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RYO KAWAHARA
GOTTA GIVE IT ALL FEAT. GEORG LEVIN
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昨年のアカデミー賞でジェフ・ブリッジスが主演男優賞を獲得した『クレイジー・ハート』は、落ちぶれたカントリー・シンガーがゆっくりと再起する物語――それは本当に幾度となく語られてきた物語だ――で、その映画を思い出すときに頭に浮かぶのは、ジェフ・ブリッジスのだらしない身体と逞しい歌、そしてそこに映されていた広大なアメリカの田舎の風景......ワインディング・ロードだ。アイアン&ワインの音楽を聴いているとそんなアメリカの風景が広がる......変化のない眺めが延々と続くような、ひたすらだだっ広いだけのアメリカ......。サム・ビームのあの髭面のせいで、アイアン&ワインにも巡業するシンガーというイメージがついて回るが、彼が歌う景色はいろいろある。荒廃していく郊外を思わせるものもあるし、耳を澄ませばたくさんのアメリカがある。
アイアン&ワインことサム・ビームは、風景描写で世界を見せるタイプのシンガーだ。それは彼が画家を目指していたということとも関係しているのかもしれない。素朴なコーラスが鮮やかに響くフォーク調のナンバー"ツリー・バイ・ザ・リヴァー"はこんな風にはじまる。「マリアンヌ 覚えているかい/川岸のあの木を/ぼくらは17才だった/暗い峡谷、呼びかける声とこだま、牧草地の真っ黒な雌馬が歯を剥いていた」
若き日の記憶が、瑞々しい川岸の景色とともに蘇ってくる。それこそまるで映画のような......ちなみにサム・ビームは、フロリダの大学で映画を教えていた経歴の持ち主だ。
サム・ビームにとって通算4枚目のアルバムとなる『キス・イーチ・アザー・クリーン』はシンセ・ドローンからはじまる。リード・シングルでもあったこの曲"ウォーキング・ファー・フロム・ホーム"は、同じメロディを繰り返しながらしかしヴァースごとに大胆にサウンドを変え、エレクトロニックな意匠も交えながらゴスペルへと向かっていく。歌の主人公は「家から遠くを歩いていた」と、目にしたものを語り続ける。映画のように場面はどんどん変わっていく。「ハイウェイを見た/海を見た/法の館で寡婦たちを見た/都会の裸のダンサーたちはぼくたちみんなのために喋っていた」
彼は放浪者であり、そして、サム・ビームもまたアルバムで多様な音を放浪する。ジャズにブルーズにアフリカンにソウル......それらはごちゃ混ぜではなく、きちんと曲ごとに使い分けられ、乗りこなされている。ルーツ・ミュージックとモダンが戯れるように、カントリー調の曲の背後ではエレクトロニック・ノイズが囁いている。
アルバムはとくに中盤、大胆な展開を見せる。8分の6拍子の"ラビット・ウィル・ラン"は鍵盤打楽器と笛の音色を生かしたトライバルなダンス・トラック、かと思えば続く"ゴッドレス・ブラザー・イン・ラヴ"はギターとピアノとコーラスだけで引き込む美しいバラッド。一転、管楽器が活躍するファンキーで茶目っ気のある"ビッグ・バーンド・ハンド"は......フュージョンだ。バック・バンドと衣装を変えながら、しかしフロントマンはそのままにショウは進む。
アルバムの根幹にあるのは彼の穏やかな歌だ。それは初期のアシッド・フォークから繋がっているものだが、ここでは形を変え、ずいぶん洗練された姿になっている。本人によれば、70年代のカー・ラジオ・ヒット曲を念頭に作ったそうだ。84年生まれの僕がそれを連想することは難しいが、この音楽が70年代のレイドバックしたアメリカを向いていることはわかる。つまりまだデジタル文化に支配されていない時代の、埃っぽいアメリカ。もちろん、『キス・イーチ・アザー・クリーン』が強調するのは郷愁などではない。過去から学ぶことの前向きさだ。ラストの"ユア・フェイク・ネーム・イズ・グッド・イナフ・フォー・ミー"の後半のブルーズで、サムは「同時に現在と過去になろう/何度も何度も」と歌ってアルバムを終わらせている。
多くのインディ・バンドやソングライターが集まったコンピレーション『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』にアイアン&ワインは1分少しの穏やかなフォーク・ソングを提供している。そこでの彼は、現在のUSインディの充実を示すことに貢献しているようでもあった。が、自身のこの新作では、彼はそのたんなるワン・オブ・ゼムではないと主張してもいる。アメリカ的な歌うたいとして、その土地が生んだ音楽を自分こそがさらに前進させてみせるのだと......そう、それはメッセージでも政治性でもなく、あくまで"歌"のためにある。その情熱が、ここではさらに露になっているのだ。そして彼の歌の瑞々しさに、僕はいま鮮やかな興奮を覚えている。
