「Dom」と一致するもの

Ryuichi Sakamoto + Taylor Deupree - ele-king

 坂本龍一とテイラー・デュプリーのデュオ・アルバムである。そう書くだけで、とても重要な出来事に思えてくる。カールステン・ニコライ、クリスチャン・フェネス、クリストファー・ウィリッツなど、エレクトロニカ/電子音響において、00年代を通じてエレクトロニカ・アーティストとコラボレーションを繰り広げてきた坂本龍一にとって、最後のピースとでも言うべき人物がこのテイラー・デュプリーであった。
 もっともデュプリーは坂本龍一の『キャズム』(2004)のリミックス盤『ブリコラージュ』への参加、坂本は、〈12k〉からリリースされたソロアンダーダの楽曲"コラール(ルック・フォー・ミー・ヒア)"(2009)のリミックスなど、00年代を通じて単発的な仕事の交流はあった。そのうえ一般リスナーの間にも坂本とデュプリーの交流は伝わっていたし、ファンは、いつの日が完全なコラボレーションが実現するだろうと思っていたはず。
 そんな10年以上に及ぶ邂逅を経て、この夏、遂に発表されたふたりのデュオ・アルバム『ディスアピアランス』を聴き、わたしは、ある重要な変化を聴きとることになった。ひとつは坂本龍一のピアノの音色の変化、もうひとつはデュプリーの音響の変化である。
 このアルバムにおいて、坂本のピアノは単音の美しさが際立っているように思えた。坂本龍一のピアノ(の和声)は、もはや「サカモトコード」とでも言ってもいいほどに独自の感覚が横溢しているが、この作品においてはまるで硬質な音の粒/点のように響いているのだ。エレクトロニクスのレイヤーにおいては、ピアノは、和声よりも、単音のほうが美しく響くといわんばかりに、である。近年、坂本龍一はプリペアド奏法を駆使するなど、インプロヴァイザー的な演奏が増えているのだが、このデュプリーとの演奏(この作品の元はふたりのリハーサル音源だという)において、坂本龍一はどこかプリペアド的な響きを、鍵盤上のピアノの響きに持ち込んでいるように思えた。その硬く、そして柔らかく、透明で、同時にくすんだピアノの、単音、の響きは、美しい。
 テイラー・デュプリーの音響にも、ある変化があった。デュプリーのソロ最新作『フェイント』(2012)に満ちていた午睡のまどろみのようなサウンドだけではなく、硬い木々が水の中でぶつかるような、もしくは氷とガラスの光の反響のような音響がトラック全体に密やかに(あるいは大胆に?)鳴り響いているのである。世界の静寂に耳を澄ますと、さまざまな音/響のざわめきが耳の前に立ちはだかってくる、そのように感じられる音響だ。柔らかさだけではなく、微かな緊張が蠢いている。個人的には近年のデュプリー・ワークスのなかでもベストだと思う。
 そして、アルバム最後の楽曲"カール・トゥ・ミー"において、青葉市子の「心音」がこの音響空間に導入される。まるで比較的早めのBPMのビートのようなその鼓動は、クリスタルな坂本のピアノと深遠/繊細なデュプリーの音響の空間の中心に、しなやかに侵入してくる。人と人から、人と人と人の関係へ。2人から3人へ。異質な他人が、バラバラのまま存在し、距離を保ったまま、調和を実現する瞬間の安らぎ(不協和ですらも、だ)。異質であることが、排除に結びつかない理想的な音楽の共有空間。ザワメキと沈黙。持続と円環。世界の音と人の心臓の音。まさにエレクトロニカ・フィールドに導入されたジョン・ケージ美学を音響化したかのような楽曲=音響=演奏である。
 
 わたしは、このアルバム名を見たとき、坂本龍一の最初の録音作品である坂本龍一+土取利行『ディスアポイントメント・ハテルマ』を思い出した。現在、世界的な作曲家ともいえる坂本龍一は、そのレコード・デビュー時から即興演奏家でもあったとはいえないか。近年、海外のエレクトロニカ・アーティストとのコラボレーションからも、その即興演奏家としての息吹を聴きとれるだろう。わたしには『ディスアピアランス』と『ディアポイント・ハテルマ』は見事に円環をなしているように思えてならない。フリー・インプロヴィゼーションから電子音楽に。電子音楽から電子音響へ。本作は、インプロヴァイザーとしての坂本龍一、電子音楽家としての坂本龍一という、坂本のビハインド・ザ・マスクが垣間見える作品でもある。
 同時に、デュプリーや00年代エレクトロニカが、(結果として)「ケージ美学」を導入していくことで生成したアンビエント/ドローンな音響空間の、そのほとんど最後の響きのように思えた。それは心地よさに耽溺するだけではなく、沈黙の果てにある緊張感をも内包するに至ったから、とは言い過ぎだろうか。

 そう、このアルバムを最後にドローン/アンビエントは、再び冥界に入っていく。わたしたちは、そろそろ「美学」ではなく、アンビエントの先にある本当の沈黙を聴かなければならない時期に差し掛かっているのではないか。だからこそ、密やかな音のザワメキに満ちたこのアルバムに封じ込められた「沈黙」の、そのむこう側にそっと耳を澄ましたい。

Detroit Report - ele-king

 わたしにとって幼少期に聞いた「音楽」という記憶は「ポンキッキーズ」のことだ。まだ柔らかい心の芯に毎日刷り込まれたあのポップ・ミュージックは、いまでも簡単に口ずさめてしまう。デトロイトではそんなポンキッキーズな年齢の子供たちが、テクノやハウス・ミュージックを楽しめるイヴェントが存在している。気になっていたこのイヴェントにやっと今年行くことができたので、レポートしようと思います。

 デトロイトのミュージック・フェスティヴァルといえば、5月に開催される〈ムーヴメント〉がある。これは世界的にも有名なミュージック・フェスティヴァルだが、毎年夏に同じくデトロイトで〈バックパック・ミュージック・フェスティヴァル〉というものがひっそりと開催されている。今年は8月3日に開催され、8回目を迎えた。このミュージック・フェスティヴァルは「成功するための基礎がない上では、子供の成功はない」という考えのもとスタートした、親子で一緒に楽しむことができる音楽イヴェントだ。
 イヴェントの中心にいるのは子供たち。その子供たちの成長の手助けをするために、来場者は入場料として20ドル程の募金をするか、子供用バックパック(日本でいう、リュックサック)を寄付として持ってくる。つまり、このイヴェントの最終目的は、集めた募金なども使用し、学習環境が整っていない子供たちにバックパックや学用品などをいき渡らせること。
 もちろんアーティストもボランティアでの出演で、今年のラインナップは、ホアン・アトキンス、エディ・フォークス、テレンス・パーカー、アルトン・ミュラー、ジェイ・ダニエル、そして、デトロイト・テクノ・ミリティア。昨年は、デリック・メイやギャラクシー2ギャラクシー、タイムライン、リック・ウィルハイトなども出演、そこにローカルDJも加わって現地ならではの豪華な内容だった。

 開催場所のデトロイトのBelle Isle Parkは自然博物館や湖もある外周を車で20分程の島、会場となっていた広場の横の川でも居合わせた釣り人は終日退屈そうに揺れる波紋を見つめていた。
 エントランスにて日本で購入してきたバックパックを渡し会場内に入ると、オープン直後だったのでまだ客は20名程しかいない???。ブースはふたつに別れている。それぞれのタイムテーブルを見ながらどういった行動にしようか考えていると、オープニングアクトのDJ Headはいきなり子供抱いて登場(!)。左手に子供、右手でEQと、まだ眠気も覚めない朝10時の豪快な姿にこれが本当のデトロイト・アンダーグラウンドなのか......と思いながら芝生に座り、無料で配られていた朝ご飯のパンケーキをかじった。
 1時間づつ約総勢30名程のアーティストが出演し、音楽以外にも子供が楽しめるように、大きなトランポリンやお絵描き教室、フェイス・ペインティングなどのアクティビティが多数用意されている。早い時間帯はやはり家族連れが多く、父親のDJプレイを聞いたり芝生を駆け回ったり、夢に身を委ねているかのようなただただ穏やかな時間が流れていた。
 歴代のデトロイトテクノのアートワークを担当しているHAQQもこの日は子供と一緒に来場、DJブースから少し離れた、涼やかな風が抜ける木の下でライヴ・ペインティングを行っていた。キャンバスに、HAQQの娘がバックパックを背負っている絵が描かれていく。わたしはその横で、向こうに響くベースラインに耳を傾けながら、HAQQの子供ふたりを相手にキャッチボールをするというなんとも平和的な時間を過ごした。毎年まとまった休みも取れず、たいした夏の記憶もないわたしは、この絵に描いたような「夏休み」に、ここ数年の空費した夏を取り返した気になった。

 客層は幅広く、なかには傘寿のお祝いを迎えているであろうおばあちゃんもいらっしゃっていた。毎年、自ら車を運転をして会場まで遊びにきているというそのおばあちゃんは、ステッカーだらけの車イスに乗り、まるで赤子と優しく会話をしているかのように音楽を聞いている。そしてムーディーマンの"Shades of Jae"がかかった途端、車いすから立ち上がって拳を振り上げた! その瞬間、オーディエンスは一体となり、嬉々たる空気に満たされた。こうゆう瞬間があるから、わたしはクラブ・ミュージックが好きでたまらない。
 とくに楽しみにしていたアーティストはジェイ・ダニエル、そして自らのレーベルからレコードもリリースしているデトロイト・テクノ・ミリシア。ジェフ・ミルズに影響を受けたという彼らは一昨年の〈ムーヴメント〉では5人で5台のターンテーブルを使用していたが、この日はふたりで4台ターンテーブルを駆使し、次から次へとミックスされる率直なハード・テクノでオーディエンスを魅了した。
 だんだんと空に紫色のグラデーションかかり、湿度が上がって子供たちはいなくなった頃、大人たちはシカゴの女性DJ、CZ Boogieの野性的なプレイに歓声を上げ、ダン・ハートマンの"Relight My Fire"で合唱。そして、このブースのトリのテレンス・パーカーに後ろ髪をひかれつつ、わたしはホアン・アトキンスに向かった。ホアン・アトキンスはクラシックなシカゴ・ハウスを連発しイヴェントは幕を閉じた。

 このイヴェントにはドラッグはもちろんだが、アルコールの販売すらない(水すら売っていないというのには少々驚いたが)。運営自体も各自のサポートとDIY精神によりどうにか成り立っている感じだ。それでも、この街で生まれた音楽を愛し、こうやって子供たちのためにたくさんのアーティストが集まり、そこに純粋に音楽を求めて良質なオーディエンスが集まる。とてもシンプルなことだけれど、ナチュラルにできてしまうデトロイトのシーンに羨望した1日だった。

 以下はこのイヴェントのオーガナイザー、Judy Sheltonのインタヴューです。このイヴェントについていろいろお話を伺いました。どうぞ!

