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やはり、アニマル・コレクティヴの『Merriweather Post Pavilion』がティッピング・ポイントということになるのだろうか、ここ数年、USインディ・ロックはすっかりサイケデリックづいていて、今年に入ってからも、MGMT『Congratulations』のビッグ・ヒットを筆頭に、ザ・ウッズ主宰〈Woodsist Records〉周辺のローファイ・リヴァイヴァルや、ザ・フレーミング・リップスとスターデス・アンド・ホワイト・ドワーフスによる、そのものズバリな『The Dark Side of The Moon』のカヴァー・アルバム等、ますます勢いを増している。しかし、それらの音がオリジナル・サマー・オブ・ラヴ世代と趣を異にしているのは、その深いディレイが、現実に対してかけられるのではなく、自分たち自身に対してかけられているというか、実に現実逃避的で、しかし、内省的というよりは、そう、母体回帰的な響きを持っているということだ。そこには、バラク・オバマでさえ焼け石に水だった政治への圧倒的な不信感が表れているのだろうが、彼らが現代のヒッピーだったとして、Pファンクやスライ&ザ・ファミリー・ストーンといったブラック・サイケデリアの役割を反転させつつ担っているのが、キッド・カディの『Man on The Moon』であり、トロ・イ・モワの『Causers of This』であり、この、フライング・ロータスの『コスモグランマ』だ。何しろ、母体回帰的という点で言うならば、スティーヴン・エリソンは本作を、母の死から受けた精神的なショックを芸術的に昇華するため、ジメチルトリプタミンでファックト・アップしながらつくったという。これ以上の例があるだろうか。
あるいは、本作のタイトルである、ギリシャ語で"文字"を意味する"gramma"と、やはりギリシャ語で"秩序"や"美"を意味する"kosomo"より派生した"cosmo"を合わせた造語を下に、母体を、スター・チャイルドを包み込む宇宙と読み解けば、自身の生まれた年を掲げた06年の『1983』から、自身の生まれ育った街を掲げた08年の『Los Angeles』、そして、本作へという飛躍は、彼が敬愛するMC、NASの初期三作のジャケットにおける三段活用(少年→青年→ツタンカーメン)を思わせるし、つまり、この26歳のトラックメーカーは、サン・ラにはじまり、ジェフ・ミルズを経由して脈々と続くアフロ・フューチャリズムーーその世界認識では、ホーム・タウンと、宇宙として象徴化されたアフリカ大陸という失われた故郷が、媒介なしに繋がっているーーの歴史に名を連ねることになったのだ。または、"空飛ぶ睡蓮"というアーティスト・ネームがすでに予告していたように、彼の身体の中に受け継がれていたジョン・コルトレーンとアリス・コルトレーンのスピリチュアリズムが、いよいよ花開き、空へと舞い上がったのだと。
00年代版『エンドトロデューシング...』として多くのフォロワーを生んだ前作の、そのリミックスを纏めた『LA CD』は、言わばLAを中心とした新たなシーンの見取り図だった。しかし、本作で、故郷を背に、宇宙へと旅立ってしまったフライング・ロータスは、フォーマット化されたグリッチ・ホップなど見向きもせず、早くも新たな領域に踏み込んでいる。ただし、かつて、音楽的な成長を求めて、同じ様にスピリチュアル・ジャズを模倣しようとしたものの、イージー・リスニングに成り下がってしまった所謂クラブ・ジャズやいち部のドラムンベースの轍を踏んでいないのは、生演奏を意欲的に取り入れつつも、全体の軸となっているのが、初期のジャングルを連想させる、チープで高速な、奇妙極まりない打ち込みのビートであるというところが大きいだろう。そんなハリボテ感は、一見、サイケデリックを演出する上では邪魔になっているように思えて、サーラーとスーサイダル・テンデンシーズという、LAが生んだ両極端なふたつのバンドに参加するスティーブ"サンダーキャット"ブラナーの蛇のように撓うベース・ラインや、自らの手による狼のように唸るサイン波ベースと絡み合いながら、深いエフェクトのブラックホールへと吸い込まれて行く時、えも言われぬトリップを生む。実際、サイケデリックを体験したことある人ならば、それが、子供騙しと深遠さが共存する感覚であることをよく知っているはずだ。その試みは、スクエアプッシャーの『Feed Me Weird Things』の時期や、我が国の誇るべきアンダーグラウンド・ダンス・ミュージック・シーンを引き合いに出せば、DJ Shhhという注目すべき才人とリンクしているようにも感じられる。あるいは、『鉄男』のヴィジュアルが浮かぶ、鋼鉄がグニャグニャと変化していくかのごとく、ヘヴィなのに軽やかなリズム・アプローチは、グッチ・メインの『The State vs. Radric Davis』をリキッドでヒタヒタにしたようにも。つまり、この、馬鹿馬鹿しくも崇高なアルバムは、伝統的であると同時に実験的であり、すでにグリッチ・ホップという文脈で語ることはできないどころか、同時代のサイケデリック・ミュージックの中でも頭ひとつ抜きん出ているのだ。政治性の欠落という点ではご他聞に漏れないが、いや、それこそが現代的なのだし、この空飛ぶレコードは、あなたをお望み通り、高く、遠く、そして奇妙な場所へと連れ去ってくれることだろう。
シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』......20世紀初頭の富裕なユダヤ系批評家が、その晩年に記した回想録だ。そこには戦前のヨーロッパの、香しく華やかにして洗練を極めた文化への追憶が、無量の感激、そして絶望とともに綴られている。大戦とそれが生み出した新しい秩序によって損なわれ、もはや二度と戻ってはこない"昨日の世界"。振り返られるものがことごとく美しいように、彼の筆になる"昨日の世界"も甘美だ。いや、彼らの時代の彼らの文化がもっとも美しいのだという気にさえなる。しかし過去の描写が冴えれば冴えるほど、彼自身が現実に対して抱いていた絶望の深さに思い当たって慄然とする。
というのはいささか大げさな前置きではあるが、ザ・ドラムスは"昨日の世界"を生きるバンドだ。それは昨今の安易なレトロ・ブームとは一線を画する。リヴィング・シスターズのようなモータウンのコスプレとも、モーニング・ベンダースの無邪気な懐古趣味とも違う。もっと徹底した"いま"への嫌悪がある。かといってお家芸的にヘヴィ・サイケを追求するデッド・メドウズその他のように、現実の向こう側へ突き抜けてしまった人たちでもない。そして、心からこの世に居場所のない、さまよい傷ついた魂を抱えてレイド・バックした詩人たち......アリエル・ピンクやガールズとも画然と異なる。
彼らは一級の役者だ。徹底的に"昨日の世界"を構築し、生き、魅せる。音にもヴィジュアルにも隙がない。彼らのアーティスト写真を見て誰がいまのバンドだと思うだろう? ネオサイケの耽美な憂鬱を溶かし込んだ、鈍いモノクローム。あるいはポスト・パンクのぎらぎらとしたモノクローム。カラー写真も、ネオ・アコースティックへのオマージュあふれる構図を持ちながら、どこかテクニカラー・フィルムを思わせたり、トイカメラ風の濃厚な発色を強調したものが多い。かのエディ・スリマンも彼らに惚れ込み、ホモソーシャルな視線が織り込まれた美しいモノクロ写真を撮っている。これは彼の公式ホーム・ページで見ることができる。
音もしかりだ。50年代のサーフ・ポップ的なモチーフを湛える一方には、〈ファクトリー〉初期の諸バンドにまたがるような......マーティン・ハネットのプロデュース・ワーク、あるいは同時期のグラスゴーにおける最重要バンドのひとつ、オレンジ・ジュースを彷彿させるヴィンテージなブリティッシュ・サウンドが鳴っている。それでいて曲自体はなんら屈折のない、いや、でき過ぎなくらいシンプルな2ミニット・ポップ。「起きて、ハニー。素敵な朝だよ。ビーチへ駆け出そう」
以前ミニ・アルバム『サマー・タイム』のレヴューでも書かせていただいたが、とにかく彼らは"いま"という問題設定や、等身大のリアリティを歌い上げるというポップ・ミュージックのひとつの使命を、そんなものは無粋とばかりにことごとくキャンセルしてしまう。そして颯爽と黄金律のソング・ライティングを開陳する。フックの効きまくったメロディはいつまでも耳に残る。中途半端なもの、ダサくて格好の悪いものは排除され、徹底した美意識によってトータルなバンド・イメージがコントロールされる。彼らはほんとに頭がいい。
いや、だからこそ「なんて嫌味なバンドなんだろう」と煙たく感じたものだった。もっとリスキーな音で未来を切り拓こうとしているバンドがいくらもいる。しかし、私が根負けしたということでいい。やっとフル・アルバムのリリースとなったわけだが、このあいだにザ・ドラムスの存在感がさらに大きなものとなってしまって驚いている。『NME』などUKのメディアから火がついたことも大きな要因だろうが、国内盤の帯には「2010年最大の話題」と謳われ、久しぶりにテレビをつければプジョーのコマーシャルに使用されているという具合だ。使用曲はベースの軽快なリフに口笛が印象的なミニ・アルバムの顔、"レッツ・ゴー・サーフィン"。フル・アルバムでもこの曲がハイライトになるだろうと思ったが、さらに強力なシングル曲がきっちりと1曲目に据えられていて、唸るしかなくなってしまった。バンドの核であるジョナサン・ピアース、そして相棒ジェイコブ・グラハム(実質的にザ・ドラムスとはこのふたりのバンドだ)の名がクレジットされた"ベスト・フレンド"は、朝聴けば1日中頭を回りつづけるだろう。この曲もまた、小躍りするようなベースとドラム・ビートを持っている。ピアースのクセのあるヴォーカル。メロディは彼らしいアディクショナルなリフレインを伴って耳に絡みつく。
だが、どんなにたわいもないことを歌っているのかと思えば、この曲のテーマは友人の死だ。もっとも大切な親友を失い、毎日思いつづけ、待ちつづける......「ぼくはどうやって生きていったらいいんだろうか」――詞には"アイ"の他は二人称"ユー"しか用いられず、相手が男性か女性かも判然とはしないが、曲調が度外れに明るいことが、詞の悲痛さを際立たせる。結びはこうだ。「ぼくは、ぼくがそれでも生きていくだろうということを知っている」
ザ・ドラムスにいまと未来への諦念があることは、私には間違いのないことのように思われる。ネオ・アコースティックなときめき感たっぷりの、甘美で胸躍るポップ・ソングというのは完璧な構築物だ。なぜならこの世界は「きみ」がいない世界だから。特定の人物でなくてもいい。彼らにとって大事ななにかを欠いた世界。だからこそ"昨日の世界"が歌われる。むしろそのような負の力がなければ、これほどブリリアントな曲は生まれないかもしれない。では、どうして世界を忌避しながらも歌うのか。「ぼくは、ぼくがそれでも生きていくだろうということを知っている」からだ。答えは"ベスト・フレンド"、冒頭曲にすでに記されている。
フル・アルバムは、ミニ・アルバムに比べればエッジが取れている印象だ。その分聴きやすいかもしれない。ジャケットも比較すればメジャー感が増している。フロリダの小さなマンションから生み出された、この哀しくも完璧なパントマイムが、世界という大きな舞台で試されようとしているのだ。見届けよう。
「大量破壊兵器(The Weapons Of Mass Destruction)」ではなく「数学破壊兵器(The Weapons Of Math Destruction)」というのが、バッファロー・ドーターにとって4年ぶり通算6枚目となるアルバムのタイトルである。なんとも含みのある言葉を冠したもので、これまでのバッファロー・ドーターを思えば今回の刺々しい政治性は、どうにも異質に思える。とにかくバッファロー・ドーターは帰ってきた。パンキッシュになって。
シュガー吉永、大野由美子、山本ムーグの3人によって1993年に誕生したこのバンドは、1996年にはビースティー・ボーイズの主宰する〈グランド・ロイヤル〉と契約を交わしている。そして、伝統的なロックのいかめしさに対するアンチ的なセンスとミニマルでダンサブルで独特のメロディ(ときに可愛いメロディ)を持つサウンドによって、コーネリアスや嶺川貴子、少年ナイフらとともにUSインディ・シーンにその名を刻んだ。カット・マスター・カット(ドクター・オクタゴンに参加していたDJ)やコーネリアスらによるリミックス・ヴァージョンでも知られる1998年の"Great Five Lakes"がバンドにとっての最初のピークだろう(というか......、セカンド・アルバム『ニュー・ロック』に収録されたこの曲が、僕が最初に好きになった曲なのです)。
クラウトロックとヒップホップの幸福な出会いとでも言えそうな"Great Five Lakes"を聴いていると、誰もいない広い草原へと瞬間的にテレポートされたような気分になる。とにかくそれは新鮮で、どこまでも心地よい。
![]() Buffalo Daughter / The Weapons Of Math Destruction Buffalo Ranch AWDR/LR2 7月7日発売 ¥2,500(税込) |
『ザ・ウェポンズ・オブ・マス・ディストラクション』は、そうした陶酔を遠い過去においやるアルバムとも言える。実験精神旺盛なこのバンドはいま、世界を覆う暗い風――しつこいけど、10年前にレディオヘッドやゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!が描いたもの――を見つめている。その暗さをバネに、力強く前向きな音楽を創出した、それが今回の新作である。
危険を冒した冒険者の生還のように、バッファロー・ドーターはいま晴れ晴れとしている。バンドのトレードマークとも言えるリフは鋭く鳴り、ビートはパワフルに響いている。このバンドが素晴らしいのは、いまでも音楽には前進の余地があると考え、その困難さに挑戦している点にあるが、その実験をいちぶのマニアにしか通じないものではなく、よりポップに捉えているところにある。それがコーネリアスとの共通点であり、そして相違点はバッファロー・ドーターにはどうしても伝えたいメッセージが込められている――ということである。『ザ・ウェポンズ・オブ・マス・ディストラクション』はそういう意味で、広く聴かれるべき作品となった。
3次元世界は、5次元からの見えざる力によって動かされていると。だから、いまの世界が悪い方向にいっているのも、5次元からの力によるものじゃないかという結論が出たんですよ。
■最初からコンセプトがあってはじまったんですか?
