「E E」と一致するもの

interview with OLD DAYS TAILOR - ele-king


OLD DAYS TAILOR
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 2008年のデビュー以来、在りし日のシンガー・ソングライターによる良質な音楽を思わせる歌世界を丁寧に紡いできた笹倉慎介。日本語ならではの詩情と温かみのあるサウンドが融合した彼の音楽は、ただ過去を見つめる視点だけにとどまらず、慌ただしさのなかで看過されてしまいがちな、都市とその郊外で日々を重ねるなかでふと見えてくる様々な風景と心象を、膨よかな筆致で描いてきた。
 今回笹倉は、かつて2014に7 inchシングル「抱きしめたい」で共演した森は生きているの元メンバー岡田拓郎(ギター)、谷口雄(ピアノ)、増村和彦(ドラム)に加え、細野晴臣のバンド他数多くのアーティストのバッキングを担当する伊賀航(ベース)、自身もシンガー・ソングライターとして活動する優河と今回がレコーディング・デビューとなる濱口ちなのふたりをコーラスとして迎えた新バンドOLD DAYS TAILORを結成した。
 各メンバーの個性が一体となるなかで生まれる「バンド・サウンド」の魅力とは。今作の大きな参照となったというジェームス・テイラーへの溢れる愛情。そして「在りし日を紡ぎ、仕立てること」によって生まれる音楽をいま奏でるということ。極めてまろやかな聴き心地を持つこの音楽世界が、その実メンバーの高度な技巧と鋭敏な感性によって丁寧に形作られているということを知るとき、私たちは笹倉やバンドメンバーと共に、本当はまだ見ぬ知るはずのない風景をふと「過ぎたことのように」慈しんでいることに気づくかもしれない。どこかでみたかもしれない風景は、永遠に古びない。この音楽は、どこかでみたようでいて、いつまでもここにあり続ける。
 笹倉慎介、岡田拓郎、谷口雄の三人のメンバーによるインタヴューをお届けする。


僕の世界を隅々まで行き渡らせてきたというのが、これまで出してきたソロ名義の作品。今回はそれとは違ったものを作りたいなという気持ちがありました。 (笹倉)

そもそもの話なのですが、このプロジェクトが発足したきっかけはなんだったんでしょうか? 森は生きていると一緒に7 inchシングル「抱きしめたい」を作ったことから自然発生的に進んでいった感じですか?

笹倉慎介(以下、笹倉):昨年東洋化成から「レコード・ストア・デイに笹倉さんのシングルを出しませんか?」って話が来て。もちろんソロでやることもできたんですけど、「抱きしめたい」の後に、森は生きているのみんなと「いつかバンドやりたいね」って話していたのを思い出して。シングル単発企画だし、軽いノリで「バンドやっちゃうかな」って思い立ったんです。

谷口雄(以下、谷口):そんな感じの軽いノリで笹倉さんからメールが来ました(笑)。

じゃあ、はじめは今回のアルバムに先行してリリースされた「晴耕雨読」の7 inchリリースだけのつもりだったんですね。

笹倉:そう。運が良ければアルバムも出せればいいな、というのはあったんだけど。で、せっかく「晴耕雨読」がリリースされるなら、〈Pヴァイン〉へ「抱きしめたい」の再発もどうですか? って話を持っていったら、「じゃあアルバムも作ってウチからリリースしませんか?」ってトントンと話が進んで。

たしかに、OLD DAYS TAILOR結成の話を最初に耳にしてから、アルバムが出るまですごくスピーディーだなと思いました。

岡田拓郎(以下、岡田):すごく早いですよね。レコーディングも気づいたらどんどん進んでいった感じ。

谷口:僕らも途中から「これ何のために録っているんだろう?」って思っていたら「え! アルバムが出るんですか?」っていう(笑)。

笹倉さんとそのバック・バンドっていう形ではなくて、あくまでひとつのバンドとして始動したのはなぜ?

笹倉:単純に「バンド」という形にしたほうが面白い作品になるんじゃないかなと思ったんです。ソロだとバック・バンドがいようとも結局は100%僕の意見でまとまってしまう。僕の世界を隅々まで行き渡らせてきたというのが、これまで出してきたソロ名義の作品。今回はそれとは違ったものを作りたいなという気持ちがありました。

このメンバーになった理由は?

笹倉:それは単純に楽だったから(笑)。

コミュニケーションのしやすさという意味で?

笹倉:バンドであるからには、メンバーそれぞれの主張や個性が出ないといけないけど、みんな音楽的な面でも信頼できるメンバーだし、その点も大丈夫だろうと。どんなに人間関係ができていても、一緒に音を出したときに違和感があると制作は大変。今回のメンバーはそれがほとんどない。

何もしていないようだけど実はめちゃくちゃ効果的なことをしている。その感じって本当はとても難しくて。 (笹倉)

各メンバーについてコメントいただきたいのですが、まずベースの伊賀航さん。お付き合いは古いですよね?

笹倉:伊賀さんこそ、本当に一緒にやっていて楽です(笑)。

プレイがうまいっていう意味で?

笹倉:そうですね。いろいろな演奏に参加しているという場数のことももちろんあると思いますけど、僕の音楽へのフィット感がもう抜群なので。

コーラス担当の優河さんと濱口ちなさんの女性メンバーおふたりの魅力は?

笹倉:優河ちゃんは、彼女自身のソロ活動でももちろんそうですが、めちゃくちゃ魅力的で「本格的」な歌声を持っています。

笹倉さんとのハーモニーも抜群ですよね。もうおひとりの濱口さんは普段はどんな活動している方なんでしょう?

笹倉:まだプロとしては何もしていないです(笑)。僕がオーナーを務めている(埼玉県)入間にあるカフェ兼スタジオ「guzuri recording house」のスタッフなんです。学園祭でコーラス・グループやバンドをしたことがあるようで。そのとき合唱ではっぴいえんどの“風をあつめて”をやったと言っていたので「じゃあちょっと聞かせてよ」って言ったら、歌ってくれたんです。それが本当にまっすぐな声で、これは良いなと。優河ちゃんとの良いコンビネーションになりそうだなと思いました。

増村(和彦)くんのドラムの魅力は?

笹倉:やっぱり彼も歌詞を書く人なので、言葉を聞きながらアプローチするタイム感みたいなものが良いなと思います。メロディーへ言葉をどう乗せていくかということへの感覚が鋭い。会話をすればすぐ理解してくれる。メロディーに乗せるとき、言葉の音をどう譜割するかがいちばんややこしかったりするんです。リズムを食っている、ここは食ってない、ここは伸ばしているとか、そういうことにちゃんとプレイとしてついていけているのはすごい大事ですね。精密に叩けるというよりは、歌に合わせて波を作れる。

谷口:各曲のレコーディングは、基本的に増村くんと笹倉さんのふたりでそのあたりについて会話することから始まっていましたね。

笹倉:それが終われば僕は寝てる(笑)。

谷口:俺たちが録る頃にはホントに寝てましたよね(笑)。

笹倉:全部寝てるわけじゃじゃないけど(笑)。

(笑)。鍵盤担当の谷口くんは?

笹倉:今回の制作にあたってはやはりジェームス・テイラーの音楽が下敷きにあったので、そのニュアンスを汲んだプレイをお願いました。でも、ジェームス・テイラーのバック演奏って改めてじっくり聴くと目立つようなことは何もしていないっていう……(笑)。けれど、何もしていないようだけど実はめちゃくちゃ効果的なことをしている。その感じって本当はとても難しくて。だいたい鍵盤は音が目立ってしまいがちだから。けれど今回谷口くんは期待に応えてくれました。

たしかに、ジェイムス・テイラーのバックを務めていたザ・セクションの鍵盤奏者クレイグ・ダーギーも、彼ならではの「節」みたいなは感じないですよね。

谷口:そう。何も個性がないようだけど、音楽全体で聴くと効果があるって感じ。

笹倉:でき上がったものを聴くと「谷口くん、レコーディングにいたっけ?」っていうアレンジになっていたり(笑)。

谷口:「ミックスのとき、僕の音消してませんか?」って(笑)。

音が小さいという意味じゃなくて?

谷口:違いますね。笹倉さんのアコースティック・ギターが既にもうメロディーのような性質も兼ねたものなので、それを崩さないように後押しをするようなプレイをしたら……いないように聞こえてしまう(笑)。普通にコードをガーンって弾いたら笹倉さんのギターと音が当たりまくるので、相当研究しました。

岡田:倍音だけ添える鍵盤、みたいな感じだよね。

なるほど。一聴するとギターが豊かに響いているように聞こえる感じ。

谷口:そうそう。

岡田:でも、いざ鍵盤を抜いてみるとぜんぜん違った風に聞こえると思います。

笹倉:そうですね。まさしくそういうところが上手い。

谷口:どういう風なプレイをするかっていうのはかなり迷いました。でも最終的に岡田くんもいるから良いかって思って。そしたら岡田くんがいちばん大変だったという(笑)。

岡田:そう……(笑)。僕がいちばん最後に音を重ねるから。

じゃあ、その岡田くんのギターについて。

笹倉:岡田くんもバッキングのプレイについては谷口くんと同じような感覚。僕のギターが結構歌ってしまっているので、歌っているギターをもっと充実させるようなプレイをしてくれたと思います。

やっぱりギターについてもザ・セクションのプレイのイメージで、というのがあったんでしょうか?

笹倉:そう。(ザ・セクションの)ダニー・クーチ的なプレイ。

岡田:だから僕もクーチはすごく聴いて用意してきましたね。けど、彼のプレイが参考音源としてあるような曲ならいいんですけど、ないような曲はすごく大変でした。上モノが僕と谷口くんしかいないなかで、鍵盤がアコギの倍音を担う方にいってしまったので、合いの手職人的なプレイが必要になってきて。

結果的には岡田くんのプレイが彩りとして前面に聞こえてくる感じにもなっていますよね。ギター好きとしてはたまらない感じ。

岡田:地味ギター好きには、ですね(笑)。

「これはクーチで、おっ、これはデヴィッド・スピノザで、これはデヴィッド・T・ウォーカーで、これは鈴木茂」みたいな聴き方になってしまいました(笑)。
みなさんの話を聞いて思いましたが、Jロック的なものにありがちな全体の圧を稼ぐために多重的に音を積み上げるというものとはもちろんぜんぜん違って、OLD DAYS TAILORの場合は、まずキャンパスがあってそこにお互いスペースを見つけて色を塗り合っていくっていう感じがしました。ときにあえて空白も残したり。そういうバンド感っていうのは、オーソドックスでありながらもいまならむしろ新鮮に響くかも。

岡田:基本オーヴァーダブもなかったですよね?

