ラジオから普通にディープ・ハウスが流れてくるでしょ。もうそれだけで興奮だった!
突然、アットジャズからメールが来た。いま日本にいるという。驚いた。彼は手に負えない飛行機嫌いで、昔彼と知り合った頃、イングランド中部の小さな街、ダービーで暮らすこのディープ・ハウスのDJを日本に呼びたくても叶えられなかった人間からすると、それはかなりの驚きだった。
アットジャズは、ハウス好きのあいだではすっかり有名な名前で、彼のソウルフルでファンキーなハウスは依然として評価が高い。〈インナーヴィジョンズ〉からもシングルを1枚出しているし、ここ数年はディクソンズやアームやトーキョー・ブラック・スター等々と一緒に、いわゆる"ニュー・ハウス" ムーヴメントの一員としても知られている。
アットジャズことマーティン・アイヴソンを僕に紹介したのは赤塚りえ子だ。1997年だった。当時まだ20歳ぐらいだったマーティンは、UKでもっともアナーキーなパーティ集団、ノッティンガムの〈DIY〉のコンピレーションに参加していた。のちにハーバートの〈サウンドライク〉からアルバムを発表する最年少のブルックスは当時はまだ16歳の高校生だった。マーティンやブルックスは地元ダービーで、友人のアンディと一緒に〈マンティス〉レーベルの一員として活動していた。赤塚りえ子は、たまたまダービーに住んでいて、いつの間にかその小さな街の小さなハウス・コミュニティのひとりになっていた。もちろん誰一人として彼女が天才バカボンの娘であることなど知らなかった......。彼女はボーイフレンドのジョン・レイト(後のハーバートのマネージャー。現在は音楽コーディネイター)と頻繁にレコード店に足を運ぶ日本人で、やたら渋い音楽ばかりを漁る音楽ファンしてレコ屋のスタッフから密かに評価されていたという、それがまあ、契機となった。音楽のコミュニティとは、それが輝くときは信じられないほど綺麗に輝くものなのだ。
マーティンの家に何日か泊まって、みんなで〈DIY〉が主催するフリー・パーティに出掛けたこともあった(それは実にスリリングな夜だった)。ダービーの、小さいけど熱いディープ・ハウスのクラブ・パーティに出掛けて、朝までぐだぐだ遊んだこともあった。彼らは......ある意味はわれわれと近いライフスタイルだ。ニューヨークの華麗なゲイ・カルチャーではないし、デトロイトの過酷なゲットーでもない。平日は働きながらこのシーンに携わっているような、われわれの身近にいるような連中なのである。
■ふたりは何年ぶりに会ったの?
マーティン:4年ぶりくらい?
赤塚:そうだね、私が日本に帰ってくる前に会っているから3年半ぶりくらいかな。
■そっか、むちゃくちゃ久しぶりって感じでもないんだね。
赤塚:そうそう。
■ちなみに、ふたりが最初に出会ったのは何年だったか覚えている?
赤塚:1996年!
マーティン:その頃だね。しかしリエコがダービーにたった2年しかいなかったなんて、いまだに信じられないな(笑)!
赤塚:95年、つまりダービーでの最初1年目はなかなか知り合いもいなかったけど、足しげく地元のレコード・ショップに通って顔を覚えてもらって、マーティンとは2年目の96年に出会ったんだよね。あー、なんだっけあのレコード・ショップの名前?
マーティン:〈ウェアヘッド〉でしょ?
赤塚:そうそう、〈ウェアヘッド〉!
■ブルックスのお兄さんが働いていたところだよね。
赤塚:そうそう、懐かしい! ジョン(・レイト)はそこで〈マンティス・レコード〉の12インチをむちゃくちゃ買っていた。〈マンティス・レコード〉の記念すべきファースト・リリースもそこで買ったんだよ。
マーティン:嬉しいね。
[[SplitPage]]■ふたりは直接どのように知り合ったの?
