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Satoshi Tomiie New Day Abstract Architectur |
ハウス・ミュージックの生みの親、フランキー・ナックルズにその才能を認められ、ハウス・シーン興隆の時代から現在まで世界の第一線で活躍しつづけるサトシ・トミイエ。90年代に世界中のハウス/R&Bファンから熱い支持を受けたデフ・ミックス・プロダクションズで不動のキャリアを確立した彼は、その豪華でソウルフルな表現から離れることをみずから選び、脱皮するようにスタイルを変化させてゆく。
日本人でありながら、黒人文化から派生したハウス・シーンの中心で活躍した彼にとって、歌、とはなにか。なぜ徹底的に音を削ぎ落としてゆくのか。PCでのDJからレコードに回帰して見えてくるものや、いまだからこそアナログ機材に向き合うおもしろさ──。先日発表されたばかりのセカンド・アルバム『New Day』について、そして現在のハウス・シーンの状況も含めた幅広い内容について訊ねることができた。
東京出身のDJ、プロデューサー。1989年、故フランキー・ナックルズとの伝説のコラボレーション作「Tears」でデビュー。NYへ渡りDEF MIX PRODUCTIONS の一員としてハウス・ミュージックの礎を築き、ロバート・オーウェンズなどのアーティストとのコラボや、『Renaissance: The Masters』シリーズなどのミックス作品の発表、坂本龍一、デヴィッド・ボウイ、マイケル・ジャクソン、マドンナ、マライア・キャリー、U2ら有名アーティストへのリミックス・ワークなど、25年を超えるキャリアをつねに一線で活躍してきた。2015年、セカンド・アルバムとなる最新作『New Day』をリリースする。
いまは何でもできるから、逆に何でもできないほうに行ったのかもしれないです。
■今回アルバムを聴かせていただいて、以前からの印象もあるのですが、ものすごく削ぎ落された曲作りを追求してらっしゃる印象があり、またシカゴ・ハウス的な雰囲気も感じました。収録曲のリミキサーにシェ・ダミエ(Chez Damier)やロン・トレント(Ron Trent)、DJスニーク(Sneak)といったシカゴ勢も起用していますし。でもデフ・ミックス・プロダクションズ(Def Mix Productions)に加入してバンバンやってらっしゃった頃のトミイエさんとは対極的な音ですよね。ただ、その当時もシカゴ・ハウス、というものも存在していたわけで……。この当時のトミイエさんにとっては、シカゴ・ハウスというのはどんなふうに聴こえていたのでしょう?
サトシ・トミイエ(以下S):たぶん、ちょうどこのときは、そういう流れが80年代の中盤から終わりにかけて盛り上がったあとだったので、ちょっと違うものをやりましょう、みたいなところはあったのかなと。時代的にも、すこし音を重ねる感じのプロダクションが流行っていましたよね。いろんなNYのリミキサー、たとえばマスターズ・アット・ワーク(Masters At Work)でも、ちょっと音が重なった感じで、すごいメロディがいっぱいあって。あと(シカゴ・ハウスに対して)こんなにシンプルでいいの? みたいな気持ちでしょうか。じつはそっちの方が難しかったりするんですけどね、ミニマルの方が。でも作っているほうは、時代的に考えても機材がいっぱい使えるようになって、かつそれで一日50万もするスタジオで作業をするのがわりと普通になるなかで変わっていったんじゃないでしょうか。
■ただ、いまのトミイエさんはひとつひとつの機材やハードウェアと向き合って、シカゴ・ハウス的というか──たとえばラリー・ハード(Larry Heard)がシンセとか、打ち込みのものでしかできない美学みたいなものを追求していったような方法をとっておられるな、という印象があります。
S:いまはDAWだから、回しっぱなしにして、適当にやって、「いまのよかったな」ってところを取って、そこから曲を構築するみたいなことができる。以前もテープでできたけど、ループとか、その場でサンプラーで録って、とか、えらく面倒くさかった。だからそういうところよりは音のレイヤーなんかで違いを出そう、というほうが多かったですね。たぶん、そういう意味では使える機材にも左右されているのかもしれない。
で、いまは何でもできるから、逆に何でもできないほうに行ったのかもしれないです。制限があった方がチャレンジしようとするので。たとえば、シンセひとつでどこまでできるか、とか。実際はシンセひとつだけじゃなくて、DAWがあって、そのなかでいろいろできるから、なにかを中心にしていろいろ足していこうというようなこともできるし。で、あとはやっぱりこう、マウスで編集したりだとか、すごく感覚的ではないし。
■そう、その、「感覚的」っていうところに最近は向かってるのかな、というイメージがすごく強いですね。
