「S」と一致するもの

Courtney Barnett - ele-king

 昨年5月にセカンド・アルバム『Tell Me How You Really Feel』をリリースしたコートニー・バーネット。そのときのインタヴューで「日本にまた行ける日が待ち遠しくて仕方ない」なんて言っていた彼女ですが、なななんと、実現しちゃいました! 来る3月、コートニー・バーネットが東京・名古屋・大阪にやってきます。現在、その来日公演にあわせて2016年のフジロックでのパフォーマンス映像が公開中。これを観て本番を楽しみに待っていましょう(3月9日にはタワレコ渋谷にてサイン会もあるそうですよ~)。

コートニー・バーネット、フジロックフェスティバル’16のライヴ映像を公開! 来日公演は3/8より! 3/9はサイン会実施!

セカンド・アルバムとなる最新作『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』を昨年5月にリリースし、3月にジャパン・ツアーを行うコートニー・バーネットが、2016年に出演したフジロックフェスティバルのライヴ映像を公開した。曲は初期の名曲“Avant Gardener”。

■FUJI ROCK FESTIVAL'16 “Avant Gardener”
https://youtu.be/nU6fs5jIlYQ

また来日中の3月9日(土)にはタワーレコード渋谷店にてサイン会を行う。

■サイン会概要

・開催日時:3月9(土)15:00~
・会場:タワーレコード渋谷店 6F
・参加方法:以下の対象商品をご購入のお客様にイベント参加件を配布いたします。
・詳細:https://towershibuya.jp/2019/02/07/130913
(問)タワーレコード渋谷 03-3496-3661

■公演概要
日時/会場

東京
3/8 (Fri) SHIBUYA TSUTAYA O-EAST
open18:00 / start 19:00 ¥6,500 (前売 / 1ドリンク別)
Information: 03-3444-6751 (SMASH)

名古屋
3/10 (sun) Electric Lady Land
open18:00 / start 19:00 ¥6,500 (前売 / 1ドリンク別)
Information: 052-936-6041 (JAILHOUSE)

大阪
3/11 (Mon) UMEDA CLUB QUATTRO
open18:00 / start 19:00 ¥6,500 (前売 / 1ドリンク別)
Information: 06-6535-5569 (SMASH WEST)

チケット発売

東京: e+ (pre:11/16 12:00-19 23:59)・ぴあ(P:131-173) / 英語販売あり・ローソン (L:71252)・岩盤 (ganban.net)
名古屋: e+ (pre:11/16-19)・ぴあ (P:134-665 ) 英語販売あり・ローソン (L:42925)
大阪: e+ (QUATTRO web: 11/17-19, pre:11/17-19)・ぴあ (P:134-638) 英語販売あり・ローソン (L:55208)・会場

お問い合わせ:SMASH 03-3444-6751 smash-jpn.com smash-mobile.com

■コートニー・バーネットまとめ
https://trafficjpn.com/news/cb/

■1stシングル「Nameless, Faceless」(日本語字幕付き)
[smartURL] https://smarturl.it/cb_jpn
[YouTube] https://bit.ly/2Kv613i

■期間限定スペシャル・プライス盤
来日を記念して、オリジナル・アルバム2作(国内盤CD)が期間限定スペシャル・プライスで発売中!

デビュー・アルバム『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』(期間限定スペシャル・プライス盤)
スペシャル・プライス:1,500円(税抜)/ TRCP-182Z

セカンド・アルバム『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』(期間限定スペシャル・プライス盤)
スペシャル・プライス:1,800円(税抜)/ TRCP-230Z

[smartURL] https://smarturl.it/cb_jpn
[amazon] https://smarturl.it/cb_jpn/amazonmusiccddvd
[Tower Records] https://smarturl.it/cb_jpn/tower
[HMV] https://smarturl.it/cb_jpn/hmv
[iTunes/ Apple Music] https://apple.co/2EsIthe
[Spotify] https://spoti.fi/2Hgdoem

■プロフィール

1988年、豪生まれ。2012年、自身のレーベルMilK! Recordsを設立し、デビューEP『I’ve got a friend called Emily Ferris』(2012)をリリース。続くセカンドEP『How To Carve A Carrot Into A Rose』(2013)は、ピッチフォークでベスト・ニュー・トラックを獲得するなど彼女の音楽が一躍世界中に広まった。デビュー・アルバム『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』(Sometimes I Sit and Think, Sometimes I Just Sit)を2015年3月にリリース。グラミー賞「最優秀新人賞」にノミネート、ブリット・アウォードにて「最優秀インターナショナル女性ソロ・アーティスト賞」を受賞する等、世界的大ブレイクを果たし、名実元にその年を代表する作品となった。2018年5月、全世界待望のセカンド・アルバム『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』をリリース。2019年3月、2度目の単独来日公演を東名阪で行う。

https://courtneybarnett.com.au/

Stephen Malkmus - ele-king

 思い返せばペイヴメントも、いわゆるオルタナのくくりで語られることが多かったような気がする。だがスティーヴン・マルクマスの背景はもっと違うところにあるのであって、それがマルクマスの音楽の分類の難しさもとい魅力にもなっていたわけだけれど──ともあれ彼はめでたく新しいアルバムを完成させた。今回はエレクトロニックに寄った内容になっている模様。現在、スーパーオーガニズムのメンバーが手がけたという新曲“Rushing the Acid Frat”のMVが公開されている(スーパーオーガニズム→スピーディ・J→「アシッド」……ってのは深読みしすぎか)。きっとマルクマスの第一声を聞いただけで往年のファンは悶えることだろう。発売は3月15日。

STEPHEN MALKMUS

ペイヴメントでの活躍でも知られるスティーヴン・マルクマス、3月15日に発売を控える最新アルバム『Groove Denied』から新曲をMVとともに公開! スーパーオーガニズムのメンバーが手掛けたポップでサイケなアニメからは目が離せない! 国内盤のみに収録されるボーナストラックも決定!

過去の音楽の単なる焼き直しではなく、これまでの歴史を守りつつ、自分たちのアイデンティティーを保ち、常に楽しみながら制作を続けてきたスティーヴン・マルクマス。昨年発売されたスティーヴン・マルクマス&ザ・ジックスのアルバム『Sparkle Hard』は Pitchfork、Rolling Stone、SPIN などの多数のメディアでアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得している。

〈Matador Records〉から3月15日にリリースされる新作アルバム『Groove Denied』は、スティーヴン・マルクマス曰く「(人々に)受け入れられなかった」作品で、マルクマスならではのエレクトロニック・アルバムに仕上がっている。

80年代のニュー・ウェイヴ・シーンなどの影響を感じさせる同アルバムから今回、新曲“Rushing The Acid Frat”がMVと合わせて公開された。マルクマスは、大学時代の友人との思い出からインスパイアされたという新曲を「スター・ウォーズに出てくるバーのシーンのサウンドトラック」だと表現している。同時に解禁された新曲のアニメMVは、スーパーオーガニズムの映像担当ロバート・ストレンジが手掛け、マルクマスが「トリップ」して幻覚を見ている様子を描いたサイケでポップな仕上がりとなっている。

待望の最新アルバム『Groove Denied』は、3月15日(金)に発売される。国内盤CDにはボーナストラックとして“Funeral Bias”と“Moog Police”の2曲が追加収録され、歌詞対訳と解説書が封入される。現在 iTunes Store でアルバムを予約すると、既に公開されている“Viktor Borgia”と今回公開された“Rushing The Acid Frat”がいち早くダウンロードできる。

