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THE LIJADU SISTERS
DANGER / ORERE-ELEJIGBO
SOUL JAZZ / UK / 2011/11/21
»COMMENT GET MUSIC
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FAR OUT MONSTER DISCO ORCHESTRA
KEEP BELIEVING (CAN YOU FEEL IT) REMIXES
FAR OUT / UK / 2011/11/6
»COMMENT GET MUSIC
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Kではじまるクラスターからコンラッド・シュニッツラーが抜けてCではじまるクラスターになり、さらにメビウスの代わりにオンネン・ボックが参加してQではじまるクラスターに。あはは。ボックはレデリウスがメタル・ボウルなどの演奏で参加していたクリスチャン・キュービック(裏アンビエントP102)の人脈からフック・アップされたようで、ツァイトクラッツァー・アンサンブルの一員として活動するサウンド・インスタレイションの若手。
CとQは並行して活動を続けるらしく、それはつまり、レデリウスから溢れ出る創作意欲をメビウスだけでは受け止めきれないということなのか、いずれにしろレデリウスとクリント・イーストウッドはいまや暴走老人の域に達していることはたしか。2011年にレデリウス・ミュージックから配信されたコラボレイションの数は......とにかく多い(ちなみに寡作とはいえ、09年にリリースされたメビウスのソロ作『クラム』の評価もかなりのもの)。
Qではじまるクラスターも、デビュー作『フラーゲン』は東日本大震災の直後にリリースされ、年内にはライヴ・アルバム『ルーフェン』も間に合うというハイ・ペースぶり。モーガン・フィッシャーとのジョイント・アルバム『ネヴァーレス』や、とくにティム・ストーリーとの『インランディッシュ』で印象付けられたように、ここ数年、ニュー・エイジ色が強くなっていたレデリウスの嗜好をそのまま反映していたスタジオ作に対し、ライヴ・ワークでは緊張感を増した実験性が回復し、完成度では圧倒的にこちらを取りたい。あるいはニュー・エイジとサウンド・インスタレイションは、つい最近までは似ても似つかぬものだったのに、アンビエントという概念によってそれらは奇妙な融合を成し遂げ、低俗とアカデミズムはあっさりと横断されていくと聴くこともできるか。一部でミュージック・コンクレートとイージー・リスニングの境界が失われつつあるように、ロマンとアンチ・ロマンがせめぎ合うというのが時代の要請なのだろう(?)。
ニュー・エイジというキーワードの復活にはOPNもひと役買っているところがあるとは思うけれど、2011年のみならずアンビエント・ミュージック全体でもベスト10内には必ず入ってしまうに違いないアリオ・ダイ&ツァイトの3作目『イル・ジャルディーノ・エルメノイティコ(解釈学的庭)』から半年ほど後にリリースされたダイのソロ18作目にもニュー・エイジとの危ない橋を渡ろうとする傾向は聴き取れる。ツァイトとのコラボレイションでは華やかで明るく、人生への祝福に満ちたファンタジーが基調をなしていたのに対し、『ハニーサックル』では同じように慈しみと類まれなる穏やかさを感じさせながら、どこかに抑制された情念や漠然とした不安を潜ませている。「悪い予感のかけら」とでもいうのだろうか、作風の落ち着かない人なので、近作との関連性や反動といったものから生まれたものではないと思うものの、『イル・ジャルディーノ・エルメノイティコ』ほど誰彼にでも薦めたいものではなく、この感じが必要な人に上手く伝わればいいなと思うだけである(こんな書き方ではとても無理だろうけれど......)。
ハウ・トゥ・ドレス・ウェル......、これは穴馬、ダークホースですよ。〈トライ・アングル〉というレーベルは、oOoOOをはじめ、ハウ・トゥ・ドレス・ウェル、ホリー・アザーといった怪しげな連中の作品をリリース、いわゆるダークウェイヴ/ウィッチハウスの発火点となっている。ハウ・トゥ・ドレス・ウェルの音楽は、たとえるならサイケデリックな幽霊屋敷のR&B、嗚咽のような、すすり泣くダークウェイヴ/ウィッチ・ハウス。彼のアルバム『ラヴ・リメイン』は、恐ろしい作品である。
そしてアクティヴ・チャイルド、チルウェイヴ/シンセ・ポップの現在ですね。今年はファースト・アルバム『ユー・アー・オール・アイ・シー』もリリースされました。もうこの人は、歌が素晴らしいです。アクティヴ・チャイルドの登場とともにソフト・セルやアソシエイツの中古もいっきに品薄になりました。
そんなわけで、12月12日は代官山 UNITに現実逃避してください。
12/12(月) 代官山 UNIT
OPEN 18:00 / START 19:00 ¥4,500(前売/1ドリンク別途)
INFORMATION:
03-3444-6751 (SMASH), 03-5459-8630 (UNIT)
smash-jpn.com smash-mobile.com www.unit-tokyo.com
チケット発売中!