S:そうですね、もともと感覚的ですけどね(笑)。で、たとえばマウスだったら1回に1個のパラメータしか動かないのに対して、手だといくつか同時にできたり。いわゆる偶然性みたいなものを、いまはどんどん記録できるので。音をどんどん足さなきゃならないんじゃないかって迷っている時期もあったんですよ。この少ない機材でいいのか、みたいな。でもなるべく音を削ぎ落す方向に行って、それがいまはもう、迷いがなくなった。最初のアルバムが出て、ちょうど15年経ったんですけど、その間にどんどん音が薄くなっていったから。で、ひとつひとつの音をこう、立たせるほうにね。
■今回のアルバムは、家で聴くと優しい印象もありますが、大バコで機能する鳴りを考えてらっしゃるなと思ったんですよね。トミイエさんはもう何千人規模の場所でのギグも多いですから、じゃあどういう音が鳴って気持ちいいのか、とか、そういう点をすごく意識してらっしゃるなあとは感じたんですけれど。
S:まあ、そうなんですけれども、音楽によって全部が大バコ対応ではないから。とはいえミキシングとかエンジニアリングは、もう、一生勉強なので。いまでも「こうすればいいのか!」という発見はあるし。僕はエンジニアリングの教育は受けてなくて、人がやっているのを見て、「ああ、こうやってやるのか」みたいに学んでいったので、けっこう適当なところもあるんです(笑)。
ミキシングとかエンジニアリングは、もう、一生勉強なので。
■そのあたりが、いま楽しい、っていうことなのですかね?
S:そうですね、楽しい。またそうやって突き詰めると、アナログのアウトボードがいっぱい欲しいな、とか思ったりね。(実際は)プラグインでほとんどやってますけど、アナログをわっと並べるみたいなのも楽しそうだな、とか。でもメンテも大変だしね。メンテは大変だよ、もう、暑くなるしね。
■Instagramで、ウーリッツァを弾いてらっしゃいましたよね。ウーリッツァとかもけっこうメンテナンスとかって大変ですよね?
S:ローズも以前から持ってるんだけど、ウーリッツァのほうがリードが折れやすいので、それもあって最近までゲットしなかったんです。いまでもパーツは買えるし、パーツ自体大した金額ではないんですけどね。アンプも含めて基本的な構造はシンプルなので直そうと思えばけっこう自分でもいけそうですけど。
■今回ウーリッツァでソロを弾いたものも入れてらっしゃいますよね。“Odyssey”とか。
S:“Cucina Rossa”はリアルなウーリッツァ弾いてますが”Odussey”のソロには間に合わなかったので、あれは、ヴァーチャル音源。手で弾いてますけどね。でも、そう言ってしまうと結局のところはプラグインでいいじゃん、っていう話になるんだけど、実機はやっぱり楽しいので。そういうところですね。突き詰めれば、できるかできないか、ではなく、楽しいか楽しくないか、というところにいってしまいますよね。
■“Cusian Rossa”でチェリストの方に多重録音してもらったとのことですが、そういう手間というのも楽しいというか、それがおもしろいという部分もあるということですね。
S:もちろん。以前ならオーケストラで、「せーの!」ってやってたことを一人のミュージシャンでできる。すごいなあと思いますね。しかもスタジオは3~40年前のスタジオで、そのときあったのと同じ機材でね。まあ、ああいうことができるのはPro Toolsがあるからなのだけど。
でも、当時やろうと思わなかったのは、同じ作業をするのにテレコが3台とか4台とかいるから、 作業効率的に考えてむしろオーケストラ25人雇った方が早い、みたいな。そういうテクノロジーの進化とこれまでにある技術の融合というところが、まあ、おもしろいかなと。で、いろいろできるからこそ、音がどんどん減ってゆく。
■生音を今作に入れたのは、そのストリングスだけですか
S:結局そうですね、他にやってないですね、たぶん。
■あとはもう、シンセと、ドラム・マシンと。
S: そうそう、そうですね。
やっぱり自分が楽しめないものは、人に対しても説得力がないと思うから。
■トミイエさんを昔から知ってらっしゃる方には、デフ・ミックス・プロダクションズ(Def Mix Productions)ってピアノの印象がすごく強いので、トミイエさん自体にもピアノのイメージがあるかと思います。でも、ピアノを使った作品ってあんまり作っていないですよね。
S:まあ、一回やったからいいかな、っていうところがあるかな。
■ダンス・ミュージックにおいて、ピアノの使われ方のパターンがけっこう決まってきてしまっている……っていったら変なんですけれども、そういうところにチャレンジ性がないからやらないのかな、って思いました。
S:そうですね、その通りです。
■なんかもう、バンバン、と(和音を)打って、バンバンと盛り上げて、軽くヒットになってしまう。そういうことはできてもやらない、っていう話ですよね。
S:たぶん、自分自身アガらないと思うので。それをやってもね。
■では基本的には自分自身がアガることしか、やれないっていう?