バックパックを持たずにペンや本などを手に持っていたり、スーパーの袋に入れて持ち歩いて登校している子供たちを見かけたことが全てのはじまりでした。それを見て、私自身も何ができるだろうと考えはじめて、このイヴェントのアイディアが浮かびました。はじめにデリック・メイにこの話をしたら、彼は快諾しこのイヴェントの第一人目のスポンサーとなってくれました。

開催目的を詳しく教えていただきますか?

Judy Shelton(JS):私たちが実施している、学校の子供たちを観察するプログラムで、バックパックを持たずにペンや本などを手に持っていたり、スーパーの袋に入れて持ち歩いて登校している子供たちを見かけたことが全てのはじまりでした。それを見て、私自身も何ができるだろうと考えはじめて、このイヴェントのアイディアが浮かびました。はじめにデリック・メイにこの話をしたら、彼は快諾しこのイヴェントの第一人目のスポンサーとなってくれました。当初のイヴェントは〈デトロイト・ハウス・ミュージック・ピクニック〉という名前の通り、「バックパックや学用品などを持ち寄ってピクニックに来て音楽を楽しもう」というような、とても親しみやすい内容のもので、ゲストを招きいれる形でスタートしました。
 それから1年のあいだにデトロイトの経済はさらに悪化して、多くの人が失業してしまいました。以前イヴェントに学用品などを寄付してくれていた人たちが、いまは助けを必要とする側になっているんです。昨年、2012年は、いままでにないかたちで次のステージへとイヴェントを前進させ、URと協力して〈バックパック・ミュージック・フェスティヴァル〉の開催を迎えました。ここにたどり着くまでの長年のあいだ、つねにデリック・メイ、ケヴィン・サンダーソン、ジェフ・ミルズらともさまざまなことに取り組んできました。彼らは活動資金を募る架け橋としても協力をしてくれて、確実に子供たちにバックパックや学用品にいき届くようにしたのです。私たちは8つの機関と提携していてるのですが、そのうちのひとつのミシガン大学がおこなっているキッズキャンプにいるのは、身寄りのない子供や何らかの問題を抱えている子供たちです。彼らにもバックパック、学用品など必要なものがいき届くように取り組んでいます。 

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デトロイトでは、子供たちがアートに触れる機会がなくなってしまっているのが現状です。子供たちにテクノやハウスが好きになってもらえるような機会をつくっています。ヒップホップ色が強いものは、デトロイト・ヒップホップという感じで。シカゴ・ハウスも子供たちに好かれています。

通常の音楽イヴェントのように大人だけの入場にして、募金を集めたりするにするなどさまざまな方法があったと思いますが、子供も一緒に楽しめるようにしたのはなぜなのでしょうか?

JS:子供たちが親とイヴェントに遊びにきて楽しい時間を過ごし、そしてその中で募金を募り、学用品などが必要としてる子供たちの元に届くというものにしたかったのです。
 このイヴェントの一番の目的は、わたしたちの子供たちの未来に目を向けることです。毎年、イヴェントの主旨は変わっていませんが、今年は更に子供たちとイヴェントがより深く関わることができるようにすることが目標でした。そこで今年は〈サンライズ・ブレックファースト〉を開き、子供たちは朝8時~10時のあいだ、無料で朝食を食べれるようにし、その代わりに親たちにはイヴェントに10ドルの募金をしてもらうという形にしました。
 その他、より楽しめるようにアトラクションを多く盛り込みました。大きなトランポリン、フェイス・ペインティング、3Dピクチャー、子供たち向けのアートセラピー、他にはミュージックタイムという子供たちが音楽をつくる広場も設けたりもしました。

デトロイトにはテクノの他にもたくさんの素晴らしい音楽文化がありますが、 なぜテクノやハウスのアーティストがメインのイヴェントにしようとしたのでしょうか?

JS:私が育った背景と深く関係しているんですが、デリック・メイとは私が13~14歳からの交友関係で、当時〈KS〉というクラブがあったのですが、そこで長年プロモーターとして多くのパーティを一緒に開催していました。私にとって音楽は自分自身の大切な一部で、それは昔もいまも変わっていません。その自分が大切にしてきた音楽、子供たちへの愛、長年友好関係を築いてきた仲間たち──全てを合わせたときに、自然な流れでいまの活動のかたちができていったのです。

デトロイトの子供たちを取り巻く現在の状況で、感じていることがあれば教えてください。

JS:Eメールやフェイスブックを通して、デトロイトの経済破綻がどのようにイヴェントへの影響するかと懸念するメッセージがいろいろな人から届きました。そこで私自身もイヴェントにどのような影響があるかと考えてみたのですが、「イヴェントには影響するかしら? いや、何も影響しないんじゃないか」と思ったんです。出た答えとして、「デトロイトの経済が降下していく」=「デトロイトの子供たちが降下していく」ということではないということです。
 私たちにはコミュニティがあって、その支え合って生きている人びとの集まりが子供たちにはついていることを知っています。経済が破綻して現状は決していいものではありません。しかし、どんなときでも、立ち直る過程の前には、厳しい状況に直面することは避けられません。いまデトロイトは厳しい状況に直面していますが、デトロイトには素晴らしい人びとがいます。多くの才能を持った人たちを輩出しています。音楽面でもモータウン、テクノが生まれた場所なのです。自分らの大切なものが何かを見つめて、自分たちがもつこのコミュニティで何ができるかと問いかけながら前向きに進んで行けば、未来は必ず良い方向に向かうと確信しています。

デトロイトの子供たちは音楽が好きだと感じますか?

JS:ええ、もちろん! デトロイトの子供たちは音楽が大好きです。子供たちにテクノやハウスが好きになってもらえるような機会をつくっています。ヒップホップ色が強いものは、デトロイト・ヒップホップという感じで。シカゴ・ハウスも子供たちに好かれています。デトロイトでは、子供たちがアートに触れる機会がなくなってしまっているのが現状です。学校では音楽や絵を描ける、そんな普通の授業もなくなっています。なので、私たちは、アートセラピーを設けたりして、子供たちにアートと繋がる機会をつくってあげています。なかにはカール・クレイグの財団が音楽を教えているもの、マイク・ハッカビーが音楽制作を教えるなどさまざまな活動があります。

募金を集めていますが、集めた募金は具体的に何に使用されるのでしょうか?

JS:バッグパックの購入やペンや紙、クレヨン、のり、などの学用品です。私たちの活動は、幼稚園から高校までのあいだの子供たちが対象ですが、家のない子供たちや身寄りのない子供たちはもっと高い年齢の場合もあります。その子供たちのためにも必要な物を購入するのに使用します。他には、活動のなかで実施している読み書きのプログラムのために使用しています。子供たちが読書する機会が減っていることから、このプログラムを今年スタートさせました。必ずしも学校で読んでいるような本だけを購入して読ませるのではなく、彼らが読みたいと思った本から読みはじめてもらっています。これに関しては、イヴェントに来る人びとにも寄付してもらえる本を持ち寄ってもらったりもしています。

これだけデトロイトのアーティストが集まると、アーティスト同士の交流の場所にもなりそうですね。

JS:出演するアーティストはボランティアで彼らの時間を提供していて、ひとつのコミュニティとして私たちの子供たちのために、アートのためにみんなが協力してイヴェントが成り立っています。これらがこのイヴェントを特別なものにしているのです。こんなにアーティストが集まって、しかも無償でプレイするなんて不思議だ! と驚く声をききますが、自分たちのコミュニティをサポートするという目的のもとアーティストたちが集まって参加しているのです。ケニー・ラーキン、ジョン・ディクソン、テレンス・パーカーなどたくさんのアーティストがイヴェントに参加してプレイしています。世界をツアーしているアーティストも、こうしてホームタウンのデトロイトに戻ってきて参加してくれているのです。アーティスト同士も知り合いで、昨年はシカゴからウェイン・ウィリアムズもイヴェントに参加してくれました。

今後どのようなイヴェントにしていきたいと考えていますか?

