「Noton」と一致するもの

DJ TASAKA - ele-king

 タサカくんの4枚めのソロ・アルバム『UpRight』がむちゃくちゃいい。昔ハウス・ミュージックのアルバムでブレイズの『25イヤーズ・レイター』(1990)という名盤があった。マルコムX死後25年後に、いったい世の中はどう変わったかということを切り口に、黒人とは何なのか、黒人の歴史とは何なのかというのを一枚に凝縮したコンセプト・アルバムだったのだが、それと同じ感触を感じる。
 ハウス・ミュージックではマーヴィン・ゲイの『ワッツ・ゴーイング・オン』(1971)のような物語を語るアルバムは作れないだろうと言われていたのに、『25イヤーズ・レイター』は、ハウス・ミュージック登場後2、3年してからそんな偏見を打ち破ったから衝撃であり、ハウス・ミュージックのファンとしては誇りのアルバムである。
 いまだとケンドリック・ラマーの『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』、ディアンジェロの『ブラックメシア』もいっしょなんですけどね。

 タサカくんには失礼かもしれないが、タサカがまさかこんなアルバムを作るとは予想もしなかった。自分にとってタサカくんとはすごくいい家のお坊っちゃまで、なにを間違えたか、アシッド・ハウスの世界に入ってきた印象があった。これ完全に僕の妄想ですけどね。タサカくんがいい家のお坊っちゃまか、貧しい家の出身の人なのか僕はわからないです。そういうことをタサカくんにきいたこともないし、タサカくんの日航か全日空のパイロットのようなキリッとした顔立ちを見て、自分で勝手に想像しているだけです。
 だからタサカくんはいつか自分の本当の場所に戻っていくんだろうなと思っていた。いや、これ勝手な妄想ですけどね。

 アホな話はこのへんにしといて、このアルバムには3.11以降の日本の状況が凝縮されている。あの事故のその後である。20万人集まった官邸前の抗議、新大久保のレイシストたちのデモ、そして、それに対するカウンターの風景、国民の意思を無視して日本を戦争のできる国にしようとしている安倍首相への怒り。金融政策だってちゃんとやっていけば日本はデフレから脱却できるだろう、しかし、きっとそのお金は若者には流れず、格差だけを生んでいくはず。それはイギリスやアメリカを見ていたら、よくわかることだ。──日本の若者の未来は、海外のニュースや音楽から理解できるのに、なんでみんな立ち上がらない。自分が勝者になれると思っているんだろうか。日本の若者たちよ、なんで怒らない……あっ、すいません、後半はタサカくんのアルバムが言ってないことまで書いてしまいました。タサカくんのアルバムは自分の目の前に起こっていることを曲にしているだけです。お前ら変われとか、そんな上から目線のメッセージなんかいっさいないです。彼が目にしたこと、やったことをDJがレコードをかけるようにぼくたちに伝えていくだけです。

 「たったそれだけで、ブレイズやマーヴィン・ゲイのアルバムのようなことが語られているって大げさすぎないか」という声が聞こえてきそうだ。 
 でも、それでいいのだ。日本人は昔朝鮮から流れてきてとか、戦争に負けてアメリカに支配されているとか、高度成長でバブル崩壊していまデフレとか、そんなことはどうでもいいんだ、いやどうでもよくないんだけど、とにかく日記のように、いまだったらツイッターやFBに投稿するように、歌にすればそれでいいのだ。それですべてにつながっていくからだ。それが名盤と呼ばれるアルバムなのだ。
 ジョン・レノンが「平和を我等に」と歌って何をしたか、マーヴィン・ゲイが「どうなってんねん」と歌って何をしたか。何もしていない。でも、時代をとらえた名盤としていまも語り継がれている。これらのアルバムは、いま目の前に起こっていることを歌にしているだけなのだ。ジョン・レノンが“インスタント・カーマ”で、とにかく朝起きて曲を作って、昼に録音して、次の日にリリースするということにこだわったのはそういうことなのだ。“いま”ということなのだ。さすがにリリースには一週間かかったが。
 正直なところを言えば、きっと、当時のジャマイカがそうやってレコードをリリースしていたから、俺もそうやってやりたいということだったんだと思う。ジャマイカのレコードが新聞みたいに作られているなら、俺もそうやりたいという思いだったんだろう。映画『ハーダー・ゼイ・カム』の世界ですよ。