笹倉:うん。ほぼないですね。必要最低限のアンサンブル。

進め方としては、笹倉さんが弾き語りのデモをメンバーに渡して、そのあとは「せーの」でguzuriで録った感じですか?

笹倉:最初のシングル「晴耕雨読」に関しては事前にみんなでリハをしました。ある程度固まってきたら、リズム・セクションと僕だけブースに入ってドラム、ベース、アコギを先に録っていった形です。アルバム制作に入ってからは、まず話し合ってからリズム録りをやっていった形ですね。その段階では岡田くんと谷口くんはいてもらわなくても良かったかもね……待ち時間がとにかく長いから(笑)。

谷口:俺たちも10回くらいguzuriに行ったけど、結果そのうち3回くらいしか録ってないですからね(笑)。

ダビングの段階で呼ぶだけで良かったんじゃないか、と(笑)。

谷口:まあいま思えば、自分のプレイのためにも作業の過程を見ておいてよかったと思いますけどね。

じゃあ、基本アレンジは録音をやりながら決めていく感じ?

笹倉:プリプロ兼本番録音みたいな形ですね。

相当各メンバーの当意即妙的センスにかかっている感じがしますね。それをオッケーにできるというのがさっきおっしゃっていた信頼関係ってことなんだろうなあ。やはり理解し合っていない人同士だと成り立たなそうです。

笹倉:まあプレイについては自己責任です(笑)。

笹倉さんが「そのプレイちょっと違う」みたいにディレクションすることも?

笹倉:そういうこともあります。逆にミックスのときにはメンバーの意見もちゃんと聞いてやっていきました。

今回の録音は全てguzuriでおこなわれたんでしょうか?

笹倉:基本はそうです。1曲だけ岡田くんがオーヴァーダブを彼の自宅でやっているけど。

岡田くんと谷口くんは、guzuriで既に何回かレコーディングを経験していると思いますけど、通常のスタジオにはないあの場所ならではの魅力ってなんでしょう?

岡田:やっぱり建物全体に日が差してくるのはいいですよね。すぐ外に出られて、しかも公園の近く。

たしかに周囲の環境も素晴らしいですよね。

谷口:「息が詰まるなあ」っていう感覚がないスタジオだと思います。

都市部の密閉されたスタジオとかだと、すごく不健康な気持ちに陥るときもあるしね。夜遅くまで狭いところにいて……。

谷口:そういうのはないですね。朝は朝だし、夜は夜。人間のリズムに沿った録音ができる。

普通スタジオ作業中って、食事も出前弁当ばっかりになってしまったり。

岡田:guzuriだと、ご飯はお店の料理を食べたり、近くの店まで美味しいうどんを食べに行ったりできる。機材が足りないなというときはすぐハードオフにも行けるし(笑)。

海外の郊外スタジオとかはそういうのが割と普通みたいですよね。もっと増えればいいのになって思う。昔のリゾート・スタジオのようなものじゃなくて、もっと日常と繋がっている感じの。
今回はマスタリングまで含めてエンジニアリングは笹倉さんが全て担当しているんですね。岡田くん谷口くんからみてエンジニアとしての笹倉さんってどんな印象でしょうか?

谷口:やっぱり何と言ってもguzuriの特性を知り尽くしていますよね。スタジオとしては特殊な作りだと思うんですが、どこにマイクを立てたらどういう音になるかというのを心得ているなと思います。

岡田:録り音も、楽器の前に立って聴いているというより、楽器を弾いている位置でプレイヤー自身が聴いているような音になっているなと思います。

やはり笹倉さん自身がプレイヤーだからプレイヤー目線の音ってことなのでしょうか。

岡田:そうかもしれないですね。いわゆる専業のエンジニアさんってアンプの前で鳴っている音を録るというのが一般的だしもちろんそれも良い音ではあるんですけど、笹倉さんはぜんぜん違っていて、弾いている側がいちばん気持ち良いと思う音を捉える。ドラムについても、ドラムの前で聴くより叩いている側から聴くのが本当はいちばん気持ち良いと思うんだけど、今回の音も増村くんが座っている位置で聴いているような感じでした。

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ジェームス・テイラーやブルース・コバーンなどのフィンガー・ピッキングで歌う人たちの演奏を聴いたときに、「こんな風に弾き語りできたら最高だよなあ」って思ったんです。それでジェームス・テイラーを音楽的に結構研究して。 (笹倉)


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アルバムの楽曲の話に入っていければと思います。ここ近年、笹倉さんはライヴを見に行くためだけに渡米するほど、ジェームス・テイラーにハマっていると伺っています。先ほど話にあったとおり、このアルバムでも各人のプレイ含め楽曲自体にもそのテイストが色濃く反映されていると思います。彼は単に「好きなミュージシャン」という以上の存在なんでしょうか?

笹倉:そうですね。僕がこれまで飽きないで音楽をやってこられた原動力です。10代の頃からずっとニール・ヤングを聴いてきたんですが、ニール・ヤングのプレイ・スタイルに飽きてきたというか(笑)。もちろん彼の音楽は素晴らしいんですけど、やっぱりひとりでライヴを演るとき、ニール・ヤング的表現だと曲やノリの面でできることがかなり限られてくる。その点、ジェームス・テイラーやブルース・コバーンなどのフィンガー・ピッキングで歌う人たちの演奏を聴いたときに、「こんな風に弾き語りできたら最高だよなあ」って思ったんです。それでジェームス・テイラーを音楽的に結構研究して。いまはYouTubeでどう弾いているかも大体見られるけれど、あんまり僕がインターネット派じゃなかったので、耳コピをして……

ジェームス・テイラーのギターを耳コピするのは難しそうですね。

笹倉:ベースからコードを追いかけていって。そしたら意外と簡単なコードだった(笑)。

そこからいまや外国まで追いかけるくらいにハマっているってことだと思うんですが、気づいたらドンドン魅せられていったということなんでしょうか?

笹倉:とにかく聴いていると幸福感がすごいんですよね。

なるほど。ジェームス・テイラーの魅力って実はとても言葉にしづらいと思っていて……。僕も聴けば瞬時に「最高だなあ」と思うんですけど、それ以上に具体的な言葉を紡げないというか。コード・プログレッションも洗練されているし、ハーモニー感覚も繊細。朴訥としたクルーナー・ヴォイスの魅力……各論的にはいろいろあると思うのですが。

笹倉:彼はまず、歌のピッチがめちゃくちゃ良いんですよ。圧倒的に上手い。複雑な音楽性とかいろいろあると思うんですけど、単純に音楽として素晴らしく完成度が高いんですよね。

そうですね。たとえシンプルな弾き語りだとしても異常なほどにウェルメイド。

笹倉:「下手だけどいいよね」とかそういう次元ではなくて、ただ単純に「良い」っていう。

岡田くんと谷口くんのふたりにとっては、ジェームス・テイラーってどんな存在ですか?

岡田:しばらく聴いていなかったんですけど、今回久々に聴き直しました。個人的にAORにハマってたことあって、特に70年代半ば以降の作品とか素晴らしいなあって改めて思ったり。それと、ジェームス・テイラーって似た人がいないなと思って。あんなに売れているのにフォロワー的な人がいないんですよね。

たしかに。兄弟たち……たとえば弟のリヴィングストンも似ているようでやっぱり違うしね。

岡田:兄のアレックスはぜんぜん違うし。

谷口:妹のケイトも違うし。

岡田:誰も真似しないというか、おそらく真似できない。今回彼の音楽を下敷きに制作してみたら本当に難くて。曲の作りもそうだし、演奏も何も演っていないよう思わせつつああ聴かせるなんて簡単なことではない。あそこまで普通にいい曲なのにオンリーワンな存在って他に浮かばないなあ、って思います。

決してトリッキーということではないのに。

谷口:そうなんです。でもやってみると難しい。

岡田:極端な話、スティーリー・ダンの方が簡単じゃないかと思います(笑)。

谷口:譜面化できない難しさみたいなのもあると思うんですよね。スティーリー・ダンは譜面にすればMIDIでも演奏できると思うんですけど、ジェームス・テイラーの音楽はおそらくMIDIでは再現できない。しかし彼自身は何を聴いてきてああいう音楽を作るようになったのかがよくわからないですよね。

岡田:ニュー・ソウル以前なのにニュー・ソウルっぽい感覚があるよね。

笹倉:そういえば「ジェームス・テイラーが影響を受けたサウンド」っていうプレイリストがAppleMusicにあったな……(iPhoneを取り出す)

岡田:(プレイリストを見ながら)サイモンとガーファンクル、ビートルズ、バッファロー・スプリングフィールド、エリック・アンダーソン、レッドベリー、ロネッツ……

う~ん、たしかにそこら辺に影響を受けているっていうのも分かるんだけど……ジェームス・テイラーのあの独特の洗練に直接的につながらない気が……67年にダニー・クーチと一緒に演った音源でその後発掘されたフライング・マシーンの音源とか聴いても既に洗練されているんだよね。ラヴィン・スプーンフルなどのハーモニー、アンダースンポンシア系のプロの作家っぽさ、あとはフレッド・ニールとかのジャジーなフォーキーさ、そういうものが融合している感じが……。

岡田:時代的にもフォーク・ロックとかに影響を受けると普通はサイケになりそうだし、本人もめちゃくちゃジャンキーだったのに曲はまったくもってフレッシュっていうのがよく分からない。見た目もすごく繊細そうでシャープで……モンテ・ヘルマンの『断絶』に出ているジェームス・テイラーの目つき、あればヤバイ(笑)。

なんだかジェームス・テイラーの話ばっかりになっちゃいましたけど(笑)……笹倉さんは日本語の自作詞をそこに載せる。アルバムを聴くと簡単にやっているように聞こえるかもしれないけど、実際はすごく大変なんだろうな、と思いました。

笹倉:メロディーから作るわけですけど、音節的にぜんぜんうまく日本語詞が乗らない。言葉の意味の面でも、日本語ならではの伝わり方がうまくメロディーにハマらなかったりします。

たしかに直接的にロックっぽい……わかりやすく言うと仮に内田裕也的な歌詞を乗せたらすごい珍味なものになってしまいそうですよね(笑)。そう思うとやはりはっぴいえんどというのは先駆的という意味でも偉大だったと思うんですけど。

笹倉:そうですね。

今後はさらに音楽への向き合い方をいちばん純度の高い形に持っていきたいなって。そういうところにもう一回立ち返りたいなって気持ちがあるんです。だから自分の見え方をビジネス的にどうしていこうとか、いまはぜんぜん興味がない。 (笹倉)

今作でもいろいろなトライを経てこうなっていると思うんですけど、非常に上手く日本語が乗っていると思いました。我々がネイティヴだからというのもあると思いますが、日本語って言葉のチョイスによって意図していた以上に意味を発揮してしまい、それに他の要素までが支配されてしまうということがあると思うんですけど、この作品ではそれが周到に避けられているなと感じました。例えば、“過ぎたことのように”のなかでタイトルをリフレインするところとか、割とインパクトのある句が繰り返されているはずなのに、いい意味で音に埋まっている。大人の技巧を感じました。匠の技(笑)。
岡田くんと谷口くん作の曲についてもお話を聞かせてください。まず岡田くん作“午後の窓”。

笹倉:森は生きているの頃の曲なんだっけ?

