「坂本龍一」と一致するもの

interview with Analogfish - ele-king


Analogfish
NEWCLEAR

Felicity / SPACE SHOWER MUSIC

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 最初に下岡晃が提案したアルバムのタイトルは『ディストピア』だったという話を、取材が終わってから知った。しかし、どうした理由からか、下岡はタイトルを『NEWCLEAR』に変更した。政府がいつ再稼働するのかうずうずしているようなときに、ある意味では挑戦的なタイトルだ。
 しかし、さらに考えてみれば、そういう時期に『ディストピア』を大々的に言うことも、面白かったのではないのかと思う。「ノー・フューチャー」とはっきり言うことで開ける未来もあるからだ。あるいは、音楽で「ウィー・アー・フューチャー」と言えば、アシッド・ハウスである。いずれにせよ、人生とはそんないいものではないと言うことは立派な激励で、ことに20世紀のロックは、「いいものではない」と言ってあげる役割を負ってきている。
 だから筆者は、アナログフィッシュがいかなる魂胆で、前向きになっているのかを知りたかった。311直後に『失う用意はある?それともほうっておく勇気はあるのかい』をリリースして、およそ半年後に『荒野/On the Wild Side』を出したロック・バンドは、311に照準を合わせるかのように、1年半ぶりのアルバムを発表した。1曲目の"Super Structure"は、もったいぶらずにさくっとはじまり、さくっと歌が入る。オーソドックスだが、ドライヴするリズムのハイテンションの曲調のなか、下岡晃が言葉を矢継ぎ早に出す。筆者が思うには、アルバムのベスト・トラックである。

 大都市にそびえ立つビルの最上階
 一人たたずむ男はコントロールフリーク
 管制塔から今も君の事じっとみつめてるんだぜ

 決められたルール与えられたコースから
 逃げるルートの裏の裏までもが想定内
 この街の中で彼の目から逃れる事なんて出来ない

 ザ・クラッシュの"コンプリート・コントロール"と同じ主題だ。こうした苛立ちは、"Watch Out(サーモスタットはいかれてる)"という曲にもうかがえる。そう言う意味では、アナログフィッシュは変わっていないと言えば変わっていない。
 とはいえ『NEWCLEAR』には、感傷的な要素も多分にある。失恋とも別離とも受け取れる"Good bye Girlfriend"のような曲はその代表で、それどころか、そのものずばり"希望"という曲さえある。「希望」「希望」「君の存在自体が希望だと思った」という素朴なラヴ・ソングなのだが、その曲に続くクローザー・トラック、やけのはらが客演する"City of Symphony"は、アップリフティングな、心温まるヒューマニズムの世界である......さて、アナログフィッシュがいま見ているところとは......さあ、今回は下岡晃に訊きたいことがたくさんあるぞ!

「忘れないぞ」っていう気持ちもあったし。子どものころ「ニュークリア(nuclear)」ってああやって(newclear)書くと思ってたんですよ。97年に京都議定書のときに言われてたのって、安全だし、CO2も削減できるし、クリーンなパワーだみたいなことばっかり言われてたから。

今日は下岡くんに食ってかかるぞ。

下岡:なんでですか(笑)。

嘘です(笑)。でも、ガンガン意見を言ってください。

下岡:はい。

『NEWCLEAR』というタイトルにしたのは、原発問題が中心にあるということを暗示しているわけですよね。

下岡:たぶんいくつか理由があったと思うんですけど。ひとつは、コンパクトで前向きなタイトルをつけたかったこと。あとは......でも原発のこともきっとあったんだろうなあ......「ニュークリア」って言ってるんだから。

はははは、それはそうでしょう!

下岡:なんか、「忘れないぞ」っていう気持ちもあったし。あと、子どものころ「ニュークリア(nuclear)」ってああやって(newclear)書くと思ってたんですよ。

へえ。核のニュークリアを。

下岡:そう。で、97年に京都議定書のときに言われてたのって、安全だし、CO2も削減できるし、クリーンなパワーだみたいなことばっかり言われてたから。

そうだよね。

下岡:で、ニュークリアって新しくてキレイだし、こうやって書くんだよなって勝手に思ったの。

僕も憶えている。環境問題にひっくるめられて、どんどん原発が促進されていったときだね。たしかにそういう時期がありました。

下岡:俺にとってはニュークリアはそれがいいなっていう(笑)

アルバムのトピックのひとつを言うと、いま下岡くんが言ったように、僕も前向きさにこだわった作品だと思ったんですけれども。この新作の方向性っていうのはどのような経緯で決まったんでしょうか?

下岡:方向性っていうのは、はじめから説明すると、ここに落とそうと思って作った盤ではぜんぜんなくて。あのあとけっこうすぐ、"抱きしめて"って曲を録ろうって話になったんです。

"抱きしめて"があのあとにすぐできた?

下岡:いや、"抱きしめて"も震災前に作ってあったの。で、ああいうこともあって、自分で歌う気がしなかったんです。でもそのうち、歌いたいような気持ちがムクムクと出てきて、で、歌ってみたら「いいぞ」って話になって。それで、まずそれを録ったんですよ。そこから月イチとか2ヶ月に1回とかのゆっくりしたペースで作っていって。それを集めたらこれになったっていうのが一番近いかな。

じゃあとくに意識的に方向性を決めたってわけじゃない?

下岡:ない。でも、最終的にNEWCLEARってタイトルにしようとしたのはまた雲行きが怪しくなってる中でここから新しくはじめようってステートメントを掲げようって思って。それが前向きかはわからないけれど市井のくらしの中にある希望みたいなのは拾っていこうと思った。そういう物まで一緒くたに失われたかのような感じがいやだったから。

"抱きしめて"って曲も311以前だったんだ。

下岡:そうです。

一種の疎開現象みたいなことを匂わせているフレーズが、"Good bye Girlfriend"とか"My Way"とか、いろんな曲で見受けられると感じたんですよ。だから"抱きしめて"なんかはどう考えても311以降に作ったのかなと僕は思っていたんだけど。「危険だから引っ越そう/遠いところへ引っ越そう」っていう言葉からはじまるわけだし。

下岡:作ったときは地震のことを思ってましたね。ずっと自分に来るべきものとして怖がっていたものだから。

ひとが東京から離れていく現象について言及が曲の断片から出てくると思うんだけど、それに関して下岡くん個人はどういう気持ちでいました?

下岡:あのときですか?

うん、だから"Good bye Girlfriend"みたいな曲もそういう想いがきっと入っているのかなと思って。

下岡:あれは(佐々木)健太郎が作ってて。あいつが何を言おうとしたかっていうのは、直接俺がすぐ口にできないんだけど。僕はこれは純粋なラヴ・ソングとして理解してる。でも、疎開現象については......。

僕の深読みなのかな。でも、けっこう周りにいました?

下岡:僕の近くに出てしまったひとはいなかったですけど、みんな考えてたし、一時期いなくなったひとはけっこういましたね。

それはけっこういたよね。

下岡:いました。俺もでも考えたけど、じゃあそこで何するんだろって思っちゃったっていうか。そのときってどうでした?

僕の周りではいるんだよね。子持ちが多い世代だから。

下岡:でも俺も子どもいたら絶対そう思うし。

僕、子どもいるけど思わなかったな(笑)。

下岡:そうなんだ。

周りからは「疎開したほうがいいよ」って言われたんだけど。できるひとは疎開したほうがいいかなって思ったんだけど、僕は現実的にできる状況じゃなかったし、長生きが人生の目的じゃないし。ただ、子供がいるといろいろ難しいよね。やっぱりそこで、最初に心のほうがやられてしまったってひとがいるじゃない?

下岡:たしかに。

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ある人に言わせれば、俺がいま言ってることなんて、「あんなこと言っちゃってるよ」的なことだったりするわけじゃないですか。でも、そういうのを逆にあんまり感じない。俺が見てないだけで、そういうひとは絶対いるんだけど。うん。いるけど、そういう面は少し薄らいできてるんじゃないかなという気がします。

下岡くんのなかで震災後のそういう動きは意識しているんですか?さっき1曲1曲には意味があるって言ってましたけど。

下岡:うーん......そこを意識してるっていうか、たとえば"抱きしめて"って曲で歌われてるのって、震災前にできた曲なんですけど。

じゃあ、そもそもこれは、どういうところからできた曲なんですか?

下岡:これは、僕は子どもの頃から地震が怖くてしょうがなかった、とにかく。長野で育ったんですけど、地震が怖くてどうしようもなくて。この曲作るときも「じゃあ、音楽やめて安全な所に引っ越すのか?」とか「そもそも安全な所ってあるのか?」ってずっと考えてて、で結局僕は東京に住んで音楽をやるっていうのを選んだんですけど。そうしていないと僕には意味ないから。

長野には地震ないじゃないですか~。

下岡:でも僕の住んでいたところは東海地震のナントカ区域にギリギリ入ってて。けっこう大規模な避難訓練とかがあったりして。そういうことを一回聞くと、「怖い怖い」ってなっちゃう子どもだったので、とにかく怖くてしょうがなくて。東京出てくるときにも引っかかったのが、関東大震災っていうのがあったって知ってるから、どうしようと思って。バンドやりたいけど地震が起きるかもしれないしっていうのは、ずっと考えながら暮らしてたから。
 で、抱きしめてを書いた後に地震があって、最初はやっぱり不謹慎じゃないかとか誰かを傷つけるんじゃないかとか思って歌えなかったんですけどニュースとかで震災の事を見てるとやっぱりどこにも行けなさっていうか、逃げ場の無さみたいな物を感じざるをえなかったり、被災して途方にくれてる人とか見てるうちになんかフツフツと歌おうかなって気に徐々になって。

サウンド的に言うとね、一言で言っちゃうとグルーヴを意識した作りになってるなと思ったんですけど、下岡くん的にはどんな風に今回のテーマと絡めて考えてました?

下岡:作りに関しては最初はサウンドのことがあって、ドラムとベースとギターがあるけど、ギターがなるべくコードを鳴らさないでって。

あんまガチャガチャしてないし、ストイックだよね。

下岡:ストイックにして、ドラムのリズムと言葉で持ってくようなイメージがあって。だから1、2曲目の感じ。

1曲目はほんとそれが顕著に出てるね。

下岡:1、2曲目の感じでぜんぶ作ろうという青写真を描いていたんですけど、作りはじめたらそうならなかったっていう(笑)。

でもギターの音数を減らして、ドラムやベースも派手なラインを弾くわけじゃないですか。そのミニマル感っていうのは今回のアルバムのテーマとどんな関係にあるんでしょう?

下岡:テーマとの関係っていうよりは音の少なさとグルーヴ感っていうのは今自分が伝えたいメッセージっていうか歌詞を伝えるのに一番理想的な形だったからですね。で、『荒野』でそういうのをやりはじめて、で、いちばん最初にアルバム作ろうって思ったときにそれをもう少し突っ込んでやろうってことだったんですよね。

今回のアルバムを作る上での最高のモチベーションって何だったんですか?

下岡:モチベーションっていうか、さっき言ったみたいに月に1曲とかふた月に1曲とかで曲を作ってたんですけど。まさにそれが言いたいことだったから、それを形にしたいっていう気持ちと、あとはその活動しているときに、たとえばライヴが盛り上がったりとか、動員が少し増えていったりっていう実感が伴ってたから、そういうものでしたね。

じゃあ活動そのものの手ごたえみたいな感じ?

下岡:うん、『荒野』以降の。

311直後にちょうど『失う用意はある?』が出たよね。あのタイトルが、はからずとも、現状ではマズいと思っていたひとたちの気持ちを代弁するような言葉になってしまったということを、2年前に話したと思うんですけど。実際、311以後、我慢するということを真剣に考えるようになったり。そういう、アナログフィッシュのメッセージ性に共振しながらリスナーは増えていってるわけだよね?

下岡:全然そうだと俺は思いますけど。言ってることは伝わってるって......そう思っているひとがいるんだなっていう理解の仕方をしてます。

具体的にどういうリアクションがあったの?

下岡:具体的にって言われると難しいですけど、単純にライヴが盛り上がるとか、あとは「あの曲のあの歌詞が好きです」って言われるとか。たとえば"HYBRID"っていう前作った曲とか、"PHASE"の「失う勇気はある?」のラインに何かを重ねてくれるひともいるみたいだし。
 でも、なんだろうな、それはバンドだから音楽が鳴っているときだけ作用するじゃないですか。俺はさっきそれが伝わっていると思うと言って、それは間違いないと思うけど、それはメッセージというよりは音楽全体についてみんな言ってるんだと思うし。ある人に言わせれば、俺がいま言ってることなんて、「あんなこと言っちゃってるよ」的なことだったりするわけじゃないですか。

政治アレルギーとか、シニカルに見れば「何を偉そうに」みたいなね。

下岡:そうそう。でも、そういうのを逆にあんまり感じない。俺が見てないだけで、そういうひとは絶対いるんだけど。うん。いるけど、そういう面は少し薄らいできてるんじゃないかなという気がします。

たとえば僕が住んでいるところの駅のTSUTAYAがあれ以来ずっと節電してるのね。夜になっても暗いわけですよ。でも、TSUTAYA全体が節電してるかと言えば、そういうわけじゃなくて。やっぱりそれに対して意識的なひとと忘れてしまったひとと、けっこう分かれている感じも片方ではして。

下岡:テレビとか見てても、アベノミクスみたいな論点がすごくクローズアップされていて、「いやいや俺忘れてないぜ?」っていう。

そこは今日の重要な議題だよね(笑)。

下岡:結局、あのときで俺がいちばん話したかった論点は、アベノミクスじゃなくて、どうやって幸せになっていくんだってことを考えるってことじゃないの、っていうかさ。アベノミクスっていうのはまた元の状態に戻そうって声高らかに言い出したようにも見えるから。だから、巻き戻るんじゃないかって気がしてるけど。疲弊してる経済を立て直すって事自体は大切なことだけど、経済大国を維持するために弊害もいっぱいあったのに。

ある意味、311直後にインタヴューしたときよりも、現在の方が希望が見えなくなってる感じもあると思うんですよ。たとえば、テレビなんて観るのも嫌になるぐらいのところがあるじゃないですか。

下岡:ありますね。

で、たまたま本屋に言ったらさ、『週間金曜日』が〈絶望〉の特集をしてたんだけど(笑)。

下岡:何それ(笑)?

いや、立ち読みしたんだけど、「自分たちから絶望を奪うな」って話なんだけど、僕には共感できる部分があった。絶望っていうのは必ずしもネガティヴなことではなくて、とことん絶望するっていうのは実は前向きなことだっていう話もあるしね。そういう意味で言うとさ、今回はアナログフィッシュはすごく希望を歌いたがっていると思ったのね。

下岡:たしかに。

なにゆえそこまで希望を歌いたかったのかっていうのが今日の取材の主題かなと思ったんですよ。

下岡:"希望"って曲がありますからね。

そう。

下岡:たしかになあ。

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あのときで俺がいちばん話したかった論点は、アベノミクスじゃなくて、どうやって幸せになっていくんだってことを考えるってことじゃないの、っていうかさ。アベノミクスっていうのはまた元の状態に戻そうって声高らかに言い出したってことだから。


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"抱きしめて"みたいな曲は、希望に溢れている曲とは思わないんですけど、やけのはらが参加した最後の曲("City of Symphony")なんかは、ちょっと無理してるんじゃないかなと思ってしまったぐらいで(笑)。

下岡:たしかに。でもさっきの「自分たちから絶望を奪うな」じゃないけれど僕も絶望することっていまとても大事な事だと思うんですよ。けど、僕が思う奪われるべきでない絶望ってのは例えば仕組みとか、システムとかそういうものについてであって、生きていくこと自体にじゃないって思うんですよね。このアルバムで僕らが歌った希望はただ生きてくことの個人的な希望で、いまの社会で生きる事への漠然とした不安とかについてだと思う。逆に仕組みとかについてはいままで以上につっこんで表現したつもりですけど。
 "City of Symphony"に関して言えば、ちょうどさっき言っていたみたいに疎開というか、ひとが出て行っちゃう、俺自身もそういうことしたほうがいいのかなって考えてる時期があって。でもあるときに、東京に住み続けようって世のなか的にも気持ちがぐっと戻ってきた瞬間があったんですよ。で、そのタイミングでその勢いをそのまま作ったっていう感じなんですよね。

なるほどね。

下岡:希望に満ちていると言いつつ、"Super Structure"とか、こうやって自分の作った曲見てると――。

前作からの延長は感じるよね。その"Super Structure"の曲中で、曲の場面が転換する部分、「踊る阿呆に見る阿呆」っていうのは何を意味してるんですか?

下岡:自分の好きなようにやろうってことじゃないですか(笑)。

ははははは、でも大事なことだよね。

下岡:あと持つ者と持たざる者じゃないけど、そういう奴らと僕も含めてつい踊らされてしまうひとたちのことです。

その踊らされてしまうひとたちも、べつにいいじゃんって感じなの?

下岡:この「踊らにゃソンソン」は、自分の好きなように踊れよっていうことです。風営法のこととかもあったし、911の後とかすごくよく覚えてるんですけど、あの後にテレビが保険のCMをガンガンやりはじめた感じとか。そういうのにかこつけて固まっていく感じっていうか、ああいうのがすごく気持ち悪いんですよ。

なるほどね。ちなみにこの1曲目の"Super Structure"は、最初のヴァースの、どこに息継ぎがあるんだっていうのもミソですよね(笑)。

下岡:そうですね(笑)、たしかに。上京してすぐのときに金がなくて、けっこう都庁で時間を潰したんですよ。タダで上れるじゃないですか。で、都庁ってスーパーストラクチャー工法っていう構造で作られてて。

へえー。

下岡:そのときに俺それ覚えて。10年以上前だけど、ずっと気になってて。石原さんみたいなひとが、あのてっぺんから見下ろしているイメージっていうか(笑)、なんかこうやってるイメージとか浮かんで。

社会っていうとすごく大きな言葉だけど、具体的に下岡くん個人がとくに問題意識として考えていることは何なんでしょう?

下岡:僕がいま気になってることは倫理とか道徳とかモラルとかって呼ばれる物がこの先どうなっていくんだろう? って思ってる。やっぱりどんどん薄まっていってる気がするから。僕自身もきっと僕の上の世代より希薄だし。
 でも例えば原子爆弾を作れるってなったら原子爆弾が作られてしまうように、きっとクローン技術であるとか永遠の命であるとか、そういうのっていつも興味が倫理観を越えていっちゃうから。なんかそれってどうにもなんないのかなって考えてる。平和とか幸せとかってなんかその先にある気がいまはするから。全部無いほうがおもしろいとか思うときもあるけど。あとはいまの形の資本主義やお金のこと。

そのあたりのことは今回のアルバムではとくに......?

下岡:やっぱり"Super Structure"とか"Watch Out(サーモスタットはいかれてる)"とかだと思う。

"Super Structure"みたいな曲は、歌っててやっぱり気持ちよさっていうのはある? 言いたいことをわーっと言ってるみたいな。

下岡:いやあ(笑)。アップアップしてます。息が続かないっていうか。

いや、気持ちよさそうに聞こえますよ。

下岡:ほんとですか。でもいいリズムのノリがありますけどね。

佐々木健太郎さんが歌詞を書いている"STAR"という曲で「聞こえてくるシュプレヒコールが僕を歩かせようとしたけれど/あの夜僕を閉じこめたのは同じ声だった気がしていた」っていうフレーズがありますよね。これがどういう意味なのか、彼には聞かなかった?

下岡:俺は聞かなかったです。

(笑)なんで? いちばん気になるフレーズじゃない(笑)!

下岡:うん。

受け取り方によっては、デモに対する違和感なのかなっていう(笑)。

下岡:俺はそういう風に取らなかったな。俺は最近の何となく忘れていったり、違うところに焦点を合わせようとしてるような、ぼんやりとした空気とかに対して歌ってると理解してる。とりあえず目先の希望みたいな。それって何となく僕らや、世界をここに導いたものと同じなんじゃない? って。だいたい僕らデモに対してそんなに違和感ないですからね。そうやって自分の意志を表現することは別にちっともおかしいことだと思わない。もっといろんな手段があっていいとは思うけど。

下岡くんはデモには行かないの?

下岡:行かない。行かないっていうか、いまのところ行ってないですね。あ、でも1回行きました。

アメリカではブルース・スプリングスティーンみたいな人が、そういうところにも積極的に参加するよね。アナログフィッシュにはブルース・スプリングスティーン的なところもあると思うし。ああいうさ、社会の矢面に立つ著名なミュージシャンは、日本では坂本龍一ぐらいしかいないと思うんだけど、そういうものに対する共感っていうのはやっぱりあるわけでしょう?

下岡:共感は全然あるし、ブルース・スプリングスティーンも好きなんだけど――。「ちょっとな」って思う部分もなくはない。音楽として最高に好きな音楽じゃないっていうのはあるけど、最高に憧れはしないです。坂本さんは尊敬してるし、すごくカッコいいと思ってるけど、自分がそういうことやるかって言ったら、少し違うとは思う。

スプリングスティーンのちょっと違うかなっていうのはどういうところ?

下岡:うーん......。なんだろうなあ......。少しマッチョな感じがする。そうやってひとの心をひとつにすることは、俺すごいと思うしカッコいいと思うけど、もしかしたらそういう風な束ね方をしたいんじゃないんじゃないかって感じが俺はすごくしてるっていうか。

もうちょっと違う伝え方をしたいっていう。

下岡:そうですね。なんかみんな自由にやってほしいって思いますね。

ところで、さっきラヴ・ソングという話が出たけど、今作はラヴ・ソングに落とし込もうとしているような痕跡がいろんな曲で見受けられるんですけど、それはどうなんですか?

下岡:健太郎に関してはわからないけど、でもこの"Good bye Girlfriend"って曲がほんと俺好きで、秀逸だなと思うけど。でもなんか、ラヴ・ソングを書いたっていう気は俺としてはあんまりないんだよな。たとえば"Isay"にしても――。

えー、これもかなり直球なラヴ・ソングな感じだけど。

下岡:そうですよね。「愛されるより愛せ」って思ったんですよね、ほんとに。

それはパーソナルな出来事なの? それともこれは象徴的な言葉として自分で書いてる?

下岡:あー、どっちなんだろうな。両方あるけど......

キリスト教だったら「隣人を愛せ」って言ったときに寛容さとか、そういうようなことを意味するじゃない?