ぴあ (P: 152-493), ローソン (L: 75255), e+ (eplus.jp), UNIT, 岩盤
企画制作:root & branch
協力:ART UNION CORPORATION/PLANCHA, ULTRA-VYBE

Nov.24 (thu) thanksgiving & Occupy Wall Street
11月24日はサンクス・ギヴィング・ディ(11月の第4木曜日)。アメリカではいちばん大きなホリディ。クリスマスよりもサンクス・ギヴィング・ディに、みんな家族の元へ帰る。街はひっそり静まり返り、ニューヨークはゴースト・タウン化する。私の友だちはアパートのビルのなかで残っているのは私だけと嘆いている......。
この日は、家族や友だちでディナー・パーティを催す日で、ターキーの丸焼き、グレイビーソース、クランベリーソース、マッシュポテト、スタッフィング、コーンブレッド、温野菜、パンプキンパイなどなど、食べ物に溢れる、別名「ターキー・ディ」、とも呼ばれるくらいだ。実際、スーパーに買い出しに行くと、ターキーとじゃがいものコーナーは売り切れ。
私は今年は居残り組。昨日も街に出てみたが、ひっそりとしていたし、今日も寂しい感じだろうと諦め半分でウォール街に繰り出した。なによりも、先日インタヴューしたグレッグ・フォックスが語っていたウォール街のデモの中心地をこの目でたしかめたかったというのがある。
デモ(座り込み占拠)の中心となったズコッティ・パークは、11月14日の夜中(11/15の早朝)に警官によるデモ参加者の強制排除で200人以上が逮捕された。いちじ騒然とし、私たちのまわりのミュージシャンからも「いまウォール街で撤去作業が行われている!」などというツイッターが随時アップデートされた。(ちょうどインタヴューした、グレッグ・フォックスの翻訳が一段落したところだっ。)
今週月曜日(11/21、強制排除から一週間後)には、グレッグ・フォックスも経営に携わるブルックリンのシェア・スタジアムで、テッド・レオ、チータス・アンドロニカス、ソ・ソ・グロスのウォール街デモをサポートするベネフィットショーが開かれた。
壁にはOWS(ウォール街を占拠せよ)の文字が描かれ、バンドも観客も大いに盛り上がっていた。チータスの最後のほうのセットで、誰かがドリンキング・ソングをリクエストする。チータスは、「これはドリンキングでなく、公正の歌」と言ってザ・クラッシュで有名な"I Fought the Law"をカヴァーしたあと、テッドレオとソ・ソ・グロスのヴォーカリスト、アレックス・ディバインをステージに呼んで、こんどはビリー・ブラックの"To Have and To Have Not"をカヴァーする。この曲のコーラスは、「Just because you're better than me(だって君は君は僕より良い)/ Doesn't mean I'm lazy(僕が怠け者という意味ではなく)/ Just because you're going forwards(だって君は前に進んでる)/ Doesn't mean I'm going backwards(僕が後退しているっていう意味ではなく)」というものである。
話を今日に戻す。ウォール街の駅を降りると、すぐ横のトリニティ教会がある。それを左手にブロードウェイを北に上がると、2ブロックほど先に、ズコッティ・パークが見えてくる。強制排除と聞いていたのでガラーンとしているのかなと思いきや、意外にも人がたくさんいた。もちろん警察も大勢いるけど、その公園だけがわやわやしている。なかに入ろうとすると可愛らしい女の子に「お腹減ってる? 今日はサンクス・ギヴィング・フードを無料でサーブしてるの。ターキーがいい? ヴェジタリアンがいい?」と聞かれる。見れば、たくさんの人がフードラインに並んでいる。「thanksgiving line dinner start here(サンクス・ギビングのディナーの列はここからスタート)」というサインを持った男の人がせっせと列の整頓をしている。レストランや個人サポーターの協力により、5000人分を用意したらしい。私はもちろんターキーをリクエスト。「エンジョイ!」ときびきび働く元気の良い彼女。その横では、「nirvana positively pure 」というブランドの水もサーヴしていた。