大野:ぜんぜん。もうー、とにかく出したい。4年も空いてしまって、もう出さないと。「出したい」という強い気持ちからはじまりました。コンセプトも何もなく、とにかくアルバムを作るんだと。
■4年という月日はどんな意味がありましたか?
大野:ホントは2年前に作っていたはずなんですけど、契約していた〈V2〉がなくなったんですよ。
■そうでしたよね。
大野:そのゴタゴタで出せなかっただけで。
■本来だったら2年前に出てたんですね。
大野:出てましたね。
■内容的にも同じモノが?
大野:たぶん違うと思う(笑)。
■じゃあ、2年前に録音していた音源は今回入っているんですか?
大野:いや、だから制作に入る前にレーベルがなくなっちゃったら。
■青写真もない?
大野:ない。そろそろ作ろうかっていうときになくなったから。
■4年のブランクはバンドにとって気になりましたか?
大野:気にはならなかったけど、レーベルを探すっていうのが大変だった。そのストレスはあった。
■音楽的な方向性で迷ったということはなかったんですか?
大野:それはなかった。それよりも実務的なことというか、いままではマネージャーがいて、バンドの3人がいて、それで話していたことが、今回は3人で話して、それをディストリビューターに伝えて条件を詰めていっていって......そっちのほうが大変だった。
吉永:この4年も、ライヴはコンスタントにやっていたし、フェスにも出ていたし、ただとにかく、アルバムを出す地盤となるレーベルを探すということに奔走したというか、これはものすごいエネルギーがいることなんですよね。私たちにとってはすごいエネルギーがいることだった。はっきり言って面倒くさいんですよ。
■まあ、それはそうですよね。
吉永:そういうのはあったんですけど、まあ、最終的にはもうレーベルを探すのを止めてしまって、自分たちでレーベルをはじめて、「バウンディみたいなディストリビューションを持っているところでやるのがいいね」と決まったのが......半年前とか?
■そのときはもう音はできていたんですか?
吉永:いやもう、自分たちのなかでは時間切れというか、「待っていても仕方がないから、とにかく音を作っちゃおうよ」、「最終的には自分たちで出すことができるんだし、どうにかなるよ」と。それで作りはじめたんです。
[[SplitPage]]だから、今回はラップでもやっちゃおうかなと。ただし、ラップをやるには言いたいことが明確にないと意味がないじゃないですか。言いたいことがしっかりあって、力強い音楽になっていないと意味がないから
![]() 山本ムーグ (photo by Yano Betty) |
■言いたいことがいっぱい詰まったアルバムだと思ったんです。いままでのなかでもっともメッセージ性の高い作品なんじゃないかと思うんですけど、そのあたりはどうですか?
大野:メッセージ・バンドではないんだけど、いままでの作品とくらべたら強く意志が出ていると思う。こういう時代、はっきりさせたほうがいいかなと。
■で、資料に書いてある物理学の話なんですが、どういう経緯で、数字や物理をテーマにしようということになったんですか?
大野・吉永:(ムーグ山本を指さす)
■はははは、ここでムーグさんの登場なんですね(笑)。
山本:先にコンセプトがあったわけじゃないんです。フリーハンドで絵を描くようにはじまっているから。ある程度の数、曲ができあがって、イメージがはっきりしない素材もたくさんあって、そのときにね......。その前からなんとなく「物理がいいね」という話はあったんですよ。シュガーなんかも物理とか言い出していて、それで3人で調べだしたというか。そしたらリサ・ランドールさんという女性の物理学者の話があって。
■どういう方なんですか?
山本:アインシュタイン以来の発見をするかもしれないという40代の女性で、新しい物理学によって「世のなかこういうことになっているんじゃないか」という仮説を立てている方なんですね。彼女自身もチャーミングな人で、とても好感を覚えたんですけど、僕のなかでローリー・アンダーソンと似ているというか(笑)。ティナ・ウェイマス、ローリー・アンダーソン、リサ・ランドールという並びでね。
一同:ハハハハ。
山本:すごくスマートで、ロックな感覚を持っているというか。
■リサさんが言っている物理学の新説はどういう内容なんですか?
山本:アインシュタインが相対性理論を打ち出したときに解明できなかったことがあったんです。地球の重力は本当だったらもっと強いはずだったという話なんですけど。しかし現実のそれは弱くなっている。じゃあ、なぜそう弱くなってしまったのかと。それをアインシュタインは解明できてなかったんです。
■本当だったらもっと強いはずだったと。
山本:そうなんです。他の力にくらべて相対的に弱いんです。
吉永:力というのは4種類あって、そのなかのひとつが重力なんだけど、他の3つにくらべて重力は桁違いに力が弱いんですって。たとえばクリップがあって、磁石を近づけるとピッと上の磁石にくっついてしまう。磁石ごときに負けてしまうなんて、それは重力が弱いことの証だと。そう言われると「なるほど、たしかに」と。
大野:アインシュタインもそこを解明しようとしたんだけど、解明できているようで実は矛盾があるという、いままでも「アインシュタインのここがおかしい」といろんな指摘があったんだって。
吉永:そこにリサ・ランドールさんが切り込んだのが"extra dimensions"っていう考え方で。
山本:5次元というのをいったん仮定して、力というのは5次元から3次元におよんでいると。3次元のことを考えても解明できないことが、5次元という仮説をたてることで解明できた。その仮説をいま立証しようとしているらしいんですけど、その話が面白かったんですよ。要するに、リサ・ランドールさんは僕らに新しい感覚を与えてくれる人で、新しいミュージシャンみたいに思えたんです。雰囲気も良かったし。
■「物理という絶対的にパワーに対するアート宣言」というキャッチとどういう風に結びつくんですか?
山本:3次元世界は、5次元からの見えざる力によって動かされていると。だから、いまの世界が悪い方向にいっているのも、5次元からの力によるものじゃないかという結論が出たんですよ。
■はははは。それ、どういう解釈ですか(笑)。
吉永:勝手な解釈。
山本:でもそういう風に解釈したほうがすっきりするじゃないですか(笑)。個人的な思い入れや神秘主義に逃げるよりは。いったん物理学的には、とにかく3次元は5次元の影響を受けているということになったんですよ。
■普天間基地問題も5次元の影響ですか?
吉永:そうですよ。悪いことはぜんぶそっから来ている(笑)。
山本:そう、あくまでそういう解釈なんですよ。だからといって、悪くなっていることをそのまま終末論的には嘆いても仕方がないし、現実的にはそこは要所要所で戦っていかなくてはならないというか、そこはもう、物理学ではなく、もうロック思想になるわけです。
■なるほど。ちょうど今日はここに取材に来る前に鳩山が辞任しいて、「まあ、結局こんなもんか」と思ったんですけど、民主党もあれだけ期待を背負っておきながら、ホントに「まあ、結局こんなもんか」って感じですよね。みんなすごく期待していたでしょ。
大野:なんでこう簡単に辞めてしまうのかとは思いましたね。
吉永:結局さ、政治ってパワーゲームだもんね。私も最初は、鳩山さんを応援していた。
■最初はいろいろ革命的なこと言ってましたからね。
吉永:掲げていることは面白かったし、自民党は違うという意味で面白かったんだけど、民主党もだいぶ問題がありそうだなと思っていて、「やっぱりね」という感じでそこが露呈したよね。鳩山さんもがんばれば良かったんだよ。だけど、がんばれない事情があったんだろうね。なんかさ、「がんばったんだけど、ダメでした」みたいな、言い訳がましいじゃない。「あんた奥さん宇宙人なんだから、そこをタテにがんばればよかったのよ」と思うね。
■はははは、そうかも(笑)。
吉永:私はそこにいちばんがっかりした。やっぱさ、首相なんだからさ。
大野:最初は顔つきも良かったし、「いまキテマス!」って感じがあったんだけど、最後のほうもう、声も小さくなってしまって。ダメかなっていう雰囲気はもうだいぶ前からありましたよね。
■だから、そういう意味では、バッファロー・ドーターの新しいアルバムは実にタイムリーに出てしまうというか。
吉永:はははは。
■ホントにそうでしょ。
吉永:ちょうど参院選のタイミングぐらいかな(笑)。
[[SplitPage]]自作自演の歌は、あの人、昔からやっているんだけど、「次は私の自作自演、マンハッタンの自殺未遂常習犯の歌を歌います」、で、みんな「ワー!」とか(笑)。それがすっごい歌なのね。もう、譜割りが尋常じゃない。
![]() シュガー吉永 (photo by Yano Betty) |
■ホントでも、久しぶりにバッファロー・ドーターの過去のアルバムを聴き返してみたんですが、今回のアルバムはすごくソリッドな音というか、カンがパンクをやっているみたいな音だと思ったんですね。ところが資料を読むと、ムーグさんが「ヒップホップをやりたかった」と書いてある。
大野・吉永:ハハハハ。そこ必ず突っ込まれるね(笑)。
山本:なんでそんなこと言ったのか......(笑)、アルバムを作るときに、いままでとは違うことをやりたいというのがあるんです。その前の『ユーフォリカ』(2006年)では僕が歌ったんで、次はラップかなと。そういう風に攻めていきたいというか、アグレッシヴな姿勢をですね......(笑)。
![]() Buffalo Daughter / Euphorica |
■『ユーフォリカ』は"歌"なんですか?
山本:"歌"というか、それまでターンテーブルでやっていたことを声でやるという。だから、今回はラップでもやっちゃおうかなと。ただし、ラップをやるには言いたいことが明確にないと意味がないじゃないですか。言いたいことがしっかりあって、力強い音楽になっていないと意味がないから。
■ああ、たしかに"Rock'n'roll Anthem"や"The Battle Field In My Head"みたいな曲はラップと言えばラップなのか......。
山本:メロディを聴かせるよりも、そういうことだと思いますよ。
■なるほど。制作中に勇気づけられた音楽があったら教えてください。
大野:勇気づけられたというか、「私もやりたい」と思ったのが、ソニック・ユース。「ギターを弾きたい」と思った。
■ああ、昨年の『ジ・イターナル』でしたっけ。
大野:あんな風には弾けないけどね(笑)。でも、弾きたいと思った。
山本:僕は......ここ何年もDJ見てないんですけど、リッチー・ホウティンだけは見ているんですよ。見てますか?
