「レイヴ・カルチャー」と一致するもの

interview with Nick Dwyer (DITC) - ele-king

制限のあるなかで音楽を作らなければならなかったという点、いかに限られたテクノロジーのなかで境界線を押し広げていくか、という挑戦のようなところが魅力でもあった。


Various Artists
Diggin In The Carts

Hyperdub / ビート

Electronic8bitSoundtrack

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 たしかにデトロイト・テクノだ。デリック・メイも入っていれば、アンダーグラウンド・レジスタンスも入っている。『ベア・ナックル』シリーズ第1作のサウンドトラックを聴いてそう思った。スコアを担当した古代祐三は当時、西麻布のYELLOWでデトロイト・テクノを耳にし、そこで受けた影響をそのサントラに落とし込んだのだという。ときは1991年。URが「The Final Frontier」や「Riot EP」、「Punisher」といった初期の代表作を矢継ぎ早にリリースしていた頃である。当時のURの音源は『Revolution For Change』という編集盤に、また同時期のジェフ・ミルズやロバート・フッド、ドレクシアらのトラックは『Global Techno Power』というコンピレイションにまとめられているが、興味深いのは、それらをリリースした〈アルファ〉が『ベア・ナックル』のサントラを世に送り出したレーベルでもあったということだ。デトロイトのテクノと日本のゲーム・ミュージック――一見かけ離れているように見える両者の間に、そのような繋がりがあったことに驚く。
 でもそれはきっと偶然ではないのだろう。われわれがゲームをプレイするとき、そのBGMの作曲者やトラックメイカーに思いを馳せることは少ない。だが、それが音楽である以上必ず作り手が存在するわけで、となれば、その作り手がその時代の音楽からまったく影響を受けないと考えるほうが難しい。同時代の海外の音楽を貪欲に吸収し独自に消化していたからこそ、『ベア・ナックル』はその海外のリスナーたちの耳にまで届き、フライング・ロータスやハドソン・モホークといったいまをときめくプロデューサーたちの音楽的素養の一部となることができたのだと思う。

 このたび〈Hyperdub〉から届けられたコンピ『Diggin In The Carts』には、その古代祐三を含め、80年代後半から90年代前半にかけて制作されたさまざまなゲームの付随音楽が収められている。8ビットや16ビットで作られたそれらの楽曲は、たしかにレトロフューチャーな趣を感じさせるものでもあるのだけれど、そこはさすが〈Hyperdub〉、たんにノスタルジックだったりキャッチーだったりするトラックには目もくれない。もっともわかりやすいのは細井聡司“Mister Diviner”のライヒ的ミニマリズムだが、背後のノイズが耳をくすぐる蓮舎通治“Hidden Level”や、複雑に刻まれた上モノが躍動する吉田博昭“Kyoushin 'Lunatic Forest”、「これ本当にゲーム・ミュージック?」と疑いたくなるようなテクノ・サウンドを聴かせる新田忠弘“Metal Area”など、その選曲からはコンパイラーの強いこだわりを感じとることができる。藤田靖明“What Is Your Birthday?”なんて、「今年リリースされた新曲です」と言われたらそう信じ込んでしまいそうだ。
 ありそうでなかったこの斬新なコンピは、いったいどのような経緯で、どのような意図のもと編まれることになったのか? 3年前に公開された同名のドキュメンタリー・シリーズ『Diggin In The Carts』の監督であり、本盤の監修者でもあるニック・ドワイヤーに話を伺った。

 

機械のひとつひとつがそれぞれ性格の違う命を持っていて、それが泣いたり歌ったりして音を出しているというような感じがするんだよね。8ビット時代のそういった音に僕とコード9は魅力を感じていたんだ。

まずは、ニックさんの簡単なプロフィールを教えてください。

ニック・ドワイヤー(Nick Dwyer、以下ND):たくさん喋ってしまいそうだから、短くするね(笑)。僕はニュージーランド出身なんだけど、ずっと音楽に興味を持っていて、新しい音楽を発見することも大好きなんだ。14歳のときに自分のラジオのショウを持つようになって、15歳のときには音楽番組のTVプレゼンターをやるようになった。そのあとDJも少しやるようになったんだけど、『ナショナル・ジオグラフィック』のチャンネルでいろんな世界の音楽や文化を紹介するTVシリーズを手がけることになったんだよね。そのドキュメンタリーはニュージーランドの有名な曲をガーナやトリニダード・トバゴ、日本、ジャマイカなどに持っていって、現地のミュージシャンにカヴァーしてもらうという内容だったんだけど、それと同時に、その地域のアンダーグラウンド・ミュージックや文化を紹介するということもやっていた。それがいろんな音楽を深く知っていくきっかけになったんだ。日本に引っ越してきたのは3年前なんだけど、日本の素晴らしい文化をドキュメンタリーで伝えたいと思って、『DITC (Diggin In The Carts)』を始めたんだ。それから3年かかって、やっと今回のコンピレイションをリリースできることになって、ライヴ・ショウもやることになった、という流れだね。

なるほど。日本の文化を伝達しようと思ったときに、ゲーム音楽に着目したのはなぜですか?

ND:ニュージーランドに住んでいた7歳のときに、コモドール64というコンピュータを母が買ってくれて、それで初めてゲーム音楽に触れたんだよね。それまでの自分の人生で初めて――といってもまだ7年だったけど――ああいう音楽を聴いたんだけど、その音に衝撃を受けて興味を持つようになったんだ。兄のカセットテープを使ってそのゲームの音楽を録音して聴くくらい大好きだった。そのあと11歳のときに、兄が仕事で日本に行くことになった。兄は苗場で働いていたんだけど、ニュージーランドに戻ってくるときにスーパーファミコンを買ってきてくれたんだ。それが自分の人生を変えたね。メニュー画面が読めなかったから、ひらがなとカタカナを勉強した。それから学校でも日本語を勉強するようになった。あと、僕の家がホームステイをやっていたので、日本から子どもたちが泊まりに来ていたりしたんだけど、その子たちは世界のどの家庭にもスーパーファミコンのゲーム機があると思っていたのか、ゲーム(・ソフト)を持参していたんだよね(笑)。ニュージーランドにスーパーファミコンはなかったので、その子たちはラッキーなことに、ニュージーランドで唯一(スーパーファミコンを)持っている家に来たわけだ(笑)。みんな必ずロールプレイング・ゲームの『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』を持ってきていたから、そういうゲームに触れるきっかけができた。その音楽が美しくて、そこから興味を持つようになったんだよね。それが僕とゲーム音楽の出会い。

ニックさんはいまおいくつなんですか?

ND:37歳だよ。(日本語で)大丈夫? 大丈夫? ビックリした(笑)?

(笑)。では本当にゲーム直撃の世代なんですね。

ND:そうだね。ただ、もちろん『ファイナルファンタジーVI』や『クロノ・トリガー』、『ドラゴンクエストVI』なんかの音楽も大好きだったんだけど、僕はラジオやTVショウをやっていたし、レコード店で働いていたこともあって、ゲーム音楽に限らず日本の音楽全般に興味を持つようになったんだよね。ラジオでピチカート・ファイヴやユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション、キョウト・ジャズ・マッシヴ、ケン・イシイとかをかけるようになって、より日本の文化を好きになっていったんだ。いちばん大きかったのは、2010年に『ナショナル・ジオグラフィック』で東京に関する(ドキュメンタリーの)エピソードを作ったことだね。そのときに日本の歴史を調べて、田中宏和さんや下村陽子さんといった作曲家についても知ることになった。その頃には自分でも音楽を作るようになっていたから、年に1、2回日本へ行くときはクラブへ足を運ぶようにしていたんだけど、それと同じように秋葉原のスーパーポテトなんかのゲーム店でヴィンテージのゲームをディグして、それをニュージーランドに持ち帰ってサンプリングして、自分の音楽に使っていたんだ。それで、まだ日本から持ち出されていない名作がたくさんあることがわかったから、今回ドキュメンタリーを作る際に、そこにスポットライトを当てたいと思ったんだ。
 今回〈Hyperdub〉という素晴らしいエレクトロニック・ミュージックのレーベルからコンピレイションを出せることになってすごく光栄だったし、やるからにはしっかりやらなきゃいけないと思って、8ビットと16ビットの音楽はすべて聴いた。だからこそ時間がかかったね。

〈Hyperdub〉からリリースすることになったのはどういう経緯で?

ND:理由はいろいろあるけど、そのひとつに〈Hyperdub〉がエレクトロニック・ミュージックをちゃんと評価してリスペクトしているレーベルだから、というのがあるかな。コード9は新しいエレクトロニック・ミュージックのパイオニア的存在だしね。もうひとつの理由として、コード9が(『DITC』の)コンセプトをちゃんと理解してくれていたということもある。それは、このコンピレイションのコンセプトはノスタルジアではない、ということなんだよね。『マリオ』や『ソニック』、『ファイナルファンタジー』のような人気ゲームのグレイテスト・ヒッツを作るわけじゃなくて、やっぱりエレクトロニック・ミュージックとして日本のゲーム音楽の歴史のすべてを聴いて、そのなかから自分たちが新しいと思うものをコンピレイションとしてまとめたかったんだ。そのことをしっかり理解してくれていたのがコード9だった。
 あと、〈Hyperdub〉というレーベル自体が日本の文化に影響を受けているレーベルだということもあるね。たとえばデザインだったり、所属しているアーティストに日本のゲーム音楽から影響を受けている人が多かったり。彼らの音楽から日本のゲーム音楽の良い影響を聴き取ることができる、というのも理由のひとつだね。

たしかに、〈Hyperdub〉からはQuarta 330などチップチューンのアーティストのリリースもありますよね。

ND:そのとおり。(コード9の)“9 Samurai”のリミックスもそうだね。チップ時代の音楽のどこが好きかという点で、僕とコード9は共通していると思う。サウンド・パレットが大好きで、いい意味で安っぽい感じだったり、パチパチした音の質感だったり、ふたりともそういうキラキラした感じの音が好きなんだ。とくに8ビット時代の初期の頃。当時の音は、いまでは逆に未来的と感じられるような音だと思うんだけど、機械が自ら音を出しているような感じというか、機械のひとつひとつがそれぞれ性格の違う命を持っていて、それが泣いたり歌ったりして音を出しているというような感じがするんだよね。8ビット時代のそういった音に僕とコード9は魅力を感じていたんだ。

つまりリズムやメロディよりもテクスチャーに惹かれる、ということですか?

ND:魅力はたくさんあると思う。僕が魅力を感じている日本のゲーム音楽がなぜこんなにユニークなのかというと、やっぱりゲーム音楽のクリエイターたちがYMOや当時のジャパニーズ・フュージョン、カシオペアやT-SQUARE、あと久石譲さんの『風の谷のナウシカ』なんかで聴くことのできる暗い雰囲気の映画音楽とか、そういう音を聴いて影響を受けたからだと思うんだ。アメリカやイギリスではそういった音楽が存在しなかったので、彼ら(アメリカやイギリスのアーティスト)とは違うものを作ることができているんだよね。やっぱりそこがおもしろいところだと思う。チップ時代の音楽はパイオニアだと思うんだけど、制限のあるなかで音楽を作らなければならなかったという点、いかに限られたテクノロジーのなかで境界線を押し広げていくか、という挑戦のようなところが魅力でもあった。オーダーメイドのプログラムや性格の違うチップを使って、いかに他と違うものを作るかというところが素晴らしかった。でもCDの時代になってしまってからは制限がなくなってしまって、ゲーム音楽を作る人がふつうの音楽も作れるようになってしまった。それが悪いことだとは言わないけど、ちょっと魅力が失われてしまったように感じるね。それについては僕もコード9も同じように感じていた。このコンピレイションで何を見せたかったのかというと、日本の素晴らしいゲーム音楽というものを、日本から生まれたエレクトロニック・ミュージックとして提示したかった、ということだね。

欧米の方たちがこういった日本のゲーム音楽を聴くときは、やはり日本らしさやオリエンタルなものを感じとったりするのでしょうか?

ND:日本の70代後半から80年代前半や90年代の初めのバブルの頃って、すごくエキサイティングな音楽が生まれた時代だと思うんだよね。日本自体もおもしろかったし、その時代に素晴らしいシティ・ポップや、角松敏生さんや山下達郎さんのような素晴らしいアーティストがたくさん生まれていったと思うんだけど、日本は島国ということもあって、そういった音楽を国内だけで消化していったと思うんだよね。やっぱり言語の壁もあったと思うし。でも、いまになって海外の人がYMOを知ったり、ミニマル・ミュージックの高田みどりさんが60歳を超えたのにも拘らずアルバムをリリースして(註:リイシューのことと思われる)世界ツアーをやったり、『サルゲッチュ』で知られている寺田創一さんも80、90年代には素晴らしいハウス・ミュージックを作っているアーティストで、彼もいま世界ツアーをしていたりする。あと清水靖晃さんも最近作品をリリースしたばかりだし(註:こちらもリイシューのことと思われる)、いまになって初めて世界の人たちが日本の素晴らしい音楽を知り始めているところなんだよね。(そういった流れを)このコンピレイションからも感じることができると思う。
 それで、僕もスティーヴ(・グッドマン、コード9)も今回やりたかったことがあって。たとえばYMOが70年代の後半にリリースした音楽――とくにファースト・アルバムとセカンド・アルバムだね――は、チップを楽器として取り入れて新しいエレクトロニック・ミュージックを作り上げたと思うんだけど、その延長として、日本で作られたチップとシステムを使って、ゲーム音楽としてだけでなくエレクトロニック・ミュージックとして素晴らしいものを作った日本の文化というものを表現したかったんだよね。質問の答えになっているといいんだけど(笑)。

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「あれも知らないの? バカじゃないの?」って言われるのが想像できたんだ。だから「絶対にそうは言わせない」と思って、ファミコンやメガドライブ、PCエンジン、MSXなど、20万本のゲームの音楽を6ヶ月かけてすべて聴いたんだよね

先ほど「制限のあるなかで作られたところがおもしろい」という話が出ましたが、制限がなくなってしまってからのゲーム音楽にも興味深いと思えるものはありますか?

ND:魅力が失われてしまったとは言ったけど、もちろんそれですべての魅力が失われたとは思っていないよ。でもとくに最近のゲーム音楽というのは、クラシックやジャズ、ロックなんかだったりするから、いわゆる「ゲーム音楽」ではないんだよね。言い方は良くないけど、ロックならただの「ロック」という音楽になってしまっているというか。8ビット、16ビットの時代というのは、チップを使ったエレクトロニックな「ゲーム音楽」だったんだよね。そこがユニークだったと思う。今回のコンピレイションやヴィデオを作っていて、32ビットや64ビットのCD時代のセガ(サターン)やFM TOWNS、NINTENDO64やPlayStationの音楽にも触れてみたんだけど、そこから素晴らしい音楽を知ることもできた。いまのコンテンポラリーなゲーム音楽については、これからどんどんリサーチを進めて、その魅力に気づいていけたらいいなと思ってる。

最近だとスマートフォン向けのゲームもたくさん出ていますが、そのあたりも追っているんですか?

ND:ここ20年くらいは音楽のドキュメンタリーなどのためにたくさん旅行をしたりリサーチをしたりすることの繰り返しだったから、今回のプロジェクトのために日本のゲーム音楽を調べるようになったのは、ここ4、5年くらいの話なんだ。僕はゲーマーじゃないから、音楽のリサーチを通してどんどん詳しくなっていったんだよ。だからスーパーファミコンだとか、(旧)スクウェアや(旧)エニックスの時代のゲームのほうが影響は大きいね。僕に大きな影響を与えたゲーム機はスーパーファミコンと(初代)PlayStationなんだ。そこから「もっとゲーム音楽を掘り下げたい」と思ったので、ケータイ時代になってからのゲームのことはあまりよく知らないんだ。(いまは)リサーチがたいへんすぎてゲームをプレイするために時間を割けないので、いつかちゃんとプレイしてゲームを知ることができたらいいなと思う。(日本語で)電車に乗ったときは(スマートフォンのアプリで)漢字を勉強していますよ(笑)。

今回コンパイルした曲のゲームすべてをじっさいにプレイしている、というわけではない?


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ND:すべてはプレイできていないな。でもリサーチはしたから、すべてのゲームに関して理解はしている。ゲーム音楽のファンたちって、とても熱い愛情を持っている人が多いから、そのファンたちに「あれも知らないの? バカじゃないの?」って言われるのが想像できたんだ。だから「絶対にそうは言わせない」と思って、ファミコンやメガドライブ、PCエンジン、MSXなど、20万本のゲームの音楽を6ヶ月かけてすべて聴いたんだよね(註:半年間不眠不休で、1時間あたり46タイトル分ものゲーム音楽を聴く計算になる)。そこからさらに300本のタイトルに絞って、コード9にプレゼンしたんだ。そのあとスティーヴと話し合いをして100本まで絞って、最終的には『グラディウス』、『アルカエスト』、『エイリアンソルジャー』などを含めた34タイトルになった。300本に絞った時点で、ここからさらに絞るためにはタイトルについてのすべてを知っておかねばならない、と思ったんだ。ちゃんと選ぶ基準を知っておかないといけないから、そこからはたくさんゲームをプレイしたし、その300本のゲームはすべて理解したよ。

すさまじいですね(笑)。

ND:(日本語で)ものすごく、たいへんだった(笑)。けど、大切だよね。

ヴィデオ・ゲーム・ミュージックは、たとえば映画のスコアのように、他の何かに付随する音楽なので、音が主役になってはいけないという側面があると思うんですが、その点についてはどうお考えですか?

ND:そのとおりだと思うよ。やっぱり、プレイヤーを疲れさせないループであることを意識して作られている音楽だとは思う。何時間遊んでも疲れないし、飽きない。レベルが上がったときとか死ぬときの音楽が当たり前のものだと飽きちゃうから、それを感じさせないように、(ゲームの)サポートとして作られているのがゲーム音楽の特徴だと思うね。

他方で、いわゆるエレクトロニック・ミュージックの多くは音が主役です。今回のコンピレイションには当然ゲームの要素はありませんので、本来脇役として作られたものを主役として聴かせることになります。つまり本作を編むにあたっては、リスニング・ミュージックとしての側面を意識したということですよね?

ND:そのとおりだよ。まさにそれは意識した部分なんだけど、ただゲームを楽しんでいるだけの若い頃って、その音楽を人が作っているということさえも意識していないと思うんだ。でも『DITC』のプロジェクトでは“ストーリー”をみんなに伝えたいと思っているんだ。(ゲーム音楽からは)フライング・ロータスサンダーキャットも影響を受けているし、ゲーム音楽というものがいかに影響力のある音楽であるかということを伝えたいんだよね。それはただのゲーム音楽ではなくて、チップというものを使った素晴らしいエレクトロニック・ミュージックでもあるという意味で、世界を超えた音楽として世に出したいという気持ちがあった。

ちょうどいま名前が挙がったのですが、『DITC』のドキュメンタリーにはフライング・ロータスやサンダーキャット、ファティマ・アル・ケイディリアイコニカなど、多くのエレクトロニックなミュージシャンが登場しますよね。彼らとはどのようにコンタクトを取っていったのでしょうか?

ND:たとえばフライング・ロータスとは2006年に会ったんだけど、ラジオやテレビで仕事をしていた関係で、彼らがニュージーランドに来るたびにインタヴューしたりしていたんだ。だから長年彼らを知っていたんだよ。彼らとは会うたびに音楽の話をしていたし、彼らがいかにゲーム音楽から影響を受けたかも知っていたんだ。

『ベア・ナックル』は1991年に発売されたんだけど、(コンポーザーの)古代祐三は西麻布のYELLOWでデトロイト・テクノを聴いて、その影響をゲームの音楽に反映させたんだ。

近年はデヴィッド・カナガハドソン・モホークなど、エレクトロニック・ミュージック畑のミュージシャンがゲーム音楽を手がける例も目立ちますが――

ND:最近『Diggin In The Carts』のショウをLAでやって、古代祐三さんや川島基宏さんに出てもらったんだけど、そこにハドソン・モホークが来てくれたんだよね。ハドソン・モホークは彼らの大ファンだったから。そういった日本の作曲家たちを世界に連れていけるのはとてもエキサイティングだよ! ごめん、質問がまだ途中だったね(笑)。

(笑)。ハドソン・モホークもおそらく幼い頃からゲームで遊んだりして、自然とゲーム音楽に触れていたと思うんですよね。

ND:そのとおりだよ! 彼は日本のゲーム音楽の大ファンなんだ! 日本ではあまり有名じゃないけど、セガの『ベア・ナックル』というゲームのサウンドトラックを古代祐三さんと川島基宏さんが手がけているんだよね。来週の金曜日(11月17日)に彼らがLIQUIDROOMでプレイするんだけど、そのときは25年前とまったく同じ音で『ベア・ナックル』の音楽をプレイしてもらう予定なんだ。そのサウンドトラックはハウスとテクノのイントロダクションになった作品でもあるんだけど、日本ではぜんぜん有名じゃないんだよね。でもフライング・ロータスやサンダーキャット、ハドソン・モホークたちはその作品のファンで、海外ではとても有名なんだ。『ベア・ナックル 怒りの鉄拳』(『ベア・ナックル』シリーズ第1作)は1991年に発売されたんだけど、(コンポーザーの古代祐三は)西麻布のYELLOWでデトロイト・テクノを聴いて、その影響をゲームの音楽に反映させたんだ。ハドソン・モホークにいちばん影響を与えたのがそのサウンドトラックで、フライング・ロータスとサンダーキャットにも大きな影響を与えているんだよ。だから(LAのショウは)川島さんももちろんハッピーだったけど、ハドソン・モホークのほうがそのショウを観ることができてもっとハッピーだったんだよね(笑)。

なるほど、そうだったんですね。そういったゲーム音楽で育ったエレクトロニック・ミュージシャンたちが、いまゲームの音楽を制作しているような状況についてはどう思いますか?

