の中盤から終わりにかけて盛り上がったあとだったので、ちょっと違うものをやりましょう、みたいなところはあったのかなと。時代的にも、すこし音を重ねる感じのプロダクションが流行っていましたよね。いろんなNYのリミキサー、たとえばマスターズ・アット・ワーク(Masters At Work)でも、ちょっと音が重なった感じで、すごいメロディがいっぱいあって。あと(シカゴ・ハウスに対して)こんなにシンプルでいいの? みたいな気持ちでしょうか。じつはそっちの方が難しかったりするんですけどね、ミニマルの方が。でも作っているほうは、時代的に考えても機材がいっぱい使えるようになって、かつそれで一日50万もするスタジオで作業をするのがわりと普通になるなかで変わっていったんじゃないでしょうか。

ただ、いまのトミイエさんはひとつひとつの機材やハードウェアと向き合って、シカゴ・ハウス的というか──たとえばラリー・ハード(Larry Heard)がシンセとか、打ち込みのものでしかできない美学みたいなものを追求していったような方法をとっておられるな、という印象があります。

S:いまはDAWだから、回しっぱなしにして、適当にやって、「いまのよかったな」ってところを取って、そこから曲を構築するみたいなことができる。以前もテープでできたけど、ループとか、その場でサンプラーで録って、とか、えらく面倒くさかった。だからそういうところよりは音のレイヤーなんかで違いを出そう、というほうが多かったですね。たぶん、そういう意味では使える機材にも左右されているのかもしれない。
で、いまは何でもできるから、逆に何でもできないほうに行ったのかもしれないです。制限があった方がチャレンジしようとするので。たとえば、シンセひとつでどこまでできるか、とか。実際はシンセひとつだけじゃなくて、DAWがあって、そのなかでいろいろできるから、なにかを中心にしていろいろ足していこうというようなこともできるし。で、あとはやっぱりこう、マウスで編集したりだとか、すごく感覚的ではないし。

そう、その、「感覚的」っていうところに最近は向かってるのかな、というイメージがすごく強いですね。

S:そうですね、もともと感覚的ですけどね(笑)。で、たとえばマウスだったら1回に1個のパラメータしか動かないのに対して、手だといくつか同時にできたり。いわゆる偶然性みたいなものを、いまはどんどん記録できるので。音をどんどん足さなきゃならないんじゃないかって迷っている時期もあったんですよ。この少ない機材でいいのか、みたいな。でもなるべく音を削ぎ落す方向に行って、それがいまはもう、迷いがなくなった。最初のアルバムが出て、ちょうど15年経ったんですけど、その間にどんどん音が薄くなっていったから。で、ひとつひとつの音をこう、立たせるほうにね。

今回のアルバムは、家で聴くと優しい印象もありますが、大バコで機能する鳴りを考えてらっしゃるなと思ったんですよね。トミイエさんはもう何千人規模の場所でのギグも多いですから、じゃあどういう音が鳴って気持ちいいのか、とか、そういう点をすごく意識してらっしゃるなあとは感じたんですけれど。

S:まあ、そうなんですけれども、音楽によって全部が大バコ対応ではないから。とはいえミキシングとかエンジニアリングは、もう、一生勉強なので。いまでも「こうすればいいのか!」という発見はあるし。僕はエンジニアリングの教育は受けてなくて、人がやっているのを見て、「ああ、こうやってやるのか」みたいに学んでいったので、けっこう適当なところもあるんです(笑)。


ミキシングとかエンジニアリングは、もう、一生勉強なので。

そのあたりが、いま楽しい、っていうことなのですかね?

S:そうですね、楽しい。またそうやって突き詰めると、アナログのアウトボードがいっぱい欲しいな、とか思ったりね。(実際は)プラグインでほとんどやってますけど、アナログをわっと並べるみたいなのも楽しそうだな、とか。でもメンテも大変だしね。メンテは大変だよ、もう、暑くなるしね。

Instagramで、ウーリッツァを弾いてらっしゃいましたよね。ウーリッツァとかもけっこうメンテナンスとかって大変ですよね?

S:ローズも以前から持ってるんだけど、ウーリッツァのほうがリードが折れやすいので、それもあって最近までゲットしなかったんです。いまでもパーツは買えるし、パーツ自体大した金額ではないんですけどね。アンプも含めて基本的な構造はシンプルなので直そうと思えばけっこう自分でもいけそうですけど。

今回ウーリッツァでソロを弾いたものも入れてらっしゃいますよね。“Odyssey”とか。

S:“Cucina Rossa”はリアルなウーリッツァ弾いてますが”Odussey”のソロには間に合わなかったので、あれは、ヴァーチャル音源。手で弾いてますけどね。でも、そう言ってしまうと結局のところはプラグインでいいじゃん、っていう話になるんだけど、実機はやっぱり楽しいので。そういうところですね。突き詰めれば、できるかできないか、ではなく、楽しいか楽しくないか、というところにいってしまいますよね。

“Cusian Rossa”でチェリストの方に多重録音してもらったとのことですが、そういう手間というのも楽しいというか、それがおもしろいという部分もあるということですね。

S:もちろん。以前ならオーケストラで、「せーの!」ってやってたことを一人のミュージシャンでできる。すごいなあと思いますね。しかもスタジオは3~40年前のスタジオで、そのときあったのと同じ機材でね。まあ、ああいうことができるのはPro Toolsがあるからなのだけど。
でも、当時やろうと思わなかったのは、同じ作業をするのにテレコが3台とか4台とかいるから、 作業効率的に考えてむしろオーケストラ25人雇った方が早い、みたいな。そういうテクノロジーの進化とこれまでにある技術の融合というところが、まあ、おもしろいかなと。で、いろいろできるからこそ、音がどんどん減ってゆく。

生音を今作に入れたのは、そのストリングスだけですか

S:結局そうですね、他にやってないですね、たぶん。

あとはもう、シンセと、ドラム・マシンと。

S: そうそう、そうですね。


やっぱり自分が楽しめないものは、人に対しても説得力がないと思うから。

トミイエさんを昔から知ってらっしゃる方には、デフ・ミックス・プロダクションズ(Def Mix Productions)ってピアノの印象がすごく強いので、トミイエさん自体にもピアノのイメージがあるかと思います。でも、ピアノを使った作品ってあんまり作っていないですよね。

S:まあ、一回やったからいいかな、っていうところがあるかな。

ダンス・ミュージックにおいて、ピアノの使われ方のパターンがけっこう決まってきてしまっている……っていったら変なんですけれども、そういうところにチャレンジ性がないからやらないのかな、って思いました。

S:そうですね、その通りです。

なんかもう、バンバン、と(和音を)打って、バンバンと盛り上げて、軽くヒットになってしまう。そういうことはできてもやらない、っていう話ですよね。

S:たぶん、自分自身アガらないと思うので。それをやってもね。

では基本的には自分自身がアガることしか、やれないっていう?

S:まあ、じゃないと音楽がよくならないと思うので。やっぱり自分が楽しめないものは、人に対しても説得力がないと思うから。「あんまり美味しくないと思うけど、どうぞ」みたいな(笑)。作っている人は「まあまあかな、でもみんな好きらしいしどうぞ」みたいな感じだとね。

でも、トミイエさんも感じてらしてらっしゃると思うんですけれど、多くのクリエイターが、売れるだろうからっていう要素を、「これが売れるよね」っていう感じでつくっていたりもしますよね。

S:いや、どうかなあ

純粋に楽しんでやってると思います?

S:EDMとかで売れてるものを作る人たちは、あの曲を作るのがすごい楽しいんだと思いますよ。

ああ、でもスティーヴ・アオキ(Steve Aoki)とかデヴィッド・ゲッタ(David Guetta)とかも、これからはディープ・ハウスをやる、なんて言っていたという話も聞きますよね。

S:飽きたんじゃない(笑)? 新しいディープ・ハウスっていわれているものを聴いたけれど、EDM延長線上にある感じで、少し地味になったヴォーカル・ハウスというか。そういうやつを長く聴いている人が聴くと、なにこれ? みたいな。

あの、〈スピニン・レコード(Spinnin’ Records)〉から出ている曲が、「ハウス」って書いてあるけど、音はEDMじゃん、っていう?

S:そうそう。だから、たぶん、ブランドを変えてるだけで。

私はそれが、売れつづけたいのかなっていうふうにみえちゃうんですよね。

S:まあ、それはそうでしょう。でも、トランスをやっている人が、「俺の音楽はトランスではない」って言っているようなこともあると思うんですよね。ずっとトランスで終わりたくない、っていう。以前に比べたらぜんぜん人気がなくなってきてるから、そう言われたくないというのもあるんじゃないかな。
あとはもう、やってて飽きたとか。まあ、やってる音楽は同じで、レーベルだけ違う、ってことじゃないかな。こう、ステッカー張り替えてね。


いつの時代もあることだけど、「ハウス」だと売れないけど「テック・ハウス」って付けると売ける、とかね。

まあ、そういう感じは言えますよね。ハウスって言った方が売れるんじゃないか、っていう。

S:そうそう。なんか、いつの時代もあることだけど、「ハウス」だと売れないけど「テック・ハウス」って付けると売ける、とかね。〈Beatport〉とかのタグ付けで。それで今度は「テック・ハウス」じゃなくて「ディープ・ハウス」という名前が売れ線ということになると、同じ音楽なのに「ディープ・ハウス」って付ける。

そうですね、試聴してても、「ディープ・ハウス」と「ハウス」、ジャンル分けで聴いても、なんかもう意味がわからなくなってくる(笑)。

S:そうそう。マーケティングがかなり絡んでくるから。でも音楽そのものはそんなに変わらなかったりするので。

そうなんですよね。トミイエさん自身としては、タグ付けするとしたら今回のアルバムはどれにしますか?

S:もう、昔からずっと、「いまどんな音楽やってるの?」「ハウスです」みたいな。結局は「ハウスです」って言ってますね。〈Beatport〉でもそうしていると思いますよ。でも、たとえばマーケティングにおいては「ディープ・ハウス」にしろとか、そういうのはあるかもしれないですね。

私はタイトル曲の“New Day”が本当に好きなんですよね。10年前とかに主流だった、まあいまでも私が聴いているUSハウスとかはそうですけれど、こう、歌ががーって盛り上がったら同じようにトラックが盛り上がって、という歌ものハウスとは対照的で。“New Day”はヴォーカルにしても、歌い上げるというよりはちょっと抑制されたというか、すごく繊細というか。で、トラックもそれに合わせていっしょに盛りあがっていくというよりは──

S:淡々としている。

ええ、逆に熱を冷ましていくことで美意識が生まれていくというような。本当に、トミイエさんは歌ものがお上手だな、と思うんですよね。

S:じつは、そんなに好きじゃないかもしれないですね。歌を作るのが。

そうなんでしょうね、って思うんですけれど。

S:(笑)


ヒップホップのときがそうだったんだけど、やっぱり、文化から入っていかないと簡単に理解できないような気がして。

その、歌っていうものに熱を入れすぎてないと言うと言いすぎかもしれませんが、歌をひとつの楽器のような解釈で考えていらっしゃるから、ああいうバランスができるのかなって思っていて。

S:そうです、その通りです。歌物は、たとえばソウルフルな歌物とかも過去にはやってたんですよね。でも、そういうのが実際にできる/できないではなく、なんて言うのかな……、ちょっと文化的な問題もあるから、ブラック・カルチャー的な。音楽が好きでも、自分がやるとなるとちょっと違うかな、というところもあるし。いわゆる「ソウルフル・ハウス」みたいなね。昔はけっこうあったでしょう? 黒人白人問わず、ソウルフルな歌のやつで。

もうTraxsourceでいまでもバンバンだしているような。

S:そうそう。で、ヒップホップのときがそうだったんだけど、やっぱり、文化から入っていかないと、簡単に理解できないような気がして。たとえばコミュニティ感とか。ヒップホップなんて本当にね、地元のあんちゃんが集まって、ムーヴメントを作り出したというようなところがあるでしょう? で、音はカッコいいけれど、そういうところで最終的には入っていけないのかなっていうのもあって、ヒップホップからハウスにいったんです。はじめはヒップホップでスクラッチやってたのね。それで、ハウスに出会ったときに、こっちの方が合ってるかも、って思った。それは、もっと音中心というか、なんて言うのかな、匿名性があったからというか。解ります?

わかります、もっとこう、ひとつの人種だったり文化だったりに固執していないような感じというか?

S:なんか、自分的に近いような気がして。

教会で歌ってる、みたいなのや、ポジティヴに生きよう、とか、そういうところで自分は生まれ育っていない、という?

S:そうそう。だから音楽そのものにとどまらない、ヒップホップのカルチャーそのものが自分の文化じゃない気がして。自分は生まれも育ちも東京の郊外でヒップホップのコアな文化とはもちろん無縁(笑)、どんなに音がカッコいいと思っても、音の先にあるカルチャー的なものは遠くにいるしやっぱりちょっとわかんないよな、って思っていました。黒人音楽への興味や憧れからダンス・ミュージックに入ってきてるんだけれど、最終的には、そこのコアなカルチャーの一員ではないので。ただそこから生まれてきた音楽や方法論とかは好き、っていうことなんだけど「これはもしかして、俺のやることではないかもしれない」っていうのは、やってみてわかったことです。少しずつエレクトロニックなほうに行ったのはその反動ですね。

ただ、最近の〈Beatport〉でウケている、たとえばテール・オブ・アス(Tale Of Us)みたいな感じの──私はああいう世界観は好きなんですけれども──

S:自分も好きですけど、音楽的にはロック方面から来てる感じしますよね。たとえば、〈ライフ・アンド・デス(Life & Death)〉とか。あとはテクノとかでも最近人気な人たち。言ってみればプログレッシヴ・ハウス的な。

マセオ・プレックス(Maceo Plex)とか?

S:マセオ・プレックスもそうだし。文脈的にいうなら、ダンス・ミュージックといっても、いわゆるソウル・ミュージック系ではなくてどっちかというとロックだと思うので。だからビートが似てて、使ってる楽器も似てるけど、いわゆるソウルフルさとは違う印象。

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少ない音でいかにおもしろくするか、っていうほうに行ってますね。「グルーヴ感、命」みたいな、方向なんですけど。


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そうですね、でもその“New Day”に関しては、黒か白かというよりはなんか違う──わからないんですけれど、黒いという印象ではなかった。

S:あれもヴォーカリストがロックの人だし。ソウルフルなものというよりも、なんかこう、ああいうヴォーカルが、当時作ってたものに合ったので、ばっちりかな、って。

そういうロック的な歌で、“New Day”みたいなヴォーカルものをつくるっていうことに対してはどうですか。バンバン作っていこう、っていう感じでもあまりない?

S:ない。ないっすね(笑)。

やっぱり、インストをこう。

S:インストで、より、音を少ない方向に。まあ、少ない音でいかにおもしろくするか、っていうほうに行ってますね。「グルーヴ感、命」みたいな、方向なんですけど。

ただ、やっぱりフロアで機能するグルーヴ感っていうのを作るとなると、どうしても足したくなりますよね。

S:そうですね、その通りです。

それを、足さずに足さずに、いかに作っていくかっていうことですね。

S:まあ、フロアで機能するだけのグルーヴは残しつつ、っていうことです。そこがメインで。で、無駄なものじゃないんだけど──あってもいいんだけれど、なくてもいいものってありますよね? そのなくてもいいものを削ぎ落していったときに、何ができるかなっていうことも考えているかもしれません。まあ、たとえばドラム楽器。自分の作った曲のなかでも「あれ、これってこの3トラックだけ聴くとカッコいいな、で、この、これとこれ、この3つのトラックを足すと、ぜんぜん違ったグルーヴ感だな」って、そういうのがあるでしょ。その3トラックで聴いているグルーヴ感みたいなところをちょっと延ばして、そしたらどこまでできるかな、みたいな。そういうことがおもしろいなって思います。逆に、機械でいろいろできちゃうから、音が少ない方が一音一音が立っていく。そっちのほうがおもしろいなあって思わないですか?
本当に、何でもいいから作れ、っていうのは簡単だから。ループとかそのへんにいくらでも落ちてるし、できあいのものもいっぱいあるし。音なんて、前みたいに一生懸命作らなくてもいいし。だったらね、逆にそういうほうがやってておもしろいわけじゃないですか。
でもアルバムに関して言えば、「ダンスフロアで機能する」という、自分のやってきた音楽の前提が見えるものではありますね。曲と曲がフロウするように、という。DJセットでやる場合も、1曲掛かって、その一方でぜんぜん関係ない曲が掛かって、ってなっちゃうと、踊ってるほうも踊りにくいしね。それを自分の作品でやるには、こうかな、って。

えっと、アルバムの中でもアシッド音を? ええとTB-303、いまはTB3を使ってらっしゃるんですかね?