これまでヴァレンタインとはほとんど無縁な人生を送ってきた、そしてこれからもそのように過ごすつもりだ......が、この「ヴァレンタイン」は気になるね。2011年の注目株のひとり、SBTRKTのヒット・シングルにフィーチャーされたふたりのシンガーによる「ヴァレンタイン」である。すでにシングル発売され話題になっていた曲で、知っている人も少なくないはず。ele-kingからヴァレンタインに無縁なみなさんへのプレゼントということで......。
アンビエント本に2011年の項目があったらコレで決まりかもしれない(......まだ11ヶ月あるけど)。イタリアからアリオ・ダイ&ツァイトによるサード・コラボレイションで、日本語に訳すと『解釈学的庭』。ヴィンセント・ラジオのレギュラー番組でオン・エアしたときはディーと発音してしまいましたが、ダイが正しいそうです。ヴィンセントではシングルやこのサイトで取り上げ損なったものをなるべくピック・アップするようにしていて、アンビエント盤というのはどうしてもレヴューのタイミングが難しかったりするので、どちらかというとこれはつなぎのつもりで「オレンジ色のビジョン」をかけたところ、たいていは3分ぐらいでフェイド・アウトしているにもかかわらず、聞き役のタキシムやスタッフからもうちょい、もうちょいといわれて結果的にかなり長々とかけてしまったという......。番組が終わってからも問い合わせが来たりして、あまりにも反応がよかったので、こちらでもやっぱり紹介したほうがいいかなと。活動歴20年を越えるアリオ・ダイをアンビエント本から省いてしまった理由などはヴィンセントの過去ログで話してます(1/30放送分)。
前2作は聴いていないので、常にそうなのかはわからないけれど、ここで展開されているアンビエント・スケープは驚くほど和やかで、ジャケット・デザインから想像するような物々しさは皆無。最初から最後まで柔らかい陽射しを浴びつつ、何も特別なことを感じないでいられるというか。ツァイトのカリンバやダイによるフィールド・レコーディングが緻密に、巧みに人工自然を練り上げていく。なんだろう、この穏やかさは......本当に。忌野清志郎の言葉を借りれば「悪い予感のかけらもない」か。アレックス・パタースンが親近感を覚えるという湿地帯のメンタリティでもない。サン・エレクトリックのような強引さもないし、ブライアン・イーノほど背景に引いてしまうわけでもない。感情の揺れがあるわけでもないし、エゴがあるわけでもないわけでもない。"風の物語"と題された3部作が前半、オーロラに触れているような(って、触ったことないけど)"ヒノキの泉""融点"と続いて、最後がそれらの集大成ともいえる"オレンジ色のヴィジョン"。どの曲も同じようなものなのに、このまま終わらないで欲しいと願いつつ......(なぜか1曲目しか配信はされていないらしい)。
イタリアからもうひと組、オパーリオ兄弟によるマイ・キャット・イズ・アン・エイリアンは、企画盤やコラボレイションを除くと実に4年振りとなる21作目(Rを除く)。トリノの市街からアルプスの山中にスタジオを移したことで、それまで徹底的にイメージを集中させていた「宇宙」というテーマから、むしろ、ノイジーでインダストリアルともいえる作風に変化していく兆候が窺えた時機もあったものの、最終的には大地や地球といった「自然」を想起させる感触に落ち着いたようで、ドローン・インプロヴァイゼイションとしては正統に回帰した印象も。この数年で灰野ケイジやローレン・コナーズとコラボレイトしてきた影響があったりするのか、オープニングで透き通るようなアルペジオを延々と聴かせたりする以外はとくに方法論が変化したとも思えないのに、与える印象はかなり違ったものに。そう、06年に7枚のアルバムをリリースした後、オリジナル・アルバムは一気にリリース量が減ったにもかかわらず、コラボレイションに関しては相変わらず旺盛で、昨年末には(この3月で83歳を迎える)エノーレ・ザッフィーリとも『スルー・ザ・マグニファイイング・グラス・オブ・トゥモロー』をDVDとの2枚組でリリース。ここで聴くことができる闇夜の気配が伏線となったのだろう。ザッフィーリが持ち込んでくるミュージック・コンクレートのテクスチャーに逆らうこともなく(=これまでのように極端なクライマックスをつくらず)、僅かな差異を示しながら創られていく空間性を、そのような拮抗性から解き放ち、自分たちの流のアンビエント・ドローンとして再生させている。ダイ&ツァイトがタイトル通り、徹頭徹尾、気持ちよくつくられた人間不在の人工庭園だとしたら、オパーリオ兄弟のそれは自然の表情を様々にとらえたドキュメンタリー番組のようなものだろう。イタリアでは果たしてどちらのほうがマイナーな感性なのだろうか。※初回100部限定で箱入り、マーブル・ヴァイナル仕様、CDrおよびDVDr付き。