下岡:そういう意味ではパーソナルな出来事かもしれないけど、なんかI sayってメッセージを歌ってるって意識なんですよね。自分にとってラヴ・ソングってそういうものじゃなくて。
 震災のニュースとか見てたら大事な人のこと考えちゃって。僕は結婚もしてないし子供もいないんですけど。僕もやっぱり愛されたいし、それ自体は否定しないけど、「愛する」があって「愛される」があるんだなって思ったんですよね。その逆じゃなくて。
 コンビニで音楽が流れてるじゃないですか。聴いてたらアイドルが「愛してる」っていう主旨のことを歌ってて、で、アイドルが歌ってる「愛してる」って結局あのひとたちは愛されるためのひとたちだから、「愛してる」って歌ってるけど表現の全体としては「愛して」っていう表現になってるっていうか。だから「愛せ」っていう表現ってそんなにあるのかなって思ったことをいま思い出しました(笑)。

そこが重要だったんだ(笑)。

下岡:いやわかんない。それが重要だったかは(笑)。でも、ラヴ・ソングっぽく聴こえる曲がけっこうあるんだな。自分が書いた曲に関してはラヴ・ソングと思って書いた曲はほとんどないんですけどね。

結果そうなったんだね。

下岡:うん、ないと思う。

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911の後とかすごくよく覚えてるんですけど、あの後にテレビが保険のCMをガンガンやりはじめた感じとか。そういうのにかこつけて固まっていく感じっていうか、ああいうのがすごく嫌いなんですよ。

下岡くんは時間があれば、わりとテレビのニュース番組とか見るの?

下岡:僕テレビ持ってなくて、観ないんですけど。地デジになったときにもういいやと思って。それでネットする時間がけっこう長くなってきてて、ネットしてると、テレビ観てるほうがいいなっていう気になってきてて(笑)。これやってるんだったらって、いま思ってるとこです。

ほう、それはなんで?

下岡:NHKとかすごく観たい番組があって。ダイオウイカのやつとかネットで見たんですけど。俺それすげー観たかったなと思って。

何それ?

下岡:深海にいるすごく巨大なイカの番組。世界ではじめて撮ったみたいなやつで。それ観たいなと思ったりとか。あとは、ネットでニュースを検索してて、意見とかコメントとかを見ると、けっこう気が滅入りません?

PCの前に座ると人格変わるひとがいるんだよ(笑)。僕はツイッターは、ele-kingで更新情報を流すぐらいで、個人的にはやらない。ただでさえ情報過多なのに。あれ、得意不得意があるじゃない?

下岡:はい、あります。俺もツイッターやらないですけど、なんかヤフーニュースとか見てると、下のほうにひとが書き込んでたりしてて。で、けっこう「ああー」ってなったり。でもこういうのが見られるっていうか、双方向性が魅力なのかなって思いもするけど。ひとが見るところは、テレビと同じで大きなお金を払っているひとたちのものがそこにあるから。結局どれだけ違うのかなと思ったりして。

僕とか櫻木(景、レーベルのボス)さんみたいなひとはサッカーを観るためだけにテレビがありますけどね。

(一同笑)

下岡:そう、スポーツが観られるっていうのがテレビのいいところですね。

ありがたいね(笑)。

下岡:いやマジで。スポーツとか、あとはNHKの自然ナントカみたいなやつとか。

(笑)たしかに。話を戻しましょう。"Watch Out(サーモスタットはいかれてる)"って曲も、"SuperStructure"と並んで、下岡晃節が出てるクールな曲だと思うんですけれども、この曲についてコメント下さい。

下岡:これは、えっと、資本主義的なことと、最近の中国との関係みたいなこととかレイシズムのことです。でもこれは去年の11月からああいうのが問題になって。なってっていうかずっと問題だったんだろうけど、なるべく浅く書くって言うと変だけど、あんまり掘らずにぱっと書こうと思って書いたから、いま聴いててもちょっとフワフワした気持ちになる自分がいる(笑)。

衝動的に書いたんだね。

下岡:音の感じとか言葉の出し方とか、ヒップホップ的にでなくやるのってどういうやり方があるのかなってずっと思ってたけど、すごく難しいんだなと思って、やってるときに。でももう少しそういうのをやってみたいなって気はしてます。

ヒップホップ的なやり方っていうのは、1曲目もそうだもんね。

下岡:でも音節の割り方がなんか違うんですよね。入れ方が。だからやけ(のはら)さんに聞いて勉強しようと(笑)。

それでやけさんが登場する......わけではないでしょ!?

下岡:(笑)わけじゃないけど。

ははは、今回、やけちゃんを呼んだのはなんでなんですか?

下岡:ちょうど櫻木さん繋がりで飲んだこともあるし、やけのはらさんも『荒野』もこれもいいって言ってくれてるし、僕もやけのはらさんのアルバムもすごく好きだったから。あれはほんと素晴らしい。新しいのもすごくいいけど。なんかシンパシーを感じるんだよな、あのひとの書くことに。

ほう、どういったところに?

下岡:うーん......なんか俺と似たようなことを言うときがあると思う。あとは――。

サンダル履いてるところとか?

下岡:(笑)それも好きです。あと、声と言葉の関係っていうか、やけさんと話してるときに、やけさんはマーシーの歌詞が好きだった言ってて、俺もそれはすごくよくわかって。好きなんだろうなって、なんかピンと来て。で、俺もすごく好きで。そういう美的感覚が、聴いてて安心するし。

さっき僕が「ちょっと無理してるんじゃない」って言った最後の曲は、どうやって作ったの? あらかじめコンセプトを打ち合わせて作った感じなの?

下岡:コンセプトは打ち合わせました。コンセプトは、街を歌うってことと、僕が好きな東京の景色があって。埼玉のほうから川沿いを走って池袋のほうに抜けていく高速を走ってるときの、うっそうと茂った東京がばーっと出てくる、で、日が暮れていく感じがすごく好きで。その気持ちを曲にしたいということを言って、はじめたと思う。

それは面白い話だね。町にプレッシャーを感じるんじゃなく、いつもとは違った眺め方、道順で接することで解放される心理地理学って、フランスの60年代の思想家は定義しているんだけど、その発想に近いかもね。ラッパーが町を描写したがるのもそういうことだと思うだけど、どうして自分の好きな東京を歌おうと思ったの?

下岡:ひとつは、さっき言ったみたいな疎開していく感じから、自分がぐっと東京に住むぞって感じとか、世のなかのひとたちが東京でやっぱりいいのかなって思いだしたタイミングが俺のなかではあって。そう思ったタイミングだったからっていうのと、もうひとつは、元も子もないですけど(笑)、やけさんも俺も小沢健ニさんの〈東京の街が奏でる〉を観に行ってて。

櫻木:元も子もない(笑)。

はははは。

下岡:(笑)で、その話をいっしょに飲んでしてたんですよ。「あれが良かった」とか「あそこは」とか。で、それもわりとそういうテーマだったんです。それもあったと思う。

どういうインスピレーションを与えたの? きっかけになったっていうのは。それはどういう作品なんですか?

櫻木:Tシャツとかも自分の好きな街のスカイラインみたいなのを描いてて。東京の街のペン画みたいなのを。オペラシティで2週間ぐらいやってたんですよね。

下岡:で、往年のヒット・ソングもやるんですけど、合間でポエトリー・リーディングみたいな感じで街のことを話したりして。それを話題にするなかで、俺たちも街のことを歌ってみるみたいな感じもあったんじゃないかな。

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たとえば話戻っちゃうけど、原発反対ってなったときに俺みたいに「反対だから反対だ」って思うひともいれば、「反対だけど、わたしも使ってる立場だから反対って言えない」みたいなひともいる。そういうのから自由になりたいっていうか。


Analogfish
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なるほど。では、最後の質問ですが、アナログフィッシュが理想とする社会っていうのは何なのでしょう?

下岡:(笑)それすごいですね。デカい質問。俺はなんか、もう少し自由でいたいと思うんですよ。いつも。なんか、絡め取られたくないっていうか。

法律に?

下岡:法律は、幸せに暮らすためには俺はある程度ルールは必要だと思うけど、そのルール自体がひとを見ていてほしいというか。ひとを向いていてほしい。

システムのためのルールではなくて、ひとのためのルールになってほしい?

下岡:なってほしいし、さっきの話したプレイグランドをもう少し離れて自由にやりたいと思ってる。自分の思うように。

何から一番自由になりたい? せめて大麻くらい合法にしてくれという自由であるとか。

下岡:(笑)。

真剣に医療に使ってる国だってあるわけだから。

下岡:はい、はい。

あるいは、フェミニズム的な自由であったりとか、同性愛的な自由であったりとか。環境問題的なことだったり。下岡くんが一番気にするところの自由っていうのを教えてほしいなと。

下岡:なんだろう、言うこときかされないっていうか。もう少しきっと明確に言えることがありそうなんだけど。たとえば話戻っちゃうけど、原発反対ってなったときに俺みたいに「反対だから反対だ」って言おうと思うひともいれば、「反対だけど、わたしも使ってる立場だから反対って言えない」みたいなひともいる。そういうのから自由になりたいっていうか。

(笑)それは何からの自由だろうね。

下岡:そういうのが無数に絡みまくって俺たち生きてて、べつにそれでやっていけはするけど、何だろう、あの共犯意識みたいなもので誰も何も言えなくなる感じが。

それは真面目さと言うよりも、誤謬だよね。

下岡:いやいや、それ思ったら言えよっていうところあるじゃないですか。でもその共犯意識も、何も言えなくなるためにあるじゃないかって気も考えようによっちゃするし。あの感じがイヤですね。

集団や規律みたいなものを優先してしまうというか。

下岡:想像力の無さから自由になりたいです。でも「反対だけど、わたしも使ってる立場だから反対って言えない」って人も想像力ってゆうかやさしさがありますよね。でもどう思ってるか表明した上で話した方がいい気がするけど。

じゃあ逆にさ、海外の文化でいいなって思うのはある?

下岡:ああー。たとえば俺はアメリカはすごくイヤなところもあるけど、あのひとたちって資本主義は資本主義で、原発はリスク高いから金出さないとかさ、なんか一貫してるじゃないですか。

でもその代わりにシェール革命っていうのがあるしねー。

下岡:そうそうそう! アメリカはそんな好きじゃないんだけど、そういう一貫してるのはいいと思うな。

いわゆる民主主義ってものに対して?

下岡:そうそう。あと、僕オーストラリアに住んでたけど、あのひとたちのひとのよさっていうか、単純に。変にアメリカを意識して、頑張ってはねつけてる感じとかも好きだな。

日本を見るときに海外から照射するっていうやり方もあるよね。日本のことだから日本にいれば、日本のものだけ追っていれば見えるって言うのも意外と違っていたりしてね。

下岡:俺すごく覚えてるんですけど、日本のひとたちがイラクに入っちゃいけないって言われているのに入って人質になって、「自己責任」って言われたことがあったじゃないですか。自己責任だから、国益を損ねてまで助けることないって。でもフランスかどこかが「彼らは守るために行ったんじゃないか、なんで日本は自己責任とか行ってるんだ」みたいなことを言ったら、もう世論がひっくり返って、「自己責任って言ったやつどいつだよ」みたいな話になったんですよ。なんか、その感じっていうか。最初に自己責任っていうものが出てきちゃう感じとかも、なんでかなって思う。
 でも、なんでかなって言いながら、俺も最初自己責任だろってそのとき思ったんだよね。俺そのときすごく後悔したの、なんか。俺ってなんか、ほんとつまんねーやつだなって思って。もうこんなこと絶対やだぞって思った。でも俺が政治的な音楽をやりたいかっていうと、べつにそんなことしなくてよければそれが一番いいなと思うし。必要があると思うことを、しないのが変だなと思って。

なるほど。なんか言い足りないことってある?

下岡:いや、どうかな......(笑)勘違いされたくないのは基本的にはこの世のなかが好きってことですね。

はははは、アナログフィッシュが理想とする社会とは何か?

下岡:そうですね。俺の理想か。

Jリーグの試合があるときは絶対仕事を休まなきゃならないとか。

櫻木:そうそうそう!

下岡:俺の理想は、将来の不安がないことですね。

安心して老後を過ごせる社会、自分も老年期に入りそうだから、なおさらそう思う(笑)。

下岡:そうですね。はははは! いきなり現実的になっちゃった(笑)。でも、僕社会のこととか、モラルとか倫理とかの話になると、絶対自分の祖母が出てくるんですよ。で、本とか読むよりも、祖母がああだったなって考え方をするほうが腑に落ちて好きで。俺の年だとそういうのができないからな、って思って。たとえば祖母は、いい悪いもすごくはっきりしてるし、で、彼女自身は大正に生まれてて、若いときはいまみたいに女性が自由に生きられたことは絶対ないだろうけど、でも全然不幸じゃなさそうだったし。ずっと土を触ってるとかさ。

おばあちゃんは大正のどのくらいの生まれなの?

下岡:えっと、大正11年の生まれですね。

じゃあ戦争を経験してるんだ。

下岡:経験してる。

けっして順調な人生だったわけじゃないよね。

下岡:じゃないはず。でもあのひとは、いい悪いがはっきり決まってて、そういうのが俺すごく好きだったんだよな。羨ましいと思ったし。

おばあちゃんの世代とは違って、いまの社会は流動化しているから、自分が生まれた場所で孫に話すことが限りなく少なくなっているというか。

下岡:でも、いまみたいな社会を維持していこうとしたときに、やっぱりまたひとが田舎に戻っていくってことはないのかな。

いや、それこそ現実に疎開現象とかさ。

下岡:Uターンみたいなものでひとが入ってるとは聞くけど。それだともたないんだよな、絶対。田舎って。何て言うんだろう。たとえば僕が田舎にいたときに、都会のひとが帰って来てはじめるお店とかって、都会のひとに向けてやってるお店っぽくって。田舎を売りにしたお店っていうか。田舎のひとが必要としてることじゃないって感じがして。いま田舎にひとが行ってるのって、もっと地に足がついてるのかな。もっと地に足着いてたらいいんだけど。

でも、福岡なんかは、311以後、人口が増えちゃって、音楽のシーンが賑やかになっているって二木信が言ってたよ。東京もローカルな感覚を取り戻しているし、なんか変わってきているよね。まあじゃあ今回はそんな感じで。

下岡:じゃあ、次にはもっと言えるように(笑)。

じゃあ、次のアナログフィッシュは『サージェント・ペパーズ~』だね(笑)。

新しい宇宙が見えるかもしれない - ele-king

 ジェフ・ミルズ×毛利衛。思えば意外な組み合わせではないのかもしれない。昨年ふたりは初めて対面し、お台場の日本科学未来館ではトーク・セッションも行われたが、ジェフが宇宙に寄せるあまりにも一途で純粋な思いは、彼の質問や、毛利の回答に目を輝かせる様子からもありありと伝わってきた。また一方で、毛利の宇宙観も近年では「ユニバソロジ」という科学者としてはいっぷう変わった概念へと結実していて、その広がりのなかに今回のようなコラボレーションが生まれたことは不思議ではない。

 トーク・セッションで印象に残った話のひとつに、光(闇)の体験談がある。それは「宇宙の黒を知っていますか」――言い回しに異同はあるかもしれないが――というような問いかけからはじまる。われわれが普段「黒」と認識している色は、光の反射によって認識されている「黒色」だ。ざっくりと言えば、光が黒いものに当たり、それが反射され、われわれの目に「黒」という色が映っている。だが宇宙の黒は違う。宇宙では光が返ってこない。光は行ったきり戻ってこず、そこに存在するのは、何の反射でもない、まさに無の光(闇)。あの真っ暗さは黒とは明らかに違うのだ......。
 『ホエア・ライト・エンズ』というタイトルからは、思わずこの話が思い出された。光が終わるところとは宇宙なのか、それとも。

 毛利衛によるオリジナル・ストーリーと、それをもとに制作されたというジェフ・ミルズの最新音源を収めた『ホエア・ライト・エンズ』。これは貴重なコラボレーションであるばかりでなく、新しい宇宙のイメージが歴史に書き重ねられる瞬間であるかもしれない。アルバム収録は初だというリミックス音源も期待される。

ジェフ・ミルズの新作『Where Light Ends』は日本科学未来館館長・宇宙飛行士 毛利衛氏とのコラボ!!

テクノシーンを代表するDJ/プロデューサーであるJEFF MILLS(ジェフミルズ)。伝説的なテクノ・ユニット、Underground Resistanceの一員として活動していた活動初期、そしてソロとして活動を開始してから現在に至るまで、“宇宙”というテーマにこだわり続け、多くの作品の中で表現し続けてきたアーティストだ。

昨年、自ら主宰する音楽レーベル〈Axis Records〉が創立20周年を迎え、その活動の集大成として20周年記念盤『SEQUENCE』をリリースし、同時に新章へと向けた展開を開始、その第一弾となる作品はなんと、1992年、スペースシャトル、エンデバーに日本人として初めて搭乗した毛利衛氏とのコラボ作品だ。

現在、日本科学未来館館長を務める毛利衛氏とJEFF MILLSは昨年2012年に初対面。様々な意見が交換されると同時に、毛利氏はJEFF MILLSに未来館の「Geo-Cosmos」(1000万画素を超える高解像度で、宇宙に輝く地球の姿を映し出す有機ELパネルを使った世界初の地球ディスプレイ。日本科学未来館のシンボル展示)が展示されるシンボルゾーンで流れる音楽の制作を依頼(これまでは坂本龍一氏によるオリジナル音楽が流れていた)、またJEFF MILLSは、エレクトロニック・ミュージックとスペーストラベルを毛利氏とミックスしていくというアイデアを提案、毛利氏が快諾したことにより、2つの音楽プロジェクトが始動することになった。

JEFF MILLSが音楽を製作するにあたり、実際に宇宙空間に身をおいた毛利氏の宇宙観を共有するため、毛利氏がオリジナル・ストーリーを作成、これを元にジェフ・ミルズは最新作『Where Light Ends』を制作したということで、2人の出会いによって誰も想像し得なかったコラボレーション作品が誕生することになる。

なお、この作品は2CDとなっており、DISC2には日本人リミキサー陣による作品が収録される予定。過去、JEFF MILLSの作品をリミックスしたのは、KEN ISHIIとBEN SIMSの2人のみで、これらの楽曲も数量限定の12インチアナログとして発売されたのみ。JEFF MILLSの楽曲のリミックス作品が収録されるのは今回が初めてとなるということなので、そのラインナップが気になるところだ。

JEFF MILLSの新作「Where Light Ends」は3月27日にU/M/A/Aより発売される。

【商品情報】
テクノシーンを代表するDJ/プロデューサー ジェフミルズと日本科学未来館館長・宇宙飛行士 毛利衛による最強宇宙コラボ!

JEFF MILLS
「Where Light Ends」

2013.3.27 release


Cat No.:UMA-1015-1016
価格:¥2,580 (税抜 ¥2,457)
仕様: 2CD / ブックレット / ジュエルケース

[DISC 1] "Where Light Ends" オリジナルアルバム
1. T-Minus And Holding
2. STS-47; Up Into The Beyond
3. Light Of Electric Energy
4. Black Cosmic Space
5. Earth And The Geo-Cosmos
6. Life Support
7. Centerless
8. The Inhabitants
9. Deadly Rays (Of A Hot White Sun)
10. Extra Solar Planets (WASP 17b)
11. Way Back

[DISC 2]リミックス集
日本人アーティスト達によるリミックス曲を収録。

[ブックレット]
毛利衛(日本科学未来館館長・宇宙飛行士) によるオリジナルストーリーを収録したブックレットを封入、Jeff Millsによる作品解説、各リミキサーによる作品解説収録予定。

みんなサイボーグ

もう若い子にとっては音楽は何らかの付帯情報、映像だったり、写真やイラストだったり、サンプリング・コラージュだったり、そういった情報要素が混ざった集合体として捉えられていくのかもしれませんね。(佐々木)

サンプリング自体、90年代から00年代のある時期まで、厳しい著作権の監視下によって表に出れなかったんですけれど、ネットの普及とともに、サンプリング文化自体がまた盛り返しているのも面白いですね。(野田)


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
U/M/A/A Inc.

初回盤 通常盤

野田:ダークスターという、ダブステップ・シーンから登場したバンドが2009年に出したシングルに“エイディズ・ガール・イズ・ア・コンピュータ(エイディの彼女はコンピュータ)”という曲があります。当時ヒットしたし、評論家受けもしたエポックメイキングな作品なんですけど、これが初音ミク的にコンピュータのソフトウェアに歌わせた曲でしたね。それまでダブステップに歌がのる場合、たいていはR&B調のヴォーカルだったんですが、ダークスターはコンピュータのソフトが合成する声に、アンニュイなシンセポップを歌わせたんですね。
 今回、佐々木さんにお会いするので、僕なりにミク的なものを考えてみたんですけど、いろいろありました。そもそも、エレクトロニック・ミュージックのこの10年は、「声の10年」だったとも言えるかもしれないんです。たとえば、ジェイムス・ブレイクの“CMYK”、この曲の元ネタがケリスの“コート・アウト・ゼア”とアリーヤの“アー・ユー・ザット・サムバディ”だということはいまでは知られていますが、最初は誰の声かわからないほど加工されていました。
 こうした声ネタ加工が流行した発端は、レイヴ・カルチャーだったんじゃないかと思います。たとえばプロディジーは、声ネタのサンプリングを子どもの声になるようなハイピッチでやって、そのまま使って馬鹿馬鹿しさを出した。DJスクリューはまったくその逆で、速度を落として再生して、お化け声みたいものを面白がった。ダブステップ世代になると、たとえばブリアルなんかは、バカみたいな甘々のラヴ・ソングR&Bの言葉を幽霊のような声に加工しているんですね。00年代以降のポップスの主流はR&Bなわけですから、日本で言えばエグザイルみたいな連中の曲の歌の断片をリエディットして、意味まで別にものにしているんですね。そのいっぽうで、R&Bの泣き虫(ウーピー)系は、カニエとかドレイクとか、オートチューンを使いまくっていました。ポップスのサボーグ化とういか、ポップスのなかで声の加工という領域がここまで盛んだったことは過去になかったように思います。昔は、ギターが生から電気になっただけで騒がれたほどで、声は生にとって最後の領域だったと思いますが、それがいよいよ大々的にサイボーグ化している。
 そういうなか、メデリン・マーキーは最新型です。彼女は、ヴォコーダーを使って小鳥のさえずりのような音を出すんです。かつて戦争兵器として使われたなんて考えられない、というようなすばらしい使い方です。僕なりに初音ミクに繋がるような、いろいろレコードやCD持ってきたんですが、これがまずその1枚です。
 もうひとつ、音楽作品というのが、ソフトウェアとなったというか、ソフトウェアとしての音楽作品というのを実践したのが、ビョークが去年リリースした『バイオフィリア』でしたね。これは、アプリとしても制作・販売しています。それによって1曲1曲をインタラクティヴに楽しめるというのが彼女のコンセプトでしたが、これは、ソフト開発というものが技術屋ではなくて、アーティストの仕事になっていくという事態を象徴する作品だったと思うんですね。この道ではそれこそモノレイクが先駆的に、ソフトウェアの開発者でありIDMの作家であり続けていますが......。そういえば、昔、ローランドの909の発案者に取材で会いに行ったことがあったんですが、開発者はふつうに社員なんですよね。でもこれからはそうじゃなくて、909を作った人がアーティストになるようなことです。
 それから、もうひとつ、ヴェイパーウェイヴという新しいジャンルがあって、これもある意味初音ミク的というか......、いや、ミクのジャンク・ヴァージョンのように思います。アメリカ人ですが、日本語を多用していて、それも適当な翻訳ソフトで翻訳したであろう、壊れた日本語になっています(笑)。
 ヴェイパーウェイヴのサンプリング・ネタのほとんどはユーチューブであったり、ネット上に落ちているものです。作品自体は凡庸で、とくに新しいわけではないんですが、ネット上の海賊盤の交流会みたいな感じが新しいんです。ヒップホップのミックステープと違って、自分の音楽の売り込みのためにやっている感じではないんです。むしろ売る気がぜんぜんないというか、まったくやる気がないというか、「がんばれば君もポップスターになれるかもしれない」という夢をいかがわしい虚妄として見せているようにも解釈できるので、反資本主義などと評価されたりするような、デジタル時代のカオスがあるんですね。しかも、外から見た日本のイメージがかなり偏ったカタチで流用されています。ヴェイパーウェイヴでは、日本のアニメやオタク文化は、健全なアメリカ社会がもっとも望まないであろう、忌まわしきアイコンとなっているようなんです。ミクはアニメじゃありませんが(笑)。とにかく、やってしまえという感じでやってしまって、いまいちばん意味を求めているシーンです。
 もう1枚紹介させてください。メイン・アトラクションズです。クラウド・ラップというジャンルに分類される、USのラップ・グループです。この「クラウド」という言葉はサウンド・クラウドとかのクラウドです。やはりいろんなところから音を引っぱってきて、ルーピングしたりする。ギャングスタなのに、パフュームなんかも使っているほどです(笑)。〈タイプ〉というUKのアンビエント系のレーベルからも1枚出てるんですけどね。
 サンプリング自体、90年代から00年代のある時期まで、厳しい著作権の監視下によって表に出れなかったんですけれど、ネットの普及とともに、サンプリング文化自体がまた盛り返しているのも面白いですね。