■いや、ぜんぜん見てない。
山本:見たほうがいいですよ。リッチー・ホウティンは、先端の物理学を理解している気がしますね。そのうえでやっている気がします。ずば抜けて共感を覚えていますね。
■どこがですか?
山本:YouTubeに"We (All) Search"という曲のPVがあがっているんですけど、それを見たときに「あ、この人もう感覚的に次の流れつかんでいる」って思ったんですよね。重力みたいなものをすごく感じられたし......、あの人、スタジオに籠もって電子音楽作ってますけど、友だちをスタジオに入れて楽しそうにやってますけど、そのいっぽうで世界中まわっていて、そのライフスタイルをふくめて、すごく正しいと思う。
■シュガーさんは?
吉永:影響を受けたというか、「きた!」と思ったのは、草間彌生さんが自作自演の歌というの見たときで。
■それは濃いっすね。
吉永:自作自演の歌は、あの人、昔からやっているんだけど、実際、譜面にもなっているんだけど、それを見たんだけど。「次は私の自作自演、マンハッタンの自殺未遂常習犯の歌を歌います」、で、みんな「ワー!」とか(笑)。それがすっごい歌なのね。もう、譜割りが尋常じゃない。歌詞に対する譜割り、メロディもリズムそうだけど、とにかく尋常じゃない。ものすごいパワーがある。「これは何だろう?」というね。すごく影響受けたかな。
■へー。
吉永:要は、もうカタチじゃないし、普通に考えられる譜割りじゃなくて、すべてに逸脱している。でも、パワーだけはすごい(笑)。
■なるほどねー。いまの話、すごくよくわかったというか、ソニック・ユース、リッチー・ホウティン、で、草間彌生。
山本:完璧ですよね。
■見事に『ザ・ウェポンズ・オブ・マス・ディストラクション』を語ってますね(笑)。
山本:素晴らしい。
[[SplitPage]]大手レコード会社が息切れしているなか、インディーズががんばっているわけでしょ。一時は「これで食ってけるのかな」と思っていたけど、意外とみんなしっかりやっている。
![]() 大野由美子 (photo by Yano Betty) |
■あのー、90年代にくらべてゼロ年代の10年間の音楽シーンにはどんな印象を持っていますか? 僕はバッファロー・ドーターといえば、新宿リキッドルームでコーネリアスと対バンしているのを見たり、あるいは日比谷野音でフィッシュマンズと対バンしているのを見ています。いわゆる"90年代組"と括られてもいいと思うんですね。でも、ゼロ年代は"90年的"なシーンはどんどん小さくなってしまったと。もちろんゆらゆら帝国はいたけれど、たしかに、この10年J-POPはより支配的になって、洋楽は売れなくなったという現実があったと思うし、そのあたり、どういう風に思っていますか?
大野:J-POPを聴いているわけじゃないから......それがいま中心になっているのは認めるけど。まあ、でもいろんな音楽があって良いと思うから、そっちはでそっちでこっちはこっちで良いんじゃないかな。
■両方あればいいんだけど、"こっち"のほうが弱体化したのがゼロ年代じゃないかという意見もあるわけです。90年代は"こっち"が多かったじゃないですか。
大野:でも、意外とそんなに変わらないと思うよ、数自体は。
吉永:90年代は小室の時代だったから、まあ、J-POPの時代といえばJ-POPの時代じゃない。変わってないじゃないの。J-POPを気にしているわけじゃないし、よくわからないけど......。ただ、洋楽は聴かれなくなったとは思う。映画でも字幕がイヤだから吹き替えで見たりとか、そういう意味では時代が変わったなと思う。映画も音楽も、多くの人が外ではなく、国内に向いていると思う。あと......、バンドの形態をとったJ-POPが増えたよね。バンドやってるんだけど、明らかにコーネリアスやゆらゆら帝国とは違う、J-POP的なバンドが目に付くようになった。やたらバンド多いでしょ。
■そうなんですよね。
吉永:でもね、かたやインディーズでも、それなりの動員と売り上げを持っているバンドもいるでしょ。さらに言うなら、最近はインストのバンドも多い。こないだ〈残響レコード〉のイヴェントに出たんだけど、やっぱ中心にいるのがインストのバンドで変則リズムをいっぱい使うんですよ。ザゼンボーイズみたいな。ザゼンはまあ、歌があるけどね。
■そういう意味では、ゼロ年代で大きく変わったとは思わない?
吉永:シーンは変わってきているけどね。ただ、小室がチャットモンチーに代わっただけで、少なくとも小室がいなくなっただけでも、私はまあ、いいかなと。小室よりはいいやと思うけど。
■エグザイルとか嫌じゃない(笑)?
大野:エグザイルねー。
吉永:いや、でも、小室はきついよ。
大野:小室はまだ日本のポップスになってるけど、R&B系は向こうのコピーじゃない。
吉永:いや、小室だってさ......。
■はははは。
吉永:まあ、ふだん気にしてないからよくわからないけど(笑)。ただ、外の世界を見なくなったというのは感じますね。バンド名もなんかさ、横文字じゃないじゃん。私、あの風潮もあんま好きじゃないからさ。
■まあ、ゆらゆら帝国もいますけどね(笑)。解散しちゃったけど。とにかく、音楽の世界があんま良い方向にいってないという感覚はないんですね?
吉永:思ってない。大手レコード会社が息切れしているなか、インディーズががんばっているわけでしょ。一時は「これで食ってけるのかな」と思っていたけど、意外とみんなしっかりやっている。あと、オーディエンスと直に繋がるようなシステムもできているし、大手プロモーターが仕切るのではない、手作りフェスも増えているし。
■そういう意味では、むしろ良くなっていることもあると言えるのかもね。
吉永:音楽を好きな人が減っているわけじゃないと思えるかな。逆に音楽を生で聴きたいと思っている人も増えてきているしさ。たしかに売り上げ的には昔に比べたら落ちているのかもしれないけど、活況としているんじゃないかな。ホントに聴きたい人、やりたい人が、積極的にやっているというか、昔はシステムのなかに入ってやらなければならなかったことが、いまはやりたいと思ったときにできる、発信したいと思ったときに発信できる。だから......健全化しているんじゃないかなと思っていて。
■ザゼンボーイズだってインディーズだしね。
吉永:そうだよね。
山本:たぶん......2000年から2010年にかけて音楽業界の状況は悪くなってきていたんだけど、「まあ、まだ大丈夫だろう」と、沈んでいく船にみんな乗っていたわけですよ。それって自民党みたいなもので、沈むときにあっという間に沈んでしまう。それで民主党とか新党とか出てきて新しいことやる。で、失敗する人もいるんだけど、少なくとも新党を立ち上げようとしている人たちはなんか元気がある。「じゃあ、なんか新しいやり方を提案しよう」というかね。光明を見出している人たちもいるわけです。まあ、たとえばそれはDOMMUNEや『エレキング』だって、何か新しいやり方を提案しているわけであって、資金力はなくてもアイデアがあればいろんなことはできる。で、それをやってる人は、とりあえずは元気ですよね。お金が潤沢にあるかどうかは別にしてね(笑)。
■まあ、そうかもしれないですね。ちなみにバッファロー・ドーターというバンドはカウンター・カルチャーを信じているバンドだと思っていいんですね(笑)?
一同:ハハハハ。
山本:音楽のシーンは、なんだかんだまだ新しいことをやろうとしている人や実験的なことをやろうとしている人が他のジャンルにくらべていっぱいいるなとは思いますね。だから、やってて良かったなと思うんですよね。
■なるほど。
吉永:「新しいことができるから楽しみだねー」という部分もあるんだよね。うちらはだから、ぜんぜん悲観的になってない。
■バッファロー・ドーターといえば、まあ、90年代らしくボアダムスやコーネリアスとともに海を渡ったバンドのひとつですけど。
吉永:海外とのライセンスもこれから自分たちでやろうと思ってて。海外はもうダウンロード主流になっているから、まあ、それをどうプロモートするかは別にして自分たちでやっていくにはより発展した土壌があるでしょ。
■そうした前向きなエネルギーは今回のアルバムからヒシヒシと感じましたよ。ムーグさんが言ったように、「力強い」作品だと思いました。
大野:作っていながら思ったのは、1曲1曲が濃いなと(笑)。
■1曲の長さが、以前にくらべて短いですよね。
大野:そう。
■そこはロックンロールのマナーに戻ろうとしたんですか?
吉永:たぶん、いまダンス・ミュージックの流れじゃないんですよね。『シャイキック』(2003年)の頃は完全にダンス・ミュージックの流れだったから、「3分じゃ短すぎるよ」と思っていたけど、いまは10分やるよりは3分で簡潔に物事を言いたい。
■ニューウェイヴ/ポスト・パンク・リヴァイヴァルみたいな時代のモードは関係してますか? この10年であの時代のささくれ立った感覚がまた音楽の最前線に戻ってきたじゃないですか。
山本:ある意味では周期的なものですよね。ニューウェイヴの前だって、ザ・フーやストーンズみたいなものがって、それがプログレみたいなものに展開しがら産業も肥大化して、それでパンクでいっかいスパッと切った。そういう流れってつねにありますよね。だから、ちょっと前にはやっぱ、神秘的な音楽やプログレっぽい音楽がたくさんあったし、音楽産業もやっぱ巨大化していたし、それがある程度までいくとまた元に戻るというか、ささくれ立ったものが欲しくなるというか。それはもう......ポスト・パンクみたいな短いことではなく、輪廻のような(笑)。
大野・吉永:ハハハハ。
![]() Buffalo Daughter / Captain Vapour Athletes |
山本:バッファロー・ドーターというか、僕としてはファースト・アルバム、『キャプテン・ヴェイパー・アスリーツ』(1996年)の頃の気持ちに戻ったというか。
吉永:そうだね、『キャプテン・ヴェイパー~』を作っていた頃の実験精神に近いね。いま時代は過渡期だし、逆にいろんなことができるわけだし。
■しかし......、そうは言っても、行き詰まりを感じたことはないんですか?
山本:すごくそれ訊かれるんですよね。「いままで行き詰まりを感じたことはないんですか?」って。それは絶対に訊いている人が行き詰まっているんじゃないかと思うんですけど(笑)。
■まったくそうですね(笑)。
山本:僕はすごく行き詰まるんです(笑)。考え込むとぜんぜんダメで、ネガティヴになって、どうしようもなくなってしまうんですね。何もできなくなるんです。でも、このふたりは行き詰まらないんですね(笑)。考える暇なくやってしまうんですよね。動くと止まらないんです。で、とにかく締め切りを決めるわけです。そうすると、そのときまでにやるしかない。だから、もういちいちネガティヴになる暇なく、がむしゃらにやるわけです。そうすると、何か生まれてくるんですよね。今回のアルバムは本当にそうだった。
[[SplitPage]]「"アシッド・トラックス"の影響を受けたロック・バンドってそういないかも」と思ってね。「"アシッド・トラックス"は私たちのなかで重要なんだよなー」と思ってね。
■しつこいようですけど、クラウトロックを参照にしたとかないんですか?
山本:もう、それは染みついちゃってるよね。
■コーネリアスは、欧米での評価が一様に「カンみたい」だとか「クラウトロック的な」とか......、なんですよ。
山本:コーネリアスは東京っぽいよね。日本ぽいというよりも東京。東京だから生まれた。ああいう風にいっぱい聴いて作るというスタイルは、やっぱ東京だから生まれたんだと思いますよ。ただ、小山田君はもう、ああいう風に情報をいっぱい詰め込んだやり方にはもう飽きていると思うけど。それもまた東京っぽいと思うんです。カンってどこですか?
■ケルンですね。
山本:ケルンか......。やっぱ住んでいる場所と音楽はすごく関係ありますね。最近はよくそう思います。ボアダムスが西から出てきたのもわかるし。
吉永:あれは東京からは生まれない。
■バッファロー・ドーターは東京ですよね?
