「R」と一致するもの

あの時代が残したもの - ele-king


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 レヴューには書きそびれてしまったのだけれど、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』でジャスティスの“Genesis”がかかったとき、何とも言えない気持ちになってしまった。それは主人公のクリスティアンが低所得者が暮らす住宅に脅迫めいたビラを配るのに向かう車のなかで流されるのだが、暴力的な気分を上げるためのものとしてドラッグのように「使用」されている。ジャスティスのファースト・アルバム『†』が2007年。当時、ニュー・エレクトロと呼ばれたエレクトロニック・ミュージックのイメージがまったく更新されないままそこで援用されている。まあジャスティスの場合はロマン・ガヴラス監督による“Stress”の超暴力的なヴィデオの印象を引きずっているところも大きいだろうが、いまから振り返って当時のインディ・ロックとエレクトロのクロスオーヴァーの思い出は大体そんなところではないだろうか。粗暴で子どもっぽく、刹那的。それ自体はけっして悪いことではない。ニュー・レイヴと呼ばれたシーンにまで拡大すれば、事実としてインディ・ロックを聴いていたキッズたちを大勢踊らせたし、自分もけっこう楽しんだほうだ。オルター・イーゴの“Rocker”で何度も踊ったし、ヴィタリックのファーストも買った。デジタリズム(ああ!)のライヴも観たし、クラクソンズの登場も面白がった。が、2010年に入るとかつてのニュー・エレクトロのリスナーの少なくない一部がEDMに回収されていくなかで、00年代なかばのクロスオーヴァーが何を遺したかと問われれば答に詰まるところがある。いや、はっきり言える……何も残らなかった、と。ジャスティスやクラクソンズのデビュー作が発売された2007年、まったく別の場所からべリアルの『アントゥルー』が届けられているが、どちらに史学的な意義があるかははっきりしていることだ。

 ジェームズ・フォードとジャス・ショウによるデュオ、シミアン・モバイル・ディスコ(以下SMD)もまたニュー・エレクトロ、ニュー・レイヴの渦中から現れた存在である。フォードは実際クラクソンズのプロデュースを務めていたし、彼が所属していたバンドであるシミアンの曲をジャスティスがリミックスしたシングル“We Are Your Friends”はニュー・レイヴのアンセムだった(覚えていますか?)。が、そのなかにあってSMDはどこか違っていた。粗暴でもないし刹那的でもない。チャイルディッシュな人懐こさはあったものの、フォードがプロデューサーということもあり何やら職人的な佇まいは隠されていなかった。何しろデビュー作のタイトル(これも2007年)は『アタック・ディケイ・サステイン・リリース』だ。音のパラメータを触ることによって生まれるエレクトロニック・ミュージックの愉しさ。同作はニュー・エレクトロの勢のなかでもじつはもっとも純粋にエレクトロ色が強い作品(つまり、オールドスクール・ヒップホップ色が濃い)で、じつにポップな一枚だが、同時に音色の細やかな変化自体で聴かせるようなシブい魅力もあった。
 その後ニュー・レイヴの狂乱が忘れ去られていくなかで、しかしSMDはアルバムを約2年に1枚のペースで淡々とリリースし続けた。その傍らフォードはアークティック・モンキーズやフローレンス・アンド・ザ・マシーンのような人気バンドのプロデュースを続け、職人としての腕も磨いていく。セカンド『テンポラリー・プレジャー』(09)の頃はゲスト・ミュージシャンを招いたポップ・ソングの形式――「ニュー・レイヴ」――をやや引きずっていたが、作を重ねるごとにエレクトロを後退させ、よりアシッド・ハウスやテクノに近づいていく。モジュラー・シンセとシーケンサー、ミキサーのみというミニマルな形態にこだわりながらクラウトロックの反復をテーマとした4作目『ウァール』を経て、 とりわけ、自主レーベル〈Delicacies〉からのリリースとなった『ウェルカム・トゥ・サイドウェイズ』(16)は非常にストイックなテクノ・アルバムとなった。ヴォーカルはなく、固めのビートが等間隔で鳴らされるフロアライクなトラックが並ぶ。とくに2枚目は50分以上に渡るノンストップのミックス・アルバムになっており、これはほとんどミニマル・テクノのDJセットである。そこにニュー・レイヴの陰はまったくない。

 そしてやはり2年間隔でのリリースとなった新作『マーマレーションズ』は、そうしたクラブ・ミュージックとしてのテクノの機能美を引き継ぎつつ、いま一度ヴォーカル・トラックに向き合った一枚である。ロンドンの女性ヴォーカル・コレクティヴであるディープ・スロート・クワイアをフィーチャーし、リッチなコーラス・ワークを聴かせてくれる。それはいわゆるカットアップ・ヴォイスのように断片的にではなく、比較的メロディを伴った形で導入されているのだが、やはりテクノのDJプレイのようにフェード・イン/フェード・アウト、カット・イン/カット・アウトするものとしてパラメータを絶妙に変化させながら現れては消え、また現れる。クワイア単体では演劇的な仰々しさがあるのだが、それが硬質なエレクトロニック・ミュージックと合わさることで異化され、抽象化される。モダン・ダンスを思わせるヴィデオとともに先行して発表された“Caught In A Wave”や“Hey Sister”などは比較的まとまったポップ・ソングとしての体裁があると言えなくもないのだが、アルバムでは長尺となる“A Perfect Swarm”や“Defender”辺りは一曲のなかで組曲のような壮大な展開を見せる。

 パーカッションなど生音が多く使用され、声が音響化されているため耳への響きは柔らかく、前2作の硬さとは対照的だ。あるいはビートレスのまま音の揺らぎが重ねられる“Gliders”などを聴くと、10年代のアンビエント/ドローンをうまく吸収していることがわかる。初期のローレル・ヘイローを思わせる部分もあるし、あるいはそのスケール感とエレガンスからジョン・ホプキンスと並べてもいいだろう。要はモダンなのだ。それは、彼らがデビューから静かに音の「アタック・ティケイ・サステイン・リリース」を細やかに練磨し続けてきた成果であり、『マーマレーションズ』ははっきりとキャリアでもっとも完成度の高いアルバムだと言える。
 フォードはアークティック・モンキーズの最新作のプロデュースに携わっており、プロダクションの面で大いに貢献している。裏方としての役割をいまも粛々とこなす彼には、ひょっとしたらSMDを過去の遺物として葬る選択肢もあったかもしれない。名義を変えてエレクトロニック・ミュージックをやるとか。だがフォードとショウのふたりはそんなことはせず、地道な変化と前進でこそニュー・レイヴではないテクノ・ミュージックをしっかりと作り上げていった。あの時代が残したものがそれでももしあるのだとすれば、それはシミアン・モバイル・ディスコという存在自体なのではないか……『マーマレーションズ』を聴いていると、そんな気分になってくる。