佐々木:声から受ける情報は、人間にとって他の音とは比較にならないほど大きいし、重要ですから、エレクトロニック・ミュージックにしろ『声を扱える可能性』を持っていた時点でこうなる運命だったのだと思います。ヒップホップとか、ドラム+語りですしね(笑)。野田さんが言及されている声にまつわる音楽は自分にとっても興味深いです。ダークスターなどダブステップの拡散の中で、声の効果的な活用法というのは先鋭化されているのは音楽の流れとして必然と思いますし、メデリン・マーキーなどドローンのソースとしての声は、「動物の鳴き声」を掘り下げるような試みで、意味深に聴こえます。声の応用でサウンドメイクしているという情報と、波長が強調された音像が相まって身体的・肉感的な音楽に聴こえますね。まぁ妄想ですが(笑)。
 ヴェイパーウェイヴなど動画共有サイト時代のサンプリング感覚に関しては、おっしゃるとおりにもう時代は変わってしまっていて、情報=音源に関する認識も変わっていっているなと思います。もう若い子にとっては音楽は何らかの付帯情報、映像だったり、写真やイラストだったり、サンプリング・コラージュだったり、そういった情報要素が混ざった集合体として捉えられていくのかもしれませんね。それが「初音ミク的」と呼ばれるのであれば、同時代的なのだろうなと。親戚みたいな感じでしょうか。

野田:高周波数のサンプリングが一般化していく一方で、ロービット・サウンド熱も高まっていますよね。チップチューンとかね、一部の人たちがゲームボーイで音楽を作りはじめました。むしろ8ビット・サウンドがかっこいいんだという。その種の反動というのは必ずあるもので、もしかしたら初音ミクを用いる人にも無意識にそうした傾向があるのかもしれないですね。エイフェックス・ツインがジョン・ケージをカヴァーするいっぽうで、ガバをやるようなものです。

佐々木:そうですね、そこは表裏になっているなという感じもしていて、ロービット・サウンドの前にも、パトリック・パルシンガーのバキバキに歪んだテクノとか、エリック・Bのモコモコしたビートとか、そこまで音を悪くしなくていいでしょう? というくらいダンゴになったようなサウンドの人たちがいましたよね。昔はそれ自体が作家オリジナルであり異端でした。ユーチューブからのサンプリング・コラージュも、たぶん15年前だと〈ロス・アプソン?〉とかが世界中から集めて売っていたような、変態的な(笑)人々の音楽、というような認識しかなかったわけで、変わりましたよね。昔は、アナログ作業的でマイノリティでしかなかったものが、いまだと別の意味性を帯びてコラージュされたりしているわけですから。
 とにかく、変な音とか、気になる音とか、音に対して行き過ぎた興味を持っていくと、どういうふうになるんだろう? という好奇心が自分のなかにはあって。自分はそもそも音に対する捉え方が狂っていたなと思います。そういうなかで、初音ミクというのは、それまで自分のなかでイメージしたことのなかった「機械による可愛い声」を目指したものでもあったんです。でも、その「可愛い」自体がちょっとズレていたんですけどね。自分がアニメなどのカルチャーに詳しい人間だったらいちばんには選ばないような、基本「歌わない」人をセレクトしたし、自分が声優ファンではないからこそ、テンションの低いディレクションをしたんだろうなとは思います。
 余談ですが、自分が聴いた声の加工のなかでいちばん怖かったのは、エイフェックス・ツインが竹村延和の『チャイルズ・ヴュー』のリミックスでやってたものですね。あのなかで、声のピッチをグニャグニャにいじってすごく綺麗でロリータっぽくしている部分がありますが、あれは狂気です。綺麗で可愛い声を、暴力的に扱っている感じが怖かったですね......。

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『D.o.A.』、ポルノ、初音ミク

(藤田咲さんの声は)「個人性=我」の強い声だなと思ったんですね。濃いと思ったわけです。それを録って、ぶった切って、ボーカロイドに入れて、ボーカロイドの声として出てきたときはその自己主張のところがバラバラに崩れて、「そもそも自己主張が強かったもの」の残骸として出てくるんですよね。(佐々木)

次のボーカロイドは、モチーフがDX-7からEOSになっていたので、肌が白くて金髪だったんですけど(鏡音リン・レン)、アメリカ人から見れば、ロリータ声でこのヴィジュアルだと道徳的にあまりにひどいから、すぐにやめてくれと。(佐々木)


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初回盤 通常盤

野田:なるほど。女性の声を選ぶときに、セクシーな大人の声か、ロリータかという選択肢があったと思うんですけど、少女っぽいほうにしたのはなぜなんですか?

佐々木:ロリータ系の声というのは、いっぱい聴いたんですよ。要は声優さんの声って、ロリータのヴァリエーションの宝庫だったりするわけなので......。いろんな声を聴きましたが、この藤田咲さんというのは、ある種、演じるというより少々感情的に声を前に出すのが強い演者さんで。「個人性=我」の強い声だなと思ったんですね。濃いと思ったわけです。それを録って、ぶった切って、ボーカロイドに入れて、ボーカロイドの声として出てきたときはその自己主張のところがバラバラに崩れて、「そもそも自己主張が強かったもの」の残骸として出てくるんですよね。それが個人的にはおもしろいなーと思っていて。ある意味では、素人性みたいなものにフォーカスしたところがよかったなと思っています。

野田:そこに挑発はなかったですか? たとえばイギリスは、ロリータに対して厳しい国です。イギリスの友人が日本に来てモーニング娘。を観たときに怒り狂ってました。「ありえねえよ!」って(笑)。多くのイギリス人はAKBにも怒るでしょう。マッシヴ・アタックの3Dが反イラク戦争のデモに参加して、反ブレアを訴えていた頃、当局は彼を幼女ポルノ画像を集めていた罪で逮捕しましたからね。ドラッグよりもロリータのほうがスキャンダルなんです。

佐々木:初音ミクの次、2作目(鏡音リン・レン)を作っていたときに、頻繁に電話をかけてくる人はいましたね。次のボーカロイドは、モチーフがDX-7からEOSになっていたので、肌が白くて金髪だったんですけど、アメリカ人から見れば、ロリータ声でこのヴィジュアルだと道徳的にあまりにひどいから、すぐにやめてくれと。真剣に何度も説得されました。そんな電話対応の記憶もありますね(笑)。

野田:佐々木さん自身はどうなんです?

佐々木:それこそモーニング娘。があり、その前の東京パフォーマンスドールがあっておニャン子クラブがあってという流れ、「若さ」とか「生命力としての鮮度」を誇張するトレンドのなかで、ロリータというのは重要な記号にどんどんなっていっているんだろうなとは思います。コンビニエンス・ストアなんかに行くと、アダルト雑誌のコーナーなんてとんでもないことになっているわけじゃないですか。のどかな田舎も含めた日本全国。そういうものがすごくノイジーだなとは思いますね。自分が中学生の頃にレンタルビデオ店でデスファイルってのが流行ってたんですけど酷い国だなと思いましたね......(苦笑)。

野田:スロッビング・グリッスルの『D.o.A.』もそうですよね。あのジャケットは、当時イギリスではずいぶんと物議を呼んでいるんですよね。幼女のパンツ姿が映っていたからです。タブーだからこそ彼らはやったわけです。

佐々木:スロッビング・グリッスルって「脈打つ男根」って意味でしたっけ(笑)。小難しい空気もありつつ、小学生男子のスカートめくり的というか、直感的におもしろがってやっている風というか、彼らはファンキーですよね。それを喜ぶリスナーも、まぁ子供っぽいというか直感的ですよね(笑)。ストック、ハウゼン&ウォークマンで、おもちゃと性器がコラージュされているような、いたずらの感覚に近いと思いますね。そもそもノイズやコラージュと、ファッションやロリータ、エロって親密じゃないですか。カエルカフェの白石さんや、嶽本野ばらさんや、ディアステージの喪服ちゃんとか、皆さんそんな要素を持っている方が、90年代~00年代の東京アンダーグラウンドに根付いていた。
 たとえば実験音楽のCDショップに行ったらもっとひどいものあります。部屋のなかにレコードをざーっと敷き詰めて、その上で猫とか豚とかを殺しまくって返り血を浴びせまくった返り血レコードだったり、豚の頭の剥製で鼻ところにカセットテープがポコッとはまっていたり、っていうジャケットとかですね。刺激的で目立てばなんでも良い世界(苦笑)。自分は、10代の頃にサウンドアートにハマってしまった関係で、それはそれで表現の極北っていう感じがあったので......。全部、人間の所業として存在するものと感じます。 
 ただ、アートとしてのエログロと、コンビニでエロマンガだとかDVDだとかが無造作に並んでいるような状況は、それはまたべつの次元ですごいものだな、とは思っていて。そのあたり、インターネットで気軽に検索してはいけないワード(惨殺動画~グロ動画)とか、xvideos(何でもありのエロサイト)とか、いろんなものをキャーキャー喜んで見ることができるというような状況が一般的になっているのはアングラ文化ではないわけで。もしくは世界中がアングラを気にしないようになったんですよね......。特に日本は性的な興味関心の部分ではずっと先取りしていたんじゃないかなというようなことは感じます。CD-ROMが安くなった時点からコンビニにはハッキングまがいの裏ツール本とか、エロデータ本とか、そういうものが並んでいたわけですから。
 それに、日本のエロマンガとかのデフォルメの仕方もそうですよね。日本のなかの性的暴力と幼児退行みたいな感覚は、物心ついたころからそのへんに兆しがあふれていたし、音楽でもマゾンナやゲロゲリゲゲゲ、もしくはへーターズ的なアートもノイズ文化として一部で支持されていました。自分のなかでは、そうした極端な表現や破滅的な表現の傾向は、個人の好き嫌いに関係なく、すでに世のなかにあるものとして考えています。だから自由という暴力がまかり通るインターネットの時代に「目立てばなんでも良い表現」がクローズアップされてしまうのも、現状しょうがないし当たり前のものになっていくのだろうな......としか言いようがありません。

YouTube(=海)の向こうの初音ミク

インターネットで、世界同時にいろんなものが見れてしまうという環境のなかで、いまの10代の子たちの感覚っていうのは、けっこうクォンタイズされてきているという気もします。みんな似たような感覚で、似たようなものに注目している。(佐々木)

野田:初音ミクは海外でもかなり多くの人に受け入れられていると聞いています。ライヴでも、アメリカや台湾ですごい人数の現地の人たちが日本語で歌っているとか......。

佐々木:これはほんとにショックですよ。日本のライヴよりも、アメリカや台湾のライヴのほうがお客さんが熱狂してるんですよ。日本人は比較的冷静というか、精鋭のファンたちが集まってるといった感じになってるんですけどね。日本では、みんなで作ってみんなで選別してっていう、ウェブ上でみんなが育てた実感のあるインタラクティヴなカルチャーが、台湾や西海岸の人たちには変なバイアスがかかってハイパークールジャパン(笑)みたいに受け入れられている。日本からとんでもないカルチャーが出てきた、みたいな感じですね。それに、インターネットで、世界同時にいろんなものが見れてしまうという環境のなかで、いまの10代の子たちの感覚っていうのは、けっこうクォンタイズされてきているという気もします。みんな似たような感覚で、似たようなものに注目している。ユーチューブの再生数であるとか、ものの注目のされ方、ネットの構造みたいなところにそれが表れている。みんながどういうふうに時間を使っていくのか――学生は時間があるわけじゃないですか、そんな子たちが見ているものが、似てきていると思うんですね。世界同時に。自分もたまにユーチューブのアクセス解析みてみるのですが、初音ミクはやばいです......。

野田:やっぱ、エクストリームなものとして受け入れられてるんでしょうね。ホントに『D.o.A.』ぐらいに、キリスト教的な縛りから解放しているのかもしれませんよ(笑)。向こうのマッチョイズムは日本なんて比較にならないぐらいすごいから、その分、ナードなものがカウンターとして機能して、熱狂を生んでいるのかもしれませんね。

――いま佐々木さんがおっしゃったなかには、日本の中高生も海外のティーンの子たちも、ウェブで見聞きする情報に対しては同質な視線やリアクションを持っているのではないかという問いが含まれていましたが、そのあたりはどうですか?

野田:初音ミクがこの先、どこまで広まっていくのか興味がありますね。テクノは、00年代以降もさらに国境を横断しています。ジャカルタとか、イスタンブールとか、サンパウロとか、イスラエルのガザまで。ケン・イシイが海外のレーベルから出て、「テクノは国境を越えた」なんて言ってましたけれど、まだまだ欧米文化圏のなかでの話でした。それが最近はさらに多様な文化圏を横断しています。僕は初音ミクのグローバリゼーション......というと語弊がありますが、その広がりに期待したいですけどね。あれで世界中を腑抜けにさせるとか(笑)。

佐々木:まぁ、腑抜けという表現は鋭いですね(苦笑)。自分の立場でいうと、逆に従来のロックやテクノがいまとなっては真面目な硬いカテゴリー過ぎるんだと思うところがあります。今後、大多数の電子音楽が気になるような若者たちは、ゲーム音楽とテクノと初音ミクのエレクトロニカ風ポップスを区別しないでしょう。テクノには、チルアウトなアンビエントがありますが、リラックスする聴き方はあっても、ユーモラスだったり、ジョークだったり、もしくはプリティだったり、日常的な表現は少なかった気がしますね。 昔、電気グルーブがプッシュしていた、ポンチャックっていう、韓国のテクノ歌謡がありましたが、あんなテイストは本当に少なかった。ポンチャックのような、日本で言うところの嘉門達夫もしくは昔の電気グルーヴやスチャダラパーの言動のような「緩さ」や「日常のなかの感覚」は、いまの他のジャンルの音楽に本当に少ないですよね。それが、ニコニコ動画や初音ミク・カテゴリーではすごく上手く取り上げられていて、他のエンタメにない魅力の一部として確立されつつあります。ただただ、ひたすらに需要があったのだと思います。

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音楽カルチャーの敷居

同人音楽やボーカロイドなんかは、とっかかりの敷居が低い上に、コミュニティへの入り方も整備されているので、新しいファンやクリエイターへの受け入れ態勢があるんだと思います。これからの若い子が、アートをリアルに思えるかどうかって、自分「たち」との距離感で決まると思いますね。(佐々木)

だから、初音ミクを好きな若い人にも、いつかデリック・メイやオウテカを聴いてほしいと思っています。それで、「なんでこんな音楽に昔の人は涙したのだろう」と不思議に思ってくれれば幸いです。(野田)


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
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初回盤 通常盤

野田:佐々木さんの昔のインタヴューを読んでいたら、ムスリムガーゼという名前まで出てくるからびっくりしましたよ。その名前はよほどのハードコアなリスナーでないと出てこないです。「この人のテクノ愛はハンパじゃない」と思いました。彼らはマンチェスターのIDM系の人たちですよね。10年以上前ですが、イラン女子卓球チームのテーマ曲を作っています。イスラム文化の女性の服装規制に抗議するためにね。

佐々木:ムスリムガーゼは、本当にイスラムという文化的なコンセプトを最後まで貫き通していてカッコ良かったです。ヒーローですね。あの多作性も含めて個性が強すぎて、シーンとか、テクノ・カルチャーから切り離されているのもイイ。やっぱり自分はY.M.O.やクラフトワークからテクノを聴きはじめたわけではないんで、電子音楽の歴史観はちょっと狂ってますね。まず、『アンビエントワークス』とか、ピート・ナムルックとか、『ガーデン・オン・ザ・パーム』とかから超個人的な妄想っぽい音楽から出発していて(笑)。ベットルーム・テクノというより、夢のなかのグニャグニャしたエフェクト音を聴いていた気がします(笑)。「これは何なんだろう?」という驚きのようなものが根元にあるんですね。『高城剛X』って深夜番組でタンツムジークを聴けた変な時期(笑)。抽象的なものが尖っていてカッコイイんだなぁとも思ったし。クールにぶっ飛んでれば、作家として認められるんだーとも思いましたね。いま思うと結構勘違いですが(笑)。ともあれ、自分としてはテクノは自由で、発展途上の可能性があって、カッコイイ! とすんなり思えたんですね。これはとても重要だった。
 いまの若い子たちは、物心ついた頃からジャンルも細分化していて、いろんな名称で呼ばれるいろんな音楽があるわけですよね。しかも新しい手法的は結構出尽くしていて、テクノにしても『音の新しさ』『新しい流行』みたいな単純な評価軸は少なくなっている。しかもテクノやハウスのコア・ファンやメディアはコマーシャルな音や、ポップ過ぎる音を無視する風習もあるじゃないですか? なので、敷居の低いテクノ風のゲーム音楽やジブリのリミックスなんかから入った子が、気軽にジャンルにのめり込める環境がなかったりする。
 同人音楽やボーカロイドなんかは、そういうとっかかりの敷居が低い上に、コミュニティへの入り方も整備されているので、新しいファンやクリエイターへの受け入れ態勢があるんだと思います。これからの若い子が、アートをリアルに思えるかどうかって、自分「たち」との距離感で決まると思いますね。既成のシーンのような、すでに確立されてしまっているムラ社会に入りこんでいって評価されるのは難しいよね、っていう気持ちもあるでしょうしね。で、敷居が低くて、かつ面白い音楽やショートムービーが、動画サイトなんかで世界の一般向けに増幅されて伝わっていくという流れになっているのではないでしょうか。
 結局、アニメ・ソングだって、みんなが知ってるものだからみんなで盛り上がれるというだけであって、ジャンルではないです。初音ミクの曲だって、実際のところ初音ミクに歌わせなければならない曲なんていくつあるか知れたものではないんですが、ミクが歌っているという共通意識があればそこから入っていきやすくなります。それに初音ミクの曲は無尽蔵にありますから、それを網羅している評論家や、決定的な評価軸がないんですね。ですから、ミクを語るということについてはすごくゆるい状態があります。ミクについて、ボカロについて、自分の知っている断片的な情報から好きなことを言えばいい。そこが、若い人にしてみれば「ウザくない」ということになるんだと思います。その傾向が発展していけば、AKBがJ-POPビジネスを破壊したように、ボカロが20世紀ルーツの音楽評論の一部を破壊することにもなってしまうんですが。とにかく、若い人にとっては初音ミクの声が気に入らなくても、この音楽を聴くことはウザくないんです。それはもしかすると日本でも海外でもいっしょなんじゃないか。僕はそういう部分を「アリかもな」と思いつつ、一方ではさびしいなと感じています。

野田:商業的には大成功なわけですから、佐々木さんのなかにその葛藤があるのは、変な話ですが、良いですね(笑)。ヴェイパーウェイヴなんか、ポストモダン的な面白さはあるけど、音楽の快楽性ということで言えば、まあ、聴いてとくに面白いものでもないんです。僕の父は修行を積んだ板前だったこともあって、ずぶの素人でもマニュアル通りやれば料理として売れるファミレスのような文化には抵抗があります。だから、初音ミクを好きな若い人にも、いつかデリック・メイやオウテカを聴いてほしいと思っています。それで、「なんでこんな音楽に昔の人は涙したのだろう」と不思議に思ってくれれば幸いです。もちろん、だからといって、素人がモノを作るってことは、絶対に否定できないもので、僕も下手の横好きでしたが、音楽を作るのが好きでした。サッカーだって、観るのもいいけれど、下手でも自分でプレイすることも楽しいわけで、初音ミクのヒットは創作の快楽ともうまく結びついているんじゃないかと思います。

佐々木:テクノの価値基準は特殊で、オウテカなんかは現代音楽的だったり芸術的とも言えるわけですが、一般的な商業音楽って、いつしかTVドラマのタイアップで恋愛を彩るように仕組まれているものが多くなり、CMとか、アニメの主題歌や、メジャーなゲーム音楽は、ある種プッシュ型で大勢の耳に届くように構造設計されている。「よく聴く音楽って、どこかの企業が、リスナーというか消費者に聴かせるもの」になっているわけです。若者にとって刺激的でカッコイイとされてきた音楽が、メディアや代理店の都合で調整されているなんて、音楽とプロモーションの歴史的な難しい事情を知らない若い人からしたら、酷い話じゃないですか。自分はボーカロイドの音楽とリスナー、支持者の心理はそういったTVを中心としたメディアギミックへのアンチテーゼなのかと思う所もあります。強いて言うなれば、ニコニコ動画の音楽は、皆で雰囲気を楽しむお祭りの音楽や、皆で合奏して踊ったり騒いだりするラテン系の音楽にも近い。視聴者が受け身になる商業音楽に対して、ネットの音楽は視聴者のストレス発散要素が高い。ボーカロイドの周辺のムードというのは、良い意味でしきたりが無いと思うんです。既存の音楽ジャンルでは上の世代の耳や先輩のアーティストを気にしながら、ジャンルに入っていこうとしても入口は狭いし、まず、先駆者や功労者が飯を食えるようなピラミッド型の仕組みになっている。それでいてメジャーなスポーツほど後続を育てて引き立てる仕組みになっていない。はっきり言っていまの若い人って才能があっても既存の音楽ジャンルの枠で活躍していくのはかなり難しいですよね。音楽に限らず、ダンスでも映画でも同じ。スポーツみたいに「身体の衰え」が表面化しないジャンルは、そういう傾向だと思います。
 ただ、ボーカロイドというのは、シンガー自体が虚構ですから、それを取り巻く付き合いがなく、しがらみが弱く、若い発想で何か表現をしたい人たちが、何かに入っていくためのポイントとして、可能性を見せてくれていると思っています。過去と未来を歴史的につないでいくような、積み上がっていくものじゃないもの――断片化して集合化して、それでもジャンルいうかテリトリーとして成立するような見え方・あり方というのは、今後重要になっていくのかなとは思います。