Stephen Malkmus - Rushing The Acid Frat
https://youtu.be/LDiqO5VhFPw

Stephen Malkmus – Viktor Borgia
https://youtu.be/YlC8uz47qGo

おかしなポップの世界へと道を外れた心躍る作品 ──Rolling Stone

“Viktor Borgia”は80年代初めのポスト・パンクの影響を受けたシンセの要素が散りばめられ、一風変わった実験のよう ──NPR

たるんだ中年の米国人は、ギターを置いたエリートのロック・ミュージシャンというより、エレクトロニック・ミュージックに浸っている ──Vulture

label: Matador / Beat Records
artist: Stephen Malkmus
title: Groove Denied
cat no.: OLE14333
release date: 2019/03/15 FRI ON SALE

[TRACKLISTING]
01. Belziger Faceplant
02. A Bit Wilder
03. Viktor Borgia
04. Come Get Me
05. Forget Your Place
06. Rushing The Acid Frat
07. Love The Door
08. Bossviscerate
09. Ocean of Revenge
10. Grown Nothing
11. Funeral Bias (Bonus Track For Japan)
12. Moog Police (Bonus Track For Japan)

Mark De Clive-Lowe - ele-king

 1990年代後半からおよそ20年に渡り、ジャズとクラブ・ミュージックの両方の世界をまたにかけた活動をおこなっているマーク・ド・クライヴ・ロウ。彼の名前が最初に知られたのはウェスト・ロンドンのブロークンビーツ・ムーヴメントにおいて、フィル・アッシャー、ディーゴ、ベンベ・セグェといった面々とのコラボからだった。バークリー音楽院卒で既にジャズ・ピアニストとしてアルバムもリリースしていた彼だが、同時に学生時代はヒップホップやR&B、アシッド・ジャズからの影響も受け、ウェスト・ロンドンに移住してからはビートメイカーやDJ/プロデューサー的なスキルも身につけていく。その後アメリカに渡って現在はロサンゼルスを拠点に活動していく中で、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、カルロス・ニーニョといったビルド・アン・アークの面々のほか、カマシ・ワシントンサンダーキャットなどのジャズ・ミュージシャンとの交流が生まれていった。大御所のハーヴィー・メイソンのバンド・メンバーに抜擢されるなど(来日公演ではDJクラッシュもフィーチャーしたライヴを披露している)、LAジャズ・シーンの重要なキーボード奏者という側面と、リミキサーとしてハウス・トラックを作るといったDJ/プロデューサーという側面を今も両立させ、また自身のバンドを率いて「チャーチ」というイベントを主催するなど、多面的で精力的な活動をおこなっている。アルバムとしては2014年にイベントから発展した『チャーチ』をリリースしており、ウェスト・ロンドン時代から続くジャズ、ジャズ・ファンク、フュージョンとブロークンビーツ、ヒップホップなどクラブ・サウンドの融合を見せていた。その後はEPやミックステープ、リミックス集などのリリースはあり、LAのクラブのブルー・ホエールでおこなったライヴ盤も出していた。最近でもモッキーの新作に参加していたのだが、自身のアルバムのリリースは久しぶりで、この『ヘリテージ』は『チャーチ』以来5年ぶりのニュー・アルバムとなる。

 マークはもともとニュージーランド出身だが、父親がニュージーランド人、母親が日本人というハーフである。ハイ・スクール時代に横浜で1年ほどホームステイしていたことがあり、知人やミュージシャンの友人も多くて、いまも定期的に日本を訪れてライヴをやっている。『ヘリテージ』はそんなマークが自身の片方のルーツである日本に向き合ったアルバムである。幼いころは母親から“赤とんぼ”など日本の童謡を聴かされて育ち、ホームステイ先はお寺の住職の家で日本の文化にも触れ、日本のジャズ・クラブにも通って板橋文夫、向井繁春、大西順子などを聴いていたというマークだが、これまでの作品の中に日本をテーマにしたものとか、日本的なモチーフを取り入れた作品は特になかった。彼のやっている作品はジャズにしろ、クラブ・サウンドにしろ、ブラック・ミュージックをベースとするものが多かった。そんなマークだが、ロサンゼルスに移住してから改めてアコースティック・ピアノやアコースティックなジャズの演奏に対峙するようになり、それと共に自身のルーツについても考える機会が増えていったようだ。アフリカ音楽をルーツとするブラック・ミュージックやジャズ、ファンクなどは確かにマークの音楽を形成するうえで重要なものとなったけれど、それは彼自身ではないし、あくまで借り物であると。またロサンゼルスではエチオピア音楽も盛んで、彼もトッド・サイモンがやるエチオ・カリというバンドに参加したことがあるが、その活動を通じてエチオピア音楽の音階と日本の伝統音楽の音階が酷似していることに気づき、改めて日本の音楽への興味が再燃していった。そうしたところから2017年に「未来の歴史」というイベントを開催し、そこでは琴、和太鼓、篠笛などの奏者やシンゴ02を交えたパフォーマンスをおこなっている。このイベントが『ヘリテージ』の制作をするにあたっての起点となり、実際にそこでの演目の多くが収録されている。

 参加ミュージシャンは「未来の歴史」にも参加していたカルロス・ニーニョ(パーカッション)、ブランドン・ユージン・オーウェンス(ベース)、タイラナ・エノモト(バイオリン)のほか、レオン・ブリッジスやエスペランザらと共演するジョシュ・ジョンソン(アルト・サックス、フルート)、タリブ・クウェリやモス・デフらと共演するテオドロス・エイブリー(テナー・サックス)、モーゼス・サムニーらと共演するブランドン・コームス(ドラムス)という面々。ブランドン・ユージン・オーウェンスはテラス・マーティンやロバート・グラスパーらと共演し、タイラナ・エノモトは日本人とアメリカ人のハーフである。今回は和楽器奏者こそ入っていないものの、ふたりの木管楽器奏者が尺八や篠笛に通じるような音色を奏でている。2018年6月にブルー・ホエールでおこなったライヴ音源と、同年7月のNRGスタジオでの録音を混ぜ合わせたものが最終的にアルバムにまとめられているが、その2、3ヵ月前にマークは奈良に滞在し、尺八奏者の薮内洋介とワークショップやライヴをおこなっていて、そのときに作られた“ジ・オファーリング”がオープニング曲として収められている。またマークは日本の音楽を理解するために演歌もいろいろと聴いたそうで、ほかに尺八奏者の山本邦山による『銀界』(1974年)は大きなインスピレーションの源となったそうだ(このアルバムはDJクラッシュもサンプリングしていて、その世界観にも影響を与えている和ジャズの名作)。英語表記だが楽曲名のほとんどは日本の言葉によるもので、“ブシドー(武士道)”や宮本武蔵の「二天一流」を由来とする“ニテン-イチ”、京都の南禅寺をモチーフとする“メモリーズ・オブ・ナンゼンジ”といった作品が並び、前述の童謡の“赤とんぼ”も演奏している。とは言っても単に和的なメロディによる演奏、和楽器風の演奏にとどまるのではなく、それらを現代的なジャズという形で自身のオリジナルな表現へと導いていると。西洋人が東洋のエキジティシズムをいたずらに強調した作品ではないし、和のモチーフで手っ取り早く振りかけた真似もの作品でもない。武士道や神社、お寺などがモチーフとなっているように、日本の古来の伝統や精神、宗教観がマークの音楽や制作活動に影響を与え、それが内面から湧き上がった演奏となっている。カマシ・ワシントンのようなスピリチュアル・ジャズとは異なるが、これもまたマークのルーツや人生観が形となったスピリチュアルな音楽と言えるだろう。

