「Low」と一致するもの

KOTA The Friend - ele-king

 NY・ブルックリンを拠点に活動し、自主リリースでありながら、2018年リリースの 1st アルバム『Anything.』や昨年リリースの 2nd アルバム『FOTO』が一部のヒップホップ・リスナーの間で話題となった、現在27歳のラッパー、KOTA The Friend。自らプロデュースも行ない、メローでレイドバックしたビートに、自らの家族や日常生活に根ざしたテーマで、万人に届くピースフルなメッセージを込めたラップを乗せるという彼のスタイルは、いま現在のメインストリームなヒップホップ・シーンのトレンドとも異なる。しかし、あくまでもストリートに根付いた上でのオーガニックな彼の楽曲は、殺伐としたいまの時代だからこそ求められているのも事実で、特にコロナ禍かつ BLM (Black Lives Matter)ムーヴメントが世界中に広がっている最中の5月下旬に、今回のアルバム『EVERYTHING』がリリースされたことは大きな意味を持ち、人びとの心に寄り添うような視線で語られる彼のポジティヴなメッセージや音楽性に救われる人もきっと多いに違いない。

 彼の音楽的な特徴は、ギターやシンセサイザー、ホーンなどを多用した生っぽい感覚のあるサンプリング・トラックと、そのサウンドに対して実にマッチしている心地良いフロウとのコンビネーションにある。ある意味、曲によってはローファイ・ヒップホップなどにも通じる部分もあった彼のいままでの楽曲に対して、今回の『EVERYTHING』はビートの面で明らかな変化が生じているのだが、それはドラムの部分だ。ハイハットやキックを連打するパターンであったり、リズムマシン的なドラムの音質は、まさにトラップそのもの。実際、このビート感はすでに 1st アルバムでも一部で導入されており、2nd でさらに強化されていたのだが、本作ではアルバム一枚を通して、ほとんどの曲でこのスタイルが貫かれており、さらに言えば彼自身のラップもトラップ色が非常に濃くなっている。軸にあるメローな部分は変わらないまま、トラップの要素が足された彼のサウンドは、素直に格好良いし、個人的にはめちゃくちゃ好みだ。このスタイルが彼の専売特許ということではないと思うが、完璧とも言えるバランス感によって、強固なオリジナリティが貫かれている。

 同郷ブルックリンの Joey Bada$$ とクイーンズ出身の Bas がゲスト参加した “B.Q.E” は、そんな本作の魅力が詰まった一曲であり、彼らの地元を通るフリーウェイを掲げたタイトルの通り、実にスタイリッシュなニューヨーク・アンセム(=賛歌)になっている。また、前作での “Hollywood”、“Sedona” のように、これまでも国内外の様々な地名をタイトルに付けた曲を発表してきた KOTA The Friend だが、今回は “Long Beach” と “Morocco” という2曲を披露しており、数少ない非トラップ・ビートの “Long Beach” は歌のパートも心地良く、非常に開放感ある一曲で、一方の “Morocco” は透明感ある美しいトラックに乗った tobi lou とのコンビネーションがタイトに響く。他にもアルバム冒頭の “Summerhouse” から “Mi Casa” への気持ち良すぎる流れであったり、Joey Bada$$ と並ぶ大物ゲストの KYLE がゲスト参加した “Always” など聞きどころは多数あり、俳優の Lupita Nyong’o と Lakeith Standfield がそれぞれメッセージを寄せるインタールードなども含めて、アルバムの構成という面でも隙はない。ラスト・チューンの “Everything” では彼の息子=Lil Kota も参加しており、ふたりの掛け合いによるラストの部分から得られる幸福感は何ものにも代え難い。こんな気持ちで聞き終えるヒップホップ・アルバムは本当に希であろうし、この作品に出会えたことを幸せに思う。

interview with Baauer - ele-king

 いま、地球が怒っている。46億年の歴史上、いちばん怒っている。

 Baauer のニュー・アルバム『PLANET’S MAD』はもともと、素晴らしい生命体が住む汚れなき星(この星とは大ちがいだ!)についてのストーリーを語るためのコンセプト・アルバムだったという。けれども、リアル・ワールドはフィクションよりも奇なり。人類を未曽有のパンデミックが襲った結果、Baauer の激しく跳ね回るビートとうねるベース、自由に飛び回るヴォーカル・サンプルは、気候変動と疫病に見舞われたこの星がぶちぎれていることを表現しているようにしか思えない。

 2013年に一大ミームとなった “Harlem Shake” の生みの親である Baauer は、ファースト・アルバム『Aa』(2016年)でプッシャ・Tやフューチャー、M.I.A.、G-DRAGON といったヴォーカリストとともに、ど派手なトラップ・エレクトロとベース・ミュージックを交配したパーティーを表現していた。引き続き〈LuckyMe〉からのリリースとなるこの『PLANET’S MAD』では、インストゥルメンタルに集中した上で、ひずんだ電子音とトライバルなパーカッションが前作以上にアッパーに舞い踊る。狂ったようにテンションを上げていくこのダンス・アルバムは、ダンス・ミュージックの現場から遠ざけられているひとびとのわだかまりを、多少は打ち砕いてくれるはずだ。

 一方、ここで Baauer はアゲるだけではなく、これまでになくシリアスな、内省的な表現もしている。それは『PLANET’S MAD』の10曲め、“REMINA” 以降の後半部分を聞いてもらえればわかるだろう。『PLANET’S MAD』のメランコリックなパートは、故郷である母なる地球について私たちが思いを巡らせるための時間であるのかもしれない。

『PLANET’S MAD』について、ハリー・バウアー・ロドリゲスが語る。


Listen Out Festival

直接顔を合わせられないからこそ、かえって人とのつながりを大切にできるようになったというかね。コミュニティが逆に活発になってきていて、すごくいい変化が生まれてるなと思ってるよ。

NYCの状況は、ここ東京よりもずっと厳しいと思います。いま、どんな状況ですか?

ハリー・ロドリゲス(Harry Rodrigues、以下HR):実際には何も変わっていないんだけど、ニュースが騒ぎ立てている感じだね。外を歩いたりしても、意外といつも通りの景色が広がっているんだよね。でもニュース番組が怖がらせてくるから、家にいるようにしている。部屋にこもって、オンラインで自分の音楽をうまく配信していこうと画策してるね。それはそれですごく楽しいよ。この状況をうまく乗り越えていくためにも、いい方法を見つけたなと思う。

Twitch(ゲームの実況プレイをライヴ配信するプラットフォームで、音楽ライヴも増えている)での配信やゲーム「Animal Crossing (どうぶつの森)」を楽しんでいますよね。拝見しています。そんな状況でいま、どのように音楽に向き合っていますか?

HR:最初の頃はこの状況にうまく適応できなくて、どうすればいいかよく分からなかったんだよ。でも Twitch をはじめてから変わってきた。オンラインでいつも聴いてくれるファンも増えてきて、曲作りの新しい方法を見つけたって感じだね。オンラインでも人とつながることはできるし、Twitch をはじめたのは本当によかった。ただ俺の音楽はライヴありきだから、その点は厳しいよね。全部キャンセルになってしまったし、ライヴがない音楽生活っていうのはすごく違和感がある。他のアーティストも同じだと思うんだけどね。まあいまは、音楽を作る方を楽しんでる。それはそれで、いい変化でもあるしね。

なるほど。いきなりシリアスな質問で恐縮ですが、新型コロナウイルスが人びとの生活を脅かし、クラブの営業も不可能な現在の状況で、エレクトロニック・ダンス・ミュージックが持ちうる意味やパワーとはどんなものだと考えますか?

HR:そうだね。直接的には人が集まれない状況になったからこそ、俺たちが音楽を通して、オンラインでポジティヴな流れを作るいい機会になっていると思う。コミュニティを作るちょうどいい機会だし、直接顔を合わせられないからこそ、かえって人とのつながりを大切にできるようになったというかね。同じ畑のアーティストとかフェスティバルも、オンラインでどんどん配信してるしね。コミュニティが逆に活発になってきていて、すごくいい変化が生まれてるなと思ってるよ。

たしかに、ダンス・ミュージックはコミュニティのためのものですよね。あなたは Baauer として、数多くのヴォーカリストたちとコラボレーションをしています。コラボレーションしたいと思うポイントはなんでしょうか?

HR:いつも、気になったアーティストには俺から声をかける。ポイントというよりは、純粋にかっこいいことやってるなと思ったアーティストとか、前からファンだったアーティストとかに連絡してみるんだ。それでまぁ、返答が返ってくるのと返ってこないのと半々って感じかな。承諾してもらったとしても、その相手が別のプロジェクトに取り掛かっちゃって、うやむやになることとかも往々にしてあるし。だから、もともと俺から連絡をしてみてるアーティストは本当にたくさんいるんだよ。でも不思議と、タイミングが合って最終的にコラボレーションすることになったアーティストとは、何もかもがうまくいくことが多い。すごく満足のいく曲ができるんだよね。

そのコラボレーションも、越境的だと思います。たとえば、幼い頃からドイツやイギリスなど、さまざまな土地で暮らしてきたことは、あなたの音楽に対する考え方に関係していますか?

HR:特に、7歳から14歳まで住んでたイギリスはそうだね。当時は音楽を聴くといったらラジオだったんだけど、間違いなく、あの時代が俺の音楽の嗜好を決めたね。UKガレージにはまってて、クレイグ・デイヴィッドが好きだった。もともとはUKポップから入って、そこからUKガレージが好きになったんだ。


Nick Melons

アルバムを通してフィクションのストーリーを伝えるのって、すごく楽しいんだってことに気づいてね。ただ自分の新曲を集めるタイプのアルバムよりも、ひとつの作品をつくり上げている感覚で楽しかった。

クレイグ・デイヴィッドがUKガラージをポップに広げたのは事実だと思います。コラボレーションに話を戻すと、あなたと日本のミュージシャンたちとのコラボレーションは、注目すべきことだと思っているんです。前作『Aa』の “Pinku” に参加した PETZ、“Night Out” に参加した YENTOWN クルー、“Open It Up”をプロデュースした Awich。彼らとのコラボレーションはいかがでしたか?