ND:とても素晴らしいし、エキサイティングなことだよね!

デトロイト・テクノの話が出ましたが、今回のコンピレイションには80年代後半から90年代前半までの音源が収められていて、その時期はちょうどデトロイト・テクノやアシッド・ハウスが出てきたり、レイヴ・カルチャーが盛り上がったり、あるいはアンビエント・テクノが生まれたりした時期ですよね。その同時代に日本でこのような音楽が生み出されていたことについてはどう思いますか?

ND:YMOやカシオペア、T-SQUAREから影響を受けたユニークなゲーム音楽がすごく日本で流行っている時代に、クラブ・シーンもすごくいいものだったんだよね。アンダーグラウンド・レジスタンスやドレクシア、デリック・メイらは未来を感じさせるベストな音楽を作ったわけだけど、シューティング・ゲームには未来の雰囲気を持った世界観が求められていたから、デトロイト・テクノから影響を受けて未来的なサウンドを作っていた人が多かったんだよね。当時のYELLOWなどのクラブでかかっていた音楽はEDMとは違って、本当に素晴らしいものが多かった。そういうベストな音楽に影響されて日本のコンポーザーたちはゲーム音楽を作っていたんだ。たとえば並木学さんは96年に発売されたシューティング・ゲーム『バトルガレッガ』の音楽を作っているけど、彼の音楽を聴けばそういったサウンドからすごく影響を受けているのがわかると思う。

本作のアートワークを手がけているのは、ケン・イシイやシステム7のMVで知られる森本晃司さんですが、彼に依頼することになった経緯を教えてください。

ND:僕は16歳のときにジャングルやドラムンベースのDJをやっていたんだけど、そのときにレコード店でケン・イシイのアルバムを見つけたんだ。その頃は音楽のテレビ番組をやっていたから、夜遅くのイギリスが稼働する時間まで起きておいて、レーベルに電話をしてその(“Extra”の)ヴィデオを送ってもらったんだ。そのヴィデオは毎回ショウで流すくらい大好きで、トラックとヴィジュアルがリンクしたパーフェクトな作品だと思う。彼の作品の特徴はそのダークな世界観だと思うんだけど、僕もコード9もその世界観が好きだった。今回のコンピレイションは「ゲーム音楽」としてよりも、「現在では失われた当時のエレクトロニック・ミュージック」として楽しんでもらいたかったんだけど、(森本さんは)その雰囲気と未来的な世界観が組み合わさったアートワークを見事にデザインしてくれた。ちなみに(11月17日の)ライヴ・ショウでは、森本さんの過去の作品をバック・ヴィジュアルとして観せながら、コード9がコンピレイションに収録されている楽曲をサンプリングして、みんなの前で新しい音楽を作る予定だよ。素晴らしいコラボレイションになるはず。ケン・イシイさんと森本さんも一緒にやる予定。

それでは最後に、「ゲーム音楽はこれまであまり聴いてこなかったけれど、今回のコンピレイションをきっかけに興味を持った」という人へ向けて、日本のゲーム音楽をどのようにディグすればいいのか、アドヴァイスをください。

ND:いっぱいあるからね(笑)。良くないものもたくさんあるんだよ(笑)。これは本当に! たくさんのバッド・ミュージックを聴いて、たくさんのクソゲーに出会ったよ(笑)。僕はラッキーなことに美しい音楽を見つけられたけど、僕のようなやり方ではやらないでほしいね(笑)。掘り進められないよ(笑)。いちばんはやっぱり、コンピレイションから入ることかな。僕は大量に聴いてそのなかから良いものを選んでいったので、それしかやり方がわからないんだけど、それは気の遠くなる作業だから(笑)。『DITC』のラジオ・ショウを聴いてもらうのもいいと思う。あと、素晴らしいサウンド・チームを抱えた会社があるんだよね。たとえばメガドライブだったら、トレジャーという会社が作っているゲームのサウンドトラックは素晴らしいし、PCエンジンだったらメサイヤ(MASAYA)というブランドが本当に素晴らしいサウンドトラックを出している。あとコナミでMSXのゲームのサウンドトラックを数多く制作したコナミ矩形波倶楽部というチームもある。僕がもっとも素晴らしいと思うのは斎藤学さんの作品だね。斎藤さんはPC-8801のゲームの音楽を多く手がけていたんだけど、22歳で亡くなってしまった。彼は87年から91年まで作曲活動をしていて、とても美しい楽曲を残している。彼の音楽にはノスタルジックな雰囲気があって、サウダージを感じるね。亡くならずにいまも生きていたら、日本でもっとも有名なアーティストのひとりになっていたと思う。彼の音楽は悲しくてメランコリックで、彼の生涯を知るとさらに音楽が重悲しく聴こえるようになるね。とても美しい音楽なんだけど、ちゃんと感情が入った音楽だとも思う。

編集後記(2017年12月15日) - ele-king

 昨日は午前は人間ドックで夜はドミューンというハードな1日だった。ドミューンでは、PHUTUREとして来日中のDJピエールとDJ EMMA君のトークの司会を務めさせてもらった。番組中では言い足りなかったことをここに書いておこうと思う。
 DJピエールとスパンキーとハーブ・Jの3人が結成したPHUTUREによる“アシッド・トラックス”およびDJピエールの発明したワイルド・ピッチ・スタイルの影響をもっとわかりやすく言うと、アンダーワールドから石野卓球、URからリッチー・ホウティンにまでおよんでいるということだ。まさに歴史を切り開いたと言える、そんな偉人と同じ場を共有できたこと自体が嬉しいのだが、昨晩DJピエールは本当に良いことを喋ってくれた。そのポイントをまとめてみる。
 当時(80年代半ば)のシカゴでは、他と違うことをやることが重要だった(ゆえに“アシッド・トラックス”は生まれた)。
 ロン・ハーディにミュージックボックス(クラブ)でプレイしてもらうのが最高に嬉しかった。
 イギリス人のジャーナリストがシカゴに取材に来るまで、自分たちの曲がヨーロッパで大ヒットしているなんてまったく知らなかった。たくさんのフォロワーを生んだことは名誉に思っている。
 ざっとこんなところだが、言葉の端々からは、80年代半ばのシカゴがいかにピュアなアンダーグラウンドとして成り立っていたかを伺い知ることができた。

 初期のシカゴのシーンでは、レコードがいくら売れてもレーベルはアーティストにギャラを払っていなかったという話は有名だが、そのことについて訊いても、自分の音楽をみんなに聴いてもらえるのがまずは嬉しかったから……と彼は答えた。金をもらうことは重要だけど、基本的にはいまでもその気持ちは変わらないよ、と。こうした言葉からも、DJピエールの謙虚な人柄が見て取れるだろう。まあ、なにせあのアシッド・ハウスの創始者ですから、ついついぶっ飛んだ人物だと妄想しがちですよね。しかし実物は、みんなをクレイジーにさせたあのワイルド・ピッチ・スタイルからは想像しにくい、シャイで物静かな人柄でした。
 というわけで、ぼくにとって感動的な夜だった。宇川君、EMMA君、渡辺亮君、ドミューンのスタッフの皆様、ありがとうございました。ホンモノのワイルド・ピッチ・スタイルで踊れて最高でした(笑)。
 最後にもうひとつ。彼らが発明した“アシッド・トラックス”がどれほどのインパクトであり、音楽のあり方を変革してしまったのかということは、すでにいろいろな論考があるのですが、来年は、そのもっともぶっ飛んだ解釈の本を一冊だそうと思っています。それはアフロ・フューチャリズムについての本です。どうぞお楽しみに。

 なんてことを書いていたところに、磯部涼の『ルポ川崎』が届いた。川崎といえば、今年は川崎フロンターレにちんちんにやられたことがいまも脳裏に焼き付いている。まあ、清水がJ1に復帰して、華麗なサッカーやってんなーと感心した相手が川崎と浦和だった。清水がJ2に落ちるまで、比較的簡単に行ける等々力競技場にはほぼ毎年行っているのだけれど、今年はDAZN観戦だったので、川崎の強さをより詳細にわたって見せつけられた。その川崎が劇的な逆転優勝を果たした同じ時間に清水がようやくの残留決定を果たし、「やった、残留だ!」などとその日は最高に浮かれていたのだが、一夜明けてちょっと冷静になってみれば、川崎がJ1に上がってきたその年から等々力に行っている人間として、ただただ「はぁ、差を付けられちゃったな~」と。
 とまれ。川崎フロンターレ優勝の年に磯部涼の『ルポ川崎』。これは何かあるだろう。1980年代のイングランド・リーグ時代、サッチャー政権に抵抗するもっとも強力な労働組合がいた街のチーム、リヴァプールが王者だった。同時にリヴァプールとは、あたかもフーリガニズムの象徴として世間から糾弾もされた。フットボール・チームの上昇には、その街のヴァイブレーションが少なからずリンクしているものだ。もっとも等々力競技場はクリーンに再開発されたエリアに立地しているし、この10年で新築のマンションも激増しているようにも思う。対して『ルポ川崎』は、そうした明るい川崎の裏側、取り残されたエリアにおけるラップやレイヴ・カルチャーなどを取材しながらその街の姿を描こうとするものだろう。それでもぼくは、自分なりのリスペクトを込めて、あの川崎フロンターレの超攻撃的サッカーの記憶を片隅に置きながら読んでみたいと思う。

※来週の19日(火曜日)、19:00~21:00、ドミューンにて、『ゲイ・カルチャーの未来へ』出版記念として、木津毅君が司会(&DJ)の田亀源一郎さんのトークがあります。ぼくと小林も出ます。ぜひ現場に来て下さい。よろしくお願いします。

Norhern Soul - ele-king

 個人的には今年のベスト映画はこれ。『ノーザン・ソウル』。本国イギリスでは2014年の上映だが、有志による日本語字幕付きのほとんど自主上映の形で、「ほぼ丸ごと未公開!傑作だらけの合同上映会」(https://nbsff2017.wixsite.com/nbsff2017)の1本として上映される。

 簡単に言おう。『さらば青春の光』『ビギナーズ』『トレインスポッティング』『24アワー・パーティ・ピープル』『THIS IS ENGLAND』──以上のなかから2つ以上好きな映画がある人は必見である。
 さて、ノーザン・ソウルとは何であるか。今日のダンス・カルチャーには3つの源流がある。1.DJのミックス技術を生み、発展させたNYのディスコ・カルチャー。2. オリジナルを何度も何度も再構築するヴァージョン文化を生んだジャマイカのサウンドシステム。そして3つめが、「レア盤」文化を促し、レイヴ・カルチャーの青写真となったひと晩限りのアンダーグラウンド・ダンス・パーティを醸成させたUKのノーザン・ソウル、である。
 音楽産業とは隔離された、イギリス北部の工場で働く労働者階級を中心に盛り上がったノーザン・ソウルのシーンは、長いあいだミステリーでもあった。ノーザン・ソウルの「ノーザン」とは、音楽が作られた場所ではなく、その音楽が人気だった場所を指す。ノーザン・ソウルとは完璧にリスナーの文化である。しかもそれがロンドンではなく、シェフィールドとかブラックプールのような、パっとしない地方都市のリスナー文化であり、労働者階級による自発的なパーティ文化だった。音楽メディアも手が及ばない。

 映画『ノーザン・ソウル』でぼくたちは音楽史最大の謎のひとつをようやく知ることになる。ストーン・ローゼズの“アイ・アム・リザレクション”がモータウンのビートであった理由もね。英国アカデミー賞のデビュー賞にもノミネートされたこの映画、物語も音楽もファッションも最高だが、ひとつだけ気をつけなければいけないのは、この映画を見終わったあとではスリムのデニムなんて履けなくなること。
 それにしても、この映画を情熱だけで日本上映までもっていったスタッフの方々には頭が下がる。そのアティチュードもまさにノーザン・ソウル。いまのところたった1回の上映だが、はっきり言って最低3回は観たい映画だ。

※上映日時は、12月2日(土) 14時30分~会場はユーロライブ(https://eurolive.jp/

Kedr Livanskiy - ele-king

 いま、ポップ・カルチャーを愛する者にとってロシアという国は、ゴーシャ・ラブチンスキーの国かもしれない。ゴーシャ・ラブチンスキーは、コム・デ・ギャルソンのサポートを受けていることから、日本での知名度も高いファッション・デザイナーだ。自身の名を掲げたブランド“ゴーシャ・ラブチンスキー”は世界中のポップ・カルチャーファンを虜にし、ドイツのカルチャー誌『032c』はラブチンスキーの特集を組むなど、いまやラブチンスキーは2010年代のポップ・カルチャーを象徴する存在と言っていい。また、ラブチンスキーはレイヴ・カルチャーの影響を多分に受けている。その影響は、バーバリーとのコラボ・アイテムも登場した2018年春夏コレクションにも表れており、ドレスダウンしたスポーティーなコーディネイトは古き良きレイヴ・カルチャーの匂いを漂わせる。

 そんなラブチンスキーの片腕といえるのが、モスクワを拠点に活動するDJ/プロデューサーのブッテクノことパヴェル・ミルヤコフだ。ラブチンスキーのショーの音楽を手がけ、先述の2018年春夏コレクションのアフターパーティーでもパフォーマンスを披露するなど、多大な寵愛を受けているミルヤコフはロシアのクラブ・シーンでもっとも注目を集めるアーティストのひとり。音楽好きからすると、レーベル〈Johns Kingdom〉の主宰と言ったほうがピンとくるだろうか。このようにラブチンスキー周辺は、ファッションのみならず音楽シーンの人材も集まっている。そして、こうしたそれぞれの界隈を越えた交流があるからこそ、現在のロシアに注目する多くのポップ・カルチャー好きがいるのだと思う。

 そうした流れに、ケダル・リヴァンスキことヤナ・ケドリーナもいる。2016年に来日公演を果たしたことも記憶に新しい彼女は、ミルヤコフの恋人でもある。彼女もモスクワを拠点に活動しているが、いち早くピックアップしたのはアメリカの〈2MR〉だった。〈Italians Do It Better〉の創設者であるマイク・シモネッティー、〈Captured Tracks〉を運営するマイク・スナイパーとアダム・ジェラードの3人によって設立されたこのレーベルは、ダストやセージ・キャズウェルといった、流行りとされる潮流から少し逸れた面白いエレクトロニック・ミュージックを扱っている。
 このようなレーベルにピックアップされたこともあり、彼女が〈2MR〉から発表した「Sgoraet = Burning Down」(2015)と「Солнце Января」(2016)は、早耳リスナーの間で必聴盤となった。とりわけ好評だったのは後者で、彼女にアメリカ横断ツアーというチャンスをもたらした。

 このような歩みを経て、彼女は待望のファースト・アルバム『Ariadna』を完成させた。ローランドのSH-101とJuno 106、さらにはコルグのMiniloguというハードウェア・シンセを駆使した生々しいサウンドが特徴の本作には、〈L.I.E.S.〉や〈Mister Saturday Night〉を旗頭とするロウ・ハウス以降の流れを見いだせる。こうした特徴はこれまで彼女がリリースしてきた作品でも見られたもので、それをより深化させたのが本作と言える。
 一方で興味深いのは、“Ariadna” “Your Name” “Love & Cigarettes”といった曲が80年代エレクトロのビートを前面に出していること。ここ最近、〈Klakson〉などのレーベルが2000年代から種を蒔きつづけたこともあり、80年代エレクトロ再評価の潮流が生まれているが、この潮流とも本作は共振できるサウンドだ。おまけに、マーティン・ニューウェルが朗読で参加している“ACDC”では、トランスを大々的にフィーチャーしている。ロレンツォ・セニやアイシャ・デヴィなど、トランスのサウンドを取りいれるアーティストが増えている昨今だが、そのなかに彼女も仲間入り、といったところか。
 さらに面白いのはサウンドスケープだ。冷ややかでドリーミーな質感を湛えたそれは、『Selected Ambient Works 85-92』期のエイフェックス・ツインを連想させる。ただ、本作のほうがよりダークな雰囲気を志向していること、くわえて歌モノとしても聴かせる側面があるのは大きな違いだ。

 本作は、いま盛りあがっているロシアのポップ・カルチャーを出自としながら、その他のさまざまな潮流を飲みこんだ鵺(ぬえ)みたいな作品である。それゆえ多角的解釈を可能とする多彩さが映え、幅広い層に聴かれる可能性を秘めている。ロシアのポップ・カルチャーはもちろんのこと、90年代のUKテクノ好きから近年のエレクトロニック・ミュージック好きまで、多くの人が本作を気にいるはずだ。

上野俊哉 - ele-king

 ルフェーヴルにとって「日常生活(everyday life)」とは批判の対象であると同時に、批判と抵抗の拠点でもあった。それは、あくまでも資本主義的な生活様式の反復であるかぎりで、単なる「日々の生活(daily life)」とは区別されている。しかし凡庸、惰性、退屈、反復としての日常生活のなかには、特定の強度と緊張や、活性化につながる瞬間=契機がありうることもまた事実である。批判と変革のカギは日常生活の外部からやってくるのではない。言い換えれば、批判と抵抗の場としての外部を日常生活それ自体の内部に瞬間的/一時的に含みこむことができる。 (本書より)

 『トレインスポッティング』の新しいヤツまだ観ていないんだけど、あの最初の話、まだ映画化される前のこと、90年代半ばの話ですね──、当時ele-king編集部に在籍していた英語力に優れた渡辺健吾は、原書を取り寄せ、その読破にトライしたのであった。アーヴィン・ウェルシュはすでに英ポップ・メディアで騒がれていたし、誌面では、スコティッシュ訛りの見出し(ex: toe ya/Ah'll beなどなど)が踊りはじめた時代だった。『トレインスポッティング』に関しては、当時のスコットランドの悲惨な現実を切り取ったなど定番の論評がいくつもあるが、ひとつ重要なことを忘れてもらっては困る。この本が証明したもうひとつの真実とは、サラ・チャンピオンも書いているように、クラブに夢中になっているようなバカは本など読まないだろうという、それまでの定説/偏見を覆したことだった。あの本はクラブ世代が読みまわし、ベストセラーにした。ゆえにアンダーワールドは(クラブ・カルチャーとは一見なんも関係のないように思える)映画の主題歌を担当しなければならなかった。

 ダンス・カルチャーは、昔はよくこう言われてきた。no lyrics, no messages, no faces, no poltics.....ゆえにロックよりも劣ると。そして『トレインスポッティング』以降、こうも言われるようになった。パンクでさえ取り締まりの対象にならなかったがレイヴ・カルチャーは法的に禁じられるほどのものとなった──と。
 そして“歌詞のない”、“フェイスレスで(スター不在の匿名的で)”“明確な政治的スタンスも持たない”ダンス・カルチャーに関する研究書は、ジャズやロックに劣らぬほど(いや、単体アーティストのファン・ブックを除けば、ヘタしたらそれ以上の研究の書が)刊行されている。まったく頭を使わないと思われた文化が、より知性を刺激する出版物を数多く出しているということは、じつに興味深い。
 レイヴ・カルチャーの歴史に関してはマシュー・コリンによる『Altered State』(1997)が名著として有名だが、サイモン・レイノルズの『Energy Flash』(1998)もよく知られるところで、まあ、後者には小難しい理屈を並べやがってという罵りもあるにはある。しなしながら、レイノルズよりもさらに小難しい理屈の徒=思想系であるKode 9が切り拓いたシーンのことを思えば、意地悪い雑言も小さく見えるだろう。日本ではいっときの流行のごとく誰も言わなくなったカルチュラル・スタディーズだが、ことUKに関して言えば、ポール・ギルロイ影響下のコドゥ・エシュンが『more brilliant than the sun』(1998)を出し、そして2000年代で言えば、カルチュラル・スタディーズ/フランス現代思想の流れを汲む故マーク・フィッシャーがダブステップ世代の哲学を繰り広げている(ベリアルを思想的に解釈したのはこの人である)。ちなみにゼロ年代のUKの大学生にかなりの影響を与えたフィッシャーは、『WIRE』誌の看板ライターとしても活躍し、その後音楽評論でも参照されることになる『Capitalist Realism』を2009年に発表している。上野俊哉の『アーバン・トライバル・スタディーズ』は、レイヴ・カルチャーをこうした思想系/文化研究/社会学のコンテクストにおいて読み解いた、日本では唯一の書物である(とくに日本のトランス・シーンに関しては詳述されている)。

 2005年に出版された同書が、今年の春に増補版として刊行されたのは、著者=上野センセ~がどこまで意識していたのかは不明であるが、タイミングとしては悪くない。2008年のゾンビー『Where Were U In '92?』が象徴的であったように(あるいはele-kingに上がったばかりのダブ・スクワッドのインタヴュー記事を読んでいただければわかるように)、あの時代のあの形態、ダンス・カルチャーから生まれたレイヴと呼ばれる文化運動形態(本書では“パーティ”と記されている)がいま見直されているのは事実だ。90年代を知らない若い世代のなかで、実際に新しいレイヴ・カルチャーが起きているのが現在なのである。(現代思想系を巻き込んでうねりをあげているこのあたりのUKでの展開は、7月14日刊行予定の紙エレキングの20号に掲載される高橋勇人の原稿を参照されたし)
 レイヴ・カルチャーというのは、90年代初頭にたとえばそれがストーンヘンジ・フェスティヴァルのような、60年代型対抗文化の流れと結びついたときに、紋切り型のポップの社会学をもって語られもしたが(ワタクシもそれをやってしまったことがあった)……、しかしこのいかがわしい文化は、そんなナイーヴな面構えをしていない。内面には無垢さばかりでなく、猥雑さも複雑に反射している。匿名的で、草の根的な大衆運動性をもってすれば、さらにまたどこかで爆発しかねないほどのポテンシャルはある。レイヴ経験者にはわかるだろう、何よりもそこにあるのは、圧倒的ないま/現在なのである。「批判と抵抗の場としての外部を」「日常生活それ自体の内部に」「含みこむことができる」、瞬間だ。そこにほのめかされる可能性──

 著者=上野センセ~は、『Altered State』を書いたマシュー・コリン同様に、このシーンへのあきれかえるほどの愛情があり、また、いまだに当事者であり続けている。年齢を考えると恐れ入る話だが、この増補版の長い序文には、匿名的なパーティ・ピープルのひとりであり、ダイナミックなダンサーであり、そして哲学好きの研究者である著者の経験/感覚/思考/感情が、ときにベンヤミンやアドルノ、粉川哲夫に立ち返りながら、ときにユーモアを込めて記述されている。ここ10年ほどの日本の政治運動についての著者の考察についても、ここぞとばかりに言葉を費やしている。もうひとつ。80年代のB級ニューエイジが高値で再発されている今日のニューエイジ・ブームには基本的に否定の立場であるぼくだが、上野センセ~のレイヴにおけるニューエイジ的なるものの再・再解釈には、シーンの細部も見渡せる立場の当事者ならではの大らかさ/注意深さがあり、かのクレオール主義者、今福龍太と共通する感性を見いだすこともできるかもしれない。が、しかしそうそう体よくまとめることができないのは、著者がいまもこのラディカルなレイヴ運動体の確実ないち部であるからだ。サッカーの試合中、選手は走りながら思考を働かせている。
 なんにせよ、本書においてもっとも重要なのは、たったいまもそれが起き続けているという感覚だ。物事をなにかと類型することで自己の論を振りかざすのが人の陥りがちなところだが、むしろ類型化しようにもできないもののなかにこそ契機を見いだすこと、それがこの20年著者が実践していること/ダンスし、思考に思考を重ねていることだと言えよう。本書はその成果であり、日本ではたった1冊の、過去の物語ではなく文字通りの意味で“アクチュアル”な、レイヴ(パーティ)文化研究の書なのである。

interview with Dub Squad - ele-king

僕らはメンバーの3人で完結しているわけじゃなくて、ライヴの場に来ている人たちとの関連性みたいなものがすごく大きいし、そこを含めて活動してきているんですよ。だから、あらかじめ自分たちで「こういうことをやっていこう」というのはあえて決めないというか。「場」から受けるフィードバックってすごく大きいからね。(益子)


DUB SQUAD
MIRAGE

U/M/A/A Inc.