赤塚:アンディ(・ブルックス)とかクライウ゛(・アスティン)とか、その辺りの人たちの紹介だったと思う。
マーティン:たしかレコード・ショップから繋がっていったんじゃなかったっけ。
■それこそ僕がダービーに行ったときは、リッキーやマーティンに連れられて、DIYのフリー・パーティに連れて行ってもらったんだよね。あのときはリッキーが警察の壁を突破したんだよ(笑)。
赤塚:懐かしい(笑)! パーティを取り締まる警察に囲まれて大変だったんだ。
マーティン:覚えてるよ(笑)。警察が来てパーティが無理矢理中止させられそうになったんで、オレたちは面倒くさくなる前に逃げ出そうとしたんだ。
■そうそう! 帰りの車の中で、誰かが「クソみたいな警察だ」って言ったら、マーティンが「あれはまだマシな警察だ」って言ったのを覚えてる。
赤塚:ともかくいい体験をさせてもらったな。
■本当だね。ふたりはダービーにいた頃はそんなワイルドな生活ばっかりしていたの?
マーティン:いやー、あの当時、ああいうパーティはそんなに頻繁にあるものではなくて、年に2~3回くらいのペースでしかやれていなかったと思う。
赤塚:クリミナル・ジャスティスが施行される以前は、ああいうフリー・パーティももっとたくさんあったんだと思うけどね。
マーティン:その通りだよ。
■リッキーにとっては〈マンティス・レコード〉やダービー・ポッセの存在ってものすごく大きいんじゃない?
赤塚:そりゃとんでもなく大きいよ。95年と96年にいて、それが私とディープ・ハウスとの出会いでもあったから。
■その頃のUKのクラブ・ミュージックと言えば、ドラム&ベースがすごかった時期でしょ。それがああやって北部やミッドランドのローカルなシーンではディープ・ハウスが元気だったというのがまた面白いなあって。
マーティン:ほとんどのアンダーグラウンドなパーティは、レコード・ショップやレーベルの人間が中心になっておこなっていたよね。
■当時、アットジャズが面白いってリッキーから真っ先に紹介されたわけだけど......。
赤塚:そもそも私は音楽が好きだからという理由でイギリスに行ったんだけど、そうしたら、ダービーという日本ではあまり聞き慣れない町で、音楽を本当に愛している人たちによるものすごいピュアなシーンに偶然遭遇することができて、本当に感動したんだよね。レコード屋さんでいいレコードを見つけたときの感動とはまた別の、実際に音楽を作って、パーティをやっている人たちの熱気のなかに放り込まれて、貴重な発見や体験をすることができた。それって私にとってはものすごい大きなことだった。
マーティン:リッキーからそういう話をはじめて聞けて、嬉しいよ。
赤塚:ラジオから普通にディープ・ハウスが流れてくるでしょ。もうそれだけで興奮だった。
■日本にはないからね。
赤塚:アットジャズの音楽もすごく好きだった。それまではテクノばっかり聴いていたから、実はハウスの魅力ってあんまりわかっていなかったけど、ダービーで完全に目覚めた(笑)。あとその当時って〈イエロー・プロダクションズ〉とかモーターベースのようなフレンチ・ハウスとかも流行っていたから、どんどんディープ・ハウスを聴くようになった時期でもあった。
マーティン:エティエンヌ・ド・クレイシーとか『スーパー・ディスカウント』みたいなね。
赤塚:うわー、懐かしいね。大好きだった(笑)!
■その当時、ダービーの連中が「いいDJってのはベーシック・チャンネルをマイナス8でミックスするDJだ」って言っていたのをすごくよく覚えているんだけど。
マーティン:だははは、よく覚えていないけど、たしかにそうだと思うよ。実際、その当時は僕もベーシック・チャンネルのレコードをたくさん買っていたしね。
赤塚:私もよく買ってた。よくジョンとふたりで誰も買わないようなダブのレコードやそれこそベーシック・チャンネルのレコードを買って、店員さんに「あのふたりまた渋いの買ってたよー」みたいな感じで密かに注目されてて......、あ、思い出した! それで音楽の趣味が合うんじゃないかってことで、アンディたちと話すようになって、パーティに誘ってもらったりして、その繋がりでマーティンと出会ったんだ! いま思い出したよ(笑)!
