「Dom」と一致するもの

HOUSE definitive@DOMMUNE - ele-king

 来週のブルー・マンデーの26日、7時からドミューンにて『ハウス・ディフィニティヴ』刊行記念のトーク&DJがあります。

 出演:西村公輝、三田格、Alix-kun、鈴木浩然、野田努
 DJ:ドクター西村、Alix-kunほか
 
 ドクター西村氏のハウス研究の道のりと最新成果をはじめ、ジャパニーズ・ハウスのコレクターでもあるフランス人DJのAlix-kunの「日本のハウスの再評価」、西村氏をして「NYハウスに関して鬼のように詳しい」と言わしめる鈴木浩然氏のガラージ話、久しぶりの出演となる三田格と野田努がハウス・ミュージックへの思いを語り尽くします。
  『ハウス・ディフィニティヴ』を買ってくれた人、これからハウスを聴いてみたいという人、ものすごく暇な人、いつまでたってもハウスが嫌いな人、ご覧いただければ幸甚です。
 また、DJでは、Alix-kunが「ジャパニーズ・ハウス・セット」を、ドクター西村氏が『ハウス・ディフィニティヴ』セットを披露するでしょう。
 26日は7時からずっとドミューンにおりますので、みなさん、お気軽にいらしてくださいね。ヨロシク~。

Avey Tare's Slasher Flicks - ele-king

 パンダ・ベアとエイヴィ・テア。アニマル・コレクティヴを動かすふたつの心臓は、この10年のインディ・シーンにも力づよく血を送り込んできた。フリーフォーク……と暫定的に呼ばれた、アニコレ初期のアシッディでサイケデリックな音楽性は、2005年の『フィールズ』において底知れないエクスペリメンタリズムと祝祭的な高揚感とを爆発させ、向こう10年の音をささえる礎となった。まさにそれは、やがて過剰すぎる情報集積空間へと姿を変えていく、2000年代的な想像力の始原の海だったのだろう……と、いまでこそ思う。あの澱のように不透明な、それでいてきらきらと輝くノイズの群れは、その後かたちさまざまに命を得るはずのたくさんの微生物やゴミをふくんだ、養分そのものだったのだと。
 当時はただギャング・ギャング・ダンスらと並んで、批評としてのトライバリズムやブルックリンの無邪気な実験精神を象徴するようにも見えたが、たとえば彼らの〈ポウ・トラックス〉がアリエル・ピンクを輩出していたり、チルウェイヴの源流をパンダ・ベアに見ることができたり、あるいは彼ら以降のインディ・ロックの耳が、穏やかなアンビエントへと転向したエメラルズを見つけていったりすることを考えても、その功績の大きさは時間が経つほど鮮明になっていくように感じられる。

 とはいえ、いつまでも当初のエネルギーやクリエイティヴィティが直線的にのびるということはありえない。『フィールズ』を頂点として、彼らもまたゆるやかに放物線を描いて下降していく。その間のどのアルバムも相対的には素晴らしく、個人的にも好きなのだが、キャリアの充実はむしろそれぞれのソロ作品において追及されていくようになったと言うことができるだろう。パンダ・ベアは『パーソン・ピッチ』や『トンボイ』を生み、前述のように2000年代のサイケデリック・ミュージックをチルアウトさせ、ヒプナゴジックでドリーミーな方向へと振った。エイヴィ・テアは妻クリア・ブレッカンとともに『プルヘア・ラブアイ(Pullhair Rubeye)』、ソロで『ダウン・ゼア』をリリースし、天然色のノイズと無国籍的なムードでハイ・テンションなサイケデリックを放ちつづけた。そう考えるとやはりふたつが重なってのアニコレだが、黄金比率で彼らがシンクロしていると感じられるアルバムはしばらくなく、どちらかが引くか、もしくはイニシアティヴをとるかして制作されているという印象を受ける。その点からすれば、アニコレの前作『センティピード・ヘルツ』(2012年)はエイヴィ・テアのアルバムだった。しかし筆者からすれば、チルアウトやヒプナゴジック(夢見心地)というタームのなかに時代と切り結ぶ批評性がふくまれていたことに対し、東洋のけばけばしい獅子の面をかぶって爆走するエイヴィ・テアのノイズやサイケデリアは、ダン・ディーコンらとともにいつしか古びた2000年代の面影を象徴するように思われたことは否定できない。

 そこから最初のアルバム・リリースとなるのが本作『エンター・ザ・スラッシャー・ハウス』である。そして、これがバンド編成で制作された作品であるということは看過できないポイントだ。ダーティ・プロジェクターズのエンジェル・デラドゥーリアン、ポニーテイルなどでドラムを任されるジェレミー・ハイマンを迎え、彼らは「エイヴィ・テアズ・スラッシャー・フリックス」と名乗っている。エイヴィ・テアにとってアニマル・コレクティヴ以外に必要なバンドとはなんなのだろう。そう思って聴く冒頭の“ア・センダー”があまりにアニコレで一瞬椅子からずり落ちる(エレクトロニックで、整ったプロダクションを持っているところは2010年前後の作品の感触、『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』から逆向きに『フィールズ』へ遡行していくような錯覚を覚える)……。
 しかし、それは冒頭の1曲だけ。“デュプレックス・トリップ”のダビーな音響は耳新しく、“ブラインド・ベイブ”のハードコア的なリズム構築などは、まさにポニーテイルの面目躍如といった新しい表情を加えている。“リトル・ファング”は、アリエル・ピンクが近作で接近しているようなソフト・ロック調。“ザット・イット・ウォント・グロウ”はファン・アイランドのようなハイエナジーでエモーショナルなパンク・バンドを思わせる。“ジ・アウトロウ”のプログレ展開、“モダン・デイズ・E”のアッパーでファンキーなビート、過度なエフェクトは排されていて、クリーンにギターが聴こえてきたりするところも非常に新鮮だ。本当にこれはエイヴィ・テアの音なのだろうか。彼にはまだこんなにも豊かに、振るべき袖がたくしこまれていたのか。

 問いを戻そう。エイヴィ・テアにとってアニマル・コレクティヴ以外に必要なバンドとはなんなのだろうか。2000年代インディ・ロック・カタログとまではいかずとも、ここまで1曲ごとに性質を変えて作り込んだ曲を並べられれば、自身のエゴを解体し、それによってひとつの限界を突き崩し、より遠くまでいきたいという思いがあるのではないか、そのためのよきサポートを必要としていたのではないかと推測したくなる。エイヴィ・テアの新作ときいて暗に想定していたような予定調和はここにはまるでなく、むしろ彼にとってのひとつの転換点が企図されているように感じられる。アー写やタイトルのB級ホラー趣味こそ相変わらずだけれども、どれほど意識的なものかはわからないが、とても前向きな一歩が踏み出されていて、メンバーの仕事もそれをサポートして余りあるものだ。この新たな関係のなかで、エイヴィ・テアは新たなエゴを手にしたのだというたしかな手触りがある。
 それでも1曲めは“デュプレックス・トリップ”なのだなあと思うと少し切なくもある。このバンドが、彼にとってのアニマル・コレクティヴのやり直しだったりしてほしくはないという思いは良い方向に裏切られたが、ラス前にパンダ・ベアのロングトーンを思わせる“ストレンジ・カラーズ”が聴こえてきたときにも少しひりっとするものがあった。新しいエイヴィ・テアは、いつか新しいアニマル・コレクティヴにつながってほしい。次のパンダ・ベアのソロにも同様のことを期待する。彼らには未来においてもういちど、歴史を緊張させるような鋭さを持つはずだから。

interview with The Horrors - ele-king

 ザ・ホラーズが3年ぶりとなる4枚めのアルバム『ルミナス』をリリースした。2005年に結成され、ダークなガレージ・パンクと徹底してゴス的なヴィジュアルでセンセーショナルにデビューした彼らだが、そのイメージに留まることなくアルバムごとにさまざまな音楽的探究を行い、取り入れた知識をサウンドとして具現化し、変化しつづけてきた。彼らにとって初期のイメージはコントロールできなかった若気の至りでもあり、いまとなっては少し恥ずかしさも感じているようだ。しかし、ここまでのキャリアにおいては周囲に流されたり時流に迎合したり安易にルックス面で路線変更したりしたわけではけっしてない。20才前後からレコードの収集やDJをしたりしながらマイペースに吸収してきた知識、そこから自然発生した興味を資本とし、何より持ち前のセンスで独自のホラーズのサウンドを作り出しているのだから、その変遷はどれも輝かしい〈白歴史〉になっている。


The Horrors - Luminous

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 今作『ルミナス』は、ダンス・アルバムだ。グルーヴ感のあるビートとサイケデリックなサウンドが全編を覆い、ファリス・バドワンのヴォーカルもいつになく甘く、気怠く、ポジティヴだ。現在は世界のフェスティヴァルでもヘッドライナーを務めるほどの存在になった彼らだが、この、暗がりできらめくような密室感のあるダンサブルな作品によって、よりオーディエンスとの距離を縮めるはずだ。変わりつづける彼らの2014年の現状を切り取ったこの作品もまた、ホラーズの「白歴史」として更新されていくだろう。

 今回インタヴューに答えてくれたのは、ファリス・バドワン(Vo)とリース・ウェッブ(B)。インタヴューがはじまる前、レコード・コレクター/DJとしても名を馳せる音楽博士のようなリースはわたしがプレゼントしたガレージの7インチ・ディスク・ガイドに目を輝かせて熱心に読みふけったり、アートスクール出身で絵の個展を開いたこともあるファリスは自分のお気に入りの極細のボールペンでひたすら緻密なイラストを描いていたりと、両者とも穏やかで落ち着いたなかに好きなものへ寄せる真摯な熱意が感じられた。インタヴューでもさまざまに表現を変えたりしながら、伝えたいことをとても丁寧に考えて答えてくれた印象だった。ザ・ホラーズが日本にもファン・ベースを根強く持ち、その人気を一過性ではなくじわじわと増しているのも、そういうところに理由があるのかもしれない。

ただの仲良しが集まっただけのギャング──そういうバンドだったし、いまもじつはそうだしね。(リース・ウェブ)

個人的にはザ・ホラーズはデビュー当時から大ファンで、これ私物なんですけど……(デビュー当時にザ・ホラーズが表紙を飾った『NME』を見せながら)いまこれを見てどう思います?

リース・ウェッブ(以下R):この写真撮らなきゃよかった……(笑)。7年前だね。

この時といまと、音楽に向かう気持ちに変化はありましたか?

ファリス・バドワン(以下F):物事の進め方っていう意味では何も変わってない気がするよ。熱意とか熱さとか、それが僕らには大事だから。最初のアルバムの当時は自分たちもライヴをやることに一生懸命でそのやり方を模索していたところがあると思う。ライヴをやりながら発展していったようなところがあって、そのやり方ってじつはいまも変わっていない。表現力が増したとか、腕が上がったことでよりやりたいことに近づけるようになったという部分、根っこにある気持ちは変わってないと思う。ファースト・アルバムの頃からとにかくやりたいアイデアがいっぱいあって、それをどんどん実験してみたいという意欲があって、それに突き動かされていたというところはまったく変わらないし、でもあのアルバムではなかなか実現しきれなかった部分もあるけど、でもそこをふまえて次があるという点ではすごく意味のある作品だったなと思うよ。

でもちょっと写真だけは恥ずかしいと。

F:いやいや、べつに恥じるところはないんだけど(笑)、自分たちが思っていた自分たちとはちがう形で表現されている写真が一部あるなと。とくに小綺麗な形で出ちゃっているのが多い気がして。というのも、ライヴにおける当時の僕らって、初歩的でアグレッシヴでヴァイオレントですらあるようなバンドだったんだけど、一部のカメラマンの手にかかるとそれが小綺麗にまとめられちゃって、作り込まれているようなイメージになってしまっているものがあったりするんだよね。実際とちがったところがあると思うよ。もっと自分たちはラフなはずだったのにってね。

R:自分たちもまだわかってなかったんだよね。当時の自分たちのステージでのあり方と写真のイメージがちがうのを、自分たちでもどうすればいいかわかっていなかったかもしれないから。

当時の写真も初期衝動的で素敵ですけどね。

R:僕らもこういう写真は嫌いじゃないし、イメージ的にいいなと思うところもあるんだけど、当時の自分たちの表現として正確さにおいては欠けるのかなと思うんだよね……。

メディアに作られてしまっているなという感じはあったんですか?

R:作られてしまったというよりは、一部誤解されるかなって。スタイリッシュでお膳立てされたような印象を与える写真が一部あって、でもそれは本来の僕らの姿とはちょっとちがって、僕らの音を聴いたことがなかったり会ったことがない人が見たら誤解するのかなって。そういう意味で見せ方として不正確だった部分はあると思うな。ファッション的なバンドとか服装にこだわるバンドみたいなイメージを与えそうな写真に対して僕らはそういう印象を持ったことはたしかだよ。 ただの仲良しが集まっただけのギャング──そういうバンドだったし、いまもじつはそうだしね。ただ、ときとともに人間は変化するから、いまの僕らだったらさすがにあれは無理だと思うし、まったく意味をなさないと思うけど、当時の僕らはああいう部分があったっていう点ではリアルさもあるだろうね。だから、そこまでの抵抗感はないよ。昔とすっかり距離を置いているということではなくて、あれはあれで重要な時期だったと思うし、あの頃だって実際にショーに足を運んでくれる人たちには実際の僕らの姿は伝わっていたわけだし。あの頃を否定するつもりも忘れようとしているつもりでもない。単純にいまの僕らはちがうなって思うよ。

では話が変わりますが、リミックス・アルバム『ハイヤー』(2012年)をはさみ前作『スカイング』(2011年)から3年ほどありましたがその間は何をしていましたか?

R:そのうちの2年間はほぼツアーでとられていたよ。フェスもあったりとか……。詳細は省くとして(笑)、いったんレコーディングに入ったあとにまたフェスも入ったりして、3年の間で事実上18ヶ月はツアーに出ていたよ。で、やっとスタジオに入れたなと思ったら夏フェスのシーズンが来てしまってまた外に出るっていう感じで、けっこう途切れ途切れだったんだよね。ライヴに忙しかったからなかなかフォーカスを絞ってレコーディングに専念することができなくて、3年はあっという間だったよ。基本的に自分たちが完全に納得するものができるまではレコードを世に出さないっていう僕らの姿勢があるから、長い時間はかかったけど、べつに焦る必要もなかったから納得がいくまで時間をかけようというスタンスでできたよ。

『ハイヤー』のリミキサーの人選は自分たちで行ったのですか?

R:うん、そうだよ。

個人的にはピーキング・ライツ(Peaking Lights)の起用が興味深かったです。そのあたりのシーンにも興味があるんですね?

R:そうだね。そういったシーンにはつねに目を光らせているし、ピーキング・ライツは最近のアーティストのなかでは僕たちのフェイヴァリットかな。サウンド的にもすごくおもしろいことをやっているし、ダブの影響を取り込んで、ホーム・スタジオを持っていて……たぶん結婚はしてないと思うけどカップルなんだよね? そのスタジオで手作りのシンセサイザーを作ったりテープに録音したり、そういうやり方も興味深いよ。他のリミキサーに関しては、普通のリミキサーとはちょっとちがうメンツになっているよね。ピーキング・ライツもバンドとしてライヴ活動をしている人たちでミキサーではないし、コナン・モカシン(Connan Mockasin)もいわゆるアーティストだし、ちょっと毛色のちがう人を選んだんだよ。

では最新作『ルミナス』についてなんですが、まず、このタイトルにした理由は?

F:(ずっと『NME』を読んでいたファリスが)いやあ……。それにしても、これを見てたら、いまはずいぶんいなくなっちゃったバンドが多いなあと思って。僕らもそんなに長くやっているつもりはなかったけど、考えてみれば9年でしょ。でもなあ、その9年の間にずいぶんバンドが現れては消えたもんだなあと思いながら読んだよ。
 で、『ルミナス』に関してだけど、曲作りのプロセスそのものなんじゃないかなと思うよ。エネルギーが発散されて、そのときに光が放たれるっていう感覚、僕らの曲作りは昔からそうだけど、とにかく自分たちを表現したいって。有機的な作業を経て最終的な形まで、曲が自然に発展していくそのプロセスを表現した言葉かな。

アルバムの発売を一度延ばし、ミックスにじっくりと時間をかけたようですが、こだわった部分、意識した部分は?

F:じつは延期した理由はミキシングのためにということではなかったんだ。というのも、僕らの制作って同時進行なんだよね。とくに“フォーリング・スター”とかはミキシングをしながらもまだレコーディングして、録ってはまたミキシングして、という形で。そのふたつを分けて考えていないから、ミキシングに入ってもなお曲が発展して、徐々に曲が完成していくっていうやり方なので、ミキシングのために延ばしたっていうわけではなかったんだよ。

今作では、非常にダンサブルに仕上がっていると感じましたが、そのように意識したんですか?

