イギリス・サウスロンドン出身のラッパー、ロイル・カーナーは10歳の頃からラップをしていたという。エイミー・ワインハウスやアデルなどを輩出したブリット・スクールの出身で、しかもそこではキング・クルールと同級生になるが、専攻していたのはなんと演劇。本格的に音楽一本でやりはじめたのは2014年頃だそうだ。そこからあっという間に、期待の新人をピックアップしたBBCのサウンド・オブ・2016に選ばれるのだから、驚嘆するしかない。
また、カーナーはADHD(注意欠陥・多動性障害)とディスレクシア(難読症)であることを公言している。そうした境遇の難しさや世間の無理解を知るカーナーは、ADHDの子どもを対象にした料理教室も主催するなど、堅実な草の根活動をおこなっている。ちなみに料理の腕前は“Florence”のMVで見られるが、テキパキと作業する姿はかなり手慣れたものだ。
そんなカーナーを知るキッカケは、ケイト・テンペストとコラボレーションした“Guts”だった。2014年に発表されたこの曲でカーナーは、ひとつひとつの言葉を丁寧かつ鋭く紡いでいた。ケイト・テンペストを追いかけるために聴いたのだが、これは嬉しい発見だ! と心が躍ったのをいまでも鮮明に覚えている。それ以降の筆者はカーナーを熱心に追いかけるようになり、シングル「Tierney Terrace」やEP「A Little Late」など、カーナーの作品が出れば必ず手に入れた。
もちろん、2017年度のマーキュリー・プライズにノミネートされたファースト・アルバム、『Yesterday's Gone』も手元に置いている。インタヴューでスケプタやルーツ・マヌーヴァをお気に入りに挙げるなど、ヒップホップやグライムからの影響を隠さないカーナーだが、本作でもこのふたつの要素は見られる。とはいえ、オープニングの“The Isle Of Arran”では、S.C.I. ユース・クワイアの“The Lord Will Make A Way”というゴスペル・ソングをサンプリングし、作品全体としてもファンク、ソウル、ジャズの要素が色濃く表れている。ベースがリズミカルなのも特徴で、横ノリのグルーヴに合わせて踊れる曲が多い。カーナーの両親はソウル、ジャズ、ファンクを愛聴していたそうだが、その両親の嗜好を受け継いだ多彩な音楽性が本作の特徴だ。ザ・ピューリストやクウェズなど多くのプロデューサーを迎えたことも、多彩な音楽性を生みだす一助になっている。
歌詞は、本作以前と同様に身近な題材が多い。なかでも頻繁に登場するのは母親だ。“Sun Of Jean”では母親の語りがフィーチャーされ、30秒弱の小品“Swear”はカーナーと母親の会話をそのまま収録したものだ。一方で、“Florence”では架空の妹についてラップしたりと、遊び心も見られる。しかしとりわけ目を引くのは、成熟したカーナーの姿だ。「A Little Late」に収められた“The Money”で文字通りお金を稼がなきゃとラップし、どこか焦燥を滲ませていた姿がそこにはない。日常の風景を的確にとらえる鋭い観察眼と落ち着きが際立っている。ひとつひとつの言葉は風格を漂わせ、今年で22歳になる若者だと知らなければ、ベテラン・ラッパーの新作と言われてもなにひとつ疑わないはずだ。こうした成長は、自身の信仰心に言及した“The Isle Of Arran”という名曲の誕生にもつながっている。深く内省したこの曲には、本作以前のカーナーでは込めることが難しかったであろう説得力がある。
本作においてカーナーは、家族への愛情をこれでもかと示している。本作でも頻繁に登場することからもわかるように、母親に対しては特に熱烈だ。このような姿は、親元から離れ自立するのが“男”の理想像だと考える者にとって、珍しいものに映るかもしれない。たとえば、社会学者の平山亮による『介護する息子たち』は、庇護される立場である男性性(息子性)の姿を鮮明に描くことで、“男”の自立性は周囲のお膳立てによってもたられるものであり、自立を良しとする“男”の理想像は幻想に過ぎないと喝破した。このように旧態依然とした価値観を解きほぐす視点が、本作にもある。“男は仕事、女は家庭”という性役割に基づく家族モデルがいまだ根強い現在において、カーナーが本作で示す視点はオルタナティヴになりえるのではないか。そういった意味で本作は、現代的な問題を孕んでいる。
近藤真弥
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UKのラップ・ミュージック、と聞いて多くの人が真っ先に思い浮かべるのはグライムだろう。2000年代前半にストリートから生まれたその音楽は、紆余曲折を経て現在、UKポピュラー・ミュージックの大きな一角を占めている。昨年スケプタがマーキュリー・プライズを受賞したのは象徴的な出来事だったし、今年リリースされたストームジーのファースト・アルバムが全英チャートで1位を獲得したことは、昨今のグライムの怒濤のような勢いを物語っている。
サウス・ロンドンに生まれ、クロイドン南部で育ったUKのラッパー、ロイル・カーナー。彼が小学生の頃に子どもたちのあいだで人気だったのは、まさにそのグライムだったそうだ。イースト・ロンドンで生まれたその音楽は、カーナーらキッズたちにとってアクセスしやすいものだったようで、彼は幼い頃からグライムに触れて育ち、それによって人生を変えられたとまで言っている。だが急いで付け加えておかねばならないのは、カーナーのこのファースト・アルバムはいわゆるグライムではまったくないということだ。