平岡正明論 - ele-king

よみがえる、戦後最大スケールの思考

『ジャズより他に神はなし』『ジャズ宣言』『チャーリー・パーカーの芸術』などのジャズ評論で知られるほか、政治思想、第三世界革命、犯罪、水滸伝、中国人俘虜問題、歌謡曲、映画、極真空手、河内音頭、大道芸、浪曲、新内、落語……と数多くのテーマに空前絶後のスケールで取り組んだ批評家・平岡正明。

本書では、その生涯と著作をたどる「本章三十六段」、120冊以上にのぼる全著作から厳選した「著作案内三十六冊」、すぐに使えるパンチラインを集めた「マチャアキズム・テーゼ三十六発」という108項目から、平岡の思想を紐解きます。

長く続くポスト・モダンの時代にあって、つねに世界規模・100年規模のスケールで「民衆の力」という「大きな物語」に全身で取り組んできた、その大思想の全貌がいまよみがえる!

●著者紹介
大谷 能生(おおたに よしお)
1972年生まれ。横浜在住。
音楽(サックス・エレクトロニクス・作編曲・トラックメイキング)/批評(ジャズ史・20世紀音楽史・音楽理論)。96年~02年まで音楽批評誌「Espresso」を編集・執筆。菊地成孔との共著『憂鬱と官能を教えた学校』や、単著『貧しい音楽』『散文世界の散漫な散策 二〇世紀の批評を読む』『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』など著作多数。
音楽家としてはsim、mas、JazzDommunisters、呑むズ、蓮沼執太フィルなど多くのグループやセッションに参加。ソロ・アルバム『「河岸忘日抄」より』、『舞台のための音楽2』をHEADZから、『Jazz Abstractions』をBlackSmokerからリリース。映画『乱暴と待機』の音楽および「相対性理論と大谷能生」名義で主題歌を担当。チェルフィッチュ、東京デスロック、中野茂樹+フランケンズ、岩渕貞太、鈴木ユキオ、大橋可也&ダンサーズ、室伏鴻、イデビアン・クルーなど、これまで50本以上の舞台作品に参加している。
また、吉田アミとの「吉田アミ、か、大谷能生」では、朗読/音楽/文学の越境実験を継続的に展開中。山縣太一作・演出・振付作品『海底で履く靴には紐がない』(2015)、『ドッグマンノーライフ』(2016/第61回岸田戯曲賞最終選考候補)では主演をつとめる。『ホールドミーおよしお』(2017/CoRich舞台芸術まつり!2017春演技賞受賞)。

■目次

前書

本章 平岡正明論 三十六段
Ⅰ.
1.崩れた状態の記述
2.きんたまの使用法
3.暴力装置としての韃靼人
4.ジャズの組織論/プロレタリアート文化とは何か?
5.六〇年代ジャズ・シーンの概観/コルトレーン神学批判
6.アカと黒/「第三世界」の浮上
Ⅱ.
7.マルクス&エンゲルス/ブルジョア革命と資本主義
8.レーニン&トロツキー/帝国主義と永久革命
9.ブンドによる日本戦後過程の分析
10.高度成長期におけるあらたな階級形成
11.武装のための理論武装
12.あらゆる犯罪は革命的である
Ⅲ.
13.反面同志の死
14.西郷隆盛における永久革命
15.『日本人は中国で何をしたか』/『中国人は日本で何をされたか』
16.群盗世に充てり/『水滸伝 窮民革命のための序説』
17.闇市テーゼについて/『南方侵略論』
18.『石原莞爾試論』/帰還者たち
Ⅳ.
19.霊感のあらたな源泉/ディスク・ジョッキーと極真道場
20.What is 「全冷中」? 
21.歌の情勢はどのようにすばらしいのか?
22.「山口百恵は菩薩である」
23.美空ひばりの芸術
24.大歌謡論/「俺の独裁」
Ⅴ.
25.大山倍達を信じよ/極真空手という体系
26.変態性と反体制/不具者結合の法則
27.「過渡期世界論」を読む
28.祭と縁/ヨコハマ・野毛の平岡正明
29.「平民文学」の系譜/平岡的六〇年代文学論
30.浪曲的/新内的
Ⅵ.
31.バードとマイルス/ビバップ革命の射程距離
32.記憶の技法/『昭和ジャズ喫茶伝説』
33.『志ん生的、文楽的』/道化の戦闘性について
34.「シュルレアリスム落語宣言」/幻想の長屋共同体
35.マチャアキズム・テーゼの魔界
36.黒人大統領誕生をサッチモで祝福するとは?/二一世紀のブラック・マーケットに向けて

マチャアキズム・テーゼ三十六発

平岡正明著作案内三十六冊

後書

平岡正明著作リスト

R.I.P. Glenn Branca - ele-king

 太平洋のむこうからグレン・ブランカの訃報が届いた日の朝日新聞東京本社版5月15日のオピニオン&フォーラム欄に「エレキ 永遠の詩?」と題した記事が載っている。米ギブソン社の経営破綻の原因のひとつであるエレキギターの売上減が意味することを各界の識者に問うこの記事では、シンガー・ソングライターの椎名林檎、社会学者の南田勝也、弦楽四重奏団「モルゴーア・クァルテット」を率いるヴァイオリン奏者荒井英治の各氏がそれぞれの専門領域からエレキギターないしそれが象徴するロックの現在について熱弁をふるっている、三者三様の談話はいずれも示唆に富み、私は新聞を読みながら激しく相槌を打ち家人を気味わるがらせたが、一方で電化したギターをロックのものとばかり考えるのは不当ではあるまいか。いやそれ以前にロックのイメージの画一化はどうにかならないものか。ロックとは産業の謂なのか、その集積が社会なのか。オルタナティヴやプログレッシヴとは王道のロックのフランチャイズにすぎないのか。そもそも感情と共感でリンクしえない音楽はロックたりえないのか。そうかもしれない。しかし社会と世界は同義でないように、そして世界の総体はけっして把捉できないように、ギターも、すくなくともここで議論になっているエレキギターなるものもまた、六本の弦の撓みと部材の重み、歴史の厚みと音の歪みをもつ、単一のイメージにたやすく回収でいない事物(インストゥルメント) であるのはまちがいない。

