「S.L.A.C.K.」と一致するもの

読者へ - ele-king

 前略。
 被災地の方々のことを思うと言葉が出ませんが、地震の被害がこれ以上広がらないことを祈念するのみです。まだまだ予断を許さない状況が続いています。この先を思えば不安を拭いさることができないのが正直なところです。それでも僕たちはいま生きているのですから、前を向きましょう。あくまでも慎重に。そして、ひとり暮らしの音楽好きも多いと思いますが、助け合いましょう。とにかく......、くれぐれも気をつけて。希望を忘れずに!
 
 本日の月曜日、いつものようにreviewをupします。今週upするすべてのreviewは3月11日よりも前に書かれたものです。

 良い曲を見つけました。
 これはたぶん日曜日にupされた曲です。
 But This is Way / S.l.a.c.k. TAMU PUNPEE 仙人掌

 
 さらにこんな曲もありました。
 PRAY FOR JAPAN / HAIIRO DE ROSSI Track by EeMu ~ ONE / Aporia


S.L.A.C.K. - ele-king

 インディ・ロックという言葉にならって、欧米ではこの1~2年でインディ・ヒップホップという言葉がよく使われるようになった。巨大娯楽産業と化したヒップホップやお馴染みのギャングスタ・ラップに対抗するカタチで、1990年代以降に登場した〈ソウルサイズ〉や〈ディフィニティヴ・ジャックス〉、〈ロウカス〉や〈ストーンズ・スロウ〉......DJシャドウ、ブラッカリシャス、MFドゥーム、フリースタイル・フェローシップ、マッドリブ、あるいはデンジャー・マウス......などなどをインディ・ヒップホップと呼んでいる。それにならえば、日本のインディ・ヒップホップはブルー・ハーブとシンゴ02によって本格的にはじまったと言えるだろう。その後も数々のユニークなアクトが出てきて(中略)......。そしてスラックは、その最前線にいるひとりである......などという白々しい書き出しが心底バカバカしくなる。そんな愛らしいアルバム『我時想う愛』だ。

 ラップにおいて、いまにもスピーカーからツバが飛んできそうな、やたら滑舌の良いフローというのが主流にあるけれど、スラックのそれはむしろ逆、舌足らずの発音を活かした独特のフローを見せる。滑舌の良さとは言葉を正確に伝えたい、韻(ライム)を聴いて欲しいという強い気持ちから来るのだろうけれど、そう考えるとスラックは、正確に伝わらなくてもそれは大した問題ではない、むしろ言葉の押しつけがましさを忌避したいとでも言わんばかり。『我時想う愛』は例によって歌詞カードはない......いや、それどころか曲名のクレジットすらない。表1のアートワークすらない。実に愛想のないパッケージだが、大袈裟な態度を好まないスラックらしい出し方だと言える。
 そしてCDはこうしてはじまる。「あーあー、マイクチェック、マイクチェック、これはスラックのCD。キーワードは......なんだろう......」、彼は自嘲気味に笑う。そしてつぶやく。「まあ、いつも通りか、"テキトー"」
 "テキトー"という言葉を敢えて口にするのはデビュー・アルバム『My Space』以来のことで、『我時想う愛』はいまのところもっとも多くの人に好かれている『My Space』の日常感覚をもった作品だと言える。あるいは、ひと言で言えば『我時想う愛』はメロウでソウルフルなアルバムだ。スラム・ヴィレッジの『ファンタスティックvol.2』のように。
 そしてこれは、RCサクセションの『シングルマン』めいた叙情をもったアルバムで、そういう意味では七尾旅人の昨年のアルバムとも決して遠くはない。ある種のボヘミアニズムが描かれているのだ。彼がいう"テキトー"とはまさにそれのことで、生き方があらかじめきっちり決められたこの疲れる社会で、しかしなるべく多様に生きること――だと言い換えることができる。スラックにしても、あるいはSFPのような連中にしても、とにかく生き方の多様性を阻む力に抵抗しているように思える。東京という都市にはとくに、テキトーな人たちを許さない冷酷さがある。正社員になるしか生活がないように思わせている。彼らが経済活動(ビジネス)に関してどこか無頓着なのも、そこに起因しているとしか思えない。話を戻そう。

 1曲の"But Love"は心地よく沈んでいくような、メランコリックなラヴァーズ・ラップ。最初のスネアの入り方からして格好いい。そして洒落たピアノをバックにPSGのメンバーのひとり、ガッパーが共演する"Noon Light"が続く。問題は3曲目の"東京23時"だ。シーダとコージョーが参加したこの曲のセンチメンタリズムは、アルバムにおいて際だっている。夜の11時の荒涼とした東京を目の当たりにしたときのあらゆる感情が頭をめぐる。魅力あるラッパーたちによるこの強力な曲を聴いてしまうと、その余韻すらも惜しくて、それに続く内省的な"いつも想う"がなかなか耳に入ってこない。それほど"東京23時"にはずばぬけたものがある。
 ブダマンキーがトラックを提供した"Come Inside"では日々の不安と恋の喜びを、ダウン・ノース・キャンプのタムが参加した"We Need Love"では彼らなりの表現で愛を賞揚する。ワッターによるイルなトラックの"タワ言"では仲間への言葉を綴り、ヤヒコが参加した"方の風"では夏の日の気怠い愛の時間を描写する。
 イスギのラップをフィーチャーした"My Hood My Home"からアルバムはゆっくりとアップリフティングする。スウィート・ソウルの"Can Take It"は歌詞の内容的にはRCサクセションの"ぼくとあの娘"、スカッシュ・スクワッドが参加した"何もない日に"は、その題名が物語るように彼らのボヘミアニズムが謳われている。それは『我時想う愛』においてもっとも美しい曲かもしれない。そしてクローザー・トラックの"Had Better Do"は不吉な響きを擁しながら、中途半端に、実にあっけなく、尻切れトンボのように、フェイドアウトする......。その肩すかしなエンディングは『我時想う愛』への評価をぼやけたものにするかもしれない。しかし、これは間違いなくマスターピースだ。格好の付け方をわきまえたエレガントな音楽で、ある意味ディアンジェロのように、そしてハートのこもった美しい作品だと思う。