山本:このふたりは東京ですね。
■コーネリアス的なところもあると思うんですけど、バッファロー・ドーターのほうがパンキッシュかなと思うんですよね。
大野:コーネリアスは優秀なスタッフに囲まれているけど、アイデアを練るのは小山田くんひとりでしょ。私たちは3人だから。怠けていても違うアイデアが出てくるし、お互いに助け合える関係になっている。
吉永:3人だと、みんながみんな自分をぜんぶ出したらまとまらないでしょ。だから「あ、これ必要ないかな」って、いろいろ個人個人のなかで削ぎ落としていかなければならない。だからシンプルになるんですよ。
■では、最後にアルバムのなかでそれぞれの推薦曲を1曲だけ選んでください。
大野:人によるな~。
■このアルバムに興味を示すであろう音楽リスナーに対して。
吉永:それはやっぱ曲順だから。だから最初の(Gravity )曲じゃないの。
■でも、最初の曲は印象違うじゃないですか。
吉永:そうかな。
■歌っているし。
大野:歌っている曲は他にもあるけど。
吉永:いや、私は今回は初心に帰ろうと思ったの。「バッファロー・ドーターってどういうバンドだっけかな?」というところを思い返してみたの。パブリック・イメージもふくめ、「他のバンドとどこが違うんだろう?」って。そのときに、"アシッド・トラックス"が好きで、〈グランド・ロイヤル〉の初期の音源が好きで、さらにシルヴァー・アップルズ好きで、という最初の3つの影響を思い出したのね。「"アシッド・トラックス"の影響を受けたロック・バンドってそういないかも」と思ってね。「"アシッド・トラックス"は私たちのなかで重要なんだよなー」と思ってね。
■いまでも?
吉永:いまでも。だからTB303はいまも使っている。だからアルバムの1曲目は303の音が入っている"Gravity"にしたんだよね。それがそう伝わっているかどうは別にして、私たちの気持ちとしてはそうだった。
■"アシッド・トラックス"の何がそんなに衝撃だったんでしょうね。
山本:303は、大阪でライヴをやったときにたまたま寄った古びた楽器屋で超安値で買ったんですね。
■それはすごくラッキーだよ!
山本:まさにデトロイトの人たちのように、見捨てられた状態だったものを買ったわけです。それも良かったし、実際、すごく革命的な機材だし、パンクだし。
■ですよね。なるほど、とにかくシュガーさんの1曲は"グラヴィティ"というわけですね。
大野:私はじゃあ、5曲目、"A11 A10ne "にしようかな。
吉永:8曲目(Five Thousand Years For D.E.A.T.H. )はどうですか?
大野:8ね(笑)。それ、新しい展開だよね。
山本:8,けっこう好きだよ。
■僕は2(All Power To The Imagination)と3(Two Two)が好きだけど、2と3はいまでの路線を踏襲している曲だよね。
吉永:8はいちばん新しいね。演歌だねこれは(笑)。
山本:演歌なんだ(笑)。
■曲のタイトルはどういう意味なんですか?
吉永:"50億年後の死"。50億年後に太陽系が滅亡するというね。
■まあ、演歌というよりもエレジーですね。
吉永:あ、それいいね。これからエレジーと呼ぼう。
山本:そうだね、エレジー。
| 7月29日(木) | 新代田FEVER / 東京 |
|---|---|
| 8月1日(日) | FUJI ROCK FESTIVAL'10 / 新潟県・苗場スキー場 |
| 8月3日(火) | 渋谷CLUB QUATTRO / 東京 |
| 8月13日(金) | RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 / 北海道・石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ |
| 11月15日(月) | LIQUIDROOM / 東京 |
|---|---|
| 11月16日(火) | 心斎橋 クラブクアトロ |
| 11月17日(水) | 名古屋 クラブクアトロ |
| info. SMASH 03-3444-6751 https://www.smash-jpn.com/index.php https://www.buffalodaughter.com/ |
昨年、オランダの〈ラッシュ・アワー〉がリック・ウィルハイトの〈KDJ〉から出た最初の2枚(1996年の「ソウル・エッジ」と1997年の「ザ・ゴッドサンEP」)を未発表ヴァージョンを加えて再発したと思ったら、こんどはその2枚に1999年の「ザ・ゴッドサン2」とさらに未発表トラックひとつを加えてCDアルバムとしてリリースすることになった。今年に入ってリリースされたアンドレスのセカンド・アルバム『アンドレスII』の売れ行きも良かったそうで、長いあいだ廃盤となりファンのあいだでは高価で取引されていたアンドレスの2003年のデビュー・アルバム『アンドレス』も再発されることになった。
温故知新ばかりというわけではない。最近ではカイル・ホールという若い才能によって"デトロイト"という長い物語はいまだ終わりそうにない(それだけではない、と門井隆盛くんから怒られそうだが、フライング・ロータスと同様にジャズ・ミュージシャンの家系に育った今年の夏に19歳になるホールの作品は驚嘆に値する)。だいたい......URのバッグを持っていて、フライング・ロータスから「ナイス・バッグ」と言われるのはまだしも、トーク・ノーマルから褒められるとは思わなかった。
そんなわけで、今年に入ってアンソニー・シェイカーのベストが発表され、そしてリック・ウィルハイトである。オリジナル・スリー・チェアーズのメンバーのひとりと言えど、ウィルハイトとは少々マニアック過ぎやしないかと思われるかもしれないが、ケニー・ディクソン・ジュニアを契機に1990年代後半から支持を集めてきたデトロイトのハウス・ミュージックは、アーバン・ブラック・ミュージックの伝統に根ざしている点においてデトロイト・テクノよりも間口が広いと言える。カール・クレイグの実験精神よりも、「スティーヴィー・ワンダーこそが最初にシンセを使ったクソ野郎なのさ。クラフトワークにはいちどだってグッと来たことはないぜ」というエディ・フォークスの主張のほうがわかりやすいと言えばわかりやすい。実際の話、デトロイトの"ビートダウン"以降の流れは、ジェフ・ミルズやドレクシアにはまったくなびかなかったリスナーも数多く取り込んでいる。
それでもディクソン・ジュニアのハウスには毒やトゲ、そして過剰な猥褻さがあり、またセオ・パリッシュのハウスには汚れがある。1970年代のディスコにはない闇があり、痛みに歪んだ醜さがある。アンドレスやウィルハイトにはそうした"いびつさ"がないことはないが、控えめである。むしろそうしたいかめしさよりもアーバン・ブラック・ミュージックにおける情緒、彼らのグルーヴに脈打つ生命力のようなもののエネルギーが強調されている。1999年のウィルハイトのザ・ゴッドサン名義によるシングル「ソウル・エッジ EP Pert.2」のアートワークを見れば、この音楽がクラフトワークでもコルトレーンでもなく、マーヴィン・ゲイに繋がっていることが容易に想像できる。
ディクソン・ジュニア、セオ・パリッシュ、あるいはアーバン・トライブといったささくれ立った連中のリミックスを収録しながらも、ウィルハイトのこの編集盤にはアーバン・ブラック・ミュージックのソウルフルな響きが通底している。実は僕は、昨年の〈ラッシュ・アワー〉からの再発盤の12インチを買ったクチだが(持っていなかったので)、アルバムとして通して聴いたほうがデトロイトでレコード店を営むベテランDJの魅力がよくわかるのはたしかだ。"グッド・キス"のような孤独な深さもいいけれど、"ホワット・ドゥ・ユー・シー?"のミニマルなディスコ・サウンドもまた魅力的だと思う。シカゴのゲイ・ハウスの妖しさには際限のない陶酔があるが、アンドレスのレヴューでも書いたように、デトロイトのハウスには労働者たちの、ものすごくテキトーだけどどこか大らかで、すぐに感情を露わにするけど気さくなのりを感じる。仕事が終わった労働者たちで満席となったデトロイトのバスの騒がしさといったらハンパないものがあって、容赦なく酒を飲んでいるし、バカでかい声で笑っているし、乗ってしまったときには「しまった」と思ったものだが、いまにして思えば、どんなに混んでいても死んだようにおとなしくバスに乗っている国で生まれ育ち暮らしている僕には羨ましくもある。まあ、これを隣の芝は青いというのだろうけれど、しかしこうした黒人文化における「chainging same(変わってゆく同じもの)」が世界中の人たちを虜にしているのも事実だ、バスの話はともかくとして。
今年の初めにイギリスで、不況下における現在のデトロイトをレポートする番組があったそうで、それを観た友人から「家がたったの1ドルで売られているのを見てショックを受けたよ」というメールをもらった。返信はまだしていない。何と言って良いのかわからないのである。
本能や直観を理想化して、とかくイノセンスを賞揚し......と同時に自然のサイクルを祈願しながら、モダン・ライフを病んでいると思うとき、音楽はときにアフリカないしは非西欧的なリズムへと向かう。ミルフォード・グレイヴス、マニ・ノイマイヤー、ザ・スリッツやポップ・グループ、あるいはじゃがたらやボアダムスやあふりらんぽ、あるいはレッド・プラネット・シリーズにおけるマイク・バンクス、あるいはUKファンキー......まで入れて良いのかどうかわからないけれど、まあ、とにかくそうしたプリミティヴィズムというのは、われわれにとって確実にひとつの武器であることは間違いない。プリミティヴィズムにおける反知識的な態度、要するに「考える前に踊りなよ」という姿勢はつねに商業主義のワナに晒されているものの(たとえば、インディアンや東南アジアなどの民芸品を扱う雑貨屋を見ればよい)、しかし、ひとつだけはっきりしているのは、それはそれまで教えられてきた知識への素朴な抵抗である、ということだ。
とくに僕の世代ではその感覚がよくわかる。パンク・ロックにおいてレゲエのリズムが重要視されたのもそれで、世界史を作ってきた文化が支配してきた文化のリズムをわれわれは積極的に選んだのだった......と、まあ、そこまで気合いを入れなくても、50年代のエキゾチカにおけるそれ(アフロ、ラテン、ヴードゥーのようなドラミング)でさえ上流階級の気持ちを解放したのだから彼らのリズムには特別な力があるのだ。ボアダムスやあふりらんぽのように神秘的な宇宙をのぞき込まなくても、リズムはわれわれに不思議な活力を与えるのである。
HBは、ドラマーのmaki999を中心に2004年12月に東京で結成された女性3人によるバンドで、すでに2007年に〈残響レコード〉からデビュー・アルバム『Hard Black』をリリースしている。他のふたりはmuupy(パーカッション)とtucchie(ベース)。今回の『ブラック・ホール・イン・ラヴ』はセカンド・アルバムとなる。収録された8曲すべてがインストゥルメンタル曲で、1曲ヒゴヒロシさんが参加している。メロディといったものはほとんどなく、たまに演奏されるメロディ楽器もリズムを強調する。大雑把に言えば、ただひたすらリズムが刻まれている。笑い声からはじまり、ドラムとパーカッションは素晴らしい律動を生み、ベースは唸っている。その迷いのない演奏は誰もが言うように「心地よく」、聴く者を清々しい気分にする。この手のアイデアは決して目新しいものでないが、スネアとハイハットの音は耳にこびり付いて、パーカッションは頭のなかでこだまする。ベースは身体を震わせ、気がつくと繰り返し聴いているという有様だ。
近いうちiPodに入れてみようかと思う。歩きながら聴くのが楽しみだ。もちろん、評判のライヴ演奏もいつか聴いてみたい。ワールドカップ期間中の僕にとっての"サプライズ"はこの『ブラック・ホール・イン・ラヴ』だった!