JS:私たちの今年のゴールはバックパックを3000人分、学用品を5000人分にのばすこと、私たちが取り組んでいるプログラムの子供たちに必要な学用品が行き届き、さらに他の子供たちへもいき届くようにすることです。

Blastro - ele-king

 「良いライヴハウス」の条件というのは色々あるだろうけども、最近は「店ブッキングが面白い」というのが重要なんじゃないかと思うに至った。

 ご存知の方も多いと思うがライヴハウスのブッキングには大きく分けて2種類ある。所謂「企画」と「店ブッキング」で、前者はオーガナイザー(自身が出演者であることもあるし、純粋にオーガナイズに徹することもある)が店を借り、出演者を集めて開催するというもので、週末のパーティなんかはこちらが多い。
 対して後者はライヴハウスのスタッフがブッキングするもの。往々にして平日の空白を埋めて出演バンドにノルマを課すことだけが目的で、組み合わせについても相性もへったくれもない出鱈目だ、みたいな非難を浴びることが多い。まあそういう店が多いのも事実なんだろう。
 とはいえ例えば〈四ツ谷アウトブレイク〉なんかも突拍子もない企画(最近ではガムテープの寺岡とのコラボTシャツ制作とか、茹で卵食べ放題とか)が目を惹く反面、バンドへの理解あるブッキングができるスタッフを揃えているという前提があってのものだ。でもって、平日ブッキングが熱いと以前から思っているのがハードコアシーンの聖地、〈新大久保EARTHDOM〉である。

 「大久保くんはアングラだからね」とは野田編集長の弁で、まあたしかにぼくは客が10人くらいの平日のライヴハウスに喜々として通っているようなタイプではある。知ってるバンド/好きなバンドが複数出ていて、知らないバンドもちょっとは含まれている、というようなバランスが好きで、平日の〈EARTHDOM〉では知らないバンドにガツンとやられることがとても多い。ここ数年でもレッドスキンズ、カルキ、ウラジオストック・パワー・ジェノサイド、ガラクタ等々、世間ではほとんど知られていない数々の名バンドに出会ってきた(知らないでしょ?)。

 そんな中でも昨年最大の衝撃だったのがブラストロだ。マシンガンTVのギターで現在はビデカズ2のMiyano、ジャパノイズを代表するバンドのひとつであったC.C.C.C.のメンバーで現在は個人名義やASTRO、C.C.といったユニットで世界を飛び回るノイズ・エレクトロニクス奏者Hiroshi Hasegawa、そして「速けりゃいいんだよクソッタレ」というキャッチコピーを掲げたDie You Bastard!をはじめとする数々のバンドやノイズ系インプロヴィゼーションなどで強烈に速いブラストビートを叩き出すスーパー・ドラマー、Ironfist辰嶋の3人という、ある種のスーパーバンドである。
 もともとノイズとハードコアはそのアグレッションから相性がいいようで、死ぬほど歪んだギターによるノイズ・コア(カオスUKとか)や、ノイズバンドとハードコアバンドの合体セッション(S.O.B.階段とか)、ノイズ担当者をメンバーに含むハードコアバンド(ゴア・ビヨンド・ネクロプシーとか)など様々な形態が過去にも存在するが、ブラストロによりその決定版と言える一手が打たれたと言っていい。
 要するにひたすら速いブラストビートにものすごい爆音ノイズが被さるというシンプルというか「出オチ」みたいなコンセプトなのだが(バンド名からして駄洒落みたいなもんだし)、ノイズの強烈さもドラムの速さもその筋の頂点と言える面々によるものであり、しかもぼくは初ライブ以降かなりの回数を観てるのだが「出オチ」に留まることなく観るたびに凄みを増している。

 あまりの爆音にハードディスクが振動でやられたりして録音も難航を極めたようなのだが、ついにファースト・アルバムが完成。2回の録音失敗を経た上で〈EARTHDOM〉でのライヴ演奏をまるごと収録し、ルインズの吉田達也によるマスタリングが施されている。
 実際、この録音がされたライヴはぼくも観ているはずなのだけど、印象が全然違うので驚いた。音塊が振動となって物理的にぶつかってくるようなライヴ体験とはまた違い、壮絶な爆音ながらも細部に注意の行き届いた電子音響の面白さが堪能できる。
 Miyanoは数台のカシオトーンを斜めに立てて固定しワウなどをかませたりしたセット、Hasegawaは発信機、アナログシンセなどの電子音に鉄板などを組み合わせる。ライヴではダマになってしまいがちなところがクリアーに記録されているので30分ノンストップでも変化に富んでおりダレるところがない。
 そして何と言っても聞き所はドラムですよ。イントロのスネア一発の後、一気にマシーンのような怒涛のブラストビートに雪崩込み、軽くビートダウンしたパートを挟んだ後に更に速くなる! トータル30分強のうち最後の7分くらいが特に速いとかもう笑うしかないですよ。くどいようだがライヴ録音ですからね。

 ちなみにリリース元は大友良英作品の数々やジャズ/インプロヴィゼーション系の作品をリリースする一方でJAZZ非常階段やボルビトマグース関連のユニットなどでも知られる〈ダウト・ミュージック〉。別なバンドを観に〈EARTHDOM〉に訪れた沼田社長が彼らの初ライヴを観て一発で惚れ込みリリースが決定したという次第。ふらっと行っていきなりこんなバンドにガツンと不意打ちされるのが良いライヴハウスってものなのである。


2013.9.18(wed) @新大久保Earthdom
w/Galaxy Express 666、マニアオルガン、カルキ、アダア

2013.10.11(fri)@東高円寺二万電圧
w/ Napalm Death Is Dead、ZENANDS GOTS、O.G.D.、西之カオティック


空気公団
青い花

ランティス

Interview Amazon iTunes

 「きみがい てー よかあ った......」と独特のフレージングで歌い出される空気公団の“青い花”。2009年にアニメ化された同名マンガ作品『青い花』(志村貴子原作)のオープニング・テーマとして、空気公団に依頼された曲である。
 あの「い」と「て」のあいだを、幼い恋の思いが、あるいは若い心の持つ切なさや痛みややさしさや傲慢が、花弁のかたちをして流れ飛んでいくように感じられるのは、山崎ゆかりのマジックや詩性によるものなのか、『青い花』の作品世界に引かれたイメージなのか。それを判別することが難しいくらい、同曲は、空気公団にも作品のテーマにもしっくりと寄り添い、かえがたい存在感をもって両者の世界を広げる名作だ。

 さて、この『青い花』ゆかりの鎌倉文学館で、空気公団のライヴが行われる模様だ。少女たちの内面を延長するように描かれた情感豊かな鎌倉の風景。その中心には、この文学館をモデルにした、少女たちの通う女学院があった。旧前田侯爵家の鎌倉別邸として建築された美しい洋館(アールデコに和風様式が取り入れられている)で空気公団の音と風とを楽しみたい。

■空気公団 ライヴ情報

人気アニメ『青い花』ゆかりの地、鎌倉文学館でのライブが実現!

名作として誉れ高い人気TVアニメ『青い花』(原作:志村貴子)がBlu-ray BOXとして9/6に発売されたが、オープニング主題歌を担当した空気公団が、物語のキー・ヴィジュアル“藤が谷女学院”のモデルになった鎌倉文学館でライヴを開催することが決定した!

会場となる鎌倉文学館は、国の登録有形文化財にもなっている西洋館で、広大な庭園と美しいバラ園があり、湘南の海が一望できる。そんな絶景の中庭でのライヴには、入館料(一般400円、小・中学生200円)のみで参加することができる。

なお、このライヴは、江の島を中心とした江ノ電沿線エリア全域を舞台に展開される体感型フェスティバル〈江ノフェス〉(9/15(土)~11/11(日)開催)の一環として開催される。

貴重で贅沢なライヴを是非お見逃し無く!

公演日 : 10月19日(土)
開演 : 13:00(~1時間程)
料金 : 鎌倉文学館:入館料のみ(一般400円、小・中学生200円)
 
会場 : 鎌倉文学館
神奈川県鎌倉市長谷1-5-3 
TEL:0467-23-3911
鎌倉文学館 https://www.kamakurabungaku.com/
 
会場アクセス :
JR横須賀線 東京駅~鎌倉駅(所要時間-約55分)
→JR鎌倉駅より江ノ電に乗換「由比ヶ浜駅」下車(徒歩7分
→JR・小田急 藤沢駅より江ノ電に乗換「由比ヶ浜駅」下車(徒歩7分)
※駐車場はございませんので、お近くのパーキングをご利用下さい。
 
Info
空気公団オフィシャル・サイト: https://www.kukikodan.com/
江ノフェス2013 : https://www.enofes.com/

CD情報
『青い花』 空気公団
CD品番:LASM-4021
2,000円(税込価格)
4曲入りミニアルバム
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アニメ『青い花』Blu-ray BOXAmazon


Arctic Monkeys - ele-king

 アークティック・モンキーズの5作目『AM』を聴くと、「これこそいまのロックだ」という声をあげてしまう。ロックなんて言葉は、完全に死語なんですけどね。
 オルタナティヴという言葉が使われだしたときに、ロックは元気を取り戻したんですけど、それももう20年以上前の話です。
 ロックンロールがロックと呼ばれるようになったのは、ロックンロールが政治性、メッセージを帯びたときのことだと僕は思っている。調べてないので、正確な日付けはわからないのですが、68年とか69年のことだと思います。あの頃ですよ。僕が予想するにザ・フーの『トミー』というアルバムが出た頃、『ローリング・ストーン』が『トミー』という意識的なアルバムは他のロックンロールと違うのだという意味を込めてロックという言葉を使い出したような気がしている。その頃に、ロックンロールはロックという大人になったのです。