マーティン:だはははは。とにかくジョンとリエコはパーティでもいちばんのお客さんだったよ。〈ウェアヘッド〉のオーナーのトムのことは覚えてる? 彼はたったの10ペンスでレコードを売ったりしていた。
赤塚:はははは、覚えてる! そうなんだよね、彼はあまりレコードの相場をわかっていなくて、セールになると、デトロイト・テクノなんかをものすごい安い金額で売ってたんだよね。当然、私たちはそれに飛びついて買いまくってたんだけど(笑)。
マーティン:そうそう! あとあの頃、自分たちのパーティにシカゴからジェミナイを呼んだこともあったっけ。
赤塚:呼んだねー。
■だってマーティンはその当時、ロン・トレントの〈プリスクリプション〉とか、シカゴのディープ・ハウスにハマっていたもんね。
マーティン:あははは、そうだね。
[[SplitPage]]■そういえば、マーティンに初めて会った時に、グラストンベリーでジ・オーブを聴いたときに思いっきりぶっ飛んだって話を聞いたんだよね(笑)。
マーティン:オー、そんな話よく覚えてるね! ちょうどアンビエント系の音楽にハマっていた頃で、当時僕は19歳だった。3年ぐらいアンビエントにハマっていた時期があったね。
■ちなみに、その後のダービーのシーンはどういう感じなの? 新しい世代は出てきてるの?
マーティン:いや、難しいところだね。ノダがいま再びダービーに来たら、ずいぶん寂しくなったと感じるかもしれないね。いくつかのクラブはなくなってしまったし。
■でもマーティンはいまだに〈インナーヴィジョンズ〉とかから積極的にリリースしているじゃない?
マーティン:でもいまはシーン自体はそんなに活気があるとは思えないな。新しいジャンルやサウンドはたしかに出てきているけれど、当時に比べるとシーンは全然エキサイティングなものじゃないね。いまのテクノロジーを使えば誰でもある程度の音楽は作れるようになった。でも同時に似たような音楽ばかりが氾濫する結果になってしまっているような気がする。テクノもハウスもヒップホップも似たようなものばかりだ。
■まあ、逆に言えば、当時のUKが活気があり過ぎたとも言えるのかもしれなしね。
マーティン:ほんとその通りだと思うよ。いろいろな理由があるかもしれないけれど、当時に比べて、どういうわけか音楽から得られる感動が減ってきたような気がする。ともかくダービーではアンダーグラウンドな音楽を売ったり、聴けたりする場所はなくなってしまった。
赤塚:みんなダウンロードしているのかな?
マーティン:イギリスではほとんどの人がダウンロードに移行しているね。しかも多くの人が違法ダウンロードにより、無料で音楽を手に入れているのが実状だよ。
■そりゃあ大変だ。
マーティン:いまやイギリス人の音楽に対するモラルはかなり希薄なものになってきたね。
■ふむ。でもイギリスがそうなってしまたっら悲しいなあ。......そういえば、マーティンは『天才バカボン』をもう読んだの?