マイ・ブックショップ - ele-king

 いつも女性たちの地味な戦いを描いているスペインのイザベル・コイシェによる新作。1959年のイギリス。戦争で夫を失ったフローレンス・グリーン(エミリー・モーティマー)が本屋のない街で小さな本屋をオープンする話。2000年に没したペネロピ・フィッツジェラルドの原作(未訳)を元にサフォーク州ハードボローという架空の港町を舞台とし、原作にあったスピリチュアルな要素はすべて省いての映画化だという。50年代のイギリスの港町というと、どうしてもデヴィッド・リーランド『あなたがいたら 少女リンダ』(87)を思い出してしまうけれど、あのように破天荒で、保守的な人たちと真正面から戦う話ではなく、進んでいるのか進んでいないのかよくわからないテンポで話は進み、その点では初期の作風に戻った感がある(最近、ちょっとハリウッドっぽくなっていたので、ひと安心)。銀行で開店資金を貸してもらえない場面からスタート。それでもなんとか開店にこぎつけるまでが前半のストーリーながら、どういうわけか街の人たちはあまり協力的ではない。街の実力者であるヴィオレット・ガマート夫人(パトリシア・クラークソン)が街に芸術センターをつくろうと画策していて、同じ物件に目をつけていたからだということがだんだんとわかってくる。弁護士が遅々として手続きを進めてくれない一方、少年たちが改装の手伝いをしてくれ、ようやく開店した店には「本は一冊も読まない」という小学生のクリスティーン(オナー・ニーフシー)が店番などで手伝ってくれることに。空っぽの棚に本が並べられ、少しずつ本屋ができていく過程はなかなか心が躍る。そして、本はこの街に様々な変化を引き起こしていくことになる。

 屋敷に引きこもって人前には姿を現さない老人エドモンド・ブランディッシュ(ビル・ナイ)から面白い本があったら送ってくれという手紙が届く。グリーンはレイ・ブラッドベリ『華氏451度』などを選んで送る。ブランディッシュは本のセレクトにいたく感心し、グリーンをディナーに招待し、街で囁かれている彼の身の上話がまったくの嘘で、真実がどうであったかを語り出す。一方、ガマート夫人は書店が順調ににぎわっていることを苦々しく思い、あの手この手で書店をつぶしにかかる。そんな折りにウラジミール・ナボコフ『ロリータ』が英訳され、これを読んだグリーンは、この本を売るべきかどうかブランディッシュに相談し、彼の後押しを得て大量に仕入れることにする。ポルノか文学かという論争を当時のイギリスで引き起こしていた『ロリータ』を見るだけ見ようとして群衆が店に詰めかけ、ガマート夫人は公共の秩序を乱したとして訴えを起こし、ついには……。フローレンス・グリーンは未亡人なので、いわゆるロリータではないけれど、ブランディッシュとの年の差はそれに近いものがある。むしろ年齢的に釣り合うのはガマート夫人の方で、しかし、ブランディッシュとガマート夫人は文化的に共鳴するところがなく、彼女がつくろうとしている芸術センターというのも具体的な説明はなく、おそらく箱物行政でしかないということは大体察しがつく。空っぽの建物だけをつくって満足しようとする地方自治の話は日本でもよく耳にするし、それよりもたった一軒の本屋が街を変えてしまうかもしれないという潜在的な影響力をこの作品は強調し、本は時に爆弾にも等しいことを教えてくれる(次から次へとele-king booksのカタログ数を増やしまくる野田努などはさしずめ現代の爆弾魔に等しい)。

 本屋を舞台にした映画というとノーラ・エフロン『ユー・ガット・メール』か岩井俊二『四月物語』ぐらいしか思い出せないけれど、それらとは違って『マイ・ブックショップ』には政治性が濃厚に塗り込められ、それどころか『マイ・ブックショップ』にはストレートに『華氏451度』が重ね合わされている。トリフォー版の『華氏451度』(66)は文字のない世界を印象付けるためにナレーションが多用されており、『マイ・ブックショップ』でも同じ手法が取られている上に、そのナレーションは『華氏451度』でリンダとクラリスの二役を演じたジュリー・クリスティが担当している。『華氏451度』にはナボコフ『ロリータ』が燃やされるシーンがあり、『マイ・ブックショップ』に並べられた本はあらかた『華氏451度』に出てくる本でもある。また(以下、ネタバレ)ラスト・シーンで本屋を燃やしてしまうのはそのものズバリといってよく、これは一種の思想統制の可能性も示唆している。しかし、本嫌いだったクリスティーンはその後、本屋を開店するまでになり、最後まで観るとフローレンス・グリーンは少なくともひとりには「伝えた」というところが本作の肝となっている。本を読まないと知っててグリーンがあえてクリスティーンに薦めた本はリチャード・ヒューズ『ジャマイカの烈風』という冒険小説で、異質なものの同居をテーマにしているという意味では彼女たちの関係をそのまま表した作品だと言える。『華氏451度』でも『マイ・ブックショップ』でも「本」と言った時に、それが思想書を指すのではなく小説を対象としているところがまた面白いところで、やはりそれは様々な解釈ができることに「読む」価値を置いているからだろう。ブラッドベリはラブクラフトの系譜だと「解釈」したブライアン・オールディーズの説を思い出す。

 アメリカを舞台にしたジョン・クローリー『ブルックリン』(15)やトッド・ヘインズ『キャロル』(15)と同時期の女性像を描いた作品でもあり、80年代につくられることが多かった「理想化された50年代」とは正反対に、50年代の不快な面を引きずり出すという傾向もここには散見できる。そう、『グリース』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の50年代はここにはない。50年代を「政治的に正しく」描くということは抑圧の主体をはっきりさせることであり、カウンター・カルチャーへの道筋をつけるということにもつながっていくのではないだろうか。2018年、ゴヤ賞受賞作。

(『マイ・ブックショップ』予告編)

第一回 - ele-king

 ちょうど日本に、メジャーなサブスクリプション・サービス(AppleMusic)がやってきた2015年のあの時期を起点として、実を言って私はリスナーとしてある種の虚脱状態に陥っていました。かさばるジュエルケースのなかにあるCDという銀盤、ローティーンの頃から人生におけるかなりの労力と時間を賭して収集してきたそれは、今や自分の以外の誰もがアクセスできてしまう〈データ〉に成り下がったのでした(私のような人間にとって、サブスクリプション・サービスというのは初め、そうやって個人が収集してきた〈秘匿〉が暴かれたような気分にさせるものとして現れました)。
 一方で同じ時期、それへの反動として、アナログ媒体たるヴァイナルへの人気がピークを迎えつつあり、かねてより並行してヴァイナルを蒐集していた私も少なからず歩調を合わせようとしてみたりもしたし、一定の愉しさも味わったのでした。また同時に、数々の〈新しい音楽〉がネット空間に出現し、紹介され、日々そういった胎動を感じてもいたし、便宜も受けていました。しかし、どこか拭い難い、虚ろな感覚は蟠ったままでした(たぶん、多かれ少なかれ、それまで所謂〈音楽ファン〉を自認している人たちのなかで、そういう感覚は朧気に共有されていたように思います)。馴染みのお店でレコードを掘っているとき、ネット上で試聴をしながらオンライン・ショップで情報を収集しているとき、ふといいようのない虚脱感に襲われ、店を立ち去る(ページを閉じる)こともしばしばありました。

 自分の音楽的嗜好を研ぎ澄ませて、新しいものを求めて、いち早く手に取りたい、そういった気持がどんどんと霧消していってしまう……。そんな気怠さのなかに居た私ですが、ある時、何気なくブックオフに立ち寄ったことでいっぺんに状況が変わることになりました。
 それは2016年でした。はじめは古本をちょっと物色するつもりだったのだけれど、これといって興味を惹くものもないので、音楽ソフトの行き着く先、いわば〈音楽の墓場〉を眺めてみようかしらというなかば自虐的な気持ちで、ふとCDコーナーを覗いてみたのです。かつては、洋楽CDの掘り出し物をここでよく探したものだな……(いまではこれらのほとんどがサブスクで聴けるのだけど)という感慨に浸りつつも、ほとんど惰性でJ-POPコーナーにも目を移します。すると、80年代なかばのCD黎明期から90年代の全盛期に特徴的なあのジュエルケース背の定形デザイン、メーカーによってフォントやパターンの決まったあの時代のデザインが数多く目に飛び込んできました。白地に黒文字、青丸をあしらったCBSソニーの盤、黒字に黄色文字のフォーライフの盤。一瞬ノスタルジーに襲われながらも、これまで自分がオルナティヴ・ロック等にうつつを抜かしているなかでただひっそりと、ブックオフのJ-POPコーナーや誰かの部屋の棚から、ときが流れていくのを眺めてきたであろうそういうCDたちの存在が、強烈な存在感と共に眼前に現れてきたのでした。
 ありふれているからこそ隠れてきた、アノニマスな、物言わぬ、〈死んだ〉CDの数々。その瞬間、そういうCDたちがどうにもこうにも愛おしくなってしまったのでした。それらは、これまで自分にとって〈見えていなかった〉からこそ、その存在を意識しだすと気になりはじめて仕方がないものでした。しかもこれらのCDは、おそらくサブスク配信されることは今後も到底なさそうに思えます。なぜなら、いわゆる〈音楽ファン〉からその存在を認知されることなく死んでいったものたちだから……。

