先日、素晴らしいアルバム『ISAM』を発表したアモン・トビンのモントリオールでのライヴ映像です。これ、かなりすごいですよ。いまIDMって、こういう発展の仕方しているんですね。
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インディ音楽において、作り手から直接音楽が届けられている実感というのはどの程度重要なのだろうか? 最近、ときどきそんなことを考える。というのは、ここのところこれだけ宅録、ローファイというものがキーワードになっているのは、良くも悪くも音楽の受け取り手がアーティストの側により生々しい表現を求めていて、できるだけそこに手が加わらないことを期待しているからではないか、と推測するからである。ネットを通してそれに直に触れられるインフラが整ったこともあるだろう。ディアハンターのようにそれが功を奏している例もあるが、現在のローファイ・サウンドの多くは、ある意味ではその拙さを屈託なく晒すことによって、生々しさであるとか本物らしさであるとかを割と気軽に自己演出している面があるのではないか。そこに共感が生まれるのであれば、それはコミュニケーションとしてやや安直に思えるところがある。
USインディの90年代においてローファイ・サウンドが大きく浮上したのは、その頃には巨大産業として成立していた音楽業界に対するアンチの意味もこめられていた。だが、もはやアメリカにおいて音楽業界がかつてのように力を持たなくなった昨今では、ローファイの価値観も変わってきたように思うのだ。昨年ペイヴメントの再結成ライヴ――僕は初めてだったが、予想以上にいい加減で痛快なものだった――を観て感じたのは、「自分たちは選択の下にこれをやっているのだ」という自覚と「自分たちは洗練にははじめから興味がない」という少しばかりシニカルな目線だった。かつてのローファイ・サウンドには、たしかにそれだけの気骨のようなものがあった。
チャド・ヴァンガーレンはカナダはカルガリー出身のシンガーソングライターで、本作『ディアパー・アイランド』は4作目となる。すべて〈サブ・ポップ〉からのリリースであることは、彼が大きく北米のインディ・ミュージックの一員であることを示している。そして彼の音からは、「かつてのローファイ・サウンド」を目指しているような気概を感じる。あらゆる楽器を自分で演奏し、それらを組み立てて力の抜けたバンド・サウンドを鳴らしているのだが、どこかが壊れている。正確なピッチを外すギターの音色や、不安定なヴォーカル、揺らぎのあるリズムにそういったものを感じるのだろう。ペイヴメントやセバドーを連想する"ピース・オン・ザ・ライズ"や"バーニング・フォトグラフ"といったバンドっぽい音を、ひとりで作り上げているのはそれだけその辺りのサウンドに執着していることの表れだ。関節がひとつ外れたようなギター・サウンドの"キャン・ユー・ビリーヴ・イット!?"などに顕著だが、あり方としては『オディレイ!』の頃のベックに通じる部分もある。明らかに、最近のローファイよりも90年代のオルタナティヴと呼ばれた頃のそれを思い出させるものだ。いま30代のインディ・リスナーには懐かしいところがあるだろうし、20代にはかえって新鮮に聞こえるかもしれない。
ヴァンガーレンはノイジーなギター・サウンドを鳴らす同じくカナダのバンド、ウィミンのプロデューサーとしても知られているが、彼の音は実のところよくコントロールされている。情報としては、地下室でのレコーディングであった過去3作とは異なり、本作は広いスタジオで制作されたそうだ。しっかり練られ、音にこだわりつつ構築されたローファイ・サウンド。その意味で、そこには倒錯がある。
だが、それでも彼の音楽から聞こえてくるものは、危うさや彼個人の生々しいエモーションである。内省的なトーンのリリックもそうだが、「サラ、家にいるときは僕を起こしてくれ」と震える声で繰り返す"サラ"や、"ワンダリング・スピリット"の物悲しい歌声が危なっかしいバランスで成り立っている演奏と重ねられているのを聴いていると、それが気軽なものには思えない。彼が8、90年代のバンド・サウンドを執念のようにひとりで作り上げているのは、スタイルや美学と言うよりは、自らの感情の受け皿として適しているからだという判断、切実な選択があったのではないだろうか。
最後の"シェイヴ・マイ・プッシー"では、素朴な弾き語りに微かにノイズを重ねながら、ヘロヘロした声で「ベイビー、僕を愛してくれるかい?/僕はほんとうにいやな気分だよ」と歌う。それは孤独な呟きで、聴き手である僕たちには簡単にそれを理解したり共感したりすることはできない。あるいは、ジャケットを開くと出てくるヴァンガーレン本人のイラストによるアートワークでは、腹の辺りから植物のようなものが生えてきている、寄生された人間が累々と横たわるシュールで不気味な光景が描かれている。それもまた奇妙で、独特の居心地の悪さを覚える。そして僕は、そんなミステリアスな奥行きこそがチャド・ヴァンガーレンの音楽の魅力だと思う。たしかに生々しい感情がここにはこめられているはずなのに、いっぽうで簡単に共感されるのを拒むかのような複雑な構造を内包している。そしてその正体が知りたくて、何度も繰り返し聴きたくなってしまう。ジャケットに描かれている鬱蒼とした森に分け入っていくような、そんな体験を誘発する1枚である。
Shop Chart
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これは思いもよらない喜びのアルバムだ。イクエ・モリ(ノーウェイヴ時代のニューヨークにおける最高のバンド、DNAのメンバー)、そして、今年、本当に素晴らしいアルバム『ザ・マジック・プレイス』を〈アスマティック・キティ〉(スフィアン・スティーヴンのリリースで知られる)から発表したジュリアンナ・バーウィックとのコラボレーション・アルバムである。
アルバムのなかにホチキスで止められたハンドメイドの写真集が封入されている(それはそれでひとつの作品と言える)。ページをめくるとふたりの録音風景がある。小さな机の向かって左にバーウィックがいる。彼女の前にはミキサーとマイク、小さなエフェクターが置かれている。反対側にはイクエ・モリがいる。彼女の前にはラップトップとミキサーがある。バーウィックは歌い、その声はコンピュータに注がれ、加工され、消えてしまいそうなギリギリのところでループする。静謐さのなかでモリは控えめながら点滅する光のような電子音、そよ風のような、川のせせらぎのような、あぶくのような電子音を重ねていく。優しい電子の口笛が聴こえる。70年代半ばにおけるイーノのアンビエント・ミュージックでさえも力みが入っていると思えるほどの、綿のように柔らかく軽やかな音がスピーカーから広がっている。時折、抜き差しならぬ緊張感――ふたりは対決しているような感覚――がしないでもないが、即興で録音されたこの演奏を、その場で聴いていた人たちは雲の上を歩いているような、さぞかし極上の気分を味わったことだろう。