 グレン・ブランカはそのことにきわめて自覚的な作曲家だった。彼は現代音楽の分野にエレキギターを主楽器にした曲をもたらした最初の作曲家のひとりだった。むろんそのことが彼の価値を高めているのではない。現代音楽うんぬんを権威づけに感じたならご容赦いただきたいが、ブランカの耳を聾するばかりのアンサンブルには権威を吹き飛ばすほどの音圧があった。その中心はギターである。シーンに登場したのは70年代末のノーウェイヴの時代だった。1948年ペンシルベニア州ハリスバーグに生まれたブランカはコラージュでサウンドアート作品をつくるようなおませな中学生だったのが、上の学校で演劇を学び、実験的な演劇集団バスタード・シアターにかかわった1975年あたりには音響実験をはじめ、ニューヨークに拠点を移した翌年には演劇に片足をつっこみながらバンド活動もはじめている。のちにマラリア!やキム・ゴードンとのCKMなどをはじめるクリスティン・ハーンと、Yパンツをたちあげる写真家のバーバラ・エスのふたりの女性にブランカをくわえたザ・スタティックや、エスやジェフリー・ローンとのセオレティカル・ガールといったバンドでパンク後のニューヨークに興ったノーウェイヴ・ムーヴメントにブランカは参画する。かの有名な『ノー・ニューヨーク』(1978年)で、プロデューサーのブライアン・イーノはアート・リンゼイのDNA、ジェームス・チャンスのコントーションズ、リディア・ランチのティーンネイジ・ジーザス・アンド・ジャークスとマーズの4バンドをピックアップしたかわりにバスキアやヴィンセント・ギャロらがいたグレイやブランカのセオレティカル・ガールが選に漏れたのは比較的よく知られた話であろう。押しつぶしたコードをカミソリのようにふりまわすこのときのブランカの音楽にはのちの萌芽がかいまみえるが、総体はいまだノーウェイヴの圏域にとどまっている。そこを脱しはじめたのはESGやリキッド・リキッドなどをリリースした99レコーズからの「Lesson No.1」(1980年)であり、ブランカはこの12インチシングルで、単純化したスリーコードとも完全に不協和ともつかない鋭角的でありながら繊細な響きのコードによる作曲法を編み出している。響きを反復するため、リズムはメトロノミックな傾向を強め、それらを土台にギターのストロークはときに単純な、ときに巧緻な上部構造を組み上げるが、素材となる音色はおそるべき広さの階調を有している。ノイズともトーンクラスターとも見紛うばかりの和音の一打のなかでは微分音と倍音が氾濫をおこすが、習作の位置づけとおぼしき「Lesson」は81年のファースト・ソロ・アルバム『The Ascension』の冒頭で次章(「Lesson 2」)に突入し、同時に楽曲は多人数でのギターアンサンブルの色彩が強まっていく。と同時に、パンク~ノーウェイヴの記号性は薄れ、ブランカはあたかも20世紀初頭の印象派の面々のやり口をなぞるかのように、あるいはミニマルミュージックをディスコにもちこんだアーサー・ラッセルとすれちがうかのように、ノーウェイヴの方法論をクラシカルなフレームにうつしかえていく。最終的に16番まで作品を重ねた「交響曲」はブランカが生涯をかけて追求したその試みのすべてであり、数台ではじまり、やがて100人規模にまで膨れあがったエレキギターによる合奏は情動とは無縁の場所で交響するかのように音楽史のなかに孤立している。レコードのリリースこそまちまちだが、「Describing Planes Of An Expanding Hypersphere」の副題さながら曲率をもった平面がひたすら広がっていくような第5番や、128倍音までの微分音で構成する第3番「グロリア」の上昇する音階が時間のなかで停止するような感覚は、音に非(否)秩序をもとめるジョン・ケージの不興を買ったというが、ソニック・ユースのリー・ラナルドとサーストン・ムーア、ヘルメットのペイジ・ハミルトン、近年では交響曲第13番に参加したウィーゼル・ウォルターら、多くの異才をひきつけてやまなかった。その特異というほかない作家性はロックを現代音楽化するのでもなく現代音楽にロックを移入するのでもない、乗法の係数を備えており、それがゆえに整序の感覚を強く喚起するが、おそらくそれはエレクトリックギターという怪物的な楽器の構造と歴史に由来する。クラシカルな編成によっているときでさえそうなのだ。グレン・ブランカはそこにさまざまな角度から光をあてる。私たちは光のあてかたこそ音楽家の思想であり方法であると思いがちだが、ブランカの音楽の豊かさは光のなかに輪郭をあらわす事物そのものから生じるものなのである。21世紀はまだそのことに気づいていない。ブランカの倍音と反復による伽藍の偉容を発見するのはおそらくこれからだ。(了)

Paul White - ele-king

 〈R&S〉はテクノなどエレクトロニック・ミュージックの老舗レーベルであるが、そうしたなかでポール・ホワイトは異色のヒップホップ系プロデューサー/ビートメイカー/マルチ・ミュージシャンである。南ロンドンのルイシャム出身の彼は、もっとも目立ったところではダニー・ブラウンのプロデューサーとして知られるが、2007年頃から地道に制作活動を続けて数々のソロ作品を出している。ダニー・ブラウンのほかホームボーイ・サンドマン、ギルティ・シンプソン、オープン・マイク・イーグルなどUSのラッパーたちと組んでおり、エリック・ビディンズとのゴールデン・ルールズというユニットではヤシーン・ベイ(モス・デフ)とも共演している。US勢との絡みから〈ストーンズ・スロー〉や〈ナウ・アゲイン〉などで作品をリリースしており、ポスト・DJシャドウ、またはポスト・マッドリブという形容もされてきた。

 UKではモー・カラーズなどのリリースで知られる〈ワン・ハンディッド・ミュージック〉でも作品をリリースしているが、彼のサウンドはヒップホップの王道から外れたオルタナティヴなもので、いろいろな音楽的要素が見られる。とくにサイケデリック・ロックの影響が強く、ダブ、ビートダウン、民俗音楽などの要素が色濃いところはモー・カラーズにも共通する。また、2014年の『シェイカー・ノーツ』ではテンダーロニアス、ウェイン・フランシス(ユナイテッド・ヴァイブレーションズ)、ジェイミー・ウーンらを起用して、かなりジャズ寄りのアプローチも見せていた。フライング・ロータスやラスGなどLAのビート・シーンに近い立ち位置のアーティストで、〈ワープ〉におけるフライング・ロータスのような関係性が、ポール・ホワイトと〈R&S〉の間にはあるのだろう。