 折しもその頃は、数年前からネットのアンダーグラウンドで発展を遂げてきVaporwaveが、その傍系ジャンルであるFuture Funkの快進撃に伴い、より広い階層・あるいは他文化へとヴィールス的に浸透していっているときでした。また、ネット空間を超えた階層でも、国内外での大々的な日本産シティポップ再評価がクライマックスを迎えようとしていました。
 そうした状況に触発された部分も少なからずあって、いまやさらに〈その状況の向こう側〉をもとめて定期的にブックオフに通うようになっていた私は、徐々に深い沼にハマっていくことになりました。これより以前、例えばtofubeatsさんのように、予てからそういった世界を掘っていた(年若の)先達の存在を考えるならば遅い参入なのだけれど、私にとっては、商品経済の墓場たるブックオフ280円CDコーナーにこそ、そのときに感じていた鬱積と倦怠を払い除けてくれる〈夢〉があるように感じたのでした。(チャートアクションを得られなかったことで)芸能としてもまったく顧みられず、もちろん音楽批評の俎上に乗ることなど端から無かった、我が邦の、無名のシンガー/ユニット/プロジェクトによるCD……。そういうものに、ほとんど偶然見つかるレアなグルーヴとメロウネスを求めていくことになったのです。当初は誰ともそのことを共有もしなかったし、共有しようとも思わなかったのだけれど、じょじょにそうやって買ったCDが部屋に溜まっていきました。まさか、CDが終わろうとしているときに、CDをたくさん買うことになるなんて。なんだかとても……楽しい。

 そうやってディグを続けていくなかで昨年、ネット上で大きな出会いをすることになります。いつもながら自分が買った謎のCDについての情報をネットに当たっている際、「90年代シティ・ポップ記録簿」というブログを見つけたのでした。これはハタさんという北陸在住のヘビーディガー(といっても私より年若の青年ですが)が2014年から続けてきたブログで、紹介される盤のほとんどが無名の、アノニマスな、埋もれた作品たちでした。ジャケットはもちろん作詞作曲クレジットや試聴音源、そして非常な含蓄を湛えたリビューテキストが蓄積されています。それまでネット上で見かけることのあった既存世代のものとは一線を隠したセンスを嗅ぎ取った私は、過去エントリーまで一気読みして遡り、すっかりこのサイトに魅了されてしまったのでした。
 そうこうしていると、このハタさんが発起人となり、関西のディガー/DJ(彼らも私よりだいぶ年若の青年たち)であるINDGMSKこと台車さんや、thaithefishことタイさんらを中軸として、2018年5月、「light mellow部」というサークルが立ち上げられ、共同ブログを開始したのです。「休日はいつもブックオフの280円コーナーをあさっているシティポップ好きのディガー集団」と自称するそのサークルプロフィールを見て痛く興奮したのは私だけではなかったようで、それまで個別に「休日はいつもブックオフの280円コーナーをあさっていた」ひとりひとり(*)が、みるみる間にネット空間で交流を深めていくことになったのです。

第二回へ続く……

*light mellow部の部員数は現在も増えて続けており、共同レビューブログ運営はもちろん、ele-kingへの投稿でもお馴染みの捨てアカウントさん主宰のネットレーベル〈Local Visions〉とリアルの場でイベントを共催するなど、注目すべき活動を展開中です。

 また、2018年10月、こうした「休日はいつもブックオフの280円コーナーをあさっている」ひとり、佐藤あんこさん(例によって年若…)によってアップされた「後追いガールポップ」というWEBディスクガイドのインパクトも絶大でした。
 佐藤さんがこれまで掘ってきた日本産〈ガールポップ〉作品の数々から、第一弾として一挙129枚がレビュー掲載され、そのテキストクオリティの高さと優れたアーカイブ性で界隈の話題をかっさらい、まさしく2018年のホットトピックとして記憶されることになりました。


天才キンテリ(湯村輝彦)の真骨頂!

お待たせしました! 天才キンテリ(湯村輝彦)の真骨頂! ビーチに溢れる数多の楽しい人物が1年中冬でも狂い咲き! カレンダーが出来上がりました。目を凝らしてよーく見ると、あら、あの人が!? こんな姿で!?

こんなに賑やかで楽しくみんながハッピーなるカレンダーは一家に一枚の必需品です。

平成(2019)の最後となる4月から続・平成(新年号)2020年の3月まで。













闘魂 2019 - ele-king

野田努

 最後の“Weather Report”がまた素晴らしかった。ceroとフィッシュマンズの共通点のひとつは、まあ、そう、あくまでもそのひとつは、リズムの魅力ということなんだろうけれど、「闘魂 2019」という夢の一夜から2日経った現在、ぼくのなかではceroが最後に演奏した“Poly Life Multi Soul”とフィッシュマンズがceroを交えてた最後に演奏した“Weather Report”がミックスされている。ライヴが終わって家に帰ってからこの2曲を聴いてしまったので、ライヴの残響はぼくのなかで都合よくアレンジされ、ミックスされているというわけだ。
 歳を取ると涙もろくなる。数年前に同じくZepp Tokyoで見たフィッシュマンズには泣けてくるばかりだった。が、そのときよりも、ceroが出演した「闘魂 2019」はなごんで見れたような気がする。
 ceroは、軽やかだった。彼らの前向きなヴァイブが伝わる、好感の持てるステージだった。ぼくなりの解釈でいえば、彼らのホワイトヘッド的な哲学(世界のそれぞれがそれぞれの動きで動いている感覚)がうまく具現化されていた。つまり、その感じが素直に入ってくる。とくに“Poly Life Multi Soul”におけるポリリズミックな演奏は、ぼくにはハウス・ミュージックに聴こえたほどで、結局、ceroのライヴ中はずっとカラダを揺らしていた(その間身体に流し込んだビールは3杯、完全にクラブのりだ)。話は逸れるが、ぼくはこのライヴの前日の夜、阿佐ヶ谷のROJIに行って、オシリペンペンズが作ってくれたハイボールを飲んだのだった。
 フィッシュマンズに関しては、三田格の原稿にゆずろう。が、思ったことをいくつか。○誰もが思ったことだろうけれど、バンドの絶対的中心が不在の演奏だというのにここまでリアルというのは奇跡というほかない。佐藤伸治抜きのフィッシュマンズとしてはいままでいちばん良かったと思えるほど。○クラフトワークのライヴではないが、楽曲たちが時間を超越している。すなわち永遠。○原田郁子は素晴らしい。○ceroとはもう一回ぐらいはやってもいいんじゃないだろうか。
 ライヴが終わって外に出ると、お台場のフェイク感満載の風景が目の前に広がる。フェイクな街のフェイクなエリアのフェイクな展示場のなかの、最高に気持ちのいい夜だった。ぼくにとってフィッシュマンズは哲学的なバンドで、ときが経てば経つほど哲学的なバンドになっている。ただ、フィッシュマンズの泥臭いところ、いまひとつスマートになりきれないところがぼくは好きなんだなとあらためて思った。