S:TB3持ってないです。TB303昔から持ってて当時から使ってますけど、アシッド音はSH-101でもけっこう近い音出せるし、あと、Jupiter-8でもやったし。いろんなので出せるからいろんなシンセでやってます。


当時最初聴いたときに、なにこれ、延々と同じシンセが鳴ってて、ドラムがときどき出たり入ったりして、で、12分とかあるでしょう? あの頃に聴いて「ああ、すごいな」と思った印象があって。

12年に〈Systematic〉から出されてた“Straight Up”を聴いたときも思ったのですが、すごく上品で洗練されたアシッド・ハウスを作られている印象があって。トミイエさんにとってのアシッド音って、どういう位置づけなのでしょう?

S: DJピエール(DJ Pierre)の〈トラックス(TRAX)〉のやつとか(※)、当時最初聴いたときに、なにこれ、延々と同じシンセが鳴ってて、ドラムがときどき出たり入ったりして、で、12分とかあるでしょう? あの頃に聴いて「ああ、すごいな」と思った印象があって。
※フューチャー(Phuture)/“Acid Trax”

あ、それに対しての衝撃みたいなものは、もちろんあった、と。

S:もちろん。最初は何がカッコいいのかぜんぜんわかんないぐらい「なにこれ!?」 みたいなところから入っていって(笑)。逆にまったく新しいスタイルのものって、そういう反応もあると思うんですよね。で、アシッド・ハウスもいろいろあるから、いろいろ聴いていくうちに、あ、なるほど、ってなんとなく文脈が見えてきました。たぶんTB-303を買ったのは、二束三文、3万円しなかったような時代、80年代だったような気がしますが、その時から持ってはいても、やっぱり打ち込むの大変だし、MIDIもついていないし、シンクがめんどうだし、みたいなところもあって。SH-101と同時にスタジオには置いてあったのですが、長い期間放ったままでぜんぜん使わなかったですね。

最近TB3などのAIRAシリーズが出ましたが、シンクがしやすくなりましたよね。先日Rolandのスタジオにも行かれたみたいですが、どうですか? 実際に触ってみて。

S:(AIRAシリーズは)いくつか持ってますよ。System-1と、TR-8を買いました。TR-8はアップグレードすれば1台でドラム・マシーン4台分の音が出て便利だし、いろいろ機能がついていて、デジタルだからあたりまえだけどメンテナンスしなくていい。自分が持っている909より音がシャキッとしているんだけど、たぶん、909の実機も新品を買った時点ではあれに近い音がしたんだろうと思うんですよね。30年も経っていると、コンデンサーとか駄目になりますからね。自分のTR-909はかなり「枯れた」音がしてましたが、いまメンテナンスしてもらっているので、帰って来たときどんな音になってるか楽しみですね。TR-8とかはライヴとかで使えたらいいなとも思っています。

そういえば、7月にパリでケリ・チャンドラー(Kerri Chandler)といっしょにDJをやりますよね。

S:やりますね。

ケリ・チャンドラーは、最近はあまり日本には来てないのですが、以前来日していた際はブースに機材をならべて、DJ中にキーボードを弾いたりしていました。

S:うん、やってましたね。

で、今度いっしょにされるということで、ライヴという話もありましたけれど、DJ中にたとえばそういった、ビートとシンクできるAIRAみたいなものを使って、ぱっとしたインスピレーションをDJに組み込むというのは考えてらっしゃいますか?

S:DJに組み込むというよりは、やるならちゃんとライヴでやりたい。きっとDJ中にやると中途半端になってしまうので。DJをコンピューターでやって、っていうだけならば可能かもしれないけど、レコードもかけてとなると、「ああ、レコード終わっちゃった」みたいになってしまいそうで(笑)。ライヴでやることについては考えています。アルバムの曲でもいいし、またまったく別のちがう曲を用意してもいいし。でもライヴを、聴く感じの場所ではなくダンスフロアでやるならば、もう少しそれに対応した曲を新しく作ったほうがいい気もします。


全部(ライヴを)ハードウェアでやったらおもしろいかも、という話をしてます。

ビートにエッジが立っている、という感じの?

S:そうですね、ダンスフロア対応の、グルーヴ的なものを意識した曲。あともうひとつ考えてるいのは、イビザに住んでる友だちのトゥッチーロ(Tuccillo)が機材オタクで、ほんとうにハードウェアが大好きみたいで、たくさん持っているから、そんな彼と、全部(ライヴを)ハードウェアでやったらおもしろいかも、という話をしてます。そのための曲を作って、ハードウェアだけでライヴをやろう、っていう。
でも、またさっきの話に戻るけれど、シンクの問題という点だけでも、ハードウェアが前より使いやすくなったと思いますね。昔はバッチリ合わなかったから。シカゴ・ハウスのレコードとか聴いていると、ずれていくでしょ? たとえばあの、リル・ルイス(Lil Louis)“フレンチ・キス”だと、フィルインが曲のあいだじゅう、ちょっと遅れて鳴ってる。あれはあれで、味、なんですけどね。ただ、いまはコントロールが簡単になったから、ハードウェア使っても、そういうストレスが少ないからいい。メンテナンスしてるあいだに、「あ、今日一日終わっちゃった」で、明日になったら「もういいか」みたいなことが、やっぱりありましたから。

実際にはいま1曲にどのくらいの時間を使っているんですか?

S:時期的には2年経っているのもあるし、そうでないのもあるし、もっと長いのもありますね。やったりやらなかったり、あと、やってみて、うーん、やっぱりちょっと置いておこうって放置して、何ヶ月たってからまたやる、みたいな。だから、実働は3日程度かもしれません。逆に、短い時間にたくさん作る、という方法も、ちょっとちがった方向でおもしろいかな、とは思うんですけどね。ぱぱぱっと作れる、熟考していない曲。早く作れる人は、本当に早い。グティ(Guti)とかもすごい早い、音質とか、エンジニアリングとか、まったく気にしていないから(笑)。早いから数多くの曲ができるし、そうなるとたくさんリリースしたくなる。でも、そんなにリリースもできないから、結局ライヴや自分のパフォーマンスでしか使わない曲が増えていく、っていう。
でも、早く作るか、時間をかけて作るか、というのは、クオリティ・コントロールをどこにもっていくか、ということだから。僕は性格的に、ぱっとできたものを、こんなものでいいや、っていうのはできない質なんです(笑)。でも、それでできたほうがいい場合もあるのでしょうね。パッとできたもの。それはそう思います。

わかりました。ちょっとDJの話もききたいのですが、最近アナログを買ってらっしゃいますよね。トミイエさんはレーベルもやってらっしゃるから、必ずしもレコードのほうが音がいいってわけではないっていうのを知っていると思うのですが、それでも最近アナログを使いはじめるようになったっていうのはどうしてなのでしょう?

S:理由いろいろありますけど、いちばん大きいのは、デジタルで売っていない、アナログでしか出ていない曲がけっこうあるから。以前はレコード屋さんにときどき行って、アナログ・オンリーのレコードを買ったら、それを録音してデータにしてTraktoで掛けて、というのを繰り返していたのですが、面倒で。だったら最初からレコードで掛けたらいいじゃん、って思ってやってみたら、やっぱり楽しかった。そこからレコード屋に行く回数も増えていって。あと、いまはヨーロッパでのベースでもあるパリでは、レコ屋にチャリで行けるっていう地の利も働いてますね。


僕は基本的には、いまここにいるところがベースだって感じです。今日は東京だし。

今作がリリースされるのは〈アブストラクト・アーキテクチャー(Abstract Architecture)〉というトミイエさん自身の新しいレーベルで、NY/ベルリンがベースだそうですね。

S:レーベルの拠点について言わなきゃいけないからそう言いましたけれど、僕は基本的には、いまここにいるところがベースだって感じです。今日は東京だし。

あの、今作はリミキサーにベルリンの系のリミキサーとかを起用されてますし、ベルリン・ベースとのことですし、最近アナログも買っているそうなので──

S:ファッションっぽいよね(笑)。

いえ、ファッションぽいというか、ベルリンでの活動を考えてらっしゃるのかな、と。ベルリンでDJをするときにパソコンでDJをするとブーイングされるという話をよく聞きますし、そういう状況を意識しての動きなのかな、と。

S:じつはいまレーベルを手伝ってもらっている人が、フランス人だけれどベルリン・ベースなんです。それで(レーベルの拠点について)ああいう表現になった。でも、ヨーロッパのなかでプレイする場所がかたよっていたりするから、いままでそんなにやってないところで、もっとプレイしたいな、というのはあります。ベルリンもそうだし、パリとか。実際には、年に1回ギグがあるかないか、とか、そういう場所がけっこうある。ドイツ、フランスが、なぜかとても弱いんで。

なんか(その2つの国は)アナログが強いイメージはありますね。フランスもなんかちょっとそういうイメージがあります。

S:僕自身は、どんなフォーマットでDJしなくてはいけないっていうことはなくて、べつにTraktorでもいいじゃん、その人が好きなフォーマットでやればいいと思うのだけど。昔は100%レコードだったけれど、いままたレコードを掛けはじめると、レコードってコンピューターでの掛けかたと違ってくるのでそれがけっこうおもしろかったりするんですよね。デジタルだと、基本的にはプロモでもらっているのも毎回同じレーベルだし。デジタルにはない、みんなが持っていないものを探したい。少し違った物を混ぜることによって、いままで馴染みがある音楽に対して違った見方もできるし。
つまり、音楽的におもしろいほうに行った、っていうことです。実際にレコード屋にいくと「こっちのジャンルの方面に行くと、こんなものがあるんだ」みたいなことがデジタル配信とは違った方向で解りやすくていいし、自分でもリリースするようになったら、「どんなの出てるかな」って意識するじゃないですか。デジタルで、プロモをもらってBeatportで買い物する、みたいなのとは、また別のカルチャーがある。でも、ちょっと、「エリート的」な部分もあるから。

アナログが、っていうことですよね。

S:うん、俺のほうが偉いんだ、みたいなのが見える。それがちょっと鼻につくけれど(笑)。


(カセットは)昔は音が悪くて嫌だったけど、いまは逆に他のものが音がいいものばかりだから。

今回カセットも作るじゃないですか。カセットも、アナログも似たような感じがありますよね。

S:そういったちょっとしたエクスクルーシヴ感もあるよね。

「カセットで持ってるんだぜ」みたいな感じですよね。

S:それよりも今回アルバムをカセットでリリースしてみようと思うきっかけになったことがあって。実家にはいま母親が一人で住んでいるんだけど、一人だし一軒家からマンションに引っ越そうってなったときに、物をいろいろ整理しなきゃいけなかった。そうしたら子どもの頃に聴いてたジャズのカセットがいっぱい出て来て。NYに持って帰って当時録音したライヴのテープとか聴いてたら、軽く20年近く使ってなかったメディアだけに、知ってるのに新鮮、っていう再発見。制限がある音も独特なんだけど、ああいう昔のメディアをおもしろがってくれる人が世の中にいるし、それならば作ってみよう、ということになった。カセット自体は昔親しんだメディアなので、こんなところに戻ってきたんだな、というのもあります。スタジオ作業とかでも、テープの独特の質感とか生かせたらおもしろいかもとか思ってます。

カセットの鳴り、ということですよね。

S:昔は音が悪くて嫌だったけど、いまは逆に他のものが音がいいものばかりだから。

いまのようにクリアじゃないぶん、よけいに心地いい?

S:そう。たぶん、アナログ/レコードを好きなのは、それが理由でもある。同じようにちょっと高域の音が出ない感じで、あたたかくて。まあ実際には制限があるからなんだけれど。すこし上がひずんだりするのが楽しいし、カセットもその意味ではアリかな、と思いますね。

マスタリングに関しては全部同じですか?

S:マスタリングは、使ったスタジオでは全部で3種類作ってくれたんです。1つめは普通のデジタルの卓を通したもの。2つめが、ミキサーからハーフ・インチのテープを通して一回録音したものを再生して、またミキサーに戻したもの。そうすると、テープのサチュレーションがかかったりして違った効果が得られる。それから、デジタル配信用の音が大きいマスタリング。つまりマスタリングの行程でも、アナログというのを意識してました。でも、ちょっとテッキーな“0814”っていう曲の場合だと、テープを通すとアナログっぽすぎて上が丸くなりすぎてしまったので、ミキサーから直球のものを使いました。曲に合わせてマスタリング方法を選んで、それらをまとめて、ひとつのアルバム・パッケージにしたんです。そういう行程もおもしろいなあ、と思って。前にはなかった形だし。

では、3つのマスタリングの種類の中から、曲ごとに選んでいったんですね

S:あ、でも(配信用の)パキッとした物は使わなかったです。

これからの配信のリリースでも使わないんですか?

S:使わないですね、というのは、テープを通したものと、そうでないものでアルバムを組んでいったから。テープを通したものは配信用のマスタリング処理をしていないんです。
でも、音が大きいほうがいいですか?

(A&R)栃折氏: いや、とくに問題は。

S:まあでも、配信とか、音が大きい方がいいのかな?


試聴サンプルは配信対応のパキッとしたのを提出する、というのも手かもしれない。で、実際にダウンロードしてもらうのは、ちゃんとした音、というか、音圧を上げる処理をしすぎていないもの。

デジタル配信がはじまった当初は、音が大きいほうが、音がいいように聴こえてしまう感覚は否めませんでしたが、最近は試聴する側も聴きなれているので、パキッとするからいい、っていう印象も薄れてきた感じはします。

S:でも配信の試聴は、結局、ビットレートが低いから、もしかしたら音がデカくなる処理をしたほうが、iTunesとかの試聴用サンプルに出すのにはいいのかもしれない。

曲を試聴をしているときに、コンプがきつめで大きな音の曲が続いた後に、コンプがゆるめの曲が流れると、ちょっと弱い感じに聴こえてしまう、って言うことですよね。

S:そう考えると、試聴サンプルは配信対応のパキッとしたのを提出する、というのも手かもしれない。で、実際にダウンロードしてもらうのは、ちゃんとした音、というか、音圧を上げる処理をしすぎていないもの。サイトによっては1分の試聴用を出すところがあるでしょ、そこならできるから。TraxsourceやBeatportは勝手に(試聴用ファイルを)作るから、そういう対応はできないけれど。そうそう、ドイツのアナログ売っているDecks Records (https://www.decks.de) から、1分の試聴サンプルを要求されて、めんどうだなあ、って思いながら作ったんですよね。ディストリビューターに作ってくれって言われて。レーベル運営ってけっこう、音楽以外にやることがいっぱいあるんですよね。

(レーベル業務を)自分でやってらっしゃるんですか?