ちなみにスイス電子音楽の重鎮であるザッフィーリはアンビエント・ミュージックの先駆といわれる人で、1968年にはじめられた『ミュージック・フォー・ワン・イアー』はアルヴァ・ノトやミカ・ファイニオを先取りしたシグナル系の快作。08年にジュゼッペ・イエラシ(裏アンビエントP199)のマスタリングでCD化されている。
チルウェイヴという、ある意味では70年代のディスコにも似たトゲのない享楽的な音楽が、それが共感であれ反感であれ、アーケイド・ファイヤーの政治性よりも多くの言葉を誘発していることは面白いとしか言いようがない。とはいえ、チルウェイヴからディスコのような確固たる文化背景が見えて来るわけでもない。いまのところは。
ポップ史上初めての、特定の場所を持たないこのムーヴメントは、2009年にはじまっている。アメリカのいくつかの場所から発表された共通の感覚を有するいくつかの音楽――ジョージア州メイコンのウォッシュト・アウトをはじめ、ニューヨークのネオン・インディアン、ニュージャージのメモリー・テープス、ブルックリンのスモール・ブラック、そしてサウス・キャロライナ州コロンビアのトロ・イ・モアらの音を、それらを面白がったブロガー連中がチルウェイヴ(ないしは(グローファイ)と名付けたのだ。80年代的シンセとダンスビート、シューゲイザー的アトモスフィア、メロウなサンプリング・ループ――こうした要素がパンダ・ベアやアリエル・ピンクのサイケデリック・ポップと遠からず近からず接続しながら発展したものだと言えるだろう。言ってしまえば軟弱そうな、腰をくねっているようなこの音楽が、ある種のマッチョイズムを苛つかせるのだろう。ええい、はっきりせい! というわけだが、はっきりしたくないのだ。マッチョイズムが望むようには。
トロ・イ・モアと名乗る、アフリカ系アメリカ人のチャズ・バンティックは、チルウェイヴにおけるエースのひとりである。彼が2010年に発表したファースト・アルバム『コーサーズ・オブ・ディス』は、ウォッシュト・アウトの「ライフ・オブ・レイジャー」とともに、チルウェイヴなる新用語を多くの音楽ファンに暗記させた張本人でもある。『アンダーニース・ザ・パイン』は彼のセカンド・アルバム、いまだアルバムを発表しないウォッシュト・アウトに比べるとハイペースで、実際、シーンにおいて先陣切っての2枚目となる。
『コーサーズ・オブ・ディス』はフライング・ロータスの『ロサンジェルス』めいたグリッチ・サウンドを砂糖と生クリームでべったりと甘く展開したアルバムだったが、『アンダーニース・ザ・パイン』にグリッチ的な要素はない。より多くのオーディエンスとの出会いを求めてポップにアプローチしているようだ。もちろん、甘ったるいロマンスに満ちたポップである。"ニュー・ビート"や"スティル・サウンド"のようなメロウなディスコは、お望み通りのチルウェイヴといったところだろうけれど、新作を特徴づけるのは"ゴー・ウィズ・ユー"や"ディヴィナ"のようなソフト・ロック路線だ。マルコス・ヴァーリのようなラテン的エロティシズム、あるいは少年時代に観ながら性的な妄想を膨らませた『男と女』のサントラのような、とにかく目を見張るロマンスのてんこ盛りだ。"ビフォア・アイム・ドーン"や"ガット・ブラインドネス"にいたってはわが国の渋谷系が発掘したロジャー・ニコルス&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズである。多くの曲では甘々のコーラスが軽やかに駆け抜ける。そうしたソフト・ロック的な文法が、たとえば"スティル・サウンド"ではシンセ・ポップのなかにうまくデザインされている。
『コーサーズ・オブ・ディス』はサマー・オブ・チルウェイヴである。恥じらいもなく恍惚に満たされている。"グッド・ホールド"~"エリス"へと続くアルバムの最後は、愛の気配のみに支配されたチルアウトである。あと2~3段、階段を上がればスエーニョ・ラティーノだ......というのはまあ大袈裟だけれど、しかし、いや、参った参った。チャズ・バンティックはチルウェイヴを拡張したばかりか、前作以上に甘味に磨きをかけてきたのだ。
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これはシンガー・ソングライターのアルバムである。歌は、ジョニ・ミッチェルの『ブルー』、もしくはアントニー&ザ・ジョンソンズのように悲しく美しいソウル、トラックはブリアルとマウント・キンビーがタッグを組んだように暗く透明で、ダブステップ以降のビートを有している。が、これはいま喩えに挙げたどの名前の音楽とも違っている。ジェームス・ブレイクはここ最近では、もっとも実験的なアーティストとして知られているのだ。