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三田格

 休憩時間を挟んで後半はフィッシュマンズ。茂木欣一(ドラム)、柏原譲(ベース)、HAKASE-SUN(キーボード)に小嶋謙介(ギター)を加えたオリジナル・メンバーでまずは1曲「あの娘が眠ってる」。作詞・作曲とも小嶋の曲で、シャカシャカとしたギターのストロークがいきなり気持ちよく、ヴォーカルが入ると声が低いのでややずっこける。フィッシュマンズの曲としてはスタンダードな雰囲気を持ってる曲だなと改めて思っていると、パッと手を挙げて小嶋はこれだけで退場。余韻もなく“Oh SLime”へ。自分でも何を考えているんだろうと思うけれど、続いて木暮晋也(ギター)がステージに出てきた時、佐藤伸治が出てきたと思ってしまい、そんなことあるわけなのにひとりで真っ青になってしまった。しかも、たったいま「そんなことあるわけないのに」と思ったばかりなのに、さらに反対側からダーツ関口(ギター)が出てきた時も佐藤伸治だと思ってしまい、完全に頭がおかしくなっている。「ダーツ関口は元スーパーバッド」と心の中で3回ぐらい唱えて動揺を鎮める。「ザ・フィッシュマンズ!」と茂木が叫ぶ。客席が湧く。茂木は「ザ・フィッシュマンズ!」としか言わないのに、それだけで広大な世界観が広がっていくような気がする。それこそ会場全体で空中キャンプに乗り込んだような気分。茂木のMCが上手いとか技があるとかではなく、押し寄せるような期待と幻想が境界線を失い、誰かにコントロールできるような事態ではないのかもしれない。よくわからない。こういうことは佐藤伸治がいた頃にはなかった。佐藤伸治がいた場所が真空のようにして空いてしまったから、むしろ成立する感覚なのではないか。悪く言えば天皇制のようなものかもしれない。中心を失ったはずなのに凝集力があるというのはそういうことではないのだろうか。「ザ・フィッシュマンズ! ザ・フィッシュマンズ!」、ドラムを叩きながら茂木はコールを続け、いつも通りメンバー紹介へなだれ込む。上記のメンバーに加え、ヴォーカルの原田郁子とハナレグミ、そしてZAKの名前がコールされる。インドネシア式に「ホンジ」と「ヴォーカル佐藤」もコールされる。インドネシアでは誰が死んでもその人はどっかに行ってしまうとは考えない。そこにずっといるということになっている。
 8人編成のオープニングは“ナイトクルージング”。ややテンポダウンし、ヴォーカルは茂木。この曲はライヴで聴くとあまり透明感がない。20年前もそうだったけれど、ギャップの方に意識が行きやすく、もうひとつ入り込めない。もしくはもうちょっと後半で聴きたかったなというか。続いて“なんてったの”。ヴォーカルはハナレグミ。キーボードのリフだけで軽く持っていかれ、転調だけでじわっと来てしまう。心に張り巡らしていた鎧がどんどん剥がれていくというか。フィッシュマンズがやっているのは「ありきたりのポップ・ソング」で、だからいいんだろうなと思う。“土曜日の夜”“頼りない天使”“ひこうき”と曲は進む。「ありきたりのポップ・ソング」がそして、気がつくと奇妙なブレイクや間奏に切り替わっていて、ありきたりがありきたりではなくなってしまう瞬間がフィッシュマンズは実に上手い。彼らの曲がレコードだけではなく、こうしてライヴとして再現される必要があるのはそれを体験するためだろうと思えてくる。それは佐藤伸治が生きていた頃とまったく変わらない。“ひこうき”で茂木が「いつでも あの日のまま」と繰り返すたびに「あの日のまま」というのは「佐藤伸治が生きていた頃のまま」という意味に聴こえてしょうがなかった。“ひこうき”はこの日のベストだったんじゃないだろうか。
 ヴォーカルがハナレグミ&原田郁子に変わって“Smilin’ Days, Summer Holiday”。ゴージャスなアレンジと粘っこいグルーヴを叩きつけられて「これしかないのさ」と言われればそうですとしか言いようがない。途中でちょっと演奏がズレたように感じ、その時だけ最初からかかっていたマジックが消えたような気がしたものの、すぐに持ち直す。この曲はいくらでも聴いていられるなと思っていたので、いつも通りにやったと思うけれど、早く終わった気がしてしょうがない。それでも音楽を聴いていてこれだけ満ち足りた気分になったのは久しぶり。生まれてきて良かったなーと思ってしまう。続いて“MELODY”と、前期フィッシュマンズで埋め尽くすのかと思いきや、次は“すばらしくNICE CHOICE”かと思ったら“ゆらめき IN THE AIR”。佐藤伸治にとって生前、最後となった曲である。ヴォーカルはテープ=佐藤伸治。誰が歌っても佐藤伸治が不在だという思いは逆説的に強く感じられてしまうものの、意外にも僕はこの時が最も彼の不在を強く感じてしまった。映像でも流してくれればまだしもだったのかもしれないけれど、テープで佐藤伸治の声を聴くのはとっても悲しかった。そして「夕暮れがやってこない」という歌詞がいつにも増して引っかかった。“Smilin’ Days, Summer Holiday”で「これしかないのさ」と歌われていたはずの「日差しを終わらせるものとしての夕暮れ」を待ち望んでいるようにも聞こえたり。「君が今日も消えてなけりゃいいな」の「君」というのは、この曲をつくった当時、フィッシュマンズから離れると決めたZAKと柏原譲のことなんだろうか。テープで聴く佐藤伸治の声は悲鳴のようだ。それまでの7曲と何もかもが違っていた。この曲を聴いている間は僕はピクリとも動けなかった。
 “いかれたBABY”で元に戻った。辛い気分に背を向けられた。なのに、これがラスト・ナンバー。「フィッシュマンズの代表曲!」と茂木は紹介し、終わってもステージから引き上げるそぶりも見せずにそのままCEROと合体。ヴォーカルの高城昌平とキーボードの角銅真実が呼び込まれ、お互いに選曲が一致したという“JUST THING”へ。23年前に初めてフィッシュマンズにインタヴューした時も茂木は「JUST THINGが、JUST THINGが……」と繰り返していたので、かなり思い入れがあるのだろう。これもややテンポ・ダウンし、ビートはずっしりと重みを増した印象。高城昌平や原田郁子が滑らかに踊る様子を見て、そういえば佐藤伸治はビートに合わせず、ちぐはぐな体の動きをする人だったことに思い当たる。「みんなでポリドールの株を買おう!」とか訳のわからないMCもさることながら、予測がつかなかった佐藤伸治の妙な体の動かし方ももう見られないんだよな。つくづくヘンな男だったよな。そして、茂木は去年からこの企画を温めてきたという経過を話した上で「まだ終わりたくない!」と叫んで“Weather Report”へ。フィッシュマンズでも最もビートフリークな曲で終わりとはかえって酷でしょう! 最後の最後にまたフィジカルを煽るとは! ここまで来るとしかし、ノスタルジーとか現代にも通じるといった考え方さえバカバカしく思えてくる。そのような時間の概念からも自由になれた3時間が終わりを告げた。残ったのは広大な開放感と驚くほど優しい気持ち。帰りの混雑さえ余韻を温めてくれるような気までして。
 この日の功労賞はやはり茂木欣一だろう。彼は一片のエゴも挟まず、佐藤伸治がつくった曲を残すため、ただそれだけのために身を捧げていた。それは痛いほど伝わってきた。あの日、会場にいた誰もが叶わずとも、いつか茂木欣一だけは天国で佐藤伸治に会えたらいいなあ。