R:僕らがあらかじめこういう方向に、って座って話し合ったわけではなくて、まずは作業をはじめてみて、それがどこに向かっているかを見極めていったんだけど、最初の段階ではまったく何もなくて白紙のキャンバスがそこにあっただけど、その中から自分たちが何にエキサイトできるかなと探っていったんだけど、わりと早い段階で気がついてみたら自分たちがエネルギーの発散とか動きたくなる感覚とかに傾倒していることに気がついて、それを追求していくことになったんだ。いわゆる踊れるレコードになったのがその結果なんだけど、フェスティヴァルの会場でやるのも想定しているけど、今回はナイトクラブとかダンスフロアで聴いても楽しめるような音が頭の中にあったから、その点では意識的だったと言えると思うよ。最初は無意識だったけど、だんだんと曲作りの焦点になっていった。

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それにしても、これを見てたら、いまはずいぶんいなくなっちゃったバンドが多いなあと思って。(ファリス・バッドワン)

7年前ですらいたバンドがいなくなっちゃってることを考えると、そのさらに前にもいい音楽がたくさんあったっていうことを知らせるのは大事かなと思っているよ。(リース・ウェブ)

〈ザ・フライ・アワーズ〉でサーストン・ムーアと共演したようですが、いきさつは?ソニック・ユースをはじめとする彼の音楽についてそれまでどう思っていましたか?

R:とくにジョシュ(G)がソニック・ユースの大ファンで、たぶん彼にとっていちばん好きなバンドなんじゃないかな。ついこの間もジョシュとそういう話をしていたんだけど、ギターをはじめたきっかけがソニック・ユースだったって言ってたよ。ああいう、当たり前のギターではなくて、ペダルを噛ませたりノイズを鳴らしたりチューニングを変えてみたりっていうところで、一般的なギターの認識とはがらりと違うことをやったバンドだってね。ああいうバンドを聴いたのははじめてだったんだって。
 〈ザ・フライ・アワーズ〉の授賞式ではお互い演奏することがわかっていたから、まずはそのステージでいっしょに共演しようかっていう話と、レコードにも参加してくれないかって話を持ちかけたんだ。それまで会ったことなかったんだけど、言ってみたら気さくにいいよって言ってくれたんだ。実際に、ギター一本ぶらさげてスタジオに来てくれたんだよ。サーストンは、ゆっくりゆっくり準備するんだよね(笑)。こんなことがあってさー、とか話しながらね。2回やればじゅうぶんかなって思ったんだけど、せっかくだからって3回通しで弾いてもらって。で、そのあとお酒飲みに行って。飲みながらNYのいろんなバンドの話をしてもらったりしながらね。すごく楽しかったよ!

〈オール・トゥモロウズ・パーティーズ〉や〈オースティン・サイケ・フェス〉などのフェスティヴァルへの参加で受ける刺激はありますか? わたしは以前、ザ・ホラーズがデビューの年に〈SXSW〉へ行ったことがあるのですが、あなたたちが熱心にいろいろなバンドのライヴを観てまわっていたのを見かけましたよ。

R:今年も〈オースティン・サイケ・フェス〉がすごく楽しみなんだよ。週末にフェスに行くとだいたい自分たちの出番が終わったら帰ってきてしまうことも多かったり観たいバンドの出る日が違ったりして、なかなか他のバンドを見ることができないままだったりするんだけど、〈オースティン・サイケ・フェス〉はラインナップもいつも充実しているし、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとかブライアン・ジョーンズタウン・マサカーとかそういうバンドがばーっと出ているところに行ったらもうとにかく見たいよね。ロンドンでももちろん音楽シーンは充実しているしライヴもたくさん観れるけど、フェスに行ったら一気に観られるからね。僕らは相変わらずライヴを観に行くのが大好きなバンドだから、ああいう機会にはどんどん観るようにしているよ。

フェイスブックで、連載のようにしてお気に入りの曲のユーチューブ・リンクをあげて紹介していたり、レギュラーのDJイヴェントをずっと続けていたりして、たくさんの音楽を聴いて紹介しつづけているのもとても素晴らしいと思います。ホラーズを好きな若いファンたちも、あなた方のルーツであったりインスピレーションを受けた音楽を聴いて興味を広げていくでしょう。そのようによい音楽を紹介しつづけることには使命のようなものを感じているのでしょうか?

R:僕らが紹介しているものは、ホラーズに直接関係があるものとは限らないんだけどね。好きだと思うもの、聴いているものをみんなとシェアしたくてやっているよ。指一本でいろいろなものが聴けてしまう時代だけど、それでも聴き逃してしまういいバンドとかいい曲はたくさんあると思うので、それをぜひ紹介したいなと思うよ。僕らに直接影響を与えているかというとちょっとちがうものもあるけど、僕らのようなバンドに興味を持ってくれる趣味のいい人たちなら気に入ってくれるだろう、というものを紹介しているよ。さっきもファリスが言ってたけど、7年前ですらいたバンドがいなくなっちゃってることを考えると、そのさらに前にもいい音楽がたくさんあったっていうことを知らせるのは大事かなと思っているよ。使命というほどではないけどね。

いまでもレコードは買いつづけていると思いますが、ロンドンでお気に入りの店は? また、フィジカルな録音物へのこだわりはありますか?

R:最近ロンドンのお気に入りのレコード・ショップは閉まっちゃったんだよね……。イントキシカ(Intoxica)とか……。

F:マイナス・ゼロ(Minus Zero)とかね。

R:世界のどこに行ってもレコード店は減っちゃっていて残念だね。

F:ボストンのあの地下のところも……、なんだっけね。

R:リリースに関して言うと、アートワークも含めてアナログのそんざい可能性を僕は信じているよ。流通形態がみんなMP3とかダウンロードとかになっているのはわかっているんだけど、売上のごくわずかだとわかっていても、アナログの存在感は僕は強く感じているし大事にしたいね。

interview with Swans - ele-king


スワンズ - To Be Kind
[解説・歌詞対訳 / 2CD / 国内盤]
MUTE / TRAFFIC

Amazon

 4月8日に保坂さんと湯浅さんとディランのライヴ──モニターがトラブったあの日である──にいった翌週、季節はずれのインフルエンザにかかりタミフルでもうろうとしながらこのインタヴューの質問を考えていたら、ボブとジラが二重写しになったのは、テンガロン・ハットをかぶったいかめしい男を真ん中にした男臭い集団のもつムードに似たものをおぼえたからだろうが、それはアメリカの国土に根づく、というより、いまも澱のようにこびりつくアメリカン・ゴシックの、無数の歴史的諸条件によりかたちづくられた感覚を、一方は60年代のフォーク・ロックとして、他方は80年代のインダストリアルと00年代のフリーフォークがないまぜになった感覚で表出するからではないか。音楽の貌つきはまったくちがう。映し出す時代も、住処も地表と地下ほどにちがうかもしれない。ところがともにフォークロアではある。それはポピュラリティさえもふくむ複層的な場所からくる何かである。

 私は前回のインタヴューで再活動をはじめてからのスワンズの宗教的ともいえる主題について訊ねたところジラはそれを言下に否定した。それもあえていうまでもなくそれはディランが70年代末から80年代初頭キリスト教ににじりよったように彼らの一部でありいうまでもなかったのかもしれないと思ったのだった。

 『To Be Kind』は前作『The Seer』を引き継ぎ、長大な曲が占める。セイント・ヴィンセント、コールド・スペックスを招き、ジョン・コングルトンが録音で参加した布陣も今回も冴えている。朗唱のようなジラのヴォーカルと豪壮な器楽音の壁が長い時間をかけ徐々に徐々に変化する作風は前作以上に有機的で、1年前の日本公演をふくむワールド・ツアーの成果を反映した現在のスワンズの音楽を指してジラは「音の雲」と呼ぶのだが、刻刻と変化するのにそれは同時に豪壮な構築物でもある。矛盾するような得心するような、こんな音を出せるバンドは彼らをおいてやはり他にいない。

ハウリン・ウルフは私のヒーロー、アイコンなんだ。彼の自伝も数年前読んだ。すごい人生を歩んだ人だ。1900年代初頭のミシシッピの貧しい小作人の子どもでね、13歳になるまで靴もはいたことがないほどだった。8、9歳くらいから畑を耕しはじめ、もちろん教育など受けたこともなかったが缶を叩きながら畑の中で歌った。

2013年2月の来日公演からすでに1年経ち記憶も定かでないかもしれませんが、とはいえ、その前の来日公演となると20年以上前だったわけですが、なにか印象に残っていることがあれば教えてください。

MG:その来日ではライヴは1回こっきりだったんだけど、日本のファンはとても熱狂的だったのを憶えているよ。あと、これはいつも思うことなんだけど、日本人の礼儀正しさにはほんとうに関心するね。

資料によれば『To Be Kind』の素材となった部分はこのときのツアーで練り込んでいったとあります。じっさい2013年2月の東京公演では“To Be Kind”ではじまり、“Oxygen”などは“The Seer”とメドレーで演奏していました。そのときすでに『To Be Kind』のコンセプトはできあがっていたのでしょうか?

MG:いや、一部の(と強調)要素はライヴを通じて、インプロヴァイズしながら練り込み、そこから私がリフやグルーブを足して、一年をかけてひとつの大きな作品として形を変えていった。たとえば、はじめの段階では歌詞はまだなかったのがその当時読んでいた本を元にライヴで徐々に歌詞をつけたしたりした。それがこのアルバムの半分くらいの曲で、残りの曲のグルーブやサウンドに関しては、アコギでつくりあげたんだ。“A Little God in My Hands” “Some Things We Do” “Kirsten Supine”“Natalie Neil”、それと“To Be Kind”もコアの部分はすべてアコギでつくった。『To Be Kind』の多くはそういった手法でメンバーと集まってつくりこんだ。スタジオでは他のミュージシャンも参加して私がアレンジを加え、練り込み、映画のサウンドトラックのような感じにつくりあげた。

『The Seer』と『To Be Kind』は長尺曲を中心としたCD2枚+DVD1枚にわたる作品という両者の構成もよく似ています。このような構成にこだわった理由を教えてください。あるいては楽曲の要請としてこれは必然だったのでしょうか。

MG:ライヴ音源は長時間に渡っていたからね、34分っていう曲もあったし。そういう曲のことをどういえばいいのか、音の雲とでも呼ぼうか。曲の長さを気にすることなく、流れに任せて演奏して、その曲の存在価値を見い出そうと決めたんだ。素材が集まった段階でどういうフォーマットに落とし込んでリリースするかを決めた。それで今回はCD2枚、ヴァイナル3枚という構成になったんだ。DVDはボーナス・ディスクだ。ほら、われわれは心優しいからね(笑)。

とはいえ、前作と本作では音の表情はかなりちがっています。よりブルージーになったといいますか。要因のひとつにレコーディングを担当したジョン・コングルトンの存在があったのではと思うのですが、彼とは事前にどのような音づくりを目指しましたか。またレコーディング中で印象に残ったトピックがあれば教えてください。

MG:メンバーは私が集めてきた要素よりも、ライヴでやったものを意識していた。どういうサウンドのアルバムにしたいかということはすでに頭にあったし、曲ごとにどの楽器を使うか、どういう構成にするかなどのリストもつくっていた。他のミュージシャンが参加して、別のものをもってくると私のアイデアよりもいいと思うものが出てきたりもした。ブルージーになったかどうかはわからないな。ブルースの雰囲気くらいはとりいれていたかもしれないがコード進行までは意識してはいない。どちらかというと、グルーブとか深い音という面でだろうね。ジョンとはそれぞれの曲がどのような相互作用を持つかを重点に考えていた。スタジオで録音されたものをきっちり演奏するというよりも、ライヴで演奏を重ねることによってより大きな建造物をつくりあげていきたいと思ったんだ。

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Jennifer Chruch

ルーヴェルチュールは奴隷の反乱の扇動者で、ナポレオンの失脚の一因ともなった人物だ。1700年代後半から1800年代前半のハイチで初めて奴隷の反乱が成功したのはルーヴェルチュールのおかげだった。その後にナポレオンの部隊に捕まり、フランス国内で投獄されそこで人生を終えた。

音楽の形式としてゴスペルに対する憧憬をあなたは前回のインタヴューで述べておられました。『To Be Kind』ではそれがより直裁に表現されたと考えられないでしょうか。

MG:実際ゴスペルは詳しくないんだけど、永遠に続くクレセントがゴスペルに通じるものがある、という意味でその当時そういったんじゃないかな。ゴスペルの熱気のようなものはスワンズとの共通項だね。

ジョン・コングルトン氏はセイント・ヴィンセント氏からの紹介ですか?

MG:いや、その反対だ。ジョン・コングルトンが以前からスワンズといっしょにやりたいといっていたんだ。もともと、スワンズのパーカッションのソー・ハリスがジョンとかかわりがあり、いちどShearwaterというジョンがプロデュースしたバンドとライヴをしたんだ。ソーはあと、スモッグの……えーっと誰だっけ? そう、ビル・キャラハンともいっしょにやって、それもジョンがプロデュースした。そういうわけでソーがジョンのことを薦めていっしょにやるようになった。ジョンは長年のスワンズ・ファンなんだけど、3年程前にスワンズの曲をセイント・ヴィンセントに聴かせたら、えらく気に入ってくれてわれわれのライヴに来るほどのファンになったんだ。今回のアルバムでは構想段階で女声ヴォーカルがほしかったから、セイント・ヴィンセントに連絡をしたというわけだ。レコーディングではダラスまできてくれて、すばらしいヴォーカルを録ることができたよ。

彼女以外に『To Be Kind』でも前作と同じく多彩なゲスト・ミュージシャンを起用されています。準メンバーのビル・リーフリン氏以外に、上述のセイント・ヴィンセント氏、コールド・スペックス氏のふたりの女声ヴォーカルが特徴的ですが、彼女たちに声をかけたのはそのような理由だけですか。

MG:コールド・スペックスはソウルフルでゴスペルなすばらしい声のもち主だ。“Bring the Sun”にぴったりだった。彼女を起用したのは、すばらしいシンガーだから。この一言に尽きる。彼女は以前、スワンズのカヴァーをやったこともあるんだ。いままで聴いてきたスワンズのカヴァーで唯一いいと思えたのが彼女がやったものだった。『My Father Will guide Me Up A Rope To The Sky』に収録した“Reeling The Liars In”という曲で、いうことなしのできだった。そこから繋がったんだ。

「Chester Burnett(ハウリン・ウルフ)」「トゥーサン・ルーヴェルチュール」といった歴史上の人物を本作ではとりあげたのはどのような理由からでしょうか? またこれら歴史上の人物からあなたはどのようなインスピレーションを得たのでしょうか。

MG:ハウリン・ウルフは私のヒーロー、アイコンなんだ。彼の自伝も数年前読んだ。すごい人生を歩んだ人だ。1900年代初頭のミシシッピの貧しい小作人の子どもでね、13歳になるまで靴もはいたことがないほどだった。8、9歳くらいから畑を耕しはじめ、もちろん教育など受けたこともなかったが缶を叩きながら畑の中で歌った。ほどなくギターも習った。苦境に立たされているからそこから逃避したい気持ちがあったんのだろうね。後に南部を中心に酒場のドサまわりをはじめ、知名度もあがってきたところで、シカゴに移り、マディー・ウォーターズらとともにエレクトリック・ブルース、つまりシカゴ・ブルースだ、それを確立した。それがのちに多くのひとに多大な影響を与えることになった。その意味では魔法使いという呼び名がふさわしい。苦境から這いあがり世の中に多大な影響を与えるすばらしい人生であると同時にすばらしい声のもち主でもありひと息で低いバリトンから高いヨーデル調の声まで幅広く出る。彼の曲には楽しくてダーティで性的な要素がすべて詰まっている。
 ルーヴェルチュールはまったく別のところから引っ張ってきた。“Bring the Sun”はインプロヴァイズを重ねてつくった曲で歌詞はなかった。その頃私はルーヴェルチュールの伝記を読んでいて、それで彼の名を歌詞の中で連呼することを決めた。そこから歴史的瞬間を捉えるような音的な言葉をつけ加えて曲を構築したんだよ。ルーヴェルチュールは奴隷の反乱の扇動者で、ナポレオンの失脚の一因ともなった人物だ。1700年代後半から1800年代前半のハイチで初めて奴隷の反乱が成功したのはルーヴェルチュールのおかげだった。その後にナポレオンの部隊に捕まり、フランス国内で投獄されそこで人生を終えた。
 彼もハウリン・ウルフと同じく、奴隷としての人生から自由の身となり、働いていた農園のオーナーからは努力を認められ、オーナーや修道士から読み書きを教えてもらったそうだ。そこから、ルソーなんかのフランス啓蒙思想家やマキャヴェッリについて読み、軍事戦略について学んだ。彼も奴隷からはじまり歴史を変えた人物だった。ルーヴェルチュールによるナポレオンの失脚がなければ、ナポレオンはアメリカへルイジアナを譲渡することなどなかったにちがいない。ルーヴェルチュールの軍に勝つには、軍事強化のための資金が必要だったかね。だから彼も世界の歴史を変えた人物の一人だよ。私が読んだのは、マディソン・スマート・ベルの著書(マディソン・ベルはルーヴェルチュールとハイチ革命について『All Souls' Rising』『Master of the Crossroads』『The Stone That the Builder Refused』の三部作を著し、『Toussaint Louverture : A Biography』なる評伝もある)。フランスの歴史上重要な時代だからおさえておいた方がいい。

『To Be Kind』はなぜ〈Young Gods〉ではなく〈Mute〉からのリリースなのですか?