岡田:元々は森は生きているの最後の方にライヴで演っていた曲ですね。

これを持ち込もうと思ったのはなぜ?

岡田:笹倉さんに「なんか曲ないの?」って言われて。僕のソロ・アルバム用にも録っていたんです。森は生きているのヴァージョンとソロ・アルバムのヴァージョンはお蔵入りしていているし、ちょうど増村くんが歌詞を書いていたし、このバンドで違うテイストのものをやってみたらどうかなって思って引っ張り出してました。

これはジェームス・テイラー的世界とは違って、若干『ロングバケーション』ぽさもあって。岡田くんの趣向が反映されつつ、しっかりバンド感もあって。ヴォーカルも岡田くんが担当して……

笹倉:いや、これ僕の声です(笑)。

え!? 岡田くんの声にそっくりじゃないですか?

谷口:似てますよね。僕も最初歌入り版が上がってきたとき「ヴォーカル、デモのまんまじゃん」って思いました(笑)。

笹倉:僕と優河ちゃんの声をユニゾンで重ねているんです。

なるほど! それでこの声の質感になっているのか……面白いなあ。
そして谷口くん作“アフター・ザ・ガール”。すごく谷口くんっぽいなあって思いました。わ、ジェイホークスみたいだ! って(笑)。

谷口:これも元々は、岡田くんから森は生きているの最後の方に「なんか曲ないの?」ってメールが来て、そのとき出した曲ですね。

岡田:そのときは結局ボツにしたんですよね(笑)。

谷口:歌詞もメロディーもなかったから、いま思えばそれで提出するっていうのもどうかと思うんですけど(笑)、どこかで使いたいなと思っていたので、今回メロディーも作って増村くんに歌詞を書いてもらって。

一瞬のホッとする感じが良いですねえ。バンドとして、ふたりの曲が入ることによって音楽性の幅が出ていて良いなと思いました。あと、大滝詠一のカヴァー、“恋の汽車ポッポ”。これは笹倉さんの選曲?

笹倉:そうです。これも実はジェームス・テイラー・スタイルなんです。ジェームス・テイラーがチャック・ベリーの“プロミスド・ランド”をカヴァーしているものがあって。そのアレンジを参考にしています。自分でこういうテイストの新曲を作るのもアリかなって思ったんですけど、バンドのあり方として、かつての音楽を紡ぎ直すというスタンスも大事にしたかったから、日本の名曲を違ったスタイルで継承するっていうのも良いなと思ったんです。ジェームス・テイラーもそうですけど、シンガー・ソングライターでも昔の曲を継承するっていうスタンスは割と欧米では一般的だし、自分もそういうのをやりたいなあと思った。

いまおっしゃった何かを継承していくという意識はOLD DAYS TAILORというバンド名にも通じますよね。ブックレットの最初のページに笹倉さんによるメッセージが入っていますよね。「在りし日を紡ぎ仕立てることで生まれた、音や言葉が……」という。ただ過去を向くのではなく、何かを継承していこうとすることの貴さ、そういう気概を感じます。一方で“過ぎたことのように”では「なにもない海を見ていると なぜだか ありもしない記憶に 胸がきしむのです」「波間に見えた舟の 知るはずのない痛みを 覚えている」という、体験してないことを体験していたことのように思う視点というのもある。過去といま、というものの繋がりへの繊細な視座を感じます。このアルバムの制作中、時間が過ぎていくことや、自分が移ろっていくことと、そういうものに対して感覚がとても鋭敏になっていたということなのでしょうか?

笹倉:そうですね。でも制作中だけというより、昔からずっと変わらない感覚かもしれないな。

谷口:たしかにguzuriの周りのあの環境で過ごしていれば、そうなるのかも。

やっぱり笹倉さんから見て「世の中もうちょっと落ち着けよ」って思いますか?

笹倉:いや、そんなことはぜんぜん思わないですね。

都会から離れた環境にあえて自分をおいて時間の流れから身を閉ざすという人もいる思うんですが、そういう感覚ではないと。

笹倉:そうです。

そうか、元々の生活がそこから始まっているわけですものね。だからこそ、アルバムに描かれている光景は、ゆったりしているところもあるんだけど、一方で現代に生きている人が皆感じている時間感覚があるのかもしれないですね。その不思議なバランス感は笹倉さんの音楽の大きな魅力のひとつだなあと感じます。

笹倉:都会も田舎も、どちらも僕は好きですね。

岡田くんと谷口くんのふたりはどうですか? 都会から逃げ出したい願望というか……。

岡田:僕も以前まで福生に住んでいていまは国立だから、そんなバタバタしている感じじゃないですね。

谷口:僕も都心在住ってわけじゃないので。

ああ、そう考えると、OLD DAYS TAILORのメンバーは武蔵野中心にみんなサバーバンな人たちでもあるんだね。そういうみんなの感覚がじんわり出ている気がします。
さて、いよいよリリースになりますが、今後の展望は?

笹倉:この先のことを考えるとなんだか疲れてきてしまって……(笑)

いろんな人にどうやって聴かれるかを想像すると、ってことですか?

笹倉:いまはあんまりそういうことを考えないで音楽に接したいんですよ。ミュージシャン主導でガシガシ宣伝のこととかも考えなきゃやっていけない時代だとは思うんですけど。音楽制作を続けていくなかでもサイクルがあって。いろいろ意識を高く持ってDIYでやっていかなくては、って思うときもあったりするんですけど、いまはもう高校生くらいの気分。

どういうことですか?(笑)

笹倉:これまでずっと自分なりに言葉と音楽の関わりをひたすら考えながらやってきて、今回のアルバムはそのひとつの結果ということになると思うんですけど、今後はさらに音楽への向き合い方をいちばん純度の高い形に持っていきたいなって。そういうところにもう一回立ち返りたいなって気持ちがあるんです。だから自分の見え方をビジネス的にどうしていこうとか、いまはぜんぜん興味がない。でも立ち返るためのいろんなことを考えるとまたそれはそれで面倒くさくて疲れてしまうんだけど……(笑)

このアルバムもそういう気持ちに立ち返りたいというのを念頭に作ったんでしょうか?

笹倉:そうですね。

だからなのか、純粋な音を奏でる歓びに溢れていると思いましたよ。

笹倉:ありがとうござます。だからこそ、こういうことは考えたくないんだけど……やっぱりもちろんたくさんの人に聴いてもらいたいし、売れてほしいな、っていうのはありますね。あれやこれや僕が考える必要がなくなるように(笑)。

7/11にはレコ発公演も予定されていますね。ライヴはどんな感じになりそうですか?

谷口:レコーディングでも、重ねなしのリアルなバンド・サウンドそのままにライヴで再現できるように作られた作品なので、ぜひアンサンブルの気持ち良さをを聴いてほしいですね。

笹倉:なかなかライヴを頻繁にできるバンドではないので、7/11、ぜひ来てほしいです。

楽しみにしています。今日はありがとうござました。

interview with Jim O’Rourke - ele-king

 ジム・オルークのようなミュージシャンについて書くことはつねにひとつの挑戦となる。彼の作品が表面的に見える部分にとどまることはまずありえない。リスナーにたいしていかに作用しているかという部分を見えなくするためのその慎重なメカニズムは、ほとんど不可視の創造的プロセスなのである。おびただしいほどの複雑さや音楽的知性が、まるではじめから存在していたもののように、作品を完全に自然なものにし、わかりやすいものにさえしている。制作のさいに彼がとるアプローチには、アカデミックな訓練からくる要素がはっきりと含まれているにもかかわらず、その一方で、出来上がった音楽のなかには、あふれるほどの情感がこもっている。

 最近の比較的目立ったリリースであり、予期せぬかたちでロック的な作曲に回帰するものだった、2015年の『シンプル・ソングス』は、すぐに親しみをもてるロックなリフレインが、聴く者がどこをどんなふうに旅しているのかをまったく気づかせないままに、未知なる音楽的領域と完全に混じりあうようなものだった。アンビエントにフォーカスをあてた新しいレーベルである〈NEWHERE〉からリリースされた最新作『Sleep Like It’s Winter』で彼は、冷たく、危なっかしく、しかし生気にあふれた、美しい45分のインストゥルメンタルの楽曲とともに、また根本的にまったく別な音の世界に身を置いている。

E王
Jim O'Rourke
sleep like it’s winter

NEWHERE MUSIC

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 『シンプル・ソングス』と『Sleep Like It’s Winter』のあいだに、バンドキャンプ上でおよそ2ヶ月に一度のペースで配信された、オルークの『Streamroom』シリーズとして、22曲の別々の作品がリリースされている。そのうちのいくつかは、アーカイヴから過去の楽曲を発掘して出したもののようだが、これほど急激なリリースの流れのなかにはきっと、彼の制作を解きあかす手がかりとなる何かが見つかるはずだ。じっさい、『Sleep like It’s Winter』の直前に『Streamroom』でリリースされたもののなかには、共通する部分もある。

 アンビエント・ミュージックとは、これほどレイヤーが重ねられ、何層にも織りなされるものではない。それは定義上ほとんど分析を拒否するようなものであり、もっぱら意識の外側の部分に作用するものだ。だがそれにもかかわらず、『Sleep Like It’s Winter』は、聴きかえすたびに新たな発見がもたらされる、さまざまなアイデアに満ちた、非常に意識的なアルバムだと感じさせるものである。


たいていの人はイーノと答えるんでしょうね。だけど私の場合それは、マイケル・ナイマンの『実験音楽 ケージとその後』という本までさかのぼることになると思います。高校生のころに初めて読んだんですが、とてもすばらしい、重要な本です。


一般にアンビエントとかドローンといった言葉で評されている音楽について語るのは難しいと、個人的にはずっと思っていて……。

J:ですよね。じっさい私も、アンビエントの作品を作ってほしいというかたちで依頼されて、だからこそやってみようという気にもなったわけですが、はじめからアンビエントの作品を作ろうとしたりはしませんでしたしね。これがアンビエントのレコードだっていうものよりも、アンビエントに近いものを作ろうという感じです(笑)。私のやっていることはたいてい、〈それに近い〉ことだといえると思います。それは、〈これこそがそれだ〉っていうものとは対立するものなので。

それを聞いて思いだしたのですが、以前にもあなたは、批評家のようなやり方で音楽制作にあたるというご自身のアプローチにもとづいた発言をされていましたね。

J:はい。私は音楽を楽しみのために作っているわけではありません(笑)。たしかにそんなようなことをいいましたね。自分と比べようというわけではないですが、若いころに私は、ゴダールからのある引用を読んだんですよ。それは、「映画について批評する最良の方法は、自分でもう一本映画を作ることだ」というものでした。幸運にもまだ若いころにその言葉を知って以来、その言葉はいまもずっと私に突きささったままで、自分の制作の基礎の部分になっています。

新作にはどのくらいの時間をかけられたんでしょう?