ここで働いている人はみんなボランティア。サンクス・ギヴィングらしいことがここでできるとはまったく想像していなかったので、なんだか得した気分になった。メーシーズのサンクス・ギヴィングパレードにいくよりもサンクスギヴィングが味わえるかも。
公園のなかにはいると人びとが思い思いに、メッセージをいれたプラカードを掲げている。物を作って置いていたり、リーディングをしていたり、アコースティック・ライヴをしていたり、遊園地みたいになっている。リーダーというか中心になる人がいないので、どこに行って良いのかもわからず、横ではすでに誰かが警察官と言い合いになっている。誰かが逮捕されていたり、かなりカオス状態だ。カメラやマイクを持った報道陣も多く、まだまだ動きの真っ只なかなんだなと感じる。
私はせっかくなので、そこに座って、サーブしてもらったサンクス・ギビング・ディナーを食べてみた。ターキー(w/クランベリーソース、グレイヴィー)、マッシュド・ポテト、マッシュド・パンプキン、ブレッドが入っていて、きちんとしていた。
しばらく音楽を聞いたり、人びとと交流したり、様子を見ていたが、ヒッピーの聖地のような、すでに観光地のようにもなっている。この動きがどの方向に行くのかは人びとがひとつになって、どのようにこの困難な金融問題/貧困問題に立ち向かうのかにかかっている。時間も経っているし、そこにいるだけでなく何か具体的な、目に見える動きが必要だろう。それがないことには、このカオス状態はこのまま続くと思う。
その日は私たちのまわりのインディ・バンドたちはいなかったが、このあいだにウォール街のデモをサポートするミュージシャンのリストも増えてきているし、インディ・ミュージック・リスナーのなかでは今日のアメリカが抱えた金融問題、経済格差の問題への関心は高まっている。
11月29日には、ユニオンプールという会場で、ライアン・ソウヤー(トール・ファー、スタビング・イーストワードw/Tunde of TVOTR )、GDFX、サイティングスのショーがある。これもこの動きに何かを訴えるショーになる。人びとが未来のためにひとつになることを強く認識したとき、まだ混沌としているウォール街デモの動きにも光が見えるのかもしれない。

進んでも進んでも気がつけば同じ場所に戻っている。ザ・フィールドの音楽は一言で言えばそれである。
反復という手法はもちろんダンス・ミュージックの基本だが、それがリズムやフレーズの徹底したループという意図的なものになると、それはもはやひとつの表現形態で、大げさに言えば人間が生きることのアナロジーになり得ると思う。永劫回帰とか輪廻転生とか大それたことでなくても、寝て起きて、ほとんど同じような毎日を繰り返し続ける生活のことを「リズム」だと呼ぶ感覚を言い当てているのではないだろうか。ほかの反復音楽を聴いていてもそんな風にはあまり思わないのだが、ザ・フィールドの音楽の叙情性、というか「ヒューマンな」感触はなぜだか僕にそんなことを思わせる。そしてそれは、ダンスフロアやベッドルームなどの特定の場所ではなく、もっと日常の生活に近いところにある。
あるいは僕の場合、ループという言葉を聞くとごく初期の任天堂のマリオのゲームを思い出す。正しいルートを選ばないと同じ地形を延々と繰り返す単純なトラップにループと名前がつけられていたのだ。そしてそこで、僕は敢えて間違ったルートを選んで遊んでいた記憶がある。するとテレビに映るのは延々と同じ画面の流れの繰り返しで、それはいまにして思えばある意味サイケデリックな体験だったと言えよう。
本作のタイトルの「ループする精神状態」は、そんな不毛さと快感に同時にはっきりと言及する。ザ・フィールドはループそのものをコンセプトとして意識的に掲げたアクセル・ウィルナーによるプロジェクトであり、無地のクリーム色を背景にアーティスト名とタイトルだけが簡素に記されたジャケットが3作続けられたことにも表れているように、ミニマリズムをその美学としている――のだが、ミニマル・テクノと呼ぶにはどこか、そこからはみ出すニュアンスをつねに孕んでいる。それは例えばタイミング的にもネオゲイザー勢とシンクロしたシューゲイジングな味付けであったり、音の丸い輪郭による柔らかい質感であったり、上モノのメロディが持つセンチメントだったりするのだが、作を重ねるごとにそうした細部により神経を使っていることがわかる。ループという「効用」があるとして、それをフィジカルなものとしてよりもメンタル面にいかに作用させるか、にウィルナーは関心を抱いているのではないだろうか。ザ・フィールドの音楽の手触りはいつも、機械の冷たさではなくどこか体温を感じさせるものである。