BreakbeatDubTechno

Amazon Tower HMV iTunes

 16年――そのあいだに僕たちは、オリンピックと大統領選挙を4度迎えることができる。無垢な赤子は生意気な高校生へと転生し、生意気な高校生はくたびれた労働者へと変貌する。前作『Versus』のリリースから16年。90年代にパーティの現場から登場してきたバンド=DUB SQUADが、そのあまりにも長い沈黙を破り、2017年の「いま」新たなアルバムを発表したことは非常に感慨深い。
 最近ジャングルが盛り上がっていることは『ele-king』でもたびたびお伝えしているが、その流れで思い浮かべるのがゾンビーである。彼が2008年にアクトレスのレーベルから放ったファースト・アルバムのタイトルは『Where Were U In '92?』、つまり「92年にお前はどこにいた?」だった。まさにその92年に渡英し、かの地でレイヴの現場を目撃したのが中西宏司と益子樹である。その光景に衝撃を受けたふたりは、帰国後、山本太郎を誘ってDUB SQUADを結成する。しかし、ではいったいレイヴの何がかれらを駆り立てたのか? 92年の何がそれほど衝撃的だったのか? そしてそのとき日本はどのような状況だったのか? DUB SQUADの3人は以下のインタヴューにおいてさまざまな体験を語ってくれているが、これは、リアルタイムでレイヴを目の当たりにすることのできなかった世代にとってはかなり貴重な証言だろう。
 件のゾンビーも92年には間に合わなかった世代である。彼は『Where Were U In '92?』を「その時代に対するラヴレター」だと発言しているが、当時のハードコア/プロト・ジャングルを直接体験することのできなかった若者が、そのエナジーを空想しそれをダブステップ以降の文脈へ落とし込むことによって、2010年代の音楽シーンにオルタナティヴな選択肢をもたらしたことは、いわゆる「創造的な誤読」の好例と言っていいだろう。その時代を体験していないからこそ生み出すことのできるサウンドというものもある。だから、そういった誤読の流れともリンクするような形で「いま」オリジナル・レイヴ世代のDUB SQUADが活動を再開したことは、きっと音楽シーン全体にとっても良き影響を及ぼすに違いない。
 ダブ/アンビエントなムードが途中でブレイクビーツ/デジタル・ロックへと切り替わる“Exopon”や、ギャラクシー・2・ギャラクシーのフュージョン・サウンドを想起させる“Star Position”のように、今回リリースされた『MIRAGE』は、けっしてリラックスしすぎることもなく、かといってハイ・テンションになりすぎることもない。この絶妙な匙加減こそが『MIRAGE』というアルバムの間口を大きく広げている。『MIRAGE』は、もともと彼らのことを知っている世代にだけでなく、もっと若い人たちにも積極的にアピールする何かを持っている。たぶん、こういう懐の深さのことを「歓待」と呼ぶのだろう。それは、これまで「場」との交流を音楽制作の大きな動機としてきたかれらだからこそ鳴らすことのできるサウンドなのだ。このアルバムを聴いた若者たちがいったいどんな反応を示すのか、そしてそれがどのような形でDUB SQUADへとフィードバックされるのか。いまからもう楽しみでしかたがない。


1996年、フリーズハウス/アムステルダム、オランダ

バンドだと、演奏者とお客さんというすごくはっきりした境界線がありますが、レイヴはそうじゃなくて、「場」というか、オーガナイズする側もお客さんたちも両方楽しむというか、ある意味ではすごくシンプルなことをみんなが力を合わせてやっている (益子)

DUB SQUADを結成されるまでは、それぞれどんな活動をされていたのですか?

中西宏司(以下、中西):僕はいわゆるインストのレゲエ/ダブ・バンドをやっていました。キーボード担当。でもライヴハウスで何回かやったという程度で、まあアマチュアですね。まだダブ処理とかを自分たちでできる状況ではなかったので、インストでレゲエをやっているみたいな状態でした。メロでピアニカ吹いたりしていましたよ。1990年前後かな。

益子樹(以下、益子):僕はすごく雑食なんで、いろんなバンドをやっていました。ロック・バンドもあればファンク・バンドもあって、ノイズのバンドもあったし、けっこうな数をやっていたと思う。音楽って、ちょっと日常とは違う何かがありますよね。そういうフッとテンションの上がるものだったらなんでもやりたいと思っていました。基本的にはギターで、あとはシンセも持っていたからそっちもやったり。でもまだそのときは、いまでいうクラブ・ミュージックにハマっていたわけではなくて、ふつうのバンド・キッズですよ。

山本太郎(以下、山本):僕はロック・バンドでベースを弾いていましたね。ただ、新しい音楽が好きでいろいろ聴いてはいたので、91年にジ・オーブのファースト・アルバムが出たときに「これはおもしろい」と思って。それで打ち込みに興味を持って、シーケンサーとかを買ったんです。バンドをやりながらそういうものにも興味が出てきた、というのがDUB SQUAD結成前ですね。

その後93年にDUB SQUADを結成されるのですよね。そこにいたるには、中西さんと益子さんがUKに行かれた経験が大きかったとお聞きしています。

益子:当時代々木に「チョコレート・シティ」というライヴハウスがあって、そこで、いまROVOを一緒にやっている勝井(祐二)さんや、ベーシストのヒゴヒロシさん(ミラーズ、チャンス・オペレーションなどに在籍)、それからDJ FORCEといった面々が「ウォーター」というハードコア/ブレイクビーツ・テクノのパーティをやっていたんです。ロンドンにヒゴさんの古い知り合いのカムラ・アツコさんという女性がいて、この方は当時フランク・チキンズというバンドにいて、その昔は水玉消防団というバンドにもいた人なんですけどね。そのカムラさんから「いまロンドンでおもしろいことが起きているから、一緒に行こうよ」と誘われて、ヒゴさんたちがレイヴ・パーティに行った。それで彼らはカルチャーショックを受けたんだと思いますが、日本へ戻ってきてから「ウォーター」を始めるんですね。そこに僕や中西君も遊びに行っていて、これはおもしろいなあと。それで、たしか92年の夏にカムラさんが日本に帰ってきていて、「ロンドンに遊びにいらっしゃいよ」と言われて。それで僕もイギリスに行って、いくつかレイヴ・パーティを体験して、本当にカルチャーショックを受けたというか。バンドだと、演奏者とお客さんというすごくはっきりした境界線がありますが、レイヴはそうじゃなくて、「場」というか、オーガナイズする側もお客さんたちも両方楽しむというか、ある意味ではすごくシンプルなことをみんなが力を合わせてやっているということ、あともちろんその場所で聴いた音の気持ち良さがものすごく大きな衝撃だったんですね。それで、僕が帰ってきてから半年後くらいに中西君もカムラさんのところに行って。

中西:そのときはまだ面識はなかったけどね。

益子:同じライヴハウスに出ていたり、リハで使っているスタジオが一緒だったりしたんですよ。もっと言うと3人とも一緒だった。世代も近いし、なんとなく友だちになって「じゃあなんか一緒にやろうか」というところから、いまのDUB SQUADが始まる感じです。

中西:何かのパーティに行ったときに益子君と話して、「僕もロンドンに行ってきたんだよ」という話になって。それで「何かやろうか」みたいな話になったんです。「ウォーター」だったかな。

おふたりがUKで体験されたレイヴはハードコアやブレイクビーツのパーティだったということですが、ジャングルもかかっていたんですか?

益子:そのときはまだジャングルはなくて、後にそこから派生した感じです。まだドラムンベースという言葉もなかった頃ですね。

中西:僕はその2年くらい後にまたUKに行ってるんですよ。そのときはもうジャングルになっている時期で、だいぶん雰囲気も変わっていて、それはそれで興味深かった。僕は、レイヴ的なハードコアが研ぎ澄まされて、いろいろなものを抜いていってダブになったものがジャングルとドラムンベースだというふうに思っているので、「こういうふうに変わっていっているんだ」と思った記憶がありますね。

「3人で何かを始めてみよう」となったときに、バンドという形態になったのはなぜなのでしょう? 先ほどお話に出たジ・オーブのように、向こうだとDJ/プロデューサーのユニットの形態が多いですよね。

益子:「バンドをやろう」とか「バンドじゃないものをやろう」とかそういうはっきりした意識があったわけじゃなくて、自分たちの出せる音を鳴らしていたら必然的にこういう形になったというか。一緒にやることになったときに、中西君はキーボードを弾きつつもベースが好きだったから、彼がベースを弾いて、僕はリズムマシンでちょっとしたドラム・パターンを流して、それをリアルタイムでダブ処理して遊んでいるような状態からスタートしたんです。

中西:ドラムとベースしかない(笑)。それでシーケンサーがないから、シーケンサーを持ってるやつを呼ぼう、ということになって。

益子:上モノがないわけ。それでも楽しくやっているんだけど、もうちょっと音楽的に充実させたいなと考えたときにフッと「そういえばタロちゃんがシーケンサー持ってたな」と思い出して(笑)。

山本:持っていたという(笑)。でも当時、僕はハードコアもダブもそんなによく知らなくて。「とりあえず遊びに来い」みたいな感じで誘われたので、行ってみたらふたりがそういうことをやっていて。これはどうすればいいんだろう、みたいな感じで(笑)。

中西:キョトンとしてたよね(笑)。

益子:でも「ジ・オーブとか好きなんだよねえ」とか言って(笑)。

山本:そうそう(笑)。当時はサンプラーも高価でなかなか個人では買えない値段だったんですけど、たまたまスタジオに古いサンプラーがあって。「じゃあサンプリングしてみよう」と(笑)。でもサンプラーなんていじったことなかったから、MIDIでノートの割り当てするとかもわからなくて、ひたすらプレイ・ボタンを押すだけとかで(笑)。そういうところから始まっているんですよね。

ちなみに益子さんと中西さんがUKに行かれたときは、のちのDUB SQUADのようなバンド・スタイルの人たちはいたのですか?

益子:それはなかったですね。僕が行ったときにはライヴはいっさいなかったと思う。DJと、あと謎のパフォーマンスをしている人はいたけど(笑)。楽器を持って演奏している人たちには遭遇したことはなかった。

中西:匿名性のある場だったから、なんだかわからないけどフライヤーを頼りにして、このDJの名前が載っているからまた行ってみよう、みたいな状態でしたね。

いまみたいにライトが当たっていたりするわけではなかった、ということですよね。

益子:そこがまさにおもしろかったところで。かれらはスポーツ・センターとかを借りてレイヴ・パーティをやっているんですが、たしかにスピーカーの向いている方向とかはある。けれどお客さんたちが誰も一方向を向いていないんですよ。もう好き勝手にいろんな方向を向いていて、それぞれに楽しく踊っているのね。DJがどこにいるのかもわからないし、何かに向かうというような感じではなかった。

中西:少なくともDJを見ようとする人はいなかったですよね。

益子:いないね。それはすごく新鮮な出来事で、バンドという形だと、観られる対象と観る人たちがいるわけで、自分もそれまでバンドをやっていたんだけど、観られる対象であることについてはあまり考えたことがなかったから、レイヴを体験してこういうやり方があるんだとわかって、少し楽になったところはあります。

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1996年、マッツォ/アムステルダム、オランダ

バンドという形だと、観られる対象と観る人たちがいるわけで、自分もそれまでバンドをやっていたんだけど、観られる対象であることについてはあまり考えたことがなかったから、レイヴを体験してこういうやり方があるんだとわかって、少し楽になったところはあります。 (益子)

そういうハードコアのパーティに刺戟されてDUB SQUADが始動したわけですが、最初に出たアルバムは『Dub In Ambient』(1996年)ですよね。そのときダブとアンビエントをやろうと思ったのはなぜだったのでしょう?

益子:体験したレイヴ・カルチャーをそのまんまやろう、という発想が僕らにはなくて。僕と中西君にはそういう共通体験があったわけだけど、あくまでその「感覚」で、何か一緒にできないか、というシンプルな気持ちでした。互いにしっくりくることができたらいいなと。で、音を出してみたら結果的にそういうものだったという。

他方、当時はリスニング・テクノやベッドルーム・テクノみたいなものも出てきていたと思うのですが、そっち方面から影響されることはありましたか?

益子:いや、俺はあんまり聴いてなかったなあ。

山本:俺はちょいちょい聴いていたかな。ブラック・ドッグとかは好きでしたよ。

益子:俺はジ・オーブくらいかなあ。なんか聴いたっけなあ。

中西:エイフェックス・ツインのアンビエント(『Selected Ambient Works Volume II』)は好きだったけど。

益子:俺はエイフェックス・ツインってあんまり聴いたことないんだよな(笑)。いまだによくわかんない(笑)。

山本:俺もアンビエントのやつしかそんなに好きじゃない。

益子:あとはロッカーズ・ハイファイだね。

山本:あれね(笑)。ロッカーズ・ハイファイはもしかしたら影響を受けたって言えるかも。

益子:『Ambient Dub』というコンピレーションがあって。あれは中西君が買ったんだっけ? それは俺らとやっていることがすごく近いなと思った。全曲じゃないんだけど、一部ね。そのなかにすごく共感できる人たちがいて、それがオリジナル・ロッカーズで、その後ロッカーズ・ハイファイに名前が変わるんだけど。それはよく聴いていたかなあ。

山本:たしかバーミンガムの人たちだよね。

中西:それは3人ともおもしろいと思って聴いていて。たしかにそういうアンビエント・ダブ/テクノ/ハウスというか、そういうコンピレーションを聴いてはいたよね。何枚かいいのがあって。共感ではないけど、似たようなことやっているのかなと思ったり。でもべつにそういうものがあるからそういうことをやろうと思っていたわけではなく。

DUB SQUADを始めた頃は、クラブでライヴをやっていたのでしょうか?

山本:当時はなかなかクラブもなくて。

益子:いちばん最初って「チョコレート・シティ」かな?

山本:最初はそうじゃないかな。

益子:ライヴがやれるとしたらライヴハウスだったからそこでやってみたんですけど、さっき言ったような「観る/観られる」の関係がやっぱり違うなと感じて。その後はたしか「キー・エナジー」だよね? 当時大きいパーティだとセカンド・フロアみたいなチルアウト・ルームを持っていたので、そういうライヴ・アクトが出られるパーティにアプローチをして、やらしてもらっていましたね。

山本:93年頃はエレクトロニック・ミュージックの音がかかっているクラブもまだそんなになくて。「マニアック・ラヴ」のオープンが93年頃だったと思うんですけど、それより前からあったクラブにテープを持っていってもあんまり聴いてもらえなかった。じゃあパーティをやっているオーガナイザーに渡そうみたいな感じで。当時「キー・エナジー」というわりと大きなパーティがあって、そこのメイン・フロアはトランスっぽい音がかかっていたと思うんですが、そのチルアウト・ルームの方に出たりしたのがクラブ・シーンに入っていく最初のところかなと思います。『Dub In Ambient』の頃はメイン・フロアじゃなくてチルアウト・ルームでやっていたんです。その曲調で踊りたい人は踊るし、寝転がって聴いている人もいるし、みんな自由にやっていて、こっちとしてもすごくやりやすい環境がありました。

益子:いわゆるド・アンビエントじゃないもんね。

僕は『Versus』からDUB SQUADに入ったので、最初の2枚は遡って聴いたのですが、セカンドの『Enemy? Or Friend!?』(1998年)になると、僕の知っているDUB SQUADだなという感じがするんですよね。

山本:『Versus ‎』と繋がっている感じですよね。

益子:それは、96年にもうひとつ、僕らにとっての大きな転機があったんです。「アンビエント・ウェブ」というイベントを東京や茅ヶ崎でやっていたヤックというDJがいて、彼はアムステルダムのクリエイターとコネクションがあったので、96年の夏、ちょうど僕らがファーストを出す頃に「アムステルダムにライヴしに行かないか」と誘ってくれたんですね。「ブッキングとか大丈夫なの?」って訊いたら「ひとつは確実にとれる」と(笑)。で、1回ライヴをやればきっと地元のオーガナイザーが観てくれているから、次のライヴも決められるだろうと言われて。

山本:行ったらなんとかなるよって。

益子:そうそう。そのひとつだけブッキングがとれているというパーティが、地元の若い連中がスクウォットして運営しているところだったんです。

山本:もともとアメリカの食品倉庫だったところを不法占拠してやっているところで。

益子:そこをクラブとスケート・パークとギャラリーにしていて……

中西:あとレストラン(笑)。

益子:そこでライヴをやることになったんですが、その会場はワンフロアしかなかったんですよ。つまりメインのフロアしかない。だから、踊りたい人たちばかりが来ているわけで、そこで僕らがライヴを始めると、ファーストの音を聴いたらわかるように当時の僕らの音楽はBPMもすごくゆっくりしているし、激しく踊るような音楽じゃなかったから、お客さんがライヴ中に話しかけてくるんですよ(笑)。「もっと速い曲ないの?」って(笑)。

中西:「ブレイクが長すぎる!」とかね(笑)。

益子:それは雰囲気を見ていてもわかるから、僕らも「参ったな」と思っていて。「僕らが用意しているのはこういう曲しかないけれど、僕らの後のDJが速いのかけるからちょっと待っててよ」とか言ったりしながら(笑)。

中西:女の子に呼ばれてワクワクして行ったら、「なんであんなにブレイクが長いの!?」って怒られるという(笑)。

益子:僕らは来た人たちを楽しませたいという気持ちが強いから、踊りたい人は踊らせないといけないなと。その方がお互いに楽しいし。だからその1回めのライヴが終わった後にすぐ次のライヴに備えるための曲作りに入って。

中西:次のブッキングが決まったから、急遽その倉庫の部屋を借りて、持ち込んでいた機材を使って曲を作ったんだよね。

益子:そうそう。1回めのライヴは港の倉庫だったんだけど、次のライヴは街なかの「マッツォ」というクラブで、これはちゃんと踊らせないと白けるぞと(笑)。

山本:当時のアムステルダムではいちばんメジャーなクラブだと説明されて、それはヤバいなと(笑)。

中西:オシャレというか、ちゃんとしたクラブでね。

益子:それで、メイン・フロアで自分たちとお客さんとお互いに楽しむための音というのはなんだろう、というのを考えはじめたところでちょっと意識が変わったというか。東京に戻ってきてからもその延長線上でどんどん曲を作っていって、それが『Enemy? Or Friend!?』に結びついていくんですね。

山本:ちょうど『Enemy? Or Friend!?』が出る90年代後半くらいから、クラブのパーティでライヴをやるということがそんなに特殊じゃなくなっていったと思うんですよ。僕らもDJの間に挟まって踊れる曲をプレイするというのが、その頃からだんだんふつうのことになっていった。

中西:その場に応じて試してみたことでオーディエンスが踊ってくれたから、今度はそれをフィードバックして新たに曲を作る、というふうに「場」と曲作りが呼応していったというか。

山本:それで思い出したんですけど、「リターン・トゥ・ザ・ソース」というサイケデリック・トランスがメインのパーティがあって。TSUYOSHIさんがやっていたのかな。そのオープニングでライヴをやってくれという話があって。会場は山の中だったから、のんびりした感じでパーティを温めるように始めるのがいいよねって心づもりで行ったんです。そしたらこれがけっこうな大雨だったんですよ。で、大雨なのに、もう踊る気満々のやつしかいなくて(笑)。このクソ雨のなかよく集まるなってくらいフロアに人がいて。それで僕らがふわ~っとした感じで1曲めを始めたら、ピリッとした空気になって(笑)。

(一同笑)

益子:やってるのに「早くやれ」って言われそうな(笑)。いや、もう始まってるんだけど、と(笑)。あのときの1曲目はド・アンビエントだったよね。失敗したなと思いつつも、それはそれでおもしろいかなという気持ちもあったり。

山本:あれはいい体験になった。

中西:「アチャー」感があったね。

山本:そういう「場」とのフィードバックのなかで、「じゃあ今度はこういうのをやったらいいんじゃない?」みたいなことが積み重なっていったんです。

僕らは来た人たちを楽しませたいという気持ちが強いから、踊りたい人は踊らせないといけないなと。その方がお互いに楽しいし。 (益子)

その次に出るのが『Versus』(2001年)ですが、あのアルバムもそういう「場」とのやりとりのなかから生み出されていったものだったのでしょうか?