MG:〈Mute〉のダニエル・ミラーがスワンズのことを再結成後からずっとフォローしてくれていたんだ。私は1990年から〈Young Gods〉をやっていてスワンズをはじめ、他のアーティストのリリースもしてきているから、あえて他のレーベルと契約するのは頭になかったのだけどアメリカ国外のディストリビューションには弱かったから、ダニエルがミュートとの契約の話をもちかけてくれてよかったよ。どちらかというとパートナーシップだね。われわれは若いバンドでもないし、懐の広い叔父さんのレーベルと契約をしたわけではない(笑)。音楽を心から愛して、サポートの厚いダニエル・ミラーのことは私自身とても尊敬しているし、ミュート・レコードからのリリースはとても名誉なことだ。だからこういう流れになってうれしいよ。

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Sibastian Sighell

音楽を心から愛して、サポートの厚いダニエル・ミラーのことは私自身とても尊敬しているし、ミュート・レコードからのリリースはとても名誉なことだ。だからこういう流れになってうれしいよ。

『To Be Kind』は繊細かつ実験的な音づくりだと思いました。あなたは前回のインタヴューでベーシック・トラックを録った後、どのような音が必要か考え、音を追加するとおっしゃっていました。今回はそれが非常に緻密におこなわれていると思いましたが、そこにもジョン・コングルトン氏のアイデアが活かされているのでしょうか。

MG:うん。彼は今作ではプロデューサーではなくエンジニアだ。だいたいにおいて、私がアイデアを出して練り込むんだけど、彼に「これも試してみなよ」ってな感じでいわれたり。プロデューサーではないんだけど、アイデアを提供してくれたりはしたよ。どんなエンジニアにもそうあってほしいと思うよ。たとえば、エンジニアにはピッチがおかしかったりしたら、それをすぐに察知して教えてほしい。私はそれ以外のことで頭が一杯だからね。ジョンはその役割も果たしてくれている。私のアイデアをうまくまとめて、さらに広げてくれもした。そういった意味ではジョンのアイデアはかなり活かされているよ。

逆にいえば音盤をライヴで再現するのは難しいと思いました。その点についてはどう思われますか。ライヴはスタジオワークとはまったく別ものでしょうか? スワンズとってレコードとライヴをそれぞれ定義してください。

MG:まず、音源をライヴで忠実に再現することには一切興味はない。ライヴでプレイするのであれば、まったく別のものにしたいと思っている。アルバムをプロモートするためにライヴをしたいんじゃない。ライヴの「いま」を体験してほしいんだ。ツアーをすれば、要素はつねに変化するし、1週間後2週間後のライヴではセットもまったく異なってくる、たとえ同じ曲を演奏していても。だからライヴとスタジオワークはまったくもって異なったものだ。アルバムは録音された曲の集合体。曲を組み立てて、アルバムを構築して、ひとつのアート作品をつくるという行為は私は好きだ。そのプロセスが終わっても音楽はコンセプトとして生き続けるのだがそれをライヴで演奏するとなるとつねに自由自在に変化できるようにしていかなければいけない。
 ニーナ・シモンの“Sinner Man”を考えてごらん。ライヴごとに変化していっているよね。いいアーティストはそれができるのだと思うよ。いわゆるポップ・ソングじゃないかぎりね、われわれはまるっきりのアヴァンギャルドではないけれどもつねにフレッシュで予測できない音楽をつくっていきたい。自分のためにもオーディエンスのためにも。

『To Be Kind』では器楽音意外の具体音(馬の歩み、いななきなど)も使われており、それもあって音による(言葉ではありません)大河ドラマを聴くような気がしました。たとえば『To Be Kind』をサウンドトラックにするとしたら、どのような映画がよいと思いますか。古今東西誰のどんな映画でもかまわないのであげてください。

MG:黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957年)とラース・フォン・トリアーの『メランコリア』(2011年)だね。あと、ギャスパー・ノエの『アレックス』(2002年)かな。勇気があったら観てごらん(笑)。ところでギャスパー・ノエの『エンター・ザ・ボイド』(2009年)は映画館で観たかい? 私は家のスクリーンで観たんだが映画館で観たらまた違った体験ができたんじゃないかと思った。家だとトイレに行ったり、スナックを取りに行ったりできるけど映画館じゃできないだろ。だからあの映画の間映画館の椅子に縛りつけられていたらどんな気分だろうと思ったんだ。ストーリーも映像もすごく美しい。当初ストーリーはなかなか入り込めなかったが終わってから作品について読んでもういちど観たらようやくどういうことかわかってきた。よくできた作品だと思うよ。キャラクターの視点からの録り方がよかったね。あと、体内に入りこむところも。

アートワークにはボブ・ビッグスの作品を使っていますが、1981年に彼の目にした彼の作品をなぜ本作でまた使いたいと思ったのでしょう。資料によれば、この作品はボブ・ビッグス氏の家の壁に描かれた水彩画だということですが、ビッグス氏とあなたは旧知の間柄なんですか。

MG:その当時からボブとは面識はあったが親しい仲ではなかった。例の作品は壁の水彩画じゃなくて、黒い用紙上のパステル画だ。その作品がとても気に入ったんだ、ジャスパー・ジョーンズの旗や標的の作品のようにアイコン的でね。表現方法が不思議で興味をそそられた。神秘的なシンボルのようでね。意味が込められているかそうでないのかもわからない。面白いのは、ずっとみていると、意味と無意味が交互に共鳴しはじめるんだ。実際に自分が何をみているのかもわからなくなってくるようでね。30年の時を経て、使用許可をもらったんだけど、黒のバックグラウンドから頭だけを切り取ったんだ。今みてもらっているベージュの部分は実際は段ボール用紙で、その上に作品がエンボス加工でプリントされている。ツヤ加工もしてあるから、段ボール用紙からまるではがせるような風合いだよ。当初の予定では、実は赤ちゃんの代わりに女性の乳首を使おうと思っていたんだ(爆笑)。でも実際画像を集めはじめたら、乳首に焦点を当てると美しくも何ともないことがわかった。これは使えないとなった。そこでなぜかボブのことが思い浮かんだんだ。ほら、赤ん坊と乳首は同じような感情を呼び起こすだろ(笑)? それでボブに例の赤ちゃんの作品について訊ねたわけだ。

上記質問と同じ意味で、あなたが長年あたためながらまだ実現していないことのひとつをこっそり教えてください。

MG:もしかしたら知っているかもしれないけど、私は以前に本を書いたことがある。時間があればぜひまた執筆活動をはじめたいね。いまは本を読む時間もなかなかとれないから、時間ができたらまずは読むことからはじめたい。読むときに使う脳の部分をまずは活性化させないとね。だからそれができる時間がとれれば、また書きはじめられる。それが死ぬ前にやりたいことだね。

スワンズは現在のシーンでは孤高の存在だと思われます。ジラさんにとって現在のシーンで共感できるバンドないしミュージシャンはいますか? もしくは他者の存在はさほど気にすることはないですか。

MG:最近の音楽にはさほど興味がないんだけど、ベン・フロストやシューシューはいいと思うね。サヴェジーズやリチャード・ビショップの音楽もいい。いわゆるメジャーなポップ・ミュージックには興味はないね。

次回の来日公演はいつになりますか? まさかまた20年後ということはないと思いたいですが再々来日を待ちわびる日本のファンにコメントをお願いします。

MG:I love you very much(笑)!

interview with Wild Beasts - ele-king

 ワイルド・ビースツ。UKはケンダル出身の4人組。現体制ではや8年にも及ぶ活動をつづけている彼らは、ポップ・シーンの異端として各メディアからの称賛を得た『リンボ・パント』(2008年)以降、翌年の『トゥー・ダンサーズ』のマーキュリープライズへのノミネートなどを経て、『スマザー』(2011年)でその人気と評価を揺るがぬものにしたかに見える。


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 その後の初のリリースとなる新作『プレゼント・テンス』について、「彼らの確信がその野心に見合うものになった」と評していたのは『ガーディアン』誌だ。同誌の『トゥー・ダンサーズ』(2009年)のレヴューは「近年ヘイデン(・ソープ ※本バンドのメインのヴォーカル)ほどの驚きをもたらしたロック・ヴォーカリストは他に思いつかない」という文章からはじまっているが、それは、当初彼らがシーンに対して投げかけた「驚き」が、少なからず奇異の感やとまどいぶくみのものだったことを思い出させ、同時に、いつしかそれが堂々たる称賛へと変化していたことを実感させる。気に障るあいつは、気になるあいつになり、オンリー・ワンな存在へと変わった──「野心と確信が見合うようになった」というのは、そういうことだろう。

 何が気になるのか、それは彼らの音楽、そしてヴォーカルを耳にしたことのある人ならすぐにわかるはずだ。デヴィッド・バーンやクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーのアレック・オウンスワース、あるいはモリッシーを思い浮かべもする。ヘイデン・ソープのヴォーカリゼーションはスノッブで演劇的だと評されることもあるが、起伏が大きく、耳馴染みのよいとはいえないそれはしかし非常に精神的であり、ポップスというひとつの予定調和性との間に摩擦を起こす。そして、その摩擦そのものがひりひりと音楽を高める──その点、オート・ヌ・ヴのアーサー・エイシンとは、性格は異なれど、性的なモチーフへの強いこだわりや、R&Bを意識する点においてより共通性があるかもしれない。ブラック・ユーモアやエグみのある題材は、トラッドな音楽フォームに彼ら一流の解釈と屈折を加えた楽曲と相俟って、誰も真似のできないかたちをなし、近年作においてはエレクトロニックな方法や発想と結びつきながら洗練の度合いを深めてきた。なんというか、彼らの音楽はけっして「ミュータント」なのではなく、知性と確信とが磨き上げた不屈の皮肉であり批評でありパフォーマンスなのだ。そんなものが堂々とすぐれたポップスとして受け入れられ、称賛を浴びていることがとても心強い。
 インタヴューにはそのヘイデンの歌に穏やかな対照を与え、彼らの音楽性を一層深めているもうひとりのヴォーカル、トム・フレミングが応じてくれた。

■ワイルド・ビースツ(Wild Beasts)
英ケンダル出身のヘイデン・ソープ (V/G)、ベン・リトル (G)、トム・フレミング (V/B)、クリス・タルボルト (Dr)の4人組ロックバンド。08年のアルバム・デビューから現在までに3枚のアルバムを発表。09年、2作目『トゥー・ダンサーズ』が英国最高峰音楽賞マーキュリープライズにノミネート。11年3作目『スマザー』が全英17位を獲得。世界中で賞賛を受け、数々の年間ベストアルバムに選出された。14年、ニュー・アルバム『プレゼント・テンス』をリリース。さまざまなメディアが大絶賛し、全英チャートトップ10入りを記録した。


性っていうのは見れば見るほどわかってくるものなんだ。

“ワンダーラスト”などの性的なモチーフは、あなた方の音楽全体にも重要なインパクトを与えていると思いますが、あなたがたの音楽自体は必ずしも肉体的ではなく、むしろ精神性が勝っているように感じます。ワイルド・ビースツにとってのセクシュアリティとはどのようなものなのでしょうか?

トム:性には間違いなく興味を持っているね。君が言うように、精神性や人間性を性から完璧にかけ離そうとはしていない。その方がいろんな意味でおもしろいと思うんだよね、そうだろ? 音楽はまず体で感じるものだし、イギリス人のミュージシャンはそこまでそれが得意じゃないんだよね。性っていうのは見れば見るほどわかってくるものなんだ。

たとえば、音楽のフォームとして、R&Bは意識されていますか?

トム:R&Bは間違いなくよく聴くジャンルだよ。音を一つ一つどう繋げていくか、ちょっと外れている音をどう音楽に取り入れているか、ヴォーカルがどう鳴り響いているか、外れているリズムの技なんかに興味があるんだ。意識しているからなのかはわからないけど、雨がよく降る小さな島に住む子どもたちが動き回れるように、スペースを作り出しているようなイメージが湧くんだよね。4つ打ちのロック・ミュージックよりはしっくりくるんだと思う。

曲は歌のメロディから先に発想されるのですか?

トム:曲によるね。最初にリリックかタイトルが浮かびあがってきて、それをもとに曲の中心となるアイディアが生まれるんだ。そこからどんどん音楽ができあがっていく感じだね。まとめると、普段メロディがいちばん最後に作り上げられるんだ。

歌がとても強く繊細で、多くの曲はリニアにかたちづくられているように思います。そんななかで”ワンダーラスト”の吃音のようなタイム感やビートが必要だったのはなぜでしょうか。

トム:とてもシンプルなリズムだよ。だけど4/4のはずが3/4が聞こえるから何かが「抜けている」ように感じて、リズムに落ち着きがないように感じるんだよね。僕たちの音楽においてはドラムがいちばん大事な要素だと思ってる。4/4とか8/8よりは3/4、6/8に当てはまるんだ。フォーク・ミュージックの影響を受けてるんじゃないかな。

音楽を媒介するSNSなどの普及によって、音楽はより身近なところで完結的・効率的に流通するようになり、もはやポップ・ミュージックが人々の思いや時代の気分といった大きなサイズの共同性を代弁する必要がなくなったように見えます。あなたがこれまで受けたポップ・ミュージックからの恩恵について、教えてもらえますか?

トム:そうだね、いまはどこでも何でも手に入るからね。情報で溢れているんだ。それに対して興味深いレスポンスがさまざまな楽曲の制作。教会・クラシカルなバックグラウンドを持った幼い僕と、いま僕が作っている音楽との架け橋はポップ・ミュージックだったんだ。ボーイズ・II・メンやハダウェイを長波ラジオで聴くのが僕の音楽の学業において大きな役割を果たしたんだ。小さい頃はそれのありがたみに気づけてなかったけどね。

そんななかで、あなたがたは依然として「大きな」ポップ・ミュージックを引き受け、牽引する存在であるように思います。シーンにおいて、あるいは広くアートの営みの上において、自分たちの役割を意識することはありますか?

トム:そんなにいろいろ考えてたら気がおかしくなると思うよ。何よりも大事なのはとにかく打ちこむこと。おもしろみのあるものを作り出すこと。素直でいること。もちろん観客はほしいし、必要ではあるけど、誰も作れない音楽を作り出さなくちゃいけないんだ。そうするためのいちばんの手段は机に向かってひたすら打ち込むこと。僕たちの役割は何かを言う権限を持つことなんだ。だから、いわば、僕たちが言ったりアクションを起こさない限り起きないことを実現させることかな。

イギリスにはザ・スミスという素晴らしいバンドが存在しましたが、あなた方からは彼らがどのように見えますか?

トム:正直なところ、僕たち結成当初、ザ・スミスに多大なる影響を受けたんだ。彼らがいっしょに演奏するさま、マーティン・カーシーのブリティッシュ・フォークのギター・スタイルを取り入れるジョニー・マー、モリッシーの歌詞の組み方、北のブラック・ユーモア……全部健在なんだ。

イギリスの音楽の歴史を考えるときに、もっとも意識するのはどんなアーティストですか?

トム:とにかくたくさんいるよ。パイオニアであることを第一として考えるけど、スロッビング・グリッスル、エイフェックス・ツイン、ペンタングル、レッド・ツェッペリン。一日中話していられるよ。

では、アメリカのバンドやイギリス以外のミュージシャンで意識する人たちはいますか?

トム:数え切れないほどいるよ。その中から名前を挙げるとすればディーズ・ニュー・ピューリタンズ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、ザ・ナショナル、ジ・アントラーズ、フォールズ、スワンズ……。

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古風なコラボレーターなんだよ、僕たち。




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みなさんは小さいころからの仲間だそうですね。ケンダルで青春期を送ることは、たとえばロンドンでのそれと大きく異なるものなのですか?

トム:まあ田舎の小さな町だからね。ちがいは大きいと思うよ。中心からかけ離れた存在感を持っているっていうことを自覚するようになったし、周りのヤツらと世界観を共有するようになった。バンドをやっていて狂いそうなときもある。だけど地に足がついているのはケンダルで育ったからなんじゃないかな。

プロデューサーとして加わっているレックス(Lexxx)の影響や、あるいはレオ・アブラハムス(Leo Abrahams)の影響は、それぞれ今作のどのような部分に反映されていると思いますか?

トム:彼らは才能を持った人たちだよ。レックスは音響の面で制作に関わっていて、レオは作曲やヴォーカルをどう届けるかにおいて制作に関わっていたんだ。僕たちが何を欲していて、どこに向かっているのかちゃんと理解していて、彼らどちらともこのアルバムを一人で作り上げることはできたと思ってる。大きく響くシンセの音だったり、引き締まった楽曲の作りは彼らの影響だね。

リチャード・フォーンビー(Richard Formby)の起用は予定されていましたか?

トム:リチャードにはいままでにも多大なる影響を受けてきたんだ。だけど今回は何か新しいことをしようって決めてね。彼と仕事するのは大好きだから今回はいっしょに制作に取り組めなくて辛かったけど、またきっと機会があると思うよ。彼とは2作をともに制作したし、僕たちはただバンドとして進化していきたかっただけなんだ。

ツアーを一旦休止してアルバム制作に専念したということですが、みなで寝泊まりをして臨んだのですか? その流れや模様を教えてください。

トム:アルバムはほとんどロンドンでレコーディングされたんだ。夜おうちに帰って、朝戻ってきてた。他のアルバムは一つの場所で集中した期間を設けて書いてたんだけどね。今回の方が考える時間も大幅に設けられたし、物事を正しくこなせたんじゃないかな。ロンドンは費用がかさむから、狭い、ちょっと窮屈な場所を使ってたよ。ほとんどの楽曲制作にソフトウェアを使ってたのはそのせいでもあるんだ。アルバムを書き始める前に休養をとったのは、ただただ盲目に取り組むんじゃなくて、自分たちがちゃんと欲してるアルバムを作ってることが確かであって欲しかったから。バンド外にもみんな個々の人生があったから、それがあってこそのアルバムなんじゃないかな。世界を見なきゃならないんだ。

基本的にはヴォーカルをとる方がソングライティングを行っているということになりますか? その場合、相手の入ってくるパートは相手の声や表現で歌われることを想像して作られるのでしょうか?