S:まあ、じゃないと音楽がよくならないと思うので。やっぱり自分が楽しめないものは、人に対しても説得力がないと思うから。「あんまり美味しくないと思うけど、どうぞ」みたいな(笑)。作っている人は「まあまあかな、でもみんな好きらしいしどうぞ」みたいな感じだとね。
■でも、トミイエさんも感じてらしてらっしゃると思うんですけれど、多くのクリエイターが、売れるだろうからっていう要素を、「これが売れるよね」っていう感じでつくっていたりもしますよね。
S:いや、どうかなあ
■純粋に楽しんでやってると思います?
S:EDMとかで売れてるものを作る人たちは、あの曲を作るのがすごい楽しいんだと思いますよ。
■ああ、でもスティーヴ・アオキ(Steve Aoki)とかデヴィッド・ゲッタ(David Guetta)とかも、これからはディープ・ハウスをやる、なんて言っていたという話も聞きますよね。
S:飽きたんじゃない(笑)? 新しいディープ・ハウスっていわれているものを聴いたけれど、EDM延長線上にある感じで、少し地味になったヴォーカル・ハウスというか。そういうやつを長く聴いている人が聴くと、なにこれ? みたいな。
■あの、〈スピニン・レコード(Spinnin’ Records)〉から出ている曲が、「ハウス」って書いてあるけど、音はEDMじゃん、っていう?
S:そうそう。だから、たぶん、ブランドを変えてるだけで。
■私はそれが、売れつづけたいのかなっていうふうにみえちゃうんですよね。
S:まあ、それはそうでしょう。でも、トランスをやっている人が、「俺の音楽はトランスではない」って言っているようなこともあると思うんですよね。ずっとトランスで終わりたくない、っていう。以前に比べたらぜんぜん人気がなくなってきてるから、そう言われたくないというのもあるんじゃないかな。
あとはもう、やってて飽きたとか。まあ、やってる音楽は同じで、レーベルだけ違う、ってことじゃないかな。こう、ステッカー張り替えてね。
いつの時代もあることだけど、「ハウス」だと売れないけど「テック・ハウス」って付けると売ける、とかね。
■まあ、そういう感じは言えますよね。ハウスって言った方が売れるんじゃないか、っていう。
S:そうそう。なんか、いつの時代もあることだけど、「ハウス」だと売れないけど「テック・ハウス」って付けると売ける、とかね。〈Beatport〉とかのタグ付けで。それで今度は「テック・ハウス」じゃなくて「ディープ・ハウス」という名前が売れ線ということになると、同じ音楽なのに「ディープ・ハウス」って付ける。
■そうですね、試聴してても、「ディープ・ハウス」と「ハウス」、ジャンル分けで聴いても、なんかもう意味がわからなくなってくる(笑)。
S:そうそう。マーケティングがかなり絡んでくるから。でも音楽そのものはそんなに変わらなかったりするので。
■そうなんですよね。トミイエさん自身としては、タグ付けするとしたら今回のアルバムはどれにしますか?