曲名を収録順に言えば、"夢のシーケンス(Dream Sequence)""鍾乳石の城(Stalactite Castle)""蓮の池の雨と陽光(Rain and Shine at the Lotus Pond)""応答(Rejoinder)"。録音は2010年の10月29日と11月16日の2回にわたっておこなわれている。『ザ・マジック・プレイス』にイクエ・モリが参加したような......と言えるかもしれない。つまり、この音楽の下地を作っているのはバーウィックだと思われる。それは複数の声のループにそれぞれ変化を与えながら重ねていくスタイルで、イクエ・モリが発信するまるでコンラッド・シュニッツラーのような、あるいは中原昌也のような、まったくの機械の(ときにノイジーな)音は、しかしそれが鼓膜を震わせ脳に信号が送られるときには機械音ではない何か別の音に変化させる。そう、生活感はまるでなく、コンラッド・シュニッツラーが美しい森のなかで舞い上がっていくような、感動的なまでの夢の音楽だ。というか、このジャケが格好良過ぎるでしょう。
追記:6月18日、埼玉スタジアムの浦和戦での清水エスパルスの高原直泰のダイビング・ヘッド、久しぶりにスポーツを見ていて涙が出た。魂のこもった本当に素晴らしいゴールだった。
深夜、ジャマイカから
6人の男が初めてやって来た
ディリンジャー
リロイ・スマート
デルロイ・ウィルソン
それからサウンド・オペレイター
ケン・ブースとUKポップ・レゲエ
バック・バンドにサウンドシステム
連中が何か言おうものなら
ここにはそれを聴くたくさんの黒い耳があるザ・クラッシュ"ハマースミス宮殿の白人"
家のなかが狭いので、いろんな音が錯綜する。ほとんど家で仕事をしているので、当たり前の話、家では長い時間、音楽がかかっている。小学校から帰ってきた子供は、僕がそのときアンビエント・ミュージックを再生していようが、ポスト・ダブステップを再生していようが、あるいはリトル・テンポを再生していようが、「うるさい」と言う。いつもではないが、たびたびそれは言われる。どんな名盤も、どんな名演奏も、それを「聴こうとする耳」がなければ騒音に過ぎない。それが音楽というものを成立させている重要な要素だ。
いつからか日本の音楽誌はインタヴュー記事の占める割合が増えていった。いまではインタヴュー記事だらけの雑誌が主流じゃないだろうか(僕が数年前まで関わっていた『remix』という雑誌などひどいものだった)。ミュージシャンの連載も目に付くようになった。インタヴュー記事やミュージシャンの言語活動は、面白いものもあれば面白くないものもある。人気ミュージシャンであればその言葉を有り難がるファンもいるし、新人ミュージシャンであれば自己紹介となる。それはそれで意味がある。メディアであまり取り上げられない才能あるミュージシャンの声を拾うことも媒介者として大切な働きのひとつだし、「いま、この人の言葉を聞きたい」といういこともある。問題は誌面なりメディアにおける比重が、作り手の言葉に大きく傾いていったことだ。
言うまでもなくミュージシャンとは音で表現している人たちのことを言う。ミュージシャンの言語活動とは、たいていの場合は新作が出たときのプロモーション活動の一環としてある。なかには言語表現の才能にも恵まれているミュージシャンもいて、そういう人は本を出したりもする。音楽活動よりも自分の言語活動のほうが売れる人もいる。その逆のパターン、つまり言語活動をしていた人が音楽家として売れてしまうということは、日本ではまだないし(イギリスにはけっこういる)、どうも日本の音楽シーンにおける言語活動は軽んじられているようなきらいがある。音楽メディアは、文筆家の言語活動の成果よりもインタヴュー記事すなわち音楽家の言葉のほうが多くなってしまっている。しかし、それは音楽文化にとって本当に良いことなのだろうか。
冒頭に引用した歌詞は、ザ・クラッシュの有名な曲の歌い出しで、僕はこの曲を先日惜しまれつつ終刊した『SNOOZER』の「のだな対談」の最終回の「譲れない10曲」のひとつに挙げた。高校生の頃からずっと好きな曲で、パンキー・レゲエの曲調もたまらないし、何よりも最初のヴァースの最後にある「And if they've got anything to say/There's many black ears here to listen」というフレーズが良い。「連中が何か言おうものなら/ここにはそれを聴くたくさんの黒い耳がある」、この簡潔な言葉は音楽のありかたを見事に表している。
「それを聴くたくさんの黒い耳がある」ことは音楽において極めて重要なことだ。「黒い耳」とは、リスナー=音楽に感応する者を指す。その存在があってそれは初めて音楽となる。音楽文化における言語活動とは、言葉表現とは「黒い耳」のことに他ならない。
DJカルチャーは、音楽におけるそうした聴き手の感応力の問題を浮き彫りにする。DJを見ればわかるように、彼らは耳にヘッドフォンを当てている。彼らはみんな聴いているのだ。聴いて、それを自己流に解釈して、再生産している。芸のないDJはそれを繋げるだけに終始する。良いDJはそれを表現の素材とする。デトロイト・テクノは1991年にUKのエイフェックス・ツインやその周辺の連中によって再生産されている。デリック・メイはそうした事態を産業構造の観点から面白くないとぶーたれていたが、文化全体を考えれば重要な出来事で、それがなければ広がりは生まれなかった。
音楽について書くこととは、言葉表現による再生産である。「黒い耳」になることであり、それは音楽を音楽として存在させている重要な行為だ。ゆにえ言語活動における再生産が縮小され、貧困になったときに、どんな名盤も、どんな名演奏も、どんな名録音も、「うるさい」ものとなる。そして、そのような耳による再生産こそが、ある意味ではポップ・カルチャーの核にあると言える。
たとえばジャズの話をしよう。ときとしてジャズ専門のライターよりも菊地成孔のような演奏家が語るジャズのほうが説得力があるように見えるのは、ジャズが基本的には演奏の文化だからだ(ジャズはレコード店では演奏家の名前で分類される)。ゆえに演奏行為をよく知る者は、言葉表現においてもアドヴァンテージがある。そのセンで考えれば、クラシックの語り部は譜面を読む能力を持ち、音楽の構造を分析できる能力が求められることになる(クラシックは譜面によって伝達されている)。そして、クラシックのコンサート会場で、興奮のあまり座席に立って「イエー」と叫ぶ人がまずいないように、「耳」はその場において制御されている。ジョー・ストラマーは「クラシックが大嫌いだった」と言っているが、それは音楽そのものというよりも、そうしたある意味高慢な西欧文明の制御(コントロール)の仕方が気にくわなかったのだろう。レゲエのサウンドシステムにおける「耳」は総じてもっと自由だからだ。