トム:ほとんどはヘイデンと僕が、それぞれ自分が歌う部分を書いてるね。だけどもちろんお互いのために書く部分もあるよ。お互いの声がどういったポテンシャルを持っているのかも熟知しているし、僕たちの声がお互いの声と自然と溶け込むこともわかってるからね。誰がどこを担当するか、誰が何を曲に与えられるかっていうことはよく考えるところだよ。古風なコラボレーターなんだよ、僕たち。だけどアルバムが完成するまでに、楽曲は4人全員の影響を吸収するんだ。

「アート・ロック」と呼ばれることについてどう思います?

トム:まあ、言われるがままにだね(笑)。いいんじゃない? もっとひどい言い回しはあると思うし。構わないよ。

ジャケットのアートワークとしてコラージュされている図像はそれぞれ意味を持っているのでしょうか? ビルの角はどこなのでしょう?

トム:どの楽曲もじつはイメージを持っていて、それが楽曲のアイディアに結びつくようになっている。コラージュにしたのは毎日僕たちが「理解しろ」と与えられる大量の情報を表している。君が指してるのはおそらく西ロンドンに位置する古いビンゴ・ホールだと思うんだけど、正直なところどの建物の写真を最終的に選んだか覚えてないんだよね。

口当たりのよい言葉や元気のよい掛け声をかけないポップ・アルバムを作りあげることは、かなり勇気のいることだと思いますが、本作はその点、4枚目の作品としてのあなたがたの自信や、音楽制作における確信を表すものだと考えてよいでしょうか。

トム:ありがとう。いままで書いてきたアルバムはここに至るまでに必要不可欠だったと思ってる。このアルバムは他に比べてもっと真っすぐだし、意味合いを表現するという分には素直だよ。この時点で僕たちは自信を持っているし、自分たちという存在を確立できたと思っている。過去のアルバム、過去のライヴから学んできたことをこのアルバムを通して抽出しているっていってもいいと思う。だって、何かを学んできたことを証明しなきゃだめだろ……!

interview with Teebs - ele-king


Teebs
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 いったい何故にどうして、いつからなのか……。自分がどうしてこの地上に存在しているのかを考えたときに、倉本諒なら迷わず、ぶっ飛ぶためだと言うだろう。ティーブスにしろマシューデイヴィッドにしろ、そしてフライング・ロータスにしろ、LAビート・シーンの音は、どうにもこうにも、フリークアウトしている。それらは、「ビート」という言葉で語られてはいるが、サイケデリック・ミュージックとしての表情を隠さない。日本で言えば、ブラックスモーカー、オリーヴ・オイル、ブン、ダイスケ・タナベ、ブッシュマインドなどなど……。彼らはストリートと「あちら側」を往復する。
 ティーブスは、そのなかでもとくに内省的で、ひたすら夢幻的だ。僕は恵比寿のリキッドルームにあるKATAで開催中のTeebs展に行った。12インチのレコード・ジャケをキャンパスにした彼の色とりどりの作品がきちんと飾られている。幸いなことに平日の昼下がりでは、客は僕ひとりしかいなかったので、ゆっくり見ることができた。鮮やかな色彩で塗られらコラージュは、どう考えても、ピーター・ブレイクがデザインした『サージェント・ペパーズ〜』のアップデート版で、また、彼の音楽世界をそのままペインティングに変換しているかのようだ。ヒップホップのビートに液状の幻覚剤が注がれているのだ。
 ティーブスの新作『Estara』には、プレフューズ73、ラーシュ・ホーントヴェット(Jaga Jazzist)、ジョンティ(Stones Throw)、そして、シゲトも参加している。僕がKATAに展示された彼のアートでトリップしていると、Teebsはふらっと姿をあらわした。感じの良い、物静かな青年だ。

マッドリブの初期のものとか、カジモトとか。僕は当時12歳で、そんな変な音楽を聴いている12歳は僕だけだったと思う。かなり主流からは離れている音楽だけど、僕はそういうのが大好きだった。

生まれはブロンクスだそうですが、いつまでそこに住んでいたのですか?

Teebs:良く覚えていないんだけど、2歳くらいだったかな。

通訳:かなり小さいときだったんですね。

Teebs:そう、でも10歳くらいの時まで毎年NYには帰ってたんだ。親戚がいるからね。

どんなご両親でしたか? 

Teebs:母親は、クールで寛容な人だった。彼女は物書きで、ブラジルやバルバドスで起こっていたことなどを小さな出版社の雑誌に書いて世界を救おうとしていた。母親は、ジミヘンやカリブ音楽なんかを聴いてた、クールな女性だった。父親は数学者で、とても厳しい人だった。僕はあまり彼のことを知らなかった。でも、仕事熱心で家庭をしっかり支えていたからクールな人だったよ。

あなたにどんな影響を与えましたか?

Teebs:父親には勤勉さを教わったよ。僕が内向的なのも父親譲りだと思う。でもそのおかげで、自分の面倒がちゃんと見れるようになった。母親は「あなたのやりたいことをやりなさい」みたいな感じだったから、父親と母親両方からの影響で一生懸命に好きなことをやる、というバランスが上手く取れるようになったんだと思う。

日本盤の解説を読むと、ご両親が音楽好きで、レゲエやアフロ・ミュージック、ジミヘンなどを聴いていたそうですが、子供の頃のあなたもそうした音楽を好みましたか?

Teebs:母親がかけていた音楽で、アメリカの音楽は馴染みもあったし好きだったね。カリブ音楽は、まあまあ好きだった(笑)。当時、僕は幼すぎたからね。家では、夜中の3時までそういう音楽をかけてダンス・パーティをしていた。

通訳:それは子供にとっては刺激が強すぎますよね。

Teebs:その通り。「もう寝たいんだよ……」って思ってた。だから当時はまったく理解できなかった。大人になるまではね。いまではそういうリズムがどこからか聴こえてくると笑みがこぼれるよ。誰がかけてるんだろう? って気になっちゃう。

当時ラジオでかかっているヒット曲や最新のヒップホップ/R&Bのほうが好きでしたか?

Teebs:僕は87年生まれだから90年代だよね。ヒップホップが僕のすべてだった。変わったものが好きだった。僕には兄がいて、彼から色々教わったんだ。僕の年齢じゃ本当はまだ知るべきじゃなかったことなんかもね(笑)。兄の影響で、とても変わったヒップホップが好きになった。

通訳:例えばどんなのですか?

Teebs:変わっているというか、ポップ・ミュージックにはないような感じのもの。MADLIBの初期のものとか、QUASIMOTOとか。僕は当時12歳で、そんな変な音楽を聴いている12歳は僕だけだったと思う。マッシュルームを食って音楽を作っているやつの作品を聴いてる12歳なんて僕だけだったと思うよ(笑)。

通訳:12歳でQUASIMOTOとは、たしかに変わってますよね。

Teebs:うん、かなり主流からは離れている音楽だけど、僕はそういうのが大好きだった。当時そういった変わったヒップホップや、アンダーグラウンドなヒップホップは、あまり良い出来ではなかったのかもしれなけど、誰にも知られてなかったていうことが、僕にとってはクールだった。その世界にどっぷりのめり込んだね。

通訳:それはやはりお兄さんの影響?

Teebs:そう。だから、当時起こっていたクールなものは全て見逃した。Q-Tipが全盛期のときも、僕は「いや、でもSwollen Membersってのもいてさ……」なんて言ってた。

通訳:カナダのグループですよね。

Teebs:そうそう(爆笑)。そういう奴らにすごくはまってて……。

通訳:アンダーグラウンドな。

Teebs:うん。本当にそれがクールだと思ってた。だから、主流な音楽は全然聴いてなかった。Living Legendsがはじまった時期は、Circusなどの複雑なラッパーが好きで、それからラップをやっていたころのAnticonも好きだった。そしてDef Jux。Def Juxには僕の人生をしばらくのあいだ、占領されたね。あと、バスタ・ライムス。彼は一番好きだったかもしれない。初めて買ったアルバムはバスタ・ライムスのだったなぁ。

通訳:彼はポピュラーな人ですよね。

Teebs:そうだね。僕が聴いていたときも既に人気があった。でもファンキーですごく奇抜だった。

ずいぶんと引っ越しをされたという話ですが、どんな子供時代を過ごしたのか話してください。

Teebs:引っ越しが多かったから、兄と遊ぶことが多かった。僕の親戚はみんな東海岸なんだけど、東海岸に住んでいるとき、アトランタにいたときは従兄たちと遊んでいた。従兄たちがやんちゃだったから、一緒にバカなこともやってた。デカいTシャツを着てね(笑)。

通訳:まさに90年代ですね。

Teebs:うん。90年代、ヒップホップ、アトランタ。で、Wu-Tangをずっと聴いてた(笑)。そんな感じで適当に遊んでたよ。それからカリフォルニアに引っ越してチノに来た。そしたら、いままでの(東海岸の)感じとまったく違った。スケボーがすべてで、僕もスケボーにはまっていった。そのきっかけが、変な話で、ビギーの曲をラップしている奴がいて、僕もそのリリックを知ってたからそいつの隣に行っていきなり一緒にラップしたんだ。そいつは「え、お前だれ?」みたいな感じだったけど、一緒にラップしたんだ(笑)。ラップが終わって握手したら、そいつが「俺はこの町でスケボーやってて友だちもたくさんいる。お前も俺らのところに遊びに来いよ」って言ってくれた。

通訳:それでスケボーをやり始めたんですね。

Teebs:うん、スケボーをはじめて、スケボーのおかげで聴く音楽もさらに幅広くなった。単なる変わったラップ、アングラなものだけじゃなくて、変わったプロダクションの音楽なんかも聴くようになった。Mr. Oizoを初めてきいたのもそのとき。
 それからエレクトロニックなヒップホップを聴くようになり、その流れでエレクトロニック音楽を聴くようになった。友だちはロックにはまってるやつらもいて、AC/DCのカヴァー・バンドをやっていて、僕も一緒になってやってみたんだけど、上手くいかなかったな。見てのとおり、その方面では芽が出なかったよ(笑)。僕はあまり上手じゃなかったからバンドにも入れてもらえなかったくらいだ。

通訳:バンドでは何をやっていたの?

Teebs:ギターを弾こうとしてた。友だちはスケボーのロック/パンクな感じが好きだったみたい。だからその方面で音楽をやってみたけど、まあ、そんなにうまくいかなかった。とにかく、スケボーが全てを変えた。たくさんの音楽を知るきっかけになったよ。音楽がどんなにクールなものか、ってね。

通訳:私もスケーターカルチャーは大好きです。スケーターはみんなカッコイイですよね。

Teebs:スケボーをやる人はいろんなことがわかってる。普通の人が持つ人間関係の悩みなんかを、早々に乗り越えて、経験や開放性を第一にして生きている。

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90年代、ヒップホップ、アトランタ。で、僕はウータンをずっと聴いてた(笑)。そんな感じで適当に遊んでたよ。それからカリフォルニアに引っ越してチノに来た。そしたら、そこはがすべてで、僕もスケボーにはまった。


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子供時代のいちばんの思い出は何でしょう?

Teebs:たくさんあるよ。バカなこともたくさんやった。僕が通っていた高校は新しくて、まだ建設中だったときがあった。僕たちが第一期生だった。最初は全校で30人しかいなかった。新設校だったんだ。まだ工事中だったとき、夜中に学校に行って鍵を盗んで建設用のゴーカートを乗ったりしてた。ゴーカートは家まで乗って帰るんじゃなくて、ただ乗りまわして遊んでた。それから、建設用の大型機械とかも乗ってたな。

通訳:ええ!?

Teebs:ああ、死にそうになったときもあったよ。そういうバカ騒ぎをやってた。

通訳:悪ガキだったんですね(笑)。

Teebs:いや、バカなだけだよ。小さな町で退屈して、何か面白いことをしたかっただけさ。そこに、機械の鍵があったから……
 そういう、バカなことをした思い出はたくさんあるよ。アキレス腱を切ったときもよく覚えている。血がものすごく出たんだ。スケボーをしていてガラスの上に転んだんだ。急いで病院に運ばれたよ。あれはクレイジーだった。

旅はよくしましたか?

Teebs:家族とは時々した。他の州に行く程度だけど。あと、ロンドンにも一度、家族で行った。それから母国のバルバドスとマラウイにも一回ずつ行った。とても美しい所だった。それはとても貴重な体験だったから、家計をやりくりして実現させてくれた両親は心から尊敬している。

画家を志そうと思ったきっかけについて教えて下さい。

Teebs:とにかく絵を描くことが好きだった。それから正直、兄の影響が大きい。兄はマンガが大好きで、アニメの絵を描くのが大好きだった。最初はグラフィティだったんだけど、次第にアニメにすごくはまっていっていた。僕たちはLAのMonterey Parkというエリアに住んでいたんだけど、そこに住んでいる黒人は僕たちだけだった。他はみんなアジア人。アジアって言ってもいろいろなアジア人がいて、中華系が一番多かったけど、日本のアニメやゲーム・カルチャーの影響はその町にも強く表れていた。僕と兄は、そういったアニメやゲームの世界に囲まれていた。ゲーセンに行ってバーチャルな乗り物に乗ったりして遊んでた。
 兄は当時からクールなキャラクターの絵を描いていた。兄を見て、アートを通してアイデアを絵にして置き換えることができるのは、クールだと思った。素晴らしいことだな、と思った。自分でもやってみようと思った。僕たちは引っ越しが多かったから、友だちを作るのが結構大変だった。だから兄にいつもくっついていたんだけど、彼には「あっちいけ!」なんて言われてたから、ひとりで遊ぶようになった。アイデアを考えてストーリーを生み出し、それを絵にすることができるんだ、と思ってペンを使って自分のヴィジョンを見つけることにしたのさ。

ちなみに何歳から画家としての活動が本格化したのでしょう?

Teebs:2005年。高校の終わりの頃。スケボーショップでバイトしていて、僕は店でもいつも落書きしてた。そしたらショップのオーナーが、店で展示会をやらないかと言ってくれた。それがきっかけで、画家としての活動をすることになった。小さな町で展示会をやった。そしたら人からの反応があった。「すごいよ、これ!」なんて言ってくれた。びっくりしたけど、そこからもっと絵を描きたくなって、それをコミュニティのみんなと共有したかった。

あなたのペインティングは、抽象的で、ときには具象的なコラージュを使います。色彩にも特徴があります。あなたのペインティング表現に関しての影響について話してもらえますか?

Teebs:中世の作品、宗教画などがすごく好き。ヨーロッパの大昔の絵。昔のキリスト教のアート。そういったものの影響はとても大きい。色彩が鮮やかなところがすごいと思う。
 宗教画を見ると、「教会に毎日来ないと神から罰せられるぞ!」というメッセージが強烈に伝わってくる。その信仰心というのはすさまじくて、狂信的なほどの信仰心から生み出される作品というのは、本当にクレイジーだ。その作品に注がれる感情も強烈だ。その真剣な姿勢がとても好きだった。構成も好きだった。初期の大きな影響は宗教画。それからスケボーがアートに影響を与えた。いまは、なんだろう、人生という大きなかたまりかな。

あなたにとって重要な主題はなんでしょう?

Teebs:人とコミュニケーションが取れるポイントを、なるべくストレートな物体を使わずに、見つけて行くこと。なるべく意味のわからないものを使って。線や記号だけを使って、人に語りかけたい。そのアプローチが気に入っている。「より少ないことは、より豊かなこと」みたいな。自分自身を作品に登場させるのも好きだし、観察者を作品の中に描写するのも好き。その概念でいろいろ遊んでみる。例えば、今回のレコード・ジャケットの展示で、4本線は人を表している。作品の中に4本線があるときがある。それは僕にとって大切で、自分や家族を表している。「U」の記号は、他の人を表す。それも頻繁に使われている。作品を見てまわると、結構見えてくるよ。そういうシンプルな形やマークを使うのが好きなんだ。

ファースト・アルバムのアートワークにも、今回のジャケにも使われていますが、青、赤、緑のリボンのようなペイントは何を意味しているのでしょう?

Teebs:円の中にそれがたくさんあったら、自由形式というか体を自由に動かしている、ということ。あれは僕のしるしのようなもの。僕が頭のなかをスッキリさせているとき、リラックスしているとき、パレットを白紙に戻すというとき、その絵が出来る。それを描くことによって、自分の中にあった緊張やストレスが緩和されていく。心身のバランスが取れて、安心した気分になる。

あなたが花のモチーフを好むこととあなたの音楽には何か関連性があるように思いますが、いかがですか?