J:だいたい2年です。

制作をはじめられたころはまだ東京に?

J:まだ東京にいました。うん、最初に依頼のあったときは東京でしたね。だけどそのころはまだほかにもいろいろと進行中の仕事がありました。なので最初の6ヶ月はたしか、じっさいに何かはじめるというよりは、いろいろと考えをめぐらせていたという感じだったと思います。いったいぜんたい「アンビエント」ってどんな意味なんだろうとか、世代によっても意味が違ってくるぞとか、そんなようなことについて、いろいろと考えていました。はじめはに依頼されたときは、「新しくアンビエントのレーベルを立ちあげたんです」といわれて、私としてはただ、「ああ、そうですか……」という感じだったんです(笑)。「特定のジャンルのレコードを作る」という発想のもとにレコードを作るなんて、ひどく忌まわしいことな気がして。だけどやってみることに決めました。逆にこんなにゾッとするようなアイデアもないなと思ったからです(笑)。アンビエント・ミュージックが嫌いなわけではありませんよ──そういうことじゃない。自分ならそんなふうに制作にはのぞまないというだけのことです。ともかく、奇妙な依頼だからこそ受けてみようと決めたわけです。

アンビエント・ミュージックと聞いて、あなたがいちばん最初に参照する足場というか、その枠組みになるようなものはなんですか?

J:うーん、たいていの人はイーノと答えるんでしょうね。だけど私の場合それは、マイケル・ナイマンの『実験音楽 ケージとその後』という本までさかのぼることになると思います。高校生のころに初めて読んだんですが、とてもすばらしい、重要な本です。その本のなかで語られていることのなかには、イーノはほんのすこししか出てきませんし、それに(イーノ自身は)まだそのころ、「アンビエント」という言葉は使っていません。かわりに彼が参照しているのは、「家具の音楽」という(エリック・)サティのアイデアです。あとはきっと、イーノの『Discreet Music』のジャケットの裏面だと思います。あのレコードの裏では、ほかでもなく彼自身が作品の背景にあるアイデアを語っていて、あとはそれが技術的にどんなふうに作られたかを示すダイアグラムも載っているんです。あれには若いころ、かなり感化されました。だけど、アンビエント・ミュージックについて考えるとなっても、私はかならずしもイーノのことは考えませんね。というのも私は、イーノのじっさいのアンビエント作品が、つまり彼がその後にむかっていった、『アンビエント』と名づけられた一連の作品が、正直なところそれほど好きじゃないんですよね──彼を尊敬していないというわけじゃないですよ。ただ私の好みではないというだけです。ある意味では、サティによる定義のほうが好きですね。つまりそれは、「家具の音楽」で、ようするにBGMのようなものなんだということです。だとすればそうした音楽は、積極的な目的意識をもって聴かれるためのものじゃないということになりますし、リスナーは、流れてくる音楽の形式的な構造に従う必要はないということにもなるでしょう。サティの定義はある種、「アンビエント」という言葉が何を意味するかという、その言葉の捉え方の変化を促してくれるものだと思います。この作品を作りながら、私にとっていちばん大事だったのは、「ひとが作品の形式的な構造に、完全に見切りをつけてしまおうと決める境界線はどこか」ということであり、「形式的な構造は感じられるままでありながら、それがうるさく迫ってくることのない境界線はどこか」ということでした。

形式的な構造という点で、話をイーノに戻すなら、彼はどこか、音楽から演奏家をすっかり取りのぞいてしまうというアイデアに興味をもっているような部分がある気がします。

J:そいう音楽観は、私も自分の全生涯をかけてすこしずつ、ですが確実にむかっていっているものですね(笑)。その点では、ローランド・カイン(※Roland Kayn/ドイツ出身の現代音楽/電子音楽家)の存在が私にとっていちばん大きかった。彼の音楽はアンビエントだといわれたりしますが、そう呼ぶにしてはあまりに攻撃的すぎます。彼の音楽のアイデアは、システムを生みだしておきながら、あとはそれを好きなようにさせておくというものです。そんなふうに好きなようにさせておいたとしても、当初にあったアイデアが表現されたままであるような、そんなシステムをいかにして作りだすか、そこに挑戦があるわけです。過去10年のイーノの作品のいくつかや、ナンバー・ピースのようなケージの作品のいくつかに注目してみれば、彼らがそうしたシステムを作っているのがわかると思う。ケージ後期のナンバー・ピースはかなりおもしろくて、一見したところそうは見えないにもかかわらず、じっさいにそれを正確に演奏してみようとすると、かなりの厳密さが要求されるものなんですよね。カインのような人物や、イーノがやっていたこと、とくに70年代にやっていたことからいえるのは、彼らは、いずれにしろ何かしらの成果はもとめていつつも、だけどそれにたいして自分からはけっして干渉しようとはしないということだと思います。


このところ、だいたい2ヶ月に一度くらいはバンドキャンプ上に新しいものをアップされていますね。ああしたものを聴いていると、リアルタイムにではないですが、この最近あなたが何をしているか、もうだいたい把握しているような気分になります。

J:そうですね。バンドキャンプは、インターネットが生みだしたもののなかでも、例外的に好きなもののひとつなんです。聴きたいひとが50人しかいなかろうが、とにかくそこで聴けるというところが気に入っています。レコードをリリースすることで生じてしまういろんなこととは一切なんの関係もなくいられるなら、それにこしたことはありませんからね。わかってもらえると思いますが、私にとって、作品ができあがったらもうそこで終わりなんです。そのときにはもう私は、別のどこかへむかっていますからね。

そんなふうにバンドキャンプで発表された作品は、今回のアルバムに何か影響を与えましたか?

J:あのなかのひとつかふたつは、今回のアルバムの失敗したヴァージョンだといえるかもしれません(笑)。正直にいってバンドキャンプの曲は、ああいうものが聴きたいひとたちのなかの、50人とか80人のためのものなんです。「ほら、みんなこんな感じのが聴きたいんだろ、聴いてみてくれよ」っていうふうにやっているだけです。あんな感じのものは今回の作品には関係ないですね。バンドキャンプの作品にかんしていえば、80曲なら80とおりの失敗した部分があるっていう感じですかね。


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90年代の黒沢清は、この点で他の追随を許さない存在でした。たとえば『蛇の道』とか『蜘蛛の瞳』といった作品のなかで彼は、並外れたやり方で時間の問題を扱っています。ひとつのイメージに結びつけられて見られていたものを再構成し、そのなかで生まれていた時間についての知覚を再構成すること、それが彼のやり方です。


Jim O'Rourke
sleep like it’s winter

NEWHERE MUSIC

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今回のアルバム『Sleep Like It’s Winter』のなかには、聴覚のぎりぎりの部分で聴こえてくるような音がたくさんありますね。音があらためて鳴りはじめるまでのすこしのあいだ、ほとんどまったくの沈黙(サイレンス)がおとずれることもあります。

J:うん、そうですね。80年代の後半とか90年代のはじめのころの、ごく初期の私の作品の多くには、かなりそういうものがありました。ですが若かったのもあって、まだほかの人のやり方を真似しているだけでした。私は沈黙を真似していたわけです(笑)。じっさい当時は真似したくなるようなものがたくさんあって、たとえば(ジャチント・)シェルチ(※Giacinto Scelsi/イタリア出身の現代音楽/電子音楽家)のやっていたことなんかは、大学時代ものすごくのめりこみましたね。あとは、やはりはまっていたリュック・フェラーリ(※Luc Ferrari/フランスの現代音楽/電子音楽家)の作品の多くのなかにある沈黙の意味について、真剣に考えてみたりとか。あと当時は、ハフラー・トリオとかP-16.D4(※80年代ドイツの電子ノイズ・プロジェクト)といったわけのわからないものもありました。ですが、ああいうものを本当に理解できるようになったのは、もっとずっとあとになってからでした。沈黙というのは、ラウドな部分と同じように、強弱法の一部なんです。じっさいに何かを聴く行為のなかでは、時間というものがいろいろなことを意味するものです。そして時間は、何かしらの音が流れているよりも、沈黙のなかでこそ、決定的なかたち知覚されるものです。だから沈黙とはそのまま時間でもあるといえると思います。できることなら私としては、沈黙の使い方によって、時間の知覚のされ方を拡張したいと考えてるんです──上手い具合にドラムのフィルインが入っているのと同じようなことですね。

つまり沈黙は、作品の全体的なリズムとして機能しうるということですね。

J:そう、まさにそのとおりです。今回の作品を作るにあたって、もうひとつ何度も考えたのは、作品が「アンビエント」だからといって、あるいはパーカッションの要素とかそういったものがないからといって、そこにリズムがないわけではないということです。なので、リズムの役割とは何かとか、リズムがそれ自身を主張するにはどうしたらいいかとかといったことについても、かなり考えてみる必要がありました。沈黙というのもそういう問題の一部なんです。つまり、沈黙も音声上の句読法の一種で、カンマとか、ピリオドとか、あるいはセミコロンのようなものでありえるわけですよ。もちろんその前に何があって、そのあとに何がくるかも重要ですが、大事なのは、ピリオドやカンマのあいだにある違いに気づくことができるようになるということです。今回の作品には決定的な沈黙の瞬間がひとつあって、それはカンマとして機能しています。それともう一箇所、3つのピリオドが連続して出てくる箇所もあります。すくなくとも私としてはそんなふうに考えていますね。

今回の制作をとおして、アンビエント・ミュージックのなかにもクリシェがあると思われましたか?