HR:みんな本当にかっこいいよね。スタイルが独特で、他の国とは一線を画してる。最初のきっかけは PETZ で、そこからつながっていった。東京にすごく仲がいい友だちがいるんだ。すごくいい奴で、東京に行くときには彼が色んなクールな場所を案内してくれるんだけど、一度東京に遊びに行ったときに彼が連れて行ってくれたのが、当時 PETZ が働いてた店だった。そこで PETZ のみんなと話して、SNSでつながって、やり取りしたりしてた。それで YENTOWN のことを知ったんだよね。まずは PETZ とコラボして、そのあと YENTOWN、そして、YENTOWN のクルーから Awich のことを聞いて、Awich の曲をプロデュースすることになった。ここ数年間彼らのコミュニティのアーティストたちと仕事をしたことになるけど、どれもすごくいいコラボレーションになって良かったよ。

いい関係性ですね。あなたの新しいレコードについて聞きたいと思います。本当に素晴らしいアルバムでした。いつから制作をはじめ、どのようなコンセプトでつくったのでしょうか? また、前作と比較して、まず気づいたのはヴォーカリストがフィーチャーされていないことでした。これはどうして?

HR:制作をはじめたのは1年半前。そろそろ次のアルバムを出すころだなと思ってね。それで〈LuckyMe〉のドム(Dominic Sum Flannigan)と話して、フィーチャリングなしのインスト・アルバムにするのがいいんじゃないかってことになった。前回は色んなアーティストとコラボしたアルバムだったから、今回は全部自分だけの曲にしてみるのがちょうどいいだろうってことで。それを前提にして、コンセプト・アルバムにするのが面白そうだっていう話になった。それで、自分の中でSF的なストーリーを作ってドムに説明したら、最初は「頭おかしいんじゃない?」って言われたんだよ(笑)。でもストーリーに沿った曲をどんどん作っていくうちに、アルバムを通してフィクションのストーリーを伝えるのって、すごく楽しいんだってことに気づいてね。ただ自分の新曲を集めるタイプのアルバムよりも、ひとつの作品を作り上げている感覚で楽しかった。他のアーティストとコラボレーションするのも、もちろん楽しいんだけどね。違う面白さがある。

なるほど。そのかわり、あなたの音楽における重要なエレメントであるヴォーカルのサンプルが様々なかたちで使われています。どうしてヴォーカル・サンプルを使うのでしょう?

HR:サンプルは断トツで何よりも、いちばん大事な要素だね。さっきも話したイギリス時代、UKガレージを聴いていたときから、色んなアーティストのヴォーカルサンプルの使い方が気になっていたんだ。別の曲からサンプルを取って、自分の曲に落とし込むって面白いなと思って。それがずっと自分の中に残ってるね。だから、自分で音楽を作りはじめてからもずっと、別の場所からサンプルを取ってきて、自分の音楽に変えるっていう作業がいちばん好きなんだ。人が作ったものからさらに新しいものを作る。音楽作りでいちばん楽しいと思う工程だね。

プレスリリースではファットボーイ・スリム、ケミカル・ブラザーズ、ベースメント・ジャックス、ダフト・パンクなど、90年代のダンス・ミュージックが引き合いに出されています。たしかにそれも感じますが、曲ごとにアプローチはさまざまです。新作では音楽的にどんなところをめざしましたか?


HR:ちょうどこの前、Twitch の配信でこの話をしていたな。曲を作るときに気にしているのが、色々なスタイルの音楽を作るっていうことなんだよね。テンポとかサウンドに幅を持たせたい。その上で、どれも俺らしいものにするっていう。全然違うスタイルの曲なのに、聴くだけで「Baauer だな」って分かるものにしたいんだ。それが俺の音楽的な目標なんだよね。色んなジャンルの音楽が好きだから、自分が作る音楽に関しても、テンポやスタイルを固定してしまいたくない。色んなアプローチをしながら、Baauerらしい音楽を作っていきたいんだ。


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「惑星が危険な目に遭っている」っていうコンセプトで他の曲の制作を進めていった。そしたら、このパンデミックが起こった。「地球が怒ってる(PLANET'S MAD)!」って思ったよ(笑)。

1曲めの “PLANCK” のアウトロでは、日本語が聞こえてきました。これは気温と電力についてのニュース音声ですよね。気候変動はこのアルバムと関係していますか?

HR:その名も「PLANET'S MAD」だからね(笑)。ただ実は、最初は冗談で仮に付けたタイトルだったんだけど。でも制作を進めていくうちに、俺とドムの中でこのタイトルがしっくりくるようになった。ストーリーとしては、汚れのない惑星がどこかにあって、そこには素晴らしい生命体が住んでて……っていうものなんだ。あんまり説明しすぎると面白くなくなってしまうんだけど、自分が住んでいる惑星に対して、自分の生活がどんな影響を及ぼしているのかを考えたり、新しい綺麗な惑星で、その環境を大切にしながら生きていくことを想像することって、地球への考え方を変えることにもつながると思ってるから。

繰り返しになりますが、「HOT 44」や「PLANET’S MAD」といったフレーズは、気候変動に代表されるこの星の危機を指しているのではないかと思うんです。2曲めの “PLANET’S MAD” で表現していることを教えてください。アートワークやヴィデオが表現している宇宙のイメージは、それと関係していますか?

HR:最初に作った曲が “PLANET'S MAD” で、そこからタイトルを取ったんだ。1年半前にアルバムを作りはじめたときにはさっき言ったストーリーがすでに頭の中にあったから、惑星とエイリアンのストーリーにするっていうのは最初から決めてた。だから “PLANET'S MAD” はすぐに出来上がって、そこをスタート地点にして、「惑星が危険な目に遭っている」っていうコンセプトで他の曲を進めていった。もともとのアイディアとしては、架空の惑星だけが舞台だったんだ。そこから、暗に地球についての話をしているようなコンセプトに変わっていった。だからMVでは地球が軸になっているし。そしたら、このパンデミックが起こった。「地球が怒ってる(PLANET'S MAD)!」って思ったよ(笑)。だから、リリースを延期にする話も出たんだ。ドムに、「不謹慎な気がするから延期にした方がいいかな?」って相談した。でも彼は「今だからこそ出そう」って。こんなタイミングになるとは思っていなかったから、驚きだよね。

アルバムの後半、“REMINA” から “HOME” へ、という2曲の流れが素晴らしかったです。このメランコリックでチルアウトした2曲は、どのようにしてつくられたのでしょう?

HR:その2曲は最後の方で作った曲で、当初はちょっとアルバムに合わないかなと思って、外そうとしてたんだ。でも流れがよかったって言ってもらえて嬉しいな。最終的に収録することにしたのは、この2曲の流れがそれまでの緊張感とかとげとげしい雰囲気を中和してくれると思ってのことだったから。ここで一旦リラックスできる、静かな曲を入れるのがちょうどいいと思って。結果的に、全体のバランスを取り持つ2曲になったね。

エンディングである “GROUP” には、“REMINA” “HOME”のメランコリーと、Baauer らしいヘヴィなビートが同居しているかのように感じました。この曲についても教えてください。

HR:この曲をクロージングにするのは、最後の方で決めたことだったんだよね。いま言ってくれたみたいに、ハードなビートとメランコリーが同居していて、作ったときからずっとお気に入りの曲だった。最後の曲にすることにしたのは、制作を進めていくうちに、この曲にアルバム全体のストーリーのエンディング感を感じるようになったから。ストーリーの中では、最終的には惑星はどこかに行ってしまうんだ。新しい惑星が出現したとき、最初はみんな怖がっているけどだんだん正体がわかって、その惑星のことを好きになっていくんだけど、結局はどこかに消えていってしまってみんな悲しむ。その消えていく惑星の様子をいちばん表現しているのが “GROUP” なんだよね。

ストーリーとの兼ね合い、ということで腑に落ちました。ところで、“HOME” で歌っているのは、英国のシンガーソングライターである Bipolar Sunshine さんですね。ヴォーカリストがほとんどフィーチャーされていないこのアルバムに彼が参加した理由や経緯を教えてください。

HR:“HOME” が持っているような雰囲気の曲をアルバムに入れたいっていうのはずっと頭にあったけど、最初は全部インストにするつもりだった。でもとりあえず Bipolar Sunshine のヴォーカルでレコーディングしてみたら、ものすごく良い曲になった。アルバムに入れざるを得ないぐらいにね。そこに言葉にできる理由はなくて、1曲だけヴォーカル曲を入れるっていうのがベストだと思った。それに、彼の声は素晴らしいから。唯一のヴォーカル曲を彼にお願いできてよかった。

感動的な曲だと思います。“HOME” で歌われる「home」や「mama」といった言葉は、なにを表しているのでしょうか?

HR:歌詞を書いたのは Bipolar Sunshine なんだよ。このアルバムのストーリーも伝えていない状況で、彼の信条とか経験をもとにしたこの歌詞を書いて、それが見事アルバムにぴったりな曲になったっていう。すごいよね。「home」や「mama」は故郷としての地球や母なる地球って意味にも取れるし、幸せを感じさせながら、俺たちの「home」である地球について顧みさせられるというか。もともとは Bipolar の中での「home」や「mama」だったものが、俺たちにも通じる意味を包含してるんだ。


Jake Michaels

新しい惑星が出現したとき、最初はみんな怖がっているけどだんだん正体がわかって、その惑星のことを好きになっていくんだけど、結局はどこかに消えていってしまってみんな悲しむ。

“HOME” にはハドソン・モホークが参加しています。モホークとあなたは〈LuckyMe〉の同僚であり、トラップとEDMをけん引してきたふたりだと思います。あなたから見て、ハドソン・モホークはどんな音楽家でしょうか?

HR:彼のことはもう本当に、いちばん尊敬してる。特にインスピレーションを受けているアーティストのうちのひとりで、それこそ音楽をやる前から尊敬しているアーティストだね。人間的にも。だから今回手伝ってくれることになって、こんなに嬉しいことはないなって。幸せだよ。

大半の曲に参加している Holly という方は、どんな音楽家ですか?