2009年のダブステップのフロアヒットのひとつにイマルカイ(Emalkay)の"ホエン・アイ・ルック・アット・ユー"がある。重たく、汚れていて、やかましい、そしてクラクラする(英語で言えば、wobbly)ダブステップである。勝手な推測だが、この大ヒットが、あるいはまたキャスパと彼のレーベル〈ダブ・ポリス〉に代表されるような動きが、ローファーをポスト・ダブステップに駆り立て、ザ・XXとアントールドを近づけたのかもしれない。重たく、汚れていて、やかましい、そしてクラクラする――いわばダブステップ界におけるラモーンズたちは、コード9やDMZのようなオリジナル世代からしたら、違和感があるのだろう。UKファンキーやグライムならオッケー、が、このヤンキーくさい乱雑さだけはどうも......そんな思いがシーンから見えてくるようだ。が、無責任なことを言えば、これもまた一興なのである。
シーンの過渡期を表すシグナルなのだろう。オリジネイターがシーンの限界を感じて"次"に向かう。よくあることだし、その"次"はもちろん楽しみだ。しかし、玄人たちの去った焼け野原で踊っている子供たちこそレイヴ・カルチャーそのものなのだ。汗だくなって踊る。若さゆえの暴走。作品主義に基づいた洗練さとは逆のベクトルだが、音にのめり込む度合いの強度においてそれらは圧倒的となる。2006年に〈ダブ・ポリス〉からデビューしたクリス・マーサー、ラスコという名で知られるプロデューサーも最初はそんなひとりだった。
スクエアプッシャーを敬愛し、DMZを聴いてダブステッパーの仲間入りを果たしたリーズ出身の青年は、〈ダブ・ポリス〉と〈ダブ・ソルジャー〉を拠点にしながらキャスパとともにその人気を伸ばしていった。とくに2007年に「ファック!」を連呼する忌々しい"コックニー・サグ"が大当たりすると(それはまるで......セイバース・オブ・パラダイスの"ウィルモット"のダブステップ・ヴァージョンである)、リトル・ブーツやベースメント・ジャックス、ザ・プロディジーなどポップ畑においてもリミキサーとして進出。そしてディプロの〈マッド・ディセント〉と契約を交わすと、昨年の9月にロサジェルスに越し、M.I.A.の3枚目もサポートしつつ、晴れてこうしてデビュー・アルバムを発表するにいたったわけである。
ディプロは、バイリ・ファンキにしてもボルチモア・ブレイクにしてもダンスホールにしても、音にのめり込む度合いの強度にアプローチする。それをポップでスタイリッシュにパッケージする才能に長けている。メジャー・レイザーのあの、ナンセンスなダンスホールを思い出せばいい。パロディ精神に根ざした彼らのレゲエは、しかも結局のところ本場キングストンの人たちをも虜にして、ジャマイカでも大ヒットしている。いま〈マッド・ディセント〉はポップ・ダンスの重要拠点としてピークを迎えつつあるのかもしれない。意味のある音楽ではないが、ここには創造性と"楽しみ"があるのだ。
ラスコのデビュー・アルバムは〈マッド・ディセント〉らしい作品である。ブリトニー・スピアーズから声がかかるばかりか、USインディ・ロックのアンダーグラウンドにおいて目下もっとも評価の高いスライ・ベルズとのコラボレーションも噂になっている若きダブステッパーは、いまの勢いのまま、ブレーキを踏むことなくアルバムを発表する。それは若さゆえの暴走ではない。手をかけてパッケージされたモダン・ダンス・ミュージックだ。
重たいベースの邪悪なドライヴからはじまる『O.M.G.!』は、ダーティ・プロジェクターズのアンバーのヴォーカルとともに加速したかと思えば、〈ダブ・ポリス〉の作品でお馴染みのMC、ロッド・エズランがレゲエのリズムに言葉をのせる。リスナーを退屈させることなく、ミラーボールが煌めくディスコやダーティ・ダブステップ、それからレイヴィーなジャングルへと突き進む。アルゼンチン代表の前線の3人がボールを奪うといっきに駆け上がり、そして相手ディフェンス陣を突破してシュートするように。
アルバムを象徴するのは、モダン・ファンクを打ち鳴らす、ベン・ウェストビーチが参加した"フィール・ソー・リアル"、あるいはシンセベースが唸り、グッチ・メインの声が聴ける"ガット・ダ・グルーヴ"といった曲だ。それらは"Pファンクの後継者"と言われた1980年代前半に活躍したオハイオ州のグループ、ザップによるエレクトロ調のファンクを思い出させる。ザップと言えばロジャーによるトーク・ボックスが有名だが、あの変調された"声"は『オー・マイ・ゴッド!』のいたるところに顔を出している。
ダブステップの観点から見れば意見は分かれるかもしれないが、鳴り物の入りのデビュー・アルバムとしては申し分のないできである。
![]() アーサー・ラッセル ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険 P‐Vine BOOKs ティム・ローレンス (著), 野田努 (監修), 山根夏実 (翻訳) |
![]() ラヴ・セイヴス・ザ・デイ 究極のDJ/クラブ・カルチャー史 P‐Vine BOOKs ティム・ローレンス (著) |
ティム・ローレンスによる著書『アーサー・ラッセル(原題:Hold On to Your Dreams)』は、意義深い本である。自分が監修しているから言うわけではない。この本が売れようが売れまいが、僕のギャラは変わらない。
最初出版社のY氏からこの仕事を依頼されたとき、内心「嘘でしょ!」と思った。いくらなんでもアーサー・ラッセル......それは無謀である。職業音楽ライターのあいだでもたいして知られていないし、ただでさえ本が売れないこの時代にアーサー・ラッセルとは......、たしかに偉大なアーティストに違いないが......、僕はY氏に「大丈夫ですか?」と訊き直したほどだった。
ところがこの仕事に携わり、訳のほうが2章まで進んだ時点で、僕は素晴らしい著書に関われたと感激した。モダン・ラヴァーズの話まで出てくるとは思わなかったし、『アーサー・ラッセル』は、当初僕が想像していたよりもずいぶんスケールの大きな本だった。
たしかにアーサー・ラッセルは、90年代半ばからゼロ年代にかけて再評価された、というか初めて真っ当に評価されたひとりである。『Wire』やデヴィッド・トゥープ、あるいはジャイルス・ピーターソンや〈ソウル・ジャズ〉レーベルのお陰で、彼の先鋭的なディスコ作品をはじめ、フォークやカントリーの諸作、あるいは意味不明な歌モノとしてあり続けた『ワールド・オブ・エコー』や回転数違いの録音で〈クレプスキュール〉から出されたままだったミニマルの作品『インストゥルメンタル』にいたるまで、ほとんど彼の作品は容易に聴けるようになった。
と同時にアーサー・ラッセルに対するミステリーはますます高まった。いったいこの男は本当は何をしたかったのか? ディスコなのか? 現代音楽なのか? ロックなのか?
重要なのはそういうことではない。著者であるティム・ローレンスは、『アーサー・ラッセル』の前には『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』という本で、70年代のニューヨークのディスコの歴史を綴っている。セカンド・サマー・オブ・ラヴに触発された彼は、70年代のニューヨークのディスコのなかに、とくに孤児院で育ったデヴィッド・マンキューソのなかにその理想主義の萌芽を見出している。『アーサー・ラッセル』はそれに続く本である。いくらなんでもアーサー・ラッセル......実は著者でさえ最初はそう思っていたと告白している。果たして需要はあるのかと。が、研究が進むにつれて、そうした懐疑はすべて消去された。それはこの物語がアーサー・ラッセル個人のそれではなく、彼と彼を取り巻く人びと、彼が暮らした都市の共同体的な物語だからである。
ティム・ローレンス(Tim Lawrence)
1967年ロンドン生まれ。1990年から1994年にかけてジャーナリストとして活躍。BBCに勤務しながら大学で学び、サセックス大学で英文学博士号修得。現在、東ロンドン大学で教えながら数多くのダンス・ミュージックのライナーノーツを執筆している。『アーサー・ラッセル』は『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』に続く2冊目の著書。
私の人生は新自由主義的な政策によって形作られたものです。私は著書で、新自由主義的な現在を改めて思い描く方法を模索していますが、それは現在と未来を豊かなものにできるように、それに力強い声を与えることが目的だと言えるでしょう。
■あなたの『アーサー・ラッセル(原題:Hold On to Your Dreams)』、とても興味深く読ませていただきました。あなた自身も書いているように、あの本はアーサー・ラッセルという素晴らしい異端者の伝記であると同時に、それだけでは完結し得ない示唆的な内容となっています。おそらくあなたが望んでいるのは、アーサー・ラッセルを神格化することでもなければ、70年代ニューヨークのダウンタウンの文化的コミュニティへのノスタルジーに浸ることでもない。あなたは新自由主義がもたらす競争社会に翻弄されながら生きている私たちに、そうした冷酷な窒息状態を突破できるような可能性を、音楽を通していっしょに考えたいと願っている。そうじゃありませんか?
ティム:私が著書を通して成そうとしていることを雄弁に描写してくださいましたね。しかし厳密に言うと、アメリカで展開され、〈ザ・ロフト〉やさらに広義のダウンタウン・ダンス・ムーヴメントの形成に影を落としたカウンター・カルチャー運動に対する一種の弾圧は、新自由主義の台頭以前にまで遡るものなんです。同時に新自由主義への言及は、私がサッチャー・レーガン時代の申し子であるのと同じくらい正しいものでもあるとも言えます――なぜなら私はマーガレット・サッチャーとロナルド・レーガンが政権をとって間もなく政治を意識するようになり、それ故に私の人生は彼らの新自由主義的な政策によって形作られたものだからです。私は著書で、社会の境目に存在した文化的な歴史を研究することで新自由主義的な現在を改めて思い描く方法を模索していますが、それはその文化的な背景が現在と未来を豊かなものにできるように、それに力強い声を与えることが目的だと言えるでしょう。言い換えれば、歴史的な見地のためだけにそういったものを書くことには興味がないんです。私はそれが私たちの注目に値するから書き、そしてそれが私たちの注目に値するのは、その慣習に深い意義があり、今日的な意味を帯びているからに他ならないのです。
もちろん〈ザ・ロフト〉やその後継的な〈パラダイス・ガラージ〉などのパーティは、いまでも多くのパーティ主催者、ダンサーやDJにとって非常に大きな意味を持ち続けていますし、デヴィッド・マンキューソもいまだにニューヨークのみならず日本やロンドンで〈ザ・ロフト〉やロフト・スタイルのパーティを主催し続けています。しかしアーサー・ラッセルに関して言えば、彼は表面的にはいち個人ですが、究極的に、彼が個人としての人生を歩むのではなく、飽くなき情熱で多岐にわたる音楽シーンで活動した共同的なミュージシャンだったからこそ私は彼について書きたいと思ったんです。そういった意味では、「アーサー・ラッセル」は反個人的な伝記、もしくは反伝記的な伝記だと言えるでしょう。この本は、ひとりの人間についてではなく、たまたま20世紀後半でもっとも美学的かつ社会的に進んでいると言われたシーンの数々で活動していたひとりのコラボレーターについての物語なのです。またアーサーは彼の時代の遥か先を行ってもいました。彼の音楽とコミュニティのヴィジョンに関して言えば、彼は私たちのまだ先を行っているでしょう。
■あなたにとって(そして私たちにとって)考えるうえでの大いなるヒントのひとつ、それをあなたは(そして私たちは)クラブ・カルチャーに求めています。『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』をあなたは、デヴィッド・マンキューソの話からはじめています。また、彼の"生き方"ないしは"やり方"を、クラブ・カルチャーがなしうる最善のもののひとつとして記していると思います。都会で暮らす私たちにとって、あるいはノーマティヴな社会からはじき出された人たちにとって、あるいは競争社会の負け犬たちにとって、クラブ・カルチャーというのは社会的な役目を果たす可能性を大いに秘めているし、あなたはそこに期待しているわけですよね?