演奏行為を知らなくても、ジャズにおける優れた言語活動すなわち言葉表現はある。その先駆的な例が、リロイ・ジョーンズもしくはビートニクで、彼らはジャズにおいて「耳」としての言語活動を切り開いていったと言えよう。日本にも平岡正明や平井玄、あるいは間章などなど、彼らはまさに言葉を用いてそれを再生産しているわけだが、我々はジャズを聴いてなくても、リロイ・ジョーンズの言葉表現を通してジャズを知ることができる。いや、リロイ・ジョーンズの文章があまりに良かったから、それを独立した言葉表現だと見なして、実際にジャズを聴かなくてもいいやという人がいたとしても悪いことではない。いずれにしても、その言葉表現は読者と音楽との距離を確実に縮めている。それが仮に悪口であっても、優れた悪口なら知らない人にそれを近くに引き寄せることができる。こうした「耳」がもたらす言葉の再生産がさらにもっと頻繁に起きたのがポップスやロック以降の音楽文化だ。
ポップスやロックの特徴のひとつに、素人(子供)がプロ(大人)とタッグを組んでそれが生まれた......ということがある。素人は、平均的にみれば、ジャズの演奏家に比べて劣るかもしれないが、まあまあ演奏できる。あるいは、クラシックの作曲家のように譜面を理解できずとも、簡単なコードの曲なら書ける。そうした素人が業界のプロと組むことで発展したのがポップスやロック以降の音楽文化だと言える。ザ・ビートルズは4人の素人(子供)とジョージ・マーティンやブライアン・エプスタインというプロ(大人)とのチームによってザ・ビートルズとなった。セックス・ピストルズは4人のメンバーとマルコム・マクラレン(もしくはジェイミー・リードやクリス・トーマス)によるチームだった。
素人とはより「耳」に近い存在だ。エルヴィス・プレスリーへの感応者であり、クラウトロックやレゲエへの共振者だ。より再生産的な傾向を強めている表現者と言える。もちろん子供はやがて大人となり、最初に組んでいた大人は追い出されたり、死んだり、とにかくいなくなる。立派なプロ(大人)としてやっていくことになる。だとしても、彼らは子供が成長した大人として存在する。いきなり大人としてどーんとデビューしているわけではない。
このように素人が制作の現場に介入したことが、ポップ・カルチャーにおける言語活動すなわち言葉表現を活発化させたひとつの要因であることは間違いない。音楽学や演奏力とその知識に気後れすることなく、言語活動を展開できるからだ。要するにまあ、素人が偉そうなことを言えるようになったわけだが、しかし......ゆえにそれはポップ・カルチャーとして広く伝染することができたとも言えるのだ。
そもそも、作り手自身に喋らせたりすることよりも、ぜんぜん関係のない他者が豊かな言語活動をするほうが、スター信仰というスターの言うことならなんでも正しいと思えるような教徒たちを従えたものでもない限りは、いろんな点において有益である。ブロガー連中が勝手に騒いだお陰でチルウェイヴが脚光を浴びたように、ポップ・カルチャー(とくにインディ・シーン)は言語活動が活発なところほどそこは盛りあがる。言語活動の質の問題もないことはないが、しかし極論を言えば、たとえ知識量的に乏しく、思慮深さを欠いたものであったとしても言語活動が活発なほうが盛りあがるし、資本主義的に言えば売れる可能性が高まる。みなさんも、キャプションがうまいレコード店だとついつい買ってしまうでしょ。
よって、たまに作り手で(といっても彼も再生産者のひとりなのだが)、せっかく言葉を発する「耳」が多数いるというのに、そうした他人の勝手な解釈にもとづいた言語活動を制御したいがゆえに、ブログをもうけて自分で言語活動までがんばってしまう人もいるが、あんまり幸福とは言えない。「耳」を制限することはその作品の広がりの可能性をもみ消すことになる。制限のあるアカデミックのような場所の外側にいるというのに、もったいない話だ(とはえイギリスのアート系の大学の授業は、総じて言語活動の比重が大きいらしい)。
もったいない話は他にもたくさんころがっている。例に挙げて申し訳ないが、人から聞いたところでは「たかがロンドンに1回行ったぐらいでダブステップをわかった気になって」などとネットのような公の場で言ってしまう淋しい人もいるらしい。こうした経験値や知識量によるカースト制度を主張したいのなら、いっそうのこと「ヴェーベルンの弦楽三重奏の第二楽章」の各部の形式を言えるように学べばいいだろう。ダブステップが本稿の主旨ではないので、これはあくまでもひとつの喩えとして言うけれど、ロンドンに1回行ったぐらいでダブステップをわかった気になってしまうほどダブステップはすごい(あるいはそいつの感受性がすごい)、ロンドンの現場を知らなくてもそれはすごいと思わせてしまうほどすごい......という程度の想像すらできない想像力のなさを破壊しながら広がるのが音楽における言語活動である......。
さて、この話はさらに続くのだが、今回はもう疲れたのでひとまず終わろう。紙ele-kingの作業も終わったようだ(さすが松村正人!)。
さて、次は......ドミューン公式ガイドのほうのサポートにまわらなければ......。
追記:UKの偉大なるベテランDJ、Kenny Hawkesが6月10日になくなられた。彼は90年代後半のディープ・ハウス・ムーヴメントにおけるキーパーソンのひとりで、〈ペーパー・レコーディングス〉や〈20:20ヴィジョンズ〉などから作品を発表しながら、伝説的なパーティ〈スペース〉を主宰し、デリック・カーターなどのシカゴ・ハウス、ブレイズのようなニュージャージーのハウス、デトロイト・テクノ、そしてスカ、レゲエ、ソウルなどをイギリス人的なセンスで、実に幅広くミックスする最高の再生産者であった彼のご冥福を祈る。
1.Holy Other - With U | Tri Angle
ハウ・トゥ・ドレス・ウェルでリスナーの度肝を抜いた〈トライ・アングル〉レーベルが送り出す、今年の注目株のひとり。マンチェスターのホリー・アザーによる5曲入りのセカンド・シングルで、ダブステップとチルウェイヴを通過したセイバース・オブ・パラダイスのゴシック・ロマンといった感じに聴こえる。女性ヴォーカルをフィーチャーした"タッチ"に関しては、さしずめジェームス・ブレイク+ジョイ・ディヴィジョンといったところだろうか。