 ちょっと話がずれてしまったが、なんとなくぼくの言いたいことはわかってもらえただろか? でも、これってアーティストの基本の基本でしょう。人を楽しくさせる曲を作りたいとか、そんなのと同じくらい大事なこと、いま思っていることを歌にしたいんだということ。

 こんな簡単なことをなかなか日本のアーティストはできない。そこにはマーケットとかいろいろあるんだと思う。桜のことを歌わなあかんとか、乾杯のことを歌わな結婚式で歌ってもらえないでとか、でも、そんなことよりも大事なことって、いま何が起こっているかを歌うことなんだろうと思う。その究極でいちばんいいのは、恋をしたということだと思うけど、そんなので何百曲も作れないから、桜や乾杯を足していくんだ。ハイレゾでもいいけど。そんな足してない部分がたくさんあるアルバムがタサカくんのアルバムなのだ。だからタサカくんの『UpRight』はリアルなのだ。

 たぶん、みんな本当は同じように曲を作っているんだと思う。他の日本のアーティストにはいろんなことが多すぎるんだと思う。ここにはタサカくんのいろんなキーワードが入っているけど、すごくシンプルなのはそういうことなのだ。

 そして、その音がデトロイト・テクノやシカゴ・ハウスと同じ感触を持っているのは不思議だ。いや不思議ではないか、彼らと同じことをやっているのだから。

 タサカくんはついに日本のクラブ・ミュージックのマスターピースを作ったのである。

R.I.P.相倉久人 - ele-king

 音楽ライターがなしうる最高のこととは何か? 音楽ライターとは何を書くべきなのか? こうした素朴かつ重大な問いに対して、相倉久人氏はひとつの明解な答えを持っていた。「音を出す本人すら意識していなかったことを、その音楽から読みとる」こと。「その読みを本人に自覚してもらうこと」
 アーティスト本人から語られる「すこしうぬぼれの入った理屈を」ただ正当化することではない。
 逆にそれは、ネット時代にありがちなひとりよがりの妄想を肯定することでも、作者の自己言及を否定することでもない。あくまで作者と受け手との緊張感を保ちつつ、受け売りに走らず、新たな言葉を探し、醸成することである。
 そう考えると、氏は、日本において音楽評論という土台を築いた人物であり、そして、その作者が言っているのだから正しいに決まっている、作品はつねに作者に隷従するものとして存在するという、つまり、解釈という能力を放棄しかけている日本の音楽シーンにおいて、なおさら立ち返らなければならない人物だと言えよう(まー、それなりに困難だ)。
 
 相倉久人氏といえば、ジョン・コルトレーン、前衛ジャズ、山下トリオ、そして、リロイ・ジョーンズの『ブルース・ピープル』評など、おそらくは、ジャズの流動性がもっとも活気に満ちていた時代の論客として知られているのだろうけれど、たとえば、新書版の『ジャズの歴史』を読むと、モダン・ジャズ神話崩壊後のポストモダンにおけるジャズおよびジャズと呼ばれていたものの増殖と拡散についても(つまりポストモダン化についても)、とても柔軟に捉えていることがわかる。
 その昔ジャズという大きな基盤が崩れたように、いまやロックはナツメロ化し、レイヴ・カルチャーだって20年以上も経てばさすがにその物語は脱構築されている。もちろん物語サイズが小さくなったからといって、音楽が小さくなったわけではない。むしろ生き生きとしていることだってある。
 メインストリームなき現代では、なおのことそれら拡散された音楽たちを、いつまでも神話を縮小再生産/利用することなく、語っていくべきなのだろう。かつてあれだけの歴史(神話)と立ち会いながら、相倉久人氏にはこの変化に対応するだけの柔軟性があったばかりか、「現代におけるジャズとは何か?」というじつに難儀な主題とガチに向き合い、そしてするどい考察も残されている。繰り返すが、氏は、音楽について言葉を連ねている者にとって、なんどか立ち返るべき先達のひとりである。