ティム:最初に少し訂正させてください。デヴィッドは〈ザ・ロフト〉をクラブとして運営していたわけではありません。プライヴェートなパーティとして主催していたんです。私やみなさんが誕生日を祝うためにパーティを開くように、彼は厳密には自宅でパーティを開催していただけなんです。デヴィッドが山のような煩わしく制限的な規制を守る必要がなかったことを考えると――アルコールを売らないかぎり――その区別はいまも昔も重要です。その結果、〈ザ・ロフト〉は普通のディスコテークやクラブよりも遥かに親密な場所となり、パーティも長く続けることができ、それによって音楽的・肉体的な表現行ための幅も広がった。いっぽうで上手に運営され、強い倫理観を持つクラブは、〈ザ・ロフト〉やそこから派生したヴェニューで培われてきた価値から多くのものを模倣できるのではないでしょうか。
この質問のより広範な面に関して言えば、まさにその通りだと思います。プライヴェートなパーティや公共のクラブは、人びとが集まって異色の、しかし非常に重要なコミュニティの形態を形成する場を提供しています。近頃ではみんなで集まってグループとしてともに過ごせる場所はますます少なくなりつつあるじゃないですか? 映画館もそういった場を提供しているものの、映画館の観客はとても受け身でしょう。スポーツのイヴェントもひとつの場ですが、こちらは男性主体の傾向が強く、競争に根差したものです。公園も素晴らしい場所だとは思いますが、そこでの社交的な体験はごくまばらです。その他の音楽イヴェントも良いでしょうが、参加者は通常他の観客に対してではなく、出演者に意識を向けます。クラブのようなダンス・スペースはまったく違う何かを提供するもので、その相互作用の形式は非常にダミナミックです。私たちは視覚的な文化が支配する社会で生きていますが、音楽とダンスは私たちに耳を傾け、身体を使うことを促してくれるんです。そしてそれが極めて感情豊かなコミュニティに繋がるのです。
アーサーは知的な根拠で書かれた音楽よりも情感豊かなものを好んでもいたことから、フィリップ・グラスの作品は評価してもより知性派のスティーヴ・ライヒの作品には親しみを感じなかったようです。
■『アーサー・ラッセル』で、あなたは現在のiPod世代の多元主義について言及しています。アーサー・ラッセルは、さまざまなジャンルを越境することのできた人で、それはあらゆる価値が並列された現代の音楽鑑賞の価値観とも重なるかもしれない。しかし、アーサー・ラッセルは、現代の多元主義が陥る退屈な平等性とは正反対の態度で生きていた。つまり、彼には、音楽芸術の善し悪しを判断する彼なりの基準というモノがあったということですよね? あなたなりにアーサー・ラッセルの持っていたその"基準"についてもう少し説明してもらえないでしょうか?
ティム:私がアーサーの代弁をするのは難しいですよ――彼がまだ生きていて自分の言葉で答えてくれたらと願わずにはいられません。ですが私が受けた印象では、アーサーはあらゆる類いの音楽に耳を傾ける人間でしたが、おしなべて優劣がないかのような、無粋な多元主義的なスタンスに陥ることはいっさいありませんでした。アーサーはクラシック音楽からディスコ、ニューウェイヴ、ヒップホップ、フォーク、そして正統派のポップに至るまでの信じられないほど幅広いサウンドにはまっていました。彼はいつもヘッドフォンで音楽を聴きながらダウンタウン・ニューヨークの街を歩き、友人が彼に出くわしてヘッドフォンを借りればアバと同じ確率でモンゴルの喉歌が流れてきたそうです。言い換えれば、彼の好みは折衷的で予測不可能だった。もちろんアーサーがアバのあるトラックを他のトラックよりも気に入っていたとか、モンゴルの喉歌でも特定のスタイルを特に楽しんでいたということはあったでしょう。ですが概して、彼はあまりにもありきたりかつ型にはまりすぎている曲は気に入らなかったし、もしかしたらそれこそが彼がいつでもとても新鮮に響くアバの曲を好んでいた理由だったかもしれません。
そういった条件以外に、アーサーの仏教的な思想が彼にオープンかつ民主的で肯定的な音楽のスタイルを受け入れさせた。そしてその結果、彼は必要以上に個人主義的な形式や自己中心的な演奏スタイル、そして独善的に複雑な演奏形式に支配された音楽を嫌うようになったのです。同じ価値観が彼にアシッド・ロックやプログレッシヴ・ロックを敬遠させ、けれどより直接的かつ包括的なミニマリスト・ロックを受け入れさせた。
またアーサーは、彼があまりにも攻撃的で虚無的だと判断していたというノーウェイヴ・ムーヴメントにはいっさい関心を示しませんでした。そして彼のレコーディングのいくつかにはジャズ的な要素も含まれていたものの、その即興者を英雄的な個人として祭り上げる傾向のせいか、彼が心からジャズを受け入れることもありませんでした。
最後に、アーサーは知的な根拠で書かれた音楽よりも情感豊かなものを好んでもいたことから、フィリップ・グラスの作品は評価してもより知性派のスティーヴ・ライヒの作品には親しみを感じなかったようです。アーサーが好き嫌いの基準のマニフェストを作っていたとかそういうことではありませんが、私が拾い集めることができた基準はこんなところでしょうか。
■アーサー・ラッセルの芸術は、言ってしまえば資本主義にとっては決して都合の良いものではありませんでしたが、逆に言えば商業主義の罠にはまっている現代の音楽シーンに対してのひとつの"批評"としてもこの本を書いたのではないかと思います。もしそうであるなら、いまいちど、今日の社会におけるアーサー・ラッセルの芸術 の重要性をその文脈で説明していただけないでしょうか?
ティム:アーサーの音楽には奇妙な緊張感があって、私はそこにも惹かれるんです。その緊張感というのは、アーサーは商業的に成功することを望んでいたけれど、その成功を手にするために自身の音楽的なヴィジョンで譲歩することは決してしたがらなかったという点です。私はこのスタンスが非常に興味深いと思うんですよ。まず、商業的に成功したいというアーサーの願望を私は評価しているんですが、それは彼がエリート主義者ではなかったことを表しています。簡単に言えば、アーサーは物質主義的だったからではなく、できるだけ多くの人に自分の音楽を聞いてもらいたかったから成功したかったのです。その姿勢は、人気が自分の名声に傷をつけたり、望むほど特徴的でいられなくなることを恐れる、自意識過剰的にアヴァンギャルドな作曲家やミュージシャンとは対照的です。つまり私はそんなまどろっこしいやり方には付き合っていられないんですよ。
でもアーサーの魅力は、より多くの聴衆に聞いてもらいたいという彼のその願望にも関わらず、彼は何度もそのチャンスを逃しているんです。その原因のひとつはマネージャーやレコード会社、そしてときには友人までもがもっと認知されるために彼の守備範囲を狭めようとしたことで、自分の音楽的な自由を何よりも重んじていた彼は、そのアドヴァイスに従うことを頑なに拒否していました。もうひとつには、彼の美学は売り込みが難しいものだったということもあります。アーサーは脱線や予測不可能な要素の導入、それにハイブリッド的な組み合わせの作業を好み、それらはどれひとつとして営業マンを喜ばせる類いのものではありませんでした。アーサーは利益を出すために、もしくはレコード会社が利益を出せるように自身の自由を譲歩することを拒み、その結果困難な状況に陥り、彼が望んだほどの名声を得ることができなかったのですが、まさにそれこそが私たちが今彼の作品を振り返って、その幅と奥深さに感嘆することができる理由なのです。彼は商業的な横やり抜きで音楽を収録する権利を主張し、そのことは当時だけでなくいまも変わらず美しい行為だと思いますね。
■インターネットの可能性をどのように考えていますか? 僕はWEBマガジンを主催しています。アクセス数がそれなりにありますし、まだはじめて半年くらいですが、インターネットによってアウトサイダー・ミュージックがより広く伝わる可能性が大きいことも実感しています。それでもアンヴィバレンツな気持ちになるのも事実です。たとえばクラブで踊りながらiPhoneを見ながらTwitterをしているような人たちがいます。すぐ目の前にいる人とコミュニケーションを持つのではなく、どこか遠くにネットで繋がっている人に「つぶやく」というのは、どうにもわからない感性です。あなたはこうした新しいネット時代の状況に関してどんな見解を持っていますか?
ティム:それは壮大な質問ですが、いくつか見解を挙げてみましょうか。本質的に進歩的、もしくは退行的な技術など存在しません。いつだって肝心なのは、いかに私たちがその技術を使うかと、その行為がもたらす影響は何なのか、という点です。私もインターネットは刺激的だと感じていますが、同時にいくつか疑問も抱いています。そもそも私はアーサー・ラッセルの音楽に対する関心の再燃は、多くの面でインターネットの台頭が原因だと考えています。それはファイル共有やダウンロードが人びとのリスニング習慣の大きな変化に貢献したからで、それまでひとつかふたつのジャンルしか聞いていなかったリスナーも、インターネットによってそれがあまりにも容易になったいまではさまざまなサウンドに耳を傾けることが当たり前になっています。同様にそういった幅広いリスニングは、それまでは非常に困難だったであろうやり方で私たちがアーサーの複雑さの全貌を把握する助けとなってくれました。要するに、私たちの鑑賞習慣はついにアーサーの複雑かつ理想主義的な音楽作りのヴィジョンに追いついたのです。
こういったことは、すべてインターネット主導のいわゆる「ロングテール」の台頭、もしくはそれまで入手できなかったさまざまな無名のアーティストの音楽がアクセスできるようになったいっぽうで、人気の高いアーティストのレコードが以前ほど売れない現在の状況と時を同じくしています。しかしそのいっぽうで、私はリスナーがおよそ聴ける以上の音楽を一心不乱にiPodに詰め込み、その鑑賞体験が持つポテンシャルを損なう低音質のフォーマットでダウンロードするやり方には懐疑的だと言わざるをえません。
インターネットを介して幅広いサンプルを見つける行為は、一見非常にオープンで進歩的に見えますが、私はこういった行為の根底にある社交性の乏しさにも衝撃を受けているんです。アーサーはハイブリッドなサウンドを作るとき、まず音楽的なコミュニティに入り、そこで人間関係を築きました。その結果、彼の産物はとても有機的で、ある程度の文化的な知識が染み込んだものでもあったのです。しかし手当たりしだいにサウンドに手を伸ばし、コンピュータで音楽を作るミュージシャンに対しては同じことは言えないでしょう。また音楽にアクセスすることとその曲を聴くことのプロセスがあまりにもかい離していて、その音楽の持つ歴史に対する関心も薄く、非社交的であることを考えると、リスナーが自分の聴いている音楽についてどれだけ理解しているのか疑問に思うこともあります。事実、iPodで音楽を聴くことは多くの点において孤立的な体験なのです。私は個人的には「オープン」で「空間を漂う」音楽を聴くほうが、物理的・社交的な相互作用を促すことができて好きですね。Facebookやなんかの交流も良いとは思いますが、友だちと同じ部屋で過ごすことの代わりにはなりませんよ。いちばん良いのは、一種のバランスが取れることでしょうか。インターネットが多くの人に音楽の興奮を伝え――これはもう明らかにそうなっていますが――そしてその人たちがそこから社交的な輪のなかで、良いオーディオを使って音楽を聴けるようになること、ですね。
それまでアーティストやミュージシャンたちが片手間の仕事で生計を立てていたのに対して、1980年代中盤以降、彼らは自分の芸術でお金を稼ぐことをより真剣に考えざるを得なくなったんです。
■東京もそうですが、いま都市は監視下におかれ、また、商業施設の増設や地上げにも遭い、70年代前半のダウンタウンのようなコミュニティは作りづらくなっていると思います。ニューヨークはジュリアーニ市長の浄化政策が有名ですが、東京も石原都知事以降、街には荷物検査をする警察が目に付くようになりました。それでも都市は、いまはまだ、さまざまな人びとが交錯する猥雑な場所としてあります。とはいえ、近い将来、さらに監視が厳しくなる可能性もあります。そういった現在の厳しさを踏まえたうえで、それでも70年代前半のダウンタウンのなかに"現在でも通用する希望"があるとしたら、それは何だと思いますか?