 そうしたポール・ホワイトの新作『リジュヴェネイト』も〈R&S〉からのリリースである。〈R&S〉においては『シェイカー・ノーツ』に続く2作目のアルバムとなり、今回も彼の兄弟でマルチ・ミュージシャン/ビートメイカー/シンガー・ソングライターのサラ・ウィリアムズ・ホワイトが参加している。そのほかの参加者はUKジャマイカン・シンガーのデナイ・ムーア、ジンバブエ出身の詩人/ミュージシャンのシュングドゥゾことアレクサンドラ・ゴアで、彼女たち女性アーティストと共演したアルバムとなる。“ア・チャンス”は変拍子のビートとスペイシーなサウンドスケープによるポール・ホワイトらしいサイケデリックなテイストのナンバーだが、もはやヒップホップ的な文脈からは完全に離れた音作りが『リジュヴェネイト』において行われていることも示している。デナイ・ムーアが歌う“セット・ザ・トーン”は、フォーキーでアコースティックな質感とコズミックな質感が見事に融合したUKらしいダウンテンポ。こうした生音とエレクトロニクスの融合が彼の持ち味でもある。同じくデナイが歌う“シー・スルー”はよりポップ色が強いナンバーだが、こちらはレゲエ/ダブ的なニュアンスが加味されている。

 “リターニング”はアンビエント色の強い作品だが、ブリティッシュ・フォークからグナワのようなエスニック・ミュージックのテイストもあり、いろいろな民族音楽にも通じるポール・ホワイトの一面が見える。シュングドゥゾが歌う“スペア・ゴールド”と“アイス・クリーム”はメディテーショナルなサイケデリック・ソウルで、とくにストリングスを交えてシューゲイズ的なアプローチを見せる後者は往年のゼロ7などを彷彿とさせる。“ソウル・リユニオン”もペイル・セインツのようなシューゲイズ・ロックに近い。ジャズ・ロック、ポスト・ロック、ドリーム・ポップなどいろいろな要素が入り混じった“リジュヴェネイト”はステレオラブ的と言えようか。サラ・ウィリアムズ・ホワイトが歌う‟ラフ・ウィズ・ミー“と“オール・アラウンド”は浮遊感のあるドリーム・ポップ。彼ら兄弟の子供の頃の記憶を楽曲にしたもので、随所に実験的な遊びも見られる。この2曲に象徴されるように、いままでのヒップホップのビートメイカー的な立ち位置から脱却し、自身のなかにある音楽を自由に表現していった『リジュヴェネイト』は、新たなポール・ホワイト像を見せるアルバムである。

interview with Charlotte Gainsbourg - ele-king


Charlotte Gainsbourg
Rest

Because Music/ワーナーミュージック・ジャパン

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 ラース・フォン・トリアーの映画はさておき歌手としてのシャルロット・ゲンズブールは、共演する男性によってその輪郭は作られてきている。1986年の最初のアルバムは、言わずもがなセルジュ・ゲンズブールが手を貸しているわけだが、音楽家としての活動を再開した『5:55』(2006年)はジャーヴィス・コッカーが、『IRM』(2009年)ではベックが全面協力している。昨年11月にリリースされた4枚目のアルバム『レスト』では、〈エド・バンガー〉の看板、セバスチャンがその立場について、ダフト・パンクのギ・マニュエルとポール・マッカトニーも少しばかり手を貸している。この流れで言えばいままでの彼女のやり方を踏襲しているのだが、しかし『レスト』においては彼女のアイデンティティ(ないしはエゴ)が強烈に露わになっている点で過去作とは異なる。このアルバムの輪郭はセバスチャンではなく彼女である。というのもシャルロット・ゲンズブールは、アルバムのほとんどの曲の作詞を自ら手掛けているのだ。まずはこれが、いままでの彼女のアルバムではなかった。父の書いた言葉を歌い、コッカーやベックの書いた歌を歌ってきた彼女は、『レスト』においてなかば暴露的に個人(とその心情)を歌い上げている。具体的に言えば、2013年の姉であるケイト・バリーの死が引き金になっているのだが、酒瓶と4つ打ちの猥雑なクラブ・カルチャーの片隅で、人生の深い悲しみについて語る内気な女性のことを想像してみてほしい。(ぜひ日本盤の訳詞を読んで欲しい)
 それはある意味、エレクトロニック・ミュージックではあるものの、苦しみを公開するという観点では、フレンチ・ポップのお決まりの快楽主義的な回路を切断しているのかもしれない。『5:55』のようなセクシーな作品はたしかに魅力だが、『レスト』での彼女は、しかし悲しみのために新しい声を見つけ、死と向き合い続けた朝方にほのかに立ち上がる力強さのようなものを吹き込んでいる。去る4月に彼女を取材できたので、ここにお届けしよう。

質問:あなたにとって人生とは快楽でありメランコリックであると?
答え:ノン。私は哲学的な座右の銘みたいなものを持たないの。

うちの雑誌で、およそ18年前、いちどだけ50代半ばのときのあなたのお母さんに取材したことがあります(といってその誌面を見せると嬉しそうに写真に撮る)。セルジュが亡くなって10年近く経った2000年のことでしたが、ジェーン・バーキンは元夫との死別について、まるで物語を読むように話してくれました。ウェールズでオートバイに乗って木っ端微塵になろうとしたけど失敗してくるぶしを痛めただけだったとか、セルジュが死んだあとの留守番電話のメッセージが「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。用件をどうぞ」という言葉だったとか。こういうエピソードをたくさん話してくれましたが、奇しくも、『レスト』というアルバムの主題には“死別”があります。

CB:暗いアルバムを作りだかったわけではないけど、死者への想いに取り憑かれているところがあるの。誰でもそうだと思うけど、生きていると近しい人を失うわよね。私の場合は13際のときの祖母の死をはじめ、19歳のときの父、そして最近のいちばん大きなトラウマである姉まで。このアルバムでは父と姉の死を歌っているけれど、生きることについても歌っているわ。でも死というものにこれまでも取り憑かれてきたし、きっとこれからもそうなんだと思う。

このような重たい主題を扱うことに躊躇はなかったでしょうか?

CB:ひとつ前のアルバム『IRM』でも死について歌ていたわ。もちろんあのアルバムは私が詞を書いたわけではないけれど、死を意識するような事故にあったこともあって自分自身の死について歌っていたの。だからそういう意味では死というのは私のなかにいつでもあるテーマなのかも。

たとえばエールの音楽を聴いていても、あなたの『5:55』を聴いていても、ジェーン・バーキン&セルジュ・ゲンズブールが創造したなかば快楽的でありながらメランコリーという独特の感覚を覚えます。『レスト』ではそのバランスを崩し、もっとメランコリーのほうに振れているようにも思うのですが、いかがでしょう?