Teebs:関連性はあるかもしれない。花をアートのモチーフに使う理由と、自分が音楽をつくる理由とでは結構違いがあるけど、花が生れて形を変化させながら成長して枯れる、というのは音楽と共通するところがあるかもしれない。音楽も一時的に開花して、その後は徐々に消えて行くものだから。そのパターンは似ているかもしれない。

LAにはいつから住んでいるのですか?

Teebs:LA中心部に移ったのは2009年。チノには2001年からいたけど、LAの中心部に引っ越したのは2009年。

では、音楽活動をするきっかけについて教えてください。

Teebs:最初は兄のためにヒップホップのビートを作ろうとしたのがきっかけ。クールだと思ったんだ。兄はラップができたんだけど、僕はできなかった。だから僕はビートを作ろうと思った。

通訳:ではお二人でデュオをやっていたとか?

Teebs:いいや。兄は、兄の友だち同士で音楽活動をしていた。彼の友だちと一緒に制作をしていた。兄は多方面に活動している人だった。僕は、音楽を制作するということに興味を持ち始めていた。でもひとりでビートを作っていただけ。ビートを兄と兄の友だちに提供していた。それが音楽活動のきっかけだね。

通訳:いまではエレクトロニックな音楽を作っていますが、ヒップホップからエレクトロニックへと進化していったのは、やはりクラブへ行きはじめたからでしょうか?

Teebs:そうだよ。最初は、音楽の表現方法を深めるために、いろいろな音楽を聴いた。それから、クラブにも行きはじめた。その両方をしているうちに、サウンドでも自分のアイデンティティを確立していきたいと思うようになったんだ。ヴィジュアルな要素で、自分のアイデンティティを確立していくのと同じようにね。

どのようにしてLAのシーンと関わりを持つようになったのでしょうか?

Teebs:最初はDublabを通じてだね。〈Brainfeeder〉にも所属しているMatthewdavidがMySpaceで「君はクールだね、俺たちと一緒に音楽をやろうぜ」と言ってくれた。当時、LAシーンは既に盛り上がっていたけど、僕はまだチノにいたから、シーンのみんなとはMySpaceを通じて知り合った。

通訳:MySpaceに音楽をアップしていたんですね。

Teebs:うん。で、「君はクールだね」と言われた。僕もDublabはクールだと思ってたから嬉しかった。そこから、お互い、音楽をメールで送るようになった。それからDJ Kutma。彼のおかげでLAシーンと繋がり、LAの皆に僕のことを知ってもらうことができた。

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高校の終わりの頃。スケボーショップでバイトしていて、僕は店でもいつも落書きしてた。そしたらショップのオーナーが、店で展示会をやらないかと言ってくれた。それがきっかけで、画家としての活動をすることになった。小さな町で展示会をやった。


Teebs
Estara

Brainfeeder/ビート

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Teebsという名前の由来は?

Teebs:たくさんのニックネームを経てTeebsになった。僕の本名はMtendere(ムテンデレ)というんだけど、その名前を見るとMがtの前にあるから、発音がむずかしいと思われてしまう。マラウイの言葉で「Peace(平和)」と言う意味なんだ。チェチェワ語というんだけど、チェチェワ語の名前にしてくれてよかったよ。だって英語で「Peace」なんて名前だったら恥ずかしいだろ? 「Peace、お前、世界を救ってくれるのか?」なんて言われそうだ。とにかく僕の本名はそういう語源なんだけど、Mがtの前にあるから、みんな覚えにくいし言いにくい。だからニックネームになった。で、いつかTeebsになって、それがいまでもニックネームになってる。

通訳:Teebsは気に入っていますか?

Teebs:もちろんだよ。でも本名も好きだ。発音するのが難しくなければいいのにと思う。でもTeebsは楽しいし、人が発音しても楽しいし、僕の名前で遊んでもらっても楽しい。いまでも使っているのは気に入っているからだよ。本当はTeebsになった裏にはストーリーがあって、グロいから、いつか、オフレコで話すよ(笑)。

初期の頃にデイデラスとスプリット盤を出したのは、やはり彼の音楽にシンパシーを感じたからでしょうか?

Teebs:デイデラスは本当に大好きで、エレクトロニック音楽のプロダクションに興味を持ちはじめたのは、彼の音楽を聴いたからなんだ。普通のヒップホップのビートとは全く違うものだった。デイデラスのライヴを見て、すごく興奮した。そして、ダンスっぽいビートを作って彼に送ったんだ。友だちも、彼ならとくに気に入ってくれるかもしれないと思ったほどだから。何ヵ月も彼からの反応はなかった。だから、もしかしたらすごく嫌だったのかも、と心配した。ようやく彼から連絡があって、「最高だよ、毎日かけてる。一緒に音楽を作ってみようぜ」と言ってくれた。それから〈All City〉が声をかけてくれて「デイダラスと一緒に音楽制作をしないか」と言われた。すでに、デイダラスと音楽を作っていたところだったから、本当に良いタイミングだったよ。

通訳:デイデラスとは既に友だちだったんですね。

Teebs:ああ、かなりよく知っている方だった。でも、彼は西に住んでいて、僕は東というかチノに住んでいたから実際に会う機会は少なかったけどね。

Teebsの音楽にはビートがありますが、非常にドリーミーで、日本でもボーズ・オブ・カナダを聴いているようなリスナーから支持されています。ヒップホップ以外からの影響について話してもらえますか? とくに今回のアルバムには、ジャガ・ジャジストのラース、イタリアのポピュラス、シゲトなど、さまざまなスタイルのアーティストが参加していますよね。

Teebs:エレクトロニック音楽の影響は大きかった。ボーズ・オブ・カナダは、僕が音楽をはじめてからずいぶん後に知ったんだ。ボーズ・オブ・カナダを聴いたときは、「クールな音楽をやっている人がいるんだな!」ってびっくりしたよ。Dabryeの初期の作品はクールだった。ヒップホップ色が最近のものより少なかった。あとは、Vincent Galloの古い作品とかも良いね。他は、ギターだけで作られた、Bibioの初期の作品。きれいな音楽をたくさん聴いていた。ヒップホップとバランスをとるためだったのかもしれない。

通訳:ではヒップホップとエレクトロニカは同時期に聴いていたのですね。ヒップホップからエレクトロニカへと移行したのではなく。

Teebs:ヒップホップが先だったけど、それにエレクトロニカを追加した。ヒップホップは大好きだった。それから西海岸ではインディ・ロックも人気だった。IncubusとかNirvanaとか、そういのにもはまってたね。

エレクトロニカ/IDMスタイルの音楽でとくに好きなモノは何でしょう?

Teebs:いまはとくにいない。誰かを聴いて、ものすごく興奮するというのは最近ないな。

通訳:では過去においてはどうでしょう?

Teebs:ドイツの二人組がいて、Herrmann & Kleineというんだけど、かなり変態。Guilty pleasure(やましい快楽)って言うの?

通訳:ドイツのエレクトロニカですか?

Teebs:そう。ストレートなエレクトロニカで、しかもかなりハッピーなサウンド。自分の彼女にも、それが好きなんて言わない(笑)。Herrmann & Kleineは密かに好き。それからコーネリアスもすごく好き。彼の音楽を聴いたときはぶったまげた。すごくクリエイティヴで遊び心に溢れてる。でも音楽的にも、とてもスマート。彼は天才だよ、大好き。

プレフューズ73との出会いについて話してもらえますか?

Teebs:インターネットなんだ。それから、プレフューズ73がLAに来たときに、友人に紹介してもらった。Gaslamp Killerとプレフューズ73が一緒にショーをやって、その時に友人が僕たちお互いを紹介してくれた。それ以来、彼とは連絡を取り合って、彼のアルバムのアートを僕が描いたんだけど、そのアルバムは結局リリースされなかった。すごく楽しみにしていたのに残念だったなぁ。プレフューズ73も「あのアルバムについては悪かった。最後で意向が変わったんだ。その代わりと言ってはなんだが、次のアルバムは音楽の面で一緒に作業できたらと思う」と言ってくれた。なのでギアをアートから音楽に切り替えて、一緒に音楽を作った。

テクノのDJ/プロデューサーでお気に入りはいますか?

Teebs:テクノの人の名前は全然知らない。でも最近はテクノやハウスについてたくさん学んでいるところ。僕にとってテクノは、家で聴く音楽でもないし、誰が好きと言ってその人の音楽をフォローする感じでもないし、自分でコレクションを持ちたいというわけでもない。だけど、クラブで誰かが、かっこいいテクノをかけていると、メロメロになっちゃって、クラブで酔っぱらいながらそのDJに「あんた、すげえカッコイイなあ〜!!」なんて言っちゃう。ブースのそばでめちゃくちゃ興奮してるやつ、よくいるだろ? 僕はそうなっちゃうタイプでね(笑)。

通訳:好きではあるんですね。

Teebs:大好きだよ。自分がその音のなかにいるのが好き。次の展開が読めずに音をそのまま楽しむのがすごく楽しい。

ドリーミーと形容されるとのとサイケデリックと形容されるのでは、どちらが嬉しいですか?

Teebs:言葉としては、サイケデリックという言葉はとにかく最高だよね。でも僕の作る音楽はどちらかというと、サイケデリックというより、ドリーミーだと思う。でも、僕も、もともとはサイケデリックな音楽を聴いていたから、サイケデリックのほうが嬉しいかな。でもどっちでもいいや(笑)。

新作の『エスターラ』というアルバム・タイトルの意味を教えて下さい。

Teebs:Estaraは、僕がアルバムを作っていたときに住んでいた通りの名前。言葉として、とても美しと思った。言葉の意味を調べていくうちに、スペイン語の「〜である(Esta=To be)」だとわかった。「〜である」というのは、物理的にそこにいる、という意味と、その時の精神状態という意味がある。僕のファーストアルバムを振り返って、今回のアルバムを合わせると、円を一周して、元の位置・状態に戻る、ということになる。以前の状態を経て今回の状態へとなる、という意味なんだ。

曲が、“Piano Days”〜“Piano Months”と続きますが、今作におけるピアノの意味について教えて下さい。

Teebs:ピアノの美しさや簡潔さを表現したかった。本当に素敵な楽器だ。

通訳:ピアノは弾けるんですか?

Teebs:ああ、遊び感覚ではよく弾くよ。君をうっとりさせるほど、ちゃんと弾けるわけではないんだけど(笑)、僕とピアノとしばらくの時間があれば、何らかのものは生れてくる。“Piano Days”〜“Piano Months”と一緒にしたのは、理由があって、このアルバムはリスナーにとって、口直しのようなものであってほしいと思っている。このアルバムを聴いて、頭がスッキリして、心身ともに白紙な状態に戻ってもらえたらいいと思う。“Piano Days”を聴いたあとに、リスナーにもう少し、そのアイデアの余韻に浸ってもらっていたかったから“Piano Months”を次に持ってきた。

“Hi Hat”、“NY Pt. 1”、“NY Pt. 2”など、シンプルな曲名が良いのは何故でしょう? 

Teebs:直接的だから。なるべく直接的であるようにしている。物事もなるべくシンプルであるのが良いと思うから。

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デイデラスは本当に大好きで、エレクトロニック音楽のプロダクションに興味を持ちはじめたのは、彼の音楽を聴いたからなんだ。普通のヒップホップのビートとは全く違うものだった。デイデラスのライヴを見て、すごく興奮した。


Teebs
Estara

Brainfeeder/ビート

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同じアメリカですが、カニエ・ウェストやファレル・ウィリアムスのような文化と、あなたがたの文化との大きな違いはどこにあるのでしょう?

Teebs:カニエの文化は、オーディエンスが大勢いるからそれに対応してアイデアやサウンドを表現していかなければいけない。そして、もっとポップの要素がたくさん入っている。それに比べて、僕たちの文化はもっと実験的で、ゆるくて、独特だ。僕たちの文化から生み出される良いアイデアが、フィルターを通して彼らの文化に表れている。そういう仕組みだと思う。みんな、僕たちの世界をのぞいて良いアイデアがないかと探す。それを彼らのプロダクションに活かすというわけさ。

通訳:それに対して否定的な感情はありますか?

Teebs:いや、ないよ。僕の作品から何かを取ったと聞いたら、それは一種の称賛として受け止める。僕がやっていることが評価されて取られているわけだから称賛だと思うね。本当にそっくりそのまま盗まれていたら否定的になるけど、それ以外だったら自分が正しいことをしているという意味だから、いいや。金のことはあんまり気にしない(笑)。

今後の予定を教えて下さい。

Teebs:Obeyの服のラインから洋服をリリースする。それは夏には出ると思う。とても楽しみにしている。プレフューズ73とは今後も、さらに一緒に制作をする予定。アメリカでアートの展示会をやる予定で、海外でも、もう何カ所かでやろうかと考えてる。去年、あまり活動的じゃなかったから、今年はいろいろな分野で活動していきたいと思っているよ。

※朗報! 5月23日、フライング・ロータス率いる《ブレインフィーダー》のレーベル・パーティーが史上最大スケールで日本上陸!

FLYING LOTUS
THUNDERCAT
TEEBS,
CAPTAIN MURPHY
TAYLOR MCFERRIN
MONO/POLY
AND MORE …

2014.05.23(FRI) 新木場ageHa
OPEN/START 22:00 前売TICKET¥5,500
※20歳未満入場不可。必ず写真付き身分証をご持参ください。
YOU MUST BE 20 AND OVER WITH PHOTO ID.
企画制作:BEATINK 主催:SHIBUYA TELEVISION 協賛:BACK CHANNEL

www.beatink.com

Flying Lotus (フライング・ロータス)
エレグラ2012、昨年のフジロックと急速に進化を続ける衝撃的オーディオ・ヴィジュアルLIVE『レイヤー3』、次はどこまで進化しているのか?その眼で確かめよ!

Thundercat (サンダーキャット)
昨年の来日公演でも大絶賛された天才ベーシストのバンドによる超絶LIVE!強力なグルーブとメロディアスな唄を併せ持つ極上のコズミック・ワールドへ!

Teebs (ティーブス)
1台のサンプラーから創り出される、超絶妙なグルーブ感と限りなく美しいアンサンブル。真のアーティストの神業に酔いしれろ!

Taylor McFerrin (テイラー・マクファーリン)
ロバート・グラスパーやホセ・ジェイムズと共演するなど、その実力でデビュー前から大注目を集めるブレイク必至の逸材が、遂にアルバムと共に来日!

Mono/Poly (モノ/ポリー)
超ヘビーなベースに、コズミックなサウンドスケープとグリッチなHIP-HOPビーツで注目を集める彼が遂に来日!

and more...

WATER(POOL):BRAINFEEDER DJs ステージ
● ブレインフィーダー所属のアーティスト達などによるDJ!

BOX(TENT):JAPANESE DJs ステージ curated by BRAINFEEDER
● ブレインフィーダーがキュレーションし選んだ日本人DJ達によるステージ!

ISLAND [メイン・バー&ラウンジ]:
BRAINFEEDER ON FILM& BRAINFEEDER POP-UP SHOP

● Brainfeeder On Film:映像作品上映エリア:ブレインフィーダーにゆかりの深い映像作品を一挙上映
● Pop-Up Shop:CDやアナログはもちろん、レーベルや関連アーティストのレアグッズを販売!
  この日しか買えないプレミアム・グッズも!
● Back Channel:人気ブランドBack ChannelとBrainfeederの限定コラボTシャツを販売!

ART:[LIVE PAINTING]&[EXHIBITION]
● ブレインフィーダー関連アート作品などの展示やライブ・ペインティングを展開!

※各ステージの更なる詳細は後日発表予定!

TICKET INFORMATION
前売チケット:¥5,500
●イープラス [https://eplus.jp]
●チケットぴあ 0570-02-9999 [https://t.pia.jp] (Pコード: 225-408)
●ローソンチケット 0570-084-003 [https://l-tike.com] (Lコード:72290)
●tixee(スマートフォン用eチケット) [https://tixee.tv/event/detail/eventId/4450]
●disk union (渋谷クラブミュージックショップ 03-3476-2627 /
新宿クラブミュージックショップ 03-5919-2422 /
下北沢クラブミュージックショップ 03-5738-2971 / 吉祥寺店 0422-20-8062)
●BACKWOODS BOROUGH (03-3479-0420)
●TIME 2 SHOCK (047-167-3010)
●FAN (046-822-7237) ●RAUGH of life by Real jam (048-649-6866)
●LOW BROW (042-644-5272) ●BUMBRICH (03-5834-8077)
●NEW PORT (054-273-5322) ●O.2.6 (026-264-5947)

【ビートインクWEB販売】>>> beatkart (shop.beatink.com)
[BEATKART限定!BRAINFEEDER4特製アート・チケットをお届け!!]

※20歳未満入場不可。必ず写真付き身分証をご持参ください。You must be 20 and over with photo ID.