「コンセプチュアル」ではない、コンセプトを

ボーカロイドの音楽とリスナー、支持者の心理はそういったTVを中心としたメディアギミックへのアンチテーゼなのかと思う所もあります。強いて言うなれば、ニコニコ動画の音楽は、皆で雰囲気を楽しむお祭りの音楽や、皆で合奏して踊ったり騒いだりするラテン系の音楽にも近い。(佐々木)

ロックやポップスというのは、極端なことを言えば、「そいつがどんなことを言っているのか」という文化だと思います。テクノというのは、聴覚の愉しみを追求した文化です。では、テクノの 次に何があるのかと考えたときに、コンセプトじゃないかと思ったんですね。(野田)

野田:三田格と『TECHNO definitive 1963-2013』を書いたんですが、テクノって何だろうって考えて、僕は、それは「聴覚の歴史」じゃないかと結論づけたんです。クラシックは譜面(作曲家)の文化、ジャズは演奏者の文化ですよね。レコード店でも演奏者別に区分けされています。ロックやポップスというのは、極端なことを言えば、「そいつがどんなことを言っているのか」という文化だと思います。テクノというのは、聴覚の愉しみを追求した文化です。では、テクノの次に何があるのかと考えたときに、コンセプトじゃないかと思ったんですね。いま、ロンドンにハイプ・ウィリアムスという男女のふたり組がいます。インガ・コープランドというロシア系の白人女性とディーン・ブラントというアフリカ系の男性ですが、まず、ハイプ・ウィリアムスという名前は、すでに実在する有名な映像監督の名前なんですね。で、インガ・コープランドとディーン・ブラントという名前も偽名、昨年、『ワン・ネイション』というアルバムを出していますが、真っ白がレコードがあるだけで、タイトルも曲名は一切なし、盤にも「818/1000」といかにも限定版を思わせるシリアル・ナンバーが入っていますが、これもたぶん大嘘なんですよ。

佐々木:そこまで行くと徹底的ですね(笑)

野田:2012年は『ブラック・イズ・ビューティフル』というアルバムを出したんですが、そのタイトルはどこにも書かれていないんです。代わりに「エボニー」と書いてあります。すべてデタラメなんです、ひとつもたしかなものがないんですね。アイロニーとも解釈できます。彼らは、音楽性がどうかというより、コンセプトが面白いんです。さっき言ったヴェイパーウェイヴにも似ています。音自体やスタイルではなくて、コンセプトに新しさを注ぐというやり方は、これからもっと出てくるんじゃないかと思います。
 さっき佐々木さんがいまのテクノは敷居が低くないって意味のことを言ってましたが、たしかにその通りで、出てきたばかりのテクノは敷居がもっとも低いジャンルでした。それが20年経って、熟練の域にさしかかってしまっています。「うまい」「下手」というのが、素人にもわかるようになっているんです。敷居が低すぎるのも、古本屋がブックオフみたいになって嫌なんですが、テクノがブルースのギター教室のように制度化されたら、それはそれでマズいと思います。エイフェックス・ツインがガバをやるのも、いちどそれを破壊しないと、昔のような自由な感じにはなれないということをわかっているからでしょう。ホアン・アトキンスが、エレクトロにディストピアというコンセプトを加えたことでデトロイト・テクノが生まれたように、いまは新しいコンセプトが求められているんだと思います。

佐々木:パンクとか、ダブとか20世紀的なジャンル・コンセプトは確実に真新しさが無くなってますよね。定着したので当たり前ですけど。コンセプトは必須ではないと思いますが、どんなジャンルのエンタメでも一定条件を満たす「コンセプト」がないと新しい世代の若者にどんどん無視されていくような気がして気になります......。昔はテクノと言っただけで、一般の方もコンセプトは認識してましたよね。「低音がドンドンドンドンってやつ」みたいな。そういえば、当時聴いていたもので、日本で作られた、はっちゃけたコンセプチュアル・ミュージックとしては、アステロイド・デザート・ソングスっていう......

野田:あははは、すごい、よく知ってますねー(笑)。

佐々木:はい(笑)。あれは自分のなかで大きなショックのひとつなんですが、好きか嫌いかで言えば、最初はすごく苦手だったんですね。フリージャズなんかもそうですが、コンセプトが強すぎてクオリティが低い気がした。無音のレコードとかなると、もう訳がわからないし(笑)。

野田:決して新しいとは言えませんけどね。「コンセプチュアル・ミュージック」ということになると、それこそジョン・ケージは先駆者だし、マイルス・デイヴィスやPファンク、レジデンツやアート・オブ・ノイズ、ザ・KLF、それこそ今回の『増殖』もそうだと思います。

佐々木:ええ、ええ。なんというか、アステロイド・デザート・ソングスの話をさせていただくと、あれってすごくぐちゃぐちゃで、テンポも合っていなければ、バランス無視でベートーヴェンにエレクトロビートを勢いだけで乗せる、その上でチビ声ラップが乗る、でもグルーブ感は結構ヨレてる、みたいな音楽でしたよね(笑)。バンドとしては、ライターさんとかの集合体だったわけですけども、あのかたたちは、いろんな音楽を聴いてきた結果としてああいう音を鳴らしていたわけではなくて、おもしろいと思ったアイディアをごちゃまぜにしていったという側面のほうが強かったと思うんです。それは昨今で言うところのニコニコ動画的なものというか、2ちゃんねる的なものと、いまから考えればけっこうな類似性があったんじゃないか。コンセプトということをきいて、いまそんなふうに思いました。

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音楽とルーツの関係

DTMでも、リズムやテンポの扱いが、ソフトウェアによってもっと感覚的になっていったら、日本人ぽいズレや、リズムのヨレのような、民俗音楽的な部分を含めての身体感覚に落ちていく可能性はあると思うんです。(佐々木)

カンやタンジェリン・ドリームに比べて、クラフトヴェルクはあまりに愛国的に過ぎやしないか、っていう。でも、海外から見たときにそれはドイツのイメージにぴったりはまっていた。初音ミクも、海外から見たときの日本のイメージにぴったり収まるところがあるんじゃないですか?(野田)


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
U/M/A/A Inc.

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佐々木:思えば過去にあったよねというアイディアはいくらでもあって、いまの音を新しいと思う瞬間は少なくなっていると思います。DTMでも、リズムやテンポの扱いが、ソフトウェアによってもっと感覚的になっていったら、日本人ぽいズレや、リズムのヨレのような、民俗音楽的な部分を含めての身体感覚に落ちていく可能性はあると思うんです。逆に本格的に、DTMによっていろいろな楽器の音が、無秩序に自由になり、奏法を無視して扱うのが当たり前になったりすると、それはそれで可能性ではありますが、いろいろな音がデジタル・ツールの操作の中でのクリシェや、グリッドという範囲のなかで、印象が似てきてしまうというか、その人のルーツや血につながる空気感や身体感覚で合奏しているようなグルーヴの違い方というのは余り出てこないんじゃないかなという気がします。国境やルーツ、そもそも自分が根ざしていたという部分への意識が、今後薄くなっていくんだろうなと。そして、民族が薄くなっていくからこそコンセプトを欲してしまうというか。積極的にコンセプトを欲しがるのか、それとも自分のなかにルーツが無くなるから別立てしてコンセプトを持たなければならないのか、そうなるとしたら、ひょっとしたら初音ミクみたいなものに依っていかざるを得なくなるのか......ともかく、音楽ジャンルが、歴史で積み上げられた音楽内容や民族性ではなく、もっと個人の趣向的なコミュニティや、コミュニケーション・スタイルを指し示すワードになる気がします。

野田:ルーツっていうことで言えば、この先雑食化は進みつつも、なくそうと思っても失えないものもあるんじゃないでしょうか。変わってゆく同じモノは黒人音楽だけのものではないと思います。弘石君(U/M/M/A Inc.代表)みたいに、ロンドンに住んでもカツ丼を食べたがるのと同じようなものです。たとえばMIAってスリランカでしたよね。8歳でイギリスに亡命して英語を覚えても、スリランカ訛りだけは消えなかったというように、音節なんかにもそれは残るでしょう。
 クラフトワーク――本当はクラフトヴェルクなわけですが――とか、タンジェリン・ドリームとか、アシュ・ラ・テンペルとか、カンとか、あの頃のクラウト・ロックのバンドの名前は、みんな英語の名前ですよね。曲名も英語のタイトルが多い。そのなかでクラフトワークは、全部ドイツ語の曲名だし、デザインは思いっきりバウハウスで、いかにもジャーマンでインダストリアルなスタイルを持っていた。それで当時はドイツ国内からの批判もあったそうですね。カンやタンジェリン・ドリームに比べて、クラフトヴェルクはあまりに愛国的に過ぎやしないか、っていう。でも、海外から見たときにそれはドイツのイメージにぴったりはまっていた。初音ミクも、海外から見たときの日本のイメージにぴったり収まるところがあるんじゃないですか?

佐々木:言葉の音韻は影響しますよね。日本人である以上、ジャパニーズ・ヒップホップの呪縛ように、大勢の日本人に対して主義主張がそれと認められるには、分かりやすい日本語であることは決して避けられない。ポルトガル語の歌がどんなに音楽的に美しくても、歌が言葉である以上、声が綺麗なことより「意味が読み取れないデータ」ってことになっちゃいがちですから。初めの話に戻りますが、たとえば竹村延和さんは、ずっと子どもをテーマにしていくわけですけれども、そこには子どもや鳥の鳴き声のなかにしかない暴力性や無(無邪気)の感覚、あるいはアジアのにおけるイタコや巫女のようなもの、アメリカ等とは違うニュアンスでの処女みたいなものをどう見ていくかという。日本人は無意識の世界などにドラマを感じ続ける。考えても終わらない、むしろ妄想的になっていく日本人文化の流れを感じるんですね。 テクノで言い換えると、ケンイシイさんの『ガーデン・オン・ザ・パーム』で「え、何これ?」って思って、フレアを聴いて「抽象的なすごさは、何なんだろう?」、『グリップ』を聴いてテンポ・チェンジが激しい曲でさらにわけがわからなくなって、『リ・グリップ』を聴いて、竹村さんが出てきてグリップの音源を暴力的にスクラッチしてて「ああ、もうダメだ」と......

野田:はははは!

佐々木:そしたら『メタル・ブルー・アメリカ』になって、「ああー」と納得できた(笑)。とても頭のいい人が作った音楽で、商業音楽にもなるんだと。日本の音楽レーベルは前衛芸術家を育て続けるのかと思った(笑)。
 音楽と作家のルーツ文化という観点でインドで切り取ると、タルビン・シンなんかは直接タブラを持ち出すわけですが、ケンイシイさんが当時アンビエント作家として推薦してたベドウィン・アセントは、直接そこには行かないで、先にドローンやアンビエントをやって、〈ライジング・ハイ〉の流れでドラムンベースともドリルンとも言えない妙にパーカッシヴなビートを作っていて、「個性的過ぎるけど何なんだろうな?」と思っていたらインドの音楽がスパイス的に効いているんですね。DJオリーブ、ラプチャーなんかが実践してますけど、一段階、溶け込んだかたちでルーツが出てきているようなものが、これからもっとネットを通じて見えてくるようになるのかなと思います。あと、前情報でインドって強く思うとインドにしか聴こえないわけですよ、マハラジャみたいなイメージが付きまとう。日本人=芸者とアニメみたいな(笑)。オリエンタルが良い悪いじゃなくて、オリエンタル文化はインパクトが強すぎてイメージを支配をする。絶妙のバランスじゃないと料理できない。北海道の羊料理みたいな。

野田:いま、2012年に、ベドウィン・アセントの名前を聞くとは思わなかったです(笑)!

佐々木:はい(笑)。彼は「インド人でござい」と出てきたわけではないし、そういうふうにはならなかった。あくまでルーツのようなものがにじみ出ているというだけです。またそもそもインドの音楽の発想がアンビエントと似ているということもあります。

野田:ああ、それを言えばテクノ全般もそうですよね。クラフトワークの『マン・マシーン』のエンジニアって、アメリカの人で、たしか黒人なんですね。その人はクラフトワークの音を初めて聴いたときに、黒人だと思い込んでいたらしいんです。で、会ってみたら白人が来てびっくりしたと。あんな真っ白な音が、黒い耳には黒く聴こえてしまうという音のマジック。音楽の伝わり方はつくづく不思議ですよね。

佐々木:ええ。グルーヴやノリの話もとても深いですよね。でも逆にクラフトワークやベドウィンみたいな自身のルーツに対してストイックな音楽もあれば、一時期のビル・ラズウェルみたいに「とりあえずヤバい民族楽器のフレーズにディレイかけた音をカブせればいいじゃん。ワールド・ワイドで斬新な音楽じゃん?」というようなものもあって。音って、テンポやキーさえ合わせてしまえば混ぜられるというようなところがあると思うんですけど、そのなかでも音響に寄っていく律儀なやり方もあれば、にぎやかしを優先してエスニックな要素を入れていくというやり方もあるわけですよ。
 で、音楽ってかつて何度となくミクスチャーされてきたものだし、80年代のリヴァイヴァルなんかも、もうリヴァイヴァルとは呼べないようなレベルで溶けてしまっていますよね。僕はそういう意味で、ネット時代で、音楽が飽きられたり、再発見される......といった、リヴァイヴァルの2周め以降、限りなくミクスチャーが進んでいってグルグルグルグル混ざるのだろうなと思っています。実際に音や聴かれ方がどうなるということはわかりませんが、インターネットなんかを介して、感覚的にも、概念的にも、音楽を作る人のハードディスクにデータがどんどんたまっていって、時間が膨れ上がっていって、俯瞰してみるとひとつひとつ粒が小さくなっていく......そうすると最後にいったい何がもたらされるのか。それとも、文化を意識することと、音楽を楽しむこととは、近かったけど、また別のことなので、それぞれは別軸に進んでいったりもするのかな? とか。なんかTTPとかとも無関係じゃない時代の流れなのかな? とか。

いま、なぜ『増殖』なのか

坂本龍一さんはオヴァルが出てきたときに積極的に関わったりとかしてますが、こういう『増殖』的なコンセプト――デジタル的な意味でものごとが増殖していく、データが増えていくといったことにはとても意識的だったと思います。(佐々木)

サン・ラーがフリー・ジャズにいかなかった理由は、「笑いがないからだ」と本人が言っていますが、僕も笑いがない音楽は嫌いです。『増殖』にはそういう意味では日本らしからぬ、とてもドライな笑いがあります。(野田)

――最後に、この『増殖気味 X≒MULTIPLIES』では企画段階から佐々木さんも制作にご協力されていたということですけれども、いかがでしたか? ボーカロイド3(現在開発中の、Vocaloid3エンジンを使った初音ミク英語版βヴァージョン)も貸し出されているとのお話ですが。

佐々木:まず『増殖』に関してですが、そもそも坂本龍一さんなんかは一時的ではなく、70年代からいままでずーっとコンセプトに意識的な方ですよね。リアルな未来派と初音ミクって結合はそもそも面白い切り口なんだと思います。彼はオヴァルが出てきたときに積極的に関わったりとかしてますが、こういう『増殖』的なコンセプト――デジタル的な意味でものごとが増殖していく、データが増えていくといったことにはとても意識的だったと思います。それは彼が『未来派野郎』とかでやろうとしていたことなどに、おそらくどこかで結ばれている。しかも音像としてのぎこちなさがおもしろいというような感覚は、あのときに出揃っているというか、そのプロトタイプではあったんだろうなと思いますね。

野田:日本社会のネガティヴな伝統のひとつとして、なにかというと陰湿な、ウェットな方向に進みがちになるということがありますが、『増殖』には、そういう意味では日本らしからぬ、とてもドライな笑いがあります。しかもけっこう、ブラックで、危険な笑いです。だいたい、『増殖』とは、わかりやすく喩えれば、忌野清志郎にとってのタイマーズですからね。僕にとっては、唯一リアルタイムで買ったY.M.O.の作品でした(笑)。サン・ラーがフリー・ジャズにいかなかった理由は、「笑いがないからだ」と本人が言っていますが、僕も基本、笑いのある音楽が好きです。“アナーキー・イン・ザ・UK”は笑い声ではじまっているし、ドレクシアにだって笑いはあります。話は逸れましたが、『増殖』には当時としては画期的な笑いがあったと思います。

佐々木:はい。これは日本のポップスの枠で成立した実験音楽作品だと思います。そして笑いもニヒルさも含まれている。だから『増殖』は圧倒的に異端でヤバい。正直なところ僕はY.M.O.をそれほど好きだったわけではないんですが、何だったのかということを考えると、やっぱり時代を解きほぐした発想のセンスであったり、そういうものをうまく配して、コンセプチュアルに固めていたところかなと思います。HMOさんの『増殖気味』もその辺りは、SF作家の野尻抱介さんを迎えるなどしてアップデートされているのが、挑戦的で素晴らしいと思います。デトロイト・テクノとかのほうが黒人とか宇宙とかコンセプトがストレートだったなと思うんですが、こういう社会風刺的な部分もふくめた音楽のあり方というのは、初音ミクとも繋がってくるし、音楽に何か一枚、かぶせてるなと思うんですよね。いまはとにかく人を惑わせるものが多く、鬱屈していて先が読めないみたいな、情報社会の弊害が大きくなっていく時代で、『自分にとって楽しいコンセプト』を求めている人たちは、案外いっぱいいるのかなと思います。まぁ、AKBなんかも音楽中心かどうかはともかく、完全にそうですよね......。

野田:AKBとか、僕はホント、いまだによくわかっていないんですが、洋楽がいまほど売れない、聴かれないということは、当たり前ですけど、かなりの問題意識があります。音楽について書いている人やメディアが極端に邦楽に偏っている状況に問題があると思います。今回の司会をやっている橋元優歩なんかは海外旅行に興味がないそうですが、先進国で海外旅行に興味がない国といえば、アメリカです。多くのアメリカ人はまた、海外の音楽も聴きません。しかし、アメリカの若い世代はインターネットの普及で、上の世代が聴かなかったクラウトロックやテクノや日本のロックを聴いています。逆に日本の若い世代が古いアメリカのように、洋楽を聴かないようになってきているとしたら、なんだか内側で妄想に耽っているようで、すごくマズいんじゃないかと思います。僕の世代の女性の多くは、洋楽を聴いていれば、ほぼ間違いなく、大胆に海外に出かけています。女性が海外文化の紹介者でもあり、媒介者でもありました。DJのマユリちゃんなんかその代表格で、日本にテクノを紹介したのも、実は女性たちの力も大きかったんです。あの頃活躍した女性が、現代では、初音ミクになっているのでしょうね。だから今回、こうして、ミクの力を借りて、ちゃっかり洋楽をアピールさせてもらいました(笑)。

佐々木: 女性の大胆さと適応力は推進力になりますよね。弊社の海外担当もみな女性です。また、自分もいま、ソニー・ミュージックで〈ソニーテクノ〉の立ち上げに関与し、当時のアンダーワールドから〈ワープレコード〉までを相手に、様々な交渉や調整などを担当していたレーベル・マネージャーの女性の元でプロモーション戦略についての勉強させてもらってるんです。当時の音楽と洋楽の繁栄を成功体験として知っている人に学ぶところはいまだからこそ大きいと思います。
初音ミク現象については、2005年くらいからいまにかけて、ネットの進化と相まって、音楽の聴かれ方が大きく変わったと思っています。エレキングを0号から読んできて、テクノを軸に文化的なことや音楽に関する考察の面白さを教えてもらった人間として、テクノ専門学校の卒業生として(笑)、このいまのネットの状況には思うところがあるし、野田さんと対談させてもらって、趣味としてライフワークとして音楽×社会のことは意識し続けたいと、対談を通じてあらためてそう思いました。ボーカロイドや音声合成ソフトもリアルになるでしょう。それこそドラム音源ソフトのように一聴すると生か機械かわからないような時期が、早ければ10年後には来ると思います。声って複雑で感情的で神秘的ですらあったわけですが、それがデータになって揺らいできてる。音楽のなかの楽器やルーツ文化という記号が、もっと溶けてしまうこの時期に、楽器って何だったんだろう? 声って何なんだろう? ってことを、初音ミクを通じて考えたり、感じたりするのは来るべき時代の文化にとって予兆になりえると思います。それこそ90年代に、高橋健太郎さんらが、ハードディスクや音楽データを題材に語っていたわけで、日本人が未来を信じていた頃にサスペンスと思い込みたかったような予言が、初音ミクといっしょにちらほら現実化してきていると痛感しています。

Brood Ma - ele-king

 断固としてモダンでなければならない――アルチュール・ランボー


 タワーレコードミューンでもかけたけれど、正月はブッディ&リーフジェイムスズーがヘヴィロテになるかと思いきや、年末に仕入れたカセット2本がストンとツボにw。とくにブルードゥ・マーの無機質でトゲトゲしい感触はジャム・シティよりもさらに気分で、他人に引っ掻き回されやすい自分の心が冷たいステンレス製のダブによって容赦なく切り裂かれ、人間嫌いが爆発している夜には欠かすことのできない必需品となってしまったw。複数の金属音にさまざまなイフェクトが施され、ダブステップのフォームを偽装したような曲のつくりは、カラフルというよりは銀食器を撒き散らしたような同系色の美しさに彩られ、J・G・バラード『結晶世界』のクライマックスを強烈にイメージさせる(→https://soundcloud.com/broodma)。坂本龍一がジャム・シティやアンディ・ストットに反応して『B2ユニット』をリ-モデルさせたら、もしかしてこうなるだろうか?