 で、ロックがだめになり、パンクという言葉が使われるようになって、パンクはニューウェイヴとなった。ニューウェイヴは、後に商業主義というかMTVとねんごろになって、84年くらいまで生き延びた。そういう音楽だったから日本でひさびさの洋楽ブームが訪れたんじゃないだろうか。
 それじゃだめだろうと、アメリカではカレッジ・チャートからオルタナティヴという言葉が使われ出した。イギリスでは、その少し前からアンチ商業主義的な音楽はインディと呼ばれるようになっていた。アメリカでオルタナティヴがまた盛り返してきたときはグランジと呼ばれた。いまはなんて呼ばれているのか、それは君のほうがよく知っているでしょう。
 「マッドチェスター」「インディ・ロック」と呼ばれる音楽がどういう文脈のなかに入るのかという説明もした方がいいと思うけど、もう複雑になりすぎるから、また今度。

 要するにロックはロックンロールかポップ・ミュージックの変形なのだというか、ロックンロールが大人になったのがロックなのだから、いまの音楽はロックでいいんじゃないかという気がする。
 でも、外人さんは40年も使い古された言葉を使いたくないという意識が強いのでしょう。僕は、母国語じゃないので、べつにロックでいいんじゃないのと思うんですけど。でも、日本でもついに、ロックって言葉を安易に使いたくない人たちが出てきているような気がします。
 それなのに、アークティック・モンキーズの新作を聴いていると、「これこそロックだ」と叫びたくなるのです。天才アレックス・ターナーにあっさりと「違うよ」と言われそうですが。でも、『AM』は『フェバリット・ワースト・ナイトメア』『ハムバグ』『サック・アンド・シー』と試行錯誤していたアークティック・モンキーズの完成型だと思う。おーっ、ついにここまでやったかと感動しているのです。

 『ホワットエヴァー・ピープル・セイ・アイ・アム、ザッツ・ホワット・アイム・ノット』でアークテック・モンキーズは完全に完成されていた。『フェバリット・ワースト・ナイトメア』『ハムバグ』『サック・アンド・シー』は、次のステップへの闘いだった。そして、『AM』でそれが完全に完成したのである。『AM』というタイトルは、まさにその表れだろう。
 ラップ、ヘヴィ・ロック、サイケ、それらの音楽が見事にブレンドされた音楽が『AM』である。
 このブレンド感に嫌悪感を示す人たちがいるのもわかる。エンター・シカリなどがアークティックを批判する気持ちもわかる。「どこか学術的なんだよ」ということなんだろう。でも、僕はアークティックの音に、そのお手本のようなクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジと同じロックを感じる。いやニルヴァーナと同じロックを感じる。また無防備にロックという言葉を使いまくっていますが、本当は『AM』には新しい名前がつけられるべきなのだろうが、僕はこれこそがロックなのだといいたい。

 ロックンロールが大人になったロックには、『2001年宇宙の旅』で人類が超人類になったように、ロックから超ロックにならないといけないという強迫観念があるような気がするが、僕はアークティック・モンキーズのハイブリットとグルーヴ感があれば、それでいい。アークティックの力強さを僕はロックだと感じるのだ。ロック、パンクが世の中を変えようとしたように、次の新しいロックは世の中を変えなければならない、そんなの糞食らえだ。俺は新しい音楽が、グルーヴが生まれてきさえすればそれでいい。町を歩くとき、走るとき、気持ちよくしてくれればそれでいい、その最先端がこのアルバムなのだ。

interview with CUT CHEMIST - ele-king


Cut Chemist Presents Funk Off - Vox populi! And Pacific 231
RUSH! PRODUCTION/AWDR/LR2

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 グランドマスター・フラッシュが〈サム・ビザール〉時代のキャバレ・ヴォルテールやクロックDVA、スーサイドの音源をスクラッチしている姿を想像しよう。ゴシ、ゴシ、ゴシ......ノイズ/インダストリアル・サウンドとヒップホップの接近、これはいま起きていること。ロンドンの〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉はアイク・ヤードの12インチをリリース、東京の〈ブラック・スモーカー〉はEP-4の12インチを出している。

 さて、カット・ケミストといえばジュラシック5であり、そしてなんと言っても"レッスン6"で、言わば一時期代を築いたターンテーブリスト、1990年代半ばに、ヒップホップというジャンルにおいてDJというポジションの重要性をあらためて主張した、「リターン・オブ・DJ」のひとりである。1997年の『ディープ・コンセントレーション』というエポックメイキングなコンピレーションの1曲目が"レッスン6"だった。ゴシ、ゴシ、ゴシ、コスって、コスって、カットアップという、ヒップホップDJのもっともラジカルで、威勢良く、格好良いスタイルのDJだ。
 DJシャドウのように、この手のDJは中古レコードを掘るところからはじめるのでレコード・コレクター(レアグルーヴ)道にも通じるわけだが、この度カット・ケミストが目をつけたのはファンクでもサイケでもない。ポストパンク、それもフランスの、ミュージック・コンクレートとUKインダストリアルの影響下で生まれたふたつのバンド、ヴォックス・ポプリ!、そしてパシフィック231、である。
 「初期インダストリアルとポストパンクのカセットの中から、エレクトロ、パンク、インダストリアル、ミュージック・コンクレートの境界線を横断するユニークな音楽を僕は探求するようになった」とライナーノーツでカット・ケミストは書いている。「彼らはプレゼンテーションにも力を注ぎ、独自のアート、音楽、文学を組み合わせたカルチャーを生み出していた。僕にとって、ヒップホップのパラレル・ワールドを発見したかのような感覚だった。両方のカルチャーは同時代に誕生し、同じツールを利用し、同じDIY精神が貫かれていた。この先何年間も僕はこの世界に魅了され続けると確信していた」
 カット・ケミストが企画した『ファンク・オフ』にはヴォックス・ポプリ!とパシフィック231の音源が20曲(+ボーナストラック3曲)収録されている。ヴォックス・ポプリ!の"ファンク・オフ"という曲は、どう考えても5年早いドレクシアで、もっとも注目度の高い"メガミックス"という曲はアフリカ・バンバータの不吉極まりないインダストリアル・ヴァージョンで、テープを使った逆回転/早回しというアナログな技もたまらない。レア度が高いだけのオタクっぽい選曲ではなく、しっかり「現在」、それもけっこう尖った「現在」にアクセスしているところはさすがカット・ケミスト。発掘された、古くて新しい音楽がここにある。

ヒップホップとミュージック・コンクレートが実は近い存在であり、同じアプローチで音を操作しているということを伝えようとしてるんだ。その類似性が僕の興味をそそった。実はこれまでの僕のすべての作品においてリール・トゥ・リール・テープを使ったことがあるんだ。

『ファンク・オフ』にはびっくりしました。ポストパンク時代のフランスに、ヴォックス・ポプリ!とパシフィック231のような音があったなんてまったく知りませんでしたし、作品自体も古くなっていないどころか、むしろいま聴いて新鮮に思えます。最近は、ヨーロッパの若い世代のあいだでもインダストリアル・サウンドがリヴァイヴァルしていますが、すごく良いタイミングでのリリースだと思います。

カット・ケミスト(以下、C):実は、この音源は2007年から貯めてあったんだよ。数年前よりもこの手の音楽のマーケットが広がったから、リリースすることを待って良かったと思ってる。コールドウェイヴ、ミニマル・シンセ、ポストパンクなどがここ数年でリヴァイヴァルしたことは知ってるんだ。この音楽がいまでも評価されてるのは、制作メソッドと哲学がしっかりしてるからだと思う。ヴォックス・ポプリ!のアクセル・キルーは、1940年のフランスで生まれたミュージック・コンクレートのメソッドを取り入れていた。

いまのところ反応はいかがですか?

C:こういう音楽は2007年からプレイしているし、僕のデビュー・ソロ・アルバムでサンプリングしている。みんなの反応はいつも良いよ。初めてこの音楽を聴いた人は、たいてい僕がプロデュースした音楽だと思うんだ。それは僕が作った"Storm"という曲が"Mega Mix"をサンプリングしてるからなんだ。この曲は注目されたから、ファンはこのサウンドが僕の一部だととらえてくれるみたい。

あなたはいま、インダストリアル・サウンドがリヴァイヴァルしていることを知っていましたか? 

C:ああ、このリヴァイヴァル・シーンが数年前から盛り上がりはじめたことは知ってたよ。

あなたがポストパンクやインダストリアルにまで触手を伸ばしたことで、ジュラシック5時代のファンからのブーイングはありませんでしたか? ソウル/ファンクのリスナーは、やはりブラック・ミュージック特有のグルーヴが好きでしょうし、ポスト・パンクやインダストリアル系のアグレッシヴで、冷たく暗い響きを求めているようには思えませんが。

C:プレゼンテーションの方法がよければ、誰でもこの音楽は好きになると思う。ジュラシック5のファンはけっこう幅広い音楽を聴いているしね。それに、最近はトラップ・ミュージック、EDM、エレクトロが流行ってるし、この音楽のサウンドがそれに近いから理解されやすいと思うんだ。どの時代よりもいまがもっとも評価されやすいときだと思う。

80年代半前半のヒップホップは、事実、ポストパンクと結びついていました。アフリカ・バンバータ&ソウルソニック・フォースを面白がったのは、ロンドンのパンクでしたからね。あなたは個人的に、パンク/ポストパンクに対してどのような思い入れがあるのでしょう?

C:このジャンルに魅力を感じたのは、サイケデリック・ロックとヒップホップの要素が完璧にブレンドされてたからなんだ。ドラムマシンとテープ・ディレイが多用されていて、これはヒップホップの制作ツールと同じだ。それにヒップホップ初期のレコードがプライヴェート・プレスだったのと同じように、このジャンルのレコードもプライヴェート・プレスの作品が多かった。このジャンルに惹かれた主な理由はそれだよ。

レコード・コレクターの立場として、ポスト・パンク/ニューウェイヴに目を付けた理由は何でしょう?