HR:彼はポルトガル出身のプロデューサーなんだけど、曲の作り方が独特ですごく勉強になるんだよね。もともと名前だけは知っていて。最初は1曲だけお願いするつもりで依頼をしたんだけど、出来上がったものに度肝を抜かれて(笑)、本当にすごくてね。それで2曲目をお願いして、それもやばいぐらい最高で、3曲目、4曲目……ってお願いして。自分が作った曲を新しい次元に連れて行ってくれる人に出会えたって感じだね。

他にクレジットで気になったのは、“MAGIC” のチド・リムです。彼はドラムで参加したのでしょうか?

HR:どうだったかな……。コードだけ依頼したんだったと思う。そうだ、それで、あんなに素晴らしいドラマーなのに、本当にコードだけ書いて送ってくれて贅沢なことをしたなと思ったんだ(笑)。彼も〈LuckyMe〉に所属しているからそもそも知り合いだったんだけど、個人的に結構仲が良くてね。プライベートでも会うミュージシャンの中でも、特に面白い人で。初対面はロンドンだったな。彼の出身地のオーストリアでも遊んだりして、年々仲良くなっていってるね。でも仕事で一緒になったのは今回が初めてだったから、新鮮で楽しかったな。

ところで、〈Lucky Me〉の Twitter アカウントが「PLANET’S MAD (A. G. mix)」とつぶやいています(https://twitter.com/LuckyMe/status/1257326129280684032)。これは、あの〈PC Music〉の A・G・クックがリミックスをするということ?

HR:そうだよ(笑)。まじでやばいやつが出来たから。本当にすごい。いつリリースするかはまだ決まってないけど、遠くはない。実はもう、彼が Sky Festival(『Porter Robinson’s SECRET SKY MUSIC FESTIVAL』、5月9日(土)(現地時間)配信)に出演したときにプレイしたんだけどね。

それは聞き逃してしまいました……。リリースを心待ちにしています。今日は本当にありがとうございました。早くあなたの音楽をクラブやフェスで、低音が効いた大音量で聞きたいものです。

HR:日本にも本当に本当に行きたい。ライヴはもう、待ちきれないよね。

「戸川純の人生相談 令和弐年」がますます面白くなっています! 深夜に営業している歯医者情報から戸川純の本名である「戸川順」がどのような経緯でつけられたかなど、初めて聞く話がまだまだ出てきます! 何を隠そう『疾風怒濤ときどき晴れ』のインタヴューは、かなりの部分が脱線でした! ありがち! その話ともまったくかぶっていない。どこにどれだけエピソードが詰まってるんでしょうか。そして、毎回、エンディングで歌われる曲も素晴らしく、個人的には「夏は来ぬ」のバックトラックにもやられてしまいました。これ、レコーディングしないのかな~。


戸川純の人生相談 令和弐年 第五回

戸川純の人生相談 令和弐年 第四回

戸川純の人生相談 令和弐年 第三回

戸川純の人生相談 令和弐年 第二回

A Certain Ratio - ele-king

 今年の1月、まだ世界がコロナを知らなかった時代の最後の月、ア・サートゥン・レシオの来日ライヴに行ってきました。マンチェスターの〈ファクトリー〉の看板バンドのひとつで、“ジョイ・ディヴィジョンがジョイムズ・ブラウンをカヴァーしたかのような”という評価の通りの、強力なリズムを擁したファンク・バンド(当時としては極めて珍しい黒人ドラマーだった)でありながら、しかし音楽が発する空気は〈ファクトリー〉系のそれなのでした。お若い世代は『To Each... 』(81)もしくは『Sextet』(82)を聴いてくだされ。あまりの格好良さに腰を抜かすでしょう。また、レイヴ世代には、忘れがたい「the big E」(89)なんて12インチもありました。
 とくにその初期においては〈ファクトリー〉系では、かの三田さんも一目置くほどのお洒落さんバンドだった彼らも、今年の1月に見たときには当たり前の話それなりに年季の入った姿を披露してくれたものですが、演奏はACR印の冷たいファンクで、まったくクールでした。否応なしに12年ぶりの新作への期待も高まるし、そしてじっさい新作はACRのファンク&ソウルが極まっているといえるような素晴らしい出来です。発売は9/25なので当分先ですが、まずは新曲とそのリリック・ビデオを公開しましょう。


■新曲「Always In Love」リリック・ビデオ

https://youtu.be/

■Listen & Pre-Order
https://smarturl.it/acrloco

【A Certain Ratio】
ACRのメンバーは、ジェズ・カー、マーティン・モスクロップ、ドナルド・ジョンソンの3人組。マンチェスターで1977年に結成され、伝説のファクトリー・レーベルにとって最初のシングルは彼らのシングルであった。すぐさまポスト・パンクのパイオニアとして世界に知られるところとなるが、ファンク、ジャズ、エレクトロ、テープ・ループなどのアヴァンギャルド要素をポップソングの世界に持ち込み、それをポスト・パンクの美学で包み込んだのだった。その影響は、トーキング・ヘッズ、LCD サウンドシステム、ハッピー・マンデイズ、フランツ・フェルディナンド、ESG、ファクトリー・フロアー、アンドリュー・ウェザーオールに至るまで及んでいる。ガーディアン紙のデイヴ・シンプソンはこのバンドに敬意を払い「ひとたびARCを聞き始めたら、その音楽を止めことは難しい」と記事にして、「アシッド界のジェイズム・ブラウン」と評している。

このアルバムはこれまでの40年間、彼らの嗜好や表現してきたものを完璧なまでに一気に詰め込んだものとなった。「先日リリースしたボックスセットのために過去を掘っていったことが我々を目覚めさせ、今回のアルバムに影響したのは間違いないね」と語るマーティン・モスクロップ。「そのことが我々のイマジネーションに火をつけてくれたんだ。過去のことも上手くやろうという気になったのは、未来に向けて前に進もうとしたからだ」と。このことがジェズ・カーとこのバンドの歴史をも再びつなげることになったのであるが、それは文字通り単なる過去の栄光の焼き直しではなく、このバンド独特の大胆で風変わりなスタイルでスタートすることであった。「我々はこのバンドの初期において存在した“全能感”をようやく取り戻すことができたんだ」と彼が語る。「自分か参加しているバンドや自分が作っている音楽以外他に全く何も考えられないあの感覚なんだ」。


ア・サートゥン・レシオ (A Certain Ratio)
ACR ロコ (ACR Loco)

Mute /トラフィック
2020年9月25日(金)

Tracklist
1. Friends Around Us
2. Bouncy Bouncy
3. Yo Yo Gi
4. Supafreak
5. Always In Love
6. Family
7. Get A Grip
8. Berlin
9. What’s Wrong
10. Taxi Guy
11. Fat Ratio *
12. SupaFreaky *

*ボーナス・トラック

Listen & Pre-Order
https://smarturl.it/acrloco

LINK
https://www.acrmcr.com/
www.mute.com
www.trafficjpn.com

KATE NV - ele-king

 80年代の煌めきのようなエクスペリメンタル/ポップ。それは未知とノスタルジアの結晶か。ポップ、環境音楽、アンビエント、ポップ。そう、この音は空気のように環境に効く。そう、ケイト エヌヴィー=ケイト・シロノソヴァの音は、自由で透明だ。

 彼女の新譜『Room for the Moon』はまさにそのようなアルバムに思えた。水滴のように透明でミニマル・ポップだった前作『для FOR』から2年ぶりの作品だが、制作自体は以前から進められていたという。まさに満を持してのアルバムといえよう。リリース・レーベルは前作と同様に現代のニューエイジ/エクスペリメンタルの総本山〈RVNGIntl.〉。 

 シロノソヴァはファースト・アルバムを『Binasu』を、ジャイアント・クローなどで知られる〈Orange Milk Records〉から2016年にリリースして以降、ほぼ2年ごとにアルバムを発表してきた。本作はサード・アルバムとなっている。
 〈Orange Milk Records〉からリリースされた『Binasu』は、2010年代中期のヴェイパーウェイヴ的な作品の中に位置づけられていたように思えるが、セカンドの『для FOR』以降、ニューエイジ・リヴァイヴァル的なものともつながっていく。そして2020年代最初のリリース作である本作は、そんなケイト エヌヴィーの音楽的な嗜好/思考が全面的に展開されていた。最高傑作」と言っても過言ではない。

 まず、全体に非常に洗練されたサウンドだ。音と音のかさなりはナチュラルでありながらも、フツーではない。制作には苦労したようだか、じじつトラックに横溢する音色の選別からミックスまで、細やかな部分にまで気を使ったしあがりである。くわえてベースやサックスなど生楽器の効果的な導入がオーガニックなグルーヴを生んでいた。やわらかなシンセサイザーとのアンサンブルも抜群。
 とくにサウンドの面で深化に注目したい。それは80年代的なサウンドの追求という意味でもある。ここ数年、細野晴臣から吉村弘まで、80年代から90年代初期の日本環境音楽が世界的に再評価が進んだことはよく知られている。そのムーブメントを牽引する存在としてヴィジブル・クロークスの存在と作品が重要だが、彼らのサウンドは80年代型の環境音楽を、00年代・10年代以降の緻密なサウンド・レイヤーに置き換えることを主軸している。
 いっぽう『Room for the Moon』のサウンドは、まるで80年代のフェアライトのような絶妙な音の硬さとタイミングをはなっているのだ。たとえば1曲め“Not Not Not”の軽やかなリズミックなシーケンスからして、どこか『エスペラント』などの80年代の坂本龍一のサウンドのようだし、その瀟洒なアンビエンスには『花と水』など80年代の細野晴臣の音楽を思わせもする。つづく2曲め“Du Na”は、80年代の清水靖晃を思わせる環境音楽とジャズの融合のごとき曲だ。そして3曲め“Sayonara”は日本語の「さよなら」が反復され、80年代日本への不思議なノスタルジアすら感じさせる名曲である(私は日本盤ボーナストラックとして収録された“Arogato song“にも深く感動した)。

 この『Room for the Moon』冒頭の3曲だけで、このアルバムがめざす方向性がわかる。80年代の環境音楽やアンビエントの質感を、そのまま再現することではないか。過去の再解釈の解像度を上げて、「それそのもの」であること、とでもいうべきか。
 なかでも8曲め“Plans”は、80年代中期~末期のムードが濃厚で、本作を象徴する1曲である。彼女なりのポップミュージックの理想形ともいうべき曲だ。往年のVHS的な質感のヴィジュアルを展開する凝りに凝ったMVにも注目したい。