S:ほぼ自分でやってます、アシスタントみたいなのはいるけど。細かいこともけっこうありますね。まあ、自分でやらないと気がすまないっていうのもあるんですけど。大変です。
でも、このアルバムが(新レーベルの)一発めだから、まだそんなにやることが膨大というのではないし、ディストリビューターがやってくれるところもあるので、なんとかなるかと。(このレーベルについて)考えているのは、展示が入れ替わる、ギャラリー的なことを目指していて。いまはこの時期で、いまはこのアルバムの展示をやっていて、いろいろアルバムに関するものとかもあって、次は人とのコラボレーションを、というような。自分でギャラリーを持って、そこで展示をやる感じですね。普通のレコード・レーベル、というより、プロジェクトに近い。つまり、「次はこの人、その次はこの人」といったかたちでいろんなアーティストのリリースをするトラディショナルなレーベルとは、ちがうかもしれないです。普通に、A&Rをやって、デモを集めて、みたいないつもの形は、〈SAW Recordings〉でいままで通りやればいい。新しいレーベルでは、そうではないことをやろう、と。
それにしても今回は、タイミングといろんな人に恵まれて、よかったですね。ヴィジュアルもカッコいいのができたし。リミキサーとかも、いいタイミングで、いろんな人とできたという。ありがたいことです。


(東京は)音を作っている人もかなり増えたし、外国に行っちゃった人も含めて、シーンみたいなものも前よりおもしろくなっていると思う。他のメインな街に比べるとパイは小さいけれど、好きな人がずっと続けている、みたいなところもいいと思います。

先日、トミイエさんといっしょに来日したマーヤン・ニダム(Maayan Nidam)の“New Day”のリミックスは、いつ頃のリリースになるんですか?

S:いま”New Day”のビデオを作ってるんですけど、マーヤンのリミックスは、それを含めたパッケージでおそらく冬に近い頃になると思います。で、他にもいくつかリミックスを依頼しているので、それがまとまり次第ですね。その前にもう一枚、アルバム・サンプラーみたいのをリリースするんだけれど、それはまあ夏、8月ですね。“Landscape”って曲で、自分とフレッド・P(Fred P)がリミックスしています。ヴァイナル・オンリーで出るんですけど。「サンプラー」と言っても、1曲のヴァージョン違いを収録しているのだから、ちょっと「シングル」っぽいですね。日本は先行発売で早かったんですけど、アルバムが6月に出て、8月にアナログが出て、という流れでアピールしていこうかと。

リミキサーの人選は、アナログの鳴りがわかっているアーティストに依頼した、ということなのでしょうか?

S:というよりは、この曲にはこの人が合うかな、って選んでいったのが、結果的にはアナログを掛けたり、長くやったりしてる人になった。たとえばロン・トレントも長くやってるから、ぴったりの音になったし。あまり「flavor of the month(いま旬のもの)」的な人よりは、長くやっていて、わかっている人のほうに振れたから、結局は流行っぽいひとはリミキサーにはいなかったですよね。ただ、自分自身も、まさか20何年やっていて、ロン・トレントにお願いするとは思わなかった。

親交はあったのですか?

S:20年くらい前になんかいっしょにやろうよ、って話をしたんですけれど、それがやっと実現した感じですかね。

最後に、トミイエさんから見た東京というのはすごい窮屈に感じるとは思うのですが──

S:いや、僕がはじめた頃から20何年経ってるので、アーティスト、音を作っている人もかなり増えたし、外国に行っちゃった人も含めて、シーンみたいなものも前よりおもしろくなっていると思う。他のメインな街に比べるとパイは小さいけれど、好きな人がずっと続けている、みたいなところもいいと思います。
あと、インターナショナルに活動している海外のDJが、東京に来るとけっこうみんな楽しい思いをして、帰ったらみんなに「東京よかった」って自慢してるんですよね。いまは DJが世界中にあふれてるから、中途半端なレベルだと東京に呼んでもらえなかったりすることも多いと思う。だから、東京に行ければステイタスだし、「東京は最高だった」と自慢する。それはうれしいことだし、そうやって言ってもらってるうちに、東京でどんどん楽しいこと、おもしろいことをやっていって、シーンを上げていく感じに出来たらいいんじゃないかな。日本がクールだとみんなに思ってもらえているうちにね(笑)。


interview with Cornelius - ele-king


Cornelius
攻殻機動隊 新劇場版 O.S.T.music by Cornelius

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坂本真綾、Cornelius
あなたを保つもの/まだうごく

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V.A.
攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE/新劇場版 Music Clips:music by Cornelius

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 小山田圭吾a.k.a.コーネリアス。
 彼と初めて会ったのは1990年だから、いまから25年前ということになる。25年の歳月は世界の様相を激変させたけれど、どんなときも自然体を守り、自分の生き方と時間軸を保ちながら、音楽的にもめざましい進化を遂げたコーネリアスの軌跡は、アーティスト・ネームの由来となったSF映画に因んで「この惑星の霊長類史上稀にみる」と形容したくなるほど稀有なものがある。

 2006年の『Sensuous』以来、オリジナル・アルバムこそリリースされていないが、インターナショナルなオファーが絶えないリミックスやCMワークス、Eテレの教育番組『デザインあ』の音楽制作、salyu ×salyuなどのプロデュース、そしてYoko Ono Plastic Ono Band、YMO、高橋幸宏&METAFIVEなどのメンバーないし準メンバーとしての活動を通じて積み重ねてきたコラボレーションの数々は、不在を感じさせるどころか、他に例を見ないほど充実している。

 彼が約3年間に渡って音楽を手がけた、89年の原作発表以来25周年を迎える日本におけるサイバー・パンクの金字塔的作品『攻殻機動隊』の前日譚『攻殻機動隊 ARISE』も、現在オンエア中のTVアニメ『攻殻機動隊 ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE』ならびに映画『攻殻機動隊 新劇場版』をもって、一連のシリーズを完結する。
 作品の舞台は近未来――といってもいまからわずか12年後の――2027年の日本だが、坂本慎太郎との共作によるそれぞれの主題歌、“あなたを保つもの”と“まだうごく”は、映像作品のテーマ・ソングという役割を超えて、なぜか2015年現在の日本を覆う不穏な空気に対するアンサー・ソングのように響いてくる。

ほら 見て 今までの 約束 破棄された
新たな この世界 あなたを 保つものが
あな たの あな たが
あな たを あな たに
あな たの あな たが
あな たを あな たに
してる
“あなたを保つもの”

 しばらく会えずにいる間も、彼が創造する音楽はいつも近くに在った。
 心が波立つとき、彼の音楽に耳を傾けると、平穏な気持ちを取り戻す。感覚を研ぎ澄ませたいとき、彼の音楽に全身を浸せば、マインドのセットアップが完了する。
 ぼくにとって彼の音楽は、「自分を保つもの」として欠かすことができない。

 いま、ぼくらが生きるこの国で、奇妙な事態が進行している。
「今から おきる ありとあらゆる現実を 全部 見て 目に 焼き付けよう」
 4年前、坂本慎太郎と小山田圭吾が、salyu × salyuというプロジェクトで発したメッセージが、いま再び、別の意味合いを帯びはじめている。

どこまでも どこまでも 続く道を
すこしずつ すこしずつ 歩くために 理由がいる

まだ うごく
まだ みえる
“まだうごく”

 どこからか声が聞こえる。
 自分のゴーストに従え、と。


■コーネリアスが手掛ける「攻殻機動隊ARISE」シリーズの劇中曲
世界中のクリエイターに影響を与え、映像作品としても革命的なインパクトを残し、歴史にその名を燦然と刻む傑作SFアニメ映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)。その“生誕”──士郎正宗による原作『攻殻機動隊』25周年を記念して、今週末より長編アニメーション映画『攻殻機動隊 新劇場版』が公開される。同作は、現在放送中のテレビアニメ『攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE』とともに「攻殻機動隊ARISE」シリーズの完結編となり、そのラストを締めくくるテーマソングを、同シリーズのサントラを手掛けてきたコーネリアスと主人公・草薙素子を演じる坂本真綾とが彩る。
Salyuや青葉市子から、ショーン・レノン、高橋幸宏までを迎え、坂本慎太郎が詞を提供することでも話題となった、このスペシャル・コラボレーションによる一連の音楽作品は、2枚のサントラ盤をはじめとしたいくつかのリリースによって楽しむことができる。川井憲次、菅野よう子からの連続性の上に、新たな“攻殻”の音世界が築かれていることがはっきりと感じられるだろう。このたび発表されるのは『攻殻機動隊 新劇場版O.S.T by Cornelius』ならびにシングル『あなたを保つもの / まだうごく』、そして貴重なライヴ映像等を収めたミュージック・クリップ集『攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE/新劇場版 Music Clips:music by Cornelius』。どこから観て、どこから聴いても特別な作品群だ。

■Cornelius / コーネリアス
フリッパーズ・ギター解散後、1993年から開始された小山田圭吾によるソロ・プロジェクト。ソロ・デビュー22年を迎え、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやリミックス、プロデュースなどますます幅広く活動する。2008年にリリースされた「Sensurround & B-Side」がグラミー賞のベスト・サラウンド・サウンド・アルバムにノミネート。「UNIQLO」「CHANEL」などのCMや「デザインあ」(NHKEテレ)といったTV番組ほか、映像とのコラボレーションも多い。https://www.cornelius-sound.com/

これまで僕がコラボレーションしてきた人たちが、ここに集まった、っていう感じはあるかな。

小山田圭吾(以下、小山田):すごい久しぶりだよね。ライヴでチラッと会うくらいだもんね。

北沢夏音(以下、北沢):そうだね。何回かそういうこともあったけど……。

小山田:いや、もう20年くらいは取材とかしていないんじゃない(笑)?

北沢:……かもしれない。つねに取材はしたかったんだけどね。音も聴いていたし、小山田くんの活動はつねにフォローしてる。

小山田:取材してたといっても、いちばんやったのはフリッパーズの頃だよね。

北沢:うん。だけど、『バァフアウト!』を創刊してしばらくのあいだ、コーネリアスのデビューから少なくとも『69/96』までは必ず取材してた。

小山田:そうだそうだ。それも20年近く前だからね(笑)。

北沢:『Fantasma』のときは『クイック・ジャパン』でクロス・レヴューする企画があって、ぼくは映画『渚にて』の終末観と重ね合わせて原稿を書いたことまでハッキリ覚えてるんだけど、取材が実現したかどうか……してないかもね。

小山田:そうか。不思議だね。

北沢:あんまり久しぶりだから、どこから切り出していいかわからないけれども。そうだな、まず、今回の『攻殻機動隊 新劇場版O.S.T by Cornelius』の音源を頂いてから、もうずーっと聴いてる。たんなる劇伴ではない、アルバムとしてのトータリティをすごく感じる。このサントラ盤自体、小山田くんがこのところ行ってきた、いろんな人たちとのコラボレーションの集大成といえるものになっていて、その精華がギュッと集約されてる。それだけでも十分すぎるくらい価値がある素晴らしいアルバムになっていると思った。
この『攻殻機動隊ARISE』のシリーズのサントラについては、前に出ているもの(※『攻殻機動隊ARISE O.S.T.』)も買って聴かせてもらってたんだけど、今作は前作とのつながりもありつつ、もっと広がりがあるというか。坂本真綾さんがヴォーカルをとるTVアニメ『攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE』のオープニング・テーマ“あなたを保つもの”と『攻殻機動隊 新劇場版』主題歌“まだうごく”という核になる2曲がまずあって、だけどそれだけじゃなくて、高橋幸宏さんがヴォーカルの“Split Spirit”とか、ショーン・レノンがヴォーカルの“Heart Grenade”とか、既発の曲もピタッとハマっているし、アルバム全体がものすごく起伏に富んでいる。環境音楽的なアプローチだったり、ミニマルやノイズ、はたまたアグレッシヴでエッジィなギター・ロック・サウンドが聴けたり、曲想もヴァラエティに富んでいて、最後まで飽きずに聴けるし、繰り返し楽しめる。

小山田:よかった。

北沢:ぼくは、ショーンと合作した“Heart Grenade”がすごく好きで。メロディとか展開は完璧にコーネリアスなんだけど、ショーンが詞を書いて彼の世界観が投影されることによって、普遍的なモダン・ポップに仕上がっていて、最高だなと思った。今回『攻殻機動隊OST 2』をまとめるにあたって、どういう構想があったの?

小山田:うーん。まぁ、とくに構想というのはなくて、基本はサントラなんで、映画の劇伴と主題歌を集めたものなんだけど。『OST 1』はボーダー1(※攻殻機動隊ARISE border:1 Ghost Pain)と2(※攻殻機動隊ARISE border:2 Ghost Whispers)で、今回の『OST 2』はボーダー3(※攻殻機動隊ARISE border:3 Ghost Tears)、4(※攻殻機動隊ARISE border:4 Ghost Stands Alone)と劇場版ということで。「ボーダー1」は全部で50分ある最初のやつで、比較的多くの曲が必要だったから、(それを作った時点で)もうある程度のヴァリエーションが出揃ってて──だから1、2で“『攻殻』の劇伴”というのはすでにあったんだけど、3、4と劇場版で少しずつ曲が増えていったという感じ。それぞれの映画にテーマがあって、それに沿う形で曲ができていった感じかな。

北沢:その核にあったのは、やっぱりオープニングとエンディングのテーマ?

小山田:まぁ、そうですね。毎回エンディング・テーマがあって、それは主題歌ということで、映画によって多少内容が変わってくる、っていう感じなんだけど。


サイバー・パンク的なSFにYMOが与えた影響ってあるんだろうね。日本の未来感みたいな。そういう意味でも、僕がやってきたコラボレーションと、『攻殻機動隊』の世界観がハマったなっていう感じ。

北沢:おそらくSalyuのプロデュースをやったことから、現在にいたる流れがはじまったんじゃない? salyu × salyuの『s(o)un(d)beams』(2011年)の中の曲は前作のOSTに起用されてなかったっけ。あれはちがうか。

小山田:『s(o)un(d)beams』の中の曲じゃなくて、『攻殻機動隊』用の書き下ろし(※salyu × salyu“じぶんがいない”)だったんだけど。ちょうど「ボーダー1」をやる前にsalyu × salyuのプロジェクトをやって。それでSalyuに「最近何やってるの?」って訊かれて「『攻殻機動隊』のサントラやるんだよ」って話をしたら、彼女がこの映画をすごく好きだったみたいで、じゃあ、って頼んだという流れで。今回のも含めて、これまで僕がコラボレーションしてきた人たちが、ここに集まった、っていう感じはあるかな。
偶然かどうかはわからないんだけど、Salyuが『攻殻機動隊』を好きだったり、ショーンにも(ヨーコ・オノ・プラスティック・)オノ・バンドのライヴでロンドンに行ったときに『攻殻機動隊』の話をしたら、彼も観ていて好きだったみたいで、そういう縁があった。幸宏さんはさすがに観てなかったんだけど、以前のシリーズで“ソリッド・ステイト・ソサイエティ”っていう話があって(※『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』)。

北沢:そのタイトル、モロにYMOだ。

小山田:そう。ああいうサイバー・パンク的なSFにYMOが与えた影響ってあるんだろうね。日本の未来感みたいな。そういう意味でも、僕がやってきたコラボレーションと、『攻殻機動隊』の世界観がハマったなっていう感じ。

北沢:ミレニアム以降、『Point』(2001年)を分岐点に小山田くんの楽曲の作り方が変わって、『Sensuous』(2006年)にいたるまで、その方法論を発展させてきた過程というのは、すなわちひとつの音をどう響かせるか、それを研ぎ澄ませてきた過程だという気がするんだけど。そういうなかで自分の声や言葉の響き、作詞についても新しいアプローチをして、その流れでSalyuとのコラボもあって。やっぱりすごく大きかったと思うのが、坂本(慎太郎)くんとの共作をそこでスタートさせたことかなと。共作のきっかけは?