[ INFORMATION ]
BEATINK : 03-5768-1277 / info@beatink.com
https://www.brainfeedersite.com/
企画/制作:BEATINK 主催:SHIBUYA TELEVISION 協賛:BACK CHANNEL
www.beatink.com

Electronic Music in Mexico - ele-king

■メキシコ・エレクトロニックミュージックの現在

 メキシコの首都、メキシコシティに住んで7年が経った。
 よく人に、「なぜ、メキシコに住んでいるのか」と聞かれるが、いつまでたってもその理由をはっきりと答えられない。

 メキシコは好きだが、ここへやってきたのはスペイン語を本格的に勉強したかったからだ。かねてからラテンアメリカ文化のライターである以上、通訳の力を借りることなく、自分の言葉で興味のある対象にインタヴューしたいと思っていた。そこで、メキシコシティにある国立大学内のスペイン語学校が、ラテンアメリカのなかでも優れていると知り、留学することにした。その当時すでに34歳。遅い大学デビューである。1年ほどで帰国するつもりでいたが、貯金も底を尽きてしまい、帰れなくなった。
 私の実家は静岡県浜松市にあるが、家族たちから、追い打ちをかけるようにこう言われた。「この辺りに住んでいた出稼ぎのブラジル人やペルー人たちが国へ帰るほど日本は不景気だ。あんたが帰国後あてにしてた製造業での通訳の仕事も今はないみたいよ。いっそ、メキシコに居た方がいいんじゃない?」。
 そうか、覚悟を決めるしかない。幸いなことに、メキシコ在住の日本人ライターというので珍しがられ、ぼちぼち仕事も入るようになったので、なんとか食いつなげるかもと思い直した。
 石油や鉱山などの資源に恵まれ、日本の国土の約5倍の大きさのメキシコには、金は腐るほどあって景気がいいように見える。
 メキシコシティの目抜き通りは先進国並みのオフィスビルが建ち並ぶが、ちょっと通りを離れたらバラックの建物が並ぶ光景を見る。ヒップスターが高級自転車で町を徘徊する横では、ストリートチルドレンたちがシンナーを吸っている。
 権力者たちは権力を糧に横暴をふるうが、そこに取り入れられなかった者たちは忘れられた世界に生きるしかない。スペインの映画監督ルイス・ブニュエルがメキシコ在住時の60年以上前にメキシコシティで撮影し、子どもたちの厳しい運命を記した映画「忘れられた人びと」と何ら変わらぬ風景がそこにある。

 人口2000万人以上の大都会に居るにも関わらず、私の暮らしはモダンやアーバンライフからはほど遠い。いつでも偽札を掴まされるのではないか、所持品を盗まれるんじゃないかと注意をはらい、屋台だけではなく、高級レストランまで食中毒を起こす危険があるので、疑心暗鬼だ。緊急病棟に運ばれたときに、ベッドが不足していて、椅子に座ったまま2日間入院したこともある。独裁政権下でもないのに、デモに参加しただけで、刑務所に入れられる仲間がゴロゴロいる。
 この原稿を書いている今も、激しく雷が鳴り響き、また停電が起こるんじゃないかとひやひやしながら、パソコンのキーボードを打っている。ちなみに、私の住むダウンタウンの築60年の停電がよく起こるボロアパートは、ビル・ゲイツに次ぎ、世界で最も資産を持つ通信会社テルメックスの会長、カルロス・スリムの財団が大家である。メキシコシティでは、スリムのような投資家がゲットーの土地を買い漁り、ジェントリフィケーションが進んでいる。だから私が必死で稼いだ金は、家賃、携帯やネット使用料(テルメックスは国内の電話、ネットの市場をほぼ独占している)となって、スリム一家の資産の糧となっていく。
 フランスの詩人でシュルレアリスタのアンドレ・ブルトンが 、1938年に大学のシュルレアリスム講義のためにメキシコへ招待されたが、「なぜ私がメキシコに呼ばれたのかわからない。すでにメキシコは世界で最もシュールな国だ」と言ったのもうなずける話だ。
 だけど、たまらなく美味しいタコスに出会ったときや、市場のおばちゃんとたわいない世間話をして笑いがとれたときなどには、ああ、私もようやくメキシコに馴染めたんだな、という充足感で心が晴れるのだった。
 メキシコのシュールさも含め、たいていのことでは驚かなくなっている私ではあるが、未だに馴染めないのが、ここに立ちこめる暴力の匂いだ。
 メキシコの前大統領フェリーペ・カルデロンが2006年に施行した、麻薬組織撤廃政策において、ここ数年間のメキシコの治安状況は悪化し、現在までに抗争によって6万人以上の死者が出ている。気にしないようにしていても、ニュースではどこで死体が見つかったという話ばかりで、ふとした瞬間に不穏な気持ちになるのは否めない。
 残念ながら、世界中から麻薬組織の国とイメージされるようになってしまったメキシコだが、とくに米国との国境地帯での抗争が激化し、そのひとつの都市、ヌエボ・レオン州モンテレーは、クラブ内などでも銃撃戦で死者が出るほどだ。モンテレーは1990年代後半から、オルタナティヴ・ロックのバンドが続々生まれる音楽文化が豊かな土地だったが、いまでは夜には誰も出歩かないような状況が続いている。現地の企業や学校では、もし手榴弾が飛んできたらどう対応するのか、という講習が行われるほど危険な時もあった。

ティファナのグループ、ロス・マクアーノスが国境地帯の暴力に抵抗するために音楽をはじめた、と語る姿とモンテレーのフェスティヴァルの様子

 そんななか、モンテレーの若者たちが、暴力によって鬱屈した戒厳令状態を打開するために、2009年よりはじめたのが、エレクトロニックとオルタナティヴをメインにしたフェスティヴァルNRMAL (ノルマル)だ。モンテレー、ティファナ、そしてチワワ州シウダーフアレスなど、麻薬抗争の激戦区である国境周辺都市のアーティストたちをメインに集結し、少しずつ、海外アーティストも招くようになっていった。
ラテンアメリカのなかでも重要なフェスティヴァルになりつつある。

■フェスティヴァルNRMALメキシコシティのレポート

 フェスティヴァルNRMALは、今年2014年は、3月5〜9日までモンテレーで開催され、3月1日はメキシコシティでも初開催された。私はメキシコシティの方に参加したのだが、その会場は、なんとメキシコ国軍のスポーツ施設。入り口に銃を持った兵士たちが立っているのが異様だったが、中に入れば、サッカー・コートやロデオ場など4箇所に野外ステージが設置され、都会とは思えないようなのどかな雰囲気だ。
 サイケデリック・エレクトリックの伝説、シルバー・アップルズ(現在はシメオンのソロプロジェクト)や、デヴ・ハインズのエレポップなR&Bプロジェクト、ブラッド・オレンジなど、国内外の計31組が出演した。その過半数がメキシコを含めるスペイン語圏のアーティストたちだ。
 プログラムは、インディー系バンドとエレクトロニック・ミュージックのアーティストが交互に出演する構成で、ローカルの才能に発表の機会を与えるという意図からも、メキシコに蔓延するコマーシャリズムに乗ったフェスティヴァルとは全く異なる。
 今回もっとも素晴らしかったのは、チリの変態エレクトロ・レーベル〈COMEME(コメメ)〉を主宰する、マティアス・アグアヨと、アンデスの先住民音楽をコンセプトにした、ドラムとDJのデュオ、モストロとが組んだユニットといえよう。モストロが奏でる野性味あふれる音と、アグアヨの奇妙なエレクトロニック・ビートとラップが融和した祝祭的な音に、観客たちは覚醒したように踊り狂っていた。
 また、覆面黒装束で、ゴシックなデジタル・クンビアを演奏するコロンビアのトリオ、La mini TK del miedo(ラ・ミニ・テーカー・デル・ミエド)は、雄叫びをあげ続けて、観客を煙に巻いている感じが面白かった。
 いままで、さまざまなメキシコのフェスティヴァルに参加してきたが、誰もが知るアーティストばかりが出演するものよりも、意外性や発見があるほうがどれだけ刺激的か。
 今回のNRMALのメキシコシティでは、それなりに知名度があるアーティストが選出されていたが、本拠地モンテレーのほうがローカルのりで、はるかに盛り上がると聞くだけに、来年はぜひモンテレーまで足を運びたい。

FESTIVAL NRMALのオフィシャルビデオ

  • メインステージの前でくつろぐ参加者たち。芝生でリラックス © Elisa Lemus
  • 楽器販売のブース © Miho Nagaya
  • 雑貨とレモネードを販売するブース © Miho Nagaya
  • ブランコもあった © Miho Nagaya"
  • フードトラックが並び、充実した各国料理が食べられる © Miho Nagaya"
  • VANSが提供するスケート用ランページも © Miho Nagaya
  • ティファナ出身のフォークシンガー、Late Nite Howl © Miho Nagaya
  • 雑誌VICEの音楽プログラム、NOISEYが提供するステージ © Miho Nagaya
  • メヒカリ出身の新鋭テクノアーティストTrillones © Elisa Lemus
  • 会場はペットフレンドリー © Miho Nagaya
  • NRMALのスタッフたちは黒尽くめでクール © Miho Nagaya
  • マティアス・アグアヨとモストロのステージが始まる頃には満員に © Elisa Lemus
  • マティアス・アグアヨ © Miho Nagaya
  • コロンビアのLa mini TK del miedo © Elisa Lemus

 近年のNRMAL周辺の国境地帯のアーティストたちの動きは、はからずとも10年以上前の2000年初頭に国境地帯ティファナの若いアーティストたちが立ち上がった〈ノルテック(NORTE=北、TEC=テクノロジー)〉のムーヴメントと重なるところがある。
 1994年のNAFTA(北米自由貿易協定)によってメキシコで生産されたものは関税なしでアメリカに輸出でき、低賃金で労働力を得られるため、日系を含む多国籍企業が進出し、ティファナを含む国境近くの都市に工場地帯=マキラドーラを建立した。
 ティファナは、もともと、砂漠のなかに建てられた新興都市で、地方から移住してきた人たちの寄せ集め的に見られていた。首都のように伝統や歴史もなく、アメリカとメキシコの合間で、どちらにも属せないのがティファナの人びとだった。
 アイデンティティの不在をバネに、面白い文化を築きたいという若者たちのパワーによってはじまったのが、アート、音楽、文化をメインにしたムーヴメント、ノルテックだった。グラミーで幾度もノミネートされるなど、現在メジャーで活躍するメキシコのテクノ・コレクティヴの〈ノルテック〉は、その当時にこのムーヴメントの音楽部門として生まれた。
 そんなムーヴメントの中心で動いていたメンバーたちが2002年に設立したのが、ティファナのインディペンディエント・レーベル、〈STATIC DISCOS(スタティック・ディスコス。以下スタティック)〉だ。
 音楽ジャーナリストのEJIVAL(エヒバル)を代表に、〈KOMPAKT〉などの海外レーベルからもアルバムがリリースされる、バハ・カリフォルニア州メヒカリ出身のアーティスト、FAXと、ティファナ出身で、ノルテックの元メンバーのMURCOF(ムルコフ)が、レーベル・タイトルのマスタリングを手がける。FAXはデザイナーとして、アートワークも担当している。

〈Static関連写真〉

 FAXの『Resonancia』とMURCOFの『Martes』の2タイトルを皮切りに、現在までに64タイトルをリリースし、レーベルアーティストたちが、スペインのSonarやカナダのMUTEKといった国際フェスティヴァルにたびたび招聘されるまでに成長した。
 なかでも5月に来日公演が行われるMURCOFは、ジャズトランぺッターのエリック・トラファズとタブラ奏者タルヴィン・シンと組んで世界ツアーをし、テクノの曲を弾くクラシックピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ・シュリメやヨーロッパ現代音楽界のアーティストたちともコラボレーションするなど、幅広く活躍し、最も成功しているアーティストといえよう。

MURCOFがフランスのヴィジュアル・アーティストAntiVJとコラボレーションし、ブラジルで演奏したときの映像。

 いまもなお、メキシコおよび、ラテンアメリカのシーンを牽引するレーベル、〈スタティック〉代表のエヒバルに、現在のメキシコのエレクトロニック・ミュージックについて、メールインタヴューした。彼は、前述のフェスティヴァルNRMALやMUTEKメキシコ版の制作に携わっている。

 「〈スタティック〉をはじめた頃は、国内で僕らのやってるエレクトロニック・ミュージックを誰も理解していなかったが、両フェスティヴァルが開催されるようになって、ようやく一般に認知された。両フェスティヴァルの立ち上げから関わっていることを誇りに思うよ。メキシコのフェスティヴァルのほとんどは大企業スポンサーのコマーシャリズム優先だが、NRMALもMUTEKも、個性を重視したフェスティヴァルがメキシコでやれる可能性を広げた。今年のメキシコシティでのNRMALの開催も成功したと思う。新しい才能に注目し、知る人ぞ知るカルト的アーティストも加えたフェスティヴァルは、リスナーを育てる良い機会だし、来年はさらに成長していくだろう。メキシコの問題は、ショービジネス界を独占するイベント企業が、すべて横取りし、ほかのフェスティヴァルの成長を阻むこと。さらにメキシコは海外アーティストへの支援は惜しみなく、法外なギャラを支払うが、国内アーティストに対するリスペクトがほとんどない。 だからこそ、NRMALやMUTEKみたいなフェスティヴァルに関わるほうが面白い。僕たちは新しく先鋭的な音楽を求めているわけで、儲け話が第一じゃないからね」

 〈スタティック〉は今年で12年を迎えたが、インディペンディエントのレーベルをここまで続けるのは簡単ではない。

 「音楽への愛があったからやってこれた。僕たちの目的は、国外でも通用するようなメキシコの才能を見つけ、紹介していくこと。正直、失敗も多いけど、それが僕たちを止める理由にはならない。何も失うものはないし、その失敗を糧に、学んだことのほうが大きい。〈スタティック〉では、2012年からCDの製造をほぼ停止し、ネットでのダウンロードによってリリースしているが、タイトルによってはCDも製造する。昨年は、アナログをリリースし、いくつかのカタログアイテムをカセットテープにする計画もある。最近では本の出版も行っているんだ。近い将来、コーヒーとビールの製造もはじめたい。というのも、いまや、多くの人びとがCDやレコードなど実体のあるものを買おうとしていないから。そのいっぽうで、ダウンロードもそれほど盛況じゃないし、この現実を受け止めなきゃいけない」

 エヒバルは、ちょっと後ろ向きな発言をしつつも、最新の〈スタティック〉のタイトルはとても充実していると嬉しそうに語る。

 「FAXはEP『MOTION』をリリースしたばかりだ。メキシコでもっとも洗練されたエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーといえる。アルゼンチンのMicrosfera(ミクロスフェラ)はハウス感覚のポップで美しい歌を交えたアルバム『Sunny Day』を生んだ。ハリスコ州グアダラハラ出身のMacario(マカリオ)のニュー・アルバム『To Pure』にも注目だ。そして、バハ・カリフォルニア州、エンセナーダ出身のChilds(チャイルズ)のセカンドアルバムのリリースを間もなく控えている。ものすごい傑作だよ。あとは、リリース予定のメキシコシティのCamille Mandoki(カミーユ・マンドキ)は、美しい声を持ち、実験的なアンビエントで素晴らしい。ティファナの作家、ハビエル・フェルナンデスとカルラ・ビラプドゥーアの音楽寄りな書籍も出版予定だ。スタティック以外では、ティファナ出身のフォークシンガー、Late Nite Howl(レイト・ナイト・オウル)がとても有望だし、メキシコシティのWhite Visitation(ホワイト・ビジテーション)もアンビエント・テクノの若手として、海外でも評価されている。メキシコシティ出身で現在ニューヨーク在住のÑaka Ñaka(ニャカ・ニャカ)も面白い。これらの新しい才能たちは、もう〈スタティック〉のようなレーベルの力を必要としないで、彼ら自身で成長していっている」

〈Static Discosの最新作のアルバムジャケット〉

 実は約10年前の2004年にティファナを訪れ、エヒバルと、その妻のノエミにインタヴューをしたことがある(後にremix誌2005年5月号の「メキシコのエレクトロニカ」の記事となって掲載された)。当時エヒバルは、ティファナのマキラドーラ内の工場で働きながらレーベルを運営していた。私はその際にノエミが言った、「ティファナは歴史も文化もないし、あまりに田舎でうんざりすることだらけよ。でも、そんな状況で育ったからこそ私たちには豊かな創造力がある」という言葉に感銘を受けたのだった。MURCOFが2006年にスペインへ移住した当時は、エヒバルとノエミも移住を考えていたが、現在もティファナを拠点にしている。

 「以前とだいぶ変わり、メキシコもずいぶん状況が良くなってきた。そして、ティファナを愛していることや、ここから何かを起こすことの方が重要だと気づかされたんだ。ヨーロッパへ行って基盤を作るのは日に日に難しくなっているし、競争も激しい。僕たちはMURCOFがヨーロッパの不況にも負けずに活動し続けていることを嬉しく思う。ただ、いろいろな意味でティファナは10年前と変わらない問題を抱え続けている。
 この土地の音楽ムーヴメントは大波のようにやってきて、優れた人びととともにメキシコシティや海外へ去って行き、ティファナには残らない。だからまたゼロから取り組まなければならない。それでもティファナは、本当に創造性を刺激する場所だ。いつでも何か面白いことを計画している人びとがいて、いまは音楽だけでなく、食文化や、社会組織(アクティヴィズム)の面において新しいことが起こり始めている。ノルテックのような国境ムーヴメントは今後起こりうる可能性はあるが、音楽だけが独り立ちできる状況ではなく、他の新しいムーヴメントと、音楽をどう絡めるかにかかっているだろう」