J:はい、それはもう完全にあります。これは制作をはじめる前からわかっていたことでもあります。というのも、私がアンビエント・ミュージックを聴かない理由は主にそれですからね。ようするに、本当に多くのアンビエントの作品がメジャー・セブンス・コードで、ハーモニーが重要視されているものばかり──つまりどうやってそれでハーモニーを生みだすかを考えているものばかりだったわけです。あとは、メジャー・ナインスもすごく多い。パーフェクト・フィフス以外では、アンビエント・ミュージックのなかで、このふたつがハーモニーをかたちづくるもので、それをつかってどうやってハーモニーを作るかが、アンビエントの問題だというわけです! 私としてはむしろ、倍音に近いものを生みだしたかったので、ハーモニーは欲しくありませんでした。ドローン風のやり方の場合、本当に問題になるのは倍音で、ハーモニーではないからです──とはいえ、こういうことは制作を進めながらその場で気づいていったことですけどね。記憶しているかぎり、失敗したヴァージョンはすべて、このふたつが混ざりあってしまっているようなものです。一度録音が終わってしまうと、ミックスの作業のあとであらためてそれを聴いたのはマスタリングのときだけで、だから、作品がどんなふうなのかは、いまはもう忘れてしまっているところがあるんですよね。失敗したものからはとても多くのものを学びましたが、できあがったものから何か学んだかといえば、ちょっと心もとないですね。答えが見つかったというより、次の問いが見つかった感じというか。これはいつものことで、ようするに私は、答えを信じてはいないんです。ある問題の解決というのは、さらに次の問いへと続いていくべきだと思っています。

まるで特定のジャンルで制作している映画監督みたいですね。あなたは、こんなふうに選ぶわけです。「あの定型を使ってすこし遊んでみようかな。いやそれとも、いっそあの定型をめちゃくちゃにしてみるのもいいな」と。

J:それはとてもよくできた喩えですね。というのも、若いときの私は、音楽なんかよりもずっと、そういうタイプの映画監督に影響されたんですよ。いつか映画監督になりたいとずっと思っていました。ですがそれには金がかかりすぎるし、だいたいどんなふうに生きていかなきゃならないかわかってしまって、けっきょく実現はしませんでしたけどね。ロバート・アルドリッチとか、リチャード・フライシャーみたいな監督には本当に影響されました。彼らは、そうしたジャルルの定型という檻のなかに身を置いているにもかかわらず、ほんとうにいろんなことをやっているんですよ。そういうところを見るのが好きでした。ウィリアム・フリードキンなんかは、私のスーパーヒーローです。本当に好きですね。『L.A.大捜査線/狼たちの街』のような映画がジャンルの決まりごとをどう扱っているかを見ると、まったく驚くべきものがありますよ。いまでは真正面からこちらを睨みつけてくるその特大サイズのポスターを持っているほどです。さっきいった制作についての考え方は、ほかの何にもまして、本当に、映画に由来しているものなんです。とにかく映画からはいろんなアプローチの仕方を学びました。

たしかに、かなり簡潔なまとまりのなかでストーリーが語られるポップ・ミュージックと比べると、たったひとつの要素がアルバム全体にまで拡張されたようなものであるアンビエント・ミュージックは、より映画的なリズムのなかで展開していくものかもしれませんね。

J:そうですね。構造についていえば、ほかの芸術の形式と比較したとき、音楽が雄弁には伝えることのできないものとして、時間を後ろむきに扱うことが挙げられると思います。音楽が時間を変えられるとしても、それは何かしらの参照軸を作ることをとおしてのことです。音楽が形式的な構造をもってはじめて、つまり構造的な参照軸やメロディーによる参照軸をもってはじめて、それが可能になるわけです。ですがもしそれが、たんに何かを思いだされるだけなら、時間を再構成したことにはなりません。90年代の黒沢清は、この点で他の追随を許さない存在でした。たとえば『蛇の道』とか『蜘蛛の瞳』といった作品のなかで彼は、並外れたやり方で時間の問題を扱っています。ひとつのイメージに結びつけられて見られていたものを再構成し、そのなかで生まれていた時間についての知覚を再構成すること、それが彼のやり方です。そんなふうにして、たったひとつのイメージからでさえ時間についての知覚を変えてしまうのです。視覚芸術にはこうしたことが可能ですし、いうまでもなく文章を書くことでもそれは可能です。だけど、それほど雄弁な仕方でそうした問題を扱うツールが、音楽にはない。かなり不器用なかたちでしかできないんです。私が大学のころから興味をもってきたのは、そうしたことです。シュトックハウゼンとか、ああいったものについて学んでいたのも、そういう問題に興味があったからでした。一連の「モメンテ」作品を制作していたシュトックハウゼンには、つねにこの問題があった。60年代から70年代にかけて、シュトックハウゼンのような作曲家たちは、音楽のなかに時間の問題をもちこんだわけです。とはいえ、じっさい驚くような成果も生まれてはいますが、いずれにしても上手くいっているとはいえないと思います。時間の問題は、音楽というジャンルのなかでいまだに問われるべきものとしてありますし、私もそれについて多くのことを考えつづけています。そしてこの問題を定期的に思いださせてくれるのは、やはり音楽よりも映画なんですよね。


ちょっと馬鹿げた例ですが、若いとき、毎年『裸のランチ』を読んでいて、読みかえすたびに、本についてよりも自分自身について学んでいることに気づいたんです。本が変わるのではなく、自分自身が変わっているのがわかったわけです。いうまでもなく本の内容が変わることはない。書かれてることは以前から変わらないですからね。


あなたは以前、音楽を制作するにあたって、定期的に自分自身を妨げるものを生みだすんだとおっしゃっていましたね。

J:いまはかつてほどではないですね。たしかにいまより若いころは、そんなふうにすることが必要だと考えていました。なんというか、いまは自然に自分自身を失敗させることができている感じです。ことさらに意識してやっているわけではなくて、私の脳がそういうふうに働いているということですかね。若いころはそうしなければいけないと思っていたわけですが。若いころといえば、そのころはまだ制作に使ういろいろな道具がなかったじゃないですか。あれは素晴らしいことですよ。道具ばかりが増えすぎてしまうのは本当に最悪なことです。道具を持てば持つほど、できることは少なくなっていく。「ああしたものには触れずにおこう」と考えることは、それ自体具体的な制約になりますからね。じっさい、この作品に使われている楽器は3つだけです──あ、失礼、4つですね。短波ラジオを楽器と見なすなら4つです。

この作品ではどなたかとのコラボレーションはありますか? それともすべてご自分で?

J:私だけです。ドラムを入れてもらおうかという計画もあったんですが、実現はしませんでした。だから、ハードディスクのなかが、使わなかったドラム入りのヴァージョンでいっぱいになっていますよ(笑)。

いまは地方にお住いなわけですが、引っ越されたことは作品に影響を与えているのでしょうか?

J:以前より制作に集中するようになったことですね。集中力を途切れさるものがあまりないので。20代前半の感じにすごく近くなっていると思います。何日も徹夜なんてこともあるくらいで。テープ・マシンをもって部屋にひきこもって、あとはもうノンストップで作業したり。いますぐにまたやりたいかといわれたらそうでもないですが、ともかくこのところは、もう一度そんな心構えをもつことができるようになりました。これは長い間できていなかったことです。

あなたは「ジム・オルーク」という名義で幅の広い音楽をプロデュースされていますが、とくに日本では、「今回はこういうプロジェクトで、こういう感じの音なんだ」というような理解がはびこっているように思います。前に私の友人がライヴをやったんですが、終わったあとに、会場のマネージャーがこんなふうにいったんです。「うーん、これなら3つの別のバンドに分けてやるべきだな」。

J:そうですね。それはとても還元的な考え方です。そしてそういう考え方はたしかに、ほかのどこよりも日本のなかで共有されてしまっているものかもしれませんね。

以前あなたは、アーティストの仕事を、バラバラなものとしてではなく総体として考えるには、いまは厳しい時代になっているとおっしゃていましたね。

J:はい、音楽の場合はその傾向がより顕著だと思います。たとえば、誰かが「ヒッチコック」といったとします──この場合ひとは、自分の好きなひとつかふたつの映画のことをいっていて、「ヒッチコックの作品」全般についていっているわけではない。こういうことが音楽の世界で一般的なものになってしまっているんですよ。というのも、音楽の世界は、そうした社会的で政治的な考え方とはっきりと結びついているからです。でも、それをどう考えるかというよりも、何よりもまず商品として存在せざるをえないポピュラー・ミュージックの分野では、そういうふうに考えるひとはそれほど多くはありません。好きか嫌いかという話とは別に、フランク・ザッパは例外的な見られ方をしている人物ですね。だいたいいつもロック・バンドと一緒にレコードを制作していたにもかかわらず、ひとは「フランク・ザッパの作品」全体について考えています。あとは、たとえばボブ・ディランのような人物もそんなふうに考えられていますね。だけどいずれにしろ彼らは例外で、一般的にはそうではない。

では、ご自分の音楽のなかには、つねに回帰するようなテーマがあるとお考えですか?

J:まったくそう思いますね(笑)! どれも同じですよ。本当に同じことをやっているだけです。ピカソ本人だったか、別の誰かだったかが、ピカソの作品についていったことと同じです。「何度も何度も、ただ同じ絵ばかりを描いている」って。

『シンプ・ソングス』のようなアルバムと、今回の『Sleep Like It’s Winter』のようなアルバムとの関連性についてはどうお考えですか? あるいはカフカ鼾の『Nemutte』のような作品との関連についてはいかがでしょう?

J:私が作った、ということでしょうかね(笑)。冗談のように聞こえるかもしれませんが、ある意味で、その質問にたいする答えとしてはこれがベストだと思います。私がやろうとしていることのある側面が、ほかのものよりもよりはっきりと出ているということはあるかもしれませんが、いずれにしてもそれは、どのアルバムにも含まれていることだと思います。

私の聴いたかぎりでは、それぞれの作品をつなげているのは、要素が移りかわっていくときに聞こえてくる多様なレイヤーの存在ではないかと思うのですが。

J:『The Visitor』という作品は聴いてもらえましたか?

ええ。とはいえ、じつは今日はじめて聴いたのですが。

J:あの作品がたぶん、いちばん上手くいったものだと思います。いろいろ改善するべきとことはありますが、やってみたいと思っていた音楽にいちばん近いのはあれです。あれはもう全体が、いまおっしゃったような要素の移りかわりにかかわっているものですね、本当に──クレイマーなら、「あっちにいったりこっちにいったりしてどうしようもねえ!」って叫ぶところですよ(※クレイマーとは、『となりのサインフェルド』というアメリカのコメディ・ドラマでマイケル・リチャーズが演じている登場人物。彼が下着をブリーフからボクサーパンツに変えたら、陰嚢が揺れてまったく最悪だよ、というシーンから)。だけどそういう移りかわりについては、理論の上で考えるわけではないんです──つまり、「よし、このへんでちょっと雰囲気を変えてみよう」というふうに考えたりするわけじゃない──理論にもとづいたアイデアとか実践じゃなくて、じっさいにいろいろな要素を一緒にするときに、たいていの場合ああいうかたちになる、ってことなんですよ。絨毯を織るような感じですね。上手いアナロジーかどうかはわかりませんが、ようは、自分のやったことを音楽をとおして見せびらかすべきじゃない、っていうことです。全体をひとつにまとめるという部分に注目して見るなら、よくできた絨毯ていうのは、作り手の技術が、全体から受ける印象よりも悪目立ちしていないものであるべきですよね。だから、音楽制作のなかでいちばん難しいもの──それは作為を隠すことです。作為は隠されるべきです。この点は私にとって、本当に、ものすごく重要なことですね。

いまおっしゃったようなことは、ずっとあなたの制作の鍵になるものだったわけでしょうか?