 ロシアはモスクワ出身のシロノソヴァは、モスクワを深く愛しているという。そんな彼女が遠く離れた異国である日本、それも現在から数えて30年から40年前の日本の環境音楽や電子音楽に惹かれ、自身の音楽の重要な参照点としている。
 ロシアと日本、ふたつ国が「80年代の音楽」をとおしてつながっていくという感覚。それはもしかすると「失われた20世紀/80年代ヨーロッパ」への郷愁ではないか。その意味で本作を細野晴臣が主宰したレーベル〈ノンスタンダード〉からリリースされたミカド『MIKADO』のパスティーシュと位置付けることは可能だろう。つまりは距離と時間をこえる未知のノスタルアジアの生成。これこそがケイト エヌヴィー=ケイト・シロノソヴァの音楽の不思議な魅力である。

Speaker Music - ele-king

三田格

 ニューヨークのアパレル・メーカー「HECHA / 做」が攻めまくっている。プロジェクト1は2018年の9月にウェブ上で行ったオール・デイ・ストリーミング。プロジェクト2は2019年のベルリン国際映画祭でジェシー・ジェフリー・ダン・ロヴィネリ(Jessie Jeffrey Dunn Rovinell)によるクィアー映画『ソー・プリティ』の上映。プロジェクト3は「黒いテクノを取り戻す(Make Techno Black Again)」(トランプのパロディです、念のため)というキャンペーン用キャップの発売。この時にテーマ曲をつくったのがスピーカー・ミュージックことディフォーレスト・ブラウン・ジュニア(以下、DBJ)という音楽ライター。プロジェクト4はオンライン・ショップの開設とポップ・アップ・イヴェントと続き、これらはすべて共感によってドライヴされるビジネス・モデル(Empathy-driven business model)を標榜するルス・アンジェリカ・フェルナンデスとティン・ディンという2人の女性が企画・推進している。プロジェクト7は「テクノは誰のもの?(Who Does Techno Belong to?)」と題された討論会の開催で、商品化され、商業化したテクノについてゲストを交えて語り合うなど、テクノに対するこだわりがハンパない。彼らの頭にあるのはとにかくデトロイト・テクノの継承と発展である。EDMのかけらもない。そして、Project10として〈プラネット・ミュー〉からリリースされたスピーカー・ミュージックのセカンド・アルバム『Black Nationalist Sonic Weaponry』はまさに「黒いテクノを取り戻」し、「HECHA / 做」の主張を具体化した素晴らしい内容となった。〈プラネット・ミュー〉も今年、最も重要なリリースになると大きな声を上げている。何も知らずに1曲目を聴いた僕も叫びそうになった。すごい。すごいよ!!マサルさん。セクシーコマンドー。いやいや。

 ベース・ミュージックとフリー・ジャズの出会い。そんな生易しい次元ではないかもしれない。1曲目にフィーチャーされているのは詩人のマイア・サナア(Maia Sanaa)で、付録としてついている45ページのブックレットは彼女の書いた理論や詩を集めたものらしい(これは未見)。DBJ自身もアミリ・バラカが提唱し、黒人音楽の歴史をまったく新しい視点で読み直したとされる批評家ツィツィ・エラ・ジャジ(Tsitsi Ella JajiI)が連帯のために提唱したステレオモダニズム理論をアルバム全体に応用したそうで、それはアメリカ産のブラック・ミュージックを読み解くためにセネガルとガーナと南アフリカの音楽を研究した成果らしい。どこがどうだかはもちろんよくわからない。わかるのは躓くように叩かれるスタッタリング・ドラムがとにかくカッコいいということと、3曲目の“Techno Is A Liberation Technology(テクノは解放のテクノロジー)”でジョン・ハッセルばりのトランペットが最初のピークをつくり出すこと。この緊張感には圧倒される。ドリルン・ベースなんて子どもの遊びだったじゃん……(いや、それはそれでいいんだけど)。続いて“Black Secret Technology Is A Traumatically Manufactured And Exported Good Necessitated By 300 Years Of Unaccounted For White Supremacist Savagery In The Founding Of The United State(野蛮な白人至上主義の上に築かれたアメリカのために300年も輸出が必要とされ、精神的な外傷を負わされてきた黒い秘密景気)”で同じく極端なスタッタリング・ドラムの背後で粒子の細かい電子音が縦横無尽に飛び回り、“A Genre Study Of Black Male Death And Dying(黒人男性の「死んだ」と「死んでいる」の調査)”ではドラムがトライバルな響きにガラッと変わり、延々と警察無線がサンプリングされる。複数のパーカッションが入り乱れる瞬間はまさしく何かが起きた感じ。

 不協和音を連打するピアノにリードされた“Of Our Spiritual Strivings(私たちの精神的努力)”はザ・ポップ・グループをベース・ミュージックに変換したかのようであり、メロウなサックスとノイズで構成された“Black Industrial Complex - Automation Repress Revolution In The Process Of Production, And Intercontinental Missiles Represent A Revolution In The Process Of Warfare(黒い複合産業 - オートメイションは生産方法を劇的に変えることを抑止し、大陸間弾道ミサイルは戦争を進化させていく)”でようやく一息つける(つけないかな)。“Super Predator(他人を犠牲にして利益を得る者)”で再び強烈なスタッタリング・ドラムが復活し、“American Marxists Have Tended To Fall Into The Trap Of Thinking Of The Negroes As Negroes, i.​e. In Race Terms, When In Fact The Negroes Have Been And Are Today The Most Oppressed And Submerged Sections Of The Workers​.​.​.(アメリカのマルクス主義者たちは黒人のことを人種的タームとして考える罠に陥りやすく、実際に黒人たちはかつても、そして、いまも抑圧され、労働者としてどっぷり社会の底に沈められている)”ではストイックなドラミングに不穏なシンセサイザーの波が押しては返すスリリングな展開。ラストはアルバム全体の余韻を先取りするようにジェフ・ミルズのコード進行を思わせるクールな“It Is The Negro Who Represents The Revolutionary Struggles For A Classless Society(階級なき社会のための革命の闘争を象徴するのはニグロである)”。物悲しいサックスの響きはマッド・マイクのそれとはあまりに対照的。デトロイト・テクノの優美なメロディやパワフルな面しか見えていないフォロワーは思いっきり反省すべきだろう。

 深南部からニューヨークに出てきたというDBJは、以前は本人名義で実験音楽に多くの時間を割いてきた。どちらかというと活動はアート寄りで、2017年にスザンヌ・フィオール・キュレイトリアル・フェローシップの奨励を得るとMoMAの別館など様々な場所で作品を発表し、ヒートシックなどの名義で〈パン〉からリリースがあるスティーヴ・ウォーウィックとの共作「E-M」などですぐにも知名度を上げていく。DJなどではヒップホップやテクノを扱うこともあったDBJは、しかし、自分で作曲するとなるとフィールド・レコーディングや延々とスピーチを続けているものがメインで、昨年末に〈プラネット・ミュー〉からリリースされたスピーカー・ミュージックとしてのデビュー作『Of Desire, Longing』もゴソゴソとしたドローンの変形サウンドが46分36秒にわたって持続するだけ。いわゆるダンス・ミュージックではまったくない(あ、安倍晋三の言い回しがうつった!)。『Black Nationalist Sonic Weaponry』の前哨戦となったのはケプラ(Kepla)とのコラボレイト・アルバム『The Wages Of Being Black Is Death』(19)で、控え目だけれど、パーカッション・サウンドが取り入れられ、『Black Nationalist Sonic Weaponry』の青写真がここには確実に描かれている。言葉とサウンドの比重が逆転し、「メイク・テクノ・ブラック・アゲイン」を自らが実行に移した感じだろう。“Sunken Place in Reverse...a Cancelled Future, a Horizon of a Pipe Dream(逆さに沈没した場所……キャンセルされた未来、空想の地平線)”から『Black Nationalist Sonic Weaponry』まではあと一歩である。“Sophisticated Genocide - American Industrialized Culture is Designed to Flush Out Non-performing/Non-conforming Black Male Bodies(洗練された大量虐殺 - アメリカの産業文化は役に立たない黒人男性の肉体を追い出すようにつくられている)”で組み合わされたリズムとドローンのコンビネイションもDBJが助走段階に入っていることを告げ知らせている。さらに『Black Nationalist Sonic Weaponry』と2日違いでリリースされたDBJ名義『Further Expressions Of Hi-Tech Soul』は1時間に及ぶスタッタリング・ドラムにマッド・マイクを思わせる雄大なシンセサイザーがやや重々しく被せられていくスタイルで、彼の作品にしては言葉がまったく使用されず、この試みもまたテクノを新たな次元に持ち上げたものといえる。タイトルはマッド・マイクを意識したものではなく、耐久と適応を強いられてきた黒人の歴史とその肉体を表すものだという。

 シリアからオマール・スレイマンが飛び出し、ウクライナからヴァクラが頭角を現したように、紛争が起きることを察知して優れた音楽がその予兆を奏でることはままあることだろう。アメリカでブラックライヴズマターが再び拡大する直前、僕はピンク・シイフ(Pink Siifu)によるパンク・ラップにいささか慄いていた。ここまでアナーキーなヒップホップ・サウンドはそうそうない。しかし、録音時期から考えて、それをも上回る音楽的な爆発を起こしていたのはDBJだった。19日に配信が開始されたということは、各曲のタイトルはブラックライヴズマターを受けて考えられたものに違いない。厳密にいうとブラックライヴズマター以後につくられた最初の作品とは言えないだろうけれど、そのような時間的な境界線上にあったことを考えれば、『Black Nationalist Sonic Weaponry』をブラックライヴズマター後に現れた最初の音楽作品として考えてかまわないのではないだろうか。〈プラネット・ミュー〉からのステートメントは「(『Black Nationalist Sonic Weaponry』は)野蛮な新自由主義を超克し、白人のテクノ・ユートピアが描き出す架空の経済成長に負うことがない未来へと歩み出す作品だ」と結ばれている。また、『Black Nationalist Sonic Weaponry』の収益はすべて「Black Emotional and Mental Health (BEAM) 」と「the Movement 4 Black Lives」に寄付される。