 以前から音楽ジャーナリストとしても活躍する彼だが、それだけでやっていくのは厳しいという。
 「生活のために、政治家や社会活動の対外向けテキストを執筆したり、ソーシャル・メディア対策の仕事をしている。工場で働いていた頃は、経済的に安定していたけれど、僕の魂は悲しみにくれていた。いまはその日暮らしだけど、以前よりはずっと幸せだ。とにかく、支援すべき面白いプロジェクトを探し続け、〈スタティック〉でリリースしていきたい。音楽と文学と魂が震えるような感覚を探し続けることに、僕は決して疲れることはないだろう」

 私は思わず、彼の言葉を自分の立場に置き換えていた。
 私がなぜメキシコにいるかの答えはいまだに見つからないし、見つからなくてもいいような気がする。でも、この言葉をきくために、いままでがあったような気がしてならない。
 思い込みだろうか? まあ、思い込みでもいいじゃないか。


〈メキシコの注目アーティストたち〉

■Los Macuanos(ロス・マクアノス)https://soundcloud.com/losmacuanos

ロサンゼルスにあるメキシコのビールメーカー、インディオが運営する文化センターで公演した際のインタヴューとライヴ映像。

2013年にNACIONAL RECORDS(チリのMC、アナ・ティジュやマヌ・チャオもリリースするロサンゼルスのハイブリッドレーベル)から「El Origen」で全世界デビューを果たしたティファナとサンディエゴ出身の3人組。オールドスクールなテクノとメキシコの大衆歌謡やトロピカル音楽をミックスし、〈メキシコ版クラフトワーク〉や〈国境のYMO〉とも呼ばれる。同アルバム収録曲「Las memorias de faro」が、2014年FIFA ワールドカップ、ブラジル大会の公式サウンドトラックに収録 され、南北アメリカ大陸で注目を集める。

■MOCK THE ZUMA(モクテスマ) https://soundcloud.com/mockdazuma


MOC THE ZUMA © Miho Nagaya 

メキシコでも最も注目される才能ある若者のひとりで、ダブステップ、アブストラクト・ヒップホップに影響を受けたその音は、いびつで強烈なインパクトを持つ。国境の町、チワワ州シウダーフアレス出身で、同都市は1990年代から現在まで女性たちが誘拐され、1000人以上が行方不明または殺害されているが、誰が犯人なのか未だに解決されていない。そして麻薬組織の抗争の激戦区であり、メキシコで最も危険な場所である。ロサンゼルスの新聞、LA TIME〈World Now〉で、2011年当時19歳だったモクテスマが、「僕の音楽はビザールな現実から影響を受けている」とインタヴューに答え、世に衝撃を与えた。

■Trillones(トリジョネス)https://soundcloud.com/trillones


Trillones © Static Discos

〈スタティック〉からEP『From The Trees To The Satelites』でデビューした、メヒカリ出身のアーティスト。スペインで最も読まれている新聞El Paisの記事「ラテンアメリカで注目すべきエレクトロニック・ミュージックの5名」の一人として選ばれたニューカマー。同郷のFAXとは親交が厚く、FAXとともにメキシコ北部の先住民音楽と、アンビエント、ロックを融合したユニットのRancho Shampoo (ランチョ・シャンプー)に参加する。

■MURCOF 2014年来日ツアー情報
5月3日、4日 東京 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2014 会場 東京フォーラム (詳細https://www.lfj.jp/lfj_2014/performance/artist/detail/art_79.html
5月9日 新潟 Red Race Riot "Sensación de bienestar de días de entusiasmo" 会場 Solero (詳細 https://www.redraceriot.com/index2.html

Oliver Sperl - ele-king

 なにかにつけてベルグハイン最高と言われると、どうにもケチを付けたくなるものだが、そんな皮肉屋も、しばらくベルリンに住んでいたデザイナーの真壁昂士(日本でもっともぶっ飛んだ雑誌『Erect Magazine』を手がけるデザイナー)の話は耳を傾けるに値する。ベルリンに滞在した数年間、ベルグハインに通い続けたこの男が言うには、「ベルグハインは音の良さばかりが日本で言われているが、実はアートもすごい」とのことで、そのアート(主にフライヤー)を手がけているのが、Oliver Sperlである。
 エッシャーとバンクシーとジェイミー・リードをマルキ・ド・サドがミックスしたような混沌とした世界は、たまらく魅力的である。この機会にベルリンのクラブ・カルチャーに深く関与するアートに触れてみよう。

Oliver Sperl 個展 「raw material」

2014/4/26(土)- 5/2(金)
13:00-20:00
at KATA (東京・恵比寿 LIQUIDROOM 2F)
https://www.kata-gallery.net

闇に差し込む躍動の光は、現代社会を反映し、不条理なフォルムを描き、原始の鼓動と来るべき未来を彷彿とさせる! オリバー・シュピールは、あのベルリンのウルトラフロア=BERGHAINのアートワークも手がける最前衛アーティスト! 彼の眼差しは、URのアイコンを無数に生み出したアブドゥール・カディム・ハックがデトロイトを象徴したように、 現在のベルリンのエクストリーム・ミニマル・ソサエティを表層する批評眼なのだ!!!!!宇川直宏(DOMMUNE)

イラストレーションとコラージュという工具を使い、漆黒の闇の中、地下深くに広がる真っ黒なメルヘン世界をデザインし続けている。そして、それは現代社会を記した絵巻物なのだ河村康輔(ERECT Magazine)


■オープニングレセプション
2014.4.26(Sat)18:00-21:00
入場無料
DJ:
37A (PANTY)
DJ Soybeans
Takashi Makabe
※オープニングレセプションでは、作家が在廊いたします。
作家と共に作品の世界に触れられる機会ですので、どうぞ足をお運びください。


■クロージング・パーティー
「Orange Lounge」
2014.5.2(Fri)19:00-23:30
entrance free *1st drink charge 1,000yen(include music charge)
at Time Out Cafe & Diner[LIQUIDROOM 2F]

music by
Nobu (FUTURE TERROR/Bitta)
河村康輔
JUBE (BLACK SMOKER RECORDS)

※Orange Lounge詳細は以下より
https://www.timeoutcafe.jp/
news/140502000726.html

::ARTIST PROFILE::
Oliver Sperl https://oliversperl.de

70年代後半 - 幼いOliverの目に焼き付いたのは、ローゼンタール磁器工場に金色のポルシェで通うグラフィック・デザイナーの隣人の姿だった。
この強烈な印象が彼をグラフィック・デザイナーに道へと進ませるきっかけとなった。
ベルリンのLette-Vereinでグラフィック・デザイン、そしてHamburg’s University of Applied Sciencesでイラストレーションを学んだ後、サンディエゴでフリーランス・デザイナーとしてキャリアを積む。
2000年にベルリンに拠点を移し、現在に至る。主なクライアントは音楽レーベルや出版社、ベルリンのテクノ・クラブとして名高いBERGHAINや日刊紙tazなどがある。



When Oliver was a little boy in the late seventies he once saw his neighbour, a graphic designer at the Rosenthal porcelain factory, drove by in a gold-coloured Porsche.
This powerful and lasting impression was the impetus for him to study graphic design at the Lette-Verein Berlin and illustration at Hamburgs University of Applied Sciences- He has also worked as a graphic artist in San Diego, California, and since the year 2000 has been working as a self-employed designer in Berlin.
Among his clients are music and publishing houses, the party temple Berghain, as well as the Berlin-based daily newspaper taz.


 本堂の障子から西日がこぼれ、畳の上に大きな影ができる。すっかり肌寒くなった頃、ステファン・マシュー、テイラー・デュプリー、フェデリコ・デュランド、そしてイルハのふたり、計5人は機材を囲むように座ってドローンをはじめた。音量は小さく、本堂の外の音も耳に入る。僕の隣では、外国人の女性がひたすらメモを取っている。が、しばらくするとメモを置いて、畳の上に身体を仰向けに倒して、目を閉じて聴き入ってしまった。僕と一緒に行った連れ合いも、同じように目を閉じている。いや、寝ている。
 光明寺は、浄土宗の大本山だけあって、広く、その日、200枚以上のチケットが売れたというが、来た人たちは、みんな、窮屈な思いをすることなく、ノビノビと聴けた。本堂の前にはいくつかの出店もあって、そこでは飲み物や食べ物が売られていたので、ちょっとしたフェス……とまではいかないまでも、居やすさ、居心地の良さ、フリーな雰囲気があった。オーディエンスは思うがままに、地ベタに座って飲食も楽しみ、気が向けば本堂に入ってアンビエント・ミュージックに浸った。寺を出ればすぐ目の前は海だし、飽きたら誰かと話せば良い。

 鎌倉駅から徒歩で30分以上、バスで10分ほどの、決してアクセスが良いとは言えないところに、よくもまあ、みんな来るものである。イルハの伊達トモヨシは時代の変化を肌で感じていただろう。ひと昔前ならこうしたイベントは、マニアの集会のようになっていたが、現代では、主に若い世代が集まる身近なものになっているようだ。
 僕は、青山CAYのライヴ──そのときは、イルハ→オピトープ→ステファン・マシュー+テイラー・デュプリーという順番だった──も見ているのだが、音楽体験においてロケーションは重要で、正直、電車を何本も乗り継いで鎌倉まで来た甲斐があった。
 アンビエント・ミュージックは、必ずしも、ゆるくて、のんびりしているものではない。中村としまと秋山徹次のふたりによる緊張感ある即興は、その場にすっかり溶け込んでいた。住職による琵琶による「耳なし芳一」が演奏されたが、それとて違和感なく、その前後に演奏された電子の残響と混じった。
 「音を聴いていると寝てしまったが、鈴の音が近づき、遠のくのもわかるように、寝ていても頭は醒めて、音は耳に入って来た。どこかに連れて行かれたようだったが、すーっとまた戻ってきて、目が覚めたときには新鮮な気持ちだった」と、僕の知り合いのひとりは感想を言ったが、同じような経験を覚えた人は少なくないだろう。初めてアンビエント・ミュージックのライヴに触れた何人かも、それぞれの新鮮な驚きを説明してくれた。
 お昼過ぎにはじまった演奏は、6時過ぎに終わった。バスに乗る頃には、あたりは暗くなって、気温はぐっと下がっていた。次回があるのなら、また来る人は多いだろう。時代のなかで芽生えた、音楽のあらたなる現場。そうだ、今度こそマサやんを誘おう。

interview with patten - ele-king


patten
ESTOILE NAIANT

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 音楽の「ジャンル分け」が卑しいものなのかどうか、これは音楽について考えたり書いたりする際に必ずつきまとってくる問いのひとつだが、アーティストの側からすれば気持ちのよいものではないのだろう。しかし物事を分節し名づけることでわたしたちの生活と歴史が成り立っている以上、ジャンルを立てて括ることもまた、わたしたちが音やアートというものに向かい合う上での本質的な行為のひとつだと言える。いつか人が言語を話す必要がなくなったら、ジャンル分けというものもなくなり、音楽も言葉も人も完全にひとつにつながるのだろうけれど──。

 新作とそれに先立つEPを〈ワープ〉からリリースし、先日のOPN来日の際にもその存在をあらためてアピールしたロンドンのプロデューサー、パテン。彼との問答は、そうした「物事の分節」をめぐってつねに同じ場所で岩に乗り上げる。以下のインタヴューは対面ではないため不必要な重複を生んでいるところがあるが、しかし、「心と体は同じ」「主観と客観も同じ」「作品はひとかたまりのもの」「好きなもののいちばんを決めない」等々、あるものを切り分け、整理して捉える思考を忌避するパテンのスタンスが非常にはっきりと感じられると思う。これは彼の強い特徴であり、おそらくは倫理であり、それはたとえばジャケット・デザインのコラージュなどに端的に表れている。パテンの音や思考はつねにその「物事がひとつながりの世界」からはじまる……、あるいはそこからはじめたいという願いからはじまっている。
 彼が、最初のアルバムに誰も発音の仕方がわからない『グラックジョー・ザックソウ(GLAQJO XAACSSO)』(〈ノー・ペイン・イン・ポップ〉、2011年)というタイトルをつけたり、そのリリース当初のインタヴューでは映像で回答したりと「謎の」存在感を醸していたのも、話をきいてみれば謎でもなんでもなく、ただ物事はそうはっきりと分節できるものではない、そう簡単に説明し分類できるものではない、ということを繰り返し主張していたのだということに思い当たる。

 さて、〈エディションズ・メゴ〉と〈メキシカン・サマー〉をまたぐOPNが〈ワープ〉とサインしたインパクトに次いで、現〈ワープ〉のアブストラクトでアンビエントな方向性を明確にするものとなった新作『エストイル・ネイアント』。このアルバムを携えて来日したパテンに質問状をぶつけることができたので、ご覧いただきたい。この思索的な言葉の端々から感じられるのは、彼もまた「分節」の能力に長け、むしろ見えすぎるほど物事の分析を行って生きてきたのではないかということだ。そのことを否定しながらみずからの表現を立てていく姿に、リアリティと共感を感じずにはいられない。
 言葉には分けられないものの存在を、彼は水の中に放した。『泳ぐ星(エストイル・ネイアント)』は、手を差し入れればゆらゆらと輝く。

音を楽しむということについて、知的な部分と経験的な部分に隔たりはないと思っている。

今作も『グラックジョー・ザックソウ(GLAQJO XAACSSO)』につづいてアートワークにコラージュがもちいられていますが、何か意図があるようでいて、意図をもたせているように見せかけるところに主意があるようにも思います。あなたの音楽にとってジャケットはどのような意味を持っているのでしょう?

D:作品のヴィジュアル要素は、音楽そのものと同じくらい大切だと思っている。このインタヴューだってそう。なぜなら、作品に関する考えや意見を文章という情報にして世の中に送り出しているから。そういったものはすべて作品とつながっている。そういう意味において、ジャケットのアートワークやミュージック・ヴィデオなどは音楽そのものと同等の価値を持つものだ。それぞれが、作品のアイディアを発展させたり、作品のアイディアを世の中に広める役割を果たしてくれる。
 意図をもたせているように見せかけるところに主意がある、という表現は興味深いね。意図があるのか、意図があるように見せかけているのか、ということだね。作品のすべての部分──つまりサウンド/ヴィジュアル/ヴィデオ/ライヴ体験など──に関して言えることは、それらの主な目的というのは、人々に独創的な考え方をする機会を与える助けとなることだ。物事の多様な意味を考えたりする環境を提供したい。作品を通して、「認識する自己」というものを体験して自己発見をしてもらいたい。
 われわれは、慣れ親しんでいるもの──たとえば見たことのあるヴィジュアルや展開が予想できる状況など──に直面すると、先入観が働いて、認識するという機能が敏感に働かないことがある。だが、親しみのない、未知のヴィジュアルやサウンドや環境に直面すると、それをちゃんと意識する。よって、「認識する自己」というものを体験することができる。外部からの情報を認知して、能動的に現実を創造する個人として自己を認識することができる。パテンというプロジェクト全体を通して僕が望んでいるのは、作品のさまざまな要素がそういう環境を生み出すことだ。そしてそれが、人々が自分自身について掘り下げて考え、また世界のあらゆることについて再考する機会のきっかけになればいいと思う。

とくにこだわっているわけではないのかもしれませんが、コラージュを手法として好んで用いるのはなぜですか?

D:コラージュは、並置や再文脈化や異なる見解を用いて、アイデアが存在できる環境を生み出し、個人に働きかけることのできる手法の一つだ。先ほども話したように、個人に働きかけるというのは、与えられた情報・状況を認知して多種多様な論理として自己で探索するという意味だ。そういう意味でコラージュはとても有効だと思う。

あなたの音楽においてビートは複層的に展開されていますが、これはより快楽的に追求されたものなのでしょうか? それともコンセプチュアルに目指されたものなのでしょうか?

D:まず、体と心は一体であるように、身体的なものと心理的なものは対立するものとして存在していないと僕は思っている。音を楽しむということについて、知的な部分と経験的な部分に隔たりはないと思っている。そして、この作品に関して言えるのは、リズミックであるとか、メロディックであるという、後づけと認識できる情報をベースにした区分けはとくにしていないということだ。つまり、ひとつのものが作られたということ。ビートを作って、次はメロディを作って……という感じではなくて、統一性を持って制作が進められている。だから、制作プロセスは区切られたものではない。
 だが、作品全体が、コンセプチュアルに作られたか身体的な快楽を追求したものか、と訊かれると、さっきも話したように、僕にとってそのふたつに大きな違いは感じられない。対立するものではないと思うから。だが、質問には「僕の快楽を追求したものか」という部分に関して面白い発想があって、僕はいまそれを追求しているところだ。ようは、自分のマインドに制限されないようにしている。つまり、自分自身のイマジネーションを超越しようとしている。自分の想像を超えるようなものを作りだせるような選択ができるようにさまざまな方法を試している。
 詳しく話そう。たとえば、あるアイディアがあってそれを実現させたいと思う。アイディアについて考え、それを形にして作り、世の中に出す。だけど、この方法で作業すると──もちろん、この方法に何の問題もないし、人々がこの方法でやっていくのは大事なことだと思う。個人的なプロジェクトとしての話だ──自分のイマジネーションに制限されてしまう。自分が想像するものしか作れない。なぜ自分のイマジネーションに制限される必要があるのか、と僕は考える。自分が作れると想像していなかったものを作ることのできる状況を作り上げてみてはどうだろう? この考えが、このプロジェクトの重要な部分を担っている。加えて、自分の嗜好というものは、制作の障壁になることもある。たとえば、何かを作っていて「これは素晴らしい。よいものだ。」と思い、その作品を価値あるものとみなし、作品は完成したものとして制作を終了する。その一方、何かを作っていて「これはダメだ。良くない。」と思い制作をやめる。でも、なぜそれが(良いのか良くないのか)わかるのか? 意味のないもののように見えるものは、本当に価値がないものだとなぜわかるのか? 個人的には認知できない何かがその作品にはあるかもしれない。だが、他の人には何かしら価値が認知できるかもしれない。反対に、「これは素晴らしい。よいものだ。」と思って完成だと思ったものは、完全に取り壊して作りなおした方がより良いものができたかもしれない。だから、「自分を中心に物事を考える」という考え方から自分を離して、自己という制限を超越したところで制作に臨める方法を模索している。

それは主観ではなく客観的に制作をするという意味でしょうか?