C:ニューウェイヴに興味をもったのは、このタイプの音楽が誕生した僕のティーンエイジャー時代以前の時期を思い出させてくれたからだよ。どこか聞き覚えがあって安心できるサウンドだったからコレクションしたくなったんだ。

作品のレア度という価値観とは別に、ヴォックス・ポプリ!とパシフィック231はいま聴いても音楽的にすごいインパクトがあります。アートして、ヴォックス・ポプリ!とパシフィック231の音楽からあなたはどのようなインスピレーションを受けましたか?

C:自分の音楽作りをする上で、もっとエレクトロニックなサウンドを取り入れて、オーガニックな楽器とは違う音色を使うインスピレーションをこの両方のグループから受けたよ。彼らの音楽を聴いてから、シンセの使い方を覚えたり、サンプリングとこのスタイルの音楽を組み合わせる方法を探ってるんだ。

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ヴァナルとテープは、20世紀においてもっとも好まれたフォーマットだった。ヴァイナルは音楽を保存する上でもっとも優れたフォーマットだけど、昔と違って音楽をシェアするもっとも簡単な方法ではなくなった。


Cut Chemist Presents Funk Off - Vox populi! And Pacific 231
RUSH! PRODUCTION/AWDR/LR2

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ヴォックス・ポプリ!とパシフィック231以外にもレアなレコードをたくさん見つけていると思いますが、この先、何らかの形で発表する計画はありますか?

C:このジャンルの音楽はコレクションしはじめて何年も経ってるので、ヴォックス・ポプリ!とパシフィック231に似たグループはたくさん見つけてきたけど、彼らほどのレヴェルのグループはなかなか見つからない。そういう意味で、とてもユニークなコンピレーションに仕上がって嬉しい。

日本のこの時代の音楽で探しているものはありますか?

C:こういうタイプの音楽は世界中で探してるよ。

『ファンク・オフ』のブックレットでは、当時のジンのヴィジュアルも大々的にフィーチャーしていますが、すごく良いと思います。こうしたジンなんかも蒐集しているのでしょうか?

C:どの時代の音楽をコレクションしているときもそうなんだけど、カセットやLPに付録でついてくるアイテムが大好きなんだ。1988年に、8x10インチの写真入りのマスターズ・オブ・セレモニーのLPを入手してから、付録アイテム付きのレコードにハマってるんだ。

『ファンク・オフ』のフロント・カヴァーにどのヴィジュアルを使うのかに、他にもいくつも候補があったことで、迷いはありせんでしたか?

C:たしかに選択肢はたくさんあったけど、このアートワークにコンピレーションのすべての音楽的要素が凝縮されてると思った。ダークでありながらもユーモア・センスが注入されていて、ちょっとバカカバカしくて、女性性と男性性の両方の要素も入っていた。基本的に、この音楽性がそのまま視覚的に表現されてると思ったんだ。�

ヴォックス・ポプリ!はピエール・シェフェールのミュージック・コクレートからの影響もあるし、あなた自身ライナーで指摘しているように、ヒップホップはピエール・アンリから多大な影響を受けていますが、あなた個人、現代音楽(アヴァンギャルド)に対する興味はどの程度あるのでしょうか?

C:コンセプチュアルな意味で興味がある。僕はそういうアヴァンギャルド系のコレクターだったことはないけど、アヴァンギャルド系に影響されたふたつのジャンルにいまなら親しみがあるから、コレクションする可能性は高くなった。僕のコレクションのもっとも古いレコードは、50年代半ばから後半のものなんだ。それよりも古いレコードをまだ集めたことはない。

ヴォックス・ポプリがテープでこすって(スクラッチのようなことをやって)ますが、ああしたプリミティヴなアナログ機材を使っての工夫は、現代のラップトップ音楽への批評としても見せることができるんじゃないでしょうか? 

C:このコンピレーションを通して現代の音楽を批評してるわけじゃない。ヒップホップとミュージック・コンクレートが実は近い存在であり、同じアプローチで音を操作しているということを伝えようとしてるんだ。その類似性が僕の興味をそそった。実はこれまでの僕のすべての作品においてリール・トゥ・リール・テープを使ったことがある。最新のアルバムでは、ドラムをレコーディングするために24トラックのリール・テープを使用したばかりだよ。"Funk off megamix"でもその模様はチェックできるよ。

レコード・コレクターとしてのあなたの哲学を教えていただけますか?

C:まずは第一に音楽を大切にすること。僕にとってメディアムは二の次なんだ。レコードコレクターのなかには、音楽そのもよりも物体としてのレコードを大切にしている人がいるけど、僕はそういう考え方ではないよ。

コレクションに興味をなくして、売ってしまったことはありますか?

C:絶対にないね!

レコードとは20世紀の産物であり、ノスタルジーだと思いますか?

C:それはあるね。どの世代にももっとも好まれたメディアムがあると思うんだ。ヴァナルとテープは、20世紀においてもっとも好まれたフォーマットだった。ヴァイナルは音楽を保存する上でもっとも優れたフォーマットだけど、昔と違って音楽をシェアするもっとも簡単な方法ではなくなった。

最近アメリカのインディ・シーンではアナログ盤とカセットテープでのリリースが増えていますが、良い傾向だと思いますか?

C:ノベルティとアーカイバルの意味では良い傾向だと思う。テープは時間の経過と共に磁気を失ってしまうけど、ヴァイナルは大切に保管すればもっと寿命が長いんだ。ヴァイナルの需要が高ければ、音楽は商品としてもっと売れるので、それは良い傾向だよ。これからは、ファンが音楽に投資する気持ちがないといけないんだ。ヴァイナルはそれを実現させるための最善の方法だと思うんだ。

今回の『ファンク・オフ』は、イタリアのコレクターを通じて知ったそうですが、このようなコレクターのネットワークとはいかなるものなのでしょうか?

C:こういうタイプの音楽のコレクターのネットワークはたしかにあるよ。そのイタリアのコレクターはニューウェイヴ系のコレクターではなかったけど、ユニークな作品だったからこのレコードを持っていた。彼はあらゆるジャンルのレコードを集めて売ってたんだ。彼はとくにプライヴェート・プレスのユニークなレコードを何でも集めてる。

いま、コレクションは何枚ぐらいありますか? そして、どのように整理しているのでしょう? 日本にもコレクターは多くいますが、あなたがレコードの管理にもっとも気を遣うのはどんなところでしょう?

C:レコードの枚数は知らないけど、レーベルごとに整理している。レーベルで整理できないレコードは、世界のどの地域でリリースされたかというカテゴリーで整理するんだ。アーカイヴとして集めるレコードとは別に、頻繁に聴いたりプレイするレコードの保管には気を使ってるよ。

最後に、今後のあなたの予定を教えてください。

C:このコンピレーションのリミックスをリリースしたいのと、このカタログを今後どのように利用できるかをさらに探っていきたいね。


 ヴォックス・ポプリ! のアクセル・キルーの母親は、1958年から1962年にかけてピエール・シェフェールの元で働いていた。父親は映画業界で活動1952年に出版された『映画のシュルレアリスム』の著者でもある。ヴォックス・ポプリ! は、「民衆の声」という意味。

Shigeto - ele-king

 日本人の名前を使ったザック・サギーノは、日系アメリカ人である。デトロイト在住というが、生まれと育ちはアナーバーで、アナーバーとデトロイトとは距離は近いが文化や環境は別モノ。デトロイトは、10万ちょいも出せば体育館ぐらいの部屋を借りられるような、地価があってないような都市だから、かつてのリクルーズのように敢えてそこを拠点に選ぶ若者もいると言えばいる。そして、かつてのリクルーズのように、シゲトの音楽からも彼がデトロイトにいることの影響がうかがえる。
 『No Better Time Than Now(いまよりマシな時代はない)』なる意味深なタイトルの今作は、シゲトにとって3枚目。2枚目では、彼の日本人の祖父の広島の実家の戦前の写真をアートワークに使っている。そのタイトルは『lineage(血統)』、彼の血筋へのロマンティックな思いが込められた詩的なアルバムだ。

 エレクトロニック・ミュージックは、ベース・ミュージック・シーンではなくとも、あらかじめハイブリッド音楽として展開している。デトロイト・テクノ自体が黒い土壌で白い文化(あるいはYMO)を受け止めながら醸成されているし、また、ヒップホップの方法論があらかじめ何でもアリと言えば何でもアリなのところがあるので、文化的に開かれていることの快感がある。シゲトが文化的空想に耽ることが許される音楽と言えるわけで、そして彼は自身の甘い空想力を音に変換することに長けている。
 
 『No Better Time Than Now』は、フライング・ロータス『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』以降のもっとも美しい作品ではないだろうか。ジャズ/アンビエントへとアプローチしたLAビーツを、言わばロニー・リストン・スミスの方向にハンドルを回している。マシーンドラムの新作のように、今日のビート・シーン/クラブ・ミュージックのいち部が「洗練」へと向かっていることにも同期しているのだろうけれど、シゲトのコレは、あまりにもロマンティックなのである。アルバムを通してやけに滑らかで、一時期のビビオや昔のボーズ・オブ・カナダにあったものがここにあるというか。
 だが、しかし彼はこの甘ったるい音楽で、昔は良かったなどとは言わせない。ドラム・プログラミングの多彩さ、フワフワの音響とエレピの甘いメロディとの掛け合いは、たった1回聴いただけで持っていかれる。ゴールド・パンダとオリーヴ・オイルとの溝を、いや、デトロイト・テクノとフライング・ロータスとの溝を埋める音楽を探している人にはこれを推薦したい。本当、いいっすよ。