ティム:以前よりもパーティーやニッチな観客――もっと具体的に言えばあまりお金を持っていない観客――相手の音楽イヴェントが開催しにくくなっているという点は、まさにその通りだと思います。監視についても同意見で、ニューヨークやロンドン、東京といった大都市での地価の高騰がその状況をさらに悪化させている点も付け加えさせてください。
ダウンタウン・ニューヨークは、1970年代から1980年代前半にかけて物価があまりにも安かったからこそ、社会的にも美学的にも進んだコミュニティを数多く生み出しました。軽工業の転出によってある集中的な期間に不要なスペースが山ほど出て、またほぼときを同じくして市が財政破たんしたことから、家賃や地価がさらに下がったのです。この流れのおかげでミュージシャン、芸術家、作家、映像作家、そして現代舞踊家たちはただ同然でこの地域で生活し、コラボレートできるようになり、同時にこのスペースをクリエイティヴに使うことに熱心だった実業家はこれまでにない機会を享受していました。音楽のことだけを考えて暮らせる、その結果は驚異的なものでした。この時代に現代ダンス音楽文化が台頭し、パンク、ニューウェイヴ、ノーウェイヴが出現し、そしてミニマル的な現代音楽も発展を遂げました。同時期にロフト・スペースではフリー・ジャズが繁栄し続け、ヒップホップはダウンタウンにおける重要な足がかりをロキシーに築きました。
ニューヨークは1980年なかば以降生産的かつ創造的であり続けていますが、その生産性と創造性の度合いは、ウォール街の市場が飛躍的に上昇して以来、地価が天井知らずに高騰し、困窮しているアーティストが上がり続ける物価に折り合いをつけられなくなってきたことで著しく減退しています。それまでアーティストやミュージシャンたちが片手間の仕事で生計を立てていたのに対して、1980年代中盤以降、彼らは自分の芸術でお金を稼ぐことをより真剣に考えざるを得なくなったんです。そしてそれは芸術作品を作ることのコンテクスト、そして芸術そのもののコンテクストすら変化しはじめたことを意味しています。ですがデヴィッド・マンキューソ――わかりやすい例として――が実質的には非営利とはいえ、そしてそれ故にそれだけで生計を立てていけるわけではないパーティをいまでも市内で開催できていることを考えると興味深いですね。
また多くのアーティストやミュージシャンがニューヨークやそれと同等に物価の高い都市から比較的安いスペースがあるベルリンに向けて去ったことも面白い点だと思います。その結果、この20年間ベルリンでは創作的なルネッサンスが到来していて、いまだ衰える兆しは見えません。物価は高いものの、ロンドンも力強いアートと音楽シーンを擁しています。ウェストエンドやロンドン西部には大して何もないのですが、ショアディッチやハックニー、ベスナル・グリーンにダルストンといった東側は活発に動いています。こういったエリアでも地価は上がっていますが、みんなどうにかしてやりたいことをやり続ける術をみつけているようです。その創作し、コミュニティを作るという決意は驚くほど柔軟であると同時に、楽観的な気持ちの源でもあります。
■ザ・キッチンの素晴らしかった点について、あなたなりの意見を教えてください。
ティム:ザ・キッチンは芸術的・音楽的な自由のための重要なスペースであり、いろいろな意味で1960年代の終わりのカウンター・カルチャー運動の――公民権デモ参加者、ゲイやレズビアンの活動家、そして男女同権主義者や反戦運動家、ヒッピーや学生が多くの国の抑圧的な政策に抗議しはじめた時間の産物です。ザ・キッチンは、若い作曲家が彼らにセリー主義か新古典主義の枠組みの中で作曲することを強いた楽壇に対して反発する場となったんです。そういった狭い規範に反抗するために、作曲家たちはジョン・ケージのような作曲家の急進的な手法を基に成長することを試み、時代に合わせた形でそれを実行しました。いわく、新しい楽器編成を試し、聴衆に訴えかける音楽を作ろうとし、インド、アフリカ、インドネシアなどの民族音楽学的なサウンドに取り組んだのです。
当初この運動から出現した音楽はミニマリズムと称されましたが、すぐにそこから生み出されるサウンドの幅にはミニマリズムという言葉は限定的すぎることが判明し、ザ・キッチンやエクスペリメンタル・インターメディア・ファウンデーションなどのスペースを中心に形成された作曲コミュニティは、その年代の終盤には自分たちの音楽を"ニュー・ミュージック"と称するようになりました。
アーサー・ラッセルは自身の音楽監督としての任期中にプレパンク・バンドのモダン・ラヴァーズを招く決定を下し、その翌年にはトーキング・ヘッズにそこで演奏するよう手配したことでザ・キッチンの裾野を広げた非常に重要な人物です。音楽監督の椅子をアーサーから引き継いだガレット・リストは幅広いジャズ志向のグループにザ・キッチンで演奏させて同会場の人種的な間口を広げましたし、リストの後にはリース・チャタムがこのスペースで作曲的なノーウェイヴのサウンドを築く助けをしました。
要するに、現代音楽の構成要素の定義は極めて短期間で引っかき回されてもっとずっと幅広い音楽が入ってきたんです。とはいえザ・キッチンの寛容さにも限界がありましたし、アーサーの管弦楽的なディスコがそれほど熱狂的な反応をえられなかった時には彼も動揺していたと聞きましたが、それでもあの曲があそこで演奏され、その後間もなくヒップホップも舞台に上がったという事実そのものが、ザ・キッチンが他の現代音楽や非現代音楽系のヴェニューに比べて音の実験やハイブリッド性に寛容だったことを証明していると思います。
■『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』や『アーサー・ラッセル』のような本を出してみて、あなたにとってどんな嬉しいリアクションがありましたか?
ティム:反響はかなり大きく、非常に実り多いものでした。たくさんの好意的なレヴューもいただきましたし、何よりもこの本が学術的な読者とそうでない読者のどちらにも等しく訴えかけたことが嬉しかったです。最初からそういう本にしたいと思っていたので。なんだかんだ言っても私はジャーナリズムの出身で、昔からできるだけ多くの人びとに伝えたいと思っていたのですが、それと同時に一般的なジャーナリズムの形式には完全に満たされた気がしなくて、それで前々からもっと発展的かつ専門的で分析的な仕事をしてみたいと考えていたんです。
個人の読者の反応は書評よりもさらに嬉しいものでした。何人もの方々が『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』や『アーサー・ラッセル』が彼らの初めてまともに読んだ本で、しかも1週間かそこらで読破してしまったという話をメールに書いてくれたり、直接伝えてくれたりしたんです。これには思わず息をのみましたね。何せどちらも普通の本ではありませんから――重くて、ひどく分析的な部分もある、相当に長い本じゃないですか。ですがあの2冊はどちらも多くの人びとが本当に熱中し、今でも大切にしたいと願い続ける文化的瞬間に強く訴えかけたんです。この2冊の取材をして、そのシーンの数々を支えた多くの素晴らしい人たちに出会えたことを非常に光栄に思います。彼らの物語は語られるべきものでしたが、その物語の語り手になれた私は本当に幸運です。
■あなた個人がもっとも好きなアーサー・ラッセルの曲はなんですか? またはその理由も教えてください。
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ティム:それは間違いなく"Go Bang"でしょう。あとは"Platform on the Ocean"に、『World of Echo』のアルバム、"This Is How We Walk On the Moon"もですし、"Kiss Me Again"も......。正直たくさんありすぎてきりがありませんし、アーサーのいちばん重要な要素は彼が複数の美学をまたいで活動したことだと考えると、1枚のレコードだけを選び出すのはほとんど不適切だとすら感じられます。ですが1枚だけを選ばなければならないとしたら、それは絶対に"Go Bang"、もしくは"Go Bang"のふたつの主だったヴァージョン――アルバム・ヴァージョンとフランソワ・ケヴォーキアンによる12インチ・リミックス――でしょう。私にアーサー・ラッセルについて書きたいと思わせたのはこのレコードで、初めてこの曲を聴いたときには内心で「こんなレコードを作れるなんていったい何者なんだ?」と考えましたよ。このレコードには無数の要素が含まれていて――現代音楽、ロック、R&B、ジャズ、そしてもちろんディスコ――それらがすべてひとつにより合わされた後に接続された二台の24トラック・テープレコーダーを介して細切れにされているんです。
またこのレコードには素晴らしい演奏家たちが参加しているじゃないですか。トロンボーンにピーター・ズモ、サックスにピーター・ゴードン、キーボードとヴォーカルにジュリアス・イーストマン、同じくヴォーカルにジル・クレセン(アルバム・ヴァージョン)、そしてドラム、ベース、リズム・ギターにはイングラム兄弟。アーサーは彼らがジャムして自由に表現するよう背中を押し、また大胆にもリスクを冒して普段は決してしないことをするよう推奨しました――ですからローラ・ブランクはクレイジーな声で、ジュリアス・イーストマンはまるでオルガズムを経験しているような声で歌うなど、枚挙に暇がないわけです。〈ザ・ロフト〉のダンサーたちに歌手やパーカッションとして参加するよう誘うという決定も同じく抜きん出ていて、トラックの世俗的なエネルギーにひと役買っています。
それに加えてあの不朽のヴォーカル、「I want to see all my friends at once go bang」ですよ。これほど的確に私たちが踊りに行く理由を言い当てた人間は他にいないのではないでしょうか。リミックスに関して言えば、見事のひと言に尽きると思います――フランソワは曲のダイナミクスを簡略化して、最高潮の瞬間を強調しています。デヴィッド・マンキューソはいまでもこのレコードのどちらものヴァージョンをかけていますし、ラリー・レヴァンはこのトラックが彼のいちばんのお気に入りだと言っていたそうです。何の不思議もないと思いますよ。
アーサーは、世界を簡単に変えられる方法など存在しないということに気づき、さほど壮大ではない目標を掲げ、それに応じて人びとがコラボレートし、お互いを求めあい、創造的であれる一端を築こうとしました。
■アーサー・ラッセルが海辺でフィールド・レコーディングしている写真がとても印象的です。海は彼にとって特別な場所だったのでしょうね。彼の音楽のほとんどが都会的ですが、あなたが彼の音楽のなかに海を感じる作品があるとしたらどの曲ですか?
ティム:伝記でもかなり詳細にわたって書いたように、アーサーは水辺を愛していました。彼は海なし州のアイオワで育ち、その結果彼にとって水はとても魅惑的なものだったんです。なかには「Let's Go Swimming」や「Platform on the Ocean」のように直接的に水に言及しているレコードもありますが、流れや逆流による流動的な美学を作り上げているレコードはもっとたくさんあるんですよ。ですがアーサーの音楽の多くがとても都会的に聞こえるとおっしゃるのはまさにその通りで、彼自身ボーイフレンドのひとりに、ジョン・ケージの作品も都会で生活しながら作曲されていればまったく違うものになっていただろうと話していたそうです。究極的には、アーサーはさまざまな環境に影響を受けた音楽家でした。彼の音楽からはアイオワ州のなだらかな平原も聞き取れますし、サンフランシスコに住んでいたときには、彼と友人たちはギターやその他の楽器を携えて何日も山のなかでハイキングして過ごしたそうです。アーサーはこの世界の多種多様な神秘を体験し、その素晴らしさを自身の音楽に表現しようとしていたんです。
■いま世界はとても不安定な状態になっています。とくにここ10年は、さまざまな都市でデモや抗議運動が起きています。また、いまや国家よりも大企業のほうが力を持つようになってしまいました。こうした新しい世界においても音楽は貴重な気休めや娯楽として機能すると思いますが、もし音楽に娯楽以上のものを望むとしたら、あなたは願わくば音楽にどうなって欲しいと思いますか?
ティム:まずはじめに、「たんなる娯楽」はさほど悪いスタートラインではないと私は思うんですよ。音楽が厳しい環境のなかでの楽しみや気休めを与えてくれるのであれば、それはとてつもなく重要なことです。でも私は音楽にはそれ以上のことが――人と人を結びつけて、進歩する新しいコミュニティを作ることができるとも思っています。1970年代のニューヨークではそれが非常に顕著で、それはいまでも続いています。緊密で進歩的なコミュニティの形成では不充分だと言われる方もいるでしょうが、アーサーはカウンター・カルチャー運動の時代を生き、それが掲げた途方もなく野心的な目標の多くを達成し損ねた様をその目で見ているんです。アーサーとその友人たちは、世界を簡単に変えられる方法など存在しないということに気づき、さほど壮大ではない目標を掲げ、それに応じて単純に進歩主義の重要な一端を――人びとがコラボレートし、お互いを求めあい、創造的であれる一端を築こうとしました。私はそういう一端が後にそれに触れる人びとに大きな影響を与え、より進歩主義的な未来の礎を築いてくれるものだと固く信じています。
押し潰されたい人間なんてどこにもいません、みんな喜びや機会に溢れた人生を生きたいと願っているのです。そして人間は音楽のなかにこそ他の社会の面影を見出すことができるのだと思います。
■ちなみにあなた個人は、どのようにクラブ・カルチャーと出会い、どのようにその世界の思索者となったのですか?