CB:今回のアルバムの音楽的な影響としてあげられるのが、これまでの私の人生で影響を受けてきたホラー映画『ジョーズ』や『シャイニング』、ヒッチコック映画、ジョルジオ・モロダーの映画音楽など。そういったサウンドをセバスチャンのなかに感じたの。その彼の強いエネルギーを持ったサウンドがあったからこそ、メランコリックで痛みを伴う歌詞を乗せられた部分もある。例えば“Les Oxalis”はサウンドと歌詞の内容が結びつかないと思う。そういうサウンドと歌詞が相反するようなものを作りたかったの。
 作っているときには自分では分析できないけれど、いまになって思うのは音楽とヴォーカル、つまり歌詞を繋ぐような役目をストリングスが負っているのかも。これまでのアルバム『5:55』から今回の『レスト』までストリングスはとても重要なの。レコーディングではいつも最後に入れていたんだけど、まるでひとりの登場人物のような役割を負っていて、それがメランコリックな要素を強めたかもしれないわね。

つまり、あなたにとって人生とは快楽でありメランコリックであると?

CB:ノン。私は哲学的な座右の銘みたいなものを持つことや、確信を持って何かをいうのが好きではないのよ。私は人生をあまり俯瞰的に見ないで生きることが好きなの。

フランス人はみんな哲学的なのかと思ってました(笑)。

CB:そういう意味ではフランス人じゃないかもね(笑)。

すでに“Les Oxalis”のAlan Braxe(ダフト・パンク一派のプロデューサー)によるリミックスがヒットしてますが、“Deadly Valentine”もソウルワックスがリミックスを手掛けてますし、クラブ・ミュージックとの繋がりを感じます、あなた個人にはクラブ・ミュージックへの想いはあるのでしょうか?

CB:クラブ・ミュージックは好きじゃないの。エレクトロニック・ミュージックには興味はあるけど、まずその定義がわからないの。私にとってはベックだってときにはエレクトロニック・ミュージックを使うときがあるし、逆にセバスチャンはコンピュータで作っていないストリングスも使うし。エールのときもそうだった。まあ、エールはエレクトロニック・ミュージックというよりエレクトロニックなヴァイブを持った音楽という感じね。エレクトロニック・ミュージックという要素に惹かれるものはあるけれど、ダンス・ミュージックを自分から聴くことはないわ。

では、音楽面ではレーベル、〈ビコーズ〉のアドヴァイスはあったんですか?

CB:方向的にエレクトロニック・ミュージックをアルバムに取り入れたかったのは私の意向で、〈ビコーズ〉はいろいろなアーティストの音を聞かせてくれたの。
私はトランスの要素のある音楽がずっと好きだった。エマヌエーレ・クリアレーゼ監督のイタリア映画の『Nuovomondo』という映画に出演したとき、シチリアでのお話なんだけど、とてもトライバルな音楽が使われているの。それがとても気に入った理由はきっとトランス感のあったからだと思う。

クラブに行きますか?

CB:ノン(笑)。フランスで出かけるのはちょっと難しかったのよね。クラブに行くのは楽しむためだと思うんけど、顔がバレてしまうと楽しめないでしょ。いまNYでならできるけど、もうこの歳じゃね(笑)。
(※取材時46歳)

NYで暮らしていてパリが懐かしくなるのはどんなときでしょう?

CB:パリにいる親しい人たちね。イヴァンはNYによく来てくれるけど、パリに住んでるし。イヴァンのお母さんも恋しいし、友だちや家族ね。あとはちょっと恥ずかしいけど食べ物(笑)。パリの生活自体はまだ恋しいと思わないの。パリの生活を忘れたいわけじゃないのよ。でももう少しNYにいて、パリを新たに発見できる気持ちになったら帰るわ。

最後に、お父さんから言われた言葉でいま覚えているのを教えてください。

CB:ふー(フランス的ため息)、たくさんありすぎて……。いまの会話から思い出したこと、パリの生活や人に顔を知られてしまっていることとかについて言うわ。思春期の頃、人からしょっちゅうサインを頼まれることにうんざりしていた時期があって、そのときに父から言われたのが「ある日もう誰もお前にサインを求めなくなったら後悔するんだから、いまの状況をありがたく思いなさい」と言われたの(笑)。

 しかしながら、クラブ的なサウンドトラックは、傷心のアルバムに生命についての主張をうながしているようだ。近しい人の死を商売にする人はこの世界にいる。シャルロット・ゲンズブールは、そんなせこい真似をしなかった。悲しみを公開することで、錯乱でも追憶でもない、彼女はそれ以上の強いものを作った。『レスト』は世界中で賞賛されている。(了)

Chevel - ele-king

 マムダンスとロゴスが主宰するレーベル〈Different Circles〉は、ベース・ミュージック、ダブステップから派生しつつも、真に新しいビートとサウンドを追及している貴重なレーベルである。
 〈Different Circles〉は、彼らのトラックに加え、ラビット、ストリクト・フェイスなどのトラックを収録したコンピレーション『Weightless Volume 1』(2014)、シェイプドノイズやFISなどのトラックを収録した『Weightless Volume 2』(2017)、ラビットやストリクト・フェイスのスプリットやエアヘッドの12インチなどをリリースしている。

 〈Different Circles〉がリリースしたトラックは数はまだそれほど多くはないが、どれも刺激的なものばかりだ。中でもマムダンスとロゴスによる「FFS/BMT」(2017)は、インダスリアル/テクノやグライムを経由した「非反復性的」なサウンド/リズムを実現したひときわ、重要な曲である。
 この2トラックはマテリアルでありながら重力から逃れるような新しい浮遊感を実現し、最新型のエレクトロニック・ミュージックの重要なテーゼ「Weightlessness=ウェイトレスネス」を体現している。今、「新しい音楽とは何か?」と問われたら、即座に「FFS/BMT」と〈Different Circles〉の作品を挙げることになる。


 彼らは2015年にUKの〈Tectonic〉からアルバム『Proto』をリリースしており、先端的音楽マニアには知られた存在だったわけだが、この「FFS/BMT」で明らかにネクスト・ステップに突入したといえよう。
 ちなみに〈Different Circles〉のレーベル・コンピレーションアルバム『PRESENT DIFFERENT CIRCLES』(2016)にも、“FFS”がミックスされ収録されているので、こちらも聴いて頂きたい。

 と前置きが長くなったが、その〈Different Circles〉における初のアーティスト・アルバムとなったのが、本作、シェヴェル(Chevel)『Always Yours』である。
 シェヴェルことダリオ・トロンシャンはイタリア出身のプロデューサーで、2008年に〈Meerestief Records〉から12インチ「Before Leaving E.P」、2010年にはイタリアのエクスペリメンタル・テクノ・アーティストのルーシー主宰〈Stroboscopic Artefacts〉からEP「Monad I」などを発表し、2012年以降は、シェヴェル自身が運営するレーベル〈Enklav.〉から多くのトラックを継続的にリリースし続けた。
 そして2013年にはスペインの〈Non Series〉からアルバム『Air Is Freedom』を、2015年には〈Stroboscopic Artefacts〉からアルバム『Blurse』などをリリースする。特に『Blurse』は〈Stroboscopic Artefacts〉らしい硬質なサウンドを全面的に展開し、いわば「2010年代のインダスリアル/テクノの総括・結晶」のようなアルバムに仕上がっていた。メタリックなサウンドが、とにかくクールである。