J:ずっと考えていたことですね。いつからそんなふうに思うようになったのかは思いだせませんが、かなり若いころからそう考えていました。たぶん、そうですね……91年とか92年ごろ、それが生みだしているはずのもの以上に作品を過剰に飾りたてる習慣から抜けだしたころからだと思います。作為を隠すこと自体が、なくてはならない制作の一部なんです。制作の大部分は、それを隠すことにある。それを殺してしまうために命を与えなくてはならないものがあるわけです。いっている意味がわかってもらえますかね?(笑)

たしかに、最近のあなたの作品を聴く楽しみのひとつに、繰りかえし聴いているうちに、まったく別なものとして聴こえてくるということがありますね。

J:それを聞いて思いだしたことがあります。前にもいったことですが、私にとってすごく大事なことで、いまおっしゃったことに真正面から関係することです。高校生のころ、家から200ヤードくらいのところに映画館があって、毎日のようにかよっているうちに、だんだんとタダでいれてくれるようになったんです。だから本当に毎日かよっていたんですが、そんなかである日、やっぱり映画にいこうとすると、父がいうんです。「あの映画はもう観たじゃないか。なんでまた観にいくんだ?」。そこで私は答えんたです。だいたいこんな意味のことでした。「たくさんのひとが、たとえば1年とかそのくらいの月日をかけて、自分の人生をその映画を作るために捧げているんだよ。2時間でそれが全部理解できるなんてふうに考えるほど傲慢なことはないじゃないか」。映画の素晴らしいところは、たとえばこういうところです。いい映画ほど、その表面にすべてがあらわれることはない。コースのディナーみたいに、なんでもかんでも目の前に給仕してくれるわけではないわけです。見る者が自分から掘りさげる必要があるし、そういった共鳴がなければ機能しないものがそのなかにはある。これはとても大事なことだと思います。時間をかければかけるほど、共鳴する部分は増えていくんですよ。ちょっと馬鹿げた例ですが、若いとき、毎年『裸のランチ』を読んでいて、読みかえすたびに、本についてよりも自分自身について学んでいることに気づいたんです。本が変わるのではなく、自分自身が変わっているのがわかったわけです。いうまでもなく本の内容が変わることはない。書かれてることは以前から変わらないですからね。それもまた若いときの、とても印象ぶかい思い出のひとつですね。

いまのお話はきっと、何かに入りこんでいく自分なりの道を見つけるために、余白になるような部分をもっておくことが大事だという話ともいえるかもしれませんね。私の場合、ボウイに興味をもつまでにものすごく時間がかかったんですが、それは彼のことを「古典的なロック」と決めてかかってしまっていたからでした。だけどそんなレッテルは邪魔なものでしかなかった。ボウイの作品にはとても多くの入り口があって、だんだんと自分にあった入り口がわかっていったんです。

J:わかります。私の場合は、何年か前のキース・ジャレットですね。ECMは大好きで──とくに70年代のECMはずっと聴いてきたものでもあるので、もちろん彼のことは知ってはいましたし、好きだろうなとは思っていて、レコードも聴いてみるべきだと思っていました。それにいうまでもなく彼は、その世界におけるとても優れた人物で、しかもそれは、昨日今日の話ではないですからね。ですが最終的に彼のことがよくわかるようになったのは、本当にこの2、3年なんです……。

わかります。私がいいたいのは、入り口のドアはひとつじゃないということです。たくさんのドアがあって、私は自分自身のドアを見つけなくてはいけなかったわけです。

J:そうですね。きっかけになるようなひとつのドアがあるべきで、一度それを開けてしまえば、ほかのものは関係なくなってしまうんだと思います。それはちょうど……(笑)いやすみません、なんだか急にジェネシスの曲(※おそらく“The Chamber of 32 Doors”のことと思われる)のことを思いだしてしまった、申し訳ない!

ジェネシスの名前を出したからって謝ることはないですよ!

J:いえ、ジェネシスの名前を出したからといって謝るつもりはありません! 私ほどのジェネシス・ファンはそうはいないはずです──もちろん、ピーターが在籍していたころの話ですけどね。『眩惑のブロードウェイ』はいまでもずっと好きなアルバムです。それにしても、昔はジェネシスの名前を出したからって気まずい思いをすることなんてなかったんですけどね。

「ジェネシスの名前を出したからといって謝るつもりはありません!」 いい言葉です。このインタヴューを締めくくるのにぴったりかもしれませんね。どうもありがとうございました!

Marsesura / Uwalmassa / Wahono - ele-king

 ジャカルタの〈DIVISI62〉とデュッセルドルフでドントDJが主宰する〈Diskant〉傘下〈DISK〉の共同リリースとなるガムラン・テクノの4曲入りコンピレーション。ドントDJはキャリアも長く、そう簡単には紹介し切れないプロデューサーで、2016年にソロでリリースしたセカンド・アルバム『Musique Acephale』ではアシッド・ハウスやテクノにガムランを融合させることで新たに注目を浴びた存在。その彼(フローリアン・マイヤー)がその時からインスピレーションを得ていたのか、その後に育まれた縁なのかはわからないけれど、インドネシアでガムランをベースにテクノをつくっている3組をまとめて紹介するのは、ごく自然な成り行きといえる。3組とも男性なのか女性なのかもよくわからんちんですが、逸早くブルックリンのレーベル〈Maddjazz Recordings〉からヒップホップ風のトラックでデビューしていたWahonoと、その WahonoがRMPと組んだMarsesura 、そして、ここでは2曲を提供しているUwalmassaの3組がそれ。ざっくり言えばWahonoとUwalmassaが中心人物なんでしょう。コンピレーションのテーマは都会のスラムとダンドゥットと呼ばれるインドネシアの音楽、そして、シラットという武術だそうです。そう言われても何もイメージできませんが。
 まずはティンバランドのチキチキにガムランとフルートを載せたMarsesuraがオープニング。

 パーカッションだけのゆっくりとした展開から呪術的なムードはばっちしで、続くUwalmassaの“Untitled 10”ともども23スキドゥー『アーバン・ガムラン』(84)を思い出すなと言う方が無理だろう。ドントDJが持ち込んだテクノやアシッド・ハウスの要素はスパッと捨て去られ、あくまでもガムランの音だけで現代的な再構築が試みられている。Bサイドに移って”Untitled 06”ではヴォイス・サンプルも用いられ、シャックルトン式のダブステップに通じるものがあると指摘する声も(なるほど)。最後のWahonoは最も音数が多く、派手に鐘の音が叩き鳴らされる。ストイックなのに快楽的というか。
 カンとベーシック・チャンネルの出会いなどと評されたドントDJのサウンドにはガムランだけでなくアフリカのリズムも聞き取れる。「Animisme」と同時に〈DISK〉からリリースされたバンボウノウ「Parametr Perkusja Ep」はむしろアフリカ寄りで、フレンチ・フライと共にパリからベース・ミュージックの担い手として登場したバンボウノウがいつの間にかアフリカとベース・ミュージックの橋渡し役になっていることに気がつかされる。とくに“Dernier Metro”が「Animisme」に勝るとも劣らないヒプノティックなミックスを聞かせ、ドントDJとの連携にも納得がいく。

 アフリカン・ビートといえば、ラムジーがやはり強力だった。ジョン・ハッセルのレヴューで触れた「ミュージック・フロム・ザ・フォース・ワールド 1983-2017」のコンパイラーでもあるファーガス・クラークがグラスゴーで主宰する〈12th Isle〉はクルー・サーヴィスやパルタなど新たな才能の集積地となりつつあるけれど、とりわけラムジーことフィービー・ギラモトーの5作目『Pèze-Piton』はアフリカン・リズムとハウスを組み合わせたものとしてはなかなか聞き応えのあるものになっていた。名前から察するにケベックのミュージシャンなのか、彼女の叩き出すビートはやはりフランスでアフロ・ハウスを先導してきたアルビノスやブラック・ゾーン・ミス・チャント(ハイ・ウルフ)を踏まえつつ、より複雑に展開させたものに聞こえるし、ふわふわとした質感には独特のものがある。

 アフリカだけでなく、ラムジーの志向はサンバをはじめとするブラジル音楽にも向いているようで、全9曲はとてもバラエティに富んだ作品性を示している(エンディングは中華風)。あるいは80年代のリジー・メルシエ・デクローを思わせる無国籍志向と呼んだ方がいいか。少し前のリリースだけど、せっかくなので併せて紹介しておきたい。
 ドイツのバレエが精神性を重んじた観念的なものに向かい、フランスのそれが官能的な性格を帯びるように、等しくワールド・ミュージックにアプローチしても、ドイツはストイックで、フランスは楽しさを手放さないという対比も興味深いところ。

PROCARE Feat. POSHGOD - ele-king

 梅雨明けはいつになるやら。たまの晴れ間は猛暑だし、基本的にジメジメしてて陰湿な今の季節、外に出るのもおっくうになっちゃいますよね、わかりますよ。いざクラブに足を運んでも、エントランスに置いてた傘をパクられて濡れてタクシー拾うハメになるのなんてゴメンですよね、わかります。だけど、しばらくクラブで踊ってなかったり、イヤホンだけで音楽きいてもフラストレーション溜まっちゃうじゃないですか。だから本ちゃんの梅雨の期間である6月を乗り越えて7月になったらその溜まりに溜まったものを吐き出しにどこかへでかけませんか。
 7月7日、七夕の夜に開催される「PROCARE」と第された本パーティは、Anthony NaplesやButtechnoなんかを東洋化成製ヴァイナルで発売するレーベル「City-2 St. Giga」、原宿の外れに位置する刺繍屋さん「葵産業」が主催。この時点でメジャーな感じが一切香ってこないですが、それがイイですね。
 ラインナップはマイアミを拠点とするCSPGのPX$H6XDことPOSHGOD(Metro Zu! 懐かしい!)に、自称テクノおじさんことみんな大好きワンドリさん(1-Drink aka 石黒景太)、今年8月に日本をあとにするウルトラデラックスなDJ HEALTHYくん、などなど盛りだくさん。
パーティ会場では前述したPOSHGODと1-DRINKの音源を含む全12曲収録のコンピCD『PURE-FESSIONAL』がマーチャンダイズとして販売。Will DimaggioやUon、Khotinを含む全員が未発表音源を提供しているなかなかに豪華な仕様です。帯の文言、アートワークもなかなかダサくて(褒めてます)ついつい手を伸ばしちゃいそうですね。
 ここまで読んだみなさん、パーティのスローガン「安心・安定・安全」を合言葉に重くなった腰をどうにかして、この日は中目黒へ遊びにでかけましょう。