2010年の夏前、僕たちの耳を惹きつけたのは"CMYK"だった。ケリスの"コート・アウト・ゼア"という大ネタを、それとわからないように巧妙にサンプリングしたそのポスト・ダブステップのダンス・ミュージックは、アントールドやラマダンマンと同じようにアンダーグラウンドの最前線に躍り出た。それどころか、無名の青年が作った1枚の12インチ・シングルがシーンを大きく揺さぶった。
クラブ・カルチャーのこの新しい夢に僕たちは素早く反応した。慌てて、ラマダンマンのレーベル〈ヘッスル・オーディオ〉から出ている「ザ・ベルズ・スケッチ」、そしてマウント・キンビーのリミックス盤を探した。
それから数か月後にリリースされた「クラヴィアヴェルクEP」で、彼は重厚なベースの上でピアノを弾いた。そして同時期にYoutubeにアップされたファイストのカヴァー曲"リミット・トゥ・ユア・ラヴ(あなたの愛への限度)"で彼は歌った。彼の声帯は、サンプリング著作権をめぐる訴訟を回避するためだけだったとは思えない。いま思えばそれはたしかに、22歳の英国人青年のデビュー・アルバムのイントロダクションないしは予告として申し分のない曲だったのだから。
待望のデビュー・アルバム『ジェームス・ブレイク』には、21世紀のポップの重要課題が含まれている。それは昨今のオートチューン・ブームに象徴されるように、ヴォーカル・トラックにおけるデジタル処理というテーマだ。Tペインをきっかけにオートチューンが流行はじめたとき、わが国でも何人かの識者がそれを批判の対象としたそうだが、しかしそうした「けしからん」という言葉とは裏腹に、ほとんど世界的に、オーヴァーグラウンドでもアンダーグラウンドでもそのブームは途絶えていない。ドレイクのアルバムでもグイードのアルバムでも、ザ・ストリーツの新作でも、あるいはクレヴァの武道館のライヴでも、それはほとんど時代の暗号のように使われまくっている。(それは......その昔ドラムマシンやサンプラーが流行ったときに「これは音楽ではない」という批判があるいっぽうで、機材は容赦なく氾濫したことを思い出させる)
ブリアルの"アーチェンジェル"はそうしたデジタル処理による歌を、オートチューン的なお決まりのポップな音色にするのではなく、深夜の都会のまるで幽霊の声のように仕上げてみせた。ブレイクの"CMYK"は、そして、電子的に加工した歌にさらなるヴァリエーションを与えた。しかもブレイクの手さばきは、ずいぶんと細かかった。彼はまるで、そう、歌のデジタル処理そのものを演奏しているようだった。彼の"芸"は「クラヴィアヴェルクEP」でも披露された。ベースを聴けばわかることだが、そのシングルは"CMYK"と同じようにクラブ・カルチャーを背景に持つ音楽だった。
が、"リミット・トゥ・ユア・ラヴ"は違った。いわゆる"歌モノ"のそれは彼自身が歌う歌で、歌はときにエフェクトがかけられ、あるいは一瞬揺らいでいた。そうした微妙な不安定さと簡素なピアノ、長いブレイク、ダブステップ以降の閉所恐怖症的なビートないしは震えるベース、そして"あなたの愛への限度"という決して楽天的ではない曲の主題がぴたりとハマった。
アルバム『ジェームス・ブレイク』はそのヴァリエーションである。つまり、はなっから"CMYK"を期待している人は間違いなく混乱をきたすものと思われる......(そういう意味でブレイクは、多くの期待を裏切っているかもしれないが、同時にそのことは彼の非凡さを際だたせている)。
1曲目"アンラック(不運)"は、その素晴らしい入口として申し分のない出来の曲だ。変調された歌声と分裂症的なビートの組み合わせの上を、中世の修道院に響き渡るように、オルガンの音が重なっていく。"ザ・ウィヘルム・スクリーム(ウィルヘルムの悲鳴)"もまた、言うなれば映画『薔薇の名前』のようだ。マッシヴ・アタックのダークサイドをさらに実験的に展開しているようだが、反響する音はキングストンのダブというよりも洞窟のそれで、悲しみに沈む"アイ・ネヴァー・リーント・トゥ・シェア(私は分けることを知らない)"はゴシックそのものである。
アルバムは、そして、極北のR&B"リンデスファーネ"から"リミット・トゥ・ユア・ラヴ"へと繋がっている。続いてピアノ・バラードの"ギヴ・ミー・マイ・マンス(私に私のひと月を下さい)"、それから歌を電子的に弄ぶ"トゥ・ケア"でブレイクはさらに愛を懇願する。歌は電子的に加工され、支離滅裂な展開をするが、本質的にはハウス・ミュージックにおけるトーチソング(求愛の歌)のような濃厚なエモーションがある。