小山田:それは僕から提案したんじゃなくて、Salyuが「(作詞は)坂本くんがいい」って言ったんだけどね。僕も坂本くんがいいなと思っていたんけど、バンドがちょうど解散したばっかりで。

北沢:ゆらゆら帝国はもうなかったんだね。(※2010年3月31日付けで解散を発表)

小山田:あんまり活動をやっていないし、(そんなときに)頼むのもどうかなって思っていたんだけど、Salyuが「坂本さんがいい」って言ってるからお願いしたら、やってくれるって。


視点が、僕としてはすごく共感できる。客観性を絶対に失わないで、ユーモアみたいなものも含んでて。いままで坂本くんが作ってきたものを含めて、そう思うんだけど。

北沢:小山田くんと坂本くんの共作のやり方って、先に坂本くんの詞があるわけじゃないよね? 彼自身のいつものスタイルも詞先じゃないっていうし。彼とどういうふうに共作したのか、あらためて教えてほしいな。

小山田:salyu × salyuのときは、僕がデモ・テープみたいなものを持って行って、アレンジも全部できていて、メロディ・ラインもシンセで入っている音源をSalyuにまず渡して。Salyuがそこにデタラメな──自分が発語したい言葉で仮メロを入れるんだけど、それは何語でもなくて、メロディに対して彼女が発語したい言葉を歌っているっていうすごい変なもので。それを坂本くんが聴くと、何か空耳的にいろいろ聴こえてくるらしいんですよ(笑)。それを歌詞の言葉に置き換えるみたいな作業だったのね。
salyu × salyuの頃はそういう作業だったんだけど、今回の『攻殻』に関してはデモ・テープを坂本くんに渡して、あとはとくにディレクションもなく、わりと好きに書いてもらった。でもその前に『攻殻機動隊』のDVDボックスを渡して観てもらって、なんとなくその世界観を掴んでもらってから、後はおまかせっていう感じだった。「じぶんがいない」(※「border.1」エンディング・テーマ)っていう曲に関しては、言葉がパズルみたいになってて、声が入り組んでいって、言葉が増えていくことによって、メロディができていくみたいな……。

北沢:「き、き、き、きく、きく、きおく」みたいな感じ?

小山田:うん。一文字で意味があって、二文字でも意味があって、三文字でも意味がある、みたいな言葉があったら当てはめてほしい、とかは(坂本くんに)言ったけど。

北沢:小山田くんからお題を出した?

小山田:うん。で、それ以外の曲に関しては、何もディレクションはなかったかな。

北沢:それにしてはものすごくジャストな詞だよね。しかも“あなたを保つもの”を聴いたとき、これは作詞が小山田くんだと言われたら信じちゃうような、わりと小山田くんっぽい感じも入ってるなって。最初にもらったとき、小山田くんはそう思わなかった?

小山田:うーん。そうかな?

北沢:自分ではあんまり?

小山田:「うで ゆび あし つめ」とか?

北沢:うん、そういうところも。

小山田:まぁわかるけど。メロディを作ってる人が僕だし、あんまり“日本語のポップス”(の常道)じゃないところに言葉を当てはめようとすると、そういう言葉が入るのかなっていうのは。でも、僕にはできないようなものにはなっていると思うんだけど。そこはやっぱり坂本くんの力。

北沢:“あなたを保つもの”だと、どの言葉がとくに坂本くんっぽいと思った?

小山田:うーん。具体的にはわからないけど、ホントに上手いなと思うんだよね。言葉のはめ方もそうだし、歌ってて……というか、発語して気持ちいい、みたいなところをまったく損なわないで、なおかつ文章としてもおもしろくて、深い意味も感じられるような歌詞の言葉を作れる人だと。しかも視点が、僕としてはすごく共感できる。客観性を絶対に失わないで、ユーモアみたいなものも含んでて。今回だけじゃなくて、いままで坂本くんが作ってきたものを含めて、そう思うんだけど。


「あなたを保つもの」、つまり「ゴースト」っていうものを、いろんな角度から言っている、ってことだと思うのね。そのなかで坂本くんのいままでやってきたことと重なる部分もあって、それがまたいろんなかたちで出てきているっていう。

北沢:“あなたを保つもの”と“まだうごく”を聴いて感じたのは、もともと彼自身のなかでも、「幻」(ゴースト)がかなり大きなテーマとして存在していたんじゃないかということ。坂本君の最初のソロ・アルバムのタイトルが『幻とのつきあい方』だし、一方『攻殻機動隊 ARISE』のシリーズを通してのオープニング・テーマが“GHOST IN THE SHELL ARISE”でしょう?
それで、「幻ってなんだろう?」と考えたときに、英語の「ghost」には「幻影」や「幽霊」のほかに、キリスト教的な「聖霊」という意味もある。これを日本的に解釈すると、草木に宿る「精霊」とか「死者の魂」、さらには人間の内奥にある魂(ソウル)や精神(スピリット)をも「ゴースト」と呼んでいいだろう、とぼくは思う。もしそうであるなら、「あなたを/保つもの」、あるいは「あな/たを/あな/たに/してる」ものとは、人間の五体に備わっているさまざまな器官のみならず、目に見えない、フィジカルではない霊的なもの――つまり、「体を/捨てても/あなたを/保つもの」――の力によって、人は自分自身を保ち、命と心を支えられているんじゃないか、と。そういう想いをこの2曲の詞から感じた。
それが当たっているかどうかは坂本くんに訊かないとわからないけど(笑)、ぼく自身はその考えにまったくうなずけるというか、自分はきっとそうだな、って思ったりもした。小山田くんは、自分が何によって保たれていると思う?

小山田:なんだろうね(笑)。うーん。

北沢:こういう質問は面倒臭いかもしれないけど、ちょっと訊いてみたかった。

小山田:うーん、よくわからないな。


坂本真綾とコーネリアスによるシングル『あなたを保つもの / まだうごく』のジャケット。カバー・イラストは詞を提供した坂本慎太郎が自ら手掛けている。


北沢:体を捨ててもあなたを保つもの。

小山田:この映画のテーマ自体がそういうものっていうか。(草薙)素子っていう主人公がいて、(生まれる以前に)“義体”っていう体にされてて。

北沢:サイボーグ?

小山田:サイボーグ……、まぁサイボーグなんだよね。生まれながらにサイボーグで、ゼロ歳児の義体っていうところ(出生)から、「自分を保つものはいったい何なんだろう?」ってつねに悩んでいるというか。その魂みたいなものを映画のなかでは「ゴースト」と呼んでいるんだけど、基本的なテーマがその「あなたを保つもの」っていうこと。で、坂本くんの詞に関しても「あなたを保つもの」、つまり「ゴースト」っていうものを、いろんな角度から言っている、ってことだと思うのね。世界観やテーマもはっきりしているから、そのなかで坂本くんのいままでやってきたことと重なる部分もあって、それがまたいろんなかたちで出てきているっていう。

北沢:“まだうごく”には、「昔は幻に/名前がついていた/ひどく大切な/もののように」という一節があったり、「素敵な人たちは/先に行ってしまった」っていうフレーズがあったりするけど。なんか、それこそ石橋英子さんがジム・オルークさんたちとやっているバンドの名前「もう死んだ人たち」(石橋英子 with もう死んだ人たち)じゃないけど、もう死んでいる人たちの音楽を聴いていることが、やっぱり坂本くんは多いみたいで、それも小山田くんとの対談で言っていた気がするんだけど……。

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©士郎正宗・Production I.G / 講談社・「攻殻機動隊 新劇場版」製作委員会
『攻殻機動隊 新劇場版』6月20日(土)全国ロードショー
https://kokaku-a.jp/


ゴーストは見たことある? (北沢夏音)

ないです(笑)。UFOはあります。 (小山田圭吾)

北沢:実際に、偉大な人たちが、いまこうしている間にもどんどん死んでいって、でもぼくらはそういう人たちからインスピレーションをもらったり、励まされることがよくあるし。そういえば「自分のゴーストに従え」というメッセージが今回の『攻殻機動隊 新劇場版』にもあるね。

小山田:うん。出てくるよね。

北沢:(唐突に)ゴーストは見たことある?

小山田:ないです(笑)。UFOはあります。

北沢:どこで見たの?

小山田:タイで見ました。出そうでしょう?(笑)

北沢:都心部で?

小山田:ちょっと田舎の方ですよ。

北沢:チェンマイとかあっちの方?

小山田:いや、チェンマイまではいかないですけど、けっこう20人くらいで見たのでたぶん本物だと思うんですけど。自分ひとりだと自信がなくなるけど(笑)。

北沢:変な話だけど、守護霊が自分にいるとしたら何だと思う?

小山田:守護霊? なんだろうね。ぜんぜんわかんない(笑)。

北沢:(笑)そういうオカルティックな方面にはぜんぜん興味なかったっけ?

小山田:自分の守護霊に関してとか?

北沢:うん。

小山田:うーん、あんまわかんないですね。聞いたこともないです。UFOには興味があります。


流行っているものがあんまりよくわからないんで(笑)。いまは流行りも多様化しているじゃないですか。

小山田さんは、普通に新譜とか聴かれるんですか?

小山田:うーん、ちょいちょいですね。

最近は何かチェックされた新譜はありますか?

小山田:最近……何かチェックしたかな。名前が最近覚えられないです(笑)。

(笑)。それは再発とかじゃなくて新しい人の名前ですか?

小山田:新しい人の。新譜でもけっこうダウンロードで買ったりすると、コピペしてポンってやって名前を覚えないパターンが多くて。

北沢:気にしなくなっちゃうんだ。

小山田:うん。ぜんぜん気にしなくなっちゃうね。でも昔に比べたらあんまり買わないですね。まぁ、ちょいちょい聴いてるけど。

買われるものに関しては、どういうタイミングで「これがほしい」って思うんですか?

小山田:ネットを見ていて、とかユーチューブを見ていて「あっ、いいな」って思ったものとか。

じゃあ、巷でクラウト・ロックがリヴァイヴァルしているとか、インダストリアルがリヴァイヴァルしているとか、あるいはエイフェックス・ツインが昨年大復活したり、フライング・ロータスの存在感もジャンル横断的に大きかったとか、そういうようなことは感じていますか?

小山田:フライング・ロータスは、最初のやつは聴いた。去年出したやつは聴いてない。

そうなんですか。去年のは、ちょっとキング・クリムゾンというか、プログレっぽくなっていたりもするんですけど、いま挙げたようなものの全部の要素が今回の『攻殻機動隊 新劇場版』のサントラから感じとれるんですよね。小山田さんはたぶん絶対に意識されていないでしょうし、わざわざ追ってもいらっしゃらないとは思うんですが、全トラック中にごく自然にトレンドが溶け込んでいる感じがして、すごいなぁと。

小山田:あっ、たしかにクリムゾンっぽいのはちょっとあるかもね(笑)。

北沢:あるある。あとインダストリアルっぽいのもある。

小山田:うん、インダストリアルっぽいのもあるね。

エイフェックス・ツインっぽいのもありますよね。

小山田:あっ、エイフェックスっぽいのもあるかもね。

そういう時流みたいなことって今作を作るうえで意識されてたんですか?

小山田:流行っているものがあんまりよくわからないんで(笑)。いまは流行りも多様化しているじゃないですか。

それはありますね。今月何を聴けばいいかなんて、昔とちがって共有できない事柄ですよね。

小山田:うん。わかんないじゃん。自分のなかの流行りはなんとなくあるけど。いま、何が流行ってんだろう? わかんないや。インダストリアルも流行ってんの?

北沢:まぁ、密かにそういう潮流はあるよね。


インダストリアルと『攻殻機動隊』の親和性はけっこうある気がする。マシーンと(融合する)未来感みたいな。

小山田:どういうの? TG(スロッピング・グリッスル)みたいなの?

なかにはありますよ。話し出すと長いですが……。

北沢:シューゲイザーとチルウェイヴとドリーム・ポップの行末に、インダストリアルがどーっと流れ込んできた感じがする。

あとテクノも最近は聴こえてくるんですけど、そういうものが結びついている気がしますね。

北沢:ベース・ミュージック隆盛の反面、ここのところずっとふわふわしてる音が来てたけど、さすがに甘口に飽きたのか少し尖った音の方に流れが変わってる気がする。

小山田:インダストリアルとかは昔は聴いていたし、クリムゾンとかはそんなには聴いていないけど、エイドリアン・ブリューが入ってからのクリムゾンは好きで。

北沢:エイドリアン・ブリューって、小山田くんっぽいよね。音の遊び方、トリッキーなギターのフレージングとかユーモアのセンスが。

小山田:その前はあんまり聴かないんだけど、『ディシプリン』三部作くらいが好き。インダストリアルと『攻殻機動隊』の親和性はけっこうある気がする。マシーンと(融合する)未来感みたいな。

北沢:あるね。このサントラにも破裂音とかけっこう入ってるし。

クリムゾンみたいな要素がいまをときめくアーティストからふと聴こえてくる、その理由については意識されてないとしても、それが時代の差し色だったのは間違いないと思うんですね。そんな感性が自然に入っているところが、いま現在の新譜としてもすごいな、って思ったんですけど。そのあたりの手応えはどうですか?

小山田:もちろんこれは『攻殻機動隊』のサウンドトラックなんだけど、それと切り離してもアルバムとして聴けるものに構成したいと思っていて。単に劇伴の曲を並べているだけじゃなくて、アルバム用にリサイズしたり、ミックスしたりしてる曲もあったり、これに入っていない曲もたくさんあったりして、そのなかからアルバムとして聴けるようなエディットや選曲をしてるんだよね。
世界観が統一されているのは、もちろん作品の映像があってこそなんだけど、自分が自由に作りたいものを作るとなると、もうちょっと多面的で、興味も移りがちになって……、ここまでひとつのトーンで作品を作ることって、ひとりでは難しいのね。だけど、依頼があって限定された条件のなかでやるからこそ、こういうわりと世界観が統一されたアルバムができたんだなって思う。それが自分のなかではよかった。自分の作品だとやりたいことがいろいろ出てきちゃったりするんだけど、必ずしもそれがいいことじゃないなっていうか(笑)。


もちろんこれは『攻殻機動隊』のサウンドトラックなんだけど、それと切り離してもアルバムとして聴けるものに構成したいと思っていて。

北沢:それは、プロデューサーとしての小山田くんがそう思うってこと?

小山田:うん。まぁそうだね。今回やってみて思ったんだけど、そういう限定された条件で作ることによってしか生まれない作品っていうものもあるな、って。

北沢:『攻殻機動隊』のシリーズで、小山田くんが自分をヴォーカリストとして起用しないのは、自身のソロ作品と区別するため?

小山田:区別するためっていうわけじゃないんだけど。(しばし黙考して)まぁ、それもちょっとはあるかもね。なんか、自分とコーネリアスとその他の作品の境界線が、自分でもよくわからなくなってきていて(笑)。

北沢:溶けてきているよね(笑)。だんだん交じり合ってきたような。

小山田:何がどうなっているのか自分でもわからなくなってきていて、果たしてこれをコーネリアスと言っていいのか、小山田圭吾の作品なのか、それもよくわからない。でもそれを区別するとしたら自分の歌だってことは、あるといえばある。あと、あんまり自分の歌に責任が持てないっていうか(笑)。自分が歌うことはいつでもできるし、こういう機会がせっかくあるなら、いままでコラボレーションしてきた人とまたやるのもいいかなっていう。

北沢:たしかに、そういう人たちがサントラの一部として自然にハマっているからね。前に青葉市子さんとやった“外は戦場だよ”(※「border.2」エンディング・テーマ)は、本当にぞっとするような怖い歌詞だと思うけど、それが彼女のえもいわれぬクワイエット・ヴォイスで歌われると、よりリアリティが増すとも言えるし、聴いている自分も当事者になったような感覚が伝わってくる。青葉さんならではの不思議な憑依感というか。これはたしかに他の人には歌えない、演奏できないような曲だと、一度聴くとそう思ってしまうね。

青葉さんはじめ、いろんな女性ヴォーカリストが歌っておられますけれども、今回の坂本真綾さんは、歌い手として、あるいは素材として、どういう存在でしたか? 声優さんということは意識されましたか?

小山田:別に、いつも通りに作っていたんですけど。すごく歌が上手で、クセのない良い声だよね。すごくやりやすかったですよ。女優さんだからといっても、むちゃくちゃ強い個性があるっていう感じでもなくて、わりと水みたいにいろんなものに変われる部分もあって。歌録りは非常に速かったですね。

では、アプローチとしては他の女性ヴォーカルと変わることなく?