interview with The Streets - ele-king

「そして俺達は火を点け/俺は道を逸れる/騒がしく響くコオロギたちの歌声/ビスケットのパックがひとつ/すごい速さで鳴る大きなリフ/レモンみたくでっかいマリファナ煙草がひとつ/君の車のルーフの上に転がって/はじまりまで行けそうさ」"ルーフ・オブ・ユア・カー"


The Streets
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 ザ・ストリーツの新しい作品は、それが最後のアルバムであるというのに湿っぽさがない。失意があっても悲しみだけに支配されない。泣きがあっても同じ言葉のなかに笑いがある。笑われてナンボ、それが英国式というヤツなのだ。そしてブルースと演歌は違う。ブルースは乾いている。泣きながらどこかで笑っている。たとえ事態が深刻であっても。

 ザ・ストリーツを知らないわが国のBボーイに、彼がナズとレイクォンに触発されたラッパーであるという話だけしたら、どんな音楽を想像するのだろう。誰もがゲットー・リアリティを描くハードボイルドなラッパーを思い浮かべるとは限らないが、ガールハントした翌朝の二日酔いの苦悩についてラップしているとは思わないだろう。そして、彼こそがUKにおいて初めて全国的に認知されたラッパーであると言ったら、何を想うのだろう。USラップのケツを追いかけることなくバーミンガム訛りの英語でラップして、UK流のトラック(UKガラージ等々)を使って、そして週末と平日の"飲み"の違いについてラップしているなどとは思わないのではないだろうか。そしてまさかそれが、言葉に詰まったゼロ年代のポップにおいて重要な突破口になったとは......。
 何度も書いていることだけれど、ゼロ年代に重要な曲をひとつ選べと言われたら、僕は迷わず彼のデビュー曲を挙げる。

「リラックスしてくれよ/ここには酒もあるし、自家製のハッパもある/椅子に座って電話を切りな/ここが俺たちの場所だから/ヴィデオ、テレビ、ニンテンドー64、プレイステーション/ヘンリーを正確に計って、マリファナと煙草を少々/リズラを忘れるな/これが俺たちのやり方/これが野郎どものやり方......(略)/クソを片付けてハッパを捲け/セックス・ドラッグ・失業保険/昇るヤツもいれば落ちるヤツもいる......(略)光のなかで目が見えない/目が眩むほどの新しい高さ(ハイ)だ/ハイにしてくれ/まばゆ光でもって目が眩むほどの新しい高さへ」"ハズ・イット・カム・トゥ・ディス?"

 彼が最初に描いたのは、国や社会からたいして期待されていない若者たちの、気晴らしに明け暮れる日常だった。思い詰めるわけではなく、幸福に微笑んでいるわけでもない。楽天的になっているわけでもないし、悲観しているわけでもない。さまざまなアンビヴァレンスが複雑に絡み合った、そして実に非生産的な日常をザ・ストリーツはずいぶんと魅力的に、しかも可笑しく描いた。9.11直後の世界が騒然としているなかで、こともあろうか「リズラを忘れるな」とは......。リズラの扱いのうまい連中が正しいとは言っていないが、そこには優しい愛情があった。そう、『モア・スペシャルズ』やザ・クラッシュの"しくじるなよルーディー"のように。ちなみに『ガーディアン』は、アルバム・オブ・ザ・ディケイドの1位を2002年の3月に発表されたそのアルバム、『オリジナル・パイレート・マテリアル』としている。