そして、ふたたびピアノ・バラードの"ホワイ・ドント・ユー・コール・ミー(何故僕を呼ばないの)"。続く"アイ・マインド"はアルバム中もっともビートが前面に出ている曲で、もっとも怪しく、もっとも混沌とした曲でもある。こうした彼の独創的なリズム感をもうちょっと聴きたかったというのは正直な話......ある。クローザー・トラックの"メジャーメント(測量)"はゴスペルだ。震えるベースが震える歌声の合唱とともに演奏され、曲はあっけないほどピタっと終わる。
ジェームス・ブレイクは、もっと手っ取り早く、簡単にみんなを喜ばせる作品を作ることができたはずである。彼にとって「CMYK EP」や、あるいは「ザ・ベルズ・スケッチ」や「クラヴィアヴェルクEP」のヴァリエーションを考えることは容易なはずだ。が、しかし彼は、まったく別の、ある意味では反商業的とも言える創造的な道を選んだ。そして『ジェームス・ブレイク』は、アートワークの彼のポートレイトがそうであるように、なかば匿名的にぼやけながらも僕たちに強烈なインパクトを与えている。そのインパクトは、これから先のエレクトロニック・ミュージックもしくはポップ・カルチャーに向けられているのである。
作業はきわめて孤独のうちにおこなわれるものだし、もともと愁いを帯びた曲が好きだった。ジョニ・ミッチェルの『ブルー』ばかり聴いてたときもあった。感情に訴えかけるようなものを作りたいという思いはつねにある。
■本当に素晴らしいアルバムができましたね。アルバムの最初の曲、"アンラック"を聴いた瞬間に傑作だと思いました。日本でもあなたのシングルが出るとすぐに売り切れるほどの人気なんですよ。
ブレイク:ありがとう。僕のレコードを買ってくれる人が日本にもたくさんいるというのは、あまり知らなかったな。そうだといいなとは思ってたけど。嬉しいね。
■あなたのファースト・アルバムを楽しみにしているリスナーがとても多いので、よろしくお願いします。
ブレイク:こちらこそ。
■いま住んでいるのはロンドンの......
ブレイク:ブリクストンだね。
■ちなみに生まれはロンドン?
ブレイク:いや、生まれたのはもう少し郊外の北のほうで、エンフィールドってところなんだ。ロンドンの市内からだと車で3~40分くらいの場所だね。
■まず、アルバムの話の前にあなたの音楽的な背景について質問します。あなたが音楽にのめり込んだ経緯について話してもらえますか? 小さい頃から楽器には親しんでいたのですか?
小学校のころから歌っていたね。サム・クックとかオーティス・レディングとかスティーヴィー・ワンダーなんかの古いソウルが好きで、そういうレコードにあわせて歌ったりしてた。
ブレイク:正直あまり、明確なきっかけみたいなものは覚えていないんだけど6歳のころからピアノを弾いていたんだ。というか父親も音楽をやっていた関係で、最初から自然と音楽がまわりにあって、誰に言われるでもなく、という感じだったかな。ギターも持ったことがあったけど、ピアノのほうがしっくりきて、結局ずっとピアノをやることになった。
■「クラヴィアヴェルクEP」、10インチ・シングル「リミット・トゥ・ユア・ラヴ」、そして今回のアルバムはとくにピアノを強調されていますが、ピアノの音色はあなたにとってどんな特別な響きを持っているんでしょうか?
ブレイク:そもそも6歳のころからピアノを習っていたからね。ダブステップに接したのは学生になってからだけど、それよりずいぶんと長い時間を、ピアノと一緒に過ごしてきたので、むしろこちらが自分にとっての自然な姿なんだと思う。
■いつぐらいから自分で歌っていたのですか?
ブレイク:小学校のころから歌っていたね。サム・クックとかオーティス・レディングとかスティーヴィー・ワンダーなんかの古いソウルが好きで、そういうレコードにあわせて歌ったりしてた。
■アルバムを聴くと、あなたはトラックメイカーというよりもソングライターと呼んだほうが適切なんじゃないかと思うのですが、ご自身ではどう思いますか?
ブレイク:うーん......(しばらく沈黙)。他の人が自分にどのうようなラベルをつけても、僕は自分のことをやり続けるだけだと思う。正直どっちでもかまわないかな。トラックメイカーと言われればそうだと思うし、ソングライターと呼ばれても問題ないし、別の何かでもかまわない。
[[SplitPage]]R&Bそれ自体というよりも、R&Bのヴォーカルをサンプリングするやり方、とくにブリアルやマウント・キンビーのやり方に触発されて......というところが大きい。彼らの出音を聴いて面白いなぁと思って、でも同じことをやるのはどうかと思い、自分なりのやり方をできないかといろいろとトライして、ていう。
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■"CMYK"ではケリスの"コート・アウト・ゼア"をサンプリングしていましたが、あなたにとってのR&Bからの影響について話してもらえますか?