小山田:うん。ぜんぜん。

声を純粋に音として捉えている部分もあると思うんですね。それぞれの歌い手さんにもそういう意味でのちがいがあると思うんですけど、曲をつくる上で意識せざるを得ない差はなかったですか?

小山田:えーっと、歌い手さんに合わせて作るっていうこともあんまりなくて。それよりも楽曲に合わせるというか。ただ、salyu × salyuに関してはわりと歌をたくさん使ったり、コーラスだとか声を組み替えたりすることはこれまでもやってきたことだったんだけど、今回も(坂本真綾さんに)そういうことをやってみたりだとか。(青葉)市子ちゃんのときは、逆にそういうことはやらないとか。

北沢:青葉さんに関しては、彼女が自分で詞や曲を書いて歌うシンガー・ソングライターであるというところを尊重しようという気持ちがあるのかな?

小山田:市子ちゃんだったら、基本はギターと歌だけで成立するような世界をやってて、コーラスを重ねたりすることもあんまりなく、さらっとひと筆書きみたいなメロディが合うかなとか。Salyuの場合はコーラスとかもやるし、普通の一本の線みたいな歌も歌えるし、歌に特化した人だから、いろんなアプローチができると思う。真綾さんの、とくに“まだうごく”とかはシリーズ最期の劇場版だったので、スケール感のある歌ものをやって、彼女の声の質感みたいなものがちゃんと聴けるといいかな、と思って作った。
歌い手さんの条件によって変わることは、それくらいの意味ではあるけど、まぁそんなにはないと言えばない、というか。その時々の映画の内容によってだったり、いろんな条件が重なってこういう結果になっていると思う。

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劇場版の最終作なので。基本は悲しい話なんだけど、そのなかの微かな希望が印象に残るようにイメージしてたな。

北沢:小山田くんは、タイアップありきで楽曲を作っても、絶対にタイアップっぽくならないよね。小山田圭吾オリジナルのコーネリアス・サウンドの強度が前提にあるからこそ、そういうことができるんだろうね。歌い手のキャラクターとか、声の存在感に引っ張られると、たぶんそうならないんだけど、ホント不思議だよね。リミックスを集めた『CM』のシリーズも毎回楽しみにしてるんだけど、誰のどんな曲を手がけても、完璧にコーネリアス・サウンドになってしまうものね。そのオリジナルなサウンドの進化の過程がコーネリアスの歴史そのものになっている。誰とやっても負けないよね。それは字義通りの勝ち負けではなくて、相手に引っ張られることがほとんどない気がする。これは引っ張られたという例はある?

小山田:そうだなぁ(笑)。誰かに引っ張られるってことがどういうことなのかわからないんだけど(笑)。あくが強い……。

北沢:そういうことじゃないんだけどね(笑)。さらっとしてるのに、小山田くんの色は強烈だよね。

小山田:音の入れ方が独特、っていうのはあるのかもしれないけどね。

北沢:タイム感も独特だし。“まだうごく”はシンセ・ベースの使い方がすごくかっこいい。ゆっくり歩いている感じのウォーキング・テンポでこれは絶妙だなって思った。こういう技をパッと出してくる人はなかなかいないからね。

小山田:地味な感じでしょう(笑)?

北沢:いや、地味だとは思わないなあ。かっこいいよ。

小山田:けっして派手じゃないじゃない? テンポものろいし。

北沢:まぁ、布袋(寅泰)さんみたいな感じの派手さはないよね。

小山田:まぁ布袋さんではないと思うけど(笑)。いちおう劇場版の最終作なので。基本は悲しい話なんだけど、そのなかの微かな希望が印象に残るようにイメージしてたな。

北沢:いろんな仕事を小山田くんはやってるけど、そのすべてが真のコラボレーションになっているのが素晴らしいと思う。「これはおもしろそうだからやってみようかな」っていう判断の基準はあるの?

小山田:うーん……、勘ですね(笑)。野生の勘。なんとなくヤバそうなのはわかるんですよ、話をきくだけでも。これはちゃんとできそうだなとか、これは無理とか。

先ほどは、それは「縁」だともおっしゃっていましたね。

北沢:どこかで似たもの同士が集まったような雰囲気があるね。ある種の同族というのかな。

小山田:同族……なのかな(笑)。まぁでも、一部分では波長が合っているわけだから、そういう意味ではいっしょなのかもしれない。


これまではすごいストイックだったし。「音をなるべく鳴らすんじゃない」みたいな。でもいまはそういう気分じゃない。もうちょっと遊びがある感じというのかな。

北沢:ところで、最近の小山田くんはどういうモードなの? 『Point』のときはかなりミニマリズムを極めた感じがあったのが、『Sensuous』ではまた少し色づいてきた。僕はファーストからそれぞれの作品ごとに愛着があるけど、やっぱり『Sensuous』が小山田くんの作品のなかでいちばん好きだし、コーネリアスとしての決定版みたいな感じがしたのね。さらにその先を行くものを作るのは大変なことなのかな、と思ったりもするんだけど。でも、こうやっていろんなコラボレーションを重ねることで、自然に歩みを先に進めてきたようなところもあるから、この先どんな世界を見せてくれるのかすごく楽しみなんだ。

小山田:最近のモードとしては、どうなんだろうな(笑)。でも、『Point』や『Sensuous』よりも余裕がある感じというのは、なんとなく。

北沢:張り詰めてない感じ?

小山田:そうそう。緊張感みたいな部分ももちろんあるけど、もう少しゆとりがある感じがいいなって。これまではすごいストイックだったし。「音をなるべく鳴らすんじゃない」みたいな。でもいまはそういう気分じゃない。もうちょっと遊びがある感じというのかな。

北沢:いまのこの時代の空気を小山田くんはどういうふうに感じているのか、小山田くん自身の声と音で聴いてみたいよ。

小山田:いまの空気……。なんとも言えないね。なんとも言えない感じが続いてる、っていう感じだね(笑)。


いまの空気……。なんとも言えないね。なんとも言えない感じが続いてる、っていう感じだね(笑)。

北沢:何かものすごく大きな転換期、ターニング・ポイントに差し掛かってるような、コーナーを曲がっちゃう寸前みたいな切迫感があるし、その先はどうなるんだろうな、って。

小山田:漠然とした不安がつねにあるみたいな。それはずっとそうだけど。

北沢:それこそ、3.11の後、3月29日にsalyu × salyuの“続きを”をセッションした映像をネットにアップしたよね。あれなんかすごく不思議な、おそろしくジャストな曲として響いた。

小山田:そうだね……。あれは本当にそう思ったね。

北沢:あれは本当に、「呼ばれちゃって」できた曲なんじゃないかって。

小山田:震災直後のタイミングであのアルバム(『s(o)un(d)beams』)が出たんだけど、地震の頃にちょうどミックスとかマスタリングをしてたんだよね。震災の後、しばらくあんまり音楽を聴けなかったんだけど、仕事でしょうがないから聴いたりしてて。で、なんか坂本くんのつくった歌詞が頭の中に入ってくると、完全にいまの状況を歌ってるとしか思えないような内容だったんで、すごくびっくりしたことを覚えてる。坂本くんもきっと自分でびっくりしたんじゃないかな。そういう時代のムードを敏感に感じることのできる人だから、そういう偶然って、起きちゃうときは起きちゃうんだと思った。


震災の後、しばらくあんまり音楽を聴けなかったんだけど、仕事でしょうがないから聴いたりしてて。で、なんか坂本くんのつくった歌詞が頭の中に入ってくると、完全にいまの状況を歌ってるとしか思えないような内容だったんで、すごくびっくりしたことを覚えてる。

北沢:歌の歌詞が時代を予見してしまうことって、歴史的にこれまでにもあったことだと思うんだけど──

小山田:歌は世につれ世は歌につれ、って。そういうことはあるからね。

北沢:もう4年前か。でも毎年毎年、あの曲がだんだん近くに聞こえてくるような感覚ってないかな? 遠ざかっていけばいいものでもあるのに、逆にちょっと大きく聴こえてくるところが、ぼくにはあるのね。それは不気味なんだけど、この曲のすごさがどんどん巨大化する生き物のように……まるで竜みたいに感じられることがあるというか、繰り返し覚悟を問われているような感じがして。小山田くんにとっても、“続きを”はいまだに特別な曲だったりする?

小山田:うん。あの曲はすごく特別な曲だな、って思ってる。坂本くんといくつかsalyu ×salyuのプロジェクトで作ったんだけど、どれもすごく気に入ってて……。

北沢:去年の11月に、日本科学未来館で開催した『攻殻機動隊』25周年記念のライヴ・イヴェントでは、坂本くんに「出演しない?」って声をかけてみたりしなかったの?

小山田:しない(笑)。つねに「ライヴはもうやらない」って言ってるし。

北沢:たしかにね。彼はいつもそう言ってるんだけど、やっぱり観てみたい気持ちもある。

小山田:そりゃそうだよ。


『攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE/新劇場版 Music Clips:music by Cornelius』
2014年11月24日に開催された日本科学未来館にて行われたイヴェントの模様やスタジオ・ライヴなども収録。
高橋幸宏&METAFIVE(小山田圭吾×砂原良徳×TOWA TEI×ゴンドウトモヒコ×LEO今井)による“split Spirit”では胸の熱くなるライヴ・パフォーマンスを目の当たりにすることができる。

北沢:あのライヴ・イヴェントのキュレーションは小山田くんだから、坂本くんに声をかけて断られたのか、彼の気持ちを慮って声をかけなかったのか、どっちかなと思って。

小山田:しょっちゅう彼もそう言われてるだろうし、その度に「もうライヴはやらない」という話も聞いてるから、ぼくが誘うまでもなく、やりたくなったらやるんだろうな、って思ってる。

北沢:(高橋)幸宏さんと(鈴木)慶一さんのザ・ビートニクスみたいに、ふたりでユニットを組んでみるという発想はないの?

小山田:うん。ぜんぜんない。

(一同笑)

北沢:たしかに想像つかないもんな。


(劇中に出てくる)感情の幅がわりと限定されているぶん、ひとつの感情でいくつかのヴァリエーションをつくらなきゃいけないってことがあって。

北沢:ところで、いまの気分で小山田くんが好きなサントラというと?

小山田:なんだろうね(笑)。

北沢:去年日本公開された、スカーレット・ヨハンソン主演の『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(ジョナサン・グレイザー監督、2013年)という映画を観たんだけど、その音楽をミカチュー(Micachu)っていう女の子がやってたんだよね。

小山田:あ、ミカチューっているね。

北沢:うん、坂本龍一さんとかも評価してる。そのミカチューが、ミカ・レヴィ(Mica Levi)名義でサントラを手がけているんだけど、弦のチームをびしっと揃えて、ある意味、小山田くん的な──エクスペリメンタル、かつ“環境”的なアプローチで、弦を使って緊張感あふれる音色をひりひりとつくり上げてるの。それは聴いてみたらいいかもしれない。

新しい作品も映画館に観にいったりされますか?

小山田:たまには行きますよ。

サントラとして音楽を意識したりしますか?

小山田:まあ、全体で観ちゃうかな。でもサントラだけ持ってるのに映画は観たことない、みたいなものもあるからね(笑)。そういう聴き方もできるほうがいいなあ、と思うけど。

北沢:『インヒアレント・ヴァイス』(ポール・トーマス・アンダーソン監督、2014年)もおもしろかったよ。サントラはレディオヘッドのギタリスト(ジョニー・グリーンウッド)が劇伴を担当していて、1970年のロサンゼルスが舞台だから、その頃の古い曲とかもいろいろ入ってるんだよね。

『攻殻機動隊ARISE』というひとつの作品が展開するのに沿って、サントラもこうしてアルバム2枚を重ねているわけですが、その上で今回の『攻殻機動隊 新劇場版 O.S.T.』と『攻殻機動隊ARISE O.S.T.』を分けているものがあるとすると何でしょう?

小山田:どうなんだろうな……。必要になってくる曲にはヴァリエーションがあって、基本はこういう映画だから、そこに表れる感情の種類がある程度は限定されてくるんだよね。“緊張感”とか“悲しみ”とか“バトル”とか。いきなりギャグが入ってくるようなことはなくて、笑いの要素は少ない。そういうのが「1」「2」の中でだいたい出揃って。だから今回のサントラの方に入っているのは、それにいくつかプラスして、という感じ。「3」「4」「5」に関しては、どっちかというとメロウな話が多くて……(草薙)素子のラヴ・ストーリーとか。だからわりとピアノの曲とかアンビエントとかが多いかもしれない。それは自分で振り分けたというよりは、映画の内容によって、という感じかな。

北沢:たしかに“感情”って大きいよね。音って感情によって決まるようなところがある。劇伴ってそういうものなのかもね。

小山田:うん。感情とか雰囲気とかね。その中でも、(劇中に出てくる)感情の幅がわりと限定されているぶん、ひとつの感情でいくつかのヴァリエーションをつくらなきゃいけないってことがあって。

北沢:なるほどね。同じ曲でもメイン楽器を変えることで、いろんなヴァリエーションをつけたりとか。

小山田:そうそう、いろいろと。このサントラに入っているもの以外にもいろんな曲があって。入っているものでも、たとえば“Moments In Love”っていう曲にはピアノのヴァージョンとハープのヴァージョンのふたつがあって、それ以外にもいくつも──いろんなサイズだったり、リズムトラックが入っているものだったり、メイン楽器がちがっていたり――いろんなヴァージョンがたくさんあるのね。その中からこのアルバム用にエディットしたものが入ってる。


れをやっているとき「ちょっとアート・オブ・ノイズっぽいな」っていう要素があると思ってた。そういう元ネタはけっこうあるんだよね、曲のタイトルに。

北沢:“Moments In Love”ね。このタイトルも小山田くんがつけたの?

小山田:そうです。まあ、もとはタイトルってものが存在してないから。

北沢:坂本くんが詞を書いたものは坂本くんがタイトルを?

小山田:うん。

北沢:“Moments In Love”って聞くと、ふと頭の中をアート・オブ・ノイズがよぎるな(笑)。

小山田:うん、もちろん。そうです。

北沢:〈ZTT〉にもサントラもどきみたいな盤があったような気がする。

小山田:ちょっと〈ZTT〉っぽさもあるかもしれない(笑)。

北沢:トレヴァー・ホーン的な。

小山田:うん、あるかもね。これをやっているとき「ちょっとアート・オブ・ノイズっぽいな」っていう要素があると思ってた。そういう元ネタはけっこうあるんだよね、曲のタイトルに。

北沢:うんうん(笑)。「No.9」って付いてる曲が2曲あるけど、これはやっぱりビートルズの……。

小山田:それは、「9課(公安9課)」っていう設定があるからだね。

北沢:ああ、そうか! こんなふうに一曲一曲、全曲のタイトルの元ネタを訊けたらすごく楽しいんだけど、残念ながら時間が来てしまった……!!