この3枚目に顕著なのは何よりも生音のドラムとベースであり、それらによる僅かなエディットのズレやリズムの揺れ、有機的なグルーヴである。基本的に拍は4/4を刻みながらも、裏の拍にビートが入ったりリズムが微妙にシンコペートしたりする複雑さも実は張り巡らされている。半音階がやたら入ってくるシンセの和音。それらによって醸されているエモーションもまた、上り詰めもせず沈み込みもしない単純に喜怒哀楽に分けることのできないもので、デビュー作『フロム・ヒア・ウィ・ゴー・サブライム』においてわかりやすいブレイクやフランジャーで演出された高揚感を思えば、反復が持つ可能性のより奥へと分け入ることに成功していると言えるだろう。
もちろん、ザ・フィールドのひたすら繰り返される音楽のなかにも様々な展開は用意されている。オープニングの"イズ・ディス・パワー"では順序良くドラムが入り、ベースが入り、そして6分ほど経ったところでようやくがらっと風景を変える得意のテクニックを使ってオープニングをソツなく演出しているし、"バーンド・アウト"では途中でやたらメロウな歌が入ってきたりする。そう言えば前作『イエスタデイ&トゥデイ』ではコーギスのカヴァーを唐突にしていたが、それよりも遥かに自然なやり方で歌を自分の音楽に溶け込ませている。ただ、「アルペジオされる愛」と洒落たタイトルがつけられた"アルペジエイティッド・ラヴ"で10分同じフレーズを繰り返しながら次第にギターのノイズが降り注いでくるときの渦巻くようなサイケデリアや、タイトル・トラックにおいてやはり10分かける反復のなかで細かい電子音のフレーズを差し込んでくる周到な快楽への誘いこそが、本作の聴きどころでありザ・フィールドの真骨頂だろう。基本的なやり方は変えずとも、ウィルナーは高揚よりも陶酔の方に向かっている。ラスト・トラック"スウィート・スロー・ベイビー"のやたらに崩した奇妙なリズムだけは新しい手法に貪欲に挑んでいると言えるが、通して言えばザ・フィールドというコンセプトの着地点がこのアルバムだろう。
そして、それは徹底して心地良いものとしてある。作り手によって意図的になされたループを通してそれが達成されるならば、それは不毛な繰り返しであるかもしれない生活を緩やかに肯定し、そこに寄り添うものとなるだろう。同じところをぐるぐる回っているようでも、ひょっとすれば螺旋状に上昇はしているかもしれない。生きることには「リズム」が欠かせないのだと、そのサイケデリアからじわじわと聞こえてくるようである。
私はヨコハマトリエンナーレ2011に関わっている方と話したとき、今回のメダマのひとつがクリスチャン・マークレーの《The Clock》と聞いて、ある感慨をおぼえた。この作品は映画から切りだした映像の断片を現実の24時間の流れとシンクロさせた24時間の長さの映像作品で、鑑賞者は12時にそれを観るとしたら、画面には時計の針が12時を指す映像が映っている。1分程度の断片が線条の時間に沿って延々と展開するのをまのあたりにすることで、私たちは映像の集積がつくるイメージのベクトルに引きずられつつ、おのおのの断片の記号性と向き合うだけでなく、現実の時間をつねに意識することになる。ウォーホルの『エンパイア』や前回のトリエンナーレに参加したダグラス・ゴードンの『24時間サイコ』とか、時間を脱臼させたり再認識を迫る映像作品は、実験映画/映像の分野にすくなくないが、マークレーのように外からではなく、時間の内側で時間と戯れてみせたものはあまりない。というか、原理を転倒させることなく、似たものがないものをつくりあげるのは途方もない手間がかかる。マークレー(とスタッフ)は《The Clock》を制作するにあたり数千の映画を観たという。時計の映っているシーンはないかと血眼になった。キリのいい時間ならそれなりにあるが、ハンパな時間は簡単に見つからない。それは映画のアーカイヴにタグをつける作業に似ていた。あるいは、エスペラント語を学んで長編小説を書くようなものかもしれないと思うと眩暈がする。