B面の"ウィズ・ユー"はポーティスヘッドによるダーク・アンビエントのようで、"フィーリング・サムシング"にはブリアルをフェミニンに展開したような甘美がある。12インチ1枚でアルバム並みに大きく騒がれるのはジェームス・ブレイク以来のことだが、たしかに騒がれるに値する内容だ。
2.Ford & Lopatin - Emergency Room | Software
そろそろファースト・アルバム『Channel Pressure』が店頭に並ぶ頃だろう。OPNのダニエル・ロパティンとジョエル・フォードによるチルウェイヴ・ユニット、ゲームスあたらめフォード&ロパティンに改名してからの最初のシングルで、笑ってしまうほどキャッチーな80年代シンセ・ディスコ。な、なんなんだよ~、これは~。ゲームス名義の最初の7インチにあったドロッとした感触は見事に払拭されて、さわやかに聴こえるほどだ。B面では〈DFA〉のギャヴィン・ルッソムによるリミックス、ザ・バグによるダブ・ヴァージョンが収録されている。アルバムは店頭に並んだら買う予定。
3.Fatima - Follow You | Eglo Records
ロンドンの〈エグロ〉レーベルは、ポスト・ダブステップにおいてもっとも大人びでいるレーベルだ。ミズ・ビートの「Are We The Dictators?」がそうだったように、このレーベルにはジャズ/ソウルといった明確な音楽的なヴィジョンがある。ドラムンベースで言えば4ヒーローのような役割を果たすのだろう。
レーベルの運営に関わるフローティング・ポイントがトラックを作っている女性シンガー、ファティマ・ブラム・セイのセカンド・シングルは、このレーベルの底力を見せつける。ファティマの素晴らしいヴォーカリゼーションだけでも充分に魅力だが、フローティング・ポイントによる瑞々しいトラックがこの12インチを特別なものにしている。B面に彫られた"レッド・ライト"はいかにもUKらしいジャズの香気をもったキラー・チューンである。ネオ・ソウルのシーンにおけるエースの登場といったところだろうか。
4.Floating Points - Faruxz / Marilyn | Eglo Records
いま出たものすべて買ってもハズレがないのが〈エグロ〉レーベルとフローティング・ポイントで、片面プレスの10インチ「Sais Dub」の前にリリースされたこの12インチは彼らしい、優雅なアンビエント・テイストとポスト・ダブステップのビートとの美しいブレンドとなっている。A面の"Faruxz"は、いわばデトロイティッシュな濃いめの叙情性が広がっている。動くベースライン、メランコリックなストリングス、瑞々しいフルート......アズ・ワンとラマダンマンの溝を埋めるのはこの男だ。
5.Gang Colours - In Your Gut Like A Knife | Brownswood Recordings
これはジャイルス・ピーターソンのレーベルから期待の新星、そのデビュー・シングル。なかなか侮れないというか、素晴らしいほどトロっトロっのネオ・ソウルで、日が暮れてからでなければ聴きたくないような、美しい真夜中の音楽なのだ。確実にポスト・ダブステップを通過した音数の少ないビートが心地よく、そしてジャズ・ピアノはアシッディな電子音とダブの空間的な録音のなかで絡みつく。ギャング・カラーズは、ファティマとともにネオ・ソウルの主役となるのだろう。はっきり言って、期待を抱かせるには充分な出来である。
6.Vessel - Nylon Sunset EP | Left_Blank
ブリストルからダンスフロア直撃の1枚。ユニークなビート・プログラミングとカオスを秘めた、得体の知れないポスト・ダブステップ系だ。いわばハマり系の音だが、インストラ:メンタルのようにノスタルジックではなく、アディソン・グルーヴをディープ・ハウスと掻き混ぜたような感じというか。タイトル曲の"ナイロン・サンセット"などはいわゆるどんキまり系のドラッギーな音で、ちょっと恐いなーという気もするけれど、ビートの細かいアクセントは面白く、ベルリンというよりもシカゴやデトロイトに近いかもしれない。ペヴァリストもリミックスで参加している。
7.Greg Gow - Twilight Soul EP | Transmat
カナダのトロント在住のDJ/プロデューサーによる2年前の「The Pilgrimage EP」に続いて〈トランスマット〉からは2枚目となる12インチ。もう一貫してデリック・メイ好みというか、思わず走り出したくなるような真っ直ぐなデトロイト・テクノで、「勇気を持て~持つんだ~」と言われているような気持ちになる。
![]() スーパーカー RE:SUPERCAR 1 キューン |
![]() スーパーカー RE:SUPERCAR 2 キューン |
中村弘二はポップ・サウンドの作り手であることと、その管轄外のところで音を鳴らすことの両立をはかる数少ないひとりである。1997年にデビューして2005年に解散したスーパーカーは、その活動中は幅広く愛されたバンドだったが、とくにある世代――おそらく現在20代後半から30代前半にかけて――にとっては、自分たちの思春期においてもっとも影響力のあるバンドのひとつとして記憶されている。そういえば最近、今年に入ってわが国のチルウェイヴ系の作り手として密かに売れ続けているフォトディスコなる青年に会ったとき、彼のバッグにiLLのバッヂがあったことを僕は見逃さなかったが、いま思えば中村弘二のニャントラ名義の最初のアルバム『99-00』(2001年)は早すぎたチルウェイヴ(もしくはアンビエント・ポップ)とも言える。
まあとにかく、若いながらもすでに長いキャリアを持つ中村弘二自らがスーパーカーの音を改編したアルバムが、『RE:SUPERCAR 1』と『RE:SUPERCAR 2』である。この新しい2枚においてはトラックのみがアップデートされている。歌を残したまま、まるで腕の良い職人の仕事のように、彼はちょちょいのちょいと古い楽曲の埃を払って新しい光沢を与えている。それは驚くほどにスーパーカーそのもので、不自然な感じがしない。クラフトワークの『ザ・ミックス』のように、それは本当に純粋にアップデートされたものとしてある。
以下のインタヴューでは、中村弘二のもうひとつの重要な個性であろう音の追求者的なところ、いま現在の彼の興味のある"音"の話題に時間を割いている。それを読めば、むしろ彼の次のiLL、さもなければニャントラが楽しみになってくるだろう。
すでに自分のものではないというか、客観的に聴けるから。自分のものではあるんだけど、自分のものではないというね。だから、ホントに客観的になれているかという不安もあったんだけど、どっかで「いや、もう客観的になれている」という思いがあった。だからできたっていうのもあるんですけどね。
■これは震災前に作ってものなの?