 ザ・ストリーツはしかし、当時も、そして今日でも最大級に評価されている『オリジナル・パイレート・マテリアル』と同じコンセプト――つまりダメな若者たちの日常描写――を繰り返さなかった。2004年にリリースされた『ア・グランド・ドント・カム・フォー・フリー(消えた1000ポンド)』では寓話を用いて、時代の変節について語った。それは脳天気にはじまってペシミスティックに終わる物語で、本国ではお堅い英文学者までもが手を叩いた。2006年の3枚目のアルバム『ザ・ハーデスト・ウェイ・トゥ・メイク・アン・イージー・リヴィング(気楽な生活を送るためのもっとも難しい方法)』では自分の芸能生活の堕落ぶりを自虐的に描いた。2008年に発表された4枚目の『エヴリシング・イズ・ボロウド』では愛や精神や地球についてラップした。
 『コンピューターズ・アンド・ブルース』と題された5枚目が、この度リリースされる最後のアルバムだ。タイトルとアートワークが象徴するように、それはわれわれの生活を激変させたデジタル文化を主題としている。
 "OMG"にはフェイスブックを通じて恋人の行動にどきまぎする主人公が登場する。"パズルド・バイ・ピープル"では日常生活にまで入り込んだグーグル検索の徒労感を描いている。"ブリップ・オン・ア・スクリーン"ではパソコン画面への過信にも言及している。「俺は準備を整えプランも立てる/でもこれって本当にいかれてるよ/もう君を愛してるなんて/だって君はまだスキャン映像に映った100ピクセルの画像に過ぎないんだから」
 倦怠期のカップルには耳が痛い"ウィ・ネヴァー・ビー・フレンズ"なんていう曲もある。「いい友だちなんかにはなれない俺たち/いっぽうは一緒に居続けたいと願い/もういっぽうは終わりにしたいと思ってる/俺たちいい友だちにはなれないよ/お互いのために無理はやめよう」
 こうした彼が得意とする風刺もさることながら、『コンピューターズ・アンド・ブルース』におけるもうひとつの魅力は、いままで封印してきた『オリジナル・パイレート・マテリアル』的な描写の数々である。最後の最後で自分がもといた場所に戻って来るというのはある意味クリシェかもしれないけれど、この文章の冒頭にリリックを引用した、オートチューンによるヴォーカルを活かしたR&Bナンバー"ルーフ・オブ・ユア・カー"がそうであるように、あの感覚をもってザ・ストリーツは、しかし今度は前向きさを打ち出している。ファンク・ビートが脈打つ"トラスト・ミー"もそうだ。「ダブステップ/クラブで流される汗/ベタベタ汗だくになろう/プレイリストをプレイしろ/(略)男どもは悪いことをしでかせばいい/それでいい/けしかけろ/退屈そして喧嘩を/すべての石油/それに伴うきつい労働/甘やかされた王室連中/俺たちは無に等しい/ナイスな連中じゃなければ俺たち咳き込んでる/俺たちが賢い連中ならマリファナ煙草みたいに俺を巻いてくれ/どうでもいい/俺をくるくる巻いてくれ/俺を信じてくれ」
 アップリフティングなダンスの"ウィズアウト・シンキング"もまた、気持ち前に出している曲だ。「瞬きすら惜しんで俺は外に出る/瞬きひとつせずに/何ひとつ考えず街に繰り出し/酒を前に叫ぶんだ」

 音楽的にも多彩な内容だ。ロック・ラップの"ゴーイング・スルー・ヘル"、UKファンキー調の"ゾーズ・ザット・ドント・ノー"、ソウルフルな"ソルジャー"、あるいはミニマル・テクノの"アウトサイド・インサイド"やジャジーな"ロック・ザ・ロックス"......。ストーンズ・スロウやジェイ・ディラのコピーにはない、ロンドンの街の匂いが漂ってくる。
 もっとも嬉しいのは、彼が最後の最後までユーモアを貫いたこと、お涙頂戴のメロドラマとはまた別の、あの乾いた感覚で笑わせてくれること、リアリズムを追求しながらその深刻さに拘束されなかったことだ。前作において、高まる環境問題のなか「地球も大変だけど人間はもっと大変だ」とラップしたように、彼は最後までヒューマニズムの姿勢を崩さなかった。「何ひとつ考えず街に繰り出し、酒を前に叫ぼう」、そんなことを言うと二木信のようで嫌な気持ちになるが、ときとしてそれが重要なことだったりもする。それは低俗な言葉に思えるかもしれないが、僕たちはそうした言葉のさらに奥にある言葉を読むことができる。非生産的な日常のなかのかけがえのないうずきという意味においては、僕は、RCサクセションの『楽しい夕に』と同じレヴェルで『オリジナル・パイレート・マテリアル』を聴いていたのだから(そして、あるいはS.L.A.C.K.の『My Space』も......)。
 ともあれ、『コンピューターズ・アンド・ブルース』は素晴らしいアルバムだ。以下は、ザ・ストリーツとしてのマイク・スキナーへの最後のインタヴューである。

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最初の頃に作った曲はあまりにもコンピュータばかりで、人間について語っていなかった。だから、ここにある曲のほとんどは、人間が真っ先に注目を浴びるべきだという考えで作られたんだ。


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5作目となる『コンピューターズ・アンド・ブルース』でザ・ストリーツは終わるわけですが、いつ、なにをもって今作で終わりにしようと思ったのでしょうか?

スキナー:もともとワーナーとの契約がアルバム5枚だったから、こうするのが簡単だと思っていた。それに時期的にもこうするのが自然な気がしたんだ。

ザ・ストリーツをいつまでも続けるべきではないと思った理由をあらためて教えてください。それはあなたの美学や流儀ですか、あるいはザ・ストリーツではやることをやったという意味なんでしょうか?

スキナー:ザ・ストリーツでやれることは全部やってしまった気がする。音楽をやりはじめた頃は、プロデューサーになりたいと思っていたし、それにどこかで辞めなければ、この先何年もステージの上で叫び続けてることになるからね。

『コンピューターズ・アンド・ブルース』は、ザ・ストリーツの10年の歴史に終止符を打つべき特別な作品なわけですが、最後のアルバ ムだと言うことで、どんなプレッシャーがありましたか?