PROCARE Feat. POSHGOD
7月7日土曜日午後10:00

POSHGOD
1-DRINK
DJ HEALTHY
REFUND
KONIDANCE
KOKO MIYAGI

HIBI BLISS x POIPOI
BGKNB
VICK OKADA
NINA UTASHIRO
HIMAWARI

Venue:solfa www.nakameguro-solfa.com
Door:¥2000


PURE-FESSIONAL By PROCARE

Track List
1. Uon - door 2
2. Will DiMaggio - B (Broadcast Mix)
3. Khotin - Mornings ii (Live at New Forms)
4. 1-Drink - Untitled
5. Kareem Kool - Untitled
6. Ko Saito - Squala
7. James Massiah (DJ Escrow) - Twisted ("You're Too High To Leave Now!")
8. James Massiah (DJ Escrow) - Kane (In The Astral Plane)
9. Senmei - Okinawa
10. Konida - Jhetto Re
11. B.Y.M - ?
12. Posh-God - Untitled

試聴
https://soundcloud.com/professionalcare/sets/purefessional

ele-king vol.22 - ele-king

 この勝ち目のない戦いをどう闘っていけばいいんだ? と人は言う。もう無理なんじゃないかと。そんなときはロシアW杯の日本代表を思い出すんだ。識者のほぼ100%が負けると予想していた試合で、2度先制されながら2度追いつき、負けなかった。ドイツとスウェーデンの死闘もそうだったが、最後の最後に何が起きるかわからないというリアルを今回のW 杯は我々にまざまざと見せつけている。

 ぼくたちは音楽を聴く。20世紀後半には音楽のムーヴメントがいくつかあった。そうしたムーヴメントは世界をよりよくしたいと夢想する若者たちが起こした。ぼくたちはムーヴメントなき21世紀を生きながら音楽を聴く。細分化されたトレンドを消費することや趣味の差異化をめぐるマウンティングに高じるか、それは人の自由ではあるが、ひとつ忘れてならないのは、音楽はいまも世界をよりよくしたいと願い、そして、思考を止めていないということだ。
 音楽はいまも考えている。考えに、考えて、おそらく深く考えている。ムーヴメントがあった20世紀以上に。
 紙エレキングvol.22で、ぼくたちはいまの音楽がどれほど深く考えているのかを特集した。OPNはその代表格のひとりだ。そして、OPNやチーノ・アモービのようなアーティストの作品からは、いまどきの現代思想の潮流も引き出すことができる。だからぼくたちは、彼らのような若い世代の作品に影響を与えている思想にまで触手を伸ばしてみた。これはほんの入門編だが、日本のほかの音楽メディアでいっさい触れられていない重要なことを特集した。
 人はよく「最先端」という言葉を気軽に使うが、本当に「最先端」の意味をぼくたちは追求した。紙エレキングVOL.22、本日発売です。ぜひ読んで欲しい。

contents

巻頭写真:塩田正幸

特集1:加速するOPNとアヴァン・ポップの新局面

preface OPNに捧げる序文 (樋口恭介)
interview ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー (三田格/坂本麻里子)
column 私の好きなOPN(佐々木敦、坂本麻里子、河村祐介、八木皓平、松村正人、木津毅、デンシノオト、小林拓音、野田努)

アヴァン・ポップの新局面 ※ポップに実験が必要である理由

interview レティシア・サディエール(ステレオラブ) (イアン・F・マーティン/五井健太郎)
interview ダーティ・プロジェクターズ (木津毅+小林拓音/坂本麻里子)
interview ヤン・セント・ヴァーナー(マウス・オン・マーズ) (三田格/坂本麻里子)
column ホルガー・シューカイ (松山晋也)
column ブライアン・イーノ (小林拓音)
column 坂本龍一 (細田成嗣)
column グレン・ブランカ (松村正人)
column アーサー・ラッセル (野田努)
column 「前衛」と「実験」の違いについて (松村正人)
avant-pop disc guide 40 (三田格、坂本麻里子、デンシノオト)

CUT UP informations & columns ※2018年の上半期の動向を総まとめ

HOUSE(河村祐介)/TECHNO(行松陽介)/BASS MUSIC(飯島直樹)
/HIP HOP(三田格)/POPS(野田努)/FASHION(田口悟史)
/IT(森嶋良子)/FILM(木津毅)/FOOTBALL(野田努)

特集2:アフロフューチャリズム ※黒に閉じないことの意味

column 周縁から到来する非直線系 (髙橋勇人)
interview チーノ・アモービ (髙橋勇人)
column ドレクシアの背後にあるモノ (野田努)
interview クライン (小林拓音/米澤慎太朗)
column 未来を求めて振り返る (山本昭宏)
interview 毛利嘉孝 (野田努+小林拓音)
afrofuturism disc guide 35 (野田努、小林拓音)

REGULARS ※連載!

幸福の含有量 vol. 1 (五所純子)
乱暴詩集 第7回 (水越真紀)
東京のトップ・ボーイ 第1回 (米澤慎太朗)
音楽と政治 第10回 (磯部涼)

 『IDM definitive 1958-2018』のカヴァー・イラストを担当した祟山祟の初の単行本、『恐怖の口が目女』が6月30日、おおかみ書房/リイド社から刊行される。これがまたとんでもなく意味がない、じつにバカバカしくてしょーもない恐怖漫画で、最高だ。
 祟山祟はじつは、90年代のエレキングで一時期連載をしていたこともあるという特異な男で、思春期に電気グルーヴの洗礼を受けてしまった犠牲者のひとりなのだ。『恐怖の口が目女』には、梅図かずお、車田正美、大友克洋、宮崎駿、などなどの昭和の漫画がサンプリング的というかヴェイヴァーウェイヴ的にコーラジュされている。“口が目女”をめぐるナンセンス・サスペンス・ホラーとして描かれた物語には、スピリチュアル・ジャズにも負けないぶっ飛んだエンディングが待っている。
 こんなにもこわくてくだらない漫画を描いた祟山祟、おそるべし。巻末には、彼が尊敬する天久聖一との対談もあり、です。

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フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法 - ele-king

 子どもが死んだというニュースを聞いていると、よく「明るい子だった」とか「リーダー的な存在だった」という説明が続く。「毎朝、元気に挨拶をする子どもだった」とか。「目立たない子だった」とか「普通の子だった」という補足はあまり耳にしない。そういう報道を繰り返し聞いていると「暗い子ども」や「人見知りをする子ども」は死んでも可という価値観が示唆されているような気さえしてくる。しかも、それが死んだ子と同じクラスにいた子どもの耳にも入っているんじゃないかと思うと、セカンド・レイプじゃないけれど、活発でもなければリーダー的な存在でもない子には二重のダメージがあるんじゃないかとまで考えてしまう。いろんな子がいていいし、いた方がいいと思うならば、このような「理想の人間像」があるかのように表現するのはどうだろうかと。死んだ子どもがどんな子どもだったかということは少なくとも公共のニュースで報道する必要はないのではないかと。
『フロリダ・プロジェクト』を観ている間、僕は活発でリーダー的な存在のムーニー(ブッルクリン・キンバリー・プリンス)はこのままいけば絶対に犯罪者になると思って観ていた。6歳という設定のムーニーは同じモーテルで暮らす子どもたちを率いて、毎日、いろんな遊びを考え出す。草木が伸び放題になっている原っぱで。あるいは、観光客が立ち寄るアイスクリーム・ショップで、どうすれば自分にもアイスクリームを買ってもらえるかを思案する。ムーニーたちが住んでいる安モーテルの近くにはディズニーランドがある。隠れホームレス(ヒドゥン・ホームレス)と呼ばれている彼女たちは、もちろんディズニーランドには行ったことがない。アトラクションから上がる歓声なども聞こえない。それどころかひっきりなしにヘリコプターの音が聞こえ、ただでさえ悪い想像をめぐらせやすい僕はヘリコプターが彼女たちの住むモーテルに落ちてくるという結末を頭の片隅に置きながら観ることになった。子どもたちが楽しそうにしていればいるほど悪い予感しか湧き上がってこない作品なのである。薄紫色に塗られたモーテルはとても綺麗な建物に見えるし、フロリダの天気がそもそも悲惨な雰囲気からは縁遠いにもかかわらず。

 「ディズニーランドのそばに住み、しかし、その中で遊ぶことができない子どもたち」。この映画を紹介する文章は大体、そんな風に書いてある。でも、どうだろう。僕が子どもの頃、日本にはディズニーランドはなかった。築地市場の向かいにある国立がんセンターの敷地内に住んでいた僕は都内にしては自然に恵まれた場所で育ったので、子どもの頃の遊びといえばムーニーと同じようなことしかしていなかった。観光客から金をせびるということはなかったけれど、想像力だけで遊んでいたという意味ではムーニーたちとまったく同じで、それが貧しい遊びだったとは思わない。世の中には経済的に裕福でも子どもをディズニーランドには連れて行かないという方針の親もいるし、ディズニーランドで遊ぶことが上だという考え方はむしろ歪んでさえいるといえる。子どもたちは遊ぶ。ただ遊んでいる。これ以上、ストーリーの紹介をしようがない映画なので、抽象的な文章になっているのはわかっているけれど、悪い想像ばかり巡らせながら『フロリダ・プロジェクト』を最後まで観た方は、ラスト85秒で(それこそOPNが言った「ブルーカラー・シュールレアリズム」を強烈に味わい)、しかし、その時にディズニーランドが持つ意味を誤解して捉えやすく、そのせいで「ディズニーランドのそばに住み、しかし、その中で遊ぶことができない子どもたち」という否定的な表現が導かれてしまったのではないかと思う。(以下、ネタバレ)ムーニーとジャンシーはディズニーランドに「行った」のではなく、母親と引き離される社会から「脱出した」と思った方がいいのではないかと僕は思う。ディズニーランドは手の届かない場所として設定されているわけではなく、ある種のシェルターだったのだと。想像力では補えない世界に居続けることはもはや不可能で、そこから逃れられるのであればどこでも良かったのだと。ラスト85秒、観客は誰ひとりとしてムーニーの表情を観ることはない。ムーニーたちは目を丸くしていたのだろうか、それとも無表情だったのだろうか。