Kiyoko - ele-king

 UKの主要レーベルのディストリビューションを行っていた、STホールディングスの倒産が去年話題になったが、〈オグジリアリー〉はその影響をモロに受けたレーベルのひとつだ。現在は新しい流通会社を見つけたものの、しばらくレーベルはレコードをリリースすることができない状況におちいってしまった。
 同レーベルから発表された『シー・オブ・ツリーズ』はキヨコのデビュー作で、今年の5月に3年のときを経てレコードでリプレスされた(初回はデータとすぐに売り切れたフィジカルはCDのみだった)。〈オグジリアリー〉は、レーベル・オーナーのプロデューサー、ASCの活動を反映して実験的なドラムンベースやノイズ作品に主軸の置いているため、アンビエントやエレクトロニカのフィーリングを持つ今作は、他の作品と比べるとかなり異色な存在である。しかもアルバムのレコード化は今回がレーベルにとって初めてのことで、数ある作品のなかから再び世に出したかった1枚が今作、ということになる。

 キヨコのふたりはジャケットの陽光に輝く桜が咲き乱れる風景から程遠い、霧吹きで吹き付けられるような雨が降るマンチェスターの郊外でアルバムを作った。メガネの青年、ジョー・マクブリッジことシンクロはメロディアスなダブステップやドラムンベースの作品を多数発表していて、最近は同じ町に住むインディゴとのユニット、アコードでも素晴らしいベース・オリエンテッドなテクノをリリースしている。相方のジャック・レバーは、ベーリング・ストレイト名義でIDMやアンビエント作品を作り、マクブリッジと同じ町に暮らす彼の後輩にあたる。

 その名(日本名の「清子」という名前からとっている)が示すように、キヨコのふたりは「東洋的」な音を用いることをコンセプトに置いている。アルバム全体を通して、日本の電子音楽の歴史でよく耳にするような優しいメロディ・ラインや、民族楽器の音色などが登場することからも、そのねらいは功をそうしているようだ。けれども、そこで彼らが描く「東洋」を表す音がわれわれにとって新鮮に見えることがおもしろい。

 たとえば “オープン”や“ダルシマー”のメロディや生楽器と電子音の混ざり具合からは、彼らが影響を受けたであろう竹村延和や坂本龍一あたりを連想するのだが、実際に思い浮かんだ音楽と比較してみると、キヨコがやっていることがかなりシンプルだとわかる。緻密に組み込まれたリズム・パターンもコードが絶えず変化する展開も『シー・オブ・ツリーズ』にはない。キヨコが演じるのは、実際の日本で見つかるようで見つからない「日本」の音楽だ。

 そういうシンプルさを媒介して、彼らのなかの「東洋」と、ふたりの重要な影響源であり、今回もその要素が見え隠れしている〈ワープ〉や〈スカム〉のエレクトロニカが結合しているように感じる。ボーズ・オブ・カナダのようなサンプリング・コラージュや透明感溢れるシンセのレイヤーを想起するひとは少なくないはずだ。

 シンクロの本業ともいえる重低音が際立って現れるシーンが1曲めの“ファースト・サイト”や中盤の琴のような音が響く“ヴァレイ”にはある。東洋的な旋律の(サイノ・)グライムやダブステップは多くあるものの、同じようなベクトルを向きながらも踊れる要素を極力手放し、メロディと空間を用いてここまで聴き手を引き寄せる音は、今日のベース・ミュージックのシーンでも群を抜いている。

 品川駅の場内アナウンスがサンプリングされたその名も“シナガワ”という曲が3曲めにある。今作を制作していたとき、キヨコのふたりは品川駅どころか成田空港にさえ降り立ったことがなかった。冒頭から“シナガワ”の流れに耳を傾けていると、僕はどうしようもなくノスタルジックになる。訪れたことがない場所の音楽をテーマに作られた曲に対して、そのような感情を抱いてしまうのはつくづく不思議だなと思う。去年、シンクロがアコードとしてついに来日した。東京から名古屋に向かうときに初めて訪れた品川駅を、彼はいったいどんな気持ちで歩いたのだろう。