スキナー:他のアルバムに比べて、今作のプレッシャーは少なかったと思う。昔はアルバムごとに何か新しいことをやろうとして、自分にものすごくプレッシャーを掛けていたけど、今回は少しリラックスして、良い曲を作ることだけに集中しようとしたんだよ。

『コンピューターズ・アンド・ブルース』は、もちろんわれわれの生活を 著しく変えたデジタル文化をテーマにしているんですよね? 最初の曲、"アウトサイド・インサイド"における「世界はこの外に存在する/でも内側にいればあったかく堅苦しさもない/外は荒れ模様/内は平常(the world is outside but inside warm inside informal outside stormy inside normal)」というフレーズは、外の社会とネット社会のことを言っているんですか?

スキナー:アルバムに収録されている曲はすべて、何らかの形で未来を反映したものにしたかった。でも、最初の頃に作った曲はあまりにもコンピュータばかりで、人間について語っていなかった。だから、ここにある曲のほとんどは、人間が真っ先に注目を浴びるべきだという考えで作られたんだ。だから"アウトサイド・インサイド"は「いま」と「ここ」に焦点を当てているけど、同時にインターネットを天気のように捉えてみようって思ったんだ。

デジタル・ワールドを快くとも不快とも感じてないよ。テクノロジーを崇拝するのは簡単なことだと思う。でも俺は、別にそれで自分たちがよくも悪くもなるとは思ってないし、それにテクノロジーは快適さと同時に、より効率的に互いを殺せる方法をもたらした。

未来というテーマが最初にあったと思うんですけど、最終的にそれが『コンピューターズ・アンド・ブルース』という言葉に表されるテーマに辿り着いた理由を教えてください。

スキナー:ただ、未来を十分近くに感じることができなかったんだよ。つねに遠くのものとして捉えていて、ザ・ストリーツのアルバムにするほどパーソナルなこととして感じることができなかった。だから、いまの俺たちの生活にある未来的なものを取り上げることにしたのさ。

タイトルに"ブルース"を入れた理由を教えてください。

スキナー:フューチャリズムをアルバムのテーマとして決める前から、シカゴのブルース・ミュージックみたいなブルースを、コンピュータっぽく演奏したものをやりたいというアイディアがあったんだ。結局、いかにもブルースっぽいスタイルの曲はひとつも残らなかったけど、タイトルには残したんだ。自分がやろうとしていることに集中するためにもね。

あなたは現在のデジタル社会を決して快く思っていないわけですか?

スキナー:デジタル・ワールドを快くとも不快とも感じてないよ。いずれにしても、テクノロジーを崇拝するのは簡単なことだと思う。それで自分がよくなろうと悪くなろうとね。でも俺は、別にそれで自分たちがよくも悪くもなるとは思ってないし、それにテクノロジーは快適さと同時に、より効率的に互いを殺せる方法をもたらした。われわれ人類が1万年以上も遺伝学的に変わっていないという事実をテクノロジーは変えることができないのさ。

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俺自身はあまり変わってない。アルバムごとによくなっている部分もあるし、失っているものもある。ニュー・アルバムは、厳密にはファースト・アルバムでやろうとしていたことと同じだけど、もっと技術的になっている。俺にとっては、たんに完全な形にしようとした理想がいっぱいあるって感じなんだ。


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ザ・ストリーツのアートワークは、つねにある"場面"の写真を使っていますが、今回はずいぶんとモダンなオフィス・ビルですね。この写真とアルバムとの関連性を知りたいと思います。この綺麗で、合理的で、冷たそうな建物は何を象徴しているのでしょうか?

スキナー:ザ・ストリーツとしての俺にとって、その美学はつねに重要だった。で、それを終わりにしたかった理由のひとつに、その美学を変えたくなかったけど、それをいつまでも続けることは不可能だったということがある。これまでの5枚のアルバムは、ボックス・セットのような感じでまとまっている。最初からそんな風にしようと思っていた節があったね。

『オリジナル・パイレート・マテリアル』と『コンピューターズ・アンド・ブルース』はどのように関連づけて話すことができますか?

スキナー:その間、俺自身はあまり変わってない。ただ言えるのは、アルバムごとによくなっている部分もあるし、失っているものもある。ニュー・アルバムは、厳密にはファースト・アルバムでやろうとしていたことと同じだけど、もっと技術的になっている。これが聴く人にとってエキサイティングかどうかは俺には言えないけど、俺にとっては、たんに完全な形にしようとした理想がいっぱいあるって感じなんだ。そうした意味においては、今作は報われたと思える作品だね。

『オリジナル・パイレート・マテリアル』では、ガンジャとプレイステーション、あるいは週末のクラビングやガールハントをささやかな楽しみに暮らしているギーザーが主人公だったわけですが、あの街のなかの小さな物語はすべて、いまのようにデジタル文化が普及する以前のことでした。いまではあそこで描かれたライフスタイルも古風になりつつあると感じますか?

スキナー:それはファースト・アルバムが、カルチャー的な面で時代の先を行ってたからだと思う。だからいま聴いても、古臭く聴こえることなく、ただ、普通の、誰もが享受しているようなスタイルを描いていると感じるだけだと思う。もしかすると10年後には古く聴こえるかも知れないけど。

ストーリーや曲に込められたメッセージがひとつだけだった場合、人に説教しているように聴こえかねない。俺は、自分の曲のなかにつねに自然のパラドックスを取り込んでいた。それで俺の音楽を皮肉っぽいという人がいるんだけど、でもそれってオカシイなってときどき思うんだ。何故なら本物の人生みたいに反対に作用することだってあるんだから。

"トラスト・ミー"のなかで「ダブステップ/クラブで流される汗/ベタベタ汗だくになろう」というフレーズがありますが、これは言うなればヴァーチュアル・リアリティに対する「街で遊べ」というメッセージなわけですよね?