 レイバーディ・ウィークエンド(日本でいう勤労感謝の日、9月最初の週末)に、ブルックリンのインディ・レーベル〈キャプチャード・トラックス〉の5周年記念パーティ(CT5)がブシュウィックのビアガーデンのウエルで開催された。ラインアップは以下の通り。

DAY 1  8/31 (sat)
HEAVENLY BEAT (ヘヴンリー・ビート)
CHRIS COHEN (クリス・コーヘン)
MINKS (ミンクス)
BLOUSE (ブラウス)
MAC DEMARCO (マック・デマルコ)
DIIV (ダイヴ)

DAY 2 9/1 (sun)
ALEX CALDER (アレックス・カルダー)
SOFT METALS (ソフト・メタルス)
SPECIAL GUESTS (スペシャル・ゲスツ)
WIDOWSPEAK (ウィドウスピーク)
BEACH FOSSILS (ビーチ・フォシルス)
WILD NOTHING (ワイルド・ナッシング)

 チケットは1日$30。同じ日(8/31)にユニオンプールのサマー・サンダーでサーストン・ムーアとダニエル・ヒグスをフリー見たあとに$30(!)と思ったが、フェスが終わる頃にはそんなことも忘れた。

 〈キャプチャード・トラックス〉は、設立者マイク・スニパーのバンド、ブランク・ドッグス他、ダムダム・ガールズ(マイクは初期ダムダムのメンバー)、グラス・ウィドウ、オーシーズ、レターエス、ヴェロニカ・フォールズなどのバンドのシングルから、最近はビーチ・フォシルス、ワイルド・ナッシング、スウェーデンのホログラムス(インタヴュー最後でマイクが話している、彼の聞きたかったパンク・バンド)などをリリースしている。モノクローム・セット、クリーナーズ・フロム・ヴィーナス、ウェイク、サーヴァンツなどの、英国バンド、シューゲイザーの再発にも力をいれている。また、このフェスの週末から、ヴァイナルのみのレコード屋もグリーンポイントにオープンした。
https://capturedtracks.com/news/captured-tracks-shop-now-open/

 2日目のスペシャル・ゲスツ、ダイヴ、ビーチ・フォシル、ワイルド・ナッシング、マック・デマルコのスーパーグループ(シット・ファーザー)では、〈キャプチャード・トラックス〉から再発されたクリーナーズ・フロム・ヴィーナスの「オンリー・ア・シャドウ」、「ヴィクトリア・グレイ」、レーベルオーナーのバンドであるブランク・ドッグスの「ティン・バード」のカヴァー。
 その他、ザ・ウェイク(ボビー・ギレスビーが一時メンバーだった)の「ペイル・スペクトル」では、コールがブラウスのチャーリに変装(?)してプレイ。ワンピースと黒のロングヘアで、本物と同じぐらい可愛いし、このスーパーグループは、レーベルのいまと再発バンドを楽しめる良い企画だった。



 ウィドウ・スピーク、ビーチ・フォシルス、ワイルド・ナッシングと代表アーティストを続けて見たが、何層にも重なったギター・サウンドやファジーなガレージ・ロック、ドリーミー・ポップなどすべてにスーパー・バンドで見たような80年代の英国音楽の影響を感じさせながら、独自の音楽を発展させていた。物販テーブルでは、お客さんやスタッフたちが情報交換し、一番前でノリノリの人から、後ろでまったりしている人、いろんな種類の人が〈キャプチャード・トラックス〉を軸に集まっていたのは、一昔前のインディポップ・フェスっぽくもあった。

https://www.brooklynvegan.com/archives/2013/09/mac_demarco_col.html

 以下、レーベル設立者のマイク・スニパーへの話をバッド・ヴァイブスのサイトから抜粋。
https://www.gimmebadvibes.com/...

〈キャプチャード・トラックス〉の声明を教えてください。

マイク(以下、M):メジャー・リリースがないアーティスト、PRをすでに築き上げているアーティストにサインすること。音楽が一番だけど、レーベル関連の考えには疑問を持っていたから、〈クリエイション〉、〈ファクトリー〉、昔の〈4AD〉の凄さについて考えさせられた。彼らの主要アーティストはそのレーベルに最初からいるし、〈クリエイション〉に関してはアラン・マッギーに発見され、その後盗まれている。
 現代のたくさんのインディ・レーベルより、60~70年代のメジャーがイケてた頃の、たとえば60年代の〈アトランティック〉や70年代後期から初期80年代の〈サイア〉のことを考えてみようよ。現代とは違う時代だけど、少なくとも彼らは、『ピッチフォーク』や『NME』のお墨付き(もしくはそれに値するもの)を待つことなく、新しい才能を見つけることに頭を使っていたし、それに賭けていた。もしエコー・アンド・ザ・バニーメンがいま現れたら、たぶんアンダーグラウンドのためのレコードを作って終わっていると思うし、すべてのメジャー・レーベルやコロンビアは目も向けなかっただろうね。スミスやジーザス・アンド・メリーチェインがデモを送っても「お墨付きがない」というだけで無視されてただろうね。

レコード会社やレコード会社というコンセプトは、2000年代に終わってしまったと考えますか?

M:ここ5年、たくさんのレーベルは自分たちの好みでアーティストを開拓しようとしていないのはたしかだね。僕のヒーローのひとり、ダニエル・ミラーは「ミュートは働いていた人の好みの反映だったから良いレーベルだったし、レーベルを信用する人たちにも反映していた」と言った。デペッシェ・モードやイレージャーだけでなく、ノン、ディアマンダ・ガラスみたいな違ったモノをリリースしていたことが素晴らしい。まさに理想だよ。アイデンティティを持っていても、レーベルのリリースは音楽のスタイルで制限されていなかった。だいたい現代では、ほとんどの人が去年のベストワン・レコードがどのレーベルから出てるかなどは気にしていないだろう。

あなたが指摘した、ヒップなレコード会社のA&Rが欠けているという点は面白いと思います。レコード会社は、昔からのレコード会社というより、ブログ的な物になると思いますか?

M:ブログを非難しているわけじゃないよ。というか、実際たくさんのレコード・レーベルは『ピッチフォーク』や『ゴリラVSベア』や『20ジャズ・ファンク・グレイツ』、『ステレオガム』なんかに借りがあるから。彼らが音楽を発見し、熱狂的になるのに文句を言う筋合いもない。でも、これらのひとつが反応を示すのを待っているという現代のA&Rポリシーはかなり問題だよね。だから、A&Rなんてものは除去して、会計士に取引させておけば良いと言ったんだ。だって、自分のレーベルから最初のリリースがないなんて、それではいったいレーベルの役割って何なの? おいおい......。

〈キャプチャード・トラックス〉は、あなたが最初に持っていた7"のヴァイブをもつ良い名前ですね。なぜこの名前にしたのですか? また、あなたの音楽の選択にどのように反映していますか?

M:僕が、声に出して良く言ってたから、僕のガールフレンドが、「レーベル名に良いんじゃない」と言った。当時は、レーベルがどこまでいくのか想像もしてなかったら、名前を選ぶのに深く考えてなかったし、「OK、じゃあそうしよう」って感じだった。ただ、●●●レコーズとか、レコーズで終わる名前だけにはしたくなかった。

〈キャプチャード・トラックス〉が行き着く、最終的な美しい形はどうなりますか?

M:まだ100%定義しているわけじゃないけど、アイデンティティを持っているバンドが好きだ。音楽的には多くなくても、僕以外にその人がすべてのバンドが好きというケースが作れたら嬉しい。例えば、ティム・コーヘンはソフト・メタルに似ていないし、ソフト・メタルはワイルド・ナッシングに似ていないし、ワイルド・ナッシングはソフト・ムーンに似ていない。
 視覚的には、アートやデザインのバックグラウンドがあって、最初は工場のように、僕がデザインするシステムに入れるよう遊んでみる。サクリッド・ボーンズが既に似たような事やっていたんだ。僕がケイラブ(Caleb)のレーベルからEPをリリースしたときに、ケイラブのLPフォーマットを発展させた。僕らが相互にデザインした(定番レコードをベースにした)何かでつながっていくのは良いと思った。去年のゾラ・ジーザスのレコードを見て、「僕らがデザインしたブランク・ドッグスEPデザインはまだまだ強い」と思ったな。話が逸れたけど、〈キャプチャード・トラックス〉は、このルートでは行かないと決めて、それはよかったと思う。できたときのアートワークに意見は言うけど、アーティストに僕の美学を押しつけたくないから。サクリッド・ボーンズを否定しているんじゃないよ。僕はファンだし、見栄えも好きだ。

〈キャプチャード・トラックス〉の再発シリーズも楽しんでいますが、インターネット文化のなかでは、再発の紹介やリリースは新しいバンドとして無理があると思いますか?

M:僕たちが手がける再発は、所属アーティストに関連しているけど、尊敬の念を込めて推そうとしているわけでもない。元レコード屋店員、現在レコード店経営者という立場から言えば再発市場は強い。再発のために新しいレーベルをはじめるというプレッシャーがあったけど、いまと昔のバンドに迷惑になると思った。これが存在しないふりをして新しいレーベルでリリースするなんておかしいよね。
 僕らのアーティストは自分のことをやっている。リヴァイヴァルではないが、彼らの影響は無視していない。「進行のための進行」はよいが、ヴィジュアル・アート界がすでに成し遂げている。「そこからどこに行くのか」というぐらい、70年代のミニマリズムに行くまで、ヴィジュアル・アートはあっという間に進んだ。ヴィジュアル・アートはそれ以来、過去や技術について考え直すことに戻ってきた。すでに発掘されたことは、発掘され終わったことを意味しないと気がついたからね。音楽ライターは、まだそれで奮闘していると思う。それらを書類棚に寝かせてしまうには、あまりに用意ができすぎて軽蔑的だから。

一番驚いた成功は何ですか?