Cornelius
攻殻機動隊 新劇場版 O.S.T.music by Corneliu
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坂本真綾、Cornelius
あなたを保つもの/まだうごく

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V.A.
攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE/新劇場版 Music Clips:music by Cornelius
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Satomimagae - ele-king

 うっとおしい梅雨ですが、曇った空や雨降りを味方につけてしまいそうな音楽もあります。しかも、日本のお寺でそれを聴くことは、
まるでトラベルマシンです。いつも利用している電車から降りて歩くいつもの風景だというのに、そこは異次元の入口です。
 昨年、USのグルーパーに匹敵する作品をリリースしたサトミマガエが、その作品『koko』のリリース・ライヴをやる。場所は、東京は大田区大森の成田山圓能寺。
 共演者は、ele-kingではお馴染みですよ。Family Basikの加藤りま、34423=ミヨシ・フミ、そして畠山地平伊達先生オピトープです。
 そう、これ、かなかり良いメンツなんですよ。しかも、何度も書いているように、お寺でのライヴは、本当に気持ちいいです。


■開催日時場所■
2015年7月4(土曜日)
open 15:30 / Start 16:00
入場料:AD:2,500 Door 3,000
会場:大森 成田山圓能寺 Ennouji (Omori St JR)
住所:東京都大田区山王1丁目6-30
1-6-30 Sannou Ota-Ku Tokyo
 JR京浜東北線大森駅北口(山王口)より徒歩3分
ホームページ https://ennoji.or.jp/index.html
(当イベントについて圓能寺へのお問い合わせはお控え下さい)


■前売り応募方法
下記メールアドレスまでお名前、人数を書いて、メールを送ってください。
katsunagamouri@gmail.com


■Live■
Satomimagae
加藤りま (Rima Kato)
34423
Opitope + 智聲(Chisei)


■Satomimagae
Satomimagae は1989年に生まれ、2003年から現在まで作曲を続けています。東京を中心に活動中です。2012年3月に初のアルバム「awa」をリリース、11月に映画「耳をかく女」の音楽担当。2014年12月にセカンド・アルバム『koko』をWhite Paddy Mountainよりリリース。現在精力的にライヴ活動を展開中。

■加藤りま Rima Kato
2009年よりライヴ活動を始める。ローファイ・ポップを通過しフリー・フォークを経たような哀愁を帯びながらも透明感のある歌声は、ぽつぽつと進むシンプルなアレンジの楽曲によって際立って響く。2010年ASUNA 主宰のカセット・テープ・レーベル WFTTapes から2本の作品をリリース。2012年同氏による3インチCDレーベル aotoao からミニ・アルバム 『Harmless』をリリース。2015年1月、フル・アルバム『faintly lit』をflauよりリリース。2月から5月にかけて日本各地、韓国と断続的に続いたツアーを無事終える。2014年11月に実兄とのユニット Family Basikのファースト・アルバム『A False Dawn And Posthumous Notoriety』をWhite Paddy Mountainよりリリースしている。

■34423
愛媛県出身、東京都在住のサウンドアーティスト。幼少より録音機器や楽器にふれ、音創りと空想が生活の一部となる。 切り取られた日常はサウンドコラージュによって独自のリズムを構築し、電子音に混ざり合い、より空間の広がりを感じさせる。 過去7枚の作品発表し、容姿と相対する硬派なサウンドと鮮烈なヴィジュアルイメージで注目を集め、2013年7月17日に待望の世界デビュー盤"Tough and Tender"(邂逅)をリリースし話題をさらった。その後も都内の大型フェスなどの参加や、ビジュアル面を一任するアートディレクターYU­KA TANAKAとのコラボ作を発表するなど勢力的に活動を重ね、2015年2月に最新作”Masquerade”(邂逅)をリリースした。
また、今夏上映、鈴木光司原作のホラー映画「アイズ」などをはじめ様々な映画の劇伴をつとめている。

■Opitope
Opitope は2002年の秋に伊達伯欣と畠山地平により結成。伊達伯欣はソロやILLUHA、Melodiaとして活動するほか、中村としまる、KenIkeda、坂本龍一、TaylorDeupreeとも共作を重ね、世界各国のレーベルから14枚のフルアルバムをリリース。 西洋医学・東洋医学を併用する医師でもある。漢方と食事と精神の指南書『からだとこころと環境』をele-king booksより発売。畠山地平はKranky、Room40, Home Normal, Own Records, Under The Spire, hibernate, Students Of Decayなど世界中のレーベルから現在にいたるまで多数の作品を発表。デジタルとアナログの機材を駆使したサウンドが構築する美しいアンビエント・ドローン作品が特徴。ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカ、韓国など世界中でツアーを敢行し、2013年にはレーベルWhite Paddy Mountainを設立。

トアン ホチュウエッキトウ - ele-king

 僕たちはからだとこころに悪い毎日を送っている。そうだとわかっていても、その毎日から逃れられないでいる。僕たちは毎日、犠牲を払っている。からだとこころが悲鳴を上げても気がつかない。著書『からだとこころの環境』で伊達トモヨシはそんなことを言いたいのだと思う。せめて自分に与えられたからだとこころの悲鳴ぐらいは自分自身で聞こえるぐらいになろうと、そのための漢方なのだろう。
 ゆにえアンビエントは、いや、アンビエントこそ、この東京でもっともやかましい街が必要としている。

 6月6日午後16時〜、原宿のVACANTで開催の「トアン ホチュウエッキトウ」は、その伊達トモヨシも出演するアンビエントのコンサート。
 音楽のライヴだけでなく演劇団体「マームとジプシー」のふたりや、舞踏をはじめ無数の表現媒体を経て現在ダンサーとして新境地に達しつつある朝吹真秀氏を迎え、融合的セッションを軸に、さらには食と香も取り入れ空間を彩っていく全感覚的なイヴェントだ。
 会場では靴を脱ぎ、寝転ぶもよしな自由な体制で鑑賞する形式で、食事ではあんこお菓子、日本食ごはん、日本酒やどぶろくのも用意される。ごろんろ寝転びながら、「からだとこころ」を解放しよう。

2015/06/06
Open/Start 16:00
Close/ 21:00

Vacant 2F
https://www.vacant.vc/

Ticket
Adv/: ¥3,500
Door/: ¥4,500

ドリンク代別途/全自由席/再入場可◎

会場では、靴を脱いでお上がりいただきます。

出演:
花代
夏の大△(大城真、川口貴大、矢代諭史)
青葉市子
MUI
Tomoki Takeuchi
朝吹真秀
藤田貴大・青柳いづみ(マームとジプシー)
Tomoyoshi Date

DJ : Satoshi Ogawa,Yoshitaka Shirakura
PA : zAk

Drink&Food:

あんびえん(最中)
こくらさんのひねもす食堂(おかずとごはん)
あぶさん(貝つまみと日本酒)
ぽんぽこ屋(どぶろく)

空調 : ono
照明 : 渡辺敬之
会場協力:御供秀一郎、うるしさん
イラスト:伊吹印刷

イベントページ : https://www.facebook.com/events/1649012321994600/
予約ページ : https://www.vacant.vc/d/207

Info/Reserve

Profile:

花代 / HANAYO
東京ベルリンを拠点に活躍するアーティスト。写真家、芸妓、ミュージシャン、モデルなど多彩な顔を持つ。自身の日常を幻想的な色彩で切り取る写真やコラージュ、またこうした要素に音楽や立体表現を加えたインスタレーションを発表する。パレ・ド・トーキョーなどの個展、展覧会多数。ボーカルとしてdaisy chainsaw、Panacea、Kai Althoff、Mayo Thompson、Jonathan Bepler、Terre Thaemlitz、秋田昌美、中原昌也となどとコラボレーションする。tony conrad と舞台音楽で共演したり、bernhard willhelmのショウでライブパフォーマンス、そしてJürgen Paapeとカバーしたjoe le taxiはSoulwaxの2ManyDjsに使われ大ヒットした。写真作品集に『ハナヨメ』『MAGMA』『berlin』、音楽アルバム『 Gift /献上』『wooden veil』などがある。ギャラリー小柳所属。
www.hanayo.com

夏の大△
大城真、川口貴大、矢代諭史の3人による展示/ライヴ・パフォーマンスを行うグループ。2010年大阪の梅香堂での展示「夏の大△(なつのだいさんかく)」を発端に、活動を始める。
www.decoy-releases.tumblr.com

大城真 / MAKOTO OHSHIRO
音を出すために自作した道具、または手を加えた既製品を使ってライブパフォーマンスを行う。またそれと平行して周期の干渉を利用したインスタレーション作品を発表している。近年は川口貴大、矢代諭史とのユニット”夏の大△”としても活動している。
主なイベント、展覧会に”夏の大△”(2010、大阪 梅香堂)、”Mono-beat cinema”(2010、東京 ICC)、”Cycles”(2013、東京 20202)、Multipletap(2014、ロンドン Cafe OTO)、Festival Bo:m(2014、ソウル Seoul Art Space Mullae)、"Strings"(2014、東京 space dike)等。

川口貴大 / TAKAHIRO KAWAGUCHI
主に音のなるオブジェクトやさまざまな光や風、身の回りにあるモノを自在に組み合わせることで、空間全体をコンポーズしてゆくようなライブパフォーマンスやインスタレーションの展示、音源作品の発表を行う。ソロの他の活動では、大城真、矢代聡とのトリオ“夏の大△”、アキビン吹奏楽団“アキビンオオケストラ”、スライドホイッスルアンサンブル“Active RecoveringMusic”が今でもアクティヴ。最近では今までのリリース作品をお金だけでなくモノや出来事とでも買うことが出来るようにするプロジェクトを行っていて、ポルトガルの購入者から郷土料理のレシピを手に入れたり、メキシコに住む購入者の母親の育てた多肉植物を輸入しようと試みている。あとはTEE PARTYでTシャツ作ったり(www.teeparty.jp/products/list.php?mode=search&artist_id=92)DMM.MAKEでコラム書いたり(www.media.dmm-make.com/maker/293/#)もしてます。
www.takahirokawaguchi.tumblr.com/

矢代諭史 / SATOSHI YASHIRO
2003年より自走するウーハーや自作の装置による展示や演奏を始める。同時期より東京墨田区の『八広HIGHTI』の運営などを行い始める。ドラムと動くウーハーのバンド『Motallica』などの活動も行っている。
最近の主な展示:
2010年 「夏の大△」(梅香堂 大阪)
2011年 「Extended Senses」(Gallery Loop 韓国)

青葉市子 / ICHIKO AOBA
音楽家。1990年生まれ。2010年アルバム『剃刀乙女』でデビュー。
これまでに4枚のソロアルバムを発表。2014年には舞台「小指の思い出」でkan sano、山本達久と共に劇伴・演奏を担当。12月にはマヒトゥ・ザ・ピーポーと結成したユニットNUUAMMの1stアルバム「NUUAMM」をリリース。2015年夏にはマームとジプシーの舞台「cocoon」に女優として参加予定。その他CM音楽、ナレーション、作詞家、エッセイ等さまざまな分野で活動中。
www.ichikoaoba.com

MUI
tomoyoshi date, hiroki ono, takeshi tsubakiからなるアンビエントバンド。数多の諸概念・主義主張を融解する中庸思想を共有しながら、所作と無為を心がけ活動中。
www.facebook.com/mui61mui

tomoki takeuchi
幼少より音楽に興味を持ち4歳からバイオリンを始める。バイオリンを中心としたライブパフォーマンスで様々なイベントに出演し国内外の音楽家と共演する。また、バイオリン奏者としても様々な音楽家とのコラボレーションを重ねる。2013年から音楽レーベル「邂逅 (kaico)」を主宰。
www.tomokitakeuchi.tumblr.com

朝吹真秀 / MASAHIDE ASABUKI
「思い返せば26才に発病した28年周期の躁鬱二型に振り回されていただけ」と語る朝吹氏は絵画、デザイン、彫刻、舞踏、舞台美術、音響、照明、フリークライミング、家具制作、パートドベール、とんぼ玉と多岐に渡る活動を経てきたが一環して続いたのは15才からのオートバイだけである。いま60才に60台めのバイクに乗り、舞踏家ではなくダンサーとして鬱から脱出しつつある。

青柳いづみ / IZUMI AOYAGI
女優。東京都出身。2007年マームとジプシーに参加。翌年、チェルフィッチュに『三月の5日間』ザルツブルグ公演から参加。以降両劇団を平行して活動。2013年今日マチ子(漫画家)の代表作『cocoon』、2014年川上未映子(小説家)の書き下ろしテキストでの一人芝居『まえのひ』に出演。近年は飴屋法水(演出家)や金氏徹平(現代美術家)とも共同で作品を発表。2015年6月から8月にかけて全6都市を巡る全国ツアー『cocoon』に出演予定。

藤田貴大 / TAKAHIRO FUJITA
演劇作家/マームとジプシー主宰。北海道伊達市出身。2007年マームとジプシー旗揚げ。2012年「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」で26歳の若さで第56回岸田國士戯曲賞受賞。同じシーンを高速でくり返すことで変移させていく「リフレイン」の手法を用いた抒情的な世界で作品ごとに注目を集め、2ヶ月に1本のペースで演劇作品の発表を続ける。自身のオリジナル作品と並行して、2012年より音楽家や歌人、ブックデザイナーなど様々なジャンルの作家と共作を発表。2013年5月「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」にて初の海外公演を成功させ、翌年ボスニア・イタリア5都市を巡るツアーを行う。2013年8月漫画家・今日マチ子の原作である「cocoon」の舞台化に成功。

Tomoyoshi Date
1977年ブラジル・サンパウロ生まれ。3歳の時に日本へ移住。 ロック、ジャズ、ポスト・ロックなどを経て90年代後半より電子音楽を開始。 ソロ作品に加え、Opitope、ILLUHA、Melodiaとして活動するほか、中村としまる、KenIkeda、坂本龍一、TaylorDeupreeとも共作を重ね、世界各国のレーベルから14枚のフルアルバムをリリース。 西洋医学・東洋医学を併用する医師でもあり、2014年10月にアンビエント・クリニック「つゆくさ医院」を開院 (https://tsuyukusa.tokyo)。随筆家としてelekingで「音と心と体のカルテ」連載中(https://www.ele-king.net/columns/regulars/otokokorokaradakarte/#004182)。漢方と食事と精神の指南書「からだとこころと環境」をeleking booksより発売。
www.tomoyoshidate.info

小川哲​ / SATOSHI OGAWA
イラストレーター。風景やモノを中心に、パターンワークやシンプルな形を使用したミニマルでリズミカルな作画で書籍や雑誌、CDジャケットを中心に活動。また音楽制作会社での勤務経験をもとに、ミュージックガイド「5X5ZINE」の制作/刊行を定期的におこなっている。
https://satoshiogawa.com/

YOSHITAKA SHIRAKURA
ノイズ・アヴァンギャルド、テクノとの混合、前衛的な”間”とビートの高揚感が、空間を特異に歪ませていく。 テクノとノイズを越境するパーティー”Conflux”を、代官山Saloonにて主催している。写真家としても活動し、様々なライブ、アーティストを撮影し、制作担当として映画『ドキュメント灰野敬二』にも関わる。
https://ysrn13.wix.com/yoshitaka-shirakura

Drink&Food:

あんびえん
餡子作りという限られた材料を元に独自の配合を研究し、日々理想の餡子を模索し続ける小豆研究家、池谷一樹によるケータリング餡子屋。一丁焼きたい焼き屋を目指し日々試行錯誤を繰り返している。今回は最中をまた同時にadzuki名義で活動する音楽家でもある。
https://adzuki-music.tumblr.com/

こくらさんのひねもす食堂
本業とは別に、生活の大切な一部として食に向かう。なんてことない料理でひねもす(一日中)おもてなしします。

あぶさん
高円寺の「あぶさん」、鴬谷の「うぐいす」、恵比寿の「あこや」と伝説を創りつづけてきた貝料理専門店より、この日限りの絶品貝つまみと日本酒を提供していただきます。

ぽんぽこ屋
手造りどぶろく屋。
無農薬自然農法のお米、神社の御神水から醸される、生きた微生物達の小宇宙は、全細胞が喜び踊る、奇跡の酒。まずは一杯どうぞ。


Alva Noto - ele-king

 過去は同時に未来だ。いまや私たちの時間はリニアには進んでいない。過去と呼べるものは、常に未知のフォームとして再生成し、未来に置かれるからだ。それはリングのように円環している時間構造といえよう。クリストファー・ノーランの映画『インターステラー』のように、過去と未来という時間の概念が紙の両面のように存在する感覚は、21世紀=インターネット的に階層化したデータ閲覧社会を生きる私たちにとっては実感できる感覚のはずだ。新/旧という概念がフォルダの中に並列に置かれ、無制限にコピーされていく。コピーの余剰に生まれるノイズ。そして、その果てにある新しいロマン主義の誕生……?

 カールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトが2007年から進める「ゼロックス(Xerrox)」シリーズは、現代社会を覆うコピー=オリジナルという問題をテーマとしたアンビエント作品だった。同シリーズは2007年に「Vol.1」、2009年に「Vol.2」がリリースされており、今回、6年ぶりにリリースされる本作「Vol.3」によってシリーズは、さらに大きな円環を描く。
 「Vol.1」が「旧世界へ」、「Vol.2」が「新世界へ」がテーマだった。そして、本作「Vol.3」のテーマは「宇宙にむかって」。宇宙という円環する時間領域にむけて、まるで反射する光のように美しい音響/音楽で結晶させていくのだ。このアルバムはまずもって徹底的に美しい。

 先に書いたように、「ゼロックス」シリーズは、オリジナルとコピーという現代的な諸問題をテーマとしつつも、音楽的にはカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトによるアンビエント作品となっている。2000年代後半以降のカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトは、大きく分ければ、「ユニ(Uni)」シリーズがビート作品、「ゼロックス」シリーズがアンビエント作品と2系列に分かれている。その2つのシリーズによって、90年代からのデザイン的/建築的/科学的な音響構築から一歩も二歩も前進し、「音楽」というもののフォームを、ビート(リズム)とアンビエント(ドローン)の両極から刷新させてきた。

 ビート・トラックである「ユニ」シリーズが、バイトーンとのダイアモンド・ヴァージョンへと発展し、ポップ/アートの様相を極めていくことに対し、「ゼロックス」シリーズは、まるでカールステン・ニコライの個人史へと遡行するように、より内面的な作品となっている。
 この「Vol.3」は、「宇宙にむかって」というテーマからもわかるように本作がSF映画的だが、『2001年宇宙の旅』にせよ、『惑星ソラリス』にせよ、『コンタクト』にせよ、『インターステラー』にせよ、「宇宙の果て」で人は自分自身の投影するもの(コピー?)と出会い、そのことによって自らの内面性が乱反射し、自己の再認識(=再統合?)が行われる構成であった。
 いわば世界の果ての自己との邂逅。本作もまた、宇宙的な音響と旋律の中に、カールステン・ニコライの幼少期の記憶が圧縮され解凍されていく。

 事実、本作はカールステン・ニコライが幼少期・少年期に観たであろう『惑星ソラリス』などのSF映画にインスパイアされているという。アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』は1972年のフィルムなので、1965年生まれのカールステン・ニコライ、6歳か7歳のときの作品ということになる。もっとも東ドイツで生まれた彼が「ソラリス」を観たのはもう少し後かも知れないが、いずれにせよ、彼の幼少期である70年代の記憶や気分とこの映画がつながっているのはわかる気がする。
 そう、この『ゼロックスVOL.3』には、幼少期や当時に観たSF映画への追想などによって、彼の「70年代の記憶」が折り畳まれているのかもしれない。現代社会におけるコピーとオリジナルの問題をアンビエント/グリッチノイズ作品として昇華した「ゼロックス」シリーズが、「Vol.3」において、このようなパーソナルな領域に行き着いたことは非常に興味深い。

 カールステン・ニコライの幼年期の記憶。それは「東ドイツの幼年時代」とでもすべきものか。さながらヴァルター・ベンヤミン的でもあるが、それと呼応するかのように、この作品はカールステン・ニコライの旅行=トランジットのさなかで(空港で、飛行機で、車中で)制作されたという(マスタリングなどの仕上げは2014年にスタジオで行われている)。つまり、本作には旅の記憶と幼少期の記憶が交錯している(つまり、この『ゼロックスVol.3』は東ドイツ出身のアーティストのエッセィ的なアルバムとはいえないか)。
 また、「70年代とドイツ」とすると、70年代のクラフトワークや初期タンジェリン・ドリームなどジャーマンロックとの関連性も無視できない。本作の重く暗い旋律とアンビエントなサウンドにはそれらからの(無意識の?)影響を強く感じる(同時に硬いノイズの響きが現代へと直結している)。
 さらに「ゼロックス」シリーズには、アルヴァ・ノトの作品にあって旋律的な要素が表面化しているのだが、本作は、旋律は、はっきりと「作曲」という次元にまで高められている。このメロディはまたドイツ的なのだ(10曲め“Spiegel”のピアノは誰の演奏か。クレジットはない。坂本龍一のようにも聴こえるが……)。

 幼少期。映画。音楽。ドイツ。旅。それら記憶のフラグメンツが交錯するときに生まれるロマンティックな電子音響。それが本作だ。私は、このようなアルバムをカールステン・ニコライが作ったことに「成熟」を聴きとりもするが、同時にある種のロマン主義の萌芽を感じもする。そして、このパーソナルな個人史や内面への遡行は、2015年現在の電子音響の状況を考える上でとても重要なことではないかと思う。
そう、私たちはインターネット社会以降の新しい「ロマン主義」を生きている。コピーとノイズが溢れかえり、それらがすべて可視化されてしまう社会。その「悪い場所」において、より個人の内面性や実存性を重視すること。そのロマンティックな記憶の結晶が、新しい「美学」とでもなるかのように(だが、それは外部への連携として表出してはならず、あくまで個人の中に煌めきとして輝くべきものとも思える。それが作品化されるからこそ美しい)。

本作に煌めいているパーソナルで美しい響きは、そんな現代社会からの美しい乱反射のようにも思えてくる。2015年の最重要電子音響作品だ。

「あなたの薬は本当に治療薬ですか? 」
──免疫学を学ぶ医者にしてアンビエント・ミュージシャンの
伊達伯欣(ともよし)が送る、21世紀の「漢方生活入門」。

大学院で免疫学を研究してきた医者であり、坂本龍一とのコラボレーション・アルバムもリリースする、インターナショナルなアンビエント・ミュージシャンであり、さらには人気のクリニックを営む漢方医である著者。
東洋医学の見地から「健康」を捉え直し、間違った認識の食事法の誤解を解き、現代病の数々……うつ病、不眠などなどからの回復を指南する。

からだとこころの環境 - ele-king

蜜と富だけを求め
自分の健康に気を配らないヤツは消え失せろ
ジュニア・バイルズ“フェイド・アウェイ”

 だいたい音楽というのは、健康など顧みないどころか身体に悪いことをさんざんやってきてはしかもその素晴らしい成果を残しているほどの文化なので、健康の問題となったとき、医者から酒は身体に悪いと言われても、どちらかと言えば、呑まずにやってられっかばーろーという立場を支持してきたと言えるだろう。若さ故の暴走だ。ハラが減ったら、コンビニでパンでも買って胃に流し込めばいいだろう。
 たしかに若いうちは暴走しても無理が利くのだが、当然、人間の保証期間と言われる40歳を過ぎたあたりから、現実的な支障が出てくる。しかも医療費というのがこれまた金銭的にもバカにならない。それどころか、村上春樹も言うように、身体な調子はその行為において、とくに内面が関わるときは影響が出てくる。現実の試練のなかで、心が折れそうになったとき、実際に折れてしまうと、これまた現実もますますたいへんなことになってしまうものだ。
 さらにまた、健康問題は社会問題でもある。たとえば、昔は花粉症などなかった。しかし、高度経済成長期の日本政府が、林業の効率化をはかるため、本来あった広葉樹を切り、産業的に効率のいい針葉樹を大量に植えたために起きるようになった現代のアレルギー病だ。当たり前だが、昔は花粉症はなかったし、ほとんどの欧米にもない。

 ある意味、健康の問題は、大きな問題でありながら、これまでいろいろな主題を扱っていた音楽においては、なかば避けられていたことのひとつだろう。

 伊達伯欣(だてともよし)は、いかがわしい魔術師ではなく、ふだんは西洋医学の臨床の現場で働いている医師だ。現代的な医療の現場から医学と音楽を考えるという、珍しい医師であることは間違いない。電気も通らない山小屋で暮らしていた人ではなく、若い頃はジェフ・ミルズで踊っていたほどの人で、現在も都内の大学病院に勤めている。
 そういう人が、アンビエント・ミュージシャンとして国際舞台でも活躍して、そして、医師としては、じょじょに漢方医学の効果に目覚めていったことは、とくに90年代からele-kingを読んでいるような、ある世代以上の方々には興味深いのではないだろうか。
 というか、ele-kingではすっかりお馴染みの伊達伯欣だ。イルハ(Review)、オピトープ、最近では、坂本龍一とテイラー・デュプリーとの共作……中途半端にはなっているが、連載中のコラムもある。

 信じられない話だが、彼の個人医院であるつよくさ医院の待合室では、アンビエント・ミュージックが流れている。
 それって不謹慎なことだろうか。
 病院の待合室は、つねに無音か、さもなければNHKのニュースが流れていればいいのだろうか……という慣習化された病院の日常に対して、人に平穏さをもたらす目的で作られたアンビエント・ミュージックをここで流さなくてどうするとでも言いたげに、実際に、それまでの人生でアンビエント・ミュージックとはまったく関わりのなかった中年女性がその作品名をメモしたりとか、明らかにリアクションがある。

 伊達は、このように自分が音楽で得たことを臨床の現場で活かしているわけだが、そもそも音楽文化に身を置く医師が書いた医療書というのは、世界的にも珍しいのではないだろうか。

 彼の『からだとこころの環境』は、健康というものの考え方を西洋医学と東洋医学との見地から検証しつつ、同時に社会問題とも照らし合わせながら、よりよい医療を考察し、実践するための本だ。西洋医学の対処療法の長所短所を解説する。「1日30品目」や「牛乳は身体に良い」などという常識の間違いを指摘しながら、よりより食事法の指南もある。ストレスや「怒り」の問題にもけっこうなページを割いている。
 「からだ」「こころ」「環境」についての章があり、そして、巻末には彼のお勧めのアンビエント・ミュージックの作品の解説もあるという、かなり画期的な本になった。
 40歳を過ぎた人、ないしは女性、自分の健康生活を反省したい人には、とくに読んで欲しい。

伊達伯欣
からだとこころの環境 ――漢方と西洋医学の選び方
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Ryuichi Sakamoto、Illuha、Taylor Deupree - ele-king

 私はジョン・ケージが「聴くこと」のみを単純に推奨したとは思えない。どう考えても事態は逆だ。ケージはむしろ「聴こえないこと」の問題を人生かけて追及したのではないか。あの有名な無響室での彼の経験は、聴こえないことの驚きであったはずだ。ケージは音を「生きているもの」「捉えられないもの」として、いわば不確定な運動体として認識していたと思うのだが、無響室においては音が止まっている経験をした(のかもしれない。そんなことは本人しかわからない。だがそれで何が問題あるのか?)。音が聴こえず、真空状態にいること。音が止まっている経験。聴こえるのは体内の音のみ。それは死に限りなく近い体験であったともいえよう。つまり音の極限地点であったのだ。

 その意味で「静寂な」エレクトロニカ以降のアンビエント/ドローンやフィールド・レコーディング作品がときにケージの美学を援用するのは、「ジョン・ケージという作曲家のイメージ」を借用・援用したに過ぎない。大谷能生が言うように、「4分33秒」は休符の音楽だし、休符はカウントしなければならないのだから、そのとき演奏者は厳密には世界の音のざわめきなどを聴いて恍惚になっている場合で(暇)はないはずだ。演奏者は自分の/他人の音楽を聴かなければならない(黙々とカウントしている)。
 とはいえケージの思想は極端な両義性をもっているからこそ誤読できるし、誤読できるからこそ、普及しやすい。それゆえ誤読の豊かさがあるともいえる。それは事実だ。だが、本当にジョン・ケージは「聴くこと」のみを推奨していたのか。彼の言説にはどこかにトリックがないかともう一度疑ってみるのも悪くはないはずだ。それこそ誤読の可能性として。そもそも「音楽を演奏する」と、「世界の音を聴く」というのは、相反する矛盾を孕んでいないか。

 坂本龍一もまた、音楽/ノイズという両義性を生きてきた音楽家だ。坂本は類稀な作曲家でありながらも、同時に、ノイズに対して柔軟かつ鋭敏な感性を持ちつづけているサウンド・アーティストであり、ノイズ・コンポーザーであった。私はこのような両義性こそ、この音楽家の本質ではないかと思っている。たとえば、あのYMOの活動も、坂本にとっては新しい音色の探求と発見という側面も強かったはずである。だからこそ彼は2000年代を通じてカールステン・ニコライ(アルヴァ・ノト)やクリスチャン・フェネスらエレクロトロニカ/電子音響アーティストとのコラボレーションを続けてきたのではないか。そして細野晴巨、高橋幸宏ら「盟友」との再会・再合流もエレクトロニカを介してものではなかったか(90年代には『愛の悪魔』のサントラがある。坂本ノイズを満喫できる傑作だ)。
 その音楽/ノイズという両義性は、2009年にリリースされた坂本のソロ・アルバム『アウト・オブ・ノイズ』以降、より随所にあきらかになっている(正確には2004年の『キャズム』をもうひとつの中継点とした00年代全般だが)。彼は作曲家として世界のノイズをリ・コンポジションしようとしている。そこで坂本が取った方法論は何か。私は、即興=インプロヴィゼーションとコンポジションの交錯であったのではないかと思う。さまざまな音への反応によって、世界の音を再構築していく行為だ。彼が2000年代を通じて行ったカールステン・ニコライやクリスチャン・フェネスとの共同作業もインプロヴィゼーションからはじまってコンポジションへと行きつく創作であったはずである。グリッチからアンビエントへ、という変化もこれに呼応している。だが、これは世界的な傾向でもあった。坂本はつねに世界の無意識にアジャストする。

 この2015年にNYのレーベル〈12k〉からリリースされた坂本龍一とテイラー・デュプリーとイルハ(コリー・フラーと伊達伯欣)の3組(4人)による『パーペチュアル』がリリースされた。本作もまた、エレクトロニカ以降のインプロヴィゼーションとコンポジションの交錯としてのアンビエントを、より深い次元で実現している傑作であった。
 演奏は2013年夏、山口のYCAMで繰り広げられたもの。4人での演奏はこれが初という。もっとも坂本はテイラーと共演経験があり、すでに〈12k〉からデュオ・アルバムを出しているし、イルハも〈12k〉からアンビエント作品をリリースしており、いまや新時代のアンビエント・アーティストと目されている。彼らのファースト・アルバム『shizuku』は、鎮静と静寂を与えてくれる傑作だ。もちろんテイラー・デュプリーとの競演の経験もある。
 だが、4人という状態になったことで、それぞれの共演とがちがう奇跡が起きたようにも思える。坂本龍一、テイラー・デュプリー、イルハらによる3組4人の演奏は、偶然とコントロールの狭間で揺らめいている。まるで光のように。まるで空気のように。坂本は彼らしいピアノをほとんど演奏していない。そのかわりに叩く、擦る、落とすなどしていてサウンドを生成させている。まさに「アウト・オブ・ノイズ」。

 何より、これがインスタレーション的なサウンド・アートではない点が重要だ。彼らはそれぞれの演奏者の音を意識しつつ、ときに受け流し、ときに反応をしている。つまり「音楽を演奏している」のだ(と同時に彼らの音はパフォーマンスである。かつて坂本が影響を受けたナム・ジュン・パイク的な演奏ともいえる)。
 朝霧のような持続音からはじまり、まるで明け方から早朝にかけての大気の変化のような1曲め“ムーヴメント1”、繊細な音と微かにプリペアドされた異物感のある音などが蠢く2曲め“ムーヴメント2”、カサカサと鳴る静かなノイズの狭間から、水滴のように美しいピアノが鳴り響く3曲め“ムーヴメント3”まで、まさに光の陰影のような音響/音楽である。
 このアルバム(録音)で注目すべき点は何より3人の個が音の空気の中に融解している点だ。反応と生成によって生まれる音響空間は、それぞれ個性的な音楽家の個性を消し去る。音を聴いているかぎりでは3曲めに僅かにあらわれる坂本のピアノなどを除き、どの音を3人が発生させているのかは即座にはわからない(担当楽器のクレジットと照らし合わせ、よく聴けばわかるが)。インプロヴィゼーションからの無の生成。それはけっしてネガティヴな意味ではない。美しい音響の空間の生成のみ貢献しているのだから。個人的には2曲めに突如響くコインが落ちる音のようなサウンドにとても惹かれる。なんという美しい音だろう……!