 ジェイムズ・B・ストリンガーという人物は音楽以外にもいろいろなことをやっているらしい(詳しいことはわからなかった)。サウンドクラウドにもアルバム以外の音源は3曲しか上がってないし、何度聴いてもダブステップがフォームを崩したものなのか、その逆なのかもよくわからない。ただひたすらシャープでとくに後半は無機質な混沌が波打ち、音に呑み込まれるだけ。重量感が伴いそうなのでインダストリアルという言葉は使わず、「ステンレス製のダブ」という形容をしてみたけれど、おそらくこれはインダストリアル・リヴァイヴァルの一翼をなすものには違いない。アンディ・ストットやエコープレックスとも大きな意味では共振するところがあり、なによりも美意識には深く通底するものがある。80年代にもR&B化するシンセ-ポップの裏側で鳴っていたのが、やはりボディ・ミュージックやニュー・ビートだったので相互作用でも働くのだろうか。人間味はとにかく切って落とされている。

 対照的にノーUFOズはぼんやりとした景色にだらだらと迷わせてくれる。スペクトラム・シュプールズでアナログ化された『ソフト・コースト』よりも着実にスキル・アップし、ダブに新たな地平を与えようと格闘しているといったところ。サン・アロウが音の配置にこだわるジオメトリック・ダブだとすれば、コンラッド・ヤンダフは深海潜航艇のように低音に意識を集中させる。なんというか、強制的に落ち着かされる(かなり直球のドラッグ・ムーヴィーだったルパート・サンダース監督『スノーホワイト』に使われていれば、けっこうはまったかも)。

 3~4年前、ドローンの衰退と共にカリフォルニアから出てくる音が次から次へとバリアリック・モードになっていくなーと感じていたら(ジェイムズ・プロトキンがそれを肯定していたのは驚いたけれど――エレキング復刊1号)、そのうちにその流れがチルウェイヴなどというものに××してしまい、アホかといって鼻毛を伸ばしていたら橋元UFOに噛みつかれ(ノート広げ攻撃が出たもんなー)、かといってウルフ・アイズやピート・スワンスンによるにわかテクノ・モードにもどこか馴染めず、じっと手を見ていたら、いつの間にかサバーバン・スピリット・ガイドやブルードゥ・マーといったトゲトゲしい音に囲まれるようになっていた。アンディ・ストットがいい例だけど、おそらく精神的なものはポスト・クラシカルに任せたこともあって、リヴァイヴァル・インダストリアル・ミュージックはテクスチャーをいじくり回す音響的なモードであることを初めから限界とするはずである。あるいは、そのように願いたいというか。


PS

 ブッディ&リーフのブッディはシーパンクにゆかりのプロデューサーで(エレキング8号P144)、スパンク・ロックにも曲を提供していたリーフのミックス・テープ『ダーク・ヨーク』は以下からダウンロード可(https://www.thefader.com/2012/04/18/stream-le1fs-dark-york-mixtape/)。詳しくは同エレキングP97。

初音ミクの『増殖』 - ele-king


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
U/M/A/A Inc.

初回盤 通常盤


 初音ミクによるYMO『増殖』のカヴァー・アルバム、『増殖気味 X≒MULTIPLIES』が今週リリースされる。プロデューサーは、初音ミクを筆頭としたボーカロイド文化の黎明期から活動し、現在もシーンを支えつづける“HMO とかの中の人。(PAw Laboratory.) ”。2009年に発表された『Hatsune Miku Orchestra 』につづく第2弾ともなる作品であり、前作にましてコンセプチュアルなこだわりと細部への作りこみが徹底されている。そうした点をひとつひとつ照らし出すことで、本作はさらにユニークにかたちを変えるだろう。また双方の「増殖」のニュアンスが持つ興味深い差異についてもあきらかになるはずである。今回は元ネタであるYMO『増殖』との比較をおこないながら、本作のおもしろさ、YMOのおもしろさ、そしてボカロ文化のおもしろさに迫る座談会をお届けしましょう。YMOを知らないあなたにも、初音ミクがわからないあなたにも!


YMOか、スネークマンショーか

小学生でスネークマンショーのファンになったってひとはすごく多いですね。遠足のバスのなかでみんなでかけて聴いたと。(吉村)

――まずはみなさんのYMO体験から、簡単におうかがいしたいと思います。世代的には三田さんと吉村さんがいちばん聴いていらっしゃると思いますが、さやわかさんはいかがですか?

さやわか:僕は小学1年とか2年とか、ほんとに子どもだったんですよね。74年生まれなんですが、音楽を聴いていちばん最初にかっこいいなと思ったのが、YMOとかで。

三田:そうなんだ?

さやわか:そうなんですよ。まあ最初は“ハイスクール・ララバイ”とかを聴いて、「こういうものがあるんだ」っていうのが最初なんですが。

三田:(笑)なるほど~。

さやわか:子供ですからね。その後に“ライディーン”とか聴いて、かっこいいなっていう感じですよね。だから、『増殖』ぐらいになると、もうなんとなく知ってるんですよね。しかもちょっとギャグが入っていておもしろおかしいし、従兄弟の家に行ったら置いてあるくらいのポピュラーなものだったんですよ。とくにこれは、ジャケットもダンボールとかついててかっこいいじゃないですか。おもちゃっぽい、ガジェットっぽいというか。だから子ども心に憧れのある盤ではありましたよ。

三田:久住昌之がつけた歌詞、知ってる?

さやわか:「テ・ク・ノ~、テクノライディ~ン~」(空手バカボン“来るべき世界”の歌詞)じゃなくてですか(笑)?

三田:「僕は~きみが好きなんだよ~」って(笑)。

さやわか:はははは! ともかく、そんな感じですね。YMO初期から中期に行くぐらいの感じの、ちょっとおもしろおかしいんだけれども、とんがっててかっこいいみたいな感じ、ポップさがある感じがすごく好きだったなあ。印象的だった。だんだん大人になってくると中二病的な気持ちで「中期ぐらいがいいよね」みたいなことを言い出すんですけど(笑)。でも、最終的には『増殖』くらいがすごく好きですね。子供の頃の憧れもある、ポップで、おもちゃっぽい感じ。

三田:ポップっていうか、勢いがあるときだよね。

さやわか:まさにそうですね。やりたい放題感があるわけじゃないですか。

三田:僕は高校生だったけど、吉村さんは?

吉村:僕は中学生でしたね。何年か前にスネークマンショーの本を書いて、そのときにすごくリサーチしたんですけれども、小学生でスネークマンショーのファンになったってひとはすごく多いですね。遠足のバスのなかでみんなでかけて聴いたと。

さやわか:懐かしいな。いま思い出しましたよ。2コ上の従兄弟がスネークマンショーのテープをいっぱい録って持っていたんですよね。僕はそこから入っていって、スネークマンショーのオリジナル盤みたいなものもどんどんテープに録って、友だちと貸し借りしました。スネークマンショーがやっぱりおもしろいんですよね。

三田:今回の野尻さん(※)にプレッシャーをかけてるわけですね(笑)。

※野尻抱介。『増殖』オリジナル盤にはスネークマンショーによるコントが数編収録されているが、『増殖気味 X≒MULTIPLIES』では野尻氏の脚本によって2012年現在を反映する内容に書き換えられている。

さやわか:はははは! いやいやでも、今回の野尻さんのやつも、時代性があるというか、よかったじゃないですか、最後のやつとか。

吉村:スネークマンショーのほうは、けっこう校内放送でかけて怒られたとか、そういうエピソードがいっぱいある。

三田:小学校で?

吉村:小学校、中学校で。モノマネもよくやったみたいですよね。たとえばKDD(『増殖』収録のコント)とか英語じゃないですか。小学生だったら意味はわからないんだけど、言葉やセリフのリズムとか声の質とか、すごくおもしろく聞こえちゃうんですね。そういうマジックがあった。

三田:じゃあけっこう共有文化なんだ? クラスメイトの。

吉村:そうですね。YMOよりもスネークマンショーって感じですね。

さやわか:そうなんですね。僕はもう、嘉門達夫とかといっしょに聴いたような気がしますよ。そういうレベルの出来事ですよね、小学生にとっては。

三田:あー、なるほどね。僕は逆に、YMOはダメだったんだよね。ちゃんとそのとき買って聴いたのは『BGM』だけで。流行りものの勢いに負けて、7インチは全部買ってたんだけどね。だからいまだに『テクノデリック』を聴いてない。

一同:(声を揃えて)マジすか!?

三田:そうそう。

さやわか:そんなことがあり得るんですね。

三田:いまだに抵抗があって。なんでかって言うと、先にクラフトワーク聴いてるんだよ。父親がヨーロッパ土産で『トランス・ヨーロッパ・エクスプレス(ヨーロッパ特急)』の7インチ買ってきてくれて。で、その頃に聴いてる音楽ってクリームとかだから、はじめて『トランス・ヨーロッパ・エクスプレス』を聴いて、もう何が起きたかわかんない! っていう衝撃があったわけだよね。何がどうなっちゃったんだろ、と思って。それでその次の年に“ライディーン”を聴くと、「子どもっぽいなー」っていうね(笑)。なんか真剣になれないんだよね。

さやわか:はははは! でもまあ、そうですよね。フュージョン感が。

三田:だけど、『BGM』がよかったんで、もうちょっと聴いてみようかなと思ったときに、『増殖』も知ったんだよね。だからこの作品には愛着があって。

さやわか:あ、そうですか? 『BGM』から戻っていく感じですか?

三田:そうそう。だから“ビハインド・ザ・マスク”を知らなかったのよ、全然。だいぶ経ってから“ビハインド・ザ・マスク”聴いて、いまではいちばんが“ビハインド・ザ・マスク”かな。そんなとこです、僕のYMO体験というのは(笑)。『増殖』はでも、リアルタイムで聴かないと、体験としての差が大きいよね。

さやわか:『増殖』はリアルタイムで?

三田:うん。『増殖』と『BGM』だけはそれなりに愛着があるね。でも、去年だったか、坂本龍一さんがDOMMUNEに出た後の打ち上げで、僕、ポロっと「“タイトゥン・アップ”のなかのセリフで「酒飲め、坂本」ってありましたよね」って言ったら怒られたんだよね。「違うよ!」って。「Suck it to me, Sakamotoって言ってるだろ!」って。30年以上勘違いしてた(笑)。しかし、そんなに怒るかなって(笑)。

さやわか:はははは! でもそうやって空耳するくらいの気軽さでみんなの耳に入ってくるような影響力がありましたよね。

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ふたつの「増殖」

いまの初音ミクって、初音ミクというぼんやりとした中心のようなものに向かって、全員が違うものを作っているってところがおもしろいので、その違いをはっきりと出してるジャケットだなと。(さやわか)


――その『増殖』を初音ミクでカヴァーしたアルバム、『増殖気味 X≒MULTIPLIES 』が今月リリースされるわけですが、ここからは両者を比較しながらお話をうかがっていきたいと思います。アレンジ、プロダクション、コンセプトに加え、楽曲やコント・パート、仕様そのものの再現性についてなど、たくさんの比較ポイントがありますよね。

 また、そもそもYMOが『増殖』をリリースした背景にあるものと、現在の初音ミクを取り巻く風景とを比べながら見えてくるトピックもあるかと思います。初音ミクはちょうど発売から5年が経って、いろいろな意味でかなり一般化された段階を迎えてもいますので、そのあたりもふくめておうかがいしていきましょう。

 まずは、ぱっと気づいた相似点、相違点からご指摘いただけますか?


さやわか:時期的にはおもしろいですよね。YMOが上り調子というか、わっと人目を引きつつおもしろおかしいことをやっていた頃と、初音ミク5周年、それこそファミマなんかで商品が売られるようになったタイミングで、同じものが出るっていうのは。ほかにも5周年ということで初音ミクがらみの企画はありますが、『増殖』のカヴァーというのは、目のつけどころとしていいかもなって思いましたね。

 で、相似というよりもむしろ相違する部分なんですけど、ジャケットの絵がいいですよね(笑)。初音ミクの姿が、全部同じじゃないんです。全部違ってるんですよ。

三田:色校を見たときにジグソーパズルを作ろうって言ったんですよ。

さやわか:うん、それいいじゃないですか。『増殖』のジャケットって、いかにも当時のテクノ的な考え方として、「同じものがいっぱいある」っていう意味を持たされていたじゃないですか。もちろん個々の人形に微々たる違いはあるんだけれども、その違いが微々たるものであるというほうに意味を見出すのは、いかにも当時のテクノ的な考え方に思えますね。ところがいまの初音ミクって、初音ミクというぼんやりとした中心のようなものに向かって、全員が違うものを作っているってところがおもしろいので、その違いをはっきりと出してるジャケットだなと。

三田:『増殖』の意味が違ってたと思って。オリジナルのジャケット・デザインは、当時で言ってた右傾化みたいなムードへの批評性を持ってたと思ったんだけど、今回のは初音ミク自体の増殖性をパラフレーズしてる感じだと思って。まあ、いまのほうがよっぽど右傾化してるんだけど、もうパロディになるレベルの右傾化じゃないから(笑)。そういう違うはあるかなって。

さやわか:そうですね。そういう意味では、その右傾化的なものをさらりと流してしまっているような、なんというか軽やかさがあるわけですよね。

三田:軽やかさ(笑)。

さやわか:だって『増殖』のジャケは、こんなふうな表現で来られるからには、どう考えてもメッセージ性が高いわけじゃないですか。

三田:僕が当時覚えてるのは、年配の人たちに拒否反応があったよね。

さやわか:ああ、そうなんだ。

三田:筑紫哲也なんかが右傾化に対していろいろ言ってたタイミングでもあったから。

さやわか:これ(『増殖気味』)はそういうことじゃなくて、かわいいキャラクターがいろんな表情を取っているっていうことに完全に置き換えているので、そこがおもしろいなと思いました。


ボーカロイドは政治性を嫌うか


やっぱりスネークマンショーのパロディなんだから、もうちょっと強く毒みたいなものを出したほうがいいんじゃないかなという気持ちもある。あの雪山のコントも、もしスネークマンショーがやってたら、津波とかになるんじゃないかな。(吉村)


吉村:いまの話と共通するんですけど、『増殖』のときはコントのギャグに70年代末の世相がすごく反映されてるじゃないですか。今回のは、3.11後のいまの世相っていうのがまったく反映されてない。逆にそれはすごいことだと思って。

 これは自分のなかでまだ解釈が分かれてるんですけれども、そうしたテーマを中途半端に出すよりはいいのかなっていう気持ちと、やっぱりスネークマンショーのパロディなんだから、もうちょっと強く毒みたいなものを出したほうがいいんじゃないかなという気持ちと。あの雪山のコントも、もしスネークマンショーがやってたら、舞台は雪山じゃなかったと思う。

さやわか:何? 戦場とか?

吉村:津波ですよ。津波で取り残された人とかに設定したと思う。

三田:ああー、なるほど。やっぱりそこは意図的に回避されてると?

吉村:そう、ちゃんと考えて避けられているんだというのはわかるんですけど、そのへんが違うな、と思いますね。

三田:なるほどねー。

さやわか:社会性みたいなものをあえて排除してるということですよね。でも、初音ミク自体が政治性とそもそも接続されにくい、スタンスを固定しにくい存在としてあったわけじゃないですか。それに、メインで聴いている層が小・中・高ぐらいのはずなので、いまは彼らにとって政治的なものっていうのが、自分たちの問題として扱われていないんじゃないかということがある。そして、政治に興味がある大人たちにとってみれば、今度は初音ミクが彼らに届いていない。

三田:でも、小説を読むかぎり、このコントを書かれた野尻抱介さんというのは、国家は意識しているし、政治性を感じさせないという作風ではないけどね。僕の印象からすればやや楽観的な国家観ではあると思いますけど、まったくそういうものを排除するわけではない。「一般意志2.0」とか急に出てくるんだけどね。

吉村:たとえ左であれ右であれ、そういう政治性みたいなものを出すとリスナーから拒否されるみたいなことはあると思います?

さやわか:うーん、どうでしょう。

三田:でも、それは巧妙なやり方があるような気もするけど。野尻さん自身はこの『南極点のピアピア動画』(ハヤカワ文庫JA)も『ふわふわの泉』(同)もテーマが増える、増殖するってことだったので、テーマ的にはぴったり合ってるはずなんですよ。でもコントにあんまり反映されてなかったなって。小説のほうと全然キャラが違うんで、あれ? みたいには思った。

吉村:そのあたりをすごく考えてこれになったとは思うんですよ。

さやわか:たぶんそうでしょうね。

三田:やっぱり子どもを意識したのかねえ?

さやわか:そうじゃないんですか。単純に、聴いて楽しいって感じですよね。とくに聴いていて思ったのは、ニコ動(ニコニコ動画)ユーザーのなかでも、どっちかと言うとクリエイターよりちゃんとリスナーに向けて作られているように感じましたけどね。

三田:YMOの『増殖』を聴いたときに思ったけど、やっぱりギャグは一回性のものでさ。何回も聴くものではないよなと感じたんだけど、『増殖気味』のほうは「いいボカロもあれば悪いボカロもある」のネタとかさ、けっこう何回聴いてもおもしろい(笑)。

さやわか:はははは! その違いは何なんですか(笑)?

三田:何なんだろうな(笑)。あれがいちばん好きで、あればっか聴いてる。

さやわか:それは強力なメッセージ性とか、そういうものを持ってないからかもしれない。

三田:なんだろうね。

さやわか:空気系じゃないけれど、ゆるっと、ふわっとして重みがなく、なんとなく聴いて笑っちゃえるみたいな。

三田:『デス・プルーフ』(クエンティン・タランティーノ監督)以降、女のおしゃべりが気になってるからかもしれない。女が集まってしゃべってるのって妙にインパクトがあるよね。『ハッピー・ゴー・ラッキー』(マイク・リー監督)とか、最近だと『東京プレイボーイクラブ』(奥田庸介監督)っていう映画のなかで、風俗嬢がしゃべるシーンにすごい破壊力があるんだけど、ちょっとそれに通じるものを感じちゃって(笑)。

さやわか:キャラソン(キャラクター・ソング)CDにちょっと似たノリがあっておもしろかったですよね。途中に寸劇が入る系の。『増殖』は曲とギャグが交互に入ってますよという構成のアルバムなんだけど、『増殖気味』は、初音ミクを中心としたキャラものだなって思いました。

吉村:そうか、主役がはっきりしてるんですね。

さやわか:そうですね。


オリジナルはいい加減な仕様? 『増殖気味』の楽しい仕様

僕はsupercellのイメージがいまだに強すぎるのかもしれないですけど、初音ミクってロックっぽい曲がかなり多い気がするんですよね。合成音声だからといって、エレクトロニカみたいなものがさほど目立つわけでもないように思うんです。(さやわか)

三田:コントの脚本が野尻さんになったのは、アーティストの意向? じゃあやっぱり『ピアピア動画』(『南極点のピアピア動画』)が大きいのかな。これは明らかに初音ミクをモチーフにしてるし、ニコ動をテーマにしたSFだったから。野尻さんは、ニコ動でも投稿したり、いろいろされてるんだっけか。尻Pだっけ?

さやわか:そうそう。そういう意味でも『増殖気味』は、ニコ動的な文脈もYMO的なものもちゃんとわかって作ってるってことですよね。全体的に凝りようもすごい。そうだ、インナーがちゃんと野球場になってるんですよね(※)。そんな感じでYMOへのいろんなオマージュがある。

※もともとは後楽園球場のジオラマを用いていたが、最終的にはエポック社から初代野球盤を借りて撮影されている。

吉村:(初音ミクが)入りきらないのがいいね。乗りきらない。

さやわか:これはYMOのほうと楽しさが全然違いますよね(笑)。『増殖』のほうは、なんというか強さのある表現としてやっていたんだけど。

三田:たしかにね。ヴィジュアルってすごいなあ。

さやわか:すごいですね。レイアウトも同じなのに。野球盤はいい仕事してますね。

吉村:YMOって、この頃はまだ匿名バンドっていうところがあったと思うんですね。

三田:ああ、なるほど。

吉村:誰が坂本さんで誰が高橋さんですか? みたいなこともあったぐらいで。ようやくこの頃にフジテレビとかの歌番組にはじめて出たぐらいかな。まだ一般的には匿名だったんですね。

さやわか:あ、そうなんだ?

吉村:スネークマンショーをやってるのがYMOの3人と思われてた時代。伊武さんと細野さんの声が似てるのもあるんですけど。

三田:ああ、なるほどね。さすがにそれはなかったな。そう思ってた?

さやわか:それは思ってなかったですね。スネークマンショー単体で、ちゃんと別の活動があるわけじゃないですか。

三田:そっか。小学生でそれを認識してるってすごいね(笑)。

さやわか:ははは(笑)。だからけっこうそれを認識するくらいには、ちゃんと好きだったんですよ(笑)。

吉村:『増殖』って、意外といい加減に作られたもので。「いい加減」って言うとあれだけど、制作に時間がなかった。売れてる間に何かアルバムを出したいけれど、モノはないからどうしようっていうね。このヴィジュアルも、フジカセットの広告をそのまま引用したもので、ポスターをそのまま使ってるんですよね。


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ニューウェイヴ路線への分岐点となった『増殖』

(初音ミク現象の)全体像なんてわからないでしょうね。中心もないし。そういうところのおもしろさではある。(三田)


吉村:あと、スネークマンショーのほうから、ニューウェーヴに寄せてくれという要望があった。 フュージョンじゃなくてね。それはかなり大きいですね。

三田:ああ、そうなんだ?

吉村:スネークマンショーのプロデューサーの桑原茂一さんも、それがうまくハマったんだっておっしゃってましたね。(高橋)幸宏さんが仲良くて、その頃ずっとスカとかの話をしてたんだと思います。YMOサイドからアルバムにコントを収録したいって話が来たときに、最初はイヤだったそうなんですよ。やっぱりちょっと、フュージョンのイメージが強くて。

三田:僕と同じでちょっとイヤだったんだ(笑)。ていうか、『BGM』は完全にニューロマンティックスになっちゃうじゃない? あのニューウェーヴ路線は、そのときのスネークマンショーのおかげで導かれたってことなんだ?

吉村:そうそう。それとヨーロッパ・ツアーをやったっていうのもありますね。スティーヴ・ストレンジ(ヴィサージ)のクラブに行ったりとか。

三田:ミック・ジャガーが入り口で追い返されたクラブですね。オールド・ウェイヴは帰れと。

さやわか:じゃあ初期の頃は、電子音楽でありつつも、あくまでフュージョン感のあるものをやるっていう部分にこだわりがあったんですかね?

吉村:いや、初期は引っ張られたんだと思いますよ。やっぱり時代はフュージョンの時代で。〈アルファ〉はフュージョンの会社みたいな位置づけもあったから、そこで何かやるってなったときに、YMO直前に幸宏さんもサディスティックス、教授もKYLYNをやっていたわけだし。

さやわか:なるほど。

吉村:『増殖』を出す前の秋にヨーロッパ・ツアーに行ってますね。これは有名な話ですけれど、ロンドンのヴェニューでYMOがライヴをやったら若いパンクスのカップルが踊りだして、教授も「俺たちかっこいいかもしれない」と思ったという。それがでかいと思います。ニューウェーヴに行く上で。

三田:それは聞いたことがあるかもしれない。パンクスが踊るんだ? 僕はこの頃、新宿のギリシャ館に通ってたけど、YMOがかかると全員同じフリでステップを踏むんですよね。こういう......いまだに覚えらんないけど。

さやわか:はははは!

三田:僕は高校生でね、大人のお兄ちゃんお姉ちゃんたちがやってるのがほんとに覚えられなくて。やったことある? YMOさえかからなければ自由に踊れるのに、YMOがかかるとつまはじきだったのよ(笑)。

一同:

吉村:でもブラック・ミュージック系だといまもそんな感じじゃないですか? ソウルとか。

三田:いや、ステップっていうか、振り付けがかっちり決まってるんですよ。僕のあの当時のカルチャーの印象から言うと、ピンクレディーといっしょ。同じ振りをみんなでしなきゃいけないっていう。

さやわか:ああー。でもディスコ文化ってけっこう同じ振りやってる印象ありますけどね。

吉村:もうオタ芸みたいな感じ?