 本作『Always Yours』は『Blurse』から約3年ぶりのアルバムだが、やはり時代のモードを反映し、〈Different Circles〉=「Weightlessness=ウェイトレスネス」的な音響の質感へと変化を遂げているように聴こえた。テクノ的な反復を超克しつつ、ミュジーク・コンクレート的な音響が重力から逃れるように接続されているのだ。これはモノレイクことロバート・ヘンケのレーベル〈Imbalance Computer Music〉からリリースされたエレクトリック・インディゴ『5 1 1 5 9 3』などにも共通するサウンドの構造と質感である。「非反復的構造の中で浮遊感と物質性」が同居するサウンドは2018年のモードといえる。

 性急なリズムがいくつも接続され、サウンドのランドスケープを次第に変えていく“The Call”、四つ打ちのキックを基調にしながらも重力から浮遊するようなサウンドを聴かせる“Arp 2600”、細やかなリズムと霞んだアンビエンスが交錯し、やがてヘヴィなリズムが複雑に接続されていく“Data Recovery”、変形したリズムが世界の状況をスキャンするように非反復的/点描的に配置され、「コンクレート・テクノ」とでも形容したいほどに独自のサウンドを展開する“Dem Drums”など、どのトラックも優雅さと実験性を秘めたテクノのニューモードを体現している。

 シェヴェルの『Always Yours』を聴くと、ブリアルが『Untrue』(2007)で提示した00年代後半以降の世界観の、その先の表象を感じてしまう。
 2010年代末期の現在は、末期資本主義の爛熟期である。それは金融、モノ、情報が加速度的に巨大化・流動化している時代でもある。そしてそれらが一気にヒトの存在=許容量を超えた時代でもある。「世界」が人間以外の何かの巨大な集合体として存在するのだ。
 私見だが、本作の物質が流動するモノ感覚には、そのような同時代的かつ現代的な感覚を強く感じる。モノが浮遊する感覚。非反復的構造の中で浮遊感と物質性。それらは極めて現代的なサウンド・コンクレート感覚だが、ゆえにいまの世界の同時代的な表象でもある。そのような時代にあって、シェヴェルが「Always Yours」と記すことの意味とは何か。本作の非反復的/反重力的なコンクレート・テクノに、今の時代を貫通する無意識と潮流を探るように知覚に浸透させるように聴き込んでいきたい。

 暗闇に浮かび上がる清涼飲料水の自動販売機を捉えた印象的なアートワークは日本人フォトグラファー山谷佑介の作品である。どこか「人間以降」の世界のムード(兆候)さえ漂わしている素晴らしいアートワークだが、この無人の商業マシンが放つ人工的な光=アンビエンスは、本作のトラックのアトモスフィアと共通するものを発しているようにも思えてならない。


D.A.N. - ele-king

 D.A.N.のセカンド・アルバム『Sonatine』が遂に7月18日発売されるという。セルフ・タイトルのファースト・アルバムからおよそ2年……信じられない。こんなに待ちわびていたのに、たった2年しか経っていなかった!とはいえ2年も経てば生まれたばかりの赤子は喋り始めるし、中1だった少年は中3にもなるほどの年月なわけで、成長期真っ只中の若手新鋭バンドにとっては非常に充実した時間だったに違いない。昨年リリースされたミニ・アルバム『Tempest』は彼らのミニマルなグルーヴをストイックに突き詰めた到達点のような傑作で、その後のワンマン・ツアーや様々なフェスの出演でそれらの実験的な曲の演奏を重ねるごとにじわじわと表現力が増しているのは充分に伝わっていた。そして今年の春にアルバムから先行配信され、12インチでも限定プレスで発売された"Chance"と"Replica"の2曲、これがまた素晴らしく、そのサウンドへの信頼感を確実なものにした。いままでの特徴的なスティールパンの音が鳴りをひそめ、メロウを極めて持ち味を生かしつつも未踏の地に踏み込むような新しさに幾度も魅了される。アルバムに収録された未聴の7曲にも期待せずにはいられない。

 ファースト・アルバムでは暗いブルーだったジャケットは、淡いオレンジに色づいている。インスト曲もあるらしい。変貌の予感。素敵じゃないか。新たなD.A.Nに身を委ねることになるであろう今夏が、暑い夏が、待ち遠しい。(大久保祐子)



D.A.N.
Sonatine

SSWB / BAYON PRODUCTION
7月18日リリース

USのカマシ・ワシントン、UKのシャバカ・ハッチングス。役者は揃った。アフロ、カリブ、そしてヒップホップやR&Bをも飲み込みながら、いままさに新世代がJAZZを更新する!

あたかもジャズと呼ばれないことを良しとし、常識や権威、伝統の外側で、いまものすごい勢いで拡張している。名高い歴史を誇る英国ジャズ史において、彼ら・彼女らは、期待を裏切ることで世界を広げている──ようこそ21世紀のUKジャズへ! いまもっとも熱い南ロンドンのシーンを中心にお届けします!

■ロング・インタヴュー
カマシ・ワシントン──地上と楽園、スピリチュアル・ジャズ曼荼羅

■特集:UKジャズの逆襲
・UKジャズ史──それはいかに根付き、発展したのか
・UKジャズ人脈図
・21世紀UKジャズ・ディスク・ガイド80枚

 INTERVIEW
 シャバカ・ハッチングス──ブラック・アトランティック大航海
 ザラ・マクファーレン──当世UK風ジャズ・シンガー、レゲエを歌う意味
 カマール・ウィリアムス──南ロンドン・ペッカム発、ジャズ・ファンク物語
 ジョー・アーモン・ジョンズ──期待のピアニスト、その若々しい混交とハーモニー

 COLUMNS
 トゥモローズ・ウォリアーズ──UKジャズの重要拠点
 トニー・アレンとジャズではないジャズ
 UKにおけるサン・ラー
 ジャズ・ロックの同心円
 新世代ソウル──キング・クルール以降のシンガーたち
 ブロークン・ビーツなる出発点
 デトロイトとUKジャズの関係
 グライムからハウス、ジャズへ
 電子音楽家としてのエヴァン・パーカー

■特集:変容するニューヨーク、ジャズの自由
・NYジャズ人脈図
・NYジャズ・キーワード(アンソニー・ブラックストンからウィリアム・パーカーまで)
・NYジャズ・ディスク・ガイド30枚
・対談:多田雅範×益子博之