ティム:私は小さな子供のころから踊るのが好きでした。大学時代は政治にのめりこんでいたのですが、ある夏地元に帰らずにアルバイトをして過ごしたことがあって、その年が偶然にもセカンド・サマー・オブ・ラヴだったんです。私はマンチェスターでハウス・ミュージックが爆発していたときに、幸運にも水曜日の夜に〈ハシエンダ〉に行く機会に恵まれ、その体験は一生忘れられないものとなりました。それが私が初めてハウス・ミュージックを聴いたときだったんですが、私が以前から聞きたいと願っていた音楽――濃厚なまでにリズミカルで肉体的でありながら、同時に知的で概念的な音楽であるように響きました。結局私はその瞬間からダンス・シーンにはまったわけではないんですけどね。私は結構世間知らずで、夜遊びにはまっていた友人もなかったんですよ。
ですがロンドンに戻って記者として働くようになると、政治家の友だちがレイヴ・カルチャーを紹介してくれて、少しのあいだそっちに激しく熱中していたのですが、その後同じ友人がDJがニューヨーク発のダブっぽい、ジャズっぽい、ソウルフルなハウス・ミュージックを流す〈ガーデニング・クラブ〉のフィール・リアル・ナイトに連れていってくれたんです。〈ガーデニング・クラブ〉でルイ・ヴェガの演奏を聴いたそのときが、私がニューヨークに移住したいと思った瞬間だったと思います。
結局私は1994年に向こうに移り住み、2年間ほどルイが毎週水曜日の夜にサウンド・ファクトリー・バーでプレイするのを聴いた後に、『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』を書きはじめました。当初私は1985年から現在に至るまでについての本を書く予定だったんですが、その後紹介されたデヴィッド・マンキューソに、1970年まで遡る必要があると言われてしまって。当時私はそこまで遡ることに消極的だったのですが、すぐに〈スタジオ54〉と『サタデー・ナイト・フィーヴァー』を中心とした1970年代の主流な記述をおさらいする必要があることが判明しました。結局私はデヴィッドと〈ザ・ロフト〉、そして多くの刺激的なDJやヴェニューの物語に夢中になって丸々一冊を1970年代に割いてしまいましたが、それについては欠片ほども後悔していません。
■いまでもクラブに踊りに行くんですか?
ティム:ええ、最近は少し足が遠のいてしまっていますけどね。正直言って、私はいまでもニューヨークで踊るのが他のどこで踊るよりも好きで、あちらに取材に行ったときには集中的に踊りに行きます。〈ザ・ロフト〉、〈シエロ〉のフランソワ・ケヴォーキアン・ディープ・スペース・ナイト、ダニー・クリヴィットの718セッション、〈サリヴァン・ルーム〉のリベーション、他にもいろいろな場所に顔を出します。
ロンドンでは、デヴィッド・マンキューソに協力している関係で縁のある〈ザ・ライト〉のお世話になりっぱなしです。ここのサウンドシステムは本当にずば抜けていて、音楽も多彩で雰囲気もものすごく力強いから、他の店に行ってまったくがっかりしないというのはちょっと難しいんですよ。でも頻繁に素晴らしいパーティをやってくれる〈プラスティック・ピープル〉の近くに住んでいられたのは幸運だと思っていますし、ドラムンベースとダブステップの夜をもっと覗いてみたいですね。私には幼い娘がふたりいて、あの子たちのために朝起きてあげたいと思っているのですが、ふたりともぐんぐん育っていますし、私の踊りたい病もまだ治まってはいないので、近い将来にはまた頻繁に踊りに行くようになるんじゃないかと思います。
■緻密に設計されたサウンドシステム、素晴らしいDJ、ぶっ飛んだ客......ただそれだけでクラブ・カルチャーを評価してしまう風潮にあなたは逆らっているとも言えますよね? いまクラブ・カルチャーから失われているモノがあるとしたら、あなたの言葉で言えば"愛"だと思います。なんで"愛"は失われてしまったのでしょうか? そして私たちはどのようにして"愛"を回復したらのいいのだと思いますか?
ティム:愛で満たされるには社交的な環境が整っていないから、踊りに行ってもバウンサーに凄まれたり、水を1本買うためだけに法外な価格を要求されたりするじゃないですか。それは思いやりのある環境ではないから、人がダンスフロアで横柄に、身勝手に、そして強引に振る舞うことを助長するのです。この風潮を変えるのは容易なことではないでしょうが、デヴィッドとともに仕事をした経験は、かなりのお手頃価格でも進歩的かつオープンでフレンドリーなセットアップを作れることを教えてくれました。
ロンドンのパーティで、私たちは素晴らしいビュッフェを用意し、ドアも歓迎してくれる入りやすい場所であるように気をつけ、パーティの最初の2時間は子供やその保護者も無料で入れるようにして部屋を風船で飾り、サウンドシステムには最大限の予算を割き、フロアも清潔で濡れていないよう注意し、デヴィッドが多様な音楽をかける後押しをし、音量を100dB強に抑えることで社交的交流を促しながら人びとの耳にも配慮しています。その成果は、私たちのところで踊ったことのある人間なら誰の目にも明らかです。雰囲気は非常にフレンドリーでオープンで、誰もが信じられないくらい激しく踊り、ダンサーはその夜の終わりには変容的な何かの体験した感覚とともに残されるのです。こういったパーティには相当量の労力と極めて高いやる気が必要ですが、それが普通ではいけない理由なんてどこにもないじゃないですか。もしそれができるなら、あなたが"愛"と呼ぶものも自然に流れるようになるでしょう。
■次に書きたいと思っているテーマがあれば教えてください。
ティム:実はもう次の本に着手していて、『Life and Death on the New York Dance Floor: A History, 1980-84(ニューヨーク・ダンスフロアにおける生と死 1980-84年の歴史)』と仮題された内容になっています。実質的に、この本はアーサーの伝記というプリズムを通して振り返る『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』の延長線上にあると言えます。それというのも、ダウンタウンのダンスシーンは1980年から84年にかけて、明らかにより折衷的になるからです。〈ザ・ロフト〉や〈パラダイス・ガラージ〉などのパーティは1980年から84年の間もまだまだ繁盛していましたが、同時期にロック、ダブ、それにヒップホップもダンスシーンと相互作用しはじめたことで、当時の状況は非常に複雑で、ぶっちゃけとても素晴らしく、刺激的になったんです。
当初私はこの本を〈ガラージ〉が廃業した1987年、もしくは〈ザ・セイント〉が閉店した1988年まで進めるつもりだったのですが、1980年から84年はあまりにも豊かで難解であることが判明したので、1987年/88年まで持って行くことは無理だと諦めざるを得なかったんです。現時点では、この本はそれ自体がすでに膨大な『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』の倍の長さになりつつあるので、今後かなり真剣に編集しなければいけなくなりそうです。ですがもっとも大切なことは、あの歴史的な瞬間が本当に圧倒的なものであったという点なので、その時代について書くネタがないよりは多すぎる情報に四苦八苦する状況のほうを私は選びますね。自分が信じていない時代について本を書けるとは思えないんですよ。正直言って、このプロジェクトには本当に興奮しています。たまにこの本の作業がまったくできない日もあるんですが、そんなときは本当に辛いですよ。
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スーパーカーが結成された青森の港町で僕は育った。この町でテクノやエレクトロニカに傾倒していた思春期の頃の僕にとってスーパーカーそして中村弘二は、近いような遠いような、つかみどころがあるような無いような。言ってみれば遭難者が砂漠で見るオアシスの蜃気楼。そういう存在だった。
地方都市でアンダーグラウンドな音楽にどっぷり傾倒するということは、やはり孤独との戦いという部分が大きい。情報を入手するのもひと苦労だし、発信者になろうとしても受け手の絶対数が限りなく少ない。田舎独特の閉塞感もある。ダンス・ミュージックに関しては素晴らしいレコード店とクラブ、そしてそれらの店を中心としたコミュニティがあった。が、しかし音響系だとか古いジャーマン・ロックだとかそういう音楽に関しては、当時高校生だった僕はやはり同好の士をなかなか見つけられずにいた。そんな状態だったので、スーパーカーやニャントラの活動を通してポップとアヴァンギャルド、オーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドの境界線をヒョイヒョイと軽やかに飛び越えて活動し、熱い支持を集めていたこの同郷の才人には共感と羨望と......、そしていま思うと希望のようなものすら感じていたのだと思う。ほんと、砂漠でオアシスを見つけたみたいに。
ナカコーこと中村弘二がiLL名義でリリースする5枚目のアルバムとなる今作は、各曲がいろいろなミュージシャンやDJとのコラボレートによって作られている......とひと言で書くと「あー、そういうアルバムあるよね」という感じかもしれないが、参加しているミュージシャン/DJのラインナップはやっぱり何度見ても圧倒される。なにせ、(これはやっぱり名前が並んでいることに意味があると思うで全員列挙すると)山本精一+勝井祐二、向井秀徳、POLYSICS、ALTZ、Base Ball Bear、DAZZ Y DJ NOBU、the telephones、MEG、RYUKYUDISKO、moodman、ABRAHAM CROSS、aco、ASIAN KUNG-FU GENERATION、clammbonである。このラインナップのなかのいくつかの組み合わせであれば同時にチェックしているという人も少なくないだろう。とは言っても、少なくとも現状ではアブラハム・クロスとMEGを同列に並べる人はそうそういないんじゃないだろうか。それこそ、本人を除いては。この時点で充分"中村弘二ならではのアルバム"だと思う。でも、これ音的にはどうやって纏めるのだろう? というのがこのアルバムを聴く前の最大の関心事だった。
「相手がワルツを踊れば私もワルツを、ジルバを踊れば私もジルバを踊る」、これは、20世紀を代表するアメリカのプロレスラー、ニック・ボックウィンクルの言葉だ。このアルバムにおけるナカコーのスタンスは、まさにこういう感じだ。相手のファイティング・スタイルに合わせて柔軟に立ち回りながら要所要所で自分の持ち味の技を繰り出していく。それが例えば電子音のテクスチャーであったり、その声とメロディ・ラインであったり、ギターのトーンであったりする。自分の色は必ず出していくが、それはすべてをナカコー色に染め上げるような安易な統一感ではない。フラットな視点で相手を理解して、コミュニケーションが取れていなければなかなかできない芸当だ。このラインナップが決して、ある種の悪戯心だけで選ばれたわけでないという事が窺える。
なんというか、iLLという存在そのものがひとつのメディアとして機能しているようだ。しばしば語られるDJのメディア性にも似たそれは、さながらガラージにおけるラリー・レヴァンのようだ。サルソウル・オーケストラのようなフィリーソウルだけではなくザ・クラッシュから島田奈美まで、ラリーの手によって、ときに自らリミックスを施してプレイされた楽曲は一様にガラージクラシックスとして扱われている。それはひとつのジャンルであり、ラリー・レヴァンというメディアを通して参照されるひとつの時代のドキュメントでもある。じゃあ、iLLをフィルターとしていまの日本の音楽を参照する行為ってどうなんだろう? ちょっぴりフリーキー? やっぱり"iLL"なんだろうか? いや、ひとつの入り口からこんなにフラットにいろいろな音楽文化圏にアクセスできるというのはむしろヘルシーなことだろう。もしいま、文化的孤独に悩む地方の高校生がこのアルバムを聴いて、誰かと関心を共有できる音楽がひとつでも増えたとしたらそれはとても素晴らしいことだと思うし、やっぱりそれは希望なんだと思う。