![]() NRQ - ワズ ヒア Pヴァイン |
NRQのリレー・インタヴューをお届けする。
2007年に牧野琢磨(ギター)と吉田悠樹(二胡)のデュオとしてはじまったNRQは翌年ベースとの服部将典が加わり、同じ年の中尾勘二の参加をもって現布陣におちつき、2年後にはファースト『オールド・ゴースト・タウン』を出し、さらにその2年後2作目の『のーまんずらんど』を発表した彼らの活躍は弊媒体読者諸兄もご存知のことでしょう。今回彼らの口にのぼるのは『ワズ ヒア』と題した3作めにまつわるそれぞれの思いである。狭義のインディ・ミュージックましてやJロックの範疇におさまらず、軽音楽であるがゆえにジャズやカントリーやラテンやそのほかもろもろが縁からこぼれるNRQの広義の音楽、いやむしろウェスタンとファー・イーストに挟まれた四者の組曲ともいえる空隙の音楽はどこに向かいつつあるのか。
私は年も押し詰まった昨年暮れ、NRQが忘年会を開くという噂を聞きつけ、この比類なき作品をつくった彼らに一網打尽に話を訊く千載一遇のチャンスだと、東京北西部の閑静な住宅街の一画にある牧野宅へ駆けつけた。本稿は年をまたいだその記録であり、掲載順は忘年会に訪れた順になる。まずは牧野琢磨。NRQのオリジナル・メンバーであり、ギター・コンシャスな演奏者である牧野琢磨にご登場いただく。というか、ここは彼の家なのだから私がやってきたのである。
■NRQ / エヌ・アール・キュー
東京を拠点とし、現在は4人で活動をつづけるバンド。2007年に吉田悠樹(二胡)+牧野琢磨(guitar)デュオとして活動を開始し、翌08年には服部将典(contrabass)が参加。中尾勘二(drums / sax / tb / cl)にも参加を依頼するようになる。バンド名はNew Residential Quarters(ニュー・レジデンシャル・クォーターズ=新興住宅地)の略。〈オフ・ノート〉のコンピレーション『Our Aurasian Things!』などへの参加ののち、2010年にはファースト・アルバム『オールド・ゴースト・タウン』を、2012年にはセカンド・アルバム『のーまんずらんど』をリリースし、同年にリミックス作『The Indestructible Beat of NRQ』をはさんで、今年2015年1月、サード・アルバム『ワズ ヒア』を発表した。
誰かが何かをいい出したら100パーセントそれに乗っかる。そこで、他の意見と統合して落としどころを探さない、というのが大事なことなのかもしれないですね。
■私は牧野くんの新居に初めて来たけど、引っ越したこともふくめ、生活の変化は音楽の変化に影響したことがあると思いますか?
牧野:心境の変化ということでいえば、使う時間のフォーカスが絞られたということですね。使える時間が限られているから決断を早くしなければならない。(子どもを保育園に)迎えに行く直前まで出かける前の準備をしなければならない、とか。……NRQは歌がないじゃないですか?
■そうだね。
牧野:だからバックバンドの話がよく来るんです。誰かの曲のバックをわれわれ4人につけてほしい、という依頼がけっこう来るんです。ですが、それをやるといまは時間を奪われている気がするんですよ。吉田さんとかは前野くんとか穂高亜希子さんとかの仕事でたくさん歌手に貢献してきたから、これははっきりと本人に訊いたことはないけど、歌手に貢献するのはもう一生分やったと思っているかもしれない。服部さんはベースでメシ喰っているからまったくちがう向き合い方だと思いますが……。それで、バンドとして誰かのために時間を使う、というのができなくなった、というかしたくない、というのが個人的にはちょっとあります。あくまでバンドとしてで、牧野個人としては別ですが。仕事もして、バンドもやって、バンドでの収入が100パーセントではないという現実もあったうえで、作曲やプリプロダクションといった制作に時間をつぎこんで、やっとこ3年くらいかけて3枚めのアルバムができたというペースに、やっぱりなっちゃうんですよ。
■生活における音楽の純度はあがった?