宇川直宏は「DOMMUNE開局宣言」で「映像により世界は連帯している」と、映像があふれる時代を指摘した。一方で「何をもって"映像"なのか?」総意のない混沌とした情況に進んで巻きこまれることで、どこまでも「現在」であろうとする。「世界」とのつきあい方をいいたいのだ。クリスチャン・マークレーはアーカイヴを掘ってつなぎ作品にすることで、映像に現実の時間をとりこみ、作品と現在とのあいだに緊張関係をうみだした。映像が現実と相互交通するこの関係の背後に逆・現実拡張というほどの狙いがあったかどうかわからないが、マークレーがふたたび(?)現在のアートシーン(?)の先頭にあらわれたのは、宇川直宏の問題意識と無関係とはいえないと思うのである。なんといっても、マークレーは《The Clock》の展示で今年のベネチア・ビエンナーレでグランプリにあたる金獅子賞を受賞したということだ。ヨコハマトリエンナーレ2011に鳴り物入りで登場したのである。

2011年10月22日 「"Manga Scroll" A vocal score by Christian Marclay」より
ヨコハマトリエンナーレ2011 / 日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)
マークレーはわかりやすい。と書くと語弊があるかもしれないが、もってまわったいい方の現代美術と較べるとそのコンセプトは輪郭がはっきりしている。鑑賞するひとが受ける印象にはちがいがあるのは当然だが、マークレーのいいたいことが伝わらないという心配はない。あるいはいいたいことをねじ曲げて受けとられないという気がする。シンプルなアイデア。それを形にするための偏執的編集。さらにそれを浸透させる伝達力とそこに含まれる笑いがポップさにつながるのはマークレーも例外ではない。しかもここにはヨーロッパ的な屈託というよりも--マークレーはスイス系アメリカ人である--20世紀初頭にカフカが夢想した未来のアメリカの工業化された都市の摩天楼と、それを支えるシステムの影にある野趣を感じさせる逞しさがある。逞しさというのはちょっとちがうかもしれないが、即物的で実体的な手触りはやはり拭えない。この印象は私がマークレーを知った最初に感じたことだ。いまも変わらない。私は彼を90年代前半に知った。マークレーがダウンタウン派と呼ばれるニューヨークの即興音楽シーンに出入りしていたころで、フリージャズの形式を逃れ、ロックやハードコアやオルタナやダンスミュージックに逃走線を敷いたその界隈の音楽家に較べても、マークレーは最初からどこか超然としていた。というか、誰彼のように高度な音楽の素養がないからアイデアで勝負するしかない。ターンテーブルといっても、ヒップホップやバトルDJみたいな系統的なスキルとフォーマットとは関係ない。マークレーの影響下にあった大友良英はターンテーブル音楽を批評として機能させたが、マークレーは諷刺に近かった。諷刺であるからには対象を異化し、なにものからも距離を保たねばならぬ。だからターンテーブルの個数をベラボウに増やすか、会場に敷きつめたレコードを踏ませるか、レコードを切り刻んで接着するか、ヤヤコシイことばかりマークレーは考えていたが、それを簡便に伝達する術をほとんど本能的に心得ていた。才能という言葉を使うのは何もいってないに等しいが、これを才能といわずして何といおう。
マークレーの代表作に、ルイ・アームストロングやジミヘンや、ゲンズブールとジェーン・バーキンの音源をコラージュした数曲を収録した『More Encores』という10インチ盤がある。89年にドイツの〈No Man's Land〉から発表し、97年にクリス・カトラーの〈ReR〉から再発された。当時東証一部上場企業の従業員だった私は社員寮でこの10インチ盤を聴いていた。やや音量は大きかったかもしれないが、そこは折り目正しい企業人であるから、騒々しいということはなかったはずである。ところが一曲目の"ヨハン・シュトラウス"がはじまり誰もが知っている"美しき青きドナウ"をコラージュしたパートにさしかかったとき、隣の部屋の方が壁をバンバン叩く音がした。部屋の模様替えでもしているのだろうと、私は気にかけなかった。レコードの中ではマークレーがヨハン・シュトラウスの三拍子に合わせてスクラッチしている。一拍目にスクラッチが来るのがいかにもワルツだ。興に乗ってきた私は盤面を擦りはじめた。ヨハン・シュトラウスを擦るマークレーを擦る私という連想が私を陶然とさせたそのとき、ドアを激しく叩く音がした。レコードから針をあげ、扉を開けてみると、隣の部屋の先輩が立っていた。スポーティに刈りこんだ頭髪とシャンと伸びた背筋は彼がかつて運動部で厳しい鍛錬を積んだことをうかがわせる。技術職で、たしか工場のシステムを管理する部署だったはずだ。