M:ソフト・ムーン。「これは良いレコードだね。たぶん2000枚は売れるんじゃないかな」ぐらいに僕は思っていたけど、それをとっくに通り越した。素晴らしい。つい最近まで、メインストリームのインディにこんな音楽が入る場所はなかったのを覚えているし、こうなることに貢献できたのも嬉しい。

〈キャプチャード・トラックス〉はサイト上をミックスし、インターネットをうまく包含していますね。インターネット文化内で働くことがレーベルを保持できたと思いますか?

M:もちろんテクノロジーの利益を無視したりしないよ。僕らはニューポートのボブ・ディランを見捨てるピート・シーガーじゃない。レーベルのアーティストが「僕らはデジタルはしない」と言ったけど、「何で?」と答えた。単純な質問だけど、まだ良い答えをもらっていない。デジタル技術は、物理的フォーマットやメジャー・レーベルがやっていることを殺さなかったし、誰かが本当にレコードを買いたいと思ったら、いまでも買う。たくさんの人は、消費者を過小評価していると思ってるよ。人びとはアーティストを支持したいし、彼らの努力を認識する何かを持ちたいと思っている。デジタルを買う人はそのなかの一部だ。彼らはレコード、CDプレイヤーを持っていないからね。それらを得る一つの選択として、メディアファイア上で、誰かが裂いた歌を盗んで欲しい? 人びとに支持する機会を与えようよ。

音楽に関して、英国はこれから来るバンドなどに対して停止しているように見え、アメリカは有り余るような刺激的なことが起こっているように見えます。どう思いますか?

M:これに関しては長く話せるよ。でも僕が事情に通じている見解を持っているとも言いがたいけどね。英国では、アメリカ、ヨーロッパ大陸、日本、オーストラリアと違って、遺産という感覚が少ないと思う。音楽とは別の何かどんちゃん騒ぎでもないと勢いを表せない報道のやり方に問題ありだよね。何でもかんでも新しい物につばを付けるようなものだ。
 陸的にも近く、英国とほとんど同じ市場ということもあるけれど、フランスやドイツがいまだ英国プレスに支配されているのが不思議だよ。アメリカのバンドはヨーロッパで売れるためには、いくつかの例外はあるけど(スペイン、イタリア、スウェーデン)、英国でのブレイクが必要で、なぜヨーロッパ大陸が自分たちの国のプレスを発展させないのか疑問だ。僕は支持するけどね。
 英国には、何よりも先にマネージャーをつけるという慣習がある。僕は、マネージャーは自分たちが本当にマネッジが必要になったときにつければ良いと思っている。僕たちは英国マネージャーから終始求められるけれど、マネージャーがついた名もないバンドにサインするのは順番で言って最後だね。いまは2013年だぜ。レコード売り上げのグラフをみて、君の7インチか何かに会計士が必要なのかな? 違うでしょう。決してマネージャーを否定しているわけじゃないけど、そこにはしかるべき時期ってものがあるんじゃないかな。マネージャーをつけることより、自分たちで歌を録音して、ショーをして、レーベルと話すのが先だ。マネージャーが長所を証明するのに必要なぐらい、十分なことが起こるのを待って、マネージャーに彼が君のディールを見つけたと証明させないようにね。
 これはただの意見だよ。バンドはしたいようにすれば良いんだ。でも僕は、7インチもリリースしていないバンドのマネージャーと取引することはしないってことだ。過去、英国の音楽のすべてのサブジャンルに対する世界的な影響が明白だったということは、恥じるべきだと思う。ニルバーナなどのアメリカの90年代は、ビッグ・ドラムやメタリック・ギター・サウンドを人気とし、アメリカのギター・ベースのインディ・ロック・バンドは英国の影響を殺し、さらにメタルになった。ブラーやスエード、パルプなどのメロディ重視のバンドはアメリカでは比較対象として無視されていたし、英国の音楽プレスでは内部の見解を作成し、長すぎたブリット・ポップにも関わらず、戻ってこなかった。僕はアメリカ人だから、他に何があるのかわからない。

他には、どんなレコード、バンドをチェックすれば良いでしょうか?

M:レーベル以外で? 2011年に出たニューラインというバンドのセルフLPがよかったよ。誰も気にしてなかったけど僕は好きだった。他には......わからないな。すべてがまわりにありすぎるよね。ハードコアじゃなくて、明らかにパンクでもない、ただアグレッシヴな新しいパンク・バンドが聴きたいかな。聴いたときにわかるよ。誰かリリースしてくれないかな。だって、最近は50~60年代のジャズばかり聴いているから。

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 このフェスの週末にオープンしたレコード店にもお邪魔した。白を基調としたクリーンなイメージの店内で、キャッシャーの後ろにはレア盤がずらりと並んでいる。その奥にはオフィスがあり、パックマン、ギャラガーなどの、昔なつかしのゲーム・テーブルもあった(マイク曰く、バンドやスタッフとのコミュニケーション道具だとか)。店内には、レーベル・アーティストがピックアップしたお勧めコーナーがあり、さすが元レコード屋と思わせる、隅から隅までチェックしたくなるインディ泣かせなセレクションを。「自分の感覚を信じて、消費者に機会を与えることが僕の役目」と言いながら、「ゲームする?」と一緒にギャラガーをプレイしてくれた。5年目、〈キャプチャード・トラックス〉の挑戦は続く。

EP-4 - ele-king

 僕は自慢じゃないが、『昭和崩御』を持っている。当時は、もうとにかく、藤原新也の写真というだけで「うわ、かっこういいな」という感じだった。ミーハー根性で『昭和大赦』も持っていたのだが、そっちは売ってしまった。『Lingua Franca-1 昭和大赦』──日本のポストパンクにおける重要なバンドのひとつ、EP-4の代表作である。
 EP-4の残忍なファンクは、たしかにいま来ている。カット・ケミストが最近編集したコンピレーション『ファンク・オフ』には、EP-4が登場した同時代のフランスのインダストリアル・ファンクが収録されている。〈ミュート〉レーベルは、この秋に〈サム・ビザール〉時代のダンス・サウンドに走ったキャバレ・ヴォルテールの3枚のアルバムを再発する。ファクトリー・フロアも新作を出した。ノイズ・インダストリアル・ファンクはたしかにいま来ている。
 9月20日、代官山ユニットでは、『昭和大赦』が最新のヴァージョンで再演される。素晴らしい!

EP-4 ワンマン・ライヴ
『Lingua Franca XXX』

日時:9月20日(金) 開場:18:30 開演:19:30
会場:東京・代官山UNIT

出演:EP-4
オープニング・アクト:山川冬樹
DJ:MOODMAN、GUNS, GERMS & STEEL
VJ:ROKAPENIS

料金:前売り4000円(ドリンク代別)
   ※チケット購入者の方には入場時にもれなく非売品7" アナログ盤をプレゼント!!
チケット:チケットぴあ 0570-02-9999 [P] 208-646
     ローソン 0570-084-003 [L] 70289
問い合わせ:代官山UNIT(03-5459-8630)

公演詳細:
https://www.unit-tokyo.com/

 EP-4の代表作『Lingua Franca-1 昭和大赦』がリリースされて今年で30年。そのアニバーサリーといたしまして、今回のステージではアルバムを丸々再現します。名づけて『Lingua Franca XXX』。
 「E-Power」「Coconut」「Similar」などの代表曲を含むアルバム『Lingua Franca』を再現する第一部と、最新リリースの12インチ・シングル『RADIOACTIVITY / Get Baby』などの新曲も交えたセッションの第二部という、最新型EP-4を堪能できる二部構成の予定です。

 メンバーは、リーダーの佐藤薫、ユン・ツボタジ、鈴木創士というオリジナル・メンバーに、山本精一、家口成樹、YOSHITAKE EXPE.、須藤俊明、千住宗臣、タバタミツルといった後輩世代の精鋭たちを加えた鉄壁の布陣。当日はオープニング・アクトとして全身音楽家の山川冬樹、DJでMOODMANと新ユニットGUNS, GERMS & STEELを、そしてVJとしてROKAPENISを迎えます。

 『Lingua Franca-1 昭和大赦』がリリースされた83年には、京都、名古屋、東京の3都市で時間差ライヴ開催を敢行するなどこれまでにもセンセーショナルな活動をしてきた佐藤薫率いるEP-4。近年、長い休息期間を経て新しいフェイズに入っている彼らが過去と未来をどうつなげていくのか。どうかご期待ください!