益子:90年代の半ばから97~8年あたりまでは、クラブとか野外レイヴ・パーティとか、いわゆるクラブ・ミュージックの延長にある場でやることが多かったけど、だんだんそれ以外にもロック系のフェスとか、そういう場に呼ばれたりすることが増えていって。そうすると、それぞれの場に対応していくことになるから、そういう過程で曲も少しずつ変わっていったとは思うんですよね。

中西:音も詰まっているしね。すごく圧が強いというか、とにかく高エネルギーな感じだよね。

山本:90年代後半~2000年代初頭の頃には、クラブ・ミュージックが細分化していって、ある程度決まったパターンみたいなものができ上がっていたと思うんですよ。たとえばドラムンベースならこういう感じ、ビッグ・ビートならこういう感じ、というふうに。でも僕らはテクノのパーティにもトランスのパーティにも出るし、フェスにも出るしで、そういう特定のパターンにハマらないようにやっていたから、その結果がああいう感じになったというのはあるかもしれないですね。

益子:たぶん、ライヴの場で僕らに求められることが変化していったというのが大きいと思うんですよ。「テンションが上がる」とか「盛り上がる」といったことを求められるような場が増えたから、中西君が言った「高エネルギー」っていうのはそれが反映された結果なのかもしれない。僕らのことを認識している人たちが増えると、それまでのDUB SQUADで盛り上がった記憶を持っているお客さんも増えるから、その「盛り上がるんだよね?」っていう期待に応えなくちゃというような強迫観念があって。

山本:ははは(笑)。

益子:そういうのに必死になっていたのかもしれない。

中西:いま思えばね。べつにそれが辛いと思ってやっていたわけではないし、むしろ楽しいんだけど、たしかにそういう側面はあったかもしれないね。

益子:だから、どれだけ曲にエネルギーを込められるかとか、どれだけ僕らの音からそういう過剰なものを感じてもらえるかということを意識してはいたと思う。

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僕たちはたとえばサイケデリック・トランスを好んで聴いていたわけではないけど、そのパーティに来るゴリゴリのサイケっぽい人たちがフッとチルアウト・ルームに立ち寄って僕たちの音楽を聴いたときにどんな反応をするのか、というのをおもしろいと思っていて。 (中西)

なるほど。そのように『Versus』の頃にはすでにDUB SQUADのことを知ってライヴに来る人が増えたり、あるいは僕が地方で『Versus』を手に取ったように、どんどん知名度が上がっていったと思うのですが、まさにそこからDUB SQUADは沈黙に入るという……

(一同笑)

益子:そうなんですよ。いま振り返ると、たぶん一度リセットしたくなっちゃったんだと思うんですよね。もう詰め込むだけ詰め込んでしまったから……

中西:次は何に手をつけたらいいのかということを考えた時期でしたね。

益子:手を打つとしたら次は何か、というのが見えない状態に入ってしまったんだと思います。

中西:そうですね。3人に共通している意識として、それまでわかりやすく「これ!」というのからはちょっと外したようなものをやってきていたつもりがあって。でもその外しようがなくなったというか。

益子:下手したら外しているんじゃなくて、メインのものになりすぎちゃうっていうか。そういう恐れみたいなものがあったのかもしれないですね。当時それを意識していたわけじゃないけど、いまこうやって振り返ってみると僕らはたぶんカウンターでありたかったんだと。でもカウンターというのは、そもそもメインのものがあって初めて成り立つわけだから、そのカウンターになるためのメインがないという。

山本:メインがなんなのか、わからなくなるという。

中西:話が戻っちゃうんですが、僕たちはたとえばサイケデリック・トランスを好んで聴いていたわけではないけど、そのパーティに来るゴリゴリのサイケっぽい人たちがフッとチルアウト・ルームに立ち寄って僕たちの音楽を聴いたときにどんな反応をするのか、というのをおもしろいと思っていて。あっちはあっちで「こんなのあるの!?」って思うし、こっちはこっちで「こんなお客さんもいるんだ」みたいな(笑)。

(一同笑)

山本:なんて格好してるんだ、お前ら、みたいな(笑)。

中西:そういう相互作用みたいなものを僕らは場に求めちゃうというか。

そういうことが薄れていったということでしょうか。

益子:クラブ・シーンみたいなものがある程度でき上がってしまって、パーティもそうだけど、2000年代初頭から半ばにかけては新鮮さがちょっとなくなっちゃった頃だと思うんですよ。

山本:バンドで踊るということも当たり前になってきた頃だと思うんですよね。そういう踊らせることができるいいバンドが他にもたくさん出てきて。それで、「あのバンドは踊れるよね」と期待して来るお客さんがいることが当たり前になってきた、というのはあったかもしれないですね。

1999年、〈RAINBOW 2000〉/白山、石川

その後、益子さんはエンジニアリングなどの仕事でよくお名前を拝見していたのですが、中西さんと山本さんはDUB SQUADが休止されているあいだ、どんな活動をされていたのですか?

山本:僕たちはふつうに仕事をしたりしていました。僕はDJもやっていたので、自分でパーティをやったりはし続けていましたけど。

益子:中西君は、DUB SQUADと並行して僕がやっているROVOというバンドに、一時期だけど参加してくれていたことがあって。『Versus』が出た後、2001~04年くらいだっけ。

中西:DUB SQUADのメンバーとも完全に会わなくなったわけではなくて。たまに会ってセッションしていた時期もあるし、今回のアルバムも、何年か前にやっていたセッションからでき上がったものも多いんで。そのあいだにライヴもやってきているし、まるまる16年何もしていなかったというわけではないです。

ライヴは2011年から再開されているという話を聞きました。ちょうど『Versus』から10年くらいですよね。そのときはどういう経緯で再開されたのですか?

山本:「METAMORPHOSE」に「ちょっとまたやろうと思ってる」という話をしたら、「それなら、出ない?」と誘われて。よし、じゃあそこで再開しようと思って準備を始めたんだけど、台風で「METAMORPHOSE」がなくなっちゃったんですよ。ただ、それに向けてもう活動を始めてはいたので、その後何本かはライヴをやっています。それで曲もある程度できたからレコーディングしようという話になったんですが、そこからけっこうかかっちゃいましたね(笑)。3年くらいかな。


2000年、“3D 10周年時〈WATER〉フライヤー” 王子、東京

今回のアルバムがどういうふうに受け取られて、どんな反応が返ってくるのかというのが僕は楽しみで。たとえばそれこそEDMフェスみたいなものは昔はなかったから、ああいう場で楽しんでいる若い子たちの耳に入ったらどういうふうに聴こえるのかなとか、興味がありますね。 (山本)

今回新作をレコーディングすることになった際、先ほど仰っていた「メインに対するカウンター」というか、新たな外し方みたいなものはあったのでしょうか?

益子:いや、当時はそういう感覚でいたと思うし、さっき言ったみたいに止まっちゃったというのもそういうことだったと思うけど、そこからだいぶ時間も経っているし、だからべつに何かに対峙するということじゃなくて、自分たちがいま素直に気持ちいいと思えることをまとめたのが今回のアルバムですね。そういう意味では、ファースト・アルバムの『Dub In Ambient』とすごく近いかもしれない。

中西:もうある程度リセットできたという気持ちはあります。だから初期の頃のような気持ちでまた曲作りに取り組めたかな。こんなふうに言うと、以前はすごく追い立てられていたみたいな感じだけど、それほど売れているバンドでもないから(笑)。でも話にするとそうなっちゃうよね(笑)。まあ流れとしてはそんな感じで、『Versus』で飽和して、一度リセットしてという。

益子:まあ、長いブレイクだったよね。

中西:得意のね(笑)。で、やっぱり今回はアンビエントっぽい要素が増えているし、そういうのもリセットしたかった気持ちの表れなのかな。

今回、16年ぶりの新作『MIRAGE』を聴かせていただいて、この言葉が適切かどうかはわからないですが、『Versus』などに比べると少しポップになった印象を抱きました。間口が広くなったと言いますか、たとえばクラブ・ミュージックを聴きはじめたばかりの人でもすんなり入っていけるような。その辺りは意識されたのでしょうか?

益子:まったく意識してないね。

山本:でも『Versus』よりは音がシンプルになりましたよね。

益子:クラブ・ミュージックって何か規定があるわけじゃないし、結局いまどういうスタイルが多く機能しているか、という話だから。そこに対しての意識というのは特にないなあ。でも、細かい部分では逆の意識はあったかな。いま使われているようなリズムとか、ドラムマシンの加工された音を使うのはあえてやめようということは思っていたけど。

山本:いまトレンドの音楽ってすごく作り込まれているし、若いクリエイターたちは凝った作り方をしていると思うんですが、DUB SQUADは基本的に使っている機材も昔と変わっていないんです。いまも『Versus』を作っていた頃とほとんど同じ。バンド名に「ダブ」という言葉が入っているように、出ている音にエフェクトをかけて変えるとか、そういう手法が原点なので。

益子:そうだね。「なぜバンドという形になったか」という質問のときに答えるべきだったけど、僕らは昔もいまも曲作りという制作作業のなかでパソコンを使うことがないんですよ。もちろん人によって作り方はいろいろだろうけど、おそらく多くの人たちがDAWとか、90年代だったらLogicとかソフトウェア・シーケンサーというものを使って作っていたと思う。僕らはそういう作り方をずーっとしていなくて。その理由は、ひとつのものを3人でああだこうだ言いながらいじくるのは大変じゃないですか。

なるほど(笑)。

益子:あれはひとりで制作するのに向いている作り方だと思う。複数の人間、なおかつバンドをやっていた人間にとっては、1回ずつ音を止めなきゃいけなかったりとか、何かするたびに待ち時間があったりするというのはすごくまどろっこしいんですよ。だから基本的には押したらすぐ音が出る楽器であったり、ハードウェアのサンプラーだったり、そういうものを使って作るほうが自分たちにとってすごく合っていた。それで、昔からぜんぜん機材が変わっていなくて。もちろんマイナーチェンジはあるんだけど、メインの機材はほぼ同じですね。

中西:僕の場合はさらに劣化して、シーケンサーを使わずやっていて。

(一同笑)

山本:劣化というか退化だね(笑)。

益子:手で弾いているよね。

中西:手で弾いてる。最初にセッションで始めた頃のことを、ただそのままやっているという。だから「ポップ」という感想は意外でした。意識はしていないので。

益子:もちろん奇をてらって変なものを作ろうなんて思っていないけど、何か選択をするときに「受け入れられやすいように」という気持ちで選択することもあまりないというか。たんにそれがおもしろいかおもしろくないか、というところでしか選んできていないから。

中西:そうだね。でも「間口が広い」と思ってもらえたのはいいことだよね。

益子:いいことだよね。よかったね。

中西:僕らのなかでの「これはいいでしょ!」という展開とか、「これはさすがに無理でしょ」みたいなものというのは、たぶん誰にも共感してもらえないなと。そういう暗黙のルールみたいなものがあって(笑)。

今回のアルバムは16年ぶりのリリースでしたが、これからもDUB SQUADとしてまだまだ出していきたいと考えていらっしゃるのでしょうか?

益子:うーん、特に何も考えてないな。でもこれで終わりにしようとかそういうつもりはまったくなくて、何か次に残したいと思えるようなものが貯まってきて、いいタイミングが来たらまたアルバムを出したいと思います。僕らは「契約があって、何年のうちに何枚かを出さなきゃいけない」というのではぜんぜんないから。

山本:あと、今回のアルバムがどういうふうに受け取られて、どんな反応が返ってくるのかというのが僕は楽しみで。長らく音楽シーンから離れていたということもあるし、僕たちが休止した頃といまとではシーンの状況もぜんぜん違うと思うので。たとえばそれこそEDMフェスみたいなものは昔はなかったから、ああいう場で楽しんでいる若い子たちの耳に入ったらどういうふうに聴こえるのかなとか、興味がありますね。聴いてくれるかわかんないですけど(笑)。

そういうポテンシャルのあるアルバムだと思います。

中西:またそういう反応で僕らの方向性がどういうふうになるのかというのも変わってくるんじゃないかな。もうド・アンビエントの作品しか出さなくなる可能性もあるし(笑)。

(一同笑)

山本:それがおもしろいと思えばそうなるかもしれない。

益子:本当に「場」というか、いまはライヴの本数は少ないけれど、僕らはメンバーの3人で完結しているわけじゃなくて、ライヴの場に来ている人たちとの関連性みたいなものがすごく大きいし、そこを含めて活動してきているんですよ。だから、あらかじめ自分たちで「こういうことをやっていこう」というのはあえて決めないというか。「場」から受けるフィードバックってすごく大きいからね。

DUB SQUADライヴ情報

R N S Tアルバム リリース パーティ「REMINISCENT」
日時:2017.07.08(土)OPEN 18:00 CLOSE22:00
料金:¥3000 (+¥600 drink charge) W/F ¥2500 (+¥600 drink charge)
会場:Contact

FUJI ROCK FESTIVAL ’17 “INAI INAI BAR” produced by ALL NIGHT FUJI
ステージ:Café de Paris
日程:2017.07.28(金)
会場:新潟県湯沢町苗場スキー場

詳細:https://dub-squad.net/

RAINBOW DISCO CLUB 2017 - ele-king

 GWの5月3日~5日にかけて伊豆の稲取で開催されるRAINBOW DISCO CLUB 2017の魅力について、渡辺健吾と野田努が語り合いました。詳しいラインナップと入場料、アクセスなどはホームページを見ていただくとして、ここでは何故2人がこの野外フェスを推すのかを読んでいただけたら幸いです。