ブレイク:R&Bそれ自体というよりも、R&Bのヴォーカルをサンプリングするやり方、とくにブリアルやマウント・キンビーのやり方に触発されて......というところが大きい。彼らの出音を聴いて面白いなぁと思って、でも同じことをやるのはどうかと思い、自分なりのやり方をできないかといろいろとトライして、ていう。それまで他の人がやることに影響を受けて、ということはほとんどなかったんだけど、これに関しては、彼らのことを追いかけながら自分の流儀を編み出していった。
■"CMYK"のように、大ネタをわからないように借用するという手法は、あなたにとってある種の"悪戯"のような感覚だったのでしょうか?
ブレイク:悪戯というよりも、ヴォーカルのサンプリングという手法自体を、もう少し高い次元に持っていきたいというか、それ自体はもう当たり前の手法なんだけど、ひと手間加えてユニークなこと、オリジナルなことをしてみたいという意識があった。
■デスチャの"ビルズ・ビルズ・ビルズ"やリル・ウェインの"ア・ミリー"の非公式のリミックスもしていますよね。ああいうのはあなたにとってどんな面白さがありますか?
ブレイク:実はあれにはテーマがあってね。その名の通りハーモニーを加えているんだ。リル・ウェインとかオリジナルはほとんどビートとヴォーカルだけだけど、いろいろとハーモニーさせてのリワークになってるんだよ。ただのアンオフィシャル、というわけではないんだ。
■アルバムを聴くとあなたがとてもクラバーとは思えないのですが、しかしベースとビートからは確実にアンダーグラウンドのクラブ・シーンとの共振を感じます。あなたとダブステップ・シーンとの関係について話してもらえますか?
ブレイク:はじめて〈FWD〉に行ったときは衝撃だった。それまでダンス・ミュージックのことなんかまったく考えたこともなかったけど、あの日を境にすべてが変わった。それからロジックとかいじるようになって、少しずつトラック制作の技術を身に付けていったんだ。クラブで体験したような音楽をアウトプットしようといろいろと試行錯誤を重ねた。幸運にも〈ヘムロック〉や〈ヘッスル・オーディオ〉と知り合うことができて、ダブステップというシーンの一員に加わることができた。他方でマウント・キンビーを通じてザ・XXなんかと交流を持つようになったり、いま自分が置かれている環境を考えると、自分がどこにいるのかっていうのを言い表すのは簡単ではないよね。もともとロンドンという場所自体が、そういうところだと思うし。
ダブステップのクラブの何が好きかって、とても内省的な空気が流れているんだけど、そこにはとても強い繋がりというか連帯感を感じることがあるんだ。そういう雰囲気にそぐうものができるのではないかと思って、やった。
■あなたのアルバムを聴いていると、音楽はそれぞれ違えど、ブリアルの世界観ととても近いものを感じます。真夜中の街角で、孤独で、そして雨が降っているような情景が浮かびます。あなたにとってブリアルはどんな存在ですか?
ブレイク:ハハハハ。そうだね、ブリアルのすごいところは、ダブステップのアイコンというか、そういう立場でありながら、なおかつそこからかなり逸脱しているというか。彼のファンって、必ずしもダンス・ミュージック・リスナーだけじゃないよね。ダブステップとかクラブとかを超えたところにまでその音が届いている。アンビエント的なファンも多いと思うし。本当に尊敬すべきアーティストだと思うよ。ダブステップ・シーンにとってだけじゃなくて、いまのイギリスの音楽全体にとっての大きな財産なんじゃないかな。あと彼もR&Bなんかのサンプリングをいろいろと駆使しているけど、その使い方や処理の仕方が他の誰よりもズバ抜けてうまいと思う。最近だとマウント・キンビーもそうだけど、それかブリアルか、という感じがするね。
■2009年に「エア&ラック・ゼアオフ」で〈ヘムロック〉からデビューするにいたった経緯を教えてください。その後、どうして〈ヘッスル・オーディオ〉と〈R&S〉からリリースしたのかも。
ブレイク:"エア&ラック・ゼアオフ"は、プロデュースをするようになってから初めて完成させた曲だったんだけど、ある日、リンスかどこかで曲を聴いてくれたジャック(アントールド=〈ヘムロック〉主宰)のほうからアプローチしてきてくれたんだ。ジャックと〈ヘッスル・オーディオ〉の連中はもともと知り合いだったし、よく一緒につるんでいたりもしてたので、その〈ヘムロック〉を通じて〈ヘッスル・オーディオ〉とも仲良くなって......という感じ。〈R&S〉は、マネージャーがもともとそこで働いていた関係で繋がったんだよね。正直このレーベルにドップリな感じのテクノ・キッズではなかったけど、歴史のあるレーベルで、それでいてとても先進的な考え方を持ったレーベルだと思うし、ここでリリースすることができて本当に光栄だった。
■"リミット・トゥ・ユア・ラヴ"が今回のアルバムのはじまりなんでしょうけど、あの曲をカヴァーした理由を教えてください。多くの曲があるなかで、あの曲を選んだ理由はなんでしょうか?