Kiyoko - Shinagawa

Tame Impala - ele-king

 “セイム”・インパラ、今回もきっと彼らは変わらない。しかしトレンドの先端をゆくことが正義ではないから、音の充実や成熟が約束されるのなら、曲調が「セイム」な新譜だろうと心から祝福したい。彼らこそは停滞感をぬぐえないロック・バンドの現在に、清新な風をもたらす存在のひとつなのだから──という期待は、正反対の方向へ、しかしポジティヴに裏切られる。

 オーストラリア出身のガレージ・サイケ・バンド、テイム・インパラの3枚めとなるフル・アルバム『カレンツ』がリリースされた。彼らのデビューEP『テイム・インパラ』が発表された当時は、〈スリル・ジョッキー〉からウッデン・シップスが登場し、往時の発掘音源さながらのスペース・ロックを展開、北欧のドゥンエンにもあらためて注目が集まるなか、オール・ザ・セインツやクリスタル・アントラーズなど〈タッチ・アンド・ゴー〉の最終世代も同様に重心低めのサイケデリック・ジャムを若々しく鳴らしたりと、その種のヴィンテージな楽曲センスや、いささかファズの効きすぎた音作りなどがちょっとしたトレンドをなしていた。

 テイム・インパラはそのなかでとくにみずみずしさと華やかさを感じさせたバンドだった。カット・コピーやヴァン・シーなど、当時熱かったエレクトロ・ポップの嚆矢ともいえる〈モジュラー〉から現われた意外性も印象深い(もちろんウルフ・マザーなども擁する地元豪州のレーベルだという点は大きいだろうけれど)。

 ただ、盛り上がりがあるとはいえ、当時はまだまだ限定的なリスナー層にアピールするものであったことにはちがいない。彼らが一気にステージを上げたのは前作『ローナイズム』(2012)だ。デイヴ・フリッドマンが絶妙に彼らのサウンドをバーストさせ、そしてポップ・ミュージックとしての翻訳を施した。ジャケットに配されたフォトグラフにもチルウェイヴふうのドリーミーなポップ・センスがある。このアルバムはグラミーで「最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム」にノミネートされ、以降彼らは映画『ダイバージェント』のサウンドトラックにおいてケンドリック・ラマーとのコラボ曲を発表するなど、大きなシーンでの注目度とともに、他ジャンルの先鋭的な表現者たちとも交差する、リアルな時代性をそなえた存在であることをあらためて示してみせた。

 さて、そんな彼らが放つサード・アルバムから聴こえてきた音は、冒頭こそ「セイム」なソフト・サイケだったものの、中ほどではダリル・ホールと……とまでは言わないにせよシンセバリバリのモダンポップに、そして終わりには流行色のレトロめなR&Bになっていて、イスからずり落ちるほど驚く。

 彼らがひときわみずみずしかったのは、「俺たちのサイケ道」をゆくというタイプのオタク性ではなく、タグ付けされないサイケデリアを体現していたからだった。それでいて、13thフロア・エレベーターズのような西海岸的な佇まいの一方に、ブリティッシュ・サイケふうのちょっとミステリアスな翳りを感じさせるようなところには、オタクや年長者からも「ほう」と好意的な反応を引き出す魅力がある。テイム・インパラの実質的な本体であるケヴィン・パーカー自身はというと、いくつかのインタヴューで「とくにサイケだと思ってやっているわけではない」という旨を明かしている。むしろそうしたアルカイックさというか、柔構造こそが彼らの存在を大きくしたひとつの理由だと言えるだろう。

 しかし、ここまで柔らかいとは……。たしかに、ヴォーカリゼーションやメロディの発想自体には通底するものがあるものの、“ニュー・パーソン,セイム・オールド・ミステイクス”のシンセ・ベース、“イヴェンチュアリー”の16ビートには本当に驚くしかないし、歌詞はほとんどがビターめなラヴ・ソング、“ディシプリン”あるいは“ザ・レス・アイ・ノウ・ザ・ベター”などの洒脱なファンクネスはアリエル・ピンクやアンノウン・モータル・オーケストラなども彷彿させ、さてテイム・インパラのアイデンティティとは何だったのかと、はたと立ち止まってしまうほどだ。
 