D:主観も客観もどちらとも個人の状態なので、先ほども言ったように、必ずしも対立しているものではないと僕は思う。僕が説明しているのは手法であって状態ではない。だが、具体的にどういうことかというと、たとえば、異なる精神状態で制作をしてみる。集中して頭が冴えているときに制作をしたり、睡眠不足で集中力が100パーセントでないときに制作をしたりする。さまざまな状況における選択を制作過程の一部分として取り入れる。もしくは、楽器などのツールを使うときに、当たり前の使い方以外の使い方をしてみる、など。
 たとえば、ピアノを弾くとき、実際に弾く前にすでに手のポジションが決まっていることがわかっている。そういう先入観を覆すような使い方をしてみる。物事に対して、オープンに、変わった考え方をする、ということだ。そういう考え方をこのプロジェクトでは大事にしている。

過去50年間の情報というのは、タンブラー(tumblr)などでたくさん出回っている。でも、それ以前の情報というのはあまりない。情報社会に存在していないものについて考えるのも興味深いと思う。

”エイジェン(Agen)”のMVにおいてはサブリミナルに、高速でイメージが提示されますね。俳句に「二物衝撃」という手法がありますが、これはまったく異なるふたつのものを故意にぶつけることで、新しいイメージを引き出すというものです。俳句は短いためこのような手法で表現の領域を広げます。ですが、そもそも表現として広い選択肢をもっているはずの映像や音楽が”エイジェン”のように二物の対照を生むと、そこに含まれる情報量はさらに乗算的に増えるように思います。あなたや映像作家のジェーン・イーストライトは、情報社会とアートや音楽との関わりについてとくに関心があるのでしょうか?

D:俳句の手法に喩えるのはとても興味深いね。まったくちがう分野に属するニ物をぶつけると、第三のものが新しく生まれる。面白いことに、その第三のものとは、言葉では表現できないものだったりする。前言語的な分野──つまりアイディアなどの、言語では説明しにくいもの。詩の持つ気品というのは、幻想を明確に表現できることにある。あなたが言うとおり、音楽やヴィジュアルを作っている場合でも同じ目的でそういう手法を使ったりする。幻想的なイメージや明確に表現しづらいものを、上手く表現するためにね。
 情報社会と言ったけど、この世には驚くほどの量の情報が出回っている。だが、考えてみてほしいのは、その一方で、情報の種類として限定されたものも存在するということ。詳しく説明しよう。過去50年間の情報というのは、タンブラー(tumblr)などでたくさん出回っている。でも、それ以前の情報というのはあまりない。たとえば17世紀の画像などはあまりない。実際、17世紀に関する情報は何千もの本や教科書などに資料として残されている。情報社会に存在していないものについて考えるのも興味深いと思う。人間がいままで世に生み出したマテリアルを掘り起こす、というアイデアとして面白いのではないかと思う。欠けている情報というのもあるから、情報社会といっても奇妙なものだ。
 ヴィデオに関して言えば、たしかにさまざまなヴィジュアルが並置されている。ヴィデオも、先ほど話したようにアルバムのジャケットや、アルバムの音楽と同じように作用してほしいという期待のもとに作られている。それは、作品が、人々が考えたり認知したりする環境を提供するものとして作用するということだ。だから寛容に作られていると言っていい。俳句に関しても、言葉単体は不活性なものだ。読み手の頭の中で初めて生きてくる。われわれが制作するものも、そういった作用を人々に及ぼしてくれたらいいと思っている。

国立美術館テート・ブリテンで行われた、〈ワープ〉とジェレミー・デラー(Jeremy Deller)とのインスタレーションは非常に反響があったようですね。あなた個人にとってはどのような影響がありましたか? 感想もふくめて教えてください。

D:とても面白いイヴェントだった。異なる組織が協力して、コラボレーションとして何が作り出せるのか、を考えて実行するのはとても興味深い。俳句のように、ちがった世界に属していたと思っていたものたちをぶつけて、新しいものを生み出す。でも、実際に〈ワープ〉やテートがやっていることというのは、存在する・体験する・感じるというような、人間らしさというさまざまな面で価値あると思えるものをアイディアとして表現するということだ。だから、〈ワープ〉とテートがコラボレーションするのはある意味、当然のような、理にかなったことに思える。観客がその感性を理解してくれるのは素晴らしいことだし、観客もそのコラボレーションの結果に関与してくれたことは最高だと思う。今後も、世界中でそういった大胆な活動が増えていけばいいと思う。

アシッド・ハウスはおそらくリアルタイムでご経験されていないのではないかと思いますが、いわゆる「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」についてあなたはどのような認識や意見をお持ちなのでしょう?

D:世界において、ある特定の時代に、さまざまな状況が重なり合って、クリエイティヴな作品がものすごい勢いで生み出されるという状況をもたらすのはとても興味深いと思う。限られた集団のなかで、限定された社会のなかにおいて、そういった現象が起こり、その現象は世界各地のさまざまな時代で起きてきた。その現象は予測することもできないし、作為的に作ることもできない。自然に起きる現象だ。たとえば、カフェの出現を取ってみても、本来の目的からはじまり、その後、カルチャーにも大きな影響を及ぼすものとなった。ルネッサンスという時代も、人々は、人間というものがどのような存在であるかという思考に関する想像性が過剰に働き、それがヴィジュアル・アート、音楽や建築として実を結んだ。概して、僕はそのような瞬間に対して魅了されると言える。そういう現象は、社会や人間を評価したり、再考・再検討する機会になるし、新しいものの見方で自分たちのアイディアを表現できる機会になる。「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」もその現象のうちに含まれると思う。

あなたの「RE-EDITS」シリーズについて教えてください。これは何の「RE-EDIT」なのでしょうか。そして、どんな基準で「RE-EDIT」の対象物を選んでいるのでしょう?

D:「RE-EDIT」の対象になるのはさまざまな音楽だ。「RE-EDITS」の作品はすべて、4つか5つのトラックから成っていて、トラックが何層にも重なっていたり、トラックの要素がほかのトラックの要素と混ざったりしている。「RE-EDIT」の曲が、ある特定の曲のリエディットだ、という意見をよく耳にして面白い。ヴォーカルの部分を聴いて、ヴォーカルに気づくから、その曲のリエディットだ、と思うらしい。でも、ヴォーカルの要素以外にもたくさんの要素が入っている。べつに隠しているわけではないから、そういうヴォーカル以外の要素にも、オリジナルの曲を知っている人だったら気づくと思う。作品を発表して、人の反応を見るのはとても面白い。
 対象物を選ぶ基準についてだが、「RE-EDIT」ではない作品を作るとき、僕はとてもオープンな姿勢で制作に臨む。だから想定外の衝撃が起こったり、先ほども話したように、自分でも驚くような選択をすることもある。

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僕にとって重要なプロセスの一つは、分類やジャンル分けといった行為を避けるということだ。できるだけオープンな姿勢でありたいね。


patten
ESTOILE NAIANT

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アルバム収録の曲よりももう少しシンプルなトラックやUKガラージ風のものが目立つように思いますが、そういうわけでもないのですか?

D:そういう見方で曲を捉えないようにしている。曲を世に送り出した時点で僕の役割は終了している。僕が発表した曲に対して人々がどのような反応をするかを見るのは面白いけど、僕にとって重要なプロセスの一つは、分類やジャンル分けといった行為を避けるということだ。できるだけオープンな姿勢でありたいね。

OPNは意識しますか? もしよければ『アール・プラス・セヴン(R Plus Seven)』、『リターナル(Returnal)』、ゲームス「ザット・ウィ・キャン・プレイ(That We Can Play)」、フォード・アンド・ロパーティン『チャンネル・プレッシャー(Channel Pressure)』のなかでどれがいちばん好きか教えていただけないでしょうか。

D:プロジェクトの途中だと、それがどんな作品になるかを見極めるのは不可能だ。僕はその不可能性を受け入れている。繰り返すようだけど、僕にとって重要なのは、作品を分類したりする必要のない状態にいることだ。自分の作品や他の人の作品に対してオープンな視点を持っていたい。だから、どれがいちばん好きかを選ぶことはしないようにしている。すべての作品を同等なものとして見たい。OPNの作品とは関係ない話だが、評価方法について。自分がいちばん楽しめないものが、じつは、自分にとってもっとも価値のあるものだというケースもある。だから自分がいちばん好きなものが、もっとも価値のあるものであるとは一概に言えないのではないかな。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは好きですか? 

D:マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの作品はとても興味深いと思う。興味をそそられるし、魅了される部分がたくさんある。心を打つ。僕が興味をそそられる音楽の多くは、言葉を超越したところにあるものだと思う。それが音楽すべての目的なのかもしれない。説明するのが不可能なことをはっきりと伝える。はっきりと伝えなくても、それを体験として作り出す。ものごとを表現するだけでなく、実際の体験を作り出す。そういうことを達成してくれる音楽が存在する。そういう意味でマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの作品はとても面白いと思う。

UKのロックとUSのロックではどちらにより親しみを感じますか?

D:UKのロックとUSのロックをまったく別のものとして見るのは難しいと思う。僕は、そういう区別の仕方で音楽を捉えていない。UKのロックもUSのロックもロックだし、ふたつは繋がっている。ロックとそれ以外の音とのつながりを見つけるのだってそんなに難しいことではない。もっと統合的な見方で僕は物事を捉えている。

〈ワープ〉の歴史はあなたの個人史において大きな意味を持っていますか?

D:〈ワープ〉とパテン・プロジェクトの面白い点というのは、ある特定の美学や技術的アプローチに基づくというよりも、イデオロギーに特異性があるところだ。そのイデオロギーというのは、実験や、人間という存在についてのアイディアを伝える行為に焦点を置いている。そして、感情的に共鳴できる作品を作る。それは難しいことかもしれない。その作品は、ただ感情を引き起こすだけでなく、個人の持つ技術をさらに探求し発展させ、自分と自分の住む世界に対する理解を深めていくのが目的だ。そういう意味において、〈ワープ〉とパテンはつながっていると思う。

来日されたのをうれしく思います。日本という場所は、あなたの音楽や演奏に何か影響を与えますか?

D:日本に来たのは初めてだ。とても特別で魅力的な国だと思う。僕がつねに言っているのは、親しみのない場所や状況に影響され、そういった場所や状況に対して、不思議さに驚嘆する感性を持って臨むのが大切だということ。だけど、慣れ親しんだものや日常的に目にするものに対しても、同じような(新鮮な)姿勢で臨むのが大事だと思う。いま、日本でいろいろなものを見ていろいろな体験ができているのは素晴らしいことだと思う。だけど、母国でも同じような感性を持っていられることが大事なことだ。普段目にしているものに対しても、そのものが有する豊かさをしっかりと認めることができるのが大事だと思う。まるで、それを初めてみるかのように。そういう見方はとても大事だと思うし、パテン・プロジェクトにおける重要な部分でもある。

人生について語るとき、人は作家である必要はない。なぜなら人生は人それぞれちがうもので、それを言葉にして表現できなくても、人生を生きるという行為で、人生の主張をしていることになるからだ。

ダンス・ミュージックでありながら、一貫してアンビエントなムードが目指されていますが、これはあなた自身のパーソナルな音楽性によるものでしょうか? それとも時代を読んでのことでしょうか?

D:いままでの会話から、僕の答えはそのどちらでもない、ということがわかると思う。話したように、パテン・プロジェクトはさまざまなプロセスを経て特定の結果がもたらされるわけだが、ある人はそれをいま言ったように(「ダンス・ミュージックでありながら、一貫してアンビエントなムードが目指されている」)表現する。そういう人の反応を見るのは面白い。僕個人としてはそういう表現はしないけれど、他の人がどう表現するのかを見るのは面白い。プロジェクトは、現在という瞬間に存在する、ということを大事にしていて、先を読んでのことでもないし、この10年を見越して作られたものでもない。今後20年でも30年でも50年を見越したものでもない。それとはまったく別の規模の考え方で、歴史や現在に関わり、できるだけ完全に、また豊かに表現するように試みたものだ。だから来週や5年後は関係なく、先週や5年前も関係ない。それよりもっとオープンな方法で捉えている。

たとえば『グラックジョー・ザックソウ』というタイトルがそうであるように、「発音のしにくさ」「正体のつかめなさ」はあなたの作品全体について当てはまることのように思います。テクノロジー一般は、物事を単純明快にする方向に発展していますが、あなたにはそうしたものに対するカウンターとしての意識はありますか?

D:テクノロジーが物事を単純明快にする、という発想はとても興味深い。スマートフォンやパソコンを使える人は、この世界の特定した地域においてはかなりの数が存在すると思う。だが、実際にスマートフォンやパソコンがどのように機能するのかを理解している人は非常に少ない。僕が言いたいのは、テクノロジーによって不透明性を増した物事もあるということ。テクノロジーによって、以前は見えていたものが、見えなくなってしまう。だから、テクノロジーが物事を単純明快にするという発想は必ずしも真実とはいえない。たとえば、太陽系の惑星をすべて挙げよ、と言われたら人はすぐスマートフォンで調べるかもしれない。だけど、実際に、太陽系の惑星を記憶している人は少ないかもしれない。でも単純なことだ。知っているべきことだ。情報はたしかに存在する。だが、テクノロジーによって物事は単純明快になっているのか、それとも物事を隠して不透明にしているのか? テクノロジーによってというよりも、われわれがどのようにテクノロジーを使うかによる。テクノロジーに依存した社会というのは、より単純明快な社会であるのか? それは誰にもわからない。
 タイトルの話に戻るが、「発音のしにくさ」という感覚はない。あなただって完璧に発音できたでしょう。『グラックジョー・ザックソウ』の裏にある理論としては、「あるもの」に特殊な名前をつけたいという思いからだった。音楽・ヴィデオ・ヴィジュアルに存在する「あるもの」ができた。そのあるものが『グラックジョー・ザックソウ』だ。そしてタイトルそのものも、音で構成されたものである。また、視覚的な構成物である。

「エストイル・ネイアント(ESTOILE NAIANT)」とは何なのですか?

D:「エストイル・ネイアント」は、紋章記述(Heraldic blazon)という中世の言語を使い、僕が考えた言葉だ。紋章記述というのは、盾や旗に用いられる紋章の正式な説明文である。この言語を調査して詳しく調べていた。俳句もそうだけど、この紋章記述も、ヴィジュアルを作るために特化した言語ということで非常に興味深い。僕はこの言語を使ってあるヴィジュアルを作った。そのヴィジュアルは、プリズムのようなもので、それを通してこのレコードを経験してもらいたいと思っている。レコードだけではなく、いままで話してきた内容や、われわれが作成するマテリアルすべてを経験してくれたらいいと思う。
 われわれの制作物は、存在意義についての考え方や、存在意義の認知について、また人と関わり合う事についての考え方を人々に伝えるという目的のもとに作られている。人々とコミュニケーションをとるためにマテリアルを作っている。人生について語るとき、人は作家である必要はない。なぜなら人生は人それぞれちがうもので、それを言葉にして表現できなくても、人生を生きるという行為で、人生の主張をしていることになるからだ。われわれはみな、その人生に関する対話の一部分を構成している。一人ひとりの人生は微々たるものだが、人生の対話は、とてつもなく巨大だ。それはわれわれという人々であり、われわれの都市であり、国であり、大陸であり、世界である。その対話というのは、人間が地球に存在したときからずっと行われてきたし、この先も人間が滅びるまでつづくものだ。
 ヴィジュアルというのは、「泳ぐ星」だ。「ESTOILE NAIANT」は「泳ぐ星」という意味。水に反射している太陽を、泳いでいる星に見立てた。このヴィジュアルは、日常的で微々たるもの、見慣れたもの、そして流動的なものと、巨大で想像を絶する規模のもの、つまり太陽のように不朽のもの、遍在するものとのデリケートなつながりの瞬間を象徴している。太陽がわれわれの生命を可能にする。そういうアイディアを追求したものだ。

リミキサーとしてもひっぱりだこですが、あなたはご自身のオリジナル作品を作ることよりも、作品というメディアを通して人と自分や人と人をつないだりすることにより興味があったりするのではないですか?

D:僕にとっては、そのどちらも、クリエイティヴな仕事に関与することの一環だと思う。音楽という仕事をするということは、音楽を作ることも仕事の一つだけど、同じように、他の人のために状況をセッティングしてイヴェントをやったりすることも音楽という仕事の一つだと思う。イヴェントを実現したり、レーベルを運営したりするのは、新しい考え方ができるような環境を作る、という意欲の延長に過ぎない。だから全てはつながっていると思う。

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