Vince Staples - ele-king

 あれから8年がたった。アール・スウェットシャツが、ミックステープ『Earl』収録のオッド・フューチャー賛歌“epaR”にヴィンス・ステイプルズをフィーチャーしたのは2010年のことだった。当時はふたりともに、ここまで大きな存在になるとは思っていなかったかもしれない。この8年間で、アールは祖母との別れや、母親によって2年間にわたってサモアの特殊学校に送られたこと、そして成功したアーティストとしての苦悩など様々な私生活面での困難を経験し、それらをリリックにも落とし込んできた。
 そんなアールのファースト『Doris』収録の“Burgundy”で「悩んでる場合じゃないぜ、俺たちはお前のラップを聴きたいんだ」と発破をかけたのはヴィンスだった。歯に衣着せぬ発言が注目を浴びてきたヴィンスは、ラッパーたちの音楽ではなく私生活やゴシップにばかり話題が集中することに苦言を呈しているが、これは間接的にアールの憂鬱の一因に言及しているようでもある。だが、ふたりは何よりも音楽で繋がってきたのであり、この過酷なラップ・ゲームの世界で、ドープなライムとビーツによって名を馳せてきた。

 2018年の11月に相次いでリリースされた、ヴィンスの『FM!』とアールの『Some Rap Songs』。前者は11曲で22分、後者は14曲で25分。二冊の短編集を思わせるそのコンパクトさは、ストリーミング時代に、それでも「アルバム」という単位で作品を残しいくための次善の戦略にも見える。
 一聴したところ、盟友同士によるこのふたつの作品を貫く質感は全く異なる。短編集から想起させられる作家に例えるなら、ボルヘスとコルタサルがごとく。ラジオ放送を模した『FM!』に描かれるのは、カヴァーのイラストにあるような西海岸ロングビーチの抜けるような空の明るさだが、一方の『Some Rap Songs』が露呈するのは、陰鬱なアールの精神世界のゴシック調の暗さだ。サウンド面の印象でいえば、前者はハイファイに彩られ、後者はローファイの美学に立脚しているように聞こえる。

 アルバム・カヴァーのイメージ通り、オープニング曲に“Feels Like Summer”と名付けるヴィンス。彼はロングビーチの夏をどのように描写しているのだろう。“Feels Like Summer”のヴァースは「ロングビーチのワイルドな夏の季節/俺たちはパーティするぜ/太陽か銃が顔を出すまで」と幕を開ける。その飄々としたフロウで運ばれるライムには、毒が効いている。そうだ。ヴィンスの描く空の青さの裏側には、常に地上で流れる血の赤さがこびり付いている。それはアールが先述の“Burgundy(ワインレッド)”で表現した、祖母との間に流れる同じ色の血でもある。
 ヴィンスはデビューEPの「Hell Can Wait」(2014年)から一貫して、涼しい顔をしながらビターなライムと挑発的なフロウをアグレッシヴかつ不穏なビートでコーティングしてきた。ダビーな不協和音とベース・ミュージック的な音圧感のベース、そしてハイピッチな自らのフロウを切り刻むような、細かい譜割りのエレクトリックなリズム。クラムス・カジーノと No I.D. によるプロダクションがヴィンスのリリックに完全にシンクロした『Summertime '06』(2015年)はまごうことなき傑作だったし、さらにエレクトリックでアヴァンギャルドなサウンドを加速させた『Big Fish Theory』(2017年)の成功は誰もが知るところだ。
 『FM!』でそのようなヴィンス印の不穏なサウンドが聞けるのはたとえば、「Hell Can Wait」の大半を手がけたハグラーによるプロダクションの“Relay”だ。ここで聞こえる歪んだベースにグリッチーなハット、不穏なモダンGファンク的なウワモノに合わせてヴィンスは、警官に車で職質されながらもバイヤーにドラッグを届ける様を「次のコーナーへのリレー」に見立てライムする。
 ファースト・シングルの”FUN!”ではタブラのようなサウンドを核にした静かに沸騰するダンサブルなビートに乗って、ヴィンスは「俺たちは楽しみたいだけ」と歌うのだが、その物言いはタイトルに反してテンションが低い。それもそのはず“FUN!”は「Fuck」「Up」「Nothing」の頭文字で、それは要するに楽しみたいけれどヘマをこくわけにはいかない、という叫びだ。なぜならロングビーチのノースサイドでは「ヘマ」はすぐに死に直結しかねないからだ。
 ヴィンスが今作で描く低温のパーティ・ソングは、パーティ・ソングを偽装したリアリティ・ソングだ。そしてその「低温」さを達観したような声色でコントロールできるヴィンスの表現力こそが、彼がいまの位置に辿り着いた理由かもしれない。

 ラジオ形式のこのアルバムで突然現れるインタールードのひとつは、“New earlsweatshirt”と題されたわずか20秒ほどの掌篇だ。このごく短いアールのヴァースでは、アールがサモアに送られた際にヴィンスに別れを告げた場面も回想される。
 アールとのつながりは、他にもある。キーワードは「Outside」だ。2曲目に置かれたその名も“Outside!”で、あの“Nyan Cat”をサンプリングしたコミカルでバウンシーなビートを手がけるのはケニー・ビーツだ。上に乗るライムは、ヴィンスが生活してきたギャングたちの闊歩する「屋外」を描写する。その現実と逆行するように、終盤テンションを上げていくヴィンスのフロウが印象的だ。
 一方のアールのセカンド・アルバムは『I Don't Like Shit, I Don't Go Outside』と名付けられていた。彼は最初のシングル“Grief”のフックで「なんてことだ/俺は自分が蒔いたものを刈り取ってきた/わずかの間も“外”で過ごすことはないよ/書いたものの中で生きてきたから」と綴った。自己嫌悪や孤独が通底するこのアルバムで、彼はひたすら「内に篭る世界」を構築しようとした。