〈EP-4 プロフィール〉
'80年、京都のニュー・ウェイヴ系ディスコ『クラブ・モダーン』に集まっていた仲間たちで結成。'83年5月21日には京都、名古屋、東京と3都市において時間差でライヴを開催するなど、そのアグレッシヴなエレクトリック・ファンク・サウンドと、確信犯的な活動で熱心なファンを獲得する。近年活動再開。今年の5月18日にはイベント『クラブ・レディオジェニク』を主宰(恵比寿リキッドルーム)、また5月21日には結成の地・京都で約30年ぶりにワンマン・ライヴを行った(KBSホール)。また、先頃、久々の新録音源『RADIOACTIVITY / Get Baby』(Skating Pears)をアナログ12インチのみで限定リリース。フル・アルバムの発売も予定されている。佐藤薫が中心となるノイズ即興ユニットのEP-4 unit3としても定期的に活動しており、今年1月に初のアルバム『À Artaud』(BLACK SMOKER)を発表。


 各自やりたいことをやりたいだけやるように、ハイ、解散。......からはじまる林間学校と言えばいいだろうか。この日の〈THREE〉には、ショウの緊張感に並んで自由な雰囲気やくつろぎやすさがあった。

 ゆるいとか締まりがないとかいうことではない。個性も属性もバラバラだけれども、ミュージシャンという制服を着ないという点では一致するような、未知数で、若く、貪欲な表現スタイルを持った面々が集まっている。そういう空気やエネルギーを浴びる場所だというふうにも思えた。到着して重い扉を開けるとバクバクドキンの可愛らしい声が絡みついてくる。ここからLOWPASSまで繋ごうというのだから、おそらく今日のイヴェントに予定調和はない。ジャンルに縛られることもないし、バラバラなファン層が乗り入れているから閉鎖性もない。快適なぼっち観覧が期待できそうだった。やる側同様、聴く側も自由解散スタンスだ。その意味ではクラブのようでもあり、ライヴ・イヴェントに独特の風通しを生んでいたと思う。

 前座のバクバクドキンは初見。ダボ着したTシャツから素足を出し、機材机の向こうで棒立ちをきめる女子二人組だ。DJフミヤが手掛けたという2010年のデビュー作はハルカリなどに比較されていたが、たとえば花澤香菜がCSSをやったらと言えばイメージしてもらえるだろうか、萌えヴォイスと聴きやすくしたバイレファンキ、ポップでキュートな音使い、詩的な飛躍の強い言葉をリフレインするさまには、ちょっと古風ではあるが、「青文字」という言葉が生まれる遥か以前から脈々とつづく、メタで知的な(もちろん無知を装う)女子ポップの一類型が感じられた。

 かなり場慣れた様子もある。ピコピコ、ザワザワ、ララララという擬音や、「改造人間になりたい」「グッピーちょうだい」という"お願い系リフレイン"を散りばめながら、まよいなくわがままでファンシーな世界を立ち上げていく。このイヴェント出演にあたっては、カタコトやLOWPASSの前座ということもあって、彼女たちなりの「ヒップホップ的な」セットリストを意識したという。筆者の前にいた当のB・ボーイたちは、ときどきちょっと小馬鹿にするような身振りで笑いあったりしていたが、あれはたぶんバカにしていたというよりも、照れていたんじゃないだろうか。カワイイ女子から発せられるカワイイ声、そして気のきいたトラック(クラウドラップ風、ネオアコ風、EDM風、さまざまな"風"がコンパクトにまとめられていた)で巧妙にコーティングされた媚態の正体を、まっすぐ見ることができなかった、というような。ということは彼女たちの勝ちかもしれない。MCでは今回のショウについて「あたしたちヒップホップの人たちじゃないから照れくさい」と感想。なるほど余裕綽々である。LOWPASSのライヴで毎度必ずキレて抗議する人がいるが(そしてこの日も鮮やかにキレていたが)、もしあの人が観ておられたなら、バクバクドキンにキレるのもよかったかもしれない。

 カワイさに敬意を表して『アイドルマスター シンデレラガールズ』に興じながら次を待っていると、下津光史は毎度のごとくふらりとステージに姿を現した。どこからかやってきてどこへともなく消えていくという風体。本物の風来坊に見える。ダテでもパロディでもなく、彼の生き方や生活がそのままこのスタイルなのだろうと感じさせる。

 「いい夜だ」と、真意のつかめない表情で夜を祝うのもいつものとおり。下津光史の歌をはじめるためには、まずいい夜が必要なのかもしれない。

 ギターが鳴って歌がはじまると、オーディエンスや場の雰囲気はなんとなく車座のようになっていく。以前〈渋谷7th FLOOR〉で観た折に、開演後オーディエンスが自然にその場に座りはじめたことがあった。そのとき、そうか、下津光史は座って囲んで聴くものなのかもと妙に納得したのを覚えている。観せているのではなくて、文字通り、聴かせているのだ。よってわれわれも体育座りをして、直に弦の軋みを聴きとり、直に言葉を受け取る、本来そういう規模の演奏なのではないか。その彼の辻説法のようなフォーク・スタイルは、四畳半の自意識や社会的抗議をリプリゼントするものというよりは、まさに辻や往来の無意識を拾う艶歌であり民衆歌のように感じられる。それに、"踊ってはいけない"や"セシウム"も、国や特定の対象へ向けたメッセージとしてだけとらえると正確さを欠く。それは生まれてきたからには生きなければいけない、生きよう、という、もっと普遍的で根源的なことを喉とコードを使って歌いきる、ふるえるようなブルーズだ。もちろんどちらがいいとかわるいとか言うのではない。下津にとっての歌や音楽がどのようなものなのか、ライヴを観るととてもよくわかるということだ。シンプルなスタイルだが、それだけ圧倒的な情報量を持っている。

 ショウを作っていくのではなくて、やったことがショウになっていく。その点では、カタコトも油断ならない存在感を放っている。

 紙版『ele-king vol.10』にも登場してもらった謎の男、ドラゴンと仲間たちが繰り広げる、何というのだろう、セッション・アドベンチャーというか(言い方ダサくてすみません)。ヘドバンを決めさせられるラップ・グループ、ラップを聞かされるサイケデリック・ファンク・バンド、何と呼んでも隔靴掻痒、めいめいのやりたいことをやりたいだけやるというようなキメラなフォームの楽曲(セッション)は、ジャンルレスというむずがゆい言葉を遠く置き去りにしていた。
 既視感のなさ、というのはそれだけでものすごく価値のあるものだと思う。よくできたものではなく、何かおもしろいものを見たいという人にはカタコトをおすすめしたい。新しい音楽があるわけではないけれども、既視感もない。見たことのないものをやる男子たちを久しぶりに見た。それは彼らに見たことのないものをやろうという意志があることを示している。

 ラップがあって、メタルがあって、ビートはファンクで、と書くとミクスチャーやラウドといった印象になってしまうが、ジャズのサンプリングなどネタも幅広く、かつ急転直下の展開でスラッシュがはじまったりハードコアになったり、ポップ・パンク調の歌やポスト・パンクやサッドコアまでがぶつ切れにはさまったりする。
 ジャンクという感覚とも違う。人力のMADというか、ラップをやりたい人、ギター・リフをギンギンにきめたい人、シンコペートしたい人、カットアップの構築にかまける人、フリースタイルを披露する人、互いの抑制や調和よりも、それを直列つなぎしたときのエネルギー量を信じるような、痛快にしてスリリングなアンサンブルだ。そうしたところに突如「まだ夏じゃない」という叙情と微量のメランコリーが忍び込んでくるところもにくい。ひとつひとつがまだ発展途上の技量であり未知数でありながら、それがきちんとかたちになっているところもいいなと思う。メンバーのそれぞれが、そのセッション冒険譚の少年主人公のようにも見えてくる。
 
 それも、友情、努力、勝利のカードをひとつずつ裏返しに伏せていくような、悪くて不気味な主人公たちだ。なにせ「夜は墓場でヒップホップ」なのだ。ドラゴンのTシャツには足の切れたいやなチキンが描かれている。福田哲丸は「みんなもっと不安になったほうがイイよ」とMC。"夜の学校"というのは曲名だっただろうか......まさに夜の学校を舞台にした、妖怪たちの宴である。なるほどこの不完全形で異形のヒップホップは、鬼太郎のように片目がなかったり、あるいはその親父のように目だけだったりする、欠損や負のエネルギーを抱えつつもどこかコミカルな妖怪たちのイメージよってしっくりと視覚化される。「俺たちがブライテスト・ホープだぜ」という謎のボースティング(?)が線香の煙のように立ち昇っていった。
 一方で「朝から晩まできみの部屋で遊んでいるよ」というような言語センスも素晴らしい。妖怪シチュエーションにも思えてくるが、繊細な語の選択と配置によって、主体の不鮮明な意図が最大限に気味悪く、かつ詩的に増幅されている。一瞬でビリっと空気を異化する、印象深いフレーズだ。
 ヒップホップのシーンにもインディ・ロックのシーンにも加わりきらない、本当にマージナルな場所から聴こえてくる音として(「マージナル」で連想されるものは、大抵がすでにマージナルな場所にはない)、奇妙な緊張感を湛えるバンドである。アルバムも期待したい。

 さて、ちょっと書きすぎてしまったのと、筆者ではこのシーンの新しい牽引者を語るのに役不足だという理由から、LOWPASSについては詳述できないけれども、彼らがスタイルという点ではこの日最も洗練された存在であり、静かな迫力があったのは間違いない。洒落たセンスのトラックに、日常会話と変わらないトーンでスキルフルなラップが乗る。「USヒップホップを貪欲に吸収」といった紹介がよくなされているけれども、なるほど輸入盤を聴くような抑揚を持つ彼らの音楽は、「ヒップホップだし言葉を聞かなきゃいけない」という筆者のような門外漢のオブセッションをするすると解いてくれる。聴いていればいいんだ、音に身を委ねていればいいんだ、という開放感は、彼らにしてみれば本意ではないかもしれないけれども、少なくとも何も知らずにただ音を楽しみにきた人間を拒まない、特筆すべき性質だと思った。
 耳をこじ開けることばかりが正解ではない。GIVVNの軽く静かなステップを眺めながら、このスマートさはジャンルを超えて散見される、若手の特徴のひとつでもあるように感じられた。押し付けないし、押し付けられない。拒絶することなく個を保つには、あるいはストイシズムにしばられることなく個を確立するには、という全方位にやわらかいぼっちのマナーが、あるいは彼らの生み出す音のなかにも吸収されているものなのかもしれない。

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