ナカコー:「1」はそうかな。でも「2」は被っちゃったところがあるから。中断があったからね。
■震災によって「2」の内容は変わった?
ナカコー:いや、それはなかったけどね。影響はあるけど、作っているときはそれはなかったから。やることはもう決まってたし、とりあえず、「戻そう」って。とりあえずやってたときの気分に戻さないと作れないから。
■リリースが延びたんだよね?
ナカコー:延びましたね。
■僕は震災後に聴いたんだけど、けっこう感じるものがあったんですよ。たとえば「1」の1曲目の"ウォーク・スローリー"なんかけっこう感動したんだけど、あのイントロも見事なものだったけど、「あせたってひとりじゃどこにも逃げられないから」ととか、いま聴くと違った意味に聴こえるっていうかね。オリジナル・ヴァージョンではもっと皮肉で歌っているわけでしょ?
ナカコー:いや、そうでもないですよ。デビューしたばかりだし、そんな皮肉って感じでもなかった。まあ、自然にやること自体が皮肉めいてるから。
■地震があって、原発のことがあって、いろいろ大変な状況になったわけだけど。
ナカコー:震災後、いろんあことがあるけど、なるべくできることだけをやっていくっていうスタンスを取りたかったし、取りたいですけどね。いまもできることだけやっていくっていう。
■今回のプロジェクトはどういう経緯ではじまったんですか?
ナカコー:最初はレコード会社からそのアイデアが出て、「できるかどうかわからない」っていう状態がけっこうあって。「ほんとに、やるの? やらないの?」みたいな。
■最初は抵抗があったの?
ナカコー:「別にやらなくてもいいんじゃない?」っていうのもあったし、気持ちの半分では「興味アリ」っていうか。
■なるほど。
ナカコー:やったことないからね。やったことがないものには興味があるから「ちょっと面白そうだな」とは思っていた。でも、実際にやったときにどれだけ大変かはわからないから、正式にやるまでに時間がかかった。
■作者としては過去の自分に、それもまあ、10代の自分に向き合うわけだから、複雑なものもあったでしょ?
ナカコー:それはもうなかった。すでに自分のものではないというか、すごく客観的に聴けるから。自分のものではあるんだけど、自分のものではないというね。だから、ホントに客観的になれているかという不安もあったんだけど、どっかで「いや、もう客観的になれている」という思いがあった。だからできたっていうのもあるんですけどね。
■DJカルチャーでいうリミックスという解体をせずに、歌をしっかり残したでしょ。
ナカコー:10代の頃の作品なんかは、当時は何もわからないで作っていたし、いまわかることが当時はわからなかったし、それをいまの感じに直したいというのがあった。いま聴く人のために作ろうっていうことだったから。
■曲を完全に違うものにするっていう考えはなかった?
ナカコー:それはまったくない。あんまり解体はせずに、新曲と向き合うような感じで、もっと良い曲にするために作業するって感じでしたね。
■「1」と「2」を分けたのは?
ナカコー:いや、そこは前期と後期っていう、ただそれだけ。あと量的なこともありましたね。
■『フューチュラマ』以前、以降という分け方になっているけど、その分岐点というのはあるんでしょ?
ナカコー:「1」はまだデビューする前に作った曲が多いんですよね。
■そうなんだね。
ナカコー:「2」のほうはデビューしてから書いた曲だから。デビューしてから2年ぐらいは曲を書いてないんですよ。それで久しぶりに書いたら視点が違うものになっていた。自分ではそんな大きく変わったとは思っていないんだけど、ちょっと見方を変えたぐらいでしかないんだけど。
■「1」に収録された曲を作ったのって何歳ぐらい?
ナカコー:17~18歳ぐらいですね。
■"サンデー・ピープル"を入れなかったのは?
ナカコー:単純に作業的なことですね。かなりキチキチのなかでやってて、間に合わないっていうのがあって、ぱっと思いついて、「この曲ならこうできるかも」っていうのだけを選んでいるから。だから、やったらやれるけど、時間がかかる。
■ハハハハ。そういうことなんだ。敢えて外しているのかと思った。
ナカコー:そういうのはない。とはいえ、どういうアルバムにするのかちょっと迷っていた。1曲目と最後だけは決まっていて、で、作業しいてくなかで、「1」のほうは鳥の声とか波の音とか、ライブラリー音源を入れはじめてからすーっと曲順が決まっていって。1曲終わってからはコツがつかめてきて。
■音は当時の音も使っているでしょ?
ナカコー:ほとんど当時の音。当時の音を使ってミックスを変えた。弾き直したのもあるけど。
■いろいろ思い出したことあるでしょ?
ナカコー:思い出したことはあるけど、それが何かまでは覚えていない(笑)。
[[SplitPage]]ミニマリズムという考え方が好きだというのもあるかもしれないけど。ミニマリズムって、蓋を開けてみたら音が少ないわけだから、興味の矛先が音にいってしまってる。で、やっぱり音なんだってなってしまうと、結局ミニマルの概念に興味はないなと。やっぱひとつひとつの音の面白さ、そこだけでいい気がしてきて。
■僕が初めて取材させてもらったのは、『フューチュラマ』(2000年)のときだったよね。「ストロボライツ」(2001年)の前ぐらいかな。そのときナカコーがものすごく熱くクラブ・ミュージックについて語っていたのをよく覚えているんだよね。
ナカコー:大多数の人から見たら、テクノやクラブ・ミュージックを聴く人なんて少なかったから、「面白いのになー」と思っていたし、「こんなに面白いのにどうやって伝えたらいいんだろう」とも思っていたんですよね。だから自分の音楽のなかに少しずつそれを入れてみたっていうのもあるんですけど。
■プライマル・スクリームや『キッド・A』の話もしていたよね。
ナカコー:音楽の中身というよりも、ひとつの記号としてわかりやすかったからね。ロックなんだけどロックじゃないみたいな、そういうことを肯定してやっちゃうというか。
■今回は大量のデモ音源まで入れて2枚組にしているでしょ。それはどういう意図があって?
ナカコー:いろんな意図があるんだけど、いちばん大きいのは値段の問題。
■いくら?