カーナーはグライムとともに90年代~00年代初頭の音楽もよく聴いて育ったのだという。なかでもコモンやモス・デフがお気に入りだったそうで、本作に直接的な影響を与えているのはそういったかつてのUSヒップホップである。じっさい、ギターのリフが耳に残る12曲め“No CD”では、ジェイ・Zやオール・ダーティ・バスタードといったレジェンドの名が巧みに韻を踏まれながら登場している。
要するに、グライムを同時代的に受容して育った若者が、そのスタイルを直接取り入れるのではなく、自分よりも上の世代の音楽である90年代USヒップホップからの影響を独自に昇華することで作り上げたアルバムが、この『Yesterday's Gone』なのである、とひとまずは言うことができるだろう。
カーナーはエイミー・ワインハウスやアデルを輩出したことで知られるブリット・スクールの出身で、当時キング・クルールとは同級生だったそうだけれど、在学中は音楽ではなく演劇を学んでいたという。その頃の彼にとってヒップホップはまだ余興のようなものだった。しかし彼は在学中の2012年に、ダブリンでおこなわれたMFドゥームのギグでサポートを務める機会に恵まれる。その体験が彼にとって大きな転機となったようで、カーナーはブリット・スクール卒業後、演劇の学校であるドラマ・センター・ロンドンに入学するものの、2014年に継父が亡くなったのを契機にドロップアウトし、音楽に専念することを決める。
そうしてカーナーは2014年の9月にEP「A Little Late」を自主リリース。そこに収められた“Cantona”は、亡くなった継父に敬意を表した曲で、タイトルはその継父が好きだったというフットボーラー、エリック・カントナの名から採られている。この曲はMVも制作され、その後もたびたびBBCで取り上げられるなど、カーナー初期の代表曲と呼んでいいだろう。続いて彼は12月に、自身がリリックを書く上で大きな影響を受けたというスポークン・ワード・アーティスト、ケイト・テンペストとの共同名義で7インチ「Guts」を発表。翌2015年にはジョーイ・バッドアスのUKツアーでサポートを務め、グラストンベリーにも出演。同年8月にはアフリカ・エクスプレスの作品も出している〈Transgressive〉から7インチ「Tierney Terrace」をリリースしている。
2016年には同じくサウス・ロンドン出身のトラックメイカー、トム・ミシュのLPや10インチに客演し、穏やかながらも芯のあるラップを披露しているが、とくに「Reverie」に収録された“Crazy Dream”は、そのジャジーな心地良さもあってか多くのリスナーから好評をもって迎えられたようで、カーナーの名もより多くの層へと広まり、同年10月にはナズのロンドン公演でサポートを務めるまでに至っている。
このように順調にステップアップを重ねてきたカーナーが満を持してリリースしたファースト・アルバムが、本作『Yesterday's Gone』である。ゴスペル・クラシックのサンプリングで幕を開ける1曲め“The Isle Of Arran”や、前述のトム・ミシュをフィーチャーした4曲め“Damselfly”を筆頭に、本作には90年代を想起させるジャジーでレイドバックしたトラックが並んでいる。ここにあるのはハードでサグなヒップホップとはまたべつの、メロウでぬくもりに溢れたヒップホップだ。本作にはカーナー自身が制作したトラックも多く含まれており、彼がMCとしてだけではなくトラックメイカーとしての才能も併せ持っていることがうかがえるが、ここで触れないわけにはいかないのがクウェズの存在だろう。
このアルバムでクウェズは、ソング・ライターおよびプロデューサーとして“Florence”、“Mrs C”、“Sun Of Jean”の3曲に関与している。これらはいずれも叙情的かつ哀愁漂う鍵盤が耳に残るトラックで、他の曲たちとは趣を異にしているが、これらカーナーとクウェズのコラボこそがこのアルバムの肝と言っていい。というのも、この3曲からは、カーナーに間接的な影響を与えたグライムとも直接的な影響を与えたUSヒップホップとも異なる、独特の風味が滲み出ているからだ。
カーナーと同じくサウス・ロンドンを拠点に活動しているクウェズは、いまやUKを代表するバンドへと成長を遂げたジ・エックス・エックスの第1作『xx』(2009年)のデモ制作に関わったことで注目を浴びたアーティストである。その後ミカチューとのコラボやさまざまなリミックス・ワークを通して頭角を現し、2011年にはDRCミュージックに参加。翌年にはスピーチ・デベルのアルバムをプロデュースするなど、着々とその名を轟かせていった。同2012年にはEP「Meantime」を、翌2013年にはアルバム『ilp』をリリースし、ジェイムス・ブレイク以降のソウル/ポップを担うアーティストのひとりとしてその地位を確立。その後本人名義による作品の発表は停滞しているものの、プロデュース業やリミックス・ワークは相変わらず精力的におこなっている。昨秋リリースされたソランジュのアルバムにプロデューサーとして関わったことも記憶に新しい。彼とともにそのソランジュの作品に参加したサンファは、2008~09年頃にクウェズにフックアップしてもらったことによって自らの方向性に自信を持つことができたと語っているが、このようにクウェズは、本人自身が優れたアーティストであるとともに、新しい才能を発掘したりフックアップしたりする手腕にも長けているのである。そんな彼が次に手を組む相手はいったい誰なのか――その答えがロイル・カーナーのこのアルバムなのだ。
UKで独自の発展を遂げたグライムを空気を吸うように幼い頃から享受してきたタレントが、本場USのヒップホップを憧憬をもって追いかけながら、ジェイムス・ブレイク以降のソウル/ポップ感覚と邂逅することで生み出したアルバム――それがロイル・カーナーのこのアルバムなのである。
小林拓音