 そうして生まれた美しい音の群れは、私たちの耳を静かに通り過ぎていく。「聴く」という後期の恣意性は宙吊りにさせられ、音の繊細な変化に、ただ耳を傾けることになる。そう、聴き手は音を捕まえることはできない。音響による無の生成。それはアルバム名とおり「永遠」をも意味しているはずだ。永遠=無。この「永遠」の領域においては「聴こえる/聴こえない」の距離は、そう遠くないものとして存在している。「生きること」と「死」が常に隣り合わせのように。動き。持続。変化。永久。無。つまり「音楽」とは生と死の営みなのであり、即興と作曲は人生そのものを刻みつける行為なのだろう。


(追記)
 本年2015年に入り、坂本龍一関連のリリースが相次いだ。中でも2005年から2014年までの未発表曲集『イヤー・ブック2014-2015』は非常に重要なアルバムである。2005年以降ということは、坂本流のグリッチ・ミュージックの消化ともいえる『キャズム』以降であり、また、アンビエント/ドローン(およびポスト・クラシカル)の時代を先駆けた2009年の『アウト・オブ・ノイズ』直前と以降を挟んでいる重要な時期に当たる。クリスチャン・フェネスやカールステン・ニコライ、クリストファー・ウィリッツなどと共作を行っていた時期でもあり、どの楽曲も(とくに2011年以前)、彼の音楽のドローン性とそのドローンの内部に運動する微細なサウンドが、静謐な音響の中に生成していくさまが手にとるようにわかってくる。また、2009年以降の音には、来るべきソロ・アルバムの萌芽を聴きとることも可能だろう。美術館やCMなどのために作られた音楽だが2000年代中盤から2010年代初頭の坂本龍一が、いかにサウンド・アーティスト/ノイズ・コンポーザーとして充実していたのかをあらためて知ることができる。このような充実した曲がいままでリリースされなかったことは、彼の現在進行形としての音楽家としての全体像を私たちは捕まえていなかったことになる。まさに発表されなかった幻のソロ・アルバムといっても過言ではない。また、ようやくリリースされた『音楽図鑑 2015エディション』は、本編であるディスク1のリマスターも、いたずらに音量・音圧を上げずに音の解像度を明確するというじつに素晴らしいリマスタリングが行われており必聴だったが、マニアなら未発表曲・テイクのみを収録したディスク2も貴重な音源だ。とくにラストに収録されたアンビエント/ドローンな未発表曲“M33 アンタイトルズ”は、この作曲家にとって音の内部にミクロに動く音の運動がいかに重要なエレメントであるのかわかってくる。坂本本人もインタヴューで語っていたが、たしかに彼の現在の作風に近く、非常にいまを感じる曲だ。

Ken'ichi Itoi a.k.a. PsysEx - ele-king

 「ノイズ」はときに誤用され、ある錯乱を経由し、そして最終的には、いくつかの形式を希求する(ここでいう「ノイズ」とはいわゆるノイズ・ミュージックではなく、音のエレメントを意味する)。その形式のひとつに録音がある。録音されることによってノイズは形式を与えられる。与えられた形式は構造と構成を求めるだろう。結果、ノイズは音楽になる。何気なく録音された環境音でも、録音という行為によって切り取られたとき構造を獲得してしまう。そして音が構造を獲得したとき、音楽の萌芽が生まれる。たしかに録音というテクノロジーは、そもそも音楽的用途のためだけではなく、音を記録するという実務の意味も大きいが、しかし音に構造を「与えてしまう」という意味で、そもそも音楽的なツールとすらいえるはずだ。
 そして構造とはリズムである。たとえば4分33秒の環境録音をループすると4分33秒ごとのリズムが生まれる。その人為的なリズムの狭間に、偶然によって作用したリズムを、録音はより際立たせることになる。
 さらに録音とはメディアだ。メディアは拡張する。レコード、テープ、データと20世紀は録音メディアの拡張の時代でもある。拡張されたメディアはそのまま音楽制作にも影響を与えてきた。テープ編集からコンピューターHD内のエディットへ。音の操作が極度に上がり、それに伴い情報量も格段に増えた。ロック、テクノ、エレクトロニカ。そう、電気の音楽たちの系譜。音の層と運動性は人為的な演奏力を超え、ノイズの運動として人の聴覚を錯乱・拡張する。ジミ・ヘンドリックスのギター、坂本龍一のシンセサイザー、カールステン・ニコライのコンピューターなどのように。

 いま、ノイズとメディアの拡張の歴史である電気/電子音楽の系譜に一枚のアルバムが加わる。糸魚健一=サイセクスの3年ぶりのニューアルバム『アペックス(Apex)』である。
 糸魚健一は京都の老舗電子音楽レーベル〈シュライン・ドット・ジェイピー〉の主宰だ。彼はコンポジションからエンジニアリングのすべてを手掛け、サウンドによる哲学を導きだし、そこから現代性へと鋭く切り込んでくる音楽家でもある。本作もまた先に書いたノイズの問題、メディアの問題をまさに現代的な方法論で追及している。このアルバムは00年代エレクトロニカの最良の成果の発展と、2010年代の現在において電子音楽全般に欠けているものの補完が見事になされているのだ。電子ノイズ=グリッチの柔らかな活用とファンクネスの導入である。そして、そこから導き出される音響/サウンドの追求である。

 EDMが普及して以降、大衆的なポップ・ミュージック・フィールドの電子音楽は、さらに音圧重視となった。強烈な音響で一瞬にして聴覚をアディクトさせること。この音圧重視の風潮は必ずしも大衆的とはいえないエレクトロニカや電子音響にも影響を与えているように思える。だが本当のところ、この種の音楽にとって重要な点は音量によってアディクトだったのか。そうではなく音響の運動と質が重要だったのではないか。そして、音の運動にはそれが必要する質感があるはずだ。
 この『アペックス』の音は、ドーピング的なアディクト性よりも、むしろビートやリズムから導き出された(必要とされる)中域や低域の豊かさを重視しているように思える。それが電子音響/エレクトロニカにおけるファンク/ファンクネスの導入だ。ファンク・ミュージックでは中域から低域の震動が重視される。電子音楽の高音重視とは反対の志向性である。それは本作でも同様だ。私など、そこにこそ糸魚の明確な意図(現状へのアゲインスト?)を感じるのだ。その意味で〈ラスター・ノートン〉からリリースされたアオキ・タカマサの『RV8』と並べて語られるべき作品かも知れない。
 さらには、細やかにレイヤーされるグリッチは、時にまさにエラーのような大胆さで聴覚を刺激する。グリッチとはエラーを誤用することである(また、瀟洒な和声感のレイヤーも素晴らしい。このミニマルなコード感にもザスライ&ザ・ファミリー・ストーンなどファンク・ミュージックの遺伝子を感じてしまう)。

 音響的快楽を過剰に提供するのではなくて、構造と和声とノイズという「形式と逸脱=リズム/誤差」の拮抗によってサウンドの構築をすること。音響へのアディクションだけではなく、「音楽を聴く」という心理状態に聴き手を持っていくこと。本作において、そのような二つの作曲行為が行われているのだ。00年代のエレクトロニカは、主に和声を排し、高音域を中心とした耳の快楽を追求されてきたものだが、本作では低域の豊かな響きの獲得と(または透明でミニマルコード感の追求)、刺激的なグリッチ・ノイズが見事に交錯されているのだ。また、かつてのフォークトロニカや一部のポストクラシカルのように安易な音楽へと反動的回帰をするのではなく、マシニックなミニマルさを徹底的に追求=基調としながらも、身体と心に効いてくるフィジカルな電子音楽作品に仕上がっているのである。この深いグルーヴ感覚。ダンス・ミュージックとしての機能性も絶大だ(その意味で本作はテクノである)。

 本作はメディアの問題も批評的かつ越境的に思考をしている。この『アペックス』は、CD、アナログ、カセット、i-Tunesとメディアを横断する形でのリリースがされる。つまりメディアの拡張実験が行われているのだ。先に書いたようにメディア=媒体の特性によって、音は変化を要求される。『アペックス』プロジェクトにおいては、その問題を見越すかのように、CD、アナログ、カセットとアレンジを変えてリリースされる。しかもアナログはプレス枚数が限定27部という超小部数という。だが、これはいたずらにレア感を狙うものではない。そうではなく複製媒体のリミテッド性(限定性)アート性とも関わってくる状況設定ではないかと思う。
 複製芸術作品としての存在感を高める上で、津田翔平(https://shoheitsuda.net/)によるアートワークも重要なエレメントだ。本作のヴィジュアルは視覚の誤差を利用し、平衡感覚を狂わし、知覚に作用するソリッドなイメージとなっている。これもまた「形式と逸脱=リズム/誤差」といえよう。
 それにしても〈シュライン・ドット・ジェイピー〉は、i-Tunes限定の月刊連続リリース、ショータ・ヒラマの4枚組ボックスセット『サーフ』など、本年もメディア/形態の両極を揺さぶり続けている。ここからも同レーベルが20世紀の録音メディア、複製作品のリリースという問題に鋭く切り込んでいっているのが理解できるだろう。

 メディア、ノイズ、ヴィジュアル、それらの形式と状況と錯乱を駆使した2015年のテクノロジカル・ニュージック。現在最先端の電子音楽を聴きたい方ならば、まさに絶対必聴のアルバムである。

Steve Roden & Stephen Vitiello - ele-king

 1964年生まれのアメリカ人サウンド・アーティスト、スティーヴ・ロデンとステファン・ヴィティエロのコラボレーション作品がリリースされた。
 それぞれ強い個性を持った音響作家だが、その音楽活動をパンク・バンドからはじめたこと、そして90年代中盤以降は静寂と空間性をあわせ持ったインスタレーション作品や音響作品を発表してきたことなど、いくつかの共通点を見出すことができる。

 各々のコラボレーション音楽作品を軸に、ふたりの経歴を振り返っておこう。まずはスティーヴ・ロデン。彼は1997年に最初のソロ・アルバムをリリースし、1999年には佐々木敦主宰の弱音響レーベル〈メメ〉からブランドン・ラベルと『アンド・ザ・ワールド・ワズ・カーム』を発表する。ロデンはロウアーケース・サウンドのアーティストとして、繊細/大胆な音響が評価されてもいた。ロウアーケースを代表するアーティストであるバーナード・ギュンターとリチャード・シャルティエとの競演作『(フォー・モートン・フェルドマン)』(2002)というアルバムもリリースしたほどである。そのシャルティエのレーベル〈ライン〉からも、『フォームズ・オブ・パップ』(2001)、『エアーフォーム』(2001)、『プロキシミティーズ』(2001)などの傑作ソロ・アルバムを発表している。
 最近の競演作では、テイラー・デュプリー主宰の〈12k〉からリリースしたスティーヴ・ピーターズとの『ノット・ア・リーフ・リメインス・アズ・イット・ワズ』(2012)が素晴らしかった。空虚の中に生成する音響の美といった趣。2014年には、〈ラスター・ノートン〉の創始者の一人でもある電子音響/音楽家のフランク・ブレットシュナイダーとの2004年競演録音『スウィート・ニュイ』を〈ライン〉からリリースし話題を呼んだことも記憶に新しい。
 そのほかの共演者も、フランシスコ・ロペスからジェイソン・カーン、テュ・ムからマイ・キャット・イズ・アン・エイリアンまで、90年代から00年代の音響シーンを代表する人物ばかりである。ロデンの全仕事や経歴は彼のサイトで詳細にまとめられているのでご覧いただきたい。絵画、造形作品、インスタレーション、録音作品など、ロデンの多岐にわたる才能を知ることができるだろう。

 ステファン・ヴィティエロは、1995年にソロ・アルバムをリリースし、インスタレーション(2012年、坂本龍一プロデュース「アートと音楽 新たな共感覚を求めて」展に出品された作品を覚えている方も多いはず)、コラボレーション・アルバムなど数多くの作品/リリースを発表している。スキャナーやテツ・イノウエとのコラボレーション作もある。
 近年のコラボレーション・アルバムとしては、〈12k〉から発表したマシンファブリックとの『ボックス・ミュージック』(2008)、同レーベルからリリースされた音響作家モリー・ベルグとのコラボレーション作品『ザ・ゴリラ・バリエーションズ』(2009)などが重要作だろう。特に『ザ・ゴリラ・バリエーションズ』は、エレクトロニカ以降のアンビエント+フィールド・レコーディング・ムーヴメント初期の傑作である。二人は2013年に4年ぶりの新作『シェイプス・ユー・テイク』を、同じく〈12k〉からリリースしたが、こちらも叙情性に満ちた素晴らしいアルバムであった。
 ヴィティエロは、テイラー・デュプリーやローレンス・イングリッシュなどともコラボレーションを行っており、サウンド・アートだけはなく、アンビエント/ドローンにおいても重要アーティストと目されている。彼の活動も自身のサイトに纏められているので注目したい
 さらに、ロデンとヴィティエロの〈12k〉リリース作品として忘れてはならないのが、2011年にリリースされたモリー・ベルグ、オリヴィア・ブロックらとのユニット、モスのEP『モス』だ。この音源は、彼らが教会で行った演奏の記録であり、フィーレコやドローン、コルネットの演奏が交錯する濃密な音楽である。25分程度の収録時間だが、00年代以降のアンビエント/ドローンにおける最良の瞬間が記録されているといっても過言ではない。

 そして本作『ザ・スペーシイズ・コンテインド・イン・イーチ』は、ロデンとヴィティエロの競演作だ。ローレンス・イングリッシュが主宰する〈ルーム40〉から2014年にリリースされたアルバムである。内容はニューヨークのコーネリアス教会に展示されたインスタレーション作品の音源化。どうやらコーネリアス教会特有の音響空間を活用した作品のようである。
 このアルバムの重要な点は、インスタレーションの音響部分だけではなく、展示作品から発せられる音と、その教会の展示空間に鳴り響いていた環境音を含めて音源化していることだろう。空気のような音響が断続的に生成し、いつのまにか消え、また鳴り響く。教会内に横溢する響きや、響き渡る鐘の音などが交錯する。さらには近隣を通りすぎる車の音や、子供たちの声などの環境音なども繊細にレイヤーされ、見事なサウンド・アンサンブルを奏でられているのである。いわゆるフィールド・レコーディング作品に近い感触がある。また、開放的/空間的な音響は、ロデンの諸作品を思わせもする(2011年の『プロキシミティーズ』など)。むろん、ヴィティエロらしい柔らかな音響的持続も健在で、密なコラボレーションが行われたことが想像できる。

 スティーブ・ロデンとステファン・ヴィティエロは、共にパンクの轟音から音楽活動を始め、やがて静寂へと行き着いた。そこにジョン・ケージ的な思想との出会いがあったとは容易に想像できるが、しかし彼らにとって「静寂」「聴くこと」は、ケージ的なそれよりも広い空間性の中で、穏やかに、微かに鳴り響いているように感じられる。テクノロジーの精密さを使ったリラクシンの生成。それこそ「90年代以降のポスト・ケージ的な音響世界」ではないか。空虚で、穏やかで、そして美しい非現実的な音響空間の生成。歴史の終わり。それゆえの小春日和の感覚。
 もうすぐ寒い冬が終わり、暖かな春になるだろう。穏やかな陽光の中、音楽プレイヤーのヘッドフォンから流れる彼らのサウンドと環境音がミックスされていく快楽を味わいたい。そこで展開されるリラクシンで空虚で穏やかなポスト・ケージ的音響世界は、私たちのそれぞれの耳と思考に、「世界」の豊穣さを教えてくれるに違いない。

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