S:もう、昔からずっと、「いまどんな音楽やってるの?」「ハウスです」みたいな。結局は「ハウスです」って言ってますね。〈Beatport〉でもそうしていると思いますよ。でも、たとえばマーケティングにおいては「ディープ・ハウス」にしろとか、そういうのはあるかもしれないですね。
■私はタイトル曲の“New Day”が本当に好きなんですよね。10年前とかに主流だった、まあいまでも私が聴いているUSハウスとかはそうですけれど、こう、歌ががーって盛り上がったら同じようにトラックが盛り上がって、という歌ものハウスとは対照的で。“New Day”はヴォーカルにしても、歌い上げるというよりはちょっと抑制されたというか、すごく繊細というか。で、トラックもそれに合わせていっしょに盛りあがっていくというよりは──
S:淡々としている。
■ええ、逆に熱を冷ましていくことで美意識が生まれていくというような。本当に、トミイエさんは歌ものがお上手だな、と思うんですよね。
S:じつは、そんなに好きじゃないかもしれないですね。歌を作るのが。
■そうなんでしょうね、って思うんですけれど。
S:(笑)
ヒップホップのときがそうだったんだけど、やっぱり、文化から入っていかないと簡単に理解できないような気がして。
■その、歌っていうものに熱を入れすぎてないと言うと言いすぎかもしれませんが、歌をひとつの楽器のような解釈で考えていらっしゃるから、ああいうバランスができるのかなって思っていて。
S:そうです、その通りです。歌物は、たとえばソウルフルな歌物とかも過去にはやってたんですよね。でも、そういうのが実際にできる/できないではなく、なんて言うのかな……、ちょっと文化的な問題もあるから、ブラック・カルチャー的な。音楽が好きでも、自分がやるとなるとちょっと違うかな、というところもあるし。いわゆる「ソウルフル・ハウス」みたいなね。昔はけっこうあったでしょう? 黒人白人問わず、ソウルフルな歌のやつで。
■もうTraxsourceでいまでもバンバンだしているような。
S:そうそう。で、ヒップホップのときがそうだったんだけど、やっぱり、文化から入っていかないと、簡単に理解できないような気がして。たとえばコミュニティ感とか。ヒップホップなんて本当にね、地元のあんちゃんが集まって、ムーヴメントを作り出したというようなところがあるでしょう? で、音はカッコいいけれど、そういうところで最終的には入っていけないのかなっていうのもあって、ヒップホップからハウスにいったんです。はじめはヒップホップでスクラッチやってたのね。それで、ハウスに出会ったときに、こっちの方が合ってるかも、って思った。それは、もっと音中心というか、なんて言うのかな、匿名性があったからというか。解ります?
■わかります、もっとこう、ひとつの人種だったり文化だったりに固執していないような感じというか?
S:なんか、自分的に近いような気がして。
■教会で歌ってる、みたいなのや、ポジティヴに生きよう、とか、そういうところで自分は生まれ育っていない、という?
S:そうそう。だから音楽そのものにとどまらない、ヒップホップのカルチャーそのものが自分の文化じゃない気がして。自分は生まれも育ちも東京の郊外でヒップホップのコアな文化とはもちろん無縁(笑)、どんなに音がカッコいいと思っても、音の先にあるカルチャー的なものは遠くにいるしやっぱりちょっとわかんないよな、って思っていました。黒人音楽への興味や憧れからダンス・ミュージックに入ってきてるんだけれど、最終的には、そこのコアなカルチャーの一員ではないので。ただそこから生まれてきた音楽や方法論とかは好き、っていうことなんだけど「これはもしかして、俺のやることではないかもしれない」っていうのは、やってみてわかったことです。少しずつエレクトロニックなほうに行ったのはその反動ですね。
■ただ、最近の〈Beatport〉でウケている、たとえばテール・オブ・アス(Tale Of Us)みたいな感じの──私はああいう世界観は好きなんですけれども──
S:自分も好きですけど、音楽的にはロック方面から来てる感じしますよね。たとえば、〈ライフ・アンド・デス(Life & Death)〉とか。あとはテクノとかでも最近人気な人たち。言ってみればプログレッシヴ・ハウス的な。
■マセオ・プレックス(Maceo Plex)とか?
S:マセオ・プレックスもそうだし。文脈的にいうなら、ダンス・ミュージックといっても、いわゆるソウル・ミュージック系ではなくてどっちかというとロックだと思うので。だからビートが似てて、使ってる楽器も似てるけど、いわゆるソウルフルさとは違う印象。
取材:Nagi - Dazzle Drums(2015年7月01日)
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