「きみが音楽を好きなのはわかるけど、キチガイみたいなのは止めてくれないかな」と彼はいった。怒気はふくんでいるが、口調は穏やかである。私はひどくメン食らった。楽しんでいた音楽が他人の迷惑になっていたことに動揺した。
「すみません。以後気をつけます」
その場はそれで収まった。ともに折り目正しい企業人であったのが幸いした。しかし私は考えこまざるを得ない。マークレーが彼の神経を逆なでしたのは、音量でもノイズの含有量とも美意識とも(たぶん)関係ない。教科書に載っている名曲が歪曲されたこと、無自覚に前提としていた教科書的なものの歪みから生まれた「余り」と向き合うことの不安があったのではないか。マークレーは長いキャリアを通じて、観客と鑑賞者にそれを突きつけてきた。境界線はここにある、と。それは案外すぐそばにある、と。そしてまた、その外に踏み出すのは意外に簡単だ、と。ちょっとした頭の捻り具合だ、と。マークレーはいっている。それはヒップホップがブレイクからループを組み立てたこととも、ジミヘンがギターを壊す瞬間だけを持続させる目的でJOJO広重が非常階段を結成したのとも動機はそう変わらない。インダストリーとポップ音楽をまとめてフルクサスの血脈に引きずりこめ! と。マークレーの音楽はそういうふうに耳を鼓舞する。と、考えながら、10月22日、私は日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)に腰かけている。

2011年10月22日 「"Manga Scroll" A vocal score by Christian Marclay」より
ヨコハマトリエンナーレ2011 / 日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)
今日はクリスチャン・マークレーのコンサートである。といっても、マークレーは演奏しない。ヨコハマトリエンナーレ2011の関連イベントとして、マークレーの《Manga Scroll》を巻上公一が「演奏」するのである。簡単に説明すると、《Manga Scroll》は海外(アメリカ)に輸出した日本のマンガに描かれたオノマトペ--当然外国語に翻訳されている--をロールペーパー上に再構成したグラフィック作品で、掲載図版をご覧いただきたいのですが、「KA-BAWM」「FLIP PLOOF」「ZOOOM」「BOOM!」といった大小さまざまな擬声語が左から右へ流れていく巻物(スクロール)形式になっている。巻上公一はこの幅20メートルにおよぶ作品をスコアに見立て、擬声語を音声化するという。

Christian Marclay / Courtesy of Gallery Koyanagi
Image courtesy of Graphicstudio/USF, Tampa, Florida, USA
おおかたの席はすでに埋まっていて--定員制のイベントなのです--演奏者=巻上公一も待機している。最前列で作者が見守っている。三日後にギャラリー小柳ではじまる「Scrolls」展のために来日したのだろう。司会の女性の前口上に続き作者が挨拶する。「中世日本の表現形式である巻物と現代のマンガのミックスであるこの作品を上演するのにマキガミ以上にふさわしいアーティストはいない。マキガミは日本語でいうスクロール、巻紙ですから」と作者は面長な顔をやや上にさし向けてしゃべっている。社員寮の隣の先輩とどことなく似てる、と思ったのはさっきまで彼のことを考えていたからだ。《Manga Scroll》が中央の長机の上に寝かされていて、観ることができないのはちょっと不満だが、コンサートでは観客は演奏者の手元の譜面を見ないのだから、しょうがない。主役はあくまで音だということだ。

2011年10月22日 「"Manga Scroll" A vocal score by Christian Marclay」より
ヨコハマトリエンナーレ2011 / 日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)