マーティン:いや、実はまだコミックは読んだことがないんだ。でもとくに日本に来て、いろいろなところでキャラクターを見かけてビックリしているよ。本当に有名なキャラクターなんだって実感してる。
■マーティンは『天才バカボン』をジャケットに使用している世界でも唯一のハウス・プロデューサーだもんね。
マーティン:偉大なお父様の作品をジャケットに使わせてもらって、本当に光栄に思っているよ。
赤塚:こちらこそ、ありがとう。
■リッキーの親父さんって、イギリスで言えば、ジョージ・ベスト並の知名度だからね。
マーティン:すごいね......。
■しかし世界で唯一の『天才バカボン』のジャケットが、マーティンだっていうのが、なんともいい話だなって思って。
赤塚:あははは、そうだね。
■でもさ、アットジャズと言えば大の飛行機嫌いじゃない。その当時、リッキーがアットジャズという名のものすごいDJがいるから日本に呼びたいんだけど、彼は飛行機が嫌いらしくて実現できないかもしれないって悔しがっていたくらいだもんね。それがなんでいま。軽々と目の前にいるのかって(笑)。
マーティン:いまでも飛行機は大嫌いだよ。13時間、ずっと寝てきたんだ。
赤塚:本当によく来れたよね。いま日本でこうやってマーティンと会えていること自体、奇跡みたいで本当に嬉しい。初来日だもんね。
■いまイギリスでDIYみたいなフリーレイヴはあるの?
マーティン:本当に稀に、1年に1度くらいはあるね。
■どのくらいの人が集まるの?
マーティン:200人前後かな。
■ダービー・ポッセはどうなったの?
マーティン:いまはバラバラだね。活動期間は13年間だったかな。アンディはベルリンから帰ってきていまはマンチェスターに住んでいるよ。〈マンティス・レコード〉のような小さなインディ・レーベルにとっては厳しい時代になってきたから、いまだ解散したままだね。
■13年もやっていたんだね。
赤塚:すごいことだよ。
■実はね、自分でDJをするときは、いまだに必ず〈マンティス・レコード〉のレコードをプレイするんだよ。リッキーがレコードをくれたからね。年末のパーティでもかけたよ。
マーティン:嬉しいね。
■じゃあ......、最後にマーティンに前向きな発言をして締めて欲しいね。嘘でもいいから、前向きな(笑)!
マーティン:時代は変わっても、ハウス・ミュージックは必ず残って受け継がれていくと確信しているよ。音楽はハートで感るもの、そういう音楽の感じ方、楽しみ方は、絶対になくならないよ。
■昔、マーティンにダービー仕込みのハウスのダンスの仕方を伝授させられたんだ。
赤塚:そうそう、鶏に餌をまくようなダンスでしょ(笑)!
マーティン:だははは!
ちなみにアットジャズは、現在のところ3枚のアルバムと1枚のリミックス・アルバムを出している。最新作は、2008年に〈マンティス〉レーベルから出た『Full Circle 』。とても素敵なジャジー・ハウスで、1曲、ロバート・オウェンスが歌っている。また最近は自分のレーベル〈Atjazz〉もはじめている。
https://www.atjazz.co.uk/
ジンクvsスクリームの強力タッグが復活した! 2006年にダブステップ浮上のきっかけになった大ヒット・トラック"Midnight Request Line"のリミックス以来、久々のコラボレーションが実現。まさにキャッチー・フロア・アンセムの登場だ。いまやすっかりダブステップ界のトップに上り詰めたスター・プロデューサーのスクリーム、そしてDJジンクのほうも前作のときとは状況が違う。ジンクと言えば、今はエレクトロ・ハウス/UKファンキー/クラック・ハウスを牽引するベース・レジェンドである。そして、今回のコラボレーションによって生まれたこの作品は、前作の流れを汲みつつ、しかししっかりと現在のトレンドも注入したもので、シンプルだがまったく新しいパーティ・トラックである。これによって、"クラック・ダブステップ"が生まれたと言えよう。
こ、これは! 聴いた瞬間そう思った......背筋を走り抜けた衝撃の余韻がいまでも感覚として残っている。いったい何だろう......この感覚は......鳥肌が止まらない。いま、執筆しているときでも残っている。頭から離れないコードのメロディ。もしかしたら巡り会ったのかもしれない。自身が思い描く最高の曲の地点に限りなく近い作品に......ひとつ言えるのは、明日から向こう1年いや2年、自身のDJバックに"必ず" 入ることが決定したことだ。












