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シンガー・ソングライターの作品に必ずコンフェッションがなければならないかというと、もちろんそんなことはないし、告白文体を持つものがそのまま優れた作品になるかといえばそんなこともない。しかし告白すべきことのない人間に書ける歌などあるだろうか。自らの「告白すべきこと」――それは自身の暗部とも業とも呼べるものだ――とどのように向き合うのか、近代文学的ではあるが、このレヴェルの問いがある芸術表現にはたとえ言葉がなくとも人の心に食い込む力が生まれる。アトラス・サウンドの『パララックス』を聴いてみるとよい。漱石は、なにか悪事を犯した人間でも、それにいたった動機やその顛末をすっかり完全に記述しおおせることができるならば、その罪はゆるされるのではないかという考察を綴っているが、この作品にはまさにその意味でのコンフェッションがある。
アトラス・サウンドはディアハンターを率いるブラッドフォード・コックスによるソロ・ユニット。〈クランキー〉からスペースメン3のようなスペーシー・サイケ、あるいはハロルド・バッドのようなアンビエント・スタイルを持ったノイズ・アルバムを出していた頃が嘘のように、いまでは独自の音と歌を獲得するにいたったディアハンターだが、それゆえに分化の兆しも見えはじめていた。より歌が前景化してきたというか、これまでバンド形態によって相対化されていたブラッドフォード自身のデーモンが、音のキャラクターに深く根ざすようになったということだ。それはギタリストのロケットのソロ作品が「もうひとつのディアハンター」を体現するような音であることからもわかる。ディアハンターの傑作『マイクロキャッスル』はそうしたなかでバンドとしての最良の均衡が生み出したアルバムだ。アトラス・サウンド『ロゴス』もその分身として最良の結実だった。
それにつづき、ややとりとめのない印象を残したディアハンター『ハルシオン・ダイジェスト』、アトラス・サウンドとしてフリー・ダウンロード形式にて発表された4巻組超ヴォリューム音源『ベッドルーム・データバンク』といった両プロジェクトの近作を経て、本作はブラッドフォードの名の下にようやくこれまでのすべてが統合された作品だと言えるだろう。音楽的に特別な変化はない。特別なのはその凝縮ぶりである。それが歌によってなされていることは、ジャケット写真にも象徴的に示されている。告白という文字をプリントしたいくらいだ。これほどの密度を持ったアルバムは久々に見る。
ブラッドフォードが作品を通して歌い、告白するものがなにかといえば、ふたつあって、愛と孤独である。というか、そのふたつは彼にとっては同じひとつのものなのだろうということが作中からしのばれる。「パララックス」とはそうしたことを指すタイトルなのかもしれない。愛とは孤独のことであり、孤独とは愛のことである。そしてその両方とも、誰かそばにいてくれる人が見つかることで成就する/解消するという種類のものでないことは明瞭だ。たとえば"テ・アモ"において、一緒に眠り同じ夢をみるふたりはそれぞれにとても孤独である。「テ・アモ」、つまりわたしはあなたのことを愛している。しかし「わたしはあなたがただひとりの存在であったかのようにふるまうだろう」というとき彼は孤独である。「あなたはいつも終わっていて、弱りきって、沈み、倒れている」、彼の愛はつねにそうしたものへと向かっていく。短く象徴的な詞を包み、シンセが柔らかくレイヤードに広がるドリーミー・サイケ・ポップ。角の立った音はまるでなく、催眠的なリヴァーブが深くかけられているが、曲の展開をリードする電子ピアノのリフにだけそれが外されている。ぱらぱらとして叙情をはねのけるかのように無機質なその音には、痛いほど孤独の暗示がある。ふたりでいることは孤独でないことを意味しない。そしてその痛みを等量に持つ(「分かち合う」のではない)ことが愛という場所にいたる条件だ......"パララックス"で繰り返される「イコール」はおそらくはそんなことを意味している。いささか断定的に読み過ぎているかもしれないが、大筋で間違ってはいないだろう。トレモロのギターや電子ノイズが浮遊するあいだを縫って、ここでもシンセ・リフだけが醒めた音を出している。締まったリズムとウェスタンなロマンティシズムを持ったフォーク・ロック。表題曲としての深みと華やかさが備わっている。"モダン・アクアティック・ナイトソングス"は「あなたの愛には吐き気を催すだけの価値があるか」という問いかけからはじまる。これも彼が愛という観念に対して抱いている厳しさをよく表しているだろう。
しかしこの愛は、たとえばジェームス・ブレイクが歌う愛となんと違っていることだろう。"テラ・インコグニータ"でブラッドフォードは、完全にひとりきりで、誰も自分を邪魔することのない場所のことを愛と呼ぶのだと歌っている。ブレイクのエモーショナルな愛、過剰な妄想にも思われる愛が隙間の多い音で提示されたのに対し、孤独の別名であるようなブラッドフォードの愛がリヴァーブとディレイの靄に包まれているのもとてもおもしろい対照だ。しかしそれは息の詰まるような靄ではない。多くの作品を経て、透徹したシューゲイズ・サウンドを彼は手に入れた。そこには激情ではなく、穏やかな起伏がある。本作もちょうどそのような起伏を持ったアルバムである。"モナ・リザ"や"ザ・シェイクス"といった躍動的で親しみやすいナンバー(歌詞はその限りではないが)、"フラグスタッフ"のようなアシッド・フォーク、"ドルドラムス"のようなアンビエント・ポップ、いずれにも高い精神性と緊張感が持続して引き継がれるが、そのことが音楽の「聴く」という楽しみを妨げない。彼が表現者としていかに優れているかということが痛いほどわかるだろう。愛と孤独が不分明であるような地点から彼は歌をつむいでいる。ファルセットで繰り返される「ステイ」"アンプリファイアズ"という言葉は、厳しい祈りのようにいつまでも心に響く。
橋元優歩