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野田努

デトロイト・テクノはアメリカのポップ・カルチャーから欠落し、反メディア的であるために、国のスキャン・システムから完全に抜け落ちてしまっている。(略)アメリカのメディア風景全体を補強しているエンパワーメントの論理からテクノは脱退する。それらすべての指令から逃れて可視化するために、あるいは人びとの声を聞くために、人びとの歴史を語るために。──コドウォ・エシュン『More Brilliant Than The Sun』(高橋勇人訳)

 娘がまだ幼稚園に通っていたとき、いっしょに近所を歩いていたら、自転車に乗った警官が2名ぼくたちの前を通り過ぎた。傍らにいた娘を見ると、思い切り敬礼している。「なにやってんだよ?」と訊くと「おまわりさんと仲良くなれれば、何かあったときに助けてくれるじゃん」と答えた。たしかにこの社会では最初、そう教えられるものである。おまわりさんはみんなを守ってくれると。
 その娘もいま11歳となって、アメリカで警官が黒人をとっちめている映像をいっしょに見ている。このリアルは、彼女が学校では教えられていないリアルだ。時間はかかるだろうが、これから彼女に“黒い物語”を話さなければならない。すなわち信じ込まされていた話が必ずも正しくはなかったということを。ブラックライヴズマターに若い白人が多いのは、彼ら・彼女らが子どもの頃に教えられたリアル(歴史、社会)が欺瞞的だったことに腹を立てているからだろう。

 「地球人を飼いならす平凡な視聴覚プログラムは、人びとの心を濁らせて人種間に壁を作る」とはかつての、30年前のデトロイトのURなるアーティストがレコードに印刷した言葉だが、時代が変わるときはいっきに変わるものだ。NYのスピーカー・ミュージック(ディフォレスト・ブラウン・ジュニア)なる黒人青年は、いま、山頂で空気で肺をめいっぱい膨らませるかのようにデトロイト・テクノとフリー・ジャズを我が身に吸い込み、そして更新しようとしている。ディフォレスト・ブラウン・ジュニア(DeForrest Brown Jr.)名義でリリースしたアルバム『Further Expressions Of Hi-Tech Soul(ハイテック・ソウルのさらなる表現)』のアートワークは、エシュンの『More Brilliant Than The Sun』を読んでいる彼自身の姿である。そして、“Hi-Tech Soul”とはデリック・メイの造語であり、そのコンセプトの重要性をDBJは1週間前に出たばかりのスピーカー・ミュージック名義のアルバムに併せて作ったブックレット(フリーでDLできる)のなかで解説している。
 ブックレットにおいては、URの『インターステラー・フュージティヴ』のアルバムのアートワークが紹介され、そしてドレクシアの『ザ・クエスト』のCD版に掲載された奴隷貿易という西欧社会の歴史(学校では教えられることのない)が再掲されている。それがこれからスピーカー・ミュージック(DBJ)を聴こうとする人たちへのひとつヒントだが、しかし、彼のサウンドには、21世紀のフットワークやベース・ミュージックを通過した斬新なリズム──ディスコとは切り離されたエレクトロニック・アフリカン・パーカッション──がある。リズムは彼の武器だが、さらにフリー・ジャズのエッセンスを融合させ、そう、URの“ファイナル・フロンティア”を30年分のアップデートに成功させている。それが、スピーカー・ミュージックのセカンド・アルバム『Black Nationalist Sonic Weaponry』の最後の曲、“It Is The Negro Who Represents The Revolutionary Struggles For A Classless Society (階級なき社会のための革命の闘争を象徴するのはニグロである)”だ。ちなみにニグロとは、黒人が主体的に自らを呼んだ言葉ではない、植民主義における白人が彼らをそう呼んだのであって、問題の根源は植民主義を生んでしまった思想なり文明なりにあると。
 スピーカー・ミュージックはサウンドの発展のさせ方もさることながら、コンセプトの研磨においても抜かりがない。今回の抗議運動は歴史的モニュメントの破壊にまでことが及んでいるが、ブラックライヴズターが反人種人差別にとどまらず、それ(=奴隷制度や植民主義)が黒人ではなく白人の歴史から来ていることを若い世代の白人が声を出していることに未来があるとは言えないだろうか。人びとの声は、DBJがブックレットの最初に引用したアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)の1967年の言葉「我々はポスト・アメリカの形態を欲する」とリンクしている。そして、連帯(solidarity)を呼びかけているこの音楽は、パブリック・エナミー〜UR以来の、確信的なポリティカル・ブラック・ミュージックと言えよう。(彼はいま『黒いカウンター・カルチャーの結集』なる著書を準備中だとか)

 ディフォレスト・ブラウン・ジュニアは、革命前史として、サン・ラ、アーチー・シェップ、アルバート・アイラー、ミルフォード・グレイヴス、ノア・ハワード、クリフォード・ソーントンといったアーティストたちの作品をリストアップしている。そう、ジャズなのである。これら60年代末〜70年代前半のフリー・ジャズと90年代のデトロイト・テクノとの溝を埋めようというのがDBJの企みであろう。
 また、インスピレーションのひとつに状況主義にも影響を与えたフランスの思想家アンリ・ルフェーヴルの名も挙げているが、大それた固有名詞が並んでいるからといって、身構える必要はない。テクノは、音を感じるところからはじまる。まずは何よりも、ここにはサウンドの強度がある。能書きをすっ飛ばして聴いても充分にカッコいい。アーチー・シェップのアルバムのように。ただひとつだけ言いたいのは、世のなかには「いま聴かなくていつ聴くのよ」という音楽があり、これはまさにいま聴く音楽だ、ということ。世界が“黒い物語”を必要としているまさにいまこのときに、である。

Fiona Apple - ele-king

 ローリーン・スカファリア監督・脚本の映画『ハスラーズ』は、ジェニファー・ロペスとフィオナ・アップルという、長く別の場所にいたはずのふたりの女性ポップ・スターを結びつけた作品であった。ニューヨークのストリップ・クラブの花形であるラモーナ(ロペス)が得意のポールダンスをカリズマティックに披露する、その登場シーンでアップルの “Criminal” が流れるのだ。“Criminal” は気だるげなアップルの歌がブルージーなピアノに絡む官能的な歌だが、そこでは男に対して加虐的に接してしまう女の罪悪感が吐露される。濁りを含んだピアノの打音、「自分を犯罪者のように感じてしまう、だから償いが必要」……。その歌が合図になり、『ハスラーズ』では出自や抱える事情が異なる女たちによる犯罪が始まる。ウォール街のクソ野郎たち、女たちを見くびってきた傲慢な男どもからカネを奪取するための。だけどそこには当然痛みや後ろめたさも含まれるわけで、だからアップルによる個の情動がたっぷり詰まった歌が必要だったのだろう。1996年、『Tidal』で世界に固唾を呑ませた彼女の歌の迫真を思い出す……。

 そして2020年、『Fetch The Bolt Cutters』に収められた “Ladies” を聴く。そのタイトル通り、この曲は……あるいはアルバムは、「女性たち」についてである。“Ladies” はボーイフレンドの浮気が発覚したときに、期せずして当事者になってしまった女性同士で闘うべきではないということを説いた歌だそうだ。ある意味俗っぽいモチーフではあるものの、だからこそリアルで切実で、あるいはほかの事象においても適応されうるだろう。アルバム中でももっともメロウな響きを持ったこの曲で、アップルは女性同士の連帯の困難と尊さを慈しんでみせる。そしてアルバムを通して、アップルの姉であるモード・マガートをはじめとした複数の女性たちの声が折り重なっている。
 『The Idler Wheel Is Wiser Than the Driver of the Screw and Whipping Cords Will Serve You More Than Ropes Will Ever Do』(2012)以来8年ぶり、5作めとなる『Fetch The Bolt Cutters』は、予定されていたリリース日を早めて世に放たれた。その背景にあったのはパンデミックだ。自己隔離を余儀なくされるなかで、(精神的/肉体的に)虐待に遭うひとたちの逃避として自分の音楽が少しでも機能すれば、との想いによるものだそうで、ここでアップルは彼女自身が性暴力のサヴァイヴァーであることを踏まえている。そして『Fetch The Bolt Cutters』には、(おもに女性たちに向けて)声を上げることを恐れるなというメッセージがこめられた。ボルトカッターを取ってこい、自分を縛る鎖を断ち切れ。

 オープニングの “I Want You To Love Me”、続く “Shameika” から、ピアノを高い位置から思い切り叩きつけるような打音に圧倒される。本作はガチャガチャとした打撃音が全編を覆う非常にパーカッシヴなアルバムだが──楽器だけでなく、空き缶や亡くなった愛犬の骨までが叩かれる──、ピアノもまさにパーカッションとして扱われている。あるいはヴォーカリゼーションもまた、「歌」の形を取る前の吐き出すような声が多用されており、それは声帯を使って周囲の空気を「叩いて」いるようにさえ思えるダイレクトなものだ。人間が何かを「叩く」ときのダイナミックな瞬間、プリミティヴなパワーに満ち満ちている。ソウル、ジャズ、スタンダードを軸にしたソングライティングは90年代から確実に成熟しているものの、なおもコントロールできない感情の奔流をそのまま勢いに任せているようなところがあり、そのエキセントリックさや、定型をはみ出していく音楽の真に自由なエネルギーはいや増しているのである。メランコリックな瞬間はあるが、そこに留まっているわけにはいかないと言わんばかりにダイナミックに姿を変える。フィオナ・アップルという、かつて痛みをさらけ出すことで生々しさを表現に与えてきたアーティストが、激しさを失わずに感情の深度も表現がリーチする範囲を増していることに畏れに似た想いを抱く。
 簡素なリズムの上で多重コーラスがファンキーに弾けていく “For Her” が、性暴力で訴えられながらも最高裁判事となったブレット・カバノーをモチーフとしているという話からも、#Metoo 以降のムードを追い風にしている部分はたしかにあるだろう。しかし先述の “Ladies” が2013年には別タイトルで披露されていたという話からは、そうした主題──自分を抑圧してくる者(たち)との関係を断ち切ること──はつねに彼女の表現の重要な一部であり続けたことを発見できる。……だからこうだ。ひとりの女性の過酷な体験がメランコリックにムーディに編みこまれてきた彼女の歌は、いまこそ「彼女たち」のパワフルな歌となった。シス男性である自分はカギカッコつきの「シスターフッド」に対して、非当事者ゆえの近寄りがたさと強烈な憧憬を同時に覚えるが、『Fetch The Bolt Cutters』のなかに渦巻くそれは、言葉や概念として形作られる以前の、何かを激しく「叩く」ようなプリミティヴなものとして立ち上がっている。“Cosmonauts” での「始めろ! 始めろ! いますぐ始めろおおおおお!」という絶叫は、抑圧されてきた者たちを内側から揺さぶり、やがて社会の幾多の不条理を打撃する声の重なりとなるだろう。