スキナー:ストーリーや曲に込められたメッセージがひとつだけだった場合、人に説教しているように聴こえかねない。俺は、自分の曲のなかにつねに自然のパラドックスを取り込んでいた。それで俺の音楽を皮肉っぽいという人がいるんだけど、でもそれってオカシイなってときどき思うんだ。何故なら本物の人生みたいに反対に作用することだってあるんだから。

"ウィ・ネヴァー・ビー・フレンズ"の歌詞は何を暗示しているのでしょうか?

スキナー:これもまた、誰かに何かを説こうという感じに聴こえないようにしているひとつの例だ。コーラス部分にはとてもシンプルなメッセージがあって、それは友人関係っていうのは、恋愛関係の軽いヴァージョンなんかじゃない、それとは正反対にあるものなんだ。だから恋愛関係が終われば、相手の傍にいづらくなるってわけだ。でも、曲のほかの部分で、これと反対のことを言ったりもしているんだよね。

それでは、"ソルジャーズ"の主題は何でしょうか?

スキナー:"ソルジャーズ"のテーマはサッカーだ。音楽フェスティヴァルだと思っている人が多いけど、実際は違うんだよね。

いろんなタイプの曲をやっていますが、音楽的なところでとくに心がけたことがあれば教えてください。

スキナー:俺はただ、さまざまな形の良い曲を作ることを心がけているんだよ。ダメなものはボツにして、みんなが自分に同意してくれることを願っているんだ。

『ア・グランド・ドント・カム・フォー・フリー』の"エムプティ・カンズ"の一節、「俺たちが終わらせたくなかった何かの終わりだ。厳しい時代がやってくる(The end of the something I did not want to end, Begining of hard times to come)」という言葉は、いろんな解釈ができる言葉だと思うんですけど、ひとつの解釈として『コンピューターズ・アンド・ブルース』のテーマに即して言えば、マス・カルチャーの終焉とポスト・マス・カルチャーのはじまりを暗示していたと言えるんじゃないかと思ったんです。昔ながらのポップ・ミュージックの時代が終わり、インターネットの普及によって否応なしに変えられたポスト・マス・カルチャーのはじまり、それぞれが自分の興味のあるモノだけにアクセスする断片化された世界のはじまり、そんなものを暗示していたといまなら解釈できるんじゃないかと思うのですが。

スキナー:最高のザ・ストリーツの歌詞とは、どこかで聞いたことのあるようなフレーズをシンプルにしたものだ。俺は、すでに誰かが言ったことを人びとに伝える以上のことをやってない。マス・カルチャーがなくなるかどうか、俺にはわからない。将来、あらゆるものが細分化され、よりニッチな方向へ行くという人は大勢いるし、俺も、大部分のマーケットの中間部はそうなると思っている。いわゆる"クール"な音楽は、すでに細かくフラグメント化され、インターネットで楽しむことができるようになっていると思う。でも、本当にビッグなもの、例えばポップ・ミュージックや、興行成績ランキングに入るようなハリウッド映画、そしてカルチャー現象といったものは、人びとがより繋がり、よりわかりやすいものを求めるようになると思うよ。

 数々の栄光に彩られたザ・ストリーツの歴史は潔く終わった。最後の曲"ロック・ザ・ロックス"は、こんな具合に締められる。

 煙草を吸い過ぎた
 嘘も山ほど耳にしてきた
 自分のデスクを片付けるよ
 持ち物はすっかり箱に収め
 灯りを消し、錠をかけ
 立ち去るときが来た

「知ってるかい?」、マイク・スキナーは『ガーディアン』の取材でなかば自慢気にこう話している。「俺には入れ墨を入れたファンが大勢いるんだぜ」
 2002年の春、僕に"ハズ・イット・カム・トゥ・ディス?"を教えてくれたイギリス人も入れ墨の入った男だった。

Chart by TRASMUNDO 2011.02.17 - ele-king

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S.L.A.C.K.

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『我時想う愛』 »COMMENT GET MUSIC

2

D.O

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『ネリル&JO』 »COMMENT GET MUSIC

3

CE$

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『Steal da Road』 »COMMENT GET MUSIC

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YODEL

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『WONDER WHEEL』 »COMMENT GET MUSIC

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DJ DISCHARGE

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『SENSE OF WIND 2』 »COMMENT GET MUSIC

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TEE-$HORT

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『NIGHT&BAY』 »COMMENT GET MUSIC

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MASS-HOLE A.K.A BLACKASS

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『BOOZE BOOZE SAMPLING THING』 »COMMENT GET MUSIC

8

dj ASAMA

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『almost...love mix』 »COMMENT GET MUSIC

9

373

373
『Wombd』 »COMMENT GET MUSIC

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Gradis Nice a.k.a.K-MOON X

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『ROCHEMAN'S MEAT SHOP』 »COMMENT GET MUSIC