 各誌絶賛のムードだけれど、これが評価されて、トロ・イ・モワの新譜が冷遇されるのは少々不公平だと思わざるをえない。そこにはいかにも「彼らは正統派サイケ出身だからエライ」というようなニュアンスが隠されているように思われるし、そうした視線によって彼らが空虚な祭壇へとまつりあげられるとすれば、かつて筆者が“デザイア・ビー,デザイア・ゴー”に打たれたときの爽やかな感動もともに封じ込められてしまうように感じられる。ケヴィン・パーカーの音楽も、トロ・イ・モワと同じようにひとつの偉大で小さなアマチュアリズムから生まれてきたものなのだ。今作でおずおずと、しかし楽しげにヴォコーダーやドラムマシンが使われているのはひるがえってその証左ともなるだろう。おそれずにアイディアを広げ、音のかたちを模索していて、やっぱりそんなところは輝いている。

 というわけで、本作はちょっとヒプノシスふうのサイケ、プログレ感ただようジャケットからはおよそ想像のつかないアルバムになっている。アートワークを手掛けるのは人気のマルチ・ヴィジュアル・アーティスト、ロバート・ビーティー。彼の手掛けた作品のアーカイヴをながめると、本当にパロディがうまい(https://www.robertbeattyart.com/)。愛があって、かつドライなところもいい。テイム・インパラ×ロバート・ビーティーとなればプログレッシヴ色が強まりそうなものだけれど、このインディ・シーンにおけるキー・マンとの交差と、そこに出現した大いなるギャップは、さらなるテイム・インパラのポテンシャルを予感させるものなのかもしれない。おそらくはまだ本人にもたしかにつかめていないような「カレント」が剥き出しになっている作品なのだ。
そう思って自分の頑迷な態度を解いて聴いてみると、しばらくは手放せない、結局のところはやはり愛聴すべき音楽だと感じられる。

Prayers - ele-king

 さて、今日は最新のダサい西海岸サブカルチャーでも紹介しようじゃないか。サンディエゴのダーク・ウェイヴ・デュオ、プレイヤーズ(Prayers)が掲げる新たなるムーヴメント、「チョロ・ゴス(Cholo Goth)」っていったいなんだよ! ……って読んで字のごとくメキシカン・ギャングスタ+メキシカン・ゴス、サブカルチャーとサブカルチャーが交錯する複合的サブカルチャーである。

 プレイヤーズのラファエルは幼少期に家族とともにメキシコのミチョアカンからサンディエゴへ不法入国し、10代の頃に地元マーケットの小ぜり合いから父を守るためシャーマン・グラント・ヒル・パーク27・ギャングに入団する。高校卒業後、父とともにサンディエゴで初のヴィーガン/ベジタリアン・メキシカン・レストランを開業し、父が亡くなるまでの18年間をレストランの経営に勤しんだ。2010年に第二級殺人罪でムショへブチ込まれ、新たな人生観に目覚めたラファエルは、塀の中でギャング/グラフィティ生活を題材とした自伝的小説、『リヴィング・デンジャラスリー』を執筆した。出所後、著書のプロモーションと自身のアートワークの展示を兼ねてLAを訪れ、成功を収めた。新たな表現を求め、ヴァンパイア(Vampire)やバプティズム・オブ・シーヴス(Baptism of Thieves)などでのバンド活動を開始し、それぞれの解散後にティワナ出身のデイヴとともにプレイヤーズを結成した。ミニマル/ダークウェイヴ・サウンドにギャングスタライフのリリックがのる「チョロ・ゴス」の誕生である。2013年にファースト・アルバム『SD KILLWAVE』をリリース後、一躍話題を呼び、翌年にはカルト(Cult)のツアー・オープニング・アクトとして抜擢される。