牧野:変わらないと思います。純度って何? っていうことはとりあえず置いといて。つねに興味のあることがあるし、パーソナルにやってみたいことはどんどん出てきますし。でも、バンドでやってみたいことを持ち込むとNRQでは成功しないことが多いですね。大上段にバンドとして構えて、これをこうやってみたいんだ、あるいはこうしていきたいんだということでは、なんというか、場が「はぁ……?」みたいな感じになっちゃうでしょうね。
■連帯的な結束ではなさそうだもんね。
牧野:でも個人的な欲求を発揮することは存分にできる環境ではあるんです。手前ミソだけどそれはすごくいいことだと思う。
■個人的な欲求を発揮するにしても、たとえばアルバムをつくるなら、方向については誰かしら先導をきらなければならないんじゃないかな?
牧野:方向は実際はなくて、それはパッケージをどうするか、実務的なガワ(皮)の問題が残るだけなんです。
■牧野くんは前もそういっていたけど、『ワズ ヒア』はガワだけの問題ではない気がした。アルバムをどうつくるかという意識が前2作より高まったと思うんですよ。
牧野:それもまた共同作業だと思うんです。というのも、曲順は今回も中尾さんの案なんです。
■中尾さんは曲順王ですね。
牧野:マイスターです(笑)。
■“エンヴィ”がハナで“日の戯れ”がオシリというのも――
牧野:僕がもし決めたなら、“日の戯れ”は5曲めで“エンヴィ”は9曲めとかになったでしょうね。そして、中尾さんからこういう曲順案が出たときに、こっちで手を加えずそれをそのままでいく、ということが重要なんです。誰かが何かをいい出したら100パーセントそれに乗っかる。そこで、他の意見と統合して落としどころを探さない、というのが大事なことなのかもしれないですね。
■合議制は凡庸になりがちだからね。
牧野:そうです。
誰かが何かをいい出したら100パーセントそれに乗っかる。そこで、他の意見と統合して落としどころを探さない、というのが大事なことなのかもしれないですね。
■“東16字星”も“日の戯れ”も“街の名”もそうだけど、これらの曲には組曲的な構成ですよね。牧野くんのこれまでの曲は曲のつくり方としてはシンプルな志向性だったと思うのね、それがこのように変化して、それが私は『ワズ ヒア』の基調だと思ったんです。『ワズ ヒア』をなぜ私がNRQでいちばんいいと思ったかというとしっくりきたからなんだけど、なぜそうなったかというとレコメン感というと誤解を招きますが(笑)、組曲形式にそれに似たものを投影したからだと思うの。
牧野:いや、レコメン感はあるんですよたしかに。“東16字星”のカブセ(オーバーダビング)のとき、エマーソン(北村)さんにたしかレコメンっていいました(笑)。
■それゆえ、NRQがグッと迫ってきたところがあったのかもしれない。
牧野:(笑)それはよかった。本当は具体的にはレコメンからの影響ではなくて、組曲形式はジミー・ジュフリー3からですね。
■あーなるほど。
牧野:“ウェスタン組曲”をよく聴いていたんです。たとえば“門番のあらまし”とか、リズムをパーカッションぐらいまでにおさえてドラムを入れないという楽器の配置なんかは、個人的にいうと“ウェスタン組曲”がすでに歴史上にあるから大丈夫だろう、みたいな。半世紀前の話なんですけど(笑)。そういうことがあって、やってみたいなというのはありました。
■発想からそういう意図だった?
牧野:“門番のあらまし”はけっこうそうですね。
■そうしたことでこれまでの自分の書き方とちがうようにはなったでしょ?
牧野:曲が長くなりましたね。
■それをやろうと思ったのはどのタイミング?