Chart by TRASMUNDO 2010.12.14 - ele-king

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hi-def from CIAZOO

hi-def from CIAZOO 『DiskNoir』 ≫COMMENT GET MUSIC

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INGLORIOUSBASTARDS

INGLORIOUSBASTARDS 『INGLORIOUS ep』 »COMMENT GET MUSIC

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TETRAD THE GANG OF FOUR

TETRAD THE GANG OF FOUR 『SPY GAME』 »COMMENT GET MUSIC

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islea

islea 『kokoronomori』 »COMMENT GET MUSIC

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I DON'T CARE

I DON'T CARE 『Ah...Friends』 »COMMENT

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BLYY

BLYY 『T.K.O』 »COMMENT GET MUSIC

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MESS VS S.L.A.C.K. Mixed by MUTA

MESS VS S.L.A.C.K. Mixed by MUTA 『RESPECT』 »COMMENT GET MUSIC

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DJ YAZI

DJ YAZI 『DUBS CRAZINESS』 »COMMENT GET MUSIC

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DJ HOLIDAY

DJ HOLIDAY 『The music from my girlfrieed's console stereo vol.7』 »COMMENT GET MUSIC

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PUNPEE presents

PUNPEE presents 『Mixed Bizness』 »COMMENT GET MUSIC

磯部 涼 - ele-king

S.L.A.C.K. - ele-king

 8月に限定リリースされた通算4枚目(うち1枚はブダムンキーとの共作)で、amazonを見たら早くも中古で4000円以上で出品されている。いつの世にもせこい商売をしている輩がいるものだが、それだけスラックの作品が強い関心を集めているとも言える。PPPクルーのアルバムにも参加していたし、最近では曽我部恵一のシングルにもパンピーとともに参加している、あっという間に売れたらしいが......。彼は、紛れもなくいまもっとも注目されているラッパーのひとりなのだ。

 6月にdommuneに出演したときもスラックは格好良かった。出演時間ギリギリにやって来て、ふらっとその場に寄ってみたと言わんばかりの風情でマイクを握り、街を吹き抜ける一陣の風のようなライヴをやって、そして消えていった。その颯爽とした身軽な振る舞いは、人生という重力のうえを涼しそうに滑っていくような彼の音楽と見事に結びつく。

 『Swes Swes Cheap』は計9曲が収録され、うち6曲をスラック自身がトラックを作り、3曲をブダムンキーが手掛けている。前作で組んだタッグが活かされている本作は、スラックの作風の微妙な変化を捉えているようである。
 とくに印象深いのは、"伝えな"と"この道はどこへ"だ。"伝えな"は過去のどんな曲よりもメランコリックで、"弱さ"をテーマにしているように聴こえる。「どんな感じ?」という問いかけと空虚な笑い声が、この曲が内包する複雑な感情(憐憫、嫌悪、などなど)を乾いたものにする。
 メランコリーは"この道はどこへ"にも引き継がれる。グライミーなトラックと「東京ゲットーウェイ、面倒くせー」というコーラスは彼らのやりきれなさを強調すると同時に、まるでザ・スペシャルズの"ゴーストタウン"のように、この街の死臭を嗅ぎ取っているようでもある。
 
 他にも聴きどころはある。"夢と現実の間"やブダムンキーによる"夕方"のような曲を聴いていると、ジェイ・ディラを思い出さずにはいられない。メロウなスモーキー・ビートがスラックの催眠的なフローと空中で溶け合っている。宙づりになった言葉は、そのまま大気のなかへと消えていくようだ。そして、レゲエを解体して組み直したような"A Luv"からドープなインストの"余韻"を経て、ウェッサイ風の野太さを持った最後の曲、"なんで欲が出る"がはじまる。仙人掌がフィーチャーされたこのトラックは『Swes Swes Cheap』において唯一アッパーなフィーリングを持っている。
 
 スラックは昨年デビューして以来、いまのところ1年で2枚のペースを守っている。瑞々しい言葉と音の『My Space』、実験精神が注がれた『Whalabout?』、音の冒険『BUDA SPACE』、そしてメランコリーが強調された『Swes Swes Cheap』、4枚にはそれぞれの輝きがあり、同じことを繰り返していない。どこまで歩けるか、彼は試しているのだろうか。

Uffie - ele-king

 "アート・トラッシュ・エレクトロにおけるヴァネッサ・パラディ"による遅すぎたデビュー・アルバムで、せめて2年前に......、そう、ラ・ルーやリトル・ブーツより先に出すべきだった。結婚と離婚と出産がなければ、きっとそうなっていただろう。〈エド・バンガー〉だってそうしたかったろう。で、そうなっていたら多少、ポップの歴史は変わっていたかもしれない。
 アンナ・キャサリン・ハートリー、別名アフィ、彼女が最初の12インチを切っていた2006年から2007年あたりはフレンチ・エレクトロ全盛で、彼女こそシーンが望んでいたアイドルに他ならなかった。美形で、ロリータ声で、ドラッギーで、少しばかりビッチを気取っていて......下手なラップがまた魅力でもある。当時、僕はアフィを雑誌の表紙にしたいと本気で考えていた。
 