ブレイク:単純に、クラブでかかったらいいんじゃないかと思ったんだ。間違ってもポップ・ソングを作ってヒットを飛ばしたいとか、そういう理由ではないね。ダブステップのクラブの何が好きかって、とても内省的な空気が流れているんだけど、そこにはとても強い繋がりというか連帯感を感じることがあるんだ。そういう雰囲気にそぐうものができるのではないかと思って、やった。
■"CMYK"のようなヒット曲、あるいは「クラヴィアヴェルクEP」に収録された曲を再録しなかったのは、レーベルの契約的な問題ですか? サンプリングの著作権的な問題ですか? それともアルバムのコンセプト的な問題ですか?
ブレイク:アルバムがどういうものになるか、という自分のイメージもあったけど、たとえば"CMYK"はケリスとか使ってるし、物理的に無理、というのもあったよね。
■アルバム全体がメランコリックな雰囲気を持っているのは何故でしょう? あなたの世界の見方がそうなのか? あるいは、あなたの音楽的な好みの問題なのでしょうか?
ブレイク:必ずしも統一したひとつのテーマのもとに制作を進めたわけではなかったけど、ギグやDJの行き帰りに電車のなかでリリックを考えたり、深夜にひとりでコツコツとパソコンに向かいながら曲を作ったり、たいがいの作業はきわめて孤独のうちにおこなわれるものなんだ。それがある程度は影響していると思う。ただもとから愁いを帯びた曲が好きだったりもするけど。いっときジョニ・ミッチェルの『ブルー』ばかり聴いてたときなんかもあった......。
■ああ、なるほど。ジョニ・ミッチェルの『ブルー』の感覚はたしかにアルバムから感じますが、これは間違いなく2011年の音楽です。
ブレイク:感情に訴えかけるようなものを作りたいという思いはつねにあるからね。歌詞に関しては、半分は哀しみや孤独について、あと半分は、もう少し皮肉がきいているようなものなんだよ。ぜひ意味を汲み取ってもらえたらいいな。
※以下、我が親愛なるテクノDJのメタルが膨大な時間をかけて書いてくれた原稿である。
2010年はアンビエントの当たり年でした。マーク・マッガイア、カルロス・ニーニョ、ジェームス・ブレイク、マキシミリオン・ダンバー......。そして年末の最終入荷、モーリッツのこのシングルも。編集長に先を越されましたがもういち度。
過剰な音圧がかかったキックのクラブ・トラックから距離を置いて、クラウトロックやアンビエントを下敷きにバンドとしてのテクノの可能性を追求したアルバム『ヴァーティカル・アセント』から早1年、〈ベーシック・チャンネル〉のモーリッツ・フォン・オズワルド、ルオモやウラディスラフ・ディレイの名義で活躍するサス・リパッティ、サンエレクトリックやNSIそしてジ・オーヴのエンジニアとして知られるマックス・ローダーバウアー、欧州ダブ音響の粋が結集したジャズ・トリオからの最新作です。トリオに加えギターに〈リズム&サウンド〉でお馴染みのティキマンことポール・セント・ヒラーレ、そしてアコースティックジャズの名門〈ECM〉で活動するマルチプレイヤーのマルク・ミュールバウアーがベースで参加しています。
アルバムの延長線上でのアプローチですが、ベースが加わったためバンドとしてのグルーヴ、強度が増しています。エコーがかかった空間のなかでドラムやパーカッションが作りだすリズムを下敷きに、ギターやベースとフェンダーのローズ・ピアノが作り出す不協和音が山水画のように緩やかに変化を遂げていくアンビエントタッチのディープ・ハウスです。
『ヴァーティカル・アセント』と三田格編集の『アンビエント・ミュージック』が引き金になり、面白い動きが出てきています。僕自身が落合の〈Soup〉でオーガナイズする〈Evening Star〉、あるいはSilencioを中心に三軒茶屋の〈Orbit〉で開催されている〈トコノマ〉等、キックの下に埋もれていたテクノの音楽性を再発見するアンビエント・パーティの復興です。
プログレッシヴ・ディスコの文脈でのレア・グルーヴとしての掘り起こしではなく、ミックス・マスター・モリスのようなレゲエやソウルのセレクターとしての視点でもありません。ミニマル・テクノとドローン通過後のミックスに重きを置いたアンビエントです。サウンドクラウドにMethaneの名義でアンビエントを目的としたミックスを掲げているので参考に聴いてみてください。このシングルではありませんが『ヴァーティカル・アセント』の収録曲"Patterns 1"を使っています。https://soundcloud.com/methane-1
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Apex- Inner Space - Subtitles |
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Eric Prydz - Niton (The Reason) METRIK RMX - Mos |
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Phesta - Prism -TECHNIQUE |
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John B - Red Sky(SUBSONIK RMX) - Beta |