三田:いや逆に、その頃は振りから解放された時代でもあったんですよ。前の流れとしてチッキンとかブギがあって、次にバンプってのが来た。74~5年はそういうリズムでしたね。で、その次にパンクが来て、自由に踊れるぞって思ってたらYMOのせいで全員同じ動きになっちゃって、「ちょっと待ってくださいよ」っていうところがあって(笑)。いまだにトラウマだもん。

吉村:たまたまそのディスコがそうだったんじゃないの(笑)?

三田:いやいや、僕それが、YouTubeとかで上がらないかなと思って(笑)。結局覚えられなかったからさ。そしたら3、4年前に何かの雑誌で、そのフリを全部解説するっていう記事が載ってたことがあった。

吉村:タケノコ族から流れてきたんじゃない?

三田:あのね、そう、フリは完全にタケノコ族といっしょでした。でも、実際のタケノコも見に行ったけど、やっぱりそれよりはもっとメカニックなものなんだよね。あのときほら、ドナ・サマーってさ、いちばんの衝撃は音楽じゃなくてロボット・ダンスだって言われたんだよね。当時ワイドショーとかでも、例の“アイ・フィール・ラヴ”がかかったときに、とにかく視聴者がいちばん驚くのはあのロボットのようなダンスだっていう報道なんかがあったわけよ。そのあたりにちょっとリンクしてるYMOの動きだったと思うんだけど。......すんごい瑣末な話(笑)。

一同:

X氏:YMOも初音ミクも、海外公演で大きな注目を集めるほどの社会現象を引き起こしたという点には共通したものがありますよね。でも音楽以外の部分に焦点を当てた評価であることも多いため、たとえばYMOは世間の反応やレコード会社に対して反抗していくことにもなります。『増殖』やその後の作品には、そうした傾向がより如実にでてきます。タイトルや楽曲の方向性などを見れば明らかですよね。海外から帰ってきてみれば、それまでは思いがけなかったような、そうした状況に直面することになってしまった。その点は、初音ミクの開発者として知られる佐々木さんの状況とも平行しているように思うんです。初音ミクというものが、ご本人が想定した以上の規模や、方向性に転んでいったというところ。僕はそのへんを重ねて見てしまうんですよね。


打ち込みのイメージにズレをもたらすプロデュース

初音ミクが出てきてほんの1~2年の頃って、もはや作家性みたいなものはなくなっていくんだ、キャラクター文化こそ最強、みたいなことがけっこう言われていたと思うんですね。でも最近は、初音ミクみたいなものが、じつは創作のプラットフォームとなりつつあるというか、結局は個々のクリエイター、プロデューサーの姿が見えてくるようになった。(さやわか)

――さらに『増殖気味』のほうの音についてもおうかがいしましょう。または、楽曲の再現性・非再現性において、何か企んだ部分があるなと思われたところを教えてください。

さやわか:ぱっと聴いて最初に思ったのは、「やけにギターの音が鳴ってるな」ってことなんですけど(笑)。

三田:ロックっぽいよね。

さやわか:そうなんですよ。で、僕はsupercellのイメージがいまだに強すぎるのかもしれないですけど、初音ミクってロックっぽい曲がかなり多い気がするんですよね。合成音声だからといって、エレクトロニカみたいなものがさほど目立つわけでもないように思うんです。

三田:それは年齢層の問題なんじゃないの?

さやわか:そうなんですかね? そっか、そういうこともあるかもしれない。でも、それと同じようにこのアルバムも、1曲目からきちんとギターを立てて、タテノリ感もきっちり来るような音楽にしているんだなとは感じました。

三田:1曲目はRCサクセションの“よォーこそ”みたいに感じたけどね。それは僕にそう聴こえるだけなのか、狙ったのか、ちょっと訊いてみないとわからないけど。

さやわか:なるほど。

吉村:打ち込みくささをあえて消してるのはすごく感じましたね。

三田:消してるところまで行ってますか?

吉村:僕は消してると思うな。このアルバムを作ったHMO とかの中の人。(PAw Laboratory.) の好きなYMOっていうのは、たぶんもっと打ち込み打ち込みしたYMOでしょう?

さやわか:たぶんそうですよね。

吉村:それをあえて消してるなって感じですよね。で、そっちのほうがいまの時代に合ってる気がする。

三田:華やかだしね、アレンジも。

さやわか:かといって人が歌う、単純にパンクなりロックのアルバムとして『増殖』のカヴァー・アルバムを出すわけじゃなく、あくまで声は初音ミクであって人間じゃない、っていうところがいまっぽいなと思いながら聴きましたね。

三田:2作の差ってことだと、僕はほとんど違和感がなかったな。自分の記憶のなかの『増殖』だという気がしたね。

さやわか:ああ、そうです? 『増殖』ってこんな感じだったんですか。

三田:なんか、あんま変えてないようなふうに聴けた。

吉村:歌詞は変えてないの? “ナイス・エイジ”とか。

――変えていないとのことです。“タイトゥン・アップ”の一部だけ変わっているそうです。

吉村:それは聴き取れなかったな。あと、『増殖』には入っていない“デイ・トリッパー”と“体操”が収録されている。まあ、“体操”はボーナス・トラックか。そういえば、マイケル・ジャクソンの遺作アルバムにYMOのカヴァーが入ったりしておもしろかったですけどね。ああいうブラック・ミュージックに行ったりするような可能性は、まだこの頃のYMOにはあった。

三田:“ビハインド・ザ・マスク”を『スリラー』に入れようとしたけど、曲の権利も売れといってきたので、坂本さんが断ったやつですね。

吉村:そうそう。あとはアメリカの音楽番組『ソウル・トレイン』に出演したりとか。繰り返しになるけど、そういう、ニューウェーヴ路線へ向かうことになった分岐点にあるのがこのアルバムだから。

初音ミクV3をいちはやく! (※現在開発中の、Vocaloid3エンジンを使った初音ミク英語版βバージョン)


ふつうのアニメなんかを題材に二次創作が広がるときって、エロ・グロ・ナンセンスが爆発するじゃない? 遡るべき一次創作があるときに、二次創作というのは無制限の領域を得るけど、初音ミクみたいな二次創作しかないものっていうのは、逆に爆発できないわけだ?(三田)


さやわか:なるほど。あと、さっきの生っぽい音、という話で思い出したんですけど、この作品で使われてる初音ミクの声が、ボーカロイドのヴァージョン3のライブラリなんですよ。

三田:......? 詳しいな。

さやわか:これがけっこう大事なことなんです。ボーカロイド3(現在開発中の、Vocaloid3エンジンを使った初音ミク英語版βバージョン)の初音ミクを使ったCDが出るのって、ほとんど初めてじゃないですか? いままではみんなヴァージョン2のものを使っていて、「初音ミクの声」と言えばあれだという共通了解があります。でも、最近ボーカロイド自体がヴァージョン・アップして、すごく人間に近いものが作れるようになったんですよ。このアルバムではそのヴァージョン3用に作られた初音ミクの声を使ってるので、かなり生で歌っているように聴こえるんですよね。みんなが知ってる、あのケロケロした初音ミクの声じゃない。藤田(咲)さんもこのアルバムには参加してますけど、一瞬どっちの声かわからなくなるくらいのクオリティを感じさせますね。ヴァージョン3用の初音ミク発売って、未定ですか? まだ世に出てないよね?

三田:へえー。じゃ、これしかないの? その新しい初音ミクとしては。

――商業で用いられているのはこれしかないそうです。担当の方によりますと、ファミリーマートでのキャンペーンの際に“ナイス・エイジ”のシングルを切って、それをユーチューブに上げたところ、海外でちょっとした論争が起こったともいいます。まず、「ミクの英語版ができたのか」という反応。それから、「でもこの発音はどうなの?」という反応。で、それに応えて「いや、これは日本のタカハシユキヒロという人の発音のモノマネをしてるんだ。だからこれで問題ない」というYMOマニアの見解。

さやわか:あははは! ソフトウェア的な限界なのか、YMOの真似をしているからこうなってるのか、という論争なんだ? それはね、でも、思った! というか、やっぱりモノマネなんだ。日本人がたどたどしく英語で歌いました感を、きっちり演出しようということなのか。

三田:そっか。30年たっても日本人の英語は変わらんということなのね(笑)。

さやわか:はははは!

吉村:自民党が悪いって橋下が言うよ。

一同:


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中心なき増殖、ボカロ文化のおもしろさ

ドロドロした表現が社会性に向かわないっていうのは、空気でしょうね。この文化を支えている人たちの。まあ、将来はわかんないですけど。(吉村)

さやわか:初音ミクって、海外の人気もすごくありますね。ただ、海外での受け入れられ方っていうのは、初音ミクを固有のキャラクターとして見るようなところがあります。

三田:ニコ動(ニコニコ動画)で観ておもしろかったんだけど、日本の子どもが初音ミクで騒いでいる映像を、世界中の子どもにみせるっていう動画。世界中の子どもが拒否反応を起こしてるんだよね。実体のないものに夢中になっている意味がわからなくて、ブラジルの子とか韓国の子とかがほんとに引いてるわけ。僕はそれまであんまり初音ミクに興味がなかったんだけど、あれを観たときに、おもしろいのかも! って思ったんだよね。考えが変わりましたよ。

さやわか:いいですねー。海外という話で思い出しましたけど、海外のファンの人たちって、いまだに初音ミクをあるひとつのアニメのキャラのように勘違いして捉えていることが多いんですよ。日本ではいまやこの『増殖気味』のジャケットが象徴するように、中心の存在しないものとして捉えられ、楽しまれていますよね。ライヴとかでも、「本体の存在しないものをセガの技術がいかに動かすか」みたいなことを醍醐味として楽しむ傾向がある。存在しないけど、でも、みんなでがんばって盛り上げる。そういう構造ですよね。

三田:で、盛り上げれば盛り上げるほど世界の子どもたちが引くんですよ(笑)。

さやわか:「存在しないものをなぜ盛り上げているの?」と思ってしまうんでしょうね。アイドルにも近いところがあります。アーティストとして圧倒的な価値のない、発展途中にあるものを、どうして全力を注いで盛り上げようとするのか。

吉村:テクノの方面ではどうなんですか? 初音ミクを使用したりするのは。

三田:ミクトロニカとかミクゲイザーとかはあるらしいですけどね。でも浮上してこない。

さやわか:音楽的には何をやってもいい世界になっているからいろんな人がいるし、年齢層も幅広い。間口が広いというか、懐が深いというか。

三田:全体像なんてわからないでしょうね。中心もないし。そういうところのおもしろさではある。

さやわか:そう。 そのあたりの感覚が、このアルバムのジャケットなり、そもそも『増殖』を選んでカヴァーすることなりにきちんと表れていて、とても批評性があると思った。おもしろいですよね。

三田:うんうん。それで言えば、前作から『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』を飛ばしてこのジャケットにきたのは、ハマりだなと思った。

吉村:うん。ぴったりきてますよね。

さやわか:たぶん作品としては、元ネタのYMOの『増殖』を知っていて、YMOをどういうふうに昇華してるのかな? という玄人筋が買っていくものだと思うんですよ。でも、この描かれているイラストとか、ねんぷち(ねんどろいどぷち)とかに惹かれて買って、「かわいいなー」って思っているだけの人、元ネタがあるだなんてことに気づかずに聴くような人もいていい。ボーカロイドはそのぐらい広い文化になっているとも思うんですね。大人は「いやー、YMO聴いてくれてうれしいよ」とか思ってるかもしれないけど、子どもはとくにそんなこと気にしてない。

三田:姪がふたりいるんだけど、反応がみごとに逆なんですよ。妹は元ネタを教えてあげるとそれに関心を持つ。だけどお姉さんは元ネタがあるということについて目をふさぐんだよね。

さやわか:ああー、嫌がる?

三田:無視する。ふたりとも初音ミクが大好きだから、ご飯食べててネギを残したりしたときに「それでも初音ミクのファンか」って言うと、食べる。

さやわか:いいねー! いい話じゃないですか。

三田:そのぐらい好きなんだけど、......なにを言おうと思ったか忘れた(笑)。まー、この作品の反応は知りたいよね。

さやわか:元ネタを気にする人もいれば、気にしない人もいる。そのふたつともが許容されるぐらいの世界にはなっていますよね。

吉村:非常に正しいですよ。このオリジナルの『増殖』にしたって、当時買ってた人の90パーセントは、流行だから買ったというだけで。YMOだから買うとか、彼らが好きだから買うというのはまだない時期です。それがないからこそヒットしていたというか。

三田:アーチー・ベルのカヴァーだ! って言って買ってる人はいない。

吉村:ははは。そう。

さやわか:うん、それでいいんだと思うんですよ。

ボカロ文化における作家性の問題

今年くらいからなのかな、(初音ミク関連の)市場が本当に大きくなって、YMOとか関係なく、ただ素朴にブックレットについてるマンガを読んで「かわいー」って言ってるだけの人も普通にいられるような広さを得ましたね。(さやわか)


――初音ミクを通して、いち作家としての強い個を出してくるようなタイプのプロデューサーさんというのはいないんでしょうか? 先ほどからのお話は、絶えざる集合知的なプロデュースと、絶えざるその淘汰によって初音ミク像とその作品が成立している、というふうに集約できると思います。そのとき、本作のクレジットに「HMOとかの中の人。」と記載されることにはどのような意味があるのか。これは彼のアルバムなのか、初音ミクのアルバムなのか。そして、初音ミクを用いながら強い個を打ち出してくる作家というのはいるのか。音楽批評誌の興味として、その点についてお聞かせいただければと思います。

三田:うーん、それは作品との距離感によっても変わってくると思うな。このアルバムは、僕は初音ミクのアルバムとして聴けるけど、たとえばアレンジの方法なんかにもっと入り込んでいくというようなかたちで、この人の作家性に寄っていくリスナーはいると思う。この作家がミクを離れたときに、それでもついていくファンがいるかどうかというところはそれぞれの作家によりますよね。

さやわか:初音ミクが出てきてほんの1~2年の頃って、もはや作家性みたいなものはなくなっていくんだ、キャラクター文化こそ最強、みたいなことがけっこう言われていたと思うんですね。これからはみんながキャラクターに奉仕して、ひとりひとりの作家ではなくて、集合知的なものだけが機能していくんだと。でも最近は、初音ミクみたいなものが、じつは創作のプラットフォームとなりつつあるというか、結局は個々のクリエイター、プロデューサーの姿が見えてくるようになった。
 以前、ぽわぽわPさんのインタヴューか何かを読んだときに、彼が「初音ミクやボカロ文化のおかげで僕らにも注目が集まってる」って言ってたんですよね。それってもう、考え方が変わってますよね。以前は、「僕らはもう要らないんだ」「キャラがかわいく存在できてればそれでいいよね」って世界になるという話だったのが、そうじゃなくなってきてる。たぶん、初音ミクを一次創作的なキャラクターだと思っている海外の人とか、まだ初音ミクがどういうものかわかっていない日本人は、そのことに気づいてないと思いますね。もちろん初音ミク自体もかわいいし、単体で力のあるキャラクターなんだけど、その後ろからちゃんと人間が出てこれるようなシステムになってきてはいるんだと思う。これは言ってみればニコ動全体がそうで、たとえばヒャダインとかも完全にいまは固有名として出てきていますよね。

三田:そうなると、僕はよくは知らないからわかんないけど、強く自分を出しすぎて嫌われる人っていうのもいたりするの?

さやわか:それはもちろん、いますね。普通のプロデューサーといっしょで、我が強すぎてよくない、みたいなことはあるんですよ。

三田:それは作品の出来、不出来ではなくて、自分を出しすぎるという点への批判なの?

さやわか:両方ですかね。やっぱり、初音ミクをこういうふうに使わないほうがいいよねって部分はあるわけじゃないですか。

三田:たとえばどういう使い方がだめなの?

吉村:これは規約だけど、エロとか。あと下品なものとかは許容されないよね。

三田:じゃあ、たとえば『けいおん!』でもなんでも、ふつうのアニメなんかを題材に二次創作が広がるときって、エロ・グロ・ナンセンスが爆発するじゃない? 遡るべき一次創作があるときに、二次創作というのは無制限の領域を得るけど、初音ミクみたいな二次創作しかないものっていうのは、逆に爆発できないわけだ?

吉村:本物がないからこそ、心のなかで規制されるというかね。『けいおん!』なら本物の『けいおん!』があるものね。

三田:そうそう。

さやわか:初音ミクはそもそものストーリーがないので、エロみたいな要素が成り立ちにくいっていうのもありますね。そういう絵を描いている人もいるんだけど、ピンナップ的なものになっちゃうんですよ。

三田:初音ミクの一生を考える人も出てくるでしょうね。

さやわか:それもまたひとつの物語のパターンとして回収されるんでしょうね。“初音ミクの消失”とかってそういう曲じゃないですか。

三田:この『増殖気味』をさ、でも初音ミクの名義で出すことはできないんだよね?

さやわか:それは......どうなんだろう、うまいこと話を通せば可能なんじゃないかなあ。『初音ミクの消失』とかもミクという名前とイラストを使って発売されていたし。

吉村:新興宗教が使ってたりしないのかな? そういうの、出てくると思うんだけど。

さやわか:ははは! もし昔に初音ミクがあったら「しょーこーしょーこー」とか歌わせるのが、あったかもしれないですね。

三田:ははは、いまは全然そういうふうな発想が浮かばなかったけど、でも時期が少し前だったらそう思ったかもねー。

さやわか:うん。でも、いまはそういう政治的なものや社会性みたいなものは排除されているわけですね。

三田:じゃあ、ほんとに、ちょっと言葉は悪いけど消毒されちゃってるんだね。

さやわか:このジャケットにしても、「ちっちゃいものがいっぱいあってかわいい」とだけ感じられる世代がいるんなら、よかったねって話でもありますけどね。

吉村:サエキけんぞうさんが、ゲルニカのカヴァーをやったりしているじゃないですか。ああいうドロドロしたものを初音ミクに歌わせるってなると、どうなりますかね。

さやわか:初音ミクでドロドロっていうと、それこそ中二病というか、切ない青春の痛み、あるいはリストカッター的なモチーフを歌ったやつがあるんじゃないですか?

三田:そんなの、ボカロだったらいっぱいあるよね。

さやわか:そう、そういうドロドロ感は多いですよね。そこでプロテストソングをやろうということにもならないし。

三田:そこはわからないな。姪なんかのボカロの消費の仕方を見ていると、やっぱり物語消費なんだよね。

さやわか:ボカロの歌詞ってどんどん物語化してるわけじゃないですか。

三田:それで小説も書いたりするわけでしょ。と考えると、いま言ってたようなドロドロの限界ってないと思うな。

さやわか:なるほどね。

吉村:ドロドロが社会性に向かわないっていうのは、空気でしょうね。この文化を支えている人たちの。まあ、将来はわかんないですけど。

三田:サッカーのサポーターみたいなものということ?

さやわか:ああ、似てるかもしれないですね。

三田:また言葉が悪くなってしまうけど、どこかきれいごとなところがあるじゃない。

さやわか:アイドル文化にも似てるかもしれないですね。「俺らの支えている初音ミクをうまいこと使えよ」という漠然とした空気があって、その基準がどこかにあるわけじゃないけれど、やろうと思ったことのなかで最大公約数的なところを押さえないといけない。うまいこと使わなかったらファンから「俺だったらもっとうまくやれるよ」って言われて嫌われる。(笑)。ただ、重要なのは、その「俺だったら」というのが本当にできてしまう。それはアイドルにはできない、ボカロ文化ですよね。

吉村:非常にいいツールですよね。すばらしいと思う。

さやわか:観客だったはずの人が、いつのまにか作り手に反転してしまう。それが一瞬で起こりますから。

吉村:今回だったら『増殖』のカバーをやるという選択。 何を歌わせるかというところに個が宿るわけじゃないですか。

さやわか:初音ミクで『増殖』やったらいんじゃね? みたいな話から、じゃあこういうパッケージでやって、こういう見せ方をして、さあ受け入れられるかみたいに、作品が生み出されて評価されるための連想がさっと広がっていきやすい。もちろん、だからこそ評価される作品を作るのはとても苦労すると思いますけど。

吉村:かなり難しいことですよね。アイディアはすぐに浮かぶけど。実際にそれをいいものにするのはものすごく大変なことで。

さやわか:それこそ今回の野尻さんのように、政治性を入れるか入れないかとか、微妙なポイントを突いていかなければならないことになりますよね。

三田:でも、次がないよね、HMO.......。

一同:


三田:“体操”やっちゃったし、“胸キュン”(“君に、胸キュン”)やっちゃったし。『B-2ユニット』かな。

吉村:歌がないよ。

三田:ああ、そうか。戦メリ(“戦場のメリー・クリスマス”)とかできないのかなー(笑)。あれならデヴィッド・シルヴィアンが歌うヴァージョンがあるからさ。

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コント、芸人、アニメ声優

姪なんかのボカロの消費の仕方を見ていると、やっぱり物語消費なんだよね。(三田)

吉村:そうだ、YMOファンにこれ言っとかなきゃね。『増殖』でギターを弾かれた大村憲司さんの息子さんが、この作品のギター弾いてるんだよ(大村真司)。安室奈美恵や土屋アンナとかのサポート・ギターをやってる人なんだけど、MIDNIGHTSUNSっていうバンドでも活動していて。お父さんの曲"Maps"のカバーとかだと、高橋幸宏がドラム&ヴォーカルで参加してるヴァージョンもあったりするんですよね。

三田:さっきからみんなギターって言ってるのは、それなんだ。

吉村:そう。あとは曲だけじゃなくて、ちゃんとコントが入っているのもいい。『増殖』をカヴァーしようというのは、度胸がありますよ。お笑いのバナナマンっていうのは、スネークマンショーが好きだからつけたコンビ名だっていうのを聞いたことがありますけど、それ自体もすごく度胸のいる命名だと思うんですよね。

三田:そうなんだ、「雨上がり決死隊」はRC(サクセション)だしね、お笑いにはニューウェーヴ文化が投影されてるんだね。

さやわか:この次はあれですよ、スーパー・エキセントリック・シアターにいくっていう方向もありますよ。お笑い要素をもっと強めていく(笑)。

三田:そっちに行くか。

――『増殖』におけるコント/芸人さんという軸にアニメ声優さんを対置させているわけですが、このあたりはどうでしょう?