 フレンチ・エレクトロの"フレンチ"には内部からの眼差しというものがない。よく言えばインターナショナル、悪く言えばおのぼりさん文化である。1990年代後半のフレンチ・ハイプは、それを用意したロラン・ガルニエをはじめ、モーターベース、イエロー・プロダクションズ、エール、そしてダフト・パンクにいたるまで、ローカルなパリを土壌としている。ダブステップやグライムがロンドン・ローカルな音楽であるように、SFPS.L.A.C.K.が東京ローカルな音楽であるように。ルー・リードの歌うニューヨークがローカルなニューヨークであるように。
 エールがいくら裕福な出身でも、彼らには内部からの眼差しがあり、それが悲しみや、辛辣な冷笑主義と結びつきもする。ジネディーヌ・ジダンにだってそれがある。が、ダフト・パンクの国際的な成功のあとに元マネージャーが手掛けた〈エド・バンガー〉は違った。そうしたややこしい鈍くささを削ぎ落としている。よりファッショナブルで、魅惑的なまでに軽い。アメリカ生まれで、パリのインターナショナル・スクールを出たアフィこそ、そういう意味でレーベルが望んだスマートな女性だったのだ。中身はない......が、「中身を気にするばかりが音楽の楽しみ方ではないだろ?」と問われれば「そうだね」と僕は答える。そう、中身を気にするばかりが音楽の楽しみ方ではない。
 
 つまり『セックス・ドリームス・アンド・デニム・ジーンズ』は、いみじくもタイトルが物語っているように、まあ、そういう音楽だ。煌びやかで、外側だけがキラキラとしている。本人は自らを"コールド・アス・ビッチ(冷酷なあばずれ女)"ラップと定義しているけれど、実際のところはリリー・アレンやエイミー・ワインハウスのようなむさ苦しい連中の言葉を水で薄めたリリックがあり、クセのないダンサブルなエレクトロが展開されている。もうちょっとはみ出しても良かったのではないかと思うのだけれど、わりと品良くまとまったというか、オワゾやミルウェイズ、セバスチャン等々、そうそうたるメンツがトラックを提供しているものの、オワゾがソロで展開するようなねじくれ方はない。例えば"ポップ・ザ・グロック"は流行のオートチューン・ソングだが、ダブステップ系のいなたい感じとは真逆の、実にキュートなポップスとなっている。スージー&ザ・バンシーズの"香港庭園"をカヴァーしているのだけれど、その軽薄さたるや「トホホ」である......が、そう、だからこそこの音楽は魅力を放っている。要するに、まあ、ファッショナブルなのだ。
 
 僕は、どう考えても鈍くさい音楽を聴き続けている側の人間である。二木信や松村正人よりはファッショナブルかもしれないが、さすがにフレンチ・エレクトロを追っかけるほどではなかった。しかし、もし僕がファッション雑誌の編集長だったら、なんとしてでも彼女を表紙にしてカヴァー・ストーリーを組んだだろう。間違いない!

やけのはら - ele-king

 セミの鳴き声を聴いていると少年時代を思い出す。毎日のように泳ぎ、海を眺め、虫捕りや釣りに夢中になっていた日々。遊び疲れて、夕食前に布団の上でうたた寝をしては親に起こされていたあの日々である。
 やけのはらのソロ・デビュー・アルバムからはセミの声が聴こえてくる。が、彼のそれは少年時代の郷愁ではない。現在進行形の夏であり、そして青春なるもののいちぶである。それは切なくも曖昧な、とらえようのない埃っぽい路上の話へとつながっていく。
 
 やけのはらとの出会いは、4年前の夏だった。時間つぶしにたまたま入った、静岡市の中心街からはずれにある服屋に置いてあった音楽イヴェントのフライヤーの1枚を手にとって、僕は店番をしていた女性に「これ、面白そうですね」と言った。「私も行きたいんですよ~」と彼女は言った。そしてこう続けた。「やけのはらを聴きたいんです」
 その音楽イヴェントには、やけのはらよりも有名な人たちの名前が並んでいた。それでも彼女は、清々しい笑顔で「やけのはらを聴きたいんです」と言ったのだ。これが僕が、やけのはらを意識するようになったきっかけだ。やけのはら......なんていう名前のMCだ。その名前は、地方都市のこんな辺鄙な場所にある服屋の店員にまで響いているのだ。
 実を言えば、最初にやけのはらを教えてくれたのはブッシュマインドとSFPだった。その夏の半年前の冬、僕はSFPの最初のアルバムのためのマスタリングに付き添ってデトロイトに行った。スタジオに入って、そこで初めて"Summer Never Ends"を聴いたのだ。やけのはら......なんていう名前のMCだろう。その名前はハードコアのもっともラディカルなシーンにも届いているのだ――そのときもそう思ったものだった。
 
 『ディス・ナイト・イズ・スティル・ヤング』は夏ではじまり、夏で終わる。甘さと苦々しさが混じったポップなラップ・アルバムで、それは初期のRCサクセションや初期のフィッシュマンズ、最近で言えばS.L.A.C.K.のデビュー・アルバムにも通じる感性を有している。つまり、社会が用意したレールの上からはぐれてしまった青春が活き活きと描かれているのである。それは『オリジナル・パイレート・マテリアル』をはじめとする、ゼロ年代以降のポップ・カルチャーでたびたび登場する小さな......しかしより親密なコミュニティの話、この厳しいご時世を生きている新世代のボヘミアンたち、やけのはらの言葉で言えば「夢も希望も砂まみれな」連中......の物語となって展開する。
 
 磯部涼がやけのはらに取材する前に、レコード会社で担当者がPVを見せてくれた。それは江ノ島で撮影した映像で、複数の男女が屈託なく嬉しそうにはしゃいでいる。なんとも楽しそうな若者たちだ。友だちがたくさんいて、何人かの水着姿の女性や、スケボーが上手な子供までいる。「いいな~」と思う。自慢ではないが、僕の20代なんてこんな格好いいものではなかった(ま、それはおいておいて)。でもそれが、やけのはらの"俺たち"というリアリティなのだ。「俺たちが見ている景色が夢だとしたら 最高にアホらしく笑えて スリル満点の夢にしよう 一瞬のまやかしだとしても 錯覚や幻想だとしても 信じていたいと思える何かを見つけたんです この夏はきっと終わらないって なんとなくそう思った」(Summer Never Ends)
 