 そんなアールの『Some Rap Songs』は、その内省的な箱庭を、さらに徹底して具現化した作品だ。オープニングの“Shattered Dreams(粉々の夢)”というタイトルが象徴するように、チョップで粉々にされたサンプリング・サウンドの断片が組み合わされてより大きなビートの断片を構成し、アールの極めてパーソナルな独白ラップが乗せられて11の掌篇を形作っている。しかしわずか25分というコンパクトな箱庭的世界ながら、同時に何度繰り返し聞いても咀嚼し切れない迷宮的な側面も併せ持つ本作は、聞けば聞くほどに「一体ここで何が語られているのか」理解したくなる異様な引力を有している。
 冒頭の“Shattered Dreams”からその「異様さ」は明らかだ。アール自らが手がけるビートの中心となるのは歌声の断片と、かろうじてリズムを刻む寡黙なスネアとキック、そしてベースラインなのだが、典型的なビートのイディオムから外れたその作りは、テンポをつかむことさえ困難だ。
 しかし本当に「異様」なのは、アールのラップだ。いや、果たしてこれは本当にラップなのか? いわゆるポエトリーリーディング的なスタイルとは違い、ビートには乗っているのだが、こう言ってよければ、声に「生気」が全く感じられない。それは何度か挿入される「Yeah」の掛け声を聞いてみれば明らかだ。歌もののように声を加工することなく、しゃべり声に近いラップからは、そのラッパーの健康状態を含めた様々な状況が聞こえてきてしまうことを指摘したのはECDだが、こんなにも行き場のない「Yeah」が記録されているラップ・アルバムが、かつてあっただろうか。オッド・フューチャーの一員として、そのラップスキルに脚光が当たり華々しくシーンに登場したアールとは、別人のようなのだ。
 そのような脱力したフロウで語られるのは悲痛な叫びだ。「銃をぶっ放し/銃弾が僕の頭に/なぜ誰も血が出てるって教えてくれなかったの/頼むよ、この夢から覚ましてくれ」とフックで訴え、ヴァースでは、アルコールとドラッグ中毒に溺れる自分を誰も助けてくれなかったことを吐露している。
 曲が進むごとに声のトーンは少し上向きに感じられるものになったり、あるいはフロウも、従来のリズムのしっかりしたラップのそれにシフトしていく。しかし自身の暗部をえぐり出すような語り口は悲痛を極める。“Nowhere2go”で「そう、僕は人生のほとんどを鬱状態で過ごしてる/頭の中にあるのは“死”だけ/いつ自分の番が来るとも分からずに」と歌う彼は、アルバム制作中に詩人である父親を亡くしている。その父への想いは“Peanuts”にしたためられ、そこでアールが強調するのは死の“酸味”だ。そして“Playing Possum”は父親の詩の朗読と、母親がアールについて話しているスピーチを組み合わせ、想像的な両親の会話を構築している。自らの両親との関係性をラップのリリックという形で表現するのではなく、彼らの肉声をそのまま提示すること。ひとりの人間の生に、こんなにも踏み込んだラップ・アルバムが、かつてあっただろうか。
 もしできるなら全体で25分間のひとつのトラックに仕立て上げたかったと、アールは言う。半分以上は自らが手掛けたビートもまた、こわばった表情や、憂鬱さを湛えている。ひきつったミニマルなサンプルの断片たち。それらはシーケンサーによって集積され、結果、やがてそれぞれが1~2分間の塊となる。そしてアールの言葉と絡み合いながら、次々にバトンをリレーしていく。
 これらのビートはその短さや、歪なサンプリングの組み合わせ方から、マッドリブやディラからの影響も指摘されている。たとえばぶつ切りの歌声の断片を中心に据えた“Shattered Dreams”や“Red Water”、そして“The Bends”辺りは確かにディラの『Donuts』収録の“Airworks”や“One For Ghost”を想起させる。通常歌声やストリングスのサンプルは、ラップの声と周波数を食い合う、つまりラップを邪魔しかねない。だからディラはそれらを「ラップしにくい」ビート群だと指摘していた。アールはそのことを逆手に取り、サウンド面でビートに埋もれる自身の声を、文字通り憂鬱の沼に「埋もれゆく声」として示しているのかもしれない。
 ヴィンスがロングビーチのアンビヴァレントな「夏」を描いたように、本作にも「夏」を主題とした曲がある。“Cold Summer”と題されたこの曲で、アールもやはり「低温」の寒いほどの夏を描写する。しかしふたつの夏は、僕たちが「夏」という言葉で呼び表しているひとつの現象に対するふたつの表象に他ならない。それらは真逆のようでいて、実はコインの表と裏なのだ。

 ヴィンスは、ある「社会的な状況」に置かれた人々の現実を、否応無しに代弁する。一方でアールが描くのは、極めてパーソナルな「個」の物語だ。両者は互いの世界の登場人物として、あるいは互いの世界にぽっかりと開いた「穴」として、互いの作品にも現れる。その「穴」を通じて、ふたつの世界は互いに接続され、互いに開かれる。
 ひとつは典型的なコンシャス・ラップでもギャングスタ・ラップでもない形で、ある社会のリアリティを映し出してしまうライムとフロウ。そしてもうひとつは、どこまでも自らの内側へ、内省の方向へとひたすら掘り進む言葉たち。このふたつの作品を自由に往復することは、いま、ラップのリリックを聞くということが一体どういうことなのか、改めて考えてみる契機なのかもしれない。

vol.111 : ヴェジタリアン&ヴィーガン事情 - ele-king

 NYにいると、だいたいどこのレストランに行ってもヴェジタリアン& ヴィーガン・オプションがある。NYは人種のるつぼなので、ヴェジタリアン& ヴィーガンの背景には、宗教的なものもあればアレルギーもあれば、健康上の理由、自分のポリシー、たんに好き嫌いなど、様々な事情がある。

 ミュージシャンにはヴェジタリアン、ヴィーガンが非常に多い。理由はさまざまで、動物を食べるのが嫌だという理由もあるし、健康のためというひともいる。肉は食べないが魚は食べるペスカトリアンもいるし、肉は食べないが卵は食べるなど、いろんな人がいる。彼らはだいたいその食生活を長く続けるので、ヴェジタリアンはみんな似たような顔つきになり、最近は顔を見れば、その人が肉を食べるか食べないか、わかるようになった。人は食べ物でできているわけだ。

 でも、その食習慣を変える人もいる。知り合いで、25年ヴェジタリアン(その間5年ほどヴィーガン)だったひとが最近肉を食べはじめた。理由はツアーが多く、自分の希望のものが各地でなかなか手に入らない、ということだった。「そんな長いあいだ肉を食べなくて、いきなり食べて大丈夫?」と聞くと、「最初は変な感じだったけど、だんだん慣れてきた」という。昔より少し顔つきがワイルドになり、なんだか良い気を持っているようにも思える。
 また、別の友だちはグルテン・フリーダイエットをしている。彼女は、いかにグルテンが身体に悪いかと言うことを長々と話してくれたのだが、たしかに会うたびに、顔が白く、不健康そうになっている気がする。健康上のためというが、普通になんでも満遍なく食べるのがいいんじゃないかな、と私自身は思う。アレルギーがある人は仕方がないが。

 話しは変わりますけど、私がやっているたこ焼きイベントに来てくれるお客さんにもヴェジタリアンは多い。オプションにコンニャクを使うのだが、先日間違えてタコの方を渡してしまった。「ごめん!」と謝ったら、彼女は「これタコだったの? 美味しい」と、タコの方をキープした。アレルギーがあったら、とドキドキしたが、食べれるんじゃん、とまあ、そこまで厳しいヴェジタリアンはそうそう多くはいないのだ。なかにはタコが好き過ぎてタコが食べれないというひともいる。アメリカでは、タコはとても賢く神聖な生き物だとされているから。

 とにかく、NYではヴェジタリアン&ヴィーガンレストランがトレンドだ。スウィートグリーンチョップトなどのサラダ専門店は、ピークは過ぎたが、いまはディグインヘールアンドハーティビヨンド寿司など、一貫したポリシーを持つ、個性のあるレストランが人気だったりする。

 アセンスにいた頃、まわりはヴェジタリアン&ヴィーガンばかりで、同じレストランで同じものを頼む友だちに「いつも同じものを食べて、飽きない?」と質問したことがある。彼は、これが好きだし、自分でもいろいろ作るよ、と他の友だちを誘って、ポットラック・パーティを開いてくれたことがあった。豆腐のラザニア、ケールのお浸し、フェイクミートのチキンウィング、マックアンドチーズなど、肉を使わなくてもこんなにバラエティの富んだ料理ができるんだと感心したことがあった。本当に美味しかったから。

 ウィリアムスバーグに引っ越し当初は、champs diner
というレストランによく通っていた。近所だし、美味しくて、来ている人もオシャレで居心地が良かったので通っていた。でも、そこがヴィーガン専門だと知ったのは少し後だった。メニューには、バッファローチキンやフィリー・チーズステーキ、ルーベン、チーズバーガーまである。しかし、それらがセイタンなどのフェイクミートで作られていると知ったときは本当に驚いた!
 ラーメン屋に行っても、ヴェジタリアン&ヴィーガンオプションは当たり前。昨日行ったラーメン屋では、友だちが美味しそうにベジタリアン味噌ラーメンを食べていて、私も味見をさせてもらった。で、自分の鶏ガラベーススープよりも、美味しいと思ってしまった。いまやヴェジタリアン&ヴィーガン=不味いというのは過去の話で、ヴィーガンスイーツなどはたくさんオプションがあり過ぎて困ってしまうぐらいだ。有名なのはエリンさんのbaby cakeベーカリー
 ちなみに、NYのフードブログ のgrub streetがおススメのヴェジタリアン&ヴィーガンレストランを紹介している。いまの私のお気に入りはSuperiority burger。元パンク・ドラマーで、ファンシーレストランのデル・ポストで、デザートシェフを務めていたbrooks hardleyの新しい冒険。いつ行っても行列で、しょうがないのでテイクアウトにするのだが、彼の手先の器用さはドラムさばきから来ているらしい。ツアーのときに、何もないのでバンドメイトに料理を作ってあげたことからフードの世界に入り、あっというまにアワードを受け取るデザートシェフになったという。そして、自分のヴィーガンバーガー屋をオープンして現在にいたる。働いている人もミュージシャンや俳優などで、そうなるとファンも付いている。まるでショーを見に行く感覚だ。ギャング・ギャング・ダンスのブライアンもこの店のファンで、アルバム制作に影響を与えたとか。たしかに、このフードならわかる気がする。