三田:いや、うまいとしか言えない。詳しくないし。

さやわか:いや、うまいですよね。

吉村:テクニカルな問題としても、この男の声優さんもめちゃくちゃうまいし、伊武さんぽい。

さやわか:伊武さんぽい(笑)。それいいですね。しかし声優さんのレベルが高くなりつづけていますよね、昨今は。声優さんはいまや水樹奈々なんかでもそうですが、オリコンで1位を獲っちゃうわけですからね。そのへんのアイドルっ子とかより技量があったりするし、演技はうまいし、かわいかったりもするし、すごいですよね。

三田:さっき言った姪っ子たちも、ボカロの元ネタに興味を持つ子のほうは仮想現実系なんだけど、興味持たない子のほうは声優追っかけなの。

さやわか:ああー、リアルを追ってるわけですね。

三田:二次元だけでいいとは言うんだけどね。小学生の頃からAKBとかバカにしてて。

吉村:そういうYMO知らない人に聴いてみてほしいよね。その感想をききたい。

三田:その可能性はある作品ですよね。

さやわか:うん、いまそういうふうに動いているマーケットなので、そこがいいですよね。


橋下が初音ミクを好きかどうか問題

オリジナルの『増殖』が持っていた右傾化への批評という点について言えば、いまの文化というか、安倍政権的なものが持っているニュアンスに対して、こういう相対的な文化の楽しみ方がカウンターになっていってほしいかなとは思う。(三田)

安倍とか橋下とか石原とか経団連の米倉とか、初音ミクを嫌いだと思うんだ。本能的に嫌悪しそう。だからさ、あいつらの嫌いなことをやれば正しいんだ。(吉村)


さやわか:僕、初音ミクもので80年代とかのカヴァー・アルバムを作ること、あるいはおっさん世代がかつて好きだったような曲を初音ミクにやらせて、「いやー、これを初音ミクがやるなんて!」って言って盛り上がることなんかが、以前はあんまり好きではなかったんですよね。上から押しつける感というか、若い世代に対して「俺たちの与える豊かな音楽をお前ら聴けよ。初音ミクとか言ってるけど、これこそが音楽だよ!」みたいな意図も感じるので。でも、今年くらいからなのかな、市場が本当に大きくなって、そういうあり方が成立しなくなったと思うんですよ。YMOとか関係なくて、ただ素朴にブックレットについてるマンガを読んで「かわいー」って言ってるだけの人も普通にいられるような広さを得ましたね。まあ、薄まったというか、拡散したというか。

三田:それこそ正しい『VOW』の道ですよ。

さやわか:ああ、そうそう! それでいいと思うんですよ。『VOW』だけ読んでた人はべつに『宝島』という雑誌にどんな意味があったかなんて考えないわけで。その自由さがいいですね。一方で、うるさいおっさんもちゃんと包摂されるというか、排除されないところもいいなと思います。

吉村:どこまで遡るのかな。ニューウェーヴ、70年代歌謡とかまではあるとして、演歌とかあるのかな。

三田:演歌なんてありそうだけどね。

さやわか:あるでしょう。ニコ動にいけば、思いつくものは何でもあるという気がします。インターネットそのものくらいの感覚で「何でもある感」がありますね。初音ミクのあり方自体が、とりあえず音楽的には何をやってもいいというふうに許してくれているので。ただ、そのことによってエッジーな音楽表現が相対化されるようなところもあります。端的に言えばパンクとかメタルとかやってる人もいますけど、様式美が印象づけられるだけで、シリアスな攻撃性とか強度は全然ないんですよね。なくていいというか。

三田:まあ、僕は『けいおん!』の“4分33秒”(ジョン・ケージ)を観たときに、もう次は何もない! と思ったけどね。

さやわか:あはははは!

三田:あれは......じーっと聴いちゃったよー(笑)。

さやわか:そういうものも許されるけど、全部が相対化されたマップの上に置かれるから、体制的でない音楽をやりたい人たちにとってはやりにくい場所だと思うけど、その状況を楽しめる人にとってはいい。

三田:オリジナルの『増殖』が持っていた右傾化への批評という点について言えば、いまの文化というか、安倍政権的なものが持っているニュアンスに対して、こういう相対的な文化の楽しみ方がカウンターになっていってほしいかなとは思う。

さやわか:いや、ほんとそうですよね。僕も今日はそう思いましたよ。カウンターとして立つならそこしかあり得ないというか。

吉村:安倍とか橋下とか石原とか経団連の米倉とか、初音ミクを嫌いだと思うんだ。本能的に嫌悪しそう。だからさ、あいつらの嫌いなことをやれば正しいんだ。

さやわか:あははは!

三田:橋下はわかんないけどね。あの人のマネジメント・ポリティクスみたいなもので言うと、外貨を稼げそうなものは応援するような気もするけど。

さやわか:橋下が初音ミクを好きかどうか問題(笑)。

三田:いや、侮れないよ橋下は(笑)。でもそういう色気を見せる政治家が出てこないのは不思議だよね。ロンドン・オリンピックでさ、ダニー・ボイルがイギリスの労働者階級のカルチャーを引っぱってきてすごく評価されたわけでしょ。だけど、石原慎太郎がこれまでやってきたことを鑑みたときに、東京オリンピックで何ができるかと考えると、まずサブ・カルチャーは全部そっぽを向くよね。いったいどこのどんなアニメが彼に協力してやるんだって話ですよ。結果ものすごく伝統を強調したオリンピックになるでしょうね。ロンドンの真逆になるのは必定。そういうときに、どうしてこういうものを味方につけたほうが有利だって考える人がいないんだろうって、不思議なんだよね。麻生とか、まー、いたけど。

さやわか:それはね、実はまさに今日ここに来る前に歩きながら考えてたことなんですよ。単純に言えば、そうしたサブカルを支持する層の人たちが投票に行かないから、味方になる必要を感じないんだろうなって思います。ネットを見てても「若者が投票に行かないと、未来は大変なことになるよ」とは書いてあるわけじゃないですか。いま若者と呼べる人間の割合っていうのは日本の総人口のなかで30パーセント以下で、さらにそのなかの半数以下しか投票に行かないとなれば、もうマイノリティとして黙殺されることになりますよ、とか書いてある。あるいは投票者の平均年齢が50代半ばの人たちだから、その人たちに有利な社会になっちゃいますよ、みたいなね。
 でもこれからさらに高齢化が進んでいくんだったら、いちいち若者のためを考えずに世界が作られていってしまうのは当然だとも思うんですよ。もちろん、それはいいことじゃないんですが。そして考えたくないですが、いま若者に味方をしようとしているサブカル側の人も、もしかして年をとれば、自分たちより若い世代の人たちやそのカルチャーを軽視して、圧迫ようとするかもしれない。


メディアとしての初音ミク

初音ミクには、音楽を運んでくる運び屋みたいな側面があるわけですよね。「音楽を聴きたい」と思ったときに、とりあえず初音ミク関連のものならネット上にたくさんある。ニコニコ動画とかに行けば、それが人気順で出てきたりもする。(さやわか)


――一方で、在野のプロデューサーさんたちの音楽的な力量が、かなりハイ・クオリティな完成度を見せつつあるなかで、ふつうのJポップのようにボカロ作品が機能しはじめてもいると思うんですが、ポップスとして見たときにいかがですか?

さやわか:三田さんはどうですか? そもそもJポップとしてこういうものを聴いたりするんですか?

三田:うーん、聴くっちゃ聴くけど(笑)。姪の観てる横で、「ふーん」って。

さやわか:ははは。そうか、じゃあ音楽として評価するというところまでは全然いかないわけですね?

三田:モノサシがいっぱいあるからね。消費の仕方も一種類じゃないからなあ。

さやわか:今年なんかだと、ジョイサウンドのチャートの3位とかが初音ミクだったりするわけで。タダだからっていう事情もあるとは思いますけど、若い人のなかだとふつうのポップ・アーティストみたいな存在にもなってるわけですよね。初音ミクはキャラクターに過ぎないわけだからそれはおかしな話だと思うかも知れないけど、じつは言ってみれば音楽を運んでくる運び屋みたいな側面があるわけですよね。「音楽を聴きたい」と思ったときに、とりあえず初音ミク関連のものならネット上にたくさんある。ニコニコ動画とかに行けば、それが人気順で出てきたりもする。

三田:まあ、メディアってことだよね。初音ミク自体が。

さやわか:そうですね。まさに。

吉村:昔だったらJ-WAVEをかけとくところが、いまは初音ミクを追っていればなんとなくいまの音楽もわかるし、それぞれポップだし、仕事もはかどるし。

三田:ラジオとして使っていると。

吉村:ラジオであり、テレビであり。

三田:なんか、アンディ・ウォーホルの感想とかきいてみたいよね(笑)。でも、それは一方では閉じた部分でもあって、そこから出ていくことも大事だとは思うけどね。

さやわか:そう、だからカヴァー・アルバムをやるのは、そのための意味があるのかなと思いますね。言ってみれば、『増殖』というアルバムが、ここで再発見されてるわけじゃないですか。僕らには当然のものでも、いまの人や、僕らとは違っていた人々にとってみれば、こういう作品があったのかと知るきっかけになる。

吉村:そういえば、初音ミクって、まだWindows専用なんですか? 僕はWindows専用だってところがよかったんじゃないかなと思ったんですよね。最初からMacがあったら、もっとみんな小洒落たものを作ろうとして失敗したと思うんですよね。

一同:ああー(笑)。

さやわか:クリエイター志向なね(笑)。それはそうですよね。最近のニコ動的な環境を支えている人たちって、MacよりはWindows的な......なんだろう、大衆性があるというか。絵を描くのに使ってるソフトとかも、サイ(SAI)とかね。

吉村:なんか、Macユーザーだと、(スティーヴ・)ライヒのカヴァーとかさ。

一同:

三田:マリア・カラスを歌うとか。

さやわか:あははは!

吉村:自己満足で終わってしまうというか。

さやわか:昔から音楽創作系のコミュニティってネット上で何度も作られているんだけど、なぜそれがうまくいかないかというと、作り手の自己満足的になりがちだったからじゃないでしょうかね。それに対してなぜニコ動などが成功したかというと、ボカロを用いた表現のほうは、そのキャラをどう使うかということが先にあって、音楽性は後についてくる。音楽的には好きなことをやらせてもらって、要は初音ミクって人をタテとけばいいんでしょ? っていう部分があったと思うんですよね。そもそも、音楽より先にネタとしての消費をされたところがカギだったと思うんです。でも、それは必ずしも「作り手が前に出ない」ということをネガティヴに捉えるべき感覚ではないんですよ。そういうものだったから音楽が流通したんだと証言しているアーティストがいっぱいいます。

三田:やっぱり、だからメディアなんだってことだよね。

さやわか:そうですね。音楽だけやっているコミュニティはお互いの音楽を褒め合って終わりになってしまう。けれどニコ動の場合には初音ミクをどれだけうまく見せるかというので、ランキングの上位に行くためにみんな切磋琢磨すると。それをやりたくない人ももちろん一方にはいるわけだけど。

三田:ほんとに、YMO知らなくて、これを初めて聴いたという人のレヴューを読んでみたいよね。ヴィジュアルやらコンセプトやらいろいろあって。

さやわか:ひょっとしたらYMOとは坂本龍一が所属するグループだということを知らないで聴いている人もいるかもしれない。

吉村:坂本龍一という名前すら知らない人が聴いている可能性もある。

さやわか:「坂本って、反原発とかの人かー」みたいな(笑)。音楽が若者の第一の文化として出てこない時代ですし、坂本龍一を知らないことは十分にありえますね。

三田:よし、じゃ姪に聴かせてみる!

あらべぇ - ele-king

こんにちは。あらべぇです。
最近はあるコトで忙しくて活動していないのですが、そのコトが終わったら音に限らず映像作品やArt Bookなど、いろいろなモノに挑戦していきたいなと思っています。あとは、いろんな人といっしょに曲を作りたいです。Beatmakerの方など、よろしくお願いします。

https://soundcloud.com/ovovovvovo
https://twitter.com/ovolooowv
https://www.calmlamp.net/

これからの季節に自分がよく聴きそうだなーって感じの曲をチョイスしました。
というか、ただ単純にいま聴きたい曲です笑

いま聴きたい曲


1
Erik Satie / Nocturnes - 2.

2
Kazumasa Hashimoto / -1 degree

3
Frank Ocean / Thinkin Bout You

4
Underworld / Twist

5
坂本龍一 / To Stanford

6
RAJA / My Crosshairs

7
小林大吾 / 歩く Stray Sheep

8
環ROY / 蒼い日

9
KILLER BONG / The Cold In Moscow

10
PANAMA / Full of Nothing

会いに行ける〈raster-noton〉。 - ele-king

 Olaf Benderとともにドイツのエレクトロニック・ミュージック・レーベル〈raster-noton〉の共同設立者として知られるFrank Bretschneiderの来日ツアーが行われる。東京公演は落合soupの6周年記念イベントとともなっており、スタッフ諸氏にも熱が入る。

 新宿区の落合を拠点として東京のDIYスペースの中でも異彩を放つsoupは、これまでに5周年記念としてMika Vainio(ex-Pan sonic)を迎える他、Mark Fell (SND)の単独ソロ公演やMark McGuire (Emeralds)のアンコール公演&DJ、日本初の100% Silkレーベル・ナイト、Dustin Wongの100分間ノンストップ・ソロ公演等々、「銭湯下のDIYスペース」という特殊な場所性を彩ってきた。配管工事や内装、音響設計、現場の進行やPAにいたるまですべてをDIYに行っているばかりか、スタッフ全員がノー・ギャランティ(売り上げはすべてサウンド・システムや店舗工事に回しているとのこと!)でイヴェントに携わるといった驚くべきアティテュードで運営されている。それぞれにラーメン屋を、電気技師を、保育士をと別々の仕事に従事しながら、音楽を紐帯として結びつく彼らは、みな90年代後半から2000年代の〈raster-noton〉などウルトラ・ミニマリズムに強く影響を受けてきたといい、今回の招聘にいたった背景がほの見えてくる。

 ツアーにはFrank Bretschneiderによるプロデュースのもと〈raster-noton〉初の女性アーティストとして注目を集めるkyokaが全公演に帯同。公演によってはフランク自身によるレクチャーなども開催予定とのことで見逃せない。

https://ochiaisoup.tumblr.com/post/..

 追加のDJに関しては、お客さんにライヴに集中していただきたいということで公表はしない方針のようである。

Frank Bretschneider & kyoka Japan Tour 2012

カールステン・ニコライ(aka. Noto/Alva Noto)らと共にベルリンを拠点に活動する、raster-notonの共同設立者、フランク・ブレットシュナイダーが来日ツアーを行います。
演奏家/作曲家/映像作家であり、レーベルraster-notonの運営と並行してエレクトロニック・ミュージックの過激な還元化と、サウンドとヴィジュアルとの相互作用から生じる美学の最前線を切り拓いてきた彼は、90年代後半のウルトラ・ミニマリズムやサウンドアートを強力に牽引、現在に至るまで絶大な影響力を誇っています。

■2012.10.10 (Wed) at Sapporo Provo
Open/Start 20:00/20:30

Frank Bretschneider
kyoka
sofheso
jealousguy

DJ: Mitayo

https://d.hatena.ne.jp/meddle/20121010

■2012.10.12 (Fri) "時間の音楽" at Kanazawa beta lounge
START 23:00

Frank Bretschneider
kyoka
Riow Arai
Kyosuke Fujita
Susumu Kakuda

https://susumukakuda.tumblr.com/post/31120576060

■2012.10.12 (Fri) Frank Bretschneider 特別レクチャー
"音と映像との相互アクション" at Kanazawa NEW ACCIDENT

20:00-21:00

*20名の入場制限があります。当日はお早めにご来場ください。
https://susumukakuda.tumblr.com/post/31120371870/frank

■2012.10.14 (Sun) "patchware on demand
-shrine.jp 15th anniversary party-" at Kyoto Metro

Open/Start 18:00

guest live :
Frank Bretschneider (Komet, raster-noton)
Christopher Willits (12k, Ghostly International, Sub Rosa)
kyoka (raster-noton)

shrine.jp live :
Toru Yamanaka
Marihiko Hara
dagshenma(higuchi eitaro) + Ikeguchi Takayoshi
genseiichi
HIRAMATSU TOSHIYUKI
plan+e
(大堀秀一[armchair reflection]&荻野真也&糸魚健一[PsysEx]+古舘健[ekran])

act :
tsukasa (post or dry?)
tatsuya (night cruising)

https://www.metro.ne.jp/schedule/2012/10/14/index.html

more lectures to be announced.


*ライヴ公演は10/10(水)札幌Provo、10/12(金)金沢beta lounge、10/13(土)落合soup、10/14(日)京都Metroとなります。

■Frank Bretschneider

プロフィールはこちらから

■Kyoka (onpa/raster-noton)

2012年にドイツのraster-notonより、レーベル初の女性ソロアーティストとなる作品『iSH』をリリース。これまでに坂本龍一等とのStop Rokkasho 企画、及び、chain music、Nobuko HoriとのユニットGroopies、Minutemen/The Stoogesのマイク・ワットとのプロジェクト、onpa)))))レーベルから3枚のソロアルバムなど、ヨーロッパを中心に活躍してきたKyoka。
ポップと実験要素がカオティックに融合された大胆かつ繊細なサウンドは、これまでも世界の多くの人を魅了してきた。
2012年4月にはSonar Sound Tokyoに出演、6月にはパリのセレクトショップcoletteのコンピレーションに楽曲「ybeybe (ybayba editon)」を提供。現在、フルアルバム制作中。

「どういう音楽を聴いてきたら、こういうものを作る女性になっちゃうんだろう?」─坂本龍一─

12K Japan Tour 2012 - ele-king

 今年の春、グルーパーを迎えて文京区千駄木の「養源寺」でアンビエント/ドローンのイヴェントを開いたILLUHA(伊達伯欣+Corey Fuller)が、この秋、ふたたび最高のアンビエント・ミュージックを日本に紹介する......。
 クリスチャン・フェネスやアルヴァ・ノト以降のエクスペリメンタル/アンビエント・ミュージックのシーンにおける重要拠点のひとつ、ニューヨークの〈12K〉レーベルからそうそうたるメンツが来日する。レーベル主宰者のテイラー・デュプリー、フィールド・レコーディングや自作の楽器を操るマーカス・フィッシャー、坂本龍一とのコラボレーションでも知られるクリストファー・ウィリッツ、そしてロック・リスナーにはスローダイヴのメンバーとして知られる、サイモン・スコットなどなど。
 10月6日、長野県松本市からはじまる今回のツアーでは、京都「きんせ旅館」~六本木「Super Deluxe」と回って、最終日はまた「養源寺」。モスキート、サワコといった国際的に活躍するアーティストらがサポートして、青葉市子もテイラー・デュプリーと共演する。

 身体をリラックスして、高性能なサウンドシステムで体験するエクスペリメンタル/アンビエント/ミニマルは、本当に素晴らしいものです。こうした「平穏さ」や「静寂」を主題とする音楽は、その控えめさから、えてして軽く見られがちですが、爆音クラブとは正反対の迫力でもってしたたかに響きます。一流のアーティストたちが創造する「静寂」をこの機会にぜひ経験してください。音楽へのアプローチの多様性に驚、そして心地よい夢を見れることでしょう。詳しくはこちらを→https://www.kualauktable.com/event/12kJapan/12k2012.html

予約・詳細は
https://www.kualauktable.com/
にて。


10/6 長野 松本 hair salon 「群青」
Taylor Deupree+Marcus Fischer
Simon Scott、ILLUHA+Asuna
adv. 2500yen door 3000yen 学生2000円
(いずれも1ドリンク込み、限定50名)

10/7 京都 「きんせ旅館」
Taylor Deupree、Simon Scott、Marcus Fischer、ILLUHA
adv. 3000yen door 3500yen (限定60名)

10/10 六本木 Super Deluxe
Simon Scott、Christopher Willits、moskitoo、ILLUHA
adv. 3000yen door 3500yen

10/11 六本木 Super Deluxe
Taylor Deupree、Marcus Fischer、minamo、sawako
adv. 3000yen door 3500yen

10/13 文京区千駄木 「養源寺」
Taylor Deupree+青葉市子
Simon Scott+Marcus Fischer+伊達伯欣
Christopher Willits+Corey Fuller
sawako+青木隼人
adv. 3500yen door 4000yen(限定150名)



 さらにまた、ILLUHAは、「ヨガと音楽とマクロビ」なるドローン音楽のイヴェントをマンスリーで企画する。第一回目は、9月28日。「都会における都会に住むの人々のための企画として文京区にある静かなお寺、養源寺にて、瞑想をテーマとしたミニマル・ミュージックの生演奏のなか、ヨガをしてマクロビオティックに基づく食事をする」そうです。
 養源寺は、とても居心地の良いお寺です。興味がある人は試して間違いありませんよ!

9月29日(土) 文京区養源寺 「ヨガと音楽とマクロビと」
https://www.kualauktable.com/event/yoga01/yoga01.html

ヨガ(音楽の生演奏):90分2000円/回(食事別)各回限定25名(初心者歓迎!)
マクロビオティック:11:30~20:00
託児所:13時~20時 1500円/3時間 以降500円/時
ヨガマットレンタル:100円/枚 更衣室はあります。

第1回:14:00~15:30 Yoga:yoriko Music:Celer
第2回:16:00~17:30 Yoga:Yoriko Music:ChiheiHatakeyama

interview with Keigo Oyamada - ele-king

「『空中キャンプ』も『ファンタズマ』もすっかり過去のものになっていく。日本、終了」(大幅に中略)「音楽だけでなく、あらゆるジャンルで日本にはクリエイターが育たず、せっかくの文化的蓄積を食いつぶしてしまったのである。そして、いまはガラパゴスを決め込み、J・ポップを聴いていれば洋楽を聴く必要はないと開き直っている。......動物化とはよく言ったかもしれない(いいものだってある。でも、それが日本で人気を集められないことはさらに深刻な事態を意味していないだろうか)」
三田格、8月2日、イヴェイドのレヴューより

 そして『ファンタズマ』の作者は、9月5日に自ら手がけたリミックスを編集した『CM4』をリリースする。最初の『CM』がリリースされたのは1998年、UNKLE、マニー・マーク、バッファロー・ドーター、ザ・パステルズ、ザ・ハイ・ラマスを小山田圭吾がリミックスした音源が収録されている。『CM2』は2003年で、ブラー、ベック、クルーエル・グランドオーケストラ、ボニー・ピンク、電気グルーヴ、モビー、マニック・ストリート・プリーチャーズ、テイ・トウワ、ジ・アヴァランチーズ、スティングなど。『CM3』は2009年にリリースしている。スケッチ・ショー、坂も龍一、ジェームズ・ブラウン、クリスタル・ケイ、キング・オブ・コンヴィニエンス、ブロック・パーティ、電気グルーヴ+SDP……等々。『CM4』は、布袋寅泰、小野洋子、MGMT、相対性理論、ラリ・プナ、ビースティ-・ボーイズ、アート・リンゼー、マイア・ヒラサワ、イフ・バイ・イエス(ユカ・ホンダのユニット)、野宮真貴、三波春夫。コーネリアスらしい遊び心があって、工夫があって、可笑しくて、楽しいリミックス・アルバムである。
 『ファンタズマ』の作者は、FREE DOMMUNEでSalyu×Salyuのライヴに出て、翌日にはYMOのライヴ、そして数日後この取材に答えてくれた。

クラフトワークが日本語で「いますぐ止めろ」って言ってたのがけっこうびっくりした。すごいなと思って。あんなにクールな音楽じゃないですか。メッセージもすごいシンプルじゃないですか。それが日本語で。


CORNELIUS
CM4

ワーナー

Amazon

小山田くんさ、「ガラパゴス化現象」って知ってる?