野田:昨年初めてRAINBOW DISCO CLUB(RDC)に行ったんだけど、行って良かった。いろいろな意味で。
健吾:僕は晴海でやってた時代は何度か行っていて、ビル群や海がすぐそこに見えるロケーションでさっと行けるし、割りと好きだったんだよね。夕暮れの雰囲気とか、海風が気持ちいいとか、いい点もたくさんあった。だけど、やはり伊豆で開催になってまるで違うパーティというくらいよくなったと感じたなぁ
野田:昨年のが伊豆になってから1回目なの?
健吾:いや、2回目だよね
野田:健吾は2年連続だったんだ?
健吾:いや、僕も去年が初なんですよ。伊豆の初回がすごくよかったという話をあちこちでたくさん聞いていて、これは行くしかないだろうと
野田:なんだよぉ~、すっかり行き慣れたベテラン面してるからさー、「ヨロシクお願いします」なんって言っちゃったじゃない。
健吾:いやいや、そうだっけ?
野田:もうすっかり、場慣れしてたじゃん。水道場で食器とか洗っててさ。なにがプチアウトドアだよ。俺なんか、民宿だぜ。
健吾:春先から秋までは、キャンプ含めて子供連れで楽しめる野外のパーティによく行くようになっていて、毎年数ヶ所の野外パーティやフェスに行っているからね。そういう中であそこは楽しいぞ、雰囲気いいぞ、とか、そういう嗅覚は結構磨かれてるんじゃないかと。
野田:俺なんか、多摩川に釣りに行くぐらいだからなー。それはともかく、RDCは素晴らしいよね!
健吾:素晴らしいですね! 噂以上だった。
野田:じゃあ、お互い、どこが良いと思ったのか、理由をいくつか挙げていこう。まずはロケーションだね。これ、重要。
健吾:そうですね。あんな場所よく見つけたなと思うけど、ただの山の中でもないし、かといって日常の空間でもないから、不思議な魅力がある。
野田:公共の交通手段を使って、2時間ぐらいで行けて、山と海がある。ホントによく見つけてくれたって感じ。
健吾:そういう会場だと、他にいくつも違うイベントが開催されて、スペシャル感が薄れるケースもあるけど、あそこはRDCだけだからな
野田:日本の初夏の青々しい風景、そして伊豆の小さな港町……子供がいようがいなかろうが、行きやすいし、場所だけでも気持ちが上がるね。
健吾:突飛な場所でやりすぎて、1年でできなくなっちゃうっていうケースもたくさん見てきてるから、3年続けてやって年々よくなっているという継続ができたらすごくいいなと思うしね。前に千葉のビーチであったパーティに行って、感動するくらいロケーションよかったんだけど、ビーチだから夜中になったらみんな勝手に入ってきちゃって、大変だったらしい(笑)。
野田:野外パーティの難しさってやつか。ぼくが泊まった民宿では、民宿だから共同風呂なんだけど、風呂に入ってくる人がみんなRDCのバンド捲いてんだよ。で、「同じっすね」とか言うと、「去年も来たんですよー」なんてね。今年もリピーター多いんだろうなぁ。
健吾:あれは口コミで広がるタイプの良さだから、そう思う。
野田:そもそも健吾は野外フェスに何を求めているの? なんで、いまも行き続けているの?
健吾:一言では言い表せないけど、遠慮会釈なくいい音、でかい音で踊りたいっていうのがいちばんかな。クラブという日常の延長にある場所では、なかなかそういうことができなくなってしまった。
野田:野外フェスなら家族で行けるのは、たしかにオレら世代にとっては魅力だよね(笑)。でも、オレが野外に目覚めたのはまだ自分がギリギリ20代のときの1993年、最初はグラストンベリーだったんだよね。
健吾:いきなりグラストンベリーか。インパクトがすごそう。僕はあまりロック・フェスで楽しかった記憶がないんだけど、グラストンはどこが良かったの?
野田:どこがって……とにかくカルチャー・ショックだよ。なんていうか、ヘッドライナーがスピリチュアライズドだろうがオーブだろうがヴェルヴェッツの再結成だろうが、そんなことは最終的にはどうでもいいわけ。自分たちがその場にいて、その場にいることを楽しんでる。多様な人間がそこはいたし、年齢層もヒッピーからインディ・ロック、レイヴ世代までと幅広い。そして、その場にいる人たちもそのフェスの重要な要素なんだよ。あの感じ……クラブやライヴとは違った、過激なまでの「ゆるさ」とでも言おうか、あれがオレのなかの理想としてあるんだ。つまり、出演者のタイムテーブルに合わせて客も移動するみたいな、あの感じはまったくないよ(笑)。とことんレイドバックしてるのよ。
健吾:なるほどね。RDCでいいと思ったポイント、僕が嬉しいのは「ゆるさ」なんですよね。もちろん、歴史あるイギリスのグラストンベリーとは違うタイプのものだろうけども、運営サイドと客が信頼しあっていて、ゆるく運営されているっていうのは日本においては貴重だからね。
野田:あのゆるさは素晴らしい。しかもさ、良い音楽が良いオーディエンスを集めるってことを実践してるジャン。
健吾:うん、そう思う。日本だとクラブ系のDJやアーティストがたくさんでるフェスですら、「出演者のタイムテーブルにあわせて客が大移動」みたいなことが起きるから。そうすると、どうしても有名で、たくさんファンを呼べるような人中心のブッキングになってしまったりして。ポスターにずらずら名前が並んでいるのを見るとすげえって思っても、実際にその場に行くと、楽しめないっていうことも多いんだよね。RDCの場合は、たぶん敢えてその逆いってるという。
野田:ヨーロッパのフェスっぽいんだよね。極端に言えば、ライヴを見ずにただテントで生活して帰ってく人も珍しくないっていう感じ。そういう場を作るってホントに難しいと思うんだよ。さっき健吾が言ったように、雰囲気って、オーディエンスや出演者なんかとの信頼関係で築かれるものだからね。その信頼関係をうながすかっていうと、音楽愛じゃない? RDCはそこがしっかりしているよね。
健吾:そこまで裏話やなんかを知ってるわけではないけど、ステージや楽屋の写真を見たり、発言を読んだりしていると、出演者にもRDCという場やコンセプトが愛されているんだと感じるね。
野田:ハンモックとかさ、ああいうのが並んでいるのもいいよね。キッズ広場まであるし。適度に逃げ場もあるし、適度に散歩もできるし。
健吾:キッズ・スペースはだいたいどこの野外パーティでも設けてるけど、ちゃんと遊び場として機能してると感じたのは数少ないね。RDCのキッズ広場はあってすごく助かった。
野田:絵本もいっぱいあるしさ。
健吾:そういえば去年、結構早い時間帯だったけど、瀧見さんがプリンスかけたの覚えてる? まだ昼くらいでそんなに客もいなかったし、皆のんびりした雰囲気で座ったり寝そべって見ていたら、セットの最後の方でいきなりプリンスかけたんだよね。たしか、「Sometimes It Snows In April」だったかな。
野田:それってプリンスでオレがいちばん好きな曲!
健吾:去年は4月の終わりだったし、気がきいてるよね
野田:さすがベテラン。今年も出るんでしょ。彼みたいなのがいるのは心強い。
健吾:僕はハンモックのあたりでそれ聴いてて、少し立ち上がって、高いところからフロアの様子を見ていたら、皆「プリンスだ!」とか騒ぐ感じでもなくて、ゆっくりそこここで立ち上がって、レクイエムみたいにゆらゆら踊る人が増えるのがわかったんだよね。なんかすごく心にしみた。
もちろん瀧見さんの、あそこであのタイミングでプリンスのしかもあの曲っていうのがすごいと思ったけど、客もそれに応えてる感じだったなぁ
野田:あんな良い天気のなかで、あんな切ない曲を……。そういう、その場の物語が生まれるんだよね。クラブでもそうなんだけど、良い野外フェスにはとくにそのときでしか経験できない物語が生まれる。これから2日後にはどうなっているんだろ? っていうワクワクした感じがあって、わずか3日のあいだにいろんなことが起きるんだよな。
健吾:ほんとそう。で、ワガママかもしれないけど、子持ちだと、ピークタイムが深夜~明け方に設定されてるフェスでは、いちばんいいところを絶対に経験できないんだよね。夜通し踊った皆が休みにテントに戻りだす朝はやくにようやく活動し始める。RDCの場合は、夜は平等にみんな寝るというタイムテーブルだから、みんなと同じようにいい経験ができるチャンスがあるのよ。
野田:なるほど。で、テント生活はどうよ?
健吾:もちろん、楽しいよ。半分それが目的だからね。
野田:夜はまだ寒いだろ?
健吾:装備によると思うけど、うちは冬用のシュラフ持っていくからそうでもないね。もちろん、民宿とかホテルでもいいと思うし、お風呂は入れたほうが体も休まるんだけど、テントの場合、子連れだったら一度寝かせてからまたちょっと踊りに行くとかもできるしね。テントサイトからフロアまでそんなに距離がないのもいいね。野田さんもテント張ったらいいのに(笑)。
野田:オレは今年も民宿ですが、稲取の金目鯛はぜひ味わって欲しいですね。港の近くに市場があってさ、そこにもRDCに来た人たち大勢いたぜ。
健吾:実は、今年は前日の夜から行こうかなと思ってて、その日は民宿に泊まる予定なの。だから、金目鯛も食べられるかな(笑)。そうそう、テントと言えば、去年は風がすごく強かったんだよ
野田:いいじゃない。風が強いくらいがちょうどいい。
健吾:いやいや、どこの人気フェスもそうだけど、テントサイトはそんなに広くないし普通よりくっついてちょっと無理にテント張ってるから、きちんと張れてないのね。ペグダウンしてないとか。それで、去年の2日目は奥さんが踊って僕子供の世話っていう担当になってたので、夕飯食べて子供連れてテントに帰ったら、強風でテントが崩壊しそうになっててさ。子供と2人で協力して、1時間以上かけてなんとか風でテントが吹っ飛ばないように張り直して、事なきを得たけどちょっと泣きそうだったよ。深夜に周囲でバンバン物が飛んだりテント崩壊したりしてたから、みなさん自然をなめないようにしましょう、という話はしておいたほうがいいかな。
野田:野外っていうのはリスクもあるから。しかし渡辺家は前泊とは、すげー気合いを感じるな。
健吾:なはは。民宿も楽しそうだなぁと思ってね。気合入ってます。
野田:出演者も相変わらずイイよね! 日本人の出演者だけでも充分なメンツですよ。
健吾:そうだね。個人的には、ここ5年位ずっと気になっていたヘッスル・オーディオの3人が揃って来るのが本当に嬉しい。でも、それ以外のメンツもRDCらしさもあり、とても楽しみだわ。
野田:ベンUFOは、ベース世代を代表するもっとも人気/評価の高いDJだしね。しかし今回は、いろんな世代が混じっている感じが出たね。
健吾:日本だとああいうダブステップ以降のものが混沌としてるパーティあまりないし、今の彼らがどういうプレイするか興味ある。
野田:欧米は、数年前からベース世代とハウス世代が混じり合ったじゃない。日本ではまだその溝があるけど、これからはどんどん溝が埋まっていくと思う。だから今年のRDCは、チャレンジしているよ。
健吾:NOBUくんと一緒にB2Bでやる、フレッドPは、どんな感じか知ってる? NOBUくんは、去年のブラック・マドンナとのスペシャル・セットがすごくよかったから、今年も期待してるんだけど。
野田:フレッドPは作品しか知らないけど、ずっと評価高い人だよね。とくにブラック・ジャズ・コンソーティアム名義の作品はディープ・ハウスが好きな人にはたまらないものがある。
健吾:だよね。僕も彼の曲いくつか聴いたくらいだけど、DJも良いといいな。普段やらない人と一緒にやってしかもいいプレイが聴けるって、フェスの醍醐味だから
野田:しかしフレッドPとNOBUくんのB2Bというのは、まあ音楽を追究して好きでなきゃ、まず思い付かないよ。RDCは、いまでもちゃんとレコード店に行ってる感じが出ているもんな。
健吾:ふふふ。野田さんの注目アーティストは?
野田:さっきも言ったように、主催側のセンスを信用しているんで「おまかせ」って感じなんだけど、敢えて他に名前を挙げるとしたら、寺田創一さんとKUNIYOKIとsauce81のライヴ、野外が似合う井上薫、あとはフローティング・ポインツかね。野外であれを聴くのは楽しみ。
健吾:寺田さんとKUNIYUKIさんとSauce81のセッションってすごそうだよね
野田:今年はディープ・ハウス色が強いね。
健吾:とは言っても、その場にならないとどんな音が出てくるのかわからないのがRDCの楽しさでもあると思う。去年も、ウェザオールが急遽キャンセルになって、マット・エドワーズ (aka レディオ・スレイヴ)が代役で出たでしょう。以前、RDCにマットが出たときはかなりディスコ寄りのセットだったから、去年もパーティのテイストにあわせてそういう感じになるかと思ったら、完全にレディオ・スレイヴ・モードで、ゴリゴリのテクノだったしね。
野田:いずれにしても、良いメンツだよ。話をぶった切るようだけど、弘石君たちがどさくさに紛れて、マッサージ屋を出していたよね。あのお店のエリアに古本屋さんも出店していたの憶えている? ああいうのもナンかイイよね?
健吾:弘石くんの会社がやってるマッサージ屋は、結構老舗だよ。晴海でやってた時代からRDCに出店てしてたんじゃないかな。とはいえ、たしかにRDCでは他ではあまり見ないような出店があるんだよね。他のフェスで食事しようとして、だいたいいつも同じような、フェスに行くたびに目にする店ばかりで食傷気味になるところ、RDCは地元の店が多いよね。
野田:弘石マッサージテントの隣で、地元の魚屋さんが焼き魚と定食売っていたのが良かったな。野外フェスで魚って、なかなかないでしょ(笑)。
健吾:そうだね。少し店のおばちゃんと話したけど、もろに地元の人って感じだった。
野田:さあ、これで、まだ行っていない人も、だいぶイメージが湧いてきたんじゃないのかな。良いダンス・ミュージックも聴けて、伊豆の魚も味わえるなんて……。あとはテント組は自然を舐めるなと。
健吾:3日だからガツガツしないで気候や音楽や景色の移り変わりも楽しめるといいよね。あと5分〜10分ほど歩いたところにあるレッドブル・ミュージック・アカデミーのキュレーションする体育館の会場も、雰囲気違っておもしろいよね。今年はNORIさんや、サファイア・スロウズ、アキコ・キヤマなんかもでる。去年はあまりにメイン会場が良すぎて、ほとんどレッドブル側に行けなかったから今年はあっちでも踊りたい。
野田:最近UKでは、レイヴ・カルチャーが見直されているっていう話だよ。あの暗い時代における、ひとつの抵抗のカタチとして再評価されているんだって。
健吾:そうなのかぁ。まぁわかる気がするなぁ。
野田:オレらもまだまだ伝えていかないとね! なーんて。
健吾:そうですねぇ
野田:じゃあ、オレは伊豆踊り子号の指定席でビールを飲みながら駆けつけるわ! 現地で会おうぜ!
健吾:ははは、飲み過ぎないように(笑)。今年もひとりで来るの?
野田:昨年も家族で来てるって! 今年も子供連れて行くつもりでーす。ダンス・ミュージックを愛するみなさん、当日お会いしましょう!
健吾:あれ、そうなんだ。ひとりで楽しそうにフラフラしてる姿しか見なかったから、てっきりひとりで羽を伸ばしているのかと!
野田:いや……
健吾:ふふふ。まぁ今年も去年以上に盛り上がるでしょう。今から楽しみ!
野田:です!


RAINBOW DISCO CLUB 2017

日程:
2017年5月3日(水・祝日)9時開場/12時開演 ~
2017年5月5日(金・祝日)19時終演(2泊3日)予定

会場:
東伊豆クロスカントリーコース特設ステージ
(〒413-0411 静岡県賀茂郡東伊豆町稲取3348)

出演:
FLOATING POINTS / RDC EXCLUSIVE: DJ NOBU B2B FRED P
HESSLE AUDIO (BEN UFO / PANGAEA / PEARSON SOUND)
20 YEARS OF RUSH HOUR: SPECIAL GUEST: SADAR BAHAR
RUSH HOUR ALLSTARS (ANTAL / HUNEE / SAN PROPER)
LIVE SESSION: SOICHI TERADA × KUNIYUKI × SAUCE81
LIVE: FATIMA YAMAHA / DJ DUSTIN From GIEGLING
KENJI TAKIMI / KAORU INOUE / KIKIORIX / SISI

GERD JANSON / PALMS TRAX
SKEME RICHARDS B2B DJ NORI / KEITA SANO
AKIKO KIYAMA / 77 KARAT GOLD × KASHIF
SAPPHIRE SLOWS / WONK / MISO

料金:
一般発売チケット(3日通し券)(16,000円)

場内キャンプ券(3,000円)
*炭を使用するBBQは禁止。コンロ、バーナーのみ可能。
*アルコール類、瓶、缶の持ち込みは固くお断り致します。

駐車券(2,000円)
*駐車場出入庫は1回1000円別途必要。

当日券(18,000円)
*前売券が規定枚数に達しましたら当日券の販売はございません。
*20歳未満の入場は保護者同伴の場合のみご入場いただけます。
*中学生以下はチケット不要。

チケット購入:
https://www.rainbowdiscoclub.com/#ticket

店頭販売
テクニーク 03-5458-4143
JETSET 03-5452-2262
ライトハウス 03-3461-7315
GAN-BAN/岩盤 03-5391-8311

ディスクユニオン取り扱い店舗

ディスクユニオンclub music online
渋谷クラブミュージックショップ 03-3476-2627
新宿クラブミュージックショップ 03-5919-2422
下北沢クラブミュージックショップ 03-5738-2971
お茶の水駅前店 03-3295-1461
池袋店 03-5956-4550
吉祥寺店 0422-20-8062
町田店 042-720-7240
横浜西口店 045-317-5022
千葉店 043-224-6372
柏店 047-164-1787
北浦和店 048-832-0076
立川店 042-548-5875
高田馬場店 03-6205-5454
大宮店 048-783-5466
大阪店 06-6949-9219
中野店 03-5318-583

RAINBOW DISCO CLUBとは?
東京を拠点に2010年にスタートした音楽とアートを結ぶフェスティバル「RAINBOW DISCO CLUB」は、良質なダンス・ミュージックを届ける日本の都市型イベントとして、世界的な音楽情報サイト「Resident Advisor」の「世界TOP 10フェスティバル」に毎年選出され、国内外から注目を浴びていました。

その「RAINBOW DISCO CLUB」が、2015年からは伊豆半島 稲取高原の「東伊豆クロスカントリーコース」で大自然に囲まれた野外フェスティバルへと大きく姿を変え、ダンスミュージックの本質を捉えた豪華ラインアップはもちろん、ハンモックカフェ、焼きたてパン、東伊豆の地元食材など充実のフードコート&バー、キッズエリアも備えており、のどかな環境の下、子供から大人までが一緒に楽しめる野外フェスティバルとして心機一転、生まれ変わりました。

https://www.rainbowdiscoclub.com


 あんたのビスケットを盗み
 あんたのツレを笑い 
 あんたのトイレでマスをかく
“You're Brave”(2014)

 ひとりの人間の狂おしい思いが世界の見方を変える。こういうのは久しぶりだ。ぼくは日本におけるスリーフォード・モッズ過小評価を覆すためにライナーノーツの執筆を引き受け、書いた。同じテンションのまま違う言葉で彼らについてもういちど書くことは無理な話である。何クソという気持ちがぼくを駆り立てたのだから。だいたいこのぼくに、20代、30代とちやほやされたことのなかった人間の燃え上がる魂を、どうして否定できようか。




  19.4度 高いな

  18.6度 ボブ、ちょうどいいよな?

  19.2度 高い

  18.4度 ちょうどいいな(註)


  求職者!


  ストロングボウの缶

  俺は取っ散らかってる

  うつ病についてのパンフレットを絶望気味に握りしめる

  NHSからもらったやつだ

  どうして俺がこうなっちまったか

  これから俺がどうなっていくのか

  どいつもこいつもこう思ってるわけだ

  おれは手巻きを吸う 

 「ズボンをちゃんとはきなさい!」

  くそったれ 俺は家に帰るぜ


  求職者!


 「それではウィリアムソンさん、

  最後にお見えになってから実りある雇用にむけて、

  あなたは何かしてこられましたか?」

  クソくらえ!

  ずっと家でごろごろしながらマスかいてたよ

  それからさ 

  コーヒーの一杯くらい出してもいいんじゃねぇのか?

  約束の時間は11時10分のはずなんだけどよ 

  もう12時だぜ

  この臭うクズ野郎どもめ 

  くたばったちまえよ


“Jobseeker”(2013)

(註)トラックで鶏を輸送する労働者間での会話。ウィリアムソンの説明によれば、輸送中、鳥かごの温度は22度以下に保たなければいけない。温度計を見ながらふたりの作業員が話している。


 “Jobseeker(求職者)”──こんな曲をBBCで演奏するぐらいの度胸がスリーフォード・モッズにはある。面倒なので、スリーフォード・モッズにおいて重要なポイントを要約してみよう。


・ジェイソン・ウィリアムソンは10代でモッズ・カルチャーに影響を受け、アンドリュー・ファーンは菜食主義になるくらいザ・スミスのファンだった。


・ジェイソン・ウィリアムソンとアンドリュー・ファーンのふたり組になってからのスリーフォード・モッズのアルバムのタイトルが、『緊縮財政下の犬ども(『オーステリティ・ドッグス』)であったように、彼らはキャメロン前首相から加速した福祉予算カット時代の申し子として現れた。


・スリーフォード・モッズは緊縮時代の英国を見事に記述している。と、いう評価はさんざん英メディアに書かれている。


・とにかく彼らは怒っている。


・ガーディアンいわく「彼らを非凡にしているのは、怒りとその激烈さにあり、それは今日のポップにおいて絶対的に不足している感覚である」。


・その音楽は、ラモーンズ的でもあり、ESG的でもあり、スーサイドっぽくもあるが、なんだかんだいいながらダンス・ミュージックになっている。言葉ばかりに目がいきがちだが、パウウェルが言うように、彼らは音楽的にもユニーク。


・とはいえ、そのライヴにおいて、ファーンはPCのリターンキーを押すか缶ビールを片手に乗っているかで……。


・ウィリアムソンはジェレミー・コービンの支持者として知られるが、彼らの歌詞を読めばわかるように、スリーフォード・モッズは必ずしも政治的メッセンジャーというわけではない。


・むしろファンキーで、頻繁に出てくる「マスかき」も意訳すれば「惨めさ」であり「当てつけ」であり、また「やりたいことを自分がやりたいようにやったる」ってことだろう(さすがに)。


・ツイッターやSNSもまた彼らの批判対象である。



 パッとしねぇ火曜のはじまりだ

 バスの窓についた汗のシミ

 コートを台無しにしたかねぇけど

 なるようにしかならねぇ

 「がんばれよこのクソ野郎!」

 あいつはたしかにそう言った

 白いバンのセイント・ジョージ・フラッグ

 これが人類ってやつだ

 UKIP 貴様の恥さらし

 ロンドンの路上の 脳ナシども

 うじゃうじゃいやがるゾンビどもが

 Tweet Tweet Tweet


 売女を回す車

 このバスはゲス野郎でパンパンだ

 ゲドリング・カウンシルでの8時間

 まったくクソな人生だな

 予備部屋でのつばぜり合い

 重荷になってんのは生身の体

 俺らはもうはや特別じゃねぇ


 後ろ髪を引っ張られまくる

 生きられねぇ人生

 俺はそんなの気にも止めねぇ


 これが人類ってやつだ

 UKIP 貴様の恥さらし

 ロンドンの路上にたむろする 脳ナシども

 うじゃうじゃいやがるゾンビどもが

 Tweet Tweet Tweet


 俺は自分のメシを半分食ったとこ

 地下鉄に体をブチ込む

 電車で帰る頃にゃ

 ステラでぶっ飛ぶのさ


“Tweet Tweet Tweet”(2014)



 

 その昔ザ・ストリーツの『オリジナル・パイレーツ・マテリアル』で描かれた日常は、緊縮財政時代の地方の小さな街において、よりハードかつダーティなリアリズムへと変換される。彼らの遺伝子にはセックス・ピストルズからザ・ジャム、あるいはオアシスからクラブ・ミュージックまでと、さまざまな英国流の抗い方が含まれているようだ。「かまうもんか、やっちまえ」的な大胆不敵さもまたUKミュージックならではの魅力であったわけだが、スリーフォード・モッズがいるお陰でそれが途絶えることはなかったと。彼らこそいまこの時点でのジョーカー(最強のカード)である。

 そしていま、〈ラフトレード〉からリリースされる新作『イングリッシュ・タパス』によって、ようやく日本でちゃんとこのバンドが紹介される。さあ聴こう。我々がいまいちばん忘れてしまっている感性を呼び起こすためにも。

 これはロンドンの坂本麻里子宅からノッティンガムのジェイソン・ウィリアムソン宅への電話取材のほぼすべてだ。答えてくれたウィリアムソンはスリーフォード・モッズのヴォーカリストであり、ブレイン。怒りと同時に自己嫌悪めいたわだかまりも打ち明けつつ、彼のモッズ精神も垣間見れるロング・インタヴューとなった。彼らを理解するうえでの助けになれば幸いである。




“アナーキー・イン・ザ・UK”ってのは、フラストレーションのエネルギッシュな爆風、みたいな曲だったわけで。その意味で、あれは俺たちが初期にやっていた楽曲にかなり近いよね。ところがいまの俺たちっていうのは、自分たちのソングライティングの技術をもっと磨くべく努力する、そういう領域にグループとして達しているわけだ。









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最新のプロモーション写真でもうひとりのメンバー、アンドリューの着てるピカチューのTシャツ、いいっすね。

JW:んーと……あー、それってどのTシャツのことを言ってるんだろ?? 

ポケモンのキャラの、ピカチューのTシャツですけど。

JW:ああ、(急にピン! ときたように)絵が描いてあるやつ、あれのことかな?! うん、わかる。うんうん、あれは俺もいいなと思う! あれはたしか、あいつがどっかから仕入れて来たシロモノで……っていうか、あいつ、どこであのTシャツを手に入れたんだっけな??

(笑)。

JW:あれを、奴はエドウィン・コリンズからもらったはずだよ。俺たち、(元パルプの)スティーヴ・マッケイ所有のスタジオで作業していたんだ。そこで、あのTシャツをゲットしたんだと思うけど。

(笑)マジですか!?

JW:うんうん、俺たち彼のスタジオで作業してたし……っていうか、俺がいまここで思い描いてるのって、「白地に黒でドローイングの描いてある」、そういう図柄のTシャツのことなんだけど?

いやいや、それのことじゃないですね。

JW:あー、そう!?

あの、あれ。「ピカチュー」です。日本の「ポケットモンスター」というアニメを元にした、ゲームでも有名なキャラのピカチューのことなんですけどね。

JW:(素直にびっくりしたように)へえ! なんと! そうなんだ。

はい。

JW:(どう返答していいのかわからない&どのTシャツなのかサッパリ見当がつかない、といった風で困った様子)ワーオ……オーケイ……。

ともあれ、アンドリューはあの手の妙なノベルティTシャツ(※他にも、米アニメ「シンプソンズ」の警察署長キャラ:ウィガムをフィーチャーしたTなどを着用)をたくさん収集してるみたいですよね?

JW:ああ、うん。あいつはそれこそ他に誰も着ないような、ケッタイな古い服を見つけてくるんだよな(苦笑)。

(笑)アハハ。
でまあ、それってあんまりこう、一般的には「すごくクールな服ですね!」って風には思われない、そういうシロモノなわけで。

(笑)いやー、あのピカチューTシャツはかっこいいな! と思いましたよ。まあ、それはあのキャラが日本のアニメ発だから、というのもあったかもしれませんけど。

JW:ふーん、なるほど。

でも、アンドリューがロゴTだのキャラの描かれたTシャツ姿なのが多いのに対して、あなたは無地/モノクロームというか、何も描かれてない服装が多いですよね?

JW:うんうん、たしかに……。

それって、あなたにとってのファッション面でのこだわり、みたいなものだったりします?

JW:いやぁー、それはないよ! ただ……だからまあ、俺は服を買いに行くとか、ショッピングするのはかなり好きな方だし……そうは言っても、俺の好みは(ノベルティTとかとは違う)、もうちょっと高級なタイプのファッション、みたいなものなんだけどさ。

へえ(笑)!?