interview with Akira Rabelais - ele-king

 米シカゴ在中の異才アキラ・ラブレー(作曲家、ソフトウェア開発者)にはじめて会ったのは、2007年、デヴィッド・シルヴィアン欧州ツアーに参加した際立ち寄ったドイツ・ケルンでのこと。ツアー中盤、いまだ捉えどころのないデヴィッドから「紹介したいアーティストがいる」と言われ、その「アキラ」という名前の人と––詳細不明のまま––演奏会場に隣接したカフェで落ち合った。「この人とは酒が飲めそう!」と出会い頭に思い、開口一番ツアー中のこと日本でのことなど私事を捲し立ててしまった。アキラさんはその笑止千万な話しをひとしきり聞いてくれた後、ウィットで生き生きとした音楽やイメージを物腰穏やかに語ってくれた。私はその革新的なアイディアに興奮しつつ自分が恥ずかしくなった……。
 別れ際、彼は1枚のカードを手渡してくれた。ツアーバスに戻ってから、その魔術的な抽象画と古代文字が添えられたカードを眺め続けた。プラハに向かう深夜のハイウェイは闇に包まれていて、国境上空では怪鳥が鳴いている。私はその護符(カード)を大切に保管した。
 それから十数年近い歳月が過ぎて、私は偶然、大阪のNEWTONEレコードでアキラさんの再発盤レコードを入手した。その夢幻の響きはときを超えてまったく色褪せることなく、活き活きと私の前に立ち現れてきた。早速アキラさんに手紙を書いた。

 以来、機会ある都度にアキラさんとやり取りをしてきましたが興味が尽きないので、ele-king 野田さんに直談しインタヴューを行いました。ジョージ・フロイドさんが白人警官によって殺害された事件を期に起こった抗議活動が全米のみならず世界に広がりをみせる中、2回に分けて取材しました。以下その全文です。

これは本当に驚くべきアルバムです。一聴しただけでは制作プロセスがまったく推測できません。(渡邊琢磨)
作業プロセスは、トラックのヴァリエーションをいくつか作って、それを数日間、再生し続けて自分の潜在意識に浸透させ……それから調和的な修正を加えるというものだった。(アキラ・ラブレー)

音楽のみならず、開発されたソフトウェアも謎めいた魅力に満ちており、あなたの音楽的バックグランドを推し量ることは容易ではありません。

Akira Rabelais(以下、A):音楽の初仕事は、あるオペラ作品のためにパート譜を作成することだった。最初の給料で彼女にシルクのパジャマを買ったので、そのときのことはよく憶えているよ……音楽やアートとのつながりは、私がテキサス南部育ちということと関係がある。私は人里離れた競走馬の牧場で育った。ハイウェイの中途から挨拶するのに立ち寄るような場所だ。私は牧場で自然を声帯模写した。コヨーテ、鳥、馬と一緒に歌った。母はアーティストで、バッハ、サティやブラームスを弾いていた。私の最初の楽器は農場を取り囲んでいた有刺鉄線を射撃用の鉄の板に打ち付けることによって即興的に作り出したものです。

広漠とした大自然の記憶ですね。一方であなたは、ミュージック・テクノロジーやコーディングの卓越した技術をお持ちです。こうした技術や知識も音楽を始めた頃に習得していったのでしょうか?

A:いや、私がコンピュータを使いはじめるのはもっと後になってからだよ。大学生の頃、DMCS(註1)を使いはじめて、そのソフトを覚えることに夢中で何百時間もラボで過ごした。仲間の学生が私のやっていることに気づいて、電子音楽をやってみたらと勧めてくれた。それで、“Max”や“KYMA”(音楽やマルチメディア向けのビジュアルプログラミング言語)を使いはじめるようになったんだ。

それから、あなたは大変独創的なソフトウェア「Argeïphontes Lyre」を開発されました。このソフトに関してご説明いただけますか? またこのソフトはご自身の作曲ツールでもあるのでしょうか?

A:最初に開発した「Argeïphontes Lyre」(以下:AL)は、私のカルアーツ(カルフォルニア芸術大学の通称)の修了制作だった。「AL」は、トム・エルベ(註2)の下で学んだ結果生まれた。私が独自のオーディオ・フイルターの着想を得たのはアニメーションのクラスでのことだった。友人に、Blender(3DCG制作ソフトウェア)のアニメーション部分をプログラミングした人がいて、彼のアニメーションソフトはスイッチをオンにするとキャラクターが四方八方に飛び出てくるのだけど、そのソフトに触発されて「自分も同じことを音でやらなければ」と考えたんだ。そしてそれが結果として、“Eviscerator Reanimator”(「Argeïphontes Lyre」に包摂されているオーディオ・フィルターの一種)になった。いまの「AL」は、6ヴァージョン目です。それは、DSP・フィルター、ジェネレーター、オーデイオ、ヴィデオ、そしてテキスト合成の集合体のようなもので、私はそれをC言語、オブジェクティブC、C++で書いていて、再結合、変異、歪み、たたみ込み、対称性という概念を主体としている。最初のヴァージョンでは視覚情報の合成 ( 音声から映像への変換、映像の編集等々)を伴っていたが断念してしまった。直近ではカオス理論にハマっていて、どうやってそれを取り込もうか研究中。「AL」は私の庭のようなものです。私は庭仕事が好きで、雑草を抜いたり、収穫したり、新しいことを見つけたり、そのアイデアをまるで花のように育て……ときに、「AL」は道具として使える詩のようでもあります。ほとんどの私のアルバムで"AL”を使っています。「AL」は、僕のウェブサイトから無料でダウンロードできます。(註3)

あなたが大学時代にトム・エルベに師事していたとは驚きです。私も“SoundHack"のいくつかのプラグインを使ったことがあります。

A:彼は大学院時代の恩師です。彼がカルアート時代に唯一(研究室で)指導した生徒が私です。彼はいま、カルフォルニア大学のサンディエゴ校にいますよ。そして大学時代の師は、ビル・ディクソンでした。彼のことは君も知っているだろう。フリー・ジャズの演奏家で……

え! トランペッターのビル・ディクソンですか! セシル・テイラーとの共演盤を持っていますよ!

A:はい。私は彼の即興演奏のアンサンブルで、3年間演奏していました。話しは変わるけど、君のプロジェクト(註4)のために“緊縛美”というフィルターを書いたよ。オーディオストリームが縄や糸の束のように、ねじり合わさって結び目をつくるというイメージが“緊縛美”になったんだ。君に送ったオーディオ・ファイルの中で、そのフィルターを聴くことができると思う。

はい、たしかに。原音にあまり干渉しない有機的なフィルターですね。この“緊縛美”について、もう少し説明してもらえますか? これも「Argeïphontes Lyre」から派生したフィルターの一種なのでしょうか?

A:そうです。「AL」のなかで試せますよ。女性の身体の周りに結び締め付けられたような縄のようなサウンドチャンネルという、ただの思いつきなんだけどね。

あなたは開発したソフトウェアを無料でシェアされていますね。近年、音楽に限らず大手メーカーのソフトウェアやアプリケーションが軒並み月額制、サブスクリプション化されました。私的にはフリーソフトにはいまだ想像的で、なかには使い勝手すらも(有償ソフトよりも)良いものがあります。これはシステムの問題だけではないと思うのですが。

A:君の言いたいことはよくわかるよ……個人もしくは少人数で開発するフリーソフトにはたいがい、創造的なスピリットがある。お金や必要以上の意見は創造的な表現をブロックしがちだ。私はサブスクリプションのファンではない。だからPro Toolsを使うのをやめたんだ。

そうした変遷を経て、あなたはいまやクラシックとなった名盤 『Spelle-wauerynsherde』(Boomkat Editions : BKEDIT015-COL)を生み出します。
これは本当に驚くべきアルバムです。一聴しただけでは制作プロセスがまったく推測できません。この作品が作られた経緯、制作過程を教えていただけますか?

A:『Spellewauerynsherde』は三つの言葉なんだ。つまり、Spell(呪文)、Wavering(揺らぎ)、Shard(破片)という。私は大学でラッキー・モスコヴィッツという作曲家、指揮者に学んだ。彼は、60年代後半にバックパックひとつでアイスランド中を旅しながら、失われゆくアートフォームであった哀歌の独唱などをアンペックス製のリールテープに次々とドキュメントしていった。彼は帰国後そのテープをクローゼットに片付けたまま忘れてしまった。それを、30年後に私が発見したんだけどテープの状態はとても酷かった。私はそれを慎重に修繕してハードディスクに保存し、ラッキー自身や学校の図書館、そして私自身用にコピーを作った。彼は悲劇的な人だった。酒の問題を抱え、私が大学を卒業した2年後に夭逝してしまった。このアルバムを作りはじめたのは彼が亡くなってまもなくの頃だった。
 彼の収集した音を20分程度使って制作をし、1年後に作品は完成した。このアルバムをリリースしてくれるレーベルを数年、探して回ったけどなかなか見つからなかった。そんな折に突然、デヴィッド・シルヴィアンから彼がスタートする新レーベル〈Samadhisound〉から何かリリースしないかという手紙を受け取ったんだ。デヴィッドは、このアルバムを気に入ってくれて承諾してくれた。それからさらに18ヶ月かけて、ジャケットデザインを探し求めたが、ようやくLia Nalbantidouというフォトグラファーの写真を見つけ、アルバムは2014年にリリースされた。
このアルバムの技術的な点を説明しておくと、たいはんの楽曲は、“タイム・ドメイン・ミューテーション”および、“コンボリューション”(という技術で)構築されている。“ミューテーション”は、トム・エルベから学んだテクニックだ。私のコンボリューションは、トムの“SoundHack”に基づくものではあるけれど、タイム・ドメインの部品を追加した。このアルバムでは基になった音を再文脈化しているけれど、その音の本質にある有機性は保たれていると思う。その作業プロセスは、トラックのヴァリエーションをいくつか作って、それを数日間、再生し続けて自分の潜在意識に浸透させ……それから調和的な修正を加えるというものだった。