小山田:あー……なんとなく。携帯とかそういうやつでしょ? ガラケー(ガラパゴス・ケータイ)とか。ガラケー知らないですか?

いや、それ知らない(笑)。

小山田:えー(笑)! インターナショナルじゃないってことでしょ? 日本で独自に進化したっていう……モードとかそういう、海外じゃ使えないっていう。

そうそうそうそう! まさにそう(笑)。いい面も悪い面もあるとい思うんだけど、すべて内需で成立してしまってる世界というか。音楽シーンは典型的なまでにそうですね。90年代は、『ファンタズマ』でも石野卓球でも、ピチカート・ファイヴでもボアダムスでも、国際社会へと開けていったじゃないですか。ところがここ数年のバンドは、まあ、ほとんどすべてが国内で完結してしまっているっていう。

小山田:どうなんですかねえ。90年代はやっぱそういうのあったんですよ。まだ音楽産業良かったし。日本もまだ大丈夫だったし。でもやっぱ、それ以降ね、音楽産業も世のなか的にも下向いてきたじゃないですか。なかなかそういうのが難しくなってきてるんじゃないですかね。

経済的な問題だけかね?

小山田:うーん……まあ、それもあると思いますけどね。それだけじゃないと思いますけど、でもそれ(経済)がけっこう大きな問題じゃないですかね。

貧して鈍するじゃないけど、貧して創造どころじゃないっていうこと?

小山田:うん……わかんないけどね。

やっぱ寂しさって感じない? なんか航路を作ったのに利用されなかったみたいな。

小山田:感じますね(笑)。思いっきり感じます。でもまあ、そうじゃなくやれてるんで、まあいいのかなあと。

だはは、自分は(笑)?

小山田:はははは。

国際的に開けていった連中に経済的なバックアップがあったわけでもないじゃん。むしろ、経済的なバックアップがありながら、成功しなかった人だって少なくなかったでしょ。経済力だけではないと思うけど。

小山田:そうでもないですかね。何なんでしょうね。でもやってるひとはたくさんいるでしょ、若いひとたちでたくさん。

エレクトロニック・ミュージックの世界ではけっこういるけれど、やっぱりポップ・フィールドではいないよね。

小山田:コーネリアスもポップ・フィールドかって言ったらどうなんだろうね。わかんないけど(笑)。

たとえば、最近コロンビアのラス・マラス・アミスタデスっていうポップス・バンドがロンドンの〈オネスト・ジョンズ〉からアルバムを出したのね。ちょっとヤング・マーブル・ジャイアンツみたいなんだけどさ。イギリスのメディアのレヴューで「スペイン語で歌っているポップスがアングロサクソン圏内の音楽シーンで支持されるには、よほど音楽が面白くなければ無理だ」っていうのがあって。日本の音楽文化もほんの10年前までそうだったはずなのに……。

小山田:なくなっちゃったのかな。

逆に誰か知ってたら教えてほしい(笑)。海外で知られることだけが音楽の価値じゃないんだけど。

小山田:そうですね、そう考えると。いるんですかね。

クール・ジャパン戦略みたいなものじゃなくてさ。

小山田:そうですよね。

そう、コーネリアスがアルバム出さなくなって、日本の音楽はますます危機に瀕しているんでしょう!

小山田:いやいやいやいや(笑)。そんなことないでしょ(笑)!

今回もこうやって、リミックス・アルバムで何とかその場をしのいでいくっていう(笑)。

小山田:はははは(笑)。いや、いろいろやってるってことをね、ちゃんとまとめようかなあと思って。

なるほど。リミックス・アルバムも4枚目じゃないですか。リミックスの依頼っていうのはどうなんですか? 小山田くんは依頼されるとほとんど引き受けるほう? それともけっこう選ぶほう?

小山田:リミックスは、最近はけっこう断ったりしてるよね。最近はいろいろ忙しかったりとか。ちょっとあんまり盛り上がらなかったりとか(笑)。

ああ、気持ち的に燃えてこないと。

小山田:うん(笑)。でも最近リミックス増えてきてるよね。ポツポツ来てるよね。一時期あんまなかったんだけど。

リミックス自体は好きなんだ、自分でも?

小山田:うん、まあ好きですよ。好きですね、どっちかって言うと(笑)。

リミックスを引き受けるか引き受けないかは、自分の音楽の好みで選ぶの? それとも別の理由?

小山田:いやまあ、トータル的な理由です。

好みじゃないけど、リミックスはやってみたいってことはあるの?

小山田:うん、ある。

たとえば今回のアルバムでは?

小山田:それはちょっと……(笑)。

ははははは(笑)。そんなこと言ったら友だちなくしそうだもんね(笑)。

小山田:それはちょっと(笑)。元曲がいい曲だからやりたいっていう場合と、これやったら面白いだろうなっていう場合と、まあ2種類ですよね。

まあそりゃそうだよね。

小山田:うん。

自分が手がけたリミックスをまとめたリミックス・アルバムが4枚というのは、多いほうだと思うんだけど、リミックスという作業には、その固有の上達とかあるの?

小山田:上達……なんか、あるかもね。

はははは(笑)。

小山田:良くなってるかっていうことよりも、時間が短くなったとか(笑)。早くできるようになったとか、そういう意味では上達なのかもしれないけど、作品のクオリティっていうか良さが昔に比べて上がったかっていうと……良かったり悪かったりするときもやっぱりあるし。昔のでもすごいいいのがあったりとか、自分的にね。最近でも「うーん」みたいなのもちょっとあったりとか。

「これはコーネリアスの作品だ」っていう気構えでやってるの?

小山田:うーん、まあ後でまとめることは一応考えてますけどね。全部が全部「コーネリアスだ」っていうわけではないんですよ。でもやっぱり並べると色が見えてくるじゃないですか。

見えてくるね。年々テクノっぽくなってる。

小山田:あ、そうですか。

うん。まあ当たり前なんだけど、打ち込みというか、エレクトロニック・ミュージックの要素が。

小山田:そうか……。

そうは思わない? アート・リンゼーのリミックスなんかもIDMっぽいし。

小山田:完全パソコンで作ってるんで、まあそういう意味ではそうなんですけど、鳴ってる音はけっこう生音を録って使ったりとかはしているので。電子音みたいなものが前面に出てるって感じてもなくて、普通にギター、ベース、ピアノとかドラムとか――ドラムも普通の生音っぽい音色(おんしょく)だったりとか。そういう意味ではテクノっぽくないのかな、っていう気もするんですけどね。

そうだね。野宮真貴さんのリミックスのように、アコースティックな綺麗な反響を活かしている曲もあるし……。全部パソコンでやるんですか?

小山田:いや、全部は全部ではないですけど、まあほとんどパソコンですね。パソコンと楽器ちょっと弾いたりとか。

PCを使うようになってから、やっぱり作業はやりやすくなった?

小山田:まあ、外のスタジオとか使わなくていい分、楽にはなりましたよ。でもやることは増えるから、そういう意味での労力は増えるけど。

最初のガラパゴスの話じゃないけど、今回のアルバムがいままででいちばん日本人が多いじゃないですか!

小山田:そうですね。日本人いままでそんなになかったっけ?

これまではスケッチ・ショウとかさ、電気グルーヴとかさ。

小山田:たしかに。今回は三波春夫まで入ってるから(笑)。日本色強いね。

これはいまのシーンを反映してるんでしょうかね?

小山田:そうなんですかねえ。シーン……。

今回の『CM4』は『CM3』を発表したあとのリミックスってことでしょ?

小山田:基本そうです。アート・リンゼイだけちょっと前なのかな。

でも『CM3』ってそんなに昔じゃないよね?

小山田:そう、3年ぐらい前。

だから多くの曲がここ2年ぐらいのものなんだよね。

小山田:そうですね。

この三波春夫の“赤とんぼ”を最後に持ってきたっていうのはなんで?

小山田:いや、ここしか置くところが思いつかなかったんで……(笑)。

さすがに1曲目から“赤とんぼ”は変化球過ぎるらね(笑)。これはどういう企画だったの?

小山田:これはね、坂本龍一さんのレーベルで『にほんのうた』っていうコンピレーションがあって、唱歌とかそういうものを現代のひとたちでもういっかいやってみようっていう企画でやったんですけど。三波先生はこれはもともとライヴ・テイクで、ロサンゼルスかどこかの公演で歌っていたマルチが残ってて、そこから歌だけ出してきてパーツを付け直したみたいな。

10年前ならやらなかったであろうことをやる年齢になったんだね(笑)。

小山田:そう、できる年齢に(笑)。10年前とかだったらたぶんできなかったと思う。

依頼された曲のなかで、一番好きな曲だったら言える?

小山田:リミックスとして? “赤とんぼ”はけっこう(笑)。食い合わせがたぶん想像できないと思うんだけど、意外に食ってみたらうまかったみたいな感じ(笑)。

MGMTていうのはわかりやすいっていうか、コーネリアスが好きそうな感じがするね。

小山田:あとヨーコさんは別ですね。これはいちおうコーネリアス・ミックスってなってるんですけど、プラスティック・オノ・バンドのセッションを僕が最終的に全部まとめたって感じなんで。これもすごく印象に残ってますね。一緒にやったんで。

小野洋子さんの曲では、ダンス・ミュージックへのアプローチをやっているけど、ラリ・プナはアンビエントなフィーリングが展開されています。これも今作のなかのベストな1曲ですよね。

小山田:ラリ・プナもけっこう気に入ってます、これ。リズムまったくなくて。あんまりそういうの作ったことないから。

これはいつやったんですか?

小山田:1年か1年半ぐらい前かな。

マイア・ヒラサワさんって方は僕存じてなかったんですけど、このひとはスウェーデンなの?

小山田:スウェーデン人と日本人のハーフで、けっこうCMとかでやってる。で、向こうですごく人気があるみたいで。ちょっとビョークに声が似てて。音はタンバリンスタジオみたいな感じのスウェディッシュ・ポップみたいな。

たしかにビョークっぽい。魅力的な良い声ですね。あと、ビースティー・ボーイズのリミックスもやっていたんだね。マシナリーなファンクというか、これはコーネリアスらしい音の遊びがあるっていうか。

小山田:ビースティーはね、ちょうど『センシュアス』のときにパリでライヴがあって、コーネリアスでオープニング・アクトをやったんですよ。たぶんそのときに観て気に入ってくれたのかな。そのすぐ後ぐらいに依頼が来て。

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『CM3』はけっこう偏執狂的に音をほんとに少なくしよう見たいな感じでストイックさがすごく強かったような気がするんだけど。ちょっと肩の力が抜けて遊びが入ってきてるなって気がしますね。


CORNELIUS
CM4

ワーナー

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相対性理論をコーネリアスがやるっていうのはよくわかる気がするんですけどね。

小山田:ふーん……そうなんだ。

ある意味では、遠い存在ではないでしょ。このなかでは。

小山田:まあそうだね。このあいだ一緒にやったりしたし。ヴァセリンズと一緒と時に。話しやすいね(笑)。普通に話せる感じ。

布袋寅泰を1曲目に持ってきたっていうのはすごいね。

小山田:あ、そうですか。

自分でどうですか、今回の『CM4』を通して聴いてみて。

小山田:うーん……『CM3』はけっこう偏執狂的に音をほんとに少なくしよう見たいな感じでストイックさがすごく強かったような気がするんだけど。ちょっと肩の力が抜けて遊びが入ってきてるなって気がしますね。

はははは。でも最後にオリジナル・アルバムを出してから早6年ですよね。

小山田:あ、もうそんなんですか。6年経ってる? ほんとに?

クラフトワークは、『ポイント』のときはヒントになったって言ってたけど、ほんとにクラフトワークになりつつあるんじゃないかと。

小山田:そうだね。6年?

だからいまほとんど『エレクトリック・カフェ』を出した頃のクラフトワーク(笑)。

小山田:はははは。

そして『ザ・ミックス』が出て(笑)。

小山田:『ザ・ミックス』でお茶を濁すっていう(笑)。

じゃあ、次は“EXPO”だね(笑)。

小山田:“EXPO 2000”(笑)。

いや、“EXPO 3000”。もうみんな死んでるって。そういえば最近はYMOに加わって、ほとんどメンバーになって活動してるそうじゃないですか。

小山田:DOMMUNEの次の日がワールド・ハピネスっていうYMOのイベントがあって。でもここ4、5年ぐらいやってるよね。

「NO NUKES」に出演したじゃない? 

小山田:やろうかなと。クラフトワークも出るし。

なるほど。

小山田:あれけっこう衝撃的でしたよ。いきなり日本語で来たから。“放射能(Radio-Activity)”を1曲目でやって、いきなり日本語で歌い出して。あれは衝撃でした。

小山田くんがポリティカルな場所でライヴをやるって初めてじゃない?

小山田:いや、そんなことないですよ。うちのバンドのベースのシミーってひとがいるんですけど。彼がスーデラでけっこう福島の子たちにお金集めるイヴェントとかやってて。それとかはけっこういつも出てるよね。

今回はそういうチャリティではなく、やっぱ政治的主張が目的だったわけじゃない?

小山田:まあ脱原発ですよね。

原発問題に関する小山田くんの考えを聞かせてもらっていいかな? いろんな次元での考えがあると思うけど。

小山田:ないほうがいい、っていう。単純に怖いなっていう。

いままでそういうことあまり言わないひとだったじゃない。

小山田:そうですね、あまり言わなかったかもしれないですね。いきなり言うことではないと思うし。

変な話、どちらかと言うとコーネリアスは政治とかね、そういうところから180度離れたところにいるようなところがあったじゃない、敢えて。

小山田:だから、そういう(政治的な)ところにはいたくないですよ、ほんとに。でも、脱原発じゃないひとっているんですか?

それはいるでしょうね。科学者のなかにだって。

小山田:まあいろいろじゃないですか。まあ、「いますぐ止めろ」とは……クラフトワークが言ってたけど。

日本語で?

小山田:そう、日本語で(笑)。

それは素晴らしいですね(笑)。

小山田:すごいなと思って。あんなにクールな音楽じゃないですか。メッセージもすごいシンプルじゃないですか。「いますぐ止めろ」って言ってたのがけっこうびっくりした。

それにクラフトワークが言うと何か違う説得力を感じるね。

小山田:だってわざわざ日本語ヴァージョン作ってきたんだよ、クラフトワーク。それで映像もちゃんと日本語訳で、エコノミー・クラスで来たって言ってたから。ちょっと泣けるよね。

たしかに。日本人も英語で歌っている場合じゃないね。ところで、コーネリアスのほうはどうなってるの?

小山田:ちょっと進行してたんですよ、実は。でもいま止まっちゃってて(笑)。

止まってるあいだにスタジオも引っ越して?

小山田:そうですね、まあ引っ越してからちょっと作業してて。で、夏ちょっとライヴだったり。明日からちょっと夏休みだったり(笑)。

自分の夏休み(笑)。コーネリアスの新作っていうのはそんなに容易く作れるとはまわりの人間も思ってはいないだろうけど、自分自身のなかでも今回はとくに大変なの?

小山田:どうなんですかね。大変っていうか、作業的には一緒ですけどね、こういうのと。

あ、リミックスと(笑)? それはウソでしょ(笑)。

小山田:いや作業的にはね(笑)。

作業的にはね。

小山田:精神的にはやっぱちょっと違うけど。ちょっとこの間やりはじめて、「あ、ちょっとエンジンかかったな」と思ったら止まっちゃって。でもまあのんびりやろうかなと。いろいろやりつつ。

いいですね、ほんとクラフトワークみたいで(笑)。やっぱり『ポイント』や『センシュアス』を超えなきゃいけないっていう思いはあるの? 

小山田:超える?

そう、より高次元へと飛躍する(笑)。

小山田:まあそれは自然になるんじゃないかなっていう感じですよね。

ほお、さすがだね。

小山田:(笑)いや、わかんないですけど。6年前とは細胞もやっぱ入れ替わってるし。

新しい自分がここにいるぞと。

小山田:ふふふ(笑)。

そういえば、前に話したときはダーティ・プロジェクターズがいいとか言ってたよね。最近いいなと思った音楽とかある?

小山田:最近はベンチャーズずっと聴いてる(笑)。

何で(笑)?

小山田:ベンチャーズ・ブームが到来で。あの、せたがや区民まつりっていうお祭を馬事公苑でやってるんですけど、今年ベンチャーズが来たんですよ。

ほお。

小山田:それでベンチャーズ観に行って。それでベンチャーズ熱が急激に高まって、ずっと聴いてましたね。

はははは!

小山田:はははは。

その、再発見した部分っていうのは?

小山田:いやもう、カッコいいですね、やっぱ。

もうクラフトワークみたいな普遍的なものとして。

小山田:そうですね。クラフトワークにちょっと近いかも。まあYMOに近いなと思ったんですよ。

ほお。

小山田:いや、メロディを何か楽器が単音で弾いてるインストゥルメンタル・ミュージックで。で、エキゾチックだったり、音響的なものだったり、そういうのもあって。クラフトワークとベンチャーズと、あとジョルジオ・モロダーとか足すと、初期のYMOになる感じがする。

ああ、なるほどね。

小山田:(YMOの)“コズミック・サーフィン”とかやっぱベンチャーズだし。幸宏さんも細野さんも、最初やっぱベンチャーズではじめたって言ってたんですよね。ギターも、ドラムもベンチャーズで。それでベンチャーズ熱がすごい高まっちゃって。全然最近の音楽じゃないけどね。
 とにかく、まあちょっとCD買ったりとか、ダウンロードしたりとか。日本公演がいいですね。64年か65年に日本に来たときに、映画があるんですよ。で、大橋巨泉がナレーションやってて。昭和30年代の風俗みたいなものもすごく入ってて。ほんとにめちゃくちゃ人気あったんですよ、日本で。多分ビートルズ以前は、ベンチャーズがいちばん人気あったロック・バンドですよね。ビートルズよりも人気あったぐらい国民的な存在だったんじゃないですかね。毎年3ヶ月日本ツアーやってますよ。で、1月と7、8、9と年2回来るっていうのを50年間やってるっていう(笑)。

どれだけ日本人に愛されたかってことだよね。

小山田:で、僕ら日本のバンドでも行ったことないような、ほんと地方の公民館のホールとかでも、1000人とか2000人とか必ず入るんだって。

それ馬事公苑でやってたんだ。

小山田:そう、タダで(笑)。

それ何歳ぐらいになってるの?

小山田:えっとね、リーダーのひとがドン・ウィルソンってひとなんですけど、79歳。来年80で、ヨーコさんと同い年。

すごいパワフルだね-。

小山田:で、オリジナル・メンバーはいまそのひとしかいないんですよ。で、全盛期のノーキー・エドワーズってひとは1月しか来ない。夏はほかで営業してるらしいです。で、ドン・ウィルソンってひとが、あの「テケテケテケテケ」をやるひとで、サイド・ギターなんですよ。ずっとリズムを刻んでて、そのひとがリーダー。

新しい音楽は全然聴いてないの?

小山田:うーん……まあ何となくユーチューブで見たりしてるけど、CDは買ってないかなあ。

ほお、ついに小山田圭吾までもが。

小山田:まあダウンロードはちょこちょこしてるかな。

何か気になったのとかいない?

小山田:何かあったかな、ぱっと思いつかないな。何だろう。あ、オン・ザ・ゴーって知ってる? オン・ザ・ゴーっていうロシアのバンド。ロシアの若い子たちで、けっこうカッコ良かった。ロシアでこれはいままでちょっとないなっていう。普通にヨーロッパのバンドっぽいんだけど。まあ変なんだけど。ロシアこれからいろいろ出てきそうかなと。

まあプッシー・ライオットがね。

小山田:プッシー・ライオット知らない。

ええ、プッシー・ライオット有名だよ。それこそロシアのさ、ライオット・ガールズで、メンバーも逮捕されて。それを「釈放しろ」って言って、それこそいろんなミュージシャンが呼びかけてるぐらいの。

小山田:へえー。

じゃあ日本のアーティストで気に入ってるのはいる?

小山田:青葉市子ちゃん。

彼女いいよね。ギターが上手いし。

小山田:歌も良いね。そういえば、今年はまたプラスティック・オノ・バンドのレコーディングが入ってて。それでまたニューヨーク行ったりとかしなきゃいけなくて。

ほお。そうやってコーネリアスが延びてくわけだ(笑)。

小山田:そうなんですよ(笑)。ヨーコさん来年80なんです。やる気満々らしくて、もう「いますぐやりたい」みたいな感じらしいです(笑)。

わかりました。とりあえずは『CM4』を楽しみたいと思います!

 1992年のバルセロナ・オリンピック開会式で、歌うはずだったフレディ・マーキュリーがエイズで死去したために歌えなかった悲しい話は有名です。しかし、1999年にマンチェスターのIDMプロジェクト、モスリムガーゼの「イラン女子卓球チームのテーマ(Iranian Female Olympic Table Tennis Team Theme)」のリリースはあまり知られていません。彼らはイランの女子卓球チームが国の服装規制で出場できないことに抗議したのです。

 というわけで、ロンドン・オリンピックがはじまりました。男子日本サッカーは、大方の予想を覆して、必ずしも強い者が勝つわけではないことを証明しました。土曜日には柔道もはじまります。寝不足の日々が続きそうです。
 そして、ご存じのように、今回の開会式は、ダニー・ボイルとアンダーワールドがタッグを組んで、ポール・マッカートニーが"ヘイ・ジュード"を歌います。少し危険なコンビです。どうか失望させないことを祈るばかりです。セックス・ピストルズ(あるいはアークティック・モンキーズやローリング・ストーンズ)などの噂もありますが、どうなんでしょうね? さすがに女王を前に「ファシスト体制(fascist regime)」とは歌えないだろうと大方は予想していますが......。
 オリンピック開幕前の26日のハイドパークではディジー・ラスカルをトリにしたフェスティヴァルが開かれて、6万5千人が集まったと言います。閉会式には、ニュー・オーダーやスペシャルズ、ブラーが出てくるとも言われています。オリンピックと音楽はつねにセットです。ヴァンゲリスやクインシー・ジョーンズやジョルジオ・モロダーもオリンピックのために曲を作っています。今回のどこかの会場でウォッシュト・アウトやボン・イヴェールが流れても不思議ではないと『ガーディアン』は言います(あんな音楽が流れたら、まず記録は更新されないでしょう)。

 ジョン・ウィリアムスはロサンジェルス・オリンピックやアトランタ・オリンピックに楽曲を提供しました。フィリップ・グラスもロサンジェルス・オリンピックのテーマ曲を書いています。バルセロナ・オリンピックでは坂本龍一が登場しました。8年前のアテネ・オリンピック開会式ではビョークが歌いました。4年前の北京オリンピック閉会式ではジミー・ペイジがギターを弾きました。果たして今回の音楽はどうでしょう? 音楽にも注目しつつ、世界のスポーツを楽しみましょう(そしてイラン女性卓球にも注目しましょう)。

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