JW:いやいや、だからさ、「高級」って言ったって、それはなにも「金がかかってる、これみよがしに派手な服」っていうのじゃなくて、一見したところ、ものすごーく平凡なんだよ。

ああ。

JW:ただ、見た目は地味でも非常に良く仕立てられているし、だからこそ長いこと付き合い愛用できる服、という。

なるほど。ちなみに、そんなあなたにとって、リアム・ギャラガーが関与しているモッズ系なブランド:Pretty Greenの服はどうですか?

JW:あれはひどい! うん、ひどい。

(苦笑)気に入らないみたいっすね……

JW:あれはダメだろ? っていうか、リアム・ギャラガー本人を非難するつもりは、俺には一切ないんだけどね。そこはわかってほしいし……言うまでもなく、彼はとても良いシンガーだしさ。ただ……(息を深く吸い込んで)彼の関わってるブランドの服、あれは、好きじゃない。ノー。あれはヒドいよ。

(笑)でも、彼はあのブランドを通じて「現代のモッズ」をやろうとしているんじゃないですか?

JW:あー、うん。そうだよな。ただ、あのブランドの「モッズ」って、とにかくミエミエ過ぎなんだって。

(苦笑)なるほど。

JW:だから──たとえばの話、かつての時代のモノホンのモッズを振り返ってみれば、彼らはあそこまでわかりやすい、ミエミエに「モッズ」って見た目じゃなかったわけ。

ええ、わかります。

JW:だから、「モロにモッズ!」な格好じゃなくて、実際の彼らは、ある意味もうちょっと控えめだった、という。だろ? それこそ、「これはファッショナブルとは言えないな」とすら映るような、野暮ったさの一歩手前なルックスだった。で、なんというか、そういう面に俺は魅力を感じるんだよ。「お洒落だろうか?」と気にしていないっていう。

なるほど。まあ、お金って面もあるでしょうしね。リアムみたいにいったん大金を手にしたら、その人間は道楽のように「モッズが好きだから、じゃあ自分自身の『モッズ・ギア』のファッション・ラインを作ってみるか」なんて考えるものなんでしょうし。

JW:ああ、だよな〜。でもまあ、あれってのは……いや、きっとあれ(Pretty Green)をやるのは、彼(リアム)にとってはいいヴェンチャー・ビジネスの機会でもあるんだと思うよ。

ええ、もちろん。

JW:きっと、あのブランドをやることで彼もいくらか稼いだんだろうし。だけど、こと……あのブランドそのもののテイスト/趣味って意味で言えば、ありゃあんまり上品とは言えないだろう、俺が思うのはそれだけだな。

はっはっはっはっはっ!

JW:(苦笑)分かるだろ?

(笑)それに、かなり高いお店ですしね。

JW:うん、ファッキン・イエス! 大枚はたかされるよな。とんでもない……ってのも、Pretty Greenはここ、ノッティンガムにも支店を出しててね。

あ、そうなんですか。

JW:ああ、まだ順調に経営が続いてる。うん……でまあ、あの店はたくさんの人間に受けててさ。こっちで言う、いわゆる「若い野郎連中向けのマーケット」にね。だから、アークティック・モンキーズだとか、もちろんオアシスもそうだし、それとか……カサビアンとか? とにかくまあ、その手の音楽にハマってる若いラッズをターゲットにしたマーケットのこと。で、Pretty Greenは、そういう音楽が好きでフレッド・ペリーなんかを買いに走る若い野郎、それとか若い女性連中の関心を掴んでるわけだ。だからそういう類いの「市場」がちゃんと存在してるってことだし、実際、もうかるマーケットなんだよ。かなりの額の金が動くからね。

ええ。

JW:というわけで……ただまあ、俺から見るとあれは「あんまり趣味が良くないな」。と。うん、服としてのテイストは良くないし、見てくれもヒドいよ。

(笑)了解です。

JW:おう。

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ノッティンガムってのはかなりの多文化都市だしね。多様なカルチャー、色んな人びと、様々な肌の色、それらが混ざり合っている……それは快適で気持ちの良いミクスチャーであって、人びとはみんな、他の連中の持つ独自のカルチャーをリスペクトし合ってきたよ。ただ、そんななかにもごく一部に分派、かなり人種差別な傾向を持つ団体が存在している、だけど、それってもう、昔からずーっとそうだったわけだろ? 


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ブレグジットが浮上して、半年以上が経ちますが、ノッティンガムに変化はありますか? 

JW:(軽く「ハーッ」と息をついて)「これ」といった変化はまだ起きていないと思うけど?

そうですか、それは良かった。

JW:(つぶやくように)まだ、この時点ではなにも起きてないよ。まだ、ね……。(一拍置いて)ただ──そうは言っても、いまの俺はもう、昔みたいな単純作業系の職には就いていないしね(※ジェイソンは2014年から専業で音楽活動をやっている)。だから、そうだな……俺は、いわゆる「クソみたいな仕事」であくせくしてはいない、ってこと。というわけで、ブレグジットが民営セクターにまで影響を与えているのかどうか、本当のところは俺にもわからないんだ。いままでのところは、ね。

そうは言っても、たとえば地元でパブに行ったり通りを歩いているうちに、ノッティンガムのなんらかの「変化」に気づくことはありませんか?

JW:ああ、ノッティンガムの都市部ではなく周辺の田舎のエリア、それはちょっとあるかも。俺の住んでるあたりでは、そういうのはそれほどないな。だから……なんというか、ある種の「人種差別的な気質」はたしかに存在するし、そうした面が表に出てきて目につく、というのはある。でも、そんなことを信じてるのはごくごく少数な連中だし、なのにあいつらは脚光を浴びて不相応な注目を集めている、と。

はい、わかります。

JW:だろ? だけど、連中の言ってることは広く伝わってしまうんだよ。というのも、あいつらの発しているメッセージはものすごく卑しいもので、だからこそ人目を引く。音を立ててる人間の数そのものは少ないのに、それが倍の音量で伝わってしまう、みたいな。

ですよね。

JW:でも……ノー、だね。「これ」といった、あからさまな経験は自分の身には降り掛かっていないな、正直言って──いまの段階では、まだないよ。うん、とりあえず、いまのところは、まだ。っていうか、ノッティンガムってのはかなりの多文化都市だしね。多様なカルチャー、色んな人びと、様々な肌の色、それらが混ざり合っている、そういう場所なんだ。だから……それは快適で気持ちの良いミクスチャーであって、人びとはみんな、他の連中の持つ独自のカルチャーをリスペクトし合ってきたよ。ただ、そんななかにもごく一部に分派、かなり人種差別な傾向を持つ団体が存在している、そこは俺にもわかっていて。だけど、それってもう、昔からずーっとそうだったわけだろ? 

はい。

JW:ただ、ブレグジットってのは……さっきも俺が言ったように、そういう不満を抱える少数の人間たちが、自分らの意見をもっと声高に叫ぶ機会を与えてしまった、と。

なるほど。それを聞いていると、日本も似たような状況なのかな? と感じます。イギリスと日本はどちらも島国ですし、そのぶん「自分たちの国境を守る」という意識が強いと思うんです。もちろん、日本人の9割は善良で優しいタイプだとは思いますけど──

JW:もちろん、そうだろうね。

ただ、一部にバカげた差別意識を持つひとがいるのは事実だ、と。

JW:ってことは、日本だと人種差別って結構多いの?

いや、おおっぴらで頻繁ってことはないと思いますけどね。ただ、イギリスがヨーロッパ大陸に面しているように、日本も中国・アジア/ロシアという大陸を背にしている国で。でも、アジアからやって来る人びとを蔑む傾向があったりしますし。

JW:うん、なるほど。

それってまあ、「日本は島国で、純粋な民族である」みたいな、アホでナンセンスな認識が残っているからだろうな、と思ってますけど。

JW:だろうね……うん、言ってることはわかるし、そうだよね。うん、いまの話は面白いな。でも、訊きたいんだけど、ってことは、いまも日本には「アンチ西洋」、あるいは「反米」みたいなフィーリングが強いのかな?

いやー、それはないと思いますよ!

JW:そう?

ええ、それはないですよ。心配しないでください。だから……日本人の奇妙なところって、知性とか文化の面で「こいつらは自分たちよりも進んでいるな」と感じる相手には、好意を示すんですよ。

JW:なるほど。

だから、外国人に対しても……これはとても大雑把な言い方になりますけども、もしもその外人がいわゆる「金髪青眼」だったら、日本人は「わー、かっこいい!」と気に入る、みたいな。

JW:あー、なるほど。

それってまあ、おかしな感覚ですけどね。

JW:うんうん……。

自分でも、そういうノリは理解できないんですけど。ただ、そういう感覚はまだ残っていて……うーん、すみません、自分でもうまく説明できない。

JW:オーケイ。興味深い話だ。

というわけで要約すると:「あなたがアングロ・サクソン系の見た目であれば、日本でトラブルに遭うことはまずないでしょう」というか(笑)。

JW:(苦笑)おー、オーケイ、わかった! だったら安心だな。俺たちもひとつ、日本に行くとしようか!

(笑)ぜひ、お願いします。

JW:クハッハッハッハッハッ!

 この生まれたばっかの地獄には
 悲しみまでもが積もってく
“Time Sands”(2017)

俺としてはさほど「怖がってる」わけでもないし、あるいは「連中を恐れてる」っていうんでもないんだけどね。そうではなくて、俺はあいつらが「憎い」んだ。ものすごい激しさで彼らを憎悪しているし、だからこそ、そんな俺にやれる唯一のことというのは、なんというか、自分自身をそこから切り離してしまうことだと感じる、みたいな。

ブレグジット、トランプ、世界はこの1年で大きな衝撃を経験しましたが、いまどんな気分でしょうか?

JW:うん、うん……(咳き込んで声を整える)いやほんと、かなり不安にさせられるよな。だから、だから……このあり得ない、ひどい状況をすべてギャグにして笑い飛ばすのは、ほんと簡単にやれるんだよ。ってのも、ある意味色んなヘマを起こしながら進んでいるわけで。

ただ、政治なんでジョーク沙汰じゃないですよね。

JW:ああ、もちろん冗談事じゃないよ。ノー、これはジョークなんかじゃない。だから、いまのこの事態を大笑いしている人間が多くいるのに気づくわけだけど──でも、そうやって笑っていないと、泣くしかないしさ。だろ? 

たしかに。

JW:で……まあ、うん、これからどうなるのか、まだわからないよね。ってのも、俺としても彼らが一体なにをやってるのか理解できない、彼らがイングランドでなにをやっているのか、さっぱりわからないんだ。彼らは本当にひどいし、とても残酷なことをやっていて……だから、どうしてそうなってしまうのか、理解できないっていう。混乱させられるばかりだし、俺は完全に疎外されてしまった。彼ら脱退賛成派を人間として理解できないし、どうして彼らがああいう風に動いているのかも理解できない。ってのも、ブレクシットを進めながら、彼らは緊縮財政で予算削減も続けてるわけだろ? この国はいまや、完全にどうしようもない状態にあるってのにさ。
 でも、まあ……かといって、俺としてはさほど「怖がってる」わけでもないし、あるいは「連中を恐れてる」っていうんでもないんだけどね。そうではなくて、俺はあいつらが「憎い」んだ。ものすごい激しさで彼らを憎悪しているし、だからこそ、そんな俺にやれる唯一のことというのは、なんというか、自分自身をそこから切り離してしまうことだと感じる、みたいな。わかる?

ええ。

JW:でも、思うに……トランプ政権に対しては、そこまで感じないな。というのも、あれはアメリカ人の問題であって、俺の国じゃない。アメリカに住んでるわけじゃないからね、俺は。だから、自分に(トランプの)直接的な影響が及ぶことはない、と。

ただ、あなたたちはもうすぐアメリカをツアーしますよね(苦笑)?

JW:ああ、アメリカ・ツアーを控えてる。うん、これから5週間後くらいにあっちに行くよ。だから、いまのアメリカがどんな感じなのか、現地で見聞きできるのは興味深いよな。

そうですね。

JW:それでもまあ、共有されてるコンセンサスっていうのはいまだに──「あなたが健康な身で、銀行口座に残高がある限りは大丈夫です」なんだよ。ところが、いったん健康を損ねたり、あるいはお金が尽きてしまうと、途端にその人間はおしまい、アウトだ、と。

ええ。

JW:というわけで……そういうもんだろ? その点はほんと、ちっとも変わっていないよな。ところがいまというのは、やかましい主張を掲げたもっと声のでかいアホどもが権力を握ってしまったし、しかもあいつらはひどい信念の数々を抱いてるわけで。でまあ……そうだね、前政権よりはわずかに劣るよな。

その前政権とは、キャメロンのこと?

JW:いやいや、アメリカの話、オバマだよ。だから、多くの意味で「みんなおんなじ」って感じじゃない、実は? いやまあ、俺だって無知な人間みたく聞こえる物言いはしたくないし、様々なことを実現させるべくオバマは最大限の努力をした、というのは承知しているんだよ。彼は「大統領を退任して優雅に引退」するに値する、多くのリスペクトを寄せられるにふさわしい、それだけの働きはしたんだし(※ちなみに:2月初め、引退後さっそくイギリスの大富豪リチャード・ブランソン所有のカリブ海にあるネッカー島でのホリデーに招かれ、ボート遊びやカイトサーフィンに興じるオバマの姿がSNSに登場。批判する声も多かった)。
 ただ、やっぱり人間ってエリート主義が抜けないんだなぁ、と。それってもう、ダメだよ。とにかく終わってるって。それって問題だよ。でも、そこで生じる問題というのは、これはとてもでかい問題だけど、じゃあ、そこでどうすればいいんだ?と。誰かが去って行っても、また代わりに他の人間が入ってきて「これからはこうなる」と指図するわけで。

なるほど。それってもう、「椅子取りゲーム」みたいなものですよね? 主義がリベラルであれ保守派であれ、エリートのグループに属していればいつか順番が回ってくる、みたいな。

JW:まさにそういうことだよな。で、こうしたことについてくどくど話してる自分自身が、我ながら嫌でもあってね。そうやって現れる小さな側面をいちいち理解しようとトライしているわけだけど、支配する側の集団はおのずと生まれている、という意味で。ってのも、ある意味同じ「鋳型」から彼らは出てくるんだし……だけど、人民ってのは巨大だし、ものすごい数の人類が存在するわけだろ? なのに、俺たちはみんな、ひとりの人間に、それからまた次のファッキン誰かさんの手へ、って風に振り回されているだけっていう。自分らがどこからやって来たのか、それも一切関係なし。
 だから、俺たちはあちこちに振り回されたらい回しされてるだけ、なんだよ。「これをやりなさい」、「あれをやりなさい」って命じられるばかりで、俺らは隅の一角にどんどん押しやられていく。戦争が起きると、ひとつの国は完全な悪者として処罰を受け、国土をすっかり破壊されてしまう。かたや相手の国は、そこまでひどい扱いを受けることはないわけで……ただまあ、世界って常にそういうものだったわけじゃない? で、そこが……(勢いあまって、やや言葉を詰まらせる)そこ、そこなんだよ、俺としてはとても混乱させられるし、そしてフラストレーションを感じさせられるものっていうのは。とにかく、「それ」なんだ。だから、統治する側は永遠に優勢な立場にいるし、それが変化することもないだろう、と。その状況にフラストレーションを感じるっていう。

その「諦め」に近い感覚は、日本にもあると思います。イギリスほど階級制が強くないとは思いますけど、やっぱり一部にエリートの支配層が根強いですし。「なにも変わらないんじゃないか」と感じるひとはいるでしょうね。

JW:うん、きっとそうだろうね。


 俺たちはこれ以上魂を売らねぇ 

 でも3ポンドでくれてやるよ

 お願いだよ もう最悪 

 ブレクジットはリンゴ・スターのアホを愛してる

“Dull”(2017)


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『イングリッシュ・タパス』という言葉は、いまのイギリスの現状を大いに物語るものでもあるよな、と思ってね。だから、無学だし、チープ。そんな風に、人びとはとりあえずのありもので間に合わせざるを得ない状態にある、と。


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「英国的」と言われているスリーフォード・モッズですが、自分たちの音楽が英国以外で聴かれることについてどう思いますか?

JW:(即答)グレイトだと思うよ!  

(笑)なるほど。

JW:うん、最高。だって、自分たちとしては「きっと俺らはノッティンガム止まりに違いない」とばかり思ってたしね。

あっはっはっはっはっ! そうだったんですか?

JW:(ややムキになった口調で)いや、マジにそう思ってたんだって! ってのも、俺たちの音楽ってのは、こう……とてもローカルで地方限定なものなわけじゃない? 他の地では通じないような言葉だらけ、ローカルな通語でいっぱいな音楽だしさ。

ええ、そうですよね。

JW:だから……「地方喋り」そのまんま、なわけ。それに、俺が歌のなかで語っている事柄にしたって……ぶっちゃけ俺以外の誰にも理解できないであろう、そういう話を扱ってるんだし。

(苦笑)なるほど。

JW:もちろん、その「正直さ」が伝わる、ってところはあるんだろうけどね。だから……うん、俺たちとしても、(英国以外の国の人びとが聴いている、という事実に)本当にびっくりさせられたよ。

そういえば、あなたたちはドイツで人気が高いなって印象を受けてるんですけども。

JW:ああ、あっちでは人気だね。

それってどうしてなのかな、なんでドイツ人はスリーフォード・モッズに反応してるんだろう? と不思議でもあって。やはりドイツだと、「言葉の壁」はあるわけですし。

JW:うん、それは間違いなくあるよ。ただ、俺が思うに……ドイツってのはパンク、あるいはポストパンクのあれだけ長い歴史がある国なわけで。だから、ミニマリストな国なんだよな。で、彼らが俺たちに惹かれるのは、俺らの音楽にあるミニマリズムもひとつの要因なんじゃないか? そう、俺は思っていて。で、んー……俺自身としては、自分たちの音楽にはかつてのなにかを思い起こさせる面もあると思う。と同時に、この歌い方のスタイルにしても、おそらく聴いていると昔いた誰かを思い出させるんだろうし……だからまあ、これってちょっと奇妙なバンド、なんだ。ただ、考え抜いた上でこういう音になったわけじゃない、っていう。うん、色々と考えあぐねたりはしないよ。

新作を『イングリッシュ・タパス(English Tapas)』と命名した理由を教えていただけたらと思います。

JW:まあ、俺たちはこれまでも「スペインのタパス」は体験してきたわけだよね。「スパニッシュ・タパス」と言っても、そのバリエーションの一種、ということだけど。だから、スペインのバーで出てくるタパスといえば、一般的にはピンチョス(※パンを使ったカナッペ風、あるいは楊枝を刺したバスク風の軽食。屋台他でも供される)なんかがそれに当たるよね。でも、その一方でもっと高級な「タパス」なんてのもあって……だからまあ、とにかく俺たちはスペインのタパスは経験豊富、色々と触れてきたわけ。で、ある日、アンドリューがイギリスでどっかのパブに入ったとき、そこのメニュー板に「イングリッシュ・タパス」って書かれているのを目にしてね。それがどういうシロモノかと言えば、スコッチ・エッグ(※ゆで卵を味付けしたミンチでくるみ、衣をつけて油で揚げた庶民的なスナック)にお椀に入ったフライド・ポテトが添えてあります……みたいな、(さも可笑しそうにクククッと半分吹き出しながら)とにかく、あーあ、これってマジにしょぼくてクソじゃん、(苦笑)、そういうメニューでさ。

(笑)。

JW:だから、俺たちも「これは笑える!」とウケたけど、と同時に、このフレーズってある意味、いまのイギリスの現状を大いに物語るものでもあるよな、と思ってね。だから、(タパスのなんたるかを知らないで「タパス」という言葉を使っている意味で)無学だし、(料理そのものも安上がりで)チープ。そんな風に、人びとはとりあえずのありもので間に合わせざるを得ない状態にある、と。そんなわけで、「これってどんぴしゃなフレーズだな」、俺たちにはそう思えた、というだけのことなんだよ、ほんと。

なるほど。フィッシュ&チップスみたいなありふれた料理のミニチュアでイギリス流に「スペインの伝統」をやっているのが滑稽に映った、と。

JW:うんうん、ほんとひどいよ! あれはひどい。せっかくタパスをやるんなら、もっと他に色んなやりようがあるのにさ……。ただまあ、これって一部のイギリス人にある態度だったりするけどね。だから、他のカルチャーに存在する美しいアイデアを引っ張ってきて、それをすっかり粗悪なものに歪曲してしまう、という。

ああ。でも、それがまたイギリス人の長けているところ、でもあると思いますけどね? 粗悪にしてしまうとは限らず、他のカルチャーから影響を受けて、それを自分たちなりに解釈し直す、という。

JW:うん。

たとえばレゲエのUK音楽への影響は大きいし、アメリカのブルースを、ローリング・ストーンズのようなバンドは1960年代のアメリカにある意味「逆輸入」したわけです。

JW:あー、うん、それはそうだよね……。たしかにそうだ。

その意味で、他文化の翻案はイギリスの遺産でもあるのであんまり恥じなくてもいいかな、とも思いますが?