ナカコー:3300円。3300円で十何曲って、(リスナーに)ちょっと悪いなって思うから、なんかおまけを付けたいと思ったし。デモテープは膨大にあるし、そのなかから編集して付ければ少しはお得かなというか。
■あんま夢がある話じゃないんだね(笑)。ただ、デモ音源面白かったけどね。
ナカコー:もちろん、楽曲がこういう風にして生まれるっていう記録としても面白いかなって思ったし、あと、ヴォリュームがあるものを作りたかったから。
■ナカコーって、つくづく音の人......音か言葉かって言ったら、間違いなく音の人だと思うんだけど、いろんな音が好きじゃない?
ナカコー:好きですね。
■自分の好きな音の傾向についてはどう思ってる?
ナカコー:音楽じゃなくてもいいっていうか、音だけでもいい。なんか音楽的なものほどいま聴けなくなってきちゃって。
■ホント?
ナカコー:音だけのCDのほうが全然聴けるし。
■例えば?
ナカコー:ピアノが一定のコード進行でただボーンボーンって20分ぐらい流れているCDとか。
■現代音楽?
ナカコー:現代音楽も好きだけど、そんなに現代音楽してないような60年代とか70年代のレコードとか。
■ドローンとか。
ナカコー:そう、ドローンとか、あとノイズも好きだし。ノイズもそうだけど、音として面白いのがやっぱ好きかな。それが複雑なコード進行や複雑なリズムではなくても、プログレ的な何かじゃなくても別にいい。
■最近そうなったって感じ?
ナカコー:うん、気づいてきましたね。
■きっかけがあったの?
ナカコー:だんだん聴けなくなってきた。感情移入できなくなってきた。
■曲になってると?
ナカコー:うん、曲になってるともうわかんねーな。
■なんで(笑)? 聴きすぎなんじゃない?
ナカコー:ハハハハ。ていうか、難しいっていうか、何も思わないっていうか、音が面白いアルバムのほうがいい。
■でもちゃんと今回も"ソング"になってるじゃん。
ナカコー:うん、そういう頭のときはできるんだけど。今回は既存曲だったし、もう"ソング"になってるから、自分の興味のある要素をちょっと入れたりした程度なんだけど、もしいま新曲を作るとなると、ポップスというか、歌のある曲はいまは作りづらいっすね。
■それは逆に、すごく楽しみな話だよ。iLLではミニマリズムを追求して、取り入れていたと思うんだけど、その先にあったものがドローンやノイズだったっていう感じ?
ナカコー:んー(しばらく考え込む)......ミニマリズムという考え方が好きだというのもあるかもしれないけど。ミニマリズムって、蓋を開けてみたら音が少ないわけだから、興味の矛先が音にいってしまってる。で、やっぱり音なんだってなってしまうと、結局ミニマルの概念に興味はないなと。やっぱひとつひとつの音の面白さ、そこだけでいい気がしてきて。まあ、(ミニマルとそれは)関係性はありますけどね。
■まあ、アグラフくんとそこで気が合うんだろうね。
ナカコー:牛尾くんも変な音楽聴いてますからね(笑)。
■彼はミニマルだけど、しかしナカコーはなんかジョン・ケージみたいになっていくのかね(笑)。
ナカコー:ジョン・ケージ、好きですけどね。
■お湯を沸かすときに出る水蒸気の音が面白いとかって言う人だもんね。
ナカコー:その気持ちのほうがいまはわかりますね(笑)。
■リアリティを感じる?
ナカコー:聴いてて楽しいし。自分の気持ちの邪魔もしないし、考えずに聴けるし。
■そうした自然の音も面白いけど、でも音楽家は、そこで創造しているわけだしね。
ナカコー:だからいま思い浮かんでいるのは録音技術ってことかな。自然の音だけで50分終わってしまうようなCDは好きじゃなくて、やっぱそれを加工しているもの、それを使って物語を作っていけるようなものだったり、まあ、でも、ポップ・ミュージックでも録音してそれを配置してってことだから。ただ、いまないモノを探していったとき、テクノはテクノで普通にあるし、「あの人はこういうことをやってる。この人はこういうことをやってる」って、「じゃ、自分は違うことをやろう」ってなると、なんとなくそっちに行くのかな。
■「そっちに行く」ってというと?
ナカコー:聴いてて、時間感覚を感じさせる音楽というか、作品というか。それはやってみたいんですよね。1曲目は無音で、2曲目は無音のなかにひとつ音が入るぐらいの。それで60分を20曲ぐらいで構成されているようなもの。
■そういうことはニャントラ名義でやってる、やろうとしていることなんじゃないの?
ナカコー:うん、ニャントラでやってることも近くなってきましたね。たぶんいつか統合されるのかもしれないけど(笑)。
■すごいよねー、ナカコーって(笑)。
ナカコー:もちろんバランスも考えますよ。それに歌が入ってるようなものってできないかなと思っているし。実験的だけど、聴きやすいものっていうのができたらいいんですけどね。
■生活のなかでほとんどの時間、音楽のことばっか考えているでしょ?
ナカコー:うん、ほとんどのことがすでにやられているでしょ。せっかく自分で音楽やってるんだし、「何か(新しいこと)ないかなー」とは思っているけど。
■ずっと作っているっていうイメージがあるんだけど。
ナカコー:いまは(ラマを)制作中だからそうだけど、制作していていないときは考えているときが多いですね。楽器は触らないでずっと考えている。
[[SplitPage]]ドローンを聴いてても、6分ぐらいやればいいのに、それを2分で終わらせているヤツとかみると、共感持てますね。「だってドローンをやりたいわけじゃないもんね」って。たぶん、その瞬間をやりたかっただけで、ドローンを追求したいわけじゃないんですよ。
■数年前、まだディアハンターがいまほど有名じゃない頃、マネージャーさんに「アメリカのディアハンターっていうのがiLLに似てるんだよね」って言ったら、数日後に「ナカコーはあんま好きじゃないみたいですいよ」って言われてさ(笑)。あとになって「そういうことか」って思ったけどね(笑)。
ナカコー:いや、好きじゃないとは言ってない(笑)。
■でもまあ、近いっていうのもね。
ナカコー:そう、自分からは夢中にはなれない。想像が付く選択肢のなかでこういう道を選んだってことだと思うからね。そういう意味ではカセットテープで出している連中の音は面白いよね。ジェームス・ジェラーロとか。あの人なんか、もう音楽ですらない(笑)。
■そうだよね。そのギリギリのところをいってる感じはあるよね。
ナカコー:ああいうのは、いまちょっと良いですよね。「あ、このアイデアはないかも」って思える。それと同時に「あー、やられた」って思うんだけど。毎日、そんなことの繰り返しですけど。
■でもあれだよ、それ言ったらニャントラみたいなベッドルーム音楽はいまUSのインディですごいよ。
ナカコー:あ、それはちょっとそう思ったかもしれない(笑)。
■ひと昔前ならグランジやっていたような子が、いまはアンビエントやドローンを作ってるでしょ。
ナカコー:ドローンを聴いてても、6分ぐらいやればいいのに、それを2分で終わらせているヤツとかみると、共感持てますね。
■えー、それはどんなところに?