牧野:やろうと思ったことがやれない、うまくいかないのがNRQなんです。中尾さんとか、じつは何でもできるわけじゃないから。けど、何かできることは異常にできる。そこがおもしろいんです。“日の戯れ”でも、ドラムをこうしてくれ、とは一度もいったことなくて、曲を持っていって、僕が最初のギターのカッティングだけ何小節かやって、そのあとベースとドラムに入ってください、といったらもうあのドラムだったんです。
これは、僕がやろうとしていることと中尾さんが異常にできることが合致した幸福な例といえます。曲作りの段階で捨てた曲やうまくいなかった曲もけっこうあったし、だからそれは当たり前のことなんですけど、できることしかできないという前提が中尾さんに限らずわれわれにはあるんです。服部さんはちがっていて何でもできると思いますが……。吉田さんには(楽器に)音域の制約がある。だから、組曲形式のように具体的な形式があっても成功するかどうかはわからない。
■例をあげてやりたいことを具体的に説明することは――
牧野:それで失敗しつづけてきたので止めた、ということです。たとえば何か例になるような音源を持っていって、これこれこういうふうにしてくれ、といってもうまくいかないことが多い。時間がかかり、かつ完成しない。“日の戯れ”みたいに持っていって一回でできたのは成功例なんです。
■そういうバンドへの曲の諮り方はあるんだね。
牧野:僕はありますね。ほかのメンバーはまたちがうと思います。たとえば服部さんの曲“ショーチャン”なんかは、ジャケットのクレジットに「作曲」のほかに「アレンジ=編曲」というのも入れたんだけど、この曲には服部さんが書いた各パート譜があって、演奏は譜面通りなんです。
でもファーストよりはかなり遠いところまで来たかもしれない。
■バンドの歩みをみていくと『ワズ ヒア』は3枚めになります。1枚めにそのバンドのすべてがあり、2枚めのジンクス云々といういい方があり、そう考えたうえで『ワズ ヒア』はNRQにとってどういったアルバムと位置づけられると思いますか?
牧野:アルバムをつくる前は毎回、あぁ今回できるかな……、と思うんです。そう思いながらとりかかって、できたのが1枚めで、2枚めのときはさらにその不安が大きくなった。僕はファーストが音像や演奏をふくめて好きだったから、それよりよいものができるか心配だったんですね。ところがそれができた。で、今回は「2枚めがよかったから3枚めはいよいよ難儀だな……。販売規模もいままでいちばん大きくなるだろうし……」と思っていたんだけど、それこそ松村さんには、(ザ・バンドの)『カフーツ』みたいになるかもしれないといったこともあったけど(笑)、けどできたんです。でもファーストよりはかなり遠いところまで来たかもしれない。
■そうかもしれない。
牧野:中尾さんには不変の魅力があるけど、ほかの3人がいろんなところで揉まれたのがでかいかもしれないですね。服部さんなんか、初めて会ったときと較べると、単純に技術的な面でも別人のようです。そして技術に裏打ちされているから技術からの飛躍というか、語弊があるいい方かもしれないけど、罠の仕掛け方とかもいろいろできるようになったんだろうな、と思うんです。
■「罠」というのはなにを指していっている?
牧野:みんなを安穏とさせないというか。本人の意志として、これをやりたいというときにアイデアの幅とか、そういうものが3枚めを録る少し前から桁ちがいになったと思います。上から目線じゃないです(笑)。でも服部さんがすごく上手くなったのは本当だし、それは僕にもわかったし、録音もうまいことセパレートで録れたのでよかった。いままではひと部屋で録っていたのでコントラバスは埋もれがちだったので。
■ところで“sui”はバンド最初期の曲だよね?
牧野:すげーむかしの曲ですね。
■なぜこれを再録したの?
牧野:“sui”は一銭も生み出していないんですよ。
■お金の話なの(笑)?