JW:いやいや、全然、そういうつもりじゃないんだ! だから、そうしたイギリスの遺産を恥じるっていうのは、俺にはあんまりないんだよ。ってのも、俺がこういう音楽をやってるのも、主にそうしたかつてのイギリス産のバンドたちのおかげなんだしね。ただ……最近の自分たちってのは、この国の持つ良い面よりも、そのネガティヴな側面の方ともっとつながってしまっていて。

ああ、なるほど。

JW:だから、俺の考え方もネガティヴなそれになってしまうわけ。人びとに失望させられたって感じるし――保守党に投票した連中に裏切られた、EU脱退に賛成票を投じるのが得策だと考えた人びとに失望させられた、そう感じるっていう。というわけで、イギリスをネガティヴに捉えるのは俺個人の問題っていうか、うん、きっと俺の側にバイアスがかかっているんだろうね。

でも、その感覚はもっともだと思います。自分の周辺の正気な人間、イギリス人の友人はみんな、いまが大変な時期と承知していますし。聖ジョージ旗(※白地に赤いクロスが描かれたイングランド国旗で、連合王国フラッグの意匠の一部)だのユニオン・ジャックを誇らしげに振り回す時期ではない、と。

JW:まったくその通り。そういうのをやるには、実に悪いタイミングだよな、いまってのは。


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イギリスの遺産を恥じるっていうのは、俺にはあんまりないんだよ。ってのも、俺がこういう音楽をやってるのも、主にそうしたかつてのイギリス産のバンドたちのおかげなんだしね。ただ……最近の自分たちってのは、この国の持つ良い面よりも、そのネガティヴな側面の方ともっとつながってしまっていて。









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名前に“MODS”という言葉を入れたのは、ジェイソンがかつてザ・ジャムやMODカルチャーに影響されたからだと思いますが、最大級の皮肉にも感じます。

JW:だよな。

あなたたちの音楽にはモッズ風なギター・サウンドも、ランブレッタも含まれていないわけで。

JW:うん、ないない! ノー、それはまったくない。

では、バンド名になんでモッズと付けたのでしょうか?

JW:それはだから、俺が「モッズ」ってもんにすごく入れ込んでいるからであって。俺がハマってる「モッズ」の概念ってのは、新しいものを取り入れるって面なんだ(※モッズはもともと「Moderns」の略で、先進的な感覚を称揚した)。かつてのモッズというのは前向きに物事を考える、そういう考え方のことだったし……わかるだろ? 多くの人間が過去のなかで生きていたのに対して、モッズの姿勢は「過去に捕われずにいよう」、そういうものだった。それなんだよ、俺が好きな、多くの人間が抱いている「モッド」の概念ってのは。過去に留まってはいない、というね。
 だから、「モッズ」の字義通りの意味合いを考えなくちゃいけないんだよ。あれは要するに、「モダニズム」から来ている言葉だしね。だから、その本来の意味は考えてもらわないと。で──その意味で、「モッズ」というのはクリエイティヴィティを生み出すってことじゃなくちゃいけないし、同時代的なものであり、それに今日(こんにち)についてなにかを語らせる、そういうものであるべきなんだよ。

はい。

JW:ってのも、この世界の根本は変化していないしね。俺たちは永遠に、この「資本主義」っていうでかい傘の下で生き続けるんだろうし。まあ、この意見は「俺からすればそう思える」ってものだけど、少なくとも自分の知る限りはそう。だからこそ、その点について語るのは重要なんだよ。その点を音楽のなかに含めるのは大事なことなんだ、と。

なるほどね。この質問の意図には、日本における「モッズ」というものの理解も混ざっているかと思います。日本だとモッズは常に「ファッションのひとつ」という捉えられ方で。

JW:ああ、そりゃそうだろうね。

スクーターにモッズ・パーカ、映画「さらば青春の光」……とでもいうか、風俗として伝わっているけれど、さっきおっしゃっていた「(それそれの時代の)モダニスト」という真の意味はあまり伝わっていない気がします。

JW:うん。だけど、人びとはそこを理解しないといけないんだよ。だから、「モッズ=1963年」っていう概念は、捨ててもらう必要がある。ってのも、いまは1963年じゃないし、それは過ぎ去ってしまった。過去、だよ。

ただ、さっきも言ったように、いまでもPretty Greenの服やフレッド・ペリーのポロシャツを買う若者は絶えないわけで──

JW:ああ、その通り。だから、根強い人気があるんだよね。いまだにすごくポピュラー。ということは、俺の持つ「モッズ」の概念ってのはいつだって、彼らの考える「モッズ」ってのにかなわないのかもしれないな(苦笑)。

ハハハ!

JW:要するに、俺がスリーフォード・〝モッズ〟でなにがしかのトレンドをはじめたわけじゃない、と。ってのも、そんなの起こりっこないからさ!

はい。

JW:んー、だから、そういう風に一般化した「モッズ」の概念ってのは、これまでも、これからも続いていくものなんだよ。ただ、俺はとある時点で、その一般像に辟易してしまってさ。すっかり、嫌気がさした。ってのも、そんな「モッズ」の概念はなにもやってなかったし、形骸化していた、とにかく俺にはそう思えて。だからこそ俺はより突っ込んでモッズについて考えるようになったし、それに取り憑かれてしまった、と。というわけで……うん、だから、スリーフォード・モッズには「モッド」がたっぷり含まれているんだよ。ただし、聴く人間にすぐわかるあからさまなものではない、というだけで。

ちなみに、あなたたちのライヴをいわゆる「モッズ」なタイプは観に来る? それともそうした層からは無視されてる、とか?

JW:ああ、それなりの数のファンはいるよ。間違いなく、俺たちはモッズ連中からも共感は得ているね……うん、それは確実にそう。

それは良かった。というのも、自分のイメージだとモッズは純粋主義者というか、「ひたすらノーザン・ソウルで踊る」みたいな。

JW:うんうん、その面はあるよな。たしかにそういう面は持ってる。そうだなぁ、その手の「純粋主義」な連中が俺たちのことをどう思うのか……俺にもよくわからないけども。まあ、たぶん気に入らないんじゃない?

(笑)。

JW:きっと、全然俺たちの音楽を気に入らないと思う。聴いて即、「こいつらは却下!」だろうな。でも、そうは言ってもそうした純粋主義者のなかにもオープン・マインドな奴らはたくさんいるし、なんというか、「新しいこと」を取り入れるのに積極的って奴はいるからね。

**************

あなたたちの音楽から、自分は「いまのブリテン」に対する失意を多く感じるんですね。

JW:ああ。

では、10代、20代、30代のあなたがたは、人生に対してどんな夢を描いていたのでしょう? あなたの年齢だと10代は1980年代に当たりますが、まずそこからお願いします。1980年代のあなたの夢は?

JW:うん、とにかく生まれ故郷から脱出したかったね。そうやって外に出て行って……つまらない仕事に従事すること、その不快なリアリズムから逃れたかった。若いうちから住宅ローンを抱えていたし、それが鎖みたいに俺を縛り付けていたんだよ。

ああ〜、そうだったんですね。

JW:でも、俺自身はそんなのまったく欲していなかったし……俺はいろんなことを体験したかった。(軽く息をついて)でまあ、そういう生き方にトライしてみたし、ある程度それは実現させたんだ。けど、俺は自分自身の面倒をみるのがあんまり上手じゃなくてね。だから、しょっちゅうどうしようもない状態に自分自身を落とし込んでいた、と。だけどまあ……うん、若いうちから、俺はエスケープを求めていたね。

その状況は、20代=1990年代にはどう変化しました? この時期に、あなたはおそらく音楽をはじめて、バンドにも参加していたかと思いますが。

JW:うん、だからあの頃は、「音楽をつくる」のが夢だったんだよ。要するに、音楽活動を通じてどこかに出て行ければいいな、と。というわけで、俺は音楽について学び始めたし、自分の技術、クラフトを学んでいった。そこからだったんだよね、俺が「モッド」に対する疑問を非常に強めていったのは。「どうしてこうなるんだ?」と。ってのも、俺は以前にいろんなモッズ・バンドに参加していたし──それはまあ、「モッドな傾向を持つ」と言っていい類いのバンドのことで(※以下の発言からも伝わると思いますが、ここでジェイソンの言っている「モッズ寄りなバンド」というのは、一時のブラーやオアシスのように「ブリットポップにアレンジされて再燃した、広い意味でのそれ」のことだと思います)、そういうのに2、3、関与したことがあったんだ。で、それらは……とても限定されたものだと感じてね。リミットがあったんだよ。
 だから、当時の俺には世のなかが変わりつつあるのが見えたし、そういうのは終わりを迎えていた。ブリットポップ熱はあっという間に過ぎ去ってしまった。世界は変化してしまったし、なのに「モッズ」という概念は旧態依然としていた、と。

なるほど。ということは、あなたにとって最悪な時代というのは「その後」=30代に入った00年代、になりますか?

JW:うん、30代に最低な時期を迎えたね。まったくもって、良いとこなしの時期だった。

それは、あなたが自分の方向性を見失ってしまったから? 「なにをやればいいのかわからない」みたいな?

JW:ああ、うん……でもまあ、「方向性を見失った」ってのはちょっと違うかな。ってのも、そんな時期にあっても、俺は「自分は音楽だ」って姿勢を崩さなかったし、曲を書き続け、学んでいたから。

なるほど。

JW:ただ、こと「自分が持つ自己のイメージ」っていう意味では、「こうありたいと思う自分」という意味で、自らの方向を失っていたね。だから、俺は長いこと……かなり思慮に欠けた人間だったんだよ。それでも、この考え、「音楽で進路を切り開こう、音楽で生計を立てよう」って思いつきになんとか執着し続けてきたわけだけど、と同時に同じ頃、自分でも悟った、というのかな。だから、いったん30代になってみて、「音楽のなかにおける自分の〝居場所〟を理解し、学ばなくちゃいけない」って思いが浮かんだんだ。
 というわけで、そんな俺にとって、ただ「自分以外の何者かのフリをする」ってだけでは物足りなくなってしまったんだよ。ってのも、あの手のバンドの多くがやってるのってそういうことじゃない?

はい。

JW:だから……うん、30代は「学びの時期」だったね。もちろんそうは言ったって、楽しい思いも味わったんだけどさ。でも……と同時に、あれは決して「グレイトな時期」ではなかった、という。

“Jobseeker”の歌詞は実体験を元にされているんですか?

JW:もちろんそう。

非常にタフな内容で、「うわぁ……」と感じてしまうんですが。

JW:あれは実体験に基づいてる。だから、あんな風に俺は長いこと、とても低調な状態にあったんだよ。職業斡旋所に申し込みをしなくちゃいけなくて……そうやって、職を見つけてなんとか事態を解決しようとするわけ。ところが俺にはそれができなかったし、最悪だった。どうにもうまくいかず、機会をおじゃんにし続けるばかりでね。というわけで、“Jobseeker”ってのはそういう状況にぱっと目線を落としてみた、という曲なんだ。で──あの曲のストーリーは、いまも語る価値のあるものだと俺は思っている。というのも、いまだに多くの人びとが毎日、あの体験を経ているわけだから。

ええ、ええ。

JW:だから、成功したにも関わらず俺たちがあの曲をプレイし続けている、その点を批判されてもきたんだよ。だけど、あそこで歌われているのは俺が実際に体験した物事なわけだし。で……「のど元を過ぎれば」って具合に、その人間が過去に味わった経験を忘れるのは当然だと人びとが考えるのって、ほんと無礼な話だと思っていて。
 だから、もしもあれが俺の実体験を歌ったものじゃなければ、なるほどそう批判されても仕方ない、ごもっともです、と。ところがあれは、俺自身がかなり何回も潜ってきた体験だからね。で、俺としてはあの経験/ストーリーはいまでも有効、伝える必要のあるものだと思っているし、“Jobseeker”はやっぱりまだかなりパワフルな歌であって。だから俺たちはいまも歌うよ、と。

具体的にはどんなお仕事をされていたのでしょうか? 以前は区の失業手当のアドバイザーもやっていたそうですが、他には?

JW:うん、洋服屋、色んな洋服屋で働いてきたよ。洋服屋の経験は豊富だし……あれはかなり良い仕事だよね。ってのも、俺はもともと洋服が大好きだし、だからある意味、あれは興味深い仕事だった。それから……倉庫の人夫仕事に、工場勤めもやったし、警備員だったこともある。カフェで働いたこともあったな。

(笑)あらゆる類いの仕事をやってきた、と。

JW:そう、なんでもやった。

(※ウィリアムソンの職歴に関して野田ライナーは間違えています。ここに訂正、お詫び申し上げます)


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イギリスの遺産を恥じるっていうのは、俺にはあんまりないんだよ。ってのも、俺がこういう音楽をやってるのも、主にそうしたかつてのイギリス産のバンドたちのおかげなんだしね。ただ……最近の自分たちってのは、この国の持つ良い面よりも、そのネガティヴな側面の方ともっとつながってしまっていて。









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さて、音楽的な話をしたいのですが、『イングリッシュ・タパス』は、『オーステリティ・ドッグス』の頃にくらべて、機材的な変化はありましたか? 

JW:それはない。変化なし。以前とおんなじ。

(笑)。

JW:いやまあ、アンドリューは2、3個くらい、「おもちゃ(ガジェット)」を買ったけどさ……。

はっはっはっはっ!

JW:ただ、それにしたって、たぶんたかがiPadとプログラムをいくつか購入、程度のもんだろうし。うん、変化と言ってもそれくらいだよ、ほんと。

あなたたちのライヴの映像をネットで観ても、基本アンドリューはラップトップ1台きりで、実に「経済的」なセットアップですもんね。

JW:うんうん、だから、実際のとこ、俺たちはあんまり多くの機材を必要していないんだよ。ふたりともエレクトロニカに入れ込んでるし、それにヒップホップもいまだに好きで。その手の音楽はシンプルな機材を使う媒体だし、そういうのが好きな俺たちもまた、自然にコンピュータ使いに向かう、と。それに言うまでもなく、テクノロジーは発展しているわけで。あれらの装置……マシーンも、技術の進歩を受けて小型化してもいる。だから、それこそもう、(苦笑)「なにも使わず音楽をやってる」みたいな?

(笑)なるほど。では2013年頃以来で、とくにレコーディングにおける機材面での変化はなし、と。

JW:ないない。唯一の変化と言えば、おそらく俺たちはもっとベターな曲を書く術を学んだ、その意味で、だね。だから、歌詞の面においてもいままでとは違う題材を扱うようになったし……それに、俺はシンガーとしても学んで、たぶん以前より良くなったんじゃないかな? だから……変化と言ったらとにかくそういう事柄だろうし、うん、そうやってなにもかも、実に絶え間なく発展している、と。
 でもほんと、そうあるべきなんだよ。ってのも、この俺たちの「公式」はあんまりいじれないからね。そもそもとてもミニマルなフォーミュラだから、過度にその領界を押し広げようとすると、逆に良さをブチ壊すことになってしまう、と。わかるだろ?

たしかに、ヘタにそれをやるとバカげたものになっちゃいますよね。

JW:うん。

たとえばあなたがたが急にEDM系のビートを取り込み始めたら、それだけでも「ソールド・アウトした!」ってことになるでしょうし(笑)。

JW:(苦笑)そうそう、まさにその通り。

マイクやサンプラーなどの機材はどのように集められたのでしょうか?

JW:まあ、「あっちでひとつ、こっちでひとつ」って具合に集めてきた、その程度のもんだよ。アンドリューは以前から色々機材を集めていたし、安物のラップトップだとか、チープなマイクロフォンなんかをいくつも持ってて。それに音楽づくりに使ってるプログラム群にしても、思うにアンドリューの奴は海賊版ソフトウェアとかをいくつか持ってた、程度じゃないかな。だから、他の連中の持ってたプログラムの複製、みたいな。でも、エレクトロニカをやるのに、そんなに色んな機材は必要じゃないんだよ。だから……エレクトロニカでためしになにかやってみるのに、最初の時点で大金をはたくことはまずない、と。

ええ。

JW:もちろん、その人間が「本物の、高級なサウンドでエレクトロニカをやりたい」と思うのなら、話はまた別だよ。そういう考え方だと、(機材他で)高額の出費を覚悟することになるだろうし。だけど、俺たちのサウンドってのは──あれはむしろ、そこからどんなアイデアが生まれるだろうか?なんだ。俺たちの手元にあるツールの数そのものはごくわずかだよ。ただ、それらをすべてちゃんと活かしてやりたい、それが狙いなんだ。

あなたたちの音楽はミニマルとはいえ、アルバムを聴き終わるとぐったりすることもありますしね。歌詞といい、その意味合いといい濃いので、40分足らずの作品でも大作を経験したような気がします(笑)

JW:うん、たくさん詰め込まれてるし、聴く側にはかなりの量だよな。

新作『イングリッシュ・タパス』では、ドラムマシン・ビートがよりミニマル(音数が少なく)で、ときに冷酷になっている気もするのですが、そこは意識しましたか?

JW:フム。でも、なんであれアンドリューが持ち込んだものだし、ビートはあいつ次第だから。

(笑)。

JW:要するに、ただあいつがつくってくるだけ、みたいな。で……彼がやっていることは、俺にもわかっちゃいないんだよ。彼がどんな影響を受けてああいうことをやることになったのか云々、そこらへんは俺も知らない。

(笑)なるほど、そうすか……。

JW:だから、詳しいところまでは俺もよくわからない、ってこと。だから、彼はすごく……とにかくうまくやってのけてるし……ほんと、とても、とても腕が立つ奴なんだよな。彼がビートを持ち込んできて、そこから俺たちは一緒に音楽に取り組む、と。

でも、アンドリューのつくる音楽部は、基本的にあなたの書く歌詞とそのムードにマッチしなくちゃいけないわけですよね?

JW:うん、基本的にはそういうこと。うんうん。ただ、俺の歌詞ってのは……型に合わせることが可能っていうか、ループに合わせるのも、ある程度までは簡単にできるものだからね。ばっちりハマるときもあるし、イマイチ合わないなってこともあるわけだけど……んー、だから、かなりストレートなプロセスなんだよ。

 オーガニックのチキンを食った
 ありゃクソだぜ
 夕暮れの寝室で1日が終わる
“Cuddly”(2017)

“Cuddly”なんかはダブっぽいんですけど――

JW:うん、あれもアンドリューが持ってきたビートで、とにかくかなりダビーなものだよね。あるいはスカっぽさがある。

ということは、今作において音楽的な変化は意識しましたか? あなたたちのセットアップはとてもシンプルで、音楽的なバリエーションは決して多くないわけですけども。

JW:ああ、それはあるよね。「音楽的に広げなければ」の考えは俺たちにもあったし、ふたりともそこは自覚していたよ。だからスタジオに入るときも、その点はちゃんとケアしなくちゃいけないんだよ。でまあ──ラッキーなことに、これまでのところ俺たちには曲が浮かんできた、書き続けることができたわけだけども、今後「(書き手としての)壁」にぶつかることになったら、それはそれとして、やっぱ対峙しなくちゃいけないだろうな、と。

つねに踊れる曲を意識していると思うんですけど、ダンス・ミュージックであることのポジティヴな点をどのように考えますか?

JW:うん、そういうポジティヴな要素は間違いなく含めたいね。ポジティヴだし、ほんと、俺たちの音楽って実はポジティヴな形式の音楽なんだ。というのも、中身が濃い音楽だし、たくさんの思考が注ぎ込まれてもいて……だから根本的に、俺たちのやってるのってポジティヴなことなんだよ。でも、うん、かなり「ノれてがんがんヘッドバングできる」、俺たち流のそういうなにかをやるのは、自分たちにとって大事だね。

はい。でも、Youtubeとかであなたたちのライヴの模様を観ていると、お客のなかには「これってなに? どうリアクションしていいかわからない」みたいに当惑しているひともいますよね。

JW:……(沈黙)。

いや、もちろん、ノリノリで踊ってるお客さんもたくさんいますよ! ただ、なかには「ワーオ……! なんでこのひと、こんなに怒りまくってるの??」と不思議そうな表情を浮かべている連中もいるな、と。

JW:ああ……そうだよね。ただまあ、俺がライヴでああいう風なのは、とにかくエネルギーが強いからであってさ。自分は曲そのものの持つエネルギーを取り入れているだけ、なんだ。

なるほど。

JW:でも、俺はなにも……(ハーッと軽く息をついて)まあ、俺って気難し屋の厄介な奴になっちまうこともあるしね!(苦笑)

あっはっはっはっはっ!

JW:(笑)だから、自分には「とてもポジティヴなひと」とは言いがたいときもある、と。思うに、そういう面もちょっと出て来るんだろうね。自分のパーソナリティに備わった側面をそこに乗せてもいる、と。

でも、とくにライヴをやっているときですけども、基本的にハッピーで楽しんでいるオーディエンスと向かい合っていて、ふと「なんで俺はぎゃぁぎゃあわめいてるんだ? なぜ自分はこんなに怒ってるんだ? 俺ってフリーク?」なんて感じることはありますか?

JW:いやいや、それはまったくないよ。どのライヴでも、毎晩俺たちのやろうとしているのは同じこと。ステージに上がり、思い切りプレイして、曲を良く響かせよう、それだけのことだから。

そうなんですね。いや、こっちにいるあなたと年代も近い知り合いには、普段の生活のなかで思わず怒りを感じる、「これは間違ってる」と思うような物事に遭遇して、人目をはばからず声を上げて怒るひとがいるんですよ。

JW:ああ。

それは別に根拠のない怒りでもなんでもなくて、怒って当然ってシチュエーションなんですけど、それでも彼らが我慢せずに怒っていると、周囲の人間はそれが理解できずに「こいつ、なにに怒ってるの? 問題ないじゃん、チルしなよ〜」みたいな冷静なノリで。

JW:ああ、うんうん。

で、そういう目に遭うと、彼らは疎外感を抱くそうなんですね。「みんな黙ってるのに、怒る自分の方がおかしいのか?」みたいな。

JW:(苦笑)だろうね。

で、あなたもときにそんな風に感じるんじゃないか? と想像してしまうんですが。

JW:いやー、そういうのはないな。それはただ、俺たちのやってる音楽のフォームがそういうものだから、であって。ああいう「表現の形式」を、俺たち自身でクリエイトした、ということに過ぎないから。

ふたりとも、レイヴの時代(89年〜91年)には、20歳前後だったと思いますが、その頃レイヴにはまることありましたか?