ナカコー:やっぱ2分で終わらせるところに。「だってドローンをやりたいわけじゃないもんね」って。たぶん、その瞬間をやりたかっただけで、ドローンを追求したいわけじゃないんですよ。
■じゃあ、静寂に共感しいたのは?
ナカコー:あれはもう、灰野(敬二)さんのアイデアが最先端だなって。灰野さんはいまもって聴いたことのない音楽にチャレンジしてるっていうか、そこが伝わるものだったから。
■なるほど。紙ele-kingのほうに書いてもらったナカコーの年間チャートがけっこう興味深いものだったよね。ところで今後はラマ(アグラフ、フルカワ・ミキらとの新バンド)をやりつつ、iLLのほうもやっていくんだよね?
ナカコー:ラマに関してはもっとわかりやすいポップスをやっていくと思うし、iLLのほうはいま面白いアイデアが浮かんだから、それを完成させたいなって感じ。
■iLLにはまた新しい方向に進んでいく感じっていうのがあるんだね。
ナカコー:ありますね。ただ、その前にラマのほうがいま進行中なんで、時間的にちょっと後回しになってしまうんだけど。
■ニャントラは?
ナカコー:あれはもっと気軽に出したいと思ってます。パッケージじゃなくてもいいし、あってももっと簡素でいいし、もっと直に、ツイッターで「1枚欲しいんだけど」って言われて「はい」って渡せるようなものにゆるくできたらいいんですけどね。
■なるほど。じゃ、最後にスーパーカーに話を戻しますが、アルバムでいちばん好きなのは?
ナカコー:『アンサー』(2004年)かな?
■それはどうして?
ナカコー:ようやく面白い盤が出せたかなと思ったからですね。
■当時は解散するつもりもなかったみたいだしね。
ナカコー:でも「これが最後かなー」と思って作ってましたよ。バンドでできることってけっこうやったかなって思っていたし、バンドって4人の共同物だからそれを保てるところにいま来てないなと思っていた。
■僕もスーパーカーは好きだったけど、ある世代にとってのスーパーカーってものすごいものがあるじゃない。
ナカコー:うーん、でもまあ、もう時間が経ってるしね。17~18歳ぐらいの若い子で「聴いてます」って言われるとびっくりしますけどね。
■「1」のほうを聴いたら、どこかかまってちゃんに似てるなって思ったっていうか、かまってちゃんがスーパーカーに影響受けてるっていう話を聞いたことがあるんで。
ナカコー:会ったことあるけど、面白い変なバンドだよね(笑)。
■アートワークに関して最後に訊きたいんだけど、こうした日常のなかの非日常はスーパーカー時代からの中村弘二のテイストだと思うんだけど、それと音楽との関連性について。
ナカコー:自然のなかに組み込みたいというか、作為的なことはほとんど嫌いだっていうのがあって、作為的なアレンジとか。わかりやすくするためにわかりやすい音を入れるとか、そういう自由を制限するみたいな。テレビが見れないのも、字がいっぱい出てきたりするのがイヤなんですよ。
■テレビは見ないんだ?
ナカコー:見れなくなっちゃいましたね。情報が多すぎて。ないほうがすっきりして見れるのに、なんでごちゃごちゃ入れるのかって。そういうのが気になるんですよ。白い服を着ている人がいるのになんで赤い文字を出しているのか、気持ち悪くなったりするんですよね。時計の時報がピンク色だったり。そういうのがどんどん、強く苦手になってきて。
■それでアンビエントやドローンのほうにいくのかな(笑)。
ナカコー:強制的に流されているっていうのがイヤですよね。ネットはこっちから選択するから気にならないんですよ。でも、テレビは付けたら強制的にはじまるから、それがイヤって言うか。だからたしかにアンビエントの考え方は好きですけどね。
■なるほど。
ナカコー:あと70年代のドキュメンタリー番組の音楽も面白いですけどね。最近は60年代~70年代のライブラリー・ミュージックばっか聴いてるから。『KPMミュージック・ライブラリー』とか、あんなの。ああいうのって、いま聴くとエレクトロニカと同じだからね。
アメリカにはサイケデリック・ロックの広大な沃野があり、「サイケデリック・ロック」という言葉を狭義にとらえるならば......サーティーンス・フロア・エレヴェーターズやディープ/フリーク・シーンなど黎明期を代表するカルトなガレージ・サイケや、あるいはシルヴァー・アップルズなどの電子サイケ、メジャーどころではグレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインらいわゆるシスコ・サイケのフォロワーたちとしてとらえるならば......現在でもじつに多数のバンド名を挙げることができるし、現地にはまだまだ数えきれないほど同種のバンドが存在するはずである。
日本では何に相当するだろう、上方漫才とかだろうか? 歴史を更新するような方法の模索は薄いが、廃れることなく脈々とオリジナルの血を受け継ぎ、変わらぬファン層を抱えている。なかにはぴりっとしたバンドもいて、M-1グランプリの上位に入賞する、華やかでみずみずしいコンビのなかに混じった古風で高度な芸達者のように、ワールド・ワイドにフック・アップされたりするわけだ。ザ・ブラック・エンジェルズはまさにそうしたバンドの嚆矢である。
ザ・ブラック・エンジェルズ。2004年、テキサス州オースティにて結成、バンド名の由来はヴェルヴェット・アンダーグラウンドの"ザ・ブラック・エンジェルズ・デス・ソング"。2005年にデビューEP、翌2006年にデビュー・フル・アルバムをリリースし、2008年にセカンド・フル、本作『フォスフィーン・ドリーム』は母国では2010年の9月にリリースされた3枚目となる。
どの作品もそんなに変化はないが、すべて高水準、ヘヴィでブルージーなガレージ・サウンドには壮年のファンも膝を打つだろう。ただ今作ではフラワーなバッド・ヴァイブは和らいでいて、『ピッチフォーク』も指摘しているが"ハウンティング・アット・1300・マッキンリー"にはアニマルズの意匠があり、"イエロー・エレヴェーター・#2"はピンク・フロイドを思わせるオルガン・リフやゾンビーズ的なシークエンスを持ちあわせていて、多分にブリティッシュな品格を漂わせる音になっている。日本のファンにはこの作品がいちばん馴染みやすいかもしれない。
よってこうしたバンドの作品については「どの曲が好きか」という語りに落ち着いてしまうのだが、これがまた難しい。どれもよいからである。というか、それぞれにいちサイケ・ファン、ないしは自らがサイケの偉大なる伝統の中のいち分子だというようなスタンスから作られていて、まるで歩くサイケ図鑑、どのページを繰っても様々な名盤の影が顕ちあがってくるのだ。そこで各楽曲の参照元を暴いたり、どのバンドのファンだということを述べあうことには私自身さほど興味がない。