パンク・バンドのドラマーからヴェジタリアンフードのシェフになって成功したブルックスのお店、Superiority burgeの展開です。

Tsudio Studio - ele-king

 80年代は終わらない。よって90年代は訪れない。夢想のなかにある架空の世界のおとぎ話だ。

 この世界では神戸の震災もこない。オウム事件も存在しない。不況の訪れもない。山一証券の破たんもない。悪趣味ブームは訪れない。小室哲哉はTM NETWORKを続け、金色の夢を見せ続けてくれている。フリッパーズ・ギターはファースト・アルバムで解散する。よってヘッド博士は存在しない。ピチカート・ファイヴはファーストアルバムを遺して活動を停止した。渋谷系は訪れない。80年代が継承され、ニューウェイヴが洗練と革新を極めて、AORは都市の夜を美しく彩る。WAVEは閉店せず、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカなど世界中の音楽がいつまでも並べられている。バブル経済ははじまったばかりで、そして永遠に終らない。

 この並行世界では、日本経済は安定成長を続け、雇用は安定するだろう。人びとは高度消費社会を満喫する。世界から輸入された商品たち。おいしい食べ物。美しい芸術。街は煌めく。ウィンクしている。人は笑う。ときに泣く。文化芸術は豊かに存在し、音楽は美しく、映画が心を満たす。デパートに多くの人が訪れ、セゾン文化を謳歌する。ヨーロッパ映画が次々にシネヴィヴァンやシネセゾンで上映され、レコードショップには海外の音楽が次々に輸入される。パステルカラー。品の良いファンシー。ポストモダン。知的な意匠。美しい装丁の本。アート。鑑賞。フリーランスのデザイナー。ライター。カメラマンたち。ああ、空間デザイナー。
 人びとは苦しまない。人びとは生きる。人びとは死なない。微かな悲しみと喜びがプラスティックなムードのなかで炭酸水のなかに消えていく。80年代が永遠に続く。街には小さくて小奇麗なファッション・ショップ、レコード店、文房具屋、クレープ屋、カフェが存在する。ブラウン管のテレビジョンが青く光る水槽のように永遠に光を放つ。虚構の80年代。夢想。いうまでもなく。

 インターネットでTsudio Studio『Port Island』を聴いた。どうやら「架空の神戸」を舞台にした音楽らしい。ここには80年代的なイメージの欠片が、「金色の夢」のように、全6曲にわたって展開していく。私は泣いた。
 リリース・レーベルは、「ele-king」への寄稿でも知られる「捨てアカウント」が主宰する〈Local Visions〉だ。〈Local Visions〉は記憶のなかにあるポップの魔法をヴェイパー的な意匠を存分に受け継ぎつつも、しかし日本独自のポップとして生成し続けていることですでにマニアに知れ渡っており、今年すでにfeather shuttles forever『図上のシーサイドタウン』、Utsuro Spark『Static Electricity』の2作をすでにリリースしている。この速度。まさに時代のムードを象徴するレーベルといえよう。OPNによる悲観的未来とはまた別の電子音楽の現在である。

 Tsudio Studio『Port Island』は、2018年にリリースされたアルバムである。たとえるならエレクトロニックなトラック&エディット・ヴォーカルによるモダン・AORか。10年代後半の洗練されたエレクトロニック・トラックと胸締め付けるコードとメロディと加工されたシルキーな声。都会の彩りを添えるような瀟洒なサックス、ファンキーなベース、軽やかで端正なビート……。たしかに「ヴェイパーウェイヴ」に強い影響下にあるのだろうが、まずもってポップ音楽として美しい。
 Tsudio Studioは「日本のポップ・ミュージックを大胆に引用(サンプリング)するヴェイパーウェイヴ」から影響を受けながらも、日本人として「欧米の強い影響下にあった日本独自の「戦後」ポップ・ミュージック」を再構築するという極めて日本的な「捻じれ」を引き受けているのだ。しかし90年代的サブカルのようなシニカルな優位性を担保するような振る舞いに陥ることもない。希望と夢想の音楽をまっすぐに創り上げている。私はここに感動した。私見だが、このポップへの希求は高井康生によるAhh! Folly Jetが2000年にリリースした『Abandoned Songs From The Limbo 』を継承するような「80年代的なもの」への希求を強く感じた。いや、むろん何の関係もないのだが。低級失誤が手掛けたアートワークも本作の80年代的なクリスタル・イメージを実に見事に表象する。

 本アルバムにはこんなインフォメーションが添えられている。

 このアルバムの舞台は神戸ですが
 架空の神戸です
 不況も震災も悲惨な事件なんて無かった
 都合の良いお洒落と恋の架空の都市

 ああ、もうこの一文で泣ける。トーフビーツの後継者? ピチカート・ファイヴ『カップルズ』の2018年における継承? 失われた80年代を夢見るロマンティスト? いや、それだけではない。ここにあるのは、この音楽を生んだ若い音楽家が、この世に生れる以前に失われた世界の物語であり、夢であり、かつての光であり、ここにあってほしい煌めきでもあるのだ。
 では、この音楽は夢なのだろか。最後の希望なのだろうか。絶望の果てに生れた夢のようにロマンティックな音楽だろうか。ここにあるのはすべて美しい世界だ。哀しみの涙もクリスタルなダイヤモンドの欠片のように、透明な星空のように、ただただ綺麗なのだ。街が美しく、ヒトには人の心があり、やさしさがあり、思いやりもあり、ほんの少しの哀しみがあり、別れがあり、再び朝がくる。

 むろん虚構だ。しかしこんな「世界」が、いまの日本にあれば、私たちは今日も美しい涙と刹那の笑みで生きられた。だが現実は違う。いや、だからこそ、この音楽は生れたのではないか。いま、〈Local Visions〉の音楽が、この国の、この街にあること。Tsudio Studio『Port Island』があること。つまりは希望だ。
 そう、『Port Island』は、極めて同時代的な音楽なのだ。パソコン音楽クラブのアルバムやトラックとの同時代的な共振は言うまでもなく、あの山口美央子の新作(!)『トキサカシマ』と並べて聴いても良い。『Port Island』と『トキサカシマ』には世代を超えた共振がある。また、インターネット経由で海外の音楽ファンにも知れ渡った竹内まりや“プラスティック・ラヴ”と繋いで聴いても良いだろう。

 初期ピチカートをモダンなエレクトロニック・トラックと、AOR的なコード進行で生まれ変わらせたようなM2“Azur”とM4“Snowfall Seaside”。AORとモダンなファンク・アレンジが夢のようにクールで、まるでヴェイパー的に紛れ込んだ角松敏生のようなムードが堪らないM3“Port Island”(サックスが最高!)。80年代の細野晴臣のようなインスト・トラックで、まるで「ホテル・オリエンタル」のロビーで流れる音楽のように響くM6“Hotel Oriental”。

 これらの脳内に溢れんばかりに降り注ぐ架空の都市の光を存分に摂取/聴取して頂きたい。『Port Island』は、ポップ・ミュージックの魔法などではない。魔法と化したポップ・ミュージックの粒子なのだ。

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