註1:DMCS(Deluxe Music Construction Set)は、86年に制作された初期の音楽制作ソフト。
https://en.wikipedia.org/wiki/Deluxe_Music_Construction_Set

註2:米国の電子音楽の重鎮でコンピューターミュージック会社”SoundHack”の代表。

註3:「Argeïphontes Lyre」は、下記リンクよりフリーダウンロード可。
https://www.akirarabelais.com/o/software/al.html

註4:アキラ・ラブレーと渡邊琢磨は“Soundtrack recomposed project”という企画でコラボレーションを行なっている。同作には(仏)のアーティト、 フェリシア・アトキンソンも参加している。7月下旬、渡邊主催レーベルより配信限定リリース予定。

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コロナウィルスによって世界が激変しました。あなたの生活や表現にどのような影響を及ぼしましたか?(渡辺琢磨)
願わくば、人びとが少し内省的になってもらえたらと。これからどのように生きたいか、どういう影響を世界に与えているのかを考えてもらえたらと思います。(アキラ・ラブレー)

ご友人の作曲家が収集したヒストリックな音とオープンリールが時代を越えてあなたの作品に生成変化したということでしょうか。あなたの作品はパーソナルでありつつ、出来事や他者との関わりから生まれた作品も多いような気がします。コラボレーションに関して考えをお聞かせください。とくにハロルド・バッドとの共作に関して個人的に興味があるのですが……

A:私にとってコラボレーションは常に難題です。自分のやり方がハードルを上げてしまうのです。去年リリースした『cxvi』(Boomkat Editions : BKEDIT018)ではコラボレーション作品に取り組みました。完成まで10年かかりましたが、結果には満足しています。ハロルド(バッド)は、素晴らしい人です。彼が自作の”Avalon Sutra”で作業をしていた時に、デヴィッド(シルヴィアン)が私たちを結びつけた。それで友達になりました。彼の場合一緒に作業するのはとても楽でしたよ。

そういえば、私もデヴィッドを介してあなたとドイツでお会いしましたね。話しは変わりますが、コロナウィルスによって世界が激変しました。あなたの生活や表現にどのような影響を及ぼしましたか? また、こういった厳しい状況をどう捉えていますか? よろしければ教えてください。

A:パンデミックが表現にどのように影響するか説明するのは難しいですね。私はというと、作業する時間が増えました。願わくば、人びとが少し内省的になってもらえたらと。これからどのように生きたいか、どういう影響を世界に与えているのかを考えてもらえたらと思います。

ありがとうございます。全米では、ジョージ・フロイドさんが白人警官によって殺害された事件を期に大規模なプロテストが起こっており、この抗議デモはいまや世界中に広がっています。あなたが住んでいるエリア(イリノイ州シカゴ)での状況を教えていただけますか。

A:私は、シカゴのダウンタウンから電車で北に一駅のところに住んでいるので、デモが自宅のあたりまで来ます。数千人のプロテストの参加者が通り過ぎていくのを見ました。私が目撃したデモはとても穏やかで、まるでパレードのようでした。残念なことに一部の地域はとても危険な状況で、ニュースでも見ましたが衝撃的でした。

ドナルド・トランプは事件発生当初は傍観し、後に差別や暴力を煽るような発言をまたしてもツイッターやメディアで繰り返しています。このことは世界的に報道されています。

A:彼や彼の支持者が合衆国に対して行なってきたことは悲しく、恥だと感じています。意図的に無視することや、悪意のある不寛容を賞揚し正当化することは容認できません。

日本ではアーティストやセレブリティーの政治発言は敬遠される傾向があります。これは米国の状況とは異なると思いますが、アーティストが政治に言及することについてどう思われますか。

A:思うに、私は誰からも学ぶことができる……キム・カーダシアン(※著名なモデル)から何か学べるだろうか? わかりません。アートとアーティストは同じではないということを憶えておくのは大事だと思う。ヒーローに実際会ってみるとたいてい、幻滅しますからね。

あなたは過去に何度か日本を訪れていますね?

A:日本は好きです。素晴らしい瞬間の記憶がたくさん残っています……舞踏の先生と一緒に踊ったり、新宿で道に迷ったり、新幹線でコーヒーとカツサンドを食べたりしたこと。福岡の小さなレストランで友人と“タクシードライバー”の酒を飲んだこと、日本の風呂、東京でカラスと歌ったこと、誰もいない山形のホテルのバーでマンハッタンを飲みながら雪が降ってくるのを眺めたこと、神社で節分のキャンディーをキャッチしたこと。こうした瞬間、というより、やはり人なんですよ。

その“タクシードライバー”のお酒のラベルは知人のアートディレクター、映画ライターの高橋ヨシキさんによるデザインですよ。

A:そうなのか!? ワオ、それは最高だね。


 アキラ・ラブレーと音のやり取りをしていると──ピアノや弦の音が変調するように──生活時間は“歪み"、日常も“変異"していく一方、均質化された思考や審美性、価値観等は解体されていく。蝋燭の炎のように小さくゆらゆらと持続/変化する音が、現実を明るみに出していくような行程は「内」から「外」を求めつづけた暗澹たる日々の羅針盤のように作用した。パンデミック後、最初のメールではお互いの国のこと、見えている景色のこと、国政等々についてやり取りし、美味しいお茶の淹れ方を(何の脈絡も無く)教えていただいた。ソフトウェアやコードは書く人つくる人次第で、詩にもなるし、社会問題を提起することもできる。(ele-king booksから出版されている『ガール・コード』も是非ご参照ください。)私もC言語の勉強を再開しましたが……早くも挫折寸前です……。アキラ・ラブレーとの音の往来は、7月下旬リリース予定の染谷将太監督『まだここにいる』recomposed project に収蔵されています。詳細は適時こちらから(https://www.ecto.info/

 

アキラ・ラブレー(Akira Rabelais)
テキサス南部で生まれ。作曲家、ソフトウエア設計者、著述家。ビル・ディクソンに作曲、および編曲を学び、カリフォルニア芸術大学では 電子音楽のリーダーであるモートン・スボトニックおよびトム・エルベに師事し修士を修める。幼少期、彼は農場を囲んでいた有刺鉄線を金属板に打ち付けることによって最初の楽器を作り出した。 その後、音や映像を巧みに歪めたりノイズ を加えるなどの操作ができる独自のソフトウェア「Argeïphontes Lyre」を開発。彼は自身のソフトウェアを書くことを詩を書くことになぞらえる。数あるフィルターは形骸化蘇生法、ダイナミックFM音源、時間領域 変異、そしてロブスターカドリールなど独特な言葉で綴られているように。

Akira Rabelais official https://www.akirarabelais.com/
bandcamp https://akirarabelais.bandcamp.com/

Villaelvin - ele-king

 2000年代にはリアルなアフリカを舞台にした超大作がハリウッドでも次から次へとつくられ、小品にも忘れがたい作品が多かったものの、現在では『ブラックパンサー』のようにおとぎ話のようなアフリカに戻ってしまうか、そもそもアフリカを舞台にした作品自体が激減してしまった(90年代よりは多い。あるいはセネガルなど現地でつくられる作品にいいものが増えてきた)。アフリカに対する注目は音楽でも同じくで、ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロがライヴ・エイドから20周年となる2005年に世界8大都市で「ライヴ8」を同時開催し(日本ではビョークやドリームズ・カム・トゥルーが出演)、G8の首脳にアフリカへの支援を呼びかけたり、ベルギーの〈クラムド・ディスク〉がコンゴのコノノNo. 1をデビューさせてアフリカの音楽に目を向ける機会を増大させてもいる。これに続いてデイモン・アルバーンはアフリカ・エクスプレスを組織したり、コンゴの現地ミュージシャンたちと『DRC Music』を制作、ベルリンのタイヒマン兄弟も同じくケニヤなどに赴いて『BLNRB(ベルリンナイロビ)』や『Ten Cities』といったコラボレイト・アルバムを、マーク・エルネスタスはセネガルでジェリ・ジェリ『800% Ndagga』をそれぞれつくり上げている。こうした動きはしかし、第1次世界大戦前にイギリスとドイツが次々とアフリカ各地を植民地にしていったプロセスともどこか重なってみえる、個々の動きとは別に全体としては複雑な感慨を呼び起こす面もある(ディープ・ハウスのアット・ジャズが早くから南アフリカのクワイトにコミットしていったことも多面的な要素を持つことだろう)。アフリカの音楽産業は、規模でいえば1に南アフリカ、2にナイジェリアである(北アフリカとフランスの関係は煩雑になりすぎるので省略)。西アフリカを代表するナイジェリアではイギリスとアメリカの資本が暴れている一方、この数年で東アフリカを代表し始めたのがウガンダで、同地にもイギリスやドイツ、そして中国の資本が相次いで投入されている。イギリスのコンツアーズとサーヴォが現地のパーカッション・グループとつくり上げた『Kawuku Sound』、ゴリラズのジェシ・ハケットによる『Ennanga Vision』……等々。