巻上公一は声帯を縦横に駆使し《Manga Scroll》を音声化する。『Kuchinoha』『Koedarake』といったソロ・ヴォイス盤の音声実験(実験的音声)における声の可能性を上から下へ、あるいは右から左へ、スクロールするように、巻上は声を引き攣らせ撓ませ歪ませ二重化させる。巻上の声のヴィルトゥオーゾぶりは圧倒的だが、アクロバティックなテクニックに溺れるより、テクニックそのものを戯画化するように思えるのは、マークレーと巻上の思惑の一致というべきだ。オノマトペという、意味でも音でもある言葉をどちらともつかないように音にすることに巻上公一ほど長けたひとはいない。しかも《Manga Scroll》は日本のマンガの擬声語を英語に翻訳したものが元である。そこに誤解や誤読や翻訳不可能性が入りこむ隙間が生まれる。それだけでなく、世界中に知れわたった「マンガ」とカートゥーンやアメコミといった海外コミックとのタッチのちがい--文化的なコードの差異--も《Manga Scroll》には投影されている。あるいはマンガ史という形式の来歴まで視野に入れ、演奏者はつぎつぎ現れる擬声語を読み解いていかなければならない。普段マンガを読むとき、誰もそこまで気にしない。みんな電車の中で普通にマンガ本を開き、電車に揺られている。誌面はコマに割られていて、その中にキャラが描かれていて、フキダシには文章があり、擬声語がそこに描かれた情況や運動を視覚化している。読者はそれら全部を頭の中で統合しながらマンガを読み進めていくわけだけだが、ここでマークレーの側に立って考えてみると、マンガという形式/メディアをサンプリング/エディットするには擬声語に着目するのがいちばんてっとりばやい。というか、これしかない、とマークレーは思った。その発想は大文字の「映画」を「時計」という記号からリエディットした《The Clock》と響き合っている。
巻上公一の演奏が終わって、はじめて実物の《Manga Scroll》を目にしたとき、さまざまな擬声語が紙面上で連鎖し旋回し衝突していた。文字たちが結託してひとりでにDNAの螺旋構造に組み上がったかのようなシームレスな文字列はマークレーの偏執的編集性をうかがわせるだけでなく、文字のデザインのエフェクト(初期マック・デザインを思わせる)がそのまま、この作品をグラフィック・スコアとして使うときに指示記号に転化することを物語っていた。音の長短や高低など、演奏者の決定に任せる部分はもちろんある。であっても、グラフィック・スコアはだいたいそういうものだともいえるのだが、これを詳しく述べるのには私は稿を改めなければならない。(了)
クリスチャン・マークレー「Scrolls」
2011年12月22日まで
GALLERY KOYANAGI
www.gallerykoyanagi.com

2011年10月22日 「"Manga Scroll" A vocal score by Christian Marclay」より
ヨコハマトリエンナーレ2011 / 日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)
シンガー・ソングライターの作品に必ずコンフェッションがなければならないかというと、もちろんそんなことはないし、告白文体を持つものがそのまま優れた作品になるかといえばそんなこともない。しかし告白すべきことのない人間に書ける歌などあるだろうか。自らの「告白すべきこと」――それは自身の暗部とも業とも呼べるものだ――とどのように向き合うのか、近代文学的ではあるが、このレヴェルの問いがある芸術表現にはたとえ言葉がなくとも人の心に食い込む力が生まれる。アトラス・サウンドの『パララックス』を聴いてみるとよい。漱石は、なにか悪事を犯した人間でも、それにいたった動機やその顛末をすっかり完全に記述しおおせることができるならば、その罪はゆるされるのではないかという考察を綴っているが、この作品にはまさにその意味でのコンフェッションがある。
アトラス・サウンドはディアハンターを率いるブラッドフォード・コックスによるソロ・ユニット。〈クランキー〉からスペースメン3のようなスペーシー・サイケ、あるいはハロルド・バッドのようなアンビエント・スタイルを持ったノイズ・アルバムを出していた頃が嘘のように、いまでは独自の音と歌を獲得するにいたったディアハンターだが、それゆえに分化の兆しも見えはじめていた。より歌が前景化してきたというか、これまでバンド形態によって相対化されていたブラッドフォード自身のデーモンが、音のキャラクターに深く根ざすようになったということだ。それはギタリストのロケットのソロ作品が「もうひとつのディアハンター」を体現するような音であることからもわかる。ディアハンターの傑作『マイクロキャッスル』はそうしたなかでバンドとしての最良の均衡が生み出したアルバムだ。アトラス・サウンド『ロゴス』もその分身として最良の結実だった。
