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インターネット時代の音楽のあり方を特徴づけるもののひとつに、ミックステープがある。もちろんミックステープそれ自体はその名の通りもっと昔から存在しており、ヒップホップという文化を構成する重要なメディアのひとつであり続けてきたわけだが、それが、店頭や路上とは異なり全世界に開かれているインターネットという場で公開されるようになったことの意義ははかりしれない。近年のUSインディ・ヒップホップの盛り上がりも、このミックステープ文化を抜きに語ることはできないだろう。
クラムス・カシーノことマイケル・ヴォルプもその恩恵にあずかってきたアーティストのひとりだ。『Instrumental Mixtape』(2011年)でコアなリスナーたちの耳をかっさらい、続くEP「Rainforest」(2011年)で高い評価を勝ち取り、リル・Bやエイサップ・ロッキー、ザ・ウィークエンドなどへトラックを提供しながらめきめき頭角を現わし、それらのトラックを収録した『Instrumental Mixtape 2』(2012年)で独自の地位を確立したこのプロデューサーは、ミックステープという媒体を通して2010年代のヒップホップのオルタナティヴな側面を提示してきた。現実生活の息苦しさとパーティ的な軽やかさとを同時に打ち鳴らし、「わかっているさ、こうだろ?」とでも言わんばかりの、ポップ・ミュージックの虚飾をすべて引き受けたかのようなそのサウンドは、続く『Instrumental Mixtape 3』(2013年)にも引き継がれている。その後アルカとともにFKAトゥイッグスの楽曲を手掛けたことも記憶に新しい。そんな彼がいざオリジナル・アルバムを作り上げたら、どんな傑作が生みだされるのだろう──そう期待していたファンも多いだろう。
ここにようやく、クラムス・カシーノの記念すべきファースト・アルバムが届けられた。ミックステープをカウントすると通算4作目となる本作には、これまで様々なラッパーやシンガーにトラックを提供してきたプロデューサーのアルバムらしく、多彩なゲストが招かれている。リル・Bやエイサップ・ロッキー、ヴィンス・ステイプルズやミッキー・エッコといったおなじみの面々に加え、リアーナやプレフューズ73のアルバムに参加していたシンガーのサム・デュー、昨年〈Warp〉と契約しますますその存在感を増しているインディR&Bディーヴァのケレラ、アルト・ジェイのジョー・ニューマンやフューチャー・アイランズのサミュエル・T・ヘリング、ウェットのケリー・ズトラウなど、おそらくは今回が初顔合わせとなる面々がこの記念すべきファースト・アルバムに華を添えている。
美しくも不穏なシンセの下方を低音がうなり続けるアルバム前半のトラック群は、たとえばファティマ・アル・カディリをマッチョにしてメジャー・レーベルに放り込んだらこうなるのかなといった趣で、"Be Somebody" や "All Nite"、"Witness" を貫き通すダークなムードはかなり意図的に演出された感もあるものの、メジャー特有の大げさな音響のなかで真摯に世界を映し出そうとしているように聴こえる。
しかし、アルバム中盤から雲行きが怪しくなってくる。6曲目のタイトル・トラック以降はがらりと雰囲気が変わり、様々なタイプのトラックが様々なヴォーカリストを引き連れて次々と行進していく。いろいろ試したいのだろうなというのは伝わってくるのだけれど、冒険的であろうとしているのに妙に小ぎれいに落ち着いてしまっているというか、ゲスト・ヴォーカルの必要性が感じられなかったり、あるいはゲスト・ヴォーカルに食われてしまっていたりするトラックが多く("Into The Fire" なんて、これでは完全にミッキー・エッコが主役じゃないか)、結果的に全体として何をしたいのかよくわからないアルバムになってしまっている。それでも "A Breath Away" のパーカッションとヴォーカルの絡み具合は素晴らしいと思えたし、だからこそ、このアルバムを聴き終えた後には名状しがたいもやもや感が残り続ける。
これがメジャーに行くということなのか──それが本作を聴いて最初に抱いた感想だった。もちろん、レーベルの意向なんて全然関係なくて、これこそがマイケル・ヴォルプ本人のやりたかったことなのかもしれない。でも、だとしたら彼は完全に迷走している。
これまでのクラムス・カシーノのミックステープは、それが“単なる”寄せ集めであるからこそ面白かった。苦しみもあれば楽しみもあった。悲しみもあれば喜びもあった。様々な時期に様々な目的のために作られたトラックが雑然と並べられているがゆえにこそ、彼のミックステープには良い意味での多様性が具わっていた。たしかにデビュー・アルバムとなる本作も、まとまりがないという点においてはかつてのミックステープ作品と似通っている。けれど、本作には猥雑であることの歓喜がない。本作にあるのは、統制された多様性だ。「こっちのきみは存在してもいいけど、そっちのきみは存在しちゃだめ」。まるでそう言われているように聴こえる。
多様であることを肯定するミックステープ文化によって確固たる名声を手にしたクラムス・カシーノは、これから先、一体どこへ進もうとしているのだろうか。
小林拓音