牧野:そうです(笑)。というのは、〈オフノート〉の『アワ・オーラシアン・シングス(Our Aurasian Things)』というコンピに入れて、それがNRQの最初の録音だったんですよ。
■2008年だよね。
牧野:そうです。で、まぁゴニョゴニョとお金はもちろん出なくて(笑)、出版もどこにも登録されていなかったので録ったんです。
■ファーストに入れればよかったんじゃない?
牧野:ファーストのときはちょっと前のそのコンピに入っているから逆に入れるのを止めよう、ということで。セカンドのときはmmmも歌ってくれたし、他にもたくさん曲があって結局外れた。そして3枚めになって戻ってきました(笑)。やっていることは当時とまったく変わっていないんですけど。BPMもいっしょ。MC.sirafuのスティールパンが入っているくらい。しかしあんまり叩いていない。要所要所だけ(笑)。
■満を持してということではなかった。
牧野:ぜんぜんない(笑)! でも今回のアルバムからのMVは“sui”なんですよ(といってPCで画像を検索する)。
“sui”
牧野:右の手はロロという劇団などで活動している女優の島田桃子さん。島田さんとは、大谷能生さんが在邦フランス人の前でゲンズブールを歌うという、本当に勇気のあるイヴェントのバック・バンドに参加したとき、彼女がいわばフランス・ギャル役として出演していて、そのときに知り合いました。
■(広告が映りこんだ背景を指して)これは資本主義批判なの?
牧野:そんな素朴な……(笑)。なんていうか、自主的に勝手にいろいろと広告を入れたんです。で、最後は中尾さんが出てくるという。
■中尾さんは『ワズ ヒア』では結構吹いているよね。
牧野:たしかにそうですね。けどそれは、曲が要求する部分も大きかったんじゃないですかね。
■中尾さんがどの楽器を選ぶかも──
牧野:基本的には任せていますけど、今回は「ここはアルトです」とか「クラ(リネット)です」「トロンボーンかぶせたいです」とか言いました。演奏の中身はもちろんお任せしてます。“街の名”でトロンボーンを録ったときは「いまのは大原(裕)さんみたいでしたね」とはいいました。これはマジでいいました(笑)。大原さんみたいに吹いてくれとはもちろんいいませんでしたけど、曲の後半に独自に大原さんみたくなっていったから感無量でした(笑)。
■なんできみが感無量になるのよ(笑)。
牧野:いや、僕はサイツが好きなんです(笑)。船戸(博史)さんも芳垣(安洋)さんも。芳垣さんのドラムってとくにヌケがいいんですよ。音がよい。ドラマーってドラムの音をいちばんよく聴かせてくれるじゃないですか。
■でも中尾さんにはそういうところはないよね。
牧野:中尾さんはドラマーじゃないから。そしてそれがNRQでは重要なことなんです。ただ、“東16字星”では僕がスネアのセレクトを間違えたんですよ。録音をした〈デデ・スタジオ〉ってヴィンテージのドラムセットがいっぱいあって、中尾さんがいないときにスタジオの人に「ドラムセットはどうしますか?」と訊かれたんです。そういわれても、中尾さんはドラマーじゃないし、どうするかと本人が訊かれてもたぶんどうもしない(笑)だろうから、ラディックがあればラディックで、と僕がいったんです。リンゴ・スターの使ってるメーカーだし。で、「スネアはどうしますか」と訊かれて、間違えて木胴を選んじゃったんです。んでアルバム全部を木胴で録っちゃったから、“東16字星”だけエンジニアの葛西(敏彦)さんに「EQでドラムの音を金胴にしてくだい」ってお願いしました(笑)。
■中尾さんはドラムセットに対する意見はないんですか?