Príncipe Discos Label Showcase - ele-king

「絶対にあの辺りを散歩しようなんて考えちゃいけないよ、あそこは郊外だから――」
 筆者がリスボンに住み始めた直後、滞在手続きに問題があり郊外の移民局まで出向かなければいけない、そう言ったときの友人たちの反応である。

 ポルトガルの首都リスボンは、世界治安の良い都市ランキングの上位にも入る、基本的には安全な都市だ。しかし、ときおり発砲騒ぎやドラッグ関連の事件も起こり、その舞台はたいてい郊外だ。若い、土地に不慣れな外国人が用もないのにひとりでふらつく場所でないのは明らかで、実際、それ以降郊外には行くこともなかった。

 〈Príncipe〉の音楽は、まさにその郊外から生まれた音楽だ。誰も訪れず、そこで何が起きているかなど誰も気に留めない。「街の人たちと違って、郊外で育った自分たちにはプロデューサーも完璧なスタジオも、音楽活動をするためのサポートもなかった」。最近〈Warp〉からEPを発表したレーベルの出世頭 DJ Nigga Fox もインタヴューで語っていたように、ポルトガルの場合、人種格差以上に地域格差が深刻である。「街の人たち」「郊外の自分たち」――彼が繰り返したこの対立構造は、クリエイターのみならず、社会全体の対立構造でもある。

 リスボンで開催されている音楽見本市、MIL(Lisbon International Music Network)。主にポルトガル音楽の海外向けプロモーションを目的とし、100組近いアーティストが出演したこのイベント最終日、メイン会場でのアフター・パーティを任されたのが、〈Príncipe〉であった。英国をはじめヨーロッパ諸外国から「発見」され逆輸入的にポルトガル国内でも認知されるに至った〈Príncipe〉が、ポルトガルの音楽を紹介する国際音楽ショウケースに出演するに至ったのは、彼らにしてみればいまさら感があるかもしれないが、感慨深いものがあった。

 一般客も入場可のパーティということもあり、金曜夜の会場は入場規制がかかるほどの混雑ぶり。パンフレットに「Príncipe All Star」とあった割に、会場にレーベル注目株DJたちの姿は見当たらない。関係者に訊ねると、今夜はほぼ DJ Marfox だという。一瞬「『オールスター』なのに、DJ Nigga Fox も、DJ Firmeza も DJ Lilocox もいないのか」とがっかりしたものの、レーベルの若手 Anderson Teixeira と Márcio に続き始まった Marfox のパフォーマンスは、さすが〈Príncipe〉の中心人物にふさわしい圧巻のパフォーマンスであった。

 レーベルの見習いか取り巻きと思わしき若いアフリカ系青年たちが熱い視線を向ける Marfox の手元からは、クドゥーロやフナナーを想起する乾いた変則ビートが繰り出される。〈Príncipe〉初のCDコンピレーション収録の“Swaramgami”や人気曲“2685-2686” “Eu Sei Quem Sou”のリズムが行き交い、数分置きに頭には「?!」マークが浮かぶ。惰性での踊りを許さない、奇妙な音楽的体験だ。

 辺りを見回すと、年齢も人種も国籍もバラバラのオーティエンスが、皆思い思いのダンスでこのビートを咀嚼している。
 しかし、これは「unite」ではない。街と郊外が融合する日なんて、永遠に来ないのだから。
 郊外で育ったアフリカ系移民が、郊外のベッドルームで作った音楽が、リスボンの街のど真ん中の有名クラブで鳴り響く。「街の人たち」が踊る。「郊外の人たち」が踊る。そんな対立構造など知りもしない外国人観光客が踊る。世界が踊る。それ以上に何が必要だろう?

 一日中ライヴ・ショウケースを巡って会場間を走り回り、身体はクタクタの朝5時。しかし、心は妙に清々しく晴れやかで、〈Príncipe〉がポルトガルの、世界のダンス・ミュージックの潮流を変えうる存在であることを、改めて実感する一晩となった。

Marc Ribot's Ceramic Dog - ele-king

 音楽でメッセージを伝える方法。
 そのひとつは言うまでもなく、リリック。言葉。言いたいこと、伝えたいこと。言葉は、同じ言語(ラング)世界内において不特定多数の相手に意味を運び、時に意味そのものとも同化して扱われる、高効率の意味伝達手段である。
 もうひとつは、リリック以外の構成素たる「音」。それは言葉と違って狭義の記号性を保持しがたいがゆえ、それ自体でメッセージ作用を孕むことは一般的に難しいという前提で議論とされることが多い。(「音そのものには政治性は無い」といったように)しかし我々はこれまでも、例えばジェリー・リー・ルイスがピアノを叩きつけるときに生まれる三連符や、ジョニー・ラモーンが性急なダウンストロークで鳴らすパワーコード、または空間を埋め尽くすように咆哮するジョン・コルトレーンによるテナーサックスの音、そういった音々に、尋常ならざる意味やメッセージを読み取ろうとしてきた。

 そもそも西洋クラシック音楽史上においても、ソナタ形式が洗練を重ねながらどのような「意味」を付与されてきたのかといったことを読み解く行為は、伝統的な音楽教養主義の中核を形作るものでもあったし、短調は「悲しげ」、長調は「楽しげ」だとする、現代では広く共有される認識も、長い歴史の中で徐々に獲得されていった「印象」であり「意味」である。今日共有される「音の意味」は、度重なる創作と鑑賞・批評の相互干渉がもたらした混合物であるのだ。(もちろん文化相対主義的視点からは、上記のようなクラシック音楽における記号論・意味論が西欧社会ローカルでの議論であり、世界では様々な音が様々なコミュニティで様々に意味付与されているということも強調しておきたい)
 さて、あらためて考えてみるに、そういった音そのものと意味の対応関係の醸成過程というのは、実はまさに「言葉」が辿った道筋と近似であるということが分かるだろう。いうまでもなく、言葉ははじめ「音」であり、他の音との峻別や使用される場面、文脈、あるいは話者は誰か、そういった様々な場面で段階的鍛錬を経ることで「意味」を獲得していったのだった。
 そう、歴史性ということに着眼して記号論的視点を敷衍するならば、決して「言葉」と「音」というものは隔絶した概念ではなく、むしろ近似のものであると言えるだろう。だから、「音」だけでメッセージを伝えることだって可能なはずである。かつて、リンク・レイによるロックンロール名曲「ランブル」を、青少年の非行を励行するおそれがあるとして、インスト曲にも関わらず放送禁止指定した人たちは、おそらくそのことを十分すぎるほどよく知っていたのだろう。