 「先進国から来る人たちは演奏を録音して持って帰るだけ。出来上がったものを聞かせてもくれない」という不満は以前から少なからずあったらしい。アフリカと先進国の関係を変える契機が、そして、クラブ・ミュージックとともにやってくる。ウガンダのクラブ・ミュージックを牽引してきたのはDJ歴20年を超えるDJレイチェルと、2013年ごろから始動し始めた〈ニゲ・ニゲ・テープス(Nyege Nyege Tapes)〉である。東アフリカ初の女性DJとされるDJレイチェルはレコードも売っていないし、わずかなCDも高価で手の届かないものだったという90年代からDJやラップを始め、それは彼女が中流で、平均的な家族よりもリベラルな親だったから可能だったと本人は考えている(https://blog.native-instruments.com/globally-underground-dj-rachaels-journey/)。ウェデイング・プランナーとして働く彼女は結婚式で使うサウンドシステムをDJでも使いまわすことでなんとか生計を立てているようで、CDJが国全体でも3台しかないというウガンダではレンタルも簡単にはできないという。一般的にウガンダで音楽を楽しむにはスマホしかなく、それは『Music From Saharan Cellphones』(11)の頃も現在もあまり変わっていないらしい。ヒップホップからゴムまで横断的に扱うDJレイチェルの流儀に応えるかのようにして、そして、〈ニゲ・ニゲ〉がスタートする(詳細はあまりに膨大なので詳しくは→https://jp.residentadvisor.net/features/3127)。〈ニゲ・ニゲ〉の特徴を2つに絞るなら最新のエレクトロニック・ミュージックと伝統的な過去の音楽を等価に扱っていること、そして、ウガンダだけではなく、南に位置するケニアやタンザニア、あるいは西アフリカのマリやマダカスカル島東方に浮かぶレユニオンで活動するプロデューサーたちの音源もリリースしていることだろう(〈ニゲ・ニゲ〉のリリースで大きな注目を集めたタンザニアのシンゲリを紹介するコンピレーション『Sounds Of Sisso』については→https://www.ele-king.net/review/album/006179/)。〈ニゲ・ニゲ〉自体は音楽を生み出す母体として機能しているというよりDJ的な編集センスで存在感を示しているといえ、その頂点に位置しているのが現在はカンピレ(Kampire)である。DJレイチェルと同じくアクシデントでDJになったというカンピレは音楽に対する知識がなかったことが幸いしたと自身のユニークさを説明する。彼女がミックスすると、嫌いだった曲まで魅力的に聞こえてしまうので、僕もかなり舌を巻いた(ということは以前にも当サイトで書いた)。

 「ウガンダのアンダーグラウンドはどんどん大きくなっている。〈ニゲ・ニゲ〉は国際的に認知され、多くの西側メディアがウガンダを記事にしている」(DJレイチェル)


 そして、〈ニゲ・ニゲ〉が2018年にクラブ専門のサブ・レーベル、〈ハクナ・クララ(Hakuna Kulala)〉をスタートさせる(ようやく本題)。「安眠」というレーベル名とは裏腹にあまり聞いたことがない種類のベース・ミュージックをぶちかますケニヤのスリックバック(Slikback)やウガンダのエッコ・バズ(Ecko Bazz)などアルバムが楽しみなプロデューサーばかりが名を連ねるなか、〈ニゲ・ニゲ〉のハウス・エンジニアを務めるドン・ジラ(Don Zilla)と、ベルリンからやってきたエルヴィン・ブランディによるユニット、ヴィラエルヴィン(Villaelvin)のコラボレイト・アルバム『Headroof』がまずは群を抜いていた。バンクシーのように公共空間を使ったアート表現でも知られるというブランディはこれまで3人組のイエー・ユー(Yeah You)として4枚の実験的なアルバムをリリースした後、ソロでは本人名義の「Shelf Life(賞味期限)」などでアルカもどきの極悪インダストリアル路線をひた走り、とくにアヴリル・スプレーン(Avril Spleen)名義では混沌としたサウンドを背景にリディア・ランチばりの絶叫を聞かせてきた(それはそれで完成度の高い曲もある)。これがドン・ジラと組んだことでグルーヴを兼ね備えたインダストリアル・テクノへと変化。ドン・ジラ自身は昨年、やはり〈ハクナ・クララ〉から「From the Cave to the World」でデビューし、シンゲリを意識したようなトライバル・テクノや不穏なダーク・アンビエントを披露したばかり(コンゴ出身の彼は自分の音楽をコンゴリース・テクノと呼んでいる)。2人が起こしたアマルガメーションはアフリカとヨーロッパの音楽が混ざり合うという文脈でもすべてが良い方に転んだといえ、それぞれの音楽性が互いにないものを補完し合うという意味でも面白い結果を引き出している。インダストリアル・ノイズをクロスフェーダーで遊んでいるようなオープニングからシンゲリにはない重量感を備えた“Ghott Zillah”へ。タイトル曲の“Headroof”ではコロコロとリズムが変わる優雅なインダストリアル・アンビエントを構築し、これだけでも次作があるとすれば、それは〈パン〉からになるような気がしてしまう。ゴムをグリッチ化したような”Ettiquette Stomp”からアルヴァ・ノトとDJニッガ・フォックスが出会ったような“Zillelvina”へと続き、”Hakim Storm”ではチーノ・アモービを、ダンスホールを取り入れた“Kaloli”ではアップデートされたカンをもイメージさせる。全編にわたって知的でダイナミック。想像力とガッツにあふれたアルバムである。



〈ハクナ・クララ〉の最新リリースはアフリカ・エクスプレスにも参加していた南アのインフェイマス・ボーズによるメンジ(Menzi) 名義のカセット「Impazamo」で、これがなんとも不穏でダークなインダストリアル・ゴムに仕上がっていた。〈ニゲ・ニゲ〉がこれまで大々的にプッシュしてきたシンゲリとはだいぶ異なっった雰囲気であり、こうした方向性はしばらく維持されるに違いない(シンゲリを発展させたリリースももちろん〈ニゲ・ニゲ〉は続けている)。さらには、この夏、〈ニゲ・ニゲ〉の最初期からリリースを続けてきたナイヒロクシカ(Nihiloxica)のデビュー・アルバムが〈クラムド・ディスク〉から、という展開も。母体をなすのはドラムセット1人に7人のパーカッションが加わったウガンダの伝統的な打楽器グループ、ニロティカ・カルチャラル・アンサンブル(Nilotika Cultural Ensembl)で、この編成で彼らは昨年、〈メガ・ミュージック・マネージメント〉から『KIYIYIRIRA』というラヴリーなアルバムをリリースしたばかり。これにイギリスでアフロ・ハウスの佳作を連打してきた〈ブリップ・ディスク〉から“Limbo Yam”をリリースしていたスプーキー~Jとpq(もしかして〈エクスパンディング・レコーズ〉から『You'll Never Find Us Here』をリリースしていたpqか?)がプロデュースとシンセサイザーで加わり、ニロティカにニヒリズムの意味を加えたナイヒロクシカと名称を変形させたもの(pqは前述したエッコ・バズのプロデューサーも務めている)。イギリスの地下室とアフリカの伝統を結びつけたと自負するナイヒロクシカは2017年に〈ニゲ・ニゲ〉からカセットでデビューし、1年間ツアーを続けたことで伝統音楽「ブガンダン」に対する理解を深めたと確信し、そのままスタジオ・ライヴを収めたEP「Biiri」を昨年リリース、これをアルバム・サイズにスケール・アップさせたものが『Kaloli』となる。怒涛のドラミングは冒頭からアグレッシヴに響き渡り、まったくトーン・ダウンしない。次から次へとポリリズムが乱れ飛び、スリリングなドラミングをメインにした構成はさながら23スキドゥー『Seven Songs』の38年後ヴァージョンだろう。本人たちはこれを「ブガンダン・テクノ」と称し、「不吉なサウンド」であることを強調してやまない。エンディング近くに置かれた“Bwola”などはそれこそ『地獄の黙示録』でウィラード大尉が血だらけの顔を河から浮かび上がらせたシーンを思わせる。エンディングでは少し気分を変えるものの、全体に漲るパッションはとても暗く、情熱的である。

 世界中からヴォランティア・スタッフが集まり、4日間も続くという〈ニゲ・ニゲ・フェスティヴァル〉(CDJは2台!)はもちろん警察から狙われ、今後は新型コロナウイルスの影響も避けられないだろう。ウガンダはしかし、政府がしっかりとした広報機能を兼ね備えていないらしく、コロナ対策もオーヴァーグラウンドで人気のヒップホップやダンスホールが音楽に乗せて民衆にその知識を伝え、いまのところ死者はゼロだという。つーか、タンザニアでも6月7日に終息宣言が出たものの、「神の恩恵により新型コロナウイルスを克服できた」というマグフリ大統領の言葉を聞くとかえって不安に……。韓国とともにメガ・チャーチが猛威を振るうウガンダはLGBTに対してかなり厳しい視線を向けるらしく、前述したDJレイチェルもレズであることがわかった途端に友だちを何人か失ったそうで、〈ニゲ・ニゲ〉に集まる人たちのなかには、そこが「安全地帯だから」という理由も少なからずあるらしい。

 健全なオーヴァーグラウンドがあり、必要なアンダーグラウンドが機能している。ウガンダの音楽状況をイージーにまとめるとしたら、そんな感じになるだろうか。そして、それはなかなか容易に手に入るものではない。

YG - ele-king

 去る6月12日、LAのラッパー YG が新曲 “FTP” (「Fuck the Police」の略)をリリースしている。タイトルからして意図は明白だが(彼はこれまでにも警察の暴力を批判する曲を発表している)、このMVがまたよくできているのだ。「暴動は声なき人びとのことばである」というマーティン・ルーサー・キングの引用によって幕を開けるこのヴィデオでは、現在各地で起きている BLM の運動や暴動、警察が暴力をふるう瞬間の映像などが丁寧に編集され、織り込まれている。

 この曲がアップされた12日、アトランタではまたも黒人が警察によって死に至らしめられる事件が起こっており、それに対する抗議デモが13日に実行されているが(もちろん BLM 全般の運動も各地で生起)、他方ロンドンでは反人種差別のデモとそれに対抗する極右のフーリガンたちが衝突、警官たちとも揉め、100人以上の被逮捕者が出る事態となっている(https://www.theguardian.com/world/2020/jun/14/met-police-condemns-mindless-hooliganism-far-right-protesters-london)。
 東京でも13日と14日に BLM に賛同するデモが実行されたが、とくに14日は4000人の参加者が集まり、2011年の反原発デモと比肩する規模と言ってもいいくらいのデモとなった。

 ふだんブラック・ミュージックから多大な影響・恩恵を受けた音楽を扱っているわれわれとしては、今後も現在起きていることの動向を積極的に追っていきたい。

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