牧野:意見も不満もないし、チューニングもしない。そこにあるセットに座って、叩く。だから、たとえばライヴハウスで対バンがあるとき、前に出演したバンドのドラマーがドラムのチューニングに気をつかう人だと次のわれわれの音がえらいイイ音になったりする。ハコによっては、奥から引っ張り出してきたようなドラムだったりするんだけど、それでも中尾さんはまったくチューニングしないからボッカンボッカンいったりする。するんだけどそのままでいく。
僕は何にも飽きてはいないし失望もしていないんですね。何かに対してこれはダメだとも思わないですね。
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■“門番のあらまし”のラテン調は新機軸だと思うけど、このアレンジに挑戦した理由はなんですか?
牧野:単純に安い3桁レコードばかり買っていると『ラテン・ベスト・ヒッツ』ばかりになってしまうんですよ。安くて曲がいっぱい入っているのはたいていペレス・プラードとかになっちゃうから(笑)。
■だからってやんなくてもいいじゃない。
牧野:けどやっぱりいま現在揃っているものでしかインプットってできないじゃないですか。それにラテンはエレクトリック・ギターを弾く人には命題みたいなところはありますよ。ってありませんか?
■ある人にはあるだろうね。
牧野:でもみんな一回は向き合わざるをえないというか向き合ったほうがおもしろいかなぁ、と。エレキが映える音楽だし。とはいえぜんぜんできていないですが。
■エレキギターといわないまでもギター奏者として、NRQの3作およびほかでの活動もふくめて、個人的にどのような立ち位置にいると思いますか?
牧野:それはネガティヴな言葉でしか言い表せないですね。
■なぜネガティヴ?
牧野:自分のことは客観的にはなれません。かといって主観的に考えてもネガティヴになりますね。だって圧倒的に足りないですもん。
■理想が大きすぎるんじゃないの?
牧野:いや、どうでしょうね。わかんないですけど……、けどそれを埋める時間もない。リニアな努力でなんとかなる期間はとっくに終わってしまったので、あとはいわばそのときそのときの打率を上げるしかない。一般的にギタリストの方々がどのようにしているかまったくわからないんですけど、個人的には僕はそう思ってます。だからホールトーン・スケールを毎日練習するとかは止めてベンドの練習をがんばるとか(笑)。
■技術への価値の置きどころがちがうということだよね。しかし技術を否定するわけでもない。
牧野:僕は何にも飽きてはいないし失望もしていないんですね。何かに対してこれはダメだとも思わないですね。
■対抗意識のようなものもない?
牧野:いやそれはあるんですよ、既存のものに対してのカウンターのつもりではあります。それは強烈にあります。すでにあるものをもう一度やることには意味を見出せない。細かい話になりますけど“sui”とかはギター奏法的にいえば誰もやっていないことをやっている気がするんです。1度とオクターブ上の2度を5度とずっと同時に鳴らしているとかね。そんなことをやっているのはウルマーか僕かってくらいですよ(笑)。
既存のものに対してのカウンターのつもりではあります。1度とオクターブ上の2度を5度とずっと同時に鳴らしているとかね。そんなことをやっているのはウルマーか僕かってくらいですよ(笑)。
■ずいぶんニッチかつハーモロディックな選択肢だね(笑)。
牧野:どうしてもナッティ・トークになっちゃいますね(笑)。
■ジャン=ポール・ブレリーはどうなの?
牧野:大好きです(笑)。でもブレリーはなんでいま話題にならないんでしょうね?
■冷静に考えてなると思うかい?
牧野:(笑)
■この世の中じゃウルマーと同じようにならないですよ。
牧野:あー。
■私はウルマーもブレリーも、好きなんだけどね。
牧野:松村さんが来日公演観たとき、ピッチが危うかったんですよね。
■たぶん私のジャズベと同じでペグまわりの調子が悪かったんじゃないかな。
牧野:でもそれは基本的な姿勢が間違っていますね。使っている楽器のコンディションはつねに把握しておかないと(笑)。
■ブラックとロックのあのブレンドの仕方は特異だと思うけど、牧野くんのギターの特異さもブレンドの妙みたいなところはあるね。
牧野:そうかもしれないですね。
■でもそれがウルマーやブレリーを思わせるならやらないということでしょ?