 「最高にアホらしく笑えて スリル満点の夢」を共有できる"俺たち"、SFPの12インチ・シングルにそのいちぶが収録された"Summer Never Ends"は、アルバムの入口としては最高の選択だ。この短い曲には、やけのはらの得意とする甘く切ない叙情主義がよく表れている。僕の計算が正しければこれは5年前の夏に書かれた曲だ。
 2曲目の"ロックとロール"は〈ローズ・レコーズ〉のコンピレーションに収録されていたキャッチーな曲で、彼のロックンロールへの想いが語られている。つまり、ラップによるロックンロール賛歌だ。続く、粗大ゴミを宝に変えようと繰り返す"SUPA RECYCLE"は消費社会への批評だが、曲調はポップで、アッパーなパーティ・チューンとなっている。この展開には、シリアスなテーマをシリアスに語らないという、やけのはらの特徴がよく出ている。
 4曲目の"自己嫌悪"はやけのはらが影響をうけたキミドリのカヴァー曲だ。彼のぶっきらぼうなラップはクボタタケシからの影響だと思われるが、これもまた、お涙頂戴の歌謡ラップにも、あるいはラップの厳めしいマッチョイズムのどちらにも与しない彼のスタンスが表れている。
 
 クライマックスはアルバム後半にある。"DAY DREAMING"から"Rollin' Rollin'"、そして七尾旅人がリード・ヴォーカルを務めるR&Bソングの"I REMEMBER SUMMER DAYS"にかけてがそうだ。"DAY DREAMING"はブッシュマインドの『ブライト・イン・タウン』(2007年)に収録され、〈セミニシュケイ〉からもシングル・カットされている曲だが、アルバムではよりメランコリックな曲調に変換されている。これもまた"Summer Never Ends"と同様、やけのはらの叙情主義が貫かれた曲で、日本のハードコア・シーンとそのアンダーグラウンドなフリー・パーティへの深い思いが綴られている。そして"Summer Never Ends"に続く"Rollin' Rollin'"のジャジーなヴァージョンがまた良いのだ。それはPPPクルーとも共通するあか抜けたアーバン・ソウル・サウンドで、オリジナルとは違った魅力を放っている。もちろん七尾旅人の甘い歌がこのアルバムに親しみやすさを与えていることは言うまでもない。だが、それにも増して興味深いのは、やけのはらが、アルバムにおいてある種のあか抜け方、つまりファッショナブルな響きを強調している点だ。青春音楽とはスマートでなければいけないとでも言いたげなまでに、やけのはらは洗練されたR&Bスタイルを注入している。一瞬......、まあほんの一瞬だが、シュガーベイブ流のシティ・ポップスかと錯覚するかもしれない、が、しかしやけのはらの抑揚のない声とぎこちなさが奇妙な軋みを発している。その微妙なズレが彼の音楽の味なのだ。
 
 そして......アルバムからセミの声が聞こえると、最後の曲"GOOD MORNING BABY"が待っている。美しいなエレピの音と優しいストリングスからはじまるこの曲で、やけのはらは最後の最後まで自分の前向きさを強調する。「上手くいくさ大丈夫だぜ」、リスナーにそう話しかける。「大丈夫だぜ」の根拠について、このアルバムだけでは説明不足でもある。それでも彼は「大丈夫だぜ」を言う。悲観しようが楽観しようが自由なんだし、なんだかよくわからないけれど、「大丈夫だぜ」、そう思っていたほうが精神の健康上よろしい。『ディス・ナイト・イズ・スティル・ヤング』はそういうアルバムである。
 
 僕がセミの声を聞いても自分の20代を思い出せないのは、自分の青春が『ディス・ナイト・イズ・スティル・ヤング』とは真逆だったからだ。だいたい80年代に複数の男女で海に遊びに行くなんて......いや、これ以上は止めておこう(とにかく僕自身は、どう考えても格好悪い青春派だったのだ)。
 『ディス・ナイト・イズ・スティル・ヤング』は、ブッシュマインドが『ブライト・イン・タウン』で表現したゼロ年代におけるストリート・カルチャーの真実をポップな次元で試みようとしているとも言える。アルバムからは「街に出よう」という呼びかけも聴こえる。シンプルな呼びかけだが、これがまた、80年代のある種の裕福さとは真逆の時代における青春の、かけがえのない自由を主張しているようにも聴こえる。と同時に、それは必要以上に携帯やパソコンに依存してしまった今日のライフスタイルへのアンチテーゼでもある。あるいはまた、"外で遊ばなくなった若者"という大人の決めつけに対する反発でもあるかもしれない。だとしても、やけのはらはケチなことは言わない。ネガティヴな感情への共感を忌避するように、そのうえでの前向きさを、耳にタコができるほど繰り返すのである。そしてボロボロの服を着たサンダル履きのラッパーは、この国のいたるところに溢れているドロップアウターたちに向けて(もちろんこの僕も含まれる)、心を込めてこう言うのだ。もっと音楽を聴こう。

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