 セラミック・ドッグはマーク・リーボウが近年最も力を入れて取り組んでいるバンドである。(あくまでプロジェクトではなく「バンド」であると彼は主張する)。キャリア初期からジャズとロックの垣根を取り壊すギター・プレイを披露し、「偽キューバ人たち」なる、アルセニオ・ロドリゲスらキューバ音楽のレジェンドへのリスペクトを捧げつつもバンド名通りどこかいかがわしい(しかしすごくフィジカルな)グループを組んだり、エルヴィス・コステロやトム・ウェイツといったロックの巨人たちのセッションで、あまりに記名性の高い独特の演奏を提供したりと、様々なフィールドでカメレオン的と呼ぶべき活動してきた彼が、このセラミック・ドッグにおいては、かなり直裁的に、というか素直にロック・ミュージックへの志向を見せていた。自身の激烈なエレクトリック・ギター・プレイに加え、腕っこきのチェス・スミス(ドラムス)、シャザード・スマイリー(ベース)というメンバーを従え、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスやブルー・チアー、遠藤賢司バンドといった燦然と輝く轟音ロック・トリオを彷彿とさせるその演奏は、前作『ユア・ターン』でひとつの頂点を極めていたとも言えるだろう。
 しかしこの3作目『ホワイ・アー・ユー・スティル・ヒア』において彼らは、そうしたパワー・ロック・トリオ的表現から、より汎世界音楽的な視点を持ち込もうとしている。それは、これまでのマーク・リーボウの活動を知るものとしては当然の旋回に思えるかもしれないが、そうした音楽的偏移とともに、バンド発足当初より強く発散してきた太い基軸としての「怒り」を、トランプ政権下で進行しつつある移民政策の歪みなど様々な不条理へ反抗的に咆哮することで、一層具体化・先鋭化させることとなった。様々に織り込まれたレベル・ミュージックから得られる「意味」をガソリンとして。

 ドラムスのキックが騒々しく八分音を刻み、マークのけたたましいボーカルが駆け巡る“Personal Nancy”は、その曲名の通り、シド・ヴィシャスによるあの支離滅裂なソロ・アルバムにあったパンクとしか言いようのない混沌を思わせるし、続く“Pennsylvania 6 6666”ではキューバン・ミュージックのストリートな肌触りを借用しながら、ドクター・ジョンによる、あの恐ろしげなファースト・アルバム『グリ・グリ』のブードゥー的世界を蘇らせる。「Agnes」では、まるであの『ナゲッツ』や『ペブルス』シリーズに収録されていても違和感が無さそうなアングリー・ヤングマン風情のガレージ・パンクと、プライマス的(懐かしい……)ミクスチャーロックを強引に接合する。
 “Oral Sidney With A U”はインストゥルメンタルだが、かつてマーク自身が在籍したラウンジ・リザーズを思わせるアナーキックで脱臼的ジャズが奏でられ、しかも途中にはマザーズ・オブ・インヴェンションの「ハングリー・フリークス・ダディー」のフレーズが挿入されるのだった。ビリンバウのヒプノティックな響きを交えたジャム“YRU Still Here”では、初期アシュ・ラ・テンペルがごとき不穏さが覆い、一見穏やかめかしたマークのボーカルがかえって静かな怒りを抑えつけているようで、異様な緊張感が漲る。
 “Muslim Jewish Resistance”では、その曲名通り各宗教コミュニティを鼓舞し、彼らを不当に扱うものへ抵抗せよ! と呼びかける。ポストパンク的シリアスを湛えた演奏に導かれながら、フリーなサックスが咆哮する中、マークが初期ビースティー・ボーイズやパブリック・エネミーが如き極めてテンションの高いラップを繰り出していく。意味深長なタイトルを持った“Shut That Kid Up”では、90年台初頭のグランジ的熱狂を思わせる3人のプレイが圧巻。ここでいう“That Kid”とは……? それは、いうまでもなくトランプ大統領のことを指しているのだろうが、インスト曲にこの曲名を持ってくる辺り、却って並々ならぬバンドの憤怒を知らしめているようだ。
 そして、アルバム中もっとも直接的で反抗的歌詞をもった“Fuck La Migra”。“Migra”とは、米国移民税関捜査局の俗称で、現在の移民行政を推進する組織と、その体制、そしてその体制を支持する価値観を徹底的に攻撃する。
 「俺の兄弟に指一本触れたら、お前はまた震え上がることになるだろう/トラブルは起こしたくないし仕事もある、俺は穏やかな男さ/だけどさらに言うならば、共和党員が一人減ることになるだろう」という剣呑なリリックが載るのは、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを思わせる演奏で、しかもコーラス部では80年代UKのOiパンクが如きシンガロング・スタイルで「くたばれミグラ!」を連呼する。続く“Orthodoxy”は「正統性」(ギリシャ正教、ユダヤ教正統も意味する)という曲名にも関わらず、シタールが導く南アジア的世界を表出させ、「正統」を撹乱する。
 “Freak Freak Freak On The Peripherique”はESGやリキッド・リキッドといった80年代ニューヨークのノーウェイブ~ポストパンク・アクトを思わせる性急且つステディーなビートがストリート的焦燥を騒がしく掻き立てる。そしてクローザー曲“Rawhide”は、映画『ブルース・ブラザース』で南部白人の保守性の象徴としてコミカルに使われていた有名な同名曲をギターリックで喚起させつつも、クラフトワーク的に変質した声色が駆け巡りながらブロークンなパンク・ジャズを奏で、まるでレジデンツか!? というべき奇異世界を作り出す。

 数多の音楽要素がゴツゴツと荒っぽく閉じ込めれた本作、なによりもマーク・リーボウ自身の憤怒と焦燥が聴くものの胸に強く蟠る。それは、ここに収められた曲が、リリックもさることながら、なんといっても音そのものに「反抗性」を色濃く付与された音楽遺産からの引用に溢れているということに拠るところが大きいだろう。これまで各曲を聴きながら述べてきたとおり、ポピュラー音楽史上に数々現れた「レベル・ミュージック」の断片を、記号論・意味論的に用い、極めてトピカルなリリックとの融合物として、それらに付与されてきた反抗性を鮮やかな手際で蘇生してみせる。その意味でこれは、幅広い含蓄を楽しむべき一種のレベル・ミュージック賛歌集であるとも言えるかもしれない。
 怒るべきことに対して、直情的なリリックで強く怒りを表明しつつも、音楽表現の手法として記号論的観点をも用いるというしたたかで強靭な知性を持つアーティスト。鳴らされている音楽は激烈だけれど、思慮と分別も内蔵している。マーク・リーボウという人は、新たな時代における「怒り」のイデオローグとして、最前線にいるのかもしれない。実にカッコいいではないか。

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