 僕が初めてLAを訪れたときからずっと思っているLAメキシカン・ゴス・カルチャーの根強さとはいったいなんであろうか。市内にはそういった連中が集まるバーやクラブがいくつも点在している。彼らが愛してやまないニュー・オーダー、ペットショップ・ボーイズにデペッシュ・モード、バウハウスといったバンドは暴力に支配されたラファエルの生活の中の救いであったようだ。「俺らはメキシカン・ギャングの暴力性の裏にある悲しみや哀れみ、ハートブレーキングを歌っているのさ」なるほどね。

 今年はじめにLAにてラファエルらがおこなったエキシビジョン、『ダーク・プログレッシヴィズム,メトロポリス・ライジング(Dark Progressivism, Metropolis Rising)』では、こういった南カリフォルニアでのユニークなカルチャーであるチカーノ/チョロとゴスが融合するストリート・アートを国際的にアピールし、地元からの絶大な支持をほしいままにしながら本作『ヤング・ゴッズ(Young Gods)』をリリース。

 どう? 僕にはもう何が何だかよくわからないけどもとりあえず歌下手だなぁー。

Thomas Brinkmann - ele-king

 鼓膜を震わす硬質な電子ノイズの横溢! クリック/ミニマル・テクノの神的存在トーマス・ブリンクマン、ひさびさの新譜は強烈なドローン作品である。リリースは〈エディションズ・メゴ〉から。

 もっともこのような作風は、オーレン・アンバーチと共作『ザ・モーティマー・トラップ』があったので唐突ではない。さらにいえば『ザ・モーティマー・トラップ』は現代音楽家モートン・フェルドマンへのオマージュだったわけだが、本作も2013年に亡くなったポーランドの現代音楽家/実験音楽家ズビグニエフ・カルコフスキーに捧げられているという共通点もある(理由は異なるだろうが)。またサン・O)))などのハード・ドローンへのテクノ側からの返答という意味でもつながっている。
 しかし本作はアンバーチとの共作ではなく、彼のソロ作品である。ゆえにブリンクマン個人の意図が前面化している。それは何か?

 まずドローンにリズム感を導入している点が重要である。持続音にも音の周期(リズム)はある。ブリンクマンは、何よりこの音の周期性を大切にしている。反復する音の周期によってリズムをとることができるからだ。本作におけるドローンのレイヤーを聴くと、どのトラックも構造的に成立していることもわかる。この周期性=反復を生みだす構造への希求こそが彼がミニマル・テクノで培った技であろう。本作はテクノ的な構造(ビート性ではなく)によって生み出されたドローン作品なのだ。

 ドローンにおける音の周期=リズム生成の実験は、“エージェントオレンジ”や雨音のような音を用いた“ペリノン”によって別の形で追求されている。これらの曲には明確なリズムはある。が、ビートではなくドローンを分割するかのようにリズムを生成し、独自のモアレ感覚を生み出しているのだ。

 このようにアルバム全体で展開される音響のモアレ感覚は、ミニマリズムにおける「永遠性」の生成という古典的な命題に近く、例えばドナルド・ジャッドやマーク・ロスコの系譜を継ぐものでもあるのだが、ブリンクマンは、そのようなモアレ状のドローンを、サイエンティストのような手つきで生成している。
 マシニックな持続音、やわらかなアンビエント、刺激的なリズム/ドローン、サン・O)))も真っ青のハードコア・ドローン“オキシドロット”まで、どの曲もアートとサイエンスが拮抗している。全曲、全身を耳にして、音のすべてを聴き尽くしたいほどの傑作である。

快速東京 - ele-king

 この天気、嫌ですよね〜。湿度は高いし、外で遊べないし。さてさて、このしけたご時世に、気前のいい話が舞い込んで来ました。
 いまや若者から絶大なる共感をかき集めていると言われるロック・バンドの快速東京は、本日7月6日の22時より、ニュー・アルバムを無料ダウンロードにてリリースします。アルバム・タイトルは『レッドブルー』。録音場所はレッドブル・スタジオ。こちらに最新インタヴューが載っています。(DL情報も記載アリ)
 https://www.redbullstudios.com/tokyo/articles/kaisoku-rapid-recording-free-download-with-kaisoku-tokyo
 無料だし、友だちにも教えてあげましょう。
 なお、このアルバム・リリース記念として7月17日の金曜日、新代田FEVERにてワンマンライヴもあります。これまた無料です(ただし、2ドリンク代がかかります)。
 チケットはメール予約のみで、ごめんなさい、もう間に合わないかもしれないけど、いちおうメールアドレスを。(kaisoku_ticket@fever-popo.com
 