JW:うん、当時の俺はレイヴ・カルチャーに相当ハマってたよ。90年代前半、91、92年あたりだったかな? クラブにさんざん入り浸って、エクスタシーを食っていた。

(笑)。

JW:だからしばらく間、レイヴ・カルチャーはつねに俺の一部だったね。

あなたがヒップホップ好きだったことは知られていますが、ハウス・ミュージックもOKだった、と。

JW:うん、好きだったよ。

ノッティンガムには、DiYというとんでもないレイヴ集団がいたのですが、ご存じでしょうか? 

JW:あー、うんうん、DiYね。

おー、ご存知ですか! 

JW:DiYは、うん、ノッティンガムではかなり名が知れていたよ。それにいまも、形を変えてある意味続いているし。

そうなんですね。

JW:ああ、彼らはその名の通りかなり「Do It Yourself」な連中だったし、ノッティンガムの歴史のなかに自分たちで塹壕を築いた、みたいな。

彼らはフリーでパーティを企画していた集団ですよね。

JW:うんうん。いまだにフリー・パーティは続いているよ、折に触れて、ね。

ちなみにあなたは、ゲリラ的な野外レイヴに参加したことは?

JW:ああ、1、2回行ったことはあったよ。でも、俺はそっちよりもクラブの方にもっとハマっていたんだけどね。無料の野外パーティに行くよりも、俺はクラビングの方が好きだったんだ。

それはたとえば、野外レイヴには「どうなるかわからない」不安定さがあったから?

JW:いや、っていうよりも、とにかく俺は……クラブに出かけるときにつきものの、「良い服でキメる」みたいなのにもっと惹かれていたからさ(笑)。

 やったな おい これがブツだ
 家でフェイマス・グラウスを傾けながら
 俺のケータイで良い感じの曲でも流して
 俺とお前でキマるのさ
 どうしようもないエクランド(女優)みたいな 
 俺らはダメイギリス人
 クソ輸入モノの1パイン缶を飲み干す
 スパーへの旅行は火星へ行くようなもん
“Drayton Manored”(2017)

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オーステリティ・ドッグス』から『デイヴァイド・アンド・イグジット』にかけて、ガーディアンをはじめとする欧米の主要メディアはスリーフォード・モッズに対して最大限の賛辞を送りましたよね(※ガーディアンは2年連続で年間ベスト・アルバム/後者はWIREも年間ベストに選出)。スリーフォード・モッズは新人ではないし、それより何年も前から活動してきたあなたがたが、2013年頃から急に脚光を浴びたことについてはどのように思っていますか?

JW:ああ。まあ、あれはかなり妙な状況だったけれども、いまの俺はもう「大丈夫、気持ちの落とし前はついた」ってもんで。オーケイ、わかった、と。ってのも、これは俺にとっての「仕事」でもあるんだしね。だからああした突然の脚光についても、自分なりのパースペクティヴに収めることができてるよ。

なるほど。

JW:だから、いまの俺はもう、ああいうのに驚かされたりショックを受けることはなくなった、と。ってのも……仮に自分たちがもっとビッグになって成功していたら、もしかしたら、ちょっとはそんな風に感じるのかもしれないよな? ただ、俺たちの音楽がそこまで「大きくなる、人気が出る」ってことは、まずないだろうと思っているし。

(苦笑)そうですか?

JW:まあ、未来がどうなるかは誰にもわからないけどね(笑)?

たしかに、あなたたちの音楽は聴き手に向き合う/ある種挑戦する類いJW:のものだし――
うん。

いわゆる「万人に愛される」音楽ではないですよね。

JW:ああ、それはない! まったくそういうものではないよ。ただ、そうは言ってもいままでのところ俺たちの人気はますます伸びているみたいだし、「これからどうなるか、お楽しみに」ってところだね。でも、うん、急に脚光を浴びるとか、そういうのには俺も慣れたよ。

なるほど。でも、そうなる以前はやはり違和感があった、「ええっ? 俺って急に人気者かよ?」みたいな感覚があった、と?(※新作では彼らの成功への妬みへの憤怒もちょくちょく出てくる)

JW:イエス! そうだった。だから、俺たちのギグに急に有名人なんかが来るようになった云々、そういうのはちょっとばかし妙だったね。けど、うん、いまはもうオーライ。これはとにかく自分のやってる「仕事」につきものの一部であって、だからいちいち「わあ!」なんて驚いちゃいられないしね。

そうやって「突然の奇妙な状況」も受け入れられたのは、あなたのなかに変化に左右されないような、「スリーフォード・モッズとはなにか」っていう強い理解があったから、でしょうか?

JW:うん。だから、それはまあ……

あなたにとって、こういう音楽をやる動機ってなんですか? もちろん、あなたは音楽が好きで、だから音楽をできるだけ長くつくり続けたいひとだ、そこはわかってますよ。

JW:ああ。

でも、それ以外でスリーフォード・モッズをやる目的、動機と言えば?

JW:とにかく「良い曲を書きたい」、それだよ。そうやって良い曲を書き続けたいし……

そこで言ってる「良い曲」というのは、長く聴き継がれる曲、という意味で? たとえば“アナーキー・イン・ザ・UK”みたいな?

JW:まあ、“アナーキー・イン・ザ・UK”ってのは、フラストレーションのエネルギッシュな爆風、みたいな曲だったわけで。その意味で、あれは俺たちが初期にやっていた楽曲にかなり近いよね。ところがいまの俺たちっていうのは、自分たちのソングライティングの技術をもっと磨くべく努力する、そういう領域にグループとして達しているわけで。どこまで自分のソングライティングをプッシュできるかやってみよう、と。それに俺たちは、必ずしも以前のように「ものすごく怒っている」というわけでもないからさ。だからいまの俺たちは、それよりむしろ「曲づくりという技」を研究している、というのに近いんだ。

 俺たちは国会を乗っ取り 
 アイツらをぶちのめさなきゃならねぇ 
 当然だろう?
 あいつらは貧乏人を殺そうとしてるんだぜ
“Dull”(2017)


なるほど。そこはちょうど次の質問にも被りますが:怒り(rage)がスリーフォード・モッズの音楽の根源にあるとよく言われますが、新作においてもそれは変わりないと思います。あなたがたは明らかにブレグジットに対して怒っている。ジェレミー・コービンが非難されたことにも怒った。いま、いちばん怒っているのはナンに対してですか?

JW:あーんと……(フーッ! と軽く息をつく)いま、俺がもっとも怒りを感じるもの、かい? そうだなぁ〜、クソみたいなバンド連中とか(笑)?

はっはっはっ!

JW:(苦笑)クソみたいな、ファッキン・バンドども。

(笑)でも、ダメなクソ・バンドはずっと嫌ってきたじゃないですか。

JW:シットなバンド、同じくクソな音楽業界。ギョーカイは自己満なマスカキ野郎だし、政治もマスカキ。

でも『イングリッシュ・タパス』には、ダイレクトに「名指し」してはいませんけど、ボリス・ジョンンソン(※元ロンドン市長で、現英内閣の外務大臣である保守党政治家。EU懐疑派として知られ、ブレクシットでも大きな役割を果たした。ブロンドのおかっぱ髪と一見温和そうで政治家らしからぬ親しみやすい「クマのぬいぐるみ」的キャラで人気がある)のことかな? と解釈できるキャラが何度か出てきますよね(※“Moptop”、“Cuddly”の歌詞参照)。


 お前がやってることなんてまったく可愛くねぇよ 

 クソテディ・ベア野郎

“Cuddly”(2017)



 仲良くしろよって俺が言う前に

 そう言う前にセリフを忘れちまった

 あの野郎はブロンドだ

 おまけにモップトップだぜ

“Moptop”(2017)



JW:ああ〜、うんうん。

ということは、ボリス・ジョンソンはいまあなたが大嫌いな「道化野郎」のひとりなのかな?と思いましたが。

JW:ああ、最低なオマ*コ野郎じゃない、あいつ? 

(苦笑)。

JW:ファッキン・オマ*コ野郎。ただのクソだよ。

(笑)その通りだと思います……。

JW:っていうか、あいつはただの「ガキ」なんだよな。成長してない「子供さん」だから、こっちもどうしようもない、お手上げ、と。あいつはいまいましい子供だよ。というわけで……まあ、今回の作品で扱っている対象は色々だけど、その意味では、これまでとそんなに変わっていないんだ。

とはいえ『イングリッシュ・タパス』では、これまでにくらべて実在人物の名前を歌詞に含める、というのをあまりやっていませんね。

JW:ああ、そうだね。というのも、バンドとしてビッグになればなるほど……とにかく無理、ああいうことはやれなくなってしまうんだよ。ちょっとした嘆きの種をこっちにもたらすだけだ、みたいな。わかるだろ?

(苦笑)なるほど。

JW:それもあるし、自分のこれまでやってきたことを繰り返す、というのは避けたいわけで。だから、俺としてもただ他のバンドだの誰かをクソミソに罵るとか、そればっかり続けていたくはないっていう。仮にそれをやりたいと思ったら、(これまでのように実名ではなく)もっとさりげなくやるよ。だから……ビッグになればなるほどこちらに跳ね返ってくるものも大きくなるわけで、それにいちいち対応してると時間もやたらかかるし──

時間の無駄だ、と。

JW:そう。だからこっちとしてもわざわざ関わりたくないよ、と。俺は議論はそんなに得意な方じゃないし、誰かさんがなにか言ってくる、俺に反論してくるような状況って、対応に時間ばっかりかかるからさ。

それもありますけど、いまの過度なPC(ポリティカル・コレクトネス)の風潮、とくにSNSにおけるそれが怖い、というのもあります? 

JW:ああ、その面もあるよね。

ツィッターや発言の一部が、前後の文脈とまったく関係なしに取り上げられて、意図したこととは違うものが大騒ぎになったりしますし。

JW:うんうん。

でもツイッター上でのあなたはかなり活発ですよね? まあ、バンドをやっているから仕方ないでしょうけど。

JW:まあ、あれはやらないといけないしね。だから、間違いなくそういう面もあるけれど、んー、とにかくああしたもののベストな利用の仕方を自分で見極めようとトライするのみ、だからね。

SNSを罵りながら、あなたはツイッターを使い、たまに炎上していますよね? あなたがたは明らかにツイッターやSNSを嫌っていますが、使ってもいます。現代では必要なものだと思うからですか?

JW:ああ。まあ、欠点もあるけど、俺自身はそこまで気にしてないんだ。だから、乱用し過ぎると悪い結果に結びつくけど、そうならないように、たまにSNS等から離れるように心がけていればオーライ、と。

批判を受けたりツィッター上での粘着された経験があっても、別に構わない、やり続ける、と?

JW:ああ、もちろん! 全然、俺は構わないから。以前にいくつかそういうのもあったけど、そこにあんまりかかずらわっちゃいないしね。自分はそれほどあれこれと悩まされたりはしないし、そうならないようトライしてもいるし。

かつてよりも面の皮が厚くなった、と。

JW:イエス。まったくその通り。

**************

スリーフォード・モッズがケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』のプロモーションをサポートしたという話を聞きましたが、あなたがたは、あの映画をどのように解釈し、どこに共感しているのでしょうか?

JW:あの映画は、まだ観てないんだけどね。

ええっ、そうなんですか!?

JW:ああ。

でも、FBにあの映画の台詞を朗読するヴィデオ・メッセージをアップしてましたよね??

JW:うん、それはやったよ、うんうん。ただ、映画そのものはまだ観てないっていう。

あら〜、そうなんですね。

JW:だから……これから観なくちゃいけないんだけど、でも、あの映画がどんなものなのか、俺には観る前からすっかりわかっているよ。で……んー、だからまあ、どうなんだろうな? もちろん、どこかの時点で観るつもりなんだよ。ただ、あのヴィデオへの協力で俺がやろうとしたのは、あの映画の発するメッセージを応援する、ということだったわけでさ。

なるほど、わかります。でも、まだ観れていないというのは、単純に忙しくて観に行く時間がなかったから? それとも、あなたの知る現実にあまりに近い話なので、当事者として逆に観る気がなかなか起きない、という?

JW:うん、身近過ぎるよね。だから、あれは……心に深くしみる、そういう映画になるだろうし、自分が現役を退いたらやっと観れる、そういうものだろうね。でも、うん、いつか観るつもりだよ。

**************

最後に、UKのロック文化はなぜ衰退したんだと思いますか?

JW:どうしてだろうね? 俺にもわからないけど、やっぱりそれは、『The X Factor』でロックってものの概念にとどめが刺されちゃったから、じゃないの? だから、人びとはもうロック文化とはなにか? について学んだりしないし、なにもかも額面通りに受け止めるだけ、と。それにまあ、ここ10、15年くらいの間、イギリスで音楽的にすごいことってあんまり起きてこなかったしね。だから、いま出てきてる若い連中にとっても、励みになる、目指すような対象が正直そんなにたくさんいないっていう。で……いまのキッズが聴いてるバンドってのは、おそらく90年代発のバンド連中なんだろうし、それとか70年代勢に入れ込んでる子たちもいるよね。ただ、ただ……ギター・ミュージックってのは、もうさんざん複製されてきたものなわけでさ。だから、人びとにはもうちょっとイマジネーションを働かせはじめる、その必要があるんじゃないのかな?

はい。

JW:でも、バンド連中がやってないのはまさにそれ、であって。そんなわけで、レコード会社の側も「なんとなくいまっぽい」風に仕立て上げたアクトを色々と送り出してくるわけだけど、そこにはなにもない、空っぽなんだよ。そうしたアクトは、利益を生むためにコントロールされているからね。だから、イギリス産のアクトで伸びている、そういう連中はあんまりいないよね。ほんと。

ということは、もしかしたら90年代のオアシス以来、イギリスのロック界は変わっていない、と?

JW:ああ、そうだね。おそらく最後のグレイトなバンドだったんだろうな、オアシスが。

あ、オアシス、お好きなんですか?

JW:うんうん。素晴らしいよ──初期作はね。

(笑)なるほど。1枚目のアルバムはすごい! みたいな?

JW:ああ、(苦笑)1枚目ね。


 俺は自由にマスをかき 

 生まれながらにして自由 

“Dull”(2017)



 だからどうしたってんだ

 オレはやりてぇようにやる

“Army Nights”(2017)



(註)

『Xファクター』:2004年から始まり、現在も続くイギリス産の大人気リアリティTV。公募オーディション+視聴者投票による勝ち抜き音楽コンテストでレオナ・ルイス、ワン•ダイレクションら人気スターもこここから出発。「カラオケ・コンテスト」と揶揄する声もある。

Jeff Mills - ele-king

 レイヴ真っ盛りの時代に刊行された、ジョン・ラインドンの最初の自伝の最後のほうには、レイヴ・カルチャーは現実逃避でそれじゃ何も現状を変えないというお叱りの言葉が出てくる。この言葉を、ぼくはそのまま「どう思うか?」と、まだフッキー在籍時のニュー・オーダーの4人に対面取材で訊いたことがある。その答えは、まさにその通りだよね。でもね、現実逃避できるから素晴らしいんじゃないのかな、と、そのときの彼らは言った。
 昨年、ブラック・ミュージックを専門に論評している音楽ライターの河地依子さんからいろいろ教えていただいたなかで、ぼくがもっとも深く納得したことのひとつに、P-FUNKの──今年河地さんよって詳述された書が刊行される予定なので、ここでは手短に暗喩的な説明にとどめておこう──そう、パーラメントの『マザーシップ・コネクション』の裏ジャケット。デトロイトのゲットーに浮かぶ宇宙船。あの宇宙船はゲットーにやって来た宇宙船なのか、いや違う、Íいままさにゲットーから飛翔する宇宙船ということである。このことは、ぼくに次のような場面を思い出させる。
 ジェフ・ミルズは、ぼくが初めて彼のDJをブリクストンで聴いた1993年の夏の時点で、たとえば他の優秀なDJがフロアから30cm浮かすことができるのなら、ミルズはオーディエンスを余裕で屋根をも越えさせた。実際、そのクラブには天上にぶら下がっているクラバーが何人もいた。後にも先にもあんな光景は見たことがない。いや、スティーヴ・ビッククネルが当時出たばかりの“スター・ダンサー“でミルズに繋いだ瞬間、すでにフロアは地球圏外にワープしていたのかもしれない。
 ジェフ・ミルズはあるインタヴューで、デトロイトにおいてクラフトワークの“ナンバーズ”がかかったときのことをこう回想している。「私たちには、ただ明日をどう生きるかしか興味がなかった。黒人にとってどれだけ長くファンキーでいられるか……」そこにクラフトワークがやって来たのだ。
 何度も繰り返しになるが、デリック・メイがいみじくも言った天才的な表現──「デトロイト・テクノとはジョージ・クリントンとクラフトワークが同じエレヴェーターに居合わせてしまった音楽」とは、まさにこのことである。どんな音楽よりも高く飛翔すること、そしてもうひとつ、「ただ明日をどう生きるか」。ファンク、SF、テクノロジー、これらが絡み合ったときに、その音楽は(この辛い毎日を生きるための)かけがえのない逃避であることから、社会変革への渇望を反映するものへと劇的な変化を遂げる。それがURであり、あるいはジェフ・ミルズである。

 ジェフ・ミルズの新作が2枚リリースされる。先に発売されるのは、ここ数年続いているSFシリーズの最新版で、ジョルジュ・メリエスの映画『月世界旅行』(1902年)を主題とした『A Trip To The Moon』。タルホイストのぼくに言わせれば、この映画は10代後半から20代にかけて、──ミニシアター/自主上映の時代だったので──、いかなる労苦も惜しまずに上映先を見つけ、そのファンタジーに酔いしれたものだった。『ユゴーの不思議な発明』より30年以上前に、ぼくはこの映画を溺愛し、フィルムの所有者に交渉して自主上映すら考えていたほどなので、映画について話すと長くなる。ひとつ映画のポイントを言えば、これが特撮のルーツであり、そしてまだ特撮をわかっていない観客に、現実にミサイルがお月様の顔にぶち込まれたものだと信じ込ませた作品だったということだ。このヨーロッパSF映画のアンティークを未来的なエレクトロニック・ファンクに更新するという大胆な発想が『A Trip To The Moon』では具現化されている。
 とはいえ、ジェフ・ミルズの音楽は90年代末にはすでに完成されているので、それ以降の作品において大きな変化があるわけではない。が、2年前にベース世代のあいだでX-102がリヴァイヴァルしたりと、いまもなおシーンに影響を与え続けているという意味では、ミルズは、クラフトワークやイーノのような先駆者として存在している。現在のクラフトワークが“ナンバーズ”と同等の衝撃を与えられるとは思えないように、先駆者と呼べるアーティストたちは、すでにある程度の実践は終えているのだ。10代のときに天才DJとしてシーンに衝撃を与えた彼は、ダンス・ミュージックにおいてさまざまな試みをしてきている。『A Trip To The Moon』は、乱暴な表現として、白い骨董品を黒い未来が塗り替えるという説明もできるかもしれないが、もうひとつの紹介の仕方としては、アンビエント・テイストが盛り込まれた作品というのもあるだろう。ん? アンビエント? 「どれだけ長くファンキーでいられるか」じゃないのかい? と思われる方もいるだろうから、はっきり言おう、これはファンキーなテクノ・ミニマル・アンビエントだと。アートワークをよく見ればそのことは察していただけるはずÍ。

 さて、2月22日発売とずいぶんと先のリリースになるが、ジェフ・ミルズのもう1枚の新作、『Planets』をここで紹介するつもりだったが、力尽きた。じつは年末、サッカーで右手人差し指の第二関節を骨折、全治3か月という、いまも痛み止めを塗りながらキーを叩いている。もう止めた。

夜の力──ウエストバム自伝 - ele-king

「ウエストバム、前にも言ったと思うけど、レナーは〝ディスコ・ドイチュラント〟が大好きなのよ。DJはダンスだけではなくて、人びとを挑発して、さらに政治的な影響力も持てるだろうって言っているわ」 ──(本書より)

70年代末、西ドイツにパンクの波が押し寄せ、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレがはじまった。1988年、ベルリンのクロイツベルク地区で大暴動が起きた同じ時刻、すぐその傍らでは、ひとりの若者がシカゴ・ハウスをスピンして、何千人もの人間を踊らせていた。DJの名前はウエストバム。西ドイツにレイヴ革命を起こした男である。

たちのぼる3000の夜のにおい。
汗、ニコチン、酒、グミベア、ヘアスプレー、セックス、ドラッグ、テクノ、灰、腐敗、堕落、そして笑顔と涙……。

ベルリンは、いかにしてテクノの拠点となったのか? パンク、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ、DAF、DJカルチャー、ゲイ・カルチャー、シカゴ・ハウス、デトロイト・テクノ、UKレイヴ・カルチャー、セカンド・サマー・オブ・ラヴ、ベルリンの壁、東側の熱狂、ラヴ・パレード、ジャーマン・トランス、祝福された世代、そしてレイヴ共同体の衰退……ドイツ・テクノのあまりにもドープな物語

石野卓球の盟友としても知られる、ドイツの国民的な人気DJ、ウエストバムが描くその半生と90年代レイヴの狂騒。ドイツ・テクノのあまりにもドープな物語。待望の翻訳!

「是非日本語訳で読みたかったんで出版社に話持って行きました。案の定スーパー面白い! ETM (Elektronische Tanz Muzik)! Not EDM.」 ──石野卓球

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