 この映画は半年ほど前、本サイトでも通訳などでおなじみ坂本麻里子さんに勧められた。彼女はむしろラスト85秒以外の本編がブルーカラー・シュールレアリズムだろうと言っていた。そして、管理人役のウィレム・デフォーが出てきた時に「あ、これは映画だった」ということを思い出すほど、つくりもの感がなかったという。フロリダには1秒も行ったことがないので、そこは僕にはわからないけれど、デフォーの演技を含め引き込まれ方がハンパなかったことは僕も同じである。子どもたちが逃げ回ってデフォーの足元に隠れるシーンがある。仕事の邪魔をされたデフォーは怒りもしないし、子どもたちが出て行く時に、本当に優しい表情を浮かべる。彼は必要以上に住人たちに寄り添えば、クビになりかねない立場にある。どうにかしたいけれど、何もできない。変質者めいた男がひとり出てくる以外、悪人がひとりもいないことが、この映画を本当に出口のないものにしている。
 日本では目黒で起きた幼児虐待死以降、安倍政権や日本会議が主張する家族像から離れ、必要がある場合には親子でも引き離した方が良いという議論が少しは囁かれるようになった。アメリカでは養育能力がないと判断された親から子どもが取り上げられるというテーマは何度も繰り返され、『フロリダ・プロジェクト』でも同じ結論が示されている。個人が尊重される社会というのはそうならざるを得ないし、『プレシャス』(10)や『ローズ・イン・タイドランド』(06)と同じく、あの子たちは、その後どうなったんだろうと思うばかりである。そして、この先も日本では幼児の虐待死が続くのかなあと。


Mouse On Mars - ele-king

 ボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンとザ・ナショナルのアーロン・デスナーがウィスコンシン州で主宰するフェスティヴァル〈Eaux Claires〉は、実際に行って感じたことだが、非常にDIY的な感覚で貫かれた場だ。大企業よりは地元の顔なじみの企業がスポンサーに入り、集客のためよりはミュージシャン同士の音楽的なネットワークを可視化するためにラインナップを決める。ミュージシャンシップによってジャンルを横断し、大勢の人間や価値観がひとつの場所に集うという感覚――とりわけ、ボン・イヴェールの作品や活動に貫かれているのは、この「シェア」という感覚である。いま、ヴァーノンが音楽仲間たちと取り組んでいるコレクティヴ・プロジェクトの名前はズバリ「PEOPLE」だ。
 「PEOPLE」のラインアップには、そして、ヤン・ヴァーナーとアンディ・トマの名前もある。マウス・オン・マーズのオリジナル・アルバムとしては6年ぶり、通算11作めとなる『ディメンショナル・ピープル』は、彼らが〈Eaux Claires〉に参加した経験がかなりの部分で基になっている作品だ。大勢のゲストが参加しているという点ではコンピレーション作『21アゲイン』(14)の発想を推し進めていると言えるが、同作がモードセレクターはじめ基本的にエレクトロニック・ミュージック系のネットワークを駆使していたことに比べると、『ディメンショナル・ピープル』に現れるメンツはジャンル的に非常に多彩。ボン・イヴェール、ザ・ナショナルはもちろんのこと、サム・アミドン、ベイルート、リサ・ハニガンといったインディ・ロック/フォーク勢をはじめとして、スパンク・ロックやアマンダ・ブランク、さらには超大御所ソウル・シンガーであるスワンプ・ドッグといった意外なメンツはすべて、〈Eaux Claires〉に由来している。そしてまた、コンセプトが社会主義だというのも……ボン・イヴェールが社会主義者とまでは思わないが、「民主社会主義」を繰り返し唱えていたバーニー・サンダースの演説大会の前説をヴァーノンが担当していたことを思えば、そう遠くないと言えるだろう。少なくとも、「シェア」という感覚こそが本作のもっとも重要なテーゼである。

 アルバムはそのヴァーノンが参加し、パート1~3で構成されるタイトル・トラック“Dimensional People”から始まる。ジューク/フットワークを意識したと思われるビートがせわしなく跳ねまわるが、ジューク/フットワークではない。フリージャズとダブ、アフロビートがたっぷりと注がれたすさまじくファンキーなIDMであり、それはやがてアンビエントへと姿を変えていく。このトラックがよく本作のモードを表していて、前作『パラストロフィックス』のエレクトロニックな質感に比べてオーガニックな音色とジャンルの積極的な衝突/融合が特徴だ。管弦楽器のアンサンブルや人声が要所で施され、大勢の人間がひとつの部屋にいる情景が何度も喚起される。IDMとポスト・ロックの交流に熱があった2000年前後の空気が、現代的に更新されていると言えばいいだろうか。久しぶりの〈スリル・ジョッキー〉作だというのも本作のトピックだ。
 雑多な人間によるアンサンブルという点では発想的にボン・イヴェールと共通しているのだが、やはりというか何というか、もっとも異なるのはマウス・オン・マーズらしい素っ頓狂なユーモアが張り巡らされていることである。やる気が感じられない脱力しきったアブストラクト・ヒップホップ“Foul Mouth”、カントリー・ドローンとでも呼びたくなる“Parliament Of Aliens”、パーカッシヴでつんのめるグルーヴが躍動するメタ・ファンク“Daylight”と、爆笑ではなく思わず小さく噴き出してしまう妙ちくりんなトラックが並ぶ。きめ細かさもあるが、それを崩す余裕もある。このおかしなサウンドはマウス・オン・マーズが開発したというアプリであるElastic DrumsやfluXpadが駆使されてできたものだそうだが、テクノロジーを理知的に利用するというよりは、ただおもしろがって遊んでいるといった感じだ。実際、ヴァーノンはじめ本作に参加したメンバーがアプリで遊ぶ動画がいくつか公開されているが、みんな純粋に楽しそうだ。子どものように音を変形させ、笑っている。

 紙ele-king vol.22に掲載されたヤン・ヴァーナーの発言を読めば、彼らが真剣に社会主義の発想を現代に生かせないか、と考えたことがわかる。資本や富を分かち合うこと、対話すること、多様な価値観を認め合うこと。OPNの『エイジ・オブ』がアンチ・ヒューマニズム的な見解からエレクトロニック・ミュージックの更新を(ある意味、トレンディに)目論んでいるとすれば、マウス・オン・マーズのIDMは頑なにヒューマニズムを貫こうとしている。だがそれは頑固とはほど遠い柔軟なもので、大勢の人間のアンサンブルの目標を(予定)調和に予め設定してしまうのではなく、偶発性や事故を能動的に楽しもうとする態度である。多様性とはそういうことなのだ、と。ベイルートのザック・コンドンとスワンプ・ドッグが参加したなかばドリーミーなクロージング・トラック“Sidney In A Cup”のピースフルな音の戯れを聴いていると、ここにマウス・オン・マーズの最新の理想主義が示されているように思えてくる。


TOKYO CUTTING EDGE vol.02 - ele-king

 avex内のレーベル、cutting edge主催のイヴェント『TOKYO CUTTING EDGE vol.02』に、Chim↑Pomがインスタレーションで参加する。また、TOKYO GIRLS COLLECTIONなどの会場装飾を手がけるバルーンアーティスト・Bashicoが場内のディスプレイを担当する事が発表された。
 おっと、ちなみに出演者は、長岡亮介、SHINICHI OSAWA (MONDO GROSSO)、WONKに加えて、 jan and naomi やEYEの名の加わっています。金曜日の夜の贅沢な一夜になりそう。

TOKYO CUTTING EDGE vol.02

【日時・会場】
2018年7月6日(金曜日)  LIQUIDROOM
開場/開演 24:00 ~ 終演 28:30予定

【出演】
LIVE:長岡亮介 / jan and naomi / WONK
DJ:SHINICHI OSAWA (MONDO GROSSO) / EYE (BOREDOMS) / AYASHIGE (wrench)
Installation:Chim↑Pom
Balloon Display:Bashico

【チケット】
 一般発売
 2018年5月31日(木)10:00~
 Yahoo!チケット https://r.y-tickets.jp/tce1802
 チケットぴあ https://w.pia.jp/t/tokyocuttingedge/
 イープラス https://eplus.jp/tce2/
 ローソンチケット https://l-tike.com/tokyocuttingedge02-lawson/


*年齢制限
 ※本公演は深夜公演のため20歳未満の方のご入場はお断り致します。 本人及び年齢確認のため、ご入場時に顔写真付きの身分証明書(免許書/パスポート/顔写真付き住民基本台帳カード/顔写真付きマイナンバーカード/在留カード/特別永住者証明書/顔写真付き社員証/顔写真付き学生証)をご提示いただきます。身分証をご提示頂けない場合は、前売りチケットをお持ちの方でもご入場頂けませんのでご注意下さい。
※全てコピー・画像及び期限切れは不可。
※身分証をご掲示頂けず、ご入場出来ない場合であっても、チケット代の払い戻しは一切致しません。
https://cuttingedge-tokyo.jp/
info
LIQUIDROOM 03(5464)0800

COSMIC TEMPLE - ele-king

最高にクールなリズム・セクションを紹介させてくれ。
ジャズ、テクノ、ダブ、ヒップホップ、なにを載せてもびくともせず、猛烈に疾走するグルーヴ・エンジン。
窓の外には一瞬先の未来がかいま見える。

扉が開いた。なにかを掘り当てちゃった感じがする。
コズミック・テンプルのふたりがどうやってこの扉を開く鍵を見つけたのかはわからない。
だが、彼らはおのれの力で鍵を探り当て、扉を開いた。
とめどなく奔流のように流れるクリエイティヴなエネルギー。

クリエイションとは一瞬先の未来をかいま見ること。
すべては人生のすべてを賭けた壮大な洒落でもあり真剣勝負でもある。

心の奥深いところに入ってきてスイッチを入れてくれる。
自分のなかにまだ美しいものがたくさんあったなって気づかせてくれる。

コズミック・テンプル!

色即是空、空即是色。
お釈迦様も須弥山のサイファーでスティック片手にウインクしてるぜ、きっと。
(春日正信)

quasimodeのリズム・セクション、須長和広と今泉総之輔による「コズミック・テンプル」が7月4日に1stアルバム『TEMPLE and TREE means like a COSMIC』をリリースします。
6月26日にはApple MusicとSpotifyでアルバム先行配信開始。同日、渋谷Milky wayでライヴを行います。

Apple Music
https://itunes.apple.com/jp/album/1393926634

■リンク(Spotify)
Spotify

■配信ライヴ情報
7月4日のリリース当日には、全世界に向けてライヴ中継を配信します。

■アルバム情報

COSMIC TEMPLE
TEMPLE and TREE means like a COSMIC
Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXGS4N3

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