15.07.17 (Fri) 快速東京ワンマン“おおいそぎ”
at新代田FEVER
OPEN19:30/START20:00
ADV ¥0(+2drink)
ーーーーー
<快速東京HP>
kaisokutokyo.com

Shamir - ele-king

 2015年はレインボウ・カラーとシャミールのカラフルなポップスの年だったとのちに記憶されるだろう。いま、インターネット上にこれでもかと溢れる虹色に――ブーム化した「性の多様性」――僕などはアンビヴァレントな気分になりもするが、鼻にピアスを開けたこの1994年生まれの若者の(出自はムスリムだという)、かわいくデコレートされたディスコ・ミュージックはあっけらかんと現代のクィアネスを射抜いてくる。その若者、シャミールは自分のジェンダーを定義していないとインタヴューで言っているが、それはたぶん嘘のない発言だろう。フランク・オーシャンのカミングアウトの痛みはそこにはない。ジェンダーとセクシャリティにおいて、時代は本当に変わったのだ。

 しかもシャミールはヴィジュアルの打ち出し方がそれ以上ないほどに巧みだった。アーリー90sを思い起こさせるようなファッションやカラフルすぎてキッチュな色づかい、なによりもファンシーでフェミニンな本人の佇まい。昨年のシングル“オン・ザ・レギュラー”のヴィデオは、シャミールというアイコンのファッショナブルさとキャッチーさをパーフェクトにプレゼンしていた。FKAツィッグスに続いて〈XL〉がプッシュするニューカマーなわけである。

 音のほうもさまざまなトレンドが交錯する地点にいる。90sリヴァイヴァルとしてのハウスにディスコがまずあり、そこにここのところのR&Bブームが合流して……クィア・ラップからもそう遠くないだろう。リヴァイヴァルといっても古さが感じられないのは、カウベルを筆頭としたパーカッションの使い方にゼロ年代の〈DFA〉が取り組んだことの成果が反映されているからで、ということは遠景にアーサー・ラッセルのディスコも見えてくる。だが5分を超えるトラックはラストの“ヘッド・イン・ザ・クラウズ”のみ。前半5曲、なかでも“メイク・ア・シーン”、“オン・ザ・レギュラー”、“コール・イット・オフ”と3分以下のナンバーが続く目まぐるしい展開は、すぐに酔ってしまう高速のメリーゴーラウンドかのようだ。バンシーなビートと子どものイタズラみたいな声ネタ、腰をグラインドさせるベースライン、丸くて太いシンセ・リフと、それに乗っかるおきゃんなシャミールのヴォーカル。そのアンドロジナスなディスコ・サウンドからハーキュリーズ・アンド・ラヴ・アフェアとよく比べられるようだが、ハーキュリーズの暗さや妖しさはここにはない。唯一のスロウなバラッド“ダーカー”でも、陰よりも温かな安堵のフィーリングがある。

 この即効性の享楽をどう捉えるかでシャミールの評価は分かれるのだろう。ただ、これくらいの軽妙さが新時代のポップ・スターにはふさわしいのだろう。ブラック・ミュージックの美味しいところをつまみながら、いまのところ何かの主張を強く打ち出すことはしていない。が、少なくとも3分間は、シャミールのポップスは性の束縛からの自由を約束している。

GABI - ele-king

 ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティン主宰の〈ソフトウェア〉からリリースされた声楽家/作曲家ガビ(ガブリエル・ハーベスト)『シンパシー』は、ダニエル・ロパティン自らがプロデュースを手がけた問題作である。エンジニアはティム・ヘッカーやベン・フロストとの仕事でも知られるポール・コーリー。