牧野:すでにあるものを想起させるかたちでもう一回いま現在の規模や技術で何かをやることに僕は興味が湧かないんです。われわれは他には絶対にない、もっといえば過去も現在もわれわれみたいなバンドはじつは絶対にいない、という自負だけはあって、それをそうはっきりと言える勇気は吉田くんが与えつづけてくれているんです。ああいうふうに二胡を演奏する人はいないから。吉田くんが楽器の引力もあって大陸的に引っ張られそうなときは曲でそれを回避するとか、“門番のあらまし”とかもEQでフィドルのように音色を変えたんだけど、僕はそこはすごく気にしている。響きがエキゾチックに、あるいは大陸的になりそうだったら曲自体を取り下げる、とか。吉田さん自身もチューニングを下げているそうです。だから吉田さんみたいな人は吉田さんしかいないし、それがいわば勇気になってるんですね。それは絶対にいえるな。他にマジでありそうでマジでない。それは『ワズヒア』を何回か聴いてあらためて思いました。
われわれは他には絶対にない、もっといえば過去も現在もわれわれみたいなバンドはじつは絶対にいない、という自負だけはあって、それをそうはっきりと言える勇気は吉田くんが与えつづけてくれているんです。
■NRQの人間関係は良好なの? 他のメンバーには言わないから教えてよ。
牧野:(笑)。いや、人間関係というほどの関係がじつはないんです。演奏する上での関係はもちろんありますが。
■今日はバンドの忘年会だよね。
牧野:今日は特別です。一年のうち一日だけ。飲みに行ったりすることもないんですよ。折り入ってしゃべることもないだろうし……。いや、べつにネガティヴな意味でいってるんじゃないですよ(笑)。
■わかるよ(笑)。
牧野: NRQはいわば、男性特有のホモソーシャルな蜜月期間=バンドが、終わった後にはじまったバンドなんです。男性のホモソーシャルな蜜月期間とロック・バンドは並行して進んでいって、それが花開くときにバンドも成功してその終焉とともに失墜していくじゃないですか。われわれはその期間が終わった後にはじまっているんです。失敗からはじまっている。
■それは成熟なのかね?
牧野:わかんない……ですけど、関係としてはいっしょに演奏するという関係しかない。
■資料のプロフィールには「今後もこの四人」と書いていますね。
牧野:プロフィールは僕が書いたんだけど、それは「誰かがそのうち死ぬだろうな」ということなんです。牧野、吉田、服部が死んで、ピクサーの『ウォーリー』みたいに全部が朽ち果てた世界で中尾さんだけが生きている、その可能性だって、というかその可能性がいちばんでかい気もするんですけど(笑)、つまりそれは誰かがいつか死ぬという意味なんです。バンドとしての絆や今後のバッファがあるという話ではなくて、単なる生き死にの話なんですよ(笑)。
■終わった未来から現在をふりかえる視点、そういったものがNRQはタイトルのつけかたにはあるじゃない? 今回の『ワズ ヒア』だってそうだよね。
牧野:タイトルはやっぱり東日本大震災と原発事故……のその後なんです、またこういうこといっちゃったけど……。いま現在僕らは「あのときあの場にいたよね」とのちのちの未来にいえてしまうような現実を生きていると思うんです。どういうことかというと、実際に現場で活動している人たちを僕は尊敬しているということを前提としたうえで、しかし活動というのはものすごく難しくて、一回一回達成感を得たり、目標を立ててはいけないものなのかもな、とも最近は思っていて。失望することがあまりに多くて長続きしないこともあるじゃないですか。政治活動をするうえで何がもっとも重要かといえば、諦めない、ということと、いちいち絶望しないこと。それに、居つづける、ということと、忘れないこと。そのように最近は思っています。今回のタイトルはいってみれば“見張り塔からずっと”ということなんですよ。