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Sigma & Logistics - Dream 2 Reality - Hospital |
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Mindscape - Dreamworld - Commercil Suicide |
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Panic Girl - Hide And Seek(DUO INFERNALE RMX) - Shadybrain |
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Camo & Kroked - Shoreless - ViperI |
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Strobot - Shameboy(NETSKY RMX) - Murdock's Rader |
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Unknown - Driving Blind - Love |
ワイアーは、頻繁に表に出るタイプではないが、僕の世代にとって重要なロック・バンドのひとつだ。意味不明な攻撃を浴びせる"12XU"もさることながら、初期の(そしていまやアート・パンクの伝説となった)3枚のアルバムにおいて、このバンドは、ワイアー流のミニマリズムを開発した。
ロックにおけるミニマリズムと言えば、たいていの場合は70年代のカンやクラフトワークといったクラウトロックが思い浮かぶものだが、ワイアーは、それをパンクのふるいにかけて、彼らの"反復"を創出した。名作(......といってもワイアーはすべてが名作なのだが)『154』の有名な"北緯41度西経93度"を聴いていると、僕たちは地図に刻まれた垂直の線のなかにいた。ワイアーの音は、無機質で、直線的で、ときにマシナリーだった。バンドのギタリストであるブルース・ギルバートは、ギターを楽器というよりも発信器のように扱った。彼のアンビエント・プロジェクトであるドームもまた、情緒というものがはいる余地のない抽象絵画のようだった。彼らの美学については彼らのアートワークが雄弁に物語っている。知りたければ、どの作品でも良いから1枚選んで眺めてみるといい。説明過剰なもの、具象的なもの、情緒的なものとは正反対のステージの上で、ワイアーはロック・バンドのふりをし続けているのだ。
『レッド・バークド・トゥリー』は、ブルース・ギルバートがいないワイアーにとって2枚目のアルバム、2年前の『オブジェクト47』に引き続いて、ギターとヴォーカルにコリン・ニューマン、ベースとギターにグレアム・ルイス、ドラムにロバート・グレイといったオリジナルの3人による録音である。そして『レッド・バークド・トゥリー』はコリン・ニューマンによるアコースティック・ギターのストロークに特徴づけられている。
それはワイアーの長い歴史において興味深い変化でもある。それは穏やかに展開される『ピンク・フラッグ』(1枚のLPに21曲をぶち込んだ彼らのデビュー・アルバム)のようにも思えるからだ。面白いことにそれは、山本精一のソロ・アルバムにも近い音の作りで、まあとにかくエレクトロニクスを応用した〈ミュート〉時代とはもっとも異なる方向性でアルバムは彩られている。"プリーズ・テイク"や"アダプト"のような曲は、そしてアルバムのクローサー・トラックでありタイトル曲でもある"レッド・バークド・トゥリー"は、つまり、フォーキーなワイアーなのだ。彼らにしては驚くべきほど人当たりが良い音で、僕には自分を耳を疑うほどエモーショナルに聴こえる。しかも、これらの楽曲は素晴らしく美しい。
それでもファンが最初に熱狂するのは、間違いなく"トゥ・ミニッツ"だろう。ギターのフィードバックからはじまる"12XU"系のパンク・サウンドは、ワイアーにしか演奏できない毒のこもったミニマル・サウンドだ。慈悲のはいる余地のない態度で、世界を疑いの目で見続けているバンドらしい、2分弱のジェットコースターだ。"クレイ"や"モアオーヴァー"といった曲は『154』とXTCの中間を進んでいくようだ。"バッド・ウォーム・シング"をLCDサウンドシステムを好きな若者が聴いたら、このバンドがトーキング・ヘッズと並んでアート・ロックの双璧と言われる理由を理解するに違いない。そして......アルバムのクライマックスの"スマッシュ"は"北緯41度西経93度"の再解釈である!
"トゥ・ミニッツ"でワイアーはこう歌っている。「知っているかい? コーヒーは食料と幸福の代替物ではない」。これはアレゴリーなのか、バカげたナンセンスなのか、どこまでが冗談なのか、われわれはしばし困惑する......が、そのすべてを知るにはまだ早いのでしょう。『レッド・バークド・トゥリー』でコリン・ニューマンはこう歌っている。「ずっと後になったら、日々僕が誰を嫌っているのかを教えてあげよう」