 ガビは、電化ハープ奏者のジーナ・パーキンスやターンテーブリストのマリナ・ローゼンフェルドらに師事したニューヨーク実験/即興音楽シーンの土壌を受け継ぐアーティストだが、作曲家としても素晴らしい。重力から解放されたかのような旋律は、彼女の澄んだ声との相乗効果もあり、耳を浄化してくれる。また、編曲も見事で、自身の声を中心に、ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノ、トロンボーン、ギター、打楽器をレイヤーすることで、美しいカーテンのようなサウンドを生みしている。ジュリア・ホルターやジュリアナ・バーウィックに近い音楽性ともいえるが、その作・編曲の手腕はオーセンティックでモダン。20世紀音楽のエッセンスを吸収しているように思えた。

 プロデュースを手がけたダニエル・ロパティンが、どこまで曲などに介入したのかはわからないが、「ア、ア、ア、ア」と刻まれるヴォイスなどはOPNのサウンドを想起するし、冷たい弦にはシンセ/ドローン的な人工性が宿っているようにも聴こえる。
 とはいえ、そのような「読み」は深読みのしすぎだろう。本作は『アール・プラス・セブン』(2013)的な世界観を展開してはいない。むしろ彼女の20世紀的なモダニズムを全面的に信頼しているように思える。ここに本作の重要性がある。なぜなら現代のエクスペリメンタル・ミュージックは、未来派やダダ、シュールリアリズムなど、20世紀初頭のモダニズムへと回帰しているからだ。ダーシャ・ラッシュ『スリープステップ』(2014)などを思い出してみよう。

 機械・工業化する社会への反映として生まれた未来派やダダ、シュールリアリズムなどの芸術運動が、情報と工学と人間の問題が交錯するインターネット以降の現代社会において、切実な問題として回帰=アップデートされたのは当然の帰結といえる。
そう考えると現代のダダイスト、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー=ダニエル・ロパティンが、彼女の音楽を送りだしたのもわかってくる。そう、「新しい」モダニズムを生きる彼女への「シンパシー=共鳴」なのだ。

Nosaj Thing - ele-king

 ノサッジ・シング=ジェイソン・チャングは若くして成功を手に入れた。ノサッジはフライング・ロータスを輩出したLAビート・シーンを代表するパーティ〈ロー・エンド・セオリー〉の初期からその才能を発揮していたというし、2009年にリリースされたファーストアルバム『ドリフト』も、2012年の『ホーム』もビートミュージックのフィールドを超えて高い評価を獲得した。トロ・イ・モア、カズ・マキノ、ジェイミーXX、レディオヘッド、チャンス・ザ・ラッパー、ケンドリック・ラマーらと、さまざまなコラボレーションを行い、彼らから強い信頼も得た。みな、ノサッジの才能にほれ込んでいた。まさに順風満帆だ。

 にもかかわらず、彼は泣いている。3年ぶりの新譜には悲しみに満ちた音風景が展開されているのだ。しとしとと降り続ける雨のようなビート。曇り空のようなメランコリックなコード。アルバム名は「運の尽きた」を意味するという。私はこのアルバムから強い喪失の念を感じた。失われていくものへの諦念。

 今作の大きな特徴は「声」を積極的に導入している点だが、サンプリングされた「声」もまた泣いているように聴こえる。なかでもフーアレイを起用した“ドント・マインド・ミー”とチャンス・ザ・ラッパー参加曲“コールド・ステアズ”のブルージーなヴォーカル・トラックが素晴らしい。チャンス・ザ・ラッパーのメランコリックな歌声が染みる。

 同時にワンオートリックス・ポイント・ネヴァー『アール・プラス・セブン』以降のトレンドでもある「シンセ・ウェイヴ/ミュージックコンレート的」という現代的な要素もある。コーネリアスのファンでもある彼はアメイジングなサウンドも追求しているのだ。

 本作には、ブルーとアメイジングというふたつのエレメントが交錯している。コードに、ビートに、グルーヴに、サウンドに、声にさまざまな感情が息づいている。私には、美しいアンビエンスを響かせるラスト曲“2K”が、ノサッジの慟哭のようにも聴こえた。

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