けどここでたとえば、NRQのサードできました! 『見張り塔からずっと』です! だと死ぬほどクソサブいし一枚も売れないだろうし、というかもうPOS登録の時点ではじかれるかもしれないし(笑)。それと有名なアラン・ムーアのコミック『ウォッチメン』に「誰が見張りを見張るのか」というテーマがあって、ヒーローがいて、でもヒーローが暴走したら誰がそれを止めるんだという、それもちょっと頭にあった。最初は吉田くんの曲にちょうど“門番”というのがあったのでそれをアルバムのタイトルにしようかとも思ったんですが、ある一定の既得権益がある領域やテリトリーを守るのが「門番」だから、それだと個人的には僕が思うのとはちょっと違う。
いま現在僕らは「あのときあの場にいたよね」とのちのちの未来にいえてしまうような現実を生きていると思うんです。
■門には外があるからね。
牧野:その場合、僕らは外にいることになる。それと、着想の元がもう一個あって、それは米軍が戦争中にいろいろな場所に描いていた「キルロイ・ワズ・ヒア(Kilroy was here)」という落書き。キルロイは特定の誰かを指しているのではなく、匿名の似顔絵とともにその文句を、米軍はベトナムの壁とか原爆ドームとかに描き残している。ともかくも、あのとき僕もその場にいたと後々の未来にいえてしまうような状況にいま現在我々はいる、ということと、とはいえいちいち絶望しないで居つづけなきゃ、ということ。大袈裟な喩えをするとケネディが撃たれたときに僕もテレビで観ていたよ、というのと同じようなことだと思うんです。「あのときあの場にいたよね。原発が爆発したときPCの前でYoutubeで見てたよね」とか「秘密情報保護法が施行したときに◯歳だったよね~」とか「安倍政権が解散総選挙で延命したその日に◯◯したよね~」とかそういう状況。それでこのタイトルをつけたんです。あぁまたこういうこといっちゃた……。売れなくなる……。
とにかく言葉は悪いけど、一回一回うまくいったとかいかなかったとか、一人ひとりが集まれば大きな力になるとか、向こうも使っているような感情の揺り動かし方をこっちは使わない、ということが大事だと思うんです。僕は地震があって原発が爆発したとき、これでファンタジーは終わったと思った。少なからずみなさんそう考えたと思うんです。これで幻想の出る幕はなくなり物語が有効じゃなくなる、なぜなら現実のほうが物語よりすごいことになっているから。なんだけど、それからおのおのが選択をはじめていて、たとえばある人は、どうせ風呂敷を広げるならより大きな風呂敷を広げる、それでよりいままでとはちがった意味での何か強いものを示そうとしている。それはその人たちにしかできない選択だと思うんです。その一方で物語をまったく破棄する人もいる。僕はどちらかといえば後者だった。政治的な活動を考えると、たとえリベラルな立場であっても使っている物語の力学がなにかしら劇的なものになっていることがある。その引力に、僕は引っ張られたくないんです。それが悪いといっているわけじゃないですよ。僕が思っているのとはちがう、ということなんです。その場にいて、傍観しているわけではもちろんなく、けれど達成感は必要ない。そうしないといざというときに頓挫する気がするんです。いれるかぎりは居つづけないと。
■しんどい選択ともいえるね。
牧野:ですかね(笑)。アガるポイントがあんまりないですものね。
■まわりの人たち、NRQと対バンする人たちの現状や変化について、いいたいことはないだろうし、いうべきでもないだろうけど、あえてなにか感じるとしたら何だろう?
牧野:対バンでいっしょに演奏している人たちはおのおの身を捧げていると思います。いまそう口に出しちゃって自分でもかなり気持ち悪いな、と思っているのですけれど。ともかくも必死こいてやってます! 以上!







スケートシング、トビー・フェルトウェルらによる東京発のアパレル・ブランド〈C.E〉より2015 Spring/Summerのルックムービーが公開された。