それにつづき、ややとりとめのない印象を残したディアハンター『ハルシオン・ダイジェスト』、アトラス・サウンドとしてフリー・ダウンロード形式にて発表された4巻組超ヴォリューム音源『ベッドルーム・データバンク』といった両プロジェクトの近作を経て、本作はブラッドフォードの名の下にようやくこれまでのすべてが統合された作品だと言えるだろう。音楽的に特別な変化はない。特別なのはその凝縮ぶりである。それが歌によってなされていることは、ジャケット写真にも象徴的に示されている。告白という文字をプリントしたいくらいだ。これほどの密度を持ったアルバムは久々に見る。
ブラッドフォードが作品を通して歌い、告白するものがなにかといえば、ふたつあって、愛と孤独である。というか、そのふたつは彼にとっては同じひとつのものなのだろうということが作中からしのばれる。「パララックス」とはそうしたことを指すタイトルなのかもしれない。愛とは孤独のことであり、孤独とは愛のことである。そしてその両方とも、誰かそばにいてくれる人が見つかることで成就する/解消するという種類のものでないことは明瞭だ。たとえば"テ・アモ"において、一緒に眠り同じ夢をみるふたりはそれぞれにとても孤独である。「テ・アモ」、つまりわたしはあなたのことを愛している。しかし「わたしはあなたがただひとりの存在であったかのようにふるまうだろう」というとき彼は孤独である。「あなたはいつも終わっていて、弱りきって、沈み、倒れている」、彼の愛はつねにそうしたものへと向かっていく。短く象徴的な詞を包み、シンセが柔らかくレイヤードに広がるドリーミー・サイケ・ポップ。角の立った音はまるでなく、催眠的なリヴァーブが深くかけられているが、曲の展開をリードする電子ピアノのリフにだけそれが外されている。ぱらぱらとして叙情をはねのけるかのように無機質なその音には、痛いほど孤独の暗示がある。ふたりでいることは孤独でないことを意味しない。そしてその痛みを等量に持つ(「分かち合う」のではない)ことが愛という場所にいたる条件だ......"パララックス"で繰り返される「イコール」はおそらくはそんなことを意味している。いささか断定的に読み過ぎているかもしれないが、大筋で間違ってはいないだろう。トレモロのギターや電子ノイズが浮遊するあいだを縫って、ここでもシンセ・リフだけが醒めた音を出している。締まったリズムとウェスタンなロマンティシズムを持ったフォーク・ロック。表題曲としての深みと華やかさが備わっている。"モダン・アクアティック・ナイトソングス"は「あなたの愛には吐き気を催すだけの価値があるか」という問いかけからはじまる。これも彼が愛という観念に対して抱いている厳しさをよく表しているだろう。
しかしこの愛は、たとえばジェームス・ブレイクが歌う愛となんと違っていることだろう。"テラ・インコグニータ"でブラッドフォードは、完全にひとりきりで、誰も自分を邪魔することのない場所のことを愛と呼ぶのだと歌っている。ブレイクのエモーショナルな愛、過剰な妄想にも思われる愛が隙間の多い音で提示されたのに対し、孤独の別名であるようなブラッドフォードの愛がリヴァーブとディレイの靄に包まれているのもとてもおもしろい対照だ。しかしそれは息の詰まるような靄ではない。多くの作品を経て、透徹したシューゲイズ・サウンドを彼は手に入れた。そこには激情ではなく、穏やかな起伏がある。本作もちょうどそのような起伏を持ったアルバムである。"モナ・リザ"や"ザ・シェイクス"といった躍動的で親しみやすいナンバー(歌詞はその限りではないが)、"フラグスタッフ"のようなアシッド・フォーク、"ドルドラムス"のようなアンビエント・ポップ、いずれにも高い精神性と緊張感が持続して引き継がれるが、そのことが音楽の「聴く」という楽しみを妨げない。彼が表現者としていかに優れているかということが痛いほどわかるだろう。愛と孤独が不分明であるような地点から彼は歌をつむいでいる。ファルセットで繰り返される「ステイ」"アンプリファイアズ"という言葉は、厳しい祈りのようにいつまでも心に響く。
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