ただ、こうした音は時代の煽りを受けない。それは特筆すべき点である。いずれは消えてゆくポップ・ミュージックのいかなるムーヴメントにもない強度を持っている。そして完成度の高い、彼らのリスナーとしての知識の深さまでが偲ばれる音は、店頭演奏で必ずや多くの問い合わせを受けることになるだろう。いつの時代にも一定のファンがあり、それでなくても多くのバンドによって磨かれてきた方法の数々にはそれだけの遺産とポテンシャルがあるのだ。我々は"ハウンティング・アット・1300・マッキンリー"のファズに一発で心と身体をつかまれたり、表題曲のコズミックなサウンドに脳をとろけさせたり、"ザ・スナイパー"のスライド・ギターがつなぐブルーズとテックス・メックスに酩酊したりするだろう。それは約束されていたことでもあり、しかし卓越した技能によってこそ可能だったことでもある。
プロデューサーはD.サーディー。ブラック・マウンテンやホーリー・ファックなどを手掛けるその経歴は、時代とサイケデリック・サウンドとの距離感を正しくつかむ人物なのだろうということをほのめかせる。アニマル・コレクティヴやディアハンター、アリエル・ピンクなどによって広げられてきた「サイケデリック」の今日的な意味や先鋭性のかたわらに、こうした伝統の継承者たちによる迫力あるパフォーマンスがあることをよろこびたい。
いやー、できました、
現実逃避したくてもいよいよできなくなってきた震災後の言葉が詰まった『現実逃避』号。
6/24発売予定です!
以下、目次です。買ってください、
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なお、掲載されるアイテムの一部を対象にしたキャンペーンをタワーレコードの一部店舗で実施します。6月24日(金) ~ 8月14日(日)のあいだにキャンペーン開催店舗で対象商品お買い上げのお客様に先着でele-kingバッジかステッカーのどちらかをプレゼントいたします。開催店舗、対象商品などキャンペーンの詳細はタワーレコードや本サイトにて後日発表いたします!
ele-king Vol.2
■contents
1 巻頭フォトストーリー 鈴木親
〈EKジャーナル〉
10 タイラー・ザ・クリエイター
12 ブルックリン●松村正人
15 バンクシー●水越真紀
18 シック・チーム二木信
〈特別企画〉
20 ルポルタージュ311●磯部涼/久保憲司/小原泰広
〈Eコラム1〉
32 浜岡、80年のアトミック・カフェ、そして現在へ●河原崎禎/大久保青志
〈TAL-KING1〉
36 ハドソン・モホーク●木津毅
〈巻頭特集〉
42 現実逃避
46 feel good societyにおける憂鬱●野田努
48 ウォッシュトアウト インタヴュー●野田努/小原泰広
59 往復書簡:震災後のアンビエント●松村正人×三田格
64 エスケープ・ミュージック100 part1
●加藤綾一/木津毅/野田努/橋元優歩/松村正人/三田格
78 〈コズ・ミー・ペイン〉●野田努/小原泰広
82 USヒップホップの変貌●高橋圭太
86 エスケープ・ミュージック100 part2
〈no ele-king〉
100 テニスコーツ●磯部涼/小原泰広
〈論考・〉
106 Kポップの共振圏●南波一海
〈小特集〉
UKベース・ミュージック
110 ベースを越えて●ウィル・ソウル
114 ダブステップが消えるとき+レヴュー10●飯島直樹
116 トドラ・T インタヴュー●野田努
〈特別企画〉
123 灰野敬二伝●松村正人
〈連載コラム〉
132 キャッチ&リリース●tomad
134 私の好きな●牛尾憲輔(agraph)
136 編年体ノイズ正史●T・美川
140 新連載・水玉対談●こだま和史×水越真紀
〈カルチャーコラム〉
146 EKかっとあっぷあっぷ
●樋口泰人/五所純子/小濱亮介/プルサーマル・フジコ/東谷隆司
〈TAL-KING2〉
156 大野松雄●松村正人/菊池良助
〈Eコラム2〉
162 リーマン・ショック以後のUSインディ●木津毅
〈特別企画〉
エレキン・アニメ
166 さやわか×三田格×mochiron(三毛猫ホームレス)/春日正信
〈Eコラム3〉
174 激自然農法●湯浅学
〈巻末特集〉
「いま聴きたくない音楽」
176 ピチカート・ワン/田中宗一郎/対談:大川卓也×橋元優歩/菊地成孔
表1~4●宇川直宏
表2●鈴木親 表3●菊池良助
Current Top 10
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TOWA TEI - SUNNY 手放しで絶賛します。 |
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![]() 2 |
Metro Zu - Softwork Hardhead こんなラップが聞けて2011年もすばらしい。 |
![]() 3 |
Teams vs. Star Slinger - The Yes Strut アーバン、メロウ、セクシー。 |
![]() 4 |
Hypnotic Inc. - EP1 大阪梅田ダブ・テクノ若手最高峰。 https://vol4records.com/main/007.html |
![]() 5 |
Submerse - Agepoyo UK新進気鋭のガラージDJが日本旅行で持ち帰ったモノとは。 https://soundcloud.com/submerse/agepoyo |
![]() 6 |
Sentinels - Hyperglow 少々前ですが当時かなり衝撃を受けた。8-bar grime。 https://soundcloud.com/sentinels/hyperglow |
![]() 7 |
Ikeda X - Vol.01 すぐ太くてウォームにしがちなディスコ・エディット業界でこのタイトさ。 |
![]() 8 |
POOLSIDE - Do you believe こんな暮らしがしたい。 |
![]() 9 |
Cherry Brown - I'm 沢尻エリカ 日本語ラップでこの808。他の曲も総じて良いです。 |
![]() 10 |
tofubeats & Onomatope daijin - 水星 年